MEMOIRS
OF
SHONAN
INSTITUTE OF TECHNOLOGY Vol
,
33,
No.
1,
1999現 代 俳
諧
の
可 能 性 (
3
)
山
口章
*Possibilities
ofthe
Contemporary
Haikai
Akira
YAMAGuTI
Idescribed
the possibilities of contemporary Haikai (1)and (2
)in MEMOIRS OF SHONANINSTITUTE
OF
TECHNOLOGY
,
vol28 ,
No .1
(March ,
1994),
vo128,
No.
2
(March ,1997
).
In No
.
3 under the title of」“
Nekoneme Renku,
”1
willintroduce
my werks as well as the other membersof the group
,
asthe
final
representation.
概
論
筆者は当学 湘南工科 大 学の紀 要 第 28 巻第 1 号 (1994 年 3 月 )と第
28
巻 第2
号 (1997 年3
月 )におい て 「現 代俳諧の 可 能 性 (1}お よ び (2)の タイ トル で論 述 した。 今号は 「猫の目連句 」と して,
い ま まで の実 作を披 露す る ことで,
その責を はた し た い。 現代俳
諧の道紀 要 第
28
巻第 1 号で は 「俳 句 と俳諧の 現状」「式 目 論」「禁 忌 (タ ブー
)の開放」「季 語 」 「口語 」「何を残す か 」の 各 章 を もう けて論述 し た。 昔な が らの伝 統を順 守 する俳諧の世界に は,
将 来 はない 。 現 代に生 きるわれ わ れ を も 満 足 さ せ得る表現 形 態 と して の 連 句 「俳 諧の 連 歌」が隆盛 と なる こと を期 待 し たい。
俳諧 世界を 現 代 社 会の文 化 状 況に対応 さ せ て
,
未 来 的 な展望 を 構 想 し併せ て 俳 諧 本来の持つ,
庶 民 性 と諧 謔 性 とに立 脚 した新しい 芸 術 分 野の再 構 築を念 願 して論 を 展 開し た。
紀 要 第
28
巻第 2 号に は 「概 論 」「松尾芭 蕉の 俳 諧」「現 代 俳諧の タ ブー
」「実作の 楽し み」の各 章 をたて て古 典と 現 代の 交 錯す る表 現を求め,
俳諧の位 置 をより豊か な も の にするこ と を志し た。 そ れ に は占典の俳 諧の真 髄を よ く学ぶ こと が必 要で あ る。 ま た古 典 俳 諧 以 降の純 粋に文 学 的な運 座の ほかの,
例え ば神社 や仏閣に お ける行 事の よ うな もの とは明 確に区 別を し な くて は な らない とい う こ と を明らかにしてお きた かっ た。 ま た式 目の運 用にっ い て も 弾 力的に して,
文 芸と して の現 代 性 を 発 揮で きる ように したもの で あ る。 * 総合 分化 教育セ ン ター
非 常 勤 講 師 平 成 10 年 10 月 31 日受 付 猫の 目 連 衆私た ち の 「猫の 目連 衆 」の活 動は 1989 年に 始まる の で あ る が
,
高 校生か らの 着い 俳 人グルー
プに いた私の場 合を除いて,
その他の連 衆は当 然な が ら俳 諧 (連 句 )に たいす る知 識 を 持っ て いた わけで は な い。 し か しそれ ぞ れの分 野であ る 程度の仕 事を して い る者が集ま るほ うが 連 句の連 衆 と して はまと まりが よ く,
い わ ゆ る 俳 句 馬鹿 の集 合体よ り は,
社 会的に深い,
味 わい の ある作品を醸 成 するこ と が出来る と私は常々 考えて い た もの で ある。ま ずは
,
連 句の連 衆と い う鍛 錬の場が松 尾 芭蕉の場 合 に は どの よ うに考え ら れて い た か を見よ う。
他 門の説に云
,
芭 蕉 翁 は発 句 上手, 俳 諧は ふ る し と言 人あり
,
先 師 常に語て云 「発句は門 人の 中,
予に劣 らぬ句 する人多し。 俳 諧に於て は老 翁が骨髄」 と
申される事
,
毎 度な り。 こ のか わ りめ 同 門 す る人 稀なり
,
他 門いかで知るべ き。 先 師一
生の 骨 折は,
ただ 俳 諧の上に極れ り。 師云, 「老 翁 が 俳 諧は
,
五歌 仙に究め ぬ人
,一
生俳諧な らず」 ともいへ り。 大事なる事に して又 心 安 き事な り。 「多 年 俳諧 すき た る 人 よ り は
,
外の藝に達 し た る入,
は や く俳 諧に入る」 とも申さ れ る。(「宇陀 法 師 」 許 六
・
李由)一
177一
湘 南工科大 学 紀 要 第 33 巻 第
1
号俳 諧の真 髄を究め た松 尾 芭 蕉の言 葉で ある。 当然な が らこれに は 芭 蕉の謙 遜 と 自 信 が 表 わ れてい ると 見る のが 妥 当で あろ う
。
「発 句で は弟子 の誰か れ に は劣る か も し れぬが,
連句の興 行で は, 私は誰に も負け な い よ」とい うほ どの事で あろうが,
これ を複数の弟 子の耳に云い続 け ていた と 云 うの は,
や は り松 尾 芭 蕉が た だの俳 諧 師で は な か っ た。 この 「宇 陀法 師」の話は典 型 的な俳 諧の教 師 と して,
いか に これらの諸 点にっ いて俳 諧から文 学へ の テ イ ク オ フ に腐心 し てい たかが透 視で き る と い う もの で あ る。 こ の文 章の 中心点は 「俳 諧は老 翁の骨 髄」,
「老翁が俳 諧は,
五歌仙に究めぬ人,一
生 俳 諧な らず 」,
そ して 「多年 俳 諧 す き た る人よりは,
外の芸に達 した る人,
は や く俳 諧に 入る」の 三点で あ ろ う。
第一
は松尾 芭蕉の 自己 確認の宣 言で あり, 連 句とい う 芸 術に対 するいわば 姿勢の 中で, 発句は自分よ り は優れ て い るもの を 作る弟 子 もい るの だ が 「連 句に おい て こそ は私の本 質が現わ れ る」とい う芭 蕉の 自 己 把 握 は まこと に的 確で あ る。 い くっ かの芭 蕉が捌いた 連句の展開が, いかに他の流 派や門 人 だ けの もの よ り は, 格 段に優れ て おり,
格調高 い調べ の 中に一
刻も停 滞し ない芸術の流 露に感 嘆 さ せら れ る もの で あ る。 まさに松 尾 芭 蕉 は自 己の本 質 を 把 握 し て い た とい うこ とが 出来る。
さ らに流 動 する現 実 を も見 抜い て,一
歩もた じろが な い積極 的な姿勢を感じ さ せ ら れ るの は,
現 代に も援用させた い重要な もの で あ る。 第二 の五 歌 仙うん ぬ ん は,
松 尾 芭 蕉の戦 略と も 云 うべ き断 言で,
内 容 的に は厳 しい俳諧の 道 を暗示 して い る。 五回も運座に加わ っ て五回 歌仙をま いて み れば,
参加 者 は連 句の実 力を発 揮で き な け れ ば な ら ない。 逆に言 うな ら ば 五 回の テス ト期 間を経 過 して連 句の真 髄 を 理 解 しな い よ うで は まっ た く情 けない こ とで ある,
との 意味で あっ て これ も かな り厳 しい。
そ して, 第三 が重要な意 味を持っ。 俳諧の重 要な仲 間 の人 間選 択の基 準と な る,
俳諧の技術 論の根 底にか かわ る もの で あ る。 大 意は長年俳 諧に親 しん で来た もの よ り も,
別の世 界で 「他の芸に達 し たる人 」,
す なわちいわ ゆ る一
芸 を 極め て,一
っ の世 界 を 持 っ た人が俳 諧の真実を 把握する の が早い, とい う意味で俳諧 (連句 ) とい う芸 術の特殊性 を踏まえた松尾 芭蕉の人 間観 察の成 果が結 集 して い る。 さて, この 「宇 陀 法 師 」がっ た え る芭 蕉の連 衆 組 織の 第三 の教訓を生か して,
我が 『猫の 目 連 句 会 』の組 織 作 り に取り掛っ たの で ある。 芸 術の カオス目 指 す [故・
青 木 雨 彦 ] コ ラ ム ニ ス ト青木 雨 彦が現 代 と して は五 十 才 代で早 世 し たの は今 か ら八年 前,一
九 九一
(平 成三) 年の早春の こ とである。 胃の検 査から そ の ま ま入院と い うことで ま ことに慌ただ しい 日々 であ っ た。 コ ラム=一
ス トとい う特 種の表現者の道を 新たに確 立 したとい うの が 正 しい評 価 で あろう。 表 現の現 代性をっ きっ めて,
若い世代に迎え入れ ら れ た。 若い サ ラ リー
マ ン に人 気の あ るコ ラムが一
世 を 風 靡 した。 彼は一
九 七八年に 日本推理作家 賞の 「評 論そ の他 の 部 門 賞 」を受 賞 し た。 軽 快な ジ ョー
ク は女 性の読 者に も好評 だっ た。 俳句は新聞 記者時 代の先 輩 格の 高 木 健 夫 さん らの句 会 に出 席 して はい た ようだ が, なか な か厳格な句 会であっ た ら し く,
猫の 目連句の 自由闊 達さ が何と も魅力で あ る と よ く語っ て い た。
彼は戦 中最 後の生徒 と して 旧制 横 浜 第二 中学に入 学 し た。 終 戦を 経て戦後の学 制 改 革の時 期 にあ たっ て い た が,
こ の学 校から後の文 学 者,
直 木 賞 作 家 生島治郎や後に述べ る芥 川賞 作 家 宮原 昭 夫が輩 出し た の である。 雨 彦はすで に句 集を持っ ほ どの俳 句へ の没 入を し めて い た し,
その ジ ャー
ナリズム で の高 名 さ か ら,
各 種の週 刊誌の選者な どもつ と めて い た。 俳 句の作 風 は あ く まで も平 明で,
高 踏 的な とこ ろ はまっ た くない。
不 思 議な こ とに これ は彼の書 く様々 の 文 章が持っ て い る閃 光の よ う な鋭 さは影 をひそめて い るの が特 徴である。 た だ し人 情 を 詠ん だ句に は抜 群の面 白さ が あ るこ と は さすがの ミ ステ リー
通であ り, 人間通で あ る と感心 さ せ ら れ る。 女 狐と相々傘や路 地の裏 鎌 倉 吟 行二句 鎌 倉の その先の海 春の色 待 宵の そ ぞ ろ歩き や段かず ら 怒る気も泣く気も な くて四月 馬鹿 三 日月や少 年の 目の獣め き 唐 茄 子が糸 瓜にか ら む連 句の座 い さ さ かの抱 負もありて 日記 買 う 雨彦 これ ら が才 子,
雨彦の 「猫の 目 」に残した発 句で ある が,
素 早 く楽 しそ うに ジ ョー
クを と ば しながら作 句 する その姿 を 想 起 すると再びそれ をみ ることの 出 来 ない こと一
178一
現 代 俳 諧の可 能 性 (
3
) (山口 章 ) が残 念で な ら ない。彼のみ ま か りは
,一
九 九一
(平成三) 年の三月二 日 で ある が,
そ の頃た ま た ま第二 回の 「猫の 目 連句 会 展 」を 開 催 中であっ た。 そ の とき湾岸戦 争が勃発 し,
神 奈 川新 聞か ら連 句の時 局 吟 を と懇 請された。 砲火 叫ぶ砂漠の嵐 月寒し 夢あ らざ り し事の起こ りつ あの下に我居る ご と し炸 裂 光 約 束事な き夜は破れ き 忌ま わ し き 思い出 遠く また近 く鳩
飛 ば せ た し我ら疎開 派 茶 芭 村 は じ め 西 北 村 雨彦 め こ の表 六 句は同 年一
月二 二 日の神 奈 川 新 聞に掲 載され た。
雨 彦が小康を得て 自 宅に か え っ て い た時期が あっ た その と きで, 電話で の参 加で こ の句 を提 出し た。 彼の連 句へ の別れの一
句で あっ た。
[宮原 西 北・
昭 夫 ] 宮 原 西 北 こ と宮原 昭夫は一
九 七二 (昭 和四七 ) 年に 「誰か が触っ た」で芥 川賞を受 賞した。 前 述の よ うに青木 雨 彦 とは同 級 生であっ た。 横 浜出 身の文 学 者 が二 人 続け て茶 川 賞を受賞 し たの は珍 し く,
宮 原の 後に は郷 静子が 「れくいえ む」で賞 を 得 た。
彼は受 賞時はすで にベ テ ラ ン の味さ え漂 っ て いた が 『こっ た が え しの時点 」 とい う長 編を完成さ せ て いた。 作風は温 和で印 象 派 風の筆にのせ て社 会の矛 盾をつ い て ゆくとい う複 雑なもの で ある。筆者とは文芸思想誌 「疎 開 派 」 を 発 刊 し た
一
九六一
年 前後か らの付 き合い で ある。
本 質 的に散文 精 神が まこ と に旺 盛で,
若い時 分に は詩や短 歌,
俳 句な ど を [わから ない]とい う言 葉で 評 して い た。それ が俳句を好み
,
連句 を共に興行す るに及ん で い よ い よの め りこんで来た とい う感 じ で ある。
西北の句 風 も 明る く,
理解 し やすい。
ちな み に湘南, 鎌倉を絵葉 書に し た句か ら拾っ て みる。 雪ふ るい落と し 遮断機天を指 す 遅れ霜 足の よごれ し物思い 秋 色は沖の波に も眸に も シ ロ ホ ンの ひ び き どこか ら梅 雨の寺 雪あが るこ う も り さ げ し托 鉢 僧 西 北 知 的な視 線 が 周囲に配ら れて い て,
表 現は意 外 性を も 交 えて,
複 雑な現代を感じさせ るのが,
作者の意図を伝 えて文 学 者の句を して立派で ある。 [田口茶 芭 村・
雅巳]さてわ れ らが 「猫の 目連 句」の最大の特 長は連 句を
一
巻 ま き上 げる とそ れに色 彩 豊か に絵を描い て も ら うこ と に ある。
連句 絵とで も言おうか,
連 句の内 容に応じて茶 芭 村に よっ て 新しい視 覚 的な楽 しみを 増 し て 多 くの フ ァ ン を獲得して い る。
田口茶芭村の俳 句は当 意 即妙で酒 脱で あ る。 しか も原 色の彼の画 風にも似て,
その句 風はあ く まで も現 代 的で あり, 彼の個 性その ままに色 彩 も豊 かに, 人の意表をっ く現代へ の鋭い切 り込み が あっ て楽 し い ものが ある。茶芭 村の つ く る発句に は鬼 面人を驚かすもの が あっ て ま た彼は そ れ を さ え誇りに して い る。 田口恭 芭 村はか れは 『しょ う な ん び ねっ』 とい う 名の 句 集 を もっ てい る。 そ れ は自らの絵に綿 密な
,
その 内容 に フ ィ ッ トし た句を付 けるとい う視 覚 的 な もので,
これ も現 代 を 描く絵師と して まこ とに新 しい感 覚 を もっ て い るの が証明さ れて い る。 夏の声 ミ ラ クル カラー
ポ ンポ コ リン 茶 芭 村 緑 陰の 古謡に神の高い び き 冬 鴎湘 南 微 熱 長 電 話 乾 杯だ原 色の声雲の峰 伝 説の岬で口笛 富士初雪 とい う ふ う な軽 快な タ ッ チ で ある。 [ゆ りは じめ・
(山口 章)]さて最 後に私 自身の ことを 最小限 記 してお く必要が あ る よ う だ。 高 校時代か ら俳 句との付き合い は長い私の 場 合は
,
俳 句と は俳 諧で あ る とい う古 典 的な教 師に出会っ た こ と が, 連 句の世 界に馴 染ん だ 理由で あ る。句 集は 「キャ ッ ツ ァ イ』『キャ ッ ッ ァイ ・プラ ス 1/2』 の
2
冊が ある。 ど ち ら も青 春 時代の 若 書きで,
認 するい ささ かの羞 恥の念が ない わ けで は ない。 月 天 心ビル の何 処か が病 気で す 木の花よこ の丘の名は祈りが 丘 歓 喜して精霊 海に出る光 蹌 踉と昭 和 過 ぎ行 く横 時 雨 真 幸 く て ま た会い た き を花狂い な ど な ど,
は じめしか し私は文 芸評 論 とい う表現形式を選び 取 っ た現 在に至る まで
,
俳諧とい う楽 しみを 捨て たこ と は な か っ た。 [は じめ]は筆者の俳 号であ る。
連 句の創 造は 心の 通い あっ た仲 間が出 来るまで はい い 結 果が期待で き ない とい う 予 感があっ て,
ここ に紹 介す る 「猫の目連 句 会 」はま さに満を持して の興行だ っ たわ一
179一
湘 南工科 大 学 紀 要 第
33
巻 第1
号 けで あ る。 長い興行の,
しか も 現在 続いて い る会のすべ て を整理 して発 表 する わ け に は ゆ か ないが,
節目節目の作 品の い くっ か を披露 して お くこ とに しよう。 歌仙
五吟
「年
忘 れ」
の巻
一
九八七年一
二月二五 日 於て・
ゆ りは じめ狸々庵 連 衆 雨 彦・
青 木 雨 彦 (コ ラムニ ス ト) 茶 芭 村・
田 口雅巳 (日本 画絵 師 ) 西北。
宮原 昭 夫 (作 家) 泰を・
青 木 泰男 (俳 人 )… ・
電 話 参 加 亭主は じめ
・
ゆ りはじめ (表現者 ) 初オ 年忘れ初め て連 句の客と な り 坂 静か なり 白の 山 茶 花 終 り まで酔 潰 れるか花 咲く か 酒の とりもっ えに し な れ ども 十 三夜夫 ある人の 髪に ふ れ 霧に消えるか舞 踊 会の手 帳 初ウ 彼の婦人の ドレ ス は笑 うコ レクシ ョ ン プ ア ス ナー
下げてまた上 げて 歓喜し て恥ずか し げ な る灸の あと 明 日は藤 沢の宿で遊ぶ か 爪 あとも寒 川 神 社で身 を 清め 社 務所の猫は や や手 荒なり 三 日月や少年の 目の獣め き バ イ ク 飛 ば せ ば海 岸道路 ス ケッ チする女 盛 りにす す き搖 れ マ リー ・
ラ フ ォ レに に た女と海 散る花 も散らん とするも心せ き 明日 は お発ち か お名 残 惜し や 名 オ 五月 雨を三角 壕でやり す ごし 四角四面の 布団を敷いて むき 出しの キ ャ ビ ンに丸 き腰 を 賞で 質 は流れて 子 らか かと泣 く 七 タに逢 う瀬の浮 世 恥 ずか し く 雨 彦 は じ め 茶 芭村 西 北 彦 め 村 北 彦 め 村 北 彦 め 村 北 彦 め め 村 北 彦 め ロ ビ ン フ ッ トも あ あ お 手 上 げで っれなさに愛の 矢 羽 もひ る み が ち 心 な らず もよ そ に 目が ゆ く 宝 く じ並ぶ人に も ネ オン影 金銀 洗う円高 差益 新 調は通 勤 着のみ月 天 心 ネク タ イ し めて身 震いを する 名ウ 年 上の ミ ズの 視 線に五 時 近 く ○ ○ 休 暇 も嬉々消 化し て 身 内 とは名ばか り忌に は島を訪い 幼 馴 染み と子の噂 する当た り く じの裾 分 け千 両
一
枚づっ 夕 暮 れせ まる横浜球場 村 北 彦 め 村 北 彦 め 村 北 彦 を め 泰 (青 木 雨 彦九句, 宮原 西 北八句,
田口茶 芭 村 八 句,
青 木 泰を一
句,
ゆりは じめ十 句 ) こ の一
巻はわ が狸々庵に連 衆があつ まっ て の, 最初の もの で それは雨 彦の 発句 [年 忘れ始めて 連 句の 客と な り]で始まっ た こ とで明ら かで あ る。 今に して思え ば,
バ ブル 崩壊の寸 前の時 期で [金 銀 洗 う 円高差 益]と茶芭 村の句に ある よ うに,
時 局に よ せ る連衆の関心 は高い も の が あっ た。 最 初に して は見事な付 け 合いが 可 能であっ たの はやは りこ の 人 た ちの,
能 力の高さを 証明す る もの で あ ろ う。歌仙
四吟 ・
「記 者 帰 る 」の 巻一
九八八年 六 月一
五 日 青 木 雨 彦 田 口茶芭 村 宮 原 西 北 ゆりは じ め 横浜・
菊 名・
狸々庵 初オ ア カシアの 花の悲 し み記 者かへ る 雨に打た れ る若い か ん ば せ 空腹 と歌と怒 号 も緑 陰の 訓 練 終 り蒼 窮 暮 れる 墨 堤やボー
ト漕ぐ手に月の影 触れ る小 指に と き め きの時 初ウ 雨 彦 は じめ 茶 芭村 西 北 彦 め一180一
思 案 して そっ と その手を押 し戻 し そ れ きりだっ たまずかっ た なあ 宿に来て文は書い た が出し そ び れ あの ト
ー
サ ンの倒 産の 声 猫の 目の ご とくに女 性の声 を 聞 き 背な には黒子肩天 道虫 露 天 風 呂老い に恥つ か し木 濡れ月 遠み みず くの は る か消えゆ く 時々 は電 子 手 帳に見え がくれ ま たも振 られて また惚 れ られて かわたれの花ふ りか かる操 舵 室 ロ ランの 声に遅い 目覚め か 名オ ただ ならぬ女の姿に鳥 も啼き 髪 乱 れたま ま眠る赤き 血 こ の ま まで お ろ せ ば君 も傷っ かず わ れ も あなた も あ らぬ こと わり 次々 と二 ;一
ス キ ャ ス ター
降ろ さ れて さ やかに暮れ る透い た紫 あると きは藤 壷の闇に恋 をし て めざ めて 今日 はア テ ス ト に泣 く 虎が雨に寄せ る思いや朝の 磯 さ め ざ め と なく初 夏の牧 はるけ くも奥まで 来て は月の寺 落 人 狩りも う た こ こ ろ涌 く 名ウ 余 世 な お戦わんと して戦へ ず た だ た だ枯れて腰に手を や る こ こまで は昭和とい えど遙か来て ま だ思い 出すことの数々 茶 碗に は紅残る宵 花む しろ 鶯の泣 く江 戸のタ 映え (雨 彦 九 句,
茶 芭 村八句,
西 北 八句,
現 代 俳 諧の可能 性 (3
)(山口 章 ) 村 北 彦 め 村 彦 北 め 村 彦 北 め 彦 村 め 北 彦 村 め 北 彦 村 め 北 彦 村 め 北 め め は じ め十一
句 ) この 「記 者 帰る」の巻は,
第一
次安保の ころ記 者 生 活 を開 始 し た故 青 木 雨 彦の発 句に よっ て は じ まっ た のだ。 樺 美 智 子とい う名の御 茶ノ水 女 子 大学生 が 警官とデモ隊 の間で 圧 死 した とい うもの で,一
九六〇 年 当 時の学生,
知 識 人の多 く が重大な関心 を もっ
た大 事 件で あっ た。 時 代の良心に敏感で あっ た学 生 像は,
ニー
世 紀 を 迎え よ う とい う今のキ ャ ンパ ス に は少ない よ う だ。
才能の あ る若い女 性の突 然の死は衝撃 的で あっ た。 梅 雨に濡れ た国 会 周 辺の 印 象はい っ まで も鮮 烈で あっ た の で
,
こ の句も同人に お おい に感 興を呼ん だ ものである。 忘年四吟 「自粛 とか 」 の巻 とき・一
九 八 八・
十二。
十五 ところ・
横 浜・
菊名・
狸々庵 青木 雨 彦 田 口茶 芭村 宮原 西 北 ゆ りは じ め 初オ 自粛 と か動き も あ る に歳 用 意 さ しっ さされっ 炬 燵酒 汲む もう深 夜テレ ビは終 ら ず しゃぶ しゃぶで 三次 会に も 欠 けぬ顔ぶれ 濁 酒で また焼 酎で秋の月 そ の か りが ね をみ胸に秘め て 初ウ 美 女っ れて 面 白き風 山粧 う 不 便き わ ま る別 荘 地な れ ど 山か が しっ い に蝮の続き出て 女 盛 り をやや もて あ まし 十 三 を か し らに三 児蚊遺 り香 蚊 帳も会話も搖れ る か そ け さ 御 簾 深 く月 白 くして山 笑 う 噫々 とい い しか 呵々 とい い しか 十 歳ぶ り尾 羽 う ち枯ら し夫 婦る 蜘 蛛の巣は らい夢よ み が え る 花の下 瞼を閉 じてや や し ば し 淡 き期 待 に年 を 数ふ る 名オ 温 りは指 先ば かりか薄 き恋 事 務 室 窓口月 謝 納 入 少 女らの 視線を 避けて卒業す 硬 派張る身に流れ る霧か え っ・
ウ ッ ソー
ほん と おい ら は浜の 男さ 船 酔い同 士そ れ が馴れ初め 連れ立っ て波の頭に尿する その確 執を解か す瞬 間 雨彦 は じ め 茶 芭 村 西北 彦 め 村 北 め 彦 北 村 め 彦 北 村 め 彦 村 北 彦 め 村 北 彦 め一
181一
湘 南 工科大学 紀 要 第