書評/「比較思想論酉 よいと主張している︽これらの議論の評 価は、ボルディングの広大な関心領域 と彼の多くの著作の研究なくしてはなし 得ないことであるが、現代が要求してい る世界的諸問題に多大の示唆を与えるも のといえるのではないだろうか。 ただボルディングは熱心なメソジス 一まえがき 今日、われわれの住んでいる地球は一 つの共同体であるといわれる。科学技 術、物質文明のいちじるしい発展によっ て、諸国家、諸民族および諸文化圏の間 には密接な交流が行われるようになり、 相互に影響し依存し合う世界となった。 いまや政治、経済、社会等の諸問題は、 世界を一つの単位として取り扱わなけれ 毒ば解決のつかない時代である。
中村元著一瞥比較思想論﹂
卜教徒であるといわれており雲本書の中 で仏教について言及しているところは興 味深い。﹁全仏教哲学は多くの東洋 哲学もそうだが欲しいものを手に入 れる道は余り多くを欲しがらないこと だ、という原理に依拠しているのであ る﹂︵pMlM︶。これは仏教の〃少欲知 科学技術や物質面では、すでに世界に 一つとなってしまったにもかかわらず、 人間の精神面においては、まだまだ世界 は一つになっていない。諸国家、諸民族 の間には相互の無理解や不信が根づよく 存在し、人類は一体とならねばならない という理想と自覚は、いまだ漠然として いる。物質的な繁栄の中で精神の貧困、 思想の混乱はいや増している。 人間の精神および思想の問題は、人間 の生き方の基本問題であり、人間の社会 足“の精神に通じるように受け取れる が、この言葉は本書で限定された意味よ りも、本来は欲望におおわれた眼から人 間と世界の真実へ眼を開く道を示してい るように思われる。 ︵B6判、二四○ペジ、佑学社刊、 的存在にと二﹄切り離すことかできな い。今こそ世界共同体を志向する哲学、 思想、宗教が考えられてよいのではなか ろ涯フか。 そのような課題に対して反省し熟慮す るきっかけとなるのがこの﹁比較思想 論﹄である。 著者は、インド哲学、仏教思想の泰斗 で一昨年文化勲章を受賞された中村元博 士である。この本は、博士が長年にわた って内外の比較思想論ないし比較哲学的本書の前半は、比較思想論の発展につ いてヨロッパ、アジア、アメリカの文 化圏を基軸として、哲学、宗教、文芸に 関する膨大な文献をきわめて要領よく整 理し、発達史的に紹介している。比較哲 学的考察がどのような歴史的縁由のもと に成立し、現在どのような方向をめざし て動いているか、その社会的基盤、民族 性、研究の動機などの背景を含めて概観 し、主要なものについては研究者の言葉 や文献を引用し、また評論を加えるなど して興味ぶかく読ませてくれる。 比較哲学的考察の起源は、とおくギリ シャの哲人にまでさかのぼるといわれ る。しかし、それがよりひろくふかく行 われるようになり比較哲学として成立を みたのは十九世紀以降のことである。す なわち、西洋人による東洋への進出にと れた坐bのである。 研究の資料としてわかりやすくまとめら 考察について考究された成果を、今後の 二比較思想論の発展 もない東洋文化との接触が活発となり、 さらに政治的・経済的支配やキリスト教 伝道等の必要性から、西洋人による東洋 思想の研究がさかんにはじめられた。そ の研究態度は、西洋思想を基軸において、 東洋思想を単に手段としか見なさないも の、または東洋思想の研究に専念するに したがい、その重要な意義を認識して、 つよい関心、憧慢、あるいは驚嘆の念を 抱くものなどさまざまであった。また東 洋人による西洋思想の研究も行われ、東 西の思想の比較研究は相互の思想形成や 文芸作品のうえにも次第に影響を及ぼす ようになった。 この本は、ひろく内外の哲学、思想に 論究を及ぼし、驚くほど多くの問題を多 面的に取り上げていて、著者の教養のひ ろさをしのばせる。 著者は言う。 ﹁少なくとも比較哲学の動きは、世界諸 国民の相互理解の道をへて諸文化の総合 と世界平和の目標に向かって進むもので あることは明らかであろう。異なった諸 民族の間に思想の理解・承認が行われな い限り、所詮世界平和ということは実現 されがたいからである﹂ かつて西洋においては﹃哲学﹄といえ ば、西洋の哲学思潮のみを意味してい た。しかし東洋にも立派に西洋における ﹃哲学﹄の概念に相当する概念がある。 たとえばサンスクリットのダルシャナ ︵含刷画国巴とは﹃真理を見ること﹄特に 直観を意味し、広義においては、実在ま たは真理に関して人間のいだいている見 解の意味に用いられる。すなわち哲学を 意味するのである。幸いなことに東洋の 哲学を考慮しなければならないという風 潮が近年次第に識者の間に高まった。 多くの哲学的問題は人類に普遍的なも のであり、東洋でも西洋でも、宇宙およ び人間に関する問題を論じ、説明しよう と努めてきた。真理はあらゆる民族のう ちに、またあらゆる宗教のうちに見出さ れうるのである。 伝統を異にする東洋思想と西洋思想と を比較することは特に意義ぶかい。著者 160
書評/『比較思想論 はムア教授︵●言津①“少三○○門の︶の 所論を引用する。 ﹁東洋哲学と西洋哲学との関係について 得られた最も有益な意見は、一方が他方 を補ない合い、一方が欠き或いは軽視す る傾向ある観念を他方が供給し或いは強 調するということである。人類の思想の この別々の側面は、ともに纏められて一 つの綜合に達することができるし、また 達すべきである。それこそわれわれを世 界哲学︵回笥。制匡耳邑。”§ご︶に導いて くれるであろう。それは﹃全体の見とお し﹄︵83]胃Hgの。昼曇の︶として真に哲 学の本性にかなっているから、﹁哲学﹂ という名に値するものなのである﹂ 比較哲学は成立してまだ日の浅い学問 であり、その研究の現状はまだ混沌とし ている。著者は研究の方向が将来次の二 つに分解整理されるものとみている。 1、特殊化の方向 ⑧空間的風土的にある特殊な民族の 哲学的思惟の伝統を明らかにする。 ⑪時代的に東西諸文化民族に通ずる この本の中でとくに注目すべきは一思 想史への道﹂と題する章であろう。著者 はここで普遍的な思想史の必要性をつよ く主張する。 すなわち、いまや世界が一つの共同体 として融合しようとしているのであるか ら、そのためには東西の哲学・思想を比 較研究することが不可欠である。また比 較研究を厳密に遂行するためには、これ を歴史的に行わなければならない。 同じ時代の哲学的思惟の特徴を取韓ソ 出す。 2、普遍化の方向 時代的または風土的な差違を超え て、同種類の哲学思想や哲学的思惟を 一まとめにして、これを異質的なもの と対決せしめる批判的思想形態論的方 法。 ﹁この二つの手順を通じて、今後の世界 に即した新たな哲学が確立されることに なるである誇り﹂ 三思想史への道 ﹁若干の伝統的な思惟方法は非常に根深 いものであって、容易に変化しないもの であるという事実を、われわれは否認し ない。︵中略︶しかしそれと同時に、或 る種の思想は特殊な時期にのみ現れ、優 勢であったということをも認めなければ ならない。だからこそ思想史というもの が存在するのである﹂ ﹁人間の思想ならびに行動は、宗教面に おいてさえ、周囲の環境や社会的基盤が 異なるにつれて著しく異なって来るもの である。同様な条件のもとにおいての み、人間の思想ならびに行動がどこでも 類似するものとなり得るのである。そう して宗教信仰が発展してそれぞれの時期 に特別の様相を呈示するのは、それらの 諸条件が決して常に厳密に同一ではない ためである。それ故に宗教信仰に関して さえも歴史的研究は不可欠である﹂ ﹁哲学者や思想家のそれぞれの主張は、 それが最初に唱えられた時代および国土 をはるかに超えて遠くに及ぶ意義をもっ ている。それは全人類にとって測ること
のできない価値をも︵︾ているものである と言い得る。未来の哲学がどのような新 しい道を切り開こうとも、この原則はい つまでも動揺しないであろう。しかしな がらわれわれは、哲学的な諸問題を提示 するしかたが歴史的に性格を異にすると いう事実に注意せざるを得ない。これが 思想史そのものの可能なる所以である。 そのような視点から哲学史を比較する ことは、歴史的意義があるばかりでな く、哲学そのものにとっても必要であ る。諸々の異なった哲学的諸観念を相互 に比較し、人間のいのちの内奥の本質と 関連せしめる実験によってのみ、われわ れは真理に到達することを期待すること ができる﹂と、思想史の意義とその可能 性をあきらかに示している。 著者は人類の思想史の諸潮流を比較研 究しこれを綜合せられた一つのものとし て考察する普遍的思想史を提示している が、しからばこのような普遍的思想史が 具体的にはどのようなかたちで創造され うるのであろうか。著者は、先にこの種 終わりに比較思想論の意義について次 のように結んでいる。 ﹁比較思想論は世界平和の実現のための 手がかりを供するものである。地球が狭 くなり、Ⅲ界が一つになる方向に進んで いる以上、人間の諸思想の相互理解がま すます推し進められねばならぬ。こと に、異なった諸民族の対立相弧は、諸民 族の文化の相互理解にもとづいて解消融 和されねばならない。そのために人類の 生んだ過去の諸々の思想の対比と相互批 家としての夢でありまた信念であろう。 行っている。普遍的思想史は著者の思想 あたっての諸問題について若干の提案を つをあげているが、さらに実際の処理に の研究の方向として特殊性と普遍性の二 この本はさらに﹁世界思想史の発展段 階﹂﹁思想形態論﹂について概説し、ま た哲学的学問のわが国における在り方に ついて反省を加え、新しい研究への要望 をあげている。 判の必要が起こって来るのである。比較 思想論は平和への道の門を開くものとな るであろう﹂ 世界の諸思想を比較研究しこれを包摂 綜合して新たな世界哲学を創造し、もっ て諸民族の相互理解の促進と世界平和の 実現に寄与しようとする比較思想論に寄 せる著者の学究的情熱と雄大な構想に対 して、ふかく敬意を表するものである。 これは哲学をするもの、思想を論究する ものの任務であろうし、また人類の共通 の夢である。しかしその道は遠くけわし い。きびしい批判もあろう。多くの人び との惜しみない協力を得なければなるま い。この雄大な構想が単なる夢物語に終 わってしまわないよう、より一層具体的 な方法論や諸方策が提示されることが要 望される。 著者の投じたこの一石が,次第に大き な波紋を起こして、ついに世界哲学の創 造へと到達することを切望する。終わり に﹁万人が心からこい願うことは必ず実 現される﹂ことを確信して筆をおく。 162
︵z9ご国①画ぐ①Pz①司両胃呂”津野ロ包胃 旦巨屋①ロ胃茜ロPR弓旨閉罰①ロ巴日 国匡員己伽の弓彦①勺煙ぐ農○口の①国①の︾ のOB巴P口忌○吋○己○さぬぎz①笥国○砕岬 のo毎○o芹①昌国○○戸い︾程やme 一九七五年九月、私はアメリカのシカ ゴへ向け西洋の宗教と日本の宗教の比較 研究を志し出発した。ロスアンゼルス空 港で入国審査官に入国理由を問われた 際、﹁私はキリスト教と大乗仏教の比較. j研究に来た﹂と述べた。その時、審査官 也 &は、﹁不可能だ﹂とポッリと言い、大き まく手を広げる仕草をした。