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智山學報 第61 - 017三好 英樹「織田信長の高野山攻めにおける調伏祈祷と高野山客僧」

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Academic year: 2021

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(1)

織田信 長の高野山めにおる調伏祈 祷と高野客僧 (三好)

調

 

 

                                                                          〔 ↓   天 正 九 年 ( 一 五 八 こ 八

田 信 長 は

な ど で 高 野 聖 数 百 人 を 殺 害 す る と と も に 、 紀 伊 国

野 山 を 攻 め る べ               ( 2 〕                                         ( 3 ) 〈 陣

れ を

し た 。 こ の 信 長 に よ る 、

謂 「 高 野 山

め 」 の 直

な 原 因 は 、

野 山 が 同 月 頃 に 、 山 内 に か く ま っ て い た 荒 木

重 の 旧

の 一

と 佐 久 間 信 盛 の 遺 品 の 引

要 求 を 拒

し 、 信 長 の

使

者 を 生 害 し た こ と に よ る と さ れ る 。 戦 の 期 間 は こ の 月 ( 天 正 九 年 八 月 ) か ら 、

の 変 に よ り 信 長 が 自 刃 し た 翌 一 〇

迄 で あ っ た 。 戦 の 規

に つ                   〔

4

                                          ハ 5 〕 い て 『 天 正 高 野 治 乱

』 ( 以 下 『 治 乱 記 』 ) や 『 高 野

秋 編 年 輯 録 』 ( 以 下 『 高 野 春 秋 』 ) と い っ た 近 世 の 軍 記

・ 編

で     ( 信 長 方 ) は 、 「 寄

軍 勢 都 合 十 三 万 七 千 二 百 二 十

人 」 「 山 上 山 下 の 法 師 武

・ 与 力 武 士 ・ 諸 庄 地 士

総 到 着 、 帳 面 三 万                                                       ( 6 > 六 千 二 百 六 拾 余 人

、 此 外 在 在

闕 所

の 番 率

不 レ 遑 二 毛

こ な ど と 描 か れ る が 、 実 際 に は

の 小 規 模 な 合 戦 が

っ た の み で 、

の 世 に 語 ら れ る よ う な 一 〇

万 人 も の 大 軍 に よ る 合 戦 は

わ れ

、 信 長 方 の

な 攻

に よ                          

7

) る

野 山 包 囲 網 で

っ た と い

。   し か し 、

に よ る 戦 が 無 か っ た と は い え 、 実 際 に 高 野 山 周 辺 で は 合 戦 が

わ れ て お り 、 高 野 山

辺 の 在 地

261

(2)

智山学報 第六十一輯                                                                                     〔 8 〕 士 や 、

ら と

縁 の あ る

院 な ど が 高 野 山 方 と し て

員 さ れ 、 高 野 山 か ら の 感 状 も 発

さ れ て い る 。 ま た 高 野 山 は                                                           ( 9 } 戦 を 回 避 す べ く 、

寺 任 助 法 親 王 や 正 親 町 天 皇 を 頼 っ た り も し た 。 こ の よ

時 の

野 山 に と っ て は 比 叡                                                                                                   〔 10 ) 山 .

尾 山 が 既 に 信 長 に よ っ て

め ら れ 焼 亡 し て い る 事 例 も あ り 、 ま た 同 時 期

泉 国 に は 大 軍 が 集

し て い た た め 、 一 山

亡 の

と 意 識 さ れ て い た こ と は 想 像 に 難 く な い 。   た だ

局 、 本 能

の 変 に よ り 信 長 が

し た た め

野 山

め も 終 結 、

果 的 に 信 長

の 「 敗 北 」 と い う こ と に な る ・ そ の た め 信

を 退 け た と い

実 」 か ら ・

「 偏 に 祖 神 の 冥 加 ゜ 人 力 の 軍 功 な れ 碩 」 や 「 六 月 二 日 申                                       ( 12 } 尅

、 是 偏 依 二 悃 祈 悉 地 之

一 也 」 な ど と

さ れ る が 如 く 、

野 山

の 「 勝

」 や

教 的 効 験 が 、 創                                                     ( 13 ) 作 ・ 脚 色 も 加 え ら れ 大 々 的 に 宣 伝 さ れ る こ と に な っ た と い う 。   こ の よ

な 「 勝 利 」 や

教 的

験 に つ い て の 認 識 や 言 説 は 本

寺 の 変

す ぐ に 生 ま れ て い た よ

で 、 天 正 一 〇 年 七 月 二 六 日 付 の 高 野 山 無 量 寿 院 清 胤 書

に は     高 野 山 )   ( 天 正 九 年 )    

山 江 去 年 以 来 信 長 猛 勢 山 下 迄 差 遣 、

中 伽 藍 人 法 雖 レ 欲 下 令 二

滅 一 候 P 数 度 之 合 戦 、 当 山 之 衆 得 二 勝     利 → 山 中 江 不 レ 入 レ 立

、 雖 レ

、 経 一 一 年 月 一 候 者 、

存 候 之

持 力

歟 、

父 子 生

   

山 茂 安 全 罷 成 候 、 万 民 歓 喜 不 レ 過 レ 之 候 と 記 さ れ て い る 。 信 長

が 高 野 山 麓 に ま で 押 し 寄 せ 、 寺 中 伽 藍 人 法 を 破 滅 せ し め ん と し た が 、 数

の 合 戦 に て 高 野 山

利 し た 。 し か し こ の ま ま

月 が 経 て ば 高 野 山 は ど の よ

に な っ て し ま

の か と 思 っ て い た と こ ろ 、 「

師 之

持 力 」 の

か 、 信 長 ・ 信 忠 父 子 が 生

せ ら れ 山 内 も

全 に な っ た 、 と し て い る 。

戦 で の 勝 利 と と も に 、 「

師 之 御 加 持 力 」 と い

を 述 べ て い る の で

る 。   こ こ で 、 「

度 之 合 戦 、 当 山 之

二 勝 利 → 雖 レ 然 、

月 一 候

何 候 歟 存 候 之 処 大 師 之

加 持 力

歟 、 彼 凶 徒 父 子 生 害

、 当 山 茂

全 罷 成 候 」 と の 表 現 に 注 目 し た い 。

戦 で の

利 を 記 述 し た 後 に 「 雖 レ 然 、 経 二

月 一 候

262

(3)

織田信 長の 高野 山めにお け る 調伏 祈祷 と 高 野 山客僧 好 ) 如 何 候 歟 存 候 之 処 」 と 当 時 の 不

を 吐 露 し た 上 で 、 「

師 之 御

」 に よ る 信 長 父 子 生 害 を 伝 え て い る 。 戦 で の 勝 利 よ り も 、 「 大 師 之 御 加 持 力 」 に よ る 信 長 父 子 の 滅 亡 を 強 調 し て い る の で あ る 。   で は 、 こ の 「

師 之 御 加 持 力 」 と は 具

的 に は 何 を 指 し て い る の で あ ろ

か 。   後 世 の 編 纂 物 は 、

野 山 攻 め の

野 山 上 で

侶 達 が

調

の 祈 祷 を

し た こ と を 伝 え て い る 。 『 治 乱 記 』 の 「 七 口 砦 山

人 数 賦 之 事 」 で は 「 客

中 ハ 任 セ ニ

会 聴 集 中 之

会 〆 ゴ 盟 小 田 原

勒 堂 二 → 時 付 割

の 祈 祷 ・ 太 元

ス レ 之 、

師 十

勤 レ 之 、

レ 中 朝 意 卜 与 二 応 其 一 発 ス 一 一

言 ヲ 己 と 記 述 し 、 「 御 社 山 王 院 祈 祷 霊 験

寄 手

走 ノ

」 に は

の 老

中 は 山 王 院 に お い て 五 壇 法 を

行 、 行 人

の 極 老 は

祷 を

客 僧 中 は 小 田 原 弥 勒

に 会 合 し て

之 院 十 穀 断 木 食 朝 意 并 快

阿 闍 梨 と な し 太 元 法 を

行 、 な ど と

述 し て い る 。 そ し て 続 け て 「 六 月 朔 日 辰 の 刻 、 中 壇 の 天 よ り 生 頸 ニ ッ 舞 下 り

及 二 三 度 三 消 失 す 、 又 後 夜 修 行 の 時 、 中

不 動 明 王 の 利 剣 よ り 血 流 淋

、 而

燈 明 一 同 に 撥 と

滅 す 」 や 、 「 雲 中 に

テ 云 ク 信

已 滅 亡 す と 諸

中 響 亙 レ リ 、 山 徒 仰 見 る に 葛 城 山 の

空 中 に 一

の 黒 雲

来 リ 覆 コ 満 山 上 二 → 其 雲 中 に 在 二 光 気 一 靉 コ 靆 八 葉 之 嶺 一 」 な ど と 生 々 し                                                                                     〔 15   い

現 で 、 信 長 が 討 た れ る 直 前 に 起 こ っ た と さ れ る

就 を 示 し た 不 思 議 な 出 来

を 描 い て い る 。 ま た 『 修 飾

                ( 16 ) 室 院

像 之 記 』 で は 、 学 侶 衆 僧 が 南 院 の 不

を 山 王 院 に

置 し 、 加 え て 西 南 院 の

元 帥 像 と 高 室 院 の 大

金 剛

出 し て 調 伏 祈 祷 を 行 っ た と こ ろ 、 「 首 級 二 箇 」 が

現 し 、 空 中 が 「 信 長 父 子

時 至 」 と

な ど と い

在 し て い る 。 実 際 に 信 長 父 子 が 滅 亡 し て い る こ と も あ り 、 信 長 を 退 け た 祈

と そ の 霊 験 が 、 近 世 に お い て

々 に 語 ら れ て い る の で あ る 。 「

師 之 御 加

力 」 や 「 是 偏 依 二 悃 祈

地 之 効 験 一

」 と は 、 の ち に こ の よ

に 描 か れ る 宗

を 指 し て い よ う 。 た だ 、 こ の 信 長 に

す る 調

祈 祷 の 記 述 は 管 見 の 限

後 世 の 編

物 の み で あ り 、

際 に

何 な る 修 法 や 祈 祷 が 修 さ れ た の か 、 ど の よ

な 僧 に よ っ て 行 わ れ た の か

の 史 料 に よ る

け は な い 。

263

(4)

智 山学 報第 六十一輯

 

稿 で は 信 長 に よ る 高 野 山

め に 際 し て 山 上 で 修 さ れ た

調 伏 祈 祷 や 、 「

之 御 加 持 力 」 な ど と

現 さ れ た 霊 験 な ど の 具

的 な 内 容 を 、 真 言

智 山 派 総 本 山 智 積

智 山

庫 所 蔵 史

を 通 し て 、 明 ら か に し た い 。 そ の

え で 調 伏

祷 を 修 し た

僧 順 良 房

意 に 注 目 し 、 中 世 後

に お け る

野 山 の 客

に つ い て 考 察 し た い 。 一

 

調

1

「 如 宝 愛 染 王 法 」

書 ・ 『 五 大

1

 

 

 

 

                                         

 

 

 

 

                          〔 17 )

 

で は 真 言

智 山 派 総

山 智

院 の 智 山

に 蔵 さ れ て い る 『 如 法 不 動 ・

染 ・ 勝 軍 地 蔵 法 』 所 収 「 如 宝 愛

 

 

 

 

                      〔 18 }

」 の

と 、 『 五

護 摩 次 第 』 の

を 紹 介 す る こ と で

野 山

め の

に 山 上 で 修 さ れ た 調 伏 祈

を み て い き た い 。

 

、 『 如

不 動 ・ 愛

・ 勝 軍 地

法 』 所

「 如 宝

染 王

」 の 奥 書 を 取 り 上 げ る ( 奥 書 の 翻 刻 は 後 掲 ) 。

 

『 如 法 不 動 ・ 愛 染 ・ 勝 軍 地 蔵 法 』 は 、 「

宝 不 動 供 次 第 」 ・ 「 如 宝 愛 染 王 法 」 ・ 「 勝 軍 地 蔵

」 の 三 つ の 次

を 収 め た 聖

で 、 全

同 一

跡 に て 書 さ れ て い る 。 表 紙 右 下 に は 「

」 と の 墨

が あ り ま た

末 に は 「 天 保 二 年

 

 

 

 

                                         

 

 

 

 

                            ( 19 ) 五 月 十 八 日 写 コ 得 之 一 了 、 無 言 蔵 」 と の

写 奥 書 が

す る こ と か ら 天 保 二

( 一 八 三 一 ) に

言 蔵 ( 憲 海 ) に よ っ て

写 さ れ た こ と が わ か る 。

 

こ の 「 如 宝 愛

王 法 」 の 奥

に は 、 「

意 順

御 本 也 」 「

二 光 臺 院 一 書 コ 写 之 一 畢 、 城 州 順 識 」 と 記 さ れ て お り 、 憲 海

本 の 親 本 は 、 順 識 が 高 野 山 光 臺 院 に て 朝 意 自

本 を

写 し た 書 で あ っ た 。 順 識 に つ い て は 現 時 点 で 明 ら か に し

な い が 順 識 が 親 本 と し た 朝 意 自 筆 本 は 朝 意 五 四 歳 の

寺 楞 伽 院 に て

写 し た も の で 、 そ こ に は 「 天 正

 

 

 

 

                          ( 高 野 山 )       〔 折 力 V                                       [ 20 ) 十 壬 午 五 月 廿 五 日 於 一 一 小 田 原 弥 勒 堂 一 南 山 錯 乱 之 祈 、 一 万 度 供 レ 之 」 と 、 朝 意 に よ る 追

し て い た 。 こ の 「 南 山 錯

」 こ そ 、 天 正 九 年 ( 一 五 八 こ 八 月 以 来 の 信 長 に よ る

野 山

め で あ っ た と

え ら れ る 。 朝 意 に よ っ て 一 万

264

(5)

織田信長の高野山攻めにおける調伏祈 祷と高野山客僧 (三好) 度 供

さ れ た 如 宝

王 法 と は 、 修 法 壇 の 上 に 如

を 安 置 し 修 す る 愛 染 明 王 法 で

と さ れ

に 通 じ 、                             { 21 } 調 伏 に も 用 い ら れ る 修 法 で あ っ た 。 以 上 本 聖 教 の

書 か ら 、 「 南 山 錯 乱 」 の 折 、 つ ま り 信 長 の

野 山 攻 め に

し て 、 天 正 一 〇 年 五 月 二 五 日 高 野 山 小 田 原 弥 勒 堂 に お い て 順

朝 意 が 調 伏 の た め 如 宝

王 法 を 一 万

供 養 し た こ と が 判 明

る 。  

に 『 五

尊 護

次 第 』 の 奥 書 を み て い き た い ( 奥 書 の 翻 刻 は 後 掲 ) 。   『 五 大

』 は 、 『 不 動 護 摩

 

調 伏 』 ( 以 下 『 不 動 』 ) ・ 『 軍 荼 利 法 護 摩   調 伏 』 ( 以 下 『 軍 荼 利 』 ) ・ 『 金 剛 夜 叉

摩 調 伏 』 ( 以 下 『 金 剛 夜 叉 』 ) ・ 『 大

護 摩  

調

』 ( 以 下 『 大 威 徳 』 ) ・ 『 降 三 世

 

調 伏 』 ( 以 下 『 降 三 世 』 ) の 五

で 構 成 さ れ て い る 。 『 軍 荼 利 』 ・ 『 金 剛 夜 叉 』 ・ 『 降 三 世 』 の 三 帖 に は 天 正 一 〇 年 と 翌 一 一 年 の 奥

が 、 『 大 威

』 に は 至 徳 三 年 ( 一 三 八 六 ) ・ 長 禄 二 年 ( 一 四 五 入 ) ・ 天 正 一 〇

年 の

書 が 『 不 動 』 に は 天 正 一 〇 年 ・

年 の 本

書 と 正 徳 四

2

七 一 四 ) 年 の 鏡 典 房

に よ る

写 奥 書 が

し て い る 。 こ れ ら は 全 て 同 じ 筆 跡 で 、 五 帖 と も

右 下 に 「 弓 尋

q

自 筆 」 、

紙 中 央 に 「 五 冊 之

」 と 墨

さ れ て い る た め 、 正

四 年 に 鏡

寂 龍 が 五

一 旦 ハ と し て

写 し た 聖

と い え る 。 寂 龍 に つ い て は 不

で あ る 。   こ こ で 着 目 し た い の が 、 天 正 一 〇 年 ・ 一 一

の 奥 書 で あ る 。 『

三 世 』 に 「 天 正 十 年 壬 午 正

五 日 、 五

砺 歳 」 と あ る の に 続 き 『 金 剛 夜 叉 』 は

壬 午 正

廿 二 日 、

房 。 ハ + 五 − L 『 不

』 に は 「 天 正 十

壬 午 卯 月 三 日 戌 之 尅 書 レ 之 」 な ど と 書 さ れ る よ

に 、 天 正 一 〇

正 月 か ら 四 月 に か け て 順 良 房

が 『 五 大 尊 護

』 五

写 し た こ と が 記 さ れ て い る 。 天 正 一 〇

に よ る こ の 書 写 は 、 「 天 正 拾 年 壬 午 正 月 + 六 日 、 当

当 山

条 、 祈 祷 用

書 写

朝 意 顯 粮 砺 歳 」 ( ・ 大 威 徳 』 ) や ・ ・

二 (

                                                            ( 壇 V 当 山 乱 入 シ 既 仁

二 破 滅 一 之 条 山 上

穏 ・ 仏 宝 堅 固 之 祈 仁 五 大 尊 五 大

護 摩 修 行 ス 」 ( 『 軍 荼 利 』 ) と 記 述 す る が 如 く 、 天 正 九

か ら の 「 乱 入 」 に よ っ て 「 当 山 」 が 「

滅 」 に 及 ば ん と し て い る た め 、 「 山 上

・ 仏 宝 堅 固 」 を

265

(6)

智 山学報第六 る 「 五

尊 五

檀 護 摩 」 を 修 さ ん が た め で あ っ た 。 こ の 『 五 大 尊 護 摩 次

』 は

帖 の 外 題 に 「 調 伏 」 と

る よ

に 、 護

壇 の 爐 形 を 三 角 に 描 き

角 を 南 と し

に は 苦 木 ・

木 を 用 い る と

る な ど の 支

に 記 し て お り 、 ま さ し

調 伏

を 行

た め の 次 第 と い え る 。  

述 の よ う に 、 本 聖 教 を 朝 意 が

写 す る き っ か け と な っ た の は 、 天 正 九

八 月 か ら の 「 当 山 」 へ の 「 乱 入 」 で あ っ た 。 そ れ は 、 「

長 儀 高 野 山 江 被 ル ・ 馬 ヲ 向 ヶ ・ 時 依 テ 三

山 及 二 滅 亡 二 一 之

メ ニ 彼 ノ 祈 一 修 レ 此 之

俄 二 五 大 尊 護

  ( 22 )

」 ( 『 金 剛 夜 叉 』 ) と も 書 さ れ 、

長 が 「 高 野 山 江 被 ル ニ 馬 ヲ

ヶ 一 時 」 、 つ ま り

田 信 長 の 高 野 山 攻 め に 際 し て の 「

」 で あ っ た と 考 え ら れ る 。 こ れ は 高 野 山

め の 開 始

と 、 「 当 山 乱 入 」 の

が 、 同 じ

天 正 九 年 八 月 か ら で

る こ と か ら も

け ら れ よ

。 た だ 『 金 剛

叉 』 奥

を は じ め と し て 、 本 聖 教 の 奥 書 か ら で は 、 「 破 滅 」 に 及 ぶ 「 当 山 」 が

野 山 な の か 、 ま た は 天 正 】 一 年 に

写 を し た 根 来

な の か 判

を 付 け に く い 。 し か し 、 当 時

と                                                                   ( 翆

長 は

対 し て お ら ず 、 高 野 山

め に お い て も 信 長 方 と し て

応 し て い た た め 、 「 破 滅 」 に 及 ぶ ほ ど の 攻 撃 を

た と は 考 え

い 。 ま た 先 に

た よ

に 、

意 は

野 山 上 に て

宝 愛 染 王 法 を 天 正 一 〇 年 五 月 に

し て お り こ の

は 高 野 山 上 に い た と 思 し い 。 「

山 」 は 高 野 山 と 判

し て 間

い 。

長 の 高 野 山 攻 め に 対 し 、 山 上 で 「 五

五 大 檀 護

」 と い う 修 法 も 行 わ れ た の で あ る 。   こ の 「 五

尊 五 大 檀 護 摩 」 と は 、

壇 不 動 法 を

心 に し て

壇 に 降 三 世

・ 軍

利 法 ・ 大 威 徳

・ 金 剛 夜 叉 法 を 配 し 五 連 壇 で 修 行 す る 五 壇

と も

ば れ る

法 で

的 な 祈

と し て も

さ れ る こ と の あ る 所 謂 「

法 」 で あ っ 須 ) た 。

野 山 上 に お け る 五 壇 法 は

一 八 年

2

) 一 二 月 に 「

社 」 「

守 拝 殿 」 と 称 さ れ る 山 王 院 に て 修 さ れ   25 ) た り 、 応 永 二 六 年 九 月 、 公

の 命 に よ り 応 永 の

に 対

る 異 国 調 伏 祈 祷 と し て 金 堂 に て 検 校 ・

頭 ら に よ っ                       ( 26 } て 執 り

わ れ た り し て い る 。 天 正 一 〇

に お け る 五 壇 法 に つ い て は 、

壇 が ど の よ

な 立 場 の 僧 に よ っ て 担 わ れ た の か 、 何

で 修 さ れ た の か な ど の 記 載 は 無 い も の の 「 学 侶 一 派 調 伏 秘

也 」 ( 『 軍 茶 利 』 ) と 記 述 す る こ と か ら

266

(7)

織田信長の高野 山攻めにお ける調伏祈 祷と野山客 僧 (三好 )                                                                     〔 27   の 例 の ご と

、 学

方 の お そ ら く は 検

・ 左 右 学 頭 ら を は じ め と す る 三

十 聴 衆 よ り 選 出 し 、 山 王 院 も し く は 金 堂                       〔 28 } に て 実 施 さ れ た の で あ ろ う 。

意 は 「 祈

用 意 、 俄 五 大

摩 書 写

」 ( 『 大 威 徳 』 ) や 「 為 メ ニ

ノ 祈 一

レ 此 之

、 俄 二 五

摩 書 写

」 ( 『 金 剛 夜 叉 』 ) と 記 し 、

え て 『 五 大

摩 次 第 』

文 所 々 に 伴 僧 の 所 作 に つ い て の 記 入 を

る こ と か ら 、 伴 僧 も し く は

衆 な ど と い っ た 職 衆 と し て 修 法 に 出 仕 し た と 考 え ら れ る 。 一 山 存 亡 の

機 に 際 し て 、 五 壇 法 が

野 山 の 僧 に よ っ て 独 自 に 執 行 さ れ た の で あ る 。   で は こ こ で 、

聖 教

か ら

野 山 上 で 行 わ れ た 五 壇 法 執

の 様 子 を み て い き た い 。 前 述 の よ

に 、 天 正 九

八 月 よ り 信 長 方 の

が 開 始 さ れ 、

野 山

は 一 山 「 破 滅 」 「 滅 亡 」 の

と 認 識 し て い た 。 こ の

態 に 対

す る た め 、 山 上 で は 五 壇 法 が

さ れ る こ と と な り 翌 一 〇 年 正 月 に

意 は 『

三 世 』 ・ 『

』 ・ 『 軍

利 』 ・ 『 金 剛

叉 』 を

写 、 四 月 三 日 に 『 不

』 を 書 写 す る な ど 祈 祷 の

備 が な さ れ た 。 そ し て 四 月 一 九 日 か ら 五

三 日 ま で の 二 七 日 間 、 五 壇

さ れ た の で あ る ( 『 金 剛 夜 叉 』 ) 。 そ の 期 間 中 の

子 が 『 金 剛

叉 』

書 に 、

の よ

し く 記 さ れ て い る 。     午 ノ 四 月 従 二 十 九 日 一 五 月 至 一 一 三 日 → 五 大 尊 ノ 五 壇 之

ス 、 護 摩

卅 人 ・ 伴 僧 五 十 人 、

別 昼 夜 十 二 座 、 伴                                                     ( 金 剛 夜 叉 )   ( 降 三 世 )   〔 軍 荼 利 )   ( 大 威 徳 )     僧 タ ラ ニ 開

之 座 ニ ハ 不 動 調

ノ 句 ヲ 加 へ 、 第 二 座 目 ヨ リ

 

 

 

 

 

 

卜 唱 畢 、 然 ハ 不 ・ 金 ・                                                                             ( 災 力 )     降 ・ 軍 ・

ヲ 唱

、 護 摩 衆 同 タ ラ ニ 加 ル ノ 間 、 時 別 三 十 人 ツ ・ 両

具 ハ

修 行 許 二 調 伏 ( 廿     一 日 ノ 暮 ヨ リ

廿

六 日 二 至 ル マ テ 西 二 大 二 及 二 百 丈 二 一 如 二

木 ノ 一 白 気 立 畢 、 末 ハ 南 ニ ナ ヒ ク 、 一 里

卜 見 へ

、 又 金     剛 夜 叉 ノ

ノ 上 二 生 キ 首 べ 両 三 度 見 へ

ル   こ れ に よ る と 、 護 摩

三 〇 人 ・

僧 五 〇 人 で 、 壇 別 に 昼

一 二 座 行 い 、

僧 の 陀 羅

は 開

の 座 で は 不 動 調 伏 の

え 、

二 座 目 よ

夜 叉 ・ 降 三 世 ・ 軍

利 ・

の 陀 羅 尼 を 唱 え た と い

。 護 摩

も 同 じ く 陀 羅 尼 を 加 え 、 時 別 三 〇 人 つ つ 両 番 、

具 は

べ て 息 災 を 用 い 、 調 伏 ば か り 修 行 し た と い

。 そ の 間 、 四

二 一 日 の

れ か ら

267

(8)

智 山学 報第六 【表】厂如宝愛染 奥 書 ・大尊護摩 次第 奥 書に みる信長 調伏祈祷 年 月 日 事 項 出 典 天 正

9

8

月 信 長、高野 山へ 乱 入 『軍荼利』 天 正10年 1月 朝 意、『・『大威 徳・『軍 荼・ r金 剛 夜 叉』 を 書 写。 『三 世 ・『大 威 徳・ 『・『金 剛 夜 天正 10 年 4月 3 日 朝意、『不 動 を書写。 r不動』 天正

10

4

19

日 五壇 法、 開 白。 r金 剛夜 叉』 天 正 10年 4月 21日〜26日 百 丈に及ぶ大 木の 如 き白気が 立つ 。 r金剛夜叉』 天 正

10

年 某日 金 剛夜叉の 壇上に生首が両三度現れ る。 r金剛夜叉』 天 正 10年 5月3 日 五壇 法、結 願。 r金剛夜 叉』 天 正 10 年 5月25日 朝意、小田原弥 勒 堂におい て如 宝 愛 染王 法を一万度供 す。 「如 宝愛 染 天正 10年 6月2 日 本 能寺の変。 二 六 日 に 至 る ま で 、 西 に 百

に も 及 ぶ

木 の 如 き 白

が 立 ち の ぼ

、 そ の 末 は 南 へ と た な び き 、 長 さ は 一 里 程 で あ っ た と い

。 ま た 、 金

夜 叉 の 壇

で は 生 首 が 両 三 度 見 え た と い う 。 そ し て 五 月 三 日 の

か ら 一 ヶ 月 後 の 天 正 一 〇 年 六

二 日 、 「 叶 二 理 運 一 大 敵 早 速

亡 ス ト 云 々 」 ( 『 不 動 』 ) と 朝 意 が の ち に

に 、 信 長 は 本

に て 倒 れ る こ と と な る の で あ る 。   た だ 、 『 金 剛 夜 叉 』 の こ の 詳 細 な

書 は 、 記 述 し た 年 が 記 さ れ て い な い 。 し か し 『 五 大 尊

摩 次

』 に は 、 寂 龍 に よ る 正 徳 四

書 が 『 不

』 に の み

し 、 他 の 四 帖 は 天 正 一 〇 年 と 同

だ け が 書 か れ 、 寂 龍 に よ る 書 写 奥 書 は 無 い 。 そ の た め 、 『 不 動 』 の

の 奥 書 は 、

龍 が

写 し た 親 本 に 存 し た 奥

え ら れ る 。 ま た 、 こ の 『 金 剛 夜 叉 』

書 に は 、 「 云 々 」 な ど

用 や

の 文 言 が 使 わ れ て い な い た め 、

記 し た 本 人 の

験 を 記 し て い る と 判

で き る 。

え て 、 『 治 乱 記 』 な ど

世 の 編 纂 物 な ど で は

亡 を 伝 え る 言 葉 が 空 中 か ら 聞 こ え た こ と に な っ て い る が 、 本

述 に は 無 く 新 た な 霊 験

え ら れ る 前 の 内 容 で あ る と も

え ら れ                                     〔 29 ) る 。 こ れ ら の こ と か ら 『 金

夜 叉 』 の 記 述 は

意 が 五 壇

に 追 記 、 遅 く と も 天 正 一 一

に 根 来

に て 書 写 し た 際 に 回 想 し て

し た と

え ら れ 、 内 容 の

憑 性 は

い と い え よ

268

(9)

織田信長の高野 山攻め にお ける調 伏 祈 祷 と高 野 山客僧 (好)   本 章 で は 、 智 山 書 庫 蔵 『

不 動 ・ 愛 染 ・

軍 地 蔵

』 所 収 「

宝 愛 染 王

」 と 『 五

尊 護 摩 次 第 』 の 天 正 一 〇                         〔 30 }

か ら 一 一 年 に 記 さ れ た 奥

目 し 、 こ の 二 つ の 聖 教 が 、 信 長 の

野 山 攻 め に 際 し て 順 良 房 朝 意 に よ

調 伏

祷 の た め に 用 い ら れ た 聖 教 を

し た も の で あ る こ と を 明 ら か に し た 上 で 、 高 野 山

め の

に 山 上 で 修 さ れ た 調

祈 祷 の

容 を 見 て き た 【 表 】 。 五 壇 法 や 如 宝

な ど の 修

結 願

ぐ に 信 長 が 倒 れ た た め 、 高 野 山

め 終 結

ほ ど な く 「 大 師 御 加 持

故 歟 」 と の 霊 験 が

野 山 僧 に 強 く 意 識 さ れ た と 考 え ら れ る 。 そ れ は 、 五 壇 法 結 願 後 ま も な い 時 期 か ら 、 修 法 執 行 中 に 百

に 及 ぶ 大 木 の 如 き 白 気 が 立 っ た 、 や 、 金 剛 夜 叉 の 壇 上 に 生 首 が 三 度 現

し た 、 な ど の 不 思 議 な 出 来

が 語 ら れ て い る こ と か ら も 窺 え よ

。 後 世 『 治 乱 記 』 や 『 高 野

秋 』 『 修 飾 高 室

勝 金 剛 像 之 記 』 な ど で 高 野 山 の 霊 験 が 大 々 的 に 語 り

え ら れ て い る が

が 一 か ら 創

し た の で は な く 、

か ら 既 に

在 し た 認 識 に 更 な る 言 説 を 加 え る こ と で 成 立 し て い っ た と い え る 。   以 上 、 高 野 山 上 で 行 わ れ た 修 法 は こ れ だ け で は な い で あ ろ う が 従 来 、

世 の 記 録 や 編

物 か ら

し か な か っ た

調

伏 祈 祷 に つ い て 本 史 料 に よ り

際 に 如

染 王

や 五

法 な ど が 執 行 さ れ て い た こ と を

認 す る こ と が で

た 。 二

 

  で は 「 如 宝

王 法 」 と 『 五

護 摩 次 第 』 、 こ の 二 つ の 聖 教 を 書 写 し 、 秘 法 や

と さ れ る こ れ ら の 法 を

た 順 良 房

意 と は ど の よ う な 僧 で あ っ た の か 。

章 で は こ の

意 に 注 目 し 、

長 調 伏 の

祷 を

し た 天 正 一 〇

( 一 五 八 二 ∀ 頃 の

意 の

性 に つ い て み て み た い 。   順 良

朝 意 は 、 大 和 添 上 郡 に 生 ま れ 、 高 野 山

臺 院 内 真

し 、 慶

四 年 ( 一 五 九 九 ) 一 〇

一 九 日 に 八 二

269

(10)

智山学 報 第六十一輯               ( 31 ) で

し た と さ れ る 。

と し て 名 高 く 、

遍 に

い 声 明 を

、 『 魚 山 螢

集 』 を

し た 長 恵 の

子 に あ た る                                                                     ( 32 一 と と も に 声 明

数 書 写 し 、 秘 讃 の

承 の 上 で 重 要 な

割 を 果 た し た と い

。 し か し

意 の 、

か ら よ く

ら れ て い る こ の よ

な 特

だ け で は 、 一 山 の 危 機 に

調

伏 祈 祷 を

い 得 た 理 由 に は な ら な い で あ ろ

。                                                                                     ( 33 )  

聖 教 の

書 を み て み る と

は 、 永 禄 一 二 年 ( 一 五 六 九 ) に 「 南 山 客 僧

」 と 記 し て い る と さ れ 、 元 亀 三 年 ( 一                                                                 〔 34 } 五 七 二 ) に は 「 於 二 仁 和

御 室

金 剛

順 良 五

朝 意 ( 在 判 ) 」 、 ま た 天 正 三 年 二 五 七 五 ) に は 「

山 朝

レ 之 ・

施 」 や ・

二 南

掴 L な ど と 書 し て

亠 咼 野 山 の 客 僧 で あ ・ た ・ 元 亀                                                               ( 37 )                                                                             38 ) 三

に 仁 和

写 活 動 を し て い る よ

に 、 朝 意 は 、 天 正 元 年 に 『 吉 祥 天 』 や 『 小 野 神 供 』 な ど を

来 寺 に て 書 写 し

た 『 五 大 尊

摩 次 第 』 も 天 正

年 に

ま た 「 如

染 王

」 を 天 正 一 〇

に 東

寺 に お い て

写 し て い る 。 仁 和 寺 や 東 大 寺 、 根 来

な ど 高 野 山 以

の 諸 寺 で も

学 し て い た 様 子 が

え る 。                                                                 39 〕   こ の よ う な 高 野 山 客 僧

意 は 、 天 正 一 〇

に 「

木 食

本 申

写 コ 書 之 一 」 と 記 さ れ る が

く 、

か ら 木

と 認 識 さ れ る

在 で も あ っ た 。 朝 意 が 木 食 で あ っ た こ と は 、 天 正 一 八 年 の 「 当 流

行 砌 、 於 二 光

院 一 鴛 夢

q

意                       〔 40 〕                                                                                             ( 41 ) 致 二

受 一 書 ] 写 之 一 訖 、 成 遍 」 や 「 於 二 光 臺 院 一

レ 之 、

祥 寺 隆

正 御 自

従 二 南 院 一 給 レ 之 書 写 了 、 朝 意

七 + 三 オ 」 、

禄 三

九 四

与 宥 盛 入 寺

 

意 木

L ・ 翌 四

の ・ 音

道 朝

才 ( 花 擁 ) L な ど と い

か ら も 判 明 す る 。 そ し て

意 は 「 天

三 年 甲

五 月 二 十 五 日 、 高 野 山 南 院

阿 闍 梨

本 → 二 十 八                       翌 日 書 写 了 、 和 州 産 木

朝 意 」 と 記 す よ

に 天 文 二 三 年 ( 一 五 五 四 ) に は

で あ り

( 一 五 九 七 ) に も 「

意 ( 木 )             〔 鏨 不

花 押 八 十

」 と 書 き 遺 す こ と か ら 、 八 二

で 没 す る ま で 木 食 行 者 で あ っ た と い え る 。   木

と は 、 十 穀 断 と も 呼 ば れ る 断 穀

行 の 行 者 の こ と で あ り 、 中 世 後 期 に お け る 木

は 「 穀 断 行 そ の も の が

                                                                                              霾 の 宗 教

と し て の

、 そ の 聖

を 高 め て い る 」 と さ れ 、 そ の 祈 祷 や 祈 願 の 力 が

会 か ら 期 待 さ れ て い た と い う 。

                                                                    冖 47 〕 意 も 、 「 文 禄 四

乙 未 七 月

八 日 、 余 炎 旱 之 問 、 書 レ 之 、 即

レ 之 朝 意

食 有 判 」 と の 奥 書 が 水 天 供 の 次 第 に

270

(11)

織田信長の高野 山攻めにおける調伏祈 祷と高野山客 僧 (三好 )                                         〔 48 ) れ て い る よ う に 、 炎

の た め 水 天

っ て い る 。 旱 魃 に よ る 、

業 生 産 や 生

に 欠 く こ と の で き な い

の 不 足 に 対 し 、

で あ る 朝

の 験 力 に 周 辺 地 域 社

か ら 期 待 が 寄 せ ら れ 、 そ の 求 め に

じ 祈 雨 を 目 的 と し て 水 天

を 修 し た と も

え ら れ よ う 。                                                                   〔 49 }   こ の 例 を は じ め と し て 、 朝 意 が

相 の 面 に

れ て い た こ と は 、 『 野 沢 血

集 』 の 「 安 祥

諸 流 一 統 血

」 に 快 旻                                 〔 50 )                                       冖 51 ) や 宥 智 の 弟 子 と し て 釣 ら れ て い る こ と 、 天 正 一 四 年 以 降 「 阿 闍

食 朝 意 」 、 天 正 一 六 年 に 「 伝 授 阿

梨 権 律 師 朝 ( 52 )                                                 〔 53 ) 意 」 、 天 正 二 一

に は 「

授 阿 闍 梨 大 僧 都

」 と し て 、 安 祥 寺 流 や 持 明 院 流 ・ 中 院 流 な ど 諸 流 を

授 し

る 立 場     〔 54 ) に な る こ と か ら も わ か る 。 た だ 、 既 に 挙 げ た

意 書 写 の

を 持 つ 聖 教 の 種

か ら

え る よ

に 、 朝 意 に よ る 聖 教 の 書 写 は 、 修

の 次

な ど

相 関

い も の の 、 管

の 限

に 関 す る

の を 見 い だ せ て い な い 。

は 事 相                                                             〔 55 ) 面 に

し て 習

し 、

越 し た

力 を

す る 僧 で あ っ た と い え る 。   以 上 の よ う に 天 正 一 〇

頃 の 順 良 房 朝 意 は 、 高 野 山 客 僧 で あ る 木

で あ り 、

つ も の 法 流 を 受 け た 、

相 面 に お い て 優 れ た

教 的 な 力 を 発 揮 し

る 僧 で あ っ た 。 ま た 朝 意 は 、

寺 院 に て

な ど の 研 鑽 を す る も の の 聖 教 の 書 写 や

流 の

な ど 活 動 の ほ と ん ど は 高 野 山 で あ り 、 客 僧 と は い え 、 高 野 山

に 近 い 僧 で あ っ た 。 信

調 伏 祈 祷 の 一

は こ の よ う な 僧 に よ っ て

わ れ た の で あ る 。

 

  前

で は 、

意 が

野 山 の 客 僧 で あ る 木 食 で あ り 、 ま た

の 面 に お い て

れ た 僧 で あ る こ と を み て き た 。 で は 、

意 が 属 し た 客

と は 高 野 山 内 に お い て 如 何 な る

在 で あ っ た の か                                                                     56 )   一

的 に 客

と は 、 客 の

や 遍 歴 ・ 廻 国 す る 旅 の 僧 ・ 山 伏 を 指 す と さ れ て い る 。 特 に 中 世

期 に お い て は ほ ぼ 山

271

(12)

智山学報 第 六 十一輯 伏 の こ と と さ れ 、 長 谷 川

に よ る と 近 江 国 伊 吹 山

音 寺 を

例 と し て 、 中 世

期 の

内 に お け る 客 僧 と 山 伏                             ( 57 } と は 同 一 の 認 識 対

で あ っ た と い

。   中 世

期 の 高 野 山 客 僧 に つ い て は 、 和

昭 夫 ( 秀 乗 ) 氏 が 木

応 其 の 高 野 山 内 に お け る 地

や 性 格 を

討 す る 際 に 注 目 し 、 高 野 山 の

僧 と 木

と は

能 上 本

的 に 同 一 の

格 を

び て お り

両 面 に お い て 学 侶 と

色 な い 地 位 を 占 め 、 特 に 行 人 的 . 聖 的 な 性 格 を 強 く 兼 ね 備 え な が ら 、 学 侶 ( 衆 徒 ) ・ 行 人 ・ 聖 い ず れ に も 属 さ な い

で あ っ た     58 )                                                                                         〔 59 )         ま た 太 田 直 之 氏 は 、                           高 野 山 に お け る 十 穀 聖 ( 木 食 ) の 具 体 像 や そ の 淵 源 を 明 ら か に す る 中 で 、 「 客 僧 と は 一 と す る 。 般 に

国 を 修 行 の た め に 遍 歴

る 僧 侶 の こ と を 指 し 、 特 に 中 世

期 以 降 は 、

も の 」 と

義 し て 、 高 野 山 に 集 ま っ て き た 客 僧 は 「

 

教 学 の

を 求 め て き た 者 」 と 「

 

十 穀 断 な ど の 行 を 行

こ と を 目 的 と し て 来 た 者 」 で あ

、 こ の

 

が 木 食 ( 木 食 聖 ・ + 穀 断 ) に つ な が る と す る 。 そ し て 木 食 と 修 験 者 の 断 穀 と い

行 形 態 に よ る 親 縁

摘 し 、 「 木 食 は

と 極 め て 近 い と こ ろ か ら 発 生 し た 」 と し て い る 。 つ ま

、 高 野 山

部 分 は 山 伏 で あ る と 捉 え そ の 「

山 伏 」 の 周 縁 に 、 山 伏 と し て 組

さ れ な い 断

行 の 行

で あ る

食 が 位 置 し て い る と

る 。   高 野 山 の

僧 と 木 食 の 関

に つ い て の 両 氏 の 説 は 高 野 山 上 に

を 建 立

る た め に

さ れ た

( 一 四 三                             〔 60 〕 七 ) 六 月 日 付 「 沙 門 弘

状 」 が 重 要 な 論 拠 と な っ て い る 。    

下 特 蒙 二 貴

乙 恩 助 一 預 二 緇 素 男 女 奉

二 高 野 山 一

刺 興 客 坊 上 状                                           ( 源 仁 )     伏 惟 当 山 者 ( 中 略 )

当 山 之 為 体 、 a 或 有 下 浴 二 南 池 両 門 法

コ 酌 東 寺 一

之 源 流 一 之

b

有 地 欲 下

二 二 教                                   C 十 住 之 差 降 → 携 中 教 門 筌

上 之

 

或 有 下 炎 夏 暑 月 断 二 穀

ハ 昼 夜

コ 念 神 呪 → 玄 冬 素 雪 著 二

衣 → 三 時 企 二 預 修 密 行 一 之 族 か

レ 此 行

志 之 来 賓 客

レ 之 、 雖 レ 然 依 レ

二 法 談 之 会 所 ハ 不 レ 琢 コ

理 →

レ 闕 二

行 之 密                                                                   ( 誓 力 ) 場 → 空 拱 二 修 練

一 而 已 、 瞻 レ 之 愁

レ 抑 、 聴 レ 之 哀

僧 坊 造 立 之 盟

、 不 レ 休 二 于

興 行 之

272

(13)

織田信長の 高 野 山攻め に おける調伏 祈祷と高 野山客僧 (三好 )     欝

寐 → 悲 哉 小 僧 得 二 孤 露 無 縁 之 身 → 無 二 一 衣 一 鉢 之 貯 ハ 曷

功 一 乎 、 不 レ 如 下 預 二 十

檀 那     之 恩 顧 の 遂 中 三 宝 紹 隆 之 素 顔 上 ( 下 略 )  

料 の 傍

部 ( a ・

b

・ c ) 、

野 山 に

客 僧 に つ い て 記 し た 箇 所 に 、 「 断 二

一 」 「

二 弊 衣 一 」 ( c ) な ど の

言 が あ る こ と か ら 、 和

氏 は 客 僧 と

食 を 同 一 の 存 在 と み な し 、

は 客 僧 山 伏 ) の 一 部 が 木

で あ る と す る 。 こ の 傍

部 ( a ・

b

・ c ) は 、 客

の 有 り 様 に つ い て 並 列 し て 述 べ て い る の で あ

、 太 田 氏 が い う よ う に

の 一 部 に 木

し た と

る の が 妥 当 で あ る と 考 え る 。   た だ

田 氏 は

の 出

を 明 ら か に す る こ と を 目 的 と し て い る た め 、 長 谷 川 氏 の 論 に 拠 っ て 客 僧 を 山 伏 と

義 し て お り 、

野 山 客

の 分 析 か ら そ れ が 導 き 出 さ れ た わ け で は な い 。 ま た 和

氏 の 客 僧 が 学 侶 ( 衆 徒 ) ・ 行 人 ・ 聖 の い

れ に も 属 さ な い

で あ っ た と い

位 置 づ け は 首

る け れ ど も 、 『 高 野

物 語 』 な ど 近 世 の 編

物 に 拠 る と こ ろ

い 。   本 章 で は 、 先 学 の 驥 尾 に 付 し て

一 度 中 世 後 期 に お

る 高 野 山 客 僧 の 山 内 で の

置 や

を 構 成 す る 僧 侶 に つ い て 考

し た い 。   ま

、 「 沙 門 弘

客 坊 勧 進

」 に よ り

九 年 に は

と な る

坊 の 建 立 を 目 指 す ほ ど 当 時 客 僧 が 山 上                                   ( 61 ) に

し て い た こ と を 押 さ え て お き た い 。 高 野 山 上 に 来 た 客 僧 は 嘉 元 二 年 ( = 二 〇 四 ) の 阿 弖 川 庄 の 地 頭 に つ い て の 置 文 に よ る と 寺 家 に 敵 対 し た 地 頭 は 庄

と な さ な い こ と を 定 め た 上 で 、 「 向 後 於 二 彼 地 頭 之

類 并 縁

、 雖 レ                                                                         ( 62 )

二 垂 髪 ・ 客

等 ハ 不 レ 可 二 同

宿

→ 若 於 下 背 二 此 旨 一

二 同

宿

  之

、 罪 科 可 レ 為 二 同 前 一

」 と あ る こ と か ら

別 な

が な い 限 り 垂 髪 ( 稚 児 ・ 童 ) と 同 じ よ う に 、 山 上 の 坊 院 に 同

宿

し て い た と い え る 。 こ の こ と は 時 代 が 降 っ て も 同

                                      〔 63 }                                                                   ( 64 ) で

( 一 四 四 七 ) の 「

勒 堂 客

深 房 」 や 天 正 一 八 年 ( 一 五 九 〇 ) の 「 以 二 光

院 木

朝 意

一 写 レ 之 」 な ど 、 客

が い る

舎 や 坊 院 が 他 者 か ら

さ れ て い る こ と か ら

え よ

(14)

智山学報第六十一輯   で は

に 、 客 僧 の

内 で の 位 置 を 確 認 し て い き た い 。                                         〔 65 )   慶 長 六

( 一 六 〇 一 ) 、 衆 徒 方 は 奉 行

( 西 笑 承 兌 ) へ 、

に よ る 衆 徒 方 へ の

は 認 め ら れ な い こ と な ど を

え                                                                 ( 応 其 V た 。 そ の

に は 、 「

 

太 閤 様 ハ 高 野 之

沙 汰 、

食 に 被 二 仰 付 一 候

、 上 人 儀 ハ

食 草 衣 之 身 上 に し て 衆 徒 ・                                                                 ( 66 ) 行 人 の

に 候 へ は 、

代 衆 徒 之 瑕 瑾 に 不 二 罷

一 候 問 、 不 レ 及 二 是 非 之

」 と 記 さ れ 、 曲 豆 臣 秀 吉 に

野 山 の

沙 汰 を 仰 せ つ け ら れ て い た 上 人 ( 応 其 ) は

食 で あ り 、

徒 ・ 行 人 の 外 に 属 す る た め 、 衆 徒 の

瑾 に は な ら な か っ た と し て い る 。

食 で あ る 応

は 、 衆 徒 ・ 行 人 と は 異 な る 存

で あ っ た 。 中 世 後 期 高 野 山 の 中 心 的 な 僧 侶

は 、 衆                                               ( 67 > 徒 ( 学 侶 ) .

人 ・ 聖 の い わ ゆ る 三

に て 構 成 さ れ て い た 。 そ し て 、 衆 徒 ・ 行 人 の 外 で あ る と み な さ れ た 応

は 、 木                           〔 68 ) 食 で あ る と と も に 客

で も あ っ た 。 こ の こ と か ら 客

も 、 木

同 様 、

徒 と 行 人 の ど ち ら に も 属 さ な い

で あ る と い え る 。                                                                                         ( 69 )   ま た 、

の 寺

で の

置 は 、 文 禄 五 年 ( 一 五 九 六 ) に 奥 院 灯

堂 が

上 し た 際 の 再

過 程 か ら も 窺 え る 。 「 当 山 学 侶 衆 . 行 人 衆 ・ 客 僧 衆 ・ 卅 六 ケ 道 場 衆 応 二 其 器 量 一 成 レ

」 と あ る よ

に 、 高 野 山 の 学 侶 衆 ( 衆 徒 ) ・ 行 人 衆 ・ 客 僧 衆 . 三 六 ケ

場 衆 に

し て 勧 進 が な さ れ た 。 弘

師 が 入

し て い る

院 の 灯

堂 復 興 で あ る た め 、

野 山 上 の 僧 侶

べ て に

進 が な さ れ た と 考 え ら れ 、 こ の 四

団 が 高 野 山 を 構 成 す る 僧

集 団 で あ っ た と 判

で き る 。                                 〔 70 〕 三 六 ケ

は 時

の 聖 衆 で あ ろ

か ら 、

僧 衆 は 衆 徒 ・ 行 人 ・ 聖 の 三 派 い ず れ に も 属 さ な い

団 で あ る と い え る 。   と は い え 、 こ こ に

れ た 「 客 僧 衆 」 は 、 天 正 冖 八 年 の 応 其 に よ る 興 山

建 立 に よ っ て

た な

の 場 が 出 来 、 組 織 化 が な っ た 集 団 で あ ろ う 。 興 山 寺 は 、 「 天 正 年 中 に 諸 国 よ り

山 之 客 僧

、 木 食 上 人 を 本 願 と た の み 、

談 会 場 之 た め に 、

相 応 に 料 物 を 出 し 其 外 世 問 之

加 を こ ひ 、 始 而

立 い た し そ れ よ り 以 来 三 十 ヶ 年

、 客

衆 年 中 之 寺 役 、

月 之

談 、 無 二 怠 慢 一 相 勤 、 其

中 百 人

御 座 候 を 、

結 衆 と な づ

候 」 「

建 立 之                                                                                                 〔 71 ) 後 、 且 く

候 て 、 別 而 之

号 無 二 御 座 一 候 二 付 、 木 食 上 人 後 陽 成 院

江 経 二

→ 興 山

と 申 勅 額 申

(15)

織田信 長の 高野山攻めにおける調伏祈 祷と高野山客僧 (三好) と あ る よ

が 本 願 と な っ て 、 諸 国 よ

住 山 し て い る 「

」 の 求 め に 応 じ

談 会 場 の た め に 建 て た 寺 で あ っ た 。 建 立 当 初 は 単 に 「

坊 」 と

ば れ て い た と さ れ る こ と か ら 、

他 に

集 の 場 と な る

は 存 在 し て い な か っ た と い え る 。 し か し 、 既 に

僧 は

享 九

に 客 坊 建 立 を 目 指 す ほ ど の 人 数 が 山 上 に 集 ま っ て き て お り 、                                       〔 72 ) 以 降 も

し て い た と 考

ら れ る こ と か ら 、 応 其 の 興 山 寺 建 立 に よ っ て

が 急 に

ま り は じ め た わ け で は な く 建 立 以

か ら 三 派 に 属 さ な い 客

達 が

く 存 在 し て い た と し て

い で

。 ま た 建 立 以 降

中 の 寺 役 や 毎 月 の

談 な ど を 懈 怠 無 く 勤 め て い る と

る こ と か ら 、 建 立 以 前 は

な ど を

っ て い な か っ た と い

る 。 こ の こ と は 、

五 年 の 食 堂 造 営 に 際 し 「 下 行 分 」 と し て 「 客 僧 食 物 」 が あ

ら れ 、 寺

の 食

を 負 担 し て い る     〔 73 ) よ う に 、

僧 が 寺

に 扶

さ れ て い る こ と か ら も 窺 え よ

。   そ し て 、 こ の よ

な 衆 徒 ・ 行 人 ・ 聖 と は 異 な る 存 在 で あ る 客 僧 は 、

衆 で あ る か 否 か で 決 ま っ た と 考

ら れ る 。 修 正

の 配 分 を 記 し た 正 和 五 年

一 = ハ

正 壇 供 支 配 注

樋 に は ・ 「 交

分 」 幽 「

作 人 分 」 °

僧 分 L が 書 き 上 げ ら れ て い る 。 所

人 は 導 師 な ど が 列

さ れ て お

、 修 正 会 で 役 を 勤 め た も の た ち で あ ろ

。 交 衆 は 、

・ 前 官 ・

職 ・ 入 寺 ・

分 、 預 ・ 承 仕 ・ 夏

、 聖 が あ げ ら れ て い る こ と か ら 衆 徒 ・

人 ・ 聖 が 交 衆 で あ っ た 。 と す れ ば 、

る 雑 僧 は 三

に 属 し て い な い 僧 で あ り 、 非 交

と な る 。 雑 僧 の

成 は 不 明 で あ る が 、 こ の よ

な 非

ば れ る よ

に な る の で は な か ろ う か 。 高 野 山 か ら 離 山 し 、 一 五 世 紀 初

に は 伽 藍 や 寺 院 組 織 が

立 し                 ( 75 〕                                                                                                   冖 76 } た 紀

来 寺 で は 、

衆 か 非 交 衆 か に よ っ て

僧 が

き く 区 別 さ れ 、 非 交 衆 が

と し て 数

存 在 し て い た こ と も 参 考 に な ろ う 。   以 上 か ら 、 学 侶 ・ 行 人 ・ 聖 の 三 派 い ず れ に も 属 し て い な い 存

、 つ ま り 三 派 に 交

し て い な い 非 交

が 、

僧 で あ っ た と い え る 。 客 僧 の

く は 堂 舎 や 坊 院 に

宿 ・ 同 宿 し 、 寺

担 は 無 く

九 年 頃 に は 結 集 場

め る ほ ど 山 上 に

し て い た 。 そ し て 木 食 は こ の よ う な

僧 に 包 摂 さ れ る

在 で あ っ た 。

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