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ペスタロッチ-における「道徳」の構造と「労働」の概念について

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(1)ペス タロッチーにおける「 道徳」の 構造 と「 労働 」 の概 念 に つ い て 小 野 寺. は. じ. め. 律. 夫. │こ. ペ ス タ ロ ッチーは『 見 解 と経験 (Ansichten und Erfahrungen,die ldee der Elementarbildung betreffend,1807)』. の 中 で ,「 愛 (Liebe)」 ,「 従順. (Gehorsam)」 ,「 感謝 (Dank)」 とい った道徳的心 情 と,「 労働 (Arbeit)」. ,. 「 努力 (Anstrengung)」 ,「 勤勉 (Fleiss)」 とぃ った 活動的生活 との 融 合 ・ 一 致 を「 労働す る愛 (Liebe,die arbeitell)」 と表現 し, その教育上 の 価 値 につ いて次 のよ うにのべ て い る。 「 人間 はみずか ら感性 (SinnliChkeit)の 要求 を超越す る こ とがで きる し, 超越 す る こ とを 義務 づ け られた存在 と して ,か れの使命 を満 た す ことので き る手段を かれの愛 とかれの活動 (Tatigkeit)と の一 致. (む bereinstimmung). 以 外 の何物 に も見 い 出 さな い 。 」 「 愛 」 と「 労働」 との一 致 ,そ の ペ ス タ ロ ッチー 固有 の表現 と しての「 労 働 す る愛 」 によ って道徳 的 自由が実現 され るとい う。 本 稿 は ,ペ ス タ ロ ッ チーの労働教育思想研究 の一環 と して ,道 徳的 自由実現 が ,か か る「 愛 」 と 「 労働」 との一 致 に求 め られ る論拠 を「 道徳」 の成立構造 を分析 す る こ とに よ って説明 し,も って ペ ス タ ロ ッチーの「 労働」 の概念 に接近 してみたい。 1)PeSta10zzis samtliche Werke, hrs. ve L.Wo Seyffarth, Erster Supplementband, 1873(以 下 ,PWと 略す),Bd。 17,S。 82(平 凡社版『 ペ ス タ ロ ッチ ー全集 10』 所 収 ,杉 谷雅文訳『 基礎 陶冶の理念 に関す る見 解 と経験』を参照 した こ とを断 って お きたい。以 下略す。). 2)ao a.O.,S.79.

(2) 39δ. ペ ス タロ ッチーにおける「道徳」の構造 と「労働」 の概念 について. その場合 ,『 探究 (Meine Nachforschungen iber den Gang der Natur in. der Entwicklung des Menschengeschlechts.1797)』 の人間 学 的 倫 理 学 説 が 考察 の主 た る手掛 り とな る。. 「 純 粋道 徳 」 の 不可 能性 ペ ス タ ロ ッチ ーの『 探究』 の主 題 は ,社 会的現実 の場面 において ,人 間 の 道 徳 的 自由 がいかに して実現 され るかに関す る人 間学的考 察 に ある。社会的 現 実 に生 きる人間 は ,道 徳性 を 自 己の問題 と して 自覚す るとき,テ ロスの意 味 にお ける自己の「 自然 (Natur)」 の本質 の 中 に道徳法則 を 認 識 し, こ の 当為 の 法則 に したが つて行為 しよ うと意志 す る。そ して ,こ こに成立す る主 体 的行為 と しての「 道徳 (Situichkeit)」. ,す なわ ち「 打 ち棄 て られたわれわ 4). れ 自身 へ の働 きか け (Arbeit an unserm verschitteten Selbest)」. に よ つて. ,. 人間 は 自己の道徳的 自由を実現す る。かか る「 道徳」 が成立す る構造 は ,次 の よ うな感動的表現 を も って語 られ る。 「 わた しの 自然 よ !わ た しはお前 を嘆 き悲 しんで きたが ,こ の瞬間 に ,お 前 は崇高 な る もの と して ,わ た しの前 に立 つ 。わた しは,わ た し自身 の廃墟 の上 で ,再 びお前 にほほえみか け る。そ して ,こ の廃墟 の瓦礫 の上 に ,わ た 」 し自身を よ り善 い生 へ と再建 す るのだ 。 「 道徳」 は ,以 上 のよ うに , 道徳性 や道徳法則 の「 認識」, 法則 に したが う「 意志」, お よび この「 意志 」 に もとづ いてお こな う「 行為」 とい う要 素 に よ って成立す るが,「 道徳 」を成立 させ る本質 は, い うま で もな く法則 に したが って行為 しよ うとす る「 意志」 で ある。 い った い ,ペ ス タ ロ ッチ ー に よれば ,「 道徳 」を可能 にす る根拠 は, 決 して「 動物 的観察方法 の必 然的 な 3)BOrn,MO Die Einheit von Pestalozzis Anthropologie und PadagOgik, Diss., 1977, S。. 153. Fischer― Zist,F. 芭ber Pestalozzis Freiheitsbegriff,Diss.,1951,S.44. 4)Pesta10ZZi,Samtliche WerkO, hrs.v◆ Ao Buchnau, Edo Spranger, H.Stettbacher (以 下 SWと 略す ),Bd・ 12,S.112(玉 川大学版 『 ペ ス タ ロ ッチ全集 6』 所収 ,. 虎竹正之訳『 ペスタ ロ ッチ 0探 究』を参照 した こ とを 断 って お きた い。以 下 略 ) す。. 5)a.a.00,S098f.

(3) 小 野寺. 律. 397. 夫 6). 印象」 に制 限 され る「 悟性」 の作用 に求 め られ ない。 「 処世 の術 (Weltklug‐ heit)」. と しての「 悟性」 か ら独立 して い る の が ,「 道徳」で あ る。「 道徳」. とは ,「 わた しの 自然 の動物 的衝動 に抵抗す る誠 実 な 意 志」,あ るいは又. ,. 「 わた しがわた しを醇化 しよ うとす る,正 しきをなそ うとす る純 粋 な意 志」 ,. カ ン トの言 う「 善 意志」 に もとづ く行為 , す なわ ち,「 わた しの 自然 の 動 物 的衝動 に抵抗す る誠実 な意 志 (ein treuer Wine)な く して はあ り え ない よ うな方法 で ,わ た しの動物的 自然 の一 切 の錯覚 (Tauschung)か ら逃 がれ よ 8). うとす る努力を根 底 に もつ 行為」 で あ る。 「 道徳」の本質 は ,以 上 のよ うに して ,「 誠実 な意志」 (「 純粋 な意志 (der reine Wille)」. )に あ り,「 誠実 な意 志」 (「 純 粋 な意志」)は ,「 道徳」を 成立. させ る本質的要素 で あ る。 しか し,こ こに成立す る「 道徳」 は ,な おその前 提 と して ,次 の二 つ の条件 を必要 とす る。 その第 一 は,「 純粋 な意志 とわた しの認 識 の一 定 の型 (das beStimmte Mass meiner Erkenntisse)と の結合 」 で あ り,第 二 は ,「 純 粋 な意 志 とわた しの境遇 の一 定 の状 態 (der beStimmte. Zutand meiner verhaltnisse)と の結合」 で あ る。「 わた しの道徳 は……… 純 粋 な意 志 をわた しの認識 の一 定 の型 ,な らびにわた しの境遇 の一 定 の状 態 に結 び つ け る方法 に他 な らな い 。 」 ここで , まず第一 に ,「 純粋 な意 志」 と結合 す る「 認識」 とは一体何 か。 人間 は「 良 心 」 によ って ,神 を恐 れ ,自 己の罪 を悔 い ,い わゆ る「 内心 の律 法 」を「 認識 (識 別 )」 す る。 い った い ,人 間 は , 内な る良心 の 声 に呼びか け られ て「 正 しきを行 な う」 とい う道徳性 の 問題を 自覚す ると共 に ,道 徳法 則 を認識す る。 そ して ここに , この法則 に したが う「 純粋 な意志 」 (=「 善 意志」)に もとづ く「 道徳」 が成立 す る。 「 人間 は ,神 を畏れ ,正 しきをなそ うと欲す る。人 間 は ,神 を畏れ ,か れがそれ 自体軽蔑 して い るかれの 自然 の 動物 心 が ,か れ の最 も内 な る ものを ,も はや はずか しめないよ うに しよ うと a.a。. 0。. ,S.112. Stein,A. Pestalozzi und die kantische Philosophie, 1969,S. 181 SW。 12, S. 112. Buchenau,A.Pestalozzis Sozialphilosophie, 1919, S。 109 SW. 12, S. 112f.

(4) 398. ペスタロッチーにおける「道徳」の構造と「労働」の概念について. 欲す る。 このため ,人 間 は ,何 をな しうるかを感 知 し,か れがな しうる こ と を ,か れがなす べ き こ との法則 とす る。人 間 は ,み ず か らがみずか らに課す るこの法則 に したが う時 ,わ れわれ の知 る一切 の存在 か らみずか らを区別す る。 」 いわば「 神 へ の 畏れ」 とい った「 良 心」 に もとづ いて道 徳性 や道 徳法則 の 「 認識」 が導 かれ ,当 為 と しての道徳法則 の命令 をみずか らに課 し,こ れに みずか ら したが う ことによ って,「 道徳」を成立 させ る「 意志」 の 作 用 が 可 能 とな るのだ。 したが って ,「 純粋 な意志 と認 識 の一 定 の型 との結合」 は. ,. 「 道徳」が成立す るために必要 とされ る条 件 なので あ る。 こ う して ペ ス タ ロ ッチーにお いて は,カ ン トと同様 ,「 道徳」 は「 善意志」 を その本質 と し,「 意志 の 自由 (自 律)」 を その根 本原理 と して語 られ て い る。 に もかかわ らず , かか る自律 (Autonomie)の 理 論 は ,「 ペ ス タ ロ ッチーに 」 といわれて い る。 と って 単 に養子 にす ぎず ,決 して実 の子 で はな い 。 「 死の 飛躍 (SaltO mortale)」 とい う宗教的超越 によ る形 而上 的深淵 か ら の 人 間 の. ,ペ ス タ ロ ッチー は カ ン トや フ ィ ヒテの 自律 の 理 論 を援用 して合理的 に語 ったのだ とい う。た しかに ,ペ ス タ ロ ッチーに と っ 復 活 (Wiedergeburt)を. て ,自 律 の理論 は「 道徳」を合理 的 な形式 で語 る,い わゆ る「 理論装 置」 で あ る。それゆえ ,後 に詳述す るよ うに ,ペ ス タ ロ ッチーの「 道徳」 において は ,道 徳的 自律 それ 自体 が重要 なので はな く,そ こに具体 的展 開をみ る「 隣 人愛 」 の実践 と しての「 道徳」 が重要 なので あ る。 と ころで ,カ ン トの 自律 の理論を援用 しなが らも,「 道徳」を このよ うに「 隣人愛 」 の実践 と して 具 体 的 に展 開 せ しめ る要 因 こそ ,実 は「 わた しの境遇 の一 定 の状態」 に他 な ら な い。 故に ここに ,「 純粋 な意志 とわた しの境遇 の一 定 の状 態 との結合」 が. ,. 「 道徳」 が成立す るために必然的 に要請 され る第 二 の条件 とな る。 「 境遇 (Verhaltnisse)」 とは ,ペ ス タ ロ ッチーが「 動物 的 に近 い対象 (die. D整. た fttYサ T督 疑里彎 あ 周船葬,M犠 子 %薫猟 掃 彎課 ぴ ,S.271f. 12)a.ao O。. 13)Rebel, A. Pestalozzis Menschenbild und die Gegenwart, 1952, S. 29.

(5) 399. 小野寺 律 夫 "tierischen nahen Gegenstande“. )」. と呼ぶ,「 個人的地位 (IndiViduallage)」. あるいは「 人 間 自 然 の 現 実 関 連 (Realverbindungen der menschlichen Natur)」 とい った「 最 も近 い 特 殊 な 生 活 関 係 die nachsten besonderen. Lebensbezige(環 境 Milieu)」 で あ る。 「 境遇」,す なわ ち「 最 も近 い特殊 な 生 活 関係」 と「 純 粋 な意志」 との結合 が「 道徳」を成立 させ る前提 条件 と し て設定 されてい る ことは ,な るほど,「 意志 の 自由. (自. 律)」 を根 本原理 とす. る「 道徳」 にはな じまな い。 しか し,自 律 の理論 が ペ ス タ ロ ッチーに と つて. ,. 一 種 の「 理論装 置」 で あ るとみれば ,そ こに は矛盾 で はな く,む しろかれの 独 自性 を見 て とる ことがで きる。 この非 カ ン ト的 な独 自性 が 「 感 性 的 な る もの」 と「 道徳 的 な る もの」 との結合 と して の「 連続性 原 理 (Kontinuitat‐ sprinzip)」 で あ るが ,「 純粋 な意 志」 と「 境遇」 とのかか る結合 が要請 さ れ. る必 然性 は ,い わゆ る「 純粋道徳 (Reine Sittlichkeit)」 が不可能 で あ ると い うと ころに起 因 して い る。「 わた しは………純 粋 に道 徳 的に , す なわ ち. ,. わた しの動物的 自然やわ た しの社会 的境遇 か ら完全 に独立 して ,感 じた り. ,. 考 えた り,行 な った りす る ことはで きな い 。 」 「 純粋 道徳」 は ,ペ ス タ ロ ッチ ー によれば ,イ エス が「 山上 の説教」 で示 した心 情 の「 無邪気 (Unschuld)」 にのみ義を求 め , 感性 の必要 を充足 す る 世俗生 活 にお け る苦 労や努力か ら自由で ある ことを命 じ る。そ の 意 味 で は 「 純粋道徳 」 は抽象 的 な非労働的生活を人生 の理想 と してかかげ る。 しか し. ,. 「 無 邪気 とい う汚 れな い財産 は ,死 す べ き運命 に ある人 間 の持 ち分で はない。 人間 は ,母 の膝 で最 初 に泣 き声 を あげた とき,そ れを失 ない ,自 己の心情 に それを再 び 回復 す る前 に死 ぬので あ る。 」 に もかかわ らず , 一切 の感性 的契 機 を排 して ,完 全 に純粋 に道徳 的 で あれ と 要 求 す る こ と,つ ま り「 純 粋道 徳」 の要求 は人 間を欺 くもので ある。 14)Spranger,Edo a.a.0。. ,. S. 100. 15)a.ao O. 16)SW。 12,S. 109 17)a.ao O。 ,S.110f. ttet B.Arbeit, Bildung, Geselschafto PadagOgische Grundprobleme bei Pestalozzi und Marx, 1970,S. 19f 18)SW。 12,S。 111 Tollkё.

(6) 4θ. θ. ペスタロッチーにおける「道徳」の構造と「労働」の概念について. 「 完全 に純粋 な道 徳 へ の要求 は ,社 会的状態 の堕落 において ,わ た しが す で に失 な ったわた しの 自然 の無 邪気 の近 くに あ りうるよ りも,も っ と近 くに い るかのよ うに ,わ た しを 信 じさせ るで あろ う。動物 的堕落 の苦悩 と抑圧 の 真直 中 にい るわた しを ,悪 を知 らな い夢 の ゆ りか ごの 中 に眠 り こませ て ,生 活 の骨折 りに対す る全 き無頓着 さへ と導 くで あろ う。 」 「 純 粋道徳」 は ,こ う して否定 され る。そ もそ も,人 間 が完全 に純粋 に道 徳 的 で ある こ とは ,不 可能 なのだ。 ペ ス タ ロ ッチーは ,そ の理 由 と して 次 の 二 つ を あげ る。 第 一に ,「 純 粋道徳」 は , 動物的 ,社 会的 , 道徳的諸 力 の全体 と しての人 間 の 自然性 に矛盾 す る。「 純粋 道徳 は, 動物 的 ,社 会 的 ,道 徳 的諸 力が分離 されず に相互 に密接 に結 び あ って あ らわれ る,わ た しの 自然 の真理 に矛盾 す る。 」第 二 に ,人 間 は ,い かに道徳 的 で あ って も,「 社会的存在 (gesdISCha_ iliches Geschё p⊃ 」 へ の生成 にお い て 必 然 で あ った「 強制 (Zwang)」 や. 「 錯覚 (TaisChung)」 の「 印象 (Eindruck)」 か ら生涯 自由で は な い と い う点 に あ る。 この「 印象」 か らは真理 の最 高 の 状 態 と して の「 師匠 の真理 (MeiSterwahrheit)」. で さえ も自由で はな く,故 に純粋 の真理 はあ り得 ない を. だか ら,そ の限 りにおいて ,人 間 は決 して純粋 に道徳 的 に ,す なわ ち,動 物 的要求 や社会的境遇 か ら独立 して感 じた り,考 えた り,行 為 した りす る こ と はで きな いのだ とい う。 第 三 に ,「 純 粋道徳」 が不可 能 な理 由は , 人間 の認識 力や意志 力 の衰弱 に あ る。い った い ,人 間 は「 自己の生涯 の両極 に無 邪気を見 るが ,そ の両極 の 中間 に あ って 自己の罪 の嵐 に漂 されなが ら生 きる」 ところのいわば不可避的 に原 罪 を負 う存在 で ある。罪 は人間 の心 に決 して完全 に は消えない根 跡 を残 す が故 に ,人 間 の認識や意志 の 力 も当然衰弱 を免 がれ得 な い とい うので あ る。 19)a.a。. 0。. ,S.110. 20)a.a.0。 ,Se 109f 21)ao a。. 0。. ,S.95. 22)a.a.0。 , S。 108 23)a.a.0。 ,S。 109 24)L〔 Onika,Bo a.a.0。. 25)SW. 12,S. 111. ,S.159.

(7) 小野寺 律 夫. そ もそ も,「 純粋道徳」 が 目的 とす るのは「 無邪気」 の 回復 で あ る。 しか し ,. 人間 は「 罪深 い生活 の 中 に打 ち棄 て られ て い る」とい う。 したが って,「 無邪 気」 の 回復 は,「 打 ち棄 て られたわれわれ 自身 へ の働 きか け」 によ つて 実現 され るのでな ければ な らな い。 「 道徳」 とは ,ペ ス タ ロ ッチーに と つて ,「 わ た しの罪 とわた しの堕落 との本質」を 自覚 し,「 死 の飛躍」 とい う自由 の 中 での「 制欲滅情 (Abtё tung)」 「 新生 (Wiedergeburt)」 と して ,「 無 邪気」. (=「 道徳的 自由」)を 回復 す るところの「 打 ち棄 て られたわれわれ 自 身 へ の働 きか け」 に他 な らないのだ。 以上 のよ うに ,「 純粋道徳」 の否定 と,「 道徳」を「 感性 」 との結合 にお い て把握 す る「 連続性 の原理」 とは ,カ ン トの 自律理論 と決定 的 に見解 を異 に す る。そ して ,こ の ペ ス タ ロ ッチーの独 自性 が「 純粋 な意志 と境遇 の一 定 の 状 態 との結合」 を も って道徳 を成立 させ る条件 と して要請 したので ある。で は , このよ うに して「 道徳」 の成立条件 を構成 す る「 境遇 」 は,「 道徳」 の 成立 に どのよ うに関わ る要 因な ので あろ うか。. 労. 働. と. 愛. 「 境遇」 とは ,す でにのべ た よ うに ,「 個人的境遇」,「 最 も近 い特殊 な生 活 関係 」 で あ り,「 道徳」の本質 と しての「 純粋 な意志 」 (=「 善 意志」)│ま. ,. この「 境遇 」 と結合 す ることによ って は じめて「 道徳」 の成立 を可能 とす る。 したが って ,「 境遇 」 は ,「 純 粋 な 意志」 に もとづ いて「 道徳」 が可能 とな る よ うに作用 す る要 因 なので あ って ,『 探究』 にお いて は ,そ れ は ,「 道徳」 を 媒介す る要 因 と して把握 されて い る。 「 わた しは …… その境遇 に耐 えて ,よ り高 い 自 己の独立 へ と成 熟す るまで は ,そ の境遇 にお ける経験 (Erfahrungen)を 介 して , 社会的状 態 が依存 す るところの動物 的堕落 の まやか しや無価値 を完全 に確認 す るまで は…… この 境遇 か ら脱す るべ きで はな い 。 」 「 わた しは 中間的状態 の衝動や経験 を経 る こ a.a。 0。. S. 39,S。. a.ao O。 ,S。. 109. 11lf.

(8) 4". ペスタロッチーにおける「道徳」の構造と「労働」の概念について. とによ って ,真 の ,わ た しの 自然 とわた しの境遇 の全体 を支配 し,完 成 す る ところの道 徳 の認知 に到達 で きるのだ 。 」 「 人間 は ,か れ の本能 の廃墟 の上 で. ,. かれの衰弱 した 動物 力を使 って ,か れ の動物 的 自然 の誤 ちや無価値 をみずか らに確認 させ ,そ うす る こ とによ つて道徳的権利を認 識 させ るよ うに導 く経 験 を集 めな ければ な らな い 。 」 「 境遇 」 とは , 上記 の引用 か ら明 らかな よ うに ,「 経験 」 の展 開す る場 で あ る。 したが って ,「 境遇 」 が「 道徳」の媒介的要 因 で あ るとは ,「 経験 」 が 「 道徳」 の媒介的要 因 で あるとい う こ とで ある。 で は ,「 経験」 とは何 か。 それ は ,人 間 によ る環 境 の変革 と人間 の 自己変容 との活動を基本 とす るあ ら ゆ る社会 的行動及 び その成 果 の総体 を含 む。「 社会的人間 (gesdヽ Chattliche. Menschen)」 に関す る『 探究』 の人 間学 的 ,歴 史哲学的考 察 によれば ,な る ほど ,「 社会 的人間」 は ,そ の本質 において感 性 的 ,動 物 的で あ る。 しか し ,. その生 存形態 が「 労働」に依 存 す る点 にお いて,「 自然人 (Naturmenschen)」 と区別 され る。 「 社会 的人間」 は ,「 職業」 と して実現 され る「 労働」 に感性 的 自己保存 を充足す る手段 を求 め ,「 労働」 の 成 果 を「 財産 (Eigentum)」 に確保 し,み ずか らの生命財産 の 安全を「 法律 (Gesetz)」 ゃ「 官憲 (Obrig‐ keit)」. に求 め る人為的体 制を構築す るとい う。 したが って ,「 経験」 とは. ,. ペ ス タ ロ ッチーにお いて は ,「 境遇」,す なわ ち「 最 も近 い特殊 な生 活 関係」 にお いて ,環 境 と人間 との相互 作用 を媒介す る活 動 と しての「 労働」を基 軸 と して展 開す るあ らゆ る社会的行動 だ とい う こ とがで きる。 とすれば ,「 労 働」 は「 道徳」 のいかな る媒 介的要 因で あ るか。 「 労働」 の媒介的 要 因 と し ての意 義 は次 の二 つ に求 め られ る。 第 一 に ,「 労働」 は ,「 わた しの 自然 に と って道徳 が可能 とな るよ うな情調. (Gemitsstimmung)へ 感性 的 ,動 物 的 に導 いて ゆ く」 と こ ろ の 動 因 で あ 28)a.a。. 0。. ,S.110. 29)a.a.0。 ,S.98 30)拙 稿『 ペス タ ロ ッチ ーにおける労働 の陶冶価値 に関す る人 間学的考察」 (甲 南 女 子 大学人間科学年報第 7号 ,1982年 ,所 収 )p.146. 31)SW. 12,S. 76f 32)a.a.0。 ,S.118.

(9) 4“. 小野寺 律 夫. る。い ったい,人 間 が「 社会的状 態 (der geSenscha■ liche Zustand)」 にお い て「 労働」 に従事 す るのは ,「 人間 自然 の動物 心 (TierSinn deiner Natur)」 が「 努力 (Anstrengung)や 生活 の秩序 (Lebensordnung)や. ,い つ まで も. 同 じ職業 の道 を地味 に歩 んでゆ くこ とが 自分 に と つて 自分 の本能 で あ った」 と「 錯覚 (TaisChung)」. させ られ ,そ の「 錯覚」 にお いて「 あ らゆ る生 活. の享受 (Lebensgenuss)が 稼 ぎ (Verdienst)に 依存 す るのでな けれ ばな ら な い」 と思 わ され る ことに起 因す る。 しか るに ,こ の「 動物 心」 の「 錯覚」 は ,人 間 の本源的「 自然性」 の いわば「 崎形 化 (Verstimmelung)」. で ある。. しか し,こ の「 崎形化」 な く して ,人 間 は「 社会 的存在 とはな らず ,市 民社 会 にお いて ,悲 惨 な ,堕 落 した ,無 用 な 自然人 と して生 き」 な ければ な らな い。だか ら,む しろ ,人 間 は ,こ の「 錯覚」 に満足 を覚 え る。なぜ な ら,労 働 は ,人 間 に経済的安定 と,そ の上 に築 かれ る家庭 的幸 福 や老後 の平和 や死 後 の名誉 を もた らすか らで ある。 ペ ス タ ロ ッチ`二 は言 う。 「 かれの悟性 (Verstand)は 陶冶 され る。かれ は この悟性 にかれの本能 よ りもよ り確実 な指導者 を認 め る。かれが 自分 の手 で作 る作 品 はかれに喜 びを 与 え る。かれに と つて は困難 と思 われ るものが ,か れ の満足 を一層高 め る。 かれが背負 う負担 は ,か れが愛 す る人 に と って幸 福 で あ る。かれ の老後 の平 」 和 は確実 とな る。かれの意志 は死後 ま で 及 ぶ 。 経済 的安定 とその上 に築 かれ る家庭 的幸 福等 々は ,人 間関係 において ,他 者 に対す る敵意 で はな く好意的 な気分 ,あ るいは他者 に対す る不信で はな く 信頼 とい った気分 ,つ ま り「 道徳」 が可能 とな るよ うな「 情調」 を醸成す る。 そ して ,か か る「 情調」 を醸成 す るのが ,「 労働」 なのだ。 第 二 に ,「 労働」 は , 人間 に道徳性 をみずか らの 問題 と して 自覚 させ る動 因 で あ る。な るほど,「 労働」 は ,上 述 した よ うに ,「 道徳」 が 可 能 と な る 「 情調」 を導 くと ころの積極的 に肯定 され るべ き 「 経験 」 で あ る。 に もか かわ らず ,「 労働」 は ,分 業 の社会 的現実 において は,「 身体 の特定 の部 分や ao a.0。. ,S.93. a.a.0。 ,S.95 ao a.0。. ,S.94.

(10) 4θ. 4. ペスタロッチーにおける「道徳」の構造と「労働」の概念について. 精神 の特定 の 力を ,残 余 の 身体 的部分や精神諸 力 のす べ てを 損 って ま で使用 させ る」 ことによ って心 身を一 面 的 に崎形化 し,「 他 の器 官 において は全 く 無 力な細分化 された部分品」 へ と人 間を「 道 具化」す る,「 重苦 しい もうけ仕 事」 で しかな い。 ゆえに ,「 労働 Jは 失 われた , 好意 に満 ちた 自然生活 の 回 復 で はな く,む しろ ,そ れを無 限 に失 わせ てゆ く否定 的 な「 経験」 なので あ る。 もちろん ,そ の責任 は「 労働」 それ 自体 にはない。分業社会 にお ける人間 の「 道具化」 は ,人 間 を「 社会的存在」 へ と導 く「 崎形化」 が「 道徳法則 」 にで はな く「 自然法則」 に したが つて お こな われた ことの結果 であ る。すな わ ち, この「 崎形化」 は ,「 虎 が 自分 の穴 を守 るよ うに , 人間 が社会的状 態 にお いて ,わ が もの顔 して 自分 の動物的地位 を守 ろ うとす る一切の市民 的傲 慢 さ (Anmassungen)」 を導 き,動 物的我欲 が この「 傲慢 さ」を刺激す る度 合 も,人 間 が もつ 実力 に比 例 して 高 い とい う。 ところで ,人 間 は,こ の傲慢 な 要求 を成 就 しよ うとす るとき,み ずか ら分業社会 に 身を投 じ,心 身 の一 面 的崎形化 を蒙 りなが らも,互 いに他者 を 自己の 目的に奉仕 させ ると ころ の手 段 とみなす。そ して ここに ,強 者 が弱 者 を 自己の手段 とみなす支配関係 が成 立 す るが ,そ の 強弱 はあ くま で も相 対的 で ある。比 較的 に強 い者 は ,比 較的 に弱 い者 を 自己の手 段 とす るので , ここに人間 はす べ て ,「 細分化 された 部 分品」 へ と「 道 具化」 され るのだ。 それゆえ ,人 間 は , 次 のよ うに 自問 しな ければ な らな い。「 わた しがわた しの地位 や職業 においてな る ことがで きる一切 の ものにな る ことがで きて も ……… その場合 , わた しは心 の最 も奥にお いて 満足す るで あろ うか 。 」 と。 否 なで ある。 人間 がそ こに見 い 出す の は ,「 自己完成 の不可能 な , 動物 的存 在 と道徳的存在 との中間段階」 に あ つて ,「 仕 立屋や 靴 屋や 鋏 と ぎ 師 や 君 主 に とどま り人間 にな らな い」 と ころの「 市民 的半人間 (ein birgeJicher 36)a.a.O。 ,S.76ff 37)a.a.0。 ,S.92,S.94 38)a.a。 39)a.a。. 78f. 0。. ,S。. 0。. ,S.95.

(11) 小 野寺. 律. 夫. 4θ. 5. 40). ηsθ λ)」 にす ぎな い , とうてい満足 しかね る 自 己の現 実存在 で ある。 〃αJbπ θ そ して ここに ,人 間 は ,道 徳性 を 自己の問題 と して 自覚 せ ざ るを得 な い局面 に立 つ 。 「 労働」 は ,こ のよ うに肯定 的 な らびに否定 的 な「 経験 」 と して ,前 者 は 「 道徳」 の成立基盤 と しての心理 的 な「 情調」 を導 く動 因 と して ,後 者 は 「 道徳」 の成立要素 と しての 道徳性 の「 認識」を 喚起 す る動 因 と して ,「 道 徳 」 の媒介的要 因 とな ってい るので あ る。 さて ,以 上 みて きた ところによ って ,わ れわれ は「 道徳」を次 のよ うに規 定 で きるで あろ う。 す なわ ち「 道徳」 とは ,「 善 意志」 と しての「 純粋 な意 志 」 (「 誠実 な意志 」)を も って「 道徳」 が成立す る本質的要素 と し, さ らに この「 純粋 な意 志」を「 良 心 」 に もとづ く「 認識」 と,「 労働」を基軸 とす る「 経験」 の場 と して の「 境遇 」 とに結合す る ことを も って「 道徳」 が成立 す る二つ の前提条件 と し,も って「 道徳」 の成立 を可 能 にす る構造―一 その 場合 ,一 定 の道 徳 的「 情調」 が醸成 して いれば比較的「 道徳」 が可能 とな り 易 い一― そのよ うな構造 にお いて成立す る人 間 の主体 的行為 だ と規定 す る こ とがで きる。 しか し,か か る規定 は ,い まだ「 道徳」 の形式 的規定 にす ぎな い。 『 探究』 は ,さ らに「 道徳」を次 のよ うに内容的 に規定 してい る。 「 わた しの道徳 は ,本 来 …… わた しが父 と して ,息 子 と して ,上 司 と して. ,. 部下 と して ,自 由人 と して ,奴 隷 と して ,こ れ らす べ ての境遇 にお いて ,わ た し自身 の利益 やわた しの満足 で はな く,わ た しの確信 (Oberzeugung)に もとづ いて ,世 話 と保護 と援助 と権利擁護 に義務 を負 い (SChuldig),服 従 と 誠実 と感謝 と献 身をわ た しの義務 と考 え るところのす べ ての人 々の利益 や満 」 足 を求 め る純粋 で 誠実 な 努力を ,わ た しに与 え る方法 なので あ る 。 上記 引用 に もとづ き,わ れわれ は ,「 道徳」を次 のよ うに , 内容的 に規定 す る こ とがで きる。すなわ ち「 道徳」 とは ,人 間 が個 々の「 境遇 」 にお いて 道徳法則 の遂 行 をま さに為す べ き義務 で あ ると「 確信 (認 識)」 す る こ と に 40)a.a.0。 ,S。 125 41)Ⅳ [Onika,B.ac ao O.,S.162 42)SW。 12, S。 112f. ,.

(12) 4θ. δ. ペスタロッチーにおける「道徳」の構造と「労働Jの 概念について. よ って ,他 者 の 利益 や満足 とい う他者 の幸福 とな ることを 自己に固有 な 義務 か ら行 なお うと意志 す ると ころ に構造的 に成立す る行為 で あ り,端 的 に言 え ば ,身 近 な生活 場面 において 自 己に固有 な義務 か ら行 な う他者 へ の奉仕 で あ る。 ところで ,こ こで ,身 近 な生活場面 にお いて 自己 に 固有 な 義務 か ら行 な う他者 へ の奉仕 とは ,「 隣人愛 」 に他 な らな い。 したが って ,「 純粋 な意 志 」 (「 善 意志」)を 本 質 と し,「 認 識」 お よび「 境遇」 との 結 合 関 係 に お い て 構造的 に成立す る,人 間 の主体 的行為 と して先 に形式的 に規定 された「 道 徳 」 とは ,「 隣人愛」 の実践 をそ の 内容 と して い るので あ る。 で は ,ど のよ うに して ,「 道徳」 は「 隣人愛 」 の 実践 と して 語 られ るよ うにな るので あろ うか。 い ったい ,人 間 の根源的 な衝動 (感 情 )と して の「 我欲 (自 己感 情)」 と ベ 「 好意 (社 会感情)」 との 調和 に道徳 の本質 が あるとは , シ ャフッ リーの 感情論哲学 の立場 で あ るが ,ペ ス タ ロ ッチ ー は この調和 の可能性 を「 好意」 の「 我欲」 に対す る優越 に求 め る。「 社会的状態」 は, その調和状態 を破壊 す る方 向 に作用 す るか らで あ る。 したが つて ,こ の社会的現 実 において人 間 が道徳 的に生 きうるた めには ,「 好意」,す なわ ち「 愛 」 とい う人間 の社会感 情 が「 我欲」 とい う利 己的な 自己感情 に優越 して いな ければ な らない。そ し て この優越 を可能 にす る根拠 と して考 え られた のが ,ペ ス タ ロ ッチーにおい て は ,ま さに「 意志 の 自由 (自 律)」 なので ある。 「 人類 は ,つ ね に この好意 の優越 によ って のみ道 徳的 にな る。わた しはわ た しの意志 の 自由 (Freiheit meines Willens)に よ って ,わ た しの動物 的 自 然 の調和 の基 礎 をみずか ら止揚 し,わ た しの我 欲 の一 切 の要求 を もつ わた し 自身 を ,わ た しの意志 の 自由 と この意志 の浄化 された好意 の 自由 とに したが わせ るのだ 。 」 「 意志 の 自由 (自 律)」 は ,な るほど, ペ ス タ ロ ッチーに お い て も,「 道 徳」 の最 高制約 で ある。 しか し,ペ ス タ ロ ッチー は,こ れを 利 己 的 衝 動 を 43)a.a.O。 ,S0118 0。 ,S・ 118. 44)a.a。.

(13) ガヽ 野寺 律 夫. 4θ. 7. 克服 し,も って好意的衝動 の優越 を可能 にす る条件 と して語 る。故 に「 意志 の 自由 (自 律 )」 を根本原理 とす る「 道徳」 は , ペ ス タ ロ ッチ ー にお いて は 「 隣人愛 」 の実践 をその内容 と して語 られ ざ るを 得 な い の で あ る。 しか も 「 意志 の 自由 (自 律)」 を根 本原理 とす る,こ の「 道徳」 は ,「 死 の飛躍」 に よ る形 而上的深淵 か らの人間 の復 活を合理 的形式 において語 る もので あ る。 とすれば ,道 徳的超越 と宗教的超越 は ま さに一 致す るので あ って ,「 境 遇 」 において「 善 意志」を本質 と し,「 意志 の 自由 (自 律)」 によ つて 可能 とな る 人 間 の主体 的行為 と しての「 道徳」は ,内 容的 には ,「 隣人愛 」の実践 とい う す ぐれ て宗教的な努力 につ いて語 って い るのだ。 カ ン トが「 自己自身を超 え て意 志 す る こと」 を教 え るな らば ,ペ ス タ ロ ッチーは「 自己自身を超 えて愛 す る こ と」を教 えた といわれ るゆえんで ある。 もちろん ,こ の「 隣人愛」 の 実践 と しての「 道徳 」 は,「 境遇 」 との 結合 とい う「 道徳」 の 成立構造 に規 定 され るので あ るか ら,決 して内面 的 な信仰 の 問題 にのみ終燎 しない。それ は ,外 面 的 な 活動的生活 , す なわ ち個 々人 の「 境遇 Jに お ける「 経験」, と りわ け「 労働」 にお いて具体 的 に展 開 せ ざ る を 得 な い。 こ う して ,こ こに 再 び「 労働」 が立 ちあ らわれ る。そ して ,こ こに導 き出 され る「 労働」 は新 たな地平 に立 つ ことにな るのだ。 「 労働」 が「 道徳」を可 能 に す る媒介的要 因 で あ るとは ,す でに 明 らかに した。 す なわ ち,「 労働」 は ,一 方 で は ,「 道徳 が可能 とな るよ うな情調」を 導 く感性 的動 因 で あ った。 しか し他方 で は ,ま さに人 間 に 自 己 の 道 徳 性 を 問題 と して 自覚 させ る否定 的経験 で あ るとい う矛盾 の地平 に あ った。なぜ な ら,「 労働」 は , 単 に「 我欲 の感情 と好意 の感情 との結合 (Vereinigung)」 を導 いたにす ぎず ,な るほど,そ の「 結合」 と しての「 調和 (HarmOnie)」 は,「 道徳 が可 能 とな る情調」 を導 くとはいえ , その「 調和」 は両者 の単 な る「 結合」 で はな く,「 好意」 の優越 において可 能 だか らだ。 い わんや ,「 社 会 的人間」 にお け る支配的衝 動 は「 我欲」 で あ る。 とすれば「 労働」 は ,一 方 で「 道徳」 につ なが ってゆ く一 定 の道 徳 的「 情調」を醸成 す ると して も. ,. 45)Spranger,Ed. a.a。. 0。. ,S. 114.

(14) 4“. ペスタロッチーにおける「道徳」の構造と「労働」の概念について. 他 方 で は我欲的努力 と して ,人 間 の「 道徳」 の 問題 に否定 的 に作用す るの は きわめて容易で ある。 しか し, 今 や ,「 労働」 は ,「 愛 (隣 人愛)」 の具体 的 展 開 で ある ことによ って , い わばそ の「 名誉」を回復 されたのだ。「 ペ ス タ ロ ッチ ー は道徳的な るものの 確固 と した尺度 を獲得す る こ とによ って ,社 会 生 活 が道徳的で あ るか ぎ り, その名誉を回復 させ た 。 」 といわれ るゆえんで あ る。 こ う して「 道徳」 が成立す る構造 の 内容的 吟 味 に よ って ,ま ず 第 一 に. ,. 「 愛 (隣 人愛 )」 の実践 と しての「 道徳」 が導 かれ , 第 二 に , その「 愛 」 の 実践 の具体 的展 開 と して「 労働」 が導かれ る。そ して , こ こ に 析 出 さ れ る 「 愛 」 の 実践 と しての「 道徳」 と,「 愛 」 の実践 の具体 的展 開 と しての「 労 働」 とは,不 可欠 の一体性 と して あ り,両 者 の一体性 において「 道徳 的 自由」 が実現 され るので あ る。『 見解 と経験』 は その一 体性 を「 労働す る愛 」 と 呼 んだ。で は以上 の『 探究』 の「 道徳」 の構造分析 か ら析 出 され ると ころ の. ,. 「 愛 」 の実践 を介 して 一体化す る「 道徳」 と「 労働」 の両者 は ,ペ ス タ ロ ッ チーの「 労働」概念 を構成 す るいかな る要素 とな り,ま た ,そ の概念 にいか な る内容 を与 えてゆ くので あろ うか。. 「 人 間労 働 」 と して の「 労働 」 「 愛 」 の実践 と しての「 道徳」 は ,個 々人 の「 境遇 」 にお いて は,そ の具 体 的 な展 開を「 労働」 にみ る。 そ こに は ,「 愛 」 に「 労働」 の動 因を見 て. ,. 「 労働」 に「 愛 」 の満足を見 るとい う「 愛 」 と「 労働」 との一 致 ・ 融合 ,す なわ ち一体性 が存在 す る。そ して ,こ の両者 の一 致 ・ 融合 を意味す る「 労働 す る愛 」 にお いて道 徳 的 自由が実現 され ると語 るのが ,『 見解 と経験』 な の で あ る。 こ う して ,「 愛」 に起 因す る「 労働」 は ,「 愛 」 の実践 と しての「 道 徳 」 が「 目的」 とす ると ころの道 徳 的 自由実現 の「 手段」 で あ る。それ は. ,. また同時 に神 へ の奉仕 ,真 の「 礼拝 (Gottesdienst)」 で も あ る。 な ぜ な ら 「 隣人愛 」 が「 境遇 」 にお け る他者 へ の奉仕 と して「 労働」 に具体化す ると 46)Stein,A.a.a.0。 ,S.193.

(15) 4". 小野寺 律 夫. すれば ,こ こで 隣人 へ の奉仕 とは ,神 へ の奉仕 に他 な らな いか らで あ る。 こ う して ,ペ ス タ ロ ッチーにおいて は , ま さに次 のよ うに言 われ うる。「 宗 教 は道徳 の事柄 でな ければな らな い 。 」 「 キ リス ト教 は全 く道徳 で ある:」 ところで「 愛」と「 労働」 との一 致 ・ 融合 において ,「 愛」に起 因す る「 労 働」 の教育的価値 を構造 的 に説 明 し,も って「 人間労働 (MensChenarbeit)」 と しての「 労働」を 概念 的 に規定す るのが ,ペ ス タ ロ ッチー 最 晩 年 の 著. ,. 1824年 版『 ク リス トラとェルゼ (ChriStOph und EIse.Zweites V01ksbuch von Pestalozzi,1824)』. で あ る。. 「 人 間 は ,内 的 労 働 (eine innere Arbeit)と 外 的 労 働 (eine aussere. Arbeit)と ぃ ぅ二つ の労働を も って い る。外 的労働 が人 間 の 内的労働 に奉仕 す るな らば ,外 的労働 は ,人 間を かれの内 的 な らび に外 的生命 につ いて 同 じ よ うに良 く陶冶す る。 しか し内 的労働 が人 間 の外 的労働 に奉仕 す るな らば. ,. 自己 に対 す る内 的 な心 くば り (SOrge)は , かれの労働が外的 に成果 を収 め るよ うにそその かす一 切の感性 的刺激 に さ らされ ,も って わた した ちの 自然 の一 切 の感性 的堕落 な らびに一 切 の欲望 が 湧 き出 る源 泉 とな る電L ここで は,「 内的労働」な らびに「 外的労働」 が 何 を意味す るか 明 らかに されていない。 しか し,『 探究』 にお け る「 道徳」 の構造分析 を経 た今 ,両 者 の意味 は きわめて明 瞭 に立 ちあ らわれ る。す なわ ち,「 内的労働」が「 愛」 の実践 と しての「 道徳」を意 味 し,「 外的労働」 が これまで のべ て きた , 普 通 に言 うと ころ の「 労働」を意味す るのは一 目瞭然 で あ る。 さ らに言えば. ,. 上記 引用文 中 にお いて ,「 外的労働 が人 間 の 内的労働 に奉仕 す る」 と は ,手 段 と しての「 労働」 が 目的 と しての「 道徳」 に起 因す るとい う「 道徳」 の 自 律性 を意味 し,そ こに生 ず る道徳 的 自由 の実現 お よび認識力・ 技術力 の陶冶 を も って ,「 人 間 の 内的な らびに外 的生命 につ いて 同 じよ うに良 く陶冶す る」 SW. 12,S. 155 a.a.0。. ,Se 157. PestalozziS samlntliche Schriften,Stuttgart und′ rubingen,in der J.G.Cotta'schen. Buchhandlung,Printed in TOkyO,1973(2炉 SW。 7,S。 551. ‐ 下 PSと 口ζ夕)Bd。. 12,S。. 305.

(16) 41θ. ペ ス タロ ッチーにおける「道徳」の構造 と「労働」 の概念 について. と語 って い る。. そ して逆 に ,「 内的労働 が人間 の外的 労 働 に 奉 仕 す る」 とは ,「 道徳」 が の 「 労働」 に依存 して い るとい う,ま さに手段 が 目的を支配す る「 道徳」 他 律性 を意味す る。 な るほど, そ こに は ,「 道徳 」 が可 能 とな る「 情調」 を導 くとい う, 一 定 の道 徳的価値 を 「 労働」 に認 め る ことがで きる。 しか し. ,. ペ ス タ ロ ッチ ー は ,か か る他律 的道徳 に「 道徳」 の本質 を認 めない。彼 は言 う。「 わた しがいかにわた しの息子 を愛 そ うとも, わた しの生活 がかれの家 」 と。む しろ , 分業社会 に 計 に さ しつ かえ るな ら,愛 の伴 は絶 ち切 られ る 。 お いて我欲 の追求努力 と して あ らわれ る労働 の苦役的現実 は ,人 間を道徳 的 な 自 己実現 か ら遠 く離れ て堕落 の淵 に沈冷 させ る。「 自己 に対 す る内的 な 心 」 くば りは……一 切 の感性的堕落 な らびに一切の欲望 が湧 き出 る源泉 とな る 。 とは ,こ の ことを 語 ってい るので あ る。 さて,「 内的労働」 な らび に「 外的労働」 の意 味 , お よび両者 の相互 関係 が以上 のよ うに明 らか にな ると して も, なぜ ,「 道徳」 と「 労働」 とは , こ こで「 内的労働」 お よび「 外的労働 」 とい う名辞 で表現 されな けれ ばな らな か ったのか。 この表現 は,1782年 版『 ク リス トフとエルゼ 』 には見 られ な い。 眼 に した 限 りで は ,1824年 版『 ク リス トフとエルゼ 』 にのみ出て くる新 しい 用語 で ある。 い った い ,「 道徳 (愛 の実践)」 と「 労働」 とは ,両 者 の一 致 ,. こ 融合 とい う一 体性 において道徳 的 自由の実現 とい う課題を達成 す るが ,こ で その両者 の一 体性 とは,そ の課題達成 に 関 して ,両 者 が いずれ か一 方 で も 欠 くことので きな い二 つ の要 因 で あ る ことを意味す る。「 道徳」 がその 内 的 な 要 因 で あ るとすれ ば ,「 労働」 は , その外的な要 因 で あ る。 故 に ,こ こに され た と 「 道徳」 が「 内的労働」 と表現 され,「 労働」 が「 外的労働 」 表現 と考 え る ことがで きる。 しか し,こ の場合 , なぜ ,「 道徳」 が「 内的要 因」 で はな く「 内的労働」 と表現 され,「 労働」 が「 外的労働」 と 相対的 に表現 されな けれ ばな らなか ったのか。 と りもなお さず ,そ れ は ,人 間 の 道 徳 的 自由 の実現 とい う「 道徳」 が課題 とす る目的を実践的 に達成す る手段 と 50)SW。 12,S. 150. して.

(17) イヽ 野寺 律 夫. 4ゴ ゴ. 「 労働」を価値 づ け よ うとす るペ ス タ ロ ッチーの思 想的 ,理 論的努力 の帰結 で あ る。 すなわ ち, ペ ス タ ロ ッチーは,「 道徳」 と「 労働」 との一体 的関係 を「 労働」 の視座 か ら把握す ることによ って ,「 労働」 の名誉 を 回復 しよ う と したのだ。そ して ,こ こに ,苦 役的行為 か ら神 の祝福 に満 ちた功績 あ る行 為 と してその 名誉 が回復 され る「 労働」 こそ 9ペ ス タ ロ ッチーの言 う「 人間 労働」 なので あ る。 「 外 的労働 は ,内 的 ,博 愛 的な 目的 が な け れ ば 人 間 労 働 (MensChenar―. beit)で はない。 その 目的な く して ,外 的労働 は ,ネ ズ ミを 自分 の エサにす るために猫 が 聞 き耳 を立 ててそ れを待 ちぶ せ した り,大 が ウサギを捕 え よ う と して これを追 い立 てた りす ることと同 じだ な 」 「 内的労働」 と「 外的労働」 とは ,「 人間労働」を構成 す る二つ の 要 素 で あ って ,そ れぞれ「 人間労働 」 にお いて 目的性 と手段性 を意味す る内的 ・ 外 的 な構成要素 なので あ る。か く して ,こ こに成立す る「 人 間労働」 と しての 「 労働」 の概念 は ,次 のよ うに定義 され るので あ った。 「 労働 は ,内 的人間生命 の外的 な現 われ (Erscheinung)で ぁ る。労働 は. ,. この 内的生命 を意 味す べ きで あ るのみな らず ,こ れをまた促 す べ きで あ る1」 ここに見 る「 人間労働」 と しての「 労働」 の定義 ,「 労働 は内的人 間 生 命 の外的 な現 われで あ る 。 」 とい う定 義 には,「 労働 は この 内的生命 を意 味す べ きで あ るのみな らず , これをまた促 す べ きで ある。 」 と当為 の形 で 語 る「 労 働」 へ の要求 が付 言 されてい る。 つ ま り「 労働」 の概念 は ,ペ ス タ ロ ッチー において は ,要 請 の文脈 で語 られて い る。実 際 ,そ れ以外 の形 で は語 りよ う がなか った。なぜ な ら,ペ ス タ ロ ッチーは ,労 働が単 に感性 的 自己保存 の一 手段 に堕 す るところ の ,い わば「 疎 外 され た労働」 と もい うべ き社会 的現実 の 問題状況 の 中 にあ って ,そ の現実 を批判 し,現 実 に方 向を与 えな くて はな らなか ったか らだ。で は ,か れ は どの ように現実 を批判 し,方 向 づ けるので あ ったか。 これに具体 的に言及す ることは本 稿 の範 囲を越 え るので ,こ こで. 51)PS.12,S.306 SW.7,S. 551 52)a.ao O。.

(18) 4」. 2. ペスタロッチーにおける「道徳」の構造と「労働」の概念について. は と りあえず次 の三 点 を要約す るに とどめ る。 第 一 に ,ペ ス タ ロ ッチ ー は ,農 村 マニ フ ァクチ ャーの勃興期 にお いて ,一 方 で ,労 働 の経済的価値 が上昇 し,他 方 で ,従 来 労働 に意 義 や 目的を与 えて きた キ リス ト教的生活倫理 がそ の 力を失 って ゆ く中で ,民 衆 が次第 に感性 的 享 楽 や放縦無 規律 の生活 へ と沈治 してゆ く現 実 の 問題状況 の渦 中 に あ った 。 ペ ス タ ロ ッチーの「 内的人間生命 の外的現 われ」 と しての「 労働」概念 は. ,. か か る現実を批判 し,内 面 的信仰 生活 と外面 的労働生活 とが統 一 す る,キ リ ス ト者 と しての道徳 的生活 の再建 に方向 を示 そ う と した もので ある。 ` 己 理学 的 第 二 に ,「 労働」 が「 内的人間 生命 の外的現 われ」 で あ るとは , メ に みれば「 労働」 が知 情意 の心 的過程 の あ らわれ と しての 身体運動 とい う. ,. 心 身 の全体 的行為 で ある ことを 意 味 す る。 したが つて ,そ の「 労働」概 念 は ,労 働 に よ る調和的人間形成 とい う教育課題を導 くこ とを可能 と し,も っ て「 労働」 が単な る経済的手段 で はな く教育 の方法的手段 で ある こ とを主張 し, 当時 の「 産業学校 運動」を批判す るとともに ,「 一 般 的人間陶冶」 の主 張 に方 向 づ けを与 え る もので あ つた。 第 二 に ,ペ ス タ ロ ッチ ー は ,に もかかわ らず ,宗 教 や道徳 や新人文主 義的 な 教育 とい う「 内的世界」 に 自閉 す る こ とな く,進 行す る産業化過程 に民 衆 が主体 的に適応 す るため の教育 ,す なわ ち,経 済 と教育 との 基 本 的 関 係 の あ り方 に積極的 に と り組 んだ。そ して ,そ こに「 職業陶冶」 を「 労働 によ る 労 働 のための 陶冶 (Bildung durch Arbeit und zur Arbeit)」. と把握 す る こ. とによ つて ,「 パ ンの獲得 とい う特殊 な領域 へ の人間陶冶 の応用」 と して の の 「 職業陶冶」 の構想 を確立 したが ,そ れを可能 したのが「 内的人間生命 外 的現 われ」 と しての「 労働」概念 なので あ る。 この概念 は重商主 義的 お よび 美 的人 文主 義的 立場 の限界 を超 えて ,経 済 と教育 との基 本 的 な 関係 の あ り方 に 方 向 を示 す もので あ った。 これ ら個 々の点 の詳細 な研究 は ,後 日に期 した いが ,そ の定義を「 労働 は. 53)拙 稿「 ペ ス タ ロ ッチ ーの 職業 陶冶 の意味 につ いて一一 『 労働 による労働 のための陶 冶』 の概念 か ら見 た一一 」 (甲 南女子大学 人間科 学 年 報 第 8号 ,1983年 )p。 79-83 18, S。 60. 54)SW。.

(19) 小野寺 律 夫. 4ゴ. 内的生命 の外的現 われで ある。 」 とす る ペ ス タ ロ ッチーの「 労働」概 念 は このよ うに して 時代 の社会的現実 に生 きる人 間 の宗教的 ,道 徳的 ,教 育的. 3. ,. ,. 経済的問題状況 か ら導 かれ ,か か る問題状況 に対す る回答 を可能 にす る もの で あ った 。 と同時 に ,よ り根本的 にいえば ,労 働 を物神化 し,そ の過大評価 へ の道を進む 当代 の市民 的 ,世 俗 的労働観 に対 す る批 判 と来 た るべ き産業化 社会 の受容 の 問題 とに関わ って試 み られた ,労 働 の教養 的価値 の再検討 の 帰 結 で あ った。 む. す. び. 以上 によ って本 稿 は ,「 道徳」が成立す る構造 を分析 し,そ れによ って「 人 間労働」 と しての「 労働」概念 に接近 す る ことを試 みた。そ して ,そ の試 み のた めの主 た る手掛 りを『 探究』 の人 間学 的倫理学説 に 求 め た。 も と よ り 『 探究』 にお いて は ,「 労働」 は , 系統的 ,体 系的 に論 じられて い るわ けで はな い。 『 探究』 のみな らず ,ペ ス タ ロ ッチーの 多 くの著作 において は ,「 労 働」 に 関す る論述 は 断片的 に散在 してい るにす ぎない。「 ペ ス タ ロ ッチーは 労働教育学 のいかな る体 系 も残 さなか った 。 」 と指 摘 され るゆえんで あ る。 したが って ,ペ ス タ ロ ッチーの労働教育思想研究 において は ,散 在す る思 想 の 断片 を系統的 ,体 系的 に整理 す る ことが当面 す る最 も重要 な課題 で あ る。 そのために着手 す べ きまず 第 一 の ,そ して最 も重要 な作業 は ,教 育 の視点 に おいて ペ ス タ ロ ッチーの「 労働」 の概念 を明 らかにす る こ と で あ る。 こ の 「 労働」概念 の解 明な く して ,「 労働」が関わ る社会教育学 的 ,教 授学的等 々 の領域 につ いて ,個 々にその内容を系統的 に整理す る こ とも,こ れ らの諸領 域 を一 つ の全体 へ と体 系的 に整理す る こと も,い わんや ペ ス タ ロ ッチーの労 働教育思想を歴 史的 に位 置づ け ること もで きな い。かか る研究 の文脈 におい て ,本 稿 が「 労働」 の概念 の解 明 とい う課題 の一 端 にで も迫 り得 た とすれば 幸 いで あ る。. 55)Burger,]Ed. ArbeitspadagOgik, 1923, S. 102.

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参照

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