ディスカッション(シンポジウム 民族紛争の現在 : 日本から考える)
著者 山根 聡, 松枝 到, 江川 ひかり, 澁谷 利雄
雑誌名 東西南北
巻 1999
ページ 43‑61
発行年 1999‑03‑20
URL http://id.nii.ac.jp/1073/00003660/
ディスカッション 松 山 枝 根 到 聡
シンポジウム○民族紛争の現在l日本から考える
司会それでは︑ディスカッションを始めた
いと思います︒
皆様方から広くご質問︑ご意見をいただい
た上で︑こちらで答えられることは答え︑ま
た︑きょうはいろいろな専門の方がおいでの
ようですので︑参会者の方からお答えをいた
だいてもいいかと思います︒
それでは︑先ほど講演のなかで受け取りき
れなかったご質問もあるようですので︑ご質
問やご意見のある方は挙手していただきたい
と思います︒
参会者松枝先生にお伺いします︒
クルド人がいろいろな国に分散して︑長い
歴史を経ているのに︑クルド人として存在し 大阪外国語大学助教授江川ひかり本学兼任講師人間関係学部教授澁谷利雄人間関係学部教授/司会
ているということは︑血の純潔というような
ことを強調していたのでしょうか︒普通いろ
いろな民族との雑婚が起こると考えられます
が︑その点はいかがでしょうか︒
松枝現実にはかなり混血といいますか︑さ
まざまな民族との間の婚姻関係が進んでいる
と思いますが︑ある意味では排除される側で
すので︑その中でかえって文化的なもの︑習
慣的なもの︑あるいは伝統的なものを非常に
強固に持ち続けたと想像されます︒
はっきりとクルド人という名前が出てくる
段階までに相当混血があった︑あるいは︑特
定の民族に別の民族が入ってきた結果︑特殊
な集団化したのであろうという説もあります し︑現実に混血は進んでいると思います︒
特にトルコでは︑先ほど申しましたように
山岳トルコ民族としてトルコ化しようという
動きがあり︑一時はその政策がかなり進んで
いたと聞きます︒いまクルドを自称する人び
とが増えていますが︑これもボスニァ・へル
ッェゴヴィナと同じで︑一種の自己申告制の
ようなものです︒
都市では非常に微妙な事情もありますが︑
イスタンブールに行っても︑クルド人は服装
ですぐわかります︒そういう民族的な服装を
している限り︑私はクルド人だと言っている
わけですから︑むしろ被抑圧民族としての裏
返しの強調があります︒
4 3 ‑
現実に血統としてどうなのか︑はっきりは
わかりませんが︑血が一滴でも混じっていれ
ばクルド人なのだという意識もあるかと思い
ます︒私は状況がよくわかりませんが︑かな
り進んでいると思います︒
参会者嫌われている面のほうが強いんでし
松枝それはもう蛇蜴のごとく.⁝.︒国によ ょうか︒
って違いますが︑トルコ︑イラン︑イラクと
いうところでは少数民族というわけではなく
て大勢力ですから︑かなりの数がいますが︑
それでも国家を持たない︑あるいは制度的に
差別されていますので︑もちろん嫌われてい
ます︒
また︑旧ソ連︑パキスタンの一部︑それか
らヨーロッパにかなりの数のクルド人がいま
す︒ドイツなどに大変多いのですが︑ドイツ
では最底辺の仕事をしている例がほとんどで
す︒そういう意味では差別的な感覚はついて
まわるものですから︑おおむね厳しい生活を
強いられていることは確かです︒
参会者私がドイツにいましたとき︑近所に
クルド人が住んでいましたが︑特別そういう
差別はなかったし︑わりと清潔な生活をして いて︑嫌われることはあまりなかったように思うんですが︒松枝ドイツにいるトルコ人全体がある種の最下層労働者を形成していて︑クルド人などは︑またその中の最下層になっています︒もちろんすべての人びとがそうではなくて︑かなりインテリゲンチャのクルド人の留学生などもいます︒
封ンシ・ウンテン
ドイッで﹃最も下の世界﹄という本が出版
され︑日本では一最底辺﹄というタイトルで
岩波書店から翻訳が出ています︒ドイツ人ジ
ャーナリストがトルコ人に扮し︑ドイツのト
ルコ人世界に入ってルポルタージュした本で
すが︑下から覗き見るとかなり抑圧されてい
るという感覚のようです︒ましてクルド人な
ら︑なおさらではないでしょうか︒
参会者今は過激派が三グループに分かれて
争っているという話ですが︑クルドの底流に︑
たとえばユダヤのシオニズムのような動きは
ないのですか︒
松枝クルド人は宗教的に必ずしも一枚岩で
はありません︒それから︑言語的に三言語あ
ると申しましたけれども︑中に大きく二つの
グループがあります︒それから︑西と東のク ルド族で風習などがかなり違うということもあって︑むしろ一枚岩的な民族運動をどうつくっていくかということのほうが彼らにとって問題でしょう︒
シオニズムの場合には︑大きな聖典と長年
培った信仰がありますが︑クルド人にはあり
ません︒現実にはかなりのクルド人グループ
−
があって︑それらをきちんとまとめていくこ
とは現状では困難です︒非常に過激なグルー
プも極めて穏健なグループもいますし︑ある
いは︑解放主義者たちから言わせれば癒着な
んですが︑イラン政府︑イラク政府︑トルコ
政府に︑国家の運動に参加しているクルド人
も当然いるわけです︒
ですから︑なかなか一つのイメージで︑一
枚岩的にはとらえられないと思います︒
参会者ユダヤの場合︑決して社会の下層で
はないですね︒知的にも優秀で︑金持ちもお
りますし︑そういう違いが大きいのですか︒
松枝単純に語ることは難しいのですが︑ユ
ダヤの人びとの持っている連帯の底には︑神
を一つに抱いている世界の中での一体感があ
ると思います︒また︑ユダヤ人についても経
済的な成功者はほんの一握りで︑大多数のユ
ダヤ系の人びとは貧しい場合が多いと聞いて
います︒でも世界観では︑やはり一体観が強
くあるのでしょう︒しかし︑クルド人の世界
観は必ずしも一つではありません︒
それと︑軍事的抑圧をかなり長く受けてい
る経緯があります︒また︑彼らの住む世界は
山の中での遊牧とか︑そういう空間ですから︑ ユダヤの世界とは違います︒1ダャのように︑都市社会に浸透していくという歴史はあまり持っていない︒都市社会の中では少数派であるということがあります︒
これは余談なんですけれども︑サダム・フ
セインという人の﹁サダム﹂というのは︑先
ほど申し上げたサラディンの名前から由来し
ています︒﹁サラディンのように勇敢な子﹂
という名前の由来を知っていて︑彼がどうし
てクルド人を殺したのかという複雑な思いが
あります︒ところがサダム・フセインは︑ユ
ダヤの民をイスラエルからバビロンに連れて
いった︑﹁バビロン捕囚﹂を行なったネブカ
ドネッァルという古代の王がかれの理想像の
ようですから︑そういう意味では︑歴史的な
問題としてのユダヤ人問題︑クルド問題︑あ
るいは中東のさまざまな問題は︑すべてリン
クしていると考えられます︒
一部のクルドの過激な政党はパレスチナと
連帯していますから︑関係がないわけではあ
りませんが︑クルドは︑たとえば反ユダヤと
いったようなことを今︑公に表明はしており
ません︒そこはむしろ自分自身の問題のほう
が最優先であるということだと思います︒
4 5 ‑
参会者お三方の講演︑ありがとうございま
した︒ずっとよくわからなかったことを考え
てみましたら︑三つの地域に共通しているの
はイスラームだということだと思ったのです
が︑私どもはイスラームになじみがないもの
で︑イスラームの基本とはどういうことか︑
それとこの地域の紛争との関連はどうなって
いるかということが︑お三方にお聞きしたい
第一点です︒
第二点は︑日本はイスラームとどう付き合
っていけばいいのか︒日本から考えるという
ことで︑その辺の基本的なところを︑三地域
について教えていただければありがたいので
すが︒山根ではまず︑アフガニスタンについて申
し上げます︒
先ほどの説明のさいに︑伝統的なイスラー
ムと原理主義という言い方をしましたが︑イ
スラームとは唯一の神であるアッラーに帰依
する︑アッラーの教えに従うことです︒
ですからイスラームでは︑キリスト教もユ
ダヤ教もみなアッラーからの啓示を受けてい
ることになります︒ムハンマド︑つまりマホ
メットが︑預言者としては一番最後に出てい る︒預言者とは予言者ではなく︑神の言葉を預かった人という意味ですが︑預言者ムハンマドが神の啓示を最後に受けている︒
神の教えに従う者︑これがムスリム︑つま
りイスラーム教徒のことですが︑この人たち
の社会の理想は︑ウンマというイスラームの
共同体︑ムスリムによる共同体です︒
ムスリムの見方では世界が二つに分かれて
いまして︑一つはムスリムたちでつくる世界︑
もう一つはムスリムがいなくて戦争が起こっ
ているところ︑となります︒ムスリムの目的
としては︑イスラームの世界を広げて︑戦争
の地にもイスラームを広めることなのです︒
まず︑伝統的なイスラームについて話しま
すが︑七世紀ごろにイスラームがはじまり︑
いろいろな思想家が出てきました︒その中に
神秘主義者といわれる人やある奇跡を起こし
た人とか︑その地域での聖者のような人が出
てくるわけです︒天神様のような感じなんで
すが︑そういう人たちを祀り︑その偉業を讃
えることによって︑その人の持っていた力を
授かるという信仰形態をとった人もいるわけ
です︒
アフガニスタンの伝統的なイスラームの中 にはこの形態が多くて︑特に南部あたりの名士︑有力者たちが︑その神秘的な力︑バラカと言いますが︑力を授かっているという人がいて︑その人の教えを受けるという伝統が残っています︒その人の解釈︑言葉を連綿と語り継いでいくという信仰形態があります︒
これに対して︑原理主義というのは︑後に
出てきた人たちの言葉ではなくて︑アッラー
からムハンマドに直接啓示された教えに帰る
べきだ︑それこそが本来のムスリムであると
いう考え方です︒
そして︑たとえばソビエト寄りの政権にな
ると︑共産主義の影響で︑神を否定する問題
が出てきた︒ムスリムにとってそれは容認で
きないことですから︑そこから反共産主義な
どの活動に動いていくわけです︒
この動きの中で生まれてきたイスラームの
思想は︑伝統的なものとは違って︑よりピュ
アなものに帰ろうという︑復興主義的な︑イ
スラームを復興させようとするもので︑それ
が政治的なイデオロギーとして用いられてい
くことになるのです︒これがアフガニスタン
の現在の宗教の状況です︒
日本がイスラームとどうかかわったらいい
− 4 6
のかということですが︑私はだれが何を信じ
ていようが自由だと思っていますが︑たとえ
ば現実的な面で言うと︑お酒が飲めないとか︑
女性が自由に活動できないとか︑日本人はイ
スラームをそう考えてしまうのですね︒
しかしトルコなどを見ますと︑最近ちょっ
と変わっているかもしれませんが︑自由にお
酒を飲めるわけです︒パキスタンでもある時
期まではお酒を自由に飲めていた︒だから︑
イスラームだからこうであると一概に決めつ
けてしまうのはよくないのではないか︒
日本とイスラームとのかかわり方において
は︑まずイスラームに対する︑これまで我々
が抱いてきたイメージを︑もう一回考え直す
べきであろうと思います︒
先ほど申し上げた︑たとえばターリバーン
という集団は︑女性の自由を拘束して︑テレ
ビも見せないような連中であるというイメー
ジだけで言ってしまいがちですが︑彼らは︑
場合によっては判断をいろいろ変える用意が
あるわけです︒そこに我々がどうかかわるか
が課題で︑最初からターリバーンは我々が説
得しても通じない人たちだとは考えないほう
がいいと思います︒むしろターリバーンとう まく接触していくためには︑我々の持っているイスラームに対する偏見を捨てるべきではないかと思います︒
実際にカンダハールでターリバーンと会い
ましたが︑中には酒はないかと言ってくるの
もいるわけです︒ひょっとしたら彼らに試さ
れたのかもしれませんが︑要するにターリバ
ーンがこうであると断言するのは難しい︒
ですから︑イスラームはこうであると︑今
まで持っているイメージだけでステレオタイ
プ化してしまうのはよくないのではないかと︑
私は思います︒あまり答えになってないかも
しれませんが︒
参会者ステレオタイプというお話をされま
したが︑ターリバーンがいずれしっかりした
国家という形にしていくときに︑たとえばイ
スラーム法︑シャリーァとかファトワーを根
拠にして国づくりをしていくことになると思
うのです︒
そうなっていくと︑たとえばそういう状況
でつくられた国と︑政教分離ということで︑
一応︑宗教というものを分離することを国是
としているトルコのような国などとは︒同じ
にはならないのではないでしょうか︒ 山根たとえばサウジアラビアの場合でも︑法律すべてがシャリーアであるわけではなくて︑イギリスの法律などをかなり組み入れています︒刑法などでは確かにシャリーァに基づいた判断がなされるかもしれませんが︑すべてがすべてイスラーム法の解釈でなされるかというと︑仮にターリバーンが法律をつくる段階に至ったときには︑必ず外からの助言が出てくると思います︒
と言いますのは︑暫定政府が一九九六年九
月にできたときに︑即刻︑パキスタンのウラ
マー党という政党の代表が︑我々は憲法を改
正するのに援助をする用意があるという発言
をしています︒ですから︑そういう外からの
助言を得るときに︑誰の助言を得るかがおそ
らく問題になってくると思うのです︒
ちょっと話は飛びますが︑たとえばドース
トムというのも︑最初はあまり政治的なグル
ープではなかったのですが︑国連の人や外交
団と会っているうちに︑だんだん知恵を付け
ていくといいますか︑政治的な話ができるよ
うになってくる︒そういうプロセスが︑ドー
ストムの政治化につながったと思います︒
ですから︑現在の問題としては︑ターリバ
4 7 ‑
−ンがどういう国と︑どういうグループと︑
あるいはどういう人たちと接触していくか︑
それによって彼らが進む方向が大きく変わる
と思うのです︒法律をつくる段階においても︑
だれが︑どこが助言するかということが︑今
後のターリバーンの体制の方向づけの中で大
きな要因になると思います︒
江川旧ユーゴにおけるイスラームというこ
とをお答えします︒
先ほどお話ししましたように︑旧ユーゴに
おいてはオスマンの支配によってイスラーム
化が進んでいき︑現在は︑ポスニア・へルッ
ェゴヴィナにイスラーム教徒が非常に多く住
んでいる状況になっています︒
オスマンの支配以前は︑ここがローマとの
境界線であり︑もともとは東側がキリスト教
の正教の世界で︑西側はカトリックの世界で
あったわけですが︑そこにオスマンの支配の
過程でイスラームが入っていきました︒です
から︑ここはもともとキリスト教の世界の狭
間で︑信仰の希薄な地域であったという重要
な指摘がなされています︒
現代に入ってユーゴスラヴィアという国を
つくってからも︑もともと深い信仰に基づい ているわけではないということが指摘されています︒ポスニァのイスラーム化が進んでいく過程でも︑たとえば︑イスラーム教徒がマリア様を拝んでいる︑カトリックの人も拝んでいる︑正教の人もそのマリア様を拝んでいる事例があります︒
また一方では︑病気になったカトリック教
徒が︑イスラームのお坊さんにまじないをし
てもらって病気を治そうとしたという例が報
告されています︒そういう意味では︑ユーゴ
スラヴィァという地域は宗教的には非常に希
薄で︑もともとユーゴスラヴィアという地域
には︑むしろ土着の信仰のような形でわりと
何にでも転換できるような信仰の土壌があっ
たということが指摘されています︒
ボスニァのイスラーム化が進み︑ムスリム
人という民族概念がつくられたお話をしまし
たが︑彼らはもともと南スラブの民族でした︒
しかし正教を信じるセルビア人︑そしてカト
リックを信ずるクロアチア人︑スロヴェニア
人が︑自分たちのアイデンティティを民族と
して主張していく跨靜階で︑スラブ系のムスリ
ムもアイデンティティを求めたために︑結局
それが宗教としてのイスラームに自分たちが 帰属するしかないということになって︑ムスリム人という概念がつくられたわけです︒
ポスニァ・へルッェゴヴィナ紛争の過程に
おいても︑ボスニア・へルッェゴヴィナのな
かにもクロァチァ人とセルピア人がいて︑そ
してムスリム人がいるわけです︒そうすると︑
クロァチア人にはクロアチア共和国が︑セル
ビァ人にはセルビァ共和国が支援をするけれ
ども︑ボスニア・へルッェゴヴィナ内のムス
リムを︑国境を接して支援するムスリムの国
はありません︒ですから︑ムスリムの人たち
を誰が助けるのかということになって︑イス
ラーム諸国がここについてくるわけです︒そ
して︑さらにボスニア・へルッェゴヴィナの
多民族性が大事だと主張するアメリカがこち
らについたわけです︒
そういった意味では︑現在︑非常に政治的
な環境の中にイスラーム教徒が置かれている
と考えています︒ですから︑信仰というより
は︑むしろ政治的なアイデンティティのよう
な形で考えられていると思います︒答えにな
っていますでしょうか︒
参会者イスラームの原理的なものに︑たと
えば戦争を容認をするとか︑人を殺してもい
− 4 8
いとかという考えがあるので︑各地でそうい
う紛争が起こるのかどうか︒そういうことは
ありませんか︒
松枝それはまったくございません︒イスラ
ーム教徒の一つのイメージとして︑右手にコ
ーラン︑左手に剣︑というきまり文句があり
ますが︑コーランにそんなことは一切書いて
ありません︒これは西洋人の描いたイスラー
ム教徒のイメージです︒
カトリック︑あるいはキリスト教徒とイス
ラームとの戦いが︑たとえば十字軍などを通
じてイメージされていますが︑少し説明させ
てください︒
キリスト教の時代が長く続くなか︑七世紀
にムハンマドが︑﹁私は︑ユダヤ教︑キリス
ト教と続いた一連の神の言葉︑ただ一人おら
れる神の言葉を最後に聞いた預言者なんだ﹂
と啓示を受けます︒ですから︑コーランのな
かには当然モーセが出てきます︒モーセ︑ア
プラハム︑イエス︑ムハンマドという順なの
です︒
私があるアフガニスタン人に︑学生にコー
ランを教えるには何を読ませるのがいいだろ
うかと聞きましたら︑﹁モーセ五書﹂を読ま せなさいと言われました︒もちろん彼はイスラーム教徒です︒創世記︑出エジプト記と続く︑旧約聖書の最初の五冊︑これが﹁モーセ五書﹂です︒
初期のコーランには教友という言葉があり
ますが︑それはユダヤ教徒とキリスト教徒を
さします︒イスラーム教徒にとってユダヤ教
徒︑キリスト教徒は先薙なんです︒彼らは先
輩だけれども︑ムハンマドが最後の預言を聞
いたのだから︑ある意味でこの預言者は最新
情報で︑これが最後だと言うのだから︑最終
情報でもあるというわけです︒
そういう意味では︑イスラームとキリスト
とユダヤという三つの宗教は︑揮然一体とし
たものでもあって︑必ずしも互いに好戦的な
ことを書いてあるわけではありません︒ほと
んどは空想痔陶なイメージです︒
ただ︑一つ問題があって︑ユダヤ教という
のは民族宗教︑つまりユダヤの民の宗教です︒
ところがキリスト教とイスラーム教は世界宗
教で︑つまりムハマンドがアラビア人であろ
うが何人であろうが︑中国にもアメリカにも
アフリカにもかなりのイスラーム教徒がいる
わけです︒日本にもかなりイスラーム教徒が ふえてきました︒そういう意味では︑世界宗教であるものと民族宗教であることの差はあります︒
私が言うのは変ですが︑ポスニァ・へルッ
ェゴヴィナでムスリムの人びとが攻撃を受け
て︑なぜ攻撃されるのかと考え︑そのとき生
まれて初めてコーランを読んだというような
人びとがいるのです︒
あるいは︑彼らに自覚を促すために︑イス
ラーム世界から戦士がやってきた︒確証はあ
りませんが︑たとえばアフガニスタンのゲリ
ラが指導者として来たともいわれますが︑彼
らは武器を教えたのではなくてコーランを教
えた︑そうも聞いています︒
その意味では︑カトリックなどよりもイス
ラームのほうが︑はるかに寛容な宗教だと私
は思います︒ボスニアの過去の歴史で︑オス
マン帝国の中でも強制的に宗教を改宗させる
ということは一切なかった︒もちろん国家同
士ですから︑戦争を仕掛けるというより︑領
土拡張ということはありますが︑宗教を理由
にした領土拡張はほとんどありません︒
ただ︑あくまで悪意にみちたイメージはあ
りますし︑たとえばイランといえば原理主義
4 9 ‑
という名前がついてまわりますが︑それにも
いろいろなレベルがあります︒
クルド人の話で言えば︑ほとんどスンナ派
ですが︑一方にはシーア派という宗派があり
ます︒シーア派というのは︑ムハンマド直系
のアリーという人が暗殺されて︑それで家系
が途絶えてしまったのですが︑その人の道を
続けていこうと考えるグループです︒これを
シーアット・アリー︑アリーの道という意味
の言葉で呼び︑そこからシーア派と言うわけ
です︒これがイランのイスラームの中核をな
しています︒ですから︑かなり大きな違いが
あります︒
クルド人のなかにも若干シーア派がいます
が︑これはほとんどイラン・クルドです︒イ
ランに住むクルド人のある程度の数がシーア
派です︒
ただ︑クルド人問題に関しては︑あまり宗
教は問題になりません︒宗教は直接の問題で
はありません︒宗教の話であれば︑クルド人
であれ︑トルコ人であれ︑アフガニスタン人
であれ︑イラン人であれ︑同じように話がで
きます︒
彼らの問題は自分の土地がないということ です︒しばしば宗教という言葉のほうが前面に出てしまって︑むしろ問題の拡散に利用されているという側面がありますが︑現実に彼らがイスラームだから戦争をしているわけではありません︒むしろ︑イスラームに固有の問題のほうが今までいかに無視されてきたかということであって︑我々が知れば知るほど︑なぜ彼らのところばかり戦争があるのだろうかという疑問が重要になってくるわけです︒
ですから︑たとえばインドネシアなどもイ
スラーム人口の多い国家で︑世界で最もイス
ラームの人口密度が高いのは東南アジアで︑
中東ではありません︒湾岸戦争期に何度もメ
ディアに出てきたイラクの当時の外務大臣が
いましたが︑彼はキリスト教徒です︒そうい
うこともこの機会に学んでいただければ︑と
思います︒
参会者今︑世界的にイスラームだけが唯一︑
どんどん広がっていますね︒人口もふえてい
るし︑アフリカなどにも⁝⁝︒
松枝なかなか人口統計ではつかめない︒誰
が何の宗教を持っているかという統計はわか
りませんが︑最近では︑仏教徒などもふえて
います︒ 渋谷何教徒であるというのは︑時々難しいこともあると思います︒外から見るとイスラーム教徒のように見えても︑インドなどではヒンドゥー神殿に行ったりとか︑そういうこともしばしばあります︒それから︑本人たちは何教徒とか何宗教という︑そういう意識がない場合もかなりあるのではないでしょうか︒ですから︑その辺はすっぱり分けられないと思います︒
ちなみに︑日本人の私たちも何教徒という
意識があまりない人が多くて︑ただ︑外から
見ると日本人は宗教をやっているように見え
るかと思いますが︒
参会者西南アジアの勉強をしていますので︑
アフガニスタンに大変興味があります︒きょ
うはアフガニスタンの問題にかかわっていら
っしゃった山根先生に伺ってみたいことがあ
りますので︑よろしくお願いいたします︒
事実関係につきましては︑先ほどのご発表
でよく理解できましたが︑問題は︑今後アフ
ガニスタンがどうなるのか︑また︑どのよう
にすべきであるのかということかなと思って
います︒先生のご発表の中にもありましたが︑アブ
− 5 0
ガニスタンの問題は︑まさしく冷戦の落とし
子というか︑冷戦というものの中から生まれ
てきたような側面が多分にあります︒現在で
は︑それに周辺国の経済的な利害︑あるいは
政治的な利害というようなものが絡んで︑ア
フガニスタンの問題がアフガニスタンだけで
はとても解決できない︒たとえばターリバー
ンの問題にしても︑パキスタンがそれを生み
出したというようなことが盛んに言われてい
ます︒
簡単で結構ですが︑一つは︑国連を中心と
した働きかけというものが︑そういう面でど
のように行なわれてきて︑今どうなっている
のかをお聞きしたい︒私がその中で知りたい
のは︑国連およびアフガニスタンをめぐる周
辺国が︑アフガニスタンという国をどんなふ
うにしたいのか︒戦争を終わらせるというこ
とがもっとも大きな問題ですが︑戦争が終結
した後︑どんな国をつくるのか︒一番知りた
いのは︑国連がどういうビジョンを持ってア
フガニスタンの問題に取り組んできたか︑ま
た今後取り組んでいこうとしているのかとい
うことについて︑先生のご経験からお話をい
ただけたらと思います︒ 山根ご質問︑どうもありがとうございます︒
今後どうなるかということが予測できたら
いいのですが︑はっきり言ってどうなるかわ
かりません︒
それから︑国連は紛争の調停に取り組んで
いると思うのです︒国をどうこうしようとい
うのは︑内政干渉というか︑アフガニスタン
人に失礼な気がします︒どういう国をつくる
かは︑おそらくアフガニスタン人自身が決め
ることだと私は思っています︒それに向けて
まず内戦を終結させること︑紛争を終結させ
ることに国連は労力を費やしていると思いま
す︒私はそうあるべきだと思っています︒
周辺国の場合はそうではありません︒紛争
の調停に乗り出しているという大義名分の下
で︑実際はそれぞれの国の利害関係に合うよ
うな国家づくりを望んでいる︒
たとえばパキスタンの場合ですと︑アフガ
ニスタンの中を貫いて︑中央アジアとの大き
な経済ルートをつくりたい︑経済圏を構築し
たい︑といった意図があります︒イランにと
っては︑アフガニスタンの国内にいるシーア
派のグループの権限を守りながら︑同時に親
イラン系の政権ができてほしいと願うでしよ うし︑中央アジアの国々も︑ターリバーンが目指そうとしているイスラーム国家の建設というものを望んではいません︒むしろトルクメニスタンあたりは︑おそらくもう少し世俗的なものを望んでいると思います︒
では︑彼らは今後どうしたらいいのかとい
うことですけれども︑はっきりとはわかりま
せんが︑先ほどおっしゃった︑冷戦が終わっ
た後こういう問題が出てきたということを考
えますと︑彼らアフガニスタン人のアイデン
ティティの問題がかかわってくると思います︒
我々もそうですが︑いわゆるアイデンティ
ティが重層的になっているのです︒
たとえば自分でターリバーンだと思ってい
る︑私はターリバーンだと言っているけれど
も︑同時に私はパシュトゥーン人でもあり
アフガニスタン人でもある︒そしてムスリム
でもある︒
そうすると︑その人はアイデンティティの
いろいろなところを動いているわけです︒た
とえば私がターリバーンだというときには︑
反ターリバーンの連中と対立するわけですが︑
ターリバーンのグループだった人とラッバー
ニー派とかへクマティャール派の人たちがイ
5 I ‑
スラマバードで会うと︑手をつないだりする
わけです︒それから︑パシュトゥーン人とタ
ジク人とは︑アフガニスタンの国内だとけん
かをするかもしれませんが︑アフガニスタン
難民同士となると︑パキスタンの国内では︑
おれたちはパキスタン人にいじめられている
と︑一緒になってパキスタンの悪口を言って
いるわけです︒
同時に︑ムスリムというアイデンティティ
もありますが︑これによってアラブの連中が
加担している︒
冷戦構造のときには︑これらのアイデンテ
ィティのほとんどが隠れていて︑ソビエトに
対して︑彼らの中でアフガニスタン人という
意識が共通して︑そのアイデンティティのレ
ベルのところでソビエトと戦ったと考えられ
ます︒
おそらくはアイデンティティのこういうと
ころを行ったり来たりしているのでしょう︒
だからアフガニスタンがまとまるためには︑
すべてのアイデンティティの中の共通すると
ころを探すしかないような気がします︒
たとえばシンガポールですと︑インド系の
ヒンドゥーもいれば︑ムスリムもいれば︑ク リスチャンもいれば︑中国系もいる︒小国家だからできたのかもしれませんが︑宗教や民族を超えたところに都市の法律があって︑ムスリムであろうがヒンドゥーであろうが︑つばを吐いたら罰金というように︑すべてを超えたところに法律というものが歴然とあります︒それによって国家というものが成り立っている︒
だから︑解決の方法としては︑民族とか何
とかを超えたところにある体制を構築しない
とだめではないか︒ただ︑我々は助言はでき
ても︑それ以上干渉すると︑アフガニスタン
人たちがかえって反感を持つ可能性がありま
すから︑そこはなかなか難しいだろうと思い
ます︒
お答えになったかどうか⁝⁝︒
参会者そうしますと︑国連が今︑アフガニ
スタンについてやろうとしていることは︑ま
ず停戦させることであって︑そこから先に何
かビジョンをもって進むところまではいかな
いという理解になるのでしょうか︒
山根私はそう思っています︒
参会者たとえばターリバーンが国土のほぼ
九割︑ほとんどの部分を支配しているけれど も︑国連は依然として反対する各派の代表というものも引き込んで︑話し合いの場をつくるということを盛んに提案しているように︑報道からは読み取ることができますし︑最近たまたま読んだのですが︑ジュネーブで夏に行なわれた国連の人権委員会が︑人権を抑圧するような行動を取るターリバーン政権を認めないように︑各国政府に働きかけるべきであるというような声明を出しました︒
これは国連の人権委員会が出したというこ
となので︑そうすると︑私としては︑アフガ
ニスタンは何十年も戦争をしていて︑それも
アフガニスタン一国の問題ではなくて︑国際
社会がまさに生み出したような問題であるの
に︑国連の考えとか動きとがどうもよくわか
らないので︑その辺のことをもし何かご存じ
ならお伺いしたいと思います︒
山根確かに我々から見ると︑これまで自由
だった人たちが自由を奪われるということは︑
人権侵害というように受けとめてしまいます
が︑他方︑そうされていることを当たり前だ
と思っている人たちもいます︒我々がおかし
いと思っても︑彼らにとってはそれが当たり
前の生活だと思っているところがあります︒
− − 5 2
たとえば女性は外に出ないということ︑それ
を当たり前だと思っている︒我々はおかしい
と思いますが︑彼らはおかしいと思っていな
いのです︒
先ほど申しましたように︑カーブルの女性
たちは︑それまでスカートで自由に働いてい
ましたから︑その自由が奪われたということ
で︑国連などに訴えています︒それは間違い
ありませんが︑そういう人権侵害をなくさな
ければいけない︑なくして︑ああして︑こう
すれば国家として認めてやろうということに
なってくると︑アフガニスタンという国が誰
の国なのかわからなくなってしまいます︒
彼らがまず戦争をやめて落ち着けば︑おそ
らくその後に国連の仕事があると︑私は思い
ます︒国連はその後でいくらでも助言できる
と思います︒人権侵害の問題については︑国
連とか日本︑アメリカもそうでしょうけれど
も︑政府承認という問題でかかわってきてい
ると思います︒
政府承認の条件には︑それぞれの国の条件
がありますから︑そこは一概に言えないと思
います︒たとえばパキスタンはターリバーン
政府を認めていますが︑日本はまだ認めてな い︒だから︑それぞれの条件がありますし︑それぞれの国の事情がありますから︑女性が外へ出られないからこの国はだめだとか︑あながちそういうふうにも言えません︒そこが難しいところだと思います︒
国連はいまだにさまざまな会合にラッバー
ニー派の代表を呼んだりしているのですが︑
どういう基準でターリバーンのほうに移るこ
とができるかというのは︑私にはまだわかっ
ていないので︑お答えできません︒申しわけ
ありませんが︒
参会者お話︑どうもありがとうございまし
た︒
山根先生にちょっとお伺いしたいのですが︑
最近ターリバーンのことが新聞でもよく報道
されるようになりましたが︑新聞を読んでい
るとわかりづらいなと感じるところがあるの
です︒
ちょっと前の話になりますが︑アメリカが
ターリバーンの拠点とみなしているところに
爆撃を加えました︑アフガニスタン紛争のこ
ろだったら︑アメリカが武器支援や資金提供
などを行なうというようなことがあったわけ
ですね︒ それで︑今︑アフガニスタンとアメリカとの関係が悪いのかなと思ったら︑イランからはアメリカの手先というふうにみなされていたり︑そのようなことが言われているんですが︑きょう︑お話をお伺いして︑イスラーム教と言っても色合いというか考え方がかなり違うんだなということを教えてもらったと思うんですけれども︑ターリバーンとイランとの関係ということをちょっとお聞きしたいと思います︒
ちょっと前に︑武力紛争が起こるのではな
いかと報道されていましたが︑そういうふう
な中で︑アメリカとどう距離を保っていくの
か︑あるいはどう関係をつくっていくのか︑
そういうことも絡んでいるようですが︑アメ
リカの関与︑関与と言っても爆撃をしたりし
ていますが︑ターリバーンの人たちやイラン
の人たちから︑そういうのはどう見なされて
いるのか︑そういうことをお伺いしたいなと
思います︒
山根アメリカの︑ターリバーンヘの関与︑
あるいはターリバーンがアメリカとどうかか
わっていくのかという質問だと思いますが︑
まずターリバーンについて少しお話しいたし
5 3 ‑
ます︒
新聞でよく謎の集団と書かれている︑ター
リバーンというグループの元来の意味は︑ペ
ルシャ語でタリブ︑道を求める︑求道する学
生たち︑つまりイスラームの教えを学ぼうと
する人たち︑という意味の複数形です︒
この人たちは︑もともと自分たちの呼び名
を持っていなかったのです︒ほとんどがソビ
エトとの戦争に戦士として出ていった人で︑
戦争後︑共産主義政権に幕がおりたので︑そ
れぞれの田舎に戻っていきました︒
南部の田舎に戻っていって︑じゃあイスラ
ームでも勉強しようかと︑マドラサと呼ばれ
るイスラームの学院︑寄宿舎のようなところ
に入って勉強を始めました︒勉強をしていて︑
共産主義政権が終われば我々の理想の国家が
できるだろうと思っていたのに︑そうはなら
なかった︒
覇権を争い︑グループ間で対立し︑ムスリ
ム同士で殺し合っている︒これはイスラーム
に反するのではないか︑これではいけないの
ではないかというので︑当時︑アフガニスタ
ン南部のあたりでファトワー︵教令︶と呼ば
れるものが発表されました︒私はそのファト ワーの写しを持ち帰りましたが︑当時の多くのイスラームの指導者がサインをして︑パシュトゥー語で︑今行なわれている抗争はイスラームに反する︑だから我々はここで立ち上がらねばならない︑というファトワーが出されて︑そこで決起したわけです︒
ターリバーンは元兵士ですが︑戦争の経験
はそれほどありません︒
ところが︑パキスタンがへクマティヤール
派というグループを支援していたのですが︑
ちょうどこの時期︑両者の関係がうまくいっ
ていなかったのです︒
しかもそのころ︑パキスタンでは政権がか
わって︑ベナジール・ブットーという女性の
首墨柑券ア中心にした連合政権になりました︒自
分たちの党だけではうまくいかないものだか
ら︑ターリバーンの核たるグループと思想的
に同じであるウラマー党という宗教政党を連
合政権に入れたわけです︒
ウラマー党は与党の中に入ったので︑自由
に動けるようになった︒ウラマー党が自由に
動けるようになった上に︑ブットー政権の内
務大臣で国境警備隊を糧禅する立場にバーブ
ルという人がいました︒この人はパシュトゥ −ン人だったので︑自分の影響力を使って︑ウラマー党と一緒になってターリバーンに対してかなりの支援を送ったと言われています︒
最近では︑資金などに関する研究が出てい
まして︑何月に幾ら︑ターリバーンに資金を
払ったとか︑額面が実際に出ている論文もあ
ります︒
ですが︑ターリバーンは決してパキスタン
の塊偲ではありません︒これはアフガニスタ
ンのすべてのグループについて言えることで
すが︑アフガニスタンのすべての政党︑すべ
てのグループは周辺国との関係を持っていた
り︑支援を受けたりしていますが︑決して塊
陽ではない︒
もちろんお金も要りますし︑政治的な支援︑
経済的な支援は必要です︒
たとえばターリバーンの兵士が現在仮に二
万人いるとすると︑毎日二万人に食事を与え
なければいけない︒一人一日一リットルか二
リットルの水を飲みますし︑小麦を何百グラ
ムか摂る︒ターリバーン単独では︑その兵姑
だけでも不可能なわけです︒それをだれがや
るかといえば︑やはり周辺国に頼らざるを得
ない︒だからそこを人道的と称して︑周辺国
− 5 型
が支援を行なっているわけです︒
イランとしては︑パキスタンが単独で支援
できるはずはないから︑蔭に絶対アメリカが
いるに違いない︑あるいは蔭にサウジがいる
に違いないと言っているわけです︒
ターリバーンは︑確かに支援を受けていま
したが︑勢力が大きくなってくると支援が必
要なくなってくることもあります︒彼らが支
配したおかげで︑その地域から山賊がいなく
なって非常に通行しやすくなった︒するとそ
こにいる商人たちが︑ターリバーンに寄付を
するわけです︒この寄付はチャンダーと呼ば
れていて︑ターリバーンはちゃんとレシート
も出しています︒寄付によって︑ターリバー
ンの財政が多少は潤ってきた︑そういうこと
も絡み合って︑ターリバーンが大きくなって
いるのです︒
武器援助については︑パキスタンはおそら
く兵器の部品を援助しているのだろうと思い
ます︒新しい兵器が押収されて︑そら見ろ︑
パキスタンの武器が入ってきているじゃない
かと言われれば︑パキスタンとしては国際的
に言いわけができませんから︑部品を援助す
る︑あるいは壊れているヘリコプターを修繕 させる︑そういうことによって支援をしているのだろうと考えられます︒
繰り返しますが︑だからといってそれがパ
キスタンの塊偶になっているということでは
ありません︒現在では︑パキスタンとターリ
バーンとの対立も明らかになっていますし︑
アメリカとターリバーン︑あるいはターリバ
ーンとイランの関係が複雑に見えるのも︑タ
ーリバーンがどこの国の﹄鰹撮でもないという
ところから︑おそらく複雑に映るのだろうと
思います︒
もう一つは︑先ほど申し上げましたように︑
ターリバーンそのものが︑我々はこの問題に
はこう対応するという政策を掲げていないこ
とが挙げられます︒ある事件が起これば︑場
当たり的にそれに対応している︒すべてはイ
スラームに基づいていく︑ということばかり
言っている︒
つまり︑アメリカに対してこういう政策を
行なうとか︑イランに対してこういう政策を
行なうという所信表明のようなものがまった
く出てないわけです︒ですから︑ターリバー
ンは自由に動くことができますし︑他方︑外
からは非常につかみづらい存在に見えます︒ ターリバーンは︑これまでは和平調停のために国連や外交団と会ってきましたが︑今回のようなイラン人の殺害事件やアメリカの空爆事件で︑内戦以外のことで初めて政府としての対応を迫られたのです︒そういうときに彼らがどう反応するのか︒現在明らかになっていることは︑やはりカーブルの政府では対応しきれなくて︑カンダハールのウマルを中心としたグループが︑いつも新聞などで何らかの対応を行なっているにとどまっている︑ということです︒このことは︑ターリバーンの内部の体制がきちんと確立されていないことを露呈してしまったと︑私は考えています︒だからこそ非常につかみにくい存在なのかもしれません︒司会ほかにいかがでしょうか︒村山和之きょうの発表を大変興味深く聞かせていただきました︒私は南西アジアのほうに興味をもっていますが︑クルドについてお伺いしたいと思います︒
先ほどの民族分布図を見ると︑クルド族が
かなり広い範囲に広がっているように思いま
す︒私はパキスタンの一番西のほうのバロー
チスターンに何度か行きましたが︑そこで何
5 5 − −
人ものクルド族とあった経験があります︒
私がパキスタンに行ったときはちょうど湾
岸戦争が終わった後で︑たくさんのクルド人
難民がイラクからイランを命がけで抜けて︑
バローチスターン州の州都のクエッタに来て
いました︒
彼らは国連難民高等弁務官事務所に駆け込
んで難民認定の審査を待っていたり︑バザー
ルで働いていた人たちです︒ここで面白いの
は︑伝承によると何千年か前に古代クルド族
の移住とともにやって来たバローチスターン
のバローチ人クルド族に︑国連の難民認定審
査のある段階で︑イラク人クルド族の相談役
をさせるというのです︒バローチスターン
︵バローチ族の土地︶もクルディスタンと同
様に︑意に反して引かれた国境線によって︑
アフガニスタン︑パキスタン︑イランに民族
が分断されているという共通項がありますが︑
そのクルド族の遠い子孫が大クルディスタン
の飛び地にバローチ化しながら︵両民族の言
語は最も近い︶生き残っているとイメージす
れば良いでしょうか︒何千キロも何千年も隔
たってお互い交流もなく生きてきたとはいえ︑
バローチ人の中のクルド族は︑イラクのクル ディスタンから来た人たちを非常に温かく迎えて︑クルドの同胞が困っているから私たちが助けるという︒
私がお聞きしたいのは︑たまたま困ってい
るから起きた例かもしれませんが︑飛び地に
いるクルド人たちがどういうネットワークを
持っているのか︒いまだにクルドの故地とい
うものがあるのなら︑散らばっていったクル
ド人たちがそこに抱いている思いはどうなっ
ているのか︒あとは散らばったクルド人同士
に︑どういうネットワークがあるのか︑とい
うことです︒参考になるようなことがあった
らお聞きしたいと思います︒
松枝それは村山先生のほうがよくご存じの
はずでしょう︵笑い︶︒ですが︑わざわざ私
がレジュメのなかにインターネットのアドレ
スをいくつか書いておいたのは︑膨大な量の
クルド人のインターネット・サイトがあるこ
とを知っていただきたかったからです︒支援
グループのサイトもあるし︑クルド人が自分
でつくっているサイトもあります︒
それから︑メド・テーベー︵MD・TV︶︑
メドというのは中近東をあらわしますが︑メ
ド・テーベーというテレビ局があります︒こ れは衛星放送ですが︑完全にクルディスタン︑クルド人支援のための番組だけを流す︑そういうテレビがあります︒
また︑パレスチナとその周辺のさまざまな
運動組織︑合法化されたもの︑非合法化され
たものを問わず︑政治活動を行なっているさ
まざまな組織と非常に強固なネットワークを
組んでいます︒国家がないということが︑逆
にそういうネットワークを強力に構築しよう
とする傾向をうながしていて︑現在ではパリ︑
ベルリン︑ロンドン︑ニューヨークを中心に︑
大きなネットワーク組織ができていると聞い
ています︒
日本からアクセスしやすいのはやはりイン
ターネットですが︑ここでも広い範囲の情報
をカバーしています︒
ついでに申し上げますと︑クルド人だから
クルド解放を望んでいるかというと︑そうで
はない人たちもいます︒あるいは︑反対の動
きを強制されている人びともいます︒たとえ
ば︑キョイ・コロジラールというグループが
ありますが︑キョィ宍ご︶というのは村を
意味するトルコ語で︑つまり村畢洛自警団とい
う意味なのですが︑これはすべてクルド人で
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