密 教 文 化
十
三
仏
図
の
成
立
に
つ
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-十
一
尊
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茶
羅
図
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展
開
-武
田
和
昭
は じ め に 註 1 香 川 県 白 鳥 町 ・ 神 護 寺 の 仏 画 調 査 を 実 施 し た 際 に 釈 迦 三 尊、 阿 弥 陀 三 尊、 薬 師 如 来 ・ 大 日 如 来 ・ 弥 勒 如 来 を 三 段 三 列 に 配 し、 そ の 下 部 に 不 動 明 王 と 地 蔵 菩 薩 を 描 き 込 ん だ、 珍 し い 図 (図 1 1) が 見 い だ さ れ た。 こ の 図 は 細 密 な 描 写、 伸 び や か な 筆 線、 丁 寧 な 地 塗 り な ど か ら 鎌 倉 時 代 後 期 ま で 遡 る こ と が 考 え ら れ た も の の、 図 像 の 持 つ 意 味 に つ い て は 十 註 2 分 に 判 明 せ ず、 名 称 も 十 一 尊 曼 茶 羅 図 と 仮 称 を 与 え た ま ま に な っ て い た。 と こ ろ が ﹃ 密 教 図 像 ﹄ 第 四 号 ( 昭 和 六 十 一 年 三 月 刊) に、 田 村 隆 照 氏 に よ っ て 滋 賀 ・ 石 山 寺 の 十 三 仏 図 が 紹 介 さ れ た。 石 山 寺 本 十 三 仏 図 の 図 像 は、 神 護 寺 本 十 一 尊 曼 茶 羅 図 と 各 尊 像 の 像 容 や 配 置 が 酷 似 し て い る こ と が わ か り、 両 本 の 間 に 何 等 か の 関 係 が あ る と 推 察 さ れ た。 と こ ろ で 十 三 仏 に 関 し て は 板 碑 を 中 心 と し た 石 造 物 か ら の 研 究 に よ っ て、 そ の 成 立 と 展 開 に つ い て 徐 々 に 明 ら か に 註 3 さ れ つ つ あ る。 し か し 板 碑 の 場 合、 十 三 仏 を 種 子 で 表 現 し、 そ の 構 図 な ど も 変 化 に 乏 し く、 製 作 年 代 は 明 確 で あ る も の の、 限 ら れ た 範 囲 内 で し か 検 討 で き な い 面 を も っ て い る。 ま た、 文 献 資 料 か ら の 解 明 も な さ れ て い る が、 現 存 資料 は 十 三 仏 の 成 立 以 後 に つ い て 記 述 し て お り、 十 三 仏 の 成 立 過 程 に つ い て は 考 察 が 難 し い。 他 方、 十 三 仏 の 資 料 と し て 比 較 的 数 多 く、 年 代 的 に も 古 く、 図 像 上 で も 変 化 に 富 む の が 絵 画 作 品 の、 い わ ゆ る 十 三 仏 図 で あ る。 し か し 十 三 仏 図 か ら 十 三 仏 の 成 立 に つ い て 論 じ た の は、 僅 か に 先 記 し た 田 村 隆 照 氏 の 論 文 の み で あ る。 本 小 論 で は 神 護 寺 本 十 一 尊 曼 茶 羅 図 を も と に し て、 十 三 仏 図 の 成 立 と 展 開 に つ い て 検 討 し て み た い と 思 う。 一 神 護 寺 本 の 概 要 と 類 品 神 護 寺 本 十 一 尊 曼 茶 羅 図 は 絹 本 著 色 で 縦 二 一七 ・ 一ニ セ ン チ、 横 五 一 ・ 二 セ ン チ の 一 副 一 舗 の 掛 幅 装 で あ る。 そ の 図 様 を 見 る と、 大 き く 上 下 四 段 に 分 け る こ と が で き る。 ま ず、 最 下 段 に は 中 央 に 高 足 台 を 配 し、 そ の 上 に 水 瓶 と 香 櫨 が 置 か れ て い る。 画 面 に 向 か っ て、 そ の 右 側 に 懸 々 座 に 坐 し、 右 手 に 剣、 左 手 に 羅 索 を 持 ち、 火 炎 光 背 を 背 に し た 不 動 明 王 が 描 か れ て い る。 向 か っ て 左 に は、 地 蔵 菩 薩 が 右 手 で 錫 杖 を 持 ち、 左 手 は 腹 前 で 掌 を 上 に し て 宝 珠 を 乗 せ、 蓮 台 に 結 珈 跣 座 し て い る。 二 段 目 中 央 に は、 如 来 形 が 蓮 台 に 坐 し、 右 手 は 胸 前 で 五 指 を 伸 ば し た 施 無 畏 印、 左 手 は 腹 前 で 第 一 ・ 三 指 を 捻 じ て い る。 こ れ は 釈 迦 如 来 と 考 え ら れ る。 向 か っ て 左 の 菩 薩 形 は 右 手 で 剣 を も ち、 左 手 は 肩 前 に 上 げ、 や や 外 に し て 宝 珠 を 乗 せ、 頭 部 に は 五 髪 が 見 ら れ る こ と か ら、 こ の 像 は 五 髪 の 文 殊 菩 薩 で あ る こ と が 分 か る。 向 か っ て 右 の 菩 薩 形 は、 右 手 を 肩 前 に 上 げ 掌 を 上 に し て 手 首 よ り 先 を や や 外 に む け、 左 手 は 胸 前 に 上 げ、 五 指 を 伸 ば し た 普 賢 菩 薩 を 描 い て い る。 従 っ て、 こ の 段 は 釈 迦 三 尊 で あ る こ と が 判 明 す る。 次 の 上 段 中 央 に は 宝 冠 を 被 り、 左 手 の 人 指 し 指 を 右 手 で 握 っ た、 金 剛 界 大 日 如 来 が 蓮 台 に 坐 し、 向 か っ て、 そ の 右 十 三 仏 図 の 成 立 に つ い て
密 教 文 化 側 に は 右 手 を 胸 前 に 上 げ 五 指 を 伸 ば し た 施 無 畏 印、 左 手 は 腹 前 に 安 じ て 五 指 を の ば し、 掌 の 上 に は 薬 壷 を 乗 せ た 薬 師 如 来 を 描 い て い る。 向 か っ て 左 に は 右 手 を 胸 前 に 上 げ 五 指 を 伸 ば し た 施 無 畏 印、 左 手 は 左 膝 上 に 置 き 掌 を 伏 せ て 五 指 を 伸 ば し た 触 地 印 の 如 来 形 が 描 か れ て い る。 こ の よ う な 印 相 の 像 は 釈 迦 如 来 か 弥 勒 如 来 と 考 え ら れ る。 し か し 釈 迦 如 来 は す で に 描 か れ て い る こ と や、 後 述 す る 十 三 仏 図 中 の 弥 勒 菩 薩 に、 同 様 の 像 が 見 い だ さ れ る の で 弥 勒 如 来 の 可 能 性 註 4 が 濃 い。 た だ、 如 来 形 の 弥 勒 で あ っ て も 弥 勒 菩 薩 と 呼 ば れ た 可 能 性 が あ る。 最 後 に 最 上 段 の 中 央 に は 右 手 を 胸 前 に 上 げ 第 一 ・ 三 指 を 捻 じ、 左 手 は 膀 前 に 置 い て 五 指 を 伸 ば し て 掌 を 上 に し た 阿 弥 陀 如 来、 向 か っ て、 そ の 右 側 に は 右 手 を 胸 前 に 上 げ、 五 指 を 伸 ば し 左 手 を 腹 前 に 置 い た 勢 至 菩 薩、 向 か っ て 左 に は 両 手 で 軽 く 蓮 枝 を 持 っ た 観 音 菩 薩 が 配 さ れ て い る。 従 っ て、 こ の 段 は 阿 弥 陀 三 尊 で あ る こ と が わ か る。 次 に そ の 画 法 を 見 て み よ う。 不 動 明 王 は 肉 身 線 を 細 墨 線、 衣 文 線 は 細 朱 線 と 細 墨 線 で 描 き 起 こ し、 衣 文 線 の 一 部 に は 細 金 泥 線 を 沿 わ せ て い る。 頭 髪 部 は 群 青 に 胡 粉、 肉 身 部 は 群 青、 衣 部 に は 朱 ・ 群 青 を 塗 り 膝 部 に 金 泥 で 円 文 を 描 い て い る。 火 炎 光 背 は 朱 で 彩 ら れ て い る。 次 に 各 如 来 を み る と、 ほ ぼ 同 じ で あ る の で 釈 迦 如 来 に よ っ て み て み る こ と に す る。 肉 身 線 は 細 朱 線、 衣 文 線 は 細 墨 線 で そ の 一 部 に は 細 金 泥 線 を 用 い て い る。 肉 身 部 に は 金 泥、 衣 部 に は 緑 青 と 淡 い 朱 が 塗 ら れ、 金 泥 で 円 文 を 描 い て い る。 肉 髪 朱 ・ 回 唇 に は 朱、 頭 髪 部 に は 群 青 が 塗 ら れ て い る。 各 菩 薩 と 大 日 如 来 は、 ほ と ん ど 同 じ で あ る の で 大 日 如 来 に よ っ て、 み て み る。 肉 身 線 は 細 墨 線、 衣 文 線 も 細 墨 線 で 描 き 起 こ し、 肉 身 部 は 白 色 顔 料、 膝 部 は 緑 青 ・ 群 青 を 塗 り 頭 髪 部 は 群 青、 理 略 は 金 泥 を 塗 っ て い る。 膝 部 に は 細 金 泥 線 で 文 様 を 描 い て い る。 台 座 の 蓮 弁 は 朱 ・ 緑 青 ・ 群 青 が 塗 ら れ 古 様 な 表 現 で あ る。
一 応、 諸 尊 の 像 容 と 画 法 を み て き た が、 不 動 明 王 は 力 強 く 的 確 に 表 現 さ れ、 地 蔵 菩 薩 も 謹 直 な 面 貌 を し め し て い る。 他 の 諸 尊 も 引 き 締 ま っ た 面 相 で あ る と 指 摘 で き る。 ま た、 諸 尊 の 肉 身 線 も 伸 び や か に 描 か れ、 衣 部 に は 細 や か に 文 様 が 施 さ れ て い る。 さ て 本 図 の 製 作 年 代 で あ る が、 今 ま で 述 べ た こ と を 考 慮 し、 さ ら に 細 い 絹 目 に 丁 寧 な 地 塗 り を 施 す こ と な ど か ら 鎌 倉 時 代 後 期 ( 十 三 世 紀 末 か ら 十 四 世 紀 初 期) ま で 遡 る と 考 え ら れ る。 な お、 普 賢 菩 薩 の 蓮 台 な ど に 後 補 が み ら れ る が、 総 じ て 原 容 を 留 め 保 存 は 良 好 で あ る と 言 え よ う。 以 上、 神 護 寺 本 の 画 法 と 製 作 年 代 に つ い て 明 ら か に し た が、 諸 尊 の 配 置 は 図-1 の 通 り で あ る。 図-1 十一尊曼券羅図 香川・神護寺 鎌倉 時代 十 三 仏 図 の 成 立 に つ い て
密 教 文 化 つ ま り、 最 下 段 に 不 動 明 王 と 地 蔵 菩 薩、 二 段 目 に 釈 迦 三 尊、 三 段 目 に 大 日 如 来 -弥 勒 如 来 -薬 師 如 来、 最 上 段 に 阿 弥 陀 三 尊 を 配 し て い る。 こ の よ う な 諸 尊 の 組 合 わ せ の 図 像 は 珍 し い と 言 え る が、 決 し て 他 に 類 例 が な い 訳 で は な い。 本 図 以 外 に は、 つ ぎ の 二 点 が 知 ら れ る。 註 5 ・ 東 京 国 立 博 物 館 蔵 十 一 尊 曼 茶 羅 図 註 6 ・ 滋 賀 ・ 油 日 神 社 蔵 十 一 尊 曼 茶 羅 図 図 一2 十一 尊 曼奈 羅 図 東 京 国立 博 物 館 鎌 倉 時 代
-22-ま ず 東 京 国 立 博 物 館 本 ( 以 下、 東 博 本 と い う。 図 1 2) を み て み る。 下 段 か ら 不 動 明 王 と 地 蔵 菩 薩、 釈 迦 三 尊、 阿 弥 陀 三 尊、 大 日 如 来 ・ 弥 勒 如 来 ・ 薬 師 如 来 と な り、 神 護 寺 本 と は 配 置 が、 や や 異 な る も の の 諸 尊 の 像 容 は、 ほ ぼ 似 て い る。 た だ、 東 博 本 に は 高 足 台 が な く、 図 の 最 上 部 に は 天 蓋 が 描 か れ て い る。 諸 尊 の 画 法 を み る と、 各 如 来 は 細 朱 線 で 描 き 起 こ し、 肉 身 部 と 衣 部 に 金 泥 が 塗 ら れ て い る。 衣 部 に は 切 金 で 文 様 が 細 や か に 表 わ さ れ て い る。 諸 菩 薩 も 肉 身 線 を 細 朱 線 で 描 き 起 こ し、 肉 身 部 に は 黄 土 ・ 金 泥、 衣 部 に は 緑 青 ・ 朱 図 一3 十一 尊曼 茶 羅 図 滋賀 ・油 日神 社 鎌 倉 時 代 十 三 仏 図 の 成 立 に つ い て
密 教 文 化 ・ 群 青 を 塗 り、 切 金 で 細 か く 文 様 を 施 し て い る。 諸 尊 と も 肉 身 線 は 伸 び や か で 描 写 も 丁 寧 で、 張 り つ め た 面 相 部 の 表 現 は、 こ の 図 が 鎌 倉 時 代 末 期 ( 十 四 世 紀 初 期) に 製 作 さ れ た こ と を 示 し て い る。 次 に、 滋 賀 ・ 油 日 神 社 本 ( 図-3) を み て み る。 諸 尊 の 配 置 を 見 る と 下 段 か ら 不 動 明 王 と 地 蔵 菩 薩、 阿 弥 陀 三 尊、 大 日 如 来 -弥 勒 如 来 -薬 師 如 来、 釈 迦 三 尊 で あ る。 高 足 台、 天 蓋 は 描 か れ な い。 前 記 二 本 と は 構 図 が わ ず か に 異 な っ て い る が、 そ の 組 合 わ せ は 同 じ で あ る。 画 法 は 東 博 本 と ほ ぼ 同 じ で、 し か も、 そ の 製 作 年 代 も 鎌 倉 時 代 末 期 ( 十 四 世 紀 初 期) と 考 え て よ い。 さ て 本 図 を 含 め、 こ の 三 例 の 図 像 は ど の よ う な 意 味 を 持 っ て い る の で あ ろ う か。 直 ち に 考 え ら れ る の は、 春 日 曼 茶 羅 図 や 日 吉 山 王 曼 茶 羅 図 な ど の、 い わ ゆ る 神 道 曼 茶 羅 図 で あ ろ う。 し か し 神 道 曼 茶 羅 図 の 場 合 に は、 画 中 に 社 景 や 神 像 が 描 か れ る こ と が 多 く、 ま た 大 日 如 来 を 本 地 と す る 神 社 は 伊 勢 神 宮、 熱 田 神 宮 な ど、 ご く 稀 で あ る こ と か ら、 神 道 註 7 曼 茶 羅 図 の 可 能 性 は 少 な い と 考 え ら れ る。 た だ 滋 賀 ・ 延 暦 寺 の 日 吉 山 王 本 地 曼 茶 羅 図 や 愛 知 ・ 神 宮 徴 古 館 の 熱 田 神 宮 註 8 註 9 本 地 曼 茶 羅 図 ( 図 1 4)、 さ ら に 個 人 蔵 の 春 日 本 地 曼 茶 羅 図 な ど ご く 一 部 の 神 道 曼 茶 羅 図 は、 仏 ・ 菩 薩 の 尊 像 の み を 描 き 本 図 と 近 い 構 図 で あ る こ と か ら 簡 単 に は 無 視 で き な い。 二 古 様 な 十 三 仏 図 と の 関 連 前 章 で 十 一 尊 曼 茶 羅 図 と 神 道 曼 茶 羅 図 と の 関 連 に つ い て 否 定 的 な 見 解 を 示 し た が、 実 は 次 に 提 示 す る 滋 賀 ・ 石 山 寺 本 と 福 井 ・ 万 徳 寺 本 の 十 三 仏 図 の 方 が、 よ り 関 連 が あ る と み ら れ た か ら で あ る。 こ こ で 石 山 寺 本 と 万 徳 寺 本 の 十 三 仏 註 10 図 を、 や や 詳 し く 見 て み よ う。 ま ず 石 山 寺 本 の 諸 尊 の 配 置 は 図 1 5 の と お り で あ る。
一 見 し て わ か る よ う に、 神 護 寺 本 十 一 尊 曼 茶 羅 図 の 最 上 部 に 阿 閾 如 来 と 虚 空 蔵 菩 薩 を 付 け 加 え た 図 で あ る こ と が 判 明 す る。 し か も 不 動 明 王 と 地 蔵 菩 薩 の 間 に 高 足 の 台 を 置 く こ と も 同 じ で あ る。 不 動 明 王 は 火 炎 光 背 を 背 に し て 悪 々 座 に 坐 し て や や 内 側 を 向 く が、 そ れ 以 外 の 諸 尊 は、 す べ て 正 面 を 向 き 蓮 台 に 坐 し て 円 相 中 に 描 か れ て い る。 画 法 を み る と 如 来 形 は 肉 身 線 を 細 朱 線 で 描 き 起 こ し、 衣 文 線 は 墨 線 で、 そ れ に 細 金 泥 線 を 沿 わ せ、 肉 身 部 に は 金 泥 図-4 熱 田神宮本地 曼奈羅図 神 宮徴古館 鎌倉時代 十 三 仏 図 の 成 立 に つ い て
-25-密 教 文 化 を 塗 っ て い る。 衣 部 に は 朱 ・ 緑 青 ・ 群 青 が 塗 ら れ、 そ こ に 細 か く 文 様 が 施 さ れ て い る。 菩 薩 形 は 肉 身 線 を 細 墨 線 で 描 き 起 こ し、 衣 文 線 は 塁 線 で そ れ に 細 金 泥 線 を 沿 わ せ、 衣 部 に は 縁 青 ・ 朱 ・ 群 青 が 塗 ら れ て い る。 絵 絹 の 口 は 細 か く、 的 確 な 描 線 と 丁 寧 な 彩 色、 回 唇 の 朱 も 鮮 や か に 塗 ら れ、 文 様 も 金 泥 で 細 や か に 描 写 さ れ る な ど 南 北 朝 時 代 ( 十 四 世 紀 中 頃) ま で 遡 る も の と 見 て よ い で あ ろ う。 証 11 つ ぎ に 万 徳 寺 本 を み て み る。 諸 尊 の 配 置 は 図 -6 の と お り で あ る。 石 山 寺 本 と 比 較 す る と、 中 央 列 の 最 下 段 に 高 足 台 が 無 い た め 釈 迦 如 来 が、 や や 下 に 位 置 し、 そ し て 最 上 部 に 天 蓋 が 描 か れ て い る。 不 動 明 王 を は じ め、 全 て が 正 面 を 向 い て い る。 彩 色 は 如 来 形 は 肉 身 線 ・ 衣 文 線 と も 細 墨 線 で 描 き 起 こ 図-5 十三仏図 滋賀・石山寺 南北朝時代
し 肉 身 部 ・ 衣 部 と も 金 泥 を 塗 っ て い る。 菩 薩 形 の 肉 身 線 は 細 墨 線 で 描 き 起 こ し、 衣 文 線 も 細 墨 線 で 丁 寧 に 描 い て い る。 肉 身 部 に は 金 泥 ・ 黄 土 を、 衣 部 に は 緑 青 ・ 朱 な ど を 塗 り そ れ に 切 金 や 金 泥 で 細 や か に 文 様 を 描 い て い る。 特 に 不 動 明 王 の 光 背 の 表 現 は 見 事 で あ る。 製 作 年 代 は 南 北 朝 時 代 (十 四 世 紀 後 半) と 思 わ れ る。 こ の 図 に お い て も、 諸 尊 の 配 置 は 十 一 尊 曼 茶 羅 図 に 酷 似 し て い る こ と が わ か る。 十 三 仏 の 作 例 の う ち 板 碑 で は 康 永 四 年 ( 一 三 四 五) の 埼 玉 ・ 慈 光 寺 ( 図 -7) や 永 和 四 年 ( 一 三 七 八) の 千 葉 ・ 迎 福 寺 な ど が 古 く、 南 北 朝 時 代 に 遡 る が 絵 画 作 品 で は、 こ の 石 山 寺 本・ 図 一6 十 三仏 図 福 井 ・万 徳寺 南 北 朝 時代 十 三 仏 図 の 成 立 に つ い て
密 教 文 化 万 徳 寺 本 が 今 の と こ ろ 最 古 で、 製 作 年 代 の 面 か ら も 板 碑 と 比 肩 し う る 古 さ を 誇 っ て い る。 こ こ で 神 護 寺 本 な ど の 十 一 尊 曼 茶 羅 図 と 石 山 寺 本 や 万 徳 寺 本 の 十 三 仏 図 に 共 通 す る 点 を 二-三 記 し て み る。 一、 不 動 明 王 と 地 蔵 菩 薩 が 最 下 段 に 相 対 す る よ う に 描 か れ て い る。 二、 阿 弥 陀 三 尊、 釈 迦 三 尊 の 組 合 わ せ が 明 確 で あ る。 三、 大 日 如 来 -薬 師 如 来 -弥 勒 如 来 の 組 合 わ せ が み ら れ、 そ の う ち 弥 勒 如 来 の 像 容 は 右 手 を 施 無 畏、 左 手 は 左 膝 上 図-7 十三 仏板 碑 埼 玉 ・慈光 寺 康 永4年 (1345)
-28-ま た は 腹 前 に 置 く。 以 上 の よ う に 図 像 上 か ら み る と、 十 一 尊 曼 茶 羅 図 は 石 山 寺 本 や 万 徳 寺 本 な ど の 古 様 な 十 三 仏 図 と 酷 似 し て お り、 こ の 両 者 は 密 接 な 関 係 を 有 し て い る こ と が 考 え ら れ る。 従 っ て 先 述 し た、 日 吉 山 王 本 地 曼 茶 羅 図 や 春 日 本 地 曼 茶 羅 図 な ど の 神 道 曼 茶 羅 図 と の 関 連 は 否 定 的 に 見 る 方 が 妥 当 で あ ろ う。 註 12 な お、 大 倉 集 古 館 の 十 三 仏 図 も 石 山 寺 本 に 近 い 構 図 で あ る が、 よ く 見 る と 油 日 神 社 本 十 一 尊 曼 茶 羅 図 に 阿 閾 如 来 と 虚 空 蔵 菩 薩 を 付 加 し た 図 像 で、 や や 異 な る。 三 十 王 本 地 仏 の 成 立 次 に 十 三 仏 の 成 立 過 程 に つ い て 考 察 す る。 十 三 仏 は 儀 軌 や 典 拠 と な る 経 典 が 無 く、 信 仰 そ の も の が、 や や 世 俗 的 で 註 13 不 明 な 部 分 が 多 い。 そ の た め、 古 く か ら 数 々 の 成 立 論 が み ら れ る が、 現 在 で は 主 と し て 板 碑 の 研 究 か ら、 一 応 つ ぎ の よ う に 考 え ら れ て い る。 ま ず、 中 国 渡 来 の 十 王 に 本 地 仏 が 当 て ら れ、 十 王 十 仏 が 成 立 し、 や が て 十 仏 の み が と り だ さ れ、 そ の 後 に、 阿 閾 如 来 ・ 大 日 如 来 ・ 虚 空 蔵 菩 薩 の 三 仏 が 加 わ り 十 三 仏 と な っ た と す る 説 で あ る。 し か し、 初 期 の 十 三 仏 板 碑 を み る と 七 回 忌 以 後 の 三 仏 の す べ て が 大 日 如 来 で あ っ た り、 絵 画 作 品 の 石 山 寺 本 十 三 仏 図 の 体 系 化 さ れ た 構 図 を み る と、 簡 単 に そ の 説 に 従 っ て よ い の で あ ろ う か。 こ こ で も う 一 度、 十 三 仏 図 の 成 立 に つ い て、 板 碑 の 作 例 を 参 考 と し な が ら 検 討 し て み る こ と に す る。 ま ず 十 王 本 地 仏 の 成 立 に つ い て み て み ょ う。 十 三 仏 図 の 成 立 に つ い て
密 教 文 化 ( 一) 十 王 図 十 三 仏 の 成 立 に と っ て 大 き な 役 割 を 成 し た の が 十 王 で あ る。 十 王 に 対 す る 信 仰 は 唐 代 頃 に 盛 ん と な っ た。 そ の 典 拠 註 14 と な っ た の が ﹃ 仏 説 預 修 十 王 生 七 経 ﹄ で、 こ れ に 説 か れ る よ う に、 人 が 亡 く な る と 生 前 の 罪 業 を 十 王 に 問 わ れ 裁 か れ る と い わ れ、 初 七 日 か ら 三 年 ま で 十 回 の 忌 日 に 諸 王 が 配 さ れ て い る。 こ れ ら の 経 典 と 道 明 和 尚 の 説 話 が あ わ さ り 敦 煙 地 方 を 中 心 に 地 蔵 十 王 図 と し て 数 多 く 描 か れ 地 蔵 信 仰 の 中 心 を 成 し た。 そ し て 宋 ・ 元 代 に は 中 国 全 土 に 広 が り、 さ ら に 朝 鮮 半 島 ま で 広 が っ た。 さ て 日 本 へ も 鎌 倉 時 代 に 入 宋 僧 な ど に よ っ て 十 王 図 が も た ら さ れ た。 そ の 多 く は 香 川 ・ 法 註 15 然 寺 本 ( 図 -8)、 広 島 ・ 浄 土 寺 本、 福 岡 ・ 善 導 寺 本 の よ う な 中 国 漸 江 地 方 で 陸 信 忠 一 派 に よ っ て 製 作 さ れ た 図 で あ る。 こ れ ら は ﹁ 初 七 日 忌 秦 広 王 ﹂ か ら ﹁ 三 年 忌 五 道 転 輪 王 ﹂ ま で の 十 王 を 一 幅 ご と に 描 い た も の で、 図 中 に 位 牌 形 の 銘 記 欄 を 画 し て そ れ に﹁ 百 日 平 等 大 王﹂ な ど と 忌 日 と 十 王 名 を 書 き 入 れ て お り、 濃 彩 色 を 施 し た 図 で 敦 焼 本 地 蔵 十 王 図 と は 図 像 も 画 法 も 異 な っ て い る。 ( 二) 忌 日 斎 と 十 王 本 地 仏 と こ ろ で 日 本 で は 十 王 思 想 と は 別 に 平 安 時 代 か ら 死 後 の 供 養 の 為 に 亡 人 斎 や 逆 修 斎 が お こ な わ れ て い た。 そ れ は 七 日 ご と の 忌 日 に 本 尊 を 求 め て 行 う 七 七 日 斎 で ﹃ 中 右 記 ﹄ ・ ﹃ 兵 範 記 ﹄ ・ ﹃ 明 月 記 ﹄ な ど に よ っ て 知 る こ と が で き る。 註 16 こ れ ら に 記 さ れ た 七 七 日 斎 の 本 尊 は す で に 川 勝 氏 や 植 島 氏 に よ っ て 指 摘 さ れ て い る よ う に、 殆 ど 共 通 性 は 見 い 出 さ れ ず、 適 当 に 忌 日 斎 の 本 尊 を 選 ん で い た こ と が 分 か る。 さ て、 一 方、 先 記 し た 陸 信 忠 筆 様 の 渡 来 の 十 王 図 な ど に よ っ て 十 王 思 想 が 流 布 し 十 王 の 彫 刻 が 作 ら れ た り 十 王 図 が
図 一8 十王 図(内 ・閻 羅 王)香 川 ・法 然 寺 元 時 代 十 三 仏 図 の 成 立 に つ い て
密 教 文 化 直 模 さ れ た。 そ し て、 こ の 十 王 図 な ど の 影 響 に よ り、 忌 日 の 回 数 も 百 ケ 日 ・ 一 周 忌 ・ 三 回 忌 が 加 わ り 十 仏 事 と な っ た。 そ し て、 さ ら に 日 本 的 展 開 を み せ て く る。 そ れ は、 福 岡 ・ 誓 願 寺 本 の 十 王 図 や 京 都 ・ 禅 林 寺 本 の 十 界 図 (図 1 9) の よ う に 図 中 に 本 地 仏 を 描 き 込 む こ と で あ っ た。 こ れ は、 お そ ら く 忌 日 斎 に お け る 忌 日 に 対 す る 本 尊 と 渡 来 の 十 王 図 に み ら れ る よ う な 十 王 に 対 す る 忌 日 が 融 合 し た 結 果 で あ ろ う。 こ こ に、 は じ め て 十 王 に 対 す る 本 地 仏 と い う 概 念 が 生 じ た も の と 考 え ら れ る。 こ う し た 結 合 は、 古 く か ら 説 か れ て い る 閻 魔 王 と 地 蔵 菩 薩 が 同 体 で あ る と い う 関 係 が、 他 の 註 17 諸 王 に も 及 ん だ も の と 解 釈 で き る。 こ れ ら の 関 係 を 説 い た 経 典 と し て ﹃ 地 蔵 十 王 経 ﹄ が よ く 知 ら れ て い る。 こ こ で 十 王 と 本 地 仏 と の 関 係 に つ い て 詳 し く み る こ と に す る。 文 献 上 で 最 も 古 い の が 正 嘉 元 年 ( 二 一五 七) に 浄 土 註 18 門 の 談 義 僧、 愚 勧 住 信 が 記 し た ﹃ 私 聚 百 因 縁 集 ﹄ が 知 ら れ る。 こ こ で は、 す で に﹁ 一 秦 広 不 動 本迹 之 事 二 初 江 釈 迦 本 迩 之 事 三 宋 帝 文 殊 本迹 之 事 四 五 官 普 賢 本迹 之 事 五 焔 王 地 蔵 本迹 之 事 六 変 成 弥 勒 本迹 之 事 七 太 山 薬 師 本迹 之 事 八 平 等 観 音 本迹 之 事 九 都 市 勢 至 本 述 之 事 十 転 輪 弥 陀 本 迩 之 事﹂ と あ り、 ま た 本 文 中 に も ﹃ 地 蔵 十 王 経 ﹄ が 引 用 さ れ て い る。 こ の こ と か ら 正 嘉 元 年 以 前 に ﹃ 地 蔵 十 王 経 ﹄ が 成 立 し て い た と 考 え ら れ て い る。 し か し ﹃ 地 蔵 十 王 経 ﹄ の 中 に は ﹁ 第 九 都 市 王 ﹂ に 阿 閾 如 来 を 当 て る も の も あ り、 確 立 ま で に 少 々 の 混 乱 が あ っ た と み ら れ る。 そ れ は と も か く、 鎌 倉 時 代 中 期 に は 十 王 と 本 地 仏 と の 関 係 が 成 立 し て い た こ 電 と な る。 そ の こ と を、 さ ら に 詳 し く 見 る た め に、 こ こ で 十 王 図 に 本 地 仏 が 描 か れ て い る 現 存 作 品 に 付 い て、 主 な も の を 列 挙 し 検 討 し て み た い。 註 19 一、 誓 願 寺 ( 福 岡) 十 王 図 註 20 二、 念 法 寺 ( 滋 賀) 十 王 図 註 21 三、 禅 林 寺 ( 京 都) 十 界 図
密 教 文 化 註 22 四、 二 尊 院 ( 京 都) 十 王 図 註 23 こ の 他 に も 個 人 蔵 ・ 十 王 図 ( 南 北 朝 時 代) な ど、 か な り の 数 の 作 例 が 知 ら れ て い る が、 ま ず、 福 岡 ・ 誓 願 寺 本 か ら み て み る。 こ の 図 は 画 面 に 向 か っ て、 左 側 の 中 央 や や 上 に、 位 牌 形 で 銘 記 欄 を 作 り 十 王 の 衝 立 の 上 部 に、 円 相 を 配 し そ の 中 に 本 地 仏 を 描 い て い る。 ﹁ 初 七 日-釈 迦 如 来、 二 七 日 -不 動 明 王、 三 七 日-薬 師 如 来、 四 七 日 -弥 勒 如 来、 五 七 日-地 蔵 菩 薩、 六 七 日 -観 音 菩 薩、 七 七 日 -欠、 百 ケ 日 -普 賢 菩 薩、 一 周 忌-文 殊 菩 薩、 第 三 年-大 日 如 来 ﹂ と な っ て お り、 ﹃ 地 蔵 十 王 経 ﹄ に 説 く 配 列 と は 異 な っ て い る。 特 に 第 三 年 五 道 転 輪 王 に 大 日 如 来 を 当 て て い る こ と に 注 意 す る 必 要 が あ る。 製 作 は 鎌 倉 時 代 後 期 で 陸 信 忠 様 の 十 王 図 を 直 模 し た と み ら れ る。 つ ぎ に 念 法 寺 本 ・ 十 王 図 は、 十 王 に は 衝 立 が 描 か れ ず 彩 色 も 誓 願 寺 本 に 比 べ て、 和 様 化 し て い る。 十 王 の す ぐ 上 の 円 相 内 に 本 地 仏 が 描 か れ て い る。 ﹁ 初 七 日 -不 動 明 王、 二 七 日-釈 迦 如 来、 三 七 日 -文 殊 菩 薩-普 賢 菩 薩、 五 七 日-地 蔵 菩 薩、 六 七 日-大 日 如 来、 七 七 日-薬 師 如 来、 百 ケ 日-観 音 菩 薩、 一 周 忌 -勢 至 菩 薩、 三 回 忌 -阿 弥 陀 如 来 ﹂ で あ る。 こ の 図 に も 六 七 日 変 成 王 の 弥 勒 に 代 わ っ て 大 日 如 来 が 描 か れ て い る。 製 作 年 代 は 軸 裏 墨 書 に よ り 康 永 四 年 ( 一 三 四 五) に 巨 勢 忠 久 が 描 い た も の で あ る こ と が わ か る。 次 に 禅 林 寺 本 十 界 図 で あ る が、 こ の 図 は 阿 弥 陀 如 来 を 中 心 と し た 図 と 地 蔵 菩 薩 を 中 心 と し た 図 の 双 幅 か ら な り、 地 蔵 菩 薩 の 幅 に は 十 王 が 地 蔵 菩 薩 を 囲 み、 さ ら に そ の 下 に 地 獄 の 様 相 が 描 か れ て い る。 十 王 は、 そ れ ぞ れ 机 を 前 に 坐 す が、 そ の 傍 に 白 地 の 短 冊 形 の 銘 記 欄 を 画 し、 そ の 中 に 次 の よ う に 記 し て い る。 ﹁ 初 七 日 秦 廣 王 大 日 ﹂ ﹁ 二 七 日 初 江 王 不 明 ﹂ ﹁ 三 七 日 五 官 王 不 明 ﹂ ﹁ 四 七 日 宋 帝 王 不 明 ﹂ ﹁ 五 七 日
図一10 十 王 図(五 道転 輪 王 閻 羅 王)浄 福 寺 ・室 町時 代
-35-密 教 文 化 閻 魔 王 地 蔵 し ﹁ 六 七 日 変 成 王 不 明 ﹂ ﹁ 七 七 日 太 山 王 不 明 し ﹁ 百 ケ 日 平 等 王 薬 師 ﹂ ﹁ 一 周 忌 都 市 王 不 明 ﹂ ﹁ 三 回 忌 五 道 転 輪 王 不 明 ﹂ と な っ て い る。 こ の 図 に お い て も 大 日 如 来 が 配 さ れ て い る。 製 作 年 代 は 鎌 倉 時 代 後 期 と 考 え ら れ て い る。 最 後 に 二 尊 院 本 は、 誓 願 寺 本 と 同 様 に 各 王 の 上 部 に 本 地 仏 を 描 く が、 誓 願 寺 本 が 全 て 正 面 向 き で あ る の に 対 し、 斜 め 構 図 を 取 る も の が 多 く、 そ の 殆 ど が 来 迎 雲 に 乗 り 飛 来 す る よ う に 表 現 さ れ て い る。 お そ ら く 来 迎 思 想 を 反 映 し て い る と み ら れ る が、 こ れ は 重 要 な こ と で あ る の で 後 述 す る。 十 王 と 本 地 仏 と の 関 係 は ﹃ 地 蔵 十 王 経 ﹄ と 一 致 し て い る。 製 作 年 代 は 南 北 朝 時 代 と 考 え ら れ て お り、 こ の 図 を 模 写 し た 浄 福 寺 本 (図 -10) と と も に、 本 地 仏 を 描 い た 十 王 図 と し て 著 名 で あ る。 以 上、 十 王 に 本 地 仏 を 配 当 す る 古 例 を 見 て き た が 大 き く 二 つ に 分 け る こ と が で き る。 一 つ は ﹃ 私 聚 百 因 縁 集 ﹄ や ﹃ 地 蔵 十 王 経 ﹄ を 遵 守 す る 二 尊 院 本 系、 も う 一 つ は 誓 願 寺 本 の よ う に 大 日 如 来 を 当 て る も の で あ る。 こ れ は 単 純 な 表 現 か も 知 れ な い が 前 者 は 浄 土 系、 後 者 は 密 教 系 と い え る で あ ろ う。 こ の よ う に 十 王 の 本 地 仏 を、 浄 土 系 と 密 教 系 に 分 け る 試 み は 初 め て の こ と で あ る が、 そ の 理 由 の 一 つ と し て、 禅 林 寺 本 や 念 法 寺 本 の 描 か れ た 時 期 に は、 す で に ﹃ 地 蔵 十 王 経 ﹄ は 成 立 し て お り、 禅 林 寺 本 や 念 法 寺 本 の 作 者 が 十 王 の 本 地 仏 の 中 に 大 日 如 来 を 意 図 的 に 用 い た と 考 え ら れ る か ら で あ る。 こ の こ と は 浄 土 系 か ら 密 教 系 へ の 移 行 と も み ら れ る が、 二 尊 院 本 の よ う に 南 北 朝 時 代 に な っ て も ﹃ 地 蔵 十 王 経 ﹄ の 配 列 と 同 じ 作 例 が あ る こ と か ら、 明 確 に 区 分 す る 必 要 が あ る。 た だ 密 教 系 と 称 し た も の の、 そ の 中 に 阿 弥 陀 三 尊 が み ら れ る こ と か ら、 浄 土 教 と 密 教 が 融 合 し て い る と も 解 さ れ る。 つ ま り 覚 鍵 の 提 唱 し た 密 厳 浄 土 の 思 想 の 影 響 を 考 慮 す ぺ き か も し れ な い。
四 十 王 本 地 仏 の 展 開 ( 一) 十 仏 板 碑 の 成 立 さ て 次 に、 先 述 し た 十 王 の 本 地 仏 が、 ど の よ う に 展 開 し た か を み て み よ う。 中 世 の 板 碑 を み る と、 十 仏 や 十 仏 を 種 子 で 表 し た 例 が あ る。 た と え ば 一、 正 和 四 年 ( 一 三 一 五) 千 葉 ・ 最 勝 院 の 十 仏 種 子 曼 茶 羅 板 碑 二、 嘉 暦 三 年 ( 二 三 一八) 埼 玉 ・ 花 井 家 蔵 の 十 仏 種 子 曼 茶 羅 板 碑 三、 建 武 二 年 ( 一 三 三 五) 千 葉 ・ 檀 林 寺 の 十 仏 種 子 曼 茶 羅 板 碑 四、 康 永 元 年 ( 一 三 四 二) 埼 玉 ・ 行 田 市 立 資 料 館 蔵 の 十 仏 種 子 曼 茶 羅 板 碑 五、 正 平 三 年 ( 一 三 四 八) 山 形 ・ 延 命 寺 の 十 仏 種 子 曼 茶 羅 板 碑 註 24 こ れ ら の 十 仏 は、 何 を 意 味 し て い る の で あ ろ う か。 そ の 種 子 を み る と、 不 動 明 王 か ら 阿 弥 陀 如 来 に い た る ﹃ 地 蔵 十 王 経 ﹄ に 説 く 諸 尊 で あ る こ と が 考 え ら れ る。 た だ 一、 二、 四 は ﹃ 地 蔵 十 王 経 ﹄ に 説 く 像 の う ち、 勢 至 や 弥 勒 菩 薩 の 代 わ り に、 大 日 如 来 を 当 て て い る。 以 上 の よ う に、 鎌 倉 時 代 末 期 か ら 南 北 朝 時 代 に は、 十 王 の 本 地 仏 が 独 立 し て 本 地 仏 の み を 集 合 さ せ た、 十 仏 信 仰 が 出 来 上 が っ て い た こ と が わ か る。 そ し て、 こ れ ら は 阿 弥 陀 信 仰 を 元 に し て 成 立 し た こ と が、 そ の 構 図 か ら 窺 う こ と が で き る。 た だ、 大 日 如 来 が 見 ら れ る こ と は 阿 弥 陀 信 仰 と と も に 密 教 の 影 響 が 大 き い こ と を 認 め な け れ ば な ら な い。 ( 二) 十 一 尊 曼 茶 羅 図 の 成 立 十 三 仏 図 の 成 立 に つ い て
密 教 文 化 さ て 先 述 の よ う に 十 王 本 地 仏 か ら 十 仏 が 取 り 出 さ れ て 十 仏 板 碑 が 成 立 し た が、 こ の 種 の 展 開 は 絵 画 作 品 と し て も 起 こ り 得 た と 考 え ら れ る。 そ れ が 神 護 寺 本 や 東 博 本 ・ 油 日 神 社 本 の 十 一 尊 曼 茶 羅 図 で あ る と 考 え ら れ る。 つ ま り、 大 日 如 来 を 中 心 に し て、 釈 迦 三 尊 ・ 阿 弥 陀 三 尊 な ど を 組 合 わ せ、 さ ら に 画 面 の 下 部 の 不 動 ・ 地 蔵 を 配 す る 図 像 で あ る。 こ の 図 は 先 述 し た 十 仏 板 碑 の よ う に 単 純 な 配 列 で は な く、 か な り 複 雑 で、 し か も 体 系 的 な 構 図 を 示 し て い る。 お そ ら く 何 ら か の 思 想 が 含 ま れ て い る こ と が 想 像 さ れ る。 そ こ で、 ま ず 大 日 ・ 不 動 ・ 地 蔵 の 組 合 わ せ に つ い て み る と、 治 承 三 年 ( 二 七 九) に 栄 西 が 博 多 ・ 誓 願 寺 に お い て 著 註 25 し た ﹃ 菩 提 心 別 記 ﹄ に 次 の よ う に 記 し て い る。 若 顯 若 密 唯 以 地 藏 爲 心 源、 若 内 若 外 偏 以 不 動 爲 實 際 (略) 地 藏 大 日 如 來 風 輪 功 徳 也 (略) 然 則 勝 方 地 藏 尊 現 南 方 瑛 摩 天 時、 其 瑛 魔 天 正 居 地 下、 果 報 夜 天 感 也。 捻 三 界 衆 生 罪 福、 定 善 趣 悪 趣 所 果 也。 地 藏 毎 日 入 恒 沙 定、 娑 婆 衆 生 教 化。 瑛 王 長 時 螢 浄 頗 梨 鏡、 然 記 中 有 群 類 善 悪。 故 云 今 世 後 世 能 引 導 也。 其 十 王 十 地 十 波 羅 蜜 功 徳 顯 現 也。 (略) 地 藏 風 輪 柔 煙 艘、 不 動 風 輪 忽 怒 髄 也。 こ こ で は、 地 蔵 と 不 動 が 大 日 如 来 と 密 接 な 関 係 に あ る こ と を 示 し て い る。 註 26 次 に、 無 住 一 円 ( 一 二 二 六-一 三 一 二) が 著 し た ﹃ 沙 石 集 ﹄ に 実 に 興 味 深 い こ と が 記 さ れ て い る。 つ ま り ﹁ 不 動 看 病 給 事 ﹂ に 地 藏 ノ 御 事、 顯 密 共 二 愚 キ 事 ノ ミ 侍 リ。 建 仁 寺 ノ 本 願 僧 正 ノ ロ 傳 二、 ﹁ 地 不 ノ 決 ﹂ ト テ、 一 巻 の 秘 書 ア リ。 其 中 ノ 肝 心 二、 地 藏 ハ 大 日 ノ 柔 軟 ノ 方 便 ノ 至 極、 不 動 ハ 強 剛 ノ 方 便 ノ 至 極 ︹ ト ︺ イ ヘ リ。 ( 中 略) 是 コ ソ ゲ ニ、 ヤ ワ ラ カ ニ 地 藏 ハ 振 舞 給 ヒ、 不 動 ハ ア ラ ラ カ ニ シ テ 助 給 フ、 彼 口 傳 二 相 叶 ヘ リ。 地 藏 ・ 不 動 ノ 方 便 放 テ、 都 生 死 ヲ 出 マ ジ キ 由 見 ヘ タ リ。 地 藏 ハ 六 趣 四 生 ノ 苦 ヲ 助 ケ 給 フ。 諸 佛 菩 薩 ノ 利 生 二 勝 レ タ リ。 不 動 ハ 三 障 四 魔 ノ 障 ヲ 除 キ 給 フ 事、 ま た ﹁ 不 動 利 益 事 ﹂ に も
﹁ 古 徳 ノ ロ 傳 ニ ハ、 ﹁ 不 動 ト 地 藏 ト ノ 力 放 レ テ ハ、 生 死 ヲ 出 ル 事 ナ シ ﹂ ト 云 ヘ リ。 地 藏 ハ 大 日 ノ 慈 悲 ノ 極 リ、 不 動 ハ 大 日 の 智 恵 ノ 極 リ 也。 世 間 ノ 萬 物、 陰 陽 ノ 和 合 二 依 テ 生 長 ス ル ガ 如 ク、 出 世 ノ 菩 提、 悲 智 ノ 方 便 二 依 テ 成 就 ス ベ シ。 神 呪 ヲ 持 チ、 名 號 ヲ 唱 テ、 魔 界 ︹ ノ ︺ 障 碍 ヲ 彿 ヒ、 臨 終 ノ 正 念 ヲ 所 ル ベ シ。 L と あ る。 ﹁ 建 仁 寺 ノ 本 願 僧 正 ノ 回 伝 二 地 不 ノ 決 ト テ 一 巻 ノ 秘 書 あ り ﹂ と あ る よ う に、 先 述 し た 建 仁 寺 開 基 の 栄 西 が 地 蔵 と 不 動 の 関 係 に つ い て 書 い た 秘 書 が あ っ た こ と が 分 か る。 し か し、 こ の 書 は い ま 侠 書 の た め、 そ の 内 容 に つ い て は 明 確 に で き な い が、 お そ ら く 密 教 を 学 ん で い た 栄 西 が、 渡 来 の 十 王 思 想 や 地 蔵 信 仰 を 元 に し て 密 教 仏 で あ る 大 日 如 来 や 不 動 明 王 な ど と 融 合 さ せ た、 新 し い 忌 日 斎 観 を 述 べ た も の で あ ろ う。 や が て、 こ う し た 思 想 は 広 が り を み せ、 例 え ば ﹃ 明 月 記 ﹄ の 中 に 記 さ れ た 亡 人 斎 の 本 尊 に 大 日 如 来 や 不 動 明 王 が 付 け 加 え ら れ、 ま た ﹃ 沙 石 集 ﹄ で は ﹃ 地 蔵 十 輪 経 ﹄ を 引 用 し た り、 臨 終 の 際 に 不 動 明 王 の 真 言 や 地 蔵 菩 薩 の 宝 号 を 唱 え 大 日 如 来 の 利 益 を 賛 嘆 し、 こ れ ら 諸 尊 が 人 の 死 に 対 し て い か に 重 要 な も の で あ っ た か を 記 し て い る。 そ し て、 不 動 明 王 や 地 蔵 菩 薩 な ど が 忌 日 斎 に お い て、 そ れ ぞ れ 本 尊 と さ れ、 や が て 一 幅 の 画 に 集 合 し て 描 か れ る よ う に な っ た と 推 測 さ れ る。 す な わ ち、 先 述 し た ﹃ 中 右 記 ﹄ ﹃ 兵 範 記 ﹄ な ど に 記 さ れ て い る 釈 迦 三 尊、 阿 弥 陀 三 尊、 薬 師 如 来、 弥 勒 如 来 註 27 な ど の 忌 日 斎 の 本 尊 が 徐 々 に 組 み 合 わ さ れ て い っ た も の で あ ろ う。 つ ま り 十 一 尊 曼 茶 羅 図 は、 忌 日 斎 の 本 尊、 広 義 に 解 釈 す れ ば 十 王 の 本 地 仏 を 集 合 さ せ た も の と 考 え ら れ る。 こ こ で 大 日 ・ 不 動 ・ 地 蔵 と い う 観 点 に た ち 興 味 深 い 図 が あ る。 そ れ は 兵 庫 ・ 斑 鳩 寺 の 八 葉 曼 茶 羅 図 ( 図-11) で あ 註 28 る。 こ の 図 は 一 見 す る と 胎 蔵 界 曼 茶 羅 図 の 中 台 八 葉 院 の よ う で あ る が、 描 か れ て い る 諸 尊 が 異 な っ て い る。 ま ず 中 央 十 三 仏 図 の 成 立 に つ い て
密 教 文 化 に は 胎 蔵 界 大 日 如 来 を 置 き、 そ の 周 囲 に は 阿 弥 陀 三 尊、 釈 迦 三 尊 ・ 薬 師 如 来 ・ 弥 勒 如 来 を 巡 ら せ て い る。 そ し て、 そ の 下 に 不 動 ・ 地 蔵 を 配 し た、 見 事 な 構 図 の 鎌 倉 時 代 後 期 の 作 で あ る。 こ の 図 に つ い て は、 す で に、 神 道 曼 茶 羅 図、 あ 図-11 八 葉 曼奈 羅 図 兵庫 ・斑 鳩 寺 鎌 倉 時 代
註 29 る い は 修 験 道 で 考 案 さ れ、 不 動 信 仰 を 広 め る の に 用 い ら れ た の で は な か ろ う か と の 見 解 が 示 さ れ て い る。 し か し、 こ の 図 の 八 葉 の 諸 尊 を み る と、 釈 迦 三 尊 ・ 阿 弥 陀 三 尊 ・ 薬 師 ・ 弥 勒 で 神 護 寺 本 と ま っ た く 同 じ で あ る。 そ し て 不 動 ・ 地 蔵 も 相 対 し て 配 置 さ れ 構 図 上 に お い て 円 形 と 三 段 三 列 の 相 違 を 除 け ば 酷 似 し て い る。 そ し て、 地 蔵 菩 薩 が 来 迎 雲 に 乗 り 降 下 す る 様 子 な ど を 見 れ ば、 あ る い は こ う し た 図 が、 神 護 寺 本 に 先 行 し て、 忌 日 斎 の 本 尊 と し て 用 い ら れ て い た と も 想 像 さ れ よ う。 な お、 不 動 ・ 地 蔵 の 組 合 わ せ は 個 人 蔵 の 弥 勒 来 迎 図 (南 北 朝 時 代 ・ 図-12) に も み ら れ、 鎌 倉 時 代 か ら 南 北 朝 時 代 に か け て、 こ の 不 動 ・ 地 蔵 が 人 の 死 に 対 し て 重 要 に 関 わ っ て い た こ と が こ れ に よ っ て も 判 明 す る。 さ て 十 王 本 地 仏 に 密 教 系 ( 大 日 如 来 系) が あ る こ と は す で に 指 摘 し て お い た が、 こ の 十 一 尊 曼 茶 羅 図 は お そ ら く 密 教 系 本 地 仏 と 重 要 な か か わ り を 持 つ と 推 察 さ れ る。 以 上、 諸 例 を 参 考 に 検 討 し て き た が、 こ こ で 問 題 と な る の は、 こ の 十 一 尊 曼 茶 羅 図 は 初 日 忌 不 動 か ら 三 年 忌 阿 弥 陀 の 十 仏 事 か ら さ ら に 進 み 十 一 仏 事 と な っ て い る こ と で あ る。 仏 事 の 増 加 を 文 献 上 で み る と、 七 回 忌 は 不 明 で あ る が 十 三 回 忌 は ﹃ 元 亨 釈 書 ﹄ ( 一 三 二 一 年 著) に よ れ ば、 平 治 元 年 ( 一 一 五 九) に 藤 原 通 憲 の 十 三 回 忌 を 修 し た こ と ﹃ 吾 妻 鏡 ﹄ の 寛 喜 二 年 ( 一 二 三〇) に 源 実 朝 の 十 三 回 忌 を 行 っ た こ と が 記 さ れ て い る。 お そ ら く 十 三 世 紀 に は 十 三 回 忌 は 広 く 行 註 30 わ れ て い た と 見 ら れ る。 三 十 三 回 忌 は ﹃ 光 厳 院 日 記 ﹄ (元 弘 二 年-一 三 三 二) や ﹃ 清 拙 語 録 ﹄ ( 一 二 七 三-一 三 三 九) に 見 ら れ、 鎌 倉 時 代 の 末 註 31 期 に は 十 三 仏 事 が 行 わ れ て い た こ と が 判 明 す る。 従 っ て 十 一 仏 事 は 鎌 倉 時 代 中 期 こ ろ、 十 三 仏 事 は 鎌 倉 時 代 末 期 に は 行 わ れ て い た こ と に な り、 十 一 尊 曼 茶 羅 図 の 成 立 を 十 三 世 紀、 そ し て 十 三 仏 の 成 立 を 十 四 世 紀 初 期 に 遡 ら せ る こ と が 可 能 で あ る。 十 三 仏 図 の 成 立 に つ い て
密 教 文 化 五 十 三 仏 の 成 立 今 ま で の 考 察 か ら 十 王 の 本 地 仏 や 忌 日 斎 の 本 尊 が 独 立 し て 十 仏 板 碑 や 十 一 尊 曼 茶 羅 図 が 成 立 し た こ と を み て き た。 次 に、 こ れ ら が ど の よ う な 経 過 を 経 て 十 三 仏 と な っ た か を 検 討 し て み た い。 図 一12 弥 勒 来 迎 図(部 分)個 人 蔵 南 北 朝 時 代
-42-註 32 ま ず 板 碑 で あ る が、 十 仏 板 碑 か ら 十 三 仏 に 展 開 す る 前 に 岡 山 ・ 膀 帯 寺 の 十 二 尊 石 橦 ( 一 三 〇 六 年) や 山 形 ・ 延 命 寺 註 33 の 十 二 尊 種 子 板 碑 ( 一 三 五 九 年) な ど、 十 二 仏 事 の 作 例 が み ら れ つ つ づ い て 十 三 仏 事 と な る。 初 期 の 十 三 仏 板 碑 の 遺 註 34 品 を 列 挙 す る と ・ 康 永 四 年 ( 一 三 四 五) 埼 玉 ・ 慈 光 寺 ・ 永 和 四 年 ( 二 二 七 八) 千 葉 ・ 羽 黒 十 三 仏 堂 ・ 至 徳 三 年 ( 一 三 八 六) 千 葉 ・ 浄 土 寺 ・ 明 徳 三 年 ( 一 三 九 二) 千 葉 ・ 東 勝 寺 な ど 南 北 朝 時 代 の 製 作 で あ る。 こ れ ら を み る と 初 七 日 か ら 三 回 忌 ま で は ﹃ 地 蔵 十 王 経 ﹄ に 説 く 順 序 で あ る が、 そ の 後 の 七 回 忌 ・ 十 三 回 忌 ・ 三 十 三 回 忌 の 三 仏 が す べ て 大 日 如 来 で あ る。 こ の こ と は 密 教 と の 関 連 と い う 点 で 極 め て 注 目 し な け れ ば な ら な い。 註 35 そ し て、 続 い て 阿 閾 ・ 大 日 ・ 虚 空 蔵 の 定 型 化 し た 三 仏 に な る の は ・ 応 永 四 年 ( 一 三 九 七) 山 回 ・ 十 三 仏 堂 ・ 応 永 八 年 ( 一 四 〇 一) 埼 玉 ・ 熊 野 神 社 ・ 応 永 十 年 ( 一 四〇 三) 埼 玉 ・ 高 坂 家 ・ 応 永 十 四 年 ( 一 四〇 七) 山 回 ・ 深 谷 地 区 ・ 応 永 二 十 一 年 ( 一 四 一 四) 大 分 ・ 梅 遊 寺 ・ 文 安 三 年 ( 一 四 四 七) 東 京 ・ 多 摩 町 十 三 仏 図 の 成 立 に つ い て
密 教 文 化 で あ る。 こ の 例 を み る と 先 述 の 不 定 型 の 十 三 仏 が、 ま ず 関 東 地 方 で 製 作 さ れ、 続 い て 定 型 化 し た 十 三 仏 が 関 東 や 関 西 地 方 で 製 作 さ れ だ し た と 解 釈 し な け れ ば な ら な い。 こ の 問 題 に つ い て は 後 述 す る。 次 に 絵 画 作 品 で あ る 十 一 尊 曼 茶 羅 図 か ら 十 三 仏 図 へ と 展 開 し て い く 過 程 を み る と、 先 述 し た よ う に 石 山 寺 本、 万 徳 寺 本 と も 十 一 尊 曼 茶 羅 図 に 阿 閾 如 来 と 虚 空 蔵 菩 薩 を 図 の 上 部 に 加 え る だ け で よ い。 で は、 な ぜ こ の 二 尊 が 付 け 加 え ら れ た か と い う こ と で あ る が、 こ れ に つ い て は 明 確 な 結 論 は 見 い だ せ な い が、 す で に、 板 碑 の 論 文 で 十 斎 日 や 三 十 日 秘 註 36 仏 と の 関 連 が 指 摘 さ れ て お り、 そ れ に 従 い た い と 思 う。 ま た 阿 閾 如 来 は、 ﹃ 地 蔵 十 王 経 ﹄ の 本 地 仏 の 中 に 記 さ れ て お り、 虚 空 蔵 菩 薩 も 平 安 ・ 鎌 倉 時 代 に 行 わ れ て い た 七 七 日 斎 に 見 ら れ る こ と も、 付 加 さ れ た 要 素 の 一 つ と し て あ げ て お き た い。 そ し て こ の 二 尊 が 密 教 仏 で あ る こ と は、 十 三 仏 の 成 立 に は 密 教 僧 が 関 与 し て い た こ と は、 ほ ぼ 間 違 い な い。 以 上、 十 三 仏 板 碑 と 十 三 仏 図 へ の 展 開 を み て き た が、 両 者 の 関 係 は ど う で あ ろ う か。 板 碑 の 場 合 は 製 作 年 代 を 知 る こ と が で き る が、 石 山 寺 本、 万 徳 寺 本 の 絵 画 作 品 は、 と も に 製 作 年 代 は 明 確 で は な い。 し か し 先 述 し た よ う に 画 風 か ら 見 て 石 山 寺 本 も 万 徳 寺 本 も 十 四 世 紀 中 期 と み な し て よ い。 従 っ て 現 存 遺 品 か ら み る と、 こ の 両 者 は、 ほ ぼ 同 時 期 に 製 作 さ れ だ し た と 判 断 し な け れ ば な ら な い。 た だ 板 碑 は 残 存 さ れ や す く、 絵 画 作 品 は 残 存 さ れ に く く、 そ の 点 を 考 慮 す る と 板 碑 の 十 三 仏 は 十 四 世 紀 中 期 を 上 限 と さ れ る が、 絵 画 作 品 は そ れ よ り も 古 い 可 能 性 も あ る。 そ し て 板 碑 は 主 と し て 関 東 で、 絵 画 作 品 は 関 西 で 製 作 さ れ た と も 想 像 さ れ よ う。 ま た、 定 型 化 さ れ た 板 碑 の 十 三 仏 の 成 立 が 室 町 時 代 初 期 に 下 る こ と は、 慈 光 寺 ・ 十 三 仏 板 碑 (七 回 忌 以 後 の 三 仏 を 大 日 如 来 と す る 板 碑) が 絵 画 作 品 の 影 響 を 受 け て、 定 型 化 し た 十 三 仏 に 変 化 し た こ と は 十 分 に 考 え ら れ る こ と で あ る。 以 上 の よ う に 十 一 尊 曼 茶 羅 図 や 十 三 仏 図 が、 忌 日 斎 の 本 尊 と し て 用 い ら れ た こ と を み て き た。 と こ ろ が、 延 徳 元 年 ( 一 四 八 九) に 製 作 さ れ た 浄 福 寺 の 十 王
註 37 図 は、 そ の 裏 面 の 銘 文 か ら こ の 図 が 逆 修 の 為 に 製 作 さ れ た こ と が 判 明 す る。 こ の こ と は 十 三 仏 図 が す で に 製 作 さ れ て い た 時 代 に 係 わ ら ず、 十 王 図 を 用 い て 忌 日 斎 を 行 っ て い る こ と に な る。 従 っ て 浄 土 系 の 宗 派 で は 忌 日 斎 に は 十 一 尊 曼 茶 羅 図 や 十 三 仏 図 は 積 極 的 に 用 い な か っ た と 解 釈 し な け れ ば な ら な い。 六 十 三 仏 図 の 展 開 次 に、 石 山 寺 本 や 万 徳 寺 本 の 十 三 仏 図 は、 そ の 後、 ど の よ う に 展 開 し た か に つ い て 検 討 し て み る。 ま ず、 香 川 ・ 威 註 38 徳 院 の 十 三 仏 図 が 参 考 と な る。 諸 尊 の 配 置 は 図-13 の 通 り で あ る。 こ こ で も 不 動 ・ 地 蔵 が 相 対 し 釈 迦 三 尊、 阿 弥 陀 三 尊 の 形 式 を と る が、 大 日 如 来 が 最 上 部 に 位 置 し、 そ の 脇 侍 的 存 在 と し て 薬 師 如 来 と 阿 閾 如 来 と な り 前 記 二 本 と 異 な っ て い る。 そ し て 諸 尊 の 像 容 も 前 記 二 本 が、 す べ て 正 面 向 き で あ っ た の が 中 央 列 の 釈 迦 如 来 ・ 阿 弥 陀 如 来 ・ 大 日 如 来 の 三 尊 以 外 は す べ て 内 側 を 向 い て い る。 そ れ と と も に、 大 き な 変 化 は 弥 勒 が 菩 薩 形 で 表 わ さ れ て い る こ と で あ る。 製 作 年 代 は 各 所 に 緊 直 な 描 法 が 残 さ れ て お り、 室 町 時 代 初 期 ( 十 四 世 紀 末 期) の 作 と 考 え ら れ る。 そ し て 諸 尊 の 傍 ら に 白 地 で 短 冊 形 の 銘 記 欄 を 作 り、 次 の よ う に 記 さ れ て い る。 不 動 明 王 秦 廣 王 初 七 日 釈 迦 牟 尼 仏 初 江 王 二 七 日 文 殊 菩 薩 宋 帝 王 三 七 日 普 賢 菩 薩 五 官 王 四 七 日 地 蔵 菩 薩 閻 魔 王 五 七 日 十 三 仏 図 の 成 立 に つ い て
密 教 文 化 弥 勒 菩 薩 変 成 王 六 七 日 薬 師 如 来 太 山 王 七 七 日 観 音 菩 薩 平 等 王 百 ケ 日 図-13 十 三 仏 図 香 川 ・威 徳 院 室 町時 代
-46-勢 至 菩 薩 都 市 王 一 周 忌 阿 弥 陀 如 来 五 道 輪 王 三 回 忌 阿 閾 如 来 七 回 忌 大 日 如 来 十 三 回 忌 虚 空 蔵 菩 薩 三 十 三 回 忌 注 目 す べ き こ と は 阿 閲 如 来 ・ 大 日 如 来 ・ 虚 空 蔵 菩 薩 の 欄 に 十 一 王 以 下 の 名 称 が 無 い こ と で あ る。 こ の こ と は 十 一 王 以 下 の 三 王 の 成 立 が、 十 三 仏 の 成 立 以 後 で あ る こ と を 示 し て い る (後 述)。 な お 威 徳 院 本 と 同 じ 構 図 を と る 図 と し て 註 39 岡 山 ・ 安 養 寺 本 (天 正 十 五 年-一 五 八 七) が あ る。 続 い て、 図 像 は 香 川 ・ 覚 城 院 本 (図-14) へ と 変 化 す る。 諸 尊 の 配 置 を 見 る と 最 下 段 に 不 動 ・ 釈 迦 ・ 文 殊、 二 段 目 に 普 賢 ・ 地 蔵 ・ 弥 勒、 三 段 目 に 薬 師・ 観 音・ 勢 至、 四 段 目 に 阿 弥 陀 ・ 阿 閾 ・ 大 日、 最 上 段 に 虚 空 蔵 を 配 し て い る。 こ の 図 は 室 町 時 代 中 期 頃 の 製 作 と 考 え ら れ る が、 今 ま で 記 し て き た 図 と 異 な り、 画 面 に 向 か っ て 右 下 か ら 順 序 正 し く 配 列 さ れ、 十 三 仏 図 と し て の 形 態 が 徐 々 に 整 え ら れ て い る と い え よ う。 こ の 種 の 図 像 は 奈 良 ・ 長 谷 寺 や 十 輪 院 を は じ め 各 地 方 に 数 多 く 所 蔵 さ れ て い る。 た だ 長 谷 寺 本 で は 弥 勒 が 如 来 形 で 表 さ れ る こ と、 大 日 如 来 が 四 段 目 中 央 に 位 置 し 十 三 仏 の 順 序 か ら み る と 阿 閾 如 来 と 代 わ っ て い る こ と な ど か ら、 大 日 如 来 を 中 心 と し た 古 い 図 像 の 影 響 か と 考 え ら れ る。 註 40 こ の よ う に 三 列 四 段 で 最 上 部 に 虚 空 蔵 菩 薩 を 置 く の は 文 明 十 一 年 ( 一 四 九 七) の 埼 玉 ・ 慈 恩 寺 の 十 三 仏 板 碑 に も み ら れ、 こ の こ ろ 盛 行 し た と み ら れ る。 も ち ろ ん 構 図 的 に み て 石 山 寺 本、 威 徳 院 本 な ど の 絵 画 作 品 の 影 響 で あ る こ と が 考 え ら れ よ う。 十 三 仏 図 の 成 立 に つ い て
密 教 文 化 以 上 の 威 徳 院 本 ・ 長 谷 寺 本 ・ 覚 城 院 本 は 言 わ ば 曼 茶 羅 図 形 式 と し て 大 日 如 来 を 軸 に 展 開 さ れ た 密 教 系 の 図 で あ る。 一 方、 十 王 に 本 地 仏 を 配 当 す る 場 合 に 浄 土 系 の タ イ プ が あ る こ と は す で に 言 及 し た が、 つ ぎ に 阿 弥 陀 如 来 を 中 心 と 註 41 し た 十 三 仏 図 に つ い て み て み よ う。 そ の 好 作 例 と し て 香 川 ・ 個 人 蔵 (図 -15) が あ る。 こ の 図 は 十 三 仏 図 と し て は 珍 し く 三 幅 形 式 で あ る。 図-14 十 三 仏 図 香 川 ・覚 城 院 室 町時 代
-48-図 -15 十 三 仏 図 香 川 ・ 個 人 蔵 室 町 時 代 十 三 仏 図 の 成 立 に つ い て
-49-密 教 文 化 中 幅 阿 弥 陀 三 尊
-50-来 迎 形 式 の 阿 弥 陀 三 尊 を 中 幅 と し て 向 か っ て 右 幅 に は 不 動 ・ 弥 勒 ・ 阿 閾 ・ 大 日 ・ 虚 空 蔵、 左 幅 に は 釈 迦 ・ 文 殊 ・ 普 賢 ・ 地 蔵 ・ 薬 師 を 描 い て い る。 左 右 幅 の 諸 尊 の 配 列 は 特 別 に 意 味 を 持 っ て い る よ う に は 見 ら れ な い が、 右 幅 は 密 教 系 左 幅 は 顕 教 系 と み ら れ な い こ と は な い。 い ず れ も 来 迎 雲 に 乗 っ て い る こ と か ら 明 ら か に 来 迎 思 想 を 示 し て い る。 こ の こ と は 浄 土 系 で あ る と 指 摘 し た 二 尊 院 の 十 王 図 の 本 地 仏 が、 来 迎 形 式 で 描 か れ て い る こ と と 関 係 す る と 思 わ れ る。 こ 十 三 仏 図 の 成 立 に つ い て
密 教 文 化 の 図 の 製 作 年 代 は 不 動 明 王 や 地 蔵 菩 薩 の 的 確 な 描 写、 阿 弥 陀 三 尊 の 来 迎 の 形 式 を み れ ば 室 町 時 代 初 期 ( 十 五 世 紀 前 半) と み ら れ る。 と こ ろ で、 こ の よ う な 来 迎 形 式 の 十 三 仏 図 は 今 の と こ ろ、 こ の 図 よ り 古 い も の は み ら れ ず、 殆 ど が 室 町 時 代 中 期 以 降 の 作 品 で あ る。 こ れ ら の こ と を 参 考 に す れ ば、 来 迎 形 式 の 十 三 仏 図 の 成 立 は 曼 茶 羅 図 式 ( 密 教 系) の 成 立 後 で あ つ た と 考 え ら れ る。 お そ ら く 曼 茶 羅 図 形 式 の 成 立 に 触 発 さ れ て 成 立 し た と み ら れ る。 し か し 後 世 に は、 こ の 来 迎 形 式 が 十 図-16 十 三 仏 図 東 京 ・根 津 美 術館 蔵 室 町 時 代
-52-三 仏 図 の 主 流 を 占 め る よ う に な る。 た だ、 こ の 来 迎 形 式 の 中 に も 不 動 ・ 地 蔵 が 他 の 諸 尊 よ り も 前 に 位 置 し て い る 根 津 註 42 美 術 館 本 ( 室 町 時 代 後 期 ・ 図 -16) や 兵 庫 ・ 鷲 原 寺 本 (室 町 時 代 末 期) な ど が あ り、 古 い 形 式 を 残 す も の と し て 興 味 深 い。 ま た、 香 川 ・ 覚 城 院 の 十 三 仏 図 (室 町 時 代 後 期 ・ 図-17) に は、 図 の 最 上 部 に 男 女 の 俗 人 が 雲 に 乗 り、 十 三 仏 の 諸 尊 を 礼 拝 し て い る よ う に 描 か れ て い る。 お そ ら く、 こ の 図 の 発 願 者 で 夫 婦 で あ ろ う。 従 っ て、 こ の 図 は 逆 修 に よ り 製 作 さ れ た こ と が 判 明 す る。 図-17 十 三 仏 図 香 川 ・覚 城 院 室 町時 代 十 三 仏 図 の 成 立 に つ い て
密 教 文 化 お わ り に 十 三 仏 図 は 真 言 宗 を は じ め 多 く の 宗 派 で 忌 日 法 要 に 際 し て 常 用 さ れ、 そ の 歴 史 は 中 世 に 遡 り 遺 品 も 数 多 い。 し か し そ の 成 立 に 関 し て は 確 実 な 資 料 が な い た め 不 明 確 で あ る。 特 に 密 教 と の 関 連 に つ い て は、 し ば し ば 指 摘 は さ れ て い た が、 具 体 的 に は 論 じ ら れ る こ と は な か っ た。 そ れ は 今 ま で、 板 碑 か ら の み の ア プ ロ ー チ で あ っ た こ と に も 起 因 す る と 考 え ら れ る。 本 論 に お い て は 絵 画 作 品 の 十 一 尊 曼 茶 羅 図 か ら 論 及 し、 大 日 如 来、 不 動 明 王、 地 蔵 菩 薩 の 存 在 か ら そ の 糸 回 を 見 い だ し た が、 ま だ 二-三 の 問 題 点 が 残 っ た。 そ の 一 つ は、 十 一 尊 曼 茶 羅 図 や 石 山 寺 本 ・ 万 徳 寺 本 の 十 三 仏 図 の い ず れ も 構 図 上 か ら み る と 釈 迦 三 尊、 阿 弥 陀 三 尊 と と も に 大 日 ・ 薬 師 ・ 弥 勒 で 三 尊 を 形 成 し て い る よ う に も み ら れ る こ と で あ る。 広 島 ・ 浄 土 寺 の 多 宝 塔 ( 元 徳 元 年 建 立-一 三 二 九) の 本 尊 は 大 日 ・ 薬 師 ・ 釈 迦 と さ れ る が、 こ の 釈 迦 如 来 は 弥 勒 如 来 で あ る 可 能 性 も あ る。 は た し て 中 世 に こ の よ う な 大 日 三 尊 と も い う べ き、 三 尊 形 式 が 存 在 し て い た の で あ ろ う か。 こ の 三 尊 形 式 に つ い て は 後 考 に 待 ち た い。 ま た、 何 故、 十 三 仏 で な け れ ば な ら な い か と い う 点 も 問 題 で あ ろ う。 元 来、 日 本 で は 忌 日 は 七 七 日 斎 の 七 回 で あ っ た の が 十 王 の 影 響 に よ っ て 十 回 と な っ た が、 そ の 増 加 の 傾 向 は 十 回 に 留 ま ら ず、 さ ら に 七 回 忌、 十 三 回 忌、 三 十 三 回 註 43 忌 と 増 加 し た。 そ し て 永 禄 九 年 ( 一 五 六 六) の ﹃ 諸 回 向 清 規 式 ﹄ 巻 四 に ⋮ ⋮ 右 十 三 仏 終 焉 十 七 年 忌 二 十 五 年 忌 十 五 仏 伝 有 之
十 七 年 十 七 年 忌 未 詳 慈 明 忌 二 十 五 年 愛 染 明 王 大 士 忌 百 年 宝 生 仏 と あ り、 十 五 仏 の 説 も あ っ た こ と は 時 代 が 下 る も の と は い え 興 味 深 い。 し か し、 こ の 十 五 仏 が 盛 行 し な か っ た の は 十 三 と い う 数 が い わ ば 仏 教 上 で 聖 教 で あ っ た こ と、 そ し て 三 十 三 と い う 数 も、 ま た 吉 祥 数 で こ の 両 者 の 結 ぶ と こ ろ で 註 44 い わ ゆ る 死 者 に 対 し 弔 切 り を 行 っ た と い う 説 を 取 り た い と 思 う。 次 に 十 一 王 以 下 の 存 在 で あ る。 十 王 ま で は 確 か に 中 国 で 作 り 出 さ れ た も の で あ る。 し か し、 す で に 威 徳 院 本 十 三 仏 図 で 記 し た よ う に 室 町 時 代 初 期 に は、 ま だ 成 立 し て い な い。 さ ら に ﹃ 蔭 涼 軒 日 録 ﹄ の 文 明 十 八 年 十 二 月 二 十 二 日 の 条 や 先 述 の ﹃ 諸 回 向 清 規 式 ﹄ も 記 し て い な い と こ ろ を み る と、 室 町 時 代 後 期 ( 十 六 世 紀 中 頃) に は ま だ 成 立 し て い な い。 註 45 お そ ら く 室 町 時 代 末 期 か ら 江 戸 時 代 初 期 頃 に 考 え 出 さ れ た も の で あ ろ う。 一 応、 そ の 名 称 を ﹃ 十 三 仏 抄 ﹄ ( 一 六 四 二 年) に 従 っ て 記 し て お く。 ﹁ 七 回 忌 -蓮 上 王、 十 三 回 忌-抜 苦 王、 三 十 三 回 忌 -慈 恩 王 ﹂ で あ る。 こ れ ら は、 お そ ら く 必 要 に 迫 ら れ て と い う よ り も、 十 一 王 以 下 に 名 称 が な い 不 自 然 さ か ら 適 当 に 付 け ら れ た と み ら れ る。 こ の 他 に も 造 立 目 的 が、 板 碑 の よ う に 逆 修 で あ っ た の か ど う か な ど 問 題 と す る と こ ろ は 多 い。 こ れ ら に つ い て は 今 後 の 研 究 課 題 と し て お き た い。 付 記 本 稿 作 成 に つ い て、 東 洋 大 学 ・ 渡 辺 章 悟 氏 に 板 碑 に 関 す る 資 料 な ど に つ い て 多 大 の ご 教 示 を 賜 り ま し た。 記 し て 感 謝 の 意 を 表 し ま す。 十 三 仏 図 の 成 立 に つ い て
密 教 文 化 註 ( 1) 香 川 県 大 内 郡 白 鳥 町 田 中 六 一 二 の 一 に 所 在 し、 天 台 宗 叡 山 派 に 属 す。 ( 2) 田 村 隆 照 ﹁ 十 三 仏 図 像 と 十 王 図 本 地 仏-信 仰 資 料 の 図 像 学-﹂ ( ﹃密 教 図 像 ﹄ 四 号) 十 四 頁-二 八 頁 ( 3) ・ 川 勝 政 太 郎 ﹁ 十 三 仏 信 仰 の 史 的 展 開 ﹂ (﹃ 史迹 と 美 術 ﹄ 五 二〇 号 昭 和 五 十 六 年 十 二 月) ○ 植 島 基 行 ﹁ 十 三 仏 成 立 へ の 展 開 ﹂ (﹃ 密 教 文 化 ﹄ 第 九 四 号 昭 和 四 十 六 年 三 月 密 教 研 究 会 刊) ○ 渡 辺 章 悟 ﹃ 十 三 仏 信 仰 ﹄ (平 成 元 年 十 月 渓 水 社 刊) ○ 圭 室 諦 成 ﹃ 葬 式 仏 教 ﹄ ( 昭 和 六 十 一 年 一 月 ・ 大 法 輪 閣 刊) ( 4) 香 川 県 丸 亀 市 本 島 ・ 長 命 寺 の 弥 勒 は 如 来 形 で あ る が、 次 の よ う な 銘 文 が あ り、 弥 勒 菩 薩 と 呼 ば れ て い た こ と が わ か る。 奉 修 造 弥 勒 菩 薩 井 □ 動 毘 沙 門 惣 持 寺 住 持 比 丘 尼 慶 順 敬 白
時
延
文
元
年
輌
□
( 5) 名 称 に つ い て は ﹃ 東 京 国 立 博 物 館 図 版 目 録 ﹄ 仏 画 篇 (東 京 美 術 刊、 昭 和 六 十 二 年) で は 十 一 仏 図 と す る、 絹 本 著 色 ・ 縦 二〇 ・ 三センチ、 横 五 〇 ・ 五センチ ( 6) 油 日 神 社 は 滋 賀 県 甲 賀 町 に 所 在、 鎌 倉 時 代 か ら 室 町 時 代 の 仏 画 数 点 を 所 蔵、 詳 し く は ﹃ 甲 賀 の 社 寺 ﹄ 図 録 参 照。 絹 本 著 色 縦 二 一 ・ ○センチ、 横 四 六 ・ 五センチ。 こ の 図 録 で は、 製 作 年 代 を 室 町 時 代 と す る が、 実 査 し た と こ ろ 鎌 倉 時 代 末 期 と 考 え ら れ る。 ( 7) 関 口 正 之 ﹃ 日 本 の 美 術 ﹄ 3 ・ 垂 迩 画、 図 版 68 ( 至 文 堂 ・ 平 成 元 年 三 月 刊) ( 8) 前 掲 註 ( 7) 図 版 97 ( 9) 前 掲 註 ( 7) 図 版 55 ( 10) 石 山 寺 本 は 絹 本 著 色 ・ 縦 一 一 一 ・ 五センチ ギ、 横 三 九 ・ 四センチ。 田 村 隆 照 氏 に よ っ て 紹 介 さ れ た。 ( 11) 万 徳 寺 本 は 絹 本 著 色 ・ 縦 一 一 三 ・ 一センチ、 横 五 二 ・ 四 セカデ。 ﹃若 狭 の 仏 画 ﹄ ( 福 井 県 立 若 狭 歴 史 民 俗 資 料 館 ・ 昭 和 五 十 七 年 十 月 刊) ( 12) 大 倉 集 古 館 本 は 絹 本 著 色 ・ 縦 一 一 一 ・ 三センチ、 横 四 〇 ・ 八センチ ・ 室 町 時 代 前 期 の 作 ( 13) 前 掲 註 ( 3) の 他 に 中 村 雅 俊 ﹁ 虚 空 蔵 信 仰 と 十 三 参 り ﹂ ( ﹃ 仏 教 民 俗 体 系 6 ・ 仏 教 年 中 行 事 ﹄ 昭 和 六 十 一 年 十 月 刊) も 詳 し い。 ( 14) ﹃ 仏 説 預 修 十 王 生 七 経 ﹄ 新 纂 ﹃ 大 日 本 続 蔵 経 ﹄ 第 一 巻 四 ○ 八 頁 ( 15) 香 川 ・ 法 然 寺 の 十 王 図 は 絹 本 著 色 ・ 各 縦 五 三 ・ ○センチ、 横 三 六 ・ 四センチ で あ る。 ( 16) ﹃ 中 右 記 ﹄ ・ ﹃ 兵 範 記 ﹄ ・ ﹃ 明 月 記 ﹄ の 忌 日 斎 の 本 尊 に つ い て は、 前 掲 註 ( 3) 川 勝 氏 ・ 植 島 氏 の 論 文 に 記 載 され て い る が、 ま と め て み る と 次 の よ う で あ る。 ( 17) 十 王 の 本 地 仏 に つ い て は、 日 本 の オ リ ジ ナ ル と す る の が 通 説 で あ る が、 静 嘉 堂 文 庫 蔵 十 王 図 ( 中 国 元 時 代-明 時 代) の 閻 魔 王 に は 被 帽 地 蔵 が 来 迎 雲 に 乗 り 飛 来 す る よ う に 描 か れ て お り、 一 見 す る と 本 地 仏 の よ う に 見 え る。 ま た、 大 足 石 窟 に は 十 王 の 上 に 如 来 形 が 見 ら れ、 そ れ は、 あ た か も 本 地 仏 の よ う で あ る。 こ れ ら の こ と か ら、 十 王 の 本 地 仏 は、 あ る い は 中 国 起 源 で あ る 可 能 性 も あ ろ う。 こ れ に つ い て は 別 稿 に 譲 り た い。 ( 18) ﹃ 私 聚 百 因 縁 集 ﹄ (﹃ 大 日 本 仏 教 全 書 ﹄ 一 四 八) ( 19) 誓 願 寺 ・ 十 王 図 絹 本 著 色 ・ 各 縦 一〇〇 ・ 六センチ、 横 四 七 ・ 四センチ は 九 州 歴 史 資 料 館 ・ 昭 和 五 十 二 年 刊 ﹃ 筑 前 誓 願 寺 ﹄ の 二 頁 に 掲 載 さ れ て い る。 ま た 梶 谷 亮 治 ﹁ 日 本 に お け る 十 王 図 の 成 立 と 展 開 ﹂ (﹃ 仏 教 芸 術 ﹄ 九 七 号 ・ 昭 和 四 十 九 年 七 月 L に も 掲 載 さ れ て い る。 ( 20) 念 法 寺 ・ 十 王 図 は 絹 本 著 色 ・ 各 縦 五 六 ・ 六センチ、 横 四 一 ・ ○センチ、 宮 島 新 一 ﹁ 巨 勢 派 論 ( 下) ﹂ ( ﹃ 仏 教 芸 術 ﹄ 第 一 六 九 号、 昭 和 六 十 一 年) に 詳 し い。 ( 21) 禅 林 寺 ・ 十 界 図 は 絹 本 著 色 ・ 縦 二 三 二 ・ 四センチ、 横 一 二 五 ・ 二センチ ﹃ 重 要 文 化 財﹂ 8 絵 画II 五 九 頁 ( 毎 日 新 聞 社 ・ 昭 和 四 十 八 年 刊) ( 22) 二 尊 院 ・ 十 王 図 は 絹 本 著 色 ・ 各 縦 九 九 ・ ○センチ、 横 四 三 ・ ○センチ ﹃ 重 要 文 化 財 ﹄ 8 絵 画II ( 毎 日 新 聞 社 ・ 昭 和 四 十 八 年 刊) ( 23) 個 人 蔵 ・ 十 王 図 は 絹 本 著 色 ・ 各 縦 一 六 一 ・ ○センチ、 横 一 三 八 ・ ○センチ 二 幅 対 で 十 王 の 上 に 円 相 を 作 り、 そ の 中 に 本 地 仏 を 描 く、 配 列 は ﹃ 地 蔵 十 王 経 ﹄ に 従 っ て い る。 ( 24) こ れ ら の 十 仏 種 子 曼 茶 羅 板 碑 に つ い て は 渡 辺 章 悟 氏 に ご 教 示 し て 頂 い た。 ( 25) ﹃ 沙 石 集 ﹄ (﹃ 日 本 古 典 文 学 大 系 ﹄ 八 五) ( 26) ﹃ 菩 提 心 別 記 ﹄ は 註 ( 19) の 梶 谷 氏 論 文 を 参 考 に し た。 ( 27) 前 掲 註 ( 2) に 同 じ ( 28) 八 葉 曼 茶 羅 図 は 絹 本 著 色 ・ 縦 一 三 五・ ○センチ、 横 八〇 ・ 三センチ、 鎌 倉 時 代 後 期 の 作。 加 古 川 市 指 定 文 化 財。 ( 29) 中 野 玄 三 ﹃ 日 本 の 美 術 ・ 不 動 明 王 ﹄ 図 版 70 ( 至 文 堂 ・ 昭 和 六 十 一 年 三 月 刊) ( 30) 圭 室 諦 成 ﹃ 葬 式 仏 教 ﹄ 一 七 二 頁-一 七 三 頁 ( 大 法 輪 閣 十 三 仏 図 の 成 立 に つ い て
密 教 文 化 ・ 昭 和 六 十 一 年 一 月 刊) ( 31) 前 掲 註 ( 30) に 同 じ ( 32) 謄 帯 寺 ・ 十 二 尊 石 橦 は、 註 ( 3) 川 勝 氏 の 論 文 に 詳 し い。 ( 33) 註 ( 32) に 同 じ ( 34) こ れ ら の 作 例 に つ い て は 渡 辺 章 悟 氏 の ご 教 示 を 賜 っ た。 ( 35) 前 掲 註 ( 34) に 同 じ く、 渡 辺 章 悟 氏 に ご 教 示 し て 頂 い た。 ( 36) 前 掲 註 ( 3) 川 勝 氏 論 文 ( 37) 浄 福 寺 十 王 図 に は 次 の よ う な 墨 書 が あ る。 ﹁ 延 徳 元 年 酉 巳 十 二 月 廿 三 日 蒙 記 命 奉 開 眼 供 養 詫 為 御 逆 修 被 図 写 之 沙 門 善 空 謹 誌 書 工 左 近 将 監 藤 原 光 信 絵 所 預 ( 38) 威 徳 院 十 三 仏 図 は 絹 本 著 色 ・ 縦 一 一 一 ・ ○センチ、 横 五 八 ・ 八センチ、 九 州 大 学 ・ 菊 竹 淳 一 氏 の 解 説 に よ る ﹃ 高 瀬 町 の 文 化 財 ﹄ ( 高 瀬 町 教 育 委 員 会 編 ・ 昭 和 六 十 一 年 三 月 刊) で は 室 町 時 代 初 期 (十 四 世 紀 後 期) と す る。 ( 39) 覚 城 院 ・ 十 三 仏 図 は 絹 本 著 色 ・ 縦 一〇 五 ・ 三センチ、 横 四 七 ・ 五センチ。 ( 40) 慈 恩 寺 ・ 十 三 仏 板 碑 は 前 掲 註 ( 3) に 詳 し い ( 41) 香 川 ・ 個 人 蔵 十 三 仏 図 は 絹 本 著 色 ・ 各 縦 八 三 ・ 五センチ、 横 三 八 ・ 五センチ ( 42) 兵 庫 ・ 鷲 原 寺 本 は 絹 本 著 色 ・ 縦 九 四 ・ 六センチ、 横 三 八 ・ ○センチ ﹃ 兵 庫 の 絵 画 ﹄ (兵 庫 県 立 歴 史 博 物 館 ・ 昭 和 六 十 三 年 三 月 刊) ( 43) ﹃ 諸 回 向 清 規 式 ﹄ ( ﹃ 大 正 蔵 経 ﹄ 第 八 十 一 巻 六 六 四-六 六 六 頁) ( 44) 前 掲 註 ( 3) 植 島 氏 論 文 に 詳 し い。 ( 45) 前 掲 註 ( 3) の 渡 辺 章 悟 氏 の 著 書 に 詳 し く 記 さ れ て い る。