会 紛 争 の 一 考 察
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(2) ︵2︶. 早稲田法学会誌第三二巻︵一九八一︶. ︵4︶. ︵5︶. ︵3︶. 一〇〇. た入会権法学は︑多くの卓抜な研究者によって︑理論・実態の両面に渡り蓄積が為されてきた︒とりわけ︑入会権の. 歴史的研究および﹁生ける法﹂研究の集積を無視しては︑入会権法学は一歩も前進することができない︒しかし︑殊 ︵6︶ に入会権の理論面については︑法社会学的にも法解釈学的にも︑不充分な点が多々あることは否めない︒入会権法学 の現代的課題を析出し︑若干の理論的提言を行なってみたいと考える所以である︒. 紛争のある処に初めて法が意識されるように︑入会権理論についても︑入会紛争の生起を侯って初めて検討さるべ. き問題が自覚されるということがしばしばある︒筆者も︑本事例の実態調査を通じて︑ともすると机上の空論に止ま. りがちな入会権理論について︑種々の有益な示唆を受け︑再考を促された問題も多い︒法理論が﹁事実﹂から学ぶこ. との重要性は︑いくら指摘しても足りないくらいである︒しかし︑また単純な﹁事実﹂拝脆︵素朴実在論的立場︶に. 陥ってはならないことも云うまでもない︒一度でも真摯な﹁事実﹂の把握を試みた人は︑けっして﹁事実﹂があたか. も手に取って見られるような明白な形で存在するものではない︑ことに気付くであろう︒例えば︑裁判の基礎となる. ﹁事実﹂が︑生の﹁事実﹂ではなく︑訴訟技術によって濾過され︑加工された﹁事実﹂であるということは︑裏から ︵7︶ 見れば︑﹁事実﹂の探索・認定がいかに困難であるかを立証している︒﹁事実﹂の把握とは︑無限に深長な現実の一部. 分を切り取ったにすぎないということを︑我々は自戒しなければならない︒特に入会権については︑慣習規範の認定. という困難な課題が伏在しているだけに︑問題は一層深刻にならざるを得ない︒この点に関しては︑以下の節でも折 りを見て触れることになろう︒. 入会が多くの法社会学研究者の関心の的となってきた理由として︑第一に︑それが﹁生ける法﹂と国家法との関係.
(3) という法社会学固有の課題にとって︑最も典型的な素材を提供するものであること︑第二に︑それが明治以降の日本. 社会の近代化という間題の究明の手掛りとなり得ること︑第三に︑入会は︑民法により慣習が国家法としての効力を ︵8︶. 持つ︵二六三︑二九四条︶とされているために︑﹁生ける法﹂研究が直ちに国家法の解釈の基礎となり︑法社会学研究. が直接に法解釈学に寄与するという関係があること︑が挙げられる︒しかしながら︑まさに第三の点に︑入会権研究 ︵9︶. に固有の陥穽があるような気がする︒一般に︑確かに﹁生ける法﹂の存在が解釈の基準となることは多いが︑法社会. 学の成果が直ちに解釈論に結び付けられ得るかは疑問である︒つまり︑入会権研究においても︑法社会学と法解釈学. の緊張関係は︑安易に等閑視さるべきではない︑ということである︒これも︑筆者が本事例の実態調査に際して︑示. ︵1︶. ﹃注釈民法①﹄五〇一−五〇六頁に掲げられた文献を参照されたい︒但し︑その後も重要な文献が続々と発表されてい. 栗本慎一郎﹃法・社会・習俗﹄二九頁の指摘を参照︒. 代表的な研究として︑川島・潮見・渡辺編﹃入会権の解体﹄1︑五︑皿︒. 唆された問題の一つである︒. ︵2︶. 代表例として︑石井良助﹁中世に於ける入会の形態﹂﹃法学協会五十周年記念論文集第一部﹄所収︑中田薫﹁徳川時代に. る︒. ︵3︶. ︵4︶. 入会権法学の現状について︑川島﹁入会権研究の現状と問題点の〜㈲﹂﹃ジュリスト﹄六八二︑六八三号参照︒. 最近の研究として︑黒木・熊谷・中尾編﹃昭和四九年全国山林原野入会慣行調査﹄︒. 孝﹃入会の研 究 ﹄ 等 ︒. 於ける村の人格﹂︑同﹁明治初年に於ける村の人格﹂︑同﹁明治初年の入会権﹂︑何れも﹃法制史論集第二巻﹄所収︑戒能通. ︵5︶. 一〇一. この点につき裁判所を舌鋒鋭く論難するのが︑﹂・フランク﹃裁かれる裁判所ω﹄古賀正義訳︑二二頁以下︒. ︵6︶ ︵7︶. 入会紛争の一考察︵大野博実︶.
(4) 早稲田法学会誌第三二巻︵一九八嚇︶. 一〇二. 五十嵐清﹁民法と法社会学﹂﹃民法学の基礎知識ω﹄四二−四三頁︒なお︑渡辺﹃法社会学と法解釈学﹄も参照︒. 渡辺洋三﹁入会・水利﹂﹃法社会学講座7・社会と法1﹄二五三−二五四頁︒. 二 千葉県成田市江弁須における入会紛争の概況. ︵8︶. す. ︵9︶. び. 江弁須は︑総戸数四七︑うち農家戸数約二〇︵兼業農家がほとんどである︶から成る集落︵大字︶である︒新勝寺. え. を中心とする成田市街地から南西に約三キロメートルの所に位置する閑静な田園地帯であったが︑昭和五三年に新東. 京国際空港が開設されて以来︑都市化の波が押し寄せ︑激増する転入者のために︑江弁須地区の一部を含めて﹁ニュ ー・タウン﹂が整備されつつある︒. 江弁須には︑三箇所の入会地︵または共有地︶が存在したが︑その沿革は明らかではない︒しかし︑これらの土地. に関する︑明治二七年二月二〇日付の古文書が発見されている︒それによれば︑これらの土地は﹁共有地﹂と称さ. れ︑地区住民もそのように呼び慣わしてきた︒また︑当該古文書には︑﹁平等持﹂として︑代表者外二〇名の名が連. 記されている︵明治二七年当時︑江弁須には一二戸しか居住していなかった︒現在では︑うち一戸が廃戸となり︑五. うますてぱ. 戸が地区外に転出している︒従って︑現存の四七戸のうち︑旧戸は一五戸であり︑他の三二戸は新戸ないし分家であ る︶︒. ﹁共有地﹂の一つである﹁馬捨場﹂︵かつて艶牛馬の死骸を捨てた場所︶は︑﹁ニュi・タウン﹂の造成のため︑数. 年前に既に県に売却されている︒﹁馬捨場﹂は︑登記簿上二一名の記名共有になっており︵表題部登記と思われる︶︑.
(5) 古文書の所有者名とも一致していたため︑単なる共有地として︑売却代金は二〇名の間で分配され︵廃戸になった一 戸を除き︑転出した五戸を含む︶︑入会権の存否は問題にならなかった︒. しかるに︑本年︵昭和五六年︶一月︑﹁ニュー・タウン﹂取り付け道路︵市道︶の拡幅工事のため︑残存﹁共有地﹂. の一つの一部六四がが市に買収されることになった︒本件土地には︑道祖神等が祀られており︑数個の石祠が点在す. るだけで︑何らの収益も生じない︒当該土地については表示登記が為されているが︑それによると︑面積二八四m. ︵実測では若干減少している模様︶︑地目は山林となっているが︑実際には灌木・雑草類が繁茂しているにすぎない︒. 表題部の所有者名義は﹁○○○○○外二十人﹂となっている︵古文書の代表者名とは異なる︶︒. さて︑本件土地の買収に当たった成田市都市計画課と江弁須地区との交渉の過程で︑地区住民の間に︑売却代金の. ︵江弁須地区内に在住する旧戸の関係者のみによる︶︒それによれ. 使途︑権利者の範囲︑および転出者の処遇等について︑意見の相違が生じ︑さらに一部の者から入会権の主張が為さ れた︒そのため︑数回に渡って︑寄合が催された. ば︑先ず売却代金の扱いについて︑ω代金総額を全部地区に入れる︑@一部を地区へ︑一部を各戸に配分するが︑そ. の場合︑①必要経費を除いて残金を地区に入れるか︑②または最初から地区に入れる分と各戸に配分する分を割合を. 定めて計算する︑のハ各戸に配分する︑という四つの方式が提唱された︒そして︑これに関連して︑本件土地は入会. 地であり︑地区住民全員の総有に属するから︑売却代金も地区全体のものである︵ωの方式︶との主張が為され︑単. なる共有地と解する者との間に対立が生じた︒入会権の主張をする者によれば︑次のようなことがその根拠として挙. 一〇三. げられた︵弁護士の助言を受けたとのことである︶︒①今日まで︵所有権の︶権利主張をした者はなかったし︑また 入会紛争の一考察︵大野博実︶.
(6) 早稲田法学会誌第三二巻︵一九八一︶. 一〇四. それができなかった︒②古文書の所有名義人の中で︑今日まで相続の対象としてその主張をした者はいないし︑また. 相続した者もいない︒③その所有名義人で構成する団体の一員で︑分割請求や処分を主張する者もなかった︒④所有. 名義人や地区住民が︑立場の違いがあるにもかかわらず︑共同して管理︑運営に当たってきた歴史的事実や経過︑背. 景がある︒⑤その団体は地区内に居住する者が利用するという目的をもって作られたと推測され︑所有名義人が地区. 外に居住した時点で︵入会権者としての︶資格は喪失するもので︑それらの者の権利主張は当たらない︒⑥共有地で. あっても︑所有名義人の外︑他の多くの地区住民が利用し︑使用していても︑異議は出されなかった︒これに対し︑. 単なる共有地と解する者は︑所有権が時効消滅しない以上︑地区外への転出者にも所有権︵持分権︶がある︑本件土. 地の権利者︵共有権者︶は︑古文書の所有名義人の相続人︵旧戸︶に限定される︑﹁馬捨場﹂が古文書に照らして単. なる共有地として処理されたのだから︑本件土地も同様に処理されるべきである︑仮に入会地としても︑それに関す. る慣習がないか︑または不明確である︑と主張した︒また︑売却後の残地二二〇mの維持︑管理の間題︑保存登記の 可否︑方法等も議論された︒. かくして︑その後︑売却代金は個人に分配するのではなく︑地区全体の利益につながるように扱えば︑今後に問題. を残さなくてよいであろう︑また転出者の同意を得なければ公明正大ではないので︑一言了解を得るべきだ︑という. 点で妥協が成立した︒そして︑最終的には︑売却代金を公民館建設費用に充てることで合意し︑転出者にも連絡を取. ってその同意を得た︒なお︑残地については︑分筆の手続が採られただけで︑改めて保存登記は為されなかった︒. ﹁共有地﹂は市街化区域内にあるため︑今後も同様の紛争が生起する可能性は充分ある︒それだけに︑﹁共有地﹂の.
(7) 法的性質について明確な結着が付かなかった点に︑危惧の念が残る︒しかしながら︑江弁須地区の住民は︑法的結着. 現代的入会と紛争. を付ける危険を冒すよりも︑むしろ共同体の安定と再統合を図る途を選んだのだ︑と考えるべきなのかもしれない︒. 三. 戦前の入会紛争の圧倒的多数は外部関係の事件︵入会集団対入会集団︑入会集団対公権力︑入会集団対入会地盤所 ︵1︶. 有者︑入会集団対︹入会地盤所有者でも入会集団構成員でもない︺アゥトサイダー︶であったが︑戦後になると内部. 関係の事件︵入会集団対構成員︑構成員対構成員︶が激増していると云われる︒これは︑入会集団の内部統制の機能. 不全︵共同体的諸規制の弱体化︶の結果生じたものであると思われる︒もっとも︑それらの諸研究は︑入会に関する. 裁判例の一部を素材としたものであり︑実際に生起した入会紛争の頻度を示すものではない︵そもそもどのような具 ︵2︶ 体的事実がある場合に入会紛争が存在すると認むべきか︑という問題がある︶︒しかし︑少なくとも入会紛争のうち. ︵3︶. 特に深刻な利害ないし見解の衝突を含むものが裁判所の﹁事件﹂として現われてくるのであろう︑ということは推測 できる︒. 江弁須における紛争は︑集団内部における旧戸対旧戸の見解の対立であり︑内部関係の紛争に多く見られる︑旧戸. 対新戸の争いではないが︑戦後の入会紛争の現代的特質を顕現する一例であることは確かであろう︒この紛争は︑結. 局訴訟にまで至らずに終結したが︑その理由としては︑紛争が旧戸対旧戸の間に止まり︑新戸ないし分家︑および転. 一〇五. 出者が積極的な権利主張をしなかったため︑深刻化しなかったこと︑経済的利害の対立というよりも︑むしろ単なる 入会紛争の一考察︵大野博実︶.
(8) 早稲田法学会誌第三二巻︵一九八一︶. 一〇六. 見解の対立にすぎなかったこと︑共同体内部の紛争は︑国家法による解決を求めて裁判所に持ち込むのではなく︑共. 同体内で自主的に解決することが︑後に禍根を残さないでよいと意識されていたこと︑等が挙げられよう︒しかしな. がら︑この紛争は︑地区内に現存する﹁共有地﹂について︑初めて入会権の存否が問われる契機となったという意味. で︑地区住民の法意識に衝撃を与えたものであると同時に︑我々にとっても入会権に関する基本的な問題を再考させ. る好個の事例であると思われる︒特に︑本事例では︑当該土地が︑部落住民全体の共有の性質を有する入会地である ︵4︶ か︑それとも名義人︵旧戸︶だけの単なる共有地であるかが︑中心的な争点となっている︒かかる問題について︑判 ︵5︶. 例は︑権利を有する者が特定している場合には︑そのことのみを理由として︑︵共有の性質を有する︶入会地ではな. く共有地である︑と解する傾向が強い︒学説は︑入会的規制が消滅すれば︑入会権は消滅し︑共有の性質を有する入. 会地にあっては純然たる民法上の共有地となり︑共有の性質を有せざる入会地にあっては︑土地所有者との純然たる. 契約利用地ないしは地上権もしくは賃借権等の準共有地となるとする︒そして︑その判別の指標として︑①持分権. ︵使用収益権︶者が確定かつ固定している︵多くの場合︑地盤所有名義人と一致している︶こと︑②権利の売買譲渡. がまったく自由であること︑③権利を有する者が当該地域︵部落︶外に移転してもその権利を有すること︑④権利を. 有する者以外に使用収益されていないこと︑⑤共同利用の場合その収益が権利者のみに個人分配され︑部落の公共費 ︵6︶ 等に充当されないこと︑⑥権利を有する者が一世帯一人にかぎられないこと︑を挙げる︒この指標は︑本事例の判別. にも利用することができよう︒ただ︑江弁須では︑かつて入会権の存否が問題になったことはなく︑権利の新規取. 得︑権利の譲渡︑権利の喪失等についての慣習が存在しないか︑または不明確である︒しかも︑本件土地は土俗的信.
(9) 仰の対象になっている場所であり︑特定の使用収益行為が行なわれていないという特異なケースである︵やや類似し ︵7︶. たケ:スとしては︑墓地があるが︑墓地では埋葬という使用行為が行なわれる点で︑相異なる︶︒もっとも︑入会権. の使用収益の内容には別段の制限はないのだから︑この点だけで入会地でないと断ずることはできない︒江弁須で. は︑本件土地の管理・維持が地区全体で為され︑一年に一回程度︑住民総出で下草刈りが行なわれていた︒また︑前. 述したように︑信仰の対象たる場所であったために︑地区住民の側からその処分や分割請求が主張されるようなこと. はありえなかった︒しかし︑市による買収計画が決定され︑その買収金額が提示されるに至って︑初めて入会権の存. 否を巡る紛争が生じたのである︒そして︑本件土地の売却自体について︑反対する者はいなかった︒市側にとって ︵8︶. は︑本件土地が入会地であろうと共有地であろうと差し支えなかった︵仮に入会地であったとしても︑入会権者は売. 却に伴い事実上入会権を放棄したと解しうるから︑後に問題は残らない︶︒ただ︑権利者の範囲の確定等の問題があ るため︑市側は地区住民に下駄を預けたものと思われる︒. 間題は︑仮に入会地であるとすれば︑その慣習が明確ではないということである︒確かに︑慣習のないところに入. ︵9︶. 会権は存在しない︒しかし︑慣習規範は︑違反とそれに対する反応︵サンクション︶とによって動的に機能している. ものであり︑民法が入会権の法源として承認しているところの﹁慣習﹂は︑特定の土地についての入会の慣行の存在. を内容とするものであることを要せず︑入会主体ーすなわち総有的法律関係の主体ーとしての適格を有する仲間 ︵10︶ 的共同体の存在を内容とするものであれば足る︑と解される︒もっとも︑本事例のように︑当該の入会権の具体的な. 一〇七. 間題に関する具体的な慣習が確認されない場合には︑総有的権利関係の一般原則や︑多くの入会権に共通する一般的 入会紛争の一考察︵大野博実︶.
(10) 早稲田法学会誌第三二巻︵一九八一︶. ︵11︶. 一〇八. な慣習等を顧慮して判断すべきであり︑入会権とは異質的な権利たる共有や地役権についての規定を適用ないし準用. してはならない︑とされる︒しかし︑﹁総有的権利関係の一般原則や︑多くの入会権に共通する一般的慣習等﹂と云わ. れるものが︑依然として必ずしも明確ではなく︑共同体住民の予測可能性を甚だしく害する︵これは︑筆者が︑本事. 例の実態調査に際して︑痛感したことである︶︒思うに︑入会地であるか共有地であるかは︑法的構成のレベルでは ヤ. ヤ. ヤ. 大きな差異があるが︑実態としては両者の差異はかなり流動的であると云わざるを得ない︒けだし︑入会地であろう. と共有地であろうと︑共同所有関係に共通する何らかの団体的規制が事実上働いていることは否めないし︑まして入. 会集団の共同体的諸規制が弱化し︑構成員の持分が顕在化しつつある現代では︑両者の懸隔は一層縮まってきている からである︒. ところで︑入会集団の構造的特質の一つの表われは全員一致の原則であるとされる︒即ち︑入会集団においては︑ ︵12︶. 集団としての統一性固昌虫けと構成員の多数性︵複数性︶く一Φ一箒律とが分化しておらず︑集団としての統一性は集 ︵13︶. 団構成員の全員の意思決定そのものにほかならない︒入会集団は︑かかる特質に着目して︑﹁実在的総合人﹂お巴①. O①ω曽BεRω9と呼ばれるのである︒さて︑江弁須の事例では︑寄合は地区内に在住の旧戸の関係者のみで構成さ. れていた︒入会権者︵または共有権者︶の範囲を旧戸のみに限定すれば︑手続的に問題はないが︑入会権者の範囲を. 新戸ないし分家の全部または一部に拡大すると︑この寄合の決定は全員一致の原則の要件を充たさないことになる︒. 結局︑入会地としても︑入会権者の範囲の確定が問題になるが︑前述したように︑新戸ないし分家に権利の新規取得. を認めたというケースがなく︵新戸ないし分家も本件土地の下草刈りに参加しているのだから︑黙示の承認があった.
(11) と云えなくもない︒もっとも︑入会権者になっても︑特定の収益行為を行なうわけではなく︑ただ管理・維持の義務. が課せられるだけである︶︑また転出者の権利の喪失を明確に決定したケースもない︵ただ︑地区外に転出してしま. えば︑事実上本件土地の管理・維持に参加することは不可能となる︶︒さらに︑本件土地は固定資産税を課せられて. いなかったとのことであり︵理由は不明︶︑それゆえ経済的負担の分担は問題にならず︑従ってそれと対価関係にあ. る権利意識の明白な覚醒が︑新戸ないし分家はもちろんのこと︑転出者を含めた旧戸にもなかったものと思われる︒. さて︑民法は入会権を﹁共有ノ性質ヲ有スル入会権﹂と﹁共有ノ性質ヲ有セサル入会権﹂とに分類しているが︑両. 者の区別は︑入会地盤所有権の帰属如何によって決すべし︑とするのが判例・通説である︒しかし︑例えば︑入会権. 者の範囲と地盤所有権者の範囲が部分的に一致しない場合︑﹁共有−性質ヲ有スル入会権﹂と解するのか︑﹁共有ノ性. 質ヲ有セサル入会権﹂と解するのか︑が間題となろう︒両者の区別についてはなお再検討の余地があるが︑かような. 場合は︑むしろ素直に両者の中間的形態と解することも論理的には可能ではないだろうか︵この問題については︑後 節で検討したい︶︒. ︵14︶. もっとも︑登記名義にかかわらず︑現在の入会集団構成員は等しく入会地盤の共同所有権を有し︑入会集団構成員. でなくなった者は共有名義人ではあっても︑入会権者ではなく入会地盤所有権を有しない︑と画一的に解すれば︑入. 会権者の範囲と地盤所有権者の範囲の部分的不一致というケースはありえないことになる︵従って︑地盤所有権が入. ︵15︶. 会権利者集団とは全く別個の集団または個人に属する場合以外は︑すべて﹁共有ノ性質ヲ有スル入会権﹂だというこ. 一〇九. とになる︶︒しかし︑入会権者がすべて地盤所有者であるというヶースは必ずしも多いとは云えないと云われる︒結 入会紛争の一考察︵大野博実︶.
(12) 早稲田法学会誌第三二巻︵一九八一︶. 一一〇. 局︑登記に公信力がない以上︑登記簿上の所有名義人が必ずしも真実の所有者ではないのだから︑真実の所有者︵共. 有権者︶が誰であるかは︑慣習を手掛かりとしてケース・バイ・ケースで︑実質的に判断する外ないだろう︒. なお︑本事例のように︑転出者の権利喪失について明確な慣習がない場合には︑転出者にも連絡を取って権利主張. 穂積忠夫﹁入会に関する戦後判例の検討﹂﹃法律時報﹄三一巻一三号︑中尾英俊﹁入会権と裁判﹂﹃法社会学﹄二一号︑川. の機会を与えるべきであろう︵実際にそのように処置したが︑転出者は何らの権利主張もしなかった︶︒. ︵1︶. ︵2︶. 入会権の法律的問題の所在やその内容を知るためには︑建物・動産・金銭等が︑︑Oo器目εo誘自︑.たる地域共同体の支配. 川島﹁前掲論文﹂五二頁︒. 紛争とはどういう社会的現象なのかについて︑千葉正士﹃法と紛争﹄五四頁以下参照︒. 島武宜﹁最近における入会紛争の特質﹂﹃現代法ジャーナル﹄一号参照︒. ︵3︶. に服している場合や︑また当事者︵特に行政庁︶が入会を認めることを拒否している権利関係︵たとえば︑公有地入会権︶. ︵4︶. いは﹁入会﹂とは考えられてこなかった種類の権利関係に関する事件をも収録している︒川島﹁入会と入会判決㊦﹂﹃社会. を視野に入れる必要があるとして︑川島監修・北條編﹃大審院最高裁判所入会判決集﹄は︑従来は﹁入会﹂とは呼ぽれず或. ﹃注釈民法ω﹄五六二頁︒. 科学の方法﹄一九七八年一二月号一七頁︒この﹃判決集﹄を見ると︑入会地か共有地かが争われた事例が少なからずある︒ ︵5︶. 大判大六・一一・二八民録二三輯二〇一八頁︑﹃入会判決集第一二巻﹄一〇七頁︒ ﹃注釈民法①﹄五七九︑五八一頁︒. ﹃同﹄五七九−五八一頁︒. 川島﹁近代法の体系と旧慣による温泉権﹂﹃法学協会雑誌﹄七六巻四号四六二頁参照︒. ︵6︶. ︵8︶. ﹃注釈民法ω﹄五二三頁︒. ︵7︶. ︵10︶. ︵9︶.
(13) ︵11︶. 川島﹁最近における入会紛争の特質﹂﹃現代法ジャーナル﹄一号五四頁︒. ﹃同﹄五二五頁︒. ここで挙げられている︑最判昭四三・一一・一五判時. ﹁実在的総合人﹂の概念について︑中田薫﹁徳川時代に於ける村の人格﹂︑同﹁明治初年に於ける村の人格﹂﹃法制史論集. ︵12︶. ︵13︶. 遠藤浩他編﹃新版民法②物権﹄二八五−二八六頁︵中尾︶︒但し︑. 第二巻﹄所収を参照︒. 五四四号三三頁︑最判昭四〇・五・二〇民集一九巻四号八二頁は︑一般論としてではなく︑ただ慣習の存在等の事実認定に. ︵14︶. 中尾﹃林野法の研究﹄一〇七頁︒. 基づいて︑かように解しているにすぎない︒. ︵1︶. 四 おわりにi入会権法学の課題 歴史的研究 の 課 題. ︵15︶. ω. 入会権は﹁封建時代の遺制﹂だ︑と云われる︒しかしながら︑現在の歴史学においては︑﹁封建制とは何か﹂とい ︵2︶. う間題の再検討が叫ばれている︒日本︵ないしアジア︶における﹁封建制﹂を如何に把えるかという問題もあるが︑ ︵3︶. むしろ﹁封建制﹂あるいは﹁封建的生産様式﹂の存在そのものを疑う議論も出てぎている︒これは︑ひとえに﹁封建. 制﹂概念のあいまいさの故であり︑その理論的検討が焦眉の課題となっている︒それだけに︑入会権を﹁封建時代の ︶. ︵4︶. ︶. 遺制﹂として片付けるのではなく︑まさに﹁封建制﹂そのものとの内在的関連の把え返しによって入会権の法的また. 一一一. は実体的性格を究明することが必要であると思われる︒その場合︑入会権の起源︑即ち﹁公私共利﹂から入会権への 転化について︑理論的実証的に検討することも重要であろう︒ 入会紛争の一考察︵大野博実︶.
(14) 早稲田法学 会 誌 第 三 二 巻 ︵ 一 九 八 一 ︶. 一一二. また︑近世において入会権はゲヴェーレ的な権利であったとされるが︑ドイッ法制史学によって構成されたゲヴェ ︵5︶ ーレ理論には未だ研究の余地が残されているように思われる︒ドイツでも︑ゲヴェーレ燥について必ずしも一致した. 理解があるわけではない︒まして︑日本の入会権について︑如何なる内容を持ったゲヴェーレ的権利であったかを立. ︵6︶. 支配﹂︑﹁進退﹂の観念とゲヴェーレの観念との異. ち入って検討した研究はないようである︒ただ︑入会地総有説を批判した︑戒能通孝﹃入会の研究﹄のみが︑この問 題に応える内容を含んでいると思われるが︑なお戒能氏の﹁所持 ︶. 同について︑明らかにされねばならないであろう︒. ﹁生ける法﹂研究の課題. さらに︑歴史的研究の一部門として︑入会権の比較史的︵ないし比較法的︶研究の進展も望まれる︒ ω. 入会権が慣習上の物権であり︑しかもその第一順位の︵と云うよりは︑ほとんど唯一の︶法源が慣習である以上︑. ﹁生ける法﹂の研究が必須であることは云うまでもない︒しかし︑慣習規範の探索および認定は︑入会権の解体現象. の進行と共に︑ますます困難になりつつある︒慣習規範は不変ではないし︑単に静的に︑一義的に明確な形で存在す. るものでもない︒また︑法律家︵研究者も含めて︶は法律的知識が豊富なだけに︑法的概念や構成が先行して︑事実. をそれに適合するか否かという考慮によって︑無意識的に取捨選択しがちである︒この辺に﹁生ける法﹂研究の難関 があるような気がする︒. ﹁生ける法﹂は︑ω亀窪とω①ぎが未分化の状態にある社会規範の一種であり︑大雑把には﹁社会の一般成員によ ︵7︶ ってその妥当性を現実に承認され︑その日常の行為を現実に規制している準則﹂と定義され得る︒だが︑夙に指摘さ.
(15) ︵8︶ れているように︑﹁生ける法﹂と他の社会諸規範との区別が︑エールリッヒにおいても明確ではなかった︒この問題. マリノウスキi︶とは存在の次元を異にするという視点ではないだ. を詳述する余裕はないが︑こと入会権に関する﹁生ける法﹂研究において重要なのは︑むしろ﹁裁判規範﹂︵紛争解. ︵9︶. 決の規準︶と﹁生ける法﹂︵﹁守られている法﹂. ろうか︒民法の建前が両者を等置するために︑法社会学的研究と法解釈学的研究の関係を曖昧にしている状況がある ように思われる︒ ︵10︶. さて︑﹁生ける法﹂は末広厳太郎氏においては﹁各種社会力の相克持合いに依って成立つ﹂流動的なものとして捉. えられていた︒それにもかかわらず︑戦後法社会学の﹁生ける法﹂理論は︑現実の中の古い伝統的な部分を取り上げ. てその秩序原理を純粋型として取りだし︑その静態的な構造を分析する︑という傾向が強かった︒かかる傾向が生じ. た理由として︑﹁生ける法﹂の研究が元来実体法規の構造分析という静態的な方法にもとづいていたこと︑およびそ. れが近代化の範型を実定法において与えられたものとする一方で︑﹁生ける法﹂を近代化のための新しい秩序を生む. ︵11︶. 可能性を秘めたものとしてよりは克服の対象としてもっばら否定的に捉える姿勢を持っていたこと等が挙げられてい. る︒ここに︑戦後法社会学の近代主義的偏向を摘出することはた易い︒しかし︑こと入会に関しては︑ほとんどの法. 社会学研究者は︑﹁生ける法﹂を否定的によりもむしろ肯定的に捉えていたようである︒そこには︑入会の歴史は︑ ︵12︶. 所有権と入会権との対抗関係を基軸とする︑入会山の所有権者のエンク・ージャに対する入会権者の抵抗の歴史であ った︑とする基本 的 認 識 が 潜 ん で い た ︒. 一ご二. ところで︑﹁生ける法﹂は︑それだけ切り離して捕捉可能なものとして存在するものではない︒法が対象としてその 入会紛争の一考察︵大野博実︶.
(16) ︵13︶. 早稲田法学会 誌 第 三 二 巻 ︵ 一 九 八 一 ︶. ︵14︶. 一一四. ままでは理解できないということは︑﹁生ける法﹂にも当てはまる︒慣習規範というものが当該の社会における人々. の反応的行為の存在と相関関係にある以上︑﹁生ける法﹂の研究は︑言葉に表現されたもののみに拘泥するのではな. 理論的研究︵法社会学的および法解釈学的︶の課題. く︑その背後にある云わば不可視の領域をも捉え切ることが必然的に要求されよう︒この意味で︑﹁生ける法﹂研究 ︵15︶ においても︑素朴な経験主義に止まることなく︑﹁認識論の基礎的確立﹂が必要である︑ということを指摘し得るだ ろう︒. ⑥. ①前節で述べたように︑当該の入会に関する慣習が存在しないか︑または明確でない場合に︑いかなる法律論︵法. 的構成︶を提示すべきかは問題である︒入会権の実態について無理解な既存の法理論から論理的に推論してはならな. いことはもちろんだが︑かと云って﹁総有的権利関係の一般原則や︑多くの入会権に共通する一般的な慣習等﹂にも. 依然として明確でない点が多く残っている︒入会権に関する慣習が全国を通じて一様でなく︑殊に入会権の取得︑権 ︵16︶. 利の譲渡︑権利の喪失については︑地域によって全く正反対の慣習があるだけに︑絶対的な基準を提示することは困. 難である︒また︑総有概念そのものが必ずしも明確ではない︒通説によれば︑総有とは︑共同所有の一形態で︑所有 ︵17︶. 権が質的に分有され︑その財産の管理処分の権能は共同体自体に属し︑その使用収益の権能は各団体員に属する状態. である︑とされる︒ところが︑一方で総有概念は権利能力なき社団の財産関係にも拡張適用されており︵判例・多数. 説︶︑他方で持分のある入会権を認めるのが多数説になっている︒このような状況の下では︑通説的な総有概念の理 解はもはや維持し得なくなっていることは確かであろう︒.
(17) 私見によれば︑入会権の核心は共同体的諸規制の存在にあると考える︒総有は︑単に共同所有の一類型として割り ︵18︶. 切るには︑余りに過剰な本質を含んでいる︒人類史において︑共同体的な共用部分は︑個人の私用部分とは相補い合. い︑支え合う不可欠の関係にあった︒共同体的所有とは︑土地やモノと人間の生きた関係という﹁所有﹂の在り方で ︵19︶ あって︑そこには法的構成のレベルに現出しない︑始原的︑呪術的とも云える位相が内在していた︒そして︑かかる 関係の統御を図るのが︑共同体的諸規制ではなかっただろうか︒ ︵20︶. ②﹁実在的総合人﹂と権利能力なき社団の相違も明確ではない︒筆者は︑両者の相違は︑そこに働く団体的規制の. 強弱の程度︑態様の差異にすぎないと考える︵権利能力なき社団にもある程度の団体的規制が存することは否定し得. ないだろう︶︒殊に権利能力なき社団の財産関係に総有概念を適用する判例・多数説︵通説とは云えなくなっている︶. を採れば︑両者の差異はますます相対的なものにすぎなくなる︑と云えよう︒もっとも︑観念的に考えれば︑団体と. 個人との分離の過程として︑﹁実在的総合人﹂←権利能力なき社団←社団法人︑という連続的系列を想定することがで. きる︵この他︑権利能力なき社団と組合︑あるいは権利能力なき財団との区別も問題であるが︑ここでは省略する︶︒. しかし︑これらの諸団体は︑単に単線的な発展の形態と考えるのではなく︑各団体のいかなる位相に着目するかによ って︑区別されるものであり︑また区別すべきであると思う︒ ︵21︶. ③全員一致の原則は︑﹁実在的総合人﹂たる入会集団の構造的特質の一つの表われだと云われる︒しかし︑実際に. は︑多数決制を採る例も少なくないようである︒全員一致制が既に動揺し変容しつつあることは確かであろう︒しか. 一一五. し︑法律論として︑多数決による入会地の処分等を無効と解すべきか否かは問題である︒少なくとも︑法律論として 入会紛争の一考察︵大野博実︶.
(18) 早稲田法学会誌第三二巻︵一九八一︶. ︵22︶ は︑多数決制が慣習として承認されている限り︑有効と解さざるを得ないのではないだろうか︒. 一一六. もっとも︑全員一致制であろうと多数決制であろうと︑妥協の産物であることに相違はない︒ただ︑全体意思の形. 成という究極目的に至る過程で行なわれる︑﹁根回し﹂の質的な差異はある︒つまり︑全員一致制の根底にある共同. 体の調整と統合の機能に着目すべきであろう︒入会集団内部にも﹁総員一致から多数決へ﹂という発展があるのか︑ またそうあるべきだと考えるのかは︑即断できない問題である︒. ④私的所有権制度の導入は入会地における地盤所有権意識の強化をもたらし︑また地盤所有権と入会権との関係は ︵23︶ かなり流動的であって︑現実には入会権と地盤所有権の関係を巡って深刻な問題を生ずることが多い︒殊に﹁共有ノ ︵24︶. 性質ヲ有スル入会権﹂における所有権と利用権の矛盾対抗関係を︑所有権対制限物権の関係と同視できるかどうかは 難問である︒. ︵25︶. ︵26︶. また︑﹁共有ノ性質ヲ有スル入会権﹂と﹁共有ノ性質ヲ有セサル入会権﹂の区別について︑古い判例は入会権者が. 毛上を共同収益しているか否かを基準としていた︒しかし︑大正九年六月二六日の大審院連合部判決以来︑地盤所有. 権の帰属如何によって両者を区別すべし︑とするのが通説・判例となっている︒これに対し︑戒能通孝氏のように︑. ︵28︶. 地盤所有名義者と他の入会権者との間に収益上差等のない場合︵平等入会︶は﹁共有ノ性質ヲ有スル入会権﹂であり︑ ︵27︶ 収益上差等がある場合︵差等入会︶は﹁共有ノ性質ヲ有セサル入会権﹂であるとする説もあり︑また通説・判例には. 再検討の余地があることを指摘する論者もいる︒中尾英俊教授は︑この点について検討した上で︑﹁共有の地盤﹂と. いうのは︑入会権利者すべてが地盤所有権者に帰属することを必要とするものと解すべきではなく︑地盤所有権が入.
(19) 会権利者の大部分かあるいは﹁入会権利者中一ニノ者二属スル﹂場合は当然﹁共有ノ性質ヲ有スル入会権﹂だと解す ︵29︶. べきである︑つまり︑名義上の地盤所有者とそれ以外の者に入会収益の権利に差がない限り﹁共有ノ性質ヲ有スル入. 会権﹂だと解すべぎである︑とされる︵これは︑戒能説をもある程度採り入れたものであろうか︶︒. 入会権を入会地盤所有権の帰属如何によって区別することは︑民法が近代的私所有権秩序の上に入会権を再編成 ︵30︶ し︑これを民法上の物権として法認したことの必然的な帰結である︒しかし︑入会権者が地盤所有権をも取得するか. 否かは慣習によって実質的に決する外ない以上︑両者の中間的形態もあり得ると考えるのが︑論理的には素直ではな. ︵32︶. いだろうか︒もっとも︑入会権が﹁各地方ノ慣習二従﹂い︑共有または地役権に関する規定が適用ないし準用される ︵31︶ 余地がない以上︑両者の区別は大して実益がないとも云われる︒ただ︑共有の性質を有しない入会権の場合︑例え. ば︑利用方法の変更には︑入会地所有者の同意をも必要とされるから︑解釈論上両者の区別の実益が全くないわけで はない︒. ︵33︶. そこで︑両者の中間的形態を想定すると︑観念的には︑共有の性質を有する入会権者︑共有の性質を有しない入会. 権者︑単なる地盤所有者の三群が成立することになる︒そして︑利用方法の変更の場合には︑入会権者︵共有の性質. を有する入会権者と共有の性質を有しない入会権者︶全員の合意に加えて︑単なる地盤所有者の同意を得ればよい. し︑入会権の放棄の場合には︑単なる地盤所有者に対して︑入会権者全員が放棄の意思表示をすればよいから︑実際 にも余り煩項な問題が生ずることはないように思われる︒. 一一七. しかし︑通説の立場は︑地盤が入会権者に属する場合においてもなお︑総有関係たる入会の成立しうること︑およ 入会紛争の一考察︵大野博実︶.
(20) 早稲田法学会誌第三二巻︵一九八一︶. ︵34︶. 一一八. び︑地盤について近代的私所有権の確立した後においてもなお︑入会の成立が認められることを明らかにした点で︑ ︵35︶. 優れている︒但し︑入会権保護の見地からは︑入会権が逆に地盤所有権に対抗しうる道︑即ち登記について︑通説的. 見解が余り論及していないのは片手落ちだと云われる︒筆者としては︑二種の入会権のみを規定した民法の建前にも. かかわらず︑通説・判例の立場を前提とする限り︑慣習規範の認定如何によっては両者の中間的形態が成立する論理 ︵36︶. 的可能性のあることを指摘しておくに止める︒. ⑤入会権の生存権的性格が指摘されているが︑現代社会において入会権の果たしている役割を考察することによっ ︵37︶. て︑その意義を再確認することが必要であろう︒これは︑何をもって入会的利用と云うか︑即ちどこまでを入会権と 云うかという問題とも密接に関連している︒. ⑥入会権の法律理論には︑単に生ける法を裁判規範に等置するだけではカヴァし切れない局面が存在するだけに︑. そこに必然的に入会権を維持すべきか否かという政策的判断が入り込まざるを得ないように思われる︒入会権の近代. 化を﹁助長﹂する﹁入会林野近代化法﹂が成立した現在において︑いかなる政策的判断を選択し︑入会権の法律理論. に反映させるかは︑入会研究者・法律家に負わされた実践的な課題である︒そして︑その際︑入会権の命運は︑現代. 河野健二﹁一八四八年と資本主義の発展﹂﹃思想﹄一九七八年三月号二頁︒. 六八二号 七 〇 頁 ︒. 田島﹁入会と入会判決上﹂﹃社会科学の方法﹄一九七八年一一月号一頁︑同﹁入会権研究の現状と問題点ω﹂﹃ジュリス. における共同体の命運にも通じていることを銘記しなければならないであろう︒. ト. 1 2.
(21) 一〇七頁以下︑お. 石井良助﹁中世に於ける入会の形態﹂﹃法学協会五十周念記念論文集第一部﹄六二二頁参照︒なお︑阿部謹也他﹃中世の. ︵3︶ 上横手雅敬﹁封建制概念の形成﹂﹃牧健二博士米寿記念・日本法制史論集﹄一四九頁以下参照︒. ゲヴェーレ理論については︑石田交次郎﹁U一〇〇①ミ①﹃①の理論及共発展﹂﹃財産法に於ける動的理論﹄. 風景ω﹄七七頁以下の指摘も参考になる︒. ︵4︶ ︵5︶. 以下︒なお︑ゲルマン法のゲヴェーレの研究は︑わが国の慣行上の諸権利を理解する鍵を提供する︑とする川島﹁所有権の. よび最近の研究として︑石井紫郎﹁ゲヴェーレの学説史に関する一試︐︑醐﹂﹃石井良助先生還暦祝賀・法制史論集﹄三一五頁. 比較史的研究︵比較法的研究も便宜上ここで挙げておく︶の例として︑イギリスについて︑望月礼二郎﹁イギリス法にお. ﹃現実性﹄﹂﹃近代社会と法﹄ 一七一頁以下も参照︒. ける入会権﹂﹃市民社会と私法﹄所収︑川田嗣郎﹁英法における入会権︵特に33曾における︶の史的一考察﹂﹃三重大農. ︵6︶. 代イギリス土地法の一側面ー入会地とオープン・スペースを中心に﹂﹃現代イギリス法﹄所収︑ドイツについて︑栗生武. 学部学術報告﹄二〇号︑黒木三郎・青嶋敏訳﹁イギリスの一九六五年入会地登記法﹂﹃比較法学﹄一四巻二号︑戒能通厚﹁現. 夫﹁入会の歴史﹂﹃入会の歴史其他﹄所収︑東海林邦彦﹁一九世紀プ・イセンにおける林役権の解体過程0〜白﹂﹃法学﹄. スイス及びオーストリアに於ける共同地 入会の史的研究﹄︑フランスについて︑大野﹁フランス革命期における共同地立法の展開ー一七九三年六月一〇日の﹃共. 三四巻一︑二︑四号︑林野庁編﹃ドイッ共同地用益の解体過程﹄︑同編﹃ドイツ︑. 六本佳平﹁﹃生ける法﹄と法的過程﹂﹃法社会学講座7・社会と法1﹄五三頁︒なお︑エールリッヒの法社会学理論につい. 同財産分割法﹄を中心として﹂﹃早稲田法学会誌﹄三〇巻︒ ︵7︶. て︑磯村哲﹃エールリッヒ法社会学の体系的構造﹂﹃社会法学の展開と構造﹄一六一頁以下参照︒. 争解決と法的制御﹂﹃法社会学講座5・紛争解決と法1﹄二七頁以下︑同﹃法の科学理論﹄五七頁以下参照︒. ︵8︶ 川島武宜氏は︑行為規範における﹁権利﹂という概念を構成して︑この区別を明確に理論化しようとしている︒川島﹁紛. 兼子一﹃実体法と訴訟法﹄五五頁以下は︑エールリヅヒの﹁法曹法の成立資料は︑社会の内部秩序︵ぎ器おO旨昌β昌騎︶. 一一九. から得られるものが多いけれども︑社会規範は必ずしもそのままでは︑裁判規範として適合するわけではない︒それという. ︵9︶. 入会紛争の一考察︵大野博実︶.
(22) 早稲田法学会誌第三二巻︵一九八一︶. 一二〇. のは︑内部秩序の規範は︑元来自主的に遵守され︑平和に行われている常態において見られるのに対し︑裁判規範は紛争を. 渡辺﹁入会・水利﹂﹃法社会学講座7・社会と法1﹄二六一頁︒. 六本﹁戦後法社会学における﹃生ける法﹄理論﹂﹃日本近代法史講義﹄︵石井紫郎編︶二六六頁︒. これは︑末弘氏が北支慣行調査に際して述べたことである︒末弘﹁法律と慣習﹂﹃法律時報﹄一五巻一一号三頁︒. 予定し︑その解決のための規準でなければならないからである﹂とする言葉を引用して︑この点を指摘する︒ ︵10︶. ︵12︶. 川島﹁最近における入会紛争の特質﹂﹃現代法ジャーナル﹄一号六〇頁︒なお︑慣習規範の認定の仕方を示唆するものと. 井上茂﹃法哲学﹄. ︵11︶. ︵13︶. 一三〇頁︒. ︵14︶. して︑川島﹁城崎の温泉訴訟事件について﹂﹃城崎温泉史料集﹄︵川島監修・北條浩編︶四三四ー四三七頁︑同﹁近代法の体. 星野英一﹃民法概論丑﹄. 栗本慎一郎﹃前掲書﹄三六頁参照︒. 系と旧慣による温泉権﹂﹃法学協会雑誌﹄七六巻四号四六二頁︒ ︵15︶. ﹃新版新法律学辞典﹄七五二頁︑石田文次郎﹃土地総有権史論﹄二〇二頁以下︑山中康雄﹃共同所有論﹄一〇七頁以下等. 暉峻淑子﹁﹃大きな政府﹄は﹃小さな政府﹄になれるか﹂﹃法学教室﹄一九八一年六月号一〇〇頁に示唆を受けた︒. 一七八頁︑同﹁いわゆる﹃権利能力なき社団﹄について﹂﹃民法論集第一巻﹄三〇七頁︒. ︵16︶. ︵18︶. ﹃注釈民法ω﹄五一〇頁︒. 阿部他﹃中世の風景㊦﹄九五頁の網野氏の発言を参照︒. を参照︒. ︵17︶. ︵19︶. 岩井萬亀﹁入会関係における権利者総員一致の原則﹂﹃入会権ーその債権性と近代化﹄四五〇頁参照︒. 黒木他編﹃昭和四九年全国山林原野入会慣行調査﹄一三頁参照︒. ︵20︶. ︵1 2︶. 星野﹃民法概論■﹄一八六頁︒. 遠藤他編﹃新版民法②﹄二八四頁︒. ︵2︶ ︵23︶. 石田﹃前掲書﹄五八○頁以下参照︒. ︵24︶. ︵25︶.
(23) ︵28︶. ︵27︶. ︵26︶. 中尾﹃前掲書﹄一一三頁︒. 渡辺洋三﹁入会権と裁判﹂﹃入会と法﹄二〇九頁︒. 戒能﹃入会 の 研 究 ﹄ 四 四 一 − 四 四 二 頁 ︒. 民録二六輯九三三頁︑﹃入会判決集第一二巻﹄一七二頁︒. 遠藤他編﹃前掲書﹄二七八ー二七九頁︒. ︵29︶. ︵0 3︶. 中尾説の想定する. ﹃注釈民法 ω ﹄ 五 七 五 頁 ︒. ︑\ 者/す. 蟻蟹. ケース. 会者 入権. 盤儲 地所. 両者の中間的形態. コニ. 本稿の脱稿後に接した北條浩﹁総有における持分の実態と法的構成﹂﹃帝京法学﹄二一巻二号は︑入会における持 入会紛争の一考察︵大野博実︶. ︹付記︺. i一五〇頁の小林三衛氏の発言を参照︒. ︵37︶ この点については︑入会研究者の間で論争があると云われる︒﹁不動産物権変動の法理10﹂﹃ジュリスト﹄七四六号一四九. 共有の性質を有しない 入会権. 舟橋諄一﹃物権法﹄四四七頁︒. 権者. ︵2 3︶. 入会. ︵1 3︶. 33. 舟橋﹃前掲書﹄四四七頁︒. 地盤. 所有者. ︵36︶ 渡辺﹁前掲論文﹂二二九頁註ω参照︒. ︵35︶ 中尾﹃前掲書﹄一一〇頁︒. ︵4 3︶. 共有の性質を有する 入会権.
(24) 早稲田法学会誌第三二巻︵一九八一︶. 二一二. 分を質的側面︵持分の観念性︶と量的側面︵持分の現実性︶とに分けて明らかにすることによって︑総有理論の再検討を迫. なお︑本稿ではテーマの関係上入会権法学の課題については単なる問題提起に止まった点も少なくないので︑他日に補論. るものであり︑とりわけ現代的入会の理論的把握にとって有意義である︒ を予定している︒.
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