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智山學報 第57 - 014阿部 貴子「『瑜伽師地論』における止・挙・捨について」

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全文

(1)

NII-Electronic Library Service

瑜 伽 師

論 』

に お

 

 貴  

 は じめに

 

仏教に おける ヨー ガ

修行

に とっ て 欠か せ ない

方法

は もち ろ ん止 観で ある。 原 始 経典で は厳 密 な 区別の なか っ た 「止 ・観 」で ある が 1)、 そ れ ら は 心 を

め るこ と 止)、

理 を正し

く観察す

るこ と (観) と対で 定 義 さ れる よ

にな

多 く

文献

生 的

釈 を行

になっ てい っ た。 『瑜伽 師地 論 』 「

聞地 」では ヨー ガの様々 な修 行 法を 「止 ・

観」

約 して説明する箇

が見 られ、 それ らが瑜 伽 行 派の実践 論の 骨格を成してい る とい っ て よい 2) 。

 

また 『瑜 伽 論

には主 に ヨ ー ガ実 践 中の 様 相 を表 す 文 脈で 「止 相

9amathanimitta

挙相

pragrahanimitta

捨相

upek

imi

忙a

とい

一連の ター

が 散見 され。 つ ま り、 心 を静め るこ と (止)、

奮起

させ るこ と (挙 )、 関 心 を持 た ない こ と (捨)で あ る。 これ らは 元来 「止 観 」 を表 す もの で はない が、

瑜伽 論 』に は

観」

と同

な さ れ る箇 所があ り、 『解 深 密経 』で は 「止 ・観 ・止観和 合 」 と区分 され、 後の 瑜伽行 派論 書以外の 文 献に おい て も

観」

を意 味

るもの として定 着 してい る。 天台智 頻の

摩訶

観』

で も

又止

即奢摩

他。 觀 即 毘 婆舍 那。 他 那等 故 即憂 畢 叉 」 と説か れ る 通 りで あ る3)。 その た め か、 こ の

の 原意は見 過さ れ、 これ らが い か なる文 脈で 説か れて きたの か

厳密

考察

さ れてこ なかっ た。

 

そ もそ も

」「

挙」 「

捨 」は心の 状 態 を表 す一般 的 な語 と して、 阿

、 ニ カー ヤ、 阿毘 達 磨 論書に別々 に示さ れ る が

止 ・

捨 」 語 句

当た らない 。 後 述の 『増

部 経 典

』 「

金工 師 (経)

Suva44ahara

」に は

samAdhi ・

挙 pragraha

・捨 upek §a の セ ッ トで

ら れ、

長部経

に は

「止 ・観

samathanimitta  ’

paggahani

血 tta

換 言す

箇所

21

(2)

智山学報第五 ある4) 。 お そら く初期 経 典で この 定型 句の 原 型が形 成さ れ たの だろ うが、 こ れ につ い て は

討 課 題とする。 本

稿

で は

伽 論 』に おい て

止 ・

・捨

がい かなる

文脈

かれてい の か その 用例 を まとめ、 そ れ らが どの よ

観」

なさ れ る に至っ たのか、 その

過程

の 一

考察

 

1

.心の精 練 を

す例〜 『三 摩咽

地 』の冶 金 喩

  『

瑜伽論』 「

は 四

慮、 八

脱、

持、

至な どの

々 な禅 定 に関して論 述 する

であるが、 その なか で十 一

経 典

説 をする箇 所が ある。 その第 十 経 典 「塵 を洗 浄する経 〔漢 訳 「盪 塵 経

〕伍 漉一 sudhavakasu ’tra」(以 下 「盪 塵縄 )で は金工 師 に よ る金の 精 錬過程 を

えと

に よっ て

修行者

の 心の

修練

過程 を

説 く

十 一

典一 経 題は記さ れ てい ない一 で は 「止 ・挙 ・捨 」の修 習を説 示 して い る 。 「盪 塵 経 」 引 用

所 には 「止 ・

・捨 」の言及はない 、 両 経は後述の よ

に極めて近い 関係に あ

止 ・

捨」

と関連 してい る。

 

では両

に関

る説 明 を

て み よ

で は

盪 塵

経 」所 説

の金の

精 錬過程

を、

1)

精錬 〔

垢 陶錬 〕

upaklega −viSuddhi 、

2)凝

縮 の精 錬 〔摂 受 陶 錬 〕salhgraha −vi°、 (

3

)堪 能性の精 錬 〔調 柔 陶 錬 〕

karma4yata

− vi° とい

け、

の よ

明 して い る。 (以下和 訳 中の ロ ーマ 数 字、 傍 線、括 弧は筆 者)5)     「… (

1

)その なかで塵 垢の 精錬 は、 金の 種 にある麁 ・ 中 ・ 微 塵 垢 を除 去

  

する こ とか ら、 ま さに清 らか な砂 金 が残 され る とい

こ とまで である。

   (

2

その な かで凝 縮の

精錬

は、 ま さ に そ れ らの

金の

溶 解が な さ れ る

  

こ と か らで あ る。

3 )

その な かで

堪 能性

精 錬

は、

な さ れ た

  

の欠 け などの損傷 を浄化 する こ とか らである。 《中略

   

1

)それ ら

麁 ・中 ・微の 塵 垢

を断じて善

修 習

行 ず

るこ

  

と に よ

らか な心は

有尋有伺

とな る。

らかな

金が まだ

溶解

さ れ

  

てい ない よ

に。 これ が、 金の よ

塵垢

精錬

する こ とで ある。

   (

2

『有

有 伺の 止 寂 ない し

静慮

を具足 して

住す

とい

こ と、 (

22

(3)

NII-Electronic Library Service 『瑜伽師地論』にお ける止 ・挙 ・捨につ い て (阿部)

  

これ が心の 凝 縮 を精 錬 する こ とである。 まさに金 の溶解が な さ れる よ

  

に 、

心が

無 尋無 伺三摩地 に専 注 する か ら である。 (

3

) 『もし三摩 地が

  

所 作に と ら われ な けれ ば』 と説か れ た こ と、 こ れ が心の

堪能性

精錬す

   るこ である。 金の 欠 け などの 損傷 を除 くように、 諸々 の 証 得 され るべ

  

に お い て望 み 通 りに

転ず

る か らである。」 (

Delhey6

4

2

10

1

2

)7) すなわ ち (

1

)塵 垢の段 階で は、 金の塵 垢 を除去 して もなお残さ れ た砂 金が あ りそ れ が まだ溶解さ れてい い ように、 修 行 者の心に も垢を断 じて も尋

されてい る。

2)

凝 縮の段 階で は 、 金が完全 に溶解 する よ

に 、修

行者

の 心 も

無伺

地に

け 込ん で 集 中してい る。 (

3

)堪 能 性の段 階で は、金 が損 傷 を除 くよ

に、

修行者

は証

され るべ き

に おい て望み通 りに転

る abhijfieye §u 

dharme

§u 

yathespaparipamanat

と説か れてい る。

 

十 一

「止捨 」 に よ っ て作 意 する こ と を、

の よ

に説 く。

  

また世

は 三相が作 意さ れ るべ きである と述べ

そ れ は

消沈な ど

  

を除

た め に、 時に応 じて止 な どを、 ただ (そ れ

の みで な く

  

こ とで ある。 その な かで 、

1)

2

)止 ・挙におい て未だ修 練が為され

  

てい ない に とっ て、 そ れの み を行 ずるこ とは消 沈 と興

相 (

を生

  

る)。 それが加 行 道で ある。

3

時に 応 じて捨

相 (

を行

とい

これ

  

は成就 道の ときである。 こ の者にとっ て も、 そ れの み を

行ず

る だ け で は

  

や諦を思

で きない の で、 諸々 の漏 を

くそ

とも正 し く心が

  

らない 。 …

(Delhey 4 .2.11)9) つ ま り三

の い

れ かの み に集 中する と、 止相で は消

laya

挙相

で は 興

奮 しauddhatya 、 捨 相で は心が 不安 定 na  samyak  cittafh samfidhryata

とな る。

その ため、 そ れ ぞ れ を時に応 じて

kalcna

kElam

行 ずるべ きで ある と示 す。 こ こ には冶金の比喩は用い られて い ない 。

 

以 上の よ

十 経 典 「盪 塵 経 」 と第十 一

典は一見 接 点が ない 。 だ が 「盪塵 経

増支部経

「金工師 (経 )

Suvauaaknra 」

(以 下 「金工 師経 」)9) 及び そ れ に対 応 する

含 経 』第

1246

1247

経10)

に (

23

) N工工一Eleotronlo  Llbrary  

(4)

智山学報第五

金工

前半

部と漢 訳

1246

経に近似 する11)。 さ らに第 十 一経 典 工師経 」の後 半 部 と漢 訳

1247

経 と同

の内

で ある。

蘯 塵

経」

十一

経典

は一漢訳が そうである よ うに一

文脈

前後

有す

る別々 の

典であっ た と思われ る。   そこ で 「金 工 師経 」 を参 照 してみ よう。 金工 師とその 弟 子たちは次の 工程 を行

1

金 鉱の 塵 垢 を

で洗

する

dhovati

2

し か し ま だ砂金 が

る。 そこ で そ れ を炉に入れて溶 解 する

dhamati

。 (

3

そ れが 完 全に溶

され ると、 柔 らか く

能で

kammaniya

力 ・

れ や

す く

、 正し

く細

る に

応 し

なる。 そ して どの よ

装飾品

型し よ

と して も、 そ れ はその 目的に適 応 する

yassa

 

yassa

 ca 

pilandhanavikatiya

 

akafikhati

.,.

tafi

cassa

attharii anubhoti 。 こ の ように して比 丘 は、 (

1

)粗 大 な垢 (身 ・口 ・意の悪 行)、 中位の垢 (欲 ・恚 ・害尋思 )、 微 細 な垢 (生 まれ ・故郷 ・高慢 さ を伴 う尋思)を 除 去 する。 (

2

)しか しまだ法の

伺が残る。 そ こ で心 を内

させ、

等住

さ せ、 一

させ、

等持

さ せ る。

3)

それ らの 三昧が為 される と、 寂 静で、 精 妙 で、

静寂

さ を

て、 一

境性

達成 し 、 所 作に とらわ れ

抑 制 されな くな る。 そして証得 すべ き法 を証

得す

る た め に

る と き、 その 因に従っ て その

へ と趣

以 上 が

前半

パ ーリ 1− 10、 漢 訳 1246 経 )の 内 容で ある。

 

半 部 (パ ーリ 11− 13 漢 訳 1247 経にお い て は次の通

である。 金工

と その 弟 子たちは 以 上 の工程で 、

1)

鞴で吹い て火 を起 こ し abhidhamati 、

2)

を注 ぎudakena  

paripphoseti

、 (

3

察す

る ajjhupek  

kthati

吹 く

だけな ら

を焚 焼 し、 水 を注 ぐだけ な ら

冷却

し、

観察

だ けな ら正 し

く成熟

しない の で、

に応 じて

kalena

kalam

そ れ らを行 えば

、 柔 らか く、 堪 能で、 輝か しく、 壊 れやす くな く、 正 し く細工する に相応 しくなる。 そ して どの よ

な 装

品に 変型 しよ うと して 、 金は その 目的 に適応 する。 同様 に比 丘 は (

1

)三昧 相

samadhinimitta 、

2

)挙相

paggahanimitta

3

)捨 相 upe   互nimitta を行

。 し か

し三昧の み で は懈

kosajja

、 挙 相の みで は高ぶ りuddhacca 、 捨 相の み で

を尽 くそ

と も心が 正 しく

まら ない の で cittarh na samma  samadhi −

yeyya

、 その 三 相 を時に応 じて

行ず

る。 そ

すれ ば、 か れ の心 も柔 らかで 、 (24

(5)

NII-Electronic Library Service 『瑜伽師地論』 に お け る止 ・挙 ・捨につ い て (阿部 )

能で、

か し く、

れ や

くな く、 漏 を

た め に正 しく三

る。 そ して証得 すべ き法を証 得 するた め に心 を

ける と きに は、 その 因に従っ て その現 証へ と趣 く 。

 

以 上、 金 と

行者

の 心の

精錬

、 お よ び

止 ・

捨」

践 をま と め る と下 表の 通 りである。

 

参 考 まで に馬 鳴作 『サ ウ ン ダラナ ンダ

冶金 喩 も挙 げて お こ う。 当論は 『瑜伽 論』の 成立 に密 接 な関係が ある ことが知 られてい る。 この 三相 に関し て も 「第

XVI

章 聖 諦 解 明」(

53

67

 v)12)に同様の 説 明が 見ら れ る 13) 。 こ こ は

瑜伽

方便

を説き

にも引用 され る重

な箇

である14)。 その説をまと める と、 (

1

)寂

Samaya

に依 っ た相の ある時は 、 心 が高ぶ る と き

jata

 uddhave  cetasi、

2

)挙 pragrahaka

に依っ た

の ある時は、 心が消 沈 す る

「盪塵経」・第 十一経 「金工師 経」 『サウン ダ ラナ ン ダ』 (1> 塵垢の精 錬 :金の麁 中微の 金の塵 垢を水で洗 浄 する。 塵垢を除去する。 比 丘) 麁 中微の塵 垢 を 除 去 行 者 ) 有尋 有伺。 する。 精 (2 >凝 縮の精錬 :金を溶解 する。 金を炉に入れ溶 解する。 錬 行 者)無 尋 無 伺三摩地に集 比 丘)心を内に集中さ せ る。 の 過 中する。 程 (3 ) 堪能性の 浄 化 :金の損傷を 金を 柔 ら か く堪 能に して、 除 く。 細工 に相応しくする。 行 者)証 得 すべ き法 に 望 み 比 丘 〉 証 得 すき 法 を 願え 通 り に転 ずる。 ば そ れを現証 する。 (1) 行者)時に止相を行 う。 時に水を注 ぐ。 それ の み で 時に水を注 ぐ。 そ れの み では消 沈 する。 は冷 却 する。 行 者 ) 寂 相は 高ぶる 時 に 行 比 丘 ) 三 昧 相のみでは 懈怠 う。 する。 応 時 (2 > 行者)時に挙相を行 う。 時に鞴で吹 く。 そ れの み で 時に (火 を)吹 く。 の それ の み で は興奮 する。 は焚 焼 する。 行者 )挙 相 は 消 沈 す る 時 に 実 践 比 丘〉 挙 相のみ で は高ぶる。行 う。 (3 > 行者)時に捨相を行 う。 時 に 観 察 する。 それの み で 時に傍 観 する。 それのみでは 正 しく心 が定 は 正 しく成熟し ない。 行 者 ) 捨 相は平 等の時に行 ま ら ない 。 比丘) 捨 相の み で は心 が 正 う。 しく定まら ない 。 (

25

) N工工一Eleotronio  Library  

(6)

智 山学報第五十七輯

と き

layarh

 

gate

 cetasi、 (

3

)捨 upek §

a

に依っ た相の ある時 は、 心が 平

なっ てい る と き satnyaih  

gate

 cetasi で あ る。 またさ らに、 金工 師が 金 の 精 錬

過程で

1)

時に水を注ぎ、

2

時 に

火 を

吹 き、 (

3

)時に傍 観 する ように、

瑜 伽 行

pragama

・ 挙 sarhpragraha  ’捨 samupekSapa

行ず

るべ

きで

る とい

 

以上か ら分か る よ

に、 『瑜 伽 論 』にお ける定 型

「止 ・挙 ・

捨 」

原 型 は 上記の経 典に見 ら れ る よ

な冶 金 喩に求め られ る。 『三 摩咽多 地 』で は冶 金喩と 「止 ・ 挙 ・ 捨

を異な る二

典 を引用 して

解 説

し てい た が 、 「金 工

師経」

で は

両方

説示

してい る た め 三摩 咽

で も当然 その 関 係

を認 識して い た と思わ れる。

 

さ らに

止 ・

・捨」は応 時の 実践とい る。 「金工 師経

」 『

サ ウ ン ダラ ナ ン ダ

で も

止 ・

・捨 」 を 「時に応 じて」行 うこ とが 強調 されて い る。

 

また 「止 ・挙 ・捨 」の語

は 『瑜伽 論 』以

の経

で は

定着

して い な か っ た 可

能性

い 。

金工 師経 」で は

Samatha

に相 応 する語 を samadhi と し、

サ ウン ダラナン ダ

で は

Samaya

あるい は

pragama

とする。 samadhi 、 

Samaya

Samatha

に 至 っ た

背 景

に は

「長 部 経

止 ・

」 を 「止 相 samathanimitta ・挙 相

paggahanimitta」

と換 言 す る

箇所

が ある よ

に15〕、 また 以後の 考 察の ように 「止 ・挙 ・捨 」が 「止観 」と関わ りを もっ てい っ た こ と と無関係で は ない だろ う。

 

2

. 四正

の説明に

止 ・

捨」

を用い る

声聞

』「

瑜伽処」

 

瑜伽 論

には冶 金 喩と関連の ない 箇 所におい て も 「止 ・挙 ・

捨」

げ るこ とが あ る。

聞地

』 「

二瑜伽 処 」で は三十七

提 分 中の 四正 断の 説 明 に 「止 ・挙 ・捨

の語が見 られ る。 当箇

で は 阿含

典の 文

をその ま ま用 い て 四 正断 を表すが、 「止 ・挙 ・捨 」の タ 解 釈特 徴 的 。 ま

三十七

提 分の べ て を列 挙 する箇 所で 、 以下の ように阿含 経典 と同文 を

示 す

  「(

a

生の悪 不 善の諸

が生 じない よ

に と…

b

已 生の悪不 善の諸

26

(7)

NII-Electronic Library Service 『瑜伽 師地論』における止 ・挙 ・捨につ い て 阿部)

   

が滅 する よ

に と、 (c)未生の善の諸 法が 生 じる ようにと、 (

d

)已生 の善

   

の 諸法が持 続 する ように、 忘れ ない よ うに、 修習 が 円満 する よ

に、

   

もっ と増 えて増 大 し拡 大 する よ うにと、 意欲 を起こ し、 励み、 精 進 を起

   

こし、 心 を

い 立たせ 、

か せ る、 とい

の が 正断で ある。

SBh

   

III6)P.176) す なわち (a)〜

d

の そ れ ぞ れ に おい て

意 欲 を起 こ

む ・

進 を起 こ す ・心 を奮い 立たせ る ・落 ち

かせ る

とい

階の

行 う

こ とが 四 正 断である とい

 

聞地

で は こ の文 章 をさ らに逐 語 的に

解説

するが 、 この

心 を

い 立 たせ る cittaih  

pragThn5ti

」 「

かせ る

pradadhati

こ とを以下の よ

に示 してい る。

   「

こ の

ちで

心 を

い 立 た せ る』と は … 心 が 止 の修 習で ある

心 )一    境 性を行 じてい る時、 その よ うに内に集 中した (心が) 沈下 し、 または

   

沈下の い が見 られる時があ

、 その 時に はい

れ か の

心 を

)奮

い 立

   

た せ る

ぶべ

相〉

に よ

心 を

)奮

い 立 たせ歓

さ せ る。 …

    

どの よ

に 『落 ち着 かせる』の か。 一方 (心 を) 奮い 立 た せる とき、

    (

心が

また高ぶ

、 また は興

の 疑い が

られ る

が あ

、 その

  

は 再 び

心を

内に

中 させ 止 ま る よ

念する。

9Bhllp

206

銀 ) つ ま り、 止 を

習 して 心 が

下 す る

Ilna

と き には

ぶ べ き

prasadaniya

相〉

に よっ て

い 立 た せ る 、すな わ ち 「挙

を行

。 心 が高ぶ りuddhata 、

る auddhatya ときには心が止 まる よ

Samathaya

落 ち

かせ る、

なわち

行 う

とい

 

そして最

が四正

行 う

こ と を総

して

の よ

に述べ い る。

   「

は、

断ず

べ き もの を断

る た め に、

るべ き もの を

る た め に、 先    ずま さに願望 を起 こべ きである。 纏を断 ずるた めに、 随 眠 を断 ずるた

   

めに、 精 進を起こすべ きで あ る。 そ して時に応 じて 止と挙 と捨 相 を修 す

  

である。」(

SBh

 II 

P

.210 ) ここ で の

断ず

き も」 は上 記a

)(

b

、 「得 るべ き もの

c

)(

d

27

) N工工一Eleotronlo  Llbrary  

(8)

智 山学 報第五十七 り、 「願望 を

こす

は 五

階に おける

意欲

を起 こ

す」

こ と、 「精 進 を起こ す

み」 「精 進 を起 こす」こ と、 「止 と

捨相

修す

べ き

心 を 奮い 立 た せ

「落ち

か せ る

こと に相 応 する。

 

四正

は言

まで もな く禅 定修 行の一つ で あ る が、 元来

止 ・

・捨 」 と は関

が ない 。 阿

含経 典

に は

二 瑜 伽処 」と全 く同じ四 正断の説 明が

随所

に見 られ るが 「止 ・挙 ・

捨」

挙 げ

説 明す

る箇

はない 。 よっ て 『瑜 伽 論

はこの 定 型

を積 極 的に用い て 四正

明 をして い るこ が分か る17) 。

 

3

止 ・

捨」

観」

が混

する例

 

『瑜伽 論 』に は、 次 項で

考察

す る よ

に 「止 ・捨 」 観」 換 言

る点に も特徴 が ある。 こ こで はそれ を

論ず

止 ・

・捨

の 配

観」

え られたケ ース を

げておこ

 

聞 地 』 「第三瑜 伽 処

は、 阿

りつ つ

声 聞

件 を列 挙 す る 厂第一瑜伽 処 」、 ヨ ー ガの方 法につ い て様々 な異 説を列挙 す る 「第二 瑜伽 処」 に 比べ ヨ ーガ実 践 方 法 をよ り整 合 的に 説 明 する。 こ の

ちの第三節

」 中第

項 「

心一

境性」

では 九種 加 行を挙 げて それ を説 明する。 その九

加 行の

ち 「時

加行 kalaprayoga」

で は、

に応 じて

止 ・

・ 捨 」 を 修 習すべ で あると し、

々 の 相nimitta と

kala

につ い て

解 説

る。 要

を示せ ば次の 通 りで ある18) 。

  (

1)

所縁相

=止に

属す

所知

と同分の 影像。

     

因相 =観 ずる加 行 vipaSyanaprayoga 。

  

止時 :が高ぶ りuddhate  citte 、 興奮 auddhatya の 疑い が あ る時。

       

心が観に満 ちて、 尋 伺に害 され る時、 所 作に乱さ れ

さ れ る時。

  (

2

)観相

所 縁 相= 観に属 する所 知事 と同分影 像 。

     

因相 = 心 を止 め る加

cetatLSarnathaprayoga 。     観 時 :〔漢訳謂 心 沈 沒 時。 或恐 沈 沒 時。 是 修 觀 時〕

       

心が止に

ちてい る

所知

を如実に知ろ

とする時。

 

3

挙 相 :

ぶべ

prasadanlya

によっ て心 を

い 立 た せ る。       (28 )

(9)

NII-Electronic Library Service 『瑜伽 師地 論』に お け る 止 ・挙 ・捨につ い て 部)

  

挙 時 :

下 し

lina

、 沈下の 疑い が あ る時。

 

4

捨相 :

止観に属 する)所 縁 に たい して心 に汚れ な く平 等 となっ てい る。

     

心が堪 能性

karmarlyata

を具え 、無巧 用に働 く。

  

捨 時 :心 が IE観 に属 する消

掉挙 laya

−auddhatya か ら解 放 されて い       る時。 こ の よ

に、 こ こ では

「観」の み に 「所 縁

相」「

因相 」とい う項が設 け られ てい る。 そ れ ら は文 章構 成 も対 をな してお り、 明 らか に対 概

で ある こ とが分か る。 しか し 「止 」 「挙 」に は

心が

ぶ り、掉 挙の疑い が ある

時」

「心 が沈下 し、沈下の 疑い が ある時 」 と、 本 稿

2

の 四正 断の 説 明 (下線

部)

と同 様 に示 され 、 これ ら も

してい る 。 また注 意 すべ きは、

訳の 「

観 」

説 明

梵 文

・チベ ト訳 もな「心 沈 没

沈 没

い が あ る

時」

と、

と相 似 する内容が記 さ れて い るこ とである こ こ で は 四種の

定義

、 特に 「観

1

と 「挙 」の区別が定まっ てい ない とい える。

 

『三摩咽多地

に も三 十二 所 縁 を説 明 する な か に

止 ・挙 ・観 ・ 捨 」 とい

川頁序の異なる 四種を

挙 げ

箇所

る19) 。

 

1)

止相 :無分 別 影 像に作 意 を

 

2)

挙 相 : い ず れ か

ぶべ

相)

prasadaniya

、 ある い は光明 の 相

    

510kanimitta2°)に よ 心 を

させ

 

3

)観相

聞所 成、 思所 成、 修 所 成の智 慧に よっ て諸々 の

を作意する相。

 

4

) 捨 相 :善 品

法)

に おい て頓

しない の ときの平

な心の

。 こ こで は 「止」に 「止観 」を説 明する際の概 念である

分別影像」

とい

が記さ れてお り、 「観」はその 内容か ら

分 別

で ある こ とが 分か る。 また 「止」 「観 」で は両 方 ともに

意 を

相」

と示して お り、 両 者 を対 概 念 と捉 える。 ここで も 「挙

の位 置づ けは明 瞭で ない 。

 

『菩 薩地』 厂成熟品」になると も はや 「挙 」は 厂観 」に先立つ 修 行 法とさ れ る に過 ぎ ない 。 そ こ に は聞思修の 「修」の 説 明と して 厂止 ・挙 ・捨相に おい て正 し く

観察す

る こ とを

と して、 止 ・

ぶ こ とで

か れてい る21) 。 (

29

) N工工一Eleotronlo  Llbrary  

(10)

智 山学報 第五十七輯 以上か ら、 「止 ・観 」の概 念が加 えられる と 「止 ・

捨」

タ ーム の 原意が失わ れ、 特に 「挙

役 割

が曖 昧に なる ことが分か る。

 

4

止 ・

・捨

観」

置換

する例

 

止 ・ 挙 ・捨

密接

な関

のあ た 冶金 喩 を用い て

観」

説 明

をする箇

挙 げ

てみ よ

。 『

聞地

』「

瑜伽処」第

三節 「実 践

五 項 「作 意

で は、

行 う

四種の作 意を説 明 してい る。 四

の作 意 とは、

  心苦熱作意

cittasantapaniya −manaskdra 、

 

滑 作 意 cittfibhi§

yandanTya

−ma

° 、

 

生軽

安作意

pra6rabdhijanaka

−ma ° 、

 

jfianadarSanaviSodhaka

−ma ° で ある、 以下 に試 訳を

げ よ

  

 

その なかで心

苦熱作

意 とは何 か。 こ の作 意 によっ て、 か れ は

々 の

  

厭 う

き法

におい て心 を厭 離させ る。 これ が心苦 熱 作 意で ある。

   

 

その なか で心 潤 滑 作 意 と は何か。 [この 作 意に よっ て、 か れ は

  

ぶべ き法

に おい て] 心を

歓喜

さ せ る22〕。 これ が心潤 滑 作 意であ     る。

   

 

その なかで生軽 安 作 意 と は

か。

える。 こ の作 意に よっ て、 か れ

  

は時に応 じて諸 々 の

厭 う

法〉

におい て

厭 離

させ、 時に応 じて

  

諸々 の

ぶべ

法〉

に おい て心 を歓

させ、

] 内

め る。 か

  

の無相たる こ と、 無 分 別た る こと に (心 を)住 させ 、 一 境 に念を

か わ

  

せ る。 こ の因とこ の縁に よっ て、 身心の 麁 重 を対 治 するこ とに よ り、 か

  

れ には身心 が快適 と な る身の 軽安 と心 の 軽 安が 生ずる。 こ れ が生軽 安作     意 とい れる。

   

 

その な かで

浄知見作

意 とは何 か。 時 に応 じて心 を その よ

  

止させ る作 意によ っ て、 次々 に間 断な く、

観察

に おい て 増上慧の 瑜

  

伽を行 ずる。 す なわ ち、 その 内に心 を 止 め る こ とに依止 して

為さ れ

  

。 こ れ が

浄知

見 作 意とい わ れ る。」(Sh . 

p

,405 − 1g 卸 23) 以 上 を述べ たのちに

法〉 〈

ぶべ

法〉

つ い て の解 説があ り、 さ らに冶 金喩 を用い て四

種作

意を

の よ

る。 (

30

(11)

NII-Electronic Library Service 『瑜伽 師地 論』にお ける止 ・挙 ・捨につ いて 阿部)

   「

 

そ れ ゆえ、 その よ

に、心 苦 熱 作 意 に よっ て心 を黒 品よ り退かせ 、

  

 

心潤 滑 作 意によっ て (心 を) 白品に向か わ せ る。

 

生 軽

安作

意 に よっ

  

て、 その よ

に心を 止 める こ とによ り、 時に応 じて 内に

心 を) 落 ち

  

ける。

 

浄 知 見作 意に よっ て 、

に応 じて

々 の

を思

し、

簡択

し、

   尋

思 し、 思

惟す

る。 こ の よ

に、 か れの その心 は時に応じて止 と観に摂    さ れ る。 一行相 功 徳 因 を行 じた もの は、 あれこれの 昼夜、

   

刹那、 羅

、 須 臾を過 ぎて、 殊 勝 さへ と趣 く。

    

た とえ ば熟練 した 金工 師や 金工師の

子によっ て、 金

は、

   

を除 くた めに時に応 じて

焼され、

潤滑

さ れ る。

   

堪 能性

装飾 品に

適応させ る こ とに よっ て、 あれこれの 装 飾 品の

   作成

。 それ ら (の 金 銀 ) を熟 練し た金工 師や金工 師の 弟子 は、

   

それ に適 した技 術の 識 に よっ て道具 を用い て、 どの よ

な装 飾 品が 望

   

まれ る場 合で も

そ れ に) 変化 させ る。 その よ

に、瑜伽 者が

等の垢

   

れ を 退 けるこ とに よ り、 その心 に厭わ し さが 起こ り、 また汚れた憂

   

悩 を退 け

品の歓

か う と によ り] 歓 喜 が 起 24) 。 そ れ ら

   

(の 心 ) を瑜 伽 者が止 分 あるい

場 合

そ れ ら

  

よ く接 着 し、 よく固

し、 欠陥 な く、 動 じない 。 その ように望 み 通

  

りの 目的の達成へ 趣 く 。」(

Sh

. 

p

.・

410

_1 鉱 )25) 以 上 をまと める と次の ように示 すこ とが で きる。

 

苦熱作

意 :

厭 う

法〉

に おい て心を

わ せ る。 → 金を焚 焼 する。

  

潤滑作 意

ぶべ

法〉

に おい て心を

ば せ る。 → 金を潤 滑 する。

 

生軽 安作 意 :

き法

を厭い 、

喜ぶ べ き

を喜び、

   

心を内に止 め、 無相 無 分 別に住 して 、 身心の 麁 重

dausthulya

を対 治 し

   

て 、 軽安

praSrabdhi

を生

る。

       

→ 金を装

品に適 する よ

う堪

karmapyata

にする 。 =止

  

意 :心 を内に止め る こ と に依っ て、 法 を観 察 する。

       

→ 金 を望み通

品に

変化

させ る

pa典

  ayati。 = 観 (

31

) N工工一Eleotronlo  Llbrary  

(12)

智 山学報 第五十 七輯

 

前 述の 「蘯塵経

」等

で説か れ た冶 金 喩 を鑑み れ ば、 これ らの 四

種作

意は 一

見 「

止 ・

・捨」に対 応し、

 

意が

相 」、

 

心 潤 滑 作 意は 「止

相」

 

軽安作

意 と

 

見 作 意 が 「捨相 」に相 当する か の よ

で ある。 しか し、 こ こ で は

 

軽安作意

 

浄 知 見 作 意 が 「観 」と さ れて い るの みで 「止 ・挙 ・捨 」は言 及さ れてい ない 。

 

苦熱

作 意と、

 

心潤 滑作 意は、 そ れ ら

」 「

観」

を修

するための 予備 的 な作 意 とされる に過 ぎな い 。

 

さて こ こ で

注 目す

二 つ 。 第 一 に、

 

心 苦熱

作意

厭 う

べ き 法

意、

 

心潤

滑作

意 を

ぶべ き法

作 意と説 く点で ある そ れ は、 こ の対句が 後の 止観の 解釈に大 き な影響を与 えた と考 える か ら である。 『解 深 密経 』 「分別 瑜 伽 品」で は、

止 ・

・捨 」につ い て説 明 する箇 所で 、 ま

ず 「

止 ・観 ・止 観和 合」につ い て、

  

「い か なる

の み を

修 習す

る の

える 。 連 続の 作 意に よっ て

   〈

心の

を作 意 する ときである。

   

い か な る時に止の み を修 習 する の か。

える。

連続

意に よっ て

   く

間断のない 心

る ときである。

   

い かなる時に止

観和

合 して

するの か。 答 える。 心一境 性に作 意する     ときである。」(D .27b2 −3) と述べ て い る。 そ してさらに 「止 ・観 ・止

合」

止 ・

・捨 」の 関係 を以下の よ

論ず

る。

  

慈氏

よ、 心が

、 興 奮 す る疑い の ある ときの 、 諸々 の

厭 う

べ き

  

法〉やその

間 断の ない

作 意

い わ れ る。

   

慈 氏 よ、 心が消 沈 し、 消 沈 する疑い のあるときの、 諸々 の

ぶべ き

  

やその

心 の

へ の

が、

相 とい われる。

   

慈 氏 よ、 止の み、 あるい は

の み、

るい は双運の 道で も、 その 両 方

  

の 随煩 悩によ る随 煩 悩 が 無 く、 心が 自ら働い て、 作 意が

功 用で あるこ

  

とが、 捨 相 とい われる。

D

,29b5 −

30al

) 以 上 を ま と め る と次の よ

に なる。 (32

(13)

NII-Electronic Library Service 『瑜伽 師地 論』にお ける止 ・挙 ・捨につ い て (阿部)

  (

止=止

:心 が高ぶ 、興 奮の い の る時。

     

〈厭 うべ き法〉

な き

へ の 作 意。

  (

2)観

挙相

心 が消 沈 し 、 消 沈の 疑い の ある時。

    〈

喜ぶべ き法

相〉

作意

 

3

)止観和 合 = 捨 相 止 ・

・双 運 時 。 無 功 用な作 意。 2ω

 

この よ

経 』で は 「第三瑜 伽 処 」の 「四種 作 意 」に おい て 示 さ れた

き法

〉 〈

ぶべ

法〉

」 「挙 」説 明 て て い る。 「挙

相」

ぶべ き法

との

関係

は、

本稿

2

の 四正

本稿 3

の時加

の 説 明 中に も見 ら れ るが27) 、 そ れ に

厭 う

べ き

法 〉

とい

対 概 念 を 用い て

「1

ヒ・

捨」

の説 明 を簡 略化 してい る28) 。 「止観 」 との 関 連につ い て も、 本

稿 3

の よ

な 両 者の 混 在 を避け、 「止 」 を 「止

を 「観 」、 「捨 」を 「止観和 合 」に置換して い るこ とが 分 か る。

 

さて、 「四種 作 意」 に 関する注 目すべ き第二 の 点は 、

 

生軽 安作 意に よ っ て 身心の 麁重 を対治 し

軽安

を得る と説か れてい る点で ある。

心の

重につ い て次 項で さ らに考 察 して み よ

 

5

止 ・

・捨 」に よ る転 依 を説 く例

 

『声 聞地 』 「第二 瑜 伽 処」根 幹 を為す 箇 所は、 禅 定に お け る

縁 を出 典不 明のい わ ゆる 『レーヴ ァ タ経 』 を引用 して解 釈 を与 えい る

分 であ り、 こ こ に瑜 伽 行 派独 自の 理

の 思想 的原型 が見られ る。 な かで も転 依 思 想の 原初 的 な形が

れて お

り多 く

先学

に よっ て

目 さ れて きた。

  『

レー ヴ ァ タ

経』

で は

者が禅

対 象 とすべ き所 縁 につ い て説 示 し、 「第二 瑜伽 処 」で は その 所 縁 を遍

満所 縁

行所縁

所縁

惑所

の 四

に 区 分する。   煩 雑に な らない ようそれ ら を整理 してお くと、 (a) 遍 満所 縁は、 瑜 伽 行 者 に

存在す

禅定対象

の こと、

b

)浄行所縁

は、

・癡 ・

思に

く行為

浄化す

る不

浄観

慈愍観

縁起観

界分別観

・入 出

念の こ と、 (c

善巧 所縁は、 巧み に観 察 すべ き

処 非処

33

) N工工一Eleotronlo  Llbrary  

(14)

智山学報 第五 十 七輯 い

d)浄

縁は、 世 間道で浄化 すべ き対

と出世 間 道で観 察 すべ き四諦の こ

る。 この

a

遍 満所 縁に は 、

  観

の 対

で ある 〈有

分別影像

 

止の対

である

無分 別影像 〉

 

尽所 有 性) と 真 実 (如所 有 性 ) に関する

辺際 性

なる

対象

  禅定

関す

作 成 弁

なる対 象が ある。

 

この

うち 〈

所作

弁〉

して、次の よ

なパ セー ジ がある。

  

かの 瑜 伽 者 が

i

L

塾心

≦五

L

じ弖並

2

  

て 、 影像 を所 縁 とする

行者

)作意

全 な もの となる。 そして、 そ

  

完 全 な もの になるこ とに よっ て、 依 り所が転 ずる。 そして 、

  

一切 の塵 重が鎮 まる。 さ らに依 り所の 転換に よ り、 影 像 を越 えて、 かの

  

所知

につ い ての 無分 別 な現 量 なる知見が 生

る。

SBh

 

II

 p.

48

なわち

者が 止観を為 すこ と に よ り、 依 り所が転 じ

aSrayak

} 

parivartate

、 一

sarvadauS

hulyani

pratipraSrabhyante

量 なる知 見が 生 ず るとい

 

佐 久 間秀 範 博士 に よ れ ば、 瑜 伽

行派特

有の 「転依 諭 ayapariv “ti

とい

タ ー 、 『瑜伽 論 』 「本 地 分 無

依地

で は 阿

ない し成仏 を示 すた めの 用語とさ れ、 「摂 決択分 」に おい ては

真如

tathat5の 浄化 を意 味 しア ー とい

汚 れ

概 念

とな

深密 経

で は

法 身

表す語句

へ と移 行 してい る。 この よ

転依

発展

過 程のなかで、 瑜伽 行 者の

が 「止観」の

習に よっ て麁 重 を離れ軽 安に満た され転

る とい

この

釈は、 転 依思想の

素朴

な形で ある と述べ てい る 29)。

 

確かに止

依にとっ て不 可欠 な修行で ある。 とこ ろが、 こ の

解釈

の 基 となっ た 『レー ヴ ァ タ経

引 用箇

に は 「止 観 」の 語は見 られ ない 。 その 代 わ

に 「止 ・挙 ・捨」が言 及 されてい る。

  

「『さらに レーヴァ タ よ。 比 丘 で

なる瑜伽 行者は どの よ うに して 静

  

棄捨

しない の か。 レ ー ァ タ よ。 も しその比丘で

瑜伽 者

なる

瑜伽行

  

者が こ の よ

に所 縁に おい て正 しく

行 し、 常に行 じ、 尊 重 して

行ず

  

者であれば、 時に応 じて止相 ・挙 相 ・捨 相を、 熱心 に

じ、 よ く行じ、 (

34

(15)

NII-Electronic Library Service 『瑜伽 師地論 』に おける 止 ・挙 ・につ い て 部)

  多 く行

じる ことに よ っ て、 一

重 が

まる の で、

清浄

さを

  

得て 、

れ、 証 する。』

SBh

 ll 

p

.54) 下線部の ように 『レー ヴァ タ経 』に おい て 「時に応 じて止相 ・挙 相 ・捨 相 を、 熱心 に

じ、 よ く

じ… 一

重が鎮ま る」と さ れてい る箇 所は、 同頁の

二瑜 伽 処 」の傍 線 部で 「止観を 、熱心 に行 じ、 よ く行 じ…一切の麁重 が

まる

置換

され てい ることが

か る。

 

た だ し

瑜伽

処」

捨 」注 目 して い か らで はない 。

レー ヴァ タ

経』

引 用 の

に は、 次の よ

に出典の異な る二 頌 を引用 し、

遍 満 所 縁

に関する解 釈 をまとめる。 その

ち最 初の頌 とその解 説を挙 げる と、       「『諸相につ い て行 じてい る瑜 伽 者は、 一真 実 意味知 り 、 常に       影像の 静慮を なす者は、 遍 き清 浄 を証 する。』3 °)

   

こ の で ま

ず 『

につ い て 行 じて い る瑜 伽 者

とある が まず これ

  

に よっ て、 止相 ・挙 相捨相

行ず

重 して

行ず

  

ことが説 明されてい る。 さ らに 『 一 切の真 実の意 味を

り』 とある の は、

  

こ れ に よっ て

辺際

性〉

明されてい る。 …

SBh

 

II

 p .

56

> と説か れてい る。 こ の よ

に明

に 「諸 相

止 ・

・捨 」の 相と理解し てい る

る と、

二瑜伽 処 」で は 「止 ・捨 」 修 習重 要 性 を認 識しつ つ も そ れ を意 図的に

止 観 」 と換 言 し てい るとい える。

 

そ して

観」

に よる

転依

とい

後の 成 立 と見 られる テキス

くの

響 を与 えてい 解 深 密 経 』 「分 別瑜 伽 品」で は菩 提の 獲 得 を説 明 する文

に おい て、

の よ

に止

成させ るこ とによっ て麁 重 を断 じ、 菩提 を得る こ とを説 く。

  

「か れ は先に 止

獲 得

するこ と に よっ て

有 分 別影 像

無 分 別 影

  

とい

の所 縁 を獲得 する。 現 世で

見道

獲得す

るこ と によっ て、

  

所縁〉

を獲 得 する。 この もの は後に修 道に入 り、 そ れ ら三

  

所 縁

る。 … 一切の 相と麁 重が よ く断ぜ られる の で 、

次第

に上

  

の 諸々 の地 におい て

金の よ

に心 を精 錬 し31) 、 阿耨

羅三

菩提

  

成就を達 成 して

所 作成

を獲 得 する。 慈 氏 よ、 菩 薩は 止観を (

35

) N工工一Eleotronlo  Llbrary  

(16)

智 山学報 第五十七輯

  

その よ

完成

す れ ば阿

耨多

羅三

菩提

成就

を現 証

る。

D

36b

   

4

37aD

 こ こ で注 目 したい の は、 傍 線 部にある 「冶 金の ように心 を精 錬 し」 とい う

であ る。 冶 金 喩は前述の よ

に 「止 ・

・捨」 と 関連 する。 こ こ で は 「止

観」

の 語 を

げつ つ

も 「

捨」

修行方法 を暗

示 してい る。 した が っ て

解深密経』

にも

られ る止

に よ る

依 とい

定 説の 背 景には、 そ もそ も 『レー ヴァ タ経 』に あ る よ

に 「止 ・挙 ・捨

に よ る麁重 の鎮 静が あ る と い る。  さて 、 佐 久 間博 士は転 依 思想の 源 流 と して 『中部 経 典 』 「アヌ ル ッ ダ経 」

所 説 を挙 げる 。 そ こ に は

身体

重 kayad 叫 hulla を鎮 静 し

passaddhi

、 棔

沈睡

眠 と

掉挙悪作

除 く

こ と に よっ て、

輝 き

っ て

瞑想

し、 そ れ によっ て

身体

ん だ死

天の仲 間に生 まれ るこ とが説か れてい る。 本

稿

で は そ れ に加

て 「

工師経

が転 依 思想の 基

を もつ 経典と して重 要である こ とを

摘 し たい 。 そ れ は、

冶 鎌

の 心の

能 性

k

  聊

yat

してい る か らで あ る。 既 に先 学に よっ て

能性

が転 依

の汚れ たアー ラ ヤ識と対立する概 念であ るこ とが

摘 されてい る が32) 、 その 語は そ も そ も金 を堪 能 にす るよ

に心 を柔軟 にす るとい

文脈で 「金工 師経 」 に現 れてい る (本稿

1

)。 また 冶金

解 説す

摩咽多

で も

修行

最終段

階 を

能性 の精 錬 」と し (本稿 1)、 「第三 瑜 伽 処 」で は 「捨 」の説 明におい て も心 が堪 能性 を獲 得 する こ とが説か れ (本 稿

3

)、 別の 箇 所で は金が堪 能に なる よ うに身心の麁 重 を鎮 静 することを 「生軽 安 作 意 」の階 としてい る 体 稿 4)。 これ らか ら

止 ・

・捨

によっ て

堪能性」

重の

鎮静

び つ い てお り、 そ れ が

瑜伽論』

の な か で

次 第

に転依思

へ と展 開 してい っ た と

え られ る。 さ らに

瑜伽処」

で は その

堪能性

階で金を装

品に

変 え

る ことを 「変 型

pariV

− nam 」で表現 してい た。 それ を 転 依 と関連 する と見るの は粗

な 印

に過 ぎない が、

らかの 関連があるも の と して

意してお きたい 。 (

36

(17)

NII-Electronic Library Service 『瑜伽 師論 』におる止 ・挙 ・捨につ い て (阿部 )  ま  と  め

 

以 上、 ヨ ー ガ時の心の

様相

表す定

句 「

止 ・

捨」

がい か なる

文脈

で 説か れて い る のか、 どの よ うに してそれ らが 「止 観 」 と見 なさ れ る よ

に 至っ たの か を

考察

して きた。

 

まず 『三摩 咽 多 地

引 用 文 献 「盪 塵 経 」と、 それ に関連 する 「金工 師 経 」、 及 び

サ ウン ダラナ ン ダ

に お い て、

止 ・

捨」

と ともに

か れてい た。 金工師が金 を

洗浄

溶解

・成型するよ

に、

行者

は 心 を

浄化

し、 集中 させ、 堪能 にする とい

もの で あ る。 ま た こ の過程で、 金 工師が時 に応じて金に

を注 ぎ、 火 をお こ し、 観 察するよ

に、 瑜伽 行 者 も興奮 時に は 「止」 を、消 沈 時に は 「挙」 を、平 静 時に は 「捨 」を行 ずるべ で ある。 そのため

止 ・

捨」

説明

に は

に応 じて

」修

こ とが

されて い る。

 

『瑜 伽 論 』で は以上 の よ

な 「止 ・挙 ・捨 」の 修 行 を瑜 伽 行 者実 践 方 法 と して重ん じてい た。 「

聞 地 』 に は 元 来 「止 ・挙 ・捨」 と 関 連 の ない 四 正 断の 明 に その

用い てお り、 そ れ ら を重視 してい たこ とが 分 か る。

 

しか し

瑜 伽 論』の成 立 過 程で 「止観

が 重 視 さ れてい く と、 「止 ・挙 ・ 捨

とい

一連の ターム の原意は失わ れてい っ た。 『声 聞地』 『三 摩 咽

地』 には 「止 ・挙 ・捨 」 が 「観」 と共に列 挙 される箇 所 が ある。 こう した場 合に は概して

」 「

観」

対概

念 とさ れ、

「捨」

両者

との 関連で

説 明

さ れ、 「挙 」の役 割が曖 昧 と なっ てい る。 ま た 「止 ・挙 ・捨 」が 「止 観」 と同

に 扱わ れ る箇 所 もある。 「声 聞地』に は冶金喩を用い て 「止観 」の 説 明をする 箇所があ り、 『解 深 密 経 』はそ れ と同等の表現 を もっ て 「止観 」 を論 じ、 さ ら に

止 ・

捨」

止 ・

・止

観和合」

と示

 

こ の よ

に 「止 ・挙 ・捨 」 が 「止観 」の範 疇のなか に埋 没 して い っ た た め か、 「止 観 」に よる転 依 とい

定 説の 背 景に 「止 ・挙 ・捨 」 によ る転 依があ るこ と を見過 ご して きた。

聞地

が 引 用す る 「レ ー ァ タ経

で は転 依 に必 要 な 身心 麁 重の鎮 静が 「止 ・挙 ・捨

に よ る もの と さ れて い る。 ま た

瑜 伽 論

には転 依 との 関連で堪 能 性

kannapyata

とい

語 が

見 さ れ る が、       (

37

) N工工一Eleotronlo  Llbrary  

(18)

智 山学報第五 十 七輯 そ れは元 来 「止 ・挙 ・捨」 によっ て得る心の柔軟 性を

す 語

で あっ た。 ※  本 稿は第

50

回智 山教学 大会 (

2006

年 )におい て発 表 し た内容に基づ もの であ   る。 ) ) ) ) )

12345

) 6 7) 8)

9

) IO) 11)

12

13

) 14)

15

) 16

17

) 申村元 「原始仏 教にお ける止観」 『止観の研 究』 岩波 書店 ,1975, 

pp

.35−49 . 勝又俊教 「瑜伽 師地論に お け る止 観」 『止観の研 究』 岩波書 店,1975,

pp

.85− 111 . 大正 191122cl4 .

DNMp

213 

PTS

). 『三摩咽 多地 亅 中 「盪塵経」 引 用箇所のチベ ッ ト訳か らの和 訳に次の ものが あ る。 藤田祥道 「『盪 塵経 』につ い て一瑜伽行派の道 論との関連性か ら一」 龍 谷大 学 大学 院紀 要 11, 1990, 『三 摩咽多地』の文テ キス トは、 M .Delhey 氏の 博士論文に収め ら れ た校訂テ キス ト (発行予定)を氏の 許 可を得て使 用する こ と がで き た。 氏が原本と した

もの は、 R…ihula S謡k4y亘yaa 写 本 (Sahk;tyayapa 1937 , No ,199 ,24 )の写 真であ

る。

Martin

 

Delhey

 : 

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2002

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. Ms 、82bl D .158bl Ch ,344al3 .

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pp

253

258 

PTS

). 大正

99342b25

343

 a 

21

, 藤田 [1990]前掲 書 (p ,

39

)には、 パ ーリ 「金 工師経」前 半部の和 訳 と 漢 訳

1246

経が挙 げら れ てい る。 氏の指摘 通 り 「盪塵経 」 引用 箇所に は 「金 工師経 」に無 く漢訳の み にある文句が見 られ る。 松濤誠廉 『馬鳴

 

端正 な る難陀』山喜房仏書 林,1980,

pp

.122− 123,53 −58 v,65 − 67v . こ こに挙 げ られて い る のは 「金工師経 」の後 半 部に相応 するもの で あ り、 前 半 部は松濤 [

1980

] 前掲 書 pp.

114

115

68

69

 v に示さ れてい る。 大 正

614258c1

− 285 a 12. 前 掲註 4) 参照。 大正大 学綜 合佛 教 研 究所 声聞地研 究 会 『瑜伽 論声聞 地 第二 瑜伽 処 付 非三 摩咽多地 ・聞所 成地 ・思所 成地一サ ン ス ク リッ ト語テ キス トと和 訳一』 山喜 房 仏 書林 ,2007 . (以下略 SBh 皿) 阿含経 典の同文につ い て は、 SBh 

Hp

.177 n 参 照。 『瑜伽 論亅以降の 成立 とさ れ る文献に は、 四正断の説 明に 「止 ・挙 ・捨 」 を挙 げ る例が見 ら れ る。 『阿毘 達磨 集 論 』で は 「意欲を起こす 」を依 所、 「精 進を起こ す 」を消 沈 ・興奮の 対 治の ため に 「止 ・挙 ・捨相 」の作 意に意 欲を起こすこ と (

38

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