中国黄土高原における草食家畜飼養の展開と飼
料確保に関する研究
―山西省のヤギ・羊を事例として―
2016 年(平成 28 年)
于 蓉蓉
1
目次
序章 問題意識と課題... 1 第一節 本研究の背景 ... 1 第二節 先行研究の整理 ... 2 1.放牧飼育から舎飼いへの転換に関する研究 ... 2 2.規模拡大経営の展開に関する研究... 5 第三節 本研究の課題 ... 6 第四節 本研究の構成 ... 7 第一章 草食家畜飼育の発展と関連政策の変遷 ... 9 第一節 中国における草食家畜の発展と政策の変遷 ... 9 1.人民公社期の畜産業(1958 年から 1978 年) ... 9 2.生産請負制度の実施と農産物の販売自由化期(1979 年から 1990 年) ... 10 3.「適正規模経営」の推進と農業地帯の草食家畜飼育発展期 (1990 年代) ... 12 4.環境保護政策の実施と大規模経営発展期(2000 年以降) ... 14 第二節 近年のヤギ・羊の生産動向と飼料の生産動向 ... 16 第三節 近年の山西省における畜産政策の動向 ... 19 第四節 調査地の概況と実施政策 ... 21 第五節 小括 ... 23 第二章 放牧型零細規模経営と飼料の確保 ... 25 第一節 調査地と調査農家の概況 ... 25 1.調査地N村の概況 ... 25 2.調査農家の概況 ... 26 3.N村の畜産業の概況 ... 28 第二節 畜産農家における飼育頭数と飼料確保方法の関係 ... 29 第三節 畜産農家の飼育規模と経営耕地の関係 ... 30 1.農家の耕作放棄と耕地利用権貸借の動向 ... 31 2.畜産農家の耕作放棄と借地の具体例... 32 第四節 畜産農家の耕地利用と飼料購入の原因 ... 34 第五節 小括 ... 35 第三章 舎飼いへの転換と耕地利用の変化 ... 37 第一節 調査地および調査地における政策支援の概況 ... 37 1.調査地R村の概況 ... 37 2.舎飼いへの転換と農民専業合作社の設立 ... 38 第二節 畜舎農家の経営内容の変化 ... 38 第三節 耕地利用と飼料確保の状況 ... 402 第四節 舎飼い転換による畜産農家の就業変化 ... 44 1.元放牧農家の就業変化 ... 44 2.畜産部門への新規参入農家の就業変化 ... 47 第五節 小括 ... 49 第四章 放牧型大規模経営の展開 ... 51 第一節 放牧型大規模経営の概況 ... 51 1.大規模経営設立への政策的支援 ... 51 2.大規模経営の発展過程 ... 51 1)A経営の変遷 ... 51 2)B経営の変遷 ... 53 第二節 大規模経営の存立条件 ... 55 1.放牧地の確保と耕地の拡大条件 ... 55 1)大規模経営から見た飼料自給の必要性 ... 55 2)大規模経営による耕地借り入れの条件 ... 56 3)大規模経営による荒地・林地借入の条件 ... 59 2.雇用作業者確保の状況 ... 60 第三節 小括 ... 61 第五章 舎飼い型大規模経営の展開 ... 63 第一節 畜舎団地の建設と政府の支援 ... 63 1.畜舎団地の整備状況 ... 63 2.改良種の普及推進 ... 64 第二節 畜舎団地に入居している舎飼い型大規模経営の状況 ... 67 1.創業と経営概況 ... 67 2.羊の販売方法 ... 69 第三節 小括 ... 70 第六章 結論 ... 72 注 ... 77 参考文献 ... 79 SUMMARY ... 81 謝辞 ... 85
1 序章 問題意識と課題 第一節 本研究の背景 1978 年に改革開放政策が開始されてから中国の農業政策が目標としてきたのは,それま での穀物偏重政策を改めて,それ以外の農畜水産物の生産を拡大する「農業構造調整」を進 めることであった。とりわけ,1990 年代に食料不足の問題が解決されると畜産業の本格的な 振興が農業政策の課題として強調されるようになった。そこでは,飼料用作物の栽培拡大と 同時に,養豚・養鶏部門における飼料効率の向上と並んで,飼料用穀物に依存しない草食家 畜の飼育の発展が提起されている。 例えば,1992 年の国務院「多収量・良質・高収益農業の発展に関する決定」では,大幅な 増産により国民の衣食充足の問題(中国語は「温飽問題」)の基本的な解決が成し遂げられ たと宣言し,今後は多収量・品質向上・収益性向上を同時に進める新しい段階に入るべきだ との方向性が示された。そして,畜産業の発展と飼料作物の作付け拡大が提起されると同時 に,牧畜地帯(中国語は「牧区」)の畜産業と同時に,農業地帯(同「農区」)でも作物の茎な どの副産物を利用して牛・ヒツジ・ヤギなどの草食動物の飼育を発展させることが示され ている1)。 さらに,国務院の出した「90 年代における中国の食料消費構造の改革と発展要綱」(1993 年 2 月)の中でも,動物性食品の消費拡大に対応して畜産業や水産業さらに飼料用作物の生 産拡大を重視することと同時に,草食家畜の飼育を発展させることが提起されている。 胡(2012)によると,中国の畜産業は歴史的に河川流域の草原での放牧を起源としている が,消費人口の増加とそれに応じた飼育頭数の増大によって生じた飼料不足問題を解決す るため,飼料生産の発展と放牧範囲の拡大という二つの変化が生じたという。前者の代表は 農業地帯の耕種農業を基盤とする畜産業であり,後者の代表は牧畜地帯の遊牧であるとい う。牧畜地帯の草原面積は約 3 億 ha とその地域の総面積の 31.3%を占めている。農業地帯 においては,草地の大多数が山間地と丘陵地域に耕地,林地と混在するかたちで分布し,約 1 億 ha と総面積の 10.4%を占めているに過ぎない。旧来,草食家畜の飼育は,天然の草原や農 作物の副産物などの粗飼料に依存した放牧が,伝統的な経営方式と考えられていた2)。 1990 年代の農業・食料政策の転換においても,こうした中国の畜産業の歴史的背景を踏ま えて草食家畜の発展と飼料確保の方法が提起されている。 しかしながら,放牧による飼育がおこなわれてきた牧畜地帯などでは,人口増加を背景と して強引な農業開発が進んだことにより,乾燥化や砂漠化が進行し,表土流失問題が顕在化 してきた。 1990 年代以降,こうした生態環境の悪化を抑制するために,農業地帯と一定の条件を備え た牧畜地帯で舎飼いを推進する生態環境保全政策が実施されるようになってきている。だ が,舎飼いへの転換は,草食家畜の飼育を天然草地での放牧から脱却させた反面,飼料の栽 培や購入が必要になり,畜産経営の飼料コストが増大させていることも指摘されている。
2 一 方 , 政 府 は 草 食 家 畜 の 出 荷 頭 数 を 増 や す た め , 「 全 国 優 勢 農 産 品 区 域 布 局 規 画 (2008—2015 年)」3)で,草食家畜生産の大規模・標準化飼育を進めることを目標として定めて いる。大規模・標準化飼育とは,経営規模を拡大し,畜舎や給餌施設などの整備,優良種の導 入,防疫と排泄物処理を適切な基準に従って行うことであるとされている 4)。李(2013)は, 大規模飼育場の数は増加しているが,人件費,飼料など費用の高騰によって,十分な利潤が 得られないという経営問題が存在し,規模の経済が実現されていないと指摘している。 このように,今世紀に入り草食家畜の生産は二つの政策的問題に直面している。一つは, 生態環境保全のため,天然草地や傾斜地での放牧を禁止し(中国語は「退耕還林・退牧還草」 政策 5)),伝統的な放牧から舎飼いへの転換を進めるという課題であり,もう一つは,他の畜 種を含め畜産業の近代化の一環として大規模・標準化経営の育成を推進するという課題で ある。本研究の問題意識は主として前者の課題に関わり,放牧が禁止された後に草食家畜の 飼料確保問題がどのように解決されるのか,それが畜産経営に如何なる影響をもたらすの かを明らかにする点にある。 中国において飼育されている草食家畜は,馬,ロバ,ラバ,牛もあるが,本研究ではヤギ・羊 を対象とする。羊とヤギの飼育は全国に広く分布しているが,内モンゴル自治区などの草原 地帯における遊牧や黄土高原など山間農業地帯における天然草地を利用した放牧,平地農 業地帯の集落周辺で荒地など利用した放牧など地域により様々な飼育形態が見られる。こ のうち,生態環境保全政策による転換を迫られているのは,牧畜地帯と山間農業地帯の天然 草地を利用した放牧である。本研究では,これまで多くの研究が行われてきた牧畜地帯では なく,山間農業地帯である黄土高原の山西省西部および北部の羊とヤギの飼育を対象とす る。山西省の西部から北部にかけては,定住による放牧を行う地域から万里の長城周辺の牧 畜地帯に至る地域である。 そして,草食家畜飼育における飼料確保と草食家畜を飼育する経営が,生態環境保全政策 の実施によりどのように変化するのかは,飼料用穀物の消費増大の抑制という政策的視点 から見ても意義のあることであると考える。 第二節 先行研究の整理 本節では放牧が禁止された後に草食家畜の飼育方法の転換とその影響,また転換後の大 規模畜産経営に関する先行研究を整理する。 1.放牧飼育から舎飼いへの転換に関する研究 畜産業の発展による生態環境破壊を巡る問題は,1990 年代から深刻化してきたが,それを 解決するため,放牧を禁止し,舎飼いへの転換を進める政策が推進されるようになった。こ の舎飼いへの転換に関する先行研究を見ると,放牧方式と舎飼いの比較や舎飼いへの転換 によって生じた経営上の問題点に関する検討が行われている。
3 まずは,王暁毅(2006)(2007) (2009)(2013A)(2013B)は 2 年間にわたり内モンゴル自治 区で行った調査結果に基づいて,牧畜地帯における放牧経営の変遷とその過程で生じた飼 料確保の方法の変化を明らかにしている。 王は中華人民共和国成立以降の畜産業の展開を,人民公社設立前(1957 年まで),人民公社 期(1958 年~1981 年)および生産請負政策実施期(1982 年以降)の三つの時期に区分している。 1958 年の人民公社の設立は所有制度に大きな変化をもたらし,それまでと違って家畜は耕 地同様,集団所有になったが,家畜の所有権が変化しても世帯を単位として遊牧を行う点で は変化がなかったという。そして,内モンゴル自治区における家畜所有権の集団化が畜産業 に与えた影響は大きくなかったという。むしろ,畜産業に大きな影響を与えたのは,人民公 社期に内モンゴル自治区の農業開発のために行われた都市部青年の移住政策(下放政策)で あるという。いわゆる下放青年が移住してきたことで放牧地が狭められ,遊牧民の定住化が 開始された。さらに,1980 年代になって生産請負政策が実施されたことで,これにより草原 の私的利用が拡大した。この二つが内モンゴルの畜産放牧経営に大きな影響を与えたとい う。 まず,定住化により次の二つの意味で放牧地の面積が縮小された。遊牧を行っていた時期 には,放牧地が夏,春・秋,冬の三つに区分され,季節ごとに異なる放牧地を利用し,十分な飼 料が確保できていたという。ところが,下放政策の実施に伴い遊牧民の大多数は遊牧をやめ て,春・秋の放牧地に定住し,そこで放牧を行うようになった。そのため,従来夏と冬に利用 していた放牧地を利用するには遠距離を移動しなければならなくなったため,まず冬の放 牧地が利用されなくなったという。つまり,村に帰属している放牧地は変わっていないのに, 実際に使用できる放牧地が縮小したのである。もう一つの変化は,農地開発により主食作物 の栽培が拡大したことで放牧地が縮小した点である。二つの理由で放牧範囲の縮小が余儀 なくされる一方で飼育頭数が増加した。そのことによって,放牧圧力が高まり,飼料不足が 生じ,補助飼料の使用が必要になったという。 1980 年代の生産請負制の実施による草原の私的利用の強化は次の二つの影響をもたらし た。一つは「走場」の慣習がなくなったことである。「走場」とは,自然災害により放牧が できなくなった時,家畜を農業地帯にある村に一時的に移して飼育することである。牧畜地 域では農業地帯に固定的な関係のある「走場」を提供する村をもっていた。しかしながら, 「走場」の慣習が成り立つには,移動途中の草原を自由に利用できることが前提となってい る。だが,草原の私的利用の強化により,「走場」に向かう途中で他村の草原を使用できな くなり,その結果,「走場」慣習が成り立たなくなったのである。そのほかの原因としては, 馬・牛の飼育が減少し,逆に羊の飼育が拡大したことで羊を管理する人間の長距離移動が難 しくなったこともあげられる。「走場」慣習の消滅により,現在では,自然災害により放牧が できなくなった場合は保温畜舎と補助飼料を使用するようになった。 生産請負制の実施のもう一つの影響は,遊牧民に分配された放牧地がほとんど採草地と
4 して利用されるようになったという点である。村では村民に配分されない集団留保地を持 っていたが,この集団的に利用する放牧地の放牧圧が高まり,牧草不足が発生した6)。こうし た変化も補助飼料の必要性が高まった一因となっている。 このように,内モンゴル自治区の遊牧地域では下放政策と生産請負制の実施により草食 家畜の飼育において補助飼料の確保が重要な課題となっているのである。 現在,内モンゴル自治区で利用されている補助飼料は,自家栽培と購入によって確保され ている。定住後の遊牧民は,人民公社時期に,農地を拡大して飼料生産を拡大したが,生産責 任制が実施されて以降は,地力が減退したこともあって飼料生産をやめて草原に戻された ところも出てきた。ある程度の地力が維持できている場合には,農薬・化学肥料の投入増加 と灌漑によって生産量が維持できているが,逆に生産コストの増大がネックとなって牧草 栽培面積の拡大が抑制され,不足分の飼料を購入することが必要になっている。 このように,王暁毅の研究は,牧畜地帯にある内モンゴル自治区の放牧が,飼育頭数が拡 大する中で徐々に補助飼料確保の問題を抱えるようになり,さらに飼料購入が必要になっ てきたプロセスと原因を明らかにしている。 本研究で対象とする農業地帯においても生態環境保全政策は程度の差はあれ実施されて いるし,またそうした中で飼育頭数も増大している。したがって本研究においても制度や政 策の変化が土地利用や飼料確保に与えた影響を明らかにする必要がある。 そこで,次に,牧畜地帯における放牧から舎飼いへの転換による土地利用や畜産経営おけ る変化についても,研究がなされている。 劉等(2008)は,2002 年に「退耕還林(退牧還草)」政策が本格実施された後の農家の畜産労 働時間の変化を,寧夏回族自治区塩池県の 69 戸の農家を対象として分析している。当地で は,「退耕還林(退牧還草)」政策の実施により放牧が禁止されて舎飼いへの転換が進んだが, その結果,1 戸当たりの採草作業時間が 100 時間から 354 時間へと 3.5 倍になり,さらに給餌 時間は 4.5 倍,濃厚飼料・粗飼料の加工時間は 3.3 倍になったことを指摘している。そして,1 頭当たり労働費は,2001 年の 31.15 元/頭から 2003 年には 75.56 元/頭へ増加したという。 以上を踏まえて劉等は,舎飼いへの転換は畜産コストを増大させ,ひいては農家所得の減少 をもたらす可能性があることを指摘している。 劉等(2008)と陳・蘇(2008)では,舎飼い転換後の飼料コストについて分析している。劉等 (2008)は,トウモロコシ飼料にかかる費用は,舎飼い転換前の 2001 年には 42.38 元/頭であ ったのが,転換後の 2003 年には 80.78 元/頭に増加し,粗飼料費も 22.24 元/頭から 43.6 元/ 頭へ増加したことを明らかにしている。陳・蘇(2008)は,2003 年に「退耕還林」政策が実施 された寧夏回族自治区塩池県の農家 80 戸を対象として分析し,農家 1 戸当りの購入飼料費 は放牧を実施していた 2002 年の 8,242.93 元から「退耕還林」政策実施後の 2004 年には 10,427.65 元に増加し,同じく飼料作物栽培費は 2002 年の 2,171.9 元から 2004 年の 2,456.9 元に増加したという。また,生産費用の中で金額が 3 番目に大きい子羊購入費用は,舎飼い
5 実施前の 2002 年と 2003 年はゼロであるが,2004 年には 1 戸当たり 867.8 元になったという。 こうした飼料コスト等の増加は,放牧禁止の規則に違反する農家を発生させ,草食家畜経営 の発展にとってもマイナスであると指摘されている。 陳・蘇(2008)では,放牧禁止前後の農家経済と耕地利用の変化についても分析している。 放牧が禁止されたことで,1 戸当り農業収入は 2002 年の 4,404.5 元から 2004 年の 2,537.88 元に減少したという。この主な原因は,飼料費用の増大によるものであるが,その背景に耕 地利用の変化があったという。放牧が禁止されたことで農家は主食用穀物の栽培面積を縮 小させ,飼料用のトウモロコシと牧草の栽培面積を拡大する対応を行ったという。2004 年時 点の調査対象農家の 1 戸当り経営耕地面積は 1.72ha であったが,そのうちトウモロコシの 栽培面積は 0.58ha で,牧草の栽培面積は 0.19ha であったという。 以上をまとめれば,先行研究は牧畜地帯における舎飼いへの転換について,飼育労働時間 や飼料・労働費用が増加し,それが農家収入の減少をもたらすという否定的な評価を下して いることになる。 また,農業地帯を対象とした王等(2014)によると,羊肉の価格上昇は出荷頭数規模に促進 的な影響を与えていないことを指摘している。その原因は,生態環境保護政策によって飼育 規模が制限され,畜産経営の利潤が抑制されていることにあるという。隋(2014)は山東省の 事例を利用して,羊肉の価格の上昇にもかかわらず利潤が減少している原因は,物財費と人 件費の高騰にあるとしている。物財費の中でも子羊の購入費用と飼料代の高騰が大きく影 響しているという。人件費については,基本的に家族労働力が主となっており,労働時間も 変化はないが,労働市場の展開により畜産経営の機会費用が高くなったことが主な原因で あるという。 以上のように,牧畜地帯では,遊牧を行っていた時期には,冬期を含めて放牧により飼料 を確保できていたが,定住化により特に冬期用飼料の自家栽培を行うようになり,さらに過 放牧と耕作条件の悪化により飼料購入が必要となるように変化してきた。本研究で対象と する農業地帯を含めて,「退耕還林」政策の実施と舎飼いが政策的に提唱されるようになっ ており,同様に飼料の栽培や購入が必要になり,畜産経営の飼料コストが増大している。言 い換えれば,草食家畜の飼育において飼料の確保問題が草食家畜の飼育において重要な問 題として浮上しており,それが地域の土地資源の利用や畜産経営の在り方に変化を及ぼし ていることが推測される。また,生態環境保全政策による放牧の禁止や飼料コストの上昇が, 農家が飼育規模を拡大する上でもネックになっていることが指摘されている。 2.規模拡大経営の展開に関する研究 現在,中国政府は,畜産政策において規模拡大を推進する方向を打ち出しているが,それ は単に飼育頭数を拡大することではなく,大規模・標準化飼育と表現され,経営規模を拡大 し,畜舎や給餌施設などの整備,優良種の導入,伝染病予防と排泄物処理を適切な基準に従
6 って行えるような経営を育成することを意味している。大規模・標準化経営の育成は草食 家畜のみならず養豚・養鶏にも適用されているが,草食家畜については,舎飼いへ転換し,舎 飼いにおいて飼育規模を拡大し飼育技術の標準化をはかることが目標とされていると考え られる。 畜産業における規模拡大がもたらす経済的利益について,新山陽子(1997)によると,次の 3 つの視点においてとらえる必要があるという。①いわゆる「規模の経済性」であらわされ る,規模にかんする生産単位あたり生産費用の逓減の利益,②規模の拡大に伴い労働の生産 力の増大によってもたらされる,産出高の逓増の利益,③規模の拡大に伴う生産物の品質水 準の確保,である。中国の実態について,王(2012)は飼育頭数を増大させたのにもかかわら ず規模の利益が得られていないという問題点を指摘している。これに対して, 磯辺秀俊 (1974)は,規模が拡大するにつれて有利性が顕著になるのは,省力化の程度を反映する労働 費の減少であり,建物農具費,地代資本利子でも減少傾向が見られるという。しかし多頭化 に伴い,土地と労働力の制約のため,自給飼料費が急減する反面,購入飼料費が急増して,規 模拡大の効果がいちじるしく減殺されることも指摘している。 常等(2012)は中国全体からみれば,ヤギと羊の飼育規模は依然として零細規模経営が主 流であるとしている。常等は『中国畜牧年鑑』の出荷頭数規模別の戸数分布のデ-タに基 づいて,零細規模の経営数は減少している一方で規模の大きい経営が増えていることを説 明した。また,規模拡大経営を成り立たせている基本条件は飼料,労働力と優良種であると 指摘している。 第三節 本研究の課題 先行研究の多くは遊牧地帯を対象としたものであるが,本研究で対象とする山西省西部 は,農業地帯に属し,天然草地での放牧を行いながらも,農家が保有している耕地を利用し ているなど資源利用に関わる条件が異なり,生態環境保全政策が及ぼす飼料確保を巡る課 題も違ったものになると思われる。先行研究が示す大規模経営の問題についても飼料確保 の点から分析が必要である。 そこで,本研究では,山西省の山間地域の事例を取り上げ,放牧禁止による放牧から舎飼 いへの転換事例や,大規模経営育成政策の事例における飼料確保の問題とその解決方法に ついて分析し,この地域の特徴と問題点に明らかにする。そして,穀物の間接消費増加の抑 制という点から見て黄土高原地域における草食家畜飼育と畜産経営の課題を展望する。 取り上げる事例は,生態環境保全政策の適用を免れ放牧方式による飼育が行われている 地域での個別零細経営と生態環境保全政策の影響を受けて舎飼いに転換した地域での個別 零細経営の二つである。さらに,放牧型と舎飼い型の大規模経営の事例を取り上げる。 これらの四つの事例を通じて本研究では次の二つの課題について検討していく。 第一の課題は,生態環境保全政策による放牧の禁止がもたらした主として夏期の飼料確
7 保の問題や解決方法の特徴について明らかにすることである。この点について,本研究では 現在でも放牧を行っている婁煩県N村のケ-スと政府の補助受けて舎飼いに転換した左雲 県中部の雲興鎮R村のケ-スの比較を通じて検討する。ここでは,放牧禁止により不足する 飼料を経営耕地での栽培と規模の拡大により確保するのか,購入飼料に依存するのかがポ イントとなる。その際に,飼育規模の大小による違いも考慮することとする。 第二の課題は,政策支援の下で進められている大規模・標準化経営について左雲県で展開 している放牧型と舎飼い型の二つの事例を取り上げ,飼料確保の方法を含む経営展開の特 徴を上記の個別農家の畜産経営における飼育頭数の拡大事例と比較して検討することであ る。そうすることで,草食家畜の飼育における大規模・標準化経営の展開の意義について評 価することとする。 第四節 本研究の構成 前節で提示した課題を明らかにするために,本研究では以下の手順で分析を進める。 まず,第一章の「草食家畜の発展と政策の変遷」では,中国全体と黄土高原における山西 省の草食家畜に関する政策の変化過程と草食家畜飼育の展開について概観する。 第二章の「放牧型零細規模経営と飼料の確保」では, 山西省における生態環境保全政策 の適用を免れ放牧方式による飼育が行われている婁煩県を選定する。婁煩県では,冬期用補 助飼料の自家栽培もおこなわれているし,購入も行われている。婁煩県N村で行った農家調 査結果をもとに数十頭から 200 頭程度の規模の放牧経営における放牧と冬期間に利用する 補助飼料栽培に関わる耕地利用の特徴について明らかにする。特に飼料栽培用地の確保に 関わって畜産業に従事しない農家と放牧経営を行う畜産農家との間の耕地利用権の貸借の 状況,さらに放牧経営農家の補助飼料栽培と飼料購入が行われる原因を明らかにする。 第三章の「舎飼いへの転換と耕地利用の変化」では,山西省における生態環境保全政策の 影響を受けて舎飼いに転換した左雲県のR村を選定する。政府の補助受けて舎飼いに転換 した左雲県中部の雲興鎮R村で行った農家調査結果に基づいて,政策支援のもとで畜舎経 営へ転換した出荷頭数で 100 頭から 300 頭規模の畜産農家と舎飼い開始に伴い新規参入し た畜産農家の飼料確保の変化と経営耕地の保有と利用の変化について分析する。さらに,政 策的支援の下に推進されている舎飼いへの転換が農家経済に及ぼした影響について明らか にする。 第四章の「放牧型大規模経営の展開」では政府の支援の下で設立された山西省・左雲県 にある二つの放牧型大規模経営のケ-スを選択する。展開する 1,500 頭規模の二つの大規 模な放牧経営の事例に基づいて,放牧を行う大規模経営の補助飼料確保と,飼料自給の前提 となる土地の確保と利用の現状を明らかにし,大規模経営の規模拡大を図る上での条件に ついて検討する。第二章の婁煩県N村のケ-スでは,飼料栽培地の確保が土地利用権市場と 主食自給という二つの要因に左右され,それにより発生した不足分が市場から購入されて
8 いることが明らかになったが,本章では大規模経営における飼料自給の課題と対応に焦点 を当てて分析する。 「第五章舎飼い型大規模経営の展開」では,規模拡大による購入飼料が増大するという先 行研究の指摘と,第二章及び第三章の事例分析で自給に加え不足分を購入しているという 結果を踏まえて,山西省・左雲県の 6,000 頭規模の大規模の畜舎経営の事例に基づき,政府 が推進している大規模・標準化育成策のモデル事例をもとに,購入飼料のみによって舎飼い を行っている場合の飼料費を含む生産コストの増大とそれへの対応状況を明らかにする。
9 第一章 草食家畜飼育の発展と関連政策の変遷 本章では, 中国全体および山西省の草食家畜飼育に関する政策の変遷と草食家畜飼育の 展開について概観して,本研究で行う山西省と環境保全政策が実施される中で進められる 舎飼いへの転換および大規模経営に関する分析を位置づける。 まず,草食家畜を対象とした畜産政策や産地における生態環境保全に関連する政策の変 遷と実態の推移を統計デ-タにより整理し(第一節),公式統計デ-タを利用して全国およ び山西省のヤギ・羊の生産の展開と飼料の生産動向について考察する(第二節)。その上で, 第三節では生態環境保全政策が実施される中で,山西省で実施されている近年の草食家畜 飼育の振興政策動向について考察する。最後に,第四節では農家及び企業調査を実施した調 査地に属している県の概況について整理する。 第一節 中国における草食家畜の発展と政策の変遷 以下では,各時期の政策の変遷と草食家畜の飼育の発展状況を図 1-1 等の統計デ-タを 用いながら考察していく。 本節で整理する中国の草食家畜の生産の展開と関連政策は,畜産業単独ではなく,農業全 体の制度改革と強い関連をもって変化しており,以下では 4 つの時期に区分して考察する。 一つ目は人民公社時期(1958 年から 1978 年)の時期であり,図 1-1 によると 1 億頭から 1.7 億頭へと緩やかに発展した時期である。二つ目は,生産請負制度の実施と農産物の販売自由 化期(1979 年から 1990 年)であり,この間の飼育頭数を見ると,増減しながらも 2 億頭規模に 達する時期でもある。三つ目は,適正規模経営と農業地帯の草食家畜知育の発展期 (1990 年 代)であり,飼育頭数が 2 億頭から 2.7 億頭に一段階上がる時期でもある。最後は環境保護 政策の実施と大規模経営発展期(2000 年以降)で,3 億頭規模に達して安定的に推移する時期 である。 1.人民公社期の畜産業(1958 年から 1978 年) 中華人民共和国成立後の中国の農業制度は,1958 年の人民公社運動により大きな転機を 迎えた。図 1-1 は 1949 年から 2013 年までの羊とヤギの飼育状況の推移を示したものであ る。この時期の年末の飼育頭数は 1958 年の 9,568 万頭から 1978 年の 16,994 万頭へ増加し ていた。人民公社(高級農業生産合作社)の設立により,そこに加入する農民の個人資産につ いては「一部の立木・家畜・小農具・家庭副業用器具は合作社の共有財産にはしない」が, 「土地をはじめ,役畜・大型農具などの主要生産手段を合作社の集団所有に切り替えなくて はならない」とされた7)。この時期に,牧畜地帯では政策的に開墾が推進され,元来耕種農業 が存在しなかった牧畜地帯でも耕種農業がおこなわれるようになった。しかし,自家用食料 農産物の栽培に限定されたため,牧畜地帯の主要な産業は依然として草食家畜の飼育であ った。人民公社の設立により家畜は集団所有になったが,家畜の所有権が変化しても世帯を
10 単位として遊牧を行う点では 1958 年以前と違いはなかった。 農業地帯を含めてみると人民公社制度の下の畜産業では,比較的大規模な飼育場が設立 され,集団的飼育も始まった。例えば,酪農では数百頭規模の牧場が設立されたり,養豚でも 数百頭から数千頭規模の大規模養豚場が設立されたりした(藤田泉(1993)77 頁)。人民公社 期の後期になると,食糧作物の増産とともに畜産業の発展も重視されるようになり,1973 年 に中央政府は北京市で大規模養鶏場の設立を計画し,それは 1976 年から 1980 年の間に実行 に移されたという(藤田泉(1993)157 頁)。これが,今日の畜産業の大規模・標準化の推進の 発端となったと思われる。他方で,大都市周辺に大規模な家禽や肉豚の飼育場が増えてきた ことに対応して,1970 年代半ばから飼料産業も発展し始め,1976 年には,北京市で最初の配 合飼料工場が設立されたという(藤田泉(1993)158 頁)。 この時期のヤギ・羊の飼育は,制度的変化も大きかったが,緩やかな拡大が進んだ時期で あると言えよう。 2.生産請負制度の実施と農産物の販売自由化期(1979 年から 1990 年) 1979 年から,農家の生産意欲を引き出すことを目的に,人民公社制度の改革として生産請 負制度の導入が始まった。この制度改革によって,労働力生産性の上昇と農畜産物の商品的 生産の成長がもたらされたという8)。1983 年に中国共産党中央委員会 1 号文献として発表 された「当面の農村経済政策の若干の問題」において,林業・畜産業・漁業等においても集 団経営以外の多様な経営形態を発展させて,多角化と専門化を進め,商品生産を発展させる
11 方向が示された。 生産請負制度の導入は,主に農業地帯における農地利用権の分配を主な内容としていた。 他方,牧畜地帯においては農地利用権の分配以外にも放牧用の草原の利用権分配も行われ た。遊牧地域におけるこの時期の変化は序章において先行研究に基づいて整理したとおり である。本研修で対象とする黄土高原地域は,農業地帯であるため耕地利用権の各世帯への 分配が行われた。 また,1982 年には,早くも飼料用穀物消費を節約するため,豚の割合を減少させ,牛や羊等 の草食家畜の生産へ重点を移す「構造調整」を進めることが政策的に提唱されるようにな った9)。そして,草食家畜の生産を発展させるため,天然草地の改良や10),山間の荒れ地での 牧草栽培11)などを進めることが政策的に推奨されるようになった。 生産請負制度の導入に伴い,専門的な技術や経営能力を有し,特定品目を専門的に生産す る専門農家(中国語は「専業戸」)や,複数の品目を重点的に生産する複合経営農家(「重点 戸」)が出現し,農業発展の中核的担い手として注目されるようになった。畜産業における 専門農家は 1980 年の 53 万戸から 1983 年には 528 万戸に増加したという。また,1983 年時 点では,専門農家や複合経営農家の 1 戸あたり平均飼育頭数は,牛では 16 頭,豚は 7 頭,ヤ ギ・羊は 36 頭,鶏 88 羽であり,普通の農家の 3~8 倍の規模であったという12)。 図 1-1 から見ると,年末の飼育頭数は 1979 年の 18,314 万頭から 1985 年の 15,588 万頭 へ一時期減少したが,1986 年から増加に転じ,1989 年には 21,164 万頭に達した。なお,出荷 頭数では,1979 年の 3,544 万頭から 1989 年の 8,123 万頭に増加した。 また,ヤギと羊の専門農家の戸数等を示した図 1-2 を見ると,図 1-1 同様に 1985 年に向 けて戸数や頭数が減少するが,その後は増加に転じ,1989 年には 83 年の水準を回復するまで になっている。 この図 1-1 および図 1-2 で見たような専門農家の戸数や飼育・出荷頭数の減少と増加 の動きは,1953 年以来実施してきた食糧作物,畜産物,油糧作物,綿花,木材等の統一買付・割 当買付制度の変化と関係がある。生産請負制度の導入が農民の生産意欲を刺激したこと で,1984 年に食糧作物の生産量は史上最高記録を実現したが,当時は政府が全量買付する制 度であったため,逆に食糧管理の財政負担問題が浮上した。そこで,1985 年の中共中央 1 号 文献では食糧作物にとどまらず,農畜産品全体の流通体制の改革が提起された。それまで割 当買付制度の対象となっていた 100 品目あまりの農畜産物,副業生産物の割当買付が廃止さ れ,市場取引に転換することになった 13)。流通の自由化は,一面ではそれまでの政府の買付 需要の減少を意味し,それが一時的な生産の減少をもたらしたが,自由化後は市場価格も上 昇し,それが 1986 年以降の増加に結び付いたのである。
12 この流通自由化に伴い,農家を主体とした零細経営の組織化を推進する課題が表面化し てきたという14)。この問題を解決するため,1987 年当時は畜産・加工・流通連携(中国語は 「畜工商一体化」)を実現する企業経営の育成が提唱された15)。これは 1990 年代後半に提 起された加工を担う先導企業が産地を組織する「農業産業化経営」の原形ともいえる取り 組みであり,さらに生産・加工・流通・販売の一体化は農産物の付加価値を高め,生産者の 販売リスクを低下させ,また大規模・標準化経営を育成しようとする今日の畜産政策の先駆 けとなったといえる。 3.「適正規模経営」の推進と農業地帯の草食家畜飼育発展期 (1990 年代) 1980 年代後半からの農村工業(中国語は「郷鎮企業」)の発展に伴い,農村労働力の非農業 部門就業が拡大し,零細経営を基調とする農業に衰退傾向が見られるようになった。これに 対して,政府は耕地利用権に関する制度改革を推進し,借地経営の実験が進められた。1990 年代初頭には農業の「適正規模経営」に関する政策的議論が活発になり,経営面積の拡大を 図ると同時に,農作業の機械化を推進し,土地生産性の維持・向上を実現する方向が提起さ れた16)。なお,畜産業の「適正規模経営」の議論は 1998 年に開始された。 1990 年代を通じて,農業地帯における畜産業は,農家の副業から販売を目的とした産業活 動として展開を遂げる方向に変化してきた。しかしながら,労働生産性の低さや出荷率と飼 料効率の低さ 17),死亡率の高さが問題となっていた。そこで,大規模経営を育成してそこに
13 新たな技術を導入して,こうした課題を解決することが目指されるようになったのである 18)。 1990 年代にヤギ・羊の飼育頭数が 2 億頭から 3 億頭に急増した一方で,伝統的な飼育方法 が継続しているため,牧畜地帯では草原環境の悪化が問題となった。そして,農業地帯にい ても,1992 年から農作物の茎などを粗飼料として利用することが提唱されるようになった。 これを契機として,草食家畜の飼育は農業地帯へ移り始めた。表 1-1 では,牛と羊の肉生産 量及び飼育頭数を農業地帯と牧畜地帯に区分してそのシェアを示した。表によると,2009 年 を 1985 年と比べると,農業地帯の肉生産量のシェアが全体として増加していることが分か る。牛では 62.95%から 80.18%に,羊は 50.26%から 55.92%に増加している。飼育頭数では, 農業地帯の割合は,牛では 76.77%から 75.67%に減少したが,羊は 42.39%から 51.87%に 増えた。このように農業地帯,特に黄土高原を含む北方の農業地帯が草食家畜の飼育におい て重要性が増している。 北方農業地帯 南方農業地帯 牛肉生産量(万t) 14.3 15.1 17.3 46.7 下段:対全国シェア(%) 30.6 32.3 37.0 100.0 346.0 163.6 126.0 635.6 54.4 25.7 18.9 100.0 羊肉生産量(万t) 17.9 11.9 29.5 59.3 下段:対全国シェア(%) 30.2 20.1 49.8 100.0 125.6 92.1 171.6 389.3 32.3 23.7 40.1 100.0 牛の飼育頭数(万頭) 1,841.3 4,824.0 2,016.7 8,682.0 下段:対全国シェア(%) 21.2 55.6 23.2 100.0 3,630.4 4,487.3 2,609.0 10,726.7 33.8 41.8 24.3 100.0 羊の飼育頭数(万頭) 3,597.0 2,913.9 9,077.5 15,588.4 下段:対全国シェア(%) 23.7 18.7 58.2 100.0 9,220.2 5,538.2 13,693.9 28,452.3 32.4 19.5 48.1 100.0 (出所)胡浩(2012)『中国畜産経済学』科学出版社 29頁 2)表頭の地域区分は以下の通り。 北方農業地帯:北京市,天津市,河北省,河南省,陝西省,山西省,山東省,遼寧省,吉林省, 黒龍江省。 南方農業地帯:湖北省,湖南省,広西省,広東省,福建省,江西省,浙江省,貴州省,江蘇省, 安徽省,四川省,雲南省,上海市,海南省,重慶市。 牧畜地帯:チベット自治区,青海省,甘肃省,寧夏回族自治区,内モンゴル自治区, 新疆ウイグル自治区。 2009 1985 2009 表1-1 地帯別草食家畜の生産状況 年次 農業地帯 牧畜地帯 1985 2009 1985 2009 1985 全国計 (注)1)データは国家統計局『中国統計年鑑』(統計出版社)及び農業部畜牧獣 医司『中国畜産業年鑑』(中国経済出版社)による。
14 4.環境保護政策の実施と大規模経営発展期(2000 年以降) 2001 年以降は,人口増加を背景とした農業開発の結果,砂漠化・表土流失といった生態系 バランスの崩壊に対処するために「退耕還林・退牧還草」政策などが新たに打ち出される ようになった。そして,放牧飼育の禁止地域が拡大されることになった。2002 年施行の修正 「草原法」によると,農業地帯および一定の条件を備えた牧畜地帯で舎飼いへ転換すること が提唱され,天然草地での放牧から脱却を図ることが定められている。さらに,一度禁止し た放牧や傾斜地での耕作が復活しないようにするための措置も講じられるようになった。 例えば,2007 年の国務院「退耕還林(退牧還草)政策の成果の改善に関する通知」(中国語は 「国務院関於完善退耕還林政策的通知」)の中で,地域の特性を踏まえつつも舎飼いや温室 野菜栽培を拡大するために政策的支援を行うことを打ち出している。 畜産に関連して,草食家畜の出荷頭数を増やすと同時に,「全国優勢農産品区域布局規画 (2008—2015 年)」では,産地形成を促進することと同時に,草食家畜生産の大規模・標準化経 営を育成する目標を定めている。ここでいう,大規模・標準化経営とは,飼育規模を拡大し, 同時に畜舎や給餌施設などの整備,優良種の導入,防疫と排泄物処理を適切な基準に従って 行うことであるとされている。また,農業地帯においても肥育技術・繁殖技術の改良と出荷 頭数の増大が目標として定められている。 ここで,表 1-2 を用いて年間出荷頭数規模別の飼育場数及び出荷頭数を見てみよう。こ こでは,出荷頭数 100 頭未満と以上に分けて示した。各階層の区分は『中国畜牧業年鑑』に 示されたものを転載したものである。 まず,階層別の飼育場数と出荷頭数を見ると,飼育場数は 100 頭以上の階層で増加する一 方で,100 頭未満の階層で減少している。出荷頭数では 100 頭以上の階層でほぼ一貫して増 えている。しかし,飼育場 1 か所あたりの平均頭数は,2003 年 10.2 頭,2007 年 13.8 頭,2010 年 16.0 頭と増加傾向にあるものの,依然として小さいことが分かる。言い換えれば,100 頭 未満の階層,とりわけ 29 頭以下の階層がいまだ無視できないシェアを占めている。 また,100 頭以上の階層では,100~499 頭と 1,000 頭以上の階層が中心になって拡大して いることが分かる。 2003年 2007年 2010年 2003年 2007年 2010年 1~29頭 2,680.6 2,393.4 1,979.5 16,437.2 20,923.5 17,713.2 30~99頭 162.6 160.0 160.2 8,224.1 8,553.6 8,965.2 100頭未満計 2,843.2 2,553.4 2,139.7 24,661.2 29,477.1 26,678.4 100~499頭 15.9 23.3 24.6 3,497.0 4,480.0 5,730.6 500~1000頭 1.1 1.7 1.7 731.8 1,256.4 1,207.5 1,000頭以上 0.2 0.2 0.4 307.0 411.1 985.2 1,000頭以上計 17.2 25.3 26.7 4,535.8 6,147.5 7,923.3 総計 2,826.0 2,528.1 2,113.0 20,125.5 23,329.6 18,755.1 出所:農業部『中国畜牧業年鑑』中国農業出版社、各年版 表1-2 年間出荷頭数規模別の飼育場数と出荷頭数 飼育場数(万か所) 出荷頭数(万頭)
15 次に表 1-3 により,各省の出荷頭数に占める 100 頭以上の経営の出荷頭数のシェアをみ ると,次のような特徴が見て取れる。まず,全国平均では,2003 年の 15.5%から 2010 年の 22.9%に増えていることが分かる。表では『肉羊優勢区域布局規画(2008~2015)』の地域 区分により,各省を中原・中東・西北・西南の重点地域とそれ以外に区分されている。表に よると中東部,西北部の牧畜地帯を含む地域においてシェアが高く,特に中東部優良地域で は 4 割近くを占めている。本研究で対象とする黄土高原地域にある,山西省は,農業地帯に 属するため全国平均程度にとどまっている。中原及び西南の農業地帯ではシェアは全国平 均に及ばない。 以上のことから,今世紀に入ると生態環境問題への対処に迫られる一方で,大規模経営の 育成政策が打ち出される中で,現場レベルにおいても徐々に飼育規模の拡大が進んでいる ことが分かった。 以上の 4 つの時期の政策の変遷とヤギ・羊の飼育の発展状況を整理すると,まず,人民公 社時期は家畜を含めて生産要素の集団所有化が進んだが,一方で牧畜地帯の開墾と定住化 が進んだ時期であった。1980 年代の農村改革の時期には,流通の自由化や専門農家の育成・ 展開など新しい状況も生まれたが,この時期までは牧畜地域が中心であった時期である。 1990 年代は,畜産業においても「適正規模経営」の育成が提唱されるようになる一方で,農 業地帯が草食家畜の生産拠点として注目されるようになった時期である。そして,飼料作物 地域 省 2003年 2007年 2010年 地域 省 2003年 2007年 2010年 河北省 13.2 13.7 20.8 四川省 4.6 4.7 10.1 山東省 22.9 12.0 20.9 重慶市 3.8 8.9 12.1 河南省 4.6 7.5 9.0 曇南省 6.0 5.6 6.6 湖北省 12.1 13.5 21.7 湖南省 12.6 11.3 22.0 江蘇省 3.6 3.6 7.9 貴州省 5.1 3.0 8.0 安徽省 3.4 4.8 12.2 地域平均 6.5 6.2 11.6 地域平均 11.3 9.4 15.6 浙江省 9.8 11.8 19.9 山西省 13.8 15.7 21.7 福建省 15.6 14.2 16.7 内モンゴル自治区 20.1 42.5 40.4 江西省 11.2 14.6 24.3 遼寧省 18.3 24.7 26.4 広東省 22.8 22.4 20.8 吉林省 33.5 23.0 32.5 広西省 3.1 5.7 8.6 黒龍江省 22.9 28.1 39.2 海南省 1.9 5.9 6.4 地域平均 20.2 35.6 37.3 チベット自治区 0.7 11.1 新疆ウイグル自治区 35.3 29.4 32.1 青海省 63.7 49.6 27.7 甘肃省 2.2 8.3 19.5 北京市 60.3 51.1 52.1 陝西省 3.3 1.9 3.9 天津市 55.8 40.6 29.8 寧夏回族自治区 28.0 26.0 34.9 上海市 10.7 10.0 14.5 地域平均 25.5 21.9 27.1 地域平均 29.3 24.6 17.3 15.5 17.3 22.9 出所:農業部『中国畜牧業年鑑』中国農業出版社、各年版 注:地域区分は『肉羊優勢区域布局規画(2008~2015)』による。 全国平均 表1-3 2003~2010年 地域別の飼育頭数100頭以上経営の出荷頭数シェア(%) 中 原 優 良 地 域 中 東 部 優 良 地 域 西 北 部 優 良 地 域 西 南 部 優 良 地 域 そ の 他 の 地 域
16 の生産や農作物の副産物利用が強調されるようになった。最後の今世紀に入ってからの次 期は,自然環境保全が政策課題となり,産地形成と同時に舎飼いと大規模・標準化経営の育 成という技術的にも構造的にも大きな変化が要請されるようになった時期である。 こうした長期的な推移を踏まえた時,本研究で対象とする黄土高原地域は 1990 年代に発 展を始めた農業地帯に属しており,さらに生態環境保全政策への対応という今日的課題に も直面しているという,改革開放政策開始以降の草食家畜の生産の発展を見る上でも重要 な地域であると言えよう。 第二節 近年のヤギ・羊の生産動向と飼料の生産動向 今世紀に入って進められた生態環境保全政策は,遊牧から舎飼いへの転換など飼料の調 達方法にも転換を迫る変化をもたらすと考えられる。そこで,全国及び本研究で対象とする 山西省における草食家畜,特にヤギ・羊の飼育状況と飼料作物の生産動向について整理して おこう。 まず,図 1-3 でヤギ・羊の出荷頭数を見ると,全国では 2000 年の 20,472.7 万頭から 2006 年の 32,967.6 万頭に増加した。その後は,2006 年の 24,733.9 万頭から 2011 年の 26,661.5 万頭に増加した。山西省の状況もほぼ全国と同じ推移であった。2000 年の 478.8 万頭から 2006 年の 534.2 万頭に増加した後も, 2007 年の 373.6 万頭から 2010 年まで増加している。 2006 年以降の統計は連続していないが,これは統計数値の修正が行われたためであると 推測される。例えば,『畜牧業年鑑 2007』掲載の 2006 年のヤギ・羊の年末飼育頭数は 36,896 万頭であるのに対して,『畜牧業年鑑 2008』掲載の 2006 年の数値は 28,564 万頭に修正され ている 19)。さらに言えば,2006 年末を基準に行われた第二次農業センサスの数値は 28,369 万頭であることから,『畜牧業年鑑 2008』の数値はセンサス結果を踏まえて下方修正された 結果であると見ることができる20)。したがって,図 1-3 に示した出荷頭数の数値も年末飼 育頭数の修正を受けて不連続になっている可能性がある。 総じて,今世紀に入ってからの全国および山西省のヤギ・羊の出荷頭数は,一貫して増加 基調にあるが,2009 年以降は増加速度がやや鈍化している状況にある。 この期間には,2000 年に修正「草原法」の施行は 2000 年で「退耕還林・還草」政策 2003 年から実施され,草食家畜の放牧飼育が制限されたはずであるが,図 1-3 から見る限り,そ の影響は明らかではない。
17 次に飼料作物の生産動向を見よう。図 1-4 には 2000 年から 2012 までの全国のトウモロ コシと青刈り飼料の栽培面積の変化を示した。図 1-5 には山西省の動向を示した。全国, 山西省ともに養豚・養鶏用の飼料需要もあるトウモロコシの栽培面積は一貫して増加して いるが,自給飼料として栽培されることの多い青刈り飼料は,2003 年をピ-クとして減少し 始め 2010 年前後で下げ止まっている。 トウモロコシの栽培面積が 2003 年まで減少しているのは,この時期の市場価格が低迷し ていたことが原因であると考えられる。例えば,2001 年の全国平均価格は 1 月の 1.05 元/ ㎏から 8 月の 1.24 元/㎏に上昇した後に,11 月 1.04 元/㎏に下落した21)。2004 年以降は,ト ウモロコシの市販価格は一貫して上昇しており,2011 年 12 月には 2.36 元/㎏に達していた。 他方で,青刈り飼料の栽培面積は 2003 年以降,ヤギ・羊の出荷頭数が増えているにもかかわ らず減少している。 青刈り飼料の栽培面積の減少を説明する材料は得られていないが,土地利用の面でトウ モロコシと競合していること,さらにトウモロコシの副産物が粗飼料としても利用できる ことが原因と思われる。
18 1500 2000 2500 3000 3500 4000 15000 20000 25000 30000 35000 40000 2000 2001 2002 2003 2004 2005 2006 2007 2008 2009 2010 2011 2012 1000 h a 1000 h a 図1-4 トウモロコシおよび青刈り飼料の栽培面積の推移(全国) (出所)中国農業年鑑編纂委員会『中国農業年鑑』農業出版社、各年版。 トウモロコシ 青刈り飼料(右軸) 0 10 20 30 40 50 60 70 80 0 200 400 600 800 1000 1200 1400 1600 1800 2000 2001 2002 2003 2004 2005 2006 2007 2008 2009 2010 2011 2012 1000 h a 1000 h a
図1-5 山西省のトウモロコシと青刈り飼料の栽培面積の推移
(出所)図1‐4に同じ。
トウモロコシ 青刈り飼料(右軸)19 この点を山西省の飼料作物の栽培面積の変化を土地利用全体から見て検討しよう。 同省の農作物の総栽培面積は 2000 年の 404.2 万 ha から 2001 年の 367.2 万 ha に減少し ている。これは山西省で「退耕還林・還草」政策が 2000 年から先行実施されたことと関係 していると思われる。その後,2002 年に 390 万 ha に増えたが,2003 年に「退耕還林・還草」 政策が本格実施された後に 370.8 万 ha に減少している。それ以降 2012 年の 380.8 万 ha ま で増加傾向にあるものの 2003 年以前の水準を回復していない。作目別の栽培面積の内訳を みると,2003 年以降,トウモロコシや芋類を含む食糧作物の栽培面積が 2003 年の 283.4 万 ha から 2012 年の 329.2 万 ha に増えている一方で,油料作物,野菜や青刈り飼料を含む他の 農産物の栽培面積は軒並み減少している。 山西省婁煩県政府で 2012 年に行った調査によると,同県では青刈り飼料を粗飼料確保の ために推進してきたという。2005 年には生態環境保全と畜産業振興のために,6,667ha 分の 牧草の種子を無償配布して,主に耕作放棄地で栽培させた。しかし,その後に圃場条件の改 良事業を行ったことで,飼料作物が食糧作物に転換されてしまったという。その結果,2012 年時点の飼料作物の栽培面積は 460ha に減少していた。 以上の断片的な情報からではあるが,ヤギ・羊の飼育頭数が増える中で青刈り飼料が減少 した原因は「退耕還林・還草」政策だけでなく,食糧作物などとの競合によるものと思われ る。その他に,政策や統計数値に現れない要因として,農作物の副産物が粗飼料として利用 されている事情も作用していると考えられる。 この点は,生態環境保全政策の実施に伴う,本研究で行う放牧から舎飼いへの転換に伴う 飼料確保や大規模経営における飼料確保の分析において踏まえておくべき点である。 第三節 近年の山西省における畜産政策の動向 本研究で対象とする山西省においては,環境保全政策が実施されて以降,放牧の復活防止 とともに畜産振興策が実施されている。以下ではその状況について整理しておこう。 まず,山西省においては「退耕還林・退牧還草」政策は以下のように実施された。 「退耕還林・退牧還草」政策は 2003 年から開始されたが,砂漠化や表土流失が発生しや すい傾斜勾配が 25 度以上ある耕地と,25 度以下であっても表土流失が深刻な耕地や,砂地・ アルカリ性土壌の土地,砂漠化の深刻な耕地,さらに生態環境上重要で土地生産性の低い耕 地での耕作が停止され,植林・植草が実施された。また,放牧について国務院「退耕還林条 例」では,「退耕還林の成果を守るため,森林や草原に戻した場所での放牧を禁止し,舎飼い を実施する」ことが明記されている。 山西省では,2000 年から全国に先駆けて「退耕還林・退牧還草」の実験が開始された。『中 国林業年鑑』によると,傾斜地耕作が実施された土地には二種類あり,一つ目は,耕作が禁止 され植林した耕地であり,山西省では 2000 年から 2005 年まで累計で 445,793ha に達してい る。二つ目は植林された荒地である。荒地も開墾や放牧が実施される可能性があるため,予
20 防的に傾斜地耕作や放牧の禁止対象となったのである。山西省では,政策対象となった荒地 は 981,791ha ある。山西省の「退耕還林・退牧還草」政策は,最初に前者の耕作地から始ま り,2005 年以降は主として後者を対象に進められた。 また, 2002 年からは華北平原にある北京市,天津市,河北省などの黄砂を防止するために 内モンゴル自治区や山西省等で植林や森林保護プロジェクトが開始された(中国語は『京津 風沙源治理工程』)。 この政策は草食家畜の飼育に対して二つの面で影響を与えている。第一は,耕作面積の縮 小により飼料作物の栽培の可能性が縮小したことであり,第二は,荒地が対象となったこと で放牧地の確保の可能性が縮小されたことである。 こうした事態に鑑み,自然環境の保護と草食家畜の飼育とのバランスをとるため,山西省 および各県政府は以下のような措置を講じている。 まず,「退耕還林・退牧還草」政策の実験が始まったことを受けて,2001 年に山西省政府 が「雁門関生態畜牧経済区」(以下「経済区」と省略する)を指定し,畜産振興政策を始めて いる。「経済区」は山西省の面積 3 分の 1 をカバーし,5 つの市(大同市,朔州市,忻州市,呂粱 市,太原市)の北部盆地地域,中部盆地地域の北部と西部丘陵地域の北部にまたがる 36 の県 を含んでいる 22)。「経済区」の施策は山西省畜産局が所管し,「退耕還林」政策を含む自然 環境保全政策の成果を維持することを目的に,草食家畜飼育の舎飼いへの転換と大規模・標 準化経営の育成,さらに耕地や荒地,草地での牧草栽培や,家畜の屠畜処理・流通の振興を実 施している。事業に伴う補助金は山西省の財政資金と中央政府の自然環境保全関連資金を 原資としている。2008 年になると,これらの資金を利用して,省政府は草食家畜の畜舎建設 への支援プロジェクト(中国語は「鞏固退耕還林成果草食家畜畜舎建設工程」)を開始した。 本研究で取り上げた婁煩県と左雲県はこの「経済区」に属しており,第五章で取り上げる舎 飼い型の大規模経営の事例は,この支援政策を受けて設立されたものである。 他方で,山西省は省内各地の基幹産業育成のために 2011 年に各県で一つの基幹産業を振 興する支援プロジェクトを実施することを打ち出しているが(「関於于加快“一村一品,一 県一業”的実施意見」),その支援対象となる基幹産業の中に草食家畜の振興が含まれてい る。この事業の支援対象となるのは,県ごとに指定された基幹農産物の生産団地とそこで生 産を行う農家組織(農民専業合作社)および関連する加工・流通企業である。畜産に関して は,改良種の普及,草食家畜の舎飼いとその大規模・標準化飼育,さらに屠畜処理・流通企業 が支援対象となっている。本研究の第二章で取り上げる婁煩県の基幹産業はジャガイモで あるが,第三章で取り上げる左雲県の基幹産業は羊で,舎飼いへの転換もこの支援プロジェ クトの支援金で整備された。 さらに,山西省政府は 2013 年に「牛・ヒツジ産業の発展を加速ことに関する意見」(「関 於加快牛羊産業発展意見」)を出して草食家畜振興の重点県を指定して,そこに支援を集中 することを指示している。省全体では,牛の重点県は 10 県,羊の重点県は 20 県であるが,先
21 に述べた「雁門関生態畜牧経済区」の 5 市 36 県のうち,重点県とされたのは表 1-4 に示し た県である。このような重点県にモデルが建設している。先に触れた左雲県も重点検の一 つとなっている。 このように,草食家畜の飼育の振興に関しては,中央政府レベルで定められた法規や計画 に基づきながらも,山西省政府の段階でそれぞれの分野で関連施策として編成され,財政資 金による支援体制が構築され,実施対象地域を決めた上で推進されている。支援対象となる 県の側から見れば,一つの県が複数の事業の対象地となり,複数の施策の補助金を合わせて 受ける形になっているのである。そして,「退耕還林・退牧還草」政策の実施がもたらした 草食家畜飼育への否定的な影響に対して,草食家畜の舎飼い,畜産経営の大規模・標準化飼 育の推進とモデルの建設,牧草栽培や改良種の普及,家畜の屠畜処理・流通の振興などが実 施されている。 本研究における草食家畜の飼料確保問題に関する事例分析は,こうした政策的支援を受 けたケ-スが飼料確保の変化を明らかにする意味を持っている。 第四節 調査地の概況と実施政策 本研究では事例調査結果を踏まえて,生態環境保全政策による放牧の禁止がもたらした 飼料確保の問題や解決方法の特徴を明らかにすることと,政策支援の下で進められている 大規模・標準化経営のケ-スの飼料確保の方法を含む経営展開の特徴を明らかにすること を課題としている。 本章の政策の変遷に関わる考察を踏まえて,調査地の概況を整理しておこう。 第二章で取り上げる婁煩県のN村は,放牧禁止の対象となっておらず個別経営による放 牧がおこなわれている地域であり,本研究では他の事例との比較対象として位置づけてい る。 婁煩県は山西省の中部(西部丘陵地域)に位置し,行政上は太原市に属している。農業地帯 であるが山間部が多く寒冷な乾燥気候を特色としており,年一作を基本としている。標高は 1,030~2,709m と高く,年間降水量は 430mm に満たず,また年間無霜期間は 120~140 日であ 表1‐4 山西省の「雁門関生態畜牧経済区」内の草食家畜重点県リスト 羊重点県 牛重点県 大同市 渾源県、左雲県、霊丘県、陽高県、天鎮県、広霊県 -朔州市 懐仁県、右玉県、平魯区、朔城区、応県 山陰県 忻州市 神池県、五寨県、岢嵐県、偏関県、代県、寧武県 忻府区 太原市 陽曲県 -呂粱市 - 方山県 出所:張晓敏「山西省重点打造30个牛羊養殖大県」『山西日報』紙,2013 年10月25日より作成。
22 る。2014 年の総人口は 12.5 万人で,うち農村戸籍人口は 9.75 万人である。県内に汾河に設 置されたダムがあるため石炭の採掘が禁止され,重化学工業が未発達である。したがって, 農民の非農業部門の就業先は,主に隣接している古交市の石炭産業や省政府所在地の太原 市への出稼ぎとなっている。 婁煩県の総面積は約 128,900ha であるが,そのうち山地が 64.5%,丘陵地が 27.6%を占め ている。土地利用の面で区分すれば,草地面積 40,000ha 程度で総面積の 31.0%,耕地面積 21,853ha で 16.9%を占めている。2011 年時点で,農産物栽培面積は 11,840ha と耕地面積の 54.18%しかなく,半数近くの耕地は耕作放棄地であった。不作付けの理由は不明であるが, 後にみるN村のような耕作放棄地も含んでいると思われる。また,栽培面積の中には 460 ha の牧草栽培地を含んでいる。 畜産業について 2011 年のデ-タに基づいて概観しよう。農家の家族一人当たり年間所得 のうち,畜産業は 510 元と農家所得の 14.2%を占めていた。家畜の年末飼育頭数を見ると, 牛が 5,380 頭(うち乳牛 30 頭),ヤギ 76,000 頭,羊 45,000 頭,豚 14,210 頭となっている。家 畜の出荷頭数を見ると,肉用牛 2,880 頭,ヤギ・羊 64,900 頭,豚 16,200 頭となっている。 同県では,2009 年に畜舎経営を推進したことがあったが,畜舎経営を始めた農家は購入飼 料だけを使用したため,飼料費がかさみうまくいってなかったという。そのため,現在では 県内の草食家畜の飼育農家はすべて放牧経営している。婁煩県では,ヤギ・羊の合計飼育頭 数が 2,000 頭以上の村は全部で 8 村ある。 調査を行ったN村はそのうちの一つで,2011 年の時点で,カシミヤヤギ 2,700 頭,羊 100 頭, 牛 300 頭が飼育されており,県全体の数値を比較するとヤギに特化した構造になっている。 N村の 2011 年の耕地利用と飼料栽培の概況は次のとおりである。農作物栽培面積のうち, 最も大きいのは粟で 2,173.1ha であり,次は大豆の 1,368.8ha であった。主に濃厚飼料に使 われるトウモロコシは 1,340ha と三番目で,生産量は 2,410tであった。県政府での聞き取 りによると,トウモロコシの茎の生産量は約 20,000t あり,そのうち 40%が飼料として利用 されているという。 先に示したように農作物の栽培面積のうち牧草の面積は 460ha あるが,これは県政府が 2005 年から生態環境保全と畜産業の発展のために推進したものである。県政府提供の牧草 栽培の実験デ-タによると,年間 3 回の収穫が可能で,1 作目 22,388kg~38,806kg/ha,2 作目 14,925kg/ha,3 作目 7,462kg/ha の収穫が得られるという。ちなみに,収穫後の牧草 500kg は, 乾燥後に 222.4kg になるという。牧草とともに粗飼料として青刈りトウモロコシがあるが, 婁煩県についての統計はない。 次に第三章以降の事例を選定した左雲県の概況を述べよう。 左雲県は省の北部に位置しているが西部丘陵地域の大同市に属している。農業地帯にあ り,海抜は 1,020~2,013m と高く,年間降水量は 400mm に満たず,年間無霜期間は 110~120 日である。2014 年の県政府のデ-タによると,総人口は 14.9 万人で,うち農業戸籍人口は
23 10.64 万人,耕地面積は 38,867ha である。 左雲県は「雁門関生態畜牧経済区」に指定され,自然条件が羊の飼育に適していると評価 され 2013 年には羊重点県に選定され,2014 年には羊飼育業が左雲県の「一村一品,一県一業」 に選定されている。「経済区」振興事業の実施により,耕地と荒地や草地での牧草栽培がお こなわれるようになり,2013 年の牧草栽培面積は 1.54 万 ha に達し,このうち 3,333ha の耕 地で青刈草トウモロコシが栽培されている。 ヤギ・羊の種別では,2009 年以前はヤギが中心であったが,2009 年以降は,飼育期間の短 縮と年間出荷頭数の増加を目指し,左雲県では,「杜波」などの羊の種が普及されている。 2013 年時点で,ヤギの出荷頭数は 36,812 頭,年末飼育頭数は 26,829 頭であるが,羊の出荷頭 数は 336,422 頭,年末飼育頭数は 228,172 頭と羊が圧倒的に多くなっている。 また,ヤギは舎飼いにむかないので,羊の普及も舎飼いの前提となっており,羊の普及と 並行して放牧飼育から舎飼いへの転換が進められている。左雲県畜牧局(2014)によると,県 内の畜舎面積は合計で 20 万 m2あり,2,000m2以上規模の畜舎は 41 戸,5,000m2以上規模の畜 舎は 6 戸あるという。さらに,羊出荷頭数の 30%が舎飼いによるものであるという。 舎飼いへの転換事業の補助金は,県財政と中央政府の自然環境保護政策資金から出され ている。県財政としては,まず羊畜舎建設を推進するため,2 年間無利息の融資を行ってお り,300m2以上規模の畜舎か 200m2以上規模の飼料貯蔵庫を整備する農家を対象に 3~10 万元, 飼育場に 3~50 万元の融資を行っている。さらに,中央政府の自然環境保護政策資金からも 畜舎建設の補助金が給付されている。畜舎建設への補助金は二種類がある。一つは,第三章 と第五章で取り上げる事例のように,政府が荒地を収用し,標準化の畜舎団地を造成すると いうものである。そこに入居する農家が負担する畜舎造成費用のうち 200 元/m2の助成金を 支給される。左雲県にはこうした畜舎団地と入居農家の受け皿組織として設立された農民 専業合作社が全部で 4 つあるという。もう一つは,「退耕」農家を対象として,畜舎を建設 した農家に 150 元/m2の助成金を支給するというものである。 このように左雲県においても中央政府と山西省政府の畜産・自然環境保護政策事業の両 方の資金を原資として,牧草栽培や改良種と舎飼いの推進が行われているのである。 第五節 小括 本章では,まず中国の草食家畜飼育に関する政策の重点が 1990 年代に牧畜地帯から農業 地帯に移り,今世紀に入り環境保全政策が実施されて,放牧から舎飼いへの転換と大規模・ 標準化経営が求められる段階に移行してきたことを明らかにした。そして,ヤギ・羊の飼育 頭数が増える中で「退耕還林・還草」政策により放牧が禁止され,さらに耕作地の減少によ り粗飼料栽培の余地が減少したことを明らかにした。 こうした事態を受けて,地方政府では,草食家畜飼育を振興する地域を指定し,中央政府 の補助金制度などを利用して,舎飼いや飼料栽培への支援事業を推進していることがわか
24 った。
本研究で対象とする黄土高原に位置する山西省の中部および北部地域は,まさに中国の 農業地帯における草食家畜飼育の振興策が展開している地域に位置付けられるのである。