『左傳』における婦女観(十九)
尾﨑保子
はじめに
『左傳』
の中で、
歴史的に知られる晋国内訌に関する記事はかなりの量
を占めている。文公についての記述がもっとも詳細であるが、彼に過酷な
運命を齎した元凶とされる驪姫への言及も、本来女性についての記述は極
めて少ない記録の通常から見ると、格段に多いといってよい。
『荘子』
『呂
氏春秋』
『韓非子』
『淮南子』
などにもその名が記され、
『列女傳』
では
「
嬖傳」
に分類されて、
驪姫の名は悪女の代名詞として歴史的により深
く彫琢されていった。
驪姫悪女説の最大の理由は、わが子への偏愛から晋国に内訌を齎したと
いう点にあるが、しかしながら、わが子を思う気持ちは、濃淡の差はあっ
ても母性が普遍的にもつ本能といってもよいものである。この心情そのも
のを内訌の唯一最大の原因とするのは些か説得力に欠けるといえよう。そ
こで、結果として国家に大騒動を巻き起こしてしまった事実から、彼女を
巡る歴史的解釈には『國語』や『
記』の記述にあるように、彼女が献公
に亡ぼされた驪戎の娘であったことに
げ、驪姫の画策の目的は女戎とし
て亡国の仇怨を晴らすことにあったとするものがある。わが子を国君にと
願う心と亡国の恨みとは必ずしも相矛盾するものとしてではなく、二つの
思いは寧ろ驪姫の達成願望の中に混在し、相互に刺激し合って、その心理
に相乗効果を齎していたのではなかったかと想像される。そしてそこには
献公の老いの油断に付け込んだ、わが子への愛に狂った感情的な母の姿と
いうよりは、冷静に事を成し遂げようとする一人の策士としての女性像が
立ち現れて来るのである。
『左傳』の驪姫についての記述は、その姉妹
とされる『國語』
「晉語」
の中の記述と類似するところもあるが、
『國語』のようには詳細ではなく、
従って『左傳』に記すところだけから驪姫像を鮮明にすることは些か困難
なように思われる。しかしまたそうした点を、左氏の選択と解釈し、そこ
に左氏の驪姫観が反映されているものと考えると、それはそれで一つの驪
姫像といえなくもない。
ここでは『左傳』の記述に基づき、これを先ず『國語』に比較し、また
史書への記録として
『
記』
、
女訓書として
『列女傳』
の記述と比較する
ことで、驪姫像についての左氏の観点のあり方を考察してみたい。
学苑 文化創造学科紀要 第八一七号 三八~ 六〇 (二 〇〇 八 一一)驪姫
その二
悪女の
輪郭
一、
『左傳』の驪姫像
『左傳』
の驪姫に関する記述は大きく二つあって、
一つは、
献公に討伐
された驪戎の娘驪姫が公に寵愛されたことから、吾が子を太子に擁立した
いとの思いを募らせ、画策して、太子申生を始め他の公子重耳と夷吾の二
人を晋国の主都から辺境の地へと追放した事件であり、二つには、太子申
生が毒入り供物を父献公に捧げようとしたとして疑われ、追い詰められて
自死に至る事件である。二つの事件ともに首謀者は驪姫であり、しかも彼
女はこれらの事件を通して三公子を追放し、わが子を立太子させることに
成功している。
先ず最初の画策については、驪姫の登場を紹介する荘公二十八年の伝文
に次のように記す。
晉獻公娶于賈、 無子。 烝於齊姜、 生秦穆夫人及太子申生。 娶二女於戎、 大 戎狐 生重耳、 小戎子生夷吾。 晉伐驪戎、 驪戎男女以驪 、 歸 、 生奚齊、 其 生卓子。 驪 嬖、 欲立其子、 賂外嬖梁五與東關嬖五、 言於公曰、 曲沃、 君之宗也。 蒲與二屈、 君之疆也。 不可以無主。 宗邑無主、 則民不威。 疆場無 主、 則 戎心。 戎之生心、 民慢其政、 國之患也。 若 太子主曲沃、 而重耳、 夷吾主蒲與屈、則可以威民而懼戎、且旌君伐。 曰、狄之廣莫、於晉爲 。 晉之 土、不亦宜乎。晉侯 之。夏、 太子居曲沃、重耳居蒲 、夷吾居屈。 群公子皆在鄙。 唯 二 之子在絳。 二五卒與驪 譖群公子而立奚齊、 晉 人謂之 二五 。(傍線筆者) (晋の献公は賈の国から夫人を迎えたが子がなかった。父武公の妾であった斉 姜に通じて、 後に秦の穆公夫人となった公女と太子申生を生んだ。 また二人 の娘を戎から娶り、 大 戎狐姫は重耳を生み、 小戎子は夷吾を生んだ。 晋は 驪戎 (注1) を討伐し、驪戎男爵は娘の驪姫を差し出した。献公がこれを連れ帰って、 奚斉が生まれ、 これと共に連れ帰ったその妹は卓子を生ん だ (注2) 。 驪 姫は寵愛せ られたことで、 自分の子を太子に立てたいとの思いを深め、 献 公側近の家臣 梁五と東関嬖五 (注3) に賂して、献公に次のように進言させた。 「曲沃は君の宗家で あり、 蒲 と屈とは君の領土であります。 主 がいなくてはなりません。 主領土 に主がいなければ人民は恐れないでありましょうし、 地方に主がいなければ 戎に軽んぜられます。 戎が欲を起し、 人 民が政治を侮るならば国家の問題と なりましょう。 も し、 太子を曲沃の主とし、 重 耳様と夷吾様とに蒲と屈とを 守っていただくようにすれば、 民は畏敬し、 戎を畏怖させることができて、 君には功績が齎されることになります。 」と、 更 に「狄は 広 大無辺の地であり、 晋が都 城 を 定 めるならば晋の領土を 拡 大するのによ ろ し ゅ う ござ います」 と 言った。 献 公はこれを 喜 んだ。 そこで夏になると、 太子を曲沃に 移 らせ、 重 耳を蒲に、 夷吾を屈に居 城 させた。 こうして三公子を皆地方に居らせ、 二人 の姫の子のみ都絳に 住 まわせた。 梁 五と東関嬖五は 遂 に驪姫とともに 諸 公子 を 謗 って奚斉を立太子させようとした。晋の人 々 はこれを二五 (注 4 ) と 称 した。ここには「驪
嬖、欲立其子、賂外嬖梁五與東關嬖五、
言於公」と記
されて
お
り、文
章
を追えば、驪姫の
野望
の
動機
から
実行
に至るまでの
動
き
を
憶測
することができる。
つまり、
先ず献公に嬖
(寵愛)せられたこと。
そのことによって
既
に太子がいたのにも
拘
らず、わが子を太子に立てよう
と欲
(欲立)を出し、
二人の
協力
者梁五と東関嬖五に
賄
賂を
遣
って
(賂)謀って他の公子
達
を
遠
ざ
けることを献公に進言せしめた
( 言)のである。
また他の公子
達
の
排斥
に
当
ってはまことし
や
かな
理由
が
付
けられている。
太子申生には国家の宗域としての曲沃を守らせ、重耳は蒲に、夷吾は屈に
居らせて、夷狄からの国防に当たらせるとする。しかも単に守備するだけ
ではなく、夷狄のもつ広大無辺の土地を獲得領有するための出城としての
意味も重要である
(注5)として、献公の野心をくすぐることを忘れていない。つ
まりここでは外交上の国益を建前にしながら、その実、密かに国内には太
子の地位を
奪しようとする企みが驪姫を軸に二五との結託で進行してい
たことが記されている。なお、この事件のあらましは、後に検証する三書
ともにほぼ同じである。
さて、次の記述は、僖公四年の伝文中にみられる驪姫が太子申生失脚を
図って行った具体的な画策行為である。先ず冒頭に、献公が驪戎を討伐し
て驪姫を晋に迎えることになり、これが占われたことが記されている。
初、 晉獻公欲以驪 爲夫人、 卜之、 不吉。 筮之、 吉。 公曰、 從筮。 卜人曰、 筮短 長、不如從長。且其 曰、專之渝、攘公之 。一薰一 十年尚 有 。 必不可。弗聽、立之。 (初め、晋の献公は、驪姫を夫人にしようとして、これを卜したが、不吉と出 た。 筮占したところ吉と出たので、 公は 「これに従 う (注6) 」 と いった。 卜人は、 「筮は短く、亀卜は長いので、長い方に従うべきです。卜の兆しに、それを寵 愛すると増長し、 国 君の牡羊を盗むことになります。 香草と臭草とを一緒に しておくと十年もの間、 臭 草の臭いが残 る (注7) とありますので、 絶対に夫人にし てはいけません」と反対したが、聞かず、これを夫人に立てた)ここでは占い師のことばを借りて、迎えようとする驪姫と晋国内訌との因
果関係について予言
(注8)するのである。そして続けて、事件の
末を次のよう
に記す。
生奚齊、其 生卓子。及將立奚齊、 與中大夫 謀、 謂大子曰、君夢齊姜、 必 祭之。大子祭于曲沃、歸胙于公。公田、 寘 宮六日。公至、毒而獻之。 公祭之地、 地墳。 與犬、 犬 。 與 小臣、 小臣亦 。 泣曰、 賊 由大子。 大子 奔新 。公 其 傅杜 原款 。 或 謂大子子 辭 、君 必 辯焉 。 大子曰、 君 非 氏 、居 不 安 、 食 不 。 我辭 、 必有 罪 。君 老矣 、吾 不 樂 。曰、子其行 乎 。大子曰、 君 實 不 察 其 罪 、 被此名也 以出、 人 誰 我 。十 二 月戊 申、 縊 于新 。 譖 二 公子曰、 皆 知 之。重耳奔蒲、夷吾奔屈。 (大は ママ ) (驪姫は奚 斉 を生み、その 妹 は卓子を生んだ。驪姫はわが子を太子に立てよう とした 時 、中大夫と謀 計 を 巡 らせ、太子申生に、 「 殿 が 亡 き 母 君 斉 姜 様 の夢を 見 られ た (注 9 ) ので 速 かにこれをお祭りなさいませ」 といった。 そ こで太子は曲沃 で祭 祀 を 執 り行い、 供物 の 酒 と 肉 を 父 君献公に 送 り 届 けた。 こ のとき公は 狩 に出 掛 けており、 驪 姫はそれらを六日間宮 殿 の中に 置 いて、 公が 戻 ると、 毒 を 仕込 んで申生から公に 勧 めさせた。公がこれを地 神 に 捧げ んとして注ぐと、 地が 膨 れ上がり、 犬 に 与 えると犬が 死 に、 小臣に 与 えると小臣が 倒 れて 死 ん だ。そこで驪姫は泣きながら、 「太子には 悪 人がついております」といったの で、 太子は曲沃に 逃 げ 帰 った。 公 は太子の 傅 育 官 である 杜 原款 を 殺 した。 あ る人 (注 ) が太子に 「無実であることを 弁明 なされば 父 君には 理解 されまし ょ う」 と 勧 めたが、太子は、 「 父 君は驪姫がいなければ心 安 ん ぜ られず、 食 も進まな い。 もし 自分 が 弁明 すれば驪姫が 罰 せられることになり、 老 齢 となった 父 君 にそのような 辛 い 思 いをさせたくはない」といった。 「それでは 他 国に 亡 命 さ れては如 何 ですか」との 問 いに対し、太子は「 父 君は 罪 人を 調査 なさらない。 このような 罪名 を 受 けて 他 国に 逃 れても、 受 け 入 れてくれる国はないであろ う」 といって、 十 二 月 二十 七 日に、 曲 沃で 縊 死 してしまった。 驪姫は重耳と 夷吾もこの 度 のことを 知 っていたと 誹謗 中 傷 したので、 重耳は蒲に、 夷吾は屈に逃げざるを得なかった)
ここでは、驪姫が企てた申生の
罪事件が記される。驪姫は申生に、父君
が亡き母君斉姜の夢を見られたので、これを祭り、祭った供物を父君に送
るようにと命じ、送って来た供物に毒を盛り、それを献上させて毒を露見
させたのである。そして遂に反論しないままの太子申生を死に至らしめ、
併せて重耳と夷吾をも晋国から排斥してしまった。
この事件については、
『左傳』
は先ず中大夫と謀ったとしながらも驪姫
の首謀者としての役割を明確に記している。左氏はこうして驪姫を非難す
ることを排除していないが、しかしこれらの文言を見るに、左氏の意図は
寧ろ被害者申生の対応に焦点が当てられていて、必ずしも驪姫の悪辣振り
を告発するところに主眼が置かれている訳でもないように思われる。例え
ば、欲に駆られて只管自利に突き進む驪姫の心の内の説明はないが、申生
の心は詳細に分析されて語られている。つまりここでの申生は、驪姫を献
公に告発するようにと勧められたのに対し、父君は、起き伏しに驪姫がい
ないと不自由するに違いないとして、また事実が判明すれば驪姫を失うこ
とになり、老齢の父君のその落胆を思えば、そうした辛い思いをさせるこ
とは子として忍びないと語る。そこには、事実関係を巡る自身の潔白への
弁明よりも、老いた父の心情を気遣う申生の優しい人柄が述べられている
のであり、また父の理不尽を糾弾するのではなく、父命に逆らって亡命し
ても受け入れてくれる国はないのだと観念して、寧ろそれを自身の運命と
して甘受し、哀切な諦念の中に、痛ましい程の柔順さをもって死に就く姿
勢が記されているのである
(注 )。
ところで、時代背景からみても、亡命は決して特異なことではなかった
し、現に申生の弟重耳と夷吾とはこの事件直後に他国に出奔しているので
ある。そうした状況の中で、一人申生の生き方のみが妙にストイックに際
立っている。こうした点について『國語』では、いま少し濃密に倫理観を
塗して、且つ詳細にその心の内が語られている。ここで比較しておきたい。
人謂申生曰、 非子之罪、 何不去乎。申生曰、 不可。去而罪釋、 必 歸於 君、 是 惡 君 也 。 章 之 惡 、 取笑 侯 、吾 誰鄕 而入。 困 於 母、 外 困 於 侯 、 是 重 困也 。 棄 君去罪、 是 死 也 。吾 聞 之、 仁 不 惡 君、 知 不重 困 、 勇 不 死。 若 罪 不釋、 去而必重。去而罪重、 不 智 。 死而 惡 君、 不 仁 。 罪不死、 無 勇 。去 而 厚 惡 、 惡 不可重、死不可 。吾 將 伏 以俟 命。 (ある人が申生に対して 「 あなたの罪でないのならば何 ゆ え亡命しないのです か 」 と 聞 いた。これに対して申生は、 「 亡命することはできませ ん 。自分が逃 げて罪を 釈 明しても、 それでは父君の罪が 問 われることになります。父の悪 を明白にして 諸 侯 の 笑 い者とするならば、 自 分は ど この国に逃げればよいの でし ょ うか。国内で父母に 苦 しみ、 国 外 で 諸 侯 に 苦 しむというのでは 二 重の 苦 しみを 抱 えることになります。父君を 棄 てて罪を逃れるというのは死から の逃 避 になります。自分はこのように 聞 いています。 仁 とは君を悪くしない ことであり、 知 とは 苦 しみを重 ね ないことであり、 勇 とは死から逃 避 しない ことであると。もし罪が 晴 れずに逃 避 するならば、 必ず罪は重くなります。 逃 避 して罪が重くなれば 無 知 というものです。死を逃れて君を 怨 むのは不 仁 です。罪がありながら死なないのでは 勇 気がないということになり、 逃 避 す れば 怨 みを大きくすることになります。悪は重くしてはいけませ ん 。死は逃 避 してはならないのです。自分は 平 伏して君命の ご沙汰 を 待ち ます 」 と)ここでは申生は、父君の
臣下
として、また子として
恭敬孝
順でありたい
(注 )と
しており、それ故にこそ避けられない自死への決意について、儒教倫理に
よる理由付けを述べているのである。
これらを見るに、智
仁
勇の儒教倫理
(注 )による分析がなされ、諸侯に笑
われるのを恥辱とする国家意識が語られており、国君たる父の恥を暴露す
ることが憚られている。ここでは父の老いに対する労わりの情が重視され
ているというよりは、寧ろ国家の対面を重んじるが故に父がどのように理
不尽であっても、子として取るべき道は決まっているのだという「父父た
らずとも子子たるべし」との道徳律の強調が提示されており、行動規範は
遵守されるべきだとの意志が窺われる。「孝」は徳の基本であり、それは
また国家組織における秩序の基本でもあった。父に背くことは国君に違背
することであり、それは即ち国家秩序の破壊に
がることとして厳に戒め
られなければならないことであった。いうなれば太子申生の立場は、献公
の後継者として国君に従属するものであり、また子として父に従うもので
なければならなかった。しかもその下には家臣や民が重層的に連なるので
ある。慎重清廉な人物としての申生の自身の立場に対するこうした強固な
自覚が、出奔した自由な弟達とは違って、彼自身を自縄自縛的に追い詰め
ていったのである。
こうした観念論的分析に対し、
『左傳』
では、
老父が寵愛する人物を失
って落胆することを恐れる息子としての心の優しさが前面に出されている
ように思われる。基本的には『左傳』の方が儒教主義に整理されていると
いわれていることからみると、ここでは寧ろ『左傳』の方が人間の情を語
り、
『國語』が説いているのは倫理観ということになるのではなかろうか。
二、
『國語』の記録
『左傳』
と
『國語』
は先秦の書であり、
姉
妹
といわれている。
戦国時
代の初頭に同一人物若しくは同系統の人物によって編まれたとも考えられ
ているが、
しかし文体的にも内容的にも必ずしも同一ではない。
『國語』
「晉語一」
と
「
晉語二」
には晋国内訌について多く語られており、
しかも
内訌の震源となった驪姫についての記述も他書には見られない詳細さであ
る。
それらは概ね対話体で綴られており、
叙事的な
『左傳』
と比べると
『國語』
の
「曰」
に続く会話体の記
事
(注 )は、
単なる記録とは違った臨場感を
醸し出して、あたかもそこに人物がいるかのような現実感を齎しているよ
うに感じられるのである。ここでは驪姫に関する記述の中で、特徴的な点
を分析しておきたい。
女戎説
史蘇 大夫曰、夫 男戎、必 女戎。若晉以男戎 戎、 而 戎 亦 必以女戎 晉、 其 若 之何 。( 略 ) 昔夏桀伐 施 、 有施 人以妹 喜 女 焉 。妹 喜 寵、 於是乎與伊尹 比 而 亡 夏 。 殷辛 伐 蘇、 蘇 氏 以 妲己 女 焉 。 妲己 寵。 於是乎與 膠鬲 比 而 亡 殷 。 幽王 伐 襃 。 襃 人以 襃 女 焉 。 襃 寵。 生 伯 。 於是乎與 石甫 比、 太子 宜臼 。 而 立 伯 、 太子出奔申。 申人 人 召 西 戎以 伐 。 於是乎 亡 。 今 晉 寡德 、 而 安 俘 女、 增 其 寵、 雖當三季 之 王 、不 亦 可 乎 。( 略 ) 夏 從 戎、 非敗 而 何 。 從政 不 可 以不戒、 亡 無日矣 。 (史蘇が大夫に 告げ て 言 った。 「男の 兵 があれば必ず女の 兵 もあります。 晋が 男の 兵 で驪戎に 勝 てば、 驪戎は女の 兵 で晋に 勝 つことになりまし ょ う。 ( 略 ) 昔 、 夏 の 桀 王 が 有施 氏 を 討 伐 して妹 喜 を 得 、妹 喜 は寵愛されましたが 伊尹 と共に夏を亡ぼしました。 また殷の紂王が有蘇氏を討って妲己を得、 妲己は寵 愛されましたが膠鬲と並んで殷を亡ぼしました。周の幽王が有襃の国を伐ち、 襃 を得て寵愛し、伯服が生まれました。 石甫と共に太子宜臼を追放して、 これを太子に立てましたが、 太 子宜臼は申に出奔したことから、 申 と とが 西戎を召して周を討ち、 周は滅びました。 今、 晋は徳が少ないのに戦勝して 獲得した女に安心してますますこれを寵愛しているのをみますと、 まさしく 夏 殷 周三代の末世の王に当ててもよいのではないかと思われます。 (略) 中華の国が夷狄に牛耳られるということは敗北以外の何ものでもなく、 政を 行う者として戒めなければなりません。滅亡は間近です」と)
献公が驪戎征伐を目論んで占い師史蘇に占わせたところ、戦勝するが不吉
であると出た。しかし驪戎に勝ち、驪姫を獲得して凱旋した満悦得意な献
公は、それを気にすることがなかった。そこで史蘇は、大夫達に女戎によ
って滅んだ夏の桀王
殷の紂王
周の幽王の歴史的事例を挙げて忠告し、
晋の内乱を予言したのである。史蘇はまた彼の憂慮する女戎説について次
のように説く。
今君滅其 、 而畜其子、 之基也。 畜其子、 從其欲、 子思報 之耻而信其 欲。 雖好色、 必 惡心、 不可謂好。 好其色、 必授之 、彼 得 其 、 以 厚其欲、 從其惡心、必敗國、且深亂、亂必自女戎、三代皆然。 (今、君が驪戎の国の父を亡ぼしながら、その娘を養っているのは禍の本であ ります。 その娘を養って色欲のままに従えば、 その娘は父の恥を雪ごうとし てその欲望を大きくするでありましょう。 美 人であっても悪心があれば美し いとはいえません。 その美しい色を好めば情も移り、 その者が情を得たなら ば、 その欲を厚くし、 その悪心に従って、 必ず国を破り、 乱を深刻にするこ とになりましょう。 国の乱れは、 必ず女兵から始まることは、 三代皆同じで す)こうした予言と結果の
がりを述べるのは、
『國語』の特徴
(注 )でもあるが、
驪姫が亡国の恨みを秘めて晋の内訌を企んだということの真偽
(注 )は別として、
状況的には、祖先祭祀の時代にあっては、祖先は子孫と
がっており、そ
の意向を子孫が無視することはしてはならないとされている。こうした観
点から見れば、亡ぼされた驪戎の無念は、子孫としての驪姫の負わねばな
らない責務であった。つまり驪姫には動機があったのである。その点を史
蘇が指
摘
したことになる。しかも
既
に太子として申生がいたにも
拘
らず、
これを
廃
して
奚斉
を立てようとした動きがあって、その中心に彼女がいた
ことは間
違
いない。
そんな彼女の
協力
者として
『
左
傳
』で
は
二五
の
名
(中大夫とも)が挙げ
られているが、
『國語』
には
優施
(注 )の
名
が
記
されており、
しかもその
名
は
比
較
的
頻繁
に
重要
な
役所
を
演
じた人
物
として
登場
するのである。
優施
の
傀儡
『
左
傳
』
に
はこの人
物
の
名
は出てこない。
しかし
『國語』
においては
優
施
の
名
は驪姫の
翳
に
寄
り
添
う大きな
存在
として、彼女に
策
を
与
え、
黒
子と
して彼女を
操
るのである。そうした
場
面
を見てみる。
公之 優 曰 施 。 於 驪 。驪 問 焉 曰 、 吾 欲 作 大事、 而 三公子之 徒 、 如 何。 對 曰 。 早處 之 知 其 極 。夫 人 知極 、 鮮 有 慢 心。 雖其 慢 、 乃易殘 也。 驪 曰 、 吾 欲 爲 、 安始而可。 優施 曰 、必 於 申生。 其 爲 人也、 小 心 潔 、而 大 志 重 、 不 人。 潔 易 辱 、 重 可 疾 、不 人必自 也、 辱 之 行。(献公の俳優の施は驪姫と淫通していた。驪姫の方から「私は三公子の排斥を したいが、誰から排除すればよいか」と聞いた。優施は答えた。 「出来るだけ 早く彼らに野望をもつことなく、 自 己の置かれた地位の限界を覚らせること が肝要でございます。 人格的には小心で清潔な、 年齢も高く、 志重く、 他者 に対して悪意を持つことのない申生から始めるべきでございます。 自己に厳 しければ辱め易く、 志重厚であれば倒れ易く、 他者を慮る気持ちが強ければ 日常的なことで辱めることができましょう」と)
献公に仕えている俳優の施は驪姫に密通していた人物とされている。献
公の側にいて遊興に奉仕するという役目柄、身分的には低いながらも内室
の事情には通じていたと考えられる。彼は、太子申生の性格を自制心の強
い対他的には寛容な人物と分析し、その寛容さに付け込む姑息な手段を驪
姫に伝授するのである。
それにしても献公に寵愛されている驪姫がこうした人物に大事を相談し
なければならなかったのは何故であろうか。そこには討伐された戎の出身
者として晋室に何ら後ろ盾を持たなかった驪姫の立場の弱さが透けて見え
てくる。こうした点については、他にも公に太子を讒言する時、驪姫が晋
国の歴史の事例を挙げて、桓叔以来誰が親しい人を愛したか、親しい者を
愛さなかったからこそ分家の身で本家の翼を合併できたのだと説く
(注 )場面が
あるが、宗家分家の秩序を無視するこうした姿勢には亡ぼされた驪戎の娘
として、祖先を失い、絶望を潜った者としての虚無感が心の底に沈殿して
いたのではなかったかと想像される。また二人の五に贈賄して他の公子達
の排斥を献公に進言させたとされているが、賄賂で
がる人間関係の危う
さを考えると、やはり驪姫の宮室内での人脈の無さ、地盤の弱さが一層際
立つ。
実際、
二人の五は、
献公存命中の驪姫が寵愛を縦にしている時は
「二五
」
と称せられるほどの親密な関係を維持していたようであるが、
公亡き後にはほとんど影がない。更に、公を亡くしたこの重大時に驪姫母
子に左袒する勢力が荀息以外には見られないこと、しかもこの荀息の忠貞
というのも、亡き主君献公への忠義立てであったのである。こうした人的
環境から
推
すに、驪姫が
如
何に宮室内で
孤
立した存
在
であったかが想像さ
れるのである。
驪姫は優施の
知恵
を
頼
って、先
ず
申生を失
脚
させることを考え、二人の
五に賂して申生と他の二公子をそれ
ぞ
れ
辺
境の
守
りに
就
かせるよう進言さ
せたのであるが、更に、優施は驪姫に申生を献公に中
傷
するようにと
囁
く。
優施 敎 驪 夜 而泣謂 公 曰 、 吾 聞申生 甚好仁而彊 、 甚寬惠而慈於民 、 皆有 行之 。 今謂 君 惑於我 、 必亂國 、無 乃 以 國 故 而行彊於 君、 君 未 命 而 不歿 、君 其若 之 何。 盍 我 。無以一 妾 亂 百姓 。 (優施が驪姫に 指図 し、 驪姫は 夜 中に 泣 いて献公に 訴 えた。 「申生殿は 仁 を 好 み 、強 靭 であり、 寛容で、 人 民 の 信 望も厚いと聞いて お ります。 しかしそれ らは目 論 見があってそうしているのだと 思わ れます。 それは、 殿が私に 惑 わ されて国を 乱 すに 違 いないと 予測 して、 国 のためにという 理 由 で殿に強 圧 的 手段を 取 る お 心 算 に 違 いありません。 つ まり殿は 天寿 を 全 うされ ず に亡くな ってしま わ れることになりか ね ません。 殿はこれをどのようになさる お 心 算 でしょうか。 な ぜ 私を 殺 さないのですか。 どうか私ごとき一 妾 のために国 民 を 乱 すことがありませんように」と)申生を
褒
めることで、国君としての献公の
嫉
妬
心を
揺
さ
ぶ
り
(注 )、太子に対
する
猜疑
心を
り、また
敢
えて驪姫自身を
妾
と
卑
しめ、殿のためになるの
ならば自分を殺してもらっても構わないと自己犠牲を装うことによって、
却って申生の抹殺を迫っているのである。驪姫について言えば、優施の入
れ知恵とはいいながら、このように大胆に国君を欺き、太子申生の失脚を
求める尋常一様でない執拗さの裏には、これら晋の国に君臨する献公と太
子の二人に対しての執念深い思いが暗く淀んでいるようにも感じられる。
こうしたところにも女戎説が出てくる所以があるのであろう。そして驪姫
は献公の政治に容喙する形で、申生を試すために彼を狄征伐に派遣するこ
とを提案するのである。
驪 曰、 以皋落狄之 夕苛我邊鄙、 無日以牧田野、 君之倉廩固不實、 恐 封疆。 君 盍 之伐狄、 以 觀其果於 也、 與 之信輯睦焉。 若 不 狄、 雖濟 其罪、 可也。 若 狄、 則善用 矣、 求必益廣、 乃可厚圖也。 且夫 狄、 侯 驚懼、 吾邊鄙不 、 倉廩盈、 四鄰 、 封疆信、 君得其賴、 知可否、 其利多 矣。君其圖之。 (驪姫が言うのに、 「皋落の 狄 (注 ) が頻繁に我が国境を乱し、 牧畜も出来ず、 国庫 も充実せず、 領土が侵犯される恐れがあります。 太 子に狄の征伐をさせては 如何でしょうか。 も し敗戦した場合は罰を与え、 勝 利した場合はよく衆を統 率したということになって、 彼 の欲求は増大するに違いありません。 そ のこ とで申生を失脚させることができます。 これはまた晋国にとっては、 狄 に勝 利すれば諸侯は恐れて、 我が国を侵略しなくなるでありましょうし、 国庫は 潤い、 周 囲の隣国は服し、 国境は明確化され、 殿は利益を得ることになりま す。 それに申生の人物も判明することになるでしょう。 利 するところは甚大 です。殿はこのことをお図りなさいませ」と)巧妙な言い回しである。申生の排斥を目論みながら、序に生じる利益をも
強調して、自身の打算の色合いを薄め、公的な国家戦略としての建前を付
加し、お家騒動の内実を陰蔽しようとするのである。しかし申生から見れ
ば、戦いに派遣され、負
け
れば罰せられ、勝っても国君の
地
位へ
の欲を
疑
われるということであり、
ど
の
道逃
れる
術
はないということであった。
こうした
画策
によって
疑心
暗
鬼
に
陥
った献公であるが、驪姫はその
心理
を巧妙に利用したということになる。
簡単
に驪姫の
術中
に
嵌
るには
先
にも
触
れたように、献公自身の
心
に太子申生に対する
競争者
としての
嫉妬心
が
あった
( 参照 注 19)。ともかくも、このようにして
三
公子排
除
の
了承
を
取
り
付
け
た驪姫は、
次
いで、
重臣
として
力
のある
里克
の
存在
を
ど
う
扱
えばよい
かを優施に
相談
するが、
優施は
宴席
を利用して一つの
策
を
弄
するのであ
る。
驪 優施曰、 君 許 我 太子 而立奚齊 矣。 吾 里克奈 何。 優施曰、 吾 來里 克 、一 日 而已 。子 爲 我 特羊 之 。吾 以 從 之 酒 。 我優也、 言無 郵 。驪 許 諾 。乃 、 優施 里克酒 。 中 、優 施 舞 、 謂里克妻 曰、 主孟啗 我。 我 敎 暇豫事 君。 乃 歌 曰、 暇豫 之吾吾、 不 如 鳥烏 。人 皆集 於 苑 、己 獨集 於 枯 。 里 克笑 曰、 何 謂苑 、何 謂枯 。 優施曰、 其 母爲 夫人、 其子 爲 君、 可不 謂苑乎 。其 母 死 、其子 有謗 、可不 謂枯乎 。 枯 且 有傷 。 (驪姫は優施に対し、 既 に国君が太子を殺して自分の子 奚 斉 を 立 てることを 同 意 されたと 告げ 、 重臣 の 里克 を恐れるが ど うしたものかと 訊 いた。 優 施が 答 えていうのに、 「 か一日で彼を 味方 につ け てみせましょう。つきましては一 頭 の 羊 を用 意 した 宴 を 設 け てく だ さいませ。 自 分は 役 者 の身分なので何を言 っても罪に 問 われることはありますまい」 と 。 驪 姫は 宴席 を 設 け た。 優施は その 席 で 舞 いながら、 里克 の 妻 に、 「 ご 馳走 してく だ さい。 ご 主 人さまにの どやかに君主に仕える道をお教えします」といって、歌って言うのに、 「のどか にあらず孤独でおられる。 鳥や烏にも及ばない。 他 の人達は繁茂した苑に集 まるのに、枯れ木に止まっておられる」と。里克が笑って意味を聞くと、 「母 君は寵愛され夫人となり、 子は国君となられるのを茂る苑といい、 母君は既 に亡く、子は謗られているのを枯れた苑に譬えたのです」といった)
つまり優施は時勢を得ている驪姫母子の味方になることを里克に婉曲的に
勧誘したのであった。
この宴の後、辞し去った優施を夜中に再び呼んだ里克は、献公が驪姫に
対して太子を殺して奚斉を立てることを許諾されたか否かを再度問い質し
て確認し、自身としては君命に則して太子を殺すには忍びなく、また事情
に通じながらそ知らぬ振りで従来通りの交際もし兼ねるとして、進退窮ま
った里克は、中立を守ればこの窮地を脱することができるかと優施に問う
たところ、優施はできると答えた
(注 )。結局中立を守った里克は、仮病を装っ
て朝廷には出仕しなかった。そして驪姫による申生の亡母斉姜の供え物に
毒を盛る策謀は実行に移されることになるのである。
ところで、優施という人物については、ここでの記述から見るに、或い
は作者はこの人物を狂言回しとして登場させたのではないかと考えられる。
驪姫の黒子としてのその策謀は、人間心理を巧みに読み取り、これを操る
ことに長けている。策謀の中心に居ながら、只管この優施に策を聞き、指
示に沿って動くだけの驪姫とは対照的な存在として描かれているのである。
このように優施の人物像は概ね策謀家としての悪辣姑息な印象に覆われて
はいるが、しかしこの件では里克の臣下としての苦悩に一定の理解を示し、
中立を許容する度量を見せて、いわば悪党に一点の人間的深みを添加して
いる。これを推すに、作者はこの人物を単に腹黒く晋国の内紛を密かに楽
しもうとする悪意だけの存在として捉えている訳でもないようである。限
りなく虚構に近い存在ながらも「免」の一言で敵に塩を送る人間性を加え、
悪人の心に多面性を纏わせたその筆は、恐らく作者のもつ人間観から出た
ものであろう。
『國
語』
は『
左傳
』
に
比べ
ると
諸
国の
資料
を
収
集したもの
として
雑
多であり、
宗
教的とも
野
生的ともいわれるが、こうしたところに
小説
的な面
白
さも
覗
いているのである。優施の
役
どころは驪姫の
傀儡
師
と
して、いわば悪
女
の
背
後にあるが、事が動きだしてからは
姿
が
消
える。
さて、
こ
のような人間心理を
細
やかに読み取る策
士
に指示されて、
『
左
傳
』
の記事
同様
に事は動くが、驪姫は申生に亡母を
祭
らせ、その供え物を
送らせ、これに密かに毒を盛っておいてから献公に勧
め
させ、毒を
露
見さ
せるのである。一方、事の意
外
な
展開
に
驚愕
した申生は居
城
の曲
沃
に
逃げ
帰
ってしまった。そしてこの後
直
に『
左傳
』
では申生の自殺が記されるが、
しかし、
『國
語』
では、
逃げ
た申生を驪姫が
追
い
訪
れ、
申生に
会
い、
泣
い
てその
不敬不孝
を
難詰
する場面が
挿入
されている。記事はこの後に申生の
縊死
が
続
くところから、あたかも驪姫のこの行
為
が申生の
死
の
原因
である
かのような印象を
受
ける。それは
次
のように記されている。
驪 見申生 而哭之 、 曰 、 之 、 況 國人 乎 。 而求 好 人、 人 孰好 之 。 以 求 利 人、 人 孰 利 之 。 皆民 之 惡也 、 以 長生。 驪 、申 生 乃雉經于新 之 。( 略 ) (驪姫は曲 沃 に行って、 申生に 会 い、 泣 いて言った。 「 父 君を 残 忍に殺そうと する者がどうして国 民 を愛することができまし ょ う。 父 君に対して 残 忍であ りながら、 人からは 好 かれたいとしても、 誰 がそんな人物を 好 きになりましょう。 父 君を殺して人に利を与えようとしても、 人 はそうした利を求めはし ません。 そんな者は民から嫌われるだけで、 とても生き長らえることはでき ますまい」と。驪姫は去り、申生は新城の で縊死して果てた)
ここには、人のよい太子に婉曲的に且つ執拗に死を迫る継母驪姫の姿が
彷彿するが、これほどまでの行動は状況的に見ても、また他書にこうした
記述が見られないところからも、恐らくは驪姫の悪女ぶりを強調する意味
で設定された虚構の可能性が強い。
そして『國語』は更に濃厚に驪姫の悪辣さを次のように記す。
驪 太子申生、 譖二公子曰、重耳夷吾、與知共君之事。 (驪姫は太子申生を殺した後に、 更 に二公子を讒言して、 「重耳も夷吾も共君 (亡くなった申生の諡)のした事を知っておりました」と言った)ここでは驪姫が太子申生を殺したと明記しているが、
『左傳』
僖公五年
の経文には
「春、
晉侯
其世子申生。
」
と記して、
春秋三伝は概ね内訌の
責任者を献公と指弾しており
(注 )、また後述する『
記』にも驪姫を殺人者と
断定する文言は見当たらない。
ところで、この事件の後、共謀者の嫌疑を受けた重耳と夷吾の異腹の兄
弟はそれぞれ違う国に逃れるが、この点については、当初、兄重耳と同じ
狄に逃れようとした夷吾に対して、大夫の冀
(注 )が兄と同じ国に逃げるので
は共謀者と見做されてしまうと反対し、その点、梁は夷吾の異腹の姉が嫁
いでいる秦国に近く、献公亡き後の後継について、この姉の国の協力を仰
ぐことができるし、また驪姫もこの秦穆夫人を恐れ憚って、後悔している
ことを伝えてくるに違いないと判断して、梁国を頼るほうが得策であると
進言したことで、結局、梁に逃れることになった
(注 )。そして二年を経てこの
大夫の予言は的中することになるのである。
倫理観
太子申生が驪姫の画策で落命し、重耳
夷吾もそれぞれ他国に出奔した
がやがてまもなく事態は変わる。それには国家の将来を憂慮する家臣達の
中でも里克という大夫の存在が大きかった。
居二年、驪 閹楚以環釋言。四年、復爲君。 (二年経って、驪姫は宦官の楚を差し向けて玉環を贈り、ことの言い訳 (注 ) をさせ た。四年後、夷吾は帰国を果たし、晋の国君として立つことが出来た)二十六年、献公が亡くなると、大夫の里克が奚斉と卓子とを殺し、また
驪姫も殺された。里克の奚斉殺害は
彼
の
個
人的行動ではあったが、それを
計
画した
段階
で、事を他の者に
相談
しているのである。
先ず
太子奚斉の
傅
育
官である
荀息
に三公子の
徒
で太子殺害の動きがあるがこれに
加担
するか
どうかと
聞
いたところ、
荀息
は亡き献公に奚斉を
守
り
忠貞
を
尽
くすと
誓
っ
たこと
(注 )を
挙
げて、これを断った。そこで
鄭
に
訊
くと、
彼
は里克に同意し、
条
件の
不
利な公子を
即位
させれ
ば賄賂
を
期待
できるし、
条
件の
良
い者が
即
位
できないというのであれ
ば
、晋国を
思
いの
儘
に動かせるといって、里克
と結んで
勢
力を
伸
ば
そうとの
野心
の
一端
を
吐
露
した。これに対して里克は
次のように
応
じる。
克 聞 之。 夫 義 、利 之 足也 。 貪 、 怨 之 本也 。 廢義則 利 不 立。 厚 貪則怨 生。 夫 孺 子 豈獲罪於 民。 將 以驪 之 惑蠱 君、 而誣 國人、 讒 羣 公子、 而奪 之利、 君 亂 、 信而 亡之、 無 罪 、以 爲 侯 笑 、 百姓莫 不 有藏惡 於 其 心 中、 恐其如壅大川、潰而不可救禦也。是故將 奚齊、而立公子之在外 、以定民弭憂、 於 侯且爲援。 庶幾曰 侯義而撫之、 百姓欣而奉之、 國可以固。 今 君而賴 其富、 貪 且反義。 貪 則民怨、 反義則富不爲賴。 賴富而民怨、 亂國而身殆、 懼 爲 侯載、不可常也。 許諾。於是 奚齊卓子、及驪 、而 君于秦。 (「私里克はこのように聞いております。 義 とは利の足であり、 貪は怨みの本 であると。 そうだとすれば、 義を棄てることになると利は立たず、 厚 く貪れ ば怨みが生じることになります。 ま だ幼い奚斉が国民に罪を犯したわけでは ありません。 寧ろ驪姫が国君を魅惑して国民を欺き諸公子を讒言し、 彼 らの 利益を奪い、 国君を惑わせ、 その讒言を信じて公子を亡命させ、 罪のない申 生を殺して諸侯の嗤い者となり、 百 姓たちも心中に悪意をもつようになって しまったのです。 こ こで大河の流れを塞げば堤防が決壊して防げなくなるの を心配します。 そのためにこそ奚斉を殺して他国に亡命中の公子を立て、 国 民の心配を鎮め、 諸 侯の援助を獲得したいのです。 諸侯が国君を義なりとし て愛し、 国民が国君として喜んで戴くのであれば、 国家は安泰です。 しかし あなたは国君を弑して富を得ようとしている。 これでは義とはいえません。 富を貪れば民は怨むことになります。義に けば富は利益ではなくなります。 国が乱れれば身が危うく、 諸侯の史書に記載されることを恐れます。 と ても これを常道ということはできません」 といった。 鄭は納得し、 そこで里克 は奚斉 卓子と驪姫を殺し、国君を秦に請うたのであった)
里克の言葉として語られているが、
『國語』
の驪姫観はここに集約されて
いる。全ては欲に駆られて策動した張本人驪姫から発したとの見解と考え
られる。幼い太子奚斉に罪がある訳ではなく、国君を惑わし、太子申生を
殺し、諸侯の嗤い者になってしまったと恥を述べ、そのことによって国民
の心を失い、全ての秩序を失ってしまったのは、利を求めるのには義を重
んじなければならないのに、只管欲のみに走ったことが原因であるとする。
利欲により国の乱れを生じて、諸侯の史書に戒めとして書き記し伝えられ
る不名誉を担うことになることを懸念するのである。
嘗て驪姫のわが子を太子に擁立しようとした画策に優施を通じて誘われ
た時、中立を保ち静観した大夫里克が、ここでは迅速に動き、驪姫の画策
を根こそぎ排除して、晋国後継を巡る動向に大きな役割を演じた
(注 )。しかし
彼もまた、
やがて戻ってきた夷吾
( 恵 公)によって、
その
功
労
を
評価
され
ることなく、
却
って太子殺しの罪で
誅
殺されることになるのである。
驪姫の
最期
はこのように厚い
倫理
観をもった大夫里克の
手
によって殺さ
れたことがここでは
明
記されている。他書の
場合
、その
最期
については
必
ずしも
明
記されている訳ではないが、しかしここでその
死
について記して
いるのは、他書よりも驪姫の記
事
の
多
いことで
判断
されるように、
『國語』
は晋国及
び
驪姫に
執着
することで
何
らかの
メッセージ
、つまりは
女戎
へ
の
警
戒を意
図
したのであろうし、また驪姫の
死
を欲との因
果関係
による
倫理
的
必
然
の
帰結
として書き記すことは、
予
言と
結末
の因
果関係
を重
視
する
『國語』
の
一
つの
方式
にも
適
うことであった。
いわば
方法
論
的
に
当
然
書か
れなければならなかったということも言えるのではなかろうか。
三
、『
記』の記
録
ところで、悪
女
としての驪姫
像
は後の史書では
ど
のように伝えられてい
ったのであろうか。
『
記』
「
晉世
家
第九
」から驪姫に
関
する記述を
抜粋
す
る。
獻公五年、伐驪戎。得驪 驪 弟、 愛幸之。 (献公は驪戎を討伐して驪姫とその妹を得てこれを寵愛した) 十二年、 驪 生奚齊。 獻公 意廢太子。 乃曰、 曲沃、 吾先 宗 在。 而蒲 邊秦、 屈 邊 。不 子居之、 我 懼焉。 於 是 太子申生居曲沃、 公子重耳居 蒲、 公子夷吾居屈。 獻 公與驪 子奚齊居絳。 (略) 獻公子八人。 而太子申生重 耳夷吾皆 賢行。及得驪 。乃 此三子。 (驪姫が奚斉を生むと、献公は太子申生を廃して驪姫の子奚斉を擁立しようと の気持をもった。 そこで、 曲沃は宗 の地であり、 蒲は秦に接し、 屈は夷狄 の に接しているので、 我 が息子達をそれらに居城させなければ心配である と言った。 そして申生を曲沃に、 重耳を蒲に、 夷吾を屈に居城させ、 驪姫と 奚斉のみ都の絳に住まわせた)
つまり申生を排除しようとの企みは、ここでは驪姫の画策より先に、献公
自身の心の中に根差したものであったと断じている。そしてその具体的な
方策として国境の守備に就かせる名目で三公子を辺境に追い遣ったという
のである。また驪姫を得てから後は、公はこれらの三公子を遠ざけるよう
になったとも記している。これらを見るに、ここでは晋国内訌の首謀者は
明らかに献公としているのであって、この点が驪姫による画策とする他書
とは違う点である。
さて、献公のこうした意思は、太子申生の身の上に過酷な任務として降
り懸かる。献公は、十六年に二軍を作った時、申生を下軍の将に任じ、征
伐して霍
魏
耿を亡ぼした。そして凱旋すると、太子のために曲沃に居
城を築いた。また十七年には太子申生に東山を伐たせたが、これに対して
申生の傅育官里克は、太子は嫡嗣として国君出征中の国家の留守を守り、
祖先を祭祀する重要な任務を帯びているのであり、出征するのは任ではな
いとしてこれを諫めた。ところが献公はこれに対して「寡人有子。未知其
太子誰立。
」
(わしは子がたくさん居るのでまだ誰を太子に立てるのか決めていな い。 )と応じたと記している。
献
公の申生に対する気持には、
かなり冷め
たものがあった
(注 )ということであろう。そしてやがてそのことを驪姫に明か
したのであった。
十九年、 獻 公私謂驪 曰、 吾欲廢太子、 以奚齊代之。 驪 泣曰、 太子之立、 侯皆已知之、而數將兵、百姓附之。奈何以賤妾之故、廢 立庶。君必行之、 妾自 也。驪 詳譽太子、而陰令人譖惡太子、而欲立其子。 (献公は密かに驪姫に対して太子申生を廃し、奚斉を太子に擁立したいと語っ た。驪姫は泣きながら、 「太子が既に居られ、 諸 侯も皆これを知って お ります。 しかもしばしば兵を 率 いて 戦 いにも出 掛 け、 皆の者がこれに 従 って お ります のに、 何 で私のような 卑 しい妾 ご ときのために、 嫡 子を廃して庶子を立てよ うとなさるのですか、 殿 が ど うしてもそうなさるということでありましたら、 私は自 殺 いたします」 と 。 驪姫は詳しく太子の 功績 を 褒 めながら、 し かし陰 では人を 使 って 謗 らせ、わが子をこれに 替え ようとした)ここでも
前段
の
引用
に
続
いて公が密かに申生を廃して奚斉を太子に立てた
いとの思いが語られている。しかし驪姫はそれを
聞
いても
直
には
喜
ば
ず
、
寧
ろ泣きながら、献公の
提示
した奚斉擁立に対して
困
惑
の体で
辞退
を
装
い、
表面
上は太子申生を
褒
めて
謙
の
姿勢
を見せながらも、その
実
、
裏
では人
を遣って太子を
讒
言させ、密かにわが子の太子
即位
を欲したのであったと、
内訌の
因素
としての驪姫の欲
望
についても明記している。
『
記
』
の
描写
は
緻
密である。
献公を首謀者と断
定
しながらも、
その
傍
らに表面では恭順を繕い装いつつ、その陰ではわが子の擁立を陰謀する老
獪な驪姫の存在を記すことを忘れていない。またここには、具体的な動き
の不明な二五への言及もなければ、面妖な存在としての優施の名も記され
ておらず、いわば驪姫の一人舞台である。そして、遂に一つの計画が実行
されることになった。
二十一年、驪 謂太子曰。君夢見齊姜。太子 祭曲沃。歸釐於君。 (驪姫は太子に言った。 「殿が亡き斉姜様のことを夢に見られました。 太子は 速やかに曲沃でお祭りをなさいませ。 そ して供物を殿にお送りくださいま せ (注 ) 」)驪姫は申生に亡き母を祭るように伝え、その供物が献公に献上された時、
これらに毒の仕込まれていたことが発覚するが、驪姫は毒を仕掛けたのを
申生の仕業として次のように詰る。
驪 泣曰、 太子何 也。 其 而欲弑代之。 况他人乎。 且君老矣。 旦暮之人、 曾不能待。 而欲弑之。 謂獻公曰。 太子 以然 、不 以妾及奚齊之故。 妾願 子母辟之他國。若早自 。毋徒 母子爲太子 魚肉也。 (涙ながらに申生に対して「命旦夕に迫った老父を殺してまでこれに取って代 わりたいのですか。 」 と その親不孝を責め、 他方、 献公に対しては、 「申生殿 がこのようなことをするのは自分たち母子がいればこそでありましょう。 も はや私共母子は他国へ亡命するか、 さもなければ自殺することを許してもら う外ありません。 私 共母子を魚肉として太子の 食になさいますな」 と 迫っ た)『國語』
では驪姫が献公に対し、
一
妾のために一国を誤ることのないよ
うにと寧ろ逆説的なことばを弄して迫ったとするが、ここでは太子を取る
か自分達母子を取るかと二者択一的に迫っている。こうした言い方は、い
かにも直截的で、
切羽詰った驪姫の覚悟が透いて見える半面、
『國語』
の
ように国家を引き合いに出さない分教訓臭が消え、老公の寵愛を十分計算
に入れた女の甘えと傲慢さの色合いが濃厚で、驪姫像に老公を色香で迷わ
せた女としての立体感が増すように思われる。
ところで、このように太子排斥に向けて攻勢を強める驪姫の前に、一方
の太子申生は為す術もなく、また彼の重大な危機に対して、先述の重耳と
思われる人物が進言するのに対しても執着心を見せることなく
死
に
就
くの
である。
或 謂太子曰、 爲 此藥 乃 驪 也。 太子何不自 辭 明之。 太子曰、 吾 君老矣。 非 驪 。 寢 不 安 。 食不甘。 辭 之。 君且 怒 之。 不 可 。 或 謂太子曰。 可奔 他國。 太子曰。 被此惡 名以出。人 誰 我 。 我 自 耳。十二 月戊 申、申生自 於 新 。 (ある人が 「毒 薬 を入れたのは驪姫です。 太 子は何故 弁 明なさらないのですか。 」 と言った。 太子は 答 えて 「父君は老いてしまわれました。 驪姫でなくては 寝 食ことが 足 りません。 事 の次 第 を 話 せば、 父君は驪姫に対して 怒 られるでし ょう。 できないことです。 」 と 。 ある人が 「他国に亡命なさる べ きです。 」と 言うと、 太子は 「 父に 背 いた 悪 名を 蒙 ったまま国を出ても、 誰 が 受 け入れて くれるでしょうか。私には自殺するより外仕方がありません。 」と 答 え、十二 月 二十 七日 に太子申生は 新 城 で自殺した)『
左傳
』で
は
こ
の
場
面は先に述
べ
たように
「
君
非
氏居
不
安
。食
不
。
我辭
。
必
罪
。
君老矣。
吾
不
樂
。」
( 僖 公 四 年)と記し、
自分が申し述
べ
れば父献公は
息
子の自分の言
葉
を
信じ
て、驪姫は
罰
せられることになり、
それでは老いた父の
落胆
が心
配
されるし、自分としても
楽
しくはないとし
て申生の親思いの心情が強調されているが、ここでは「不可」とのみ記し
て、
『左傳』
のような父の心に自分の心を重ね合わせるやさしさはない。
またこれに続く親不孝の悪人を受け入れてくれる国はあるまいと言ったと
する文言は、
『左傳』では「君實不察其罪。被此名也以出。人誰
我。
」と
記し、父君がことの真相を察知できずに自身が悪名を被ったとして、父親
からの誤解に哀感を滲ませ、観念する姿勢が窺われるが、ここでは特に申
生についての父君への倫理観も心情分析もなく、
「我自
耳」
と、
つまり
死以外に選択肢はないのだと言ったとのみ記しているのである。事実関係
を重視し憶測を排除した歴史官の視線を感じさせるところと言えるのでは
なかろうか。
さてこの二十一年暮れの騒動の折、重耳と夷吾の二公子は都絳に来てい
た。
此時重耳 夷吾來 。人 或 驪 曰。 二公子怨驪 譖 太子。 驪 恐。 因譖 二公子。 申生之藥胙。 二公子知之。 二子聞之恐。 重耳走蒲。 夷吾走屈。 保其 自備守。 (この時、 重耳と夷吾が来ていた。 ある人が驪姫に、 「二人の公子は驪姫様が 中傷して太子を殺したと恨んでおります。 」と告げた。驪姫は恐れて、先手を 打って二公子のことを、 申 生が供物に毒を仕込んだことを二人は知っていた と讒言したことから、 これを聞いた二人は恐れて重耳は蒲に、 夷吾は屈に逃 げ帰り、城の守りを固めた。 )『左傳』では「
譖二公子。曰皆知之。
」とのみ記し、驪姫が一網打尽的
に一挙に三公子を排斥したかのように記しているが、
『
記』
には、
先ず
太子申生を消し去ったところ、他の二公子の怨みを告げる者がいて、狼狽
した驪姫が倉皇として次の手を打ったとしている。このほうが状況から見
て事から事への
がりがより必然的であり、驪姫像としても事態に遭遇し
て慌ただしく策を練る一人の人物像が立体的に浮かび上がってくる。とこ
ろで、
『
記』
は史書であり文学書であるとの高い評価をもつことは知ら
れているが、ここにおける描写を見ると、こうした事から事への
ぎの緻
密な描写が時の経過に沿って流れを作り、そうした流紋から人間の歴史の
営みに必然性というある種のパターンが現れてくることを納得させられる
のである。
『
記』
全体を覆う精密な人間観察から来る人間観と語り口の
論理性を感じさせるところであるといえよう。
ところで、次には先の二子の出奔について、左のように記す。
二十二年、 獻 公 怒 二子不 辭而 去、 果 謀矣 。 乃 兵伐 蒲。 ( 略 ) 重耳 奔 。 (父君に 辞 去する 礼 を 欠 いて去ったのは父に 対 する 陰 謀 があった 証拠 だとして 献 公は 怒 り、 追討 の 兵 を 派遣 した。 ) 二十三年、 獻 公 發 賈華等 伐 屈。屈 潰 。夷吾 將 奔 。( 略 ) 奔 梁 。 ( 献 公は 遂 に 賈華 を 派遣 して、屈を 討 伐 し、屈の 兵 や 民 は 潰 走した。夷吾は に 亡命 しようとしたが、 ( 略 ) 結局 梁 に奔った)夷吾は
最
初
に
兄
重耳と
同
じ
に逃れようとしたが、重耳とともに
討
たれる
ことを
憂慮
する
進
言があり、
結局
梁
に逃れた。こうして
優
秀
な三公子を
失
った
晋
国の状態は不
安定
となり、それは
正
しく驪姫の
術
中に
嵌
って
猜疑
心
に
絡
め
取
られた
老
公の
無残
を
示
すものでもあり、
女戎説
に
従
え
ば
、驪姫に
とってはわが子のためにも
亡
国の
祖
先
達
のためにも手
繰
り
寄
せた
絶
好
の
機
会
ということであった。
二十五年、驪 弟生悼子。