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山陽鉄道における牛場卓蔵の役割

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Academic year: 2021

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(1)生駒経済論叢. 第7巻 第1号2009年7月. 山陽 鉄 道 に お け る牛 場 卓蔵 の役割 区 良. 概要. 一. 藤. 西. _▲. 山陽 鉄 道 の 創 業 期 の 経 営 を 担 った の は中 上 川 彦 次 郎 で あ る。 彼 は長 期 的 経 済 性 を め ざ. して 事 業 を 遂 行 した が,こ れ は円 滑 な 資 金 調 達 が 前 提 で あ った 。 した が って 明 治23年 の 恐 慌 が 起 こ る と,そ の 循 環 は う ま く機 能 せ ず,株 主 との 対 立 が 顕 著 にな った 。 そ の 結 果,中 上 川 は 退 陣 し,こ れ に代 って 松 本 重 太 郎 が 経 営 を 引 き受 けた 。 しか し松 本 社 長 の 時 代 も,中 上 川 流 の 合 理 的 経 営 が 展 開 され た 。 そ の 原 因 は 時 の 実 務 者 集 団 が,中 上 川 との 間 に理 念 的 親 和 性 が あ った か らで あ る。 そ の 中 心 とな った の が 支 配 人 の 牛 場 卓 蔵 で あ る。 そ こで 牛 場 卓 蔵 が 山 陽 鉄 道 に係 わ る契 機 を 検 討 し,彼 が 展 開 す る経 営 姿 勢 を 読 み 解 くこ と に よ って,山 陽 鉄 道 の 経 営 の 特 色 を 析 出 した 。. キ ー ワー ド. 長 期 的 経 済 性,株 式 払 込, 理 念 的 親 和 性,競 争,改 良 進 歩. 原 稿 受 理 日2009年5月12日. Abstract. Hikojiro. term economical nancing. Nakamigawa,. efficiency. the business.. Then opposition As a result,. However,. occurred. Nakamigawa. dertook. the presidency,. mained. unchanged.. because the managers. retired. searching. stockholders. Railway,. the management. reasons. why. had an affinity. pursued. the. toward. by depression. and management. from the management. even though The. of Sanyo. long-. This could be taken effect by timely fi-. it ceased to be in effect. between. that time was Takuzo Usiba. of Usiba,. the founder. of the company.. and Jutaro. in 1890.. over its policies. Matsumoto. un-. concept of Sanyo Railway. concept. remained. Nakamigawa.. unchanged. rewere. The chief manager. at. Because of this I reviewed the career and life history. for the management. characteristics. of the. Sanyo. Railway. Company.. Key. words. long-term agement. economical concept,. efficiency,. competitive. paying market,. up of shares, innovative. affinity. progress. of man-.

(2) 第7巻. は. じ. 第1号. め. に. 山陽 鉄 道 の 創 業 期 の 経 営 を 担 った の は 中上 川 彦 次 郎 で あ る。 彼 は福 沢 諭 吉 の 甥 に当 た り そ の 縁 が あ って 慶 応 義 塾 で 学 ん で お り,明 治7(1874)年. か らの3年 間 イ ギ リス に留 学 し. て い る。 そ して この 時 期 に経 済 的 合 理 主 義 に もとつ く思 想 と人 格 を 形 成 して い る こ と は よ く知 られ る と こ ろで あ る。 彼 は明 治20年2月. 山陽 鉄 道 の 社 長 に選 任 され て い るが,山 陽 鉄. 道 の 敷 設 にか け る彼 の 思 い入 れ が 並 み の もの で はな か った こ と は,当 時 の 書 簡(1)か らも明 らか で あ るが,そ の 年 に生 まれ た 四 男 に 「鉄 四 郎 」 と名 づ け,翌 々年 の1月. に生 まれ た 次. 女 に 「道 」 と命 名 して い る こ とか ら も垣 間 見 られ る。 彼 の 鉄 道 経 営 にお け る積 極 性 や,拡 張 主 義 は彼 の 高 弟 の 言 葉 で 言 え ば 「永 遠 の 経 済 」(2)性,つま り長 期 的 経 済 性 を め ざす もの で あ った 。 こ う した 長 期 的 視 点 にた つ 積 極 的 経 営 に関 して は数 々の 資 料 に よ って も明 らか に され て い る。 しか し長 期 的 視 点 に立 つ 積 極 的 経 営 は,順 調 な 資 金 調 達 が あ って 始 め て 可 能 とな る もの で あ り,株 主 に よ る度 重 な る払 込 に頼 らざ るを え な か った だ け に,明 治23年 の 恐 慌 が 起 こ る と,そ の 循 環 は う ま く機 能 せ ず,中 上 川 の 積 極 的 経 営 方 針 を あ ぐって,株 主,と. りわ け. 大 阪 株 主 との 対 立 が 顕 著 とな った 。 そ の 結 果 大 胆 な 「社 内改 革 」を 断 行 した もの の,結 局, 中上 川 は退 陣 して しま って い る。 そ の 後,若 干 の 紆 余 曲 折 は あ った が,こ れ に代 って 経 営 を 引 き受 けた の が,当 時 「大 阪 の 渋 沢 」 とか 「関西 実 業 界 の帝 王 」(3)とまで いわ れ て 大 阪 財 界 に君 臨 して いた 松 本 重 太 郎 で あ る。 これ に よ って 大 阪 株 主 の 要 望 す る方 向 に進 あ られ た の か と い う と必 ず し もそ うで はな く,山 陽 鉄 道 にお け る松 本 の リー ダー シ ップ は社 内 的 に も社 会 的 に もあ ま り認 め られ な い に もか か わ らす(4),こ の 間 に お い て も中上 川 の 先 進 性 ・ 合 理 的 経 営 が 展 開 され て いた よ うで あ る。 そ の 原 因 は この 鉄 道 の お か れ て い る環 境 の な か で,現 場 を あず か る実 務 者 集 団 とそ れ を 束 ね る人 々が,創 業 者 集 団 との 間 に理 念 的 親 和 性 が あ った か らで あ る と考 え られ るが,そ の 中心 とな った の が 支 配 人 の 牛 場 卓 蔵 で あ り,彼 の 経 営 姿 勢 に よ る と こ ろが 大 きか った と 考 え られ る。 (1)日 本 経 営 史 研 究 所編(昭 和44年)「91.書 簡 中 上 川 彦 次 郎 よ り本 山 彦 一 宛 」 『中上 川 彦 次 郎 伝 記 資 料 」187-188ペ ー ジ (2)白 柳 秀 湖(昭 和15年)「 中 上 川 彦 次 郎 伝 」 岩 波 書 店,514ペ ー ジ (3)前 者 は池 田成 彬(1949年)『 故 人今 人」 世 界 の 日本 社,149ペ ー ジ。 後 者 は岳 淵 生(1897年)「 松 本 重 太 郎 を 論 ず 」,「実 業 之 日本 」 第1巻9号,37ペ ージ (4)「 社 会 に於 け る鉄 道 家 の 勢 力 」(明 治37年4月2日)『 復 刻 版 鉄 道 時 報 」(237号) -164(164)一.

(3) 山陽鉄道 にお ける牛場卓蔵の役割(西 藤) そ こで 本 稿 で は 中上 川 時 代 の 積 極 的 経 営 と社 内 改 革 につ いて 整 理 を した うえ で,牛 場 卓 蔵 が 山陽 鉄 道 に係 わ る契 機 を 検 討 し,彼 が 展 開 す る経 営 姿 勢 を 読 み 解 いて み る こ と に よ っ て,山 陽 鉄 道 の 経 営 の 特 色 を 析 出 して み よ う。. 1.中. 上川の積極経営 と大阪株主の対立. 山陽 鉄 道 で は 明 治21年1月4日. 付 け で 開 業 免 許 を受 け取 る と,早 速 株 式 募 集 の準 備 に. 入 った。 同 社 の 資 本 金 は1,300万 円 で あ るが,当 初 募 集 金 額550万 円 の うち370万 円 は 発 起 人 に お い て 引 き受 け,残. る180万 円す な わ ち18,000株(1株100円)を. 関係4県. 下に分配募. 集 す る こ と にな った 。 そ の 募 集 は 「好 結 果 」(5)を 得 た と報 告 さ れ て い る。 しか し,実 態 はそ れ ほ ど楽 観 で き る もの で はな く,兵 庫 ・山 口 ・岡 山 は満 額 以 上 の 応 募 が あ った が,広 島 で は低 調 で あ った 。 そ の た め 広 島 県 下 で の 不 足 額 を 兵 庫 県 下 の 超 過 額 で 補 填 し,各 県 の 超 過 分 は棄 却 して 今 回 の 募 集 を 終 了 した と して い るが,予 定 額 に達 した 岡 山県 で も,「 廿 二 国 立 銀 行 頭 取 村 上 長 毅 氏 よ り之 を 補 ひ た る程 ゆ ゑ 同 株 券 の景 気 も当 県 に て は甚 だ 不 印 な り(6)」 と,地 域 に よ る応 募 の バ ラつ きが あ った 。 しか しこの 間 に も資 材 の 購 入(7)を進 め る一 方,官 鉄 線 の 神 戸 駅 との 接 続 を 模 索 しな が ら 当 初 案 の とお り官 鉄 線 神 戸 停 車 場 接 続 を 決 定 し,早 くも明 治21年6月1日,「 東 尻 村(現 兵 庫 駅)よ に して,11月1日. 摂津国八部郡. り,播 磨 国 溝 口村(姫 路)ま で」(8)の 間 を着 工 し,神 戸 区 間 は後 回 し. に は予 定 よ り少 し遅 れ た もの の 兵 庫 ∼ 明 石 間 を 開 業,12月23日. に は明 石. ∼ 姫 路 間 の 開 業 運 転 に こ ぎつ けて い る。 しか し同 社 で は,起 工 につ いて も開 業 にお いて も 祝 宴 の よ うな 華 々 しい式 典 はな く,ま た 途 中の 駅 舎 もプ ラ ッ トホー ム につ いて も仮 設 の も の が 多 く,早 期 に延 伸 し開 業 す る こ とが 最 優 先 され た 。 しか も開 業 間 もな い明 治22年3月21日. にお け る常 議 員 会 で は,中 上 川 は鉄 道 の 今 後 の 発. 展 を 見 込 め ば,「既 設 神 戸 姫 路 間 に て更 に複 線 を布 くべ き丈 の地 所 を買 増,未 設 姫 路 尾 の 道 間 に於 て も亦 複 線 を布 くべ き 予 定 にて 之 が地 所 を 買 置 ざ る べ か らず 」(9)と 提 案 して い る。 これ は決 議 に は至 らな か った が,こ の 時 期 にす で に この 鉄 道 を 幹 線 鉄 道 と して 位 置 づ け, 路 線 の 複 線 化 を 提 案 す るだ けで はな く,現 に明 治22年9月1日,兵. (5)『 (6)『 (7)同 (8)同 (9)同. 東 京 経 済 雑 誌 」(明 治21年3月10日)第409号,313ペ ージ 大 阪 朝 日新 聞 」 明 治21年2月23日 付 紙 『大 阪 朝 日新 聞 」 明 治20年8月31日 付,「檜 材 枕 木 の入 札 広 告 」 紙 『大 阪 朝 日新 聞 」 明 治21年5月15日 付 紙 『大 阪 朝 日新 聞 」 明 治21年3月23日 付 一165(165)一. 庫∼神戸間を複線で開.

(4) 第7巻. 第1号. 通 して い る こ と は注 目 に値 す る。 そ れ だ けで はな く,旅 客 運 賃 や貨 物 営 業 に 関 して も,山 陽 鉄 道 は,「一 大 競 争 者 ハ 従 来 瀬 戸 内 ヲ航 行 スル 多 数 ノ小 汽 船 ニ シテ,(中 略)通 常 貨 物 運 賃 貸 切 車 賃 銭 及 手 回 小 包 物 運 賃 等 総 テ 官 設 鉄 道 ノ運 賃 二 対 シ,幾 分 ノ割 引 勘 定 ヲ以 テ 運 賃 ヲ定 メ タル 次 第 二 有 之 」(1① と して, 割 引 運 賃 を と る こ とを 申請 して い る。 姫 路 以 西 尾 道 まで の 工 事 は逐 次 お こな わ れ,途 中,船 坂 燧道 に つ い て は 同年6月 翌 年23年6月11日. に起 工,. か ら岡 山県 下 の 全 区 間 で 工 事 は開 始 され,逐 次 開 業 して い る。. と こ ろで 兵 庫 県 と岡 山県 の 県 境 に あ る この 船 坂 峠 越 え の 建 設 は難 工 事 が 予 測 され た が, 「今 に して 百 分 の一 の勾 配 を 実 行 す る に非 ざれ ば,他. 日幹 線 開通 し交 通 股 賑 を極 む る際 に. は到 底 役 に立 た ず 再 び工 事 を せ ね ば な らぬ結 果 とな る」(ll)と して長 期 的 経 済 性 の観 点 か ら 100分 の1を 超 え る勾 配 は許 さ な か った。 この よ う に 中上 川 の 積 極 的 経 営 の 事 例 は枚 挙 に と まな いが,高 弟 の 武 藤 山治 の 言 葉 ⑫ を 借 りれ ば,路 線 の 「屈 曲 は 十 五 鎖 を 限 度 と し」,ま た 「勾 配 は総 て 百 文 の 一 を 下 ら しめ ず 」, また 用 地 の 買 収 にお いて も,「兵 庫 停 車 場 の敷 地 の如 き,そ の広 さ三 万 坪 に余 り」 ま た 「尾 道 市 街 で も,「複 線 用 の 土 地 を 買 収 し置 き た るが 如 き」,ま た 「バ キ ュー ム ブ レー キ を採 用 」 し 「将 来 の 需 要 を 見 込 ん で 機 関 車 や 貨 客 車 な どの 積 極 的 購 入 や,外 国 品 の直 接 購 入 」⑱ して 経 費 の 切 り下 げを 実 行 す るな ど,つ ね に長 期 的 視 点 に立 って 事 業 を 遂 行 して きた 。 この よ う に積 極 果 敢 な 工 事 の 推 進 に よ り,完 了 区 間 か ら逐 次 開 業 す る もの の,株 式 の 追 加 払 い込 み に よ る資 金 調 達 は困 難 を 来 た す よ う にな り,明 治22年4月27日. に開 か れ た 株 主. 総 会 後 の相 談 会 に お い て,「 株 主 大 塚 氏 外 廿 三 名 よ り提 出 せ し同社 株 券 を 五 十 円 と改 定 」ω す る案 が 提 出 され,48名. の 同 意 者 が あ り,株 主 臨 時 総 会 で 検 討 され る こ と にな り,可 決 さ. れ て い る。 また 同 じ総 会 の 議 案 と して,工 事 進 捗,資 材 の 購 入 が 続 く中で 資 金 の 必 要 性 に応 じた 発 行 株 式 の残 額 を 募 集 す る議 案 が 提 出 され て い る。 そ の 時 点 に お け る発 行 株 式 の 残 額 は750 万 円で あ るが,度 重 な る払 い込 み に 「株 主 が 迷 惑 を 感 ず る場 合 も之 有 る に 由 り此 際 先 ず 二 百 七 十 五 万 円丈 発 行 」⑮ す る案 も提 出 さ れ た が,結 局,原 案 通 り株 主 所 有 の 株 式 高 に応 じて 募 集 す る こ と にな った 。 ⑩ 日本 国 有 鉄 道(1973年12月)『 日本 国 有 鉄 道 百 年 史 」 第2巻,575-577ペ ージ qD前 掲 書 「村 上 定 談 「鶏 肋 」」 「中 上 川 彦 次 郎 伝 記 資 料 』,183ペ ー ジ ⑫ 同 書 「武 藤 山治 「山 陽 鉄 道 時 代 」」 『中 上 川 彦 次 郎 伝 記 資 料 」,143ペ ー ジ ⑱ 同 書 「村 上 定 談 「鶏 肋 」」 『中上 川 彦 次 郎 伝 記 資 料 」183-184ペ ー ジ ω 『神 戸 又 新 日報 」(1493号),明 治22年4月28日 ⑮ 同 紙 『神 戸 又 新 日報 」(1538号),明 治22年6月21日 一166(166)一.

(5) 山陽鉄道 にお ける牛場卓蔵の役割(西 藤) 姫 路 まで 開 業 した もの の,姫 路 以 西 の 路 線 につ いて は収 益 が 薄 い 中で の 営 業 で あ るだ け に,株 主 と して は,ひ た す ら資 本 金 の 払 い込 み が 求 め られ るの み で あ った 。 そ の た め 払 い 込 み は延 滞 し事 業 の 展 開 が 危 ぶ まれ る こ と にな った 。 そ こで 中上 川 は明 治22年10月9日. 付. で 「山陽 鉄 道 特 別 補 助 金 下 付 之 義 に付 稟 請 」 を 内 閣 総 理 大 臣 に提 出 した 。 中上 川 に と って,背. に腹 はか え られ ぬ 状 況 で あ って,申 請 理 由 は次 の よ うな 内 容 で あ っ. た 。 す な わ ち 「東 海 道 鉄 道 は既 に成 功 し又 日本 鉄 道 も其 筋 の 保 護 を 得 て 工 事 に着 手 せ ん と し,又 九 州 鉄 道 も其 筋 の 保 護 を 得 て 着 々工 事 捗 ど り,其 成 功 の 日 も近 き に あ らん とす る に 当 り,九 州 鉄 道 よ りは寧 ろ本 邦 に取 り必 要 と認 む る山 陽 鉄 道 に於 て相 当 の保 護 を 賜(1明わ りた い との 内 容 で あ った 。 この 稟 請 に対 して,政 府 は完 成 まで の 期 間 を7年 か ら5年 に短 縮 した 上 で,姫 路 ∼ 赤 間 関 間 お よ そ272哩 を5つ. の工 区 に分 け て所 定 の 期 限 内 に完 成 す る こ と を条 件 に,工 区 の 完. 成 後 に そ の 哩 数 に 対 して 一 哩2,000円 の割 合 を も っ て下 付 ⑰ す る こ と にな っ た。 した が っ て 「当 初 純 然 た る私 力 を以 て 勃 興 せ し は,大 い に 実 業 家 の起 業 心 を 強 め た る も の あ り し が,今 や 保 護 会 社 の 部 内 に 入 らん とす るに 至 りて は,悲 しむ べ き事 と云 うべ し」⑱ と も評 価 され ざ るを え な くな った 。 明 治23年3月,姫. 路 ∼ 尾 道 間 の 用 地 買 収 に続 いて 工 事 が 進 あ られ,24年3月18日. に岡 山. ∼ 倉 敷 間 が 開 業 して か らわ ず か 半 年 の 間 に,福 山 まで の 開 業 を 始 め て い る。 と こ ろで 特 別 補 助 に よ って 建 設 資 金 が 得 られ た の か と い う とそ うで はな く,も っぱ ら配 当 を 維 持 す るた め の 資 金 と して 利 用 され る状 況 で あ った 。 した が って 同 年7月21日. に開 か. れ た 常 議 員 会 議 で,「株 金 募 集 を廃 し社 債 を募 る こ とに決 せ し も,前 議 を 取 消 し更 に株 金 を 募 集 す る事,即 ち第4回 分 を 徴 収 す る事 」⑲ を決 めて い る。 と い うの も,恐 慌 の さな か で あ る上 に,当 時 の 社 債 募 禦 ①が 株 主 か ら直 接 募 集 す る縁 故 募 集 の 一 種 で あ った た め,そ れ で な くて も株 主 の 負 担 が 大 きか った 時 期 で あ るだ け に,見 送 られ た もの と考 え られ るが,社 債 募 集 に よ る資 金 調 達 が まだ 一 般 化 して いな い と き に,こ れ を 検 討 して い る こ と は注 目 に 値 す る。 と もあれ 資 金 調 達 の 困 難 さを 十 分 認 識 して い るだ け に,常 議 員 会 で は 「鉄 道 は引 続 き馬 関 まで 布 設 す る予 定 な り し処 目下 の 状 況 にて は(中 略)尾 道 以 西 は暫 ら く工 事 着 手 を 見 合 ㈲ ⑰. 前 掲 書 「東 京 経 済 雑 誌 」(第494号)明 治22年11月2日,593ペ ージ 下 付 の 命 令 書 に は社 長 ・副 社 長 の 任 免 は,こ の 補 助 金 を 受 け る間 は 大 蔵 大 臣 の 認 可 を 受 け る こ と とな って い る。. q8)前 掲 書 「東 京 経 済 雑 誌 」(第497号)明 治22年11月23日,691ペ ージ q9)同 書 『東 京 経 済 雑 誌 」(第532号)明 治23年8月2日,152ペ ージ ② ① 社 債 募 集 に よ る資 金 調 達 を した の は,明 治23年4月 の 大 阪 鉄 道 ・和 歌 山 紡 績 が 始 め て で あ る。 -167(167)一.

(6) 第7巻. 第1号. はす 事 等 を 議 決 ⑳」 せ ざ るを え な か った 。 あ らゆ る資 金 調 達 方 法 を 講 じる もの の 同 社 の 苦 境 を 切 り抜 け るた め に は,も はや 社 内 改 革 しか 手 はな い と見 て,重 役 の 中か ら減 資 や 組 織 の 改 革 が 唱 え られ 始 め た 。 そ れ に よれ ば 「同会 社 の 事 業 余 りに大 に して 成 功 の 日亦 遠 く,株 券 に対 して は 時 々払 込 金 を要 す れ ど も 未 だ 利 益 を 得 て 他 に運 転 す る と いふ まで の 運 び に至 らざ る は因 よ り期 す る処 と は云 へ 余 り に待 遠 きの 感 な き能 はず,就 て はそ の 事 業 と資 本 とを 各 々半 減 して 鉄 道 営 業 区 域 は備 後 尾 道 まで にて 中止 し,資 金 は六 百 万 円 と して,現 今 まで に払 込 み た る金 額 は一 株 金 二 十 三 円 な るを 以 て 二 株 を 合 して 一 株 と した らん に は既 に払 込 み た る金 四 十 六 円な る に よ り,五 十 円 に対 して の 端 金 四 円を 払 込 み て 本 株 券 と引 替 え る こ と と して は如 何 ん,左 す れ れ ば 自ず か ら費 用 を 節 減 す るの 道 もあ り同 会 社 役 員 社 員 の 給 料 だ け にて も一 ケ 月 二 千 円余 を 減 じ得 べ き に よ り,他 の 経 費 を 合 す れ ば 非 常 の 減 額 を な し得 ら るべ し」⑳ と い うよ うに,事 業 の 縮 小 と減 資 の み を 唱 え る もの と,役 員 給 与 の 削 減 に まで 踏 み 込 ん で 唱 え る者 の 二 派 が あ っ た。 この よ うな 情 勢 を 受 けて,山 陽 鉄 道 で は まず4月12日. 付 で 組 織 改 革 を 行 って い る。 そ れ. に よれ ば 「従 来,庶 務 ・運 輸 ・会 計 ・建 築 ・汽 車 ・倉 庫 の 六 課 で あ った もの を 庶 務 会 計 を 庶 務 課,建 築 汽 車 を 技 術 課,会 計 倉 庫 を 会 計 課 とな し,そ れ ぞ れ の 課 長 を 運 輸 課 長:矢 績(元 運 輸 課 長),技. 術 課 長:南 清(元 建 築 課 長),会. 田. 計 課 長:金 井 又 二(元 会 計 課 長)」㈱. と した 。 これ に伴 って 課 長 以 下 の 職 制 改 革 もお こな い,課 員 を 解 雇 し,そ れ に代 わ って 掛 長 を 任 命 して い る⑫ の。 つ ま り技 術 課 にお いて は工 場 兼 運 転 掛 長 に二 級 技 師:岩 崎 彦 松(工 学 士), 線 路 保 存 掛 長 に二 級 技 師:山. 口準 之 助(工 学 士),ま. た 運 輸 課 に お い て は荷 物 掛 長 に は 五. 級 書 記:村 上 定,庶 務 掛 長 に は六 級 書 記:河 合 舜 吉,旅 客 掛 長 に は七 級 書 記:谷 本 鉄 太 郎 を 任 命 し,会 計 課 にお いて も同 様 の 措 置 を 取 る と して い る。 この 改 革 が 中上 川 らの 手 で な った と考 え られ るの は,矢 田績,村 上 定 は いず れ も中上 川 の 門 下 生 で あ る し,南 清,岩 崎 彦 松,山. 口準 之 助 は何 れ も工 部 学 校 の 卒 業 生 で あ り,中 上. 川 一 井 上 勝 の 関 係 か ら送 り出 され た 人 材 で あ るか らで あ る。 そ の 意 味 で,こ の 時 期 の 特 に 職 制 に関 す る改 革 は 中上 川 に よ る もの で あ った と考 え られ る。. ⑳ ⑳. 前 掲 書 「東 京 経 済 雑 誌 」(第532号)明 治23年8月2日,152ペ ージ 前 掲 紙 「神 戸 又 新 日報 」(第2088号)明 治24年4月18日 。 な お この 記 事 で は 山 陽 鉄 道 の資 本 金 を1,200万 円 と誤 記 して い る た め,半 分 に減 資 した資 本 金 額 を600万 円 と して い る。 ㈱ 同 紙 『神 戸 又 新 日報 」(第2085号)明 治24年4月15日 ⑳ 同 紙 『神 戸 又 新 日報 」(第2098号)明 治24年4月30日 一168(168)一.

(7) 山陽鉄道 にお ける牛場卓蔵の役割(西 藤) と こ ろが4月27日. に開 か れ た 株 主 総 会 にお いて,社 長 ・副 社 長 お よ び常 議 員 の 改 選 が 審. 議 され る に及 ん で,社 長 ・副 社 長 は そ れ ぞ れ 中 上 川 彦 次 郎 ・村 野 山人 が選 任 さ れ て い る が, 「株 主 中 に は常 議 員 の 改 選㈲ につ い て は,経 費 節 減 の 点 よ り従 来 の 常 議 員 九 名 を六 名 と為 し原 氏 らの退 任 を 幸 ひ其 儘 後 任 者 の 選 挙 を見 合 す べ し」⑳ との発 議 が な され た が結 論 を 得 る こ とが で きず,結 局,次 の 臨 時 総 会 で 審 議 す る こ と にな った 。 また,同. 日の 株 主 総 会 にお いて,社 費 の 節 減 を 実 行 す るた め に重 役 中か ら五 名 の 改 革 委. 員 を 選 出す る こ と にな った 。 そ の 委 員 に は副 社 長 の 村 野 山人,検 査 役 の 石 田貫 之 助,常 議 員 か ら松 本 重 太 郎,大 阪 代 表 株 主 か ら大 塚 磨,三 菱 の 荘 田平 五 郎 の 代 理 と して 寺 西 成 器 を 選 ん だ 。 委 員 会 の メ ンバ ー と して は,バ ラ ンスの 取 れ た 人 選 で あ る。 そ して 数 度 にわ た っ て 改 革 委 員 会 を 開催 して 改 革 案 を作 り,「 社 長 に対 して も改 革 に 就 い て の 折 合 を な し」⑳, 更 に重 役 会 議 に移 し,定 款 及 び 申合 規 約 に触 れ ざ る分 は直 に これ を 決 行 し,定 款 規 約 に触 る \ もの は臨 時 株 主 総 会 に付 す る こ と,ま た 改 革 委 員 会 に改 革 委 員 以 外 の 常 議 員 の 荘 田平 五 郎,米 沢 長 次 郎 を 交 え て 改 革 案 を 作 って い る。 ま さ に これ まで の 中上 川 の 一 存 で 決 定 し 実 行 す る方 式 か ら,議 論 の 積 み 上 げ に よ る方 法 へ の 改 革 で あ った 。 しか し常 議 員 の 定 員 な らび に俸 給 の 問 題 が議 論 され る よ う に な る と,「 重 役 間 に さえ 異 議 あ る位 」㈱ で あ って,対 立 感 情 が 増 幅 し始 あ た。 と りわ け 中上 川 と村 野 の 対 立 は深 刻 ⑳ で あ った 。 つ ま り中上 川 ら重 役 の 考 え 方 で は 「社 員 を 減 じ給 料 を 減 却 す るの は勿 論 の 事 な れ ど も,ま ず 第 一 に副 社 長 は本 社 に と りて 格 別 必 要 もな く情 実 は さて お き公 平 の 点 か ら云 え ば これ を 廃 せ ざ るを 得 ず 」 と い う意 見 で あ った 。 一 方,村 野 は,先 ず 第 一 に 「重 役 総 辞 職 す べ し」 で あ る と い う意 見 を もって いた 。 創 設 段 階 にお いて も中上 川 の 村 野 に対 して 厳 しい評 価G①を して い た だ け に,こ の 対 立 は 深 刻 な もの とな った 。 そ れ に加 え て 社 務 上 の 件,例 え ば社 員 俸 給,旅 費 規 程 につ いて も,社 長 以 下 社 員 に至 る まで 規 定 す る こ とを 主 張 す る 「大 塚 磨 の よ うな 改 革 大 熱 心 者 」 と,そ の 他 の 改 革 派 との 間 に は考 え 方 に大 きな 隔 た りが あ り,松 本 重 太 郎 らは大 塚 の よ うな 「窮 屈 極 ま る改 革 な らば 余 は直 ち に委 員 を 辞 す べ し」⑱1)とまで い うほ どで あ るか ら,重 役 会 議 も それ ほ ど簡 単 に ま と ま る と は思 わ れ な い有 様 で あ った 。 ㈱ 定 款 第25条 に よ り,常 議 員9名 の う ち,原 六 郎,藤 田伝 三 郎,脇 栄 太 郎 の3名 の 改 選 (2③ 前 掲 書 「東 京 経 済 雑 誌 」(第570号)明 治24年5月2日,621-622ペ ージ ⑳ 同 書 『東 京 経 済 雑 誌 」(第573号)明 治24年5月23日,728ペ ージ ⑳ 同 書 『東 京 経 済 雑 誌 」(第573号)明 治24年5月23日,728ペ ージ ⑳ 『東 京 日 日新 聞 」 明 治24年8月4日 e① 西 藤 二 郎(2005年3月)「 山 陽 鉄 道 敷 設 計 画 の 背 景 村 野 山人 を 中心 に」,『経 済 学 部 論 集 」 京 都 学 園 大 学 経 済 学 部,第14巻3号,49ペ ージ el)前 掲 書 「東 京 経 済 雑 誌 」(第573号)明 治24年5月23日,728ペ ージ ー169(169)一.

(8) 第7巻. 第1号. 結 局,社 務 改 革 に対 す る臨 時 株 主 総 会 は6月24日. に開 催 され,第 一 号 議 案:常 議 員 委 任. 事 項 の 件,第 二 号 議 案:山 陽 鉄 道 常 議 員 選 挙 の 件,第 三 号 議 案:正 副 社 長 俸 給 の 件,常 議 員 検 査 役 報 酬 改 定 の 件 が 上 程 され た 。 第 一 号 議 案 に つ いて は,「 明 治 廿 四 年 六 月 廿 一 日 山陽 鉄 道 臨 時株 主 総 会 に於 て本 会 社 定 款 三 十 三 条 に依 り本 会 社 事 務 の 中,左 に掲 る もの は 自今 常 議 員 会 の 議 決 を 経 て 執 行 す る も の と議 定 す 。 た だ し,臨 時 急 施 を 要 す る場 合 に於 て は社 長 之 を 執 行 して 後 に常 議 会 に報 告 し,其 追 認 を 求 む べ し」⑳ と決 議 し,殆 どの 経 営 規 定 の12項 目 につ いて も常 議 員 会 の 意 思 を 諮 って 決 定 す る こ とが 決 議 され た 。 続 いて 第 二 号 議 案 で は,退 任 の 三 名 の 常 議 員 に対 して,新 た に三 名 の 候 補 者 が 挙 げ られ た,結 局 の と こ ろで は,原 六 郎,藤. 田伝 三 郎,脇 栄 太 郎 が 重 任 す る結 果 とな って い る。 そ. して 三 号 議 案 につ いて は,社 長 ・副 社 長 の 年 俸 につ いて は原 案 の 通 り可 決 され た が,常 議 員,検 査 役 の 報 酬 金 は原 案 で は無 報 酬 と され て いた が,扇 谷 五 兵 衛 ㈱ の 動 議 に よ って 各 報 酬,年180円. を給 す る とい う修 正 案 が承 認 さ れ た。. この よ う に大 き くは 中上 川 と村 野 との 対 立 に加 え て,中 上 川 と改 革 委 員 の 対 立,さ. らに. 改 革 委 員 の 中 にお け る意 見 の 違 いな ど二 重 の 対 立 関 係 が あ った と考 え られ,問 題 ご と に複 雑 な 展 開 を した 。 た とえ ば 中上 川 の 門 下 生 で あ る村 上 定 の 観 察 に よれ ば 「大 阪 の 重 役 村 上 磨 氏 の 如 き は殆 ど居 催 促 の 形 で 中上 川 社 長 に経 費 節 減 の た め の 減 給 を 迫 った が,社 長 は断 然 拒 絶 して 之 に応 じな か った 」⑳ と して い る。 結 局 そ の 解 決 は,「 意 外 な決 断」㈲ が 下 され た こ と に よ って 終 息 にむ か った 。 す な わ ち, 明 治24年7月13日 長:矢. 付 で 以 下 の13名 と雇 を 解 雇 す る こ とで あ っ た。 そ れ に よれ ば,「 運 輸 課. 田績(月120円),会. 計 課 長:金 井 又 二(70円)の. 二 氏 を 始 め,五 十 円書 記 三 名,三. 十 五 円一 名,技 師 に於 いて 五 十 円一 名,三 十 三 円一 名,二 十 八 円一 名,二 十 五 円四 名,雇 二 十 五 円一 名 を 解 雇 し」G⑤ て い る。 そ して 同 時 に改 正 した 職 務 章 程 ・分 課 章 程 に関 して は,「 運 輸 ・建 築 ・会 計 の三 課 と し, 従 来 の 汽 車 課 を 運 輸 課 に合 併 し汽 車 課 長 岩 崎 彦 松 氏 を 運 輸 課 長 と し,又 技 術 課 は建 築 課 の 旧名 称 に復 し,従 前 通 り技 師 南 清 氏 を 課 長 とな し,会 計 課 長 に は副 社 長 村 野 山人 氏 が 兼 任 す る こ と とな し(中 略)従 来 の 庶 務 詰 の 書 記 河 合 舜 吉 氏 を 始 あ そ の 他 の 人 々 は総 て 社 長 付 ⑳ 前 掲 紙 「神 戸 又 新 日報 」(第2146号)明 治24年6月25日 ㈱ 大 阪 株 主 で 船 具,旅 宿 を 営 む ⑳ 前 掲 書 「村 上 定 談 「鶏 肋 」」 「中 上 川 彦 次 郎 伝 記 資 料 』,186ペ ー ジ e∂ 意 外 な決 断 を させ た 中心 人 物 を め ぐる論 考 と して,井[H泰 人(1995年5月)「 山陽 鉄 道 会 社 に お け る中 上 川 彦 次 郎 の 経 営 姿 勢 と社 内 改 革 」 「交 通 史 研 究 」,39巻,56-68ペ ージ ㈱ 前 掲 書 「東 京 経 済 雑 誌 」(第581号)明 治24年7月18日,100ペ ージ ー170(170)一.

(9) 山陽鉄道 にお ける牛場卓蔵の役割(西 藤) きの 書 記 とな し即 と して い る。 す で に指 摘 した とお り,技 師 長 の 南 清 は 中上 川 一 井 上 の 人 脈 か ら配 置 され た 人 物 で あ る し,岩 崎 彦 松 は工 部 大 学 機 械 科 の5期 卒 業 生 で あ る。 また 河 合 舜 吉 は 中上 川 に よ って 登 用 され た 人 物 で あ り,こ れ を 社 長 付 き と して の 地 位 を 与 え,中 上 川 へ の 求 心 力 を 維 持 して い る。 と こ ろが 野 村 山人 に対 して は,会 計 課 長 を 兼 任 させ,俸 給 は 「運 輸 課 長,技 術 課 長 等 よ り も遥 に少 額 とな り し事 な れ ば 労 々氏 の進 退 如 何 を 気 遣 ふ もの もあ る 由」㈱ と報 じられ る とお り,年 来 の 関 係 の 清 算 を 迫 る措 置 とな って い る。 この よ う に考 え る と,大 胆 な 人 員 解 雇,職 務 章 程 ・分 課 章 程 な どの 「意 外 な 決 断 」 は,荘 田が 述 懐 す る よ う に 中上 川 も 「袖 いや き. を 引 か る \様 にな っ た の で 忌 気 が さ した」㈱ とい う評 価 に あ る とお り,や は り中上 川 自 ら の 意 思 で 行 わ れ た もの と考 え られ る。 しか し改 革 は村 野 らの 手 に よ って さ らに広 が った 。 す な わ ち常 議 会 を これ まで の 月1回 を 月3回 の 開 催 とす る こ と,さ. らに は,旅 費 規 則 を 改 正 し,凡 そ 従 来 の 三 分 の 一 に減 ず る. こ と と して い る。16日 と17日 の 両 日にわ た って 第 二 の 解 雇 を 行 って い る。 す な わ ち書 記 九 名,雇 八 名,さ. らに七 名 を 減 給 の うえ 書 記 か ら雇 に降 格 して い る。. さ らに こ う した 組 織 の 変 更 を す る 中で の 人 事 の 異 動 や 解 雇 だ けで はな く,営 業 政 策 にお いて も費 用 の 削 減 を 図 るた あ の 変 更 を して い る。 そ の 一 つ が 明 治24年8月1日. か ら開 始 し. た 走 行 ス ピー ドダ ウ ン策 ㈹ と同 時 に列 車 発 車 回 数 の 削 減 で あ る。 これ は,石 炭 の 消 費 を 抑 え る と同 時 に汽 車 の 破 損 ・路 線 の 摩 耗 を 和 らげて 汽 車 の 修 理,路 線 の 補 修 工 事 の 費 用 を 低 減 さ せ る こ と を 目的 と した も の で あ っ た。 さ らに 工 事 区 間 を 備 後 三 原 ま で に と ど め た た あ,当 面 不 要 にな る車 両 を 売 却 す る こ と に して お り,機 関 車 九 両 を 含 む 客 車 ・貨 車 な どの 車 両 二 百 五 十 余,車 輪,レ ー ル そ の 他 合 わ せ て 百 三 十 万 円 ほ どを 売 却 した 。 売 却 先 は鉄 道 庁 と 日本 鉄 道 会 社 で あ っ たω。 さ らに11月25日 の常 議 員 会 で は,旅 客 運 賃 の 引 き上 げ を 決 め 働,翌 年1月1日. か ら実 施 して い る。. この よ う に社 内 改 革 を 断 行 し始 め るや,対 立 が 噴 出 し,中 上 川 の コ ン トロー ル が 効 か な い状 況 とな って い った 。 こ う した 折,一 方 で 中上 川 は井 上 馨 か ら三 井 の 改 革 につ いて 協 力 を 依 頼 され て お り,そ の 引 き受 け につ いて 福 沢 に相 談 して いた の で あ ろ う。 福 沢 か らの 返. ⑳ 前 掲 紙 「神 戸 又 新 日報 」(第2162号)明 治24年7月14日 ㈱ 前 掲 紙 「大 阪 朝 日新 聞 」 明 治24年6月26日 eg荘 田 平 五 郎(1970年)「 山陽 鉄 道 の 創 立 と発 達 」 「財 界 人 の 労 働 観 」,92ペ ー ジ ㈹ 前 掲 紙 「東 京 日 日新 聞 」 明 治24年7月19日 ql)前 掲 紙 「神 戸 又 新 日報 」(第2178号)明 治24年8月1日 幽 前 掲 紙 「東 京 日 日新 聞 」 明 治24年12月1日,二 割 の 運 賃 値 上 げ の 代 わ り,往 復 運 賃 を 一・ ∼三割 の値下げ実施。 -171(171)一.

(10) 第7巻. 第1号. 信 の 中 に 「兎 に角 い よ い よ引 受 け と決 答 して 進 退 を 御 定 め 被 成 度,山 陽 杯 顧 る に足 らざ る 義 と存 候 」⑬ と して 山 陽鉄 道 の辞 任 を促 して い る。 こ う して8月1日,中. 上 川 か らの辞 表 が 出 され た が,3日. の 常 議 員 会 で,「尾 道 まで の 開. 業 の 期 は 巳 に近 き に在 る こ とな る に,此 際 同 社 長 の 任 を 去 る は惜 しむ べ き こ とな れ ば,暫 時 在 任 あ りた しとの 事 を 議 定 し」鱒,中 上 川 もこれ を 承 諾 して い る。 そ して 明 治24年10月26 日の 定 式 株 主 総 会 で 了 承 され,大 蔵 大 臣 の 認 可 ㈲ を 得 て 正 式 に辞 任 した の が,明 治24年11 月5日. とな って い る。. 山陽 鉄 道 を 去 る に あた って,中 上 川 は神 戸 又 新 日報 ㈹ の 社 員 の イ ンタ ビュー に応 え て 次 の よ うに胸 の う ち を吐 露 して い る。 「山 陽道 は 海 運 の 盛 ん に して,且 便 利 な る事 日本 第 一 に居 れ ば何 時 も汽 船 と競 争 を な さ ざ るを 得 ず,さ れ ど もそ の 代 りに は亦 山陽 道 程 貨 物 運 搬 の 多 き所 もな し,(中 略)故 に 山陽 鉄 道 は西 端 備 後 国 三 原 迄 開 通 の 上 は貨 物 引 寄 せ る上 に就 て も大 に計 画 す る豫 考 もあ る事 な れ ど,何 分 に も愛 三 年 此 の 方 は世 上 一 般 不 景 気 に して 商 況 振 はず,随 て 貨 物 の 運 輸 僅 少 な るが 上 に今 尚工 事 中 に して 支 出多 く収 入 す くな けれ ば, 未 だ 以 て 株 主 に多 くの 利 益 を 配 当 す るの 場 合 に至 らず,今. 日株 金 の 配 当 少 な きを 以 て 株 主. よ り種 々の 苦 情 あ り,其 の 末 此 度 の 如 き大 改 革 を 行 ひ,有 用 の 人 物 迄 も解 雇 せ ざ る事 とな りた る,改 革 後 の 山陽 鉄 道 会 社 を 一 口で 評 せ ば先 ず 篭 城 主 義 とで もいふ べ し,故 に会 社 が 何 時 迄 今 日の 社 員 にて 事 務 を 取 る に差 支 え 無 しとす れ ば,山 陽 鉄 道 は此 の 上 大 いな る見 込 み な しと云 わ ざ るを 得 ず,改 革 の 結 果 株 主 に対 して 一 分 位 ゐ多 く利 益 の 配 当 を 為 す こ とを 得 る も,株 主 に して 今 暫 し此 の 一 分 の 利 益 に 目を 掛 ず,後. 日を 楽 しみ て 耐 へ 忍 び呉 しな れ. ば,必 ず 之 に勝 る好 結 果 を 見 るべ き 日あ るべ しと断 宣 せ ざ り し も,自 己 の 意 に任 せ 呉 ざ り しは残 念 な り」㊨ と して,長 期 的経 済 性 の観 点 で の 自己 の 方 針 が受 け入 れ られ な か った 無 念 さ を述 べ て い る。 さ らに別 の と こ ろで は,「 列 車 の 運 転 を緩 に す る様 の 事 は退 歩 的 改 革 (で あ り)節 減 と同 時 に又 収 入 法 即 ち金 儲 け を為 す に大 い に力 を尽 くす事 を勤 む べ し」⑱ と して 改 革 の 方 法 を 批 判 して い る。 と こ ろで 社 内 改 革 を 実 行 す る段 階 にな って,改 革 委 員 の 中で 問 題 ご と に対 立 が 生 じて き. ⑬. 前 掲 書 「147書簡,福 沢 諭 吉 よ り中上 川 彦 次 郎 宛 」,「中上 川 彦 次 郎 伝 記 資 料 」 明 治24年6月24 日,221ペ ー ジ 幽 前 掲 紙 「大 阪 朝 日新 聞 」 明 治24年8月5日 ㈲ 特 別 補 助 金 下 付 の 命 令 書 第9条 の 規 定 に よ る。 ㈹ 明 治17(1884)年 創 刊 した 交 詞 社 系 の 日刊 新 聞 で,明 治21年,時 事 新 報 の 中 上 川 が 村 上 定 を 主 筆 と して 推 薦 して い る。 解 説 松 崎 欣 一(1989年3月)『 村 上 定 自叙 伝 ・諸 文 集 」 慶 応 義 塾 福 沢 研 究 セ ン ター 資 料(3),30ペ ー ジ ㈲ 前 掲 紙 「神 戸 又 新 日報 」(第2190号)明 治24年8月15日 ㈱ 『東 京 日 日新 聞 」 明 治24年8月4日 一172(172)一.

(11) 山陽鉄道 にお ける牛場卓蔵の役割(西 藤) た が,そ. の 中 で も大 塚 の 主 張 は 非 常 に 細 部 に わ た る経 費 の 節 約 を 主 張 す る異 色 の存 在 で. あ って,中 上 川 と は もち ろん,松 本 重 太 郎 と も意 見 の 違 いが 見 られ る もの の,当 時 の 山陽 鉄 道 の 方 向 を 決 め る人 物 とな って い った が,一 体 どの よ うな,ど の よ うな 株 主 構 成 の 中 に い る どの よ うな 人 物 働 で あ った の か を 見 て お こ う。 表一1は 明 治21年 か ら24年 に か け て の 山陽 鉄 道 の 各 期 に お け る払 込 金 額 と払 込 未 済 額 を 示 した もの で あ るが,払. い込 み 請 求 が 集 中 し,し た が って 払 込 未 済 額 が 最 も増 え て い るの. が 明 治23年 で あ る。 表一1山 年. 度. 陽鉄道初期 にお ける払込金額 と払込未済額 予定 払込額. 払込実績額. 払込未済株. 明 治21年 下 期. 1,375,000. 1,375,000. 明 治22年 上 期. 2,200,000. 2,197,200. 明 治22年 下 期. 2,950,000. 2,915,235. 34,765. 明 治23年 上 期. 4,450,000. 413,705. 306,295. 明 治23年 下 期. 5,980,000. 5,720,207. 259,793. 明 治24年 上 期. 6,500,000. 6,493,322. 6,678. 明 治24年 下 期. 7,020,000. 7,009,662. 10,338. 0 2,400. 註:井 田泰 人[山 陽 鉄 道 会 社 に お け る 中上 川 彦 次 郎 の経 営 姿 勢 と社 内改 革 」 『交 通 史 研 究 」1995年,No.39を 著 者 の許 可 を得 て表 示 を一 部 修 正. そ の 原 因 は い う まで もな く恐 慌 に よ る もの で あ った と考 え られ るが,注. 目す べ き はそ の 間. にお いて 大 阪 の 株 主 が 増 え るだ けで はな く,所 有 株 数 も増 え て い る と い う こ とで あ る。 そ れ を示 した の が 表一2で あ る。 つ ま り,短 期 間 に 払 い 込 み を請 求 され な が ら株 主 の 資 格 を 失 った 株 式 が 公 売 に付 され るが,こ れ を 吸 収 して い った の が 大 阪 在 住 の 株 主 で あ った こ と が 見 て 取 れ る。 大 阪 の 株 主 の 発 言 力 が 増 え る背 景 は こ こ に あ った と考 え られ る。 と こ ろで 大 塚 磨 は1832(天. 保3)年4月28日,肥. 後 国(熊 本)の 黒 淵 小 藪 と い う阿 蘇 外. 輪 山の 外 に広 が る寒 村 に生 まれ て お り家 は代 々郷 士 で あ った が,6歳. で 父 を 失 い,し っか. り者 の 母 セ イ に養 育 され て い る。9歳 の 時 に は母 親 に大 福 帳 や 諸 取 引 の 記 録 を させ られ て お り,12歳 の 時 に は荒 地 を 拓 いて 杉 苗 を 作 り,植 林 を 始 め,部 落 民 に も勧 め て 植 林 を して い る。15歳 よ り家 業 の 暇 に武 芸 を 修 め 師 範 代 を 命 ぜ られ る まで に熟 達 し,小 国 郷 の 「手 永 勧 農 誘 方 」 と い う郡 と村 の 中間 に当 た る行 政 区 画 で 農 業 ・林 業 を 広 あ る仕 事 を 任 され て い る。26歳 の と き に母 親 もな く して い るが,総 庄 屋 か ら小 藪 奥 山村 の 零 落 を 更 生 復 興 させ る 役 割 を 命 じ られ て い る。. q9禿. 迷 盧(昭. 和40年12月)『. 続 小 国 郷 史 」,219-225ペ ー173(173)一. ー ジ お よ び387-423ペ. ー ジ.

(12) 第7巻 表一2明. 府. 治24年9月. 県. にお ける 株 主 の 地 域 分 布(上 位10府 県). 株数(対 前年差). 人 数(対 前 年 差). 大. 阪. 府. 546(一. 東. 京. 府. 兵. 庫. 県. 神 奈 川 県 山. 第1号. ト48). 91,299(一. ト27,685). 295(-27). 79,360(一. ト16,128). 243(-23). 40,093(-15,387). 38(6). 7,518(-15,387). 口. 県. 232(-18). 6,594(-859). 岡. 山. 県. 83(+28). 5,920(一. 新. 潟. 県. 27(+11). 4,273(→-910). 京. 都. 府. 64(12). 3,207(-4,574). 愛. 知. 県. 35(+7). 2,080(-2,429). 和 歌 山県. 26(+5). ト2,424). 2,037(-2,429). 註:「 中 上 川 彦 次 郎 伝 記 資 料 』東 洋 経 済 新 報 社,173ペ 新 聞 」 明 治23年5月17日 付 よ り作 成. ー ジお よ び 「大 阪 毎 日. 農 民 と苦 楽 を 共 にす る 中で 農 村 復 興 を 実 現 させ た 。 そ の 功 あ って,明 治3年 とな り,当 時 起 こ った 日田 にお け る農 民 一 揆(日. に は権 小 属. 田騒 動)を 鎮 撫 して い る。 戸 長 と して 村. 治 に勤 め た が,中 で も小 国土 田 滝 下 か ら 日田 まで の 「日田通 舟 」 を 計 画 し(明 治3年), 見 積 帳 と 日 田川 筋 絵 お よ び を 費 用 の 捻 出方 法 を 添 え て 県 に願 い 出 て こ れ を 実 現 さ せ て い る。 また 明 治11年2月,熊. 本 一 大 分 別 府 間 の 九 州 横 断 道 路 の 開 繋 を 熊 本 権 令 富 岡 敬 明 に願. い 出 る一 方,大 分 県 側 の 区 長 に も説 得 協 力 を 懇 請 して い る。 結 果 的 に は小 国 を 中心 とす る 道 路 は 出来 な か った が,現 在 の 九 州 横 断 線 の 開 繋 の 導 火 線 とな った 。 大 塚 が 小 国 村 で 手 が けた 事 業 は公 共 事 業 が 多 か った が,事 業 遂 行 に当 た って は村 長 な ど も村 治 上 主 要 な こ と は先 輩 の 元 老 に諮 問 して そ の 意 見 を 聞 き,万 機 公 論 に決 す る こ とを 実 行 して お り,且 つ 経 費 を 要 す る場 合 は先 ず 有 産 者 や 指 導 者 が 率 先 垂 範 し中産 以 下 に はな る べ く負 担 させ ぬ よ う に して きた と い う㈲。 明 治4年,大. 塚39歳 の と き過 労 に よ り闘 病 生 活 を す る 中で 福 沢 諭 吉 の 著 書 に接 し,思 想. に一 大 変 化 を お こ した と い う。 そ して 明 治16年51歳 の と き,意 を 決 して 家 族 を つ れ て 大 阪 に 出て 実 業 界 に身 を 委 ね て い る。 大 塚 が 大 阪 の 実 業 界 に ど の よ う な 経 緯 で 現 れ た か は 定 か で は な い が,「 彗 星 の ご と く 光 った 」61)と い わ れ る よ うに,明 治18年,大. 阪商 船 が第 一 回 目の増 資 を す る とき,非 常 に唐. 突 に発 売 委 員 励 と して 大 阪 の 実 業 界 に現 れ て くる。 これ は この 時 期 にす で に彼 が 大 阪 財 界 6① 61)同 勧. 同書. 『続 小 国 郷 史 」,220ペ. 書. 『続 小 国 郷 史 」,225ペ. 大 阪 商 船(1934年6月)『. ー ジ ー ジ 大 阪 商 船 株 式 会 社 五 十 年 史 」,461ペ ー174(174)一. ー ジ.

(13) 山陽鉄道 にお ける牛場卓蔵の役割(西 藤) で あ る程 度 力 を 持 って いた こ との 証 左 で あ るが,住 所 ㈹ が 北 浜4丁. 目 とな って い る と こ ろ. か らみ て,株 仲 買 人 等 との 関 係 か ら知 る人 ぞ 知 る人 物 とな って いた の か も しれ な い。 と も あれ 明 治20年 に は大 阪 商 船 の 広 瀬 宰 平 の 補 佐 と して 同 社 の 副 頭 取 に就 任 して い る。 大 塚 は 自 らの 生 活 信 条 を 「勤 倹 の 二 字 」融 に あ る と述 べ て い るが,そ の 信 条 は リー ダー た る もの も持 ち合 わ せ な けれ ばな らな い もの と して い る。 後 年,鉄 道 国 有 化 論 が 議 論 され る 折 の 大 塚 の 主 張 は非 常 に異 色 で あ った 。 そ れ は大 会 社 にお いて は社 長 や 重 役 間 の 調 停 と外 部 との 交 際 の た あ の 費 用 に は多 くの 無 駄 が あ る。 学 問 上 か ら云 え ば大 会 社 こそ 利 益 の 如 く な れ ど も,虚 飾 の た め に費 や す こ とが 多 く,一 時 の 殿 誉 とか 会 社 の 体 面 とか い うが 如 き虚 飾 的 費 用 は一 銭 で も惜 み,利 殖 に遺 漏 な き方 針 こそ 妙 案 と考 え,こ れ を 実 行 す る に は小 会 社 が よ ろ しい と い う主 張 ㈲ で あ った 。 さて,こ の よ うな 大 塚 の 極 め て 固 有 の 生 活 信 条 に根 ざす 「勤 倹 」 と い う経 営 観 か らす れ ば,中 上 川 の 長 期 的 経 済 性 に根 ざ しな が ら も独 断 専 行 す る経 営 手 法 と は全 く相 容 れ ず,時 が 恐 慌 の 厳 しい時 期 で あ った だ け に,大 塚 の 主 張 に他 の 重 役 も組 み して 行 った もの と考 え られ る。. 2.中. 上 川 辞 任 後,リ. ー ダ ー不 在 時期 の背 後 の勢 力. 中上 川 退 任 に よ って 次 期 社 長 に 誰 を 据 え るか が 急 務 と な った。 候 補 者 と して は村 野 山 人,石. 田貫 之 助,松 本 重 太 郎,大 塚 磨,難 波 二 郎 三 郎 鮒 な どが あ げ られ た が,創 設 以 来 の. 経 緯 もあ って,村 野 を推 す 声 が 強 か った もの の,三 菱 会 社 が 強 い反 対 を示 した⑳。 そ う し た 中 で 明治24年9月4日. に 開 か れ た 重 役 会 議 に お い て,「 後 任 者 の 選 挙 は別 に 臨 時 総 会 を. 開 くこ と,社 長 の 事 務 は其 間 副 社 長 村 野 山人 氏 が 代 理 し,三 菱 会 社 大 阪 支 店 員 た る寺 西 成 器 氏 を 幹 事 と し補 佐 せ しむ る事,是. まで 役 員 に して 遠 隔 の 地 な ど に在 り出勤 す る能 は ざ る. もの は其 代 理 人 を 置 き しが,後 来 之 を 禁 ず る こ と」㈱ と三 菱 が監 督 す る方 針 が確 認 され て い る。 よ うや く翌 年 の4月17日. に開 か れ た 社 長 選 任 の 臨 時 株 主 総 会 にお いて,社 長 に は,検 査. 役 の 松 本 重 太 郎 が 就 任 す る こ と にな った が,注. 目す べ き は,松 本 の 後 任 の 検 査 役 に,中 上. ⑬ 励 ㈲ 6③ ⑳ 融. 大 塚 磨(明 治25年9月)『 資 産 を 造 る新 案 全 」 同 書 『資 産 を 造 る新 案 全 』,2ペ ー ジ 『復 刻 版 鉄 道 時報 」 第4号,明 治32年2月15日 小 豆 島 出身,国 立 二 十 二 銀 行 玉 島 支 店 長,玉 島 紡 績 所 創 設 前 掲 紙 「大 阪 朝 日新 聞 」 明 治24年10月1日 同 紙 『大 阪 朝 日新 聞 」 明 治24年9月5日 一175(175)一.

(14) 第7巻. 第1号. 川 を 選 ん で い る こ とで あ る。 さて 松 本 は社 長 就 任 に あた って は信 頼 で き る支 配 人 と運 輸 課 長 各 一 名 を 新 た に置 くこ と を 条 件 と して お り,支 配 人 に は元 大 阪 商 船 会 社 の 今 西 林 三 郎,運 輸 課 長 に は新 橋 駅 長 の 寺 嶋 延 吉 を 就 任 させ る予 定 で あ った ㈲。 しか し,寺 嶋 につ いて は原 案 通 りに は な らず,結 局, 今 西 が 支 配 人 と運 輸 課 長 を 兼 務 す る こ と にな った 。 松 本 が 社 長 に就 任 して まず 行 った の は,改 革 で 意 気 消 沈 した 社 員 の 気 持 ちを 一 つ に ま と あ る こ とで あ る と して,各 駅 の 書 記,技 師 以 上 の 社 員50余 名 を 神 戸 市 の 宇 治 川 常 盤 楼 に集 め て い る㈹。 中上 川 時 代 に はな か った 士 気 の 鼓 舞 の 仕 方 で あ るが,山 陽 鉄 道 は 「我 国 縦 貫 線 の 要 部 ニ シテ,是 ニ ョ リテ ノ ミ東 西 ノ脈 絡 ヲ通 ズル コ トヲ得 ベ シ(中 略)宜. シ ク万 障 ヲ排. シ テ急 二 開通 セ シ ムベ キ ナ リ」㈹ と の強 い姿 勢 を 示 し,こ れ に も とつ いて 路 線 の建 設 を 急 ぐこ とが 示 され た 。 これ を う けて 明 治25年4月17日. の 株 主 総 会 で,三 原 以 西 馬 関 迄 の 線 路 延 長 が 審 議 され て. い るが,三 菱 系 の末 延 道 成 の 提 案 に よ って特 別 補 助 金 の 申請 をす る こ とに な った劒。 これ は,山 陽 鉄 道 で は未 成 路 線 が 完 成 す る こ と に 国 か ら1哩 に つ き2,000円 の 特 別 補 助 金 を 下 付 され て いた が,「 三 原 赤 間 関 に至 る線 路 の 興 業 費 に対 して は,そ の資 金 を株 金 に払 込,ま た は社 債 に借 入 れ た 日よ り,三 原 赤 間 間 線 路 営 業 開 始 の 後 十 五 年 目 まで の 間,毎 年 其 興 行 費 元 金 百 分 の五 に相 当す る金 額 を 特 別 補 助 と して 毎 半 年 に下 付 せ られ 度 候 事 」㈱ とい う内 容 で あ った 。 こ の提 案 は 当局 の 認 め る と こ ろ とは な らな か っ た が,早 期 に建 設 を 完 成 させ る た め に は,こ れ まで 資 金 調 達 の 方 法 と して 株 金 の み に依 存 して いた もの を 社 債 につ いて も検 討 し て 事 業 遂 行 を しよ う とす る こ と,な. らび にそ れ が 三 菱 側 か ら方 策 が 要 望 され て いた と い う. 点 は注 目 に値 す る。 さて 松 本 社 長 の 新 体 制 が 発 足 して 三 原 まで の 開 業 が 近 づ いた 明 治25年7月. にな って,松. 本 は今 西 林 三 郎 の 進 言 を う けて 「乗 客 運 賃 復 旧値 下 げを な す と同 時 に,全 線 各 駅 に於 け る 乗 車 賃 金 を 半 減 す る こ とを 提 案 した 。 重 役 を は じめ 各 課 僚 に至 る まで 此 の 実 行 の 可 否 につ き躊 躇 した が,松 本 が 不 結 果 に終 わ る場 合 に あ りて は 自己 の 責 任 と して 其 の 欠 損 全 額 を 弁 償 す べ し」御 と強 い決 意 を示 して,こ れ を決 定 して い る。 ㈲. 野[H正 穂,原 田勝 正,青 木 栄一(昭 和56年)『 今 西 林 三 郎 自叙 伝 他 」 明治 期 鉄 道 史 資 料,第8 巻 「鉄 道 家 伝(4)」,4ペ ー ジ ㈹ 前 掲 紙 「神 戸 又 新 日報 」(第2399号)明 治25年4月26日 6D松 本 翁 銅 像 建 設 会(大 正11年12月)『 讐 軒 松 本 重 太 郎 翁 伝 』,30ペ ー ジ ㈹ 前 掲 書 「東 京 経 済 雑 誌 」(第620号)明 治25年4月23日,575ペ ージ ㈹ 同 書 『東 京 経 済 雑 誌 」(第621号)明 治25年4月30日,611ペ ージ ㈹ 前 掲 書 「今 西 林 三 郎 自叙 伝 他 」 明 治 期 鉄 道 史 資 料4-5ペ ージ ー176(176)一.

(15) 山陽鉄道 にお ける牛場卓蔵の役割(西 藤) 松 本 と して は,次 は三 原 以 西 の 路 線 延 長 を 急 が な けれ ばな らな か った 。 そ の 資 金 につ い て,8月. に入 って 東 京 株 主 の 方 か ら,「株 金 募 集 は到 底 困難 の事 情 もあ れ ば,他 に借 入 れ 方. を 求 め 六 分 以 下 の 安 利 にて 借 り入 る \の 道 あ らば之 を 借 入 れ て 布 設 す る方 利 益 な らん 」 と の 提 案 を 受 けた の を 期 に,「之 を東 京 株 主 の意 見 と して齎 た ら し帰 り,大 阪 の 株 主 に も篤 と 協 議 を遂 ぐ る事 」㈹ と して い る。 い わ ば東 京 系 の 株 主 の 強 い意 見 を 背 景 に して事 業 展 開 す る姿 勢 が 見 え る。 これ を 受 けて8月18日,株. 主 相 談 会 が 開 催 され,三 原 以 西 広 島 まで の 線 路 延 長 敷 設 工 事. へ の 着 手 が 決 定 され た が,こ れ に 要 す る費 用 は お よ そ200万 円,内50万 円 は己 に購 入 して あ る諸 材 料 が あ るの で,実 際 は150万 円 の借 り入 れ につ い て協 議 して い る。 そ れ に よ る と 「正 金 銀 行,第 百 十 九 銀 行(三 菱)よ. り借 入 れ あ り,其 利 子 六 歩 以 上 な るを 六 歩 に引 下 げの 事. を 掛 合 う事 と し,其 他 百 万 円 は年 六 歩 にて 三 菱 社 及 び三 井 銀 行 よ り借 り入 れ,残. る五 十 万. 円 は其 入 用 の 時 に方 り重 役 中 に於 て 繰 合 はす 事 とせ り,尤 も三 菱 社 及 び三 井 銀 行 よ り借 入 る百 万 円 は 既 に 懇 談 済 み と な り居 る」㈹ と あ る よ う に,大 半 が 三 菱 ・三 井 の 引 き受 け に よ って 賄 わ れ る こ と にな った 。 これ は経 済 界 の 景 気 が 上 向 き に転 じて きた こ とが 大 き く手 伝 った の で は あ るが,明 治25 年10月22日,株. 主 総 会 後 に開 か れ た 臨 時 株 主 総 会 にお いて 正 式 に,社 債 募 集 と償 還 方 法 が. 審 議 され た。 そ の 内 容 は三 原 か ら西 広 島 ま で の線 路 建 設 に か か わ る資 金 に充 当 す る た め 200万 円 を年 利6歩 以 下 の利 子 で初 あ て の社 債 を発 行 す る とい う もの で あ った㈹。 か く して 明 治26年 に入 って 工 事 が 着 手 され た 。 路 線 は三 原 か ら西 に進 み 沼 田川 を 遡 り, 本 郷 を 経 て 西 條 に達 し1,000分 の12.5の 勾配 を 下 って 八本 松 に至 り,さ らに1,000分 の22.2な い し1,000分 の12.5の 勾 配 で 瀬 野 に達 し瀬 野 川 に沿 うて 海 田市 を 経 て 広 島 に 至 る46哩22鎖 の 区 間 で あ った 。 この よ う に,海 岸 線 を 採 らず,あ え て 急 勾 配 の 多 い 山間 線 が 選 ばれ た の は,幹 線 と して の 鉄 道 を 限 られ た 期 間 内 に完 成 す る と い う必 要 性 の 故 で あ って,開 通 は翌 年27年6月10日,日. 清 戦 争 の 宣 戦 布 告 に先 立 つ こ とわ ず か 数 旬 前 で あ った 。. 広 島 まで の 一 般 開 業 に先 立 ち,兵 員 ・資 材 を 広 島 まで 輸 送 す るた め に軍 用 鉄 道 の 仮 設 委 託 を 受 け,さ. らに8月1日. 開 戦 後 も戦 時 輸 送 に大 きな 役 割 を 果 た した 。. これ らの 動 きの 中か ら分 か る とお り,中 上 川 辞 任 後 の 山陽 鉄 道 にお いて は,背 後 に東 京 系 の 重 役 な らび に株 主 の 力 が 大 き く影 響 を 与 え て い る こ とが 明 らか で あ る。 い ま この 間 の 株 主 の 地 域 分 布 とそ の 所 有 株 数 の 推 移 の 状 況 を 示 した の が 表一3と 表 一4で あ る。 ㈹ ㈹ ㈹. 前 掲 紙 「神 戸 又 新 日報 」(第2486号)明 治25年8月5日 同 紙 『神 戸 又 新 日報 」(第2499号)明 治25年8月20日 前 掲 書 「東 京 経 済 雑 誌 」(第647号)明 治25年10月29日,635ペ ー177(177)一. ージ.

(16) 第7巻 表一3株 1位. 道府県 明 治23年 3月. 明 治24年 3月. 明 治25年 3月. 明 治26年 3月. 明 治27年 3月. 東. 株主数. 322. 株式数 道府県. 65,232. 主の地域分布. 2位. 京. 大. 第1号. 大. 18.4%. 462. 25.1%. 63,614. 阪. 3位. 阪. 東. 兵. 26.4%. 266. 24.5%. 55,480. 京. 4位. 神奈川. 15.2%. 43. 21.3%. 兵. 5位. 庫. 庫. 23,432. 京. 2.5%. 76. 9.0%. 7,781. 神奈川. 557. 28.5%. 320. 株式数 道府県. 68,224. 26.2%. 51,072. 株主数. 569. 30.7%. 株式数 道府県. 91,564. 35.2%. 庫. 神奈川. 株主数. 240. 15.3%. 489. 31.3%. 171. 10.9%. 34. 株式数 道府県. 94,392. 36.3%. 94,163. 36.2%. 27,266. 10.5%. 株主数. 622. 36.5%. 184. 株式数. 97,136. 37.4%. 90,305. 大. 阪. 東. 京. 大. 阪. 19.6%. 273. 14.0%. 51,072. 19.6%. 東. 京. 276 81,711. 大. 兵. 243. 12.4%. 3.6%. 7,391. 2.8%. 庫. 神奈川. 225. 12.2%. 40. 31.4%. 34,412. 13.2%. 兵. 京. 兵. 5,887. 岡. 154. 9.0%. 19,958. 7.7%. 10。8%. 34.7%. 庫. 5,887. 山. 9,682. 口. 2.2%. 243. 12.4%. 2.3%. 7,173. 2.8%. 山. 2.2%. 204. 2.3%. 5,428. 口 13.0% 2.1%. 熊. 山. 87. 3.0% 口. 2.3%. 14.9%. 阪. 東. 45 9,459. 4.3%. 山. 株主数. 16。4%. 都. 本. 5.1%. 43. 2.5%. 3.7%. 5,921. 2.3%. 出 典:『 山陽 鉄 道 会 社 」 各 期 「営 業 報 告 書 」 に よ り作 成. 表一4大 1. 明 治21年 3月. 明 治22年 3月. 明 治23年 3月. 明 治24年 3月. 明 治25年 3月. 明 治26年 3月. 明 治27年 3月. 氏. 名. 岩崎. 府県名. 東. 株. 数. 氏. 名. 岩崎. 府県名. 東. 株. 数. 氏. 2. 久弥 京. 2,950. 久弥 京. 2,950. 名. 岩崎. 府県名. 東. 株. 数. 13,940. 氏. 名. 岩崎. 府県名. 東. 株. 数. 20,022. 氏. 久弥 京 久弥 京. 名. 岩崎. 府県名. 東. 株. 数. 29,220. 氏. 名. 岩崎. 府県名. 東. 株. 数. 32,220. 氏. 名. 岩崎. 府県名. 東. 株. 38,760. 数. 株 主 上 位5人 の 推 移. 久弥 京 久弥 京 久弥 京. 兵. 庫. 2,832. 阪 幾造. 神奈川 7,672. 田中市兵衛 大. 阪. 6,935. 田中市兵衛 大. 阪. 7,195. 三井 東. 高保 京. 17,399. 三井 東. 六郎. 高保 京. 17,649. 出 典:『 山陽 鉄 道 会 社 」 「株 主 名 簿 」 に よ り作 成. 一178(178)一. 谷村 大. 阪. 西田右衛門 庫 磨 阪. 大塚. 磨 阪. 阪. 大塚. 磨 阪. 4,935. 原. 六郎 神奈川. 1,428. 1,385. 若尾. 林平. 山邑太左衛門 兵. 庫. 3,395. 田中右衛門 庫. 高木善兵衛 大. 阪. 4,895. 3,410. 今村清之助. 高木善兵衛. 京. 大. 阪. 3,280. 大塚 大. 7,485. 山. 1,330. 幾造. 4,605. 田中市兵衛. 長殿. 神奈川. 東. 4,935. 大. 若尾. 兵. 4,935. 大. 岡. 4,893. 大塚. 大. 村上. 山. 神奈川. 5,342. 大. 5. 猪助. 1,360. 席造. 1,480. 兵. 妹尾 岡. 1,545. 磨. 2,000. 若尾. 原. 神奈川. 大塚 大. 4. 3. 伊藤長次郎. 磨 阪. 今村清之助 東. 京. 4,935. 4,465. 北野平兵衛. 玉置治朗三郎. 大. 阪. 3,800. 大. 阪. 3,460.

(17) 山陽鉄道 にお ける牛場卓蔵の役割(西 藤) これ に見 られ る とお り,株 式 数 にお いて は東 京 と大 阪 にそ れ ほ ど大 きな 差 が な い ま ま推 移 して きて い るが,株 主 数 にお いて は大 阪 の 株 主 が 急 激 に増 大 して きて い る。 この よ うな 背 景 の 中で 大 阪 株 主 に よ る改 革 が 行 わ れ,中 上 川 退 陣 と い う事 態 を 招 来 して い る。 そ して こ の 頃 か らそ の 反 動 と も思 え る ほ ど,東 京 の 株 主,と. りわ け三 菱 の 岩 崎 久 弥 の 株 式 所 有 が 多. くな って きて い るだ けで はな く,三 井 高 保 も急 速 に所 有 株 を 増 や して お り,東 京 系 の 意 見 を 中心 に事 業 展 開 が は じま って い る。 世 間 で 松 本 重 太 郎 が 名 誉 社 長 ㈱ で あ る と され,強. い. リー ダー シ ップを 発 揮 す る 中心 人 物 が いな か った こ と は こ う した 状 況 を 指 して い るの で あ ろ う。 この よ うな 事 業 展 開 が な され る状 況 の 中,明 治26年5月15日 任 が 認 め られ て い る。 と き あた か も明 治26年12月21日,商. 付 けで 副 社 長 村 野 山人 の 辞. 法 施 行 に と もな って 山陽 鉄 道 会. 社 は,山 陽 鉄 道 株 式 会 社 と名 称 変 更 が 認 可 され た 年 で あ る。 副 社 長 の 辞 任 に伴 って,常 勤 の 役 員 が 社 長 以 外 に いな い状 態 とな った が,同. 日,定 款 の 改 正 に伴 って,副 社 長 の ポ ス ト. を 欠 員 の ま ま とす る事 を 決 め,そ の 半 面 で 専務 取 締 役 ポ ス トを 設 け て い る。 そ して,「社 長 専 務 取 締 役 共 ノ報 酬,年 額 五 千 五百 二 拾 円」㈹ とす る規 定 され る とお り,ま さ に社 長 と同 等 の 役 割 を 担 う もの で あ る。 また この 時 か ら常 議 員 を 取 締 役,検 査 役 を 監 査 役 と呼 称 す る こ と に して い る。 こ う した 中で 広 島 まで 開 通 した 路 線 は,折 か らの 日清 開 戦 に伴 い一 般 開 業 に先 立 って 広 島 に集 中す る予 備 兵 動 員 の 特 別 列 車 を 運 転 す るな ど軍 事 輸 送 に大 きな 役 割 を 果 た した が, 中で も宇 品 線(3哩52鎖)は. 兵 員 輸 送 の 兵 姑 路 線 と して 重 要 な 役 割 を 果 た した 。. と こ ろで 商 法 施 行 に伴 う役 員 の 配 置 の 中で,松 本 社 長 が 自 らの 着 任 の 条 件 と して 呼 び寄 せ た 支 配 人 の 今 西 林 三 郎 が 明 治27年 に辞 任 す る と,入 れ 替 わ りに,牛 場 卓 蔵 が 総 支 配 人 と な って い る。 今 西 の 自叙 伝 に よ る と,そ の 顛 末 を 「鉄 道 の 事 情 が 少 し判 って 来 ます とす ぐ 退 社 す る と い う次 第 で あ り(中 略)止 を得 ぬ事 情 の た め に辞 任 した の は甚 だ残 念 な事 」⑩ で あ った と記 して い る。 ま た 同 書 の 遺 文 録 に今 西 の 後 輩 の小 松 光 雄 が 記 す と こ ろ に よ る と 「鉄 道 の 軍 事 輸 送 実 行 の 事 な る が故 に,そ の 責 任 も重 大 な る を以 て,此 際 大 人(今 西:西 藤 註)の 施 設 計 画 に侯 つ もの 多 々 あ り しに,こ の 退 社 は止 む を 得 ざ る事 情 に 出で た りと錐 も惜 しみ て も尚 余 りあ りた り」⑳ と記 す とお り,自 らの 事 情 で は な い 何 らか の事 情 に よ っ. ㈹ 前 掲 書 「今 西 林 三 郎 自叙 伝 ・奮 闘 吐 血 録 」 「巻 尾 贅 言 」6ペ ー ジ 69老 川 慶 喜(2005年12月)「(明 治26年 度 下 半 季)山 陽 鉄 道 株 式 会 社 第13回 報 告 」 「山 陽 鉄 道 会 社 」 明 治 期 私 鉄 営 業 報 告 書 集 成(4),11ペ ー ジ ⑩ 前 掲 書 「今 西 林 三 郎 自叙 伝 』14ペ ー ジ ⑳ 同 書 『今 西 林 三 郎 遺 文 録 」6ペ ー ジ ー179(179)一.

(18) 第7巻. 第1号. て 辞 任 に追 い込 ま れ た こ とが 推 察 で き る。 今 西 に 代 って そ の ポ ス トに牛 場 卓 蔵 が座 った が,そ の 背 後 に大 きな 力 が あ った こ とを 窺 う こ とが で き る。 そ れ で は牛 場 卓 蔵 と は どの よ うな 人 物 で あ るの か 略 述 して お こ う。 彼 は嘉 永3年(1850) 12月 伊 勢 国(三 重 県)の 久 居 藩 士 原 平 一 郎 の 三 男 と して 生 まれ て い る。 牛 場 姓 を 名 乗 る よ う に な っ た の は,の ち に 牛 場 圭 次 郎 の 養 子 と な っ た か ら で あ る㈱。 牛 場 は 「明 治4年 (1871),上 京 し,福 沢 諭 吉 の慶 応 義 塾 に入 塾,在 塾 中 か ら尾 崎 行 雄,犬 養 毅,井 上 角五 郎, 門 野 幾 之 進,北 川 礼 弼,矢. 田績,高 島 小 金 治 と並 ぶ 雄 弁 家 と して 知 られ た 。7年 暮,報 知. 新 聞 社 が 論 説 記 者 派 遣 を 求 め た と き,藤 田茂 吉,箕 浦 勝 人 と共 に派 遣 され て 同 新 聞 の 編 集 に携 わ った 。」㈹ 卒 業 後,兵 庫 県 庁 学 務 課 に勤 務,つ い で 勧 業 課 長 を 勤 め て い る。 と こ ろで 明 治 にな って 生 まれ た 兵 庫 県 はそ の 歴 史 的 に も地 理 的 に も固 有 の 経 済 ・社 会 ・ 文 化 を 持 っ た地 域 で あ り,県 土 の統 一 性 に欠 け る だ け で は な く,財 政 的 に も地 域 格 差 が あ った 。 そ の 中で 開 港 場 神 戸 は県 の 財 政 を 成 り立 た せ るた め に は非 常 に重 要 で あ り,そ の た め に も商 業 の 興 隆 を はか る人 材 の 育 成 は急 務 と考 え られ た 。 明 治10年,県. 令 の 森 岡 昌純. は県 学 務 課 を 歴 任 後,県 勧 業 課 長 を 勤 め る牛 場 卓 蔵 に命 じて 神 戸 商 業 講 習 所(現 在 の 兵 庫 県 立 神 戸 商 業 高 等 学 校)の 設 立 準 備 を さ せ た。 牛 場 は慶 応 義 塾 と教 員 派 遣 に つ い て契 約 し, 義 塾 か ら甲斐 織 衛 を は じあ とす る三 名 の 教 員 派 遣 を 受 けて 商 法 講 習 所 を 設 立 した 。 これ を 母 体 に して 明 治12年,兵. 庫 県 商 法 会 議 所 が 設 立 され た 。 そ して この 年,講 習 所 の. 学 生 や 卒 業 生 が 中心 とな って 商 議 社 が 結 成 され,そ の 組 織 にか か わ った 人 が 中心 とな って 福 沢 の 主 宰 す る交 詞 社 の 社 員 にな り,県 庁 中枢 を も巻 き込 む こ と とな った 。 この 組 織 化 の 中心 人 物 が 牛 場 の 後 任 と して 学 務 課 兼 勧 業 課 長 に就 任 した 慶 応 義 塾 出身 の 本 山彦 一 と 甲斐 織 江 で あ る と考 え られ て い る㈹ が,本 発 足 な った 段 階(明 治13年3月)で. 山を 兵 庫 県 属 に推 薦 した の が 牛 場 で あ った㈲。 の 神 戸 交 詞 社 員 数 は60名 で あ った が,そ の う ち,後. の 山陽 鉄 道 に役 員,職 員,株 主 と して 関 係 を もつ もの と して は,本 山 彦 一(県 三 等 属), 村 野 山人(県 六 等 属),牛 場 卓 三,河 合 舜 吉(商),小. 西 新 右 衛 門(醸 造 業)ら が い る。. と こ ろが 明 治14年 政 変 に よ って 大 隈 系 お よ び福 沢 諭 吉 門 下 の 官 僚 追 放 と い う事 態 が 起 き るや,懐 柔 と弾 圧 に よ り,県 庁 内 の 交 詞 社 員 は変 節 し,神 戸 に於 け る福 沢 門 下 生 は離 社 す る こ と にな った 。 離 社 を 余 儀 な くされ た 牛 場 は,明 治15年 創 刊 され た 『時 事 新 報 』 の 記 者 ⑫. 上 野 利 三(2008年12月)『 慶 応 の 政 治 学 」 「慶 応 義 塾 出身 牛 場 卓 蔵 の 第 二 回 総 選 挙 ・三 重 県 第 一 区 にお け る選 挙 戦 」50-51ペ ー ジ ⑱ 慶 慮 義 塾(2001年5月)『 福 沢 諭 吉 書 簡 集 』 第3巻,346-347ペ ージ σ の 奥 村 弘(平 成2年3月)「 兵 庫 県 にお け る改 進 党 系 政 治 運 動 の 展 開 過 程 」 『神 戸 の 歴 史 』 第20 巻,21-58ペ ー ジ ㈲ 荒 木 利 一 郎(昭 和4年9月)『 本 稿 本 山 彦 一 翁 伝 」,66ペ ー ジ ー180(180)一.

(19) 山陽鉄道 にお ける牛場卓蔵の役割(西 藤) とな り,福 沢 の 推 挙 で 朝 鮮 政 府 の 諸 改 革 の 顧 問 とな って 朝 鮮 に赴 いた が,明 治16年6月. に. は改 革 に見 切 りを つ けて 帰 国 して い る。 帰 国 後,大 蔵 省 に 出仕 し収 税 官 とな った が,明 治 20年 退 官,本. 山彦 一 の 斡 旋 で 大 阪 藤 田組 に入 社,日 本 土 木 会 社 創 設 に関 与 して い る。 そ の. 後,明 治23年 の 第1回 総 選 挙 に三 重 県 か ら立 候 補 して 落 選 し,25年 の 第2回 総 選 挙 で 再 び 立 候 補 して 当 選 し た もの の,「 政 治 が 肌 に 合 わ な い と して2年. 限 りで 政 界 を 引 退 して い. る」㈹。 この よ うな ライ フ ヒス トリー の 中 に見 られ る とお り,牛 場 は本 山彦 一 と共 に福 沢 諭 吉 の 門 下 生 と して,兵 庫 県 にお け る産 業 人 育 成 の 伝 道 者 と して,さ. らに は藤 田組 と 中上 川 を つ. な ぐ関 係 の 中 に いた 。 一 方,中 上 川 は 山陽 鉄 道 を 引 き受 け る に当 た って,藤. 田組 が どの よ. うな 出方 を示 す か に つ いて 情 報 を,本 山経 由 で確 か め て い る㈲。 そ して 中上 川 が 山 陽 鉄 道 を 去 って リー ダー な き様 相 とな って い る明 治27年4月. の 段 階 で,本. 山 は牛 場 に 山陽 鉄 道 の. 総 支 配 人 と して の 入 社 を 推 薦 して い る。 そ れ は牛 場 が 本 山を 兵 庫 県 庁 奉 職 させ た 「旧恩 に 報 ひ る」⑱ 思 い か らで あ った とい う。 この よ う に して み る と,牛 場 は 中上 川 が 山陽 鉄 道 とか か わ りを 持 つ 段 階 か ら,山 陽 鉄 道 の 立 ち上 げを 間 接 的 にで は あれ 見 て お り,中 上 川 との 間 に強 い理 念 的 親 和 性 が あ った もの と考 え られ る。 明 治27年4月,こ. の よ うな 経 過 の 中で 中上 川 の 辞 任 後,つ. ま り,松 本 重 太. 郎 時 代 に あ って,会 社 法 施 行 に伴 い社 長 と同 等 の 扱 いで 専 務 取 締 役 を お いた の は,副 社 長 に代 る実 質 的 な リー ダー を 期 待 して の こ とで あ るが,こ の 段 階 で は,総 支 配 人 と して 実 質 的 経 営 の リー ダー の 地 位 に着 けた もの と考 え られ,そ の 環 境 づ く りを した の が 「東 京 の 勢 力 」 と して の 荘 田平 五 郎 で あ り,旧 知 の 本 山彦 一 の 力 で あ る と考 え られ る。. 3.山. 山陽 鉄 道 の 路 線 が 明 治27年6月. 陽鉄 道 の営 業 政 策. に広 島 まで 敷 設 され た もの の,以 西 の 建 設 は遅 々 と して. 進 まな か った 。 そ の 最 大 の 理 由 は,折. り し も勃 発 した 日清 戦 争 の 軍 事 上 の 指 令 中枢 と して. 大 本 営 が 広 島 に設 置 され,同 地 が 対 清 戦 略 の 重 要 な 水 陸 連 絡 拠 点 とな った た め,兵 員 ・武 器 ・資 材 な どの 軍 事 輸 送 や 軍 関 係 施 設 の 工 事 な どを 軍 当 局 か ら要 請 され た こ と に よ る もの で あ る。 事 実 そ の 間 に行 わ れ た 路 線 建 設 は広 島 一 宇 品 間,広 島 一 陸 軍 練 兵 場 間 の 敷 設 と改. ㈲ ⑳. 前 掲 書 「慶 応 の 政 治 学 」52ペ ー ジ 前 掲 書 「書 簡,中 上 川 彦 次 郎 よ り本 山 彦 一 宛 」 『中上 川 彦 次 郎 伝 記 資 料 」,187-199ペ 治20年2月2日,2月11日,2月19日 付書簡 ⑱ 前 掲 書 「本 稿 本 山 彦 一 翁 伝 」,89ペ ー ジ ー181(181)一. ー ジ,明.

(20) 第7巻. 第1号. 築,撤 去 が 行 わ れ た だ けで あ る。 と こ ろが 日清 戦 争 の 戦 勝 に伴 って 産 業 は活 況 を 呈 し,こ れ に と もな って 輸 送 需 要 は多 く 発 生 しな が ら も貨 物 輸 送 の 停 滞 が 生 じて いた 。 した が って 明 治28年 下 期 にお け る営 業 報 告 書 で は 「近 年 荷 物 運 輸 ノ景 況 ハ 旅 客 運 輸 トー 般 日進 月 歩 ノ傾 向 ニ ア リ此 趨 勢 ヲ以 テ 将 来 ヲ 推 ス時 ハ 更 二運 輸 力 ノー 大 更 張 ヲ要 スル ノ 時機 蓋 シ遠 カ ラ ザ ル ベ キ ヲ信 ズ」⑲ との 認 識 を 示 して い る。 こ う した 認 識 の 下,明 治29年1月23日. 付 で 広 軌 改 築 を 前 提 と した 東 海 道 官 鉄 線 の 払 い下. げを 稟 請 して い る⑳。 これ は 認 め られ な か った が,日 清 講 和 の 成 立 に よ り経 済 環 境 が 好 転 す るや,山 陽 鉄 道 で はつ ぎつ ぎ と前 向 きな 経 営 姿 勢 を 見 せ た 。 例 え ば明 治28年9月,広 一 三 田尻 方 面 に向 けて ,本 来 の 西 進 路 線 の 工 事 を 始 め,よ. うや く30年9月25日. 島. に広 島 一 徳. 山間 の 開 通 を 見 て い るが,こ れ は,も と もとの 計 画 の 再 開 で あ った 。 しか し非 常 に注 目す べ き戦 略 は,大 阪 ま で の延 長 を計 画,つ ま り東 進 の 計 画 を 立 て,申 請 して い る こ とで あ る。 す な わ ち,明 治29年7月,同. 社 は臨 時 株 主 総 会 にお いて,既 設 自社 路 線 か ら神 戸 市 の 地. で 新 路 線 に分 岐 し,一 路 東 進 して 大 阪 安 治 川 橋 付 近 に至 るお よそ24哩 の 延 長 計 画 と,そ れ に伴 う費 用300万 円 の増 資 の 計 画 で あ り,そ れ に 伴 う定 款 変 更 に つ い て 審 議 し決 定 して い る。 これ は,表 一5に 示 す 同社 の貨 物 輸 送 収 入 の推 移 か ら も読 み取 れ る よ うに,日 清 戦 争 の. 表一5山. ㈲+(Bl. 官 用 貨物賃 ◎. 官用貸切 貨物賃 ◎. (C)+(D. ⑬. 貨物賃 (B). (単 位:円). 物入. 通常貸切. 貨収. 通 常 貨物賃. 陽 鉄 道 に お ける 貨 物 輸 送 収 入 の 推 移 総収入 (F). ⑪/(F)× 100. 明27年 上. 14,165. 36,569. 50,734. 270. 45,828. 46,098. 99,302. 418,905. 23.7. 下. 18,726. 63,259. 81,985. 11,817. 108,052. 119,869. 202,010. 630,556. 32.0. 明28年 上. 11,848. 59,811. 71,659. 10,330. 102,353. 112,683. 191,378. 754,719. 25.4. 下. 23,892. 78,821. 102,713. 5,516. 60,221. 65,737. 168,469. 695,923. 24.2. 明29年 上. 26,943. 69,334. 96,277. 581. 16,665. 17,246. 113,560. 642,703. 17.7. 下. 41,405. 122,364. 163,769. 186. 4,337. 4,523. 168,380. 730,693. 23.0. 明30年 上. 42,200. 119,453. 161,653. 447. 2,655. 3,102. 164,864. 855,627. 19.3. 下. 53,194. 156,358. 209,552. 274. 4,811. 5,085. 214,765. 975,143. 22.0. 明31年 上. 52,445. 144,090. 196,535. 565. 2,708. 3,273. 199,916. 1,051,614. 19.0. 下. 64,196. 168,211. 232,407. 1,765. 3,021. 4,786. 237,364. 1,073,132. 22.1. 明32年 上. 65,709. 145,205. 210,914. 679. 1,181. 1,860. 212,882. 1,182,244. 18.0. 下. 88,240. 189,874. 278,114. 161. 6,548. 6,709. 284,962. 1,275,922. 22.3. 註:数 値 は 厘 以 下 を 四 捨 五 入 (出典)『 山 陽 鉄 道 営 業 報 告 書 」 各 年 版 よ り作 成. ㈲ ㈹. 前 掲 書 「山陽 鉄 道 株 式 会 社 第17回 報 告 」 明 治28年 度 下 半 季,23-24頁 前 掲 紙 「大 阪 朝 日新 聞 」 明 治29年1月30日 付 一182(182)一.

参照

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