時間論からみたプロチノスの哲学
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(2) . 第18巻 第2号. 北海道教育大学紀要第(一部A). 昭和43年3月. 時 間 論 か ら み た プロ チノ ス の 哲 学. 阿. 部. 秀. 男. 北海道教育大学岩見沢分校哲学研究室 inus i losophy of P1 Hideo ABE : The ph ot Vi ime theory ewed from t プラ ト ン哲 学 の 完 成 者 で ある プロ チ ノ ス は グ ノ ー シ ス 主 義 者 の バ レ ンチ ノ ス, キリ ス ト教 徒 ) に な り な が ら き わ め て 宗 教 色 の 濃 厚 な ヘ レニ ズ ム 期 思 想 を 代 表 して いる, の オリ ゲネ ス と 三 巴1 2 ) ギ リ シ ャ 哲 学 と キリ ス プ ロチ ノ ス と オリ ゲ ネ ス と は 共 に 師 ア ン モ ニ オ ス サ ッ カ ス の 教 え を 受 け,. ) ことから しても両者の思想に相互影響 ト教と互いに方向を異に しながらも個人的な交渉があった3 を想像することは可能である. グノーシス主義に対 して思想的なかかわりあいがあ ったことは 『エ ンネ ア デ ス』 の 中 の 『グ ノ ー シ ス 主 義 者 た ち へ の 反 論』 に よ っ て 知 ら れる と こ ろ で あ る. こ の 反 論 で 彼 は 痛 烈 に グ ノ ー シ ス を 批 判 しそ れ と 対 決 して は いる の で あ る が, プ ロ チ ノ ス の 中 に も 多 分 に グ ノー シス 的 思 想 が 混入 して いる こ とは 確 か で H, ヨ ー ナス は プ ロ チ ノ ス の 思 想 を グ ノ ー シ ス 主 義 の. ). おそらくこれら三者の思想が相互に影響 しながら世界や神そ して人間 変形とみている程である4 について生ずるあらたな問題を思索 したであろう. この ・論はまず 『エ ソネアデス』 の時間論を手 懸り に しつ つ とり わ け プ ロ チ ノ ス と グ ノ ー シ ス の 思 想 の 連 関 を 考 える こ と を ね ら い と す る. そ の 際. 最近のグノーシス主義批判者と して筆者に関心深い C, ト レモ ンタ ソ 及 び こ の 人 の 思 想 の 一 方 の 支 柱 とな っ て いる ベ ル グ ソ ンの 時 間 分 析 か ら出 発 した い と 思 う. ベ ル グ ソ ンは 古 典 哲 学 の 特 徴 を き わ め て 端 的 に 要 約 して 言 っ て いる. 「プ ラ ト ンに 始 っ て プロ チ - e mo ノス に 到る こ の 全 哲 学 は 一 つ の 原 理 の 展 開 で あ り,こ の 原 理 を 我 々 は こ う 言 お う 《 動 く も の l i ’ on immuabl uvant より動かざるも の 1 e の 中 に よ り 以 上 の も の が あ り, 人 は 単 な る 減 少 diminut 5 ) ’ tabl e へ と 移る の で ある」 . 不 動 な も の が table から不安定なもの 1ins es に よ っ て 不 動な も の l. 減少によ って不安定なものになる ということは, 時間的なものが永遠的なる ものの堕落. degradat -. ) で ある こ と に ほ か な ら な い ベ ル グ ソ ン が プ ラ ト ニ ズ ム に 負 う と こ ろ は 大 き く, プ ロ チ ノ ス, ion 6 . 力 バ ラ, ス ピノ ー ザ, ヘ ー ゲ ル, シ ェリ ン グ を 通 じ て み ら れる 共 通 の 主題, た と え ば 精 神 か ら 物 質. への転倒 inversion 又それを裏返 した物質から精神への転向 conversion は彼自身の主要な テーマ で も ある. が C, ト レモ ンタ ン に 従 え ば 彼 は 他 方 で は ア リ ス ト テ レス や ト マ ス の レア リ ス ム に そ い. つつ時間 と生成, 時間と永遠, 現 実性と可能性等に関 してプラトニ ズムに代表される古典哲学のす ) す な わ ち 「す べ て が い っ き よ に 与 え ら れ て′しま わ な べて の 動 き を 根 こ そ ぎ 顛 倒 さ せ た の で ある7 . 8 ) いの は な ぜ か」 と ベ ル グ ソ ン が 問 う 時,彼 は ある 意 味 で プラ ト ニ ズ ム の 問 題 点 を 本 質 的 に つ い て い. るとも言える. 世界が初めから完全な形で与えられて しま っている なら, 時間は無意味となるであ ろう. それでは世界はそもそ も時間を必要と しなか ったはずだからである. しか し事実の示すとこ ろに従えば, 世界にとり時間は本質的なものである. 世界 が時間を必要と しなくてはならないのは, ) 今まで予見されなか った真新 しいものが絶えず生じているからである9 , 時間は絶え間なく新らた 0 ) ベ ル グ ソ ンか ら みて プ ラ,ト ニ ズム は こ の 点 を 決 定 的 に 見 落 し な も の を創 造 し続 ける 根 源 で あ り1 , て いる.. パルメニデー ス以降形而 上学の最も本質的な相異-イデアリ ズムとリアリ ズム, 姿を変えれば哲 - 49 -.
(3) . 阿. 部. 秀. 男. 学と宗教との相異をつ いて いる意味でベルグソンのこの指摘は興味深い. 哲学史をグノーシス主義 (注 目 す べ き こ と に プ ラ ト ニ ズム を も 含 む と さ れる) と ヘ ブラ イ ズム の 対 決 と みる ト レモ ンタ ン. は ベルグソンのこの 問題意識を明らかに継承 している. トレモソタ ンに従えば時間を積極的なもの とみないのは創造の意 義-常 に新らたなものが生ずる という-を認めようと しな いところに原因が ある. ス ピノー ザは創造の 観念を不条理なものとみな したと言われるが創造は最も日常的な 最も , 持続的な経験的事実である. 創造の事実を肯定することはそれ故創造行為を内に包む時間を肯定す る こ と で も ある. 完 結 して しま っ た ま ま で 与 え ら れ た の で は な い と い う こ と が す な わ ち 神 に よ る , 1 )と い う こ と が こ の 場 合 極 め て 重 要 な 創世は依然と して続き, 我々はま だ第7 日 に は 到 っ て いな い1 こ と で ある. プ ラ ト ニ ズ ム が 時 間 の 意 義 をま っ た く 見 い だ して いな い か ど う か は と も か く と して プ ロ チ ノ ス , 1 2 が時間は下降 した katebe ,とか堕落 した exepese,) と 考 え て い る こ と は 事 実 で ある. 時 間 が 生 成 3 )の 示 す と こ ろ で あ り の 原 理 だ け でな く 破 壊 の 原 理 で も ある こ と は 遠 く ア ナ ク シ マ ソ ドロ ス の 断 片1 , アリ ス トテ レス は 時 間 の 生 成 作 用 よ り は 破 壊 作 用 に 注 目 して いる (phthoras gar aitios kath ’hauton ma 1 l lon ho khronos ,9). 時 間 の こ の 下 降 原 理 を プラ ト ニ ズ ム 特 有 の も の と して こ と さ ら. ヘ ブ ライ ズム に 対 立 さ せ な く て はな らな い の はな ぜ で あ ろ う か. 6 ) だ が ト レモ ンタ ン ヘ ブライ 人 も 又, 人 間 が 塵 に 帰る と い う 破 滅 を知 らな か っ た 訳 け で は な い1 .. に従えばギリシャ人とヘブライ人とではこの下降の理解は本質的に異る. 何故ならギリ シャ人にと って下降は精神から物質への転倒を意味 しているのに, ヘブライ人にはそう した二 元論は無縁だか ら で あ る. ヘ ブラ イ 人 の 塵 ぐaphar はギリシャ人の質料 hyle と は 本 質 的 に 異る も の で あ り 塵 に , 帰る ということはも っぱら人間の罪の傾向性を示す概念とな っているのであ って, いかなる 意味で も時間の価値にかかわるものではない. ここからトレモンタンは大胆にも時間理解の極端な対立を ひきだそうとする. すなわちギリシャ人は時間化を分解 desagregation と 崩 解 decomposition と して, つ ま る と こ ろ 堕 落 chute と して 理 解 する の に 対 し, ヘ ブライ 人 は こ れ を 繁 殖 fecondi te G )そ の ダ イ ナ ミ ク な 働 き を 神 に よる 創 造 bara と呼ぶ 神が や再生 anagenきse と して 理 解 しI ッ .. 7 」 原因となる創造に 対 応 し て ギ リシャ人は人間的な制作を考えている1 . 時間は永遠の影. ai6nia. 8 1 ) i eik6n s , で あ り 模 倣 mimas , と 理 解 さ れる の も 制 作 的 な 意 識 の 投 影 で あろ う か.ヘ ブ ラ イ 人 に と っ 9 J も の で あ る の に ギリ シ ャ 人 に と て は 煩 い とな る つ ま t6bhl ‐ て創造ははなはだ善い hinnさ りヘ っ . 2 0 ) リ シ ャ の 上 が 下 傾 形而 学 ブライ 思 想 は ギ 降 す る 斜 を 上 昇 する の だ と も 言 え る . ト レモ ンタ ン が こ の よ う に ヘ ブライ 人 と ギリ シ ャ 人 の 時間 把 握 の 決 定 的 な 相 異 を 強 調 する の は, プ ラ ト ニ ズム の 中 に ) 精 神 と物 質 の 二 元 論 を た てる 1 彼 の 最 も 警 戒 する グ ノ ← シ ス 主義 が 秘 ん で いる と みる か ら で あ る2 .. グノ←シス主義にとって時間化は精神から物質への転落を意味する. 人間の現実を極限にまで時間 化された,つまり物質化されたものとみなすなら,人間の回復はこの転 落の裏返 しである, 物質から 精神への飛期によ って初めて可能となるであろう. プラトニ ズムが精神と物 質という二分法を採る ことは知 られている通りであり, そのかぎりでは霊と肉を峻別する グノーシス主義と同一思想だと 言 っ て も よ い だろ う し, グ ノ ← シ ス の 禁 欲 主 義 と プ ロ チ ノ ス の カ タ ル シ ス は 身 体 - 物 質 へ の 蔑 視,. 精神への憧帳のゆえに共通するものを有 している とも考えられる. しか し人 間は身体を 離 れ れ ば それだけで浄化されて しまうようなものであろうか. 物的な世界を超出することが人間の真の回復 をもたらすのであろうか. トレモンタ ンからみればこう した二 元論は人間の最も本質的, 内的な問 2 ) ト的な 自然的なことがらに摩替えて しまうものである2 題をタ , 身体や物質, 総じてこの世的なもの の特性はその時間性にあるゆえ, 禁欲や浄化は時間からの超出をも意味する。 逆に言えば時間をど のように位 置づけるかによ って人間のとらえ方も根本的に異ってくるであろう。 そこで我々はブロ ー 50 -.
(4) . 時間論からみたプロチノスの哲学 チ ノ ス が 時 間 を どの よ う に 評 価 して いる の か, ト レモ ンタ ソの みる よ う に そ の 評 価 は 否 定 的 な 内 容 しか 持 た な いの で ある か, こ う した 問 題 に つ い て 考 え て み た い。 プ ロ チ ノ ス が 時 間 に つ い て 考 え て いる 時は ピタ ゴ ラ ス 学 派, ス トア 派, ペ リ パ ト ス 学 派, そ 3 ) そ れ ら の 考 え 方 は 大 別 して れ に エ ピク ロ ス 学 派 あ た り が さ しあ た っ て 問 題 にな っ た よ う で ある2 。 , 「, 時間 khronos, を 運 動 kinごsi s , と み る もの 及び , と みる も の, 2, 動くも の to kindmenon ニ. i 3, 運 動 の ある も の kinきse6s t , (こ れ に は 例 え ば 運 動 の 延 長 diastema 尺 度 metron, ある い thmos は 数 ari , な ど が 含ま れる) の る 種 類 で あ る. プ ロ チ ノ ス は こ れ ら の 諸 説 を こ と ご と く 拒 け て いる. 我々 は プ ロ チ ノ ス が そ の 批 判 の 中で 時 間 khronos と 空 間 ある い は 場 所 topos , との 相 異. には っきり気づいていることを指摘 しておく以外に詳 しく検討する必要はないであろう. 時間を何 らかの意味で運動と同 一視するのは時間の原 因 と 条 件 と を 混 同するからだとプロチノスは考え 1 6thei る. すな わ ち, な る 程 時 間 は 運 動に よ っ て 示 さ れ た dさ s , の ではある が そ れに よ って 生 れた 2 5 ) s gennきthei , の で はな い . こ の 混 同 は 又 時間 を 単 な る 現 象 に ま で 引 き 下 げる. そ の 極 論 が 多 分 グ 6 )も の で あ て 彼 ら は 時 間 に 実 体 hypoS i tas ノ ー シ ス 派 の も の と 思 わ れる2 s s っ , と 存 在 hyparxi ,を 7 時間を実体概念と してとらえることには非常に大きな 問題がある と し 認 め て いな いよ うで ある2. 。. 9 8 )な も の すな わ ち 極 め て 消 極 的 否 定 的 な も の と みる ) そ れ を 単 に 空 虚 の よ うな 非 物材 」的2 て も2 , ,, ,. 立場に対 してプロチノスは時間 をま ずより積極的, 肯定的なものと して位置づけようと している. 時間の原理を自然の事象に求める ペリ パ トス学派と, 時間に実 体性を認めないグノーシス派との両 者はそれ故プロチノスの 立場からみれば相互に近いものとみられる. では時間の実体性の根 拠はどこにあるのだろうか。 自然の事象を超えた 一 体どこに時間の原理を 求める べきなのであろうか。 そ して時間は何故現われ生じたのであるか, 「まず過去を生み, 過去 と一諸に未来を必要とする以前, 時間は存在の中に安らぎまた時間ではなく, 存在の中で時間も静 0 ) 〕 は 寂を保っていた。 ところが好奇心に充ちた本性 physis polyplagm6n, 〔即 ち 精 神 psykha3 自分を支配 し自 立せ ん と して arkhein hautきs bdlomenas kai einai hautきs , 現 在 〔の 自 分〕 よ り多くのもの を求めんと し, この本性が一方で動きそれにつれて時間も動いたのだ。〔すなわち〕同 じものに留らずどん どん新らたな, 常に未来へと進んでゆき, いくぶん歩んだところで 永遠の影 ik6n, で ある 時間 を 作 っ た. な ぜな ら 精 神 の 力 dynami s a1onos e ,は ,じ っ と して いる も の で は な く, か しこ で観 ら れる も の を 常に ほ か の と こ ろ へ 移 す こ と を 望 み 一 切 が 凝 縮 したま ま athroon で ikos 〕 自 分 の とこ ろ に 留る こ と を 欲 しな か っ た か ら で ある。 丁 度 種 子 に 含ま れ た 生 命 原 理〔spermat l i t6n, 思 う に 多 へ と 出 て 行 き, そ の 多 を〔自 分 t logos , が じ っ と して いる 種 子 か ら 自分を 拡げ exe. を〕 分割することによ って表わ し , 自分の中に単一性を保つかわりその 単 一 性 を自分の外で費 し dapan6n よ り 弱 いも の へ と 進 ん で 行 く よ う に 精 神 の 力 も か の 知 的 な コ ス モ ス に な ら っ て こ の 感 性 的 な コ ス モ ス をつ く る の だ が, こ の コ ス モ ス は か の も の と 似 た, か の コ ス モ ス の 影 た ら ん と 望 む 運 動 を する の で ある。 そ こ で 精 神 は 永遠 の 代 り に 時 間 をつ く り ま ず 自 ら を 時 間 化 した. ekhron6sen,. のである. 更に生じたものをも時間 に従わせ, 生じたものが進んで行くあらゆる道を時間の中に包 み こ め 生 じた も の す べ て が 時 間 の 中 に在 る よ う に した の だ。 な ぜな ら 精 神 の 中 で 動 く コ ス モ ス は -. 精神以外に コスモスの占めるべき場所はないゆえ-精神に属する 時間の中でも動くからである.〔精 神 は〕 自分 の 活 動 energeia , を 次々 に連 続 的 に 展開 させ な が らその 活 動 の 力 で新 ら た なも の を 生 ん で き た の で あ り, 以 前に は 存 在 しな い も の to me proteron on, が 新 ら た に な っ た 思 考 〔の 働 き〕 と 共に 進 ん で き た の で ある, な ぜ な ら こ の 思 考 は 〔前 に は〕 働 い て い な く, 今 の 生 命 は そ れ 以. 前の生命に似ていなか ったからである。 生命が新ら しくなる と同時にその新ら しい生命は新ら しい - 51 -.
(5) . 阿. 部. 秀. 男. s 時間を占めたのである, それで生命の分散 diastasi , が 時 間 を 占 め て き た し, そ の 絶 え ざる 進 行 が不断の時間を占め, すぎさった生命がすぎさった時間を占有するのである. だから時間は次々 に. 生 bios, を 変 える 運 動 を す る 精 神 の 生 命. dz66 , だ と言 う な ら 何 か 有 益 な こ と を 言 っ て いる の で は. 1 ) な い だろ う か」3 .. このように時間が精神の生命であり, 起源を精神に持つ ということは一面では時間が単なる 自然 現象にとどま らずその実体的裏づけを持つ 客体的なものであることを意味する と同時に他面では精 神の意志 baleusi s , に か か わる よ う に, 時 間 が 主 体 的 な も の で も ある こ と を 意 味 する. 客 体 的 な 原 理であると同時に主体的な原理でもある, このことによ って問題は一層複雑になる. 時間の問題は おのずと精神の問題 とならざるをえない, ところで当面我々の課題である 時間の位置づけは, まず 精神からの時間の誕生の受けとめ方にあるだろう. 結 論 は あ る意味でプロチノスの記述の仕方に すでに与えられているとも言える. 彼はここで自分が語ることを止めて 時 間 そ の もの に 語らせ る 2 )で も み ら れ る よ う に 論 理 の 制 約 を legoid’ an peri hauta h6de p6s ), こ の 手 法 は 他 の と こ ろ3 ( , 超えたいわば神話に託 した記述であり, 事柄の本質がロ ゴス化されない面を持 つことの表明にほか ならな い。時間の誕生はまず神秘にみちている,だが可能な範囲で分析してみるなら否定的な面と肯 i eik6n, 自 己 の 消 費 dapanan, 分 割 mer smos i h i i st ai s 生 命 の 分 散diastas , と い っ た 表 現 は い づ れ も 時 間 化 の 消 極 性 を 示 すも , 永 遠 の 模 倣 m me 活 動力 e nergeia, あ る い は 生 命 dz6さ s の であ る のに対 し精神の力 dynami ,と い っ た 表 現 は 積 極 ,. 定的な面とが同時にみられる。 すなわち永遠の影. 的な印象を与える. とくに時間を spermatikos logos, に た と え そ の 働 き を 絶 え ず 新 ら た な も の を 生 み だ す 原 理 と み て い る と こ ろ な ど は ベ ル グソ ンや ト レモ ソタ ソの 言 う 創 造 性 を さ え 想 わ せ る. 上 くり に引用 した 文 中 に しば しば 出 る heteron, を 私 は 新 た ら しい と 訳 して み た の も 単 に 同 じ も の の.. 返しではな い働きをこの言葉 が示 していると考えたためである. 以前には存在 しないもの to me i tt6n haut on, 豊 か にな る 働 き を な す 時 間 は proteron on, が生れ る。 こ の 自 己 を 展 開 して exel te の 原 理 そ の も の で あ ろ う. だ が 繁 殖 は 分 散, 消 費 と 分 ち が た く 正 に ト レ モ ンタ ソの 言 う fecondi. 結びあ っ て い る(ek spermatos hきsykh日 exelitt6n,hauton. ho logos diexodon ei s polu,h6s ’ h l il l haut6 uk el 1 haut6 to ロ ー6 kai anth henos el oietai , poiei enp anidz6n to po u t6 mLers h き t t k hen dapan6n e・ i i ) し時間化の積 e e r s m os as en s on p roesn つまり繁殖は分散と表裏をな. , 極性は消極性ともな っている。 これは一 体どう理解すべきであろうか. ま ず我々の第一に留意しな くてはならな いことはこの場合時間化を肯定するか否定するかの両極端の立場に分け, 一元論と二 元 論 に 分 類 しよ う と す る ベ ル グソ ソ ー ト レモ ソタ ンの 視 点 か ら は と ら え ら れな い よ うな 要 素 が プ ロ. チノス の中にみられる ということである. 二元論にとり悪とは精神から物質への 転落を意味すると いわれるが一概に悪を物質化, 時間化とみな しているとは言えないような傾向がすでに ここでみら れるという ことである。 人間の回復は時間性の超越, 身体からの難在によ って可能になるものでは な さ そ う で あ る.. 三. 3 ) 3 i igke l t i t os 時間 の 否 定 化 を 徹 底 さ せ る な ら, ○. ク ル マ ンの みる よ う に 永 遠 を 無 時 間 性 Ze. としてとらえざるを得なくなるのは必至である. 丁度精神が物質と二元をなすように永遠と時間は 対立 し永遠は 時間を絶対的に超越する. 時間から永遠へと上昇 して行くにつれ時間は永遠の中に消 4 )とな る だろ う そ の 時 人 間 に と っ て 時 滅 し去 り, い わ ば あ っ て もな く と も かま わ な い よ う な も の3 .. 間は煩いとな りこれを極度に憎む結果となる. 時間の蔑視は時間的なものに対する責任を放棄させ る. 永遠が時間と異質な, 時間を排除するものなら人間に開かれた道はただ時間的な一切のものか ら の 離 在 で しか あ り え ず こ れ が グ ノ ー シ ス 主 義 の 基 本 的 な 主 張 で あ っ た こ と は プ ロ チ ノ ス の 指 摘 す. - 52 -.
(6) . 時間論からみたプロチノスの哲僚. るところであり, この厭世 観は本質的に宿命論と結びついて行く. 時間が, とりわけ未来が永遠の 中にすでに吸収され先取されてしま っているところでは人間の自由はいかなる意味をもちうるの で あろうか. グノーシスにとって人間は初めからいかなるものであるかが決定づけられ, 霊的な人間 5 ) 人間が時間的存在 un etre tempo- とそうでない人間とは運命的にあらか じめ選別されている3 . 1 といわれるのは, 人間は初めから完成されたもの, 決められたものでなく己れの運命を切り開 r e 6 7 ’ )な の で あ る ベ ル グ i いて行く責任をもつからである3 on3 . つまり時間は不確定性 ind6terminat . ソ ンや ト レモ ソタ ソの みる と ころ で は プロ チ ノ ス も 又 こ の 不 確 定 性 を 認 め ず, 未 来 が 永 遠 の 中 に あ. らか じめ含まれてしま っているとみな しそれ故創造と自由を理解しないと考えられている. 我々は この点をもう少 し検討してみたい. ヘ レニ ズム 期 にな っ て 星 辰 崇 拝 が 近 東 か ら ロ ー マ に 伝 わ り, 運命 信仰 とな っ て 特 に ス ト ア 派 に 受. 3 8 )とセネカが述べている時 人間の け入れられた.「君が何を喜び, 泣くべきかは決められている」 , なすべきことがことごとく決定されてしま った運命論が如実に表われている. プロチ ノスの時代に 9 ). プ この運命信仰がいかに盛んであったか, 同時代に書かれた多くの 『運命論』 が物語っている3 ロチノス自身もごく初期の著作 Periheimarmenきs , で こ の 問 題 を とり あ つ か っ て い る.人 間 の 未 来は決定されてしま っているのであるか. 彼の解答はいたって明確である。 凡そ人間の精神に属す ること, つまり人間の内面に関するものは何一つ決定されてはいない. 誰が文法学者になり誰が幾 0 ) 何学者になるかな どは勿論定められたものではない4 . 我々の行為一切は我々にゆだねられたもの である, も しそうでなければ我々の自由 to eph’ hamin, は 実 質 の と も な わ な い名 目 onoma, に ) 思う に Peri he imarmenas す ぎな いの もの とな っ て しま う で あ ろ う41 。 ,の ね ら い は 人 間 の 内 面 の 自律性, 非決定性の主張にある. 「外的なものによ って変った精神がいわば盲目的な 衝動に翻弄さ i れて何かをな したり熱望する時その行為や状態は自由意志による hekds os ,とは言えない. 精神が 自らより邪悪となり正しい指導的行動原理 horma ,に 従 わ な い 時 も 同 じ で あ る. 純 粋 に して 泰 然た る 己 れ 固 有の ロ ゴ ス logos , を 指 導 原 理 hきgem6n, と して 熱 望 す る 時 こ の 衝 動 の み が 我 々 の 自 由. になる自発的なものであり, 外からではなく純粋な精神から, 指導的にして権威ある第一原理から 2 ) 」 プ ロ チ ノ ス に と って 運 命 が 問 題 に な る 内 的 に 来 る endothen, の が 我 々 自 身 の 仕 事 な の で あ る4. としてもそれはいかなる意味でも人間の内面 にま で及ぶものではない. この内的な原理のゆえに人 間各自の責任が問われる. しか しこの内的な原理は善や美, 総じて神的な永遠の実在に根拠を有するものであり人間は本性 4 3 )悪 は も ぱ ら 外 か ら 附 け 加 わ た も の prosthきkき に す ぎな い4 4 )と し 的に physei っ っ , 神 的 で あ り, , 一種の決定論と言えないだろうか たらこれもやはり 。 この場合人間はただ消極的に自らを保 ってい. るだけで充分ではないだろうか. しか し 『エ ンネアデス』 で見られるものは外からの運命と内から の自由との間に 立つ, 身体と精神との間を上下する緊張である. 「徳から昇れば美と善が 〔現われ t る〕 様に, 悪徳から降りると悪そのもの to kakon au o , が 〔現われる〕. 悪徳から出発する場合 悪そのものの観想は-これがどのようなものであれ- 〔悪を〕 観る人に生じ, 悪しき者とな る人は 悪 そ の も の を 分 有 す る の で あ る, と い う の は 悪 しき 者 と な る 人 はま っ た く 異 質な と こ ろ ho tさs anomoiotatos ,に 落 ち そ こ で 異 質 な も の に 沈 み暗 き どろ の 中 に 落 ち 込 む だろ う か ら で あ る. ,topos. 又も し精神が悪徳の極みにまで なくより劣悪な 異質の本性. i eis pante16 k ak an , 行くなら悪徳を. 有 するなどというものでは. 5 ) hetera phys 6n, に 変 っ て しま う か ら で あ る4 i 1 s hさ khei 」. 勿 論 プ ロ. 4 6 ) 6bさmenos 1 チ ノ ス は 人 間 が 汚 れ き っ て い る le , と は 考 え な い が,. 人 間 がいわ ば人 間 でな くな り. うる程劣悪になること, そしてそれを待ちうけている無気味な無 を 知 ら ないのではない. その無 に 落ち込まないためには絶えず善なるもの美なるものへと目を向け続けなくてはならな い こ と を - 53 一.
(7) . 阿. 部. 秀. 男. 知ってし るのだと言える. たとえ神的なものまで昇りつめ神的なものの中に安 ら ぎ を 得たとして ‐ 7 ) 目を上 も 次 の 瞬 間には再びそこから転落す,る不安 aporein,を こ の 神 秘 家 も 体 験 して い る4 . 8 ) 人 h き i 方へと向 ける こ と epstrop , - 転 向 - は プ ロ チ ノ ス の 哲 学 の 本 質 的 な テ ÷ マ と 考 え て よ い4 。 間, ギリ シャ的表現では精神が本性的に神的であると言われるのもむ しろ神 的なものが精神の志向 , の対象とならざる をえず, それゆえ神的なものが精神の存在と自由の根拠である という意味に 於い てである. 神的なものに ,目を向ける時にのみ精神は自己である. 神的なものから目をそらす時精神 4 9 } は 無 とな る。 epistrpohさ, は神からはる か に 離 れ た も の to porr6 aphi stamenos , で あ る人間. が再び自己を取りも どすための道である。 こうみるならプロチノスに とって人間は己れの運命を切 り 開 いて 行 く べ き も の で ある. プ ロ チ ノ ス が そ の 本 性 に 魅 せ ら れ た tas phySe6s agastheis, 永遠 5 0 ′に して 神 的 な も の で あ り 美 to kalon と 真 理 alきtheiルーで も ある5 1 ) 人間の は神聖 semnon, , . , 、. 向うべき至高の神殿である. 美と真理が我々の眼前に姿を現わすには我々自らが美となり真となら なくてはならない以上, 美と真理とは我々の広義の実践に深くかかわ っている と言えよう. プロチ ノスが精神と物質というグノー シス的二元論をどこま で超えているかは今後の 宿題にしだいと思う が,,時間が人間の自由の根拠 として永遠にかかわる という以上の結論から永遠と時間の関係は精神 と物質との関係とは 同一視しがたいとい ってよい. 人間は本来的に知的なものであり物質的要素は 単なる附着物にすぎないというオブテミ ズムというより, 人間は精神的なものから物質的なものに 放 り 出 さ れて いる と い う ペ シミ ズ ム が プ ロ チ ノ ス に 一 層 近 いよ う に 考 え ら れる. 人 間 の こ の 分 裂 か. ら .の回復が困難であり, 人間が絶えず再び分裂へと陥 込む危険にさらされている事実をこそ問題に して行くならテ←マは人間の回復への決断の問題に しぼられ, 精神と物質という本来自然的な二元 論は内的な主体的な問題に変質して行く .のではないだろうか, 人間が時間化された世界の中に存在 していることは, 人間が永遠への転向の責任を問われている して完成されたまま ではありえなか づた。永遠の中 ことに外ならない.しか し今見たように転向は決′ に安らぎを見い出 した時すでに再び時間的次元に 向って精神は下降する‐ .精神の困 . この内的体験, 苦が cosmology と 結 び つ い て 一 つ の 形 而 上 学 的 問 題 と な る 時, 一 切 の も の が どう して 完 全 な 状 態 に 留ま る こ と がな い の か, 永 遠 は ど う して 永 遠 の ま ま に 留ま り えな い の か, 精 神 は 一 体 どう して 下 降 しな く て は な ら な い の か と い う 間 と な る.パ ル メ ニ デ ー ス,ヘ ラ ク レイ ト ス 以 来 の 根 本 主 題 は プ ロ. チノスに到っていよいよ煮つめられて来る.下降一時間化-の積極性と消 極 性,肯定と否定との間の .そ してこの緊張は一突きすれば 破れるであろう。 緊張, 古代哲学 はいわばその頂点に登りつめる, すなわち 時間化の 原因とな った好奇心に充ちた本性 physis polypragm6n, を 個 体 に そ く して 否 定 2 5 )永 遠 を 見 失 っ た 悲 痛 i lu i ss 化して行く時アウグスチヌスは時間の中に分解しはて in tempora di s -己れの支配者たらんとする-は グ な自己を見い出す。 又 時間が生れる 時の精神の意志 baleusi 5 3 ) h h a S i lypragm6n s po ノ 【 シ ス で語られる 人間の知 恵 な る op , を 想 像 さ せ p ysi , の中 に は 栄光 を 4 ) 隠 れ て い る と も 言 える ,グ ノ ーシ ス の 下 降 うる た め に 自 ら を 冒 険 に 押 しや る グ,ノ ー シス の 神 が5 .. すなわ ち神の自己疎外が冒 険に 充ちたものであればある程それに打ち克つ喜びは大なるものであり, 5 ) しろ 必 要 な も の で十 さ え ある.グ ノ ー シ ス に と っ て 罪 は 幸 いな の で ある5 下 降 は こ の 喜 悦 の た め に む, .. 下 臨ま逆説的に肯定され, この肯定は上昇が下降に先立つことを認める ゆえに, この地上に 降りて 救済への期待 にすい込まれ重みを失って行くのである. いる という事実は, すでに約束 されている . め な世 界はかりそ と て時間的 グノーシスに っ に すぎない。 しか しプロチノスもこうした傾向を多分 に 示 しつ つ も す で に 問 題 が こ の 世 を 離 れ れ ば よ い と い う 自 然的 な こ と が ら で は な く な っ て いる こ と を知 っ て いる よ う に 恩,わ れる.. 」 54 」.
(8) . 時間論からみたプ ,ロチノスの哲学. 【註1 i i i i t st entum,「901, S chen Chr lung zum Gnos t ,88, rchl 1 ns st el ci smus und ki ) Carl schmidt , ,P1o fe o f plot i 2 nus ) Porphyry, on the Li ,chap.3, bi d 3) i ,「4. i i ker Gei 4 s und SPatant st ) 日.jonas , Gnos ,1964,. 5 ) H.Bergson,La pens6e etle mouvant , ,「966, p,217, (以 下 PM, と略記) 6) PM. ,p. 竹5. ique 7 ) C. Tresmontant , と略記) ,BSsaisurla pens6e hgdra ,1962, p,「57, 8, (以 下 EPH 6volusi i 8 t ce, 「948, p,339. ) H.Bergson, L’ r on cr6a b 9) idi .p.545.. 10 ) Spinoza, Bthica,「, 8, 11) BPH, ,p.28, 1 7 自 i 12 ) 前者は P1ot nus ,Bnneads ,IH, 7, 7, (以下 竹1, 7, 7, と 略 記) 後 者 は 11 , , 修) H. Di i i d F ker A el 1 s Fragment s r e der vorsokrat a x r o n n ma . , , i i 「4) Ar l e st cs ot , ,Phys ,IV,22 , b 伍) BPH. ,p.35, 16) EPH, ,p.↑5 「7) EPH, ,p.24,. 倍) P1ato, Timaeus ,37d, 「9) ○. T, Gen. ,「, 引, 20) EPH. 4 1 p , . , 21) EPH, ,p.「2, 22) BPH,p.25 , 25) 竹っ, 7, 7 から IH 7 1 , , 0 にかけてとりあつかわれている, kon 霞kh hoi 2 4 on te )「”, 7, 8, 34. tato dei la t opi ikhronos pert opos , ,al ,ibid.68epei. 2 5 ) 竹1 ,7,「2 . 6 2 ) この判断の根拠となる文章は以下の通りであり, 多少問題はある。. i pseu setai kai ton i de t i i 6 en akh hyparxeiton khronon 1 onot tase egoi e s en 亘kh hypos ‐ , dB1 h ‐ 61 egei auton esest theon auton h。tan l i o en h egB an kai esta ‐ ,h6s t . h五t6 gar estai kai an i l la pros t l。s tropos log6n a a 亘s toi at日s al . . ) は一 応 i t Car i i i口s st i lschmi dt s entum,「90「, 70f , lung zum Gnos t chen Chr rchl el ci smus unb k ,(P1ot. もの i ito i ここの批判の対象を断定することは困難だとしながらも ho at o ,という表現はきわめて人をくった 示 i ta であり, 当時の新しいキリスト教的宗派に対する呼び方であったこと, 6n , という用法はヨハネ黙 ,es 投 論争相手に がこの h k ih ih k h 6 k omeno 録の o n a o Bn a oe r s , という用法に近いこと,そして プロチノス ノ ー シス l l げかけようとする a ostroposl og6n , が非常に辛諏なものであることなどから, キリス ト教的グ f b 8 ) によれ 派が問題に されているとみなしている. だが R, Harder(P1otins Schriften BanbIV, ,53 . i ものである ば en akh hypostaseiさ en akh hypa r という表現はストア派の xe 。 , 27) 「竹, 7, 13. ingwood (The ldea of H l i 2 8 t 5 1,p ) R. G, Col ) はギリシャ (ローマ)超歴史観の主たる欠点はそ s ry o .42 ,「9 ial i sm に あ る と して い る, の実体主義 substant b 29) R, Harder , ,idi ,538f. 30 ) 訳文中 〔 〕 で示した部分は筆者が補ったもの. 豹)IH,7,1 1, 32 ) たとえば 1竹,2 ,3 で は コ ス モス そ の もの に 自 ら を 語 らせて い る, i t i t l Zei os gke C h i lman tus unb Di i 62 33 r s ez t ) ○. Cul e , .69 ,「9 ,s , はプラトニズムの永遠の特質を無時間性 -・55 [.
(9) . 阿. 部. 秀. 男. にあるとしている。 54) BPH, ,p,42. hology i t ci sm An Ant 55 ) R. M.Grant ,「961, p.「6, , Gnos 36) EPH. ,p.44, 37) PM, ,p.102.. 38 ) Seneca, De proverbio,5, 7f. i i ce n 39 ) 良 Br6hier , , Tome lll, 1. Not ,P1ot. 40 )111,1,6 . 4 1 )「11,1,7 , 42 )111,1,9 . 43 )1,8, 竹. 44) つv,7, 10・ 45) 「, 8, 修, 46) IV,7, 「0, 47) IV,8, 1, 、 48) R.Bul tmann t . .196, 参 照 ,op.ci ,S V 49) 1 ,9, 8. 50) 111, 7, 5,. 5 イ ).1も 7, 4, inus 52 ) August ones , Confessi ,11, 29, ア ウ グス チヌス と プロ チノ ス の人 間 観 の相 異 は こ こ に も み ら れる. ア i(完了形) とみているのに対 しプロチノスは人間が汚れて i i l ウグスチヌスは人間を分解してしま った d u ss. bameno しま っている l 6 e1 s ,(完了形) とはみない (註70参照) 53) R. M. Grant t . ,ci ,p.17, ,op 54) EPH. ,p,23, 55) EPH. ,p.23. 56) 1, 8, 6,. - 56 -.
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