萩原朔太郎の『猫町』を創造的に読むために : クリエーティブ・リーディングの方法論
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(2) 甲南女子大学研究紀要 第 46号. 文学 ・文化編 (2010年 3月. ). して優雅 さや気 品 さえ も感 じられ る。 そ んな猫が集 ま. の視点 を媒介 に して ,読 者 は読 み ,考 える こ とで両 者. ってい る町 なのだか ら,艶 やか な毛並 みの よ うに,触. は 同化 して しまうので あ る。その意味で ,作 中人物 の. れず には い られ な い素敵 な場所 で あ るにちが い ない 。. 「私」 と読者 とは共犯関係 にあ る とい えるだ ろ う。. とい った よ うに,表 題 か らはそ んな イメー ジが 沸 い て. そ こで 私 たち まず ,一 人称 の視 点 を感覚 的 に把握す. くるの だが ,こ の物語 はそんな優雅 な話 ではな く,ポ. るため に,カ メラの フアイ ン ダー を覗 い て 身 の 回 りを. ーの 『黒猫』 に も似 た1蚤 異調 とい つた方 が ぴった りと. 見て みてみ るこ とに しよう。単眼鏡 (モ ノクル)が あ. くる。陰鬱 で繊 細 で鋭敏 な描写 ,そ の 肌触 りは喩 えて. れば,そ れで も構 わない。 メデ イアの研究者 マー シヤ. 言 えば猫 の舌 の ようにザ ラザ ラ と して い るのだ。. ル ・マ クルー ハ ンが 「モ ノクル もカメラ も人間 を事物. さて読解 に取 りかか る前 に予 め用意 してお くもの を. に変 える」 と 『メデ イア論 』 (み すず書 房 )の なかで. 述 べ てお きた い。 まず ,題 材 と して のテ クス トに加 え. 述 べ て い る ように,裸 眼 に よる世 界認識 とは異 なる レ. て ,絵 を描 くこ とので きる道具 とスケ ツチ ブ ックが必. ンズ を媒介 と した視覚 は,見 る者 と見 られ る対象 を切. 要 で あ る。 そ れか ら写 真 を利 用 す るわ け だか ら,当. り離 し,観 察可能 なモ ノ (対 象 )へ と変 えて しまうの. 然 ,カ メラ もい る。その場合 ,デ ジ タルカメラで も銀. だ。 フ ァイ ン ダーの 中に展 開 され る視 覚 は,世 界そ の. 塩 カメラで も構 わない が ,授 業 にお ける活用 を考 える. ものでは な く,観 察者 の眼差 しが作 りだ した視覚 なの. と,や は リプ リ ン ト作業が簡便 なデ ジ タルカメラ とプ. で あ る。 そ こで は通常 の視線 の 交通が存在 しない かの. リ ン ター を揃 えた方 が 良 い だ ろ う。 また ,後 述 す る. よ うに錯 覚 され る。観察者 は純粋 に見 る者 とな り,日. が ,ス テ レオ写真 を簡単 に撮影で きる専用 の レンズア. だけの存在 となるのであ る。 一 人称 に よつて叙述 され. ダプ ター も市販 されて い るので ,で きれ ば これ も購 入. る視 覚 が ,カ メ ラ を覗 く者 の 視 覚 に近似 的 で あ るの. してお きた い。. は,そ の視覚が 主 観 的 な知覚 を形成す る基本 だか らで. なお ,題 材 となるテ クス トは入手 しやす さに配慮 し. あ る。. て ,岩 波文庫版 の 『猫町』 を使用 した。岩波文庫版 に は表題 の 『猫町』 をは じめ ,朔 太郎 の小説 と して知 ら. Practice:. れ る 『ウ ォー ソン夫 人の黒猫』,『 日清戦争異 聞 (原 田. ① カメラのファインダーを覗いて世界を見廻 して. 重吉 の夢 )』 な どが所収 され ,詩 作 とは異 なる朔 太郎. み る。. 行氏 の 詳細 な解説 が寄せ られ ,『 猫 町』 の基 本 的 な作. ②写真 を撮ってプリン トする。写真撮影には,何 かテーマを設定 しても良い。. 品理解 に加 え,作 家 の 個 人史 と作 品 の 関係 を比較す る. ③ 自分 と他人の写真を比べて,そ の違いがなぜ生. 世 界 をほぼす べ て概 観 で きる。 また ,巻 末 には清水卓. こ ともで き,資 料 的価値 も高 い とい える。. 2『 猫町』 の文体. 一 人称 とカメラアイ. まれた のか議論す る。 また ,『 猫 町』 は「私小 説」 的 な形式 を採 用 して い るか ら,作 中 の 「 私 」 を「作 者 」 で あ る と仮 定 して. 『猫 町』 は,「 私小説」 的な文体 を採 って い る。簡単. も,あ なが ち間違 い とい うわけで はな い 。『猫 町』 は. に い えば ,「 私」 とい う一 人称 の 作 中人物 が ,出 来事. フ ィクシ ョンで あ るが ,萩 原朔太郎 の個 人史 と重 ね合. を語 ってい くス タイルの小説 (散 文詩 )で あ る。それ. わせ てみ る と,彼 の思 想や生活 と重 なる ところが 多 い. ゆえ,「 見 る」「思 う」 とい う視点 人物 は「私」一 人 と. こ とに気 づ くだろ う。 こ う した視点か ら作 品 を眺めれ. い う こ とになる。. ば,作 者が 生 きた時代背景 や ,変 貌す る社会環境 を反. この「 私」 の視点 =眼 差 しは,写 真が もた らす視覚. 映 した寓話 であ る とい う解釈 が可 能 となる。『猫 町』. 像 ,つ ま り「カメ ラア イ」の映像 と類似性 を持 って い. が書 かれたの は一 九三五年 (昭 和 十年 )で あ る。それ. る。言 い換 えれ ば ,「 私」 とい う見 る者 の視 点が ,物. は消 費文明 の 繁栄 と戦 争 の 暗 い影が忍 び寄 る,華 やか. 語 の視覚 を形成 して い くので あ る。 見 る ことを通 じて. さ と重 苦 しさが 交錯 した時代 で あ つた 。 そ れ ゆ え. 「 私 」 は世 界 を捉 え ,そ して思 索 す る こ とで 「 私 」. 「猫 」 と作 品 に描 かれ た西 洋 的 な魅惑 の 町 は,何 かの. は,私 を取 り囲む環境世 界へ と接続 されて い く。 そ ん. 隠喩 であ る とい う仮説 が立 つ 。作 品 の理 解 を深 め よ う. な視覚 と思 考 の運動が この物語 をつ き動 か して い くの. とす るのであれば,同 時代 の コンテ クス トを丹念 に調. だ。 したが って ,読 者 が読 む こ とを通 じて イメー ジ さ. べ てみ ることが大切 で あ る。作 品が生成す る歴 史的背. れ る視覚 も,「 私」 と重 な り合 う こ とになる。見 る者. 景 ,政 治的背景 ,世 相風俗 ,文 化状況 ,流 行 な ど,そ. ,.
(3) 馬場. 伸 彦 :萩 原朔太郎 の 『猫 町』 を創 造 的 に読 むため に. うした作品を取 り巻いたコンテクス トは,作 者が意図. は無媒介 に私 たちの意識 に侵入 し刻 印す る。 そ うであ. する/し ないに関わらず,お のず とテクス トに忍び込. るな らば,リ アルは複製 された映像 の 数 だ けあ るこ と. んで しまうものだ。. になる。 い つたい ,私 たちは「世界」 を ど うの う よ うに知 覚. 3『 猫 町』 の 世 界 観 を知 る. して い るのだろ うか。 普通 ,世 界 は 身体 を介 して五感 で 感覚 され る ものだ と考 え られて い る。 しか し,世 界. カメラを使 って一 人称 的な視覚 の あ り方 を学 んだ. とは,私 の 身体 を包 み込 む外部 の環境 で ある ものの. ,. ら,い よい よテクス トの解釈に取 りかか ってみ よう。. 世界 を知 覚す るの は私 の外部 で はな く内部 で 感覚 され. 作品の表題 は,『 猫町 散文詩風 な小説. る ものだ。 その意味で世 界 は私 の 身体 の 内部 にイメー. (ロ. マ ン)』 と. ある。興味 をひ くのは,そ の表題 に続 いて,次 のよう. ジ化 された ものだ と言 つて もいい 。. なエ ピグラフが 冒頭 に置かれ てい るこ とだ。 これが. 事 実 ,見 られた もの ,触 れ られた もの は,人 に よっ. 『猫町』 とい う作品をいっそ う印象的な ものに して い. て微妙 な差異 を持 ってい る。 だか ら,同 じ世 界 を共有 して い るつ も りで も,人 によって少 しず つ違 う相貌 と. る。. して知覚 され るのだ。 た とえば,盲 目の人の世 界 を想. 蠅をロ ロきつぶ したところで,蠅 の 「物そのもの」. 像 してみ よ う。光 の ない世界 で暮 らす彼 らの世 界 は. は死には しない。単に蠅の現象をつが したばか り. 聴覚 と触覚 が際立 った世界 となってい るはず だ。 そ の. だ。――― シ ∃ウペ ン八ウエル。. 世界 で は,物 の形 は,触 れた ときには じめてあ らわれ. ,. る。. 冒頭か ら読者 を煙 に巻 くような難解 な引用が出て き. また,確 実 に世 界 が在 る とい う「実在性」 を,あ な. たわけだが,作 者 はち ょっと気取 ってみるために ドイ. たが 持 っていた と して も,あ なたが死 んで しまえば. ツの哲学者 シ ョウペ ンハ ウエ ルの言葉 を引いたわけで. そ の世界 は消滅 して しまう。世 界 を一 人称 的 にあ なた. はない。 このエ ピグラフは,い わば作品全体 を支配す. の脳 が知 覚す る ものだ と考 えれば,あ なたの死 は世 界. る「謎か け」 であ り,通 底音 のような役割 を呆た して. の消滅 を意味す る。脳 を中心 に考 えれば,世 界 は主 観. いる。. が つ くりだす映像 と言 い換 える こ とがで きる。. ,. とい うの も,「 物その もの」には現象 と実体 の二 面. この よ うに,世 界 を私 の 身体 の外 部環境 にあ りなが. があるとするこの考え方 はそのまま小説 の主題である 「世 界の二重性」 とい う問題へ と接続す る重要 な鍵 と. ら同時 に知 覚 を経 由 した観念 が つ くる ものだ と仮定す れば,経 験 的世 界 と夢 や空想 の世 界 とを区別す る境 界. なっているか らだ。朔太郎 は 『月に吠える』 の再版 の. は 曖 味 に な って くる。 エ ピグ ラ フの 意 味 に こだ わ れ. 序 において「この詩集 を書 いた当時,私 はシ ョーペ ン ハ ウェル に惑溺 して い た ・・・」 とそ の影響 を告 白. ば,ど うや らこの物 語 は,実 在 と不在 ,現 実 と幻想. 記憶 と想起 とい った「世界 の二重 性」 の 問題が テ ーマ. し,「 見 えざる実在の本質に触れ」 よう とした と述 べ. となって い る よ うな気 がす る。. てい る。つ まり朔太郎は作品が もた らす言語作用 を通 じて無意識や本能に触れ ようとしたのである。 確かに,世 界 はひとつではないだろ う。経験的世界 の リアル と思われてい るものは常 に転倒す る可能性 を. ,. 議論 を もう少 し進 めてみ よ う。『猫 町』 は,「 旅 へ の 誘 い が ,次 第 に私 の 空想 か ら消 えて行 った」 と,旅 ヘ の興味 とロマ ンス をな くして しまった「私」の独 自か ら語 りは じめ られ る。. 秘めてい る。そのことは仮想現実 (バ ーチ ャル リアリ ティ)を 例 に出す まで もな く,私 たちがテ レビのニ ュ. 旅 へ の誘いは ,私 の疲労 した心の影 に ,と ある空. ース などの映像体験 を素直に「現実」 だと受け入れて. 地 に生えた青桐みたいな ,無 限の退屈 した風景 を. しまう態度か ら考えて も,そ う言えるのではないだろ. 映 像 させ ,ど こで も 同一 性 の 法 則 が反 覆 して い. うか。た とえば湾岸戦争の時の情報操作やナチのプロ パ ガンダ映画は,そ れが編集 された映像 のパ ッチワー. る ,人 間生活 へ の味気ない嫌厭 を感 じさせるばか りにな つた。. クであった として も,意 図的な偽装映像がイ ンサ ー ト されていた として も,私 たちはその内容 をすべ て事実. よ うす るに,「 私 」 の 関心 は,現 実 の旅 で は な く. だと受け取 って しまうのだ。それがメデイア受容 にお. 「独 特 の 方法 に よる,不 思議 な旅」 にあ った 。 で は. ける私たちの基本的な態度なのである。視覚 メディア. ,. ,. そ の「不思議 な旅」 とは何 か。語 り手 の「私」 は次 の.
(4) 甲南女子大学研究紀要 第 46号. 66. 文学 。文化編 (2010年 3月. ). 実在 と不在 を転 倒可 能 とす るため に,「 私」 は客観. よ う に説 明 して い る。. 性 を捨 て ,主 観 に よる知 覚 を重 視 す る こ とを選 択 す その私の旅行 とい うのは ,人 が時空 と因果の外 に. る。意 図的 に感 覚麻痺 を起 こ させ る ことで幻視 を手 に. 飛翔 し得る唯一の瞬間 ,即 ちあの夢 と現実 との境. 入れ よ う とす るのであ る。魔 法 の よ うな変化 を もた ら. 界線 を巧み に利用 し,主 観の構成 する 自由な世界. した原 因 は,「 私」が道 に迷 って ,方 位 を錯覚 した こ. に遊ぶのである。 と言 つて しまえば ,も はや この. とに 因 る もの だ った 。「私」 は,い つ もの 町 を逆 方 向. 上 ,私 の秘密 につい て多 く語 る必要 はないであろ. か ら眺め る ことで ,町 の風景 の す べ て を珍 しく新 しい. う。ただ私の場合 は ,用 具や設備 に面倒な手 間が. もの に感覚 した ので あ る。. かか り,か つ 日本で入手 の 困難な阿片 の代 りに. ,. 簡単な注射や服用 ですむモル ヒネ ,コ カイ ンの類. その時私 は ,未 知の錯覚 した町の中で ,或 る商店. を多 く用いた とい うことだけを附記 してお こう。. の看板 を眺めていた。その全 く同 じ看板の絵 を. そ う した麻酔 による エクスタシイの夢の中で ,私. か つ て何所 かで見た ことがあると思 つた。そ して. の旅行 した国々の ことについては ,此 所 に詳 しく. 記憶 が回復 さねた一瞬時 に ,す べ ての方角が逆転. 述 べ る余裕 がない。だがたいていの場合 ,私 は蛙. した。す ぐ今 まで ,左 側 にあ つた往来 が右側 にな. どもの群 が つてる 沼沢地方や ,極 地 に近 く,ベ ン. り,北 に向 つて 歩 いた 自分 が ,南 に向 つて 歩 いて. ギ ン鳥のいる沿海地方な どを紡徊 した。そね らの. いる ことを発見 した。その瞬間 ,磁 石の針が くる. 夢の景色の中 では ,す べ ての色彩が鮮やかな原色. りと廻 つて ,東 西南北の空 間地位 が ,す つか り逆. を して ,海 も ,空 も ,硝 子の よ うに透明な真青 だ. に変 つて しま つた。同時 に ,す べ ての宇宙 が変化. つた。醒めての後 にも ,私 はその ヴ ィジ ヨンを記. し,現 象する町の情趣 が ,全 く別の物 にな つて し. 憶 してお り,し ば しば現実の世界の中で ,異 様の. ま つた。つま り前 に見た不思議の町は ,磁 石 を反. 錯覚 を起 した りした。. 対 に裏返 した ,宇 宙の逆空 間 に実在 したのであ つ. ,. た。 これ を読 む限 り,「 不 思議 な旅」 とは ,モ ル ヒ ネや コ カイ ン を服用 し,「 主 観 の構 成す る 自由な世 界 へ 遊. 現実逃避 の 空想世 界 が方位感 覚 を喪失 した こ とで実. ぶ 」 こ と,つ ま り,精 神世 界へ 「 トリ ップ」す る こ と. 体化 した「幻燈 の幕 に映 った,影 絵 の 町」,「 磁石 を反. を意 味 して い る よ うだ。薬物 依 存 が 原 因 とな って. 対 に裏返 した,宇 宙 の逆空 間に実在」 した町 とい つた. 「 私」 の三 半規管 は異常 を きた し,挙 げ句 の 呆 て に. ,. ,. よ うに,「 私」 が遭遇 した美 しい 町 は,映 画 の ス ク リ. 散歩 の 途 中 で方向感覚 の錯誤 が起 きる ようにな り,世. ー ンに浮かぶ 「映 f象 」 の よ うに表現 されて い る。 ある. 界が 二 重 に存在す る とい う不思議 な体験 を得 るこ とに. い は,現 実 と見 間違 うほ どリアルで はあ るが ,現 実 と. な った とい うわけであ る。. は異 なる別 の 表象 ,た とえば「写真」 に写 し撮 られた 町 の風 景 に似 て い る もの と して知覚 されて い る。 ここ. 私 は道 に迷 つて困惑 しなが ら,当 推量 で見当 を つ. には,現 実 と映 像 とい った よ うな,ふ たつ の世 界 を想. け ,家 の方 へ 帰ろ うと して道 を急いだ。そ して樹. 起 させ る。. 木の多 い郊外の屋敷町を ,幾 度 か ぐる ぐる廻 つた. これは理屈で はない 。主観 の話 なのだ と「私」 は主. あ とで ,ふ と或 る賑やかな往来 へ 出た。そね は全. 張す る。そ して ,「 私」 は読者 を納得 させ よ う と,「 磁. く,私 の知 らない何所 かの美 しい町であ つた。街. 石 を反対 に裏返 した,宇 宙 の逆空 間 に実在」 した もう. 路 は清潔 に掃除さねて ,鋪 石 が しつと りと露 に濡. ひ とつ の世 界 の こ とを,身 近 な例 を出 して繰 り返 し説. ねていた。 どの商店 も小綺麗 にさ つぱ りして ,磨. 明 して い る。. いた硝子の飾窓 には ,様 々の珍 しい商品が並ん で いた。 (中 略 )私 は夢 を見ているよ うな気 が した。. た とえば諸君 は ,夜 おそ く家 に帰る汽車 に乗 つて. そ ね が現 実の 町で はな く つて ,幻 燈 の 幕 に映 つ. る。始め停車場 を出発 した時 ,汽 車 は レール を真. た ,影 絵 の 町の よ うに思 わ ね た 。 だ が そ の 瞬 間. 直 に ,東 か ら西 へ 向 つて 走 つている。だが しば ら. に ,私 の記憶 と常識が回復 した。気が付 いて見ね. くする中 に ,諸 君 は うたた寝の夢か ら醒める。そ. ば ,そ ね は私 の よ く知 つて い る ,近 所 の 詰 らな. して汽車の進行する方角が ,い つの まにか反対 に. い ,あ りぶ、 ねた郊外の町なのである 。. な り,西 か ら東 へ と ,逆 に走 つてる ことに気 が付.
(5) 馬場 伸彦 :萩 原朔太郎の 『猫町』を創造的に読むために. 67. いて くる。諸君の理性 は ,決 してそんなはずがな. 次 に語 る一 つの 話 も ,こ う した私の謎 に対 して. いと思 う。 しかも知覚上の事実 と して ,汽 車 はた. 或 る解答 を暗示する鍵 にな つてる。 読者 に しても. しか に反 対 に ,諸 君 の 目的 地 か ら遠 ざか つて 行. し,私 の不思議な物語か ら して ,事 物 と現象の背. く。そ う した 時 ,試 み に窓 か ら外 を 眺 め て見 給. 後 に隠れ て いる と ころの ,或 る第 四次 元 の 世 界. え。い つ も見慣ねた途中の駅 や風景やが ,す つか. 一 一 景 色の 裏 側 の 実 在 性一一 を仮 想 し得 る とせ. り珍 しく変 つて しま つて ,記 憶の一片 さえも浮 ば. ば ,こ の物語の一切 は真実である。だが諸君 に し. な い ほ ど ,全 く別 の ち が つた 世 界 に見 え る だ ろ. て ,も しそねを仮想 し得ないとするな らば ,私 の. う。だが最後 に至」 着 し,い つ もの プラ ッ トホーム. 現実 に経験 した次の事実 も ,所 詮 はモル ヒネ中毒. に降 りた時 ,始 めて諸君 は夢か ら醒め ,現 実の正. に中枢 を冒された一詩人の ,取 りとめもないデカ. しい方位 を認識する。そ して一旦それが解 ねば. ダンスの幻覚 に しか過ぎないだろ う。とにか く私. ,. 始め に見 た異常の景色や事物 は ,何 でもない平常. ,. は ,勇 気 を奮 つて 書 いて見 よ う。. 通 りの ,見 慣れた詰 らない物 に変 つて しま う。 つ ま リー つ の 同 じ景 色 を ,始 め に諸 君 は裏 側 か ら. 「真 実」 か「幻想」 か。 この物語 の 解答 を「私」 は. 見 ,後 には平常の習慣通 り,再 度正面か ら見たの. 読者 に求めて い る。問 い かけに応 じる よ うに私 た ちは. である。. 能動 的 な読者 となって物 語 に参与 して い く。「私」 と 読者 の視覚が重 なる こ とで ,幻 覚 は真実 とな り,真 実. 一つの物が視線 の方角を換 える こと全 く違 う物 に見 えるとい うことは,な るほど,誰 もが一度や三度 ぐら. は幻覚 の一 部 を構 成す るのであ る。 萩原朔太郎 は「 自分 の 映像 を見 て」 (『 廊 下 と室 房』. い経験 した ことがあるにちが いない。夜 の電車 で,疲. 所収 )の エ ッセ イにお い て「人は しば しば,自 分 の姿. れて寝て しまい,不 意に起 きたとき,反 対 の方向に走. をイメ ー ジの鏡 に映 して ,自 らの不思議 に幻想す る こ. っているように錯覚する ことは,し ば しば起 きる現象. とが あ る もので あ る。僕 も時 々 自分 の姿 を,夢 幻 の空. で もある。感覚 された不思議な違和感は,駅 名 を確認. 中に幻覚 して見 る ことが ある」 と述 べ て い る。 こ う し. す るまで続 く。A駅 の途中に B駅 や C駅 があるとい. た感覚 はシ ヨーペ ンハ ウエ ェル に惑溺 した詩人独特 の. う順序 を確認 したとき,よ うや く,そ の世界は不安定 なイメージか ら解放 され,構 造化 された安定 した世界. もの とい えるか もしれ な い。妙 な言 い 回 しになるが 朔太郎 とは無意識 を意識化 (=言 語化 )さ せ る詩 人. へ と回帰するのである。. 不在 の存在性 を語 る浪漫主義者 なのである。. ,. ,. 作 中人物 のような極端 な方位の錯覚 を経験で きな く て も,電 車 のなかの光景 は,「 世界 の二重化」 を考 え. 4. るのに,面 白い視点 を提供 して くれる。車内を観客席. 拾 い 出 して 挿 絵 を つ け る. 視 覚 的 なイ メー ジ を. に見立てれば,窓 の外 の風景 は,車 窓 とい うス クリー ンに切 り取 られ,あ たか も映画 を見てい るかの ような. 第二章 の書 き出 しを読んでみ よう。空間,時 間,状. 気分 になって くるか らだ。電車 にのって高速で移動 し. 況な どが詳細 に設定 され,物 語 はここか ら動 き出す。. てい るのが 自分であるのに,移 動 してい ることをすっ. し,「 猫町」 の奇妙 で不思議 な世界へ と誘 ってい く。. Kと い う温泉 に滞留 していた。九月も末に近 く,彼 岸を過ぎた山の中 では,も うすつか り秋の季節にな つていた。都会 から来た避暑客は,既 に皆帰 つて しまつて,後 に は少 しばか りの湯治客が,静 かに病を養 つている のであつた。秋の日影は次第に深 く,旅 館の佗 し い中庭には,木 々の落葉が散 らばつていた。私は フランネルの着物を着て,ひ とりで裏山などを散 歩 しながら,所 在のない日々の日課をすこしてい. 主観的な世界 を叙述 してい るにもかかわらず,客 観的. た。. か り忘れて しまう。車窓の「映像」に魅了 されて しま うのは,見 知 らぬ景色 に出会 うとい う好奇心 の作用 と い うよ りも,む しろ,日 常 とは異なる移動する視点を 得 ることで,「 世界 の二重化」 を「映像」 として経験 す る驚 きゆえではないだろ うか。 テクス トに戻ろ う。語 り手 である「私」 は,以 下の ような前置 きを読者 に了解 させた後で,「 ただ私 の経 験 した事実だけを,報 告 の記事 に書 くだけ」 と強調. である ことをことさら主張 してい るのだ。. その頃私は,北 越地方の. 私のいる温泉地から,少 しばか り離れた所に. ,. 三つの小さな町があつた ,い ずれも町というより.
(6) 68. 甲南女子大学研究紀要第 46号 は ,村 とい うほ どの 小 さ な 部 落 で あ つた け ね ど. 文学 。文化編 (2010年 3月. ). 「憑 き村」 で あ る。. も ,そ の中の一つ は相当 に小 ぢん ま りした田舎 町. ここか ら,い よい よ 『猫 町』 の物語 の核心部分 に近. で ,― 通 りの 日常品も売 つている し,都 会風の飲. づ い て い く。途 中下車 に よって迷 子 に な った 「 私 」. 食店な ども少 しはあ つた。温 泉地 か らそれ らの町. は ,不 安 になって帰路 を探 し求 めて街往 し,「 幻 燈 」. へ は ,い ずねも直通の道路 があ つて ,毎 日定期 の. に浮かぶ絵 の ような美 しい 町 にた ど り着 くので あ る。. 乗合馬 車が往復 していた。特 にそ の繁 華 な ∪ 町 へ は ,小 さな軽便鉄道が布設 さねていた。私 は し. 着 した。そ して全 く 幾時間かの後 ,私 は麓 へ 至」. ば しばその鉄道で ,町 へ 出かけて行 つて 買物 を し. 思 いがけない意外の人 間世界 を発見 した。そ こに. た り,時 にはまた ,女 のいる店で酒 を飲んだ りし. は貧 しい農 家 の代 りに ,繁 華 な 美 しい 町 が あ つ. た。だが私の実の楽 しみは ,軽 便鉄道 に乗 る こと. た。か つ て私の或 る知人が ,シ ベ リヤ鉄道の旅行. の 途 中 にあ つた 。そ の玩 具 の よ うな可 愛 い 汽 車. につい て話 した ことは ,あ の満 目 1荒 蓼たる無人. は ,落 葉樹の林 や ,谷 間の見える山峡やを ,う ね. の蹟野を ,汽 車で幾 日も幾 日も走 つた 後 ,漸 く停. うね と曲 りなが ら走 つて行 つた。. 車 した沿線の一小駅が ,世 にも賑わ しく繁華な都. ,. 会 に見える とい うことだ つた。私の場合の印象も 想起 を通 じて書 かれた過去形 の 文体 ,経 験 した出来 事 のデ イテ ール を詳細 に記述 して話 を進 めて い るが. ,. また ,お そ らくはそね に類 した驚きだ つた。麓の 低い平地 へ かけて ,無 数の建築の家屋 が並 び ,塔. これ に続 くくだ りか ら,途 端 に怪異 諄 め い て くるので. や高楼が 日に輝 やいていた。 こんな辺置Fな 山の中. あ る。. に ,こ んな立派な都会 が存在 しよ うとは ,容 易 に 信 じらねないほどであ つた。. 或 る 日私 は ,軽 便 鉄 道 を途 中 で下 車 し,徒 歩 で. 私 は幻燈 を見 るよ うな思いを しなが ら,次 第 に. ∪ 町 の方 へ 歩 いて行 つた 。そ ね は見 晴 しの 好 い. 町の方 へ 近付 いて行 つた。そ して と うと う,自 分. 峠の山道を ,ひ と りでゆ つくり歩 きたか つたか ら. でその幻燈の中 へ 這入 つて行 つた。 私 は町の或 る. であ つた。道 は軌道 に沿いなが ら,林 の中の不規. 狭 い横丁か ら,胎 内め ぐりの よ うな路 を通 つて. 則な小径 を通 つた。 所々 に秋草の花が咲き ,赫 土. 繁華な大通の中央 へ 出た。. ,. の肌 が光 り,伐 らねた樹木 が横 たわ つていた。私 は空 に浮んだ雲 を見なが ら,こ の地方の山中 に伝. 「 私」 は,「 幻燈」 を見 る よ うな思 い を しなが ら,次. 説 している ,古 い口碑の ことを考えていた。概 し. 台内 め ぐ りの よ うな 第 に町 の 方 へ 近付 い て 行 き,「 月. て文化の程度 が低 く,原 始民族の タブー と迷信 に. 路 」 を通 って ,「 す べ ての 軒並 の 商 店 や建築物 は ,美. 包 まねている この地方 には ,実 際色々な伝説 や口. 術 的 に変 った風情 で 意 匠 され ,か つ 町全体 と して の 集. 碑 があ り,今 でもなお多数の人々は ,真 面 目に信. 合美 を構 成 して い た」 とい う外 国 の よ うな美 しい市街. じているのである ,現 に私の宿の女中や ,近 所の. を 目の 辺 りにす る。 そ の 後 には「大 通 の 街 路 の 方 に. 村 か ら湯治 に来ている人たちは ,一 種の恐怖 と嫌. は,硝 子 窓 の あ る洋風 の 家が多 か った。理髪店 の軒先. 悪の感情 とで ,私 に様々の ことを話 して くねた。. には,紅 白の 九 い棒 が突 き出 してあ り,ペ ンキの看板. 彼 らの語る ところによねば ,或 る部落の住民 は犬. に Barbershopと 書 い て あ っ た ・ ・. 神 に,辰 かれてお り,或 る部落の住民 は猫神 に,康 か. に,「 私」 の視覚 に映 じた光景が述 べ られて い く。. 0」. とい う よ う. ね て い る。犬 神 に憑 かね た も の は 肉 ば か りを食. ここで「幻燈」 とい う映像装置 の比 喩 を持 ち出 した. い ,猫 神 に憑かねたものは魚 ばか り食 つて生 活 し. 意味 につ い て 考 えてみ た い 。「幻燈」 の映 像 とは映 写. ている。. 幕 にゆ らゆ らと浮かぶ皮相 的 な光で しか な い 。質実 を 欠 い た空虚 な光学現 象 で あ る。 しか しそ の 映像 はあた. 「 私」 の 楽 しみ は 「軽 便鉄道」 に乗 って移動 す る こ. か も脳 裏 に浮 かぶ イ メー ジの よ うな深 い 印 象 を与 え. とだ とい うが ,そ の 楽 しみ は「途 中下車」す るこ とで. る。外佃1に あ る光 であ りなが ら,内 側か ら導 き出 され. 一 変す る。移動 の 途 中,す なわ ち,あ る空 間か らあ る. た 「か つ て どこか 」 の 風 景 の よ うに錯 覚 す るの で あ. 空 間へ の 移動 を「途 中」 で 中断す る ことは,変 容 を体. る。 不 在 の町 の 現 象 が 光学 的 か つ 心 理 的 に立 ち現 れ. 験 す る こ とであ り,そ れ は異 空 間 へ の 入 口で もあ っ. る。それが「幻燈」 の 町なので あ る。. た。 そ の 異 次元 とは「大 神」 や 「 猫 神 」 に憑 か れ た. さて,そ んな作 品世 界 をよ り深 く理解す るため に. ,.
(7) 馬場 伸彦 :萩 原朔太郎の 『猫町』 を創造的に読むために. 69. 今度は,通 常の読書 とは異なる読みの方法でアプロー チを試みてみよう。 ようするに,読 むことでイメージ. 称 の視覚世界 を理解す る ことが 目的だか らと りあ えず. された「猫町」の風景に挿絵をつけることで再現 して. また ,見 る主体 と考 え る主体 が 同 一 人物 なの だ か. みようとい うのである。その手順 は,以 下の通 りであ. ら,す べ ての表象 は,リ ア ル な もの と幻想 的 な ものが. る。. 混在 して もそれ ほ ど問題 にはな らない 。 テ クス トに言. 止 めてお こ う。. 語化 されて い な くて も, 自由に想像 した もの を加 えて Practice:. も構 わない 。 ここに読み手 の解釈 が顕在化 し,興 味深. ① テクス トを熟読する。. い挿絵 がで きあが るか も知れ ない 。. ここまでは通常の読書 となんら変 わ りはない。 何度 も読み返 して,細 部 に隠されたメタファー. 以下 は,状 況 を説 明す る叙述 で あ るか ら,比 較 的 に 絵 に描 きやす い場面 と思 われ る。. を発見す ることは短編 では重要な行為なのだ。 大通の街路の方 には ,硝 子窓 のある洋風の家が. ②描 きたい場面 を選び出す。 読書 を通 じてイメージがあ りあ りと浮かんだ と. 多か つた。理髪店の軒先 には ,紅 自の丸 い棒 が突. ころ,物 語が展開 してい く上で重要 である と思. き出 してあ り,ペ ンキの看 板 に. われる場面 を選び出す。テクス トに傍線 を引 い. 書 いてあ つた。 旅館 もある し,洗 濯屋 もあ つた。. た り,メ モ を書 き込 んだ りしてみ よう。. 町の四辻 に写真屋 があ り,そ の気象台の よ うな硝. Barbershopと. 子 の家 屋 に ,秋 の 日の青 空 が佗 しげ に映 つて い. ③それに挿絵 をつ けてみる。 つ まり,言 語 を図像 に置 き換 えてい くわけだ。. た。時計屋の店先 には ,眼 鏡 をかけた主人 が坐 つ. その場合 ,「 私」 の感情 の変化 に気 をつ けて. て ,黙 って熱心 に仕事を していた。. ,. 「私」 の視覚 に現 れた風景や状況 を連想 してみ れば,き っとうまくい くだろ う。 ④場面 と挿絵 を結 び合 わせて,「 絵本」 を完成 さ. 街 は人 出で賑 やか に雑 用 していた。その くせ少 しも物音がな く,閑 雅 にひ つそ りと静 ま りかえ つ て ,深 い眠 りの よ うな影 を曳いてた。そね は歩行. せ る。. する人以外 に ,物 音のする車馬の類 が ,一 つも 通. 表紙 もつ けて造本す るこ とが 望 ま しいが ,製 本. 行 しないためであ つた。だがそねばか りでな く. 機 な どの造 本手段 が ない場合 は,パ ソ コンを使. 群集そのもの がまた静かであ つた。男 も女 も ,皆. 用 して ,テ キ ス トデ ー タと画 像 デ ー タをひ とつ. 上品で慎み深 く,典 雅でお つと りと した様子 を し. の静止画像 に ま とめ ,ア プ リケ ー シ ョンのス ラ. ていた。特 に女性 は美 しく,淑 やかな上 に コケチ. イ ドシ ョー 機 能 を利 用 して ,紙 芝 居風 の 「絵. ッシ ュであ つた。 店で買物 を している人たちも. 本」 をつ くってみで も良 い だろ う。. 往来で立話 を している人たちも ,皆 が行儀 よ く. ,. ,. ,. 諧調の とれた低 い静かな声 で話 を していた。 挿絵 をつ けるポ イ ン ト 挿絵 を描 く と きの ポ イ ン トは,『 猫 町』 の 文体 が 一. これ に続 く以下 の部分 は,聴 覚 的 な問題 に触覚性 を. 人称 の語 りで ある こ とに注意 を向けるべ きで あ ろ う。. 結 びつ ける こ とで共感覚 的が呼 び起 こ され る朔太郎独. 一 人称 の視覚 とは ,「 私」 の 眼前 に拡 が る世 界 の こ と. 特 の描写が よ くあ らわれて い る。. で あ り,風 景 は遠近 法 的 な秩序空 間 と して表 象す るこ とになる。 よ うす るに,「 私」 の 日と,「 私」 の思 考 が. そね らの話や会話 は ,耳 の聴覚で聞 くよ りは ,何. イメー ジのす べ てだ とい う ことで あ る。先 に も指摘 し. かの或 る柔 らかい触覚で ,手 触 りに意味を探 る と. たが ,映 画 の移動 シ ョッ トの よ うな カメラアイに近 い. い うよ うな趣 きだ つた 。 と りわ け女 の 人 の 声 に. 視覚 をイメ ー ジ して ほ しい 。 したが って ,「 私」 の 姿. は ,ど こか皮膚の表面を撫 でるよ うな ,甘 美で う. を画面 に描 くこ とはせ ず に,「 私」 の 眼差 しと読 者 の. っと りと した魅力 があ つた。す べ ての物象 と人物. 眼差 しを同化 させ て,眼 前 の世 界 を描 くこ とが望 ま し. とが ,影 の よ うに往来 していた。. い。 一 人称 であ るか ら,見 るこ とので きる世界 と,思 考や想像 に よって思 い描 かれ る世 界 を分 け る必 要 はな. プ回の表現 と比 べ てみ る. い ので あ る。 もちろん「私」 を相対化 させ て ,挿 絵 だ. ど うだろ う, うま く挿絵が描 け ただろ うか。 い きな. け は超越 的 な視 点 で描 くこ とも可能 だが ,今 回 は一 人. り挿絵 をつ け ろ とい われて も困 る とい う人は,プ ロの.
(8) 甲南女子大学研究紀要 第 46号. 70. 文学 ・文化編 (2010年 3月. ). 表現力 を参 考 に して ,視 覚 イ メー ジ とテ クス トの関係. テ クス トが イメー ジに置 き換 え られ るひ とつ の優 れ. を考 えてみ よう。お 手本か ら手 っ取 り早 く学 んでみ よ. た参考 例 と して ,金 井英津子作 画 に よる 『猫 町』 (パ. う とい うわけで あ るが ,そ のなか には納得で きる絵 も. ロ ル舎 )の 場面 を見 てみ よ う。. あ るだろ う し,な んでそんな絵 になるの ?と ズ レを感 じる こ ともあ るにちが い ない。読書 を通 じて生成す る 視覚 イメー ジは人に よつて異 なるの だ。 だか らこそ イ メー ジ解釈 の 多様性 を確 認す る意 味 で も他 人の絵 を見 るの は面 白 いの で あ る。 絵 本作 家 や イラ ス トレー ター な ら,『 猫 町』 の 絵 本 化 には一 度 は挑戦 した くなる よ うであ る。作 品が ,絵 本 にす るの に適 当な長 で あ るこ とは もちろん,そ の現 実 と幻 想が交錯す る不思議 な物語世 界 は絵心 を刺激 し てや まない か らだ。 恣意的 な解釈 の 余地が多 いの で. ,. 捉 え よ うに よっては,シ リア ス に もユ ーモ ラ ス に も ,. 幻想的 に も現実的 に も,描 くこ とが可 能 とな り,こ の 恣意性 が絵心作家 の創作意欲 を刺激す る。 と りわけ ク ライマ ックスの猫 の群 衆 シー ンは,突 然時間が短縮 さ れた ような,も の す ごい 緊迫感 で 読者 に迫 って くる。 ホ ラー 映画 ば りの強烈 な視覚体験 をテ クス トは誘発す る。 この場 面 は,ぜ ひ描 い てみ た い 。「 今 だ. !」. とい. う声 に よつて万 象 が静 止 し,「 底 の 知 れ な い 沈黙 」 の 後 ,猫 の大集 団が 町 の 街路 に充満す るのであ る。. 「今だ. !」. と恐怖 に胸 を動悸 しなが ら,思 わず私 が叫んだ. 金井英津子 『猫町』 パロル舎. 一九九七年十一 月より転載. 時 ,或 る小 さな ,黒 い ,鼠 の よ うな動物が ,街 の 真中を走 つて行 つた。私の眼 には ,そ ねが実 によ. ま さ し く,「 猫 ,猫 ,猫 ,猫 ,猫 ,猫 ,猫 。」 で あ. くは つき りと映像 さねた。何 か しら,そ こには或. る。 猫 が 群衆 化 したそ の 様態 は ,不 気 味 で ,重 苦 し. る異常な ,唐 突な ,全 体の調和 を破 るよ うな印象. い 。「 猫」 とい う単語 を連続 させ る こ とで ,そ こ には. が感 じらねた。. 視 覚 的効 果が 意 図 され て い る。 文 字 か ら受 け る 印 象. 瞬間。万象が急 に静止 し,底 の知 ねない沈黙が 横たわ つた。 何事かわか らなか った。だが次の瞬 間には ,何 人 にも想像 されない ,世 にも奇怪な. ,. も,絵 か ら受 け る印象 も変 わ らないの だ。 こ う してみ る と,『 猫 町』 とい うテ クス トが私 た ち の 視覚 を刺激 す る理 由が よ く分か る。「 町全体 が 一 つ. 恐 ろ しい異変事 が現象 した。見ねば町の街路 に充. の 薄 い破璃 で構 成 されて い る,危 険 な壊 れやす い建物. 満 して ,猫 の 大集 団 が うよ うよ と歩 い て い るの. みた い 」 な人為 的 な美意識 で構 成 された美 しい 町が. ,. だ。猫 ,猫 ,猫 ,猫 ,猫 ,猫 ,猫 。 どこを見ても. 「 今 だ」 とい うか け声 を契機 に,走 り去 る一 匹 の 猫 に. 猫 ばか りだ。そ して家々の窓 □か らは ,髭 の生 え. よって ,突 如 として 崩壊 したのであ る。 この鮮 やか な. た猫の顔 が ,額 縁の中の絵の よ うに して ,大 き く. 崩壊 の 瞬間 を,金 井英津子 はモ ン タージュ的 な技法 を. 浮き出 して現ねていた。. 使 って表現 して い る。 また ,猫 が立 ち去 る絵 で は,余 白を充分 に とって 長 く伸 びる影 を描 くことで ,群 衆 の. この場面 は,本 当に何 度読 んで もハ ッとさせ られ. ,. 動 きをつ くりだ して い る。. 恐 ろ しい 。絶妙 なバ ラ ンス で立 っていた トラ ンプの タ. しか し,こ こにあ らわれた猫 の群衆 とは何 を意味す. ワーが ,一 気 に崩れ落 ちる よ うな落差が読者 の 感受性. るのだろ うか。猫 で埋 め尽 くされ る虐、 苦 しい ほ ど不気. を強 く刺激す る。 カ タル シスす ら感 じる印 象的 な場面. 味 な空 間。顔 をな くした群 衆 の様態 に何 を読み取 れば. だ。. よいの だ ろ うか。今村仁 司 は,『 群衆. モ ンス ター の.
(9) 馬場. 伸 彦 :萩 原朔太郎 の 『猫町』 を創造的に読むために. 誕生』 (ち くま新書)の なかで,「 群衆 とは,日 常的な. い 街 路 を写 した 。そ れ を箱 に入 ね て覗 い て見 る. 流れに亀裂 と切断が生 まれて,秩 序 の安定性が解体 に. と ,旅 に見た通 りの景色が ,第 三次元の立体 にな. 瀕する ときに,生 成する」 と述べ ,古 い秩序が崩壊 し. つて ,さ なが ら浮き上が つて 見 えるのである。此. アナ ー キー な状態 となった と き,分 身状態 に落 ち込. 所 で 「実景の よ うに」 と言 いたいが ,わ ざとそ う. み,万 人が一様 の性質を帯 びて群衆 と化す ことを指摘. は言わないの は ,ス テ レオのパ ノラマライ クが実. してい る。. 景 と少 しちが つて ,不 思議 に幻想的であるか らで. 『猫町』 の群衆 も崩壊 の危機 に現れた。今村 の群衆. ある。止ヒ 所 では前景 と後景 との距離がパ ノラマ に. 解釈 に従 えば,そ れは抑圧 された大衆の比喩 であ り. 於 ける実物 と絵画の よ うに ,錯 覚め いた空 間表象. また作者 の 自画像で もあることになる。戦争へ 向か う. を感 じさせる。その為前景の秋草 や蝙蝠傘やが. ,. ,. 時代 における作者 の強迫観念 と潜在意識が猫 の群衆 を. 強 く印象的 に迫 つて 来て ,後 景 が一層遠 くへ 後退. 生み出 した とい えるだろ う。 また この猫 の群衆 の 町. し,長 い 時間の持続 している夢の中で ,不 動 に静. は,西 洋憧憬 と日本回帰 の二面性 を見事 に表象 してい. 寂 しているよ うに思わねるのである。そ して この. る点 も見逃す ことがで きない。つ ま り,「 町全体が一. 幻想的な印象 にもまさ つて 物佗 しく,ロ マ ンチ ッ. つの薄い破璃 で構成 されてい る」西洋風 の美 しい街並. クに ,心 の郷愁 をそそる ことは言 う迄 もない。僕. みは,「 憑 き村」 とい う言葉 に象徴 されるように極 め. が普通の写真 に興味を持たず ,ス テ レオばか り写. て土着的な因習 の村 で もあった。外面は西洋的に繕 っ. していた理 由も此所 にある。普通の写真 は平面で. ていて も内面は土着的な日本であるとい う二重性は. あ り,二 次元の世界 しか再現 しない。故 にそねが. 西洋的モ ダ ン生活 を営みつつ 日本人である ことの呪縛 ヾ か ら解放 されない作者 の′ 亡 1生 にも符合する。. 写真的 に リア リスチ ックであね ばあるほ ど ,い よ. ,. い よ僕 の心 の 「夢」 や 「詩 」 か ら遠 ざ か つて 来 る。僕の心の ノスタルヂアは ,第 三次 元の空 間か. 5. らのみ ,幻 想的 に構成 されるか らである。. 写 真 を利 用 して 「 猫 町 」 に迫 る. ステ レオ写真 とアウ トフォーカス写真. 下 の 写真 に見 られ る よ うに,「 ス テ レオ写真 」 は. ,. 今度 は,「 写真」 を撮 る行為 を通 じて作品へ のアプ ローチを試みてみたい。なぜ 「写真」 を使 うのか。実. ス テ レオス コー プな しで は 同 じ風 景が 二 枚並 べ られて. は,萩 原朔太郎は熱心 な写真愛好家で もあ ったのだ。. き,そ の風景 は奥行 きを もった立 体像 として 浮か びあ. と りわけ「パ ノラマ写真」に凝 っていたことは今 日で. が って くる。. はよ く知 られてお り,朔 太郎 と写真 との親和性が 『猫町』 における「世界 の二重性」 とい う認識 に関連 ,. があるような気がする。. い るにす ぎない 。 しか し,器 具 を通 じてのぞ き込 む と. ス テ レオス コー プの写 真 が立体 的 に見 える理 由 は. ,. 錯覚 を利用す る仕組 み にある。人間の両眼 は左 右 に離 れて い るため ,そ れぞれの網膜 に映 る映像 はわず か に. 朔太郎が好 んだ「パ ノ ラマ写真」 (当 時 )は 別名. 異 なる こ とにな り,こ れが脳神経 に よって統 一 された. 「ステ レオ写真」 ともいい,単 眼 のカメラとは ちが っ. とき,立 体 映像が立 ち現 れる。 つ ま り,現 実 の風景 を. て,二 つの レンズ によって撮影 される写真 である。 し. 光学 的 な装置で撮影 して映像 に定着 し,さ らに光学 的. か しその映像は,プ リン トその ものを直接見るのでは. 器具 を介在 させ て覗 き見 る とい った,二 重 の現実転倒. な く,ス テ レオスコー プと呼 ばれる専用 の箱に写真 を. が ,そ こで は実際 に行 われて い るのだ。 まさ しく『猫. 差 し込 んで覗 きなが ら見 ることになる。 萩原朔太郎. 町』 な風景が ,そ こで は繰 り広 げ られて い る とい って. は,「 僕 の写真機」 とい うエ ッセイのなかで,パ ノ ラ. も過言 で はない だろ う。. マ写真 に熱中 した理由について,こ んなことを書 いて いる。. ス テ レオス コー プ を媒 介 に現 れ た風 景 は,「 実 景 」 に限 りな く近 い複製 で あ る。 しか しまた同時 に,想 起 に よって脳裏 に浮かぶ風 景 も,そ の 「実景」 とは異 な. 僕 はそのカメラを手 に して ,町 や田舎の様々の 風. る近似 の 映像 で あ る。言 い換 えれば,そ こ に出現 した. 景 を写 した。ある高原地 方で は ,秋 草 を前景 に し. 風 景 は ,現 実 世 界 に も空 想 世 界 に も属 さな い ,『 猫. て ,遠 く噴煙 している山 を写 した。ある山 間の田. 町』 的風景 なのであ る。. 舎 町では ,洋 物店の軒 にさが つた ,紅 自のだんだ らの蝙蝠 傘 を前景 に して ,人 通 りのない昼の 寂 し. ス テ レオ写真 を撮 るためには,専 用 の カメラが必 要.
(10) 甲南女子大学研究紀要第 46号. 文学 。文化編 (2010年 3月. ). 朔太郎 のステ レオ写真例 (萩 原朔太郎研究会編 『萩原朔太郎撮影写真集』 上毛新聞社. ペ ンタ ックス ・ ステ レオア ダプ ター. Dセ. ッ ト (筆 者撮. 昭和五六年四月. ). ). だ と考 え られが ちだが ,最 近 で は一 眼 レフの レンズ に. じ,内 側 に在 る もの となって しまうので あ る。通 常 は. 取 り付 けるだけで ス テ レオカメラ となるア ダプ ターが ペ ンタ ックス ・ ス テ レオア ダプ タ 市 販 されて い る。 “. 外側か らもた らされた イメー ジ と想起や予知 に よって. 3 ー Dセ ッ ト"に は,ス テ レオア ダプ ター に加 えて “. そ の経験 か ら離 れて ,記 憶 が古 くなる と,境 界線 が曖. Dイ メー ジ ビュー ワ ー"が 付 い てお り,撮 った らす ぐに ステ レオ写真体験 がで きる。仕組 み は,簡 単 で. ,. 内側 に生成 させ る イメー ジ とは混乱 しない ものだが. ,. 昧 になる こと もあ る。 「写真 」 に よつて写 し取 られた風 景 は ,ピ ン トをわ ウ トフ ォー カス),ぼ んや りと した映. 図 の よ うに一 本 の レンズで左右 の視 点 の 異 なる像 をつ. ざ とはず し. く り,そ れ を一 枚 の 画 像 の左 右 に分割 して記 録 させ. 像 にす る ことで ,独 特 な世 界 になる。あたか も脳裏 に. る。 これ をプ リ ン トア ウ トして付 属 の ステ レオ ビュー. 想起 された過去 の 映像 の よ うに,そ れは現実 と空 想 の. ア ー で覗 くと,立 体写真 が見 られ るのであ る。. 間 に浮遊す る奇妙 な映像 となる。朔太郎 は,そ う した. (ア. ピンぼ け写真 の効果 を熟知 して い たにちが い ない 。 朔太郎 の想像力 は幻視 的 イメー ジ よ り導 き出 されて. ア ウ トフォーカ ス写真 ものが 「見 える」 メカニ ズム か らす れば,現 実 と空. い る。病 的 な幻視 であ る とか ,妄 想壁 だ とも言 われ る. 想 は厳密 に区別 されて い るわけで はない 。対 象物 か ら. が ,幻 燈 や写真 を耽溺 した こ とか ら考 える と,対 人恐. 反射 した光 は眼 の レンズ (水 晶体 )を 通 り,光 に反応. 怖症 的 な傾向が見受 け られ る。 つ ま り,映 像 に惑溺 し. す る網膜 の上で 焦点 を結ぶ。網膜 は光 を電気化学 的 な. たその趣 味 の なか に,直 接 的 な身体 の接触 を回避す る. 信号 に変換 し,視 神経 を経 由 して大脳 の 後部 にあ る大. 傾向が あ る ように思 われ る。 ア ウ トフォー カスの 映像. 脳新皮質一 次視覚野 に伝 え られ る。そ こで信号が処 理. は朔太 郎 に とつて安全地帯 なの だ。. され ,単 一 の知覚 に まとめあげ られ る。 しか し「見 え る」 とい う言葉 の 意味 には,心 に浮かぶ映像 (想 起. ,. 次 に挙 げ たの は,朔 太郎が撮影 した「郷愁」 と題 さ れた ピンぼ け写真 であ る。現実 と想像 の 中間領域 とで. 予知 )と 目に見 える映像 とがあ る。 つ ま り,も のが 見. も言 うべ き世 界 に件 む朔 太郎 の 姿 が そ こに現 れ て い. える と き,そ の対 象物 は常 に人間の外側 に在 るが ,網. る。. 膜 を通過 して しま って か らは ,心 に浮 かぶ 映 像 と同. 朔太郎 の ように,セ ルフタ イマー を利用 してア ウ ト.
(11) 馬場 伸彦 :萩 原朔太郎の 『猫町』 を創造的に読むために. 73. 昔 とは違 って ,カ メラさえあれば,誰 だって写真 を 撮 る こ とはで きる。 デ ジ タル カメ ラが 普 及 して か ら は,面 倒 な現像 を行 う こ ともな く,家 庭用 の プ リ ンタ ー で 印刷 出力す る こが可能 となった。 考 えてみれば. ,. 写真 ほ ど身近 な表現 の道具 はない ので あ り,技 術書 を 読 まな くて も写 る (写 って しまう)の だか ら,最 も手 軽 で ,最 も安価 な表現 メデ イアだ とい える。 写 真 は撮 る もの で あ る と同時 に ,見 る もの で もあ る。 あ ま りに も身近 な メデ イアだか ら,こ の 点 は案外 忘 れ られが ちだ。 もう少 し積極 的 な言 い方 をすれば. ,. 写真 は,「 読 まれ る もの 」 なので あ る。 四角 く静止画像 に切 り取 られた写真 映像 の世 界 は 萩原朔太郎 アウ トフォーカス写真「郷愁」 (萩 原 朔太郎研究会編 『萩原朔太郎撮影写真集』上毛新 聞社 昭和五六年四月). ,. 映画 の よ うに動 くこ とは決 して ない 。 また連続 的 に拡 が って こ とも,あ るいは移動 して い くこと もない 。そ れは フ レーム の なか に,構 図 と して固定 され物 質化 し た記憶 の 断片 であ る。 だが ,こ の物 質化 した記憶 の 断. フ ォー カス の ポ ー トレー トを撮 影 して み よ う。 詩 人が. 片 は,写 真 を見 る者が い なければ成立 しない とい う関. 感覚 した「 郷 愁」 が そ の 映像 か ら実 感 で きれ ば しめ た. 係 にあ る。す なわち,写 真 =印 画紙 (プ リ ン ト)を 見. もの で あ る。. る こ とを通 じて ,は じめてそ こに「意味」が生 まれ る ので あ る。. Practice:. この 映像 は,も ちろん,見 る者 の網膜 を経 由 して脳. ①風景のなかに件み,わ ざとピン トをはず して写 真を撮 ってみる。. に伝 達 され ,処 理 された映像 であ る。印画 紙 (プ リ ン. ②次に同じアングルで ピン トを合わせて写真を撮 る,両 者を比べてみる。. つ くこ とになる。 写真表現 には,挿 絵 の よ うな 自由度. ③ アウ トフォーカスの 肖像写真を見ながら,「 郷. こ となんて,滅 多 にな い。 だか らとい って,あ きらめ. 愁」をテーマに話 し合 ってみる。. 6. ト)と い う物 質 は,こ こで非物 質的 なイ メ ー ジ と結 び はない。 物語 の場面 とぴった りと合 う風景 と遭遇 す る る必 要 は まった くな い。物語 に添 え られた写真 は,テ クス トの読 み と想像力 の力 を借 りて ,自 然 に結 びつい. カメラを提げて「私の猫町」を探す. て い く。 だか ら,「 猫 の い る風 景」 を探 しなが ら撮 影 す る こ とは,「 私 の 猫 町」 を「創 造す る」行為 で もあ. 『猫町』 の テクス トをもとに,今 度 は,猫 のいる町. る。. の風景 を撮影する小 さな旅に出てみてみたい と思 う。. したが つて写真 を今 回 の よ うな表現活動 に利用す る. 寺田寅彦 は「カメラをさげて」 (『 寺田寅彦随筆集第. ため には,読 み手 の 反応 を予 め想定 し,撮 影行為 に取. 三巻』岩波文庫)と い うエ ッセイのなかで「写真機 を. り組 まなければな らない 。そ して ,生 成 され る意味や. 持 って歩 くのは,生 来持 ち合わせてい る二つの 目のほ. 効果 を考 えて,映 像 を選択 した り,ト リミングを した. かに,も う一つ別な新 しい 目を持 って歩 くとい うこと. りしなけれ ばな らない のであ る。 トリ ミング とは,不. になるのである」 と述べ てい る。つ まり,カ メラをぶ. 必要 だ と思 われ る部分 を切 り取 る こ とであ る。写真 に. ら下げて,何 かに意識 して撮影することは,日 常 とは. は見 られた もの しか映 ってい ない し,そ れはなん らか. ちが う「視覚」 を手に入れる ことだと寺田はい う。. の理 由にお い て「選択 」 された映像 なのだ。写真 と. この効果 は,実 は,『 猫町』 における「私」が ,薬 物に よって方位感覚麻痺 させ ,世 界の裏側 を発見 した. は,そ の意味で世界その ものではな く,選 択 され,構 造化 された「第二の現実」なのである。. ことと,本 質的に似 た行為 とい えるのではないだろ う か。作 中の「私」 のように薬物なんかに依存 しな くて. Practice:. も,実 は,写 真 を撮 るとい う行為に よって,世 界 は も. ①路地を歩いて,猫 のいる風景の写真を撮影す. うひとつの佃1面 を見せ るのである。. る。.
(12) 74. 甲南女子大学研究紀要 第 46号. ②撮影 された写真を並べて,前 後の効果的な配置. 文学 。文化編 (2010年 3月. ). とが で きる。. 「被写界深度」 を自在に扱 うには,「 絞 り」 と「シヤ. を考えて順番を決める。 ③ 「私の猫町」 とい うタイトルで写真集にまとめ. ッタースピー ド」 の関係 を知 る必要 がある。「被写界 深度」 は絞 り込めば絞 り込むほど深 くな り,ま た被写. て み る。. ④できあがった写真集の合評会を行う。. 体 との距離が離れれば離れるほど深 くなる。 だか ら ,. 「被写界深度」 の浅 い写真 を撮 りた けれ ば,レ ンズの 絞 り値 を開放値 まで開けて,被 写体にで きるだけ寄 つ. 撮影 の ための技 法 以下 に,写 真撮影 な らびに写真加工 のためのポ イ ン. ていけば良いのである。このあた りは,日 でい うよ り も,一 眼 レフで試 してみなが ら,感 覚的 に覚 えるほう. トをい くつ か挙 げてお い た。. が早 いだろう。 広角 レンズ と望遠 レンズ カ メラの レンズは,一 見 ,人 間 の 日と同 じような気. フレームとアングル. がす る。 だが ,実 はか な りの部分 で人 間 の 日とは異 な. 「フレーム」 とは,枠 のことである。撮影 の際 に. ってい る。 第一 に,人 間 の 目に よる視 覚 は全 方位 的 で. 私たちは,カ メラのフアインダー枠 によって写す範囲. あ り,な おか つ 広角 レンズ とか望遠 レンズ とい った 区. を選択する。 この画面 を決める行為 をフレー ミングと. 別 は な い 。 人間 は ,興 味 や 関心 ,注 意 を向 け る こ と. い う。 しか し,フ レー ミングもまた,人 間の視覚には. で ,対 象 を提 え理解す るのであ る。. 存在 しない もの なのである。. ,. 風景が広 角 レンズの ように広 く見 える,被 写体が望. 目を開けて周囲を見渡 してほ しい。 どこにもフレー. 遠 レンズの よ うに拡大 されて近 くに見 える,と い うの. ム な どが存在 しない ことに気 づ くだろ う。 フ レーム. は,人 間 の視覚 には存在 しないの だ。 だか ら,広 角 レ. は,世 界 に秩序 をもた らす境 界枠 だ。枠 の なかに世界. ンズ を使用 して風景 を広 く見せ る こ とは,広 々 と した. が納め られる ことで ,写 真的世 界 は安定す る。 同時. 気持 を隠喩す る ことに なる。あ る い は,望 遠 の よ うに. に,不 必要なものはフレームの外 にツト 除 して しまえば. 近 づ くことは,凝 視 し,魅 了 されて い ることの隠喩 と. よい。. なる。 また,広 角 レンズを使 って,画 面. (フ. レーム)の な. か に何 もな い空間 を広 く取 れば,寂 真 と した感情 や孤 独 感 を表現す るこ とがで きるだろ う。反対 に,望 遠 レ ンズで部分 をク ローズ ア ップすれ ば,カ ール ・ ブ ロー スフェル トの植物写真 の よ うに思 い も寄 らな い「美」. カメラを手にす ると,“ イ 可を写すか"と い うことに 興味が向 か いが ちだが ,実 は,“ 何 を写 さない か", “どれを排除す るか"と い う「選択」が加 わることよ つて,写 真 の出来は大 きく左右 される。写真は,日 に 選 ばれた ものなのである。 「アングル」 とは被写体 に対するカメラの角度の こ とである。写真 の作画上の独 自の視点 は,先 に挙げた. を発 見す るか も しれ ない 。. 「フレーム」 と,「 アングル」 によってほとんど決定 さ れて しまう。. 絞 りと被写界深度 カメラ レンズの「絞 り」 に よる効果 は,写 真 映像 を. 上か ら俯撤 して見下ろす ように撮 ることを「ハ イア. 絵画 とは異 なった独特 の もの に変 える。 カメラは,ピ. ングル」,下 か ら見上げる仰角 を「 ロー ア ングル」 と. ン トが合 った ところ しか鮮 明 な画像 をつ くる こ とがで. い う。「ア ングル」 もまたメタファー としての機能 を. きな い か らだ。 人 間 の 日で は 5メ ー トル手前 か ら 10. 持 っている。被写体 を偉 く立派な人に見せたい ときに. メー トル奥 まで よ く見 えた として も,カ メラは そ の 領. は「 ローアングル」 で仰 ぎ見る ように撮 り,矮 小化 し. 域 の す べ て を認識す る こ とはで きな いの であ る。. たい ときには上か ら見下ろす ように「ハ イア ングル」. この ピン トが合 う幅 を 「被写 界深 度」 とい う。「 被. で撮 る。. ン トが あ う幅が広 く,浅 け. 今回のテーマ ならば,猫 の視点 とい う選択 もある。. れば, ピンポ イ ン トに しか焦点が合 わない。 ポ ー トレ. 「 ロー ア ングル」 でカメラを地面 と平行 に構 え,し か. 写 界深度」 が深 けれ ば,ピ. ー トな どで ,人 物 だけが鮮 明 に浮 き上が り,背 景が ぼ. も地面 を這 うように撮 ると面白い。. や けて い る ことが あ るだろ う。 そ うい った写真 は「被 写 界深度」 が浅 い写真 とい うわけだ。 この「被写 界深 度」 を コ ン トロールすれば,写 真 の 表現 をひろげる こ. 組写真 によるモンタージュ効果 一枚 の写真 で表現 される世界は,そ の評価 の大半 を.
(13) 馬場. 伸 彦 :萩 原朔太郎 の 『猫 町』 を創造 的 に読 むため に. 75. (作 例 )堀 野正雄 に よる組 写真 に よるモ ン ター ジュの例 。『犯罪科学』 一九三二 年 三 月号所収. 受容者 に委ねることになる。一枚 の写真 は文章の よう. て る」 とい う意味 の フラ ンス語 だ。 写真 には もともと. に統語法的に連続する ものでは ないか ら,「 である/. 時間的連続性 が感覚 されて い るので ,異 なる写真 を並. で ない」 とい ったように,「 肯定/否 定」 の区別が な. べ る ことで ,新 たな意 味が生成す る。 また,ク ローズ. い。写真は,見 る者 の感性 に直接的に訴 え,恣 意的に. ア ップ とハ イア ングル,連 続写真 と見 開 き写真 とい っ. 解釈 されるものなのだ。 しか し,複 数の写真 を組み合. た よ うに,写 真 の流 れ に変化 をつ ける こと も組写真 な. わせ ること,つ まり「組写真」にする ことで,映 像 に. らで はの もので ,モ ン ター ジ ュ効果 を利用す れば,言. ある方向性 を与えた り,運 動 を生起 させた りすること. 葉 に依存 しな くて も,そ の異化作用 に よって 強 い 印象. も可能 となる。. を与 える こ とがで きるのだ。作例 と して,掘 野正雄 の. 「組写真」は,一 枚 の写真 では表現 しきれない 内容 や物語性 を盛 り込 むことが可 能 となる。 た とえば. 組写真 を挙 げてお い た。 参考 に してみ よ う。. ,. 「私 の猫 町」 とい うテ ーマ には,最 適 な方 法 で あ ろ. 7. 結局 『猫町』 はどこにあ ったのか. う。 その制作 の過程において注意すべ きポイ ン トは,組. テクス トの最後の部分を読んでみよう。. み合 わせ 方 を時系列 に並 べ る必 要 はない とい うこ と だ。 また,空 間的連続性 に従 って並べ ることも必要な い。組写真 にはページをめ くるとい う行為が前提 とな. は,止ヒ 所 か ら新 しく始ま つて 来 る。支那の哲人荘. ってい るか ら (写 真集 を想像 して ほ しい ),必 然 的. 子 は ,か つて 夢 に胡蝶 とな り,醒 めて 自 ら怪 しみ. に,時 間的な前後感覚は,ペ ージの進行 と共に生 まれ. 言 つた。 夢の胡蝶が 自分 であるか ,今 の 自分が 自. るものなのである。. 分であるか と。 この一つの古 い謎 は ,千 古 にわた. 私 の物 語 は此所 で終 る。だ が私 の 不 思 議 な 疑 問. 写真 は組み合わされることで,映 画 のようなモ ンタ. つてだれも解 けない。錯覚 さねた宇自は ,狐 に化. ー ジュ効果が生 まれる。 モ ンター ジュ とは,「 組み立. かされた人 が見 るのか。理智の常識する 目が見 る.
(14) 76. 甲南女子大学研究紀要第 46号. 文学 ・文化編 (2010年 3月. ). のか。そもそも形而上の実在世界 は ,景 色の裏側. メー ジ を外 在 的 な世 界 の 出来事 の よ うに語 る詩 人 で あ. にあるのか表 にあるのか。だれもまた ,お そ らく. っ た。「 猫 町 」 とは そ う した 内部 心 象 と相 似 を なす 空. この謎 を解答できない。だが しか し,今 もなお私. 間であるにちがい ない。それ は表面 に看板 のように張. の記憶 に残 つているものは ,あ の不可思議な人外. り付 い た似 非西洋 の 日本 の 隠喩 で あ り,「 危機 」 と 「不安」 の なかに脆 く傍 いバ ラ ンスで成立す るメタフ. の町。窓 にも ,軒 にも ,往 来 にも ,猫 の姿 があ り あ りと映像 していた ,あ の奇怪な猫町の光景 であ る。私の生 きた知覚 は ,既 に十数年 を経た今 日で. イジックの町なのだ。 「私」 は,荘 子 は 自分が蝶 になった夢 を見たが ,日. さえも ,な おその恐 ろ しい E口 象 を再現 して ,ま ざ. 覚 めた とき,自 分が蝶 になった夢 を見た人間なのか. まざとす ぐ眼の前 に ,は つき り見 る ことができる. 人間になつた夢 を見てい る蝶 なのか分か らな くなった とい う話 を最後に引いてい る。その逸話は,冒 頭 のエ. のである。 人 は私の物語 を冷笑 して ,詩 人の病的な錯覚 で. ,. ピグラフに呼応 して接続 させる役割 を担 うと同時に ,. あ り,愚 にも つ かない妄想の幻影だ と言 う。だが. 作者 自身の精神状態 を反映 し,「 猫町」 の「メタフイ. 私 は ,た しか に猫 ばか りの住んでる町 ,猫 が人 間. ジ ックの実在」 を裏付 ける。つ ま りは,「 見 えざる本. の姿 を して ,街 路 に群集 している町を見たので あ. 質に触れ る」装置 として,近 代 日本 の「景色 の裏側」. る。理窟や議論 は どうにもあね ,宇 自の或 る何所. に 『猫町』 は存在 したのである。. かで ,私 がそねを 「見た」 とい うことほ ど ,私 に と つて 絶対不 惑 の事 実 はな い 。 あ らゆ る 多 くの 人々の ,あ らゆる嘲笑の前 に立 つて ,私 は今 もな お固 く心 に信 じている。あの裏 日本の伝説 が口碑. 使用 テ クス ト 萩 原和 朔 太郎 『猫 町. 他 十七 篇』 岩 波 文庫. 一 九 九五 年. 五月. している特殊な部落 。猫の精霊 ばか りの住んでる. 用意 す る機 材. 町が ,確 か に宇自の或 る何所か に ,必 らず実在 し. 一 眼 レフカ メ ラ ,デ ジ タル カ メ ラ ,パ ノ ラマ 写 真 用 ア ダ プ タ ー ,プ リ ン ター ,プ リ ン ト用 紙 ,ス ケ ッチ ブ ッ. ているにちがいな いとい うことを。. ク,絵 の具 な ど. 理屈や議論 ではない,そ れを「見た」 とい うことほ ど「絶対不惑 の事実 はない」 と「私」 はい う。「私」 の観念 に従えば,世 界 は幾重に重層化 して成 り立って お り,ど の層に足 を踏み入れて眺めるかに よつて,異 なる相貌 を見せ るとい うわけだ。現実 とは別の次元に 写真が伝 える「 もうひ とつ の現実」 がある よ うに. ,. 「私」 のい う「形而上」 の町 は,観 念 の世界か らみれ ば存在可能なのである。 テクス トの なかで「私」 は,「 詩人の直覚す る超常 識 の宇宙 だけが,真 のメタフイジックの実在なのだ」 と主張 している。 この「詩人」 とは朔太郎 自身を指 し ていると考えてほぼ間違 いないだろう。先に述べ たよ うに,朔 太郎は自己の内側に生起す る「形而上」のイ. 参 考 文 献 清 岡卓 行 『萩 原朔 太郎 「 猫 町」 私論 』 文藝 春 秋. 昭和 四. 六年 十 月 坪 井秀 人 『萩 原 朔 太郎 《詩 》 をひ ら く』 和 泉 書 院. 一九. 八 九年四月 那珂太郎編 『萩原朔太郎研究』 青土社 昭和 四九年六 月 平 田利晴 『萩 原朔 太郎 の 文 学』 櫻 風 社 昭和 五 六 年 十 一 月 「写 真 の学 校 」 の教 科 写 真 の 学 校 /東 京 写 真 学 園 監 修 『 書』 雷鳥社 平 成十六年 九 月 萩 原朔 太郎研 究 会 編 『萩 原 朔 太 郎撮 影 写真 集』 上 毛 新 聞 昭和五六年 四 月 金井英津子 『猫 町』 パ ロル舎 社. 一 九九七年十 一 月.
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