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〈論文〉川端康成 『雪國』 読解試論--「鏡」の世界をめぐって

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(1)河村. 川端康成 『 雪園j読解試論. 川端康成 ﹃ 鏡 ﹂ の世界をめぐって││ 雪国﹄ 読 解 試 論 │ │ ﹁ 村. 民. 音B. ち 退 く こ と を 余 儀 な く さ れ る 。島 村 が 雪 国 の 世 界 を 最 終 的 に. 能にするまでになると、創作者は、己の作り出した世界を立. 作の非現実の眼の作用を、写された現実世界が破り、存続不. が っ て 、 非 現 実 の 、 鏡 の な か の 様 相 を 帯 び る に 至 る 。 この創. し 出 す 試 み で あ る と い え よ う。 映 し 出 さ れ た 世 界 は 、 し た. 竹 西 寛 子 、 そ し て こ の 小 説 の 翻 訳 者 サ イ デ ン ス テ イ ツカ 1等. のか、その謎の解明に挑戦するとともに、伊藤整をはじめ、. い わ れ 、 推 薦 す べ き 国 際 的 評 価 を 得 る 川端 の 小 説 と な り え た. なった名作﹁雪園﹄を取り上げ、なぜこの小説が﹁名作﹂と. 本 論 で は 、 川 端 の 代 表 作 で あ り 、 ノ ー ベル賞受賞の対象と. 空想・非現実の世界だと思うところに来て、はじめて、逆に. ではなく、その受容と再生への予兆が示唆されていると筆者. を求める試論である 。. l) ( この作品には、完全な﹁愛の拒絶﹂. 現 実 を 思 い 知 ら さ れ る 。 川端の ﹁ 伊 豆 の 踊 子﹂ および﹃雪. は見る 。 以 下 こ の こ と の 論 証 を 試 み た い 。. 駒子や葉子の住む生の色濃い現実に直面するのを避け、生の. 浄 化 さ れ た よ う に 、 言 ヨ 園﹂ では非現実・空想を好む島村は、. ら さ れ る 。﹃伊 豆 の 踊 子 ﹄ で 学 生 が 踊 子 に よ っ て 孤 児 根 性 を. ではなく、逆に現実の世界であり、主人公は、それを思い知. 園﹄ も 、 ト ン ネ ル を 抜 け た 世 界 こ そ が 、 空 想 ・ 非 現 実 の 世 界. 日頃から空想・非現実の世界に生きている人間は、自分で. 立ち退くのは、こうした理由による 。. 学作品である 。. され、目覚める 。 そ の こ と を 描 い た の が 、 こ れ ら の 川 端 の 文. 現実をも非現実と見ょうとするが、その不誠実さを思い知ら. 河. が 、 そ ろ って こ の 小 説 を 川 端 に 特 徴 的 な ﹁ 愛 の 拒 絶 ﹂ 山 ( 5 ) を具現した作品と見倣す従来の読みへの修正 号巴巳えZ. 創 作 と は 、 い わ ば 、 非 現 実 の 視 線 で も って 、 現 実 世 界 を 映. 序. PhU. にJ.

(2) 文化/第 25巻第 1号 /2013 9 文. 円 子. 芸術. こ だかまつえ. の関わりを否定しているが、これが偽りであることは、すで. に モ デ ル と な った 芸 者 の 小 高 キ ク ( 芸 名 松 栄 、 一 九 一 五 ・. 作者の川端は、﹃雪園 ﹂ が 昭 和 九 年 か ら 書 き 始 め ら れて、. 高半 ﹂ で 、 昭 和 九 年 の こ と で 、 そ れ か ら 川 端 は 十 二年まで 一. 川端がこの芸者松栄に出会ったのは、越後湯沢の旅館. (2) で. 最 初 一 回 の 短 編 で 終 え よ う と 思 ったものが、書き継がれて、. 五回ほどここを毎年訪れ、松 栄と肉体関係を続けていた 。 そ. の夫久雄氏の証言. ついに十二年の長きにわた って追加されてきたことを、 岩波. の聞に川端は小説 ﹁ 雪園﹄を松栄には内緒で書き続けていた. たかはん. 雪 国﹂の﹁あとがき﹂で述べており、その中で作品解 文庫 ﹃. その芸者は似てはいないといい、また作者自身は島村ではな. いて、駒子のモデルは旅館の芸者であるが、小説中の駒子と. 理由から、も っともな発 言 である 。他方、川端が、駒子につ. 葉子を配置したとい っていることである 。 これは追々述べる. くて、駒子を中心にして、彼女を浮き立たせるために島村と. いて、島村を中心に、両脇に駒子と葉子を配置したのではな. 作品解釈上役に立つこととは、川端が登場人物の配置につ. きたしかねないこともある 。. いことかもしれないが、肝心の作品解釈においては、支障を. ついての発言では、 よくあることで、さほど 驚 かなくてもい. よ う な こ と を 混 ぜ 合 わ せ て 言 っ て い る 。 これは作者の自作に. ことも、今では判明している 。 こ の 事 実 を 、 今 更 の よ う に 取. 明らかとなっている 。. 九 九 釈に関して役立つことと、まともに受け取ることのできない. 号& 日間. い し 、 駒 子 と は 何 の 関 わ り も な い と し て 、 作 者 と 芸 者 の 現実. -66-. 本.

(3) しい 。も と に 深 い 交 わ り の 体 験 が な け れ ば 、 こ の よ う な 小 説. と思われるからである 。 それほどまでに、男女の情交が生々. り上げるのは、これがなければ、この小説の解釈ができない. であった 。 その極めつけのところを引用してみよう 。. それもただ左手の人差指に残る濡れた感触の作用によるだけ. スに女の顔が映し出された時、島村は仰天したのであるが、. ただし、断っておくが、これはあく ま で情交の暗示であっ. 指をいろいろに動かして眺めては、結局この指だけが、こ. も う 三 時 間 も 前 の こ と 、 島 村 は 退 屈 まぎ れ に 左 手 の 人 差. は、書けるものではない。 て 、 情 交 の 現 場 面 の 赤 裸 々 な 描 写 で は な い 。だ が 、 現 場 面 の. れから曾ひに行く女をなまなましく覚えてゐる、はっきり. で今も濡れてゐて、自分を遠くの女へ引き寄せるかのやう. 実写よりも暗示の方が生々しいこともある 。 川端がやってい. そ れ は ﹃ 雪 園 ﹄ と い う 小 説 の な か で 、 最 も 注 目 される最初. だと、不思議に思ひながら、鼻につけて匂ひを嘆いでみた. 思ひ出さうとあせればあせるほど、 つかみどころなくぼや. 鏡 ﹂ の 映 像 の 場 面 で あ る 。 小説が始まってから清水トン の ﹁. りしてゐたが、ふとその指で窓ガラスに線を引くと、そこ. る の は 、 こ の よ う な 暗 示 の 生 々 し さ で あ る 。 まずこの場面の. ネルを抜けて、いわゆる﹁夜の底が白くなった ﹂夕暮れの雪. に女の片眼がはっきり浮き出たのだった 。彼は驚いて撃を. けてゆく記憶の頼りなきのうちに、この指だけは女の鰯感. 国へと列車が入ってくる三時間も前、退屈まぎれに島村が列. あげさうになった 。 ( 一 一 ー ー 二一). 解釈から始める 。. 車の曇りガラスを指で拭いた時、偶然にそこに通路の向かい. と、それは昨年ここの湯治場に来た時に出会って、情を通じ. き、島村が何を思って曇りガラスの窓を見ていたかという. が、窓という鏡を媒体にして、 二重写しの効果を発揮したと. て、窓の外の薄暗い背景と明かりのついた列車の内の女の目. ある 。 その葉子の顔の眼に暮れていく野 山 のともし火が灯っ. 文は省略されている)、男の指の記憶は、生々しい 。 否、こ. ているから(サイデンステイツカ l の訳では、なぜかこの一. を鼻にまで持って行って匂いをかいでみることもやってのけ. も記憶しているのは、唯 一左手の人差指でしかない 。 その指. ことである 。 つまり、男、島村、が情を通じた女の実態を今. 筆者が現場面の実写よりも生々しい暗示だというのは、この. の席にいて病人を看護していた葉子の顔が映った時のことで. たある女のことであった。だから突然、指で拭った曇りガラ. -6 7-. 河村. 川端康成 『 雪園』読解試論.

(4) 文化/第 25巻第 1号 / 2013 9 芸術 文学. の生々しきを島村が女、 つまり駒子に対して抱くがゆえに、. 儀なくされている 。 だ が 、 騎 士 の ラ ン ス ロ ッ ト が 馬 上 槍 試 合. 事を部屋の内にある鏡に映して、それを見て暮らすことを余. れて飛び散り、シャロットの女は自らの名を紬先に記した小. これに魅かれて再びこの温泉宿にやってきたことがわかるの. 曇りガラスに突然出現したのは病人を看病する葉子の眼で. 舟に身を横たえると、円卓の騎士のいるカメロットの城に流. に北へ向かう姿を鏡のなかに見て、矢も楯もたまらずに振り. あるが、この葉子という女が、このようにして鏡を媒体にし. れ 行 き な が ら 、 絶 命 す る 。 このことは、﹃雪圃﹄の最後の火. である 。 つまり、この時点での島村にとって、駒子はセック. て、島村の想像世界では、駒子と二重写しとなって姿を現す. 事と天の川の降下の場面で、繭蔵の二階から落下する葉子と. 向いて窓外を見てしまうと、鏡が割れて、織っていた糸が切. ことから物語が始まるところが、川端の小説家としての天才. 深く関わっているのではないかと思われる 。 これについては. スそのものの存在と化しているといってよい 。. を証拠立てている 。 いわば葉子は、こうして小説の冒頭か. 最後に述べる 。. いる 。すなわち、これからの島村と駒子および葉子の間で展. る。 ここにこれから始まる物語の性質が、的確に暗示されて. ひ﹂であり﹁不思議な鏡のなかのこと﹂のように思えたとあ. 姿は、島村にとっては、﹁夢のからくりを眺めてゐるやうな思. しかも病人をかいがいしく看病している鏡のなかの葉子の. る。尤も、最初にも述べたが、この小説は現実の作者の体験. の世界を演出しておいて、小説の本質を暗示したともいえ. はないだろうか 。 川 端 は 物 語 の 冒 頭 に 、 こ の よ う な 鏡 の な か. 世界、 つまり鏡のなかの世界と呼ぶのが最もふさわしいので. ら、現実そのものというよりは、﹁非現実的な﹂夢のような. そもそも、小説とは、作者の想像力の産む世界であるか. まゆ くら. ら、駒子の分身として登場してくる 。. 開する世界は、まさに﹁不思議な鏡のなか﹂の出来事として、. に基づいた創造の世界であるから、鏡のなかの世界は現実と 同∞。。b N). 視点的人物の島村には映っていくということの暗示である 。 m u ロ ロ 可 ωP. 。. 非現実を合わせて映し出していることになり、その鏡のなか. (﹀]同門の(円吋. の 詩 ⋮. これはまるでテニソン. を覗く読者には、そこに映る世界が、現実とも非現実ともつ. ωN) の生きる世界. ru 身 え ∞}5-2FJ∞. かないようにぼやけて見えたとしても不思議ではない 。 ﹃ 雪. ﹁シャロット女﹂(ベ. のようである 。 シャロットの女は、窓から外を見ると命を落. 園﹄はまさにそのような現実・非現実の聞を行く﹁夢のやう. あわい. とすという呪いをかけられているので、窓の外におこる出来. phu. o o.

(5) な﹂世界なのである 。 川端の短編﹁水 月﹂でも同じことが 言え よう。寝たきりに. する妻の姿を見ることができる夫の姿を描いているが、この. ﹃雪園﹄という小説の本質をずばりと見抜いている 。 つまり. また、川端を師と仰ぐ三島由紀夫も、さすが作家らしく、. ( 3 ) と. ながら、舞踊と違って、女は生物である為、さう行かなかっ. たことを、説明を用ひずして、微妙に現はしている﹂. 夫は、まさに非現実のなかに、現実よりも生き生きとした妻. この小説の世界は﹁鏡のなか﹂にあるという点である 。筆者. 早くからこの小説の核心部分を指摘している 。. の姿を思い描き、鏡のなかで生きている 。まさに小説の世 界. の論を補う上 でも引用に値する 。. なって二階のベッドの上から手鏡を窮してのみ、庭で作業を. にふさわしい人物である 。 そ し て こ の こ と と の 比 較 で い う. きないで、醒めているがゆえに自らを嫌悪し、、だらだらと駒. 駒子の熱い肉体の中心には、どうしても徹底的にコミ ット で. うな距離感が必然的に必要になる 。 そうした意味で、島村は. ける視点的人物としての役割を担っているからには、このよ. け、やや突き放した人物像として造ったというが、小説にお. のできない自らを冷淡な男と思う自意識の持ち主と位置づ. に定義されているのに似ている 。. の本で使はれている各種の哲学用語が、あらかじめ、厳密. かに答へ尽くされている 。 それは丁度哲学書の序論で、そ. 事 件 ﹂とは何か、とい う聞があらかじめ提示され、ひそ ﹁. ﹁人物﹂とは何か、﹁風景﹂とは何か、﹁自然﹂とは何か、. ともいうべき駒子はまだ登場しないが、この小説のなかの. -:汽車の場面は、全篇の序曲のようなもので、女主人公. と 、 ﹃ 雪園﹄ の島村を、作者川端は、女を心から愛すること. 子との情交を重ねることからいずれ立ち退く必要に迫られる. そのま﹀に見ないで、鏡に映して見たところに、芸術として. そのことを正宗白鳥は、﹁此の小説に含まれてゐる事実を. くり﹂のように眺められていて、読者にも島村にも、﹁悲. 人物たちは、﹁不思議な鏡のなか﹂で眺められ、﹁夢 のから. 意味に気づくのである 。すなわち、駒子も葉子も、作中の. だから読者は全篇を読んだあとで、はじめてこの序曲の. の色彩が豊かに現れてゐる﹂といい、さらに﹁主人公が、見. しみを見ているというつらさ﹂を与えないこと、又、作中. ことになる 。. たことのない西洋舞踊を空想的に観賞して、虚無の甘さを覚. の風景は、. 一つ一つ鮮明な細部を持ってあらわれるが、や. えるのと或る女性に対する愛慾の動きとを同じ心の態度とし. -69. 河村 川端康成 『 雪園』読解試論.

(6) はり﹁夕景色の鏡の非現実的な力﹂の支配下にあること、. ぎ目なく入りまじる静かな奇蹟の瞬 間 に他ならないこと、. の顔のなかにともし火がともる ように、人間と自然とが継. から葉子が落ちても、それは汽車の窓ガラスに映った葉子. ﹁不思議﹂、これから三人の聞に展開されていく宿命のような. で あ る と い う 偶 然 の 一 致 の 中 に 、 島 村 は ﹁不思議 ﹂ ならぬ. 駅に 出 迎えに来ていたのが、かつて馴染んだことのある駒子. 列車の中で島村が出遭った女葉子が看病していた男行男を. 又、作中の事件は、たとえば結末の雪中火事に、二階桟敷. などに気づくのである 。. 男女関係の行方をすでに予知しているが、このようなきわめ. て敏感な、研、ぎ澄まされた感性の持ち主が視点的人物の島村. という男である 。物語の冒頭近くで、すでに島村はこのこと. 指で島見 えてゐる女と眼にともし火をつけてゐた女との聞. を見抜いている 。. それは女の ﹁ 内 生 命 の 変 形 ﹂ の微妙な記録であり、焔が. に、なにがあるのかなにが起るのか、島村はなぜかそれが. -7 0-. といい、さらに、. 定めない人 間 のいのちの各瞬間の純粋持続にのみ賭けら. 移り目﹂の瞬間のデ ッサン すっと穂を伸ばす ようなその ﹁. 心のどこかで見えるような気持もする 。まだ夕景色の鏡か. れた ようなこの小説に、もし主題があるとすれば、(中略). の集成である 。(中略)作中に何度かあらわれる﹁徒労﹂. 時の流れの象徴であったかと、彼はふとそんなことを肢い. ら醒め切らぬせゐ、だろうか 。あの夕景色の流れは、さては. (4). という言葉は、こうして無目的に浪費される生のすがた の、危険な美しさに対する反語である 。. た。(一七). したがって、﹁時の流れ ﹂ とともに進んで行く物語の行方. 本論は、これからこのような視点的人物である島村の眼の 鏡に映る駒子とその分身的存在葉子の揺れ動く姿と同時に、. は、その影がすでに島村の心の鏡に映っていて、来るべき物. 語の結末さえも、島村には、予知されているといって よ い。. その姿が島村に要請する生の現実の認識を具体的に検討す る. 25巻第 1号 /2013.9 文化/第 芸術. 文学.

(7) 河村. 川端康成 『 雪国』読解試論. の握り拳を、いきなり女の目の前に突きつけた﹂ことである. ゐたよ﹂といって最初にしたのが、﹁人差指だけ伸した左手. 再会した時に島村が駒子に﹁こいつが一番よく君を 島見えて. で、東京に 家庭もあり、子どももいるが、西洋舞踊の研究を. 性 の 慰 み の 対 象 に は 不 向 き に 思 え る 。島 村 は 資 産 家 の 息 子. 遊離しようとしている島村にとっては、最初駒子は現実的な. 精神的﹁清潔﹂ゆえに、﹁非現実﹂のなかに生きて現実から. を構成する こ面性の内の 一面を担う精神美 であり、これが駒. が、﹁さう?﹂とい って﹁女は彼の指を握るとそのまま離さ. ﹁西洋の言葉や霧異から浮ぶ彼自身の空想が踊る幻影を鑑賞. もちろん読者にはそれは見えない 。 では、どのような映像が. ないで手をひくやうに階段を上って行った 。 ﹂ (一八)かつて. して﹂(二四) それを紹介するような文筆家であり、駒子を. 子の特徴として繰り返し強調されるということである 。 この. のこ人の情交の再確認であり、これから展開されるであろう. 見たときも、女をこのような﹁空想﹂上の﹁幻影﹂の踊り手. 島村の心の鏡には映じているのであろうか 。. 情交の承認でもある 。. をそのまま映しているような女である 。﹁足指の 裏の窪み ま. 窪みまできれいであらう﹂と思われるような、﹁山山の初夏﹂. 駒子の第一印象は﹁不思議なくらゐ清潔﹂で、﹁足指の裏の. 線と踊りの師匠の家の養女で手伝いに来ていた駒 子で ある 。. 呼ぶが、芸者が出払 っていて、代わりにやって来たのが 三味. の山歩きか ら温泉場に下りてきた島村は、人恋しさに芸者を. いたからである 。 このときの二人の関係の予兆を、川端は見. て裏山を駆け上って降りて来たときに、そこに駒子が立って. ﹁きれい﹂ではなかったから、当てが外れて、ふいと外に出. る、つまり精進落としのつもりで呼んだ芸者が駒子のように. である 。それは島村が ﹁七日間の山の健康を簡 車に洗濯 ﹂す. きているような男に惹かれてしまったのか、これがまず問題. このような﹁清潔﹂な女がどうして﹁非現実﹂のなかに生. として見る 。. できれい﹂とは、谷崎の﹃母を恋ふる記﹂に出てくる鳥追い. 事 に二羽の黄蝶に擬えている 。. そうして島村の過去の回想がはじまる 。七日ばかりの国境. の若い母の足裏の描写││﹁祇めてもいいと思われるほど真. と、﹁足もとから黄蝶が二羽飛び立った 。蝶はもつれ合いな. (5) 裏山から駆け降りてくる. 白な足の裏﹂││ひいては、泉鏡花の描く仙女の真っ白な肌. がら、やがて園境の山より高く、黄色が白くなって﹂(二七). 遠ざかって行く 。 いわば蝶の昇天である 。しかも﹁黄﹂から. なぞら. の色を努霧させる 。 筆者が強調したいのは、駒子のこの﹁清潔﹂こそが、彼女. 1i ヴt.

(8) 文化/第 25巻第 1号 / 2013 9 芸術 文学. 徴 と い っ て も よ い で あ ろ う 。 そしてこの黄蝶の昇天は、物語. に駒子の内に姿を現す特徴的な色で、いわば情念の白熱の象. ﹁ 白 ﹂ への変身である 。 ﹁白﹂はこの後島村との情交が萌す度 なによりも、清潔だった 。 ( 三O). 首のつけ根もまだ肉づいてゐないから、美人といふよりも. 平凡な輪郭だが、白い陶器に薄紅を刷いたやうな皮膚で、. のエンディングにおける葉子の昇天に似た現象を、すでに暗. 芸者が気にいらなくて追い返した島村に気分をよくした駒. ﹁それはもうま、ぎれもなく女の裸の心が自分の男を呼ぶ撃で. 島村を呼ぶ声は、この﹁清潔﹂の印象を裏切るかのように、. これが島村が駒子と情を通じる前の駒子の印象である 。 その. 子の姿は、最初から駒子が気にいっていて、欲しかったこと. あ っ た ﹂ ( 三 二 と い う。 ﹁清潔﹂の内にひそんでいた﹁性﹂. 示しているように読める 。葉子は駒子の精神的分身だからで. をごまかしていた厭な自分との対比で、﹁よけい美しく ﹂ ﹁な. がその姿を現した瞬間である 。 こうして二人は交わりを持つ. 日の夜の十時に島村を求めてやってきた酔っぱらった駒子の. にかすっと抜けたやうに涼しい姿﹂に見えてくる 。 このあた. ことになった 。すると駒子の﹁清潔﹂は変わらないが、﹁蛭. ある 。 この点は最後に述べよう 。. りが島村の感性のよさである 。 そして﹁清潔﹂という印象の. の輪﹂のような﹁美しい唇﹂が島村に与える印象が、変化す. て情交を重ねたのちのことである 。 その﹁唇﹂の変化に到る. 細部を島村の敏感な眼は次のように捉える 。. 細く高い鼻が少し寂しいけれども、その下に小さくつぼ. までの二人の問の揺れ動く感情の交錯を、順を追って検討す. る。 それはこうして二度目に温泉宿を訪れて、駒子と再会し び縮みがなめら んだ唇はまことに美しい蛭の輪のように伸 、. ることにする 。. しいやうながら、短い毛の生えつまった下がり気味の眉. がりもせず、わざと真直ぐに描いたやうな眼はどこかおか. ずだが、そうではなく濡れ光ってゐた 。 目尻が上がりも下. もし敏があったり色が悪かったりすると、不潔に見えるは. れた裸を剥き出したゃう﹂(一 二五)な印象を与えている 。先. 染めていくのが見えるが、島村にはそれが﹁なまなましく濡. に押しあてながら、﹁あの時﹂を思い浮かべて、身体を赤く. 入りながら島村の差し出した左手の握り拳を広げ、それを顔. 再訪したはじめに島村の部屋に入って来た駒子は、矩爆に. ひる. かで、黙ってゐる時も動いてゐるかのやうな感じ、だから、. が、それをほどよくっつんでゐた。少し中高の園顔はまあ. 7 2.

(9) る日記にも﹁なんでも隠さずその通りに書いてある ﹂といっ. は指折り数える 。 さらに ﹁ あの時﹂のことは駒子の付けてい. 二十三日のことで、その日から今日で百九十九日目だと駒子. にも言ったように、過去の情交の再確認である 。昨年の五月. とえば、再会の最初の夜の交わりの前のひと コ マに、駒子が. のなかにいる人物の心理・感性の動きと連動させて描く 。 た. 描いているのではなく、それを見たり聞いたりするその光景. 一つでもあるが、 川端は単に自然の光景をそれ自体のために. に通り過ぎる上りの汽車の響きを聞く場面がある 。月はない. 凍てつくような寒さのなか、わざと窓を開けて、夜中の零時. 二人の関係を進展させたのは、こうした性に絡む確認のみ. があざやかに浮き出た星空を眺めながら、島村はこう思う 。. て、さらに自ら告白をしてみせる 。 ではない 。駒子が読んだ小説の簡単なメモを取っているとい. に見もしない西洋舞踊を洋書や写真を頼りに夢想しているの. ない﹁徒勢 ﹂だというが、こう言いながら島村は自分が実際. そのかはりそれだけの厚さがありそうないぶした黒で、星. の色を深めた 。園境の山々はもう重なりも見分けられず、. 星の群が目に近づいて来るにつれて、空はいよいよ遠く夜. うのを聞いて、島村は、そんなことをしても何の役にも立た. と同じであると思い、また女が見もしない都会の映画や芝居. 空の裾に重みをたれてゐた 。すべて冴え静まった調和であ. 島村が近づくのを知ると、 女は手摺に胸を突っ伏せた 。. の話を﹁無心な夢のやう﹂ に語るのを聞いて、 ﹁ 単純な徒勢 ﹂. とを意識している島村自身、自己感傷に落ち入りそうになる. それは弱々しさではなく、かういふ夜を背景にして、これ. った 。. が、女は都会へのあこがれも﹁今はもう率直なあきらめにつ. より頑固なものはないといふ 姿であった。島村はまたかと. ﹁不思議な哀れ ﹂ を感じ、自分の生き方が ﹁ 徒 勢 ﹂ であるこ. つまれ ﹂ た世界に力強く生きている 。島村はそうした女の存. しかし、山々の色は黒いにかかは らず、どうしたはずみ. 思った 。. した話に 夢 中になって、駒子は島村に自ら身を投げかけてい. かそれがまざまざと白雪の色に見えた 。 さうすると山々が. 在の ﹁ 純粋﹂に、改めて惹かれる 。最初出会 ったときもこう. くはずみとなったのだが、再会の今もまた自分の話に酔うこ. 透明で寂しいものであるかのやうに感じられて来た 。空と 山とは調和などしてゐない 。 (三九). とで、﹁僅まで温まって来る ﹂ (三八)女である 。 川端の自然描写の特徴を明らかにするのが、本論の目的の. 、. ‘ ・?・ ・. 河村. 川端康成 『 雪国』読解試論. 円︿リ. i 門.

(10) 文化/第 25巻第 1号 / 2013 9 学 文. 芸術. むと、音. の空と山の自然の光景と見えるものは、単に自然の光景と読. これはどういう光景であろうか 。 ここに映し出されている夜. さうないぶした黒﹂い山というのは、島村の意識のなかで. 隠し持っている 。 ﹁夜の色を深め﹂る空といい、﹁厚さがあり. きの姿であり、空とは調和しない別の実態を駒子の山は内に. 駒子. 重量感のある黒髪と連動しているのかもしれない 。 そしてま. は、駒子の﹁なにか黒い鍍物の重ったいやうな光﹂を発する. O. 一瞬そちらの方に傾. たこの﹁夜の色を深め﹂る空は、島村を含む男の存在をも意. の解釈する駒子の内面の心理的光景であると思われる. 斜しそうになった雰囲気を立て直そうと、寒い夜に窓を開け. 味しているように思われる 。 であるから、島村は男の空と女. 山が、﹁冴え静まった調和﹂を醸し出していると見る 。だが. 島村は最初夜の色を深めていく空とその裾に黒く重く潜む. わった 。 このように、川端の一見自然描写と見えるものは、. かった 。男が女の内に潜むものに気付いたとき、山の色が変. の山の﹁冴え静まった調和﹂を意識した 。だがそうではな. は安っぽい芸者と思われたくないので、 て、気を引き締めようとする 。. こうした夜を背景として、手すりに突っ伏して頑なに動こう. この空と山の関係は、この物語のエンディングで天の川が. そこに内包された人間の心理の投影なのである 。 これはそう. が、﹁どうしたはずみかそれがまざまざと白雪の色に見え. 地上の山を包むように降りてくる場面の予兆をなしていると. としない駒子を見ていると、島村は空と山が﹁調和﹂などし. ﹂これは﹁これより頑固なものはない﹂黒の塊であると た。. 思われる 。 その時に、この場面の解釈が真価を発揮するであ. した描写の一例にすぎない 。. 一瞬崩れて内に. ていないことに改めて気づく 。 ﹁黒﹂く厳然として見えた山. 見えた山、 つまり男を拒絶する駒子の姿が、. ろ 、 っ。. めての交わりをするのであるが、. 小指で持ち上げながら、. 部屋に戻ってから、女は横にした首を軽く浮かして髪を. びん. さて、この後島村は駒子と一緒に女湯に入り、再会のはじ. 隠れた男を欲する姿を見せたということではないだろうか 。 これが島村に山が﹁白雪の色﹂に見える理由だと思われる 。 そうすると、﹁透明で寂しいものであるかのやうに感じられ て来た﹂山というのは、男を欲する寂しい心の内を透かして 見せている駒子だということになる 。 ﹁夜の色を深め﹂る暗 い空に調和するかに見える山の姿は、あくまでも駒子の表向. 門 i. バ せ.

(11) 女が黒い眼を半ば聞いてゐるのかと、近々のぞきこんで. 悲しいわ 。 ﹁ ﹂と、ただひとこと 言 っただけであった 。. 女というよりは、鏡のなかの女であることには変わりはな. 赤い素顔に戻った駒子であっても、島村にとっては、現実の. ν 、. 受け取れる 。次の文の ﹁ 女が黒い眼を:・ ﹂というのは、この. 白 雪 の色﹂のなせる 業 への諦めとも に行く前の駒子の山の ﹁. を拒絶できない女の性の自覚が言わせる言葉であろうし、湯. この駒子の言葉は意味深長である 。 ﹁ 悲しいわ ﹂ は、交わり. れが島村の ﹁ 急所 ﹂と関わりがあるのであろうか 。それはお. たような気はして来るのであった ﹂ (四五)とある 。なぜそ. が、そう ﹁ 繰り返して突っ込まれると、彼は急所にさはられ. 言わなかった島村に気色ばんで、鋭く食って掛かってくる. なかで見かけた葉子のことを口にすると、駒子がそのことを. みると、それは捷毛であった 。 ( 四O). 行聞にすでに成就した交わりの痕のインデックスであり、こ. そらく、葉子の存在が島村にとっては単独で存在するもので. 駒子との情交を再開した島村は、 ふとしたはずみに列車の. れはこの後も繰り返し表現される 。. ある 。 ここでも、男は﹁ まだ夜の色﹂の﹁空 ﹂ であるのに反. に、同時生起的に葉子の姿が窓ガラスのなかに 出現し、それ. そもそも列車のなかで駒子のことを思い出しているとき. はなくて、つねに駒子の存在と密接に結び付いたものであ. し、女はすでに朝を迎え、夜とは別の様相を帯びた ﹁ 山 ﹂ で. 以降島村の心のなかでは、葉子は駒子の分身的存在になって. 先ほど空と山の関係を述べたが、交わりの後の朝、島村が. あることが示唆されている 。鏡に映る真っ白な雪の中に真っ. しまったからである 。駒子との情交の後、﹁今朝山の雪を窮. り、そしてその存在は、島村にとっては ﹁ 非現実﹂ の﹁遠い. 赤な頬を浮かばせている駒子は、もう 一人の駒子に戻って、. した鏡のなかに駒子を見た時も、無論島村は夕暮れの汽車の. 目を覚ますと、 ﹁ 空はまだ夜の色なのに、 山 はもう朝であっ. なんともいへぬ清潔な美しさ﹂(四こを湛えている 。 この ﹁. 窓ガラスに罵っていた娘﹂(四五)を思い出した 。だがその. 世界﹂ (四八) のなかにあ ったからであろう。. ﹁白﹂と ﹁ 赤﹂の色の コントラストは、縮に関する描写にお. ことも駒子には話さなかった 。窓ガラス、つまり ﹁ 鏡﹂ のな. た﹂(四 一)とある 。駒子は 一睡もしないで起きていたので. いても再び登場し、重要な意味を持ってくる 。 この点につい. かの世界は島村にとっては、彼の心の内にあって、外に出し. ちじみ. ては、縮の描写の所で詳しく説明する 。 ここでは、しかし、. -7 5. 河村. 日│端康成 『 雪国』読解試論.

(12) 文化/第 25巻第 1号 / 2013 9 芸術 文学. ﹁徒勢﹂でしかないことに身を削っている駒子の存在が、逆. ﹁宙に吊るさってゐるような ・不安定﹂(四六)な駒子という. そうした﹁夕景色の鏡や朝雪の鏡﹂のなかの世界を、島村. に﹁純粋に感じられてくる 。 ﹂(五二﹁この虚偽の麻庫には、. て語りたくない彼だけのもの、﹁非現実﹂ の世界、 つまり. は、﹁遠い世界﹂と思い、﹁人工のもの﹂(四八)ではなくて. 破廉恥な危険が匂ってゐて﹂(五二)というのは、そのよう. 存 在 に 、 ま た し て も ﹁ 徒 勢 ﹂ と い う こ と を 思 う 。 すると、. ﹁自然のもの﹂(四八)だという 。島 村 は あ る 種 の ﹁ 放 心 状. に﹁純粋﹂な駒子を自分が弄んでいるという意識が、島村に. ﹁急所﹂だからではないか 。. 態﹂(四八)になると、このような﹁遠い世界﹂に誘われて. はあるからであろう 。. の世界の住人となる 。島村は、いわば、このように﹁自然﹂. 世界がある 。放心状態から我に立ち返った時の島村は、後者. あって、もう一つ別の﹁人工のもの﹂の世界、つまり意識の. 然のもの﹂である﹁鏡﹂のなかの世界が島村の﹁急所﹂に. に住んでゐる﹂(四六)ように思えてくる 。 このように﹁自. 駒子も、島村の想像の眼には、﹁震のやうに透明な龍でここ. あ、難儀だわ、難儀﹂(五二)という。 この駒子の言葉は、. てきたときは、﹁知らん 。もう知らん 。 頭痛い 。 頭痛い 。あ. ﹁今夜は白いわ 。愛だわ﹂(五二)という。宴会を終えて帰つ. 宴会に呼ばれていくといいながら、島村の頬を撫でまわし、. 子が入って﹂(五二)来る 。 そして矩爆に入ると、これから. なさ﹂に心を冷やしていると、﹁温い明りのついたやうに駒. こうした意識のもと、暮れていく冬の夕景色の﹁虚しい切. まゆ. いく 。 かつて﹁慧﹂の部屋であった屋根裏部屋に住んでいる. の世界(無意識の世界)と﹁人工﹂の世界(意識の世界)を. 宴会に出るということが嫌になったというようにも聞こえる. が、そうでないことは、少し酔いがさめてから駒子が次のよ. 往来している 。 道で出くわした女按摩から駒子の事情ーーーかつての踊りと. が、今はその息子の恋人として葉子がこの温泉地に連れてき. いで、東京にいる病気のその息子のために金を送ってやった. が何かわからず、寝られないし、食べられないで、夢を見た. かと心配だったわ 。 ﹂(五一二)何かを思いつめているが、それ. この八月中﹁神経衰弱﹂にかかって、﹁気ちがひになるの. うに島村にいうことからもわかる 。. て看病しているが、息子は死にかけているというl ーを知ら. り、畳に針を突き刺してみたりしていたというのである 。駒. 三味線の師匠の息子のいいなずけとして、芸者に出て金を稼. された島村は、駒子の住まいの屋根裏部屋が象徴している. -76-.

(13) ﹁結婚て、そんな力があるかな﹂というと、﹁いやらしい 。 さ. を 話 す。 島村が、好きでもない男であるのに、悩むとは、. 松の男に求婚されて、その男が好きになれないで悩んだこと. わからないといいながらも、その原因らしきものとして、浜. 子は何を思い煩って、﹁気ちがひ﹂になりそうに思ったのか. とき酒を飲まなかったのは、しかし、純粋な駒子を自分が弄. ではあるが、この場合には、適切だと思われる 。島村がその. ンテクストを考慮すると、訳者や映画の解釈のほうが、単純. きる 。 そのとき駒子が島村の頬をなで回しながらこう言うコ. 訳でも、映画﹃雪 国﹄(池部良と岸恵子主演. 実を駒子が 言 ったにすぎないことが、サイデンステイツカ 1. 云々は、 他に男がいることを示唆しているように読める 。 そ. 釈したことを示唆し、﹁身のまはりがきちんとかたづいて﹂. 返事の﹁いやらしい﹂は、島村が性的なことへ言及したと解. 者がいやになっただけとも思われない 。 これに続いて駒子が. う解釈したらよいのだろうか 。単なる酒の飲みすぎとも、芸. らん 。頭痛い 。頭痛い 。ああ、難儀だわ 、難儀﹂は、ではど. 駒子が宴会から帰って来たときに言う、﹁知らん 。も う 知. (6). でも確認で. うじゃないけれど、私は身のまはりがきちんとかたづいてい. んでいるという意識に駆られて、﹁虚しい切なさに曝されて﹂. の男の存在を匂わすように、駒子は、﹁私妊娠してゐると思. この 夏 のことに言及することからして、浜松の男の求婚、. ). ないと、 ゐられないの﹂(五 二一)という。 この島村の言葉は、. っ て た の よ 。 ふ ふ 、 今 考 え る と お か しくって、ふふふ﹂. いなずけの行男のためにこの夏芸者になったこと、さらには. いたからである 。. (五四)含み笑いをするが、﹁妊娠﹂の相手は、島村というこ. 後ほどわかるように、駒子の年来のパトロンとの関係をどう. 結婚による社会的安定に 言 及していると思われるが、駒子の. とであろう。だから浜松にはお嫁に行きたくなかった 。 これ. にした後すぐさま、駒子は﹁両の握り拳で島村の襟を子供み. したらよいかの内的煩悶に言及していると思われる 。 その元. ここまで読んでくると、駒子の言葉、﹁ムユ伎は白いわ 。愛. たいに掴んだ﹂とあり、次の行ではすでに﹁閉ぢ合はした濃. が原因で、 八月には﹁神経衰弱﹂になり、﹁気ちがひになる. だわ﹂というのは、﹁神経衰弱﹂あるいは﹁気ちがひ﹂の原. い捷毛がまた、黒い日を半ば聞いてゐるやうに見えた﹂. には島村への一途な思いがある 。 それゆえ﹁妊娠﹂云々を口. 因と深い関係があるのではないかと疑われる 。だが 、単にこ. (五四)と結んでいるが、この行聞に、再会後の 二回目の交. のかと心配﹂することになったと理解される 。. れは島村が今夜は酒を飲んでいないので、顔が白いという事. 77-. 五. 一. し ユ. 河村 川端康成 『 雪国』読解試論.

(14) 学 文. わりがすでに完了したことが示唆されている 。 この後者の引 用文句は一回目のとき同様に、交わりの後の駒子の顔の表情. 素が追加されていることがわかる 。. いての島村の印象が、すでに述べた一清潔﹂を強調する調子. 葉子に着替えと三味線を持ってくるように依頼した駒子につ. 場面である 。翌朝のこと、いつものようには家に帰らずに、. さて、 いよいよ駒子の﹁唇﹂の表情を島村が再びとらえる. せ唄につれて大きく聞いても、また可憐に直ぐ縮まるとい. も、そこに映る光をぬめぬめ動かしてゐるやうで、そのく. (岩波文庫版での変更)]滑らかな唇は、小さくつぼめた時. に見えた 。あ の 美 し く 血 の [ 美 し い 血 の 蛭 の 輪 の よ う に. と上気してゐるので、私はここにゐますという鴫きのやう. 細く高い鼻は少し寂しいはずだけれども、頬が生き生き. に、新たに性をあからさまにする表現が加えられ、変化して. ふ風に、彼女の龍の魅力そっくりであった 。下がり気味の. る。すると駒子の肉体の﹁清潔﹂という側面のみならず、そ. が柔らかく変化し、﹁肉健の親しみが感じられ﹂るまでにな. ていた 。だが今の場合はどうであろう。さらに蛭の伸び縮み. い、その伸び縮みにも言及してはいるが、そこまでで終わっ. 前の引用では、同じく唇を﹁まことに美しい蛭の輪﹂とい. 78. に関するリフレインの文句となるからである 。. いるのが見られるのはこの時である 。最初駒子の三味線は. 文庫版での付加)]今は濡れ輝いて、幼なげだった 。白粉. 眉の下に、日尻が上がりもせず下がりもせず、わざと真直. に圧倒される島村は、その音に芯の強い駒子の本性、﹁野生. はなく、都合の水商貰で透き通ったところで山の色が染. ﹁勧進帳﹂で、﹁山峡の大きい自然﹂を前に孤独の中で稽古を. の意力﹂、﹁虚しい徒勢とも思はれる、遠い憧僚とも哀れまれ. めたとでもいふ、百合か玉葱みたいな球根を剥いた新しさ. ぐ描いたやうな眼は、[どこかおかしいようながら、(岩波. る、駒子の生き方﹂(六O) を見、それに﹁叩きのめされて. の皮膚は、首までほんのり血の色が上がってゐて、なによ. するとこれほどまでに強くなるものかと、その援の音の強さ. しま﹂う 。 つ ま り 駒 子 を 自 然 の 子 と し て 見 直 し た 瞬 間 で あ. の核にある性の魅力が島村をとらえる 。 一見すると、すでに. の動きが強調され、﹁彼女の龍の魅力そっくり﹂というおま. りも清潔だった 。 (六O│六一). 引用した文言の繰り返しかと怪しまれる表現だが、新たな要. だが、三味線が﹁都鳥﹂に差し掛かると、突然駒子の様子. る. 文化/第 25巻第 1号 / 2013 9 芸術.

(15) 河村. 川端康成 「 雪国j読解試論. けまでついている 。 つまりぬめぬめとうごめく蛭の唇こそ、. そしてこれ以降島村の部屋に泊まる駒子は、最初の日のよ. さい 。起 き な さ い っ て ば 。 ﹂と口走りつつ自分が倒れて、. ﹁あんた、 そんなことを言ふのがいけないのよ 。起きな. よ﹂といって突然島村の首に鎚り付き、. うに夜明け前に帰ろうとはしなくなる 。物語では、以降何度. 物狂はしさに龍のことも忘れてしまった 。(六五). 表に現れた駒子のセックスそのものだというわけである 。. か駒子が島村を訪れて泊ったであろうが、その都度の様子は 書かれないで、島村が東京に帰る月の最後の夜に駒子を呼. 家に帰るといってみたり、交わりは﹁難儀﹂といってみた. ﹂それで夜中でも、今から こにいるから、駒子は﹁つらい 。. ら、いざ明日帰ると島村が言うと、突然怒り出す 。島村がこ. 駒子は島村に対して、早く東京に帰るようにせかしなが. であるが、おそらく川端と松栄との間に交わされたやり取り. なる 。男と女の切るに切れない情の絡まりの典型的な一場面. もの狂わしさに駆られて、自らからだを島村に与える結果と. 交わりをするのが﹁難儀なの﹂といっていた駒子が、却って. 駒子が男への気持ちを吹っ切ることができない 。 その結果、. 島村が駒子を気遣うような中途半端な物言いをするから、. り、﹁帰らない﹂といってみたりする 。 こうした駒子の様子. の 一節であろう 。. ぶ、その時の様子が描写されている 。. を見ていた島村は、駒子が相当深く自分に惚れこみかけてい. それから温かく潤んだ眼を開くと、. はま. ることを知る 。 ﹁つらいとは、旅の人に深填りしてゆきさう な心細きであろうか 。またはこういふ時に、 じっとこらへる. ﹁ほんたうに明日時りなさいね 。﹂と、静かに言って、髪. 交わり(その場面は省略されている)がすんだことを締め. の毛を拾った 。(六五). やるせなきであろうか 。女の心はそんなにまで来てゐるのか と、島村はしばらく黙り込んだ 。﹂(六五 ). って、君をどうしてあげることも、僕には出来ないぢゃない. くくる一文である 。翌日午後三時の列車で帰る島村が駒子と. 駒子のこうした気持ちを察知した島村は、﹁いつまでゐた. か﹂(六五 ) といって明日帰るというと、駒子は突然激しい. 駅に行って列車を待っていると、山袴を穿いた葉子が看病し. さんぱく. 口調で、﹁それがいけないのよ 。あんた、それがいけないの. J. 同 ハ月i.

(16) 文化/第 25巻第 1号 / 2013 9 芸術. 文学. ている 。 どこかで鳴いている。寒いわ﹂(六七)と、葉子の. る。葉子がやって来る直前に駒子は﹁気持ちの悪い烏が鳴い. ている行男が危篤状態にあることを知らせに駆けつけてく. している島村との別れの方が、駒子には大切なのであろう。. 要はない 。 それよりも、二度と会えないかもしれない、今愛. る。だから駒子がどうあっても行男の死に目に会いに行く必. 逆に駒子は、幼馴染であった行男の死に目を見届けるのが. それを島村は推しはかろうとはしないで、頑強に抵抗する駒. う二度と来ないかもしれないから見送るというのである 。 い. 人の情であるかのごとく島村がいうのを、﹁素直﹂と解釈す. 知 ら せ を 予 感 し た よ う な こ と を 言 う 。だが、早く帰ってくれ. いなずけの死に目にも会おうとしない頑強な駒子に、島村は. る。 そ う し て 駒 子 に ﹁ 素 直 ﹂ と い わ れ る と 、 島 村 は 自 分 が. 子に﹁肉躍的な憎悪﹂さえ感じてしまう 。. 駒 子 の 付 け て い る 日 記 の 最 初 の ペ lジ に 東 京 に 行 く 駒 子 を. ﹁素直﹂な人間だと思い、感動してしまうのは、 ﹃伊豆の踊. と急き立てる葉子に、駒子は頑としてこれを拒み、島村がも. 送ってくれた行男のことを書いてあるのだから、今度は行男. 子﹄において、踊り子に﹁いい人ね﹂. (7) といわれて感動す. の命の最後のペ lジに彼女のことを書きに行って来いという. る学生の素直さを思い起こさせる。だがそこには同時に﹁美. には﹁美しい徒労﹂が潜んでいる点について、竹西寛子は、. (8) があったように、ここでも島村の感動. ﹁ねえ、あんた素直な人ね 。素 直 な 人 な ら 、 私 の 日 記 を. この島村の体現している﹁生存への恋﹂とそれへの﹁陶酔の. しい空虚な気持﹂ すっかり送ってあげてもいいわ 。あんた私を笑わないわ. 拒否﹂と いう 二 律 背 反 を 、 川 端 文 学 の 特 質 と 見 て い る 。. 強ひて蹄れとは言はなかった 。駒子も黙ってしまった 。. 直な人聞はいないのだといふ気がして来ると、もう駒子に. 島村はわけ分らぬ感動に打たれて、さうだ、自分ほど素. を払拭した﹁素直﹂な全面的な生存肯定があるのみだという. 竹西の二一日うような二律背反があるのではなくて、﹁孤児根性﹂. だが、﹃伊豆の踊子﹂における﹁美しい空虚な気持﹂には、. の前に置かれた﹁どんなに親切にされても、それをたいへん. m) の中に眠っているよう﹂ ( な反応や、﹁美しい空虚な気持﹂. ことは、踊子との別れに際して学生の感じる﹁清々しい満足. 駒子は行男とはいいなずけではないと島村に話したことがあ. ( 七 O). (9). ね。あんた素直な人だと思ふけれど 。 ﹂. と. 00. ハU.

(17) 河村. 川端康成 『 雪国j読解試論. 美﹂ の一点においてしか 無に帰する 。島村はその感覚する ﹁. とみており、﹁命をかけて生き、命をかけて男を愛している. 同様に、﹃雪園 ﹂ に お い て も 、 駒 子 の ﹁ 素 直 ﹂ に す ぐ さ ま. 生活していない 。生活の継続という汚れと無意味さと退屈さ. 日) という文言がこれを示唆 自然に受け入れられるような﹂ (. 反応してしまう島村のなかには、竹西のニ一一口うような﹁陶酔の. と繰り返しとに彼は耐えられない 。 そ し て 、 い つ か そ の 島 村. 女を理解はするが、日の前にいなければ、その女はたちまち. 拒否﹂ではなく、生存の受容と再生への予兆が示唆されてい. ロ )と 、 の生き方が駒子に理解され、駒子を絶望に陥れる﹂ (. している 。. ると見るべきであろう 。 こ の ﹁ 生 存 の 受 容 と 再 生 ﹂ を 示 唆 す. ﹁非現実﹂に生きる島村の特質を小説家らしく、的確に述べ. ている 。だが、この伊藤の解釈についても、上述した竹西の. る場面へのさらなる言及については、順を追って述べる 。 続いて東京に帰る島村が駒子を置き去りにする場面を見ょ. る島村の眼には、駒子は﹁うらぶれた寒村の果物屋の煤けた. 再生し、﹁鋭﹂のなかの住人となり、竹西寛子や伊藤整の指. 確かに、汽車のなかの人となった島村は、非現実の世界を. 場合同様、筆者は異論がある 。. ガラス箱に、不思議な果物がただ一つ置き忘れられたかのや. 摘を肯定するような態度をとる 。. う 。待合室の窓のなかに件む駒子の姿を汽車のなかから眺め. う ﹂ ( 七O) に映る 。す で に 島 村 は 駒 子 を 一 枚 の 絵 の な か の. ラスに浮かぶ駒子の顔は、﹁あの朝雪の鏡の時と同じに鼻、赤. 暗くなるにつれて、またしても乗客がガラスへ半ば透明に. 窓はスチイムの温気に目指 一式りはじめ、外を流れる野のほの. 女に仕立てて、現実から立ち退こうとしている 。待合室のガ な頬であった 。またしても島村にとっては、現賓といふもの. 寝るのだった 。あの夕景色の鏡の戯れであった 。 (略). それらの言葉はきれぎれに短いながら、女が精いっぱい. た。. ると、軍調な車輪の響きが、女の言葉に聞えはじめて来. ひも消え、虚しく地胞を運ばれて行くやうな放心状態に落ち. 島村はなにか非現賓的なものに乗って、時間や距離の思. との別れ際の色であった 。 ﹂(七 O) こうして島村は、駒子を 現実の世界のなかに置き去りにしていく 。 そのようにしない と、駒子を切り離すことができないからであろう。 伊藤整は、島村の思念の限界を、﹁美にその存在を賭して はいるが、それは抽象され、燃えあがり、変化する瞬間の美 であり、 その瞬間が過ぎると空白になるという性質にある﹂. 11ム. 00.

(18) 文化/第 25巻第 1号 / 2013 9 芸術 文学. ら 忘 れ ず に ゐ る も の だ っ た が 、 か う して遠ざかっていく今. に生きてゐるしるしで、彼は聞くのがつらかったほどだか 見ることができる 。. ││つまり﹁非現実﹂ への逃避ーーを破る作者の意志表明と. の島村には、旅愁を添へるに過ぎないやうな、もう遠い撃. 現実を非現実の世界に仮託して置き去りにしてきた島村に. 終わりから晩秋、そして冬へ向かって移行していくが、それ. 島村の温泉宿への三度目の訪問は、秋である 。自然は夏の. であった 。 ( 七 一). とっては、過酷な運命を生きる者たちの声は、旅人に郷愁を. くという巧みな物語構成をなす 。 これからの季節の移行を象. とパラレルをなして島村と駒子の関係も終罵へと移行してい. だが車中で出くわした五十過ぎの行商の男と赤い顔の娘. 徴するものとして、特に作者は鳴きしきる虫、蛾の氾濫と卵. 添える﹁遠い撃﹂のようにしか聞こえない 。. の、まるで長い旅を行く二人のような親密な会話の姿を見て. の産み付け、とんぼの群れの乱舞、銀色に咲き乱れる萱の. に涙をそそられる島村は、当然自分が置き去りにしてきた親. なかったのである 。 ﹂偶然乗り合わせた人間の別れの過酷さ. である 。 ﹁偶然乗り合はせただけの二人とは夢にも思ってゐ. るが、突然非現実の世界から過酷な現実に引き戻された瞬間. っと涙が出さうになって、われながらびっくり﹂(七二)す. たいっしょになろう﹂といって降りて行ったのを見て、﹁ふ. らの虫と植物であった。その典型を一つ、菅一の穂の描写に見. 特徴である 。温泉地に到着した島村を待っていたのは、これ. 日) を努霧させるのが、川端の自然描写の 口一葉の自然描写 (. 象付けていく 。肌に食い込む﹁季感﹂の描写を特徴とした樋. 移の聞に点描しながら、両者の生命の輝きと凋落を読者に印. 命体を選ぴ、それらの命の一瞬の輝きと凋落を人間の命の推. 穂、まっ赤に熟した柿の実というように、虫、植物という生. かや. いた島村は、途中の駅で男が﹁まあぢゃあ、御縁でもってま. しんだ女とその現実を振り返って見ずにはいられない 。 こう. ておこ、っ。. 島村が白萩の花と見間違える萱の描写はこのようである 。. して非現実と見える中に突如作者は現実をのぞかせ、その夢 を破るという過酷なことを島村と自らに課している 。 これは 安西や伊藤が言うような﹁生存への愛﹂ への﹁陶酔の拒絶﹂. 8 2.

(19) て銀色に光ってゐる 。 それは山に降りそそぐ秋の日光その. 白い花だった 。急傾斜の山腹の頂上近く、 一面に咲き乱れ. 島村が汽車から降りて員先に目についたのは、この山の. 子は語る 。菊勇も﹁弱い人だった﹂から男を何人も持ってい. で妾になるのを潔く思わないで、立ち去ることになったと駒. になる予定であったが、夢中になった男に逃げられて、それ. た。菊勇は菊村という小料理屋をこの 町で出させても らい妾. き比べて、反論する 。好かれたって、生涯連添ってくれるわ. もののやうで、ああと彼は感情を染められたのだった 。そ. しかし近くに見る萱の猛々しきは、遠い山に仰ぐ感傷の. けでもなし、捨てられるが落ちだということを、駒子は観念. たが、﹁好かれたって、なんですか﹂と駒子は、我が身に引. 花とはまるでちがってゐた 。大きい束はそれを背負ふ女達. している 。だから、会うや否や、駒子は島村に﹁あんた私の. れを白萩と思ったのだった 。. の姿をすっかり隠して、坂路の雨側の石崖にがさがさ鳴っ. 気 持 ち 分 る ?﹂ を 繰 り 返 し 、 二 月 十 四 日 の 鳥 追 い の 約 束 を. 鹿。あんたもう明日蹄んなさい﹂(八三)というのである 。. すっぽかして来なかった島村を詰り、﹁悲しいわ 。 私が馬. て行った 。還しい穏であった 。 (七四). 遠くに見る萱の穂を島村は白萩だと思い、それを﹁感傷の. 実への逃避の性癖は、現実(の過酷さ)によって、修正を強. ち主の島村の心が典型的に表れているが、同時に島村の非現. た。 ここには現実との直面を避けて非現実に逃れる性癖の持. ﹁ 美しい蛭の輪 ﹂のような 唇にキッスをされると、 ﹁いや、蹄. の未練を吐き出して見せ、島村を誘うふりをするが、例の. て、鳥追いの祭りにはここに来て待っていたといい、島村へ. たん田舎の港町に帰って、師匠の看病をしていたのをやめ. そう言いながら駒子は、﹁私愛つてない?﹂といい、. 要されてもいる 。菅 一 は 刈り取られて 後は屋根葺きに使われて. して﹂とこれを拒む 。それで﹁私愛つてない?﹂ への答えと. 花﹂として見たが、自の前で見るそれは﹁逗しい穂﹂であっ. 命を永らえていくという逗しい生命体であるが、これは駒子. して、島村は﹁相愛わらずだね﹂という。 つまり、十七でこ. との自己分裂を駒子は繰り返す 。. じている 。性的潔癖症とでもいえる信念である 。未練と信念. の姉さん格にあたる芸者菊勇の生きざまにも、そしてもちろ. が、年期があけて生まれた町へ帰る年増芸者の菊勇であっ. 島村が旅館に到着したとき、帳場に挨拶に見えていたの. こに来たときから駒子は自分が﹁ちっとも愛わらない﹂と信. つ. ん駒子のそれにも当てはまる 。. し ユ. 河村. 川端康成 『 雪園J読解試論. 、 qu o o.

(20) 文化/第 25巷第 1号 / 20l3 9 学 文. 芸術. 年に一度でいいからいらっしゃいね 。 私のここにいる聞は、. 島村が駒子の未練を感じてくれているのを 察 知すると、﹁一. だから、﹁あんたもう明日蹄んなさい﹂とい った直後に、. い捷毛をとぢ合はせたのだと、島村はもう知ってゐながら、. 黒 い眼を 薄 く聞いてゐると見えるのは濃 インを挿入する 。 一. してその成就のインデ ックスとして、作者はいつものリフレ. に、二人の交わりが、例によ って、無言の内に進行する 。そ. ﹂ ﹁片方が大きくなったの 。. 駒子はそっと掌を胸へやって、. の親しみが還って来る 。. 離れてゐてはとらへ難いものも、かうしてみると忽ちそ. この情交の後の 二人の会話は理解できるであろうか?. やはり近々とのぞきこんでみた 。 ﹂(八四). 一年に 一度、きっといらっしゃいね﹂というのである 。 駒子がこの温泉地に来てから五年が経ち、島村が来てから 三年 過 ぎ た が 、 そ の 間 三 度 来 る 度 毎 に 駒 子 の 境 遇 が 変 わ っ た。今は師匠の息子にも死なれ、看病していた師匠にも死な れ、師匠の 家を出て、葉子とも別れ、子どもの多い雑貨屋の 置屋に寝起きするようになった 。駒子の年期はまだ四年残つ ている 。 近づいてきた駒子を島村は抱き上げて、その温かさを味. ﹁ 馬鹿 。 その人の癖だね、. 一方ばかり 。 ﹂. わ っていたが、 轡 最が 急 に鳴き出すと、﹁ぃゃねえ﹂とい っ. 、 いやな人 。 ﹁ あら 。 いやだわ 。嘘 ﹂ と、駒子は 急 に愛. くつわむし. て、駒子は島村の膝から立ち上がる 。 これは、駅で 島村に別. った 。 これであったと島村は思ひ出した 。 ﹁両方平均につて、今度からそう言へ 。 ﹂. れるときに、烏が鳴くのを聞いたときと同様の駒子の反応で ある 。烏とか轡晶は、駒子の直感する凋落 ・死の予兆なので. ﹁平均に?平均につて 言 ふの?﹂と、駒子は柔かに顔を 寄 せた 。 (八四). あろう。 駅 で 聞 い た 烏 の 鳴 き 声 は 、 行 男 の 死 の 予 兆 で あ っ た。今回のこの 轡最の鳴き 声 は、身近に迫 った島村との別れ. 島村は駒子の胸の 一方が他方に比べて大きくなったのは愛撫. の予兆であろう。作者はこの 轡轟の鳴き 声 への駒子の反応に 続いてすぐ、こう 言う 。 ﹁北風が来て網戸の蛾が 一驚に飛ん. されたからだというのであるが、それを聞くと、﹁﹃嘘、いや. な人﹂ と、駒子は急に愛った﹂とある 。 これを聞いた 島村の. だ﹂と 。 このように作者は、命の終罵に拍車をかける 。 そのすぐあと、 ひと時の命の輝きと温かさを得るかのよう. -84-.

(21) 河村 川端康成 『 雪園』読解試論. ほうは、﹁これであったと思ひ出した﹂というが、このあた. いやな人﹂というこうしたものの言い方を指すと解釈でき. れであった﹂とは、駒子が急に変わったこと、 つまり、﹁嘘、. 2当日出片山口問 i p ω 当g F Z F o dg ωqF5mggM1一三出向。 ω 5BOBZBP.(5hF) となっている 。訳の解釈によると、﹁こ. 睦言を繰り返しながら、これを聞いていて飽きなかったので. 何か?﹁長いこと鳴いてゐた﹂というから、二人で長いこと. 鳴き声も何かの意味を付与されているものと思える 。それは. ﹁いや﹂な感じを抱いているのは述べた通りであるが、草食の. こと鳴いてゐた 。 (八五). る。筆者は、﹁これであった﹂ の﹁これ﹂とは、﹁こうしてみ. あろう。だから内湯から上がって来ると、駒子の声は﹁安心. りは難しい 。 サイデンステイツカ l訳では、このところは、. るとたちまちその親しみが還って来る﹂という場合の、﹁こ. しきった静かな撃でまた身上話をはじめ﹂ることができるの. 婚されたときに、﹁結婚て、そんな力があるかな﹂と島村が. 子が、前にしているからである 。それは駒子が浜松の男に求. の方の解釈を取りたい 。というのは、同じような言い方を駒. そんなこと分るの?﹂と不思議がる 。島村の知っている駒子. というやうなことはないだろう﹂というが、駒子は﹁ええ、. くなるというと、島村は、生理でも﹁お座敷へ出るのに困る. 駒子は自分の生理の話までして、それが正確に二日ずつ早. これも解釈が難しい 。駒子が烏の鳴き声や轡虫の鳴き 声 には. うしてみると﹂ のことで、それは触れてみることからの親し. であろ、っ。. 言ったのに対して駒子が、 ﹁いやらしい・:あんた、 いい加減. の生理の性質とは何か?それは駒子の芸者としての体型に起. ︿. さの復活に言及したものではないかと思ったが、ここでも訳. な人ね﹂(五一二)と言ったが、サイデンステイツカーはこれ. 少うし腰窄まりだった 。横に狭くて縦に厚い 。そのくせ島村. 因しているようだ 。島村の感想に、﹁嚢者などにありがちの. を 、 60ロ バ U N g t ω 守5m 句 ロ gq:問。己ザのロ O片 釦 ︿R 0P 。5 σ M 1 c c s。 ョ ・ 宏)と訳している 。. が遠く惹かれてくるやうな女であることなのは、哀れ深いも. 3(. この交わりに続く暮の鳴くという描写の意味は何か?. 体型は、つまり、子どもができにくい体型ということであろ. のがあった﹂(八五)とある 。﹁横に狭くて縦に 厚い﹂という この部屋は二階であるが、家のぐるりを墓が鳴いて廻つ. う。だが女としての感性がよいので、島村は通ってくる、そ. がま. た。 一匹ではなく、 二匹も三匹も歩いてゐるらしい 。長い. Fhd. o o.

(22) 25巻第 1号 /2013.9 文化/第 学 文. 芸術. わりで、避妊もしないで子どもができなかったのだと推測す. りこの温泉に駒子が来てから今日まで、駒子はその男との交. 間付き合っている一人の男のあることを初めて明かす 。 つま. もが出来ないのかしらね﹂といい、このとき十七歳から五年. 駒子もそれを知ってか知らずにか、﹁私のやうなのは子ど. の体型と性とのギャップに、島村は深い﹁哀れ﹂を感じる 。. て秋の明るい光景の点描である 。. 通って木魂しさうな撃で﹂葉子が歌う秋の歌、これらはすべ. におどり出てくる様子、そして秋の童謡を﹁悲しいほど澄み. 打っている葉子の姿、乾いた豆幹から小一旦が小粒の光のよう. 染色の花盛りの糸すすき、道端の日向に藁席を敷いて小豆を. な作りの家の軒端にたれた萱の簾、土坂の上に植えられた桑. ている姿は、作者には、﹁秋﹂そのものの景色であり、古風. る。 それは普通の交わりをしたことがないという意味ではな. いう意味か?ここでもサイデンステイツカ!の訳は参考にな. き身をゆるす気になれないのは、悲しい﹂というのは、どう. 駒子がその付き合っている人を﹁親切な人だのに、. 一度も生. なのはそれで分った﹂(八五)と思うのだが、それにしては、. られたもののやうに見える 。暮れるに先立って黒ずむ杉林の. 蛤ではなくて、﹁目の前の鯖蛤の群れは、なにかに追ひつめ. に飛び、帽子や人の手や眼鏡にさえ止まるのどかな夏の赤騎. 群れの遊泳に向けられている 。山案内書にあるような、無心. だが秋は明るさのみではない 。作者の眼は夕暮れの婿齢の. まめ がら. る島村は、だから(自分に対しても)﹁駒子の無知で無警戒. く、本気で自らを与える気になれないということのようであ. こうした秋の明暗の姿への繊細な川端の反応は、イギリス. 色にその 姿 を 消 さ れ ま い と あ せ っ て ゐ る も の の よ う に 見 え ﹂(八八)ここには冬の予兆の歌がある 。 る。. o ω 巳同 ZEB--ωZg己己ロ。仲間守 σ F O門司Z る。訳は、メ: ( 8 1 0吋)とわかりやすい。 が写り、秋の明るい日ざしが映えていることを川端は述べ、. ロ 第させる 。後者に は、収穫のブ・ ドウのうま酒に畑の畔道で眠. の﹁秋に寄せる﹂(斗。﹀ECB. 翌朝早く窓際に持ち出した駒子の鏡には、すでに紅葉の山 もう夏は終わったことを告げているのである 。季節の区切り. りこける酒神もいれば、丸々と肥え太った子羊の鳴き声に屠. の ロ マ ン 派 の 詩 人 ジ ョ ン ・ キ 1 ツ ﹁。﹃口問σωZ・回一 -AVω'∞ H NH) ト ( ∞NC) と い う オ l ド を 努. のみならず、人の生の区切りである 。島村は、駒子が帰ると. 殺による命の終罵の予兆も歌い込まれている 。. 西日を 受けて紅葉 している遠い山を眺めている 島村は、 春. 3H. 村に散歩に出るが、鏡のなかの秋は外の世界にも実在する 。 白壁の軒下で朱色の山袴をはいて、女の子がゴム鞠を突い. -86.

(23) 河村. 川端康成 『 雪園』読解試論. 関係においても述べておいた 。. ﹁ 女 ﹂を象徴するということについては、すでに﹁先己との. 定 さ れ 、 ﹁ 夢 ﹂ の 世 界 が 紡 が れ て い く の で あ る 。﹁山 ﹂が. 山のトポスが ︿﹁非現実的な魅力﹂ H ( 女の)人肌 ﹀として確. ちを助長する 。 このようにして、この小説のテ l マでもある. き、今朝帰 って行 ったばかりの駒子をすでに待ちわびる気持. 夢﹂として駒子のなつかしい思いの﹁人肌﹂へと連動してい. (八九)という 。そしてこの ﹁ 山 に誘はれる思ひ﹂は、﹁同じ. あったが、﹁それゆゑにまた非現賓的な魅力もあった﹂. (八九)山歩きは、無為徒食の 島 村には、﹁徒労の見本﹂で. ﹁今は秋の登山の季節であるから、山に心が誘はれて行く 。 ﹂. 新緑の燃える山を歩いた自分の足跡の残る山を思い出し、. 島村という 三者の間のわだかまりを 一挙に払拭してしまう、. 賓に静か﹂な﹁蕎麦の花 ﹂ (九六)であった 。駒子と葉子と. 線路向う﹂に見えた ﹁ 鮮か﹂で、 ﹁ 赤い室の上に咲き揃って. 弟を思う﹁純潔な愛情の木魂 ﹂と、﹁目隠しを取ったやうに、. が﹁吹き梯って行ってしま ﹂ い、あとに残ったのは、葉子の. と呼ぴ返す 。墓場で葉子と駒子が出会う気まずさを貨物列車. 子は例の ﹁ 悲しいほど美しい撃で﹂﹁佐一郎、っ、佐一郎、つ﹂. める葉子の弟が黒い貨車の扉から ﹁ 姉 さあん﹂と呼ぶと、葉. する途端、貨物列車が轟音を立ててそばを通った 。鉄道に勤. て、線路伝いに行くと 墓場に出る 。そこにいる葉子に挨拶を. 眠っている 墓参 り を め ぐ ってひと悶着ののち、杉林を抜け. 島村と駒子との間で、駒子の亡きいいなずけ行男と師匠の. こでは山の萱の穂は、﹁透明な傍さ﹂に変質したものとして. は秋空を飛んでゐる透明な惨さのやうであった 。﹂(九二 乙 こ. って、肢しい銀色に揺れてゐた 。肱しい色と 言 っても、それ. 出ると、﹁向岸の急傾斜の山腹には、菅一 の穂が一面に咲き揃. 村を待って、忍んできた裏庭に誘い出す 。畑に沿って川岸に. て、女中に内緒で押し入れに隠れ、湯に行って帰って来る島. と い う 謎 の よ う な 言 葉 で あ る 。 この解釈はすでにおこなっ. ﹁ 知らん 。知らん 。頭痛い 。頭痛い 。ああ、難儀だわ、難儀 ﹂. ら ってやって来たときの物 言 いと同じであることがわかる 。. と 言 つてのけぞ って転がった 。 この物言いは、前に酔っぱ. えん 。 ふう、苦しい ﹂といい、また﹁知らん 。もう知らん﹂. て来たが、 ひどく酔っていた 。﹁ここへ来る道、見えん 。見. 同じ日の夜中の三時に、約束通り、駒子は髪を洗いにやっ. 何と見事な動の列車と静の風景の対照的描出であろう!. 島村の眼には映じている点に注音山したい 。秋は 一段とその. た。まるで神がかりに遭った亙女のような言い草であるが、. そ の 夜 駒 子 は 来 な い が 、 翌 朝 六 時 半 に 裏 山 か ら や って来. ﹁惨さ﹂を強めてくる 。. i 円. o o.

(24) 文化/第 25巷第 1号 / 2013 9 芸術 文学. かんふう き ゃく. が、観楓客の歓迎のための飾り立てに、門口で紅葉の枝にあ. けびの実の付いた蔓を結び付けているのを見て、島村は﹁あ. 一途に島村を求める気持ちの表れである。 火のように熱い駒子のからだに頭を載っけた島村は、﹁ぢ. けぴの冷たい賓を握ってみながら、ふと帳場の方を見ると、. 島村は駒子の彼に対する﹁美しい徒勢﹂のような愛情を哀. かに生きてゐる思い﹂がして、﹁駒子の激しい呼吸につれて、. にはあることを示唆する文句である。だがこの ﹁悔恨﹂と. れに思いながらも、自分がそれに応えてやれないので、自ら. 葉子が燈端に坐ってゐた 。 ﹂(一O 二)何気ない偶然の ように. ﹁復讐一己は、川端が亡き母から受けるような、﹁なつかし﹂さ. をも哀れむが、﹁そのやうなありさまを無心に刺し透す光に. 現賓といふものが停はって来た 。それはなつかしい悔恨に似. と﹁安らか﹂さが付随している点も見逃すことができない 。. 似た目が、葉子にありさうな気がして、島村はこの女にも惹. 書いてあるが、そうではない 。葉子はまさに﹁冷たいあけぴ. この駒子への﹁悔恨﹂と﹁復讐﹂の気持ちは、繰り返し島. かれるのだった 。 )あけぴの実は女のセックスのシ ﹂(一O二一. て、ただもう安らかになにかの復讐を待つ心のやうであっ. 村を襲う 。それはこの後葉子が駒子の代理で島村を訪れると. ンボルでもあるが、葉子のそれは﹁冷たい﹂もので、駒子の. の賓﹂そのものだからである 。葉子は人手が足りないので、. きに、葉子と駆け落ちでもすれば、﹁駒子への激しい謝罪﹂. ﹁熱い﹂(九九)それとはまさに対照的であるから、非現実を. た﹂(九九)とある 。非現実への逃避を続けていることへの. (一O九)になるのでは、また﹁なにかしら刑罰﹂(一 O九). 好む島村は、対照的な二つのものが対立していて、しかも結. 勝手働きに来ていた 。. を受けることになるのではと思う場面があるが、﹁謝罪﹂と. び付いている様を好まずにはいられない 。島村は非現実を好. ﹁悔恨﹂とそのことへの﹁復讐こを受けることの欲求が島村. いい﹁刑罰﹂というのは、まさに﹁悔恨﹂と﹁復讐﹂とパラ. む審美主義者である 。. 察の視線は、﹁見最どもの悶死するありさま﹂(一 O五)にも. と対比して己を観察し、﹁自分を冷笑する﹂が、そうした観. りのある島村は、肉を売 って 生きている現実世界の住人駒子. 実態を見ない翻訳という仕事自体が﹁夢幻の世界﹂に関わ. レルをなす島村の内面の表明であることが理解できよう 。 朝の七時と夜中の三時に二度も、忙しい仕事の聞を盗んで. ニ. くる駒子の思い入れに、﹁島村はただならぬもの﹂(一 O を感じないではいられない 。. ﹁来週は紅葉でいそがしい﹂と言って駒子は帰って行った. -88-.

参照

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