• 検索結果がありません。

セアラ・オーン・ジュエットの『とんがり樅の木の郷』における孤独と孤島 点と点をつなぐ作家

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "セアラ・オーン・ジュエットの『とんがり樅の木の郷』における孤独と孤島 点と点をつなぐ作家"

Copied!
16
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

[ 1 ] 1. はじめに

セアラ・オーン・ジュエット(

Sarah Orne Jewett

)はローカル・カラー作家の 代表として文学史に取り上げられることの多い作家である。しかし、その言及 数の割には研究の対象とされることが少ない。確かに一定数の先行研究は残っ ているが、作品の最もジュエットらしい部分は評価されていないと言ってよ いだろう。

1920

年代にウィラ・キャザー(

Willa Cather

)は『とんがり樅の木の 郷』(

The Country of the Pointed Firs,

1896

)を「三大アメリカ文学のひとつ」と高く 評価し、

F

O

・マシーセン(

F. O. Matthiessen

)も伝記によって作品の重要性 を訴えた。その後

1960

年代以降にフェミニズム批評によってジュエットの再 評価が促されてもいる。しかし、ウィリアム・ディーン・ハウエルズ(

William

Dean Howells

)の「人生の微笑ましい側面」に通じるジュエットの作風が批評家 の評価を落とす原因となり、作品の価値が十分に検討されてこなかったようだ。1 この人生を肯定するジュエットの作風はもっと評価されてよいのではない だろうか。

1899

年の手紙によるとジュエットの思い描く小説の役割は、とも に生きる人々を疑ったり非難したりするのではなく、共感と寛容の精神と愛

斎 藤 彩 世

における孤独と孤島―点と点をつなぐ作家

本稿は2019年11月9日に開催された北海道アメリカ文学会第192回談話会での口頭発表に 加筆・修正したものである。 1 ジュエットが生きていた当時はむしろ、穏やかな描写と人生を爽やかに眺める視点、メ イン州の港町の情景を読者の五感に訴えかけるように描き出す筆力によって、ジュエット作 品は好評を博していた。ジュエットを作家へと導いた編集者たちだけでなく、ウィリアム・ ジェイムズ(William James)やヘンリー・ジェイムズ(Henry James)、ラドヤード・キプリン

グ(Rudyard Kipling)らも絶賛している。その他、ジェイムズ・ラッセル・ロウエル(James

Russel Lowell)やジョン・グリーンリーフ・ホイッティア(John Greenleaf Whittier)ら当時の 著名な作家たちにも高く評価されていた(Matthiessen 89-90, 95, 108; Blanchard 112)。イギ

リスでも出版され、フランス語にも訳されたほか、その翻訳者から『両世界評論』(La Revue des

(2)

情を持って理解し、彼らのしたいことを助ける人になるよう読者を導くこと だという(

Blanchard 230

)。2 また、ジュエットはイワン・ツルゲーネフ(

Ivan

Sergeevich Turgnev

)に憧れていたが、それは彼の作品に「光と太陽のような

明るさ、生き生きとした人間の詩への愛(

such a love of light, sunshine, and

living human poetry

)」があるからだとも書き残していた(

Fields 195-96

)。3

れらがジュエットの創作における信念なのである。 先行研究では、この芸術観についてはあまり取り上げられていない。例え ばサンドラ・

A

・ザガレル(

Sandra A. Zagarell

)は、ジュエットの描く共同体に 微かに見られる無意識の排他性を、人種や階級の観点から論じている。また、 フェミニズム批評は本作における女性の優位性や抑圧に焦点を当てる傾向にあ る。これらの批評は人々の不和や対立を前景化することになるため、ジュエッ ト作品の全体像をとらえきれていないように思われるのだ。確かに従来の批評 はジュエットを再評価する上で重要な役割を果たしたが、その一方ですぐには 認められないであろう、ジュエットの芸術観―希望にあふれた生の主題― が見落とされることとなってしまったのである。 ジュエットの芸術を支える信念である、人と人との絆や他者への共感、違い よりも共通点を見ようとする姿勢は、単に楽観的で深みのないものではなく、 人生の影と併せて描かれている。ジュエット作品の登場人物たちは皆、厳しい 生活や不幸、誰かの悪意に苦しめられながらも前を向いて生きて行こうとする 人たちだ。したがって、先行研究で指摘されてきた影の部分だけでなく、光と 影の両方を評価して初めてジュエット作品の姿が見えてくるのではないだろう か。マシーセンは、ジュエット作品が持つユーモアと悲哀の両方がもっと理解 されてよいはずだと述べており(

Matthiessen 150

)、平石貴樹もジュエット作 品で読者が味わうべきは「純朴な人びとの幸福が、つねに生活を、心やさしく 引きずっている」様子であると指摘している(

234

)。本論ではジュエットの代 表作である『とんがり樅の木の郷』を取り上げ、厳しい人生の中に希望も見出 そうとする人々の生き方を通して、女性作家が孤独の問題に向き合い、孤独を 肯定していくさまを明らかにしたい。 2 ジュエットの書簡に関しては、書簡集に収録されているものはその出典を記し、コル

ビー・カレッジ(Colby College)やハーバード大学(Harvard University)のホートン・ライブラ

リー(Houghton Library)に所蔵されているものは、それらに当たった伝記の出典を記した。

3 ジュエットはツルゲーネフの『ルージン』Rudin, 1856)の序文に書かれたセルギウス・ス

(3)

最後に、ジュエット作品の評価を分けてきた要因としてもう一つ挙げられる のが、構成の問題である。平石はジュエット作品が顧みられないのは、読者が「プ ロットにとぼしい小説を愛するすべを知らないから」ではないかと考察してい る(

234

)。マシーセンも同様に、ジュエット作品はプロットから独立した構造 を生み出すことに成功したと称え(

Matthiessen 101

)、やはり「プロットに依存 しない」(平石

234

)構成に言及している。ジュエット自身同じ見方をしており、 自分の書き方が伝統的ではないと自覚していたが、プロットを求めすぎると 作品が台無しになってしまうことを恐れてもいた(

Blanchard 61; Cary 29

)。そ の独特の作風をいち早く認めた『アトランティック・マンスリー』(

The Atlantic

Monthly

)誌の編集者ジェイムズ・T・フィールズ(

James T. Fields

)とハウエル ズは、男性作家のようにではなく、彼女らしく書くことを励ましている。そう して幾度も挫折を繰り返した末、ジュエットはその独特のスタイルを活かす新 しい小説を生み出したのである(

Blanchard 58-59

)。しかしジュエットの支持 者たちも、生み出された作品をどう位置づけるべきかについては頭を悩ませて おり、結局「スケッチ」という分類に落ち着いたようだ(

Blanchard 62

)。 ここで用いられる「スケッチ」という言葉は、伝統的な小説に劣るものとい う意味ではない。マシーセンは彼らと同じように「ゆるやかにつながっている スケッチ(

these loosely connected sketches

)」(

Matthiessen 101

)と表現したが、 言い表しがたいジュエット独特のスタイルを肯定している。マシーセンによる と、スタイルとは素材と技巧をつなぐ作家の個性のことであり、スタイルを備 えた作品は、ただ歴史的価値があるだけでなく、芸術として生き残るものだ が、ジュエットはそのスタイルを確立しているのだという(

Matthiessen

145-46

)。フェミニズムの観点からも「プロットの乏しさ」が肯定的に受け止められ ている。エリザベス・アモンズ(

Elizabeth Ammons

)は、ジュエット独特の構 成を「女性の書き方」であるとみなした。語り手はアルマイラ・トッド夫人(

Mrs.

Almira Todd

)の家を出て、ダネットの各地を訪れては、また夫人宅に戻って くる。トッド夫人の家を中心に蜘蛛の巣のような形の動きが見られるというの だ(

Ammons 52

)。それは女性が友人の家庭を訪問し、絆を形成していた

19

世 紀の文化を反映しているためである(

Ammons 53-54

)。4 また、トッド夫人の 暮らし方のように、自然の循環に合わせて家事を行う女性の生活は直線的なも 4 この見解は多くの先行研究で共有されている。例えば、ザガレルやジェフ・モーガン(Jeff

(4)

のではなくなっていく。そのような生活を送る女性は、循環し、対象が点々と 移り変わるプロットを生み出すのだという。5 こうしたジュエット独特の構成を肯定する読みは、さらに多様な小説のあり 方に目を開かせてくれるものである。そこで本論では、一つのプロットを直線 的に発展させていくのではなく、個別のエピソードをゆるやかにつなげていく ジュエットの書き方が、ローカル・カラーの小説として本作を成り立たせる上 で重要であったことも明らかにしたい。 2. 『とんがり樅』における孤独の光と影 ばらばらのエピソードがゆるやかにつながっている『とんがり樅』の構成は、 語り手や作者だけでなく、ダネット・ランディングの人々の暮らし方とも共通 するものだ。ダネットは、各地に散らばり、心に孤独を抱えて暮らす人々の共 同体である。かつては海運業で世界中とつながっていた町だが、小説の現在で はさびれてしまい、船長たちも村に閉じこもって生活するしかない。地理的・ 経済的な状況からも、エピソードの内容からも、孤独が中心的なテーマとなっ ていると指摘できるだろう。そしてダネットの孤独が光と影の両方を併せ持つ ものとして描き出されていることも重要である。  孤独の悲しみを託された代表的人物はジョアンナ・トッド(

Joanna Todd

)で ある。彼女はすべてを けて愛していた婚約者に裏切られ、孤島にひとりで暮 らす決意をする。一見すると、「ただほかの人とは離れて暮らしたいと望み」、 「自由になりたかった」(

65

)彼女の孤独に深刻さはないように思われるが、そ

の行動は「巣を壊された鳥のそれ(

just like a bird when its nest is spoilt

)」(

65-66

) であったという。結婚にすべての希望を託し、「真の家庭(

a real home

)」(

65

) を持って誰かの世話をすることを楽しみにしていたのに、婚約者に裏切られ、 その希望が打ち砕かれてしまったのである。しかし、ジョアンナの孤独はそれ だけではない。彼女は絶望のあまり「神を呪い」、そのせいで「許されざる罪」 を犯したため「もうほかの人たちと暮らす権利はない」(

76

)のだと決め込んで しまったのだ。人々は彼女の一時的な怒りを当然のこととして受け止めている 5 ジュリア・クリステヴァ(Julia Kristeva)による「女性たちの時間」によると、直線的でな い、繰り返しを特徴とする時間は女性的であり、自然のリズムに呼応する生物学的なものであ る(16)。この説を援用し、グレアムやモーガンらが『とんがり樅』に描かれる女性的な時間や その自然との近接性に言及した(Graham29-30; Morgan 108)。

(5)

が、ジョアンナは自分を許すことができず、孤独の檻を創り出し、そこに自分 を閉じ込めてしまう。彼女はこのとき神や隣人から切り離された孤独―決し て自由という名で全面的に肯定できない孤独―を抱えている。 リトルページ船長(

Captain Littlepage

)もまた、孤独の悲しみを体現している。 船長は海で遭難し、仲間を失う。そこで同じく遭難の辛さを体験したスコット ランド人のガフェット(

Gaffett

)に出会い、彼から「この世とあの世の間にある 場所(

a kind of waiting-place between this world an

the next

)」(

26

)で起きた出 来事を聞くが、この超自然の話は科学者やダネットの人々に無視されてしまい、 それを語ろうとするリトルページ船長を孤独に追いやってしまうのだ。また、 船長が何度頼んでもガフェットは最後まで、その話を書きとめた手記を渡して はくれない。この体験を世に広く伝えることを望んでいたガフェットだが、死 期が迫っても手記を渡さなかったのは、船長を信頼できなかったからだろう。 さらに、その神秘的な島では灰色のもやのように、街と人々の姿が見えるのだ が、近くにいて互いに存在を感知しても、彼らとのつながりは絶たれているこ とが強調される。それどころか生者が近づくと、影の人々は蝙蝠のように襲い かかってきて海へ追い返そうとするのである。 こうして描かれた孤独の悲しみは、随所で補強されている。例えば、語り 手がイライジャ・ティリー船長(

Elijah Tilley

)と交流したときのエピソードを 考えてみたい。亡くなった妻との仲睦まじい結婚生活について語られるこの章 にも密やかに断絶が描き込まれているのだ。結婚したときティリー氏は美しい ティーセットを買ってきて、妻もそれを大事にしていた。しかし、彼女のお葬 式の際、そのひとつの端の方が欠けていたことが判明する。ティリー氏は何の 秘密もない夫婦であったことを強調するが、妻はカップを割ってしまったこと を夫に言い出せず、夫も妻が黙っていたことをずっと気にしているのだ。ささ やかではあるが、家庭を象徴するカップに入ったひびは、この章全体で暗示さ れている夫婦間の孤独を象徴するものとなっている。6 そのほかにもいたるところで描かれるささやかな孤独のエピソードと、ジョ アンナやリトルページ船長のエピソードを、さらに大きな枠でまとめている のが語り手とトッド夫人に訪れる別れと孤独である。トッド夫人の家を出る 6 グレアムは、ティリー船長の主張とは異なり、妻セアラにとっての結婚生活は牧歌的な ものではなかったと指摘し、「家父長制社会の破壊的な影響に苦しんでいた」と表現している。 その理由のひとつに、この割れたカップのエピソードを挙げている(Graham 32)。

(6)

前ひとり船を待つ語り手は、その家の寂しさが増していくことを実感し、“

So

we die before our own eyes; so we see some chapters of our lives come to their

natural end

”(

131

)と語るのである。トッド夫人にとって語り手は、恋人との 別れや夫との死別という孤独の中で、ようやく出会えた家族のような存在だっ た。夫人も語り手も感情を抑えているが、「死(

die

)」という比喩がふたりに訪 れる孤独の重みを雄弁に物語っている。 このように語り手は孤独の悲しみを描くのだが、その際人々がつながる希望 の瞬間も書きとめていることを次に見ていきたい。例えばリトルページ船長と ガフェットは、完全に孤独を拭い去ることはできないものの、自らの体験を相 手に理解してもらうことで癒されていく。また、リトルページ船長から不思議 な話を聞いた語り手は、光に照らし出された孤島を見て、この世の向こうにあ る世界が身近に存在することを語りに織り交ぜるようになる。 ジョアンナのエピソードでも感動的に描かれるのはきょうだいの絆だ。ジョ アンナは父の所有していた無人島に住むことをひとりで決め、婚約者の駆け 落ちを知らされた翌々日にはもう弁護士のところへ行き、ダネットにある自分 の農地を半分、エドワード(

Edward Todd

)に譲る話をまとめてしまう。しか し、それまで仲のよくなかったエドワードはジョアンナを引き止めようとする 上、ジョアンナが孤島へ向けて船をこぎ出す日“

Edward Todd ran down to the

beach, an

stood there cryin

like a boy to see her go

”(

66

)と悲しみをあらわに するのだ。その声はもうジョアンナには届かなかったが、つながっていないか に見えたきょうだいに確かなつながりがあったことや、婚約者に愛されなかっ た経験に苦しむジョアンナが確かに誰かに愛されていたという希望が描き込ま れている。 エドワードだけでなく、ジョアンナを好きだった人々が次々と島に必要なも のを置いていくエピソードにも語り手は関心を持っている。魚や鶏など生きて いくのに欠かせない食料から、女性が生活の彩りに必要とするものまで、人々 はそっと島の端に置いていく。トッド夫人の夫ネイサン(

Nathan Todd

)もさん ごのブローチを買ってきて、夫人に持たせたことがある。皆、ジョアンナのひ とりになりたいという意志を尊重しつつ、代わる代わる彼女のことを気にかけ、 置いていったものがなくなったり、煙突から煙が昇ったりするのを見ては彼女 の無事を確認していたのだ。このように孤独の悲しみと同時に、孤独な人々が つながる希望の瞬間を書き記す語り手は、孤独をつなぐ役割にも目覚めていく ことになる。

(7)

3. 孤独に対する語り手の 藤

そうした語り手の成長を論じる前に、まず語り手自身が孤独について問題を 抱えていることを考察したい。女性作家である語り手は静かに書ける環境を 求めてダネットにやってきた。しかし、ダネットで楽しく暮らし始めて少し経 つ頃、語り手はトッド夫人との交流や近所の人の訪問で仕事に集中できないこ とに気づく。“

For various reasons, the seclusion and uninterrupted days which

had been looked forward to prove to be very rare in this otherwise delightful

corner of the world

”(

6

)とがっかりする語り手は孤独を心の底から求めてい

るようだ。また、ブラケット夫人(

Mrs. Blackett

)のいるグリーン・アイランド

Green Island

)の小高い丘から、その島と周囲に点在する島、ダネット本島、

地平線を眺めた際、語り手は「空間の広がり」(

45

)を強く感じ、「時間と空間に おける自由の感覚(

that sense of liberty in space and time

)」(

45

)が呼び起こさ れると喜んでもいる。さらに、ブラケット夫人の個室に案内されたとき、語り 手は静かな野原と海と空だけが存在するこの部屋に“

the real home

”(

54

)を見 出しているのだ。この部屋は夫人がひとりで海を眺めて休憩したり、読書を楽 しんだりする場所であるが、このように語り手は孤独の自由が象徴される場所 に惹きつけられる性格なのである。

その一方で、語り手はひとりになることで自分勝手だと思われる不安も抱え ているらしい。トッド夫人の下宿を離れて学校という仕事場を手に入れ、落ち 着いて筆を進め始めた頃、語り手は“

Selfish as it may appear, . . . I spent many

days there quite undisturbed

”(

9

)と、やや後ろめたさをにじませている。また、

執筆中に誰かの足音が聞こえてきて、邪魔が入りそうだと思ったとき、語り手 はその前に一語でも多く書いておこうと必死になる自分を守銭奴に喩え、恥ず かしく思ってもいるのだ。さらに語り手はジョアンナが婚約者に捨てられ、孤 島に引きこもったという話を聞いたときも、それを「個人的な自由(“

personal

freedom

”)」(

69

)と解釈し、その自由を「許した」(

69

)社会を異質なものとして 語っている。 語り手が孤独を肯定できないのは、当時の環境によるものだ。フォズディッ ク夫人(

Mrs. Fosdick

)は、“

Some other minister would have been a great help

to her [Joanna],

̶

one that preached self-forgetfulness and doin

for others to

cure our own ills

”(

69

)と述べているが、ここでジョアンナが知っておくべき

こととされる“

self-forgetfulness

”は、自分の問題や利益より、他人の幸福や共 同体の調和を優先させることを指している。ダネットの道徳観を体現するトッ ド夫人とその母親ブラケット夫人も、ジョアンナが孤独なのは他に世話をす

(8)

る人もなく、自分ひとり分の家事だけして生活しているせいだと言っており、 他者に尽くすという美徳が強調されているのだ。ブラケット夫人は“

that final,

that highest gift of heaven, a perfect self-forgetfulness

”(

46

)を備えている人物 だが、こう評されるのは、家を訪問者にとって心地よくする気配りをしたり、 相手の気持ちを み取ったりして共同体に貢献しているからである。ドナ・

M

・ キャンベル(

Donna M. Campbell

)は、道徳を教えることがローカル・カラー作 品の特徴であると解説しており(

23

)、カーリ・メイヤーズ・スクレスヴィク(

Kari

Meyers Skredsvig

)によると、その道徳とは主に女性登場人物が共同体の調和 のために、私欲を抑えて貢献することであるという(

89

)。 語り手はこのような考え方に憧れるからこそ、孤独に過ごしたいという心の 声に従うとき罪悪感を覚えたり、孤独を貫く人の異質さを感じ取ったりしてい るのだろう。落ち着いてものを書きたいという思いは作家として当然のことで ある。しかし、“

self-forgetfulness

”は生きていく上で欠かせないものであった ため、女性作家にとって信念を貫くのは容易ではなかったのだ。ポーラ・ブラ ンチャード(

Paula Blanchard

)によると、ジュエットが生きていた頃のニューイ ングランドでは治りにくい病気が多く、治療も確立されていなかったため、死 亡率が高かった(

Blanchard 158-59

)。ダネットもその例に漏れず、冬は厳し い寒さに見舞われ、人々は病に苦しめられる。特に嵐や冷たい雨が咳、肺病、 心臓病などを引き起こすため、若くして亡くなってしまう人が多いのだ。医者 は一人しかおらず、群島も含め担当範囲が広いので、十分に患者を診きれない。 このような環境下でトッド夫人の薬は地域の人たちにとって貴重な助けとなっ ている。さらに、生活物資の調達が難しいことも挙げておきたい。買い物でき る場所は遠く、生活に必要なものを頻繁には調達できないほか、農作物や漁の 取れ高も不安定である。航海中の事故によって男手を失った家も多く、食事を 作る女性たちが互いによく気をつけて食糧を差し入れることで、不便や寂しさ を埋め合わせている。このように、ダネットのような共同体では自分の時間や 資源を割いて人のために何かをすることが、生きていく上で欠かせないのであ る。 そうであればこそ、女性として家族や共同体を支える仕事を放っておくと罪 悪感が生じてしまう。語り手は、夫を亡くしたトッド夫人の収入源が下宿料と 薬の売り上げだけであり、あまり金銭的余裕がないことを見てとっている。そ こで、自身も下宿料を支払う客ではあるものの、トッド夫人が十分に薬を作れ るよう彼女の家事手伝いを進んで引き受けるのだ。さらに、薬の生産が足りな くなった場合、トッド夫人の生計が厳しくなるだけでなく、病に冒された人た

(9)

ちも苦しむことになると語り手は心配している。このようにトッド夫人や共同 体の人々の苦境を放っておくことになるため、語り手は執筆が進まないという 焦りを抱えながらも、なかなかひとりの時間を過ごすことを肯定できないのだ。 ジュエット自身、持病を抱えており、幼少期から思うように家事ができなかっ たため、もどかしさを感じていた。特に作家業と「女性の仕事」の両立には長 い間悩まされていたようだ。家事や家族の世話、友人・親戚・隣人宅の訪問 なども女性としての仕事なのに、それをしないで「引きこもってものを書きた い」とは言いたくない、それは自己中心的な気がすると

1874

年の手紙に綴って

いる(

Blanchard 66

)。その後

1880

年にルイザ・メイ・オルコット(

Louisa May

Alcott

)と出会ったときも「女性の仕事」と作家業の両立の難しさを語り合って いることから(

Blanchard 67

)、作品の登場人物たちの考え方は、そのままジュ エットら女性作家たちが悩まされていた問題であったと言えるだろう。7 ジュ エットは女性作家を語り手にし、ダネットのように厳しい環境に置くことで、 女性作家が直面する自由と孤独の問題を掘り下げることができたのである。 4. 点と点でつながる孤独―点在する孤島と海を渡る作家 語り手はこのように思い悩みながらも、次第に孤独を求める気持ちと罪悪感 とを和解させる道があることに気づいていくように思われる。まず語り手が 孤独の自由を受け入れる様子を考察したい。そのきっかけになったのは、孤独 に暮らすダネットの人々のつながり方を観察したときである。

2

節で論じたよ うに孤独な人々がつながる瞬間を書きとめた語り手は、ブラケット夫人が人と 人をつないでいることに感動している―“

A look of delight came to the faces

of those who recognized the plain, dear old figure beside me [Mrs. Blackett];

one revelation after another was made of the constant interest and intercourse

that had linked the far island and these scattered farms into a golden chain of

love and dependence

”(

90

)。このように孤立して暮らす人々を愛と助け合いで

つなぐことは、伝統的に女性に期待されてきた役割だが、語り手は同時にそ の背後にある暮らし方にも心を動かされるのである。上記の引用は語り手が ボウデン家の集い(

the Bowden Reunion

)に参加したときのものだが、ここで

7 A Country Doctor1884)でも同じ問題が扱われている。ヒロインの願望は家事をしたく

ない、主婦ではなく医者になりたい、社交よりも自然の中で動物と遊びたいというものであり、 共同体において自分は異質だと感じている。そのため罪悪感と本心に従いたい気持ちとの間で 揺れている。

(10)

語り手は孤独とつながりについての新たな考え、すなわち“

a new idea of the

isolation in which it was possible to live in that after all thinly settled region

” (

109

)に出会うという。ダネットの住民は一年の大半を孤独に暮らし、一年に 一度嬉しそうに再会してはまた別れていく。それは家が点在するダネットだか らこそ成り立つ、孤独を基礎としたつながり方である。8 こうした孤独への新たな理解に目覚めた語り手は、孤独とつながりが両立 し得ることについて考えを深めていく。『とんがり樅』では、他のローカル・ カラー作品と同じように、個々のエピソードから教訓を引き出す語りが特徴的 だが(

Petry 114, 118

)、その中でもダネットを超えた普遍的な観察へとつなげ ていく特別な箇所がある。それは語り手がジョアンナの墓を訪れたときのこと で、はじめはジョアンナ個人の孤独に想いを馳せていたが、そこから他の場 所や時代に生きる孤独な人々全般の人生へと考察を進めていく。そして、自 らも含めた孤独な人々が点と点でつながるさまを描き出してみせるのだ― “

In the life of each of us, I said to myself, there is a place remote and islanded,

and given to endless regret or secret happiness; we are each the uncompanioned

hermit and recluse of an hour or a day; we understand our fellows of the cell to

whatever age of history they may belong

”(

82

)。ここで語り手は人の孤独を孤 島に喩え、自由も悲しみも併せ持つものとして語っている。そして世代が違っ ても心の中の孤島に暮らす隠 者として人はわかり合えるのだと述べ、人々が それぞれ孤独なままでつながる可能性に言及している。これはボウデン家の集 いで語り手が感じたダネットの地形やダネットの人々の暮らし方と共通するも のだ。 また、語り手はつなぐ行為の重要性についても目覚めていく。その例とし て、語り手がジョアンナの墓を訪れる途中、墓へ続く小径に着目する場面を 考察したい―“

Later generations will know less and less of Joanna herself,

but there are paths trodden to the shrines of solitude the world over,

̶̶

the

world cannot forget them, try as it may; the feet of the young find them out

because of curiosity and dim foreboding; while the old bring hearts full of

remembrance

”(

81-82

)。小径は自然を壊すことなく、人が踏み固めてできた

8 プライスは語り手の隠 生活(“isolation”)とボウデン家の集い(“community”)のリズム

に着目し、陸と海の関係に見立てて、「潮は引くけれど、また戻ってくる」(xvi)と表現してい

る。本論ではこの観点を共有しつつ、ダネットの地形と人々の暮らしとの関連により焦点を当 て、“isolation”と“community”が同時に成立する点を考察したい。

(11)

ものだが、この道がジョアンナを含め、孤独に生きた人々の人生を後世の記憶 にとどめる役割を果たすと語り手は考えている。さらに、ジョアンナのことを 「世界が忘れられるはずがない」という文には、「忘れないでほしい」という願 いが込められているようにも見えてくる。語り手は都市へ帰ったあとに、ダネッ トの自然を称えながら人々の孤独を書き記すことになるが、その執筆も小径と 同じ役割を果たすことになるのではないだろうか。エレイン・サージェント・ アプソープ(

Elaine Sargent Apthorp

)によると、想像力によって環境の異なる 人々との共通点を見つけ出し、文化の違う者同士をつなぐことこそローカル・ カラー作家の目指したことだという(

6, 14

)。ジュエット自身小説の役割は人々 を導くことであると考えており、特に都市の旅行者と田舎の人々の架け橋にな ることを願っていた(

Blanchard 82

)。この点に着目したマージョリー・プライ ス(

Marjorie Pryse

)は、都市からの旅行者であり、はじめは未熟な語り手が、 ダネットをよく知り成長していく姿を描くことで、ジュエットは他の読者に も同じ行動を取るよう促していると指摘する(

xii-xiii

)。この点を踏まえると、 語り手はジュエットの理念を実践している人物だと言えるだろう。 執筆によって孤独をつなぐという語り手の決断を動かした瞬間は、直線的 に発展していくプロットとしては描かれず、作中の随所で暗示される。

3

節で 紹介したブラケット夫人の個室や孤島の景色を賞賛する場面にも、自由を求 める気持ちを解放させている様子がうかがえるが、とりわけジョアンナの人生 を描く際に語り手の変化が現れている。ジョアンナは死が近づいてきたとき、 この島に埋めてほしいとブラケット夫人に伝えたという―“

She told mother

[Mrs. Blackett] the day she was dyin

that she always used to want to be fetched

inshore when it come to the last; but she

d thought it over, and desired to be

laid on the island, if

twas thought right

”(

78

)。かつて死ぬときがきたら故郷に 戻りたいと思っていたのは、ジョアンナが孤島での暮らしを自分への罰だと否 定的に考えていたためである。しかし、「もし許されるならここで眠りたい」 という最期の願いは、孤島で生きた自分を肯定するものである。こうしたエピ ソードに加えて語り手は、彼女の死が隣人の愛と豊かな自然に包まれて見送ら れたとまとめることで、ジョアンナの孤独の肯定を祝福しているように思われ る。また、冬の厳しさや困難な暮らし、悲しみや絶望の中にいたジョアンナが、 近くを通る船から聞こえてくる人々の元気な歓声を聞いて喜んだであろうこと も想像しており、孤島暮らしに喜びもあったことを理解している。 さらに語り手は、ジョアンナの時間を永遠の時と定め、日々区切られた時間 に追われる都会の時と対置することでジョアンナの生を神聖化している。そ

(12)

の上で、ジョアンナが悲しみのあまり共同体に向き合う勇気を持てなかった ことを認めながらも、“

yet valiant enough to live alone with her poor insistent

human nature and the calms and passions of the sea and sky

(82)

と孤独を生 き抜いた彼女を称えるのである。ここで語り手は、作家にも必要である強烈な 個性を持った人間性(“

insistent human nature

”)を支えに、ジョアンナが自然 の中でただ一人、自分の信じる生き方を貫いたことに敬意を表している。ジョ アンナの孤島暮らしを「個人的な自由」(

69

)と考えていた様子と比較すると、 このとき語り手はジョアンナの孤独の真価を考え直し、自らに取り込んでいる と言えるだろう。 このようにダネットでの経験を経た語り手は、点在するもの、孤独に生きる ものを語ることでつなごうとしているように思われる。なぜなら、ダネットの 海、山野、丘、小径、孤島などあらゆる場所を描くことは、点と点をつないで ダネットの全景を浮かび上がらせ、都市の読者と人里離れたダネットをつなぐ 行為であるからだ。そして孤独とつながりを同時に成立させつつ、孤島に住む 人々の孤独をつなぐ方法として、語り手が海を渡る人々の生き方に着目してい る点が重要である。語り手はグリーン・アイランドを訪れたとき、窓から海を 見るブラケット夫人のまなざしに、海を渡る家系に生まれた人の生きざまを見 出している。その目には「期待と喜びをもって、はるか遠くの地平線を見つめ る(

a look of anticipation and joy, a far-off look that sought the horizon

)」(

48

) 様子がうかがえるのだという。帰りを待つ家族が船の帆を探すだけでなく、海 に出た船乗りは家族のいる陸地が最初に見えてくる瞬間を心待ちにする。その 遠くを見るまなざしが代々受け継がれるのだ。海での孤独、家で待つ孤独は、 彼らが再会するときの喜びに支えられており、語り手はこのまなざしをダネッ トの中心的存在であるブラケット夫人に見出している。この海を渡る力はダネッ トの海辺で暮らす人々の誇りであり、人々はこの技術によって点在する孤島と、 そこに住む人々をつないでいく。この暮らし方に触れたからこそ、語り手は自 らが抱える孤独の問題に答えを出すことができたのである。 海を渡る術が賞賛されるその裏で、かつて海を渡り世界をつないだ船乗りの 男たちは、その術を失ってしまっている。彼らは心を閉ざし、ひたすら孤独の 悲しみに耐えるほかない。前述のとおり、分かり合える人のいない孤独に苦し むリトルページ船長は、ただ時代の変化を嘆き、現代の人をこきおろすばかり である。ティリー氏も妻の死を受け入れられず、家にこもって過去を再現する のみで、語り手には死を待ち望んでいるように見えてしまう。また、サント・ ボーデン(

Sant Bowden

)は、軍人になる夢が叶わず、人生から締め出されたよ

(13)

うに感じて酒浸りの日々を過ごしている。船乗りと同様にサントの希望も広い 世界に出て活躍することだが、それが阻まれているのだ。

このサントの問題を知ったとき、語り手は“

a narrow set of circumstances

had caged a fine able character and held it captive

”(

107

)と述べた上で、“

You

are safe to be understood if the spirit of your speech is the same for one

neighbor as for the other

”(

107

)と、語ることで理解される可能性に言及して

いる。上記の二か所において語り手は、語ることで理解されれば、外の世界の 人々とつながるだけでなく、自己の才能を開花させることもできると考えてい る。この考察を自らの教訓としたかのように、語り手は都市に戻り、ダネット に閉じこめられた人々のエピソードを書き残す。語り手自身が「船乗り」となり、 ダネットで疎外されている人も含め、大切に思う人々の内的世界を外の世界と つなぐのだ。これは語り手が、たとえ「女性らしく」家事や地域の人々の手助 けをしていなくても、ダネットに暮らす人々の生を書き残し、人々をつなぐこ とは共同体への貢献になる、そして自らの才能も活かすことができる、と女性 作家としての生き方を肯定しはじめた証ではないだろうか。アモンズは本作で 孤独に過ごす男性たちの場面が、心を通わせ合う女性たちの場面に囲まれる構 成になっていると指摘する(

Ammons 54

)。また、マーガレット・ベイカー・ グレアム(

Margaret Baker Graham

)も女性たちの循環する時間が男性たちの直 線的な時間を取り囲み、語り手がその両者を永遠の時間に変えると論じている (

30

)。これらの指摘から、「女性の仕事」に通底する力によって、語り手がダネッ トの人々の生をつなぐ可能性が見えてくるが、語り手はペンでその役割を果た すのである。 このように考えてくると、語り手が島を去るとき「海を渡る人」となり、そ の際の海の描写に自由があふれていることは注目に値するだろう―“

The

sea was full of life and spirit, the tops of the waves flew back as if they were

winged like the gulls themselves, and like them had the freedom of the wind

” (

132

)。カモメの比喩を通して、風のように自由に進んでいくものとして表象 されるこの海は、自由と生の躍動感に満ちている。そしてこの海を意気揚々と 渡っていくのは、他でもない、語り手なのである。若林麻希子は、この航海者 としての自己イメージを「語り手の帰属性のなさ―言い換えれば、土着性を 超越しているが故に自由な、放浪する自我の在り方」(

25

)と表現している。ま た、語り手の手にはトッド夫人がジョアンナに渡すはずだったさんごのブロー チが握られているが、このブローチはかつてこの場所が世界とつながっていた こと、ジョアンナが孤独のまま人々とつながっていたことを表すものだ。こう

(14)

した海を渡る描写やさんごのブローチを譲り受けたエピソードは、語り手が作 家として人々の孤独をつなぎ、自らも孤独のうちに自立して自由に生きること を象徴しているように思われる。 人々の孤独をつなぎ、遠く離れた人々のことを伝えるためにものを書く語り 手にとって、もはや孤独に書くことは「自己中心的」な行為ではない。語り手 は女性作家としての仕事が孤独に生きる人々をつなぎ、彼らの生き方を肯定す ることになると気づいたように思われる。他者の孤独を肯定することは、孤独 に書きたいと願う自らの生き方をも受け入れることにつながるはずだ。たとえ 人が自らの属する社会の価値観から完全に解放されることはないとしても、自 由への希求を受け入れた姿を結末で描いた語り手やジュエットは、その姿を灯 台のように掲げ、自らを含む女性作家が目指す道を見失わないようにしたので はないだろうか。 5. おわりに ジュエットは本作で人々の孤独を描いたが、それは『とんがり樅』が「スケッ チ」ではなく「小説」として成立する上で重要な主題であった。この主題を導入 することで、ジュエットは一見ばらばらに存在するエピソードをつなぐことに 成功しているのだ。平石によると、リアリズムが確立された当時、近代小説の 関心のひとつは人々が抱えていた問題を描くことにあったという(

229

)。した がって孤独の主題は当時の人々の個人的な問題を描き出すという点で、近代小 説としての成立を支えている。また、孤独という観点から語り手の成長を描く ことで、小説として全体をつなぐ筋を持たせることができたと言えるだろう。 最後に、語り手の成長を、直線的なプロットではなく作品に散らばるいくつ ものエピソードを通して浮かび上がらせていることの重要性についても指摘し ておきたい。語り手が自由と孤独を肯定していく姿は、ダネットの人々―特 に女性たち―の暮らしを写し取るかのように、自然と人の生のリズムに合わ せて、循環したり、途切れたりしながら提示されるのである。ダネットのよう に高齢化が進み、若い人も含めて死亡率の高い土地では、生の希望と交互に病 や死が訪れ、病に冒された家族や隣人を看病する女性の時間は分断される。ま た、狭い共同体で家政を任された女性の生活には、助け合う喜びと望まない交 流という光と影も交互に訪れる。さらに、隣人との交流で誰かの を聞いたこ とにより、忘れたと思っていた気持ちが「春の訪れのように」(

8

)蘇り、過去の 時間が現在に侵入しては消えていく。この時間や感情の変化が、自宅から出て 誰かを訪問し、また帰宅するという移動の循環と重なるのだ。このように、ダ

(15)

ネットに生きる女性たちの人生は直線的にひとつの意味に向かって進むのでは なく、あちこちに光と影が散らばり、複数のことが途切れながら同時に進み、 あるものごとが波のように引いては戻ってくる反復的な人生なのである。彼ら がこのように暮らすのは、自然の中で点在して生きているからでもあり、その 暮らし方と美しい孤島群の景色も一致している。したがって、語り手の成長を 導入しながらも、それを直線的には描かず、全体に散らばる語り手の考察の変 化を通して浮かび上がらせることは、リアリズムとしての完成度を示している と言えるだろう。 そして、語り手がたどり着いた自由と孤独に関する考え方も、直線ではなく 点線として―語り手の表現を借りるならば、点と点を結ぶ「鎖(

chain

)」(

90

) として提示されていることが重要である。ダネットで暮らす人々は孤独の悲し みと自由を繰り返し感じながら、離れたままで点線のようにつながっている。 このように観察した語り手は、その考えを書き残すことによって、自らも作家 として個室にひとりでこもってものを書きながら、孤独な人々をつなぐことを 肯定するようになるのである。ここにジュエット作品において重要な、希望に あふれた生の主題が完成する。ジュエットは孤独がつながっていくという希望 と語り手の自己肯定とを重ね合わせ、語り手に、影も抱えるダネットの人々の 人生を光の観点からまとめさせることで、その重なりを表現しているからだ。 この主題を支える自由と孤独の在り方を十分に描き出すためには、本島と小さ な島々からなる景色も、そこに生きる人々の抱える孤独の悲しみも、その中で 希望を見出す人々の姿も欠かせないものであった。9 このような『とんがり樅』 を書き上げることで、ジュエット自身も構成やプロットに関する長年の 藤の 答えを見つけ出したように思われる。ジュエットは人生における光と影の反復 を、土地の景色・歴史・価値観に根差して書くことによって、その土地の精神 のみならず、それと深く関連する個人の問題―自由と孤独の主題―を伝え ることができた。そしてその際に「ゆるやかにつながり」、「直線的には進まな いプロット」の美を打ち立てることで、「ローカル・カラー」の「小説」を独自に 完成させたのである。 9 1882年にアニー・フィールズ(Annie Fields)とアイルランド、イングランド、スウェー デンを訪問した際、ジュエットは田舎の人の生活がその土地の地形・景色と密接に関連してい ることを改めて実感したという(Blanchard 145)。

(16)

引用文献

Ammons, Elizabeth. Conflicting Stories: American Women Writers at the Turn into the Twentieth

Century. Oxford UP, 1991.

Apthorp, Elaine Sargent. “Sentiment, Naturalism, and the Female Regionalist.”

Legacy, vol. 7, no. 1, Spring 1990, pp. 3-21. JSTOR, www.jstor.org/stable/25679080. Blanchard, Paula. Sarah Orne Jewett: Her World and Her Work. Perseus Publishing, 1994.

Campbell, Donna M. Resisting Regionalism: Gender and Naturalism in American Fiction, 1885-1915. Ohio UP, 1997.

Cary, Richard, editor. Sarah Orne Jewett Letters. Colby College P, 1967. Fields, Annie, editor. Letters of Sarah Orne Jewett. Houghton Mifflin, 1911.

Graham, Margaret Baker. “Visions of Time in The Country of the Pointed Firs.” Studies in Short

Fiction, vol. 32, no. 1, 1995, pp. 29-37.

Jewett, Sarah Orne. The Country of the Pointed Firs and Other Stories. Introduced by Marjorie Pryse, W. W. Norton, 1994.

Kristeva, Julia. “Women’s Time.” Translated by Alice Jardine and Harry Blake. Signs, vol. 7, no. 1, Autumn 1981, pp. 13-35. JSTOR, www.jstor.org/stable/3173503.

Matthiessen, Francis Otto. Sarah Orne Jewett. Peter Smith Publisher, 1965.

Morgan, Jeff. Sarah Orne Jewett’s Feminine Pastoral Vision: The Country of the Pointed Firs. Edwin Mellen Press, 2002.

Petry, Alice Hall. “Universal and Particular: The Local-Color Phenomenon Reconsidered.”

American Literary Realism, 1870-1910, vol. 12, no. 1, Spring 1979, pp. 111-26. JSTOR, www. jstor.org/stable/27745881.

Pryse, Marjorie. Introduction. Jewett, pp. v-xx.

Skredsvig, Kari Meyers. “‘Places of the Heart’: Female Regionalist Writers in Nineteenth-Century U. S. Literature.” Revista de Filología y Lingüística, vol. 28, no. 1, 2002, pp. 81-91. www.kerwa.ucr.ac.cr/handle/10669/14190.

Zagarell, Sandra A. “Country’s Portrayal of Community and the Exclusion of Difference.”

New Essays on The Country of the Pointed Firs, edited by June Howard, Cambridge UP, 1994, pp. 39-60. 平石貴樹『アメリカ文学史』、松柏社、2011年。 若林麻希子「『とんがり樅の国』における語りの視点―サラ・オーン・ジュエットのロマ ン主義」、『英學論考』34巻、2003年、17-27頁。  北星学園大学       2020.4.1 受理         

参照

関連したドキュメント

ヒュームがこのような表現をとるのは当然の ことながら、「人間は理性によって感情を支配

共通点が多い 2 。そのようなことを考えあわせ ると、リードの因果論は結局、・ヒュームの因果

このような情念の側面を取り扱わないことには それなりの理由がある。しかし、リードもまた

だけでなく, 「家賃だけでなくいろいろな面 に気をつけることが大切」など「生活全体を 考えて住居を選ぶ」ということに気づいた生

とりひとりと同じように。 いま とお むかし みなみ うみ おお りくち いこうずい き ふか うみ そこ

   遠くに住んでいる、家に入られることに抵抗感があるなどの 療養中の子どもへの直接支援の難しさを、 IT という手段を使えば

以上の基準を仮に想定し得るが︑おそらくこの基準によっても︑小売市場事件は合憲と考えることができよう︒

 今日のセミナーは、人生の最終ステージまで芸術の力 でイキイキと生き抜くことができる社会をどのようにつ