〈表 1〉 慧遠の引用状況 地 頁数 引用回数 第三地 25 7 第四地 14 2 第五地 7 2 第六地 48 11 第七地 18 6 第八地 12 6 第九地 23 3 第十地 6 1 合計 153 38 〈表 1〉から判るように,第六地の『私記』の分量が多く,慧遠の引用ももっと も多くある.また,第三,七,八地からも引用が多数あるので,それぞれの地が 重要視されていると推定できる.この 38 回の引用について,調査をまとめると, 雪坂は,慧遠の『十地論義記』(以下『義記』と略称)を見ていないことが分かる. 即ち,澄観が引用する慧遠の説に頼ってのみ,慧遠に対して判断を加えただけで ある.よって雪坂の慧遠に対する理解は,澄観から提示されている情報に制限さ れている.しかも,慧遠は雪坂に批判されることもしばしばあるが,果たしてそ の批判は正しかっただろうか.肯定される場合も同様の問題を抱えているといえ る.以下,そうした問題に関して例をあげながら検討する. 2.2. 『義記』を見ていなかった証拠 雪坂が『義記』を見ていなかった証拠は多くある.ここでは一つの例をあげる が,以下,批判の上でも自ずから証明されるだろう.『私記』の第三地釈には,「遠 公三釈.後二釈.同疏.故不引」という記がある5).これは澄観が,『鈔』の中に 然無常者.遠公云.応有三種.一分段無常.分段両向用之.向前為無常所以.今此為無 常体性.故此分段不出此二.a 少時亦名念念無常故.b 次経云.刹那生滅四相遷故.(T36. 481c) と記録した文に関する記である.澄観は『疏』では「然無常有二種.一者少時無 常即刹那生滅.二自性不成実無常.謂三世縁生俱無自性故.不成実体」(T35. 780b18)と,三つではなく二つに分類している.これは『十地経論』(T26. 153c)の 無常に対する分類と一致している. なお,慧遠は「然後釈文.義中有三.一分段無常.二念無常.三自性不成実無 常.是三如彼四優檀那章具広分別」として三つに分類し,詳しくは『大乗義章』 雪坂尚彦『十地品私記』における浄影寺慧遠の理解(金) (59)
雪坂尚彦『十地品私記』における
浄影寺慧遠の理解
金 天 鶴
1.問題の所在
朝鮮時代における華厳の時代と呼ばれる 18 世紀には,清涼澄観の『華厳経疏 鈔』による学習が盛んになり,その中で『華厳経疏鈔』の十地品釈に関する復註 が残されている1).その中で雪坂尚彦(1707–1791),仁岳義沾(1746–1796),蓮潭有 一(1720–1799)が三家と言われる.なかでも,雪坂尚彦の華厳研究は,後の二人 に影響を与えている.よって,まず,雪坂の華厳思想について検討することは意 義があると考えられる. 雪坂の『雑貨腐』は清涼澄観の『華厳経疏鈔』に対する『十地品私記』を指す ものであり,現に翻刻されて刊行されている2).その内容を検討すると,章疏や 人物の引用としては彼の師匠である講老と浄影寺慧遠に言及するケースが多い. その中で,講老に対しては参照する場合が多いが,慧遠に対しては,肯定する例 もあるが,概ね批判対象になっている3).しかし,その肯定と批判は当たってい るのか.それを探るためには,慧遠が引用されている各々の箇所について詳しく 調べることが必要であろう.よって本稿では『雑貨腐』,即ち『十地品私記』(以 下『私記』と略称)所引の慧遠を検討することによって,雪坂の慧遠に対する理解 の限界について検討したい.2.『私記』における慧遠の理解
2.1. 引用について 『私記』は,澄観の『華厳経疏鈔』(以下それぞれ『疏』,『鈔』と略称)「離垢地」 の最後の部分からなり,その前の部分は欠落している.この中,慧遠は 38 回ほど 引用されている.それを地ごとにまとめると次のようになる4). (58) 印度學佛敎學硏究第 65 巻第 2 号 平成 29 年 3 月〈表 1〉 慧遠の引用状況 地 頁数 引用回数 第三地 25 7 第四地 14 2 第五地 7 2 第六地 48 11 第七地 18 6 第八地 12 6 第九地 23 3 第十地 6 1 合計 153 38 〈表 1〉から判るように,第六地の『私記』の分量が多く,慧遠の引用ももっと も多くある.また,第三,七,八地からも引用が多数あるので,それぞれの地が 重要視されていると推定できる.この 38 回の引用について,調査をまとめると, 雪坂は,慧遠の『十地論義記』(以下『義記』と略称)を見ていないことが分かる. 即ち,澄観が引用する慧遠の説に頼ってのみ,慧遠に対して判断を加えただけで ある.よって雪坂の慧遠に対する理解は,澄観から提示されている情報に制限さ れている.しかも,慧遠は雪坂に批判されることもしばしばあるが,果たしてそ の批判は正しかっただろうか.肯定される場合も同様の問題を抱えているといえ る.以下,そうした問題に関して例をあげながら検討する. 2.2. 『義記』を見ていなかった証拠 雪坂が『義記』を見ていなかった証拠は多くある.ここでは一つの例をあげる が,以下,批判の上でも自ずから証明されるだろう.『私記』の第三地釈には,「遠 公三釈.後二釈.同疏.故不引」という記がある5).これは澄観が,『鈔』の中に 然無常者.遠公云.応有三種.一分段無常.分段両向用之.向前為無常所以.今此為無 常体性.故此分段不出此二.a 少時亦名念念無常故.b 次経云.刹那生滅四相遷故.(T36. 481c) と記録した文に関する記である.澄観は『疏』では「然無常有二種.一者少時無 常即刹那生滅.二自性不成実無常.謂三世縁生俱無自性故.不成実体」(T35. 780b18)と,三つではなく二つに分類している.これは『十地経論』(T26. 153c)の 無常に対する分類と一致している. なお,慧遠は「然後釈文.義中有三.一分段無常.二念無常.三自性不成実無 常.是三如彼四優檀那章具広分別」として三つに分類し,詳しくは『大乗義章』
雪坂尚彦『十地品私記』における
浄影寺慧遠の理解
金 天 鶴
1.問題の所在
朝鮮時代における華厳の時代と呼ばれる 18 世紀には,清涼澄観の『華厳経疏 鈔』による学習が盛んになり,その中で『華厳経疏鈔』の十地品釈に関する復註 が残されている1).その中で雪坂尚彦(1707–1791),仁岳義沾(1746–1796),蓮潭有 一(1720–1799)が三家と言われる.なかでも,雪坂尚彦の華厳研究は,後の二人 に影響を与えている.よって,まず,雪坂の華厳思想について検討することは意 義があると考えられる. 雪坂の『雑貨腐』は清涼澄観の『華厳経疏鈔』に対する『十地品私記』を指す ものであり,現に翻刻されて刊行されている2).その内容を検討すると,章疏や 人物の引用としては彼の師匠である講老と浄影寺慧遠に言及するケースが多い. その中で,講老に対しては参照する場合が多いが,慧遠に対しては,肯定する例 もあるが,概ね批判対象になっている3).しかし,その肯定と批判は当たってい るのか.それを探るためには,慧遠が引用されている各々の箇所について詳しく 調べることが必要であろう.よって本稿では『雑貨腐』,即ち『十地品私記』(以 下『私記』と略称)所引の慧遠を検討することによって,雪坂の慧遠に対する理解 の限界について検討したい.2.『私記』における慧遠の理解
2.1. 引用について 『私記』は,澄観の『華厳経疏鈔』(以下それぞれ『疏』,『鈔』と略称)「離垢地」 の最後の部分からなり,その前の部分は欠落している.この中,慧遠は 38 回ほど 引用されている.それを地ごとにまとめると次のようになる4).と同時に得られるから同時という.慧遠は十明は前分にあり十智は第二分にあるといい, 前後が既に異なるから,同時とは言えない.但し,もし体が一つであるという意義によっ て,論に曰く「同時に得る」という. 疏主与遠公.所見有異.疏主前云ママ分中十明.未熟時.未入如来家故.与第二分中十智. 自成異時.已熟則.便入如来家.与十智同得.故云同時.遠公.謂十明在前分.十智在 第二分.前後既異.故不可言同時.但約体一義.論云同時得.(『雑貨腐』303) とある.これは,『十地経論』にある「此法明入同時得,応知」(T26. 159c27)を巡 る澄観の解釈を記している部分である.雪坂は,十明が既に熟していれば同時と なるが,慧遠は体の一に約してだけ同時と言うといっている.しかし,『義記』に はこの部分は欠落しているので分かるすべもない.これは澄観の『鈔』には以下 のように, もし,遠公のいうように,十智と十入とは名は異っても体は一つであり.だから,即ち 同時となるならば,自ら問うていう.両方の法相は類似するから同と言うべきである. 明と智とは[そもそも]体が一つであるのにどうして同と言えるだろうか.彼(慧遠) は自ら釈して言うに,これは体が一つといえども,門に随えば別がある.だから,同と 説くのだ.どうして門に別あるというのか.前は,衆生世界などの十について,もって 法の明を彰かし,今これはすなわち三宝などについて,もって法の智を説いている.だ から別という. 若遠公云.十智十入名異体一.故即同時.而自問云.両法相似可得言同.明智体一.何 得言同.彼自釈云.此雖体一.随門有別.是故説同.云何門別.前就衆生世界等十.以 彰法明.今此乃就三宝等以説法智.故云別也.(T36. 494a1) と慧遠の文を引用している.これをそのまま受け入れて考える場合,慧遠は門に よって別あることを想定して,体一のことを同といっている.しかし,「但約体一 義」を理由として「論云同時得」というのは,慧遠がそれを述べた証拠を探すこ とができない.これは雪坂の独自の解釈とみるべきであるが,『義記』を見ないま ま,澄観の言葉を慧遠に牽強附会していることが言える. ここで『義記』が残っている部分はどうであるのかを検討してみる.『私記』の 第三地釈には 「設心」云云とは遠公の初義を翻って用いたことである.遠公のいう意味は,色根の生は 身受であり,意根の生は心受であるということである.即ち,身受と心受とは各々別で あり,互いに相い通じない.しかし『疏』の意は,心受といえどもまた,身受とも名づ ける.即ちその相い通じることを取ったので翻って用いたことである. 設心云云 翻用遠公初義 遠公 色根生身受 意根生心受 則身受心受各別 互不相 通.疏意.設云心受.亦名身受.則取其相通故.翻用也.(『雑貨腐』287) 雪坂尚彦『十地品私記』における浄影寺慧遠の理解(金) (61) 巻二の四優檀那義に譲っている.雪坂によると,澄観が一の分段無常しか引用し ていない理由について,『疏』と同様であるからとしている.しかし,上の『鈔』 の文の a「少時亦名念念無常故」とは,『義記』に「少時已下列名.弁釈少時列 名.此猶三中念無常也」(X45. 138a)とある文面からの引用であろう.即ち『義 記』の三釈の中,第二釈が引用の形式ではないものの,引用されているといえる. 更に同『鈔』の文,b「次経云.刹那生滅四相遷故」について,雪坂は「経衍.或 次字衍」と記するが,これは,『義記』の上の文に続く「一刹那頃四相遷変故.曰 少時」(X45. 138a16)といった表現による.これも念無常を解釈する文である.即 ち,疏と同様であるから引用していないという表現は『義記』を見ていないから こそ生じた記である.その場合,「経衍.或次字衍」という説明は,もし雪坂が 『義記』を直接参照したとすれば,『義記』のことを言及したか,経と次とも衍と いうべきである. これに対して三家はどうなるかと言うと,仁岳義沾は「次衍」と記して,蓮潭 有一は「故次経次字皆云衍而愚謂論経也」6)となっている.しかし,実は衍字で はあるものの,論経の文でもない.三家とも『義記』を見ていないから,上のよ うな記が書かれたと考えられる. 義天の『新編諸宗教章総録』には『義記』が収録されているので,少なくとも 義天の時代には存在していたはずである.しかし,高麗大蔵経には『義記』が入っ ていない.その時点に『義記』があったかどうか定かではないが,その後の流伝 についてはまったく記録がなく,朝鮮時代に入っても板刻された記録もない.雪 坂は『疏鈔』の解釈のため,海印寺に行って文献を閲覧したと言われるが,その 時にも『義記』はなかったと判断すべきである. 2.3. 慧遠に対する批判 (1)間接批判 雪坂が慧遠を多く引用しているものの,実際に『義記』を見ておらず,朝鮮時 代に既になくなったとみる場合に,雪坂が慧遠に対して批判するのはどう理解す べきであろうか.その批判について詳しく検討してみる. まず,『疏』と『義記』の意見が異なることを表しながら,結果的に批判するパ ターンがある.例えば第四地釈には, 澄観の『疏』と慧遠の意見には所見が異なる.澄観(疏主)は前分(因或いは第三地) の中に十明が熟していない時には,如来家に入れないので,第二分(果或いは第四地) の十智とは,自ずから異時となる.熟していると即ち,直ちに如来家に入るので,十智 (60) 雪坂尚彦『十地品私記』における浄影寺慧遠の理解(金)
と同時に得られるから同時という.慧遠は十明は前分にあり十智は第二分にあるといい, 前後が既に異なるから,同時とは言えない.但し,もし体が一つであるという意義によっ て,論に曰く「同時に得る」という. 疏主与遠公.所見有異.疏主前云ママ分中十明.未熟時.未入如来家故.与第二分中十智. 自成異時.已熟則.便入如来家.与十智同得.故云同時.遠公.謂十明在前分.十智在 第二分.前後既異.故不可言同時.但約体一義.論云同時得.(『雑貨腐』303) とある.これは,『十地経論』にある「此法明入同時得,応知」(T26. 159c27)を巡 る澄観の解釈を記している部分である.雪坂は,十明が既に熟していれば同時と なるが,慧遠は体の一に約してだけ同時と言うといっている.しかし,『義記』に はこの部分は欠落しているので分かるすべもない.これは澄観の『鈔』には以下 のように, もし,遠公のいうように,十智と十入とは名は異っても体は一つであり.だから,即ち 同時となるならば,自ら問うていう.両方の法相は類似するから同と言うべきである. 明と智とは[そもそも]体が一つであるのにどうして同と言えるだろうか.彼(慧遠) は自ら釈して言うに,これは体が一つといえども,門に随えば別がある.だから,同と 説くのだ.どうして門に別あるというのか.前は,衆生世界などの十について,もって 法の明を彰かし,今これはすなわち三宝などについて,もって法の智を説いている.だ から別という. 若遠公云.十智十入名異体一.故即同時.而自問云.両法相似可得言同.明智体一.何 得言同.彼自釈云.此雖体一.随門有別.是故説同.云何門別.前就衆生世界等十.以 彰法明.今此乃就三宝等以説法智.故云別也.(T36. 494a1) と慧遠の文を引用している.これをそのまま受け入れて考える場合,慧遠は門に よって別あることを想定して,体一のことを同といっている.しかし,「但約体一 義」を理由として「論云同時得」というのは,慧遠がそれを述べた証拠を探すこ とができない.これは雪坂の独自の解釈とみるべきであるが,『義記』を見ないま ま,澄観の言葉を慧遠に牽強附会していることが言える. ここで『義記』が残っている部分はどうであるのかを検討してみる.『私記』の 第三地釈には 「設心」云云とは遠公の初義を翻って用いたことである.遠公のいう意味は,色根の生は 身受であり,意根の生は心受であるということである.即ち,身受と心受とは各々別で あり,互いに相い通じない.しかし『疏』の意は,心受といえどもまた,身受とも名づ ける.即ちその相い通じることを取ったので翻って用いたことである. 設心云云 翻用遠公初義 遠公 色根生身受 意根生心受 則身受心受各別 互不相 通.疏意.設云心受.亦名身受.則取其相通故.翻用也.(『雑貨腐』287) 巻二の四優檀那義に譲っている.雪坂によると,澄観が一の分段無常しか引用し ていない理由について,『疏』と同様であるからとしている.しかし,上の『鈔』 の文の a「少時亦名念念無常故」とは,『義記』に「少時已下列名.弁釈少時列 名.此猶三中念無常也」(X45. 138a)とある文面からの引用であろう.即ち『義 記』の三釈の中,第二釈が引用の形式ではないものの,引用されているといえる. 更に同『鈔』の文,b「次経云.刹那生滅四相遷故」について,雪坂は「経衍.或 次字衍」と記するが,これは,『義記』の上の文に続く「一刹那頃四相遷変故.曰 少時」(X45. 138a16)といった表現による.これも念無常を解釈する文である.即 ち,疏と同様であるから引用していないという表現は『義記』を見ていないから こそ生じた記である.その場合,「経衍.或次字衍」という説明は,もし雪坂が 『義記』を直接参照したとすれば,『義記』のことを言及したか,経と次とも衍と いうべきである. これに対して三家はどうなるかと言うと,仁岳義沾は「次衍」と記して,蓮潭 有一は「故次経次字皆云衍而愚謂論経也」6)となっている.しかし,実は衍字で はあるものの,論経の文でもない.三家とも『義記』を見ていないから,上のよ うな記が書かれたと考えられる. 義天の『新編諸宗教章総録』には『義記』が収録されているので,少なくとも 義天の時代には存在していたはずである.しかし,高麗大蔵経には『義記』が入っ ていない.その時点に『義記』があったかどうか定かではないが,その後の流伝 についてはまったく記録がなく,朝鮮時代に入っても板刻された記録もない.雪 坂は『疏鈔』の解釈のため,海印寺に行って文献を閲覧したと言われるが,その 時にも『義記』はなかったと判断すべきである. 2.3. 慧遠に対する批判 (1)間接批判 雪坂が慧遠を多く引用しているものの,実際に『義記』を見ておらず,朝鮮時 代に既になくなったとみる場合に,雪坂が慧遠に対して批判するのはどう理解す べきであろうか.その批判について詳しく検討してみる. まず,『疏』と『義記』の意見が異なることを表しながら,結果的に批判するパ ターンがある.例えば第四地釈には, 澄観の『疏』と慧遠の意見には所見が異なる.澄観(疏主)は前分(因或いは第三地) の中に十明が熟していない時には,如来家に入れないので,第二分(果或いは第四地) の十智とは,自ずから異時となる.熟していると即ち,直ちに如来家に入るので,十智
即ち,澄観によると,慧遠は不知(『論』には不見)とは無明であるが,その場 合,死支を主としており,無明も死支に属すると言っている.即ち,『十地経論』 において不知(=不見)とは 死支において,「死亦有二種作.一者壊五陰身.二者 以不見知故.而令相続不絶」(T26. 169b18)とある中に,“二者” に関連する慧遠の 解釈であり,澄観は慧遠の解釈に対して『十地経論』を見ていないと批判してい る.もし,澄観の慧遠引用が正しければ,雪坂の記における,慧遠批判は,澄観 の批判を敷衍すると言ってよい.その点から見ると,澄観に頼って慧遠に対して, 澄観の慧遠批判を補う意味になる. (3)慧遠に対する肯定 『私記』には慧遠批判のみではなく,慧遠を擁護する文面も確認できる.第八地 に関する『私記』の中に,慧遠が古人を批判したことに就いて敷衍する.これに 関して検討する. 「観察される所の法[無我の理]」云云とは,古人は,即ち,能観心を以って法無我の理 に契合し,無二となるとみるために,遠公は古人を破する.これは即ち,但し理と智が 冥合するのみであり,道理に就いて中道を論することではない.故に論に言う「無二相」 とは有無と離即の二つの種類を含む無二なのである. 所有観法云云.古人則以能観心.契法無我理.為無二故.遠公破之古.此則但理智冥合. 非就道理論中道.故論云無二相者.含有無離即二種.無二也.(『雑貨腐』399) と言っている.ここでは,古人が心と法無我理の冥合を主張することに関して, 慧遠が理と智が一つになることだと批判していることを提示し,雪坂は,これは 道理に適って中道を論じることではないと批判することだと言っている.そして, その証拠として『十地経論』の文面を提示している具合の文句である. まず,この文面を理解するため,長いが,『疏』と『鈔』の文を提示する必要が あろう. 雪坂は上の『疏』と『鈔』を合わせて記を残しているが,ここで澄観の引用に よると,慧遠は b のように「心境不二」を理由として古人を批判していることが わかり,雪坂のいう理智冥合とは言いがたい.なお,雪坂が “『十地経論』の中に いう ‘無二相’ とは「含有無離即二種」” としたのは,澄観の a「故論下引論証上. 疏家立二中道」を踏まえての解釈なので無理はない.よって,ここでも慧遠を肯 定したとはいえ,一部においては,『私記』の解釈に疑問が生じることが分かる. 雪坂尚彦『十地品私記』における浄影寺慧遠の理解(金) (63) といっている.雪坂の記は澄観が慧遠の心受と身受に関する説明を引用したこと を根拠とする.ここで「遠公初義」とは『鈔』にある次のような文面を指す.「遠 公云.身受者.受有二種.謂身与心.分別有二.一約根本分別.五識等受.依色 根生.故名身受.意識中受.従意根生.故名心受」(T36. 487b22–23)即ち慧遠が心 受と身受とを根本的に区別することに対して,澄観はこれを翻って相い通じるよ うにしたという解釈である.すると,慧遠はどうなるのか.結論的にいうと,澄 観の慧遠云々は『義記』にはない文面である.よって,雪坂が『義記』を見てい ない上に,澄観を頼りにして慧遠を理解しており,これは慧遠の本意ではないこ とが分かる. (2)直接批判 次は慧遠を直接批判するパターンである. 第六地には,次のような記がある. 「意明」云云とは,『十地論』中の文勢が両重に生じる因となり,『鈔』の主(澄観)は彼 の『十地論』の意を出して「但し,自業が因となり,後の助成が果となる.則ち一重の 老死は無明を因とする義になる」と言っている.このようにみる理由とは,遠公が無明 を以って老死の中の無明というのを破したいと欲するからである. 意明云云.論中文勢.為両重生因.鈔主.出彼意云.但自業為因.後助成為果.則一重 老死.為無明因之義.所以如此看者.欲破遠公.以無明.老死中無明故也.(『雑貨腐』373) ここでは確実に慧遠の見解を直接批判している.まず,両重とは『十地経論』に おいて,「此是二諦差別.一心雑染和合因縁集観.因観者有二種.一他因観.二自 因観」(T26. 169a29)における「一他因観.二自因観」を指すようであり,よって, 「一重老死」とは「他因観」(他のもののための因として観察すること)7)となるはずだ が,これには自業と助成があると,『疏』(T35. 808a)では述べている.また,澄観 は他因観と自因観とを『十地経論』にそって分けて論じている.よって,雪坂が 『十地経論』や澄観の意図を正しく理解しているかに関しては議論の余地が残る. ところが,この問題は本筋ではないため,さしおいて,慧遠に対する理解をみて おくと,果たして雪坂の解釈は当たっているのか.まず,澄観が引用している『義 記』の文は次のようである. 遠公云.不知.雖是無明.死支為主.摂属死支.如似生時亦有結業.名為生支.即是云 云不見論意.(T36. 532a5) (62) 雪坂尚彦『十地品私記』における浄影寺慧遠の理解(金)
即ち,澄観によると,慧遠は不知(『論』には不見)とは無明であるが,その場 合,死支を主としており,無明も死支に属すると言っている.即ち,『十地経論』 において不知(=不見)とは 死支において,「死亦有二種作.一者壊五陰身.二者 以不見知故.而令相続不絶」(T26. 169b18)とある中に,“二者” に関連する慧遠の 解釈であり,澄観は慧遠の解釈に対して『十地経論』を見ていないと批判してい る.もし,澄観の慧遠引用が正しければ,雪坂の記における,慧遠批判は,澄観 の批判を敷衍すると言ってよい.その点から見ると,澄観に頼って慧遠に対して, 澄観の慧遠批判を補う意味になる. (3)慧遠に対する肯定 『私記』には慧遠批判のみではなく,慧遠を擁護する文面も確認できる.第八地 に関する『私記』の中に,慧遠が古人を批判したことに就いて敷衍する.これに 関して検討する. 「観察される所の法[無我の理]」云云とは,古人は,即ち,能観心を以って法無我の理 に契合し,無二となるとみるために,遠公は古人を破する.これは即ち,但し理と智が 冥合するのみであり,道理に就いて中道を論することではない.故に論に言う「無二相」 とは有無と離即の二つの種類を含む無二なのである. 所有観法云云.古人則以能観心.契法無我理.為無二故.遠公破之古.此則但理智冥合. 非就道理論中道.故論云無二相者.含有無離即二種.無二也.(『雑貨腐』399) と言っている.ここでは,古人が心と法無我理の冥合を主張することに関して, 慧遠が理と智が一つになることだと批判していることを提示し,雪坂は,これは 道理に適って中道を論じることではないと批判することだと言っている.そして, その証拠として『十地経論』の文面を提示している具合の文句である. まず,この文面を理解するため,長いが,『疏』と『鈔』の文を提示する必要が あろう. 雪坂は上の『疏』と『鈔』を合わせて記を残しているが,ここで澄観の引用に よると,慧遠は b のように「心境不二」を理由として古人を批判していることが わかり,雪坂のいう理智冥合とは言いがたい.なお,雪坂が “『十地経論』の中に いう ‘無二相’ とは「含有無離即二種」” としたのは,澄観の a「故論下引論証上. 疏家立二中道」を踏まえての解釈なので無理はない.よって,ここでも慧遠を肯 定したとはいえ,一部においては,『私記』の解釈に疑問が生じることが分かる. といっている.雪坂の記は澄観が慧遠の心受と身受に関する説明を引用したこと を根拠とする.ここで「遠公初義」とは『鈔』にある次のような文面を指す.「遠 公云.身受者.受有二種.謂身与心.分別有二.一約根本分別.五識等受.依色 根生.故名身受.意識中受.従意根生.故名心受」(T36. 487b22–23)即ち慧遠が心 受と身受とを根本的に区別することに対して,澄観はこれを翻って相い通じるよ うにしたという解釈である.すると,慧遠はどうなるのか.結論的にいうと,澄 観の慧遠云々は『義記』にはない文面である.よって,雪坂が『義記』を見てい ない上に,澄観を頼りにして慧遠を理解しており,これは慧遠の本意ではないこ とが分かる. (2)直接批判 次は慧遠を直接批判するパターンである. 第六地には,次のような記がある. 「意明」云云とは,『十地論』中の文勢が両重に生じる因となり,『鈔』の主(澄観)は彼 の『十地論』の意を出して「但し,自業が因となり,後の助成が果となる.則ち一重の 老死は無明を因とする義になる」と言っている.このようにみる理由とは,遠公が無明 を以って老死の中の無明というのを破したいと欲するからである. 意明云云.論中文勢.為両重生因.鈔主.出彼意云.但自業為因.後助成為果.則一重 老死.為無明因之義.所以如此看者.欲破遠公.以無明.老死中無明故也.(『雑貨腐』373) ここでは確実に慧遠の見解を直接批判している.まず,両重とは『十地経論』に おいて,「此是二諦差別.一心雑染和合因縁集観.因観者有二種.一他因観.二自 因観」(T26. 169a29)における「一他因観.二自因観」を指すようであり,よって, 「一重老死」とは「他因観」(他のもののための因として観察すること)7)となるはずだ が,これには自業と助成があると,『疏』(T35. 808a)では述べている.また,澄観 は他因観と自因観とを『十地経論』にそって分けて論じている.よって,雪坂が 『十地経論』や澄観の意図を正しく理解しているかに関しては議論の余地が残る. ところが,この問題は本筋ではないため,さしおいて,慧遠に対する理解をみて おくと,果たして雪坂の解釈は当たっているのか.まず,澄観が引用している『義 記』の文は次のようである. 遠公云.不知.雖是無明.死支為主.摂属死支.如似生時亦有結業.名為生支.即是云 云不見論意.(T36. 532a5)
〈参考文献〉 (一次文献) 『十地経論』T26. 澄観『華厳経疏』T35. 澄観『華厳経演義鈔』T36. 慧遠『大乗義章』T44. 慧遠『十地経論義記』新纂続蔵 45. (二次文献) 大竹晋校註 2005『十地経論 II』新国訳大蔵経 14・釈経論部 17,大蔵出版. 金龍泰 2010『朝鮮後期仏教史研究』신구문화사,243–272. 이종수 2015「朝鮮後期華厳学 의 流行과 그 背景」『仏教学研究』42: 59–82. 奉先寺楞厳学林 2002a『三家本私記――雑華記・雑貨腐――』大韓仏教曹渓宗教育院. ――― 2002b『三家本私記――遺忘記――』大韓仏教曹渓宗教育院. 金天鶴 2016「雪坂尚彦의澄観『華厳疏鈔』理解의一考察――十地品疏을 中心으로――」 『湖南文化研究』59: 299–329. (本論文は 2011 年韓国政府(教育科学技術部)財源による韓国研究財団の支援を受けた研 究成果である(KRI-2011-361-A00008).) 〈キーワード〉 朝鮮後期華厳学,雪坂尚彦,澄観,慧遠,『雑貨腐』,十地品釈 (東国大学校 HK 教授) 雪坂尚彦『十地品私記』における浄影寺慧遠の理解(金) (65)
3.結論
以上のように,雪坂の『私記』における慧遠に対する理解を通じて,その認識 を検討してみた.まず,雪坂は慧遠の『義記』を見ていない.これは三家同様で ある.即ち,慧遠に対する理解は澄観に頼って行うしか方法がなかったため,誤 解が生じることも否めない. 慧遠に対する引用に関しては批判と肯定の両面から検討した結果,澄観の慧遠 批判を敷衍するか或いは慧遠の本意ではないのに批判している場合もある.肯定 する場合でも,必ずしも慧遠の考えと一致するとは限らない. このように雪坂が慧遠に関心を持っていても,澄観の慧遠認識に頼る面が浮き 彫りになる.これは,澄観を尊重して,その方法として慧遠を利用するとも言え るが,これは朝鮮時代における慧遠認識の限界であるといえる. 1)金龍泰 2010, 243–272,이종수 2015 参照. 2)奉先寺楞厳学林 2002a. 3)金天鶴 2016 参照. 4)金天鶴 2016 参照. 5)奉先寺楞厳学林 2002a, 277. 6)奉先寺楞厳学林 2002a, 142,奉先寺楞厳学林 2002b, 168. 7)大竹晋 2005, 362–368 参照. 〈表 2〉『疏』と『鈔』の構成 『疏』(T35. 820b) 『鈔』(T36. 550c) 斯則非有非無以顕中 道.此二亦不二. 斯則非有非無下.会帰中道.有二中道而文三節.初正立二種中道. 二引論証三結成.今初一非有非無為中道.無性則非有為 性則非 無.既即以無性為性故.云此二不二.即以性無体有.為真諦中道. 又此理亦非所観事外. 又此理下.不即不離為中道.即事顕理 為二諦中道.七実皆事.不 之一字即是於理斯即.於諦常自二.於解常自一.今通達此無二真入 第一義也. 故論云.所有観法無我 理.無二相故. a 故論下引論証上.疏家立二中道.皆因論主無二相言.由無二故. 法無我理得為諸法自性無生.遠公破古人言.観心与法無我理 b 心 境不二.非也者.実如所破. 斯則非即非離無二為 中道義 斯則下結成. (64) 雪坂尚彦『十地品私記』における浄影寺慧遠の理解(金)〈参考文献〉 (一次文献) 『十地経論』T26. 澄観『華厳経疏』T35. 澄観『華厳経演義鈔』T36. 慧遠『大乗義章』T44. 慧遠『十地経論義記』新纂続蔵 45. (二次文献) 大竹晋校註 2005『十地経論 II』新国訳大蔵経 14・釈経論部 17,大蔵出版. 金龍泰 2010『朝鮮後期仏教史研究』신구문화사,243–272. 이종수 2015「朝鮮後期華厳学 의 流行과 그 背景」『仏教学研究』42: 59–82. 奉先寺楞厳学林 2002a『三家本私記――雑華記・雑貨腐――』大韓仏教曹渓宗教育院. ――― 2002b『三家本私記――遺忘記――』大韓仏教曹渓宗教育院. 金天鶴 2016「雪坂尚彦의澄観『華厳疏鈔』理解의一考察――十地品疏을 中心으로――」 『湖南文化研究』59: 299–329. (本論文は 2011 年韓国政府(教育科学技術部)財源による韓国研究財団の支援を受けた研 究成果である(KRI-2011-361-A00008).) 〈キーワード〉 朝鮮後期華厳学,雪坂尚彦,澄観,慧遠,『雑貨腐』,十地品釈 (東国大学校 HK 教授)