Title
西洋音楽の歴史観育成と鑑賞教育との接点
Author(s)
三島, わかな
Citation
沖縄大学人文学部紀要 = Journal of the Faculty of
Humanities and Social Sciences(8): 85-89
Issue Date
2006-10
URL
http://hdl.handle.net/20.500.12001/6181
<研究ノート>
西洋音楽の歴史観育成と鑑賞教育との接点
島わかな
要約 筆者は、沖縄県立開邦高等学校芸術科音楽コースを対象として、平成10年度より現 在に至るまで、西洋音楽史の講義を担当してきた。本稿では、これらの講義を通じて、 授業時の生徒の認識や反応をすり合わせながら、これまでの授業実践を総括するととも に、小学校教育において実践する指導方法を検討した。西洋音楽史の講義の実践上のポ イントを個別的に紹介し、方法論の面で、音楽鑑賞と西洋音楽史をセットとしてとらえ、 より効果的な授業実践の枠組みを提案するものである。 0.はじめに 筆者は、沖縄県立開邦高等学校芸術科音楽コースを対象として、平成10年度より現在に至る まで、西洋音楽史の講義を担当してきた。本稿では、これらの講義を通じて、授業時の生徒の認 識や反応をすり合わせながら、これまでの授業実践を総括するとともに、西洋音楽の歴史観の育 成と音楽教育の方法論という観点から、一考したい。本稿の構成は、以下の通りである。 まず、予備的考察となる第1節において、沖縄県立開邦高等学校芸術科音楽コースに設置され ている科目「音楽史」の位置づけを一例とし、同科目名にみられる問題点を指摘する。 つぎに、第2節では、これまで筆者が実践してきた西洋音楽史の講義の実践上のポイントを個 別的に紹介する。ここではとくに、授業対象者が高校生であるという点に留意して整理する。 最後に、本稿の総括となる第3節では、第2節までの内容にもとづいて、方法論の面で、音楽 鑑賞と西洋音楽史をセットとしてとらえ、より効果的な授業実践の枠組みを提案する。 1.科目名「音楽史」と、その位置づけ 1-1.「音楽史」という科目名は適切か 沖縄県立開邦高等学校芸術科音楽コースでは、「音楽史I」および「音楽史Ⅱ」(1)という科目名 のもと、西洋音楽の歴史に関する授業がおこなわれている。ここで注目したいのは、当該科目名 「音楽史」である。尚、カリキュラム上、本講義で取り扱うべき内容は、西洋音楽の通史と規定 されているが、しかし、当該科目名においては“西洋”という限定がなされていない。つまり、 「音楽史」イコール「西洋音楽史」といった認識を前提とした科目名であり、そこにはおそらく、 明治期以降の近代教育制度のなごりとしての、洋楽至上主義的史観が反映されているだろう。 ちなみに、同様の例としては、県内大学の範囲にとどめて考察するが、琉球大学教育学部で開 設されている「音楽史概論」があげられる。同講義内容は、西洋音楽に限定された音楽通史であ るにもかかわらず、ここでもやはり“西洋,,という限定はほどこされずに、たんに「音楽史」と いう用語が使用されている。 1-2.近年における“西洋音楽,,の定義づけ -85-沖縄大学人文学部紀要第8号2006 それではここで、西洋音楽史に関する文献をいくつか取りあげ、“西洋音楽”の定義が、近年、 どのように変化したのかを概観したい。 まず、ヴァン・エスの著書(2)において、1978年に書かれた序文を参照するかぎりでは、“西 洋音楽”に関する定義づけは、とりたてて行なわれていない。 次に、ヒューズの著書(3)においては、海老沢敏が1984年に序を寄せているので、そこから引 用したい。「日本の洋楽を中心とする演奏家、音楽教育界の動向は、主としてドイツを中心とす るヨーロッパの19世紀末の演奏家・・・〔中略〕・・・の潮流に支配されて推移してきたかに みえる。・・・〔中略〕・・・しかもそうしたレパートリーに関しても、その歴史的必然性や自
律的意味についてかならずしもトータルな理解をもっていないかのようにみえる」。引用が示す
ように、同序文には、日本人と西洋音楽との歴史的経緯をも視野に入れ、日本において西洋音楽
史をあつかう必要↓性と、その意義が、明確に打ち出されている。さらに年代が下って、1998年に第5版が発刊されたパリスカの著書(4)によれば、「1950年代
に本書の第1版を書いた時は・・・〔中略〕・・・西洋音楽の範囲に関する見解は概して一致し
ており〔以下、省略〕」と述べられ、さらに「本書の表題にある“西洋Western”という語は、
ヨーロッパと南北アメリカの音楽文化が、いくつかの文化のひとつに過ぎないものであり、それぞれに異なった特徴を持った様々な文化の歴史が学習に価するものであることを〔現時点におい
ては〕(5)認めている〔以下、省略〕」と、同序文で後述している。以上のことから、1970年代あたりまでの傾向としては、“西洋音楽”に対して取り立てて定義
する必要がなかった。これを言い換えれば、“西洋音楽,,という用語に対して、世の中の人々が
何の疑念も抱かず、絶対的なものとして受けとめていた証しであろう。ところがその後、20世
紀の終焉までには状況が変化し、“西洋音楽,,とは何ぞや、といった定義づけが必要な時代を迎
えている。 2.「音楽史」の授業実践について 2-1.導入としての「西洋音楽」の位置づけ情報のめまぐるしく交錯する現代社会において、文化の越境、そして文化摩擦や文化変容は、
日常的なものとなっている。そういった現代に生きる我々にとって、“西洋音楽”をいかに定義
するか、といった作業は、実際には非常に困難なことである。けれども、とりもなおさず“西洋
音楽”を定義することは、西洋音楽史の授業実践において欠かせない作業であると考える。
とりわけ、西洋音楽史の導入段階の授業においては、対概念との関係で、西洋音楽の枠組みそ
のものを、生徒に捉え直させる必要があるだろう。例えば、〈西洋音楽〉〈東洋(非西洋)音楽〉
の区分、あるいはく西洋芸術音楽〉〈非西洋民族音楽〉〈ポピュラー音楽〉といった区分例は、本
当に妥当だろうか。もはや、西洋音楽をはじめとする、地球規模における諸音楽文化の今日的定義は、そう単純で
はなく、複層的かつ動的でなければならない。よって、さまざまな観点から考察する必要が生じ
ている。このような現象は、なにも西洋音楽史にだけ言及されることではなく、各種音楽史の授
業実践においても同様のことが指摘できよう。したがって、西洋音楽史の授業においては、世界的広がりをもった視野と柔軟な姿勢によって、
まず、西洋音楽の位置づけをはかる。その際に必ず、ついてまわる諸問題一例えば、「西洋音楽」
「非西洋音楽」という大雑把な括りでいいのか、あるいは、西洋の音楽には民族的な音楽やポピ
ュラー音楽は存在しないのか、あるいは、日本の音楽には芸術的なものはないのか等を、生徒に
-86-自発的に発見させることは、授業実践への入り口としてふさわしいだろう。さらに言えば、そう いった発見こそが、音楽史領域に対する生徒の動機づけとなり、歴史を学ぶことは現代社会を紐 解く手がかりであることを認識させ、その後の授業展開を、より一層、効果的なものにするだろ う。 2-2.“場”から見える「西洋音楽史」を提示 ここでは、筆者の授業実践の特色をポイントごとに紹介する。まず、前節で述べたように、西 洋音楽はあくまでも世界音楽を構成する-つのジャンルであり、かつ社会的産物の一つであると いう考え方に立脚して、音楽がおこなわれる“場(音楽演奏のおこなわれる場所や機会、音楽演 奏の担い手の身分的階層、公的あるいは私的な作品の判別、依頼作品か自発的作品か等)”の視 点を、西洋音楽通史の授業展開における、ひとつの軸として取り入れた。 その結果、授業の成果としては、第一に、ルネサンス時代以前までの西洋音楽の歴史が、おお むね教会音楽を対象とした歴史として描かれる傾向にあったことを明確に伝えることができた。 第二に、現代の音楽享受のあり方の根底となる社会システムが、18世紀末におけるヨーロッパ の貴族社会の崩壊ならびに新興市民社会の確立にはじまり、その延長線上に、現代日本社会をも 含めて位置づけられることを明確化した。 2-2-1.歴史的転換点の強調 したがって、筆者の授業実践においては、古代、中世、ルネサンス、バロック、古典派、ロマ ン派、といった既存の時代区分を援用しながらも、その時代区分にのみとらわれない立場をめざ し、むしろ歴史的転換点を強調することによって、よりマクロな視点での時代区分を試みた。そ の一例をあげるならば、ヨーロッパ市民革命を境目として、革命以前の音楽社会と革命以後の音 楽社会を、対照的にみてゆく方法をとった。そういう方法をとると、革命以後の音楽社会が、現 代社会にも通底していることを、生徒が自然に気づくのである。そこでは同時に、社会基盤の変 革と音楽作品の様式的変化とが因果関係をもち、連動した変化として認識する傾向にある。 2-2-2.時代を遡行した歴史の呈示 もうひとつのユニークな授業実践としては、歴史を遡行する方法である。つまり、歴史的に古 い年代から現代までの流れにそくして歴史をたどるのではなく、現代から過去へと時代を逆行す るのである。そうすることによって、現代の音楽社会における問題を端緒として、それが、過去 の歴史における、いつの時点から生じた問題なのか、といった課題意識を生徒に抱かせやすく、 同時に、歴史の連続性や非連続性についても、生徒に強く認識させるためにも、有効な方法であ ろう。 その際には、つねに、現代の沖縄の音楽あるいは現代の日本の音楽といった視点に立脚し、そ の後の授業が展開されるので、たとえ西洋音楽史の授業であっても、生徒の音楽環境・音楽体験 にそくした現在的視点を重視することは、大きな利点であろう。 2-3.同時代的視点の導入 最後に、通史としての西洋音楽史観の形成において、同時代的な比較の視点を導入することの 意義について述べたい。 その大半が、異国の音楽の歴史として語られる西洋音楽史の授業においては、同時代の世界史 ならびに日本史ひいては沖縄史の視点を、適宜、導入することは非常に効果的である。これを言 -87-
沖縄大学人文学部紀要第8号2006 い換えれば、西洋音楽の歴史を主軸としながらも、同時代における、地理的・空間的に異なった 場所の(音楽の)歴史を、並列的に呈示する方法である。そういった手法を導入することによっ て、とりわけ20世紀後半以降の時代の特色が、より鮮明となる。つまり、20世紀後半以降の
年代は、西ヨーロッパだけの地域的に限定された西洋音楽史として論じることが、もはや不可能
な時代であることがわかるだろう。歴史とは、所詮つくられたものであり、拾い上げられなかった情報は、歴史の闇に葬られると
言っても過言ではないが、だからこそ、イメージカの育成が必要なのである。生徒にとって身近な歴史的事象とのすり合わせを行なうことによって、異国の音楽の歴史を、より具体的にイメー
ジさせることができる。例えば授業において、19世紀後半の年代を話題とする場合には、同時
代の日本は明治維新前後だったとか、その当時の中国は清朝だったというように、同時代的な視
野をもちあわせておく必要があるだろう。高校生の場合、たとえ、個別的な`情報を断片的に蓄積 していても、その関連する情報どうしを互いに結びつけて、有機的な世界をイメージするといったトレーニングには、あまり慣れていないようである。したがって高校生を対象とした場合、西
洋音楽史観の育成は、西洋音楽史の授業それだけで成就されるものではなく、隣接する学問領域
とのすり合わせの視点が、不可欠である。 3.総括~音楽史と鑑賞との接点~ 以上に述べたように、西洋音楽史観の育成をめざした教育方法における、いくつかのポイントを紹介した。ここではさらに、鑑賞教育との接点について提案することによって、総括とする。
将来の音楽関係従事者(ここではとくに音楽教育者)の育成の場において、西洋音楽の歴史観
をはぐくむことは、同時に、西洋音楽ジャンルの“表現(演奏)”および“鑑賞,,の能力の根本
的な支えとなることは自明である。本稿では、とりわけ鑑賞教育と西洋音楽史観との密接な連絡
という観点でとらえたい。つまり、鑑賞教育のアプローチとしては、物理的かつ主観的な音(楽
音)の鑑賞レベルにとどまることなく、むしろ人類の文化的営為の一側面として、西洋音楽ジャ
ンルは鑑賞されるべきであろう。すなわち世界にみられる各種音楽文化が、それぞれに固有の
社会を背景とし、あるいは、それぞれに固有の民族が担ってきたという脈絡一社会(政治・経済)
的・民族的・文化的コンテクストーについて、生徒が認識することは、音楽文化そのものを社会
の産物として認識するための契機となるだろう。そのことは、鑑賞教育の本質的な意義を再考す
るうえでも、非常に重要な点であると考える。実際に、芸術大学や音楽大学等への進学をめざした開邦高校芸術科音楽コースのみならず、各
種高等学校の選択科目としての音楽の授業や、小中学校の音楽の授業においては、“鑑賞”が実
践されている。しかしながら、従来の小中高校の音楽教育現場の傾向として、西洋音楽作品は、
かろうじて作曲家との接点から個別的に鑑賞される傾向にあり、その作品を育んだ時代性や社会
基盤、あるいは作品様式を特徴づけている時代様式といった観点にもとづいた鑑賞は、あまりお
こなわれていないようである。そういった指導状況に対して、藤原によれば、「歴史観の裏づけ
もないまま、個々の作品、個々の作曲家をく立派〉だからくゲイジュツ的〉だからと脈絡もなく
教材として取り上げても、子どもたちは、そこに自分との関わりをなかなか見いだせないであ
ろう」(6)と述べている。そこで、西洋音楽作品の鑑賞授業の実践において、そこへ西洋音楽史観を導入することは、鑑
賞の対象となる音楽作品が生み出された社会との接点から作品を理解させ、より発展的な授業、
つまりイメージさせる授業へとつながるだろう。逆の立場から言えば、西洋音楽史の教授方法に
-88-おいて、歴史の個々の点をかたちづくる個々の音楽作品を聴取させることなしに、西洋音楽史の