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小学校国語科における文学教材の分析法に関する一考察

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Academic year: 2021

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(1)小学校国語科における文学教材の分析法に関する一考察 小 澤 賢 三. 0.はじめに  本稿の目的は、小学校国語科における文学教材を考察対象に、〈ものの見方や考え方〉を映し出す 諸概念を、構造・構成、語句」修辞法等といった具体的なレベルで抽出し、そこから、実際、どのよ うな〈ものの見方や考え方〉が、どのような構造・構成、語句、修辞法等に反映され、それが、実際 の教材のどこに潜在化しており、主題の把握に向けてどのように活用されうるかを明らかにすること にある。.  本稿で言うくものの見方や考え方〉とは、例えば〈構え〉〈期待〉〈心理的距離〉などを言い、次の ように例示されるものを指す。. (1) a.. 太郎は、揺るぎない信念を持っている。.    b.. 太郎は、考え方がガチガチだ。. (2) a.. 次郎くん、ハンカチを落としたよ。.    b... そこの人、ハンカチを落としたよ。. (1a)と(1b)のペアは、ともに「太郎」という人物に対し「考え方を容易に変えない」という描写であ って、この点で真理条件的には等しいが、両者は「知的意味(conceptual meaning)」において差異が ある。(1a)に比して、(1b)は、やや否定的なニュアンスが含意され、逆に、(1a)は、そのようなニュ. アンスを含まない中立的な描写として解釈される。また、(2a)と(2b)のペアにおいて、同じ人間によ って同じ状況で発話されたものとして分析すると、(2a)に比して、(2b)は、やや「よそよそしい」と. いうニュアンスが感じ取られ、この点で「次郎くん(そこの人)」に対する心理的距離が大きいように. 解釈できる。本研究は、小学校国語科での実践的授業を目的に据えたものであるが、本論文では、教 科書教材から上述の諸概念を抽出し、暫定的な体系化を示すことを目標としたい。このとき、(1)や (2)の例で注目した言語表現は、それぞれ「オノマトペ」と「呼称」であり、そのような観点から教. 材を分析することで、どのような〈ものの見方や考え方〉が明らかにできるかという点が本稿の課題 である。.  ところで、上述の内容は方法論的に2つのことを示唆している。1つは、言語表現の意味(価値)は、 他の言語表現との対比によって相対的に決まるということであり、(1)のペアで言えば、(1b)に否定 的なニュアンスが含意されると言うのは、(1a)との比較によって浮かび上がってくるもので、(1b)単. 独では必ずしも明瞭ではない。2つ目は、上述の諸概念は、国語科教育で議論される概念というより も、むしろ理論言語学で用いられるものであり、以下の議論では理論言語的な手法が多用されるであ ろうことである。.  本稿では、第1節として小学校国語科の文学教材から〈ものの見方や考え方〉を映し出している分 析概念(構造・構成、語句、修辞法など)を抽出し、どの教材にどのような要素が潜在しているかを明. 37一.

(2) らかにする。その上で、頻出している諸概念を整理して教科書教材における重要な概念を選出し、教. 材分析モデルを作成する。第2節では、分析概念の説明に先立って、主題についての考え方を整理す. る。以下、第3節から第7節にかけて、順次5つの分析概念について個別に論述し、第8節において、 主題の把握に分析概念がどのように機能するかを例示したい。. 1.分析概念の抽出  教材を分析するに当たって、気をつけなければならないことの1つに、指導者(教師)の個人的な主 観や経験だけで教材に向き合い、分析が恣意的になってしまうことが挙げられる。どの教材を分析す るにせよ、だれが教材分析を行うにせよ、指導者(教師)は、一定の客観性と体系性を備えた分析方法 を身につけておく必要がある。その際、特に重要なのは、言うまでもなく「どのようなところに目を つけて教材を読むか」という点である。この点については、先行研究において、いくつかの分析観点 が提案されてはいるが、実際に運用するには困難があった(注D。そこで、本稿では、独自に小学校国 語科の教科書(教育出版 2006年度版)の全学年24教材を分析し、その中から〈ものの見方や考え方〉 を映し出すと考えられる諸概念を抽出した上で、次のように整理した。. ①題名 ②呼称(固有名詞か普通名詞か) ③構造・構成(額縁、二部・三部・四部構成) ④視点(一人称・三人称、客観・限定・全知) ⑤順序(時間、空間、語りの順序) ⑥対比表現(語・文・場面の対比) ⑦反復表現(語・文・場面の反復) ⑧五感表現(オノマトペ・色彩語・その他) ⑨比喩表現(比喩・擬人法). ⑩話法(直接・間接話法、自由間接話法、割り台詞). これら10個の分析概念のうち、本稿では、紙幅の都合上、①、②、⑥、⑦、⑩の5つについて第3節 以降で取り上げる(注2)。.  では、①∼⑩の分析概念は、教材の中で、どのように分布しているだろうか。上述の分析概念が各 教材にどのように分布しているかを整理したのが、次の表1である。表の上段は教材名と作者名、下 段は抽出した分析観点を示している。. [表1] 分析概念系統表 年. 6. 作者と教材名(上段)/分析観点の分布(下段). 美月の夢. 川とノリオ. きつねの窓. キ崎夏海. 「ぬいとみこ. タ房直子. 題名 構成 視点 構成呼称比喩表現 構成対比表現. ホ比表現 苞g表現. ホ比表現反復表現 ワ感表現. 諟i描写 話法. ワ感表現 苞g表現. 38一.

(3) 五月になれば. 大造じいさんとがん. 雪わたり. 加藤多一. 椋 鳩十. 宮澤賢治. 題名 呼称 視点 呼称 構成 5. 反復表現対比表現. 五感表現リズム. 五感表現. 五感表現情景描写. 比喩表現. ステレオタイプ. やい、とかげ. 一つの花. ごんぎつね. 舟崎靖子. 今西祐行. 新美南吉. 対比表現’構成. 反復表現. 構成視点題名 比喩表現順序. 反復表現視点 五感表現呼称. 話法構成. 比喩表現 3. 題名呼称構成. 対比表現 話法 比喩表現. 4. 1. 消しゴムころりん. わすれられない. 岡田 淳. スーザン・バーレイ. おにたのぼうし. のらねこ. ソメコとオニ. あまんきみこ. 三木 卓. 斎藤隆介. おくりもの. 構成 視点 対比表現題名. 対比表現呼称視点 対比表現視点 比喩表現題名順序 呼称題名話法. 五感表現 2. ひっこしてきた. きつねの. アレクサンダと. みさ. おきゃくさま. ぜんまいねずみ. 安藤美紀美. あまんきみこ. レオ・レオニ. 反復表現. 比喩表現呼称. 対比表現. ステレオタイプ. ユーモア. 話法. ステレオタイプ. かさごじぞう. わにのおじいさ んのたからもの. 岩崎京子. かわさきひろし. 対比表現題名. 対比表現リズム. 題名対比表現. 反復表現順序. 対比表現題名. 比喩表現. 反復表現. 呼称反復表現. 五感表現. 反復表現視点. ステレオタイプ. 話法. 比喩表現. 情景描写 1. ステレオタイプ. ユーモア視点. おおきなかぶ. ロシア民話. けんかした山. 安藤美紀夫. 順序反復表現. 対比表現象徴. エンドフォーカス. 比喩表現(擬人法). うみへのながい. お手がみ. たび. アーノルド・. 今江祥智. ローベル. 構成 呼称. 対比表現 時間. ステレオタイプ おじさんのかさ 佐野洋子 反復表現. 話法 五感表現 反復表現. 対比表現 五感. 時問 題名. 表現 ユーモア. ユーモア. この表は、教材ごとに見ることで各教材の指導ポイントをつかむことができる。例えば、1学年の 『おおきなかぶ』では「順序」「反復表現」「エンドフォーカス」を指導すればよく、2学年の『かさ ごじぞう』では「反復表現」「順序」「五感表現」「比喩表現」を指導すればよいことが分かる。また、. 同じ学年を横に見ていくと、各学年での指導ポイント及び教材間での概念の関連が把握できる。例え. ば、3学年の欄を横に見ると、5教材のうち4教材に「視点」という概念があり、「呼称」も3教材 に見られる。したがって、3学年は「視点」と「呼称」の指導が重点になることが分かる。さらに、. 学年縦断的にとらえると、小学校6年間を通しての指導概念の系統が分かる。例えば、「ユーモア」 や「ステレオタイプ」的思考は、低学年や中学年に集中しているので、高学年での指導を増やすべき ではないかという見方も可能になる。. 39一.

(4)  教材分析に当たっては、これらの分析概念を切り口に用いると言うのが、本稿のポイントである。 その際、教材ごとに分析のスタイルが一定になるよう、次のようなフォーマットを設定した。. [表23 教材分析のフォーマット. ・タイトル『         』 ・作者名. ・学年と指導時期 ・必須の分析観点. ①題名 ②呼称(固有名詞か普通名詞か) ③構造・構成(額縁、二部・三部・四部構成) ④視点(一人称・三人称、客観・限定・全知) ⑤順序(時間、空間、語りの順序〉 ⑥対比表現(語・文・場面の対比〉 ⑦反復表現(語・文・場面の反復) ⑧五感表現(オノマトペ・色彩語・その他) ⑨比喩表現(比喩・擬人法). ⑩話法値接・間接話法、自由間接話法、割り台詞台詞) ・任意の分析観点(⑪・⑫). ・主題の追究に繋がる分析観点(ここで育てたい見方や考え方).             [ ][ ][ 3                ↓. ・この教材の主題[              ]. 「タイトル」や「作者名」等はそのまま書き入れ、「主題の追究に繋がる分析観点(ここで育てたい見. 方や考え方)」には、該当する分析概念の番号を記入するようにしてある。そこから導き出される 「この教材の主題」の欄には、主題をできるだけ一文で要約して記入するようにしている(実際の適 用例は第8節の[表3]を参照されたい)。.  これらの分析概念について、第3節から第7節で述べる予定であるが、その前に、文学教材におい て読解のねらい(目標)とされる主題について整理しておきたい。. 2.主題について  文学教材の読解においては、主題を把握することが当面の目標になる。そこで、主題についての考 え方を整理しておきたい。「主題」という用語は非常に多義的で、識者の立場によって様々なとらえ 方があり、定説が見られない。それだけ複雑な概念ではあるが、本稿では、主題を・「作品から客観的 に読み取れる価値」という意味で用いることとする。ここで、「客観的に読み取れる」というのは、 「言語表現に忠実に読めば、普通はそのように読み取れるであろう」ところのものを意味する。.  その上で、主題の認定に関する問題として、大別して2つの極端な立場を見ておきたい。1つは、 主題の解釈を1つに限定する立場である(注3)。主題とは作者の言いたいことであるという主張に基づ. 40一.

(5) くもので、「作者の言いたいこと」とは、作者の意図のことであろう。しかし、主題に向けて唯一の 正しい読みがあり、それ以外は間違いであると断定する点に問題がある。作品は、作者の意図どおり に作品化されるものではないことが多くの作家によって語られている。文学的な表現は、それを生み 出した作者の意図をこえて、より深くより広い意味を生み出すことがある。作者の言いたいことが主 題であるとする主張は、結局主題は作品の外にあり、作者に確かめなければ本当のところは分からな いということになる。.  もう1つは、主題の解釈は、読み手に委ねられるという立場である(注4)。この考えは、主題は読者. が読み取るものであり、読者∴人ひとりに主題があるという主張に基づくもので、「主題は1つ」と いう長く教育界を支配した伝統的な主題観に反省を求めた点に意義がある。しかも、教室をはなれた 一般の読みにおいては、この主張はそれなりの説得力を持つ。たとえ誤った読みであっても、読者な りに満足できる主題を見出すことができれば、読者にとってはその作品の価値は十分にあることにな るからである。.  本稿の立場は、これらの立場の、どちらとも異なる。要点を先取りすれば、次のように整理できる。. ①明らかに間違った解釈は、当然、排除されなければならない。 ②主題の解釈は唯一絶対ではないし、無限でもない。   作品には、通常、1つまたは複数の妥当な解釈があり得る。. ③正しいと思われる解釈の中にも、より妥当なものと、そうでないものがある。 ①の意味するところは、教室での読解において、子ども達に文学教材の読み方を教え、文章を読む力 をつけるためには、一定の条件が必要であるということである。それは、言語表現に忠実であり、誤 った読み方は許されないということである。ここが、一般の読みとは異なる点である。②は、①の条 件さえ守られれば、どんな読み方でも、どんな主題の読み取りも可能であるということである。特に 文学用語はイメージが豊かであり、様々な解釈が可能である。違って当然なのである。ただ何となく というのではなく、自分の解釈の根拠を明示できることが必須の条件となる。③の意図するところは、 誤ってはいない読み方も一様ではなく、その中に読み取りのレベルがあるということである。つまり、 より多くの理解が得られる読み取りがあり、妥当性において程度差があるということである。.  まとめて言えば、主題の読み取りには、誤った読みとそうではない読みがあり、誤りでない読みに はより良い読みがあるということである。実際には、教室において子ども達の話し合いが仕組まれ、. その中で主題の妥当性が討論されることになる。もっとも筆者の経験では、子ども達の読みはそれほ ど多くは違わない。ほぼ同じような生育歴を持ち、生活経験もほとんど変わらない読者の読みは、ほ ぼ同じような読みになる傾向がある(注5)。むしろ、違う読みがあった方が意見の交換が活発になり、 子ども達が生き生きとしてくる。.  最後に、主題のまとめ方に触れておきたい。実際の授業では、主題を「作品から客観的に読み取れ る価値を短くまとめたもの」という意味で使うことが多い。一般的に主題とは、何か抽象的に短くま とめられたものと考えられている。しかし、西郷(1996)が「文芸においては、はじめの一行から終り. の一行まで、いかにゆたかにイメージ化するかということにおいて、本当の意味で、主題が読者に体 験されると考えられるべきなのです。説明文を抽象化、概念化、命題化した要旨と同一視してはなり ません。」と述べているように、本来主題とは短い文章でまとめられるようなものではない。ロシア. の文豪トルストイは「私はこの作品のテーマについて語れと言われれば、この作品を最初の一行から. 一41一.

(6) 終りまで、もう一度書く以外にない。」と語ったそうである。ただ、国語の授業においては、自分の 読み取った価値(自分なりの主題)を短い言葉でまとめることの意味は大きいし、それをもとに友達の 意見と比較することの意義もまた大きい。教室の読みには、様々なレベルがある。浅い読み取りもあ れば、深い読みをするものもある。しかし、互いに意見交換をする中で、自分の気がつかない点に気 づいたり、より良い読み取りに学んだりすることは、授業でなければできないことである。子ども達 の読みが鍛えられるような、自由な雰囲気の場をつくることが教師の大事な役目だといえる。その意 味でも、「短くまとめたもの」と限定を加えることが妥当であろうと思われる。. 3.題名について(観点①).  この第3節から第7節まで、先に述べた分析概念について詳述する。  まず、①の題名は、当然のことながら本文と深い繋がりを持つが、題名の意味は一様ではない。次 に筆者なりの分類を示す。先行研究では、3分類の例があるが(注6>、本稿では教科書分析を基に、4 分類を試みた。分類は、次の通りである。. A. 登場人物(主人公)を表わすもの。. B C. 題材を表わすもの。. D. 本文の主題そのものを暗示するもの。. Bのうち主題に繋がるもの。. 便宜上、A∼Dのように分類したが、 Cの記述でも明らかなように排他的なものではない。ただ、い ずれも主題と何らかの関わりを持っている点は同じである。具体的に、題名について考察する。. A:主人公を表わすもの   『けんかした山』 『アレクサンダとぜんまいねずみ』   『ひっこしてきたみさ』 『のらねこ』 『ソメコとオニ』   『ごんぎつね』 『大造じいさんとがん』. B:題材を表わすもの   『おおきなかぶ』 『お手がみ』 『おじさんのかさ』   『かさごじぞう』 『美月の夢」 『きつねの窓』. C:上のBのうち主題に繋がるもの。   『わにのおじいさんのたからもの』 『きつねのおきゃくさま』   『わすれられないおくりもの』 『おにたのぼうし』 『一つの花』   『川とノリオ』. D:本文の主題そのものを暗示するもの   『うみへのながいたび』 『消しゴムころりん』 『雪わたり』   『やい、とかげ』 『五月になれば』.  以下、この順に解説を加える。.  まず、Aは登場人物で題名が示されているもので、この場合は、その登場人物が主人公である。例 えば『のらねこ』と『ごんぎつね』では、「のらねこ」「ごんぎつね」が主人公である。また、題名が. 42一.

(7) 「XとY」の形になっているもの(人物が二人取り上げられているもの)は、出てくる順序が問題にな. る。いずれもはじめに出てくるXの方が、主人公であり、より主題に近い。例えば、『アレクサンダ とぜんまいねずみ』ではアレクサンダが主題を担い、『大造じいさんとがん』では大造じいさんが主. 題を担っている。さらに後述の通り、これらの題名は、両者ともに固有名前を持ち、普通名詞の「ぜ んまいねずみ」「がん」と比較すると、より個性が明確で、語り手の注目度において格段の違いがあ る。.  次に、Bの題材を表わすグループでは、「題材」は主人公以外で物語を展開するきっかけになる 「もの」や「こと」である。「かぶ」「手がみ」「かさ」「じぞう」「窓」は、「もの」の例であり、. 「夢」は「こと」の例である。いずれも修飾語がついており、この修飾する言葉が主題に関わってく る。『かさごじぞう』では、「かさご」は主人公以外のものであり、この「かさご」は「じいさま」と 「ばあさま」が丹精こめた「かさこ」である。大事なもちこを買うための大切な「かさご」を「じぞ うさま」にかぶせる「じいさま」。そんな「じいさま」を温かく迎え入れる「ばあさま」。その優しさ、. 思いやりを象徴するのが「かさご」である。また、『美月の夢』では、美月という読者と同年代の女 の子が主人公であり、彼女の夢をテーマに物語が進行する。作文の時間に与えられた、「将来の夢」 というテーマでは作文が書けず、自分の夢がはっきりしないことに思い悩む主人公を描いている。美 月という名前は象徴であり、読者である各自に対してそれぞれの夢を問いかけるものである。.  3つ目めCは、Bのうち主題に繋がるものであり、物語の題材を示すとともに、主題にも繋がる題 名である。象徴としての働きを持っているものも多い(注7>。例えば、『おにたのぼうし』では、自分. の好意を理解させ、悪いおにばかりではないことを示したい「おにた」という主人公が描かれる。し. かし、「ぼうし」をとると自分の正体がばれてしまうし、「ぼうし」をとらなければ「知らない男の 子」のままなのである。「ぼうし」は、立場の違いからお互いに理解しあえない、女の子(人間)と、. おにた(おに)の関係を象徴的に表わす。また、『一つの花』では、出征する父がゆみ子にわたす一輪. のコスモスが、象徴として主題を表わす。一輪でなく「一つ」と表現しているところに、少ししかな いというマイナスイメージとともに、1つだからこそかけがえがないというプラスのイメージが表現 されている。この一輪の花は、ゆみ子をいとおしむ父の愛の象徴であるとともに、心優しい人間にな ってほしいという父の願いでもある。.  最後のDは、題名が主題そのものを暗示する場合である。『消しゴムころりん』では、消しゴムが 転がり、ゆか板のあなに落ちることによって事件が起こる。そこがファンタジーへの入り口である。. すべては消しゴムが転がることによって起こる。また、「ころりん」という転がり方には、かわいら しさやおもしろさが感じられ、昔話「おむすびころりん」のように、何か不思議なことが起こる予感 があって興味深い。しかも、「消しゴム」という消すための道具がまた、物語の伏線にもなっている。. 本文を読んだ後、もう一度題名を考えてみると、本当のことは消えないというメッセージが生きてく る。また、『五月になれば』では、この条件節に続く部分が省略されており、そこに主題が示される。. 「五月になれば、水が光って走るし、川がもっと元気になる」に主題がこめられている。読者に事件 の展開を期待させるところにも作者の工夫が見られる。. 4.呼称について(観点②).  本節では、②の呼称を取り上げる。本稿で言う「呼称」とは、平明に言えば、ものごとの「呼び 名」のことである。類似の用語に名称があるが、名称が人を指示する時に用いる形式であるのに対し て、呼称は人を呼ぶ時に用いる形式である。具体的に言えば、「母親」「兄」「教諭」「医師」は名称で. 43一.

(8) あるのに対して、「お母さん」「お兄さん」「先生」などが呼称である。人物以外の「もの」や「こ と」の名称も、場合によっては重要になってくるが、文学教材では人物の呼称が特に重要である。人 を呼ぶ言い方は様々である。例えば、第三者の男性を呼ぶ場合を考えると、「あの人」「あの方」「あ. いつ」「彼」などが考えられる。このうち、「あの方」だと目上の人や上司などがイメージとして浮か び、尊敬しているような心持ちが伝わる。それに対して「あいつ」’ではく相手に対する悪いイメージ が浮かび、反感や敵意を感じることになる。人物の呼称には、(1)語り手が人物を呼ぶ場合と、(2). 人物が人物を呼ぶ場合、の2つがある。呼称は単なる「呼び名」と言うだけでなく、そのように呼び かける人の見方や考え方、感じ方が直接に表れるので、呼称を見ていくと、その人物の人物像が明ら かになってくる。.  例えば、2学年教材『かさごじぞう』を見てみると、(1)の語り手が人物を呼ぶ場合では、語り手 は主人公達を「じいさま、ばあさま」と呼んでいる。また、(2)の人物が人物を呼ぶ場合では、じい さまもばあさまもお互いを「じいさま、ばあさま」と呼び合い、他の人物に対しても「じぞうさま、 ちょうじゃどん、お正月さん」のように、「さま、どん、さん」と敬称をつけて呼んでいる。これら を見ると、語り手がこの話の世界をどのように描こうとしているかが分かるし、じいさま、ばあさま. の人物像も明らかになってくる。『かさごじぞう』の世界は、1人も悪者の出てこない、温かくて平 和な世界なのである。.  呼称に関して注意すべき点は3つある。第1に、固有名詞で呼んでいるか、普通名詞で呼んでいる かである。固有名詞だとその人物の個性が問題になるが、普通名詞の場合ではその人物の個性は問題 にならず、多くの場合それらの人物のうちの典型として描かれていることが多い。例えば、1学年教 材『うみへのながいたび』では、話者は登場人物を終始「白くまのきょうだい」「かあさんぐま」と. 普通名詞で呼んでいる。そして、最後の場面で「このようにして、 なん百なん千もの白くまの. おやこが、 きたのうみで、 きょうもくらしている….…。」と結んでいるbこの親子の話は、白く まという動物の典型であり、多かれ少なかれ他の白くまもこのように生活しているということを表わ. していることになる。逆に、2学年教材『ひっこしてきたみさ』では、話者ははじめからずっと「み さ」という固有名詞で呼ぶ。たまたま「みさ」という子の、ただ一回の話だという形をとっているわ. けである。したがって、読者は、そのことを念頭にして「みさ」に同化して読んでいく。しかし、読 み終わった後で、自分にもこういうところがあるなとか、自分も「みさ」の立場ならそうするだろう なと、自分に置きかえてみることになる。したがって固有名詞を持つか持たないかは、読みの姿勢に 大きく関わってくることになる。.  第2に、呼称は変化するということである。物語のはじめとおわりで人物の呼称が変化する例が見 られる。それは名前だけの問題ではなく、そのように表現する人の認識が変わったことを意味する。 例えば、”5学年教材『大造じいさんとがん」では、じいさんの残雪に対する呼称が変化する。はじめ は「あの残雪め。」と呼んでいたのが、最後では「がんの英ゆう」「えらぶつ」と呼ぶようになる。最. 初は憎しみの対象でしがなかったが、残雪の頭領としての堂々たる態度を見て感動し、残雪に対する 見方が変化したことが分かる。また6学年教材『きつねの窓』では、話者である「ぼく」のきつねに. 対する呼称が、「白ぎつね→きつね→親切なきつね」と変化する。はじめは獲物としてのきつね としか見ていなかったが、自分の見たいものをみせてくれる不思議な窓をもらって、きつねに対する 感謝の気持ちが起こってきたことが分かる。.  第3に、2学年教材『アレクサンダとぜんまいねずみ』のように、相手の名前を一度も呼ばないと. いう特殊なケースもある。主人公であるアレクサンダは、ぜんまいねずみを「きみ→ともだち→. 一44一.

(9) ウィリー→ウィリーみたいなぜんまいねずみ」と呼ぶが、ウィリーはアレクサンダに呼びかけるこ とをしない。アレクサンダの言葉に答えるだけである。ここからウィリーの主体性、積極性のなさが 明らかになる。結局ウィリーは、おもちゃとして人間にかわいがられるだけの存在でしかない。そん なウィリーの人物像を、相手を呼ばないという表現が見事に描いていると言える。このケースについ ては、第8節で改めて述べる。. 5.対比表現について(観点⑥).  本節では、⑥の対比表現を取り上げる。まず、対比とは、2つのものを比較する場合、両者の違い に着目して比べる方法である。両者の問に、何かの共通項を持ちながら、別のある点で異なる関係が 存在する場合について用いられる概念である。言い換えれば、両者が照らしあうことにより、つまり 他方の特徴によってあるものの特徴を際立たせる方法である。この点で、類似点に着目して比較する 類比とは区別される。例えば1学年教材『けんかした山』では、「たくさんの木が、あっというまに、 火につつまれました。」に対して、「山は、すっかりみどりにつつまれました。」という表現があるが、. 火につつまれた悲惨な山と、みどりにつつまれた二豊かな山を比較しているわけである。対比表現は、. その方法によって両者の特徴を明らかにするとともに、そのように表現する語り手のものの見方や考 え方、価値判断なども示している。『けんかした山』で言うと、語り手は明らかに「みどりにつつま れた」自然豊かな山を好ましく思い、それを「火につつまれた山」との対比で強調しているのである。 つまり、対比は言語上の問題であるばかりでなく、人問が世界を認識する上で最も基本となる認識の 方法でもある。したがって対比表現を見ていく場合には、言語表現の裏にある語り手のものの見方や. 考え方を常に考えていく必要がある。本稿では、言語表現としての対比を「対比表現」という用語で 用いる。.  対比表現には、「形態上の分類」と「内容上の分類」があり、さらに「内容上の分類」は、「人物の. 対比表現」「ものの対比表現」「ことがらの対比表現」の3種に分けられる。都合4つの分類を立てた が、本稿では文学教材で特に重要な「人物の対比表現」についてのみ詳述する。「人物の対比表現」 は、さらに、①人物と人物、②一人の人物の継時的対比、③一人掛人物の同時的対比(矛盾)の3つに 分類できる。以下、この順に簡単にコメントしていきたい。. ①人物と人物の対比表現.  登場人物の中に対照的な人物を設定し、異なる会話や行動を対比することによって、人物に思いを 語らせるものである。4学年教材謬大造じいさんとがん』では、おとりのがんとグループの頭領であ る残雪が対比されている。おとりのがんは「口笛をふけば、どこにいてもじいさんの所に帰ってきて、 そのかた先に止まるほどになれていた。」「長い間飼いならされていたので、野鳥としての本能がにぶ っていたのだ。」と表現される。それに対して残雪は「なかなかりこうなやつで、仲間がえ(餌)をあ さっている問も、油だんなく気を配っていて、りょうじゅうのとどく所まで、決して人間を寄せつけ. なかった。」と描かれる。同じがんでありながら、この両者の落差が、頭領としての残雪の存在を強 調する。しかも、はやぶさに襲われるおとりのがんを、残雪は命がけで守っている。ここにも、おと りのがんに比べて残雪に一目置くじいさんの態度が読み取れる。また、飛び方にも差がある。おとり. のがんをはじめ他のがんが「ばたばた」と飛び立つのに対して、残雪は「快い羽音一番。一直線に空 へ飛び上がった。」のである。. 45一.

(10) ②一人の人物の暫時的対比表現  これは、物語の前後で一人の人物の心情が対比される場合である。ある事件を契機として、登場人 物の思いや考えが変化し、成長していくケースでもある。ここでは、変化を促したものは何かに着目. する必要がある。2学年教材『きつねのおきゃくさま』は、孤独な存在であるきつねが、ひよこ・あ ひる・うさぎという汚れのない純粋なものに出会い、次第に引かれながら、それを守り抜いていこう と変容していく姿を描いている。はじめは太らせてから食べようとするきつねだが、「やさしいお兄 ちゃん」と呼ばれてうれしくなる。さらに「親切なお兄ちゃん」「神様みたいなお兄ちゃん」と呼ば れてぼうっとなってしまう。そして最後には、、三匹を食べようとするおおかみと戦い、三匹を守って 死んでいくという物語である。はじめのきつねは、「がぶりとやろうと思ったが、やせているので考 えた。太らせてからたべようと。」と、ひよこを餌としか考えていない。しかし最後には、三匹の命 を助けるために、自分の命をかけて戦うのである。彼にとって三匹は、餌から「おきゃくさま」に変 わったのである。優しさに接したことのない独りぼっちのきつねの心を、疑うことを知らず、親切を 素直に受け止めるひよこ達が変えたのである。. ③一人の人物の同時的対比(矛盾)表現.  これは一人の人物の中に、互いに対比される心情が存在する場合であり、いわゆる「矛盾」である。 人間は、様々な思いを内に秘めた、矛盾した存在である。心の中には、異質で対立する心情が常にあ ると言っても言い過ぎではあるまい。この概念を用いることによって、複雑な人間の「心情」をまる. ごと把握することができる。1学年教材『おじさんのかさ」は、細くてぴかぴか光った立派なかさを 持ったおじさんが登場する。出かける時はいつもかさを持って行くが、大事なかさが濡れるので決し てささない。そんなおじさんが、雨の中を楽しく歌っていく男の子につられ、思わずかさを開いてし まう。ところが自分のかさも、同じように楽しい音を立てて歌うので感心する。「ぐっしょりぬれた かさも、いいもんだなあ。」と満足し、何度も濡れたかさを見に行くのである。かさは濡れてこそか さである。雨の日に使うためにある。ところがこのおじさんは、そんな時は絶対かさをささない。そ れはかさが濡れるからである。ここに矛盾がある。「ほんとうかなあ。」と考えるおじさんは、「とう とうかさをひらいてしまいました。」と続く。男の子達の楽しい歌声が、おじさんの矛盾を解消して いく。おじさんの価値観が変わったのである。「ぐっしょりぬれたかさも、いいもんだなあ。だいい ち、かさらしいじゃないか。」というおじさん。「ぬれたかさも」という所で、依然としてかさを大事 にしているおじさんの様子が語られる。これからも多少のことなら、おじさんはかさをささないので はないだろうか。.  本節では、教材分析の中でも特に重要な対比表現について詳述した。. 6.反復表現について(観点⑦).  次に、対比表現と並んで重要な、⑦反復表現を取り上げる。反復表現とは、語や句、節、文などの 言語要素をくり返す表現のことである。中村明(1991)は表現技法について述べた中で、「〔反復〕とし. てまとめられる表現技法」は修辞的な言語操作として「同一または類似の表現がある種の規則性を保 って表れるという点に主眼を置く技法の一群である。」と述べている。どのような要素が、どのよう. な規則性を持って表れるかによって、様々なバリエーションがあるが、いたずらに細かい分類は実践 的ではないので、本稿においては小学校段階の授業を考慮して、何らかの言語要素がくり返されてい るものは、すべて「反復表現」としてとらえることにする。次に反復表現の例を見てみよう。. 一46一.

(11) ・語の反復. 「じいさまは、とんぼりとんぼり町を出て、村のはずれの野っ原まで来ました。」.                          (『かさごじぞう』) ・句の反復. 「一つだけ……。一つだけ……。」と、.  これが、お母さんの口ぐせになってしまいました。   (『一つの花』) ・節の反復. 「五月になれば一。」「五月になれば?. どうして? 五月はまだ、やまべ禁漁だぞ。」      (『五月になれば』) ・文の反復. 「あの日も、ぼくは自転車に乗っていた。」       (『やい、とかげ』). 中でも、『やい、とかげ』に出てくる「あの日も、ぼくは自転車に乗っていた。」の文は、第2場面だ けで、何と4回も用いられている。この反復によって主人公と自転車の結びつきの強さが強調される。  さて、反復は単なるレトリックや修辞法上の一技法ではなく、人間の認識と深い関わりがある。我 々が外界のものごとを認識し理解しようとする時、似ている点に目をつけて判断する方法があるが、 これが反復表現と関係する。反復は対比と並んで、人間の最も基本的で大事な認識方法である。さら に、反復表現は強調の方法でもあり、人物像や主題を強調する。したがって反復表現をとらえていけ ば、人物像や世界像が明らかになるとともに、主題の把握に繋がっていく。.  では、6年生教材『川とノリオ」を使って、具体的な例を見てみよう。『川とノリオ』は、戦争を 扱った教材として有名なもので、あらすじは、およそ次の通りである。. ノリオにとって川は友達のような存在であり、小さい時からいつもいっしょに遊んでい. た。やがて父ちゃんが出征し、母ちゃんはヒロシマで亡くなってしまう。ノリオはじい ちゃんに育てられることになる。まもなく父ちゃんも戦死し、遺骨となって帰ってくる。 じいちゃんは工場へ働きに出て、ノリオはやぎっ子の干し草かりを仕事にする。成長し たノリオは草をかりながら、母ちゃん帰れと心の中で叫ぶ。それでも川は、何もなかっ たように流れ続ける。. このストーリーの中に反復表現が多く使われており、それだけを読んでも主題が見えてくる。8つの 小見出しがついているが、「八月六日」の場面では、川の描写にくり返しが多用されている。「…ノリ. オの訟ゴムぐつを、川はたぶたぶ流していった。ノリオのまつさらな麦わらぼうしも、川はぷかぷ か流していった。ノリオの激パンツまで、川は流してしまったが、すぐにそんな物を取りもどして、 ノリオのおしりにおしおきする母ちゃんが、囮は、来なかった。激ゴムぐつは’ヨってこ元い。麦 わらぼうしも漏ってこカい。諏パンツも、行ったきり……」 何とこの数行の間に、「流していっ た(しまった)」が3回現れ、「黒い」という色彩語が4回現れ、「帰ってこない」の反復も、非常に特. 徴的である。また「今日は」という言葉だけを読点で区切って強調している点など、すべてが何か不 吉なものを予感させ、不安をかきたてる。.  「また、八月の六日が来る」の場面では、「あの日」という言葉が4回出てくる。「いくたびめかの. あの日がめぐってきた6まぶしい川のまん中で、母ちゃんを一日じゅう、待ってたあの日。そしてと うとう母ちゃんがもどってこなかった夏のあの日。ドド……ンという遠いひびきだけは、ノリオも聞 いたあの日の朝、母ちゃんはヒロシマで焼け死んだという。ノリオたちがなんにも知らないまに。」 このくり返しは、「あの日さえなければ」というノリオのせつない気持ちを強調する。. 一47一.

(12)  以上、本節では、反復表現が基本的な認識方法であり、きわめて単純な手法ではあるものの、強調 の方法としても重要であることについて述べた。. 7.話法について(観点⑩). 本節では、⑩の話法を取り上げる。話法とは、登場人物の言葉がどのように語り手によって引用さ れ語られているのかということである。登場人物の発言をそのままの形で引用する方法を直接話法と いい、登場人物の言葉を現在の語り手の立場から言い換えて述べる方法を間接話法と言う。直接話法 と間接話法は、次のように例示される。. (1) 「雪が降ってきた。」と、母が言った。. (2)雪が降ってきたと、母が言った。. (1)は直接話法の例であり、(2)は間接話法の例である。いずれにも語り手が介在し、語り手の言葉 を読者に伝えている。ところが、語り手の介入の程度(度合い)には差があり、その間に様々な段階が 存在する。直接話法と間接話法の間を埋めるものとして、「自由間接話法」と「割り台詞」があり、 以下に詳述するが、いずれも従来それほど注目されて来なかったものである。まず、自由間接話法に ついては、直接話法と間接話法の中間的な話法であり、(1)や(2)のような文を自由間接話法に書き 換えれば、例えば次の(3)のようになる。. (3)外から母がもどってきた。    雪が降ってきたよ。 兄は顔を上げて外を見た。. 下線部が自由間接話法の例である。この例では、下線の文は地の文の形をとっているので、形態上は 間接話法と考えるのが一般的であり、母の言葉を話者が代わって説明した文であると考えられる。し かし、内容的に検討すると、読者は自分がその場にあって、降ってきた雪を直接見ているような感じ にさせられる。母親の言葉であると同時に、語り手自身の言葉であり、語り手が前面に出てきて直接 読者に語りかける効果をも生み出していると考えられる。直接話法でも間接話法でもない、このよう な表現形態を自由間接話法と言う。それでは、教材を見てみよう。.  3学年教材『のらねこ』では、自由間接話法が多用されている。この教材はほとんどが会話文で、 主人公とのらねこの会話で話が進められるが、主人公であるリョウと語り手の言葉が重なって、のら ねこの様子や行動を表現する。はじめの場面では、〈わあ、とても速い。〉〈これ以上そばへよると、. とびかかってきそう。〉などの表現が見られる。この表現が、一重鉤括弧の「」で括られていない ところに表現の特徴がある。一重鉤括弧の「 」で括ると、リョウの言葉になってしまうが、地の 早め形をとることにより、読者は語り手の言葉でありながら、登場人物の言葉であるような錯覚を覚 える。つまり、語り手の言葉を聞きながらも、その場にいて、直接主人公のリョウから聞いているよ うな感じを受ける。つまり、このような表現方法により、読者はお話の中に生きているような臨場感 のある体験をすることになる。また、情景描写であるく風がそよそよとふいてきます。〉も同じよう に、臨場感を与える自由間接話法と考えてよいと思う。.  次に、直接話法の形態をとりながら、登場人物の言葉を敢えて2つ以上に分けて表現する「割り台. 48一.

(13) 詞」を取り上げたい。割り台詞とは、台詞を割ったもの、つまり1つの台詞が2つに分けられ、その 間に地の文が割って入る形式の会話文のことである。敢えて台詞を2つに分ける語り手の意図を考え ることが重要である。2学年の教材『アレクサンダとぜんまいねずみ』には、次のような例が観察さ れる。. (4)  「に『く1ま・… 。・」.     アレクサンダは言いかけてやめた。     そして、とつぜん言った。    「とかげよ、とかげ。ウィリーを、ぼくみたいなねずみにかえてくれる?」. (4)において、「ぼくは……」と「とかげよ、とかげ。ウィリーを、ぼくみたいなねずみにかえてく れる?」が分割され、その間に地の文が挿入されるような形になっている。割り台詞は、一度に言い. 切ってしまう場合に比べ、読者は2つの会話文を読んだような印象を受ける。また、それぞれの台詞 がともに強調されることになるが、特に後ろの台詞にウエイトが置かれ、より強調される。このこと を例証するため、(4)の文を敢えて一文に書き直してみると、次の(5)のようになる。. (5) 「ぼくは……。とかげよ、とかげ。ウィリーを、ぼくみたいなねずみにかえてくれる?」     と、アレクサンダは言った。. (5)を(4)と比べると、明らかに違いが分かる。一度に述べる言い方に比べて、割り台詞では分けて 述べられたそれぞれがともに強調されるとともに、丁寧さや重々しさが増す。さらに、臨場感を伴い、. その場に居合わせるような感じもする。割り台詞という形式は書き言葉より話し言葉に近く、より実 際の会話に近い表現とも言える。.  本節では、語り手が登場人物の言葉を引用する形式として、直接話法と間接話法の中間に位置する 自由間接話法と、1つの台詞を2つに分けた形式である割り台詞について述べた。. 8.事例研究  本節では、第3節から第7節で取り上げた5つの分析概念が、実際に主題の把握に向けてどのよう に機能するかについて、2学年教材『アレクサンダとぜんまいねずみ』(注8>によって具体的に検討す る。作者はレオ=レオニ、訳は谷川俊太郎が担当しており、あらすじは次の通りである。. アレクサンダは、家ねずみである。人間に見つかるたびにものを投げられたり、追い回 されたりしている。ある時、彼はぜんまいねずみのウィリーと出会う。ウィリーは、彼 と違ってみんなからかわいがられている。彼はウィリーと友達になり楽しく遊ぶ。が、 一人になった彼はウィリーをうらやみ、ウィリーのようになりたいと願う。そのために、. 彼は涙ぐましい努力をするが、うまくいかない。ある日、彼は物置のすみに捨てられて いるウィリーを見つける。ウィリーは、持ち主のアニーに飽きられ、ゴミ箱行きになっ たのだ。それまでウィリーになりたいと思っていたアレクサンダは、今度はウィリーを ぼくのように変えてほしいと願う。ついに願いはかない、彼はウィリーと夜明けまで踊 り続ける。. 49.

(14) それでは、この教材に対して、第3節から第7節で述べた5つの分析概念を適用する形で主題に迫っ ていきたい。.   点①=題名.  本教材の題名は、第3節でも述べた題名の4分類のうち、Aの主人公を表わすものに分類される。. しかも「XとY」型の題名なので、主人公はX、つまりアレクサンダということになる。したがって ここでは、アレクサンダを中心に、彼の言動をぜんまいねずみと対比してとらえていくことになる。 これは、重要な要素は先にくるという認知的な思考に基づいている。また、このぜんまいねずみには 「ウィリー」という名前があるが、題名は『アレクサンダとウィリー』ではない。アレクサンダは固. 有名詞であるが、ぜんまいねずみは普通名詞である。固有名詞が与えられているかどうかは非常に重 要であり、固有名詞の方がより注目度が高いことは、角田(1991:39−41)に示されている通りである。. そこで、固有名詞は、普通名詞に対して個にウエイトを置き、個性に注目して読んでいく必要がある。 なお、「アレクサンダ」も「ぜんまいねずみ」も象徴としての役割を持っているが、詳細については この後の「観点②=呼称」にゆずる。.   点②=呼,.  呼称とは、ものごとの呼び名であり、名称と区別されることは第4節ですでに述べた。ここでは、 区分にしたがって、語り手が登場人物を何と呼んでいるか、登場人物同士がどのように呼び合ってい るかを見てみよう。語り手はアレクサンダを「かれ」「ふつうのねずみ」と呼び、ウィリーを「もう. 1びきのねずみ」と呼んで、アレクサンダを主、ウィリーを従と見ていることが分かる。しかし、二 人を合わせて「二ひきのともだち」「二ひき」と呼び、温かく見守っている。次に、登場人物同士の 呼称である。アレクサンダはウィリーを、「きみ」「ウィリー」「きみみたいなぜんまいねずみ」と親. しく呼びかけているが、ウィリーはアレクサンダを何と呼んでいるだろう。第4節でも述べたが、一 度も呼びかけていないのである。これは、機械のねずみであるウィリーの人物像と深い繋がりがある。 つまり、ぜんまいねずみのウィリーは、消極的で受身な入物として描かれているのである。このこと. が、アレクサンダに一度も呼びかけていないということに関係している。そしてこの点が、まさに主 題に関わってくるのである。さらに、象徴という面から見れば、アレクサンダは自由の象徴であり、 ウィリーは自由の対極にあるものである。.   点⑥=対比四王.  対比表現とは、2つのものを比較する場合、両者の違いに着目して比べる方法である。第5節で述 べたように、同じねずみという共通項を持ちながら、生きているねずみと機械のねずみという違いの ほか、両者の性格や生活の様子はずいぶん異なっている。さらに、同一人物でありながら、はじめの. アレクサンダと後半のアレクサンダも、また違っている。それらの対比を、人物と人物の対比、1人 の人物の二時的対比の2つの観点から見てみよう。.  まず、人物と人物の対比について見てみる。ここでは主人公のアレクサンダとウィリーが対比され ている。アレクサンダは、いつも人間に追い回され命がけで生活しているが、何よりも自由があり、 自分の生活は自分で切り開く積極性を持っている。一方、ウィリーはいつもかわいがられ、ちやほや. されているが、ねじを巻いてもらった時しか動けず、消極的な生活をせざるを得ない。この2人の性. 50.

(15) 格はくり返し語られ、対極的な人物像を鮮明にしていく。そして最後に、アレクサンダはちやほやさ れるウィリーのようなぜんまいねずみではなく、自分のような自由のある生活を選択していくのであ る。.  次に1人の人物の継時的対比の観点から、アレクサンダの心情の変化を見てみよう。はじめのアレ クサンダは、自分が大事にされないことをなげき、ウィリーのようにちやほやされ、かわいがられる 生活にあこがれる。しかし、他人によって与えられたウィリーの平和な生活は、持ち主であるアニー の気紛れによって、一瞬のうちに破られる。他人に依存する生活の当然の帰結である。ゴミ箱行きに なったウィリーの姿は、アレクサンダの気持ちを変化させずにはおかなかった。アレクサンダが自由 のある自分の生き方の素晴らしさに気がつく場面である。.   点7=反復表  反復表現とは、第6節で述べたように、基本的な認識方法であるとともに、強調の方法である。し たがって、何が反復されているかを見ていくことが、主題を把握することに繋がる。それでは、本教. 材では、何がくり返し語られているのだろうか。それは、主人公であるアレクサンダの「走る姿」で ある。本教材では、1場面「ちつちゃな足の出せるかぎりのスピードで、あなにむかって走った。」、 5場面「さっそくにわへ行き、小道のはじまで走っていった。」、6場面「むねをどきどきさせて、大 事な小石をしっかりうでにだき、かれはにわへと走り出た。」、7場面「走れるかぎりのはやさで、う ちへかけもどった。」「かれはウィリーをだきしめ、二ひきはにわの小道へ走り出た。」以上のように、. アレクサンダの走り回る姿が反復して描かれる。これは、いつも全力で生きている、アレクサンダの ねずみとしての姿である。ねじを巻いてもらった時しか動けないウィリーと比較した時、その本質は 明白となる。しかも、最後は、夜明けまで踊り続ける二人の姿が描かれる。まさに自由の讃歌である。.   点。=話1.  話法については第7節で述べた。そのうち、(4)の例で示した割り台詞は特に重要であり、主題の追 求において落としてはならない表現である。ここでは、割り台詞によって、主人公アレクサンダの迷い と、その迷いを振り切って自ら決断するアレクサンダを見事に描き出している。ずっとウィリーのよう. になりたいと、様々な努力をしてきたアレクサンダである。一度はウィリーみたいになりたいと言いか けるが、ゴミ箱行きになったウィリーを見たことなどで考えが変わる。その逡巡の様子を、この割り台    ま. 詞の「問のある表現」が見事に描き出している。彼の認識の転換が、割り台詞の後半に明確に表れてい る。自分の迷いを断ち切って、主体的に判断するアレクサンダの素晴らしさが表現され、この教材のク ライマックスになっている。.  上に挙げた〈観点①=題名〉、〈観点②=呼称〉、〈観点⑥=対比表現〉、〈観点⑦=反復表現〉〈観点. ⑩高話法〉の5つの観点を総合することにより、本教材『アレクサンダとぜんまいねずみ」の主題に. 迫ることになるが、ここで第1節の表2で導入したフォーマットに代入すれば、次の表3のようにな る。. [表3] フォーマットによる教材の分析例. ・タイトル 『アレクサンダとぜんまいねずみ』. 一51一.

(16) ・作者名   レオ=レオニ(谷川俊太郎訳). ・学年と指導時期 2学年、3月 ・主題の追究に繋がる分析観点(ここで育てたい見方や考え方)     [①題名}[②呼称][⑥対比表現][⑦反復表現[⑩話法].                ↓. ・主題「自分の力で主体的に、積極的に生きることは、何よりも素晴らしい」. この表を見ると、主題を把握するために①、②、⑥、⑦、⑩の5つの観点を適用したことが分かる。 このように、主題追求においては、常に10の観点すべてを用いるわけではなく、教材によって必要な 観点を使い分けることが必要となる。.  以上、本節では、主題の把握に向けて、分析概念がどのように活用されるかを見てきた。. 9.おわりに  本稿では、小学校国語科における文学教材を考察対象に、くものの見方や考え方〉を映し出す諸概 念を整理して、系統化を試みた。併せて、それらの諸概念が主題の把握に向けてどのように活用され うるかを例示した。本稿で議論した内容は次のように要約できる。. [i]小学校国語科における文学教材には、〈ものの見方や考え方〉を反映する語句や修辞法等が   潜在化しており、本稿ではどの教材にも適用できるものとして、10個の分析概念を提示した。   これらの分析概念を用いて教材分析を行うことにより、教材の特徴が明確になるとともに、   主題を把握することが容易になる。 [ii]文学教材は、どのような形態をとろうと、結局のところ言葉によって人間を描いている。ま.   た、当然のことながら、すべての言葉には人間の知覚や思考等が反映している。そこで、文   学教材における、人間の〈ものの見方や考え方〉を明らかにするために、理論言語学的な知   見の有効性を試してみた。 [i]が本稿の研究目的に対する1つの解答であり、[ii]については、実践を通しての検証という点で. 研究課題を残したことを認めなければならない。ただ、その補充的な検討作業は、第1節で提示した 10の分析概念を実践の場で検証することにより、中長期的に達成することができると思われる。. 注1 先行研究のうち、西郷(1996)は、認識論に基づいた「認識方法(分かり方)の系統案」を提唱しているが、.    現実の教材への適用が事後的であり、この点で、本末転倒と言わざるを得ない。実際、西郷(1996>の概.    念は、運用レベルで適用しようとする時困難を生ずる場合が多く、その点で実践的ではない。ただ、西    郷(1996)の主張は、「認識方法」というものを文学教材だけに用いるのではなく、国語科のほか、教育全    般にまで及ぼすことを念頭に置いているため、決して評価できないというわけではない。. 注2 第1節に挙げた10の分析概念は、どの教材にも用いる「必須の分析概念」であるが、この10のほかに「必    要に応じて用いられる分析概念」として、筆者は、⑪文法的概念(倒置法・体言止め・中止法・指示語・    接続語・助詞など)と⑫一般認知的概念くユーモア・ステレオタイプ・象徴等)などの「任意の分析観点」    を想定している。紙幅の関係上、その詳細は割愛する。 注3 石山(1973:109)は、「先ず精読段階の中心的課題は全文の主題の探求決定である。即ち作者が原体験を素.    材としてそれを表現の想にまで構成するに当たって、何を意図し、如何なる価値方向に導かれて、それ. 一52一.

(17) を成したかといふ点の考察である。したがって、それは作者の構想の指導原理であり、想化作用の中心 方向である。」と、述べている。. 注4. 関口(1987:7−22)の読者論についての論考を参照されたい。. 注5. Stanley(1980)の「解釈共同体」(邦訳書の79−104ページ)を参照されたい。. 注6. 藤崎(2005)には、題名を3つに分類していると思われる記述がある。. 注7 注8. 「象徴」という概念については、記号論の立場から池上(1986,2002)で詳説されている。 原作はLionni(1969)による。. 参考文献 池上嘉彦. 1986「記号論への招待』岩波新書.. 池上嘉彦. 2002「自然と文化の記号論』放送大学教育振興会.. 石山脩平. 1973『国語教育名著選集1 教育的解釈学 国語教育論』明治図書.. 角田太作. 1991「世界の言語と日本語』くろしお出版.. 西郷竹彦. 1996『西郷竹彦文芸・教育全集[第4巻]」恒文社.. 関口安義. 1987『国語教育と読者論』明治図書.. 中村.明. 1991「日本語レトリックの体系』岩波書店. 藤崎 豊. 2005「薪国語教育事典」明治図書.. Lionni, Leo. 1969 14ノθ紛7詫r紐ゴご∠∼θ 71z7dしゅ四〇μ5a New York : Dragon Books.. Stanley E㎎ene, Fish.        1980途功θrθa6e彩血‘ムf6ぬ552’飴θaロ功or吻。’油孟θ鰐ρrθ毎vθω田田ロη臨θ鼠Cambridge,.            Mass.:Harvard University Press.(小林昌夫[抄訳]1992『このクラスにテクストはあ            りますか」みすず書房.). 53一.

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参照

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