〈論文〉語彙的複合動詞における他動詞化・再帰化
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(2) 教養・外国語教育センター紀要. こす,濡れる→濡らす,凹む→凹ます,遅れる→遅らす,のびる→のばす,匂う →匂わす,腐る→腐らす b. -e-: 他動詞の主語は個体に限定 建つ→建てる,立つ→立てる,進む→進める,並ぶ→並べる,縮む→縮める, 整う→整える,続く→続ける,空く→空ける,沈む→沈める,しぼむ→しぼめ る,絡む→絡める (2)が示すように,他動詞化は -as-, -os-, -e- という接尾辞によってなされるが,影山 (1996)によれば, (2a)の -as-, -os- 接尾辞と(2b)の -e- 接尾辞とでは,次の例が示すよ うに,前者は主語に出来事や行為を表す名詞が生起できるのに対して,後者における主語 は個体に限定される 2 という違いがある。 (3)-as-, -os a. {子供が/日照りが} 花を枯らした。 b. {子供が/突風が} ブランコを揺らした。 c. {父親が/電話のベルが} 子供を起こした。 d. {運転手が/事故が} 電車を遅らした。 (影山,1996, 196) (4)-e a. {大工さんが/*彼の持ち家願望が} 家を建てた。 b. {子供が/*電車の振動が} 石を並べた。 c. {潜水艦が/ ?*火災事故が} 船を沈めた。 d. {父が/*地震の揺れが} 壁に穴を空けた。 (影山,1996, 196) 以上の観察に基づけば,-as-, -os- と -e- による他動詞化の違いは次のように形式化できる 3。 (5)a. -as-, -osBECOME( , . . . )→ CAUSE( [ACT ON( , ) ],[BECOME( , . . . ) ] ) MOVE( , . . . )→ CAUSE( [ACT ON( , ) ],[MOVE( , . . . ) ] ) b. -eBECOME( , . . . )→ CAUSE( ,[BECOME( , . . . ) ] ) MOVE( , . . . )→ CAUSE( ,[MOVE( , . . . ) ] ). −82−.
(3) 語彙的複合動詞における他動詞化・再帰化. 以下では,LVC の他動詞化も基本的に同様の説明が可能であることを示す。ただし,LVC は2つの動詞が合成されてできおり,当然のことながら前項動詞(V1)の意味も LVC に 反映されているので,単純動詞の場合よりもやや複雑な面がある。例えば,同じ動詞「落 ちる」を後項動詞(V2)に持つ「滑り落ちる」と「枯れ落ちる」では,前者が他動詞化し て「滑り落とす」と言えるのに対して,後者を他動詞化した「*枯れ落とす」は容認され ない。これは V1 の意味,あるいは LVC 全体の意味に対する V1 の意味的貢献の仕方の違 いとして分析できる。以下で具体的分析を示し,LVC の他動詞化に必要な条件を語彙概 念構造(Lexical Conceptual Structure; LCS)を用いた概念意味論(Jackendoff(1990) , Levin and Rappaport Hovav(1995) , 影山(1993, 1996)等)の観点から明らかにしてい く。 3 -as-, -os- による LVC の他動詞化 LVC の他動詞化については,松本(1998, 73)に若干の言及があるが,筆者の知る限 り,これまで詳しく論じた研究は見当たらない。以下では,先ほど言及した影山(1996) を下敷きにしながら LVC の他動詞化について議論していく。 まず,-as-, -os- による他動詞化であるが, (6)のような例が挙げられ, (7)のような実 例も多く見つかる。 (6)-as-, -os舞い落とす,舞い散らす,転げ落とす,滑り落とす,滴り落とす,飛び散らす (7)a. 幕が降りるところで,紙吹雪が舞い落とされ,俳優は上をのぞむようなポーズを とったまま,吹雪に包まれていた。 b. 雪に舞い落とされたらしい紅葉の葉が散在している。 c. 京都御苑の大銀杏の木も,葉っぱを舞い落として灰色の玉砂利を鮮やかな黄色 に変えてゆき,…。 d. 花びらを舞い散らして進んで行く e. しかしながら,小学校 6 年生の発表会で,難易度の高いショパンの「別れの曲」 をほとんど耳コピーで弾きこなし,またしても,先生を椅子から転げ落とした。 f.. 塗膜表面に滑り性を持たせることで表面に付着する全ての物を滑り落とすこと ができる性質の塗料の開発に成功いたしました。. g. 国の大企業優遇政策(元々は全て税金)は,コップから水を滴り落とすためで はなく,…。. −83−.
(4) 教養・外国語教育センター紀要. h. 子供が夏に日焼け止めを車の室内に飛び散らしてしまいました。 i.. 缶に入れた絵の具を飛び散らすアクション・ペインティングの技法を用いた作品 は…。 (. ). 一方,次に挙げる(8)の LVC は, (6)と同様,例えば「跳び起きる」 「たぎり落ちる」 等の対応する自動詞形があり,V2 は -as-,-os- によって他動詞化可能であるのにもかかわ らず, (6)と異なり,他動詞形は認められない。 (8)*跳び起こす,*乗り遅らす,*着膨らす,*たぎり落とす,? *燃え落とす,*崩れ落と す,*剥げ落とす(cf. 剥ぎ落とす) ,? *溢れ落とす,*抜け落とす このような容認性の違いはなぜ生じるのであろうか。まず次節では,この中で比較的多く の例をもつと思われる「舞い落ちる−舞い落とす」のような,V2 に「落ちる」がくる LVC の他動詞化を観察・分析する。 3.1 「V- 落ちる」→「V- 落とす」 国立国語研究所「複合動詞用例データベース 4」によると,V2 に「落ちる」を持つ複合 動詞として(9)に示す LVC が挙げられている。 (9)溢れ落ちる,生まれ落ちる,枯れ落ちる,切れ落ちる,腐り落ちる,崩れ落ちる, 砕け落ちる,こぼれ落ちる,転がり落ちる,転げ落ちる,滴り落ちる,滑り落ちる, ずり落ちる,ずれ落ちる,倒れ落ちる,垂れ落ちる,ちぎれ落ちる,散り落ちる, 伝い落ちる,伝わり落ちる,溶け落ちる,飛び落ちる,流れ落ちる,なだれ落ちる, 逃げ落ちる,抜け落ちる,脱げ落ちる,寝落ちる,剥がれ落ちる,剥げ落ちる,外 れ落ちる,降り落ちる,舞い落ちる, (投げたボールが)曲がり落ちる,燃え落ち る,漏れ落ちる,焼け落ちる これらの例の V2 のみを他動詞化した「V- 落とす」を作ってみると次のようになる(容認 性判断は筆者を含む日本人母語話者数人による) 。 (10)a. ? 転がり落とす,転げ落とす,滴り落とす,滑り落とす,ずり落とす,? 垂れ落 とす,? 散り落とす,? 伝い落とす,? 流れ落とす, (神が雨を)? 降り落とす,. −84−.
(5) 語彙的複合動詞における他動詞化・再帰化. 舞い落とす, b.. *. 溢れ落とす,* 生まれ落とす,* 枯れ落とす,* 切れ落とす,* 腐り落とす,. *. ? 崩れ落とす,砕け落とす,?* こぼれ落とす,* ずれ落とす,* 倒れ落とす,. ちぎれ落とす,*伝わり落とす,*溶け落とす,*飛び落とす,?*なだれ落とす,. * *. 逃げ落とす,*抜け落とす,*脱げ落とす,*寝落とす,*剥がれ落とす,*剥. げ落とす,*外れ落とす, (ボールを投げて)?*曲がり落とす,?*燃え落とす, 漏れ落とす,*焼け落とす. *. つまり, 「落ちる」単独の場合に比べて複合動詞「V- 落ちる」には他動詞化できない場合 も多いということになるが,その鍵となっているのは V1 と V2 の意味的関連性であるよ うに思われる。 (10)から,本稿では次の一般化を仮定する。 (11)V1 が V2「落ちる」 (移動)間中(繰り返し)続く様態として解釈可能ならば他動 詞化が可能である。 V1 が「移動の間中続く様態」として解釈できるか否かは,次のような「V1 しつつ V2(す る) 」のような表現で概ね確かめられると思われる 5。 (12)a.. 転 が り つ つ 落 ち る, 転 げ つ つ 落 ち る,? 滴 り つ つ 落 ち る, 滑 り つ つ 落 ち る,?*ずりつつ落ちる,? 垂れつつ落ちる,? 散りつつ落ちる,伝いつつ落ちる, 流れつつおちる,舞いつつ落ちる. b.. *. あふれつつ落ちる,*生まれつつ落ちる,*枯れつつ落ちる,*切れつつ落ち. る,*腐りつつ落ちる,?*崩れつつ落ちる,*砕けつつ落ちる,?*こぼれつつ落 ちる,?*ずれつつ落ちる,*倒れつつ落ちる,*ちぎれつつ落ちる,? 伝わりつ つ落ちる,?*溶けつつ落ちる,*飛びつつ落ちる,?*なだれつつ落ちる,*逃げ つつ落ちる,*抜けつつ落ちる,*脱げつつ落ちる,*寝つつ落ちる,?*剥がれ つつ落ちる,?*剥げつつ落ちる,*外れつつ落ちる,?*降りつつ落ちる, (ボー ルが)? 曲がりつつ落ちる,* ? 燃えつつ落ちる,?*漏れつつ落ちる,*焼けつ つ落ちる ところで,単純動詞「落ちる」 「落とす」の LCS は次のように表記できる 6。. −85−.
(6) 教養・外国語教育センター紀要. (13)a. b.. 落ちる: MOVE DOWN( ) 落とす: CAUSE( [ACT ON( , ) ] ,[MOVE DOWN( ) ] ). (13a)に,-os- によって上位事象に使役者を含むイベントを付加すると,他動詞化し(13b) が得られる。 話を LVC に移すと,例えば,まず「滑り落ちる」は次のような LCS の合成によって形 成されると仮定する。 (14)a.. 滑る: MOVE. ( ,. ). b.. 落ちる: MOVE DOWN( ). c.. 滑り落ちる: MOVE. DOWN( ,. )ex. 砂が斜面を滑り落ちる. つまり,V1「滑る」も「落ちる」と同様の移動の意味を表す動詞として分析していること になるが,実際,国立国語研究所の書き言葉コーパス「少納言 7」においても,次のよう に「滑る」が単独で移動動詞として用いられている例が多数見つかる。 (15)a. b.. 係の声と共に金やチップがテーブルの上を滑って賭けられて行く。 声と共に,固定爪がすべて開放され,完全なロボット型に最終変形すると, テーブルの上を滑って,地面の上に飛び降りた。. c.. 父が手助けをして造った初めての鉄製西洋式軍艦「庚申丸」が堂々と日本海の 荒波の上を滑っている。. 「落ちる」の他動詞化と同様, (14)に上位事象を加えると,次に示す他動詞「滑り落と す」が形成される。 (16)滑り落とす: CAUSE( [ACT ON( , ) ] ,[MOVE. DOWN( ,. ) ]. つまり,V1 も V2 も移動の意味を表す動詞として解釈できる場合,語形成においても(14) のような LCS 合成がなされ,できた LVC の LCS は「落ちる」単独の場合と類似してい る。そのために上位事象を加えることによる他動詞化が可能であるものと考えられる。 一方, 「枯れ落ちる」等の場合,V1 は移動に伴う様態とは解釈できず,V2「落ちる」の 「原因」として解釈される。その場合(どのような形式化を与えるべきかという問題はあ るが) ,少なくとも「滑り落ちる」と同様の, 「落ちる」と類似した,意味述語として. −86−.
(7) 語彙的複合動詞における他動詞化・再帰化. MOVE のみを持つ単純事象を表す意味構造を持つとは考えられない 8。つまり,すでに CAUSE で導かれる上位事象に相当する事象を含む(あるいはそれに準じる)意味構造を 持っているので,さらにそれに原因となる事象を付け加えて他動詞化することはできない ということである。 3.2 その他の動詞 V2 に「落ちる」以外の動詞をもつ LVC においても事情は変らないようである。 (17)a.. V1 が V2 の様態を表す例 舞い散る−舞い散らす,飛び散る−飛び散らす,揺れ動く− ? 揺れ動かす,立 ち枯れる− ? 立ち枯らす. b.. それ以外の例 飛び起きる−* 飛び起こす, (電車に)乗り遅れる−(電車を)* 乗り遅らす, 振り遅れる−*振り遅らす. 「舞い散らす」 「飛び散らす」に関しては(7)で例を挙げたので,ここでは「揺れ動かす」 「立ち枯らす」の例を挙げておく 9。 (18)a.. 蔵人はいまや洞窟全体を揺れ動かさんばかりの洞窟をぐるりと見渡し,静かに 左手を自分の前で構えた。. b.. 制度改革と診療報酬の改定は医療全体を揺れ動かすものであり,臨床検査も全 体を見据えたさらなる変革が迫られている。. c.. あくまでも明るく,そして前向きに更新される彼女のブログは今や中国全土で 話題になり,多くの人々の心を揺れ動かしている。. d.. 森崎さんは立ち枯らした樹木の有効活用についても考えており,…. e.. このまま立ち枯らしたアカギを放置してしまえば,シロアリの巣になることは 時間の問題です。 (. ). (17)に挙げた例についても,V1 が V2 に伴う様態として解釈されるものは他動詞化が可 能であるのに対して,それ以外のものは他動詞化を(たとえ V2 の場合は他動詞化可能で あるとしても)受け付けないということが言えそうである。. −87−.
(8) 教養・外国語教育センター紀要. 4 -e- による LVC の他動詞化 -as-, -os- に比べて,-e- によって他動詞化されたと思われる LVC は少ないないようであ るが,次のような例が見つかる 10。 (19)? 並び建つ−並び建てる,建ち並ぶ− ? 建ち並べる,立ち並ぶ−立ち並べる,そそ り立つ−そそり立てる,そびえ立つ−そびえ立てる a.. 城にはつき物の石垣が築かれ,その上には塀や櫓という建物を建ち並べまし た。. b.. 寺町とは,城下町に寺院をかためて建ち並べ,有事の際には防衛拠点にする, 古くからの区画整理法だ。. c.. 重要文化財(建造物)として,神明造りの内宮と外宮の両本殿の建物を東西に 並び建てるなど,日本で唯一,最古の本殿配置を持っています。. d.. 園山の料理は,なぜかニンジンやしめじなど食材をそそり立てているものが多 くて,…。. e.. 軍事衛星や通常の商業的な写真衛星からさえも,よく見える発射台に,何日も 前から,その飛翔体をそびえ立てておいて,そして,燃料注入などの発射準備 も,しっかりと確認できるよう,大げさに,しかも,ゆっくりと進めているか らです。. f.. 大蛇倉山の山頂からも,赤火岳は鋭角の山頂をその上信国境稜線上にそびえ立 てているのを見ると,いつかこの山の頂に立ちたいと思うようになったのだ。 (. ). これらの例も基本的に -as-, -os- による他動詞化と同様,複合自動詞における V1 が V2 の様態を表している場合には他動詞化が可能であると説明できる。まず,単純動詞の他動 詞化は次のように形式化できる。 (20)-e- による単純動詞の他動詞化 BECOME( , . . . )→ CAUSE( ,[BECOME( , . . . ) ] )ex. 並ぶ→並べる (21)-e- による LVC の他動詞化例 a.. そびえる: BE( ,. ). b.. 立つ: BECOME( ,. c.. そびえ立つ: BECOME( ,. ∧. ). d.. そびえ立てる:CAUSE( ,[. ( ,. ∧. ). −88−. ) ] ).
(9) 語彙的複合動詞における他動詞化・再帰化. ただし,-e- 接辞は,-as-, -os- 接辞と異なり,LCS において使役主( )を直接付加する 役目をしており,それ自体で変化する性質をもたないものを対象物にとる場合にのみ他動 詞化が適用する(影山,1996, 198 参考) 。したがって,単純動詞の場合,例えば,次の例 が示すように,同じ「立つ」でも主語が意図をもった存在の場合は他動詞化できず,統語 的な使役を用いなければならない。 (22)a. b.. 校庭に生徒を {*立てる/立たせる} 。 (cf. 校庭に旗竿を立てる。 ) 校庭に生徒を {*並べる/並ばせる} 。 (cf. 校庭に机を並べる。 ). 複合動詞の場合も同様の説明が可能である。例えば, 「並ぶ」と複合する動詞が,意図 的な主語やその動詞のイベントを自ら体現する性質をもつ主語を取る場合が考えられる。 複合動詞にその性質が反映されるとするならば,その場合は -e- 接辞による他動詞化は不 可能であるとの予測が立つが,その予測は正しいようである。 (23)居並ぶ−*居並べる,咲き並ぶ−*咲き並べる これまでの本稿の主張は「V1 が V2 に付随する様態を表す場合は他動詞化が可能であ る」ということであった。その原則からすると, (23)の「居並ぶ」や「咲き並ぶ」は 「居ながら並ぶ」 「咲いた状態で並ぶ」という解釈が可能であるので,一見反例に思える。 しかし,これらの LVC(自動詞)の場合,V1 の主語(当然 V2 の主語でもある)に -e- 接 辞と相容れない主体,すなわち意図性を持っていたり,その動詞のイベントを自ら体現す る性質をもつ主体がきているため,全体を他動詞化することはできないということである ので,本稿の提唱する原則の反例とはならない。 5 「自動詞→他動詞」の派生をとらないもの これまで議論してこなかったものに,次のような例が挙げられる。 (24)炒め焦げる−炒め焦がす,煮溶ける−煮溶かす,洗い落ちる−洗い落とす,拭き落 ちる−拭き落とす, (髪が)? 切り揃う−(髪を)切り揃える, (喉が)? 歌い嗄れ る−(喉を)歌い嗄らす これらの例では,V2 自体は -as-, -os-, e- によって「自動詞→他動詞」の派生を示す。しか し,他動性調和の原則11(影山,1993)や,自動詞の方の容認性が下がる例( 「? 切り揃う」. −89−.
(10) 教養・外国語教育センター紀要. 「? 歌い嗄れる」 )があることから考えて,自動詞の方が基本であるとは考えられない。 これらの例を説明するには,少なくとも2つの方法が可能であるように思われる。1つ は,先に他動詞同士が複合して「炒め焦がす」のような他動詞を形成した後に逆性によっ て自動詞が派生されるという方法である。 もう1つの可能性は,日高(2010) ,Hidaka(2012)の言うように, 「飲み疲れる」や 「着膨れる」等と同様,もともと( 「他動性調和の原則(影山,1993)に反して) 「他動詞 + 非対格自動詞」という組み合わせで形成され,自動詞と他動詞の間に直接の派生関係が存 在しないというものである。 どちらの説明が妥当であるかは議論の余地があるが,少なくともこれらは「他動詞化」 でないことになるので,それが本論の分析にとって直接問題になることはない。 6 再帰化 これまでは「他動詞化」という観点から LVC を分析してきたが,本節では「再帰化」 という現象を観察,分析する。まず,単純動詞の再帰化についてであるが,国広(1996) は「波が寄せる」のような例を「再帰化」として分析している。それを我々の理論的枠組 みで記述すると(25b)のように記述できる。 (25)再帰化:動作主が自らを変化させる a.. 波が寄せる,事がうまく運ぶ,湖の水が川に注ぐ,潮が上げてくる (国広,1996). b.. CAUSE( ,[MOVE TO( = , ) ]. つまり, 「寄せる」は,通常,主体と別のものを目的語にとる( 「健は皿をテーブルの端に 寄せた」等)が, 「波が寄せる」等の場合は,その目的語に当たる項が主体に当たる項と LCS 内で同一のものになっているということである。 複合動詞についても,国広自身以下のような例を挙げている。 (26)a. b.. 板壁を雪煙がたたきつける 白浜温泉と海を挟んで向かいあわせたこの静かな町(= 田辺市)は… (国広,1996, 421). 本稿においても,次のような LVC の例は再帰化であると分析する 12。. −90−.
(11) 語彙的複合動詞における他動詞化・再帰化. (27)覆い被せる/覆い被さる,折り重ねる/折り重なる, (雨が地面に)たたきつける, (太陽が地面に)照りつける, (風が)吹き上げる 実例としては次のようなものがある。 (28)a.. 人が覆い被さることで,わんちゃんを落着かせる効果や主従関係を深める効果 があります。. b.. 倒れた人が折り重なったため,バス前方にあるドアは開けられなくなった。. c.. 激しい風と雨が,時には雷やヒョウを伴って窓に叩き付けるので,なんとも不 安な気分にさせられます。. d.. 単調な砂漠に照りつける灼熱の太陽のごとく,煩悶は彼女の精神を静かに焼き 尽くしていくのだった……。 (国立国語研究所「複合動詞データベース」 ). 通常の使役起動交替と異なり,これらの自動詞形は,他動詞の目的語に相当するものが主 語になることができない。 (29)a. b.. 人が折り重なった。/*折り紙の辺が折り重なった。 健が花瓶に覆い被さった。/*布が花瓶に覆い被さった。. このような例は,次の記述が示すように,単純動詞「寄せる」の(25)と同様に「LCS 上 の対象項を動作主項と同一視する」という操作によって説明できる 13。 (30)a.. 折 り 重 ね る: CAUSE( [ ACT ON( , ) ],[BECOME( , ) ]. b.. 折り重なる: CAUSE( [ ACT ON( , ∧. = ) ],[BECOME(. ) ]. (31)a. (健が花瓶を床に)たたきつける: CAUSE( [ ACT ON( , ) ],[BECOME-BE-ON( , ) ] ) b. (雨が地面に)たたきつける: CAUSE( [ ACT ON( ,. = ) ],[BECOME-BE-ON( = , ) ] ). −91−. ∧.
(12) 教養・外国語教育センター紀要. つまり,再帰化についても単純動詞と同様のメカニズムで記述・分析が可能であるという ことである。また,このうち「たたきつける」に関してはさらに次のような「たたきつく」 の例が見られる。 (32)a. b.. 大きな窓ガラスに,たたきつく風。 左ひざにやや難(接地時に右に比べてばたんと地面にたたきつくように接地し てしまいます)があるので,ロングタイプがいいのですが,…。. c.. 激しい雨…窓にたたきつくあんなにあんなに…. d.. 雨音は次第に強くなり容赦なく路面にたたきつく。. e.. パラグライダーが高速で地面にたたきついた!. f.. 大粒の雨が,すさまじい勢いで,館にたたきついた。. (. ). このような例は若干違和感があるものの,完全に容認不可能であるという訳ではない。こ れについても LCS の観点からの説明が可能である。先ほど「再帰化」した(31b)の意味 構造からさらに同一視した項( = )を削除すると次のような LCS が得られる。 (33)雨が地面にたたきつく: CAUSE( [ACT( ) ],[BECOME-BE-ON( , ) ] ) つまり, 「雨がたたきつける」の場合にはすでに被動作主( )が動作主( )と同一視さ れているので,LCS 上には同一指示を表す項として存在していても,統語構造とのイン ターフェイスをなす項構造からは削除されており,外項のみを持つ( 〈 ,〈 〉 〉 )と考えられ る。それを逆に項構造の側から LCS を見ると,LCS における( と同一視された) 項の 存在意義が薄くなる。その存在意義の薄くなった. 項を LCS から削除すると(33)の. LCS が得られる。つまり「雨が地面にたたきつく」という表現は, 「健が花瓶をたたきつ ける」のような例における「たたきつける」を再帰化し,そこからさらに意味構造上存在 意義の薄くなった再帰化された項を削除するという操作によって派生されるということに なる。 ただし,例えば「脱使役化」 (影山,1996)のような LCS 上での「非焦点化」に比べて, この「削除」は項を完全に消してしまうという意味でかなりドラスティックな操作である と思われる。また,理論的に考えてみても,通常,項構造が意味構造(LCS)を反映する のであって,その逆ではない。 「たたきつく」の場合は「項構造の要請によって LCS に変 更が加えられている」ことになる。このような,通常の原則を超えた操作を行っているた めに,完全に非文法的とまで言えないものの,若干違和感のある表現となるものと考えら れる。 −92−.
(13) 語彙的複合動詞における他動詞化・再帰化. 7 理論的展望 本稿では,LVC の他動詞化と再帰化について,原理的には単独動詞の場合と同様に分 析できることを示してきた。単独動詞の交替現象には,その動詞の意味構造が大きく関 わっていることは多くの先行研究が示す通りである。LVC の交替の場合,形態的に交替す るのは V2 であるが,LVC 全体の意味には V1 も大きく貢献している。つまり,当然のこ とながら,LVC は単独動詞よりも豊かな意味構造を持っているので,交替に関わる原理・ 原則は単独動詞と同様であっても,V1 の意味的な働きによって単独動詞と同様に交替が 認められる場合と,V1(と V2 の意味関係)が交替を妨げることも多いということである。 本稿ではその具体例として LVC の他動詞化と再帰化を提示・分析した。特に再帰化につ いてはまだ不明な点も多いが,本稿が,複合動詞も含めた動詞の項交替現象に関する包括 的・統一的な理論的記述・説明に向けての一助とはなるのではないだろうか。 *本論をまとめるにあたって,郡司隆男先生,坂東美智子先生,および神戸松蔭女子学院大学大学 院生の皆様から数多くの有益なコメントをいただいた。また,原稿を丁寧に読んでくださり,コメン トをいただいた査読者にも合わせて感謝の意を表したい。言うまでもなく,本論の議論の不十分な 点や誤り等はすべて筆者の責任である。. 注 1. 語彙的複合動詞の定義および統語的複合動詞との違いについては影山(1993),由本 (2005)等を参照されたい。. 2. 「絡める」という他動詞に対しては「絡む」の他にも「絡まる」という自動詞が存在 する。「絡む」と「絡まる」の詳細な意味の違いについては本稿の目的と直接の関係 がないので議論はしない。また,「絡まる」は「絡める」からの自動詞化である可能 性があるのでここでは「絡む」のみを挙げておく。. 3. 影山(1996)は,-e- 接尾辞については CONTROL 関数を用いているが,本稿ではよ り一般的な CAUSE を用いて記述する。. 4 5. http://csd.ninjal.ac.jp/comp/index.php 「ずり落ちる」の「ずる」は自他の区別が難しい。辞書の説明では, 「ずり落ちる」は 「ずれて落ちる」ということであるが,もしその通りであれば「ずる」は自動詞なので 同じ自動詞である「落ちる」と複合して「ずり落ちる」がまず形成され,その後他動 詞化によって「ずり落とす」が派生される。しかし「ずる」は「足をずって歩く」の ような他動詞の用法ももつ。その場合,まず「ずり落とす」が形成され,逆性によっ. −93−.
(14) 教養・外国語教育センター紀要. て「ずり落ちる」という自動詞が派生される。もしこれが本当ならば「?*ずりつつ落 ちる」は「 (ズボンが)*引きずりつつ落ちる」が容認されにくいのと同じように説明 できるが,本論ではこれ以上追求せず「ずり落ちる」については今後の課題としたい。 また,「曲がり落ちる」は「? 曲がりつつ落ちる」がある程度容認可能であるのに 他動詞化しない(*曲がり落とす)が,それは「曲がる」ということが「落ちる」と いう移動全体に渡る様態ではないからであると考えられる。「投げたボールが曲がり 落ちる」場合,「落ちている間中曲がり続ける」という解釈はできず,「ある時点で曲 がって落ちる」という意味であり,「曲がる」は「落ちる」の様態というよりもむし ろ落ちるための原因であるという解釈が強いように思われる。このような例を考える と,「つつ」の精密な意味記述も考える必要がでてくるが,本論で言及している例に ついては概ねテストできるので,「つつ」そのものの正確な意味については本論では これ以上追求せず,今後の課題としたい。 さらに,「? 伝わりつつ落ちる」は比較的容認性が高いにもかかわらず,「伝わり落 ちる」を他動詞化した「?*伝わり落とす」は容認性が低い。正確な理由は明らかで はないが,「伝い落とす」が既に存在するため語彙的に阻止されるのかもしれない。 筆者の語感では「伝い落ちる」は問題なく容認できるが「? 伝わり落ちる」もそれに 比べれば容認性が落ちる。 「?*降りつつ落ちる」も容認性が低いが,「(神が雨を)? 降り落とす」は容認可能 であると思われる。これは「降る」がすでに「下方へ」という意味を内在しているの で「降る」が「落ちる」の様態として LCS 上付加されるというよりも「落ちる」と ほぼ完全に重ね合わされるためであると考えられる。つまり「?*下がりつつ落ちる」 が容認されにくいのと同様の理由であると思われる。 6. (13)の LCS には着点項が含まれていないが,これは,着点句なしで単に「鉛筆が落 ちた」等と言えることから導出する。. 7. http://www.kotonoha.gr.jp/shonagon/. 8. 日高(2010, 2012a, 2012b),Hidaka(2012)の特質構造の表示を用いれば次のように 表示できるかもしれない。 (34)a. 枯れる:BECOME( ,. ). b. 落ちる:MOVE DOWN( ) c. 枯れ落ちる FORMAL: transition CONST: [MOVE DOWN( )] TRIGGER: [BECOME( , )](枯れる) −94−.
(15) 語彙的複合動詞における他動詞化・再帰化. この表示においては,「落ちる」の原因として「枯れる」が登録されている。した がって,それ以上の原因事象を新たに付け加えることができないため他動詞化が不可 能になると説明できるが,この表示では「枯れる」が非命題的な意味レベル(Nontruth-conditional Section)に登録されている。そのこと自体の妥当性に加えて,他動 詞化に伴う上位事象(ACT ON( ; ))の付加がどう関係してくるのかはもっと詳細 に考える必要があるが,それは今後の課題としたい。 9. (17a)の「揺れ動く」は,V1「揺れる」が V2「動く」の様態を表しているように思 われるが,対応する他動詞「? 揺れ動かす」は(インターネットではある程度例は見 つかるものの)容認性は若干低い。これは対応する他動詞である「揺り動かす」がも ともと存在するためではないかと考えられる。ちなみに,筆者の周りの数人の日本語 話者の判断では「揺れ動かす」は容認可能で,例えば,「地震が高層ビルを揺れ動か した」のように「揺り動かす」(ゆすって動かす)とは少し異なった意味に解釈され るとの判断であった。 「沸き起こす」も「沸き起こる」を他動詞化したものと考えられるが,対応する自 動詞「沸き起こる」の V1「沸く」は,本来の沸騰という意味を半ば失い V2「起こる」 を意味的に強める「どっと(わっと)」という程度の意味を表している。つまり接頭 辞に近い意味機能をもつため,LCS 上はほぼ「起こる」と同じ LCS となり,V2 の みを他動詞化することができるのではないだろうか。 「すり減らす」の場合,「する」が他動詞であるため,他動性調和の原則(影山, 1993)から考えるとむしろ「すり減らす」がもとで,逆性によって「すり減る」が派 生されるものと考えられる。. 10. 掘り進む−掘り進める,漕ぎ進む−漕ぎ進める,食べ進む−食べ進める,読み進む− 読み進める,のような例はあるが,これらは自動詞の主語が他動詞の目的語に対応す る訳ではなく,「その本を 100 ページまで読み{進んだ/進めた}」のように項は交替 しないのに形態上の自他だけが交替している。このような現象も興味深いが,本論で は扱わない。. 11. 他動詞・非能格動詞は非対格動詞と複合しないという原則。詳しくは影山(1993)を 参照されたい。また,この原則に対する反例となる LVC に関する分析には松本 (1998),由本(2005),日高(2010),Hidaka(2012)等がある。. 12 「吹き上げる」に関しては由本(2005, 149)も再帰化分析を提示している。 13. 本稿では「覆いかぶさる」「折り重なる」と「たたきつける」「照りつける」を両方と も「再帰化」として分析しているが,前者が形態的に自動詞であるのに対して,後者 は他動詞の形を保っている。この理由については,現時点では明確でなく,今後の課 題としたい。 −95−.
(16) 教養・外国語教育センター紀要. 参照文献 Hidaka, T.(2012).. . Ph.D. dissertation,. Kobe ShoinWomen s University. Jackendoff, R.(1990).. , Vol. 18. The MIT Press.. Levin, B. & Rappaport Hovav, M.(1995). , Vol. 26. The MIT Press. 小川芳樹・新沼史和(2010).「複合動詞の自他交替と他動性調和に関する統語的考察− 「V- 上げる」と「V- 上がる」を中心に−」.『日本言語学会第 141 回大会予 稿集』, pp. 62‒67. 日本言語学会. 影山太郎(1993).『文法と語形成』.ひつじ書房. 影山太郎(1996).『動詞意味論:言語と認知の接点』,5 巻.くろしお出版. 影山太郎(2012).「複合動詞の形態構造と自他交替」.口頭発表ハンドアウト,国語研国 際 シ ン ポ ジ ウ ム「 日 本 語 の 自 他 と 項 交 替 」 (NINJAL International Symposium on Valency Classes and Alternations in Japanese). 国広哲也(1996).「日本語の再帰中間態」.『言語学林 1995-1996』,pp. 417‒423.三省堂. 史曼(2012).「事象構造による複合動詞の自他交替の分析」.ポスター発表,国語研国際 シ ン ポ ジ ウ ム「 日 本 語 の 自 他 と 項 交 替 」 (NINJAL International Symposium on Valency Classes and Alternations in Japanese). 須賀一好(1983).「現代語における複合動詞の自・他の形式について」.『静岡女子大学研 究紀要』,17, 1‒13. 陳劼懌(2010).「語彙的複合動詞の自他交替と語形成」.『日本語文法』,10(1),37‒53. 西尾寅弥(1988).『現代語彙の研究』.明治書院. 日高俊夫(2010).「日本語の語彙的複合動詞の語形成―特質構造における語形成―」. 『日本言語学会第 140 回大会予稿集』,pp. 128‒133.日本言語学会. 日高俊夫(2012a).「語彙的複合動詞における使役起動交替」.『日本言語学会第 144 回大 会予稿集』,pp. 382‒387. 日本言語学会. 日高俊夫(2012b).「日本語動詞における使役起動交替のメカニズム」.In. 32.関西. 言語学会. 松本曜(1998). 「日本語の語彙的複合動詞における動詞の組み合わせ」.『言語研究』, 114, 37‒83. 由本陽子(2005).『複合動詞・派生動詞の意味と統語』.ひつじ書房.. −96−.
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