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中国語 (
漢語)か ら借用 した 日本語
岩
下
隆
The Japanese Vbcabulary borrowed
from the Chinese Language
Takashi Iwashita
目
次
はじめに 1.漢字 と漢語の伝来のは じまり2.
物に伴 って伝 えられた漢語3.
聖徳太子時代の漢語の流入 4.大化の改新以降の漢語の流入5.
仏教 を通 じて定着 した漢語 (請負)6.
科学技術や風俗習慣 を通 じて流入 した漢語 7.-つの文字からなる語 と熟語の流入8.
日本でつ くられて中国語に流入 した語嚢9.
仮名の発明 と日本語 10.意味の違 う同形の詩集 おわりに は じめに 近年、 日本か ら中国に出かける人の数が急増 し、中国か ら訪 日する人の数 も増加 して、 両国間の人の往来は年間で2
5
0
万人に達 している。3
時間足 らずで中国に到着 し、空港 です ぐ目に入って くる案内や道路端の広告や看板 など文字はすべて漢字で、外国に着い た という実感が しない。 またテ レビの画面 も新聞や雑誌 も漢字である。 ときお り、簡体98 清泉女学院短期大学研究紀要 (第22号) 字 とい う見慣れない文字 も含 まれてはいるものの、おお よその類推が可能である。 また 中国人 も同 じよ うに 日本 の看板 や新 聞 な どをか な りの程度 まで理解 で きる ようであ る。 日中両国で、共通の漢字 と同 じ意味の語桑が多 く使 われていることは、 コ ミュニ ケーシ ョンを図る上で便利 なことである。 しか し、全 く同 じ形の語嚢で も意味が全 く違 うものがあるため、思わぬ誤解 を生 む場 合 もある。 かつては朝鮮 半島やベ トナム地域 にまで鉱 が っていた漢字文化 圏は、今 日では中国 (台湾 を含め)と日本だけになった。 また世界 に数千種類ある言語の中で、日本語 と中国 請 (漢語)の存在 と両者の特殊 な関係 は異色 な もの と言 えよう。 2000年 を超 える日中関係の中で、 日本 は中国か ら言語の分野で大 きな影響 を受 け文字 と語柔が 日本語 に流入 した。そのため、 日本で使用 されている漢字 と漢字表記の語菜の 70-80%が漢語か らの借用語 により占め られているとい う情況である。 一方、明治以降には日本でつ くられた語桑が中国語 (漢語) に流入 した。 これは国際 政治 と文化的な関係で、 日本 と中国の立場 に変化が生 じたことの結果である。 いずれにして も、 日本語 (漢字の部分) と中国語 (漢語) には全 く同形の語嚢が多 く 存在 しているのである。本稿 は、この2つの言語の関係 を歴史的に追いなが ら、日本語 に 於 ける漢語 (中国語)借用の実態 について考察 を試みる ものである。 なお同形文字蒐集 の際 には、『中 日同形詞浅説』 (何培忠 喝建新著 商務印書館 1986年)等 を参考 に し た。 1.漢字 と漢語の伝来のは じまり 20年 ほ ど前 までは 「中国における文字 (漢字)の起源 は、黄河文明にある」 とされて きたが、近年長江文明 (稲作農耕文明)の存在が明 らかにな り、 (1) 杭州市郊外 (余杭 市)の良渚遺跡 (2)か らBC3500年の原始文字が刻 まれた陶器や玉器が見つかった。 これ によ り西安の半披遺跡の彩陶の上 に刻 まれた原始文字 にも匹敵す る文字文化が長江流域 にあ ったことが判明 した。筆者が直接観察 した時、良渚の原始文字の方が西安半攻の も の よ りも現在 の漢字 に似 ている との印象 を受 け、「良渚文明滅亡後 にその成果 は夏王朝 に引 き継がれて、 さらに股王朝 に継承 された」 とす る長江文明系譜の仮説 (3)を裏付 け る史料 の一つ との認識 を新 たに した次第である。
岩下 :中国語 (漢語)か ら借用 した 日本語 99
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世紀 になって、BC1
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年頃の股王朝の都 とされる股櫨が発見 され、そこか ら大量の 文字 を刻 んだ獣骨が発見 されたが、 これが今 日の漢字の直接 のルーツとされている。 当時の 日本 は縄文時代 に当た り、「末 だ本格 的な農耕文化 の段 階ではな く独 自の文字 はなか った」 とす るのが定説 となっている。 その後、紀元前3
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年頃 よ り大陸や朝鮮半 島か ら渡来す る人の数が増大 した。 この ような渡来人の手 によって、中国の文字 (漢字) が 日本-伝来 したのである。 日本最古 の歴史書 『日本書紀』 には、4
世紀末 「応神天皇1
6
年 に百済か ら王仁が各種 の漢籍 と経典 を伝 えた」 とあ り、また 『古事記』には 「王仁が 『論語』1
0巻 と 『千字文』 を伝 えた」 と記 されている。 これが漢字の最初 の伝来 とされているが、これは 日本の貴 族社会の中に漢語がすでに伝播 していたことを意味す る ものであって、必ず しも最初の 伝来の事実 を記 した ものではない。む しろ、中国の 『漢書』 (4)の中に、 1世紀後半の 日 本及び日本 との正式交流 に関する記述があることか ら、 日本-の最初の漢字の伝 来は 1 世紀 まで遡 って考 えるのが妥 当 と思 われ る。当時の 中国大 陸で は6
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年 間続 い た股王 朝 (5)が、BC1
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年 に周 に滅 ぼ された。周王朝 (6'は2
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年 間の安定期の後5
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年 間の春 秋戦国時代 を迎 え、各地 に国家が乱立 し急速 に統制力 を失 っていった。戦乱の世 に終止 符 を打 ったのが秦であ り、BC2
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年 に戦国の覇者 として統一 を達成 して、強権 によ り文 字の統一 を行 なった。 これによ り、それ まで各国で独 自に使われていた文字は完全 に抹 殺 されて、秦 国の文字が押 し付 け られる形で文字の統一が なされたのである。 秦帝国 は始皇帝の下で急進的な改革 を断行 し、大陸統治の枠組み をつ くったが、その後各地 に 起 こった農民 の反乱 の結果、統一後1
5
年で崩壊 した。新 たに成立 した漠帝国は、秦が 行 った改革 と統一の成果の上 に立 って帝国の運営 を進めたが、詳 しくは別稿 (7)で触れ ているのでここでは省略する。 この ように して 日本へ は、秦帝国の末期 か ら漠帝国の時代 に至 るまで中国で使 われて いた文字 (漢字)が伝 え られたのである。2.
物に伴 って伝 えられた漢語 (語垂) 弥生時代の福 岡県須玖遺跡か ら中国製の青銅器 と剣や瑠璃製の勾玉等が発見 されてい るが、 これ らは墓の副葬品 として、付帯す る文字 とともに大陸か ら伝来 した ものである と言われている。100 清泉女学 院短期大学研究紀要 (第22号) 『日本書紀』 には598年 に 「朝鮮半 島の百済か ら日本の天皇 に騒駅 (ラクダ)一頭 と髄 局 (ロバ)二頭、羊二頭 、自推が贈 られた」とある。鳥獣類 の中で当時の 日本 にいなかっ た ものが、朝鮮半 島 を経 由 して伝 え られた と思 われる。朝鮮半 島は当時、漠帝国の支配 下 にあ ったため文字 は漢字 が使 われていたのであ る。 このほか に次 の ものが伝 え られ た。 (1) 動物 孔雀 、難鵡 (オオム)、水牛 、願麟 、獅子、狸狸 、雁、九官鳥、十姉妹、象、山羊、豹 、 猫 、法螺 、珊瑚 な ど。 (2) 植物 芭蕉、紫檀 、白檀 、石楠花 (シヤクナゲ)、稲 、麦、高梁、胡麻、 白菜、梨、柿 銀杏 、 郁子 、菩提樹 、肉桂、蜜柑 、金柑 、山茶花、百 日紅、南天竹 、魂豆 (エ ン ドウ)、西瓜、 南瓜 (カボチ ャ)、落花生 、水仙 、石竹 な ど。 但 し次の ものは、 日本名がつ け られたが、後 に漢語 に取 って代 え られた と思 われる。 蘭、菊、牡丹、桔梗 、甘草 、人参 、大豆 、杏 な ど。 (3) 金石玉器 宝石、薪翠、真珠、金剛石 、水 晶、砂鉄 な ど。 (4) 文具関係 筆、墨、紙、文具、便築、文鎮 な ど。 (5) 楽器 関係 琴 、琵琶、太鼓、横笛、剰P^、銅鐸 な どo
3.
聖徳太子時代の漢語の流入 推古天皇の摂政であった聖徳太子の時代 に、漢字で書かれた典籍が 日本 に伝 えられて 日本の文化 に大 きな影響 を与 えた。 その年代 が比較 的明 らか な もの について、次 に取岩下 :中国語 (漢語)か ら借用 した日本語 101 り上 げたい。 『論語』 (8)と 『千字文』 `91は、応神天皇 の時代 (4-5世紀) に日本 に伝 えられていた。 また6世紀末か ら7世紀初 めの推古天皇 の時代 には、 日本の漢学 の レベ ルは相 当な高 さに 達 していた と考 え られ る。当時編纂 された 『天皇記』、『国紀』、『憲法十七条』 (10)に よっ て、その ことは裏付 け られ る。 これ らが編纂 された背後 には、勢力 を伸 ば して きた蘇我 氏 に対 して、先進的な中国の政治制度や思想 を取 り入れて古代 天皇制 を強化 して対抗 し ようとす る聖徳太子の意向があったので はないか と思 われる。 聖徳太子 は5歳の頃か ら漢字 を学 び、儒教 や仏教 の漢籍 を読破 して、14歳 の頃 には渡 来人 もかなわないほ どの深い知識 と学問 (漢学)を身につけていた と言 われている。607 年 に彼 は小野妹子 らを遠隔傍 として中国 に派遣 し、仏教 と儒教 の双方の長所 を取 り入れ ようとした。 『憲法十七条』の中には、この双方の精神が反映 されてい る。 その中で演語 に よる原典 か らの直接 的影響 が あ る と考 え られ る箇所 を抜粋 す る と次 の ようになる。 ( )内は原典の該 当箇所 である。 『憲法十七
催』
- よ り 以塑重 量(
『論語』:穫之用塑重量 ) 人骨亙畳 (『左博』:亡人無党、亙星必有仇) 亦少遭 量 (『左博』:吾聞将有遭量 目、孔丘聖人之後也) 乍遣手堅塁 (『論語』:子 日、母以与爾堅塁郷党) 上和下睦 (『千字文』:上和下睦)、 二 よ り 互旦之極宗 (『易』:互国威寧) 三 よ り 丞塾必謹 (『尚書』:丞 塾為五十九篇) 墨則夫之、星則地之 (『管子』:墨臣者天地之位也) 天覆地載 (『穫記』 中庸 :室 之所塁 塾之有垂 )102 清泉女学院短期大学研究紀要 (第22号) 四壁 順亘 (『論語』:些 堅 亘寓、百物生害)
4.
大化の改新以降の漢語の流入 儒教 と仏教 を信奉 した聖徳太子の時代 には、前述の ように漢籍 を通 じて多 くの漢字が 日本語 に流入 した。文字文化のなかった古代 日本の支配層 は、漢字 を用いて行政 を行 う とともに大陸の思想 を導入 して文化的 レベルを向上 させ、天皇制 による政治の安定化 を 図ろ うとしたのである。聖徳太子 は古代 中国の君主制 をモデルに政治 を行お うとした。 しか し、6
2
2
年 に聖徳太子が死去 した後は、蘇我氏が再 び権勢 を振 るうようになる。 それに対 して、中国留学か ら帰国 した南淵請安の影響 を強 く受 けた中大兄皇子 (後 の 天智天皇)が、藤原鎌足 らの協力 を得て、6
4
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年 に亡 き聖徳太子の理想実現 とい う大義名 分 によ りクーデ ターを断行 した。 これが大化 の改新 である。 これ によ り文化教育の面 では、中央 に大学、地方 に国学が設 けられた。大学の中には明経道、紀博通、明法道、 算道の4つの学科が設置 された。 明経道では 『醒記』 し11)、『左氏博』 (12)、『毛詩』 (13)、『周 穫』 (14)、『儀碓』 (15)、『周 易』 (16-、『尚書』 `17)な どの講 義 が な され、明法 道 で は 日本 の 律令 (18)が講義 された。紀博道では 『史記』 (19)、『漢書』、『後漢書』(20)などの三史のほか、 『文選』(21)、『爾雅』`22)が講義 された。 8世紀 にな り孝謙天皇 は、臣民 に対 して 『孝経』(23)を各家 に一冊備 えさせ真剣 に読話 す るよう命 じた。 8世紀 に編纂 された万葉集の中に 『抱撲 (朴)子』(2LlJ
、『遊仙窟』`25) などの漢籍の名称が見 られるが、 さらに 「孔子 日 ・・」 とか 「曾子 日 - 」 などの表現 も見 られることか ら、当時 日本ではかな り漢籍が読 まれていた と考 えられる。東大寺正 倉院には、『楽毅侍』、『列女博』、『方言』、『経典樺文』、『陰陽書』な ど67種類の漢籍が伝 来 し医薬関係の書 も含めて、 1万点以上の文書が保管 されている。 9世紀、平安時代 に 嵯峨天皇、仁 明天皇が漢学 を提唱 し漢籍の輸入が一段 と進 んだ。藤原佐世が編集 した 『日本国現存書 目録』には、「9
世紀 に於いては4
0
の流派で合計1
万7
,
7
3
4
巻の漢籍が伝来 し た」 と記 されているが、875年の火災で 「冷泉院が焼 けたとき、珍蔵 されていたこれ らの 多 くの歴代漢籍が焼失 した」 と言われている。1
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世紀 に出 された 『倭名類衆紗』 には2
5
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種類余 りの漢籍の リス トが載 っている。 今 まで取 り上 げた漢籍以外 には 『山海経』(26)、『古文 尚書』、『穆天子博』`27)な ど7
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種余 りが列挙 されている。岩下 :中国語 (漢語)か ら借用 した 日本語 103 この ように して、漢籍 を通 じて多 くの漢語が 日本語 に取 り入れ られ、その まま日本語 の語柔 として定着 していった と思われるが、今 日で も使 われている語桑の一部 を取 り上 げてみたい。 (1
)
『春秋左氏債』(28)を通 じて伝来 した漢語 (語垂) 即位、黄泉、凶事、首領、来朝、王室、徳政、五色、文物、声 明、百官、国家、義士、 不敬、設備、婦人、武事、不可、不徳、衣服、歌舞、教訓、負担、出獄 、先君、聡 明、 正直 など。 (2)『晋書』(29)を通 じて伝来 した詰責 (奈良時代前後 に伝来 した と思 われる) 短小、体力、懇切、名言、門徒、事情、博愛、開拓、顕著、職務、休息、死亡、布告、 自然、 自由、 目下、騒動、後進、機械、挙動、賓 (宝)物、有識 な ど。 (3)『有子』(30)か ら流入 した語垂 学問、順風、高山、修 身、動静、血気、便利、広大、政事 、末世、学者、思索、権利、 成人、禽獣、滅亡、内省、貧窮、横行、私欲、大過、道理、容貌 な ど。 (4)『文選』 か ら流入 した語垂 朝夕、娯楽、反復、風俗、学校 、時節、鮮明、指南、前駆 、経営 (営)、生命、皇統、 遊覧、世俗、嘆息、平生、変化、悲哀、猶務 (予) など。 (5)『世説新語』 (31)か ら流入 した語集 測量、優劣、不足、裸体、危急、暴雨、接小、鼓舞、離婚、料理、親戚、僕、幕府、 聖賢、上流、暗室、不浄、高遠、骨肉、律令、消息、門下、不測、才気、理屈、奇抜、 一生、品評、我輩、伝授、号泣、喧嘩、黙然、 自若、識者、諸君、敷難、名月、評論 、 貧乏、風流、顔色、任意 奇人、賓客、意表、腹心、領袖、寡欲、万物、棟梁、名士 など。5.
仏教 を通 じて定着 した漢語 (詩集)104 清泉女学 院短期大学研究紀要 (第22号) 紀元前6-7世紀 にイ ン ドで開基 された仏教 は、1世紀の頃、漢 (束漢 ・前漠)の時 代 に中国に伝 わった。その後、三国、晋、南北朝の400-500年 を経 る中て、仏教経典の 翻訳や研究が進み宗教 として確立 した。 惰唐の時代 に仏教 は天台、華厳 、唯誠、禅宗、 浄土、密宗 など特色ある宗派 に分かれて発展 した。 日本か らの留学僧 は中国で翻訳 され た仏教経典 を学 び、 またそれ らをコピー (写経) して 日本 にもた らし、それぞれの宗派 の立場で布教活動 を行 った。 このため、古代 日本の人々には仏教の精神 とともに多 くの 漢語 (語桑)が受 け入れ られ、それが 日常生活用語の中にも定着 して今 日に至 ったもの と思われる。それ らのい くつかを拾 ってみたい。 (1) 仏塔や仏具関係の語嚢 塔、舎利、金堂、講堂、食堂、鐘楼、僧坊 、高座、香炉、如意 鉢、袈裟、頭巾など。 (2)仏教経典の中の語嚢 煩悩、 自在、彼岸、一切、不可思議、智慧、精進、未曾有、世間、世界、過去、光明、 神通、一心、演説、方便、合掌、引導、分別、慰勲、清浄、迷惑、我慢 、供養、正直、 安穏、請願、増長、功徳、乃至、常住、貧窮、大悲、思惟 、差別、未来、称賛、出家、 志願、頑固、疑惑、堕落、利益、馳走、娯楽、不浄、救済、飢渇、食欲、解脱、凡夫、 下賎、離別、子息、財産、長者、愚劣、出現、平等、慈悲、決定、修行、来世、無上、 奇妙、安楽、端正、救護、減少、奇特、功徳、言論、仏事、虚空、変化、勇猛、寿命、 知識、法師、説法、唱導、疲労、問答、教誼、肉眼、坐禅、施主、地獄 、畜生、良薬、 飲食、擁護、夢 中、短気 、極楽、黄金、供養、障樽、因縁、顛倒、一期、堪忍、看病、 境界、帰依、過去、観念、現在、後生、乞食、俄悔、色欲、 自覚、執着、荘厳、邪魔、 接待 、畜生、息災、道具、油断、無常、肉眼、往生、囲 (円)満 な ど。
6.
科学技術や風俗習慣 を通 じて流入 した語垂 古代 日本は中国か ら先進的な技術 を取 り入れて きたが、青銅器 と鉄器 をつ くる技術 と ともにその製品名が伝 え られた。 また稲作技術や農作物の種子 と人体の部分の名称 をは じめ、地理、天文、気象、工芸、建築、医学、薬学 に関す る知識 とその語菜が伝 えられ て定着 した。それ らには次の ようなものがある。岩下 :中国語 (漢語)か ら借用 した 日本語 (1)青銅器 と鉄器関係 銅鏡、剣、鉄 な ど。 (2)農作物関係 人参、大黄、甘草、牡丹、水仙、考薬、胡椴 な ど。 105 (3)人体の部分 と病気関係 頭、面、耳、毛髪、心、手、足 、指、勝朕 、脳 、肝、牌、肺、腎、大腸 、口、胃、痔 、 脚気、鴨息脱肛 、黄症、丹毒 な ど。
(
4
)
地理や天文気象の関係 熱帯、寒帯、温帯、火山、操布、道路、盆地、地震、海洋、海峡、海流、潮流、岩石、 土砂、鉱山、平原、山地、太陽、月、 日食、赤道、新月、北極、北斗、木星、火星、 土星、金星、水星、地球、恒星、聾星、流星、衛星、暴風 、台風 、梅雨、夏至、冬至、 立春、春分、秋分 など。 (5)建築関係 殿、堂、院、楼、廊、亭、柵、瓦、天井、柱 、門、寺、廟 など。 (6)衣食文化 や風俗習慣の関係 布、錦、紬、頭 巾、靴、草履、浴衣、袴、蜜、醤油、豆腐、鰻頭、羊美、囲碁、競馬、 相撲、正月、端午、七夕、幕、帳、犀風 、障子、椅子、床、樽、灯篭、灯台、鏡台、瓶、 盆 など。 7.-つの文字 からなる請 と熟語の流入 漢字 は表意文字であるため、漢字一文字が 「ことば」 として独立 した意味 を持 ってい る。 この点では世界のほとん どの言語が ローマ字の ような表音文字で表記 されているこ とを考 えると、漢語 は極めて異色 な存在である。106 清泉女学院短期大学研究紀要 (第22号) 古代 日本 には文字がなかったため、漢字の知識 をもった渡来人が行政面の記録 などで 活躍す るようになった。 また 日本列島にあった 「大和 ことば」 は、表記の方法がなかっ たので、そのことばの意味 に該 当する漢字 に置 き換 え られて表記 されるようになった。 (1)一つの文字の同形語 ア 日本語の漠字音 に近い ものを列挙す る と次の通 りである。 案、愛、以、意、印、引、看、三、新、信、南、民、利、里 など。 イ 読み方が違 うものは次の通 りである。 ( )内は現在 中国で使われている簡体字である。 逮 (逮)、役、戒、階、寒、機 (帆)、期、禁、行、局、玉、具、軍 (軍)、課 (煤)、 下、景、石、子、主、州、臣、社、上、首、順、族、堂、中、 日、木、品、 目、力、 文、明、暗、- -十の漢数字、百、千、万、億 (イ乙)天、地、風 (凧)、雨、電 (屯)、 山、水 、土、田、年、夜、人、父、母、手、老、少、牛、馬 (弓)草、米、豆、油、 酒、肉、打、立、解、記 (ほ)、死、病、先、後 (后)、前 、早、大、小、昔、刀、生、 産 (戸)、謝 (謝)、進 (逮)、説 (悦)、想 など。 (漢字の読み方 に日本 と中国で違いが発生 したのは次の事情 による。 (∋漢字が伝 え られた頃は現在の 日本式の読み方であったが、中国でその後 に読み方が変わった。 ②漢語の音節 は
4
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程度であったが、大和 ことばは8
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程度の音節であったので、古代 日本人の耳では細部の微妙 な違いが識別で きず、限 られた数の音節 の読み方 に合わ せ て しまった。) 近年 日本で発行 された漢和辞典 (小学館 の新選漢和辞典1
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3
年) による と、親字は 1万 1千字 ほどであるが、 日本でつ くられた峠、辻、働 な どの国字 も一部分載 ってはい る ものの、殆 どは中国でつ くられた ものである。 これ らは全て中国語 (漢語)か らの借 用語 とみな して差 し支 えない と思われる。 (2)二文字の同形語 ア 各漢字が独立の意味 を持 ち、2語か ら成 っている語嚢 は次の通 りである。岩下 :中国語 (漢語)か ら借用 した 日本語 107 参観 (参親)、永遠 (近)、豊 (辛)富、栄誉 (栄誉)、防衛
(
耳)
、簡単 (簡単)、健康、 倭 (価)秀 な ど。 イ ニ文字の意味がほぼ同 じで、一つの語桑 を形成 しているものには次の ものがある。 山岳、河川、岩石、道路、倉庫、君主、宮 (宮)殿、学校、根本、言語(
徳)、差 (差) 別、康、土壌、丘陵など。 ウ 意味が相反する二つの文字か らなる語嚢 は次 の通 りである。 天地、 日夜 、文武、男女、父母、夫婦 (如)、兄弟、姉妹、君臣、古今、手足、喜怒、 内外 、左右、東西 な ど。 エ 後 の字が主体で前の字が修飾語 となっている同形語 は次の通 りである。 高山、深 山、名山、大海、大地、武士、名士、美女、文盲、天才、先輩 (輩)、大敵 、 名医、大事、台風 (凧)、兵法など。 オ 前 の字 に主な意味があるものは次の通 りである。 地下、国内、室内、廊下 な ど。 (3)三字 か らなる同形語 は次の通 りである。 山茶花、金剛石、葡萄酒、脳貧血、農 (衣)作物 (4)四字 か らなる成語の同形語 北京の商務印書館 出版の漢語成語小詞典 (1973年)には3,013の成語が載 っているがそ の中で現在 も日本で使 われているものはそれほ ど多 くはな く、以下 に示す程度である。 一言半句、羊頭 (臭)狗 肉、士農 (衣)工商、象形文字、世襲 (塞)財産(戸)、文武両道、 森羅 (夢)万象、大同小異 (罪)、子々孫 (称)、臥薪嘗胆、一刻千金、一挙 (挙)両 (柄)得、 一刀南 (柄)断、一 目瞭 (了)然、一衣帯水 、一朝一夕、一知半解、三位一体、四面楚 歌、九死一生、切瑳琢磨、虎視耽々、弱肉強食、百発 (友)百中、半信半疑、単 (単) 刀直入、画竜 (画充)点晴、 急転 (幸手)直下、 面 目一新、拍手喝乗、千変 (変)万化、108 清泉女学 院短期大学研 究紀要 (第22号) 千差 (差)万別、先見之明、四分五裂、言行一致、一触即発 (友)、 -網 (岡)打尽、 再三再 四、唯我独尊、朝三暮 四、 自暴 自棄 (弄)、 自給 自足、 自力更生、各個 (千)撃 (古)破、百戟 (故)百勝 (旺)、象牙之塔 など。ただ し次の ものは 日本では使 われてい るが中国では使 われていない。 絶体絶命、無我夢 中、我 田引水、一所懸命、正 々堂々、是 々非 々、五里霧中、一心不乱、人 跡未踏、事後承諾、正真正銘、不言実行、無理難題、理路整然、無理矢理、縦横無尽 な ど。
8.
日本でつ くられて中国語 に流入 した詩集 明治以降 日本か ら中国語 (漢語) に入 った語桑 は政治、経済、社会、行政、法律、学 術 、医学、娯楽 な ど多 くの分野 にわたっている。学術用語 は 日本で西洋の書物か ら翻訳 された語秦が多いが、中国留学生が 日本語の中か らそれ らを学 び取 り、帰国 してか ら著 作の中などで使用 したために中国語 に定着 した ものが多 く、 また経済、社会関係の語菜 もほぼ同様 に翻訳語であ り、 日本 に身を寄せた り亡命 していた中国の進歩的知識人達 を 経由 して中国語 に入 った と言 われている。 また 「満州国の建国」 に代表 される日本軍の 中国支配 とい う政治情勢の中で流入 した行政や法律関係の語嚢 も多い。そ してそれ らは 現代 中国の人々が社会生活 を営 む上で も必須の語菜 となっているほ ど、深 く浸透 し言語 のみならず、社会にも大 きな影響 を与 えて きたのである。その ような語嚢 を次 に掲 げた い。ただ し、簡体字 は省略 してある。 社会、闘争、革命、文明、政治、経済、進歩、思想、世界、選挙、主席、共和、批判、 文化、保健、身分、立場、復習、服務、交通、方針、認可、市場、想像、作物、派遣、 報告、物質、美学、抽象、代表、断交、電卓、独裁、現象、概念、法学、調整、表現、 取消、手続、申請、布告、方法、修正、幹部、民主、生物学、化学、科学、改良、 目的、 左翼、政策、生産力、商業、新聞、主義、唯物論 、唯心論、特務、財閥、独 占、客観、 哲学、 自治、反動、注射、運動、計算、訪問、存在、組合、集団、管理、意識、演奏、 灯火、探索、現実、背景、常識、広告、漫画、意外、重視、革新、拡大、打倒、説明、 解散、治外法権、遊撃戟 など。 また 日本でつ くられた文字 をベースに、中国で再び合成 された熟語 には次の ようなも岩下 :中国語 (漢語)か ら借用 した 日本語 109 のがある。 経済封鎖、資本輸出、資金凍結、階級分析、技術革新、人材開発、設備 開発、海外調査 など。
9.
仮名の発明 と日本語 日本語 と漢語 は、言語学の分類上は全 く異 なった系統 にある とす るのが定説である。 音声的にも語法的にも両者の相違は大 きい。そのため、 日本語 を表記す るためには表意 文字の漢字だけでは不可能であ り、表音文字が必要であったのである。そのため漠字音 にヒン トを得て、 日本語の音節 に近い漢字の一部分 を抜 き出 して新 たに表音文字 を作 っ たのである。 これが片仮名 と平仮名の発明 とい う画期的な出来事であった。 これによ り 「話 し言葉」も簡単 に書 きとめることがで きるようになった。 この ような仮名体系 は9世 紀 には完成 していた と思われる。 また仮名の使用 によ り語嚢 と語秦の関係 を明示で きる ために、 よ り正確 に情報 を伝 えることが出来 るようになったのである。 漢字は中国での読み方 (普) を伴 って伝 え られたが、大和 ことばの意味 に合 わせてそ の漢字 を読 ませ る とい うか な り乱暴 な方式が採用 された。 山 をヤマ と読み、雲 をクモ と読む 「訓読み」の方式がそれである。 この ように して、漢字の読み方 には音 と訓の二 通 りの読み方が生 じることになった。 日本語 は表音文字 と表意文字の両方 を用いて発達 した。 もちろん仮名 だけで も日本 語 は表せ る し、ローマ字で も表記で きるわけであるが、漢字 を用いることで視覚的に意 味が把握で きるとい う利点は無視 で きない。その半面、結果 として 日本語 は複雑 な様相 をもつ言語 となった。そのため表音文字だけの言語 に慣 れている外国人が、 日本語 を完 全 にマス ターするには、かな りの努力が必要 となっているの も事実である。 10.意味の違 う同形の詩集 同 じ形の語嚢で も日本語 と漢語では意味の違 うものがある。 これ らには次の ような も のがある。 ( )内は漢語で理解 した場合 の意味である。なお簡体字 は省略す る。 勉強 (強制す る)、手紙 (トイ レッ トペーパー)、花子 (乞食)、汽車 (自動車)、湯 (スー プ)、中西 (中国 と西洋)、東洋 (日本)、新聞 (ニュース)、表 (時計)、明白 (分かる)、110 清泉女学 院短期大学研究紀要 (第22号) 丈夫 (夫)、工夫 (時間)、東西 (品物)、便宜 (安 い)、告訴 (告げる)、老婆 (女房)、 愛人 (秦)、妻子 (秦)、利害 (ひ どい)、打算 (-す るつ もり)、走 (歩 く)、猪 (豚)、 鴨 (アヒル)など。 また、漢数字の表 し方 には一部違いがある。 例 えば、二百一 は210の こと。中国語での201は 「二百零
-
」と表記す る。 (中国語では百 の次の数字は十の位 を示す。)一千一 は1100を意味す る。中国語では1001は「一千零-」と 表記す る。 (中国語では千の次の数字 は百の位 を示す。) おわりに 文化 は高い方か ら低 い方-流れる と言 うが、古代 に先進的な文化 を保持 していた中国 大陸か ら、 日本列 島に稲作文化 を中心 に して多 くの文物が流入 した。 また2200年 ほ ど前 の秦時代 には、『徐福 と始皇帝』(32)の中で、中国の徐福研究者の多 くの論文 に 「秦の始 皇帝の圧迫 を逃れて、徐福 に代表 されるような大量の亡命 (移民)が 日本 に対 して行 わ れたが、彼 らは文化難民 ともいえるだろう。」と共通的 に述べ られているように、彼 らに よって 日本 にもた らされた文物 は多い。 さらに朝鮮半島か らは、渡来人が 日本 に文字や 仏教及び製鉄技術 などのハ イテクを伝 えた。 また海 に囲 まれた 日本 は、南方諸島の人々 か ら漁労技術 などの文化 を受け継いでいる。 この ように して、アジアの人々 との盛 んな 交流の中で、日本人の祖先が生 まれたのである。そ して我 々日本人の ことばは、 大陸の みな らず これ らの地域 の言語 も取 り込み なが ら重層 的 に構築 されて きたのである。 本 稿では、特 に影響が強かった漢語 との関係のみに絞 って考察 して きたが、 日本語 をアジ ア全体 の言語文化圏の中で捉 えてゆ く視点は忘れてはならない。その視点 に立 っての考 察 は今後の課題 としたい。 注 (1)黄河文明に1000年先立ち稲作文化 を中心に長江流域 に形成され、今から4200年前に滅亡 した古代文明。最近研究 と発掘が進み、夏王朝 までの空自を埋めるものとしての位置付 けがされている。NHKテレビ 「延る長江文明」で放送。(2000年9月)。拙稿 「古代中国人岩下 :中国語 (漢語)から借用 した日本語 111 の信仰 と生活」:長江文明の曙 (『文化女子大学紀要10集』2002年)参照。 (2)今か ら5300年前 頃 よ り4200年前 に至 るまで繁栄 した稲作 と玉 を中心 とす る古代文明、良 渚 は文化圏の中心 (都)であ った とされているが発掘 はあ ま り進んではいない。角川選書 『長江文明の発見』徐朝龍1998年。 また (1)で触 れた拙稿参照。 (3)拙稿 「古代 中国人の信仰 と生活」:良渚文明 (『文化女子大学紀要10集』2002年1月 112 頁) (4)後漠の班国の撰。120巻。地理志 には 「前1世紀の倭 (日本)が100余の小 国に分裂、それ らが中国王朝 と交渉 を持 った」 と記 されている。 (5)前16世紀か ら前1043年 までの王朝。青銅器文明の王朝で奴隷制社会で もあ り、周 に滅 ぼ された。 (6)前1042年 に成立。孔子は周公の政治 を理想 とした。西周 は12代、285年間続いたがその後 東周時代500年間は春秋戦国時代 に当 り群雄が割拠 した。その中で秦が台頭 し統一 し秦帝 国を成立 させた。 (7)拙稿 「信長 と始皇帝」 (『文化女子大学紀要』2003年1月) (8)孔子やその門弟の言行 を記 した もの。10巻20篇。孔子の死後、今か ら2000年 ほど前 に編纂。 (『論語正義』中華書局1990年。岩波文庫 『論語』1963年) (9)周の時代 の梁の周興嗣の撰。 1巻。 4言古詩250句、1千字か らなる。古事記の記述 は小 学書の間違い との説 もある。 (10)604年 に聖徳太子がつ くった。論語 と仏教の法華経 などか らの引用句が多い。 (ll)周末葉漠の時代の礼 に関す る諸説 を集めた もので礼 に関す る理論 と実際 を記録 している。 (12)春秋左氏伝の こと。30巻。作者 に諸説あ り。『春秋』の注釈書。 (春秋 とは魯の歴 史につい て孔子が筆冊 した ものであ り12代、242年間の善悪 を弁 じ名分 を正 し、大義 を掲 げ天下後 世 に尊王の道 を示 している。) (13)詩経 をい う。漠初 に毛享が伝 えた詩経 をさす。 (詩経 とは孔子が3000余篇の中国最古 の詩 か ら305篇 を選 び、編纂 した とい う。) (14)経書 (儒教 の書)の名。周公亘の撰 と伝 えられる。天地春夏秋冬 に象 って官制 を立 て、そ の職掌 を細記 している。中国歴代王朝の官制 は多 くこれによっている。 (15)経書の名。周公亘の作。「ざらい」 と読む。冠婚葬祭 などについて記 している。 (16)周代の易。 (易 とは陰陽2気 を根源 として万象の変化 を考 え、宇宙 を統観 し、人事 をきわ め、天地人のあ らゆる理法 を究明 しようとする ものである。)
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虞夏商同時代 までの政道 を記 した書で孔子が編纂 した。虞夏 とは舜 と南の時代 をさす。112 清泉女学院短期大学研究紀要 (第22号) (18)奈良平安時代の法令 (19)130巻。司馬遷の撰。黄帝か ら漠の武帝 までの約2千数百年の事績 を継いで編 んだもので、 52万6千5百字 に及ぶ歴 史書 (20)120巻。後漠1代のことを記 した歴 史書で紀伝体 (個人の歴 史を中心 に書 く書 き方)で書か れている。 (21)30巻。周か ら梁 までの作家百数十人の詩賦文章 を約8百篇 を選 び集めた もので、現存す る 詩文集では最古の もの とされている。 (22)文字 を説明 した もので、字書中で最古の もの。作者 は孔子の作 とし、詩書六芸 を解釈する ための もの としているが、親の時代 に至 り、周公の作 と称 した。 (23)l着o13経の1。曾参の門人が孔子 と曾参の孝道 に関す る問答 を筆録 した もので、秦の焚 書の とき顔芝が深 く蔵 していて、漢初の文帝の とき、その子の貞之が世 に公 に したものを 今文孝経 といい、武帝の とき、尚書 ・論語 とともに、焚書 を逃れて壁 中か ら得た ものを古 文孝経 と呼ぶ。
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)8
巻。晋の葛洪の撰。道家の言であるが、神仙などのほか時政の得失、人事の可否 を論 じ て黄帝 と老子 を主 としている。 (25)唐代小説の篇名。妓楼妓館 の遊楽 を美化 した好色的な小説で 日本では珍重 された。 また 美辞麗句の宝庫で用語字典 として も使用 された。(
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18巻。古代 の神話 と地理の書である。神性 の説の多い ところか ら小説類 にも入れ られて いる。西山経の西王母の話 は有名である。 (27)6巻。撰者不明。小説書の最古の もの。周の穆王が天下 を旅 し西王母 と会 った りする。四 川省の三星唯の女帝が西王母 とす る仮説 を裏つけるヒン トを提供する物語である。参照 : 拙稿 「古代 中国人の信仰 と生活」
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三星堆文明の物語 るもの(
『文化女子大学紀要10集』2002 年1月 120頁) (28)左氏伝 と同 じ。12)の項で説明 (29)130巻。唐の太宗が命 じて晋か ら六朝 までの歴史をまとめ させ た もの。特 に有名な18家の 晋 史を参考 に蔵栄緒 の晋 史を本 に編纂 した。 しか し、18家の史書 は唐時代 以降失われた ため、その内容 は本書 により推定せ ざるを得ない。 (30)書名。20巻。周の萄況の撰。彼の性悪説 によりその後 に法家が出て秦の時代 に活躍 (31)六朝時代の劉義慶の撰。徳行 と、言語、政事、文学、方正、雅量 などの門に分け、後漠か ら束晋 までの嘉言、佳話等 を集めた もの。 (32)池上正治 『徐福 と始皇帝』 勉 誠社 1997年岩下 :中国語 (漢語)から借用 した日本語 参考文献 林華東 『良渚文化研 究