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5面 津田駅(昭和33年) (ファイル名:54912.pdf サイズ:603.28KB)

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明治 31年4 月 12日、津田駅は四条畷 −長 尾間を結ぶ新しい鉄道の駅として誕生しま した。明治時代、枚方から大阪へ向かう交 通手段といえば淀川を行きかう船でした が、津田や長尾の人にとって淀川は遠く不 便で、大阪へ行くのに半日以上もかかって いました。大阪と奈良を結ぶ鉄道の計画が 持ち上がったのを機に津田・菅原の両村で 鉄道の誘致運動が起こり、駅の用地を鉄道 会社に寄付するなど住民の熱い思いもあっ て、 現在の J R 片町線 ︵学研都市線︶ のルー トが決まりました。大阪市内への通勤に津 田駅を利用していた春日元町の奥田一雄さ ん︵ 85歳︶は 、﹁貨物の引き込み線に河内 そうめんの木箱が積まれていてね。駅前の 運送会社が忙しそうに荷物を運んでいまし たよ﹂と貨物輸送で賑わっていた頃を振り 返ります。戦時中は禁野火薬庫から津田駅 まで軍用鉄道が敷かれ、大量の弾薬が戦地 に向けて運ばれたこともありました。 片町線には、昭和 25年の電化後もしばら く蒸気機関車が走っていました 。﹁窓を開 けたら煙がどんどん入ってきて服はすぐ 真っ黒。でも大阪から枚方に入ると空気が 涼しく感じられてね。家に帰ってきたなっ て嬉しくなったものですよ﹂と奥田さんは 懐かしそうに話します。片町線は昭和 54年 に四条畷 −長尾間が複線化され、平成 9 年 には東西線の開通により神戸や宝塚へのア クセスも便利に。津田駅の利用者は一日平 均約 1 万2000人 ︵平成 21年度︶ を数え、 開業から112年を迎えた現在も東部市民 の重要な足として欠かせない存在です。 ︵平成 22年 9 月号︶

河内そうめんも弾薬も運んだ、東部市民の足

津 田 駅

▲昭和33年当時の2代目駅舎。春にはホーム上の桜並木がきれいな花を咲かせていました。 ▲現在の駅舎は3代目。1日に上下約160本の列車が行きかいます。 ▲ まだ田園が広がる津田−長尾間で貨物列車を引く蒸気機関車 (昭和33年)。 5

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