井上円了の「護国愛理」の変化に関する中間報告
著者
三浦 節夫
雑誌名
井上円了研究
巻
5
ページ
62-96
発行年
1986-03-31
URL
http://id.nii.ac.jp/1060/00006776/
#上円.J研究会第=.部会における井上円rの「護国愛理一に関する研究は、現在まてに小林忠秀氏、針生清人氏、 田中菊次郎氏による゜報告がある 小林氏は「井上口了の思想」(『井上円了研究』第二号)、針生氏は.井上円.Jの哲学一 (「. 芬m円了研究=第、警・一こ.井」円了の思想U⑪一(「東洋大学史紀要』第四号)の中て、ともにテーマし一の関連にお いて二護国愛揮二に論及している と・・に、針生氏は後者の論文におい〔、約半分のスヘーフ、をさいて、一護国愛理」の 論述を展開している.、そこで‥.砿、円ゴの「護国」論は明治の「絶対主義的国家形成の過程で浮」する国家主義的 国」論に対する読み直し一であり、.. .に対して「愛理」を対応させることによ一.〔二国家体制が無視し切り捨て 一、来たもの(中略)いわば・.官」↑の外にあるもの一を拾いつなげていったものである..円了が国家の独立について語 るときは制度化文・・れる国家としての一冨」と、官の外に捨てて置かれる民衆の二つが認識対象ヒなり、。円了が国家や 教育といろと曳、・、それらは必ず二重構造となっているLと捉え、そのため「円了のいう「護国愛理』とは国家主義的 L▲“ タ 」
井上円了の
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と。第四は、円了の思想活動の評価で、「明治二十年代の新文化創造のナショナリストとしての円了の役割は」晩年の 教育勅語普及の教育行脚でどのように継承されていったのか。以上の四点を残された検討事項として挙げている。 以上のような第三部会の研究成果と、筆者の課題である井上円了の「護国愛理」の理念の究明・考察とを考えあわ せた上で、筆者はつぎのような問題を設定した。円了の「護国愛理」については、明治三十年以前の、いわば円了の 初期の思想や行動を分析対象とする傾向があり、それは「護国愛理」の最初の記述が明治二十年の『仏教活論序論』 にあることと関係していると考えられるが、初期の円了のみを対象とすると、前述の田中氏が明示した問題点が残る ことになる。そのため、時期としては明治十四年の東京大学入学から大正八年の死去までを対象とし、この間の多岐 にわたる思想や行動の展開との関係を考慮して、「護国愛理」の理念を究明することが重要である。しかし、円了の著 作だけをとってもその量は膨大であり、すべてを一挙に考察することは困難であるから、研究の第一段階として、円 了の著作・論文の中で「護国愛理」に関係すると考えられる文献を取上げ、さらにその中から「護国愛理」に関する 直接的記述を摘出し、それを整理・検討する。これを編年史的に整序することによって、理念の連続性と非連続性を 捉え、変化しているところがあれば、その原因の究明を後日行って、「護国愛理」の理念とその展開過程を把握したい と考えたのである。文献調査の結果はつぎの通りであった。 円了の著述の中にある「護国愛理」の記述は、小論の末尾の文献リスト、すなわち単行本十八、論文十八、その他 二の合計三十八を調べた結果、五つの単行本ツニつの報告書提言にあることが判明した。年代順に記すとつぎのよう になる。
1 明治20年2月 仏教活論序論
2 明治23年9月 仏教活論本論第二編顕正活論
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に信す.べからすかつ独り之を旧来の習慣に任すべからず然らば是れ果し〔、何によるや曰く耶蘇教者の実際に尽くす所 の精神によるのみ請ふ見よ耶蘇教者は法に尽、す尽す所の心を以て能く国に尽し国に尽すの心を以て能く法に尽す尽す 所の心は.にして対ナる所の義務は..なり此心を以一、国家に対ずれは愛国となり此心を以て教法に対すれは護法とな る能く此護法愛国の両義を実際に尽」て死して猶ほ余栄あるもの其れ唯、耶蘇教者にあらんか今其の教法に尺、す所の 精神を見るに或時は南洋に渡りて身を波濤の底に沈め或時は北地に入り一、骨を氷雪の間に埋め或時は猛獣の餌食とな り或時は蛮民の犠牲となり.死以て教法に報ずるもの古来幾人あるを知らずL(二八頁)。 円.」は耶蘇教の殉教精神を.西史一より学び、それを自分の「護法愛国」論にまとめ一、いるのである..『真理金針』 の三編には「真理を愛する一とい三≒u葉があっ㎡、も、それは「護法」とし 、表現され、同じく「国に尽・す.義務」は一.愛 国一であつて、「講駁国愛.理一ヒいう一言草{はみられない。.」れがに、仏教活論序手珊㌔においグ、、一謹収法」が「愛理」、「愛国 が二護国」に、〉、」らに両者の前後関係が変わるのであるが、『真理金針』-、二「仏教活論序論、=とを比較してみると、前 者で迭禰述ざれた車丁柄が後著口の部分とし’、収録されプ、いて、一.つは相関…関係にあると言えるこ-しかし、ぶ削者では「垂口法 66愛国」であったのが、後者では「護国愛理」と変わっていることと、後者の『仏教活論序論』の出版隼と「政教社」 の結成年次が同じであることからも、.一の間に円了の思想に変化・発展があったと考えられる。
三仏教再興と「護国愛理」
井上円ゴは『仏教活論序論」において、はじめて「護国愛理一という表現を用いるのであるが、円了は同書の中で、 自分の思想.遍歴をつぎのように記し㎡、いる..明治維新により、仏教界が廃仏殿釈という,大変動を蒙ったのをみて、 「僧衣ヲ脱シテ学ヲ世間二求」め、仏教、儒教、耶蘇教と真理を求めて来たが、いずれも真理にあらざるものである と思い、「心窃カニ他日一種ノ宗教ヲ立テンコトヲ誓フニ至」った。しかし、その後西洋哲学を知りそれが真理である ことを発見し、その観点でこれまでの諸宗教を顧みたところ、「独リ仏教二至テハ其説大二哲理二合スルヲ見二、、「余 始メテ新タニ一宗教ヲ起スノ宿志ヲ断チテ、仏教ヲ改良シテ之ヲ開明世界ノ{示教トナサンコトヲ決定スルニ至」ったと 言う。このような経験に裏づけられたこと、すなわち仏教は「泰西講ズル所ノ理哲諸芦子ノ原理二符号ス・レコトヲ」広 く知らしめることが、自分が「仏教活論』を世に問う目的であり、またそれを仏教改艮の同志に語りかけるのがこの 本の[日的であった,同書の冒頭はつぎのような記述である。 「人誰レカ生レテ国家ヲ思パザルモノアランヤ。人誰レカ学ンテ真理ヲ愛セザルモノアランヤ。余ヤ鄙賎二生レ、 草葬二長ジ、加フルニ菲才浅学ナルモ、亦敢テ護国愛理ノ一端ヲ有セザルモノニアラズ.朝雨暮風二接スル毎二、未 ダ曾テ護国ノ情ヲ動カサ、)ルハナク、春花秋月二遇フ毎二、禾ダ曾テ愛理ノ念ヲ発セザルハ+シ。此情、此念、相結 、、 ^テ余力一片ノ丹心トナル一二六四頁) ここにはしめて「護国愛理一の言葉が山山てくるのであるが、そし一、つゼ.・に円了は「護国」ヒ「愛理」を区分してつ﹁.抑直︹理ヲ愛フヘルパ弓寸者ソ藤川ムルmニシ子、国﹄家ヲ謹はスルハ﹁国民ノ任ブ、ル所ナリ..国民ニシテ[国土家ヲ護眠セザ㌦モノ ペ、 ・り.学者ニシテ真理ヲ愛セサルモノハ、真理ノ罪人ナリ。国家、学ナキトキハ、其進歩ヲ見.ル能ヘ ヘ ヘ シ ヘ ヘ シ ヘ ヘ ヘ ヘ シ ヘ ヘ ヘ シ ヘ ヘ ヘ へ ざ ヘ ヘ ヘ シ ヘ ヘ ヘ ヘ ズひ字者、国ナキトキハ、其牛存ヲ保ツ能ハズ。ピ子者ニシテ国家ヲ…護スルコトヲ知ラズ、国民ニシテ真理ヲ愛.スルコ シ ヘ へ ざ ヘ ヘ シ ト知ラザルモノモ、 、「↑二六…四、自⌒、傍占…は引用者、以下、断りのない限り同」じ二、 、真理を講ずる学者も「愛.理」の他に「護国一の任務があり、国民も「護国一の他に一.愛
へ
u、⊆ h ・、.つま日、、般的に人は「護国」と「愛理一の二大義務をもっていることに他な㌧ず、それ 、、 ・:::」.の表現になつているのである二 では、川に「ーは真理ヒ国家との関係をとのように捉えグ、いたのであろうか、直二埋.については「夫レ真理ハ、万世二亘 リテ変ゴへ、ルコトナク、宇宙ヲ極ズテ尽・クル.コトナク、国家廃頽シ、人類滅亡スい・モ、其理依然トシテ存」するもので 、 ・、.[﹁が、 . ..真理界中ノ,小部分ヲ占有スル、モノニ過ギズ﹂と述べて、..つを同一物とは考 えていない.、LかL、白一ハ理の存在を知るには知日者芦.士者が必要なので、「知日者学者ヲ牛一ズルハ国心家ノ独山.い一・生存ヲ要スルナ リ..故二学者苛クモ真理ヲ講ブ、ベキコ知ラバ、必ズ先ヅ国家ノ独立二向フテ祈ラザパ・ベカラズ}ヒ、真理を愛する学 ・者と.一..口えご・輻、、 、.入事⊃/兼行ス・、ニアルヲ知ルベシ」と述べ一、、「護国愛理ぺ、ニシテ.一ナラズ」である -〜=.王二 ㌔ていノr∨ しかー‘.、.ー、の人間が..大卓を同酵、に行うことは不可能であ.るから、「其ノ事情ト、其人ノ/分限トニ.応ジテ、或ハ護 国ヲ先ニシテ愛理ヲ後ニス已モノア日.、或ハ表二愛理ヲ唱ヘテ、裏二護国ヲ祈ルモノアリ。此ノ如ク、護国愛理ノ間ヘ
ヘ シ ヘ ヘ ト ヘ ヘ へ 二.、先後.表嚢ノ次第ア川、へ勢ノ已ムヲ得ザルニ出デクル所以、別二論ズルヲ待タズ.」と三口い、「護国」と「愛理一の 68関係々一詳肝細に拡珊い」一、いか歩い、つてーし〆\、「入ヘニシテ苗.モ喘ナγ石ノ地位二当ルモノハ、堪㎎国ノ為メニ首蕉埋ヲ愛セザ七 ベカラブ、馳 と」、円了白身は「不学無芋一で学者ではないが、真理を究明して国家に尽したいと思うので、「故二余ハ、所謂愛理 ヲ先主ニシニ、 」ー・後ニス㌧モ・L-り≒ヒ自分の方向を明らかにしながら、…然レトモ、其真理ヲ愛フ、ル,・本心ハ護 ‥国ノ.今に二外」 フザルヨ国以テ、余ジガ直へ理ノ為メニ喋々ス∩、モノ、皆、≡収国ノ精神ノ溢レテ外二声肌ル・モノノミ」ヒ体杭 け〔、、.護国愛理一を製そうヒする二、のであることを表明している。円了の「護国愛理」における国家を護する「護国 と真理を愛する一愛理・の・つの軽重関係を、田中菊次郎氏は….いささか不分明」であると指摘し’、いる。円了は序 論の中《、は、.=m二、いないか、後述の・.仏教活論本論第二編顕正活論』では….ニシテニナラズLという}護国」と「愛 理﹂の吐和人[は〃バ教においてはしめて可北配なのであると明言口している。 円.」が同害て再興を期Lた、仏教一レ一は、波自身が分類集計した「十二』示三十余派」中.の一{示一派を指さず、記述 上は通仏教である二とから、仏教総体であったと言える、この点は前記の『真理金針」も同様である.、その仏教に比 べ、 r、耶蘇教は真理の.部を有するにすぎず、「実二仏教ハ世界無比・万世不ニノ教」であって、これを改良・再興する ことは第一に西洋に対丁る日本同有の≠・のを維持・拡張することになり、第二に国家や家を隆盛にする万法の中で、 仏教は政治経済という外面的なものヒ異なり、間接で外面に顕われないけれども、「人ノ精神二浸入シ思想二感染スル」 こことなって、国家に稗益を与える.一とがで、きると彼は考え、仏教の有用性を証明するために、開明社会に通じてい る西洋哲口子を真理の基準とし一、援用する乙一.世間ノ論者近口往々説ヲ起シテ、真理ハ耶蘇教中ニアリテ仏教中ニアラプ、
マゴメツ
ト云フ[が、一而シテ未ダ、人ノ公明ノ判断ヲ仏教ノ上二加フルモノナキ﹂現状におい︹㌔、円了は仏教・耶蘇教・摩06 麦教のろち、世界宗教し二して相拮抗するのは仏教と耶蘇教と捉え、.余力愛二両教ノ優劣ヲ較スルへ、公平無私ノ真理 ヲ標準トシテ、無偏無党、/哲{.丁ヒノ裁判ヲニ者ノ上ニドスLという形で、西洋哲学に依拠して仏教の真理性を証明しようとしたのである。そ・つすることは、仏教が開明社会に有用なものであることを明示することに通ずると円了は考 察したのである.。 ヒニろで、二護国愛理」-二いう言葉がなぜ用いられたのかについて考えてみると、この序論の趣旨は書名が示すよう に、仏教を「活」かすヒいう仏教再興にあったが、同書には一護国愛理Lと「護法愛国」の二つの言葉がみられ、ま た、・.真理金針トでは仏教界や僧侶が論議の対象であったが、序論ではこれに加えて、「国民」・全国ノ人民一へと発展 がある.以ヒを考え合わせると、円rは「護法愛国」で当時広く知れわたっていた仏教国益観へ護法即護国思想)を 基盤レ「∨ながらも、同時にそれからの克服・脱皮ヒして一護国愛理」を考えたのではないか。つまり「旧弊一の対象 となっていた仏教の改良の場は教団や寺院のみで達成することが困難}であり、その場を「護脳国」ー日本、「愛理」ー世 界・宇宙へと位置づけようとしたのであ三、、その思想が三護国愛理」の用語を生み出したのではないか。 また、数多い彼の著作の中で、この本には他に類をみない程自己の心情が吐露されグ、いる..そ4/が統一国家確立期 の日本におい〔、対応が遅れていた仏教界や仏教徒の心情に触れ、ン、」らに前述の円了の思想展開が彼らに仏教近代化の 方向を示唆した二とによっ㎡、、同書が当時のベストセラーになったヒも考えられるが、「.仏教活論序論』において封建 から近代への過渡期にあった口本の仏教の再興を期した円プJが、仏教の改良・再興の場を求めて、同年結成された政 教社ヘレ 参一加し、またマての担い手丁を広門成すべく折旦子館を創肌収したことは当然の帰結であろ’う。 7C[ 四 .護国愛理Lヒ仏教との関係 円.ーは]仏教活論序論﹄の緒言で、序論に続く本論の構成と出版について、﹁本論ハ破邪活論・顕正活論・護法活論 ノ三大論二分チ、是レヨリニヶ月ヲ経テ、其稿ヲ終リ、稿終ルノ後、之ヲ世間二公布」すると予告した。と二うが、
、またこの節で取上げる・仏教活論本論第三編顕正活論[・︹以ド、
顕正活論と略称づる)はP告から、二年遅れで刊行薯、厄ている。円rはその事情とし〔、、第一は哲学館設立にともなう 用務、第、,ほ前年(明治、.十.年)六月の欧、米漫遊、第}.一一は序論の末尾で予告した叙次、を変更・増補したこヒ、以上 の三一.い理由にこる・二説明しているくここでははじめに⌒護国愛理Lと仏教の関係を考察すろ七で前提となっている 事柄にペノい一、述ハ、・.=い.、 顕ピ叱三伯≒珊﹂.の内︰容、二目酌川につノいて、円了はつぎのよ・つに記、している、白]分の仏教研力九は独声子独修のもので、ソての 論述は「世間絹伝,・流義及ヒ説明ー異ナル所」があるけれども、それは自分の目的が「仏教ヲ知ラサルモノニ知ラシ ズ・・卜万一にあ∩「、.世間註釈的字風」’.・はその目的を達することが困難なため、本編のように一哲学上仏教づ論評L し〔、、仏教,・金理ヲ組織シチ.科ノ学ーLなしたのである。それにょって、仏教外のノ、は「仏理一を知り、仏教内の 人は「折口学ごを知るニヒができるであろう∩)円二」は、一、⇒憩示ヲム日同シテ.依‥トナリタルモノヲ以テ白兀全ノ仏教Lと考え たのである、…巴了は哲学を援用して仏教の本旨を説明しようとするのであるが、この二者の関係についてつぎのよう ●一口彫.〉ぐ二\」アン・ ・」十♪:メ ㌧ ノ 一仏教⊆Lへ,目㌃世界二生存シ今□,諸以子二競争シテ将来ノ隆盛ヲ期セント欲セハ実際上ノ順応ト共二理論上ノ順応 べカラス(中酪、)其理論卜㌃順応ハ仏教ノ研究ヲ従来ノ註釈的二止メスシテ今日ノ学理二照シテ発達的 二論定スルニアリ若シ仏教ヲ発達的二研究セ、./ト欲セハ恰モ生物力外界ヨリ食物ヲ取リテ発育スルカ如ク其栄養供給 ヲ外,界ノ・諸口子二取ラ叶ルヘカラス是レ余カムつ日ノ仏教卓白へ折[μ子ヲ蓮旅修七什川・ペカラスト云フ所以ナリ此ノ如ク栄善︷ヲ 外界二取川、モ”≡教ノ依晶貝バ〆竺張り従来/,性哲只ヲ牛ハハナルヘシ何汚看仏[教ハ活物ニシテ死物ニァラサレハナリ杜ハ体已二活 物ナレハ必ス精神アリ今外界コリ取ル所ノ食物ハ此精神ノカニヨリテ一タヒ仏教二変質シ仏教ノ身体トゾ川テ発育ス世払師に回㌶呑す.ヲβ形.で明∴、かにーピてい〔な 丁-》「 ・ -‘ .一 L r ’ 〉 わ}:) を 、 仏教者考真理ラ ン’ 〕J T . ゴ君!} ’ ー 争フ ハ無益 「ナ 「 コ ユ 宜ク愚 ヲ目的 ト、ン テ実漂ヒ, ’ . .ー .萬こな゜.い宗旨・ ヨノ 」+ゾ、 〉 て.も、 ’ ”.描‥..ぺ二二) p’{ ては適する場合もあ. 隔. 、 上」.、 ーf / 数ノ・..思轡二.一.一 多 . . ’ 」、 D.成ル三・∴.〆テ社会二適あ・枠,.∴川トキハ、多数./ ーソ |コ唖 ヨFド 「Σ. ー .Lへ.× 、 °∀.》.し/. ’二F1 ノ「・関係二 コト ぐ し.パ.、ン .テ’ ハ\、会/.・・心べロ ド . r‘’ ・.ん .ーレ ラ. 緊要・卜.+..つへ 」’.!「 (. .改艮-三浮蒙に三べ、て譲 戎、...・レ人.一とす㌃彼の田心想の表明であるが、 そ の 民 啓 布 教 ヲ務 ム tttt. _ 馳ン 一 、.こ .ユ ーS J .:対
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ゴニ反抑論∵i’二会しの者翰.㌦:余
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言力川此㌧江1ヒる1二’具其示仏
二.. づ 二 を 明 レノ ノ.口 /ノ ァ 1._ 1..プ 、 さ∴に具体的に説明を続け 川用される文敵は ⊆、仏教活論序つ講⊆が多い.、しかし、川川r・自身 「此二.更二其理由ヲ一謹明セサばベカラス」レ一∨評細につ訥している己 一二、様アリ一ハ利已自愛心、ニハ和他汎愛心是+り此二者ハ全 決シテ離レρ.ル.モ〜・二 zラ.・ス此一体不離ノ関係ヲ示スモノ即チか.・針非辛ザ教
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ビ}一の必信佃一
一於テモ殊更三護 ㌻.証明セスシテ.. 旧フ、ルナリ.若シニ 足然ナ.日F’..L二.∵二口 ままに放.置して ↑二つ..、以.上は顕}. のよ三,./に認識し〔 ・. ッ』と蔑視していたのではな・いLと い浮柏ツ繭..一戸∵論小川丁べ二れ戸 …川.ーい、∪仏紛杁並㎏白☆観 ・いたのであろうか..つぎにこの.占いを明. ハ) 方二愚民ア.リテニノ.ご.・三垣セ.、!トスルモ他方 独リ.実際上ノ振起ヲ計ルコト難シ従ヒ愚 江いぽ伯ぺ㎜ノ一ロ極ヲ.工収クルハ呑主ク実際L上ノ必一.具理 、.構、川∵11,.・.‘ハ廿L、U〕約コノ・達・ン薫ク宇宙・王義ノ一辺ヲ以テ国.家ヲ論スルトキハ杜、独Lノジ期シ難シ故二此.一者ハ偏 廃 、べ方こ,ぶルモノー知㌧ヘシ.(一-一、:費) .然ル.宇宙ト国家卜/二大・義パ其体不離ナルモ其日的異+ルヲ以一人動フ、レハ其一ヲ取リテ其ニヲ捨テントス 例べ、三汀 餅。・L,、三モ〜ハい弓,・.、理コ・目的トソ、・㌢、以テ杜弊国.家ヲ忘ルニ=主リ政治二従事くルモノハ国,丞ノ独 ㌧ n「河卜,、-コ、以二旦弊、寸理ヲ排↓、-、二、至ル是レ他チシ理.、珊ト綬際卜其方向ヲ嬰ニス・、ニョル而シテ此一、者全ク相
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ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ .反ヱ、バ三、、ドトロフパ受相ノ浅、.二過キフ、右シ渓ワ其理ヲ、しム・トキハ国家/裏面ニパ必人手萄川宇宙ノ.表.間ニハ必 ス匡家↓リテ.七、・ノ極揃二迂7、レへ必フ他.万ノ存ワ、ル所以ヲ知ルペシ今仏教ノ語ヲ仮ーテぼ関係ヲ示フ、トキペ差別パ し-ヲ離レフ、-吉、差別写一難レ・ルモ、・ニシテ、平等ノ直⌒理中二国パ家アリ差別ノ国家/上二亘三埋アリト云パ甘・ルへ・ラ 、余ノ.ド冨意二発・ンロニ動キ身二現スル所ノモ、・皆此二様表裏ノ関係ヲ離レサルモノニシテ今ξ力本論ヲ述作スルノ 意亦此Uロニ外+ラス即エ宇軍E義ヨリ之ヲ、言へへ余ハ盟テ世界万世ノ為く二宇宙ノ真理ヲ発揮セントシ国家・王義ヨ リ之 .珊 ゜:、・、.、い飽マづ我口本帝.1、ノ為メニ国家ノ富強ヲ祈念セントス而シテ蒲パ信ス我ノ、力仏教ヲ研.、エス㌧ハ一 バ笠理ノタ・.’、、川家ノ加㎡一欠ク∵、ラ叶ルニ人事ナルヲ鳴呼此措、々タル一.澗ニシテヨ7此二大目的、達スルコト ヲ得バ余-幸之:ヨ・、パキハ+:ン」二...四頁) 円プ」バ「隻国愛理〕が通堂二は相巨、す勺ものと刃心識されうが、しがし「深ク其理ヲ究ムルトキ」は一体の表裏の関 磁、である一,斑○る、その例一.い三「‘二、水と汲、紙の表裏で説田」することが多い.、また「差別ハ万七..・ヲ離レス平⊃ハ差別 ヲ離レ/、ト㍍、▽ルハ仏教 .疋論一二.二力=貝)は「仏教ノ掩理」で、これが…荏又国愛理ハ一ニシテニナラスト一.ベヒタル ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ 所以ご」り、「仏教ノ諸.小ニテ況ク所,モノ往・矛盾スル論理アル⇒・見ルハ皆此二様同一ノ関係ヨリW.』スルモノナリ」ヘ
へ ‘三一〔う 円、-は一具田ヒ金計 続編にー.い‘L、この平等差別の関係について「抑々此二者の関係は仏教の秘訣にして其 74理を究むるに非されは仏教の真味を知ること能わすL(一一三頁)と述べている。以ヒを総合すれば、円アの二護国愛 理Lが仏教の「平等差別「論をその基礎の.つとしていることがわかる。針生氏は「井上円了の哲学」の中で、円了 のこの「午等差別」について、..西洋の思想の特殊性は否定の概念を重視するところにあるが、円rはその西洋の哲学 を学んだといいながら、あれでないこれでないという形の反対は出て来ても円了の哲学には矛盾としての否定がない」 と指摘しているが、円了は「護国愛理」を「二者全ク相反スルモノ」と捉えず、彼の認識はニニシテニナラズ」な のである。彼の三口う一一ニシテ」とは一仏教の真味Lに裏打ちされた心ー「余力一片ノ丹心」「此心」(『仏教活論序論』) に他ならないのではないだろうか(前述の『真理金針』続編、二八頁参照∀。それ故に、「護国」ヒ「愛理」の相関す る「此二種ノ心ハ余力平常懐抱スル所ノ丹誠ノ一心ナリ」(一四頁)であって、「此一心学界二対スレベ」あるいは「政 界二「対スレベ」、一.まり時ヒ場合とにより具象’顕現し 、、それぞれ「愛理ノ精神」、「護国ノ厄気」となるのであろ。 そうであるな∴ば、円.」が.護国愛理」を実現了る最良の道と考えた,仏教ヲ研究シ此教ヲ拡張スル」(二.四、.頁)こ とは、国一民の・㊤を〃山教の「妙理ごにょって「科、∴心」 へと一軟換させることで+のり、仏教を}再興へすス、こと】同時に、国家 の独立に寄与することがてきると、円了は確信したのである。 Lかし、円了のこの恩想とL張は現実には受け入れられないものであった,彼は和学、漢学、仏学の一.一学が一.数千 年来混和シタル一種ノ化合物」とな・.〔、いるので、この三学の和合を維持し、「此独立アリテ始ズテ国家ノ独立ヲ全ウ スルコトヲ得・・モノト信」じ一、、その実践の場として哲学館を設置して、さらに「我邦二久伝セル和漢仏フ正科トシ 欧米各国ノ理哲諸学ヲ助科トシ他日日本大学ヲ創立スル」(七頁)という計画をもっていた。そこでは仏教を日本固有 のものと位置づけていた。ヒこス.が、この思想は「大抵和漢ヲ以テ日本固有ノ学トナシ独リ仏教ハ外国伝来ノモノト ナス」という現実があって、否定きれる。これに対して円了は「外国伝来卜自国本有トヲ論スルトキハ現今我邦二存
五 ー∪“、 から「勅語と仏教の興起一 \ 円了は同志レ三も一.品明治二十年に一.世の晩学にし〆、速成を求める者、貧困にして大学に人るの資力なき者、洋語に 漏}せすして原喜を解せさる者等Lを対」象ヒして、私立学校・春口学館・を創立している.、二十二年に欧米社会の相悦寅示旅行 より掃田した彼は、前節の一顕正活論一で紹介したように、哲学館を拡張して…日本主義のLへ学」とする二とを決意 し、以後こ.刀事業に尽力.する二生ら将来の日的事業に就∠、;[を述へ以一、知友同志に告・ご..日・本人[第一一,ご弓㌦第 .三二号参照二その準備として、円了は..・専門科ノ開設Lを発表し資金募集活動を計画したが、この計画は順調に進展 しなか㍉た、明治二仁.、、年七日、二L⊥日の勝海舟宛書簡で、哲学館への「宮内省御下賜金」の斡旋を依頼し、〉そつに 「今秋より資金募集に着でいドー仕り度・、、その方法に付き色々愚考相運び候えども、別に良≧、」手段これなく候.二「勝海舟 全.集=別巻.、 一丘一..百eという経過であ一.た。思案を重ねる円了にとって、現状を打破し募金活動の具体的展開へ 関係を引用しグ、、仏教が・汀本n有ノ・宗教一である㌧7刀説する.、そしZ、、﹁[[本.ハ美術国∵アリ﹂し二いう立場からの国粋 教パ我 皇室口体卜密.接仁ル関係ヲ信スルコトハ史上二照シテ明力+ル事跡ニシテ」と、仏教と畢室国体との歴史的 ㌘、・、モノ∴口・中ノ九十・九ハ外口伝釆ニアラ特・・ハナシ何ソ独リ仏教ノミ然ランヤ…(九頁)レ一主張する”そのため、「仏 [保〆行運一勧﹁についてば︰監二只≡失⇒旧⋮来ノ紐㌫子盤⋮畜︷ノ美定何]家二ひ仕セスシテ朝二⋮野二衆人争テ萱ハ改良二力ヲ尺・シ抑⋮リ仏教二 至リテい之つ旧・釆,・僧侶二一任シテ誰モロ其改良二注±巳セサルパ果・ンテ国民タルモノ・其邦固有ノモノニ対、スル公平ノ 見・ ・、い...⌒...百ご‘二、円ビ∴.‘悸恒.し、「我美術ノ本源トナリ精神トナルモノパ仏教中ニアリテ存シ」と訴・〃二、いる。 円ド∴の願いごある仏教改、向艮・再興の理…相心L二現実とは乖離があっ〔、、彼はこの問題の解・決を模安㌣‘二、次節のよ二、な展藺‥ ]ニへ., ︶乳 「∀ーノ・げ .- ↓.・./ 76
の契機となったのか明治二LL二午十月発布の教育勅語で、彼はこれを「天恩ノ優渥ナルニ感泣シ積年ノ素志ヲ達スル ハ此時ニアルヲ知り」二.哲学館専門科二十四年度報告書提言」、以下「二十四年度報告書一と略称する)と受取め、さ らに「.臼本.主義の尺学」創立の前提となる専門科門設の事業と「護国愛理」との関係をつぎのように位置づけている。 「今ヨリシデ後更二ペニ一腎ヲ窒テ国家ノ為メニ其力ヲ尽クシ一志ヲ立テ真理ノ為メニ其心ヲ掲サ・ルヘカラス是 ヘ ヘ モ ヘ レ実二人生ノニ穴義務ニシテ余力畢生ノニ大H的ナリ而シテ今回ノ事業タル此.一目的ヲ同時二達シ得ヘキ、挙両得ノ 美事ナーづ」二.一十四年度報告書し ’の二大目的、を同時に翼体化した大宇創立の事業を実現しようヒする円了にとって、教育勅語の発布は ・三シごに.此.n一ヒいう展開のン三っかけを与.えるとともに、私的な事工莱レ一いう性格をより‥仕ム云的なものへと纂礎づける 根拠こなり、 の翌日、すなわちL⊥司より「勅語の聖旨普及の日的と兼ねて全国各地の有志寄附勧誘一(『東洋大 学創・㍑.五十年史ごという全国巡講の形で、円了の募金活動は展開されるのである..募金には勝海舟の助力〔前掲書一 五三頁」を得たが、初期においては一余亦意外ノ失望ヲ来スニ至レリ一(「二十四年度.報告書‘二という結果であった。 -.一輻あれ、大学の創設と勅語を結へ〕したことによって、円了の□護国愛理」は「教育宗教ノ改良.一二.二十四年度報告 書ニヒ現実的にも変化し、その二し二を理論的に整理し明らかに」た著述がつぎの」.教育宗教関係論』である。 円了は明治二十六年の…一教育宗教関係論』において、「余か初め仏教再興の一念より其原因を推究し来り其結果我国 ムノロの告心務は新芸目白示教の.一者を仕ハに振起するにある」 二二七百へ)こととし、旦ハ体的には…結∵諭に於 ては奔拭邦の教ム目は勅 語に本き宗教は仏教を取らン、、るく、からざる所以をL(緒言二頁)明らかにしているここの本は彼の思想が「仏教のみ一 から「.勅語ヒ仏教」へと展開し、仏教再興の他に新たにその後全国巡講の形で展開される「教育勅語」や「国民道徳」 並自皮とい.=、,.つ.の活≠勤形能心の必然性を旅〜べたものである。「勅…語と〃仏教一という二つの事柄は彼白一身の由ーでは「.蕎口国愛
理一によって統ム自されているのてある、、 この本の出版の目的をみるヒ、教育の場としては哲呉.士館、宗教としては仏教という現実をもつ円了にと.,ても、明 治=十一..年十月の「教育勅語」発布によって惹起された「教育と宗教の衡突」は、その態度決定を余儀なくされた問 題であったことがわかる,彼は序論の中でこのことについてつぎのように述べている。 一頃者教育部内に於て勅語と耶蘇教ヒの間に.この衡突を来し議論諸方に興り紛々擾々底止する所を知らず然れビ も此衡突や単に教育部円に止まらす今にして其予防策を講するにあらされは将来必す社会百般の上に於了、此二者衡突 を荘すへきバ.ぽ瞭然として火を見るか如し又教育宗教の分離混同の点についても多少世論のある所にして教育全体と宗 教全体レニの関係については同ー将来の一問題なりと信すれは余は此に学理上教育と宗教との性質及ひ其関係を明示し 実際L亦其関係如何を論定せんヒす是れ余は日下の…大急務なりと考ふるなり殊に本館は教育宗教を授くるを以て目 的と仁る学校なれは世間既に此衡突について議論紛々たる以上は本館にありて在学するものは予め其決心を定め置か ぶ・」るハ、からず是れ余が慈に此間題を掲け来りて講述せんと欲する所以なりL(一ー二頁) この・教育宗教関係論」で、先ず円rは自身の仏教研究から哲学館創立に至るまでの「経歴ヒ精神目的のある所」、 すなわち仏教の再興について述べ、こ31に教育の必要性を接合する形で論述を展開するのである。彼ははじめに明治 維新以前い仏教・仏教界を説明する。その中で仏教腐敗の原因は徳川時代に存在し、その宗教政策によって「従来混 清せる儒仏二道を分ち儒を以て仏の反対に立たしめ世間の道徳は儒教の掌る所、死後の葬祭は仏教の支配する者とせ り其結果たる儒は中等以上に行はれ仏は多く中等以下の信する所となれり」二〇頁)、この結果、仏教は表面上隆盛 ではあ三、も、内部の精神は腐敗してしまっ、た状態てあった。しかるに「一朝王政一新の大革命あるに会し僧家は樗 然ヒして之に処するの方を知らす且つ此革命や不幸にも三百年間徳川氏か与へたる外部の優待を一時に剥奪せしを以 78
て滋に仏教は無精神無形式の有様となれり一(一二頁二、仏教衰退に至らしめた内部的原因に加えて、外部的原因は明 治維新以後の西洋又明文化の移・人で、.」れが欧化主義となり、「我邦の{示教は未開の{示教なり西洋の宗教は開明の宗教 なりと誤解し耶蘇教を信丁る者日に月に増加し為に仏教は大に其勢力を削減せら・れ社会の中流以上にある者は仏教を 顧みる者なく唯僅に愚夫愚婦の之を信するあるのみ」(一四頁)であった, このような状況に対して、円了は「学理上より仏教を中等以上の学者社‘会に説・∴へき価値あることを、小す一こと、 「耶蘇教を排」て仏教を振起する一こヒの二つの理由から、理論ヒより仏教を振興せしむるには哲学に依らざるを得 ないという結論に遠してその研究に従事する.これが一学者としては真理を愛し二・の「愛理」となる、、円.ーはその一 ハ、で、一余か研究中尚ほ一事の余か心中に浮ひ出てたることあり即ち仏教の盛衰は国家の消長に関係すLという観点か ら世…界的な耶蘇教の熱㍗刀と仏教の衰退を比較したヒころ、「若し我邦、にし∬、西洋諸国よりも富且つ強ならしめば我刈,の 宗旨も亦必す世界万国のヒに盛んなるや疑なし果し∠、然らは仏教を盛にせんと欲せは先つ此国を盛ならしめさるへか らす﹂ヒいう見解をもった。それが [因民レ﹁しては国家を護らふ.七るへからす﹂という二護国Lとなる.。以上.の一.つの ことから、円っ〜は「護国愛理の.ごへ義務は吾人の最大目的なることを唱へ一(.六頁)るこヒになったし一.述べている.、
凡二身-量属|⊥塁」実際--i差別
一心..‘学問‘…ー真理|1ー理論ー1平等 同苦における﹁護収国括友理一に関、する部分をみると、円了は仁の図を掲げ、﹁︹句も人闇門たるものは身に謹段国の主我務を相] ひ心に愛琿の念を抱か品、\るへか∴さるを知るへし」といい、しかしその一,身心の二者其司る所異なLるが、「.身心共に 11 「人の身体中に旦ハはるものにして只表裏内外の差あるのみ此二者決して相分離すべからす」とし、「時と場合とにより 護国を先にヒニ、愛理を後にすることあり愛理を始に置≧、二、護国を次にすることあり16も歩行の際或は右を先キ、・にし或は左・、一先に一 こレニ、ご.ノ如し・二へ.貝)と説明し〔、いる てし〔、、「今此関係を仏教卜㌔適用すσに宗教ノ隆替は 国参の怒衰 ’.ふも‘な〜は我.国搬の為には仏教を改良して其隆昌を鄭せさるへかつ 又頁理の為には仏教中に包含 す:記ψ一理ヂ 冊﹂ト﹂に戸ーηー 万 一と杉 ]﹁田ジ一井こy、、⊃ヘカ・りづー疋れ培[に仏劫執±駅ー圭目’κ口゜︰ウりのみ゜な二 ﹂ 、匂。−ぷ川引本国犀ハ、/.㌃s㌧の は悉く日u,」・コベき義務㌻力 と述べている.この叙述はまさに..仏教活論序論.一の禽旨と、致していつ 円.Jは□分 の目的が円に仏教回復の.㌔ パ哲学研鴛か∴、ぺ茅在[子中 ﹁.人生の目的じ.匡園要凹の.,ト\義務↑,×・すに右﹂を覚っ
へ
㌃ーン、余ー昔は折「学研究の..別支にだ二、多少異なる所ありと難も只廿、、区品の巴狭のみ仕数を振≡す之精神に至ては.別 膜.貫して終始相涼・ことゴ㌧一二九頁)と、自分・の経麻と□的の、致を明 かにしている.. 以卜、、Z二護国愛理一‥.豹、丁ノ円rの記述は、 仏教活論一等に表現ふ・、れたこれまでの波の思想〒円、.ーー身えま‘二せた -ので.∀ ・、それ∴は仏教再皿の観.}川からきかれたものてあ・た。ヒころが、円.ーは=教育宗教,関係㎜.において、 新たに一教吉の必要」をそ.のピ張に加えて、き.小教ヒ教育の関係↑、=リきのように捉え一、い・. .宗教はノ、を㍗↑〔、始のて盛なるしのなれは仏教を再興せんには先づ,ノ仏教.家ヂ.養成せ・べ}るへか・、す是れ仏教内部に 教.百.必要な○所以・、>u∴又仮へp仏教己ぷの智識のみ進・歩するも社会一般の人知進歩せさ・∂ときは仏教をして盛昌ならし 「、 ノる、生得.何-.二なれは一般の人智,の程度低きレニx)は外部より刺戟を与ぷることなきを以げ、宗教、示は自㌻且f.地に甘ん 、・改艮進ジの、己起・、・ことプ・し是れ国民教育の一般に必要なる所以なり.」二●百) 、川了はゾト.の理田の他に、[]本が西汗諸国と対等の地位と資格を得:∨ために締新以衷・刀ご□\・して、米て、今日ごはあ ・」程度進展はあるが、そノ主力とい二,点では依然として「彼に比して劣る所」が麦り、前記の自的㌻達ずるためには 「教衣13に依、べ.〕る を得なーので、右ご二三口う。円了は、教育】宗教の一者の関係を、ほぼつぎの三つの点乙㌃解明し ∠、いる.、第.は教育と宗教は「之を理論上より講究す,〃ときは共に哲学に属するものにして之を実際上より観察すれ 8{1. \\ 蝉疏(哲卍.三 ,/ .刈正哲パー- v噛 ㌔、 「/ ノ .㌔ / 、 /
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以上・∵ごつに、円了は「余か護国愛理の二大日的を達するには此教育と宗教とを興起するより適切急要なるはなし (二八頁\.二結論づバ.㌧〔、いる.、ー.一かし、円了の周囲の人々の目には「前には仏教の保護者として熱心にし♂、今は大に 冷淡なり」(、二..百二と.映り、あるいは「世人は余か目下日本大字設立の事業に全力を尽くせるを見て初に仏教恢復の ・句力吝戸下・・りしるン今は其精神を変」二、仏教外の事業にのみ奔・走する一(三七頁)というように、円rが変心したと受け止 められたために、専門科開設の募金は「今全一年間募金ノ結果ヲ検スルニ其予約ノ金額末タ予定資本,・五ト分..ー セス其既納ノ金額、「・如キパ僅カニ百五十分一ヲ充タスニ過キス」(⊃一十四年度報告書二という結※になっ.たと考えら れス、、二れに対.して、°彼はつぎのように反云柵する..学
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あ.関係を図示している。、 繰す故に吾人の一身中に・心を以て教育と ‥は教ム同と{示教-二.の口伯関係するもの一(二宗五
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.余か志向多少変遷する所な已、)にあらす初には宗教一方を取り次には教育宗教を併せ取り前には仏教のみを再興せ 八】欲し後には国家と仏教と共に隆盛ならしめんことを望めり然れとも余か大体の目的精神に至りては毫も変する所 なく只其51識に前後広狭の差あろのみ換言すれは目的の変更にあらすして発達なりL(三一.ー三二.頁) 円rW、∵巨己目的の「発達」につい一、、第,点は仏教に関する社会的環境が七、八年前・の廃滅的状態に比へて「近年 仏教の形勢大に、変「ご⌒二、一..百二て侵興状態にあることを、その理.由に挙げている.、第一.点は、第.点を消極的なも のとすれぱ、口己の立場を積極的に一余は又多少世間の仏教家ヒ意見の異なる所なきにあらす余は教育と宗教との間 に立ちて一万には教育を盛に」…方には仏教を興さんとし以一、二者の調和を計らんとする者なりL(三七頁)と主張し ブ\いる.のである. 班者は二い第.一点に。教育と宗教の衡突Lの影響があるー二見る。教育勅語は、日本国家が倫理的実体ー二して価値・内 容の独ド臼的決定者たること.の公然たる宣言であ〔.たL二礼山真男「、超国家主義の論理と心理}が故に、キリスト教は ト考・一の対-.㌧を余儀な・こ、」狙たノで㊤るが、哲学館ヒいう教育の現場と仏教再興を目的にした円了にとっても、勅語 に㌦.リ、∵∴、あるいは仏敦にL.Lつのかの決断を追られる問題一であった,結局、円了はこの二つを調和きせる立場を選 択する、.それにヒ㌧なンニ、.護日愛理 の二大H的を達成寸ることも「仏教再興」か二、勅語ヒ仏.教の興起一べと対 .、たのぞ、烹るし、それがその後の円了.の活動を規定することにもな一.たのである 歴史的 二みれば、日.!‘∴教育事業こ教育勅語普及の全園巡講がその後に展開されるが、明治.二「五年十、、円の所謂.哲学館 蜜∴仔」で哲学館は足部省・ごソ中等教育無試験検定の特典を剥奪され、円.〜は再び国家との関係を問わざるを得な:な るのである〔 82
六 「仏教革新一と、国利民福一べ 大学から退隠し市井の人となった晩年の円了は、仏教革新について語る一方で、国連発展の方法の一つは「国利民 福」であるという立場から、実業道徳を含む国民道徳の普及・発展にカを注いでいる。生活の場の変化の中で、円了 は「護国愛.理「をビのようにし〔、実現しようとしたのであろうか。 明治三卜九年一月、円.」は哲学館大学(東洋大学の前身)、 51北中学校の校長を辞任する(明治四卜年三月には京北 幼稚園々長の職も辞任ご、円了はその後、都内中野の哲ぽ子堂におい〔、⌒,修身教会Lの拡張に従事し、この運動に全・刀を 尺・し、大衆啓蒙活動を展開する。彼は明治四十五年の明治天皇の死去を機に、「今後余命のあらん限り、仏教革新の素 志を貫徹して奉答の寸衷を捧げん とい・つ動機から『活仏教』を出版している。同書は明治四十四年の南半球遠遊中 に「護法活論を起草して、仏教活論を大成するの急要を自覚して」帰国後にその準備をしたものであったが、「先きに 顕正活論を編述せしより、二十五年の星霜を隔て社会の風潮も宗教の情態も大に変移したれば、余の志向を発表する 形式に於ても、自然に改変すろの必要を感じ、護法活論の旧名を用ひずして、新たに活仏教の題号を選定せり、随て 其内容も先年の腹案と同轍ならさる所あり」(二四頁)ものである。円了は仏教革新について、先ず西洋の宗教と日本 の仏教を比べて考察すると「少くも三四百年の相違あり」て、仏教の革新を一日も早く行なわなければならないとし 〔、、つぎのよ∫、に述べている. ,斯く公言し来らば世間或は余を日して、仏教のマーチンルーテルを気取るものとなす人あらん、是れ余の遠ー当 る所にあらず、且つ革新の本意にあらざるなり、余の期する所は決して旧仏教を全排して、新仏教を樹立するにあら ず、諸宗を統一して、仏教の新紀元を開くにあらず、只余が所望は従来の各宗をして、其理論其実際共に世界の大勢
に伴ひ、国運の進展を助ーるやうに刷新を行はしめ、此目的を達する為め、国民の輿論を喚起して、外より革新を促 きしめ八とするに外ならず、換言すれは内外相応して小乗的宿弊を除き、大乗的面目を開かしめんとするにあり、更 に換=。口すれは死仏教をし’、活仏教となさしめんとするにあり。 余自ら革新の中枢に当るを避け、已ーテルの位地に立たざるは、或は卑怯の評を免れ難きも、凡そ事の成功を期す るには、必ず順序階梯あることを忘却すべからず、其順序としては先づ革新の警鐘を鳴らして、其時機の到来せるを 世間に報がるを初めとなす、即ち余は其任に当るものなり、故に余は大喝一呼して、内外に警報するを以て足れりと す、然れども世間若し此声に応じて、更に革新の一歩を進め、東洋のルーテルもカルビレも出て、明治の伝教も弘法 も起り、白雨.天を洗ひ去るが如き大々的華新の実現を仏教界に見るは、余の国家百世の為め、仏法万歳の為め大に 歓迎丁る所なり、但し其革新が死仏教をして活仏教たらしむること能はざるに於ては、余は飽まで反抗の態度を取ら んのみ》一へ.七-‘.九頁) 円了は大乗仏教を重視し、缶教の方法は、出世間的なものを世間的として、国民道徳を述べるように各寺に教会を 開設し、布教を行なわず.寺院僧侶の名義に戻ることなれば、内務省より命令を下して教会を開かしめて可ならん、 而L㎡、其教会には.ふ、いの宗意を説く外に、必す国民道徳を述ぶる様に一(.一一一、頁)改良すべきことを提起している。 円了がいう国民道徳とは、公徳の他に実業道徳(二一三頁)を含むもので、従来の出世間的なものの他に現世におけ る職業道徳を説ーことによっ評、、葬式仏教から脱皮して生活に結びついた仏教、すなわち世間宗への転換を企図した のであ「.たここのように社会に於ける仏教の役割を高めようとした円了は、仏教界全体の「革新」についてつぎのよ うに提二.口しコ、いろご 第一は勅語による方↑.いてある。円了は、明治維新と仏教の関係を、「明治の今日百般の文物は面目を、新」たりとい 84
ふも、 一とし一、政府の策励によらざろものなかりしLが、仏教が腐敗したこヒについては徳川幕府の保護政策レニ‘維 新以後に至りては官民共に之を蔑視し、之を冷遇したりしたものLが原因で、「独り仏教に至りては政府は・ノ」を放任し、 輿論は之を不問に付し、人民は乙を度外に置き、全く捨子同様の待遇L(九頁)であ〔,たと捉え、明治時代において、 軍人には﹁軍人勅諭[、教育家には﹁教育勅語﹂、農工商等一般の国民には﹁戊甲詔書﹂があ︹,たが、﹁宗教家に於ては 未だ鳳詔を拝するの呈沢に浴せず」(一C頁)として、それがあれば「如何なる痴僧頑徒も必ず一時に長夢大覚すろに 至る」と述へている。第.、の方法は社会的圧力によるもので、革新の実行を「輿論の声、官民の力の外より加わるを 第.とし、仏教内の青年学生の内より之に和するを第二とし、内外相応じて本・山を動かし、之をして革新の急務を自 覚せしむるを第三とす、本山一たび自覚し〔、、革新の方針を取るに至らば、一般の寺院僧侶は一令のドに忽ち頑眠よ り驚起すべ・\仏教界の面目忽ち.新する」(一七四頁)と考えたのである。円了は死仏教を活仏教へと、仏教界の腐 敗の現状を変えるには一上からL一外からLの改革てなければ困難であるとみていたのである.、(具体的には。仏教の 将来^を参.照二. 円了の口護国受理」は仏教の再興を出発占…としていたが、この=活仏教一ではそれに関する記述は少ない、その原 因は、前述の執筆動機の中て、時代の変化に対応♪、・せて表現形態も変更せざるを得ないという立場をとったためであ ろうか.本文中には、一護国愛理Lの言葉そのものは見当らず、関係する部分レ しては、一仏教活論』の出版口的とそ の実際について(二三貞)と、「.非僧而俗の素志」二.○頁)と経歴を紹介した二つの経過説明の文章だけである.、こ れに対して、つ苦、」の点か日をひいた.。それは、節のタfトルが「護法愛国の至情」で、文章では「余は愛国護法の至 情より革新の急務を唱道するに至れり」(二二七頁)という記述である。今回筆者が資料とLた円了の著述の中で「愛 国護法﹂という 言葉はこの[活仏教⊆にしか見られなかった。円了は﹁.護法愛国﹂レこ‘愛国護法Lを意識的に使分け
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研究により〔、漸く習得したろ理想的道徳を以て、己れの心にきせる着物と もの、就中学間もなく知識もなきものにまで着せようとする風がある・、(中 、そこに〔、んらかの意味をもたせようジ「二、いたのであろろか.、この点については、前述の仏教革新と、つぎの『奮 哲宇=における「護国愛理 との一.⊆、・の関連で考察斗べ一れなければならないであろう。というのは、最晩年の「護国変化かみられるから,
筆者が現.時・点で確認した最も晩年の「護国愛理」に関する著述は、死去の二年前にあたる大正六年の耳奮闘哲学⊃ 、、.、同書は大学の職を辞した円了が自己の大衆啓蒙教育活動の組織である「修身教会」・,国民道徳普及会一を支部 し、各所ヒの連絡場所としての中只である「哲学堂」において行った講話・講演を編集したものである.、円了は自 教育受▽し其人は、徒食を好みわ食を、厭ふやうに傾吉三、、学が進めば進むほど、ブラ▽・キも が多.くな、り、家は日に増し貧乏し、国はもとより疲幣する、其罪誰れに帰すべジ、’や、上に立ちたる学者より手本を す故なら八、今、.☆り後は用もなき、死学屍理屈やめにして、国を益する活学を、興することこそ急務なれ、(中略) は世間の学・者を置族的と称し、余自身rをば百姓的と唱.へて居る、曾て福沢翁は平民的学者を以て任ぜられたが、余 ,、 ン.段.トリてヒ百姓的学者である」(七1‘九.頁) mUゴは明治.二Lー几年か㌧Lべ卍六年までのLー二年間に一全国四↑八市、二、●六 町村で、,一、六七九カ所、四、九 . .、二五力、、八六五人一(田中菊次郎「円.〜こ民衆一)であった。その足跡は・南船北 集・一レご二、、円.了、㌢子により記録ン、・れイ、いるここのような啓蒙活動は前記の立場とつぎのような問題意識に基づい 86ノ璽民道徳の普叉に力点牟置ゴ \ i) u ・∨. } 門了の 〃主張は後述の 護国愛理 に基づ.くものでもあっ 〔田中菊次郎「円了と民 宙L 〆戸s\ L_. 土.、乏照∀ 吋て ーし←▲ 、4,ー つ.、当 ∪.コ語.と仏.教の関係に た -㌔ - 、 カ 彼 は 「南船.北馬」 の..講.演において詔勅修身と 外 な ら ぬ ( 頁) 忠君愛国なビを眩.㍗「八ず三,二㌣ 傾 \ 」) L あ つ 巳 依て余が回下門 に重…苦二㌻置く ミ }レ一 〆 ー,ー ユ ー》 う.£ま、 国 家を 目 的