サ
ラ
ババ
・一ダ
作
ド
ー バ ー ・ コ ・一シ
ャ(
翻
訳 及 び ノ ー ト)
(
ll
)
奈
良
康
明
(本論は駒 沢大 学仏 教 学部 研 究 紀 要VoL
24, March1966
につ づ く もの で あ る。)rv
修
習 (
bhavana
)
(1o2)55
太 陽と 月 の 両者に 関して 妄 見を 抱 くな。 ブ ラ フ マ ン , ヴ ィ シ ュ ヌ , また マ CIo3) へ 一 シ ュ ヴ ァ ラ ( = シ ヴ ァ )は 妄 見 (の 所産 )で あ る 。 深 く 内に 抱 くも の(
= サ ハ ジ ャ)
こ そ王 者で あ り , そ こ にす ぐれ た 世 界は現 成す る。56
あ あ 息 子 よ, 汝 の 為 に真理の 味は確立 さ れ て い る。 (そ れ を) 享 受 せ よ。 こle4) (そ れ を)自 らに説明 し読誦 す る時, 世界の 各 々 の 人が清ら か に な るの だ。 CIo5)57
す ぐれ た 上 下 の 道に 入 り, 月 と太 陽の 両 者 を 斥 け よ。 時 間 的制約 あ る原 理 aefi)に基 づ く道 (
gai
,Skt
,gati
−)は誤 りで あ る。 二元 的 思 考 を 完 全 }c 合一’せ よ (1o7)(samarasa
karei
)
。 (102 ) see . Nos ・35
,49
及 び前注 (77
)(
103
) cp . DKT20
:vamha viha4u mahesuradeva
vohisattva makarahu
seva“
ブ ラ フマ ン , ヴ ィ シ =ヌ, マ ヘ ーシ ュ ヴ ァ ラ, 神, ポサ ツ に奉 仕するな ”
。
(
104
) are putta tojjha tatta rasu susa 血hiu
bhojja
, vakkh 昌panta
pa
(重hantania
jagahilh
piania
sojjha , cp .MS
, (PB ): are puttabojjhu
(PB
. vojjhu )rasa ・rasarpa susa 血
thia
al)ejja (ave °)bakkhapa
(va °)padhantehijagahi
rpajapiu
(°
pia
)sojjha .“ … …不 老不 死の 薬は無 智に よ り確 立さ れ たもの と知れ 。 (聖典の). 説
明 を学ん でい る か ら世 界に清 淨が知 ら れ ない の だ”
。
RS
本 pada a の tQjjha (chayatu )は tujjha と読むべ きで あろ う 。
(105 ) addha −uddha maggavarerb
paisarei
・上下の 道とは 中央の 神経た る AvadhU ・t董
ka
を指す もの と思われ る。(
106
)vaficijjai
kalahutapaa
gai
cp .CK
1
: caficala cie paithakala
‘‘citta が動きまわ る と き, 時に入 る ”
。 see
ORC
. p .36
.(107 ) samarasa と は術 語で一般 的には 二 元 的 原 理 (
prajfia
と upaya 等)が 合一・し て一一
en
と な ること を 云 い, その 時に ボ ダ イ心 が 生 じ大楽が 感得さ れ る。 し か しSandha
bhaSa
と し て “coitus ”の義 もある。 これ に つ い て は MS 本 p.
9
;M . Eliade . yoga ,
1
皿 mortality and Liberty (Eng
. Tr .by
W 。 R . Trask ),NY
1954, p .253
;A
,サ ラ バ パ ーダ作 ドーバ ー ・コ ーシ ャ (奈良 康 明)
29
58
(こ の 真 理一 サ ハ ジ ャ ー一一を)誰 か信 じ よ う 。 誰 に 私 は 語 (り得 よ) う。
(さ れ ば ) 今 日こ そ沈 黙せ よ。 友 よ, 愛し き もの (= 真理)を見 るこ と に よ (1o8 )
っ て (無明の ) 夜は 亡 び, 真の 意 義は 輝 くの だ。
〔1
〕 空59
自己 も空 で あ り, 世界 も空 であ る と各 家に おい て (= 誰で もが )説明する。 (1os)
しか し, す ぐれ た木の 根 (本 ) を (誰 も)知 らぬ , と サ ラバ は 云 う。
60
も し地獄
(
rasaalu ,Skt
. rasatala −)に 入 い れ ば天 空 (aasa
,Skt
. aka ξa−)に は赴 き得ぬ。 汝は種 々 な世 間の 慣 習 (afira,
Skt
. acara −)を尊重 せ よ(m 叫 a(11e)
<
Pkt
. rootVmupa
=・Sut
.Vman
)。 解 脱 の 研 究が何に なろ う。
61
知覚 (buddhi
)が 亡 び 知的機 能 (marPa ,Skt
. manas )が死 し, 高 慢 (ahi ・mapa ,
Skt
. abhimana −)が 破 壊 され た時, こ の 幻 よ り成 る もの ( = 現象 世 Clll)界
)
は(
そ の ま ま)
最高 の境地 なの だ 。 何で 冥想に束 縛 さ れ る 必 要が あろ う。 62 (万 物 は )“ 存 在” (bhava
)の 中に 生 じて は “ 消 滅” (khayehi
,Skt
.k
爭aya −)の 中に消えて ゆ く。 も し “ 存 在” が ない な ら ど うし て再び現れ る こ とが あろ
う。 も しこ の
〔
存 在 と非 存 在の〕
二 が ない な ら何が 生 じよ う。 と ど ま れ , 尊 い 師が 語 っ て い るの だ。(
108
) pia −dansarPeth
hale
ロattha 旦isi
, sa 血jha
sa 血hu
〔ヌa (sQ readfor
the text°
jhasartl
huda
)jau
. こ のdoha
は H . P . Sastri の Bauddha (瓶 nO
Doha , p .
35
にCaryacaryavini
ξcaya (即 ち本 論の CK )の C。皿 m .中に崩れ た 形で 引用 さ れてお り, Bagchi は そ れを訂正 し て PB 本, p,28 に SDS II と して 再録して い る
(piyada 血 sa ηe
hale
patalesi
salhsara phudajau
)。 上訳は RS 本 に従 っ た ものであ る。 g.arhjha (
Skt
. sandhyfi )の語 義につ い て は前 注 (13
)及び (107
)に示 さ れた文 献を参照せ よ。
(
109
) taruara −mala .こ の taru (木 )は お そ ら く “真 理” , “ サハ ジ ャ ”を指す もの と 思わ れ る。 サハ ジ ャ 文 献に “ 木” は特 定の意味を も っ て は 用 い ら れ ず,
CK
43 で はSahaja
に, 同じ く 45 に は manas に比定 さ れ て い る。(
110
)kaha
mokkha .habbnsu
. chaya はkahath
mok 隙 abhyasa と読む。 こ の 読み方が 正 し けれ ば
h
・prothe5is の 例と な る が, こ れ に つ い て は seePische1
, Pkt .
Gr
.§338 ;Tagare ,Ap
.Gr
.§39
. (111 ) 現 象 世 界が非 真 実な もの で あ り, 夢, 幻に等 しい と す る思 想に つ い て seeN
。s・81
,126
,130
,131below 及びCK
12, 13 ( “ 現 象世 界は citta の 産物で あ り, citta が清 淨な る智慧に よ っ て しず め ら れ る と, 妄念 所 産の 世 界 もしずま る。 そ こ に は臭, 触, 味等は あ る が ま まに現れ , 全 世 界は眠 り な き夢の 如 き もの と な る ” );HT
II
, 3,36
.ま た cp . ORC .37
;IIT
L
p .22
.30
サ ラ バ パ ーダ作 ドーバ ー ・コ ーシ ャ (奈 良 康 明 )〔2 〕
享 楽の 中に あ る ヨ ーガ (112)63
見, 聞 き, さ わ り, 味わい , 臭き, さ ま よい , 坐 り, そ して 立て 。 日常
の (113)行
為 (
bavaharelh
,Skt
. vyavahara −)につ い て 自由に語 れ 。 知的機 能 (mapa ,CllD
Skt
. manas ・) を捨て, 統一 し よ うとす る な。 (11b)64
“ 認識” (citta )も ,.認識出来ぬ もの とい う概 念 ”(
acitta)
を も捨
て よ。 子供の 如 くあ れ 。 師 の 言 葉 に ゆ る き な き敬 信 (
bhati
;MS
,PB
bhatti
;Skt
.bhakti
・)
を捧
げ よ。 (か くし て)サ ハ ジ ャ は現わ れ 出 るで あ ろ う。 (116)65
〔
サハ ジ ャ は〕 文 字, 色 (とい っ た )最 高の 特性 な く, 言 葉にな らぬ もの で (117)あ る と, 私 は語る。 かの
最高 神 (
paramesaru
,Skt
.paramegvara
・)は誰 に (112 ) saddau . MS ,PB はkhahu
“ 食べ よ”(113 ) alam 詛a
havahare
血bollau
.MS
,PB
read pellahafor
bollau
.Snellgrove
は pella 一を
VkSip
と解 し (cp .Sheth
.;Hindi
, phe 血kana
).MS
は pellaha をSkt . prerayata (cp . Sheth .) と す る。
(
114
) ekaare mma calau . Snellgrove は ‘‘(Abandon thought and )be
not moved
from
singleness .” と し, MS は “(Abandonez
I
’esprit ,)ne marchez pas seul ”.本 頌は他派の如き一定の修 行 法を斥け各人 が 日常生 活 を好む よ う に行 な う と こ ろ に
Sahaja
乗の悟 りがある (cp ・前 注55
)こ とを主 張す る もの であ り,Snellgrove
訳は内容上承 認 出来ず,
MS
訳は意味が明 ら かで はない 。 上訳 は ekakarafU na calaと解し た もの であ る。
(
115
) cittacitta vi pariharahu .PB
:… …vipari ° ;MS
: cintacintabi
pari
° 本 頌は
CK
30
に対するComm
・に ciltacinta pariharaityadi
と し て引 用 され る。acitta はサハ ジ ャ文 献 に おい て は 二の相 反 する contexts におい て 現 れ る。 (1)は “ 認 認せ ら れ ざ る もの” の意で ,
Sahaja
や菩提心 につ い て言わ れ る時に は望 まし い状 態であ り, (2 )は “ 認 認せ られ ざ る もの とい う概念” の意で 捨て ら れ るべ き もの で あ る。 (1
)の 用 法につ い ては see DKSRS
156
below
及びMS57
(=PB59
).MS
101
(PB
99
) , Saraha の DK の 断片1
の 5 (PB
本 p .5
)。 (2
)の用 例と し て本 頌 以外にRS
124
,128
( = MS80
,PB
78
),DKT
30
.尚, cp .No
.120 及び注 (185 )。ま た citta , acitta が思 考, 認 識の 意に用い ら れ る場 合に 限 っ て cinta , acinta
との 混同 が み ら れ る。 本頒が
CK
30
のComm
・に cintacinta と 引 用 さ れてい る ほか, see
RS
128
(acinta ),144
(niscinta ,),HT
II
.2
.9
( °cintam : これ は
Comm
.on DKT
30
に 引用 さ れ, °cittam ).
(
116
) akkharava40 paramagurperh rahiau .PB
は殆ど同じ だ がMS
:°ban40
para
・ gupa −rah 三je
(〜 等の他の 特性 〜 ).(
117
)bhapai
palhjai
so maikahiau
.MS
:bhama
恥 aj
蕊paf〜 .PB
:bhapai
pa
サ ラ バ パ ーダ作 ドーバ ー ・ コ ーシ ャ (奈 良 康 明)
31
語 り (
得
よ)
う。 丁 度, 乙 女が (性の )快 楽(
suraa ,Skt
. surata ・)
を経 験 す るよ うな もの だ。 (tlB)66
存 在, 非 存在 (の 束 縛 ) を断 じた人の 中に三界 の本質
は収め られ る。彼
の (ll9)知 的 機 能
(
marpa )が 不 動に と ど ま る時,有
や涅 槃か ら解 放 され る。 (12o ) (121)67
汝 自ら を最 高 者と認識せ ぬ 限 り, 何で 最 高 の 身に入 り得 よ う。 (され ば 私 は )か く言 う。 誤 りが な くな っ た時, 汝は 自ら を 自 らに理 解 する。68
分子 も原 子 も形 を も考え るな。 存 在に は 常に至福がみ ちて い る。 サ ラバ は (122) 言 う。 こ の こ と を よ く考 え よ, 愚か者よ , 友を知れ 。 (123 )69
〔妻は 〕 夫が前に い る (に せ よ),外にい る(
に せ よ),その 姿を見て い る(
の (124 )に), 〔夫 は ど こ にい るか と〕 隣人に た ず ね る。 サ ラ バ は言 う。 愚 か者 よ。 自
己を
知
れ 。 そ れ は冥 想や意識統
一, 唱誦 (japa
,Skt
.japya
・)の 対 象で は な い の だ 。(
118
) tahifijaga
tia sahava vllipau ;MS
(PB
):tahl (PB
°hl
血)jaga
saalasesa
bihna
(vilipo ),“全世界はの こ りな く” 。(
119
)bhava
−Uibbanehl
mukkai ;MP ,PB
:bhava
−sa 血sarahu mu °.(
120
)java
rpa appauth para pariapasi .MS
,(PB
)appahi (°hifi
,)(lnst
.)for
appaurh(Acc ・),“最高者を汝 自ら認識せ ぬ限り”。
(
121
)deh
まnuttara ・=Sahajakaya
,
Mah
互sukhak 且ya, see 前注 (70
).(
122
)RS
のReading
は 明確を欠き, 上 掲は仮 訳で ある。 apuparamapu pa raa vicittau (so read
for
the text vici °)apavarabhavahu
phurai saraiu ,Saraha
bha4ai
bhidi
ettavi mantau are pikkolibujihahu
皿 ittau ・これ に対し MS ,(
PB
)は明瞭で あ る。 rpati arpu pati paramarpubi
(vi )cintaye ( °je
)arpabarabhava
・hi
phura i− surattay6 (°je
),
bhapaf
Sarahabhanti
(bhatti
)6tavi matta さ(etavimattaje )are pikkoli (eli )
bujjhahu
(°ha
)paramattaye (°je
).“分 子 や原子を考え る な。 すべ て の 存 在に至 福は た え まな くみ ちている。 〔か く言っ て も〕こ れ は
〔所 詮は
kalpatmakath
jrtanam
で あ り〕誤 りで あ る とS
は言 う。 愚 か者よ, 最高の義を体得せ よ”
。
RS
本の saraiu を chtiya は sarai (<Vs
;)u とする も訳 出 不 能である。
MS
,PB
本を参照 しつ つ suraiu ,Skt
. suratika ・と読むべ き もの と思わ れ.る。 又 mittau ,
Skt
. mitrakam も何を指すか 不明。(123 ) agge acchaa
bahire
acchaa . MS (PB
):ghare
(°e血 )acchaibahire
gaT
pekkhal (
bahire
pucchai :).“〔夫は〕家にい る。 (妻は )外に行 っ て 〔夫は どこ にいる かを〕さが し求め る (PB たずねる)” 。
(
124
) 妻は人々 一 般, 夫は 自らの 身体の 中に見 出さ れ る真理を指す。 cp .Comm
.(ya ・32
サ ラ バ パ ーダ作 ドーバ ー ・コ ーシ ャ (奈良 康明)70
た とえ師が 「私は すべ て を知っ た」 と語っ て も, そ の 自分の 言 葉で 何で 解 Q25)脱が得 られ よ う (?)。
〔
か く考 えて 他 派の yogin た ち は 〕 修行の た め に 諸国 を 経 め ぐる。 (か く)罪 (
pave
血 ,Skt
.papa
・)に と らわれ た彼 等 は サ ハ ジ ヤ を悟 る こ と が ない 。71
〔五欲 等の 〕感 官の 対 象 (visaa ,Skt
. vi §aya ・) を たの し み つ つ もそ れ に 汚され る こ と は ない 。 (丁度 )蓮 華を
摘
む時に (手 を)水 に濡ら さ ぬ(
よ うな も (12u) の だ )。 か く根 本 を 体得 した ヨ ーギ ン は感 官の 対 象 を たの しみ つ つ も, それに ロコね 束縛 され ない 。(3 〕
誤っ た 道 c12s)72
神に供 養 し, (その ) 姿が 現れ た (と し て も)自己 を殺 して 何の 役に立 と う。 その よ うな こ と を して い て は, こ の 現 象世界 (sanhsaru )は亡び る こ とがない 。 行 (abbaseth ,
Skt
. abhyasa −)な くして 出離 (nisaru ,Skt
. mihsara ・)は ない の だ。
73
存 在 とい い 非 存 在 とい う も (か か る概 念は) 存 在 に と られ て い るの だ。 かか る人は動 物の 中 に教 え られ る。 冥 想の 中に解 脱の 住 居 を作 る (= 解 脱を求
め る) 者は存 在 とい う羅 刹
(
rakkhasa ,Skt
. r訟
sasa −)の 奴 隷であ る。74
白 鳥 (harbsa
)を捉 え よ (と)私は 秘 義 (bheu
,Skt
.bheda
・) を 語 る。 ロコの上下 二枚 の 翼を 切 れ 。 翼を失っ た時, (白 鳥は) どこ に 行 き (得 よ う)。
(
かく して ) 身 体 な る寺 (
deha
madha ,Skt
.dehamatha
−)は動 揺な く安立 す る。
75 学者 は す べ て の 聖典 (sattha ,
Skt
.Sastra
・) を 説 明 す る (が)
身 体の 中に(13o) (131)
住む ブ ツ グ (サ ハ ジ ャ )を
知
らぬ 。 万物
の 流転 (
amarpagamarpa )を断 ち切 っ(
125
)jai
gurukahai
sabbavijapl
, mokkhaki
cchadai appa 寧ubapi
cp . MS ,(
PB
);jai
gurukahai
ki
sabbabi
japi
mokkhaki
labbhaf
saalabija
項 (vipu
j
巨pD 。師が語 っ て も, すべ てが何で知ら れ よ う。 すべ て を知る こ とな くして 何 で解脱が得られ よう”
。
RS
の cchadai (=Skt
・Vtyaj
)は不可解。 chaya は 皿 ilai “得 ら れ る”
とする も根拠不明。
(
126
) emaijQi
mula sagatto .MS
,PB
saranto (Skt .6rayant
.)for
sagatto ,chaya は sagatra
(
127
) cp.前注 (55
)(
128
)deva
pudijjaiIakkhavi
dijjaa
.PB
p三ccha 三, MS pujjai (manuscript pijjaT,Tib
. mchod −pa)for
pudijjai.ま たMS
, PBdlsai
(dr
≦yate
)for
dijja
(diyate
).(
129
) 白鳥とは 身 体の こと。 “上下二 枚の翼 を切 る” と は一
E
下 に動く生気の 流れ (cp .サ ラ バ パ ーダ作 ドーバ ー 。コ ーシ ャ (奈 良 康 明)
33
た もの は 一人 もい ない 。 し か も
彼等
は恥ず る色な く, 俺 こそ学 者だ とい う。 〔4
〕Sahaja
の1
伏態76
心 (citta )か ら現れ て くる もの は すべ て , その (心 とい う)主 人 の 本 性(sarUa ,
Skt
. svarUpa −)
で あ る。 水 と波
は別物
で あ ろ うか。 その 本 性 と は存
o32)在 (
bhava
)にほ か な らず, (同 時に)
虚 空 (kha
)に等 しい もの で あ る。77
それ (サ ハ ジ ャ)
を 師 は言葉に よ っ て 語 り (得 )ず , 弟 子 は ま た 理 解 (bu
−jjhai
,Skt
.Vbudh
)す るこ と は 出来ぬ 。 友 よ, サ ハ ジ ャ の本 性は甘 露 味 (amia ・(13ニリ
rasa ,
Skt
. amPta ° )で あ り, 誰 に, 如何に して 語 るこ とが 出 来 よ う。 (134}78
水 が水 に ま じ る と一味 (samarasu )で あ る (よ うに ), 悪 や 善 を 生 ず るの は (粗 雑 なる菩 提 )心 (citta )の 働 らきで あ る。 愚か者 よ, (善 悪 に) 違 い (]3”o) はない の だ 。79
サ ハ ジ ャ を捨て , サ ハ ジ ャ を知
覚 (buddhie
)に よっ て とらえ よ うとす る者 (136) (137)は種々 様 々 な 差 別 (
pavafica
,Skt
.prapafica
−)に伴 なわ れ る。 習 気 (vasana ) (130
) DKT16
に もブ ッ ダ はサハ ジ ャ の意に用い ら れて い る, 又, see No ,107
. (131
) cp ・前注 (81
)(
132
) cp . CK 43 :sahaja −mahataru phariae tiloe,khasama
−sabhave re … …koe
.“
S
の大 樹は三界に ひ ろ が り, すべ ての もの は… …虚空 と等し き性 質を もつ”
。 MS
79
(
PB77
): sabba rtia tah1k
:hasama
karijjai
,khasama
.sahab 邑marpahi
dharijjai
“
そ こ で はすべ て の現 象と し て現わ れ た もの (rUpa ) を虚 空と な せ
。 manas の本性 を
虚 空に等 し き もの と保て”
。 see also
RS
156helow
.(
133
) 本 頌はKriya
’sarhgrahanarnapafijika に 崩れ た 形 で引 用 さ れ (ORC
,p
.80
;PB本 p .
28
).Bagchi は そ れ を SDS1
と して再 録 する (pada c ;sahajavattho amiarasa , “
S
の状態は甘露味”)。 ま た本頌は Saraha の新しい 断片 IL vs .7
(PB 本p
.7 )に もみ え る (pada c :sahajamiarasu saala
jagu
)。(
134
) 水 が水 に溶 け る, あるい は塩が水に溶 け る, (No 。95
,前注 (90
))とい う表 現はsamarasa (see 前注
107
)に関 して用い ら れ る。CK
43
: “水が水の 中に注 がれ て も
差 別なき が如 く, 菩 提心 (lrl.apa ・raapa ,
Skt
. manoratna , see 注 (170
))は一味なる空に入る” 。 尚, see RS
89
below
.(
135
)dosagupaara
cittata
badha
padivakkha
pa
hoL
cp .
PB
:……cittatahavadhath parivakkha pa
koi
. MS :dosagupa
sama cintiaba4a
−padibakkhapa
koi
(
136
)cp .
HT
II
.2
.29:utpattikrarnayogenaprapaficaM
bhavayed
vrati 〃pra
.ρα宛‘α沈 svapnavat
krtva
prapaficair nihPrapaficayet 〃(
137
) see RS137
below
;HT
II.2
.45
, 53;
Comm
. onCK
19, 22,36
及びORC
34
サ ラ バ パ ーダ作 ドーバ ー ・コ ーシ ャ (奈良康明) に支配 され ぬ もの が 一 つ だ に あ ろ うか。 こ れ ぞ ジ ナ の 教の すべ て と知れ。80
全 世界は解放
さ れ た状
態にあ り,束 縛
され た もの は何
も ない 。(
し か るに)
愚 か 者・は無 智 (moha )に狂 っ て い る。 シ ャ ース ト ラの 立場 も ま さに そ れ で あ る。81
心 (citta )は絶え間 な く動き働 らい て い るの が見 られ る。 され ば こ そ貪 欲, くエ3B )無 智 も観 察 され る。 丁度, 画 家が ヤ ク シ ャ の 形 をえが き出 す如 く, (世界 を)
幻 の 網 (mayajala
)
とみよ。 (“o)82
saalaho ehu stihaficiadekkhahu
.か くして そ こ に 心 (citta )の 止 滅 する(]41)
の を見 よ。 サ ハ ジ ャ をサ ハ ジ ャ によ っ て 悟る(
bujjhaj
,Skt
.Vbudh
)時, 中有も 亡 び る。
c142)
83
友よ,神
通(
riddhi ,Skt
.;ddhi
)
も成 就 (siddhi )も共に無 益で ある。 罪も
徳
もその 金 剛 (bajja
,Skt
. vajra 一 サ ハ ジ ャ の こ と一 )に入 ら しめ よ。 サ(138 ) cp .注 (
63
)及び (140
)(
139
) sahaficia (chaya , sahalhcita )が不明。Dr
・S
・Sen
は単な る推測にす ぎぬ と断わ りつ っ , ξakharci 十
ka
の可能性 を あげ る (訳者あ て 私 信 )。 cp . Skt .phrase
,ξakhacandra −nyaya .
(
140
) サハ ジ ャ 文 献におい て citta は屡々 “動揺する citta ”と表現さ れ, 未だ vika −
lpa
をはなれ ぬ粗 雑なる菩 提心を意 味 する。 e.g
・RS
.130
(cittabhramante
)∫CK
1
(caficala cle ,Comm
. sarhvrti ・bodhicitta
).そ し て こ の citta は “殺せ “, “ 固定 せ しめ よ” , “ 食ぺ つ くせ ”, “ 抑制せ よ” , “ 亡 び る” 等と表 現 さ れ る が,そ れ らのすべ て の例におい て
Comm
・は “ vikalpa を伴 う粗雑な る菩 提心” と解す る。DKT
3
(ma −raha citta ,
Comm
.: sarhkalpabhinivi 爭重acittarti … …hatva
);CK
38
: cia thirakari,
Comm
. sathv ;ti・bodhicitta
);DKK17
:nia .maga vandhanakiatt
,Comm
.
bodhicittath
sthirikrtam − citta と manas の 混同につ い て は注 (170 )一 ;RS
122
:sathvara citta ・raa ;Comm
. onCK
2 : tasya (sc. sarhv !tibodhicittasya )
bhak
駒 palh ……kurvanti
. cp .Comm
. onCK
35
;RS
119
;40
.そ して vikalpaの ない 時, この (
bodhi
・)citta は不 動とな り (RS 120 > 本 頌の 如 く止 滅 する (lrrpa
)と説かれ る。 尚, 前注 (63 )参照。
(141 ) antar 田a
gai
tuttal tabbein . antarala とい う語は CK 46 に見え る。pekkha
suape adage
jaisa
antarala sohaba
taisa. Comm ・yatha svapne svapratibhasarhyathadar ξe pratibimbath tadT6am antara ・bhava ・vijfianath paξya, この antar 互・
bhava
は多 くの場 合, maya , svapna と共に用い られ る。 e・g . HTII
.2.30 ;yathEmaya yatha svapnalh yatha syad antarabhavam ;
Comm
. onCK
41 の“agama ”v ラ バ パ ーダ作 ドーバ ー ・=t 一一シ ャ (奈 良 康 明 )
35
ラ バ は 言 う
。 かの
最
高 者が悟
られ た時
, 世 界は成就 す る (jaga
sijjhai ,Skt
・
Usidh
) の だ 。84
師の 言葉が 完全に成 就す る (salhsiddhau ,
Skt
. sarh −Vsidh
)
時, 感 覚 器 官の 網
(
indiala
,Skt
.indriyajala
−)
はすべ て 亡 び る。 サ ラバ は言 う。 そ れ ( =師の 言 葉 ) こ そ 最 高の 法 であ り, ヴ ィ シ = ヌ (
hari
), シ ヴ ァ (hara
), ブ ッ ダの 欲 す る もの な の だ。85
それ が何で あれ, す べ て . の 形あ る もの は (それ ぞれ に ) 最 高の もの で あ り,オ ーム や ジ ャ ッ カ ル (等 )の 生 き物 も ま さにそれ (サ ハ ジ ャ )で ある 。
85
浄 法 (suddhie ,Skt
.Suddhi
−)… …(
脱 落
)… …知
ら れ た時, ジ ナ の 徳とい う 宝は得 ら れ る。 (t43)66
87
88
89
ahava mohe so
paria4iu
mokkhahabuddhie
jai
sammfirpiau .{144)
実
に腕 輪は(
汝の)
手 に あ る。 善 悪は鏡を見て も知 られ る もの で は ない 。 CIぬ)ブ ツ ダ に対して すべ て の 思い を捧 げ, 散 華に 専 念せ よ。
japaha
paramattha
na attha cchippa 血 subbhocchippalhpecchaha
(14s)
sabl )a血 , sa
hoha
subbocchinnalh abbocchinnalh mupaana
血tapa
.(ll7)
(サ ハ ジ ャ は ) 自ら感知すべ き もの (saesarhvitti =
Skt
. svasa 血 vedya)
.(これ につ い て)混乱 して は な らぬ 。 存 在, 非 存 在, また善趣
(
とい う時,(
142
) siddhi を斥け るの は 不可 解であ る。 おそ ら くこ こ で は siddhi とい う固定的なもの は ない ことを示 す もの と思わ れ る。 cp .
HT
L
x.20
.“
The
yogin
gains
ful
丘1
・ment (siddhi )
in
that whichis
nofu
!filment
,for
its
characteristicis
thevery absence of any characteristic .”
(
143
) おそ ら く伝承上 の混乱がある もの と思われ, 意味が よ く通 じ ない。(
144
)hatthahi
kahka
箪atl
/hiau
PPai ,
gupa −
dosa
−viakkhapadapPa4ahirb
阻aj
的 ai, “腕輪は す で に 手 に あ る。 安心せ よ。 わ ざわざ鏡 をみて た しか め る 必要は ない
”
との比喩である。 cp ・
CK
32 :hathera
kahkapa
maleu
dapapa
, app 叫 e apa
bujhatu
pia mapa , “腕 輪は手に あ り。 鏡 を取 るな。 自 ら 自らの マ ナ ス 〔
Comm
,bo
−
dhicitta
〕 を知れ” 。(145 )
buddhaho
(so readfor
ba
°, misprint )saala mapedei
. cp.Hindi
, manadena
‘‘to attend to,
pay
attention to7 ,(
146
)cp . chaya :
lanai
paramArtha
na arthacchinnasarvocchinna pekhai
sarvai , sa
hohu
suvyavacchinna avyavacchinna 互nantara ・(
147
) svasathvedya は viv ;ti・bodhicitta
, Sahaja , Mahasukha 等の特・性の 一e see
36
サ ラ パ パ ーダ作 ドーバ ー ・コ ーシ ャ (奈 良 康 明) c14“, ) それ ら) は実 に 束 縛 なの だ。 ヨ ーギ ン よ, 水が水 に 溶 け こむ よ うに , 自 らの粗雑 な 菩 提 心 (ma4a )を 完全に 知れ。 (tag)
90
何 で 冥 想に よ り解 脱 を,無
益に も, 期待
す るの か。 そ の 胸 に何
で 幻の 網(maajala ,
Skt
. mayajala −)を抱 くの か。 師の 言葉を真 実 と信ぜ よ。 サ ラ バ は言 う。 (か くの 如 き) 言 葉が 私 に よ り言 わ れ た の だ 。91
自 己の 本 性は’言葉に よ っ て は得 られ ず, 師の 教 と い う眼に よっ て 与え ら れ (150) (151 )る。 彼に は過 失の 一 つ だ に な く, 法とか非 法 とか を語 るの は 迷 妄の 人 なの だ。
92
心 (citta )が 〔vikalpa 等に よ り〕
束 縛さ れ る と 〔そ の 人 も〕
束 .縛 さ れ ,(citta が )
解
放さ れ る と(
そ の 人 も)
解 脱す る。 〔こ れ に関 し て〕
疑は ない 。愚 か者 が
束
縛 され て い る もの〔
五 欲 等〕
か ら賢 者は解 放 され て い る。93
=No
.26〔5
〕サ ハ ジ ャ と一味の 状 態 (Is?)
94
呼 吸 (pava
ηa)を止 めて 自らを害な うな。 きび しい ヨ ーガ に お い て鼻の 先 (153)端を見つ め る な。 ああ愚か 者 よ。 ひ と え に サ ハ ジ ャ の 道 (sahajagai ,
Skt
. (154 ) °gati
−)を喜べ 。 存 在 とい う香 ぐわ しい 束 縛に奉 仕 す る な。94
’ (動 揺 する… …知 的 機能
(mapa )を捨
て よ。)
本 性に立 っ て悪 (dosa
,Skt
. (155)dosa
・)に汚され る こ とな く住め (?)。 (148
) see No .78 及 び注 (134
)(
149
)jhapa
mokkhaki
cahu re ale血 . PB :jhanefii
m °ki
cahure a° ;MS :jhan6
m °
ki
lahu
re ale.VcEha
, “expect ” につ い て , see Tagare ,p
.382 .しか し MSは c且
h
翫 e = pa ξyant (p .207 ). alerb, alE,( ‘‘
in
vain ”)にっ き, see Tagare , p .382 .しか し
MS
は cahate = pa ξyant (p.207
)D alerh, alδ ( “
in
vain ”)に つ い て は,MS
p .221
(NotePhilologique
);S . Sen , Middle Indo .Aryan Reader II,p
. 207 . (150
) 草la
sah 巨va 4aladdhaa
vaapelhdisai
guruaese paapem . MS ,(PB );pia .sah 互
ba
paUkahiatt
ap 孕邑 ( °efh )… ….uaes さ
(.uvaesefU )naapE (pa appefh , Skt .
na anyena ).
(
151
)dhamm
まdhamma
je
mohikhaa
(Skt .Vkhyfi
, see Sheth ). cp . MS , PB ;−adhamma so sohia
khai
.‘‘清めてか ら法 ・非 法 をた べ る” 。(
152
)paba4a
dhari
appapu mabhindaha
. cp . MS , PB :pabaparahia
……cintaha “… …自らを考え るな”。
(
153
)kattha
joa
nasagga Ina vindaha . cp .MS
, (PB ):… …joi
… …bandhaha
(vathdaha ).
(
154
) sahaja gai para rajjaha . MS ,(PB
): °je
sa・i’(Skt svayam )para −ra °.(
155
)ehu pia ma4a sabala c訌tara sa cala melahith sahava #
haa
vasaidosa
.pimmala , Corrupt . cp .
MS
, (PB ):ehu mapa mellahapaba
りa turahga .sucah .cala , sahaja sahava (
bujjhaha
)s6bi
sai niccala” この 風や馬の如 く動き ま わ る
マ ナ ス を捨て よ。 サ ハ ジ ャ をあ りの ま まに理 解せ よ。 そ れ は 自ずと不 動に な る ”
サ ラ パ パ ーダ作 ドーバ ー ・コ ーシ ヤ (奈 良 康明) 37
95
〔
分 別 の〕
意 (ma4a)
が沈
み, 身 体の 束 縛が亡び た時,(
一切 は)
一味 (
sa ・marasa )な る (サハ ジ ャ )の 中にあ る。 (こ こ に は )シ ュ ー ドラ もバ ラ モ ン もない 。
V
そ こに すべ て が あ る〔
1
〕
身 体即 霊場 (156]
96
こ の (身体)
の 中に サ ラ ス ヴ ァ テ ィ ー河 やソ ーヴ ァ ナ ーハ 河 が あ り , ガ ン (ユ57)ジ ン の 河 口 が あ る。 こ こ に ベ ナ レ ス , プ ラ ヤ ーガ
(
現今のAllahabad
)が あ り, 月 と太 陽 が あ る。97
私 は (聖 な る)土 地,寺 , 小 さ な 寺 (pittha
upapittha ,Skt
,pitha
・, upap °)
(1 :8) を巡 礼 し供 犠 を行 っ た。 (しか し) 身体に匹敵 する (霊 場 ) を 聞い た こ と も (15{J) 見た こ と もない 。98
水 蓮の (これ は )葉だ , (これ は ) 花だ, 香だ,蕋
だ, 茎 だ (とい っ た)差 (1fiG) 別を捨 て よ。 (分 別を) 涸 ら せ 。 愚か者 よ, 無益 な こ と に執 着 す るな。 (161) (162 )99
欲望 も, (マ ン トラ も ?), 寂 静も滅 す る。 こ れ に関 して “ 家な き もの ” に(156)
etthu se sarasai sovap 盃
ha
.MS
,PB
: sura −sariJamupa
“神の 川J
・が あ る” 。
Sovapaha
は不 明。(
157
) gahgasaaru , Skt .gafigasagara
.霊 揚とみ な され て い る。(158) ethu mai
bham
三a $ami 娃hau
(Skt
。 sami 鑓aka ,).MS
,PB
:〜bhamai
pari ・
ththao
(Skt
・paristhapita −)・(159 )
dehasarisa
mai s叫 au naditthau
. MS , PB : mai suha aqpa 孕aditthao
“〜
す ば ら しい (霊場 )をほ か にみ たこ と が ない ”。
(160 ) cchadahu ve 孵
i
皿 akarahu
se . chaya : chadahudvaita nakarahu
se }こも拘わ らず,ma
karahu
se は意味を な さ ず, MS ,
PB
:〜bepima
karahu
s・sa ( °sa 血)
及び
Tib
.に従 っ て〜ve 叫iIn
亘karahu
sosa と読む べ き もの と思わ れ る。(
161
)kamanta
sまntakhaa
jaa
. PB :kama
tatthakhaa
jai
.MS
は その マ ニ ュスク リ プ トは PB に同 じ だ が
Tib
.を参照 し てkama
manta satthakhaya
lai
とする。 従 っ て manta は 彼 の 挿入 で ある。
RS
本のkamanta
は, ある い は,kama
manta の
haplology
か ?(162)
kulahI
ロa. Tantrism で は 五種の 超 越的 智 慧を五 仏にあて は め, それ ら は 五の
kula
をひ きい る と され る゜ “kula
な き者”と は
kula
を超え る存在, すなわ ち サ ハジ ャ をい う。
kula
に つ い て は see Snellgrove , BuddhistHimalaya
, pp .64
−67
,74−75; ORC . pp 。
10
(163) cp .
No
.18
;注 (55
)38
サ ラ パ パ ーダ作 ドーバ ー ・コ ーシ ヤ (奈 良 康 明 )問え 。 ブ ラ フ マ ン もヴィ シ ュ ヌ も三 界 も, こ こ (身体 )に 帰着 する。
100
もし感
官
の 対 象に遊ぷ こ とが な けれ ば, 何で 成 仏し得 よ う。 (丁 度)
水 の く1fi3)与え ら れ ぬ 若 芽は木 に育た ぬ よ うな もの だ。
101
い ず こ に おい て も, い か な る方 法に よっ て も.また何 人とい え ど も, “ ブ ツ (le4 )ダ に 成っ た ” (と言 う時 , 彼は ) 自らの 妄 念の 中に 亡 び る。 世 界 は 本 来, 清 浄なの だ 。
102
サハ ジ ャ の 分 別 (kapPa
,Skt
.kalpa
・)に 専 念 する時, そ こ に 二 元 的 見方が ある。 あ あ, 清 浄な るサ ハ ジ ャ を 把 握せ よ 。 身 体, 足, 手 を害な うこ とは,
あ たか も大 鵝 鳥 (raahansa ,
Skt
. rajaha 血 sa −)を汚 す よ うな もの だ 。 〔2
〕 世 界の 中に真の楽
あ り103
(
現象 と し て現わ れ た世 界に は 多 くの苦
が あ る が , (そ れの 生起 を心 に 思念 し)究 境 する と こ ろ に楽の 精髄 が ある 。 現 象とそ れを究 境 するこ と と は別 (165)
物で あ る。 世 人は こ の 精髄 を知らぬ 。)
104
あ あ息 子 よ。 真 理に は様 々 な味
があ る。 そ の本 質 を口 に語 るこ と は 出 来ぬ 。そ れ は 分別 (
kapPa
,Skt
kalpa
・)をはなれ, 至 福の 境 とい わ れ る。 (自 ら ロee)の本 性を もっ て 唯一者 に奉仕 せ よ ゜ )
105
い かな る徳 (gupa
−)が そ れ (sc.大楽
)を さ さ え るの か。 (大 楽 をさ さ える徳の
)
一 つ だ にない で は ない か , 空 ・ 不空を悟 ると こ ろ に師 の 新た な賞讃を受 け る
(
こ とが出来 る)の だ 。106
こ の 法 (
dhamma
)は ブ ッ ダの 言 葉の 中にあ り, 行(
kamma
)
は 世 間 的 行為
(
10acareM
,Skt
.loka
−acara ・)の 中 に あ る。一 切 の 真 理 (tatta
,
Skt
・tattva ・)を本 性に おい て 見 よ。 そ の 上 で 世 間 的 行 為 を重ん じ よ。
(165 ) 仮訳で あ る。
jaga
upapaa4edukkha
bahu
uppa 聊 au tahirh suhasaraXuppa 阜a upp 盃a 4ahirh
loa
paja
篳ai sara 〃 こ こ }こは upapada , utpanna , utpadaの三種の 語が現れ て い る が,その意味は明らかでは ない 。 い わ ゆ る utpatti (.
krama
)一 生起 (次第)一 と utpanna (・
krama
)一 究 境 (次第)一 とい う修 習 法 に関 係あ るこ とは ほ ぼ疑い 得ない が , この 術 語そ の もの は勿論, そ れ を暗 示す る例も
DohEkoga
に は殆ど な く(cp. No ・ 160 ), 上 訳は推 定の域を出ない 。 御教 示を乞い たい。(
166
)kapPa
・rahia sロha
ttharPa
kahu
(so readfor
kuha
, misprint )pia
sahavethseviu ekkaha . cp .
MS
, (PB ):〜 suha −tharpu
1
〕arujaga
(PB
varajagu )ubajja 1’tatthu “
そこ に す ぐれ た世 界が生 ずる”
。
RS
本pada
d
は前 文と連 結せ ず, 伝承上サ ラ パ パ ーダ作 ドーバ ー ・コ ーシ ャ (奈 良康明)
39
107
友よ, こ うい うわ けで ,い かな る もの もプ ツ ダその もの(
buddha
・rtta,Skt
. (167 )・r如 a・)に 外 な らぬ ゜ か の サ ハ ジ ャ は本来成就 して い る (sijjhai ,
Skt
.イsidh ) の だ。108
丁度
, 夢に美女 を思 い , 快 楽(
rai −suha ,Skt
. rati −sukha ・)
を た しかに得(16s ) た と思 うが如 くに, 美し き (?)ブ ッ ダ そ の もの を成 就 せ よ。 智 慧 と 方 便 (169)
(
pajjopaeth
;Skt
.prajfiopaya
・) (との 合一)
に何 で 従 わぬ の か 。 〈17o) ユ09 (
粗 雑な る菩 提 )心 (ma4a )がサ ハ ジ ャ の 中に完 全 に 入 っ た 時 に は , 感官 の 対 象の 中 を (visaahi ,
Skt
. vi§aya −)一瞬な り と も走 り ま わ る こ と が ない 。 そ の 時に彼は 四神 通 (cauriddhi ,
Skt
. catur ・rddhi ・) を 具 えた もの となる。 サ ラバ は言 う。 か くし て彼の 成
就 (
s量ddhi
)
は ジ ナ と等
し き もの とな る。 (171 )110
(か く) ドーバ ーの 集 録が私に よ り語 られ た 。 真 実は そ れ に よ っ て悟られるの だ。 友よ。 こ の 現 象世界
(
sa血sara ・) を把 握 せ よ。 そ こ に真 実は知ら れ (167
) 万 物が その ま まに ブツ ダ (= サ ハ ジ ャ ssee 前注130
)に外な ら ぬ こ と につ い ては cp ,
No
.75
及 びDKT
13
: para appapa mabhanti
karu
, saala ptirantarewuddha
(
168
) evahirhbuddha
ruahu
lada
sijjhai .lada
が不明。 上文にはlada
(ha
)(see
Sheth
, ramya , sundara )とみて訳 出。(
169
) 智慧と方便の合一と は sandhabh お a で, 男 女両性 原理の sexoyogic な修行 法にお ける合一が暗示され て い る。 尚, こ の 句は
No
.116
に も み え る。(
170
) manas は往々 , 二 の contexts におい て citta のかわ りに用い られ る。(
1
) 両性 原 理の結 合に よ り生 じ た sa 血Vrti
・bodhicitta
は, 今度は 男性と み な さ れ頭 頂に おい て空なる性 質 を もつ 性 力 (女性 )−
Nairatma
, DombT 等
一 と結 合し て vivrta と な る が, その process 及び結 果 と し て生 ずる大 楽の 状 態は citta の 語
を以て表 現され る のが普通で ある。 しか し少 数な が ら manas が用い ら れ る例が あ り,
Comm
.は例外 な く citta と お き か えて い る。 seeDKT
13,17
,31
(=DKS
RS
31
).(2) 同時に ‘tcitta
が 大楽, sahaja , samarasa に入 る
”
とい う表現におい て , これ
も少 数な が ら manas が用い られ る例がある。 こ の 際, manas は屡々 ratna と復 合
せ しめ ら れ る。 逆にい えぱ manoratna と は常に
bodhicitta
を意味 する もの と思われ る。 see
CK
43
(Comm
. cittaratna );30
;DKS
MS
34 (PB
32
);DKK
19
(maparala , PB は raa とする一 cp cittaraja , 注(
191
)−Comm
.bodhicitta
);31
(mapa .rayapa ;Comm .
bodhicitta
);16 (maparaa 耳a ;Comm
.bodhicitta
)・尚,
例 外 的用法と して see
RS
116
.(
171
)doha
−sa血gama
maikahiau
. sathgama は sa血gaha (Skt
. sahgraha −)と40
サ ラ バ パ ーダ作 ドーバ ー ・コ ーシ ャ (奈良康明)る のだ。
111
現象世界 (salhsara )の 性 質 (gupa
), 在 り力 (dhamma
) を把 握 せ よ。ま た シ ャ ース ト ラ の 意 義 を 自らの
(
サ ハ ジャ の
)
立場で (把 握 せ よ)。 こ こに, ドーハ ーコ ー シ ャ は説かれ , citta の 章 (
kandhaa
,Skt
, skandha .) は終 る。
vr
サ ハ ジ ャ
乗
112
汝に (サ ハ ジ ャ を )語 ろ うと して も語 ら れ る もの で は ない 。 ま た , 人 が 信 ず るこ と も ない (で あろ う) と私は 言 う。112
’も し宿 命の しか ら し め ると こ ろ (vihi −
baserh
,Skt
. vidhi ・vagena . cp .Skt
.usage °
va6at )狂 っ た 人 (
pamae
血,Skt
.pramada
−)人 (で も), 愚か者よ, (]72)秘 義 (
bheu
.,Skt
,bheda
・)を得
る(
こ と が出来 る)。 仮 りにチ ャ ン ダー ラ の (エT3 ]家 で食 事を し て も, 壁土 (
leu
,Skt
lepa
−)
はつ かぬ 。 (IT4)113
サ ハ ジ ャ の サ ハ ジ ャ を無 益に思 索 するな 。 それ(S
° を考え る こ と)
に より有の わ なに束 縛され る
(
こ と に な る)
の だ。 あ s , 愚か者
よ,(
S
° を)
望 んで も役に は 立 た ぬ。 常 に師の光 の 中に入 れ。 〔1
〕
sah δnubhati (
172
) see 前注 (35
) (173
) こ の比喩の意 味は明 らか で は ない 。 その 人 が ど ん な に 狂 人 で あ り, 汚れ た 状 態 あ っ て も, 悟 り, サハ ジ ャ (食物 ) 自体は汚れ る もの で は ない , と い う程の意 味で あ ろ うか。(
174
)sahaja −sahaja mu ma4ahu aleth .
RS
は ch 且ya
で, sahaja sahajelh (lnst .)mapahu aSe とす る。 しか し S ° に よっ て “ SQ を考える” と い うの は 意 昧を な さ な
い 。 何 故なら SD を 分別を も っ て と ら え るこ との 非を説き (e. g . Nos .65; 75 etc .) S° を S° と して悟 る (
Vbudh
)べ し (Nos
.82
;117
)とい うの が通 常の表 現であ り ,4mapa
は 常 に知 覚に基づ く思索の意 味に用い ら れ る (e・g .次頌 )。 従 っ て 原 文 mu (Skt
. ma )を除 去すべ き必 要も また そ の根拠 もない 。 原文 を sahajasya sahajam と読み, 周知の satyasya satyam (
H
・Oertel , Zu 皿 altindischen Ausdrucksvers .tarkungstyps satyasya satyam ,
Sitz
.Ber
.Bayer
. Akad .d
.Wiss
,1937
)の類例 と みたい 。 但し こ の タ イ プの 表 現は 仏教 梵 語一般に も見 当 らぬ よ うで あ り(cp .拙論 .
法 華 経に おける文体論的反 覆 (
II
), 駒 大 仏教学 部 研究紀要 voL 23, 1965, p .11
), HTを始めとする Tantrisrn 文 献に もそ の例 を私は見出して い ない 。 尚,原 文 alerh (cp .
サ ラ バ パ ーダ作 ドーバ ー ・= 一シ ャ (奈良康明 ) 41
C175)
t14
愚か者 よ, 真 理 (tatta,Skt
. tattva −)
は 自ら感 得す べ き もの , 何で 世 の 人は思 索 す る (ma ロantl ,
Skt
.Vman
)の か。 意 の 領 域 (mapa −goarelh
,Skt
.(l7e)
皿 anogOcara −)に入 っ てい る もの は最 高 の 真 実 で は ない 。 (177)
115
自らの本 性は 大 空 (
gaa
疋1a ,Skt
.gagana
−)の 如 き もの , そ こ に は 自 も他 も (17E)ない 。 “ サ ハ ジ ャ の 歓 喜 ” (sahaj 即 anda )は 四番 目で ある 。 何で それ を 語 り (得よ) う。
117
二 元 的差 別が 金剛 (
bajje
Skt
. vajra ・)
の 中に消滅
す る時, 心 (mapa )は(l79) 幻 (= 現象 世 界 )の本 質 をな す もの で あ る (こ と が知 られ る 。)すべ て の 感官
の 対 象 (visaa ,
Skt
. viSaya −)は そ の ままで 成就 す るの で は な い 。 何 で 智慧
asa)と方便
(
の合一)に従わ ぬ の か。117
す ぐれ た ジ ナ の 言 葉を真 理 (sacce 血 ,
Skt
. satya −)と して 信ぜ よ。 サ ラ バは言 う。 “ 私は (か か る
)
君 葉を語 るの だ” 。 サ ハ ジ ャ が サ ハ ジ ャ に よ り ’ 悟ら (ISb れ る時 , 不 可 思 議な ヨ ーガ に成 就 が ある。 (Is2)118
永 中の 月は真 (の 月)で も な けれ ば 偽 り (の 月)で も ない 。 マ ン ダ ラ輪 も (1fiS)同
様
で , 亡 び る もの で も(
?)
,捨
て ら るべ き もの で も ない 。(175 ) saalh −saihvea4a , see 前注 (147)
(
176
)本頌は DKT
9
に酷似する。 saasa 血veapa tatthaphala (RS tatthal
)adha )tilapaa
bhapanti
(RS .10e
血 ta血kai
mapanti )jo
mapagoara pai‡hthai
so
paramattha
pahonti
.(177
)gagana =
9finyata
, see 前 注 (48 ).(178 ) Sahaj 訌nanda につ い て see 前注 (70 )
(
179
) virprpa (so readfor
the text vipa )bajje
jima
cchantijava
tima (so read
for
j
置vatia )ma4a mtiakera sahava . vajra とは sahaja の こ とで あ る。 cp .No
.83
.ま た citta の 代 りに 皿 anas の 用い られ るこ と に つ い て は see .注 (170 ) (180) see 前 注 (169 )
(
181
) sahale 血 sahaja vibohia
(so readfor
the textbahia
, misprint , chaya :
bohia
)jabbelh
acintajoerh
sijjhai tabberb . acinta −yoga
なる表 現に,お そら く関 速 するもの とし て , acinta −
y
。gin なる表現が あ る。CK
10
: amhe pajapahu
acinta
joi
j
訌mabhava
kalsana
hoi
.“我 々 acinta −ayogin は生, 死, 存 在が如何に し て出来て くるかを知らぬ 。 (生は死に異な らず etc ). cp ・
Comm
・:gurucara −par 叩 upras 且
d
巨tbhavasvarti
.parijfianena acintya yogino vayam ,(