<論文>戦後経済学論争の頂点 : 平瀬・白杉論争の
回顧と展望
著者
松田 弘三
著者別名
Matsuda Kozo
雑誌名
経営論集
巻
9
ページ
1-27
発行年
1978-03-20
URL
http://id.nii.ac.jp/1060/00005868/
Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja戦 後 経 済 学 論争 の頂 点
一 平 瀬・白杉論争の回顧と展望松m
弘
一 一 一 1 1 わたし ま, 原 初的 に は1956 年 か ら1961 年 まで,わ が国 の創 造的 な 科学的 経 済学者であ る平瀬 巳之 吉 教 授と故 白杉 庄一 郎博士 と のお い た で戦 わ され,モ の後他 の諸論者 も加 わ って今 のところ昨l977 年 まで展 開 され てきた , 独占利 潤 ・独占 価格 の本質 に か んす る論争を , す くな くと も戦 後 の経 済学 論争 の頂 点 であ り,最重 要 な論 争と みな す ものであ る。 そ の理 由は ひ と く ち に い え ば ,独占利 潤 ・独 占価 格が こ んに ち の独占資本 主義 の基 礎範 時を な すも ので あ るに もか かわ らず ,そ れ がそ れ まで ま った く理解 され ない か , または まっ た く誤 って歪 曲して主 張 され て きた か ら で あ る に ういう歪曲は形はちがうが 今日でもいぜんとして横行しているが;。 わた しは もと より,1961 年(同年白杉庄 一郎博士は急逝された)まで の平 瀬 ・白 杉 論争に よって問 題 が解 決 され たな ど といお うとす る も のでは な く,む しろ逆に 独占 資本主 義 体 制の終 焉を 予 告 し ている よ うに 右お もねれ る深 刻 の恐 慌とイ ンフレーシ ョンの同時 進行 のた だ 中 で,体 制変革 の論 理 と して の独占 理論 のはかば か しい 発展 が みられ ない の を 心淋 し くお も うも のであ る。 本稿 は この よ うな問題 意 識の もとに ,原点 に たちもど って まず平 瀬 ・白 杉 論争 の論 評を お こなお うと す る ものであ る。 2 レー ニンの 『資本 主 義 の最 高 の段 階 と して の帝国主義 』(1916年春執筆)は, マルクスの『資 本論 』以 後に おけ る, 帝国主義 の段階に おけ る マル クス経済 学 の発展 の金字 塔 であ っ た。 レ ーニンは,「 帝国主義 と は, 独 占体 と金 融資 本 との支配 が成 立 して, 資本 輸 出が顕 著 な重 要性を 獲得 し,国 際的 ト ラス ト に よる世 界の分 割 がはじ ま り, かつ 最強 の資本主 義諸 国に よる地 球上 のい っ2 さい の領 土 の分 割 が完了 した ,そ うい う階 級 の資 本主義 であ る。」(『レーニン 全集丿 第22巻253頁』とい い ,さらに 「 もし 帝国主義 ので き る だ け 簡 単な定義 を あ たえ なけ れば ならない と した ら, 帝国主 義 とは 資本 主義 の独占的 段階で あ る, とい うべ きであろ ‰ 」胴 上)としな がら , 彼 の研 究 に は こ の独占の 経 済理論的 分析 が欠げ てい る。 した がっ て レ ーニン の『 帝国 主義論 』は事実 分 析 の書 であ って理論 の書 ではない。 呼 瀬 巳之吉 『独占資本主義の経済理論』46 頁参照) 帝国 主義を そ のもっ とも弱い 二環 に おい て 打ち破 る ことを 課題 と した レ ーニ ンの時 代に はそ れで よか った のか も しれない 。 しか し今 もはや 資 本 主 義 は世 界 の半ば 余 りを 占 めてい るに すぎぬ とはいえ そ の うち の先進独 占 資本 主義 国 のす べてに おい て,そ の形 態 は ともあ れ, 体 制変 革 が日程に 上っ てい る とき ,わ れわ れは 独占 理論を うち鍛え ね ば ならな い。し うまでもな く 独 占 理論 は反 独 占 の理論であ り,体制変 革 の理 論 な ので あ る。 こ のことを 瞬 刻 元 忘 却 しては なら ない。 ノ3 ツ 連 邦に おい ては社 会主 義 の建設 が成 功的 に 進む な か で,独 占資 本主義 の 理 論的 研 究 も行 わ れ,そ の一成 果と して セレ ブ リヤ ¬ コフ の『独 占資本 と物 価 』(原著1935年邦訳1937年)も出 版された 。セ レブ リ ヤ ーコ プは ,独占 の 目的は 超 過利潤 の 獲 得にあ ると し,独占 資本家 が 手に 入れ る超 過利 潤は,R 労 働者階 級 の実 質 賃銀0 切丿 下げ , ③他 の資 本家 の利 潤(剰余価値)の 再 分 配, ③植 民 地収 奪 であ る , としてい るが,そ の核心は 明ら かに 剰 余価値 再分 配説であ る。平 瀬 巳之 吉教 授は , セ ンブ リヤ ーコプ が同時 に 「一 般物 価騰 貴」を 説い て い る のを と らえ てに 価 値 の総 わくが与 え ら れてい て,そ の中 で剰余 価値 の 分 配 替え が お こ なわ れるだけ だ のに , ど う七 て価 格 の総 額 がふ くれ工 る めだ ろ うか。 … … これは 自己 矛 盾 とい うほ か あ る ま い 。」(『独占分析り型と批判』1975 年2 月23頁)と されてい る が,そ れはた し かに モ の とお り で あ る。 しか し後 掲 の『独 占 資本 主義 の経 済理論 』 の ようなや り方で 価 格を ふ くら ませる こ とに は, 到 底 賛成 しがたい 。 4 ナチス・ドイ ツの侵略を撃退し,大祖国戦争に 勝利噺おさめてのも,ソ連
戦後経済学論争の頂点3 判 に おけ る社会 主義 建設 が さらに 一段 と前 進 した ころ , 当時 絶対的 権威を か っていた スタ ー リンの 『 ソ連 邦に おけ る社 会主義 の 経 済的 諸問題J (1952年 ) が 発表 された 。 そ のな かにう ぎ の よ うに述 べ られ て い る。「現代資 本主義 の基本的 経済法 則 の主要 な 諸特 徴 と諸要 求 とは, おお よそ つ ぎの よ うに 定式 化 す ることが で き よう。 すな わ ち,そ の国 の住 民 の大部分 を搾 取 し, 零 落 させ ,貧 困化 させ ることに よっ てに 他 の諸 国と くに後 進諸国 の人民を 債 務 奴隷化 し,系 統的 に 強 奪す ることに よっ て,最 後には ,最 高 の利 潤を 確保 す るため に利 用 され る 戦 争と国民 経 済 の軍 事化 とに よっ て,最大限 の資 本主 義 的 利 潤を 確保す るこ とであ る, と。」 川 訳国民文庫版48頁)と。 こ れが スタ ーV ン のい わゆ る「 最 大 限利潤 の法 則」 な のであ る。 これを読 ん で ア ッケに とら れる ことは ,独占 資本が 自己 の生産 過 程に おい て 労働者階 級 から 搾取 す る剰 余価値 につい てひ とこ と もふ れら れ てい ない こ とであ る。 そ れは一 国 の 住民 の大部 分 の搾 取,零 落化 ,貧 困化 と完 全に 混同 さ れ,同一 視 さ れ てい る。 マル クスの剰 余価値学 説は い ったい どこ へい っ て し まった のか。 そ れ どころ か階 級 の区 別 さえ さ だかで は ない。 そ して後進諸 国人民 の債務 奴隷 化 ,系 統的 強 奪とい った 帝国主 義的 収 奪に重 点 がおか れ, 最 後に戦 争 と国民 経 済 の軍 事 化か ら最 高の利 潤を 確保 す ると され てい るが , 戦 争そ のもo からい ったい い かな る利 潤が 得 られ るのか。 戦 時 経済 からでは な い のか。 これは ,数 百 万人 の大 部分 は 無事 の人 民 と外 国人を ふ くれ多 数 の誠 実な共 産 党員 とを 殺 害 した と伝え ら れ るい わゆ る「大 粛正」 な る 政治的 な 最大 の犯 罪 に匹敵す る , スタ ー1) ンの理 論的 な最大 の誤 謬であ る。 しか るに このいわ ゆ る「 スタ ーリ ン論 文上 が 発表 さ れ,翻訳 された ころ の ,わ が国 の マル クス 学 者のほ とん どす べ ての 態度は ,無 条件的 迎 合であ った 。 そ の実 例は枚 挙に い とまがない が ,と くに岩 波 書店 の 『日本資本 主義講 座 』に おい て消 しがた い 大きな汚点 を 残 してい る。 ト しか し良心的 な学者 が なか っ/たお け ではない 。そ のこ ろ わた しは 前任 校立 命 館大学 で『資 本 論』 の翻訳 の最 高権威 であ る長谷 部文 雄 氏を 迎え て数人 の 教 員 とともに プ ライベ ー トな研 究会を もった 。 長谷部氏 は, 翻 訳さ れたばか り の「ス タ ーリ ン論文 」を と りあ げ られ, 逐一 詳細に ス タ ー リンを 論 駁 され
4 た のち , 最後に 「 もしも こんな もの が経 済学な ら ,自分 は 経済学 者 を 廃 め る !」 と断 言 さ れた 。わ た しは 心 から の拍 手を 送 った 。 こ れ が犯 狐を ざわ めヽ る御 用学 者た ちにたい す る科学 的 経済学 者 の生 の声 だった のだ。 当時 スター リン の政治的 権 威は 日本共 産党を も支 配 してい た。( スター \)ンの影響の克服は1956 年のフルシチョフの批判によってようやくなしとげた。)プ ライ ベ ー ト な 研 究 会 とは い え, も しも長谷 部氏 の発言 が 日本共 産 党に きこ えた ら ,反 党 分子(ひ 熔 印を 押 され ることは 確実 だった ろ う。 い ま改め て長 谷部 文 雄 氏 の学 問的良 心 と学 問的 勇気 とにたい して心 から の敬 意を 表 す る。 もっ とも悪 し き謬論 乱 とき として 良き論 争 のき っかけ とな るこ とか お り‥ うる。 わが独 占理 論論争 のばあい が正に そ うであ って ,そ れは 明ら かに「 ス タ ー リン論文」 を め ぐる論 議か ら出発 し てい るの であ る。 し かも社 会主義国 た ると資 本主 義 国たる とを 問 わず諸 外 国に おい て, こ れ以後 独 占利潤 ・独占 価 格の 本質に か んする 議論 がおこ なわ れた こ とは 一 切知 ら ない から ,わ が屏 は こ の 亀つと も今 甘的 な 経済理論 の研究に おい て唯一 の国で あ るとい って 七 過言で は なから り。 5 独 占 理論論争 の先駆者 は平瀬巳 之 吉教 授 であ る。そ のい わ ば前 作『経 済学 の古典 と近 代士は , ス ター リンの権威 な お地に 堕ち ざる1954 年6 月に 刊行 さ れた 。 こ の書物そ のものは 広義 の古 典経 済学を 論 理的に 厳密 かつ詳 細に諸 命 題に 整 序 した ものであ って ,わた しも経 済学 史研究 にあ た っ て多 くの教えを えた( 拙稿『科学的経済学の成立過程』1959年のとくに第1 章)も の で あ る。だl 耽 そ の序 章と 結章に は, 明らかに ス タ ー1] ンの影 響 が見受け られる。 す な わ ち,序 章では ,現 行「資 本 論」 体系 全 体 ごの み な ら ず 「 古 典 」 経 済 学 を ,「 資本一 般」 の論 理 体系 と規定 し , 資 本一 般 の論 理 では把 握し えない「「 本来 的 独占価 格」 の理論的 解 決 こそ ,ス タ ーリ ン『 社会 主義 の理論 的 諸 問 題 』に おけ る最大 限利 潤 の問題 提 起に 照 応す る理 論的 回答 であ ろ うと 私 は 自覚 す る。」イ7 頁) とされ ,結章 は「『資 本一 般i(o 彼 岸一 平 均利潤 の 体系 から 最大限 利潤 の体系 へ』と題 さ れて ,通常 の独 占 価格は 剰余価 値 の再 分 配に よって生 ず る仏 丁本来 的独 占価 格」 は ,価値に よっ て も生 産価 格に ょっ て も決定 さ れない で ,買 手の 欲望 と支払 能 力とに よって 決定 され る(cf,
戦後経済学論争の頂点5BasKapital,Bd.1.Abs.vlKap.45 つ。 しか し , マ ル ク ス は こ の 本 来 的 独 占 価 格を 「 競 争 論 の 領 域 」 に 追 放 し てい る 。 そ れ を 平 瀬 教 授は 「 貨 幣 」 と い う 鍵 を も っ て 解 こ うと す る 。 か く し て い う。「い まや , 過 剰 生 産 と 独 占 と の 歴 史 的 段 階 で 最 大 限 利 潤 法 則 が 平 均 利 潤 法 則 に 代 位 す る 。」(405 頁) と。 こ の よ うな 問 題 意 識 を も っ て , 平 瀬 教 授は 自己 の 積 極 的 な 独 占 理 論 の 構 築 に と り か か る の で あ る。 6 か くして平 瀬巳之 吉 教授 の理 論 の書 た る『 独占 資 本主義 の経 済理 論』(1959 年3 月)が 出現 する。 本 書の主 要 内容に つい ては , 白 杉 庄一 郎博士 の『独 占 理論の研究 』(1961年4 月)の第 二 章 「 異説 と批判 に答 え て」 の第一 節「独 占 資 本主義 と価値 法則」 お よび第 二 節「 独占資 本主 義 と利潤 率均 等化 の法則 」 に おい て詳 細かつ鋭 利 な批 判 かお る拡 わた しはでき うるか ぎ りそ れに とら わ れ るこ と な く, 自分 の眼 で読 み直 し , 自分 の頭 で考 え直 し て, こ の平瀬 理 論を わた しな りに論 評す る よ うに 努 めたい 。 まず「 は しが き」 のなかに 現 在 のわた し の問題 意識 の先 駆と もい うべ き も の かお る。 い う。「経 済学 は 現実 と対 決す べき であ る し, 経 済学 者は 現実 と 対 決し よ うと する心 が まえ 現実 感覚 を 失 って はな らぬ。 しか し何 か いったい現実だろ う?- ひ とくちに現実とい っても,19世紀的 現実はもは や20 世紀的 現実ではあ りえない。自由資本主義と独占資本主義とは,歴史的 条 件から かうだけ,ちがう。経験科学であ る経済学の認識対象としての現実 からかうのだから,対象認識の手法 もまたおのずから ちがわねばならぬ。わ 几くしが,本書で終始,自由主義時代を特徴づけ る資本一般の論理と独占資 本 主義の論 理と,二段がまえで進んだゆえんである。」(5 頁)しかしこ うい う立場は,「資本一般の論理が, どのような段階であろ うと, 資本主義であ るかぎりは通用する普遍的原理だと考える人々からは,す さまじい反撃を う け るであろ うこともかねて覚悟の前であ る。」(6 頁)まことに今日 な お『資 本 論』の註釈をもって「経済原論」となすマルクス経済学者のなんと多い こ とか。たしかに『資本論』は不滅の書物であるかもしれないが,それが書か れたのは自由競争にもとづく産業資本主義の頂点たる186,70年代であ る。そ れ から資本主義は,金融資本の支配する独占資本主義へ,さらにそのなかで
6 も両家 独占資本主義へと,本質的に変質し,今やその制御さえも利かないい わゆるスタグフレーシ ョンに陥って,いわば死の床に 横た わるに至った。そ こでわれわれは,平瀬教授が新しい理論体系を構想された段階 よりは さらに 一段と進 んだ,この体制的危機の時代にふさわしい新しい経済理論体系を構 築せねばならない。わたし まそれを『独占と恐慌の理論』と七 て構想してい るものである。 7 さ て,平 瀬巳之 吉 教 授の本 論 の 一 であ る「 第一 部 資 本一 般 の価値 法則 とそ の現 代的変 質」 に 入ろ う。 い うまで もな く, 問題ぱ そ の「 第二 章 現代 資 本 主義 の価値 法則」 にあ るが,そ の まえに必 要 なか ぎ り「第 一章 資本一 般 の価 値 法則」に ふ れ ておこ う。 教 授 が「資 本一般 」 と よば れる のはす べて 産業 資 本主義 のご とであ る。 教授 もい う計産業 資 本 のみ が資 本一 般であ るむ (39頁)と。 \ 平瀬 教 授に ょれば ,「単 純 商品 の価 値 法則」は ,「商 品 の価値は ,そ れを生 産す るに 必要 な労 働時 間で 決定 され 尺度 される。」(63 頁)とい うこ とで あ る。 こ れに対 して,「 資 本一 般 の価値法 則」 は,「商 品 の価値 はそれを 生産す るの に 社会的 に必 要 な平均 労 働時間 に よっ て決定 さ れ 尺度さ れ る。」( 同上)とい うこ とで なげ れ ば ならぬ。 そ れで はな ぜ平 均 労働時 間に より決定 され ね ばな らぬ か。 労 働者 が より不 利 な生 産部門 から 流 出し , より有利 な生産部 門に 流 入す るから であ る。 しか しこの 点はす でに 白 杉庄一 郎 博士に よっ て批判 済 みであ る よ うに ,資 本主 義ユ を 前 提す るか ぎ り,「 価値 の 運動 の担当者は , 労 働者で は な くて, 資 本家 で なけれ ば ならない 。」(白杉庄一郎『独占理論の研究J87 頁)か ら, 正 し く な い 説 明であ る。 と もか く平 瀬 教 授に あ っ ては ,「こ の よ うな 運動機 構 があ っ ては じめ て 価 館 論に おけ る一 物 一価法 則 がで きあ がる。上( 上点引用首)「 以上 の運動法則 を “平 均化 原理” と よんでお こ う。」(67頁) 「平 均化 原 理には ,論 理的 であ る と同時 に歴 史的 で もあ る条 件( 基礎範躊) が 二 つ 完全 競 争お よび 完全 雇用 と,たんに論 理技術的なだけ の条件 つご う四つの条件が必要であ る。」 が二つ 一 静 態お よび 長期平 均一 と,
戦後経済学論争の頂点7 (同上)平 瀬 教 授 の 論 述 は お そ ろ し く論 理 学 的 であ る が , と も か く 重 要 だ と さ れ る二 つ の 基 礎 範 時 だ け で も 簡 単 に 観 て お こ う。8 「 完 全 競 争 」 と い う用 語 は ,J ・= ビ ン ソ ン『不 完 全 競 争 の 経 済 学 』(1933 年) か ら と ら れ た も の だ が , 歴 史 的 概 念 であ る 自 由 競 争 と い う 用 語 を 避 げ て ,ト ち じ る し く論 理 学 的 な 響 のあ る 完 全 競 争 とい う用 語 を 用 い ら れ るあ た り, い か に も平 瀬 教 授 ら し い と お もね れ る。 し か も独 占 資 本 主 義 の も と で は 正 当 に も歴 史 的 概 念 で あ る 「 独 占 的 競 争 」 に れはチ ェンバ リン 『独占的競 争の理 論』1933 年 の用語 と一致する 。) とい う用 語 が 用い ら れ て い る の で あ る 。 さ て こ の 「 完 全 競 争 そ の も の の 諸 条 件 」 は ,「第 一 労 働 の 可 動 性 お よ び 互換性 そ うだ であ る 摩 擦 の無視」。 こ こで もさき の白杉 博士 の批 判に 準 じ てい え ば , 支 配的 とい っ て も よ さ 労 働の可動性 よりも資本 の 可動 性が問 題な ので はない か 。 「第二 新参 加 の自 由一 競争 条 件の完 全平等」 こ こで先 廻 りを して一 言 し ておけ ば, こ の新 参 加の 自由 の阻 害とい う点 のみを とらえ て独 占 価格論を 組 み立 てる のが ,イ タ リアの ブルジ ョアめ経 済学者シ ロス ーラビ ー ニの 理論( 『寡占と技術進歩』1962年) を そ っ く りそ の まま直 輸入 し て,近 来 わが 国 のエ セ 「 マル クス経 済学 者」 だも のお い た で大 流行 の 「参入阻 止価 格論」(本間要一郎『競争と独占』1974年1 月) で あ り, であ る。 こ れを もっ て ,こ の独占理 論論争 のそ の後に おけ る変 質 さらに 愚劣 であ る と と も に 危険 な「 参入 梗塞的 価 格論 」(北原勇『独占資本主 義の理論J1977 年1 月)- わ たし がこ れを 「 危険」 だ とい うのは,1974 年以 来つづい てい る深刻 な恐 慌 と激 しい イ ンフ レとの併 存 のも とで 金融資 本 のと りうる唯一 の道 として のネ オ・ フ ァシ ズ ムのイデ オ9 ギーの臭い がす るか ら と堕落の略述とする。 「第三 完全 市場知識」 「第四 消費者選好○無視」 「第五 個別的需給の極微量一 原始的 需給者の存在」 平瀬教授は歴史的概念を 論理学的条件に変える名手だが,読む方は砂を噛 む思い がする。 も少し辛抱しよう。 9 基礎範時の二は「安全雇用」であ る。この用語がヶインズに由来す ること
S い まさらい うまで もない 。 つい で なが ら,平 瀬教 授は ロビ ン ソン, チェ ソ バ リソ, ケイ ン ズ(『一般理論』1936年)に 「 現代経 済学 」 の 起点を 見 出 さ れ る 。 前二 者は さてお き, ケイ ンズのこ の書物 が国家 独 占 資本 主義 の イデ オロ ギ ーの全 き 体現 物であ るば か りか , そ の理論 的中 軸を な す 「乗数 理論 」 が 完全 な 間違い で あ ること が証 明 さ れ た(v ・パーロ『不安定な経済』原pp.117 ∼118)今 日,平 瀬 教授 のい う「現代 経 済学」 とは 「現代 ブルジ ョ ア 俗 流 的 弁 護論」 のこ とに ほかな らない こと が明 白に な った。 し か も結構 な こ とに, こ の 俗流経 済学 の極 致には 起点は あ って 乱 な んら の発展 もな く,今 や金融 資 本 の支配 す る独占 資本 主義 とと もに そ の終点を 迎え よ うとし てい るのであ る 。 さて 本論に 帰 っ て,平 瀬教授 のい う完全 雇用 とは 諸資 源す な わち 労働 と資 本 設 備 の過 剰 のない状 態 のこ とであ るが,い まは 資 本設 備 の過 剰は 問題でな く,労 働 の過剰 供給 さえ なけ れ ば よい とい うのであ る。 な ぜか。平 均労 働時 間に よる価値 規定が有効に成立しうるためには労働の超過供給が 平瀬教授の「論理技術的条件」一 静態,長 期平 均 式 論理学的な ので列挙するにとどめる。 す なわ ち 失業 が存 在 しない とい うこ とが不 可欠 の一 要 件で あ っ た(88頁)。 も ち ろ ん現 実に は失 業者 が一 人 もい ない 階級社 会な ど,こ れ まで にな かった。現 実 の資 本主 義社 会で ぱ 定常的 失業 率” とい われ るべ き も のがあ って ,そ れ を こえ ない か ぎ りは 完 全雇用状 態 として 想定さ れ る(同上)。 経 済学史を ふ りかえ れば,18 世 紀末ない し19 世 紀初頭 の補 償説。V 十M の ド グマ。 販路 説。「 以上 の ような根 拠に もとづ い て, 完 全雇 用論 は産業 革命 段 階 で成立 した 。資 本一 般 の基礎 範時 となった ゆえ んであ る。」(94 頁) の方は あ ま りに形 10 さてい よい よ「第二章 現代資本主義の価値法則」である。 今や,「資本 一 般の基礎範時は,もはや現実分析のための有効な武器ではあ り え な く な る。代わって独占的競争お よび不完全競争が現代独占資 本主義の基礎範暖と な る。い うまでもなく,このような基礎範孵のうえでは ,資本一般の価値法 則は成立しえない。平均労働時間に よる価値規定は変質する。」(124頁) 「モ れならば,現代の競争を 七て独占的ならしめる諸条件は何か?」
「第 一 摩 擦 労働 の可動 性, 互換 性 , 戦 後経 済 学 論 争 の 頂 点9 新 参 加 は 阻 害 す る 諸 条 件 」 「日 技術的阻害因子」 機械制生産の進展 が,一方で労働質に無関心ならし めながら,他方で機械 の生産と操作に熟練労働を必要ならしめたことは事実 である。かくして一 方 では失業をたえず大量につくりだ し な が ら,他方では熟練労働の不足が生 じる。か くして,労働の可動性,互換性,新参加が阻害 されることになる(126 ∼128頁)。 「昌 社会的阻害因子」 本来独占的供給者であ るはずの熟練労働者が精密機 械と膨大な固定資本と を もつ大企業の附属物として,こんにち独占資本によってもっぱ ら選好され る。こうな ると技術的摩擦因子は社会的摩擦因子に転化 す る。(130頁)そ の ほか労働者個人の政治的立場ないしイデオl=1ギーが,新参加を阻害する因子 となることがある。(131頁) 「第二 マス ・コ ミュニ ケ ーシ ョン 市場知識の偏向,消費者選好の創 造 ,原子的 需 給者 の分解」 この項 目は労 働 より も商 品に つい て じかにあ ては まる。 こ んに ちほ ど マス ・コ ミュニケ ーシ ョンが 発達 す ると ,大 衆 の市場知 識を偏 向させ る とい う効果を さえ もつ。 独 占企 業 と消 費 者との 特別 な結びっ きが生 じ, 消費者 選好 が強 制され る。 こ うな ると ,独 占 企業は もはや 原始的 供給者 の一 構成 分 子で はあ りえな く, 消 費者 も原 始的 需 要者そ の ものではあ りえない。C133∼134亘)「そ うな る と,諸 企業 の 供給す る商品に つ き一物一 価 が 成立す るこ とは もはや でき な くなる。」(134頁) かくして平 瀬教 授の 現代資 本主義 の価値 法 則 が示 され るこ と に な る。い う。「 現代 資本 主義 の価値 法則 といえ ば , 商 品 の価値 は その生 産に 必要な個 別 的労 働時 間に よって決定 さ れる, と 考え る以 外に は理 論的 に も経 験的 に も 解 決の道 はあ りえ ない よ うに お もね れ る。 個別 的 労働時 間とは ,直接 労働 と 間接労働 と の時 間総 計,価値 公式 でい え ばW =(A 十Z/N 十S ) 労 働時間 で あ る。」(137∼138頁)い った いこ んな ことを い うた めに 今 まで の長 々 と し た 議論が展開 され てき たのか。 個別 的 労働 時間 で 決定 され る よ うな ものが価値 な のか。あ っ さ り価 格だ とおっ し ゃった 方 が よい のでは ない か。 と もか く教 授 はい う。「 独占 資本は 資本一 般 の退廃 化 の様 相 であ る ……。 こ うし て, 現 代 資本主義 の価値 法則 は,資 本一 般 の価値 法則 の退廃 の 過程 とし てあ らわ れ
10 る。」(139頁) 現代 独占資 本 主義 の順 廃化を 強 調す るこ とは 正しい 。 こ の点 わ た し は あ とで 紹介す る白杉 庄一 郎博士 とは 見解を 異にす る。 な ぜか。 こ の最 も重要 な 論点を こ こで 少 しで も出 してし まうのは 惜 しい が ,や む を え ない か らい っ て しまお う。白 杉博 士が そ の主著 『独占 理論 の研 究 』の公 刊を 準備 さ れっつ あ った1960 年 は1955 年 に は じ まり足かけ19 年つづ いた 日本資 本 主義 の超高度 成 長期 の初期 であ った 。 だか らこそ 白杉 博士は一面 で現 代独 占 資本 主義 の頑 廃化を みとめ ら れな がら ,他面 でそ れが社 会 の生 産力を 発展 さ せ るとい う進 歩性を 強 調さ れ るこ とが できた のであ る。 しか し時 代は 移 り様 相は変お った 。1971 年8 月 の トイレシ ョ ックに よっ て手痛い 打撃を受 けた 日本 独 占資 本 主義は ,1973 年 秋以降 の オイ ルシ ョ ックに よっ て致命的 打撃を受 け た 。73 年 末 から74 年 に かけ て消費 者物 価33 %騰 貴 の「 狂乱物価」。1974年 か ら現 在(1978年5 月) までつ づい てい る第二 次世 界大 戦後 最大 の恐 慌 とイ ンフ レ ーシ ョンの併存。 こ れは も う金融 資 本 の支配 す る独占資 本 主義 が 「最後を とげ る ,そ の終 局を 特徴づけ る恐 慌 」『久留間鮫造Fマルクス経済学レキシコン』の栞No.82 頁)ではな い だろ うか。 た だ しい ま問題 な のは 日本だけ であ り,そ れ もす ぐに 社会 主義 への 体制変革 が では な くて資 本 主義 の枠 の内で経 済の民 主 的改 革を な し とげ るこ とが問題 な のだが。 ともか く白 杉博士 の独占資 本 主義 の 内面 的分 析は の ちに そ の一 端を 見 る よ うに平 瀬 教 授のそれ よりもは るかに 深 遠 であ る し,平 瀬 教 授の よ うに 「 現代 独 占資 本 主義 の退廃」 一天 張 りはた しかに 皮 相ではあ るけ れ ど も,も し も万 一 白杉 庄一 郎博士 が今 日存命 であ ると した ら,果 して 「現代 独占資 本 主義 の進 歩性」 を 説 かれ るこ とがで きた であ ろ うか。 白杉博 士は そ んな非 現 実的 な学 者では ない とわた しは お も う。 白 杉博 士に ようて創 始 さ れた 「独 占的 剰 余価 値論」 とい う独占利潤 ・独占 価 格の 基礎 理論は ,唯 一 の生産 論的 独 占利潤 論 として , まさに 科学 的な 独占 理 論 の基礎を 築い た も の であ り,そ の 功績は い くら讃 え て も讃 えき れない。 し かし こ の理論 もい ま, そ の礎石は 確保 しつつ 大 き く転 換 せ ねば なら ぬ時期に さ しか かっ てい るのて はない だろ うか。 微 力 のか ぎ りを 尽 くし てこの 課 題を 果 すべ く, 遠か らず 不独 占理 論の 発展 のた めに 」 と題 す る論文 を公 表 した い と念 願 してい る所以 であ る。 平 瀬 教 授の所 説に も どろ う。「こ うして一物 一価 法則 は 崩 壊 した。 ただ し,
戦 後経 済 学論 争 の頂点11 こ ん に ち で も 重 要 物 資 に つ い て は 一 物 一 価 が な り た っ て い る よ う に み え る 部 面 が な く は な い 。 し か し こ の ば あ い の 一 物 一 価 と は , 一 物 一 価 値 で は な く て 一 物 一 価 格 で あ る 。」(141 頁 ) だ か ら や は り 価 格 だ っ た の だ 。そ し て 独 占 価 格 は 価 値 法 則 に よ っ て は 規 制 さ れ な い と い う こ と に な る 。 し か し つ ぎ の 発 言 は 重 要 だ 。 「 独 占 資 本 主 義 の 段 階 , お け て 国 家 独 占 資 本 主 義 の 段 階 で は , 価 値 論 は 価 格 論 の 前 提 ま た 説 明 原 理 と し て は あ ま り 役 に た た な い 。 … … 価 値 論 を 価 格 論 の 前 提 ま た は 説 明 原 理 と し て の み み よ う と す る と , と か く 価 値 論 は メ タ フ ィ ジ ー ク 化 し , 価 値 論 無 用 論 の 論 拠 と も な り か ね な い 。 最 近 , そ う い っ た 意 味 で の “ 価 値 論 イ ジ リ ” の 伝 統 的 態 度 へ の 反 省 が も た れ , 価 値 論 は た ん に ● ●OOOOOOO 価 格 論 の た め に の み あ る の で は な く て 体 制 認 識 の 原 理 で こ そ な け れ ば な ら ぬ ゆ え ん が 確 認 さ れ は じ め た の は , 喜 ば し い 。」(141 ヤ142 頁・点 引 用 者 ) こ れ は 基 本 的 に 正 し い 見 解 で あ る 。 し か し な が ら , 価 値 は 資 本 主 義 社 会 の も っ と も 基 礎 的 な 生 産 関 係 た る 商 品 生 産 関 係 を 表 現 す る 範 孵 で あ り , ま た 価 値 法 則 は 資 本 制 的 な も ろ も ろ の 生 産 関 係 の も と に お い て 貫 徹 す る か ら , し た が っ て 価 値 論 は 資 本 主 義 体 制 認 識 の 原 理 な の で は な い か 。 す な わ ち 産 業 資 本 主 義 に お い て は 生 産 価 格 も 市 場 価 格 も 価 値 の 変 容 形 態 に ほ か な ら な か っ た 。 現 代 独 占 資 本 主 義 に お い て , も し も 後 段 で 平 瀬 教 授 が 主 張 さ れ て い る よ う に , 独 占 価 格 は 価 値 と は ま っ た く 無 関 係 に 独 占 資 本 に よ っ て 恣 意 的 に 指 令 さ れ る も の な ら ば , こ ん に ち 価 値 論 は ま っ た く 無 用 で あ ろ う 。 わ れ わ れ は こ れ と は 正 反 対 に , 独 占 価 格 も 法 則 的 な も の す な わ ち 究 極 的 に は 価 値 法 則 に よ っ て 規 制 さ れ る 循 の と 考 え る 。 平 瀬 教 授 の よ う に 考 え る な ら ば , 価 値 論 は 現 代 独 占 資 本 主 義 体 制 認 識 の 原 理 で は な い と こ そ い わ ね ば な る ま い 。 ど う や ら 教 授 は ジ レ ム マ に 陥 ら れ た よ う で あ る 。 以 上 を も っ て , 平 瀬 教 授 の 「 第 一 部 資 本 一 般 の 価 値 法 則 と そ の 現 代 的 変 質 」 を 終 わ る 。 11 つぎに, これに たい す る白 杉 庄一 郎博 士 の批判 「 独占 資本主 義 と 価 値 法 則 」(『独占理論の研究』第二章第一節)の要点を み て ゆ こ ‰ 白 杉 博士は 冒頭 に おい て,「価 値論 の現 代的 課題 は そ の 理論 の現代 独占 資本 主義 への 適 用 を 工 夫す るこ とだ」 とい う ミーク のこ とばを 肯定的 に 引用 し,「 し か し独占資
12 本主義のもとでの価値法則の理論化はまだ達成されていない。」 そして 「理 論 のこの空隙は,独占資本主義のもとでは価値法則はまった く妥当性を もた ない とす るような理論」い うまでもな くい ま紹介したばかりの平瀬教授の労 作「を生みだすに至った。」(83頁)とされる。 白杉博士 の偉大さは,この21 ペ ージ の節のなかで,たんに平瀬教授の謬見を論破したばか りでなく,大筋 において見事に独占資本主義のもとでの価値法則の理論化を 達成され祀こと であ る。それは追々みてゆくことにし よう。 ・。 い う。平瀬「 教授は,独占段階においては一物一価法則がが受当しなくな る」とい うが,「独占資本主義のもとでの価値法則のいわ れる ような崩壊はあ りえなIヽ‥…・。それどころか,教授の理論を検討してみれば ,それを手がか りとして,む しろ反対に,独占資本主義のもとでの価値法則につい ての積極 的 な認識に到達することができさえするように思わ れ る。」(84頁)独占資本 主義 のもとでの価値法則否定論を肥にして,この価値法則の理論化を 達成し よ うと す る , こ れ こそ実 りあ る科 学的 論争 とい うべ き で はあ る まい か。 具体的にはあ とで述べる。 白杉博土はい う。「独占段階に入ると, 産業予備軍の固定化, 高級労働力 の 選好など,労働者の移動を阻止する新しい事情の加わ ってくることは事実 であ る。しかし,このことが価値規定の貫徹に影響をもつ と社 考 え ら れ な い。平瀬 教授は,独占段階において労働の可動性が阻害され,そ のことから 平 均労働時間に よる価値規定が不可能になるとい うことを論証し ようとして い る。しかし,指摘されているような障害は競争段階に おいても多かれ少な かれ存在した とい うのが事実であろ う。労働の「全社会的・全国民的規模で の移動での移動転換が自由かつ容易であ りえない」とい うことが独占段階の 特 色をなすな どとは考えられない。競争段階においても事実は同様であった のが,そ の段階にそ くして克服されたまでであ る。独占段階に おい て 乱 そ の障害はこの段階にそ くして克服されるし,また克服されねばならない。し たがって理論は,この段階におい ても,労働の可動性を 前提す ることができ るし,また前提しなければならない。」(88頁) 「競争段階におけ るとは 異な り,とくに独占の段階におい て可動性の制限 を受け るものがあるとすれば,それは資本でなければならない。そしてこの 段階に おけ る平均化原理の貫徹を阻 止するものがあるとすれば /それは資本
戦後経済学論争の頂点15 の可動性 にた いす る この制限 で なけ れば な らない 。 … … 独占段 階に 入 ると, 資 本の可能 性に対 する制限 と, そ れに もとづ く平 均化 原 理 の作 用に 対す る制 限 とは, 長 斯的 ・固定的 とな る。 な かんず く生 産 設備 の巨大 化に よってであ る。 しか し, こ のこ とに よっ て一物 一価 の法 則が 排除 され るこ とにな るので は ない 。」(92頁)現 代 独占資本 主義に おい て可 動性を 阻 害 され るも の は ,平 瀬 教授 のい うご と く労働 では な くて,資 本であ るとい う白 杉博士 の主張は正 しい。 だ が資 本 の可 動性 の制限に もかか わ らず, 一 物一 価法則 が排除 されな い との博 土 の主張 につい ては ,な お説 明を聴 か ねば な る まい 。 い う。「競争 段 階に おい て資本り 可動性 とそ れ に もと づ く平 均化 原 理の作 用とが一 時 的に 阻 止さ れる場 合に 乱 そ れ は た だ, 価 値 では な くて価格O 一 平均労働時間ではなくて 限界必要労働時間に よる決定を意味するに は 阻止 され る傾 向かお る。」1 とどま」 つた。「その場合にも, 一物一価の法則は, 同種商品の価格の限界 個別的価値への平準化とい う形で自己 を貫いていたわけ であ る。同じ原理は。 独占段階におい て資本の可動性に対する制限が長期的 ・固定的となった場合 に 乱 あ ては まる。すなわち競争段階においては短期的な法則 として現われ た ものが,独占段階においては長期的な法則として現われるにとどまるので あって,競争段階 とは異なる独占段階の特色かお るわけ であ るが,原理七ひ ものには別に違いがあるわけではなく,独占段階におい ても限界原理による 一物一価法則の妥当性は排除されるわけ ではたい。」注意せ よ!独占段階にお い て一物一一価法則が妥当するのは限界原理に よるそれである。そして白杉博 士が「限界必要労働時間に よって決定されると考え るのは市場価格であって。 社会的価値ないし市場価値ではない。」(94頁)後論のため念のために。 さらにい う。「 もっとも競争段階では平均化原理が一時的には限界原 理 に 自己を 疎外す ることがあ って 乱 長期的には 自己を貫徹し ようとする傾向を もつに反し,独占段階ではこの疎外が長期化し固定する傾向かおる。いいか え ると,独占段階におい ては,長期的に見て 乱 限界必 要労働時間の平均必 要 労働時間への接近一 価値と価格との一致 独占段階では,「限界原理の支配が固定性を もってくる。 かくして限界原理 の支配を固定するところに,当面の論点から見 ての独占 の本質的特色かおる といってよい のであ る。しかし,といって,独占段階に おいても平均化原理 は 単純に否定 されるのでは な く,限界必要労働時間(価格)の平均必要労働
14 時 間 ㈲ 値)への接 近 は完 全に 阻 止さ れてし ま うの で は な い。」(93頁)ふた たび注 意せ よ!独 占段階 で 乱 価 格は 価値に 接近 し よ うとす る傾向を 保 ちっ づ け る のだ。 ≒ 「 ここ で想起 され なけ れば なら ない のは ,独 占資 本主義 とい う規定を 可 能 に す る現 代の独 占が ,完 全独 占で は な くて,不 完全 独占 なか んず く寡 占に ほ か なら ない とい うこ とであ る。寡 占 は競 争を 許容す る。・した がっ て現 代 の独 占 資本 主義は「 独 占的 競争 の体制」 であ る。 しか るに平 瀬教 授 の所論 に おい ては, こ の規定に もか かわ らず ,現 代 独占資 本 主義 のも とでも 競争 原 理が 自 己 を 貫徹しつつ あ る のであ っ て, だ から こそ 「 独占的 競争 め 体制寸 な のだ と い うこ とが 明確に なっ てい ない ように 思わ れ る。い いか え ると, 教 授は 独占 的 競 争の独占面を 一 面化 す る 傾ぎを し めし てい る。 教 授が独 占 資本主 義段 階 の価値 論や利 潤論 や 賃金論 を ,平 均 原理 の支配 領域 の彼 岸に 樹立 し よ うとす るの 乱 そ のこ とと関 係 かお る。 し かし現 代 の独占は 競争を 否定 す る循 ので は な くて, 止揚す る もの であ る。つ ま り競 争的 独占 なの であ り,そ れに おい ては 自由競 争は止 揚さ れ て独 占的 競争 とな る。 そ して, こ のこ とに 照 応 して 自 由競争段 階 の平 均 化原 理 も単 純に 否定 さ れてし ま うのでは な くて, 止揚さ OOOOOOOOOOO れ る に と ど ま る 。 す な わ ち 独 占 的 競 争 の あ る か ぎ り , 限OOOOOOOOOO界 原 理 の 固 定 的 支 配 OOOOOOOOOOOOOOOOOooOOOOO を つ き や ぶ っ て , 平 均 化 原 理 が 自 己 を 貫 徹 し よ う と す る 。)(93 ・∼94 頁 ・ 点 引 用 者 ) 三 た び 注 意 せ よ 。 し た が っ て 現 代 独 占 資 本 主 義 に お い て 仏 究 極 に お い て は や は り 価 格 は 価 値 に よ っ て 規 制 さ れ る の だ 。 丿 12 白杉 博士は さらにト う。「平 瀬教 授は , 現代資 本主義 の もとでは 商 品 の価 値 はそ の生産に 必 要な 個別 的 労働 時間に よっ て規定 され る とい う。 し かしい かに 独 占的 な大 企業 の場 合 とい え ど 乱 寡 占を 前提す る か ぎ り, 個別的 な労 働 時 間が社会 的な 評価を 通過す るこ とな しに ,そ のま ま社会的 な 妥当 性を 獲 得 す るとい うような こと は,あ りえない であ ろ う。 教 授0 場合に 屯認 めら れ てい る ように 思わ れ るが ,個 別的 必 要労 働時 間 の平均 化 は,つまず 同様 の独 占 的 大 企業間に おい て不 可 避で あろ う。」(95頁)「中 小企業 相互間に おい て 乱 イ固別 労 働時 間 の平 均化 は 十 分可 能であ り, また必要 であ る。」(95∼96頁・点引 用者)
戦後経済学論争の頂点15 それ ば か りでは ない。ト大企業 と中小 企業 と の間 に も一 種 の平均化 が不 可 避 であ る。 け だ し,同 種 の商 品を生 産す る 独占的 大企 業 と中小 企業 とは,そ れぞれ 個別 的 必要 労 働時 間を 異に しなが ら, 同一 の市 場に おい て競 争する こ とを余 儀 な くさ れるが, そ のか ぎ力 ,そ れら の個別的 必要 労働時 間はだ かい に 連関づ け ら れ ることを 必要 とす るか ら であ る。」(96頁)「か く し て 独 占段 階におけ る大 企業 と中小企業 との間に 乱 そ れぞ れの 個別的 必要 労働時間 の 平 準化は 不 可 避であ りレ そ れを通 じて一物 一 価 の法則 が 自己を 貫 徹 す る。」 (97頁・点引用者):平 準 化は平 均化 とは 異な る。い わば 一 つ の傾向に すぎない 。 そ れに ここ で の一物一 価は 未だ 解明 され ねば なら ぬ問 題を 残 し てい る。 白杉 博士 の説 くところを き こ う。「以 上 の議論に対 しては, そ の よ うな平 準化に よっ て成立 す る のは 一物一 価値 では な くて,一 物 一価 格に すぎない と い われ るであ ろ う。事 実,平 瀬 教授は , 独占資 本主 義 の もとで も一 物二価格 は 成りた つけ れど 乱 そ れは 「法 則」 の名に 値 しない とい うこ と強調 してい る。」(100頁)「独占段 階に お け る一物 一価 が一 物 一価 値 でな くて一 物一 価格 に はかな ら ない こ とは 指摘 さ てい る通 りであ ろ う。 も っ とも競 争 段階におい て も」,「一 物 一 価 の日常的形 態は一 物 一 価格 であ る。 た だ長 期的に 見 る場 合 に のみ, 価 格は 価値 に一 致す る。 そこ で? そ のか ぎ りに おい て のみ一物一 価 値 とい うこ とがい わ れ うるに す ぎない。 しか し 独占 段 階に おい ては長 期的に 見 ても一 物一 価 格であ って一 物一 価値 ではな い。」(101頁) 「そ れで は, 独占段 階 におい ては平 均化 の原 理は まっ た く作用 しない ので あ ろ うか 。 そ うは 考 えら れない 。大 企業 相互 間お よび 中 小企業 相互 間に 平均 化 原理 の作 用に つい ては先 きに ふれた」。「こ こで 問題に な るのは ……大企業 と中小企 業 と の間 の競 争を 通 じて実 現 さ れる 単 な る平 準化を こえ た 平 均化であ る。」(同上)「 独占的競 争は 基本的 に は 独占 的大 企業 間 の 競 争 を 意味す る。 しか し… …中小企業 相互 間 の競争 の残 ってい るのはい うまで もな く √独占的 大 企業に 対 する中 小企業 の競争 も完 全に圧 殺 され てし まっ てい る わけで はない 。」(102頁) 「 か くして大 企業 と巾 小企業 と の間に も競 争 の存 在す るかぎ り,両 者の間 に も平 均化 原 理が 部分的に もせ よ作 用 の余地を もつ。 中 小 企業 はでき れば 大 企業 の生産 性に 近づ こ うとす る。 … …そ の努力 が どこ まで成 功す るかは疑問 であ る。 しか し重 要な のは,そ うした 形 で の平 均 化 へ の 傾向がこ こに 七潜在
16 す るとい うこ とであ る。 もちろ ん, こ うし た形で の平均 化 へ の傾 向は価値O 直 接的 な 規制原 理 とし て機能す るこ とがで きないであ ろ う。 長 期的 に見 ても , 平 均的 な価値 と限界的 な価格 と の一致を 計算的に 実 証す る とい う ようなこ と は 不 可能であ ろ う。 … …可能 な のは, た だ,そ の よう な 一 致 へ の接 近 の 傾向 を 明ら かに す るこ とで しが ない であろ う。 しか しそ れに し て も競 争段 階に お け る とは 異な り,独 占 段階 では ,こ の 傾向を 抑 制し よ うとす る不 断 の長 期的 な傾 向のあ ること が否 定さ れ がたい。・・…・しか し独 占段階 が 独占的 競 争 の段 階 であ るか ぎ り, 競争 段階を 特徴づけ る長期的 な平 均化 の傾向 も また 完全に 抑 制されて し ま うこ とはあ りえ ない のであ って,一 物一 価 格 の根 底に一 物一 価値 へ の傾向が 潜在 し てい る と見 るこ と がで き る。。」(102∼103頁)こ の よう な 苦難に 満ちた 屈 曲した 形 態で の み,現 代独占 資本主義 のも とに おい て価値 法 則は貫 徹し てい る のである 。 か くして白杉 庄一 郎 博士 は, 現代 独 占資本主 義 のもとに おけ る一 物一価 値 法則 の崩壊を ,す な わち 価値 法則 の非 貫徹を 説 く平 瀬巳 之 吉教 授 の謬見 を 根 底的に 論破 する と ともに , こ の価 値法 則 の特 殊 な貫徹 様式を 初 め て開 明した のであ る。 まこ とに 前人 未踏 の偉業 とい うべき であ ろ う。 こ れを もっ て,平 瀬 教授 の著書 の第一 部「 資 本一 般 の価値 法則 とそ の現代的 変 質」 の紹 介とわ たし た りの批 判, な らびに こ れに 対 す る白杉 教 授の批判 「独 占 資 本と 価値法 則」 の紹 介と検討を 了 る。 13 平瀬巳之吉教授の『独占資本主義の経済理論』の「第二部 資本一般の利 潤法則と現代独占価格上は,これが本論なのではあ るが,あ まりに長々しく 210 ペ ージ ご と に 及 ぶ 紙数の関係上その全面的な紹介かつ批判は 21 ペ ー ジ い ち じるし く困難 であ る。 幸い 白 杉 庄一 郎博士 の『独占 理論 の研 究 』 の第二 章第二節「独占資本主義と利潤率均等化の法則」が,要約的に よくその表題に もかかわらず独占利潤の源泉や独占価格の問題を ふくめ て,平瀬教授の所説を正確に紹介した うえで,これに批判を 加えているとお もわれる。そ こで,ここでは大体内杉博士に よる紹介に 従い,そのうえでこ れに対する博土 の批判とわたしの批判の異なる点を 明らかにしてゆくことに したい。
戦後経済学論争の頂点17 だ が そ の まえ に 平 瀬 教 授 独特 の 独 占 概 念 を 吟 味 し て お き た い 。 マ ル クス の 独 占 概 念 と 対 比 し て の 平 瀬 教 授 の そ れは , 次り ご と くで あ る。 まず 自 然 的 独 占 とは 本来 自 然 資 源 に か ん す る 独 占 の こ と で あ る 。 だ が マ ル ク スの “ 自 然 的 独 占 ” と は 資 本 制 生 産 様 式 そ の も の か ら 発 生 す る 独 占 の こ と だ か ら, 平 瀬 教 授 の経 済的 (社会的) 独 占 に あ た る。(228 頁) 丿 次 に “ 人 為 的 ” 独 占 と は , 平 瀬 教 授 の形 態 規定 でい え ば 法 律 的 独 占 に あ た る。(229頁) 最 後 に マ ル クス で は ,「 人 為 的 また は 自 然 的 独 占 , お よ び と くに は 土 地 所 有 の 独 占 」( 資本 イン スティテュート版3 巻7 編50章917 ペ ージ) と あ る よ う に,ト 土 地 所 有 の 独 占 ぱ 本 来 的 独 占 ” の 一 形 態 とし て 理 解 し う べ き も の で あ る。 (230頁 ) づ 。。 こ の よ う な マ ル ク ス の 独 占 概 念 の 独 特 の把 握 の 上 に 立 っ て , 平 瀬 教 授は 次 の ご と く宣 言 す る 。「 マ ル クス の い わ ゆ る 本来 的 独 占 が , わ た ぐし の 形 態 規 定 でい う 自 然 的 独 占 と 一 致 す る と す れ ば, 」「 現 代 で は 量 的 に は さ し て 重 要 で も な く, 特 殊 現 代 的 な 形 態 と も い え ぬ が, に も か か わ ら ず 現 代 の 諸 独 占 は あ た か も 生 ま れ な が ら の 本 来 的 独占 で で も あ るか の よ うに , わ れ も わ れ も と 独 占 価 格を 指 令 し て か か る。」(231 頁 ) 果 し てそ う で あ ろ う か 。 い か に 強 大 な 独 占 体 とい え ど も , ま っ た く恣 意 的 に 独占 価 格 を 指 令 し う る で あ ろ うか 。 す な わ ち 価 値 法則 と 完 全 に 無 関 係 な 独 占 価 格 か お り うる の で あ ろ う か。 こ れ は 後 段 の 問 題 であ る 。 白 杉 博 士 は い う。 に平 瀬 教 授 は 利 潤 に か ん し て 乱 独 占 資 本 主 義 の も と で の 平 均 化 原 理 の 支 配 を 否 定 し て … …X,ヽる 。」「そ れ で は , 独 占 資 本 主 義 の も ど で は, ど うし て 利 潤 率 の 均 等 化 が 阻 止 吝れ る の か 。 教 授 は 剰 余 価 値 率 が 不 均 等 化す る か ら だ と 考 え る 。」(104∼105 頁 ) 「剰 余 価 値 率 が 均 等 化 す る た め に は , 労 働 条 件 と 生 産 性 と が 等 し くなけ れ ば な ら な い 。 し か し 教 授 に よ れ ば , こ の よ うな 条 件 が 与 え ら れ て い る の は , 資 本一 般 の 段 階 に お い て だ げ であ る。」「 と こ ろ が 今 日 の よ うに , 資 本 お よび 労 働に つ い て 独 占 的 競 争 と不 完 全 雇 用 と い う体 制 の 支 配 す る と こ ろ で は, 」 労 働条 件 七生 産 性 七均 等 化 す る 条 件 を 欠 い てい る の だ か ら , 剰 余 価 値 率 が 均 等 化 し え な い の は 当 然 だ と , 教 授は 見 る の で あ る。」(105 頁 ) 「 も っ と も 教 授 乱 全 社 会 的 ・全 産 業 的 な 均 等 化 で は な く て , 部 分 市 場 で
18 ‥ の均等化ならば ,これを認める。複占間,寡占間√\多占間,大企業間,中企 業 間,小企業間/ な わち全体市場でなく部分市場においてならば,生産条件が等しいとい う可 能性 があ りうるから,‥生産条 件の等しい各階層め間で多 少とも乗l余価値率の 均 等化といら運動がなく循 ない とい うわけである。‥しかし教授は √独占体間 お よび非独占体間にそれぞれ違った率七ではあるが,とに かく判 余価値率の 均等化が見られるであろ うとい った考え方に反対する。そして教授は,たと えそ うい うことが考えられるにしたところで,そんな心 のは剰余価値率均等 化法則とは無関係だと主張する6」(106頁) これに対 して白杉 博士は主張する。「 しかしながら, 複占間√ 寡占間 √多 占間,大企業間,中企業間,小企業間,零細企業間とい うような同一階層間 に おけ ると同じ く,それらを総括する独占体間と非独占体間とにおいて 乱 それぞれ剰余価値率均等化への傾向か存在することを認めなけ ればならない 七あろう 。‥…・そ して独占体間お よび非独占体間に,それぞれ異なった率で ではあ るが,とに かく剰余価値率の豹 等化する傾向が見られるとい うのが, 独占段階におけ る剰余価値率均等化法則の存在様式 とい ってよいであろう。」 (106頁) 「平瀬教授は ,均等化法則につし て語られ うるために は,均等は二重であ っ てはならず,一重でなけ ればならぬとい う。しかし社会科学 の法則は,総 じて,事象が正確にその通 りに生起し進行するとい うのではなくて,その方 向に 生起し進行する必然的な傾向を もつとい うことを示すに とどまる。多く の場合,その過程は,問題の事象 の多 くが次第に と 帰一 した と ころ 一 挙に で はな く一 そ か ら見る の方向に帰一してゆくとい う形をとるであろ う。したがって,そ の帰一の過 程には幾段階もあ りうるわけであ る。しか 乱 その各段階は,問題の法則へ OOOOO そ れ は 理 念 的 極 限 で し か な い の で あ る が と, 法則そのものが自己を貫徹してゆく過程に ほかならない。」(106∼107頁・ 点引用者) これは白杉博士のつぎの議論のた めの伏線で もある。 「事実,剰余価値率均等化の法則が特殊 の形で自己を貫徹しようとする傾 向は,独占体間と非独占体間とにおけ るそ れぞれ別個の率での均等化のみに は とどまらないで,さらに両者の接近に よる均等化の可能性を内蔵するもの であ る言」「両者の間の生産諸条件の懸隔は不可避である。したが っ て独占体
戦後経済学論争の頂点19 と非独 占体 と の間に 剰余 価値 率均等化 の法則 とい った も のの存 在 しえない こ とは, 教 授の指 摘 されてい る通 りであ る。 しか し,だ から とい っ て,こ の法 則 が独占 段階 に おいて も特 殊の形 式 で自己を 貫 こ うと してい るこ との承認を 屯拒否す る のは, どうであろ う。」(107頁・点引用者)誤 解を 避げ るた め に 一 言しTてお きた い。 独 占体 と非独 占体 とには 剰 余価値 率 の「均等 化 の可能性 が 内蔵」 され てい る とい うのであ りニ こ の均 等化 は 「理 念的極 限 で しか ない 」 のであ る。 こ の点 独占 体間 お よび 非 独占 体間に おげ る 剰 余 価値 率の均 等化 傾 向とは 異な るの であ る。 14 ニ 「以 上 √乗q余価値 率に つい て述 べた こ とは, そ れの 現象 形 態 として の利 潤 率に つい て も云え るはず であ る。 しか るに 平瀬 教 授は , 独占段 階に おい ては 如 何なる 意味に おい ても平 均利 潤率 の法 則につ い て語 るこ とは できない とす る。」 す なわ ち 「教 授は? …・独占 体〔間〕の平 均 利潤[率]だ とか 非独占 体[間] の平均 利潤〔率〕などとい うのは, 語 法違反 であ り,形 容矛 盾 だと さえい う。 け だ し教 授に よれ ば平 均 利潤(率)とは) ・すべ ての 資本 の運 動 の共 通 の 目標ない し基 準と なる よ うな一 般的 な もので なげ れば なら な い 」(108頁)か ら であ る。す なわ ち, 平瀬 教 授は平均利 潤 率 の倒 壊を 主 張し てい るのだ。 さらに 白杉 博士 は論を すす めて, 平瀬 教 授は最 大限 利 潤 の追 求を 独占資本 に 限定 してい るが ,非 独占 体と くに 中小 企業 とい え ど もあ る意 味でそ れを な し うる。「け だ し最大 限利潤 な るもの は,そ れ ぞれ の条 件に おい て獲 得 し う る最大 限 の利 潤を 意 味す べ きものであ って,利 潤量 の あ る特定 の絶対量を 意 味 すべ き ものでは ない か らであ る。」(109頁)とさ れて い るのは , 見解を 異に す る。問 題は 平 瀬 教授が ス タ ーリンの謬論 に追 随 して い るとい う ようなとこ ろ にあ るので は ない。 そ れな らば「 最大限 利潤 」な ど とい う言葉 を やめ てし まえば よい のだ。 こんに ち独 占資本 なか んず く金融 資 本 の獲 得 してい る利 潤 率 は恐ろ しく厖大 な もの であ って,中 小企業 などがい くらあ がい て も足 もと に も及 ぶ ものでは ない 。そ れを 「最大 限利潤 」 の語 義変 更に よっ ていい くる め ようとす るな どとは ,白 杉庄一 郎 博士 ともあ ろ う人 に ふ さわし が らぬや り 方 とい うほかは ない 。い かに 偉大 な る学者 とい え ど 乱 人 間は 時に 誤 る。 か くして白杉 博士はい う。「 価値や 剰余 価値 の場 合と 同 じく, 利 潤 の場合
20 に 乱 ……独占体間と非独占体間とに,それぞれ,単なる偶然的でなし 競争 に もとづ い て必 然的 な け れば ならない であろ う。」 だ か ら で あ る 。 均等化への傾向の存在するこ とが認められな 「隔絶」は現実的 の存在 こ れ は ま さ に そ の と お り で あ る 。「 そ し て 独 占 体 間の平 均利潤率と,非独占体間の平均利潤率とは,隔絶しながら,しかもな お接 近 し ようとす る傾向 の全然 なし もの だとはい え ず,」 だが「接近」は反現実的だ。もはや剰余価値率均等化の場合のように「理念 的極限」に逃げ込むわけにはゆかない。なぜなら平均利潤率は「現象形態」 「そ してそ こに 独占 段階 に おけ る平均 利潤 法 則 の 特 殊の い ち じ る しくそ の率を 異に す る 妥当方式があるとされなけ ればならない で あ ろ う。」(110頁)どらやら白杉 博士はここで 乱 現代独占資本主義のもとにおけ る平均 利潤率の二重性論を 通じて一重性論に辿りついた ようであるが,わたしはは っき り独占体間と非 独 占 体 間 に 二 重 の 平 均 利 潤 率1) を 主 張 す る も の で あ る 。 そ の 方 が 現 代 独 占 資 本 主 義 を 把 握 す る た め の モ デ ル と し て 有 効 だ と 考 え る か ら で あ る 。1 ) 同様 の見解 に ヴィゴド ス キ ー「平 均 利 潤 率と生 産 価格」(『 社会 科学 の諸 問題 』 第3 集,1955 年) があ る。 15 これより平瀬教授の独占利潤論の批判に入る。教授はっ ぎのような問題を 提起する。今日のように体制的な独占の段階ともなれば,長期的 かつ大量的 に,価値以上の独占価格が指令されて くるが,この独占価格を ふくむ総市場 価格のなかには,一時的ではなく長期的に,個別的にではなく社会全体とし て,社会の生産過程で生産された実体であ る総価値を超過する部分がふくま れていはしない か,とい うのであ る。いいかえ ると,価値をこえ る独占価格 の指令に よって実現される利潤のなかには,価値の移転 ないし再分配だけ で は説㈲しつ くされぬ部分がふくまれていはしないか, とい うのであ る。「こ れに よって,教授の理論が対 決せしめられるのは,独占利潤=価値移転説で あることが知られる。しかし,とい って 乱 問題はこれを 止揚することでは なくて,むしろこれを徹底することであ るかのごとくである。」(116頁) すなわち教授に よ れ ば,「今日の独占価格にしても剰余価値 の再分配や実 質賃金の切り下げや,他の企業家の不変資本へのくいこみ等を源泉とす ると ころの,つ まりは社会の実体的な総価値のなかから補填されるところの部分
戦後経済学論争の頂点21 か お る こ と は 事 実 で あ る ○ ゛゛゛゜゛゛し か し今 日 の 膨 大 な 独 占 利 潤 は 社 会 の実 体 的 ● ● ● ・ な 総 価 値 だ げ で 補 填 さ れ き る も の だ ろ うか 。 … … 今 日 の 独 占 利 潤 は , 以 上 の 三 源 泉 以 外 に な お そ れ へ の追 加 源 泉 か お るは ず だ と い うの が , わ た し の 意 見 であ る。」(平 乱 前掲書278 ∼279頁)こ れに つ い て 白 杉 博 土 は , に れ に よ っ て 見 る と , 教 授 の 理 論 は 独 占利 潤 ==非 実 体 説 と な る も の の ご と く で あ る。 事 実 , 教 授 は 「 資 本 一 般 の 段 階 で の よ うに 平 均 利 潤 を 多 少 上 ま わ る 程 度 の で な く, 法 外 な 超 過 利 潤 」 と に て の 独 占 理 潤 に つ い て の 右 の 意 見 を , お お よ そ つ ぎ の ごと く 理 論 化 し てい る。」(116頁) と し て , こ れ を 紹 介 し てい る 。 「 社 会を 企 業 と 家 計 と に 分 け , 企 業 を 独 占 資 本 家 群A と 非 独 占 資 本 家 群B とに 分 け る 。A 群 の所 有 す る 価 値 は100 と し,B 群 の 所 有 す る 価 値 は170 と す る。 家 計 は,AB 両 群 に 用 役 を 提 供 した 代 償 と し て,100 の貨 幣 を もつ 。B 群 は170 の 価 値 を 家 計 とA 群 と に 売 る わ け で あ る が , 家 計 に は 価 値 ど お りに 売 ることが で きて 乱A 群には る ○ で 彼 らが しば しば 需 要独 占者 と し七現われ 買 い たたか れ る。結 局,B 群は 家 計に50 を 売 り,残 りの120 をA 群に100 で売 っ て, 合 計150を 実 現す る とす る。差 額20 は,B 群 の不変 資本価 値 か, 賃金 か, 剰余 価値 かのい ず れかを 犠牲に す るほ かない 。 貨幣150 が家 計お よびA 群 からB 群に 流れ る。つ ぎにA 群 は家 計 とB 群 とに100 の価値を150 で売 りつげ る。A 群は 独占資 本家 群 と して √B 群CO120 の価値 を100 に買い たたい たの に, 売手 と しては100 の価値を150 に つ り上 げ ると仮定 す るわけ で あ る。家 計 の支 出50,B 群 の支 出100, 合計150 の貨 幣がA 群に流 れる。……右 の設 例に おい てはレ 生 産過程 で生 産さ れた実 体 と して の 価値は100A +170B =270 であ る が, 実 現 された 市場 価 格は150A +150B =300 であ っ て, 価 格が30 だげ 価 値を 超過 す る。 こ の超過 利潤 の源泉 は , 生 産過 程では な くて, 流 通過 程で なけ ればな らぬ。」( 参照平瀬,前掲書,288 ∼292頁)か く し て 白 杉 博 士に よれば ,平瀬 「教 授の理論 は独占 価 格 の恣 意的 な設 定を 前 提した うえ で ,モれが 如 何に して支払 わ れ るかを 問 題に してい る にす ぎない」(117頁)と い うこ とに な る。 平瀬 教 授に よれば ,独 占価 格の支 払を 可 能にす る0 は 貨幣 なのであ るが, こ の貨 幣そ の ものが, そ の価 格に よって獲 得 さ れる 独 占利 潤 の本質的 な一部 分 の源泉 だ と考 えら れる。す な わち, 商品 流通 が ス ム ーズに 進行す るた めに は ,商品価 格に対 応す る だけ の 貨 幣が存 在 しなけ れば なら ぬ。 もし貨 幣の流
22 通速 度を3 とす れば, さ きの設 例に おい て,総価 格が270 の場合に は90 の貨 幣があ れば よい 。総 価 格 が300 の場 合に は, 貨幣 の価値 と流 通速 度 とに 変化 な し とす れば,10 の貨 幣 の追 加投 下が必 要 とな る。 そ して, こ の貨 幣 の追 加 投 入に よって ,独占 資 本家群A は30 の超 過利潤を 追 加す る。 か くして ,「現 代 の独 占利潤り 一 部は ひ とまず 流 通利潤 で あ る。」(平瀬,前掲書,294頁)い い かえ ると「 現 代の 独占利 潤 は ,総価 値 から 補填 される だけ でな く, そ れら の一 追 加 としてひ と まず貨 幣利 潤 であ る。」(同上295頁) 平 瀬 教授は せ めてこ こで 留 めて おけ ば よかった のであ る。そ し て古 典経済 学 か ら マル クスに 至 る「 実物 分 析 の論 理」に対 抗 して, ケイ ンズ的 な「 貨幣 的接近 の論理」を 真向に 振 りか ぎ して ,既 成 の経済学に 挑 戦 して おけ ば よか った のであ る。 そ うす れば 教授 はブ ルジ ョア経 済学 者 の熔 印を 押さ れた であ ろ うが ,そ んな 熔印を 気に す る よ うな平 瀬 教授では あ る まい 。 そ れを 以下に 見 る よ うな馬鹿 馬鹿 しい 理論を 展 開す る こ とに よっ て, 天下に 恥を さ ら して しまった のであ る。 16 とい うのは ,平 瀬 教 授はす す んで 過 去 の富 の価値 JO値 る す な わ ち 「過去価 の再分配を 考えてい る。その点について教授は次のごとく述べで , 世には,現在の期間において生 産され市場で買わされるのを待っている商 品だけ でなく,過去において生産さ れ,現在ではすでに流通界か ら 姿 を 消 し,諸個人の財産となっている富が無数にある。貨幣は ,すでに 諸個人の財 産となって眠る無数の富を ふたたび流通界に よびもどす魔法の力 であ り,収 奪を購買に隠蔽し合理化す る手段である。元来,貨幣で なけ れば労働の搾取 を隠蔽するわけにい かない ように ,貨幣は過去の富の購買とい う形で貧困か らの収奪を 美化する。そのためにこそ,一見,実体であ る価値に対応しない 空な貨幣を 利潤として流通から作出し,集中保有することが,独占資本に と って絶対に必要だったのである。非独占体ことに中小企業は,生産者として しばしば価値以下での販売を 余儀なくされ,そ れが不変資本価値 の犠牲とな り,剰余価値の移転とな り,実質賃金の切 り下げとなるわけであ るが,そ れ らの穴はいつかどこかで埋められねばならぬそこへもって き て, 税金, 破
戦後経済学論争の頂点23 産,失業 ,病気,災 害 な どか お る。 もっ と積 極的 では , 中小企業 で も設 備O 改善拡張 な ど合 理化 方 策にせ まら れ る。 ところ が融資 の門は せ まく,国家 の 救済対 策は おそ まつ であ る。 彼らは しば しば 過去 の富 を貨 幣に かえ て,必要 資金を 調 達す るの必要に せ まられ る。 消費 者は また 消 費者 で,生 活資 金や税 金0 調 達 のた め,あ るいは デ モ消費り た めに 乱 過去 の富を 売 却す る必要に せ まら れ るこ とが しば しば であ る。 こ の よ うに して厳 存す る過 去 の富 の貨幣 に かえ ら れるべき必 然性を 基 礎と して ,独 占資 本が独 占 =流通利 潤 として蓄 積吸収 した 貨幣 が富に 転化す る。べ 参照,平瀬,前掲書,299∼301頁)す な わ ち 「は じめ ひ とまず貨 幣 =流 通利 潤 とし て出 てき た独 占 利潤 の一部 がや がて実 物に化け 変 わ る。」(同上,303 頁) これは 「 タケ ノコ生 活」 の 理論 であ る。「たけ のこ 」生活 が 独占資本 の社 会的に 本質 的な 生活 様式 であ り,「独 占資 本は 単に 過 去を 食 って生 きて い る も0 で, 創造 的な生 命を もたな いこ とに な る」とい う批 判は ,既に 白杉博士 に あ るが,わ た しのばあい は批 判 の論 拠が ちが う。 博士 のば あいは ,「独占 資 本はそ の本 質に おい て,な んら 進歩的 な 側面を もたぬ 全 く反 動的 な もり とな っ てし ま うから」(120頁)であ った 。わ た し のばあい は ,平 瀬 教授 の理論は,1940 年 頃 の敗戦 から1945 年 の敗 戦 と1950 ∼51 年 の「 カ ミカ ゼ」 として の朝鮮 戦争特 需 ブ ー ムを は さんで , 日本独 占資 本主 義 の超 高 度成長 が起 る1955 年 ま で の, 約15 年 間 日本国民 が 味わわ さ れたあ の苦 しか っ た「タ ケ ノコ生 活」の頭 脳におけ る反 映 だ と考え るも のであ る。 こ の時 期の中 期一 敗戦 から朝 鮮戦 争 まで に は, 独占資 本だ って資 材 の 隠退蔵 ・横流 し,生 産 サボタ ージ ュ に よっ て儲け てい た のであ る。 しか しそ んな こ とを い つ までもつ づけ てい た ら,蛸 が 自分 の脚を 喰 って し まう よ うに して 独占 資本 そ のも のがや が て消滅 して し まう。 そこ で 日本 の独 占資 本は1955 年 より,時 や来 ると , アメリカが 第二次 世 界大戦 の遺産 と して残 した 多 くの パ テン トを 輸入 し,労 働者階 級に たいす る強 搾取 と人民 大衆に たい す る強 収奪を 武 器 と し て, 思い 切った大 規 模な設 備投資 を断 行す るこ とに よっ て, 足かけ19 年間 に わた る超 高度成長時 代 の幕を 切 って落 とした のであ る。 少な くともこ の時 点(1955年)から, 平 瀬 教授 の独 占理論 は現 実に適 合 せぬ も のと して葬 り去 ら るべ き であ った ので あ る。(しかるに不思議なことに平瀬教授の当面の著 書の出版年月は1959年3 月であ る。)平瀬 教 授に おい て, 過 去 の富を 収 奪す る機 関は 「質 屋上(302頁)であ る