• 検索結果がありません。

象徴主義とアメ、ノカ文学日『ヘンリー・アダムズの教育』

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "象徴主義とアメ、ノカ文学日『ヘンリー・アダムズの教育』"

Copied!
43
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

ジョン・ウィンスロップは日誌に︑ケンブリッジで開かれた教会

会議に先立って行なわれた説教の最中に一匹の蛇が説教壇の陰に現

われ︑一人の長老が殺した︑と記している︒ウィンスロップの解説

は︑妙に飛躍して事実としての事実を意味としての事実と把え︑ア

メリカのピューリタンの生活に浸透していた一種の象徴的認識を具

現したものとなっている︒ ︹翻訳︺

これは極めて注目すべき事件であり︑また神の摂理なくしては

何事も起こりえぬのであるから︑明らかに︑主はこの事件の中に 1 うなることやら︒ 十七・八世紀のこうした子供が︑眼が覚めたら二十世紀の遊 戯をしなければならない破目になっているとすれば︑一体ど

象徴主義とアメリカ文学日︵村上清敏・山岸康司・青山義孝︶ 第三章アメリカの伝統 チャールズ・フィーデルスン批著 象徴主義とアメ︑ノカ文学日

﹃ヘンリー・アダムズの教育﹄ ジョン・ウインスロップがケンブリッジの教会で受けとめたものは

歴史的な出来事でもなければ寓意的な空想でもなく︑歴史の客観性

と聖書の深い意味とを結びつける一つの経験である︒蛇の悪魔性は

蛇に鱗があるように︑確と存在する︒この生き物を蛇と呼ぶことが︑

その生き物に悪魔の性質を吹き込むことであった︒この蛇の撲殺は

象徴的な行為であって︑聖書のことばと︑ニュー・イングランド神

権政体という雄大な夢に基づく行為であった︒これと同類の一節が

サミュエル・シーウォルの日記にも見られる︒コットン・マザーが

雷交じりの嵐の最中シーウォル宅を訪れていて︑﹁聖職者の家の方が

そうでない者の家よりも雷が落ちる率が高いといって︑このことに

はどんな神の意図が隠されているだろうかと尋ねているところで み心の幾許かを明かし給うたのである︒蛇は悪魔であり︑教会会 議はニュー・イングランドにおけるキリストの教会を代表するも のである︒悪魔は昔も︑また最近になっても︑教会を乱し崩壊さ せよ︑フと企てたのだが︑人の子︹キリスト︺への彼らの信仰が悪

2 魔に打勝ち︑その頭を打ち砕いたのである︒ 村上清敏山岸康司青山義孝共訳

(2)

あった︒﹂その直後に雷に打たれて窓硝子が割れた︒マザーは﹁神よあ

なたはわれわれの家のもろい箇所を壊し給うたと語りかけ︑われわ

れの土の幕屋︹肉体︺が砕かれる時の心の準備ができますようにと

3 祈った︒﹂こうした出来事を構成する要素たる言語はこの出来事に

内在しているのであって︑外から付加されたものではない︒つまり︑

悪魔l蛇と︑肉体l家が神の手になる根本的なメタファーとして具

体的な形で体験されたのである︒ジョシュア・ムーディが述べてい

るように︑人生における現実の活動は聖書に照らしてみることで変

質し﹁精神化﹂される可能性を持っている︒﹁仕事のみならず︑われ

われの関係や境遇はすべて︑神の御言葉に顕われた神の霊によって

より良きものとされてわれわれに授けられたものだ⁝⁝︒王座にあ

る王よりたきぎを切り水をくむ者に至るまで︑主は御言葉を通して

われわれを導き給うが︑その時︑われわれが精通している仕事から

4 身近でわかりやすいメタファーをお選びになる︒﹂

象徴自体は貧弱なものであったが︑それはピューリタンの精神構

造の中には自然界を審美的に認識するだけの余裕がほとんどなかっ

たからである︒こうした人々は︒﹁神の意図﹂を狭めて気むずかしい

学校教師の意図のようなものにしてしまった︒とはいえ︑象徴化す

る過程は彼らの心の中で常に活動していた︒彼らにとって︑﹁荒野﹂

ということばは︑本質的に︑古代へプライ民族の四十年とニュー・

イングランドの森の試練とを結び合わせるものであった︒﹁荒涼とし

た荒野で道に迷ってさ迷い︑住む町も見つけられず︑飢え渇いてい

5 る時︑彼らの魂は打ちひしがれていた︒﹂ここでブラッドフォード

は単なる歴史的事実を語っている訳ではない︒その歴史を彩るイ 象徴主義とアメリカ文学日︵村上清敏・山岸康司・青山義孝︶

メージを実際に体験された時そのままに喚起しようとしているの

だ︒同じ象徴がトマス・シェパードの文章ではまた別の様相を帯び

てくる︒﹁われわれにはわからないことだが︑使徒と聖徒に与えたキ

リストの徒と︑あらゆる時代における神の聖徒の行ないによって︑

われわれは︑他のものもさることながら︑この自由を︑悪魔を避け

6 て荒野へ逃れる自由を与えられよう︒﹂エドワード・ジョンソンが

反キリストの破滅を願うものすべてに﹁あの勇敢で立派なョシュア

と共に︑日よ︑ギブオンの上にとどまれ︑月よ︑アヤロンの谷にや

7 すらえ︑と断えず祈りたまえ﹂と説く時︑ョシュア︑﹁ギブオン﹂﹁ア

ヤロン﹂といった人名や地名は聖書的歴史の世界から引き出されて

生きた言語の一部となっており︑その言語を通して彼は世界を認識

しているのである︒ジョンソンは東洋的君主としてのキリスト像を

抱き︑そこでは神の概念は王権を表わす用語で満ちており︑完全な

融合が聖書のことばに基づいて生じてくる︒

見よ︑栄光に満ちた彼らの主キリストが白馬に跨がる様を︒そ

の蹄は火打石の如く火花を散らすはおるか焔を放って駆けてい

く︒見たまえ︑その王冠には紅玉がちりばめられ︑主の全軍勢の

名が連ねられている︒主の居ます所に夜がありえようか︒主の眼

は太陽の一万倍も強い︹輝いている︺ではないか︒見たまえ︑主

の素早きことを︒主の訪れの約束がどこにあるのかと言ったすべ

8 ての者よ︒

ニュー・イングランドの日常生活においては︑﹁神聖な共和国﹂や 一○四

(3)

﹁主の戦さ﹂といったイメージが人間の活動を象徴的なドラマに仕

立て上げた︒ニュー・イングランドは﹁主が新しい天と地︑新しい

9 教会と新しい共和国を創り給う地﹂であった︒そこに展開するドラ

侭とフマ KLフマ マは人間の劇であると同時に神の劇でもあった︒肉体的生活が同時

に精神的生活でもあった︒人生のあらゆる出来事が︑神の遠大な計

画の中にとり込まれていて︑神から託された意味を有していた︒神

聖な共和国という観点のもとでは︑粗末な小屋もぬかるんだ道も変

容して神が顕現するという観点の中心的象徴となった︒﹁われわれは

大地を一望する丘の上の町のようなものであり︑世界中の目がわれ

0 われに注がれている︒﹂植民地が世俗化し︑実際の生活とそれを包

む象徴的な雰囲気との隔りが拡がるにつれて︑聖職者はそれまでに

も増して強く︑一三I・イングランドは神の御心の表象であって営

利企業ではないとい︑うことを強調するよ︾7になった︒

おそらく︑主イエス・キリストが数千の宗教改革者を荒涼たる

アメリカの僻地へ導き給うたその目的は⁝⁝その地で︑まず彼ら

に対し︑次いで彼らの手で数多くの善の見本を示しておいて︑他

の地にある主の教会がこれを目指して奪起するようにということ

ではなかったか︒そしてこのことが首尾よく達成されたとしても︑

一三−・イングランドが建設された目的のすべてが成就された訳

ではないのかどうか︑さらには︑この植民地が︑この後日ならずし

て消え去りはしないのかどうか︑ということはご存じないのだ︒

ちょうど天の都が植民地の村落の中に潜在していたように︑

象徴主義とアメリカ文学日︵村上清敏・山岸康司・青山義孝︶ ニュー・イングランドでの善と悪の争いは天と地獄の戦いの縮図で あった︒それも単に象徴しているという意味だけではなく︑その有 機的な一部︑真の代喰としての縮図であった・旧約の戦いとインディ アンの虐殺︑異教徒の根絶︑魔女の処刑とは一つのものであった・ エドワード・ジョンソンの﹃大いなる摂理﹄で王キリストは使者を 遣して兵を募らせる︒ サタン 悪魔がインディアンの中に居り︑﹁彼らの戦いはアダムの時代まで遡 り︑人の子︹キリスト︺と蛇の子との間の古い確執に源を発し︑蛇 がこの当面の戦いの総師であった︒﹂そして兵の中には︑正に文字通 り︑インディアンの身体には悪魔が宿っているため刃を通さないと

3 思っているものもいた︒主の戦さは﹁一三I・イングランドの教会

4 の数々の苦難と障害﹂のすべてを含み︑極めて比嚥的であり︑過去

と現在を︑観念と物的事実を客観的状況の中で結合させる認識様式

サタン であった︒宿敵悪魔はある観念の化身であった︒コットン・マザー

は︑モーセの時代には荒野は﹁よく悪魔の住家と考えられた﹂と言

う︒事実︑荒野は﹁然り︑その通りの場所であった﹂と彼は力を込 なぜなら大いなるエホヴァの軍勢が迫っているのだ︒主の敵の

軍勢が不敵にも攻撃をしかけんとしてひそかに大挙して待ち構え

るのが見えぬか︑奴らの突如として破滅する確かな証が見えぬか︒

手勢がないとて怯むでない︒キリストの陣営の兵卒すべてが巨人

ゴリアテを倒したダビデの如き︑そのダビデ等がアッシリアの軍 2 勢十五万八千を倒した主の天使の如き戦いぶりを示すだろ︑フ︒

一○五

(4)

めてつけ加えているのだ︒そしてモーセは悪魔の住む荒野で生き延

びた︒なぜなら﹁現在ニュー・イングランドと呼ばれているアメリ

カの荒野へ追放されたキリスト教徒が︑数々の極めて悲劇的な折に︑

悲しくも︑アザゼルがそこに住み跳梁しているのを目にしてきた﹂

5 からである︒

ピューリタンの文章にいやになるほど繰り返される﹁摂理の顕れ﹂

は実際には象徴的体験の記録なのだが︑これがしっかりした文学の

形をとることは決してなかった︒﹁この地の土を最初に踏んで以来︑

この管内の民に対する神の摂理の顕われとその推移のすべてに然る

6 べき注意を払う﹂ためにマサチューセッツ湾植民地史の編纂は委託

されたのだが︑ここには住民全体の精神が反映されている︒それは

出来事を把握する際︑ひとつひとつの出来事をその前提となってい

る全体︑すなわち神の御心の観点からしか把握することのできない

精神であった︒回顧録はあらゆる局面で神の意図を明らかにするよ

7 8 うに工夫された︒順風は祈りに対する神の返答であり︑不敵な若者

9 の死は﹁神の摂理の特別な働き﹂であり︑苦難を克服したピルグリ

2 0

ムズの勝利は無関心な世界に対する手本であった︒コットン︑マ

2 ザーはこのような﹁意義深い﹂事件を数多く集め︑一六九四年には

ハーバード大学の総長と評議員がこれを体系的に収集することを発

議した︒

記憶に価する事柄は︑空や大地や海での特に珍しい出来事すべ

てである︒苦しむ者にもたらされる不思議な救済︑信心深い者へ

の慈悲︑邪悪な者への裁き︑真理の書︑聖書に記された約束や譽 象徴主義とアメリカ文学日︵村上清敏・山岸康司・青山義孝︶

個々の﹁摂理の現われ﹂やこれを機械的に編纂したものは取るに足

りない奇怪なものに見えることもしばしばあるが︑そこには強力な

想像力が不完全ながらも働いている︒個々の﹁摂理の現われ﹂の背

後にはそれぞれに託された神の摂理があった︒万物の秩序を支え︑

神の業と人間の行為に永遠の調和を与える︑神の永遠なる﹁協力﹂

があった︒例えば︑政治的には﹁一方は神の︑他方は民衆のといっ

た二通りの異なる活動があるのではない・同じ一つの活動において︑

神が民衆の選挙を通して︑このような唯一無二の総督や行政長官を

2 3

作り出しているのである︒﹂﹁特別な摂理﹂によって神は自然界の出

来事に一定の方向をもたせ︑それによって自らの永遠の目的の一つ

を効果的に示すのである︒そして神は奇跡によって秩序だった自然

の動きを中断させるが︑奇跡は神学論文の中に出てくる感嘆文とか

万物を動かす力の噴出のようなものである︒﹁神は太陽の運行をと

めたり︑その輝きをおさえることもできる︒神は火が燃えないよう

にすることも︑飢えたライオンが貧ぼり喰わぬようにすることもで

2 4

ヴィジョン きる︒﹂出来事を﹁読む行為﹂は根本的に象徴的な想像力が不完全

な形で現われたものである︒ピューリタンは︑世界に意味がみなぎっ

ているのは神の協力の故であり︑解釈が可能であるのは神のめざま

しい働きの故であると考えた︒

彼らはこの天与の才を理解していなかった︒蛇と悪魔︑へプライ 告のさらに見事な成就︑加えて︑幽霊や葱きもの︑魔法︑見えな ●●● い世界の存在と働きがさらに明瞭に現われているような異常な事

2 2 柄すべてを含む︒ 一○六

(5)

人と一三I・イングランドの住民︑キリストと王︑これらの結合が

生まれたのは世界を神の意図に満ちたものとする彼らの基本的認識

故だったのだが︑こうした結合が彼らの文学の中に象徴的構造を備

えた機能的なメタファーとして入り込むことはめったになかった︒

そのかわりに彼らが実践したことは︑表象を﹁切り開く﹂︑つまり分

折的に表現して例証的に装飾的に描くことであった︒エドワード・

ジョンソンはアン・ハッチンソンをシセラとして描く際︑論理の段

階を追って話を進めた︒

ジョンソンは形而上的奇想の剥き出しの骨格︑決してこの世に生を

受けることのなかった複雑な比嚥のパラフレーズを産み出した︒同

種の論理的分析がアン・ブラッドストリートの﹃瞑想詩集﹄になる

と︑精巧な直嚥を損なうものとなっている︒聖徒と天使を従えたキ さてここで最初の兵士の比嚥を踏まえると︑主キリストはご自 身の幾多の兵士をこの西方の海岸に上陸させられた後︑教義の面 でも戒律の面でも宗教改革に対する名うての敵をもこの地へお引 き寄せになる︒しかし︑それは主がかってヤビンの軍勢の将軍シ セラをキション川に引き寄せられて滅ぼされた時と同じ目的だっ たのであるが︑ただここには大きな違いがある︒彼処でシセラは 一人の女の手に渡されたが︑此処ではシセラは一人の女となった︒ 彼処での武器と戦いは物質的なものであったが︑此処では精神的 なものであった︒彼処ではヤビンはただ一人の男であったが︑此

2 5

処では彼は人間の救済を邪魔する名うての敵であった︒

象徴主義とアメリカ文学日︵村上清敏・山岸康司・青山義孝︶ 妬くだり リストを︑星を従えた太陽として描こうとする時︑その行は誰か別 の詩人がこの同じ題材を扱った詩を解説したもののように読めてし 琴↑今︑旬ノ◎

ピューリタンの最もすぐれた文章においてもイメージは露骨なま

でに説明的で︑時には︑全くそれとは知らず︑観念と説明が合体す

7 る時に生命を得て象徴になったりもする︒逆の方法をとって︑日常

の比嚥的経験を直接文学形式で模写しようと試みても︑コットン・

マザーの粗末なマンネリズムに終わる他はなかった︒主の戦さを記

録する歴史家にとって︑割れた窓はわれわれの﹁土の幕屋︹肉体︺﹂

の滅びを示す定まった印だったのだが︑彼は無器用ながら自分の物

語を二通りの意味と露骨な地口を中心に何とか組立てていった︒彼

はロジャー・ウィリアムズの問題を遠回しに風車の比職を使って扱

︑フ

一六五四年︑北海沿岸の低地帯のとある風車が︑吹き荒れてい

た激しい嵐のため猛烈な勢いで回っていたところ︑とうとう石臼

が速い回転のために異常に熱くなって風車に火がつき︑そこから

出た炎は強風にあおられて町中を包んでしまった︒しかし読者諸

君︑実際に︑これより二十年程前のことだが︑アメリカでも風車

の速い回転のために全体が炎に包まれそうになった地方があっ

た︒知っての通り︑一六三○年頃︑ロジャー・ウイリアムズ師な

る人物がこの地に到着した⁝⁝彼は光よりも炎を多く体内に宿し

2 8

た説教師だった⁝.:︒

一○七

(6)
(7)

提とする飾りとして扱った︒ もし言語とリアリティの真の構造が純粋に論理的なものであれば

美的形式は単なる飾りに過ぎなかった︒ピューリタンの聖職者は

ピーター・ラムスの思想から一種の便覧を入手していた︒ラムスは

十六世紀のフランスの論理学者︑修辞学者であり︑彼の著作は多く

3 3

の要約や解説の形でピューリタンの許に届いていた︒スコラ哲学

が︑当然のことながら︑修辞に論理とほぼ同等の地位を与えること

によって象徴主義を一つの認識形態として認めたのに対して︑ラム

スは修辞を論理の枠組に付け加えられたものであり︑その枠組を前

これが弁証法と修辞学の真の違いである︒というのは︑演説が

仮にこの上なく秀でた豊かなものであったとしても︑議論を考え

る上での綴密な創造力︑口調における微妙な迫真性︑三段論法に

おける巧妙な結論︑筋道における微妙な順序だて︑こうしたもの

は完全に弁証法と論理の問題である︒しかし修辞と比職における

装飾と雄弁術︑発声や身振りは完全に修辞学の問題であり︑それ

に付随するものである︒たとえ︑議論そのものが極めて哲学的な 明らかにかつ必然的に生じる真理である︒それ故︑もし明白なこ とばで提示された命題に含まれる教義が真であれば︑その結論と してそこに含まれる教義もまた真ということになる:::︒聖書の 真理の大部分は聖書の結論の中に示される︒のみならず︑多くの 根本的真理は明白なことばで提示されるのではなく︑明白な結論

2 3 として提示されるのである︒

象徴主義とアメリカ文学日︵村上清敏・山岸康司・青山義孝︶ ﹁修辞と比嚥﹂が論理的な教義の飾りにすぎないのだから︑解釈は 単純な還元の過程であった︒修辞的表現は一義的な論理的言い替え と同等と見なされた︒比嚥と論理上の等価物との間の文法的なつな

メソッド がりを見つけること︑それが筋道であった︒

この装飾主義がピューリタンの芸術的調和の感覚を見事に破壊して

しまった︒ニュー・イングランドの精神にとって詩篇の詩は︑リ

チャード・マザーが﹃湾の賛美歌集﹄に付した序文で宣言している

ように︑付帯的なものであり︑表現される意味とは切り放しうるも

6 3 のであった︒トマス・フッカーは﹁言語の巧妙さ﹂とい︑フ﹁人間の

鋭い言語感覚を満足させる﹂だけのものと︑﹁構成の骨子と充実度 7 3 ⁝⁝という構築者を満足させるもの﹂とを根本的に区別した︒意味

が詩の中に︑また内容が修辞の中に固有のものとして存在している 修辞的表現はどれもこれもすべて文法的な意味に還元され︑そ れに応じて解釈されねばならない︒類型と比嚥は︑他の書き物も さることながら︑聖書にも認められてしかるべきである︒さもな ければ神はわれわれの様式で話すことはなかった︒またこの方法 はそれほど暖昧なものではなく︑情緒を説明し動かすものである︒ が︑それでもわれわれはそれを意図へ還元しなければならない︒ 修辞はことばの飾りにすぎず︑それ故ことばの文法へ引き渡さな

5 3 ければならない︒ 4 3 ものである︑7とも︒

一○九

(8)
(9)

神学者達はギリシア哲学とモーセの律法の間で身動きがとれなくな

り︑巧妙な聖書解釈法を編出すことによって救われた︒古代のこと

ばは多様な意味をもっていたに違いないと彼らは結論を下した︒﹁槌

で打てば火から多くの火花が散るように︑聖書の節はそれぞれいろ

4 いろな説明ができる︒﹂﹁寓意的﹂解釈の規則が徐々に形成されて

いった︒初期の教父によって考案され︑以後受け継がれていった﹁四

層の解釈﹂によれば︑聖書の言語がもつ四つのレベル︵﹁字義的﹂︑

﹁道徳的﹂︑﹁寓意的﹂︑﹁神秘的﹂︶の意味はすべて等しく真であり︑

2 4 3 4 相互に補足し合う︒﹁複合思考﹂の原理はやがて不自然な原則に

なってしまうが︑実際には象徴的思考の認識であった︒というのは︑

これは聖書の比嚥を様々な観念の表現手段として利用しようとする

努力に端を発し︑キリスト教の複雑な知的伝統を統合する手段とし

て存続していたからである︒﹁複合思考﹂はことばの変種などではな

く事物の本質に合致するものであった︒アクィナスは解釈が﹁多様

になるのは一つのことばがいろいろな意味を表わすからではなく︑

タイプ ことばが表象するもの自体がそれ以外のものの表徴になりうるから

である﹂と考えた︒あらゆる解釈は事物の単一的な名称である﹁字

義的﹂な意味から生じる︒リアリティには象徴的構造が備わってお

り︑その中ではあらゆるものがそれ自体が表わす以上のものを意味

4 しているのである︒この理論は﹃神曲﹄で実を結んだが︑ダンテは

この作品の意味は﹁ただ一つの意味ではなく︑むしろこの作品は﹃多

義的﹄すなわち︑いろいろな意味をもっていると表現できよう﹂と

5 4 説明している︒あらゆる意味が字義的意味︑すなわち︑﹁他の意味す

べてが表現する意味︑それなくしては他の意味に注意を払うことが

象徴主義とアメリカ文学日︵村上清敏・山岸康司・青山義孝︶ 6 4 不可能で不合理になってしまうような意味﹂に収数する︒中世の文 芸手引書﹁詩人﹂は比噛的言語を装飾的な饒舌として扱い︑象徴的 7 4 表現の土台を何ら築いていない︒しかし神学が比職を使って考え感 じる能力を育んだおかげで︑中世の精神は﹁事実から事実へと移る

8 4 のと同じように頻繁に︑象徴から象徴へと移動していった︒﹂ので

坐拓也フ︵︾◎

ピューリタンはこのカトリックの伝統を﹁予型論﹂という体系的

知識︑すなわち旧約聖書と新約聖書との対応の体系として慎重に保

9 4 持していった︒アダムとダビデはキリストの予型であり︑エジプト

とバビロンからの解放は反キリストからの教会の救出を﹁予示し

た﹂︒これらの関係は真のものであり︑聖礼典のように神が仕組んで

動かすものであった︒それらは単に例証的な直職や陰嚥とははっき

5 0

りと区別された︒しかし正にこの区別するという点にピューリタン

の思想の特徴である狭さが顔を出している︒ピューリタンの予型論

者は予型を︑あるいはむしろ予型を読みとるのに必要な象徴的思考

を恐れて︑聖書の比嚥の多くを︑また聖書以外の比嚥のすべてを﹁恋

意的な﹂地位に委ねた︒現実の事物には多様な意味が内在するとい

う意識から﹃神曲﹄を産み出すことになった気質は消え去ってしまっ

た︒﹁主の戦い﹂とか﹁神聖な共和国﹂といったイメージは予型論を

さらに一歩︑新約聖書から新世界へと推し進める努力ではあったが︑

ピューリタンの想像力を抑制する働きをしていた力の程度は次の警

告に現われている︒

カトリックの著作家がよくするように︑寓意的な意味と称して

一一一

(10)

アメリカの文学の中で芸術家であるという意識をもった作家の

知的態度は︑もっぱら︑ピューリタンの方法に固有の問題によっ

て決定されてきた︒アメリカの芸術家の社会からの孤立がしばし

ば嘆かれるが︑これは実はアメリカの精神における芸術的方法が

もつ︑人目をしのぶ︑承認されない役割と対応している︒これら

の要因は︑両者とも︑十七世紀にピューリタン思想の確立とその思

想に即して生きよ︑フとした社会の成立と共に始まった︒したが

って︑一六二○年から十九世紀の第三四半世紀に至るアメリカ文 個人の空想力と神が定めた予型︑︵双方とも﹁比嚥﹂であり︑さら に﹁聖書的根拠﹂を見出すための規則もとても決定的とはいえな い︶︑この両者を混同しても致し方ないといった明白な難点があっ たが︑この原則に影響を及ぼすことはなかった︒予型は特殊な慎 重に保護されたカテゴリーに属し︑比嚥は一般に︑明らかに例証 的だったり装飾的だったりしなければ︑予型の向こうを張る危険 な主観的空想となった︒聖書の特殊な予型に関しては多少の意見 の違いはあったであろうが︑文学における﹁予型的﹂思考は埒外 にあった︒ いるもので妄想に耽ってはならない︒ただし聖書的根拠がある 場合は別だが︒どんなものであれ︑われわれ自身の空想力や想 像力だけに頼ってそれを予型に仕立てることは危険である︒予

5 型を作るのは神の特権なのだから︒ 象徴主義とアメリカ文学日︵村上清敏・山岸康司・青山義孝︶

学の大部分にみられる未熟さなり因襲性なりがフロンティアの状

況︑地域性︑産業主義のせいに違いないとは言えないように︑機

能的芸術形式を禁止した伝統的気質にその原因があるとも言えな

い︒そしてエマソン︑ソロー︑メルヴィル︑ホーソーン︑ホイッ

トマンの象徴主義はその有効性を否定する知的方法を物ともせず

にこのような形式を勝ち取る︑7とする試みなのであった︒

しかしピューリタニズムの影響は抑圧的なものだけではなかっ

た︒初期の植民地の作家は︑狭いながらも彼らなりに中世の象徴

主義の伝統を永続させた︒マザーの﹃大いなる御業﹄の目的は﹁甘

い光を照り返す⁝⁝ユダヤ︑カルデア︑アラビア︑ギリシア︑ロ−

5 2

マの数限りない遺物をわれわれの光であることば﹂へ注ぐことで

あった︒日常生活では︑ピューリタンは通例彼らの修辞理論から

逃れ︑エマソンが述べたように︑彼らの中で﹁ユダヤの歴史全体

5 3 が肉となり血となった︒﹂ピューリタンの精神がアメリカの文学

に遣したものは︑文学的方法の観点からみると︑現代の文学状況

の特殊な極端な例である︒すなわち︑われわれの言語そのものが

リアル その記録である象徴的認識形態と︑﹁現実の﹂という確証を得た純

然たる抽象観念の世界との相克なのだ︒分裂した意識は︑ホワイ

トヘッドの見るところによれば︑イギリスで十七︑十八世紀に自

然科学の影響下に始まり︑ロマン主義とヴィクトリア朝の文学で

明るみに出てきたが︑アメリカにはさらに深い基盤があった︒ア

メリカではピューリタン的合理主義と共に始まったからである︒

この合理主義自体完全に合理的という訳ではなかった︒高度に

練られた﹁契約﹂の論理は象徴的パターンを秘めており︑これが 一一一一

(11)

5 4

理論上異なる恩恵の契約と教会契約と社会契約とを統合した︒こ

の神との三つの契約は商業的契約と立憲政治とから成る新しい社

会が落とした巨大な影であった︒さらに詳しく言えば︑それらは

ニュー・イングランドの植民地の基であった秘密礼拝集会と小さ

5 5

な集団の合意を反映していた︒世俗的契約︑たとえば結婚とか主

従関係は神学者によって精神的契約の例としてよく持ち出された

6 5 が︑これは﹁事実︑原型であったに違いない︒﹂そして契約の観

念に真の説得力を与えたのは︑合理的議論ではなくて︑その様々

なレベルが相互に光を当て合うといった方法であった︒この体系

全体に一種の有機的統一を与えたこの象徴的な関連がさらに際

立っているのは︑この契約の観念そのものが有機的社会を拒否す

る点であり︑人間と神の関係に力学的な性質を与えた点である︒

ピューリタンの方法は実際には自家撞着に陥っていた︒ラムスと

その追随者は階級の論理をかなり単純化したものに本体論的地位

アーギユメント を与えた︒形式論理の概念だけでむすばれた彼の﹁論拠﹂と︑

全体をすべて根本的に違う部分に二分してしまう技術は︑原子論

的世界を描こうとする近代精神の努力を十二分に明らかにするも

のなのだ︒しかしこの体系の上に相互補助的な分野の教義を築く

ことはできた︒﹁テクノロギア﹂と称される普遍的オルガノンであ

つ︵︾︒

芸術はすべて創造物の中にあって輝き︑そこから人間の悟性

のガラスに反射される第一存在の知恵の光と輝きに他ならない︒

そして神から発するように人間へと向か︑7︒芸術の円環は女神

象徴主義とアメリカ文学日︵村上清敏・山岸康司・青山義孝︶ テクノロギアを認可した神は至高の機械工ではなくてむしろ一つの 精神であり︑その有機的統一性は自然の中に︑また潜在的には人間 の心の中に反映されていた︒

初めからラムスの論理学は﹁弁証法的﹂であることを自認するも

ので︑思想の外的描写である上に正しい思考の過程でもあった︒こ

の主張はこの上なくゆゆしくなされた︒﹁方法﹂に対するピューリタ

5 8

ンの執念は単に論理的形式への愛着ではなく︑さらに根本的には思

想︑言語︑リアリティに対応する強い関心であった︒﹁複合思考﹂の

考案者がキリスト紀元前後の転換期に言語哲学を展開していったよ

うに︑プロテスタント宗教改革者はカトリック的思考様式から離反

するに際してことばの本質へとたち返っていった︒聖書の言語が権

威であった︒聖書は様々に誤まって解釈されてきたのでこの言語の

機能を知る必要があった︒また︑真理が論争に左右されていたので︑

言語をその本質に即して使用できなければならなかったのである︒

ピューリタンの聖職者は一生ことばの意味に没頭した︒彼らはどん

なニュアンスでもその価値をす早く把握して自分の目的に用立て

た︒ から神に至る環である︒それ故芸術間の類似と同質性があり︑︵全 ての学芸は絆とある種の血縁関係でもって互いに結ばれている︒ キヶロ﹃詩人アルキアス弁護論﹄︶これはそれぞれの目的が究極的 目的と関連し︑それに従属していることによる︒ある学芸が他の 学芸を利用し︑ある学芸が他の学芸に役立ち︑最後にはすべての

5 学芸が神の許へ帰り着く︑川が源である海へ帰り着くように︒

一一一一

(12)

カトリック的方法に対する敵意から︑また当時の様式に倣って︑こ

のラムス主義者は言語は本質的に論理的なものであり︑ウイラード

も述べているように︑﹁あらゆる事物は論理の道を通ってわれわれに

伝わってくる﹂と考えていたけれども︑事物が伝わる道程としての

言語に関する彼の関心そのものが︑彼の論理に独得な性格を帯びさ

せることとなった︒ピューリタン的合理主義は︑自分の後釜に座る

ことになる︑ある意味で同族のものである科学的世界観とは違って︑

思考とことばと物は分かち難く結ばれているものだと断定した︒ラ

アーギユメント ムス主義者の﹁論拠﹂は外界の対象は﹁指さ﹂ず︑主観的な観念

を﹁表わす﹂こともしなかった︒﹁ラムス主義者がそうした言辞に通

じていたとしても︑観念と﹃物自体﹄の区別立てはしなかったであ

アーギユメント ろ︑フ︒﹂いや︑少なくともほとんどしなかったである︑フ︒﹁論拠が

物であり︑物の名称であり︑物についての精神的概念であった︑し

6 0

かも同時に︒﹂ピューリタンは近代の認識論がかかえる難題に悩ま ベルナールは雅歌のあの一節︹﹁女のうちの最も美しい者よ﹂︺

に関して次のようにうまく解説している︒﹁絶対的な意味で美しい

のではなく︑女のうちで美しいのである︒つまり彼の賛美が正当

な限定を有し︑また彼女が自らの不完全さを悟れるような容貌で

あることを表わしているのである︒﹂したがって︑わたしは

ニュー・イングランドの諸教会が存在しうる最も正常なものであ

ると言っているのではない︒ただ︑わたしが言わんとし︑また確

信をもっていることは︑それがキリスト教の初期の時代にみられ

FDQ﹀

た教会に極めてよく似ているということである︒ 象徴主義とアメリカ文学日︵村上清敏・山岸康司・青山義孝︶

されることはなかった︒論理的言語へのウイラードの信頼が拠り所

とした信念とは﹁認識は認識するものとされるものとの同化作用に

より成立する﹂︑﹁認識対象は︵何らかの形で︶認識の機能に内包さ

6 れているに違いない﹂︑ことばが一半をなす構成単位︑これが認識

である︑とい︑フ信念であった︒

弁証法は象徴主義の領域で活動する論理であり︑そこでは自らの

構成要素である言語を離れた事物や観念は存在せず︑真理の規準は

アーギユメント 首尾一貫性にあって外的事実との適合性にはない︒﹁論拠﹂に対応

する現代の用語はないが︑この用語そのものがこの概念を表現して

アーギユメント アーギユメント いる︒論拠が心によって﹁生み出される﹂というのは論拠が心に

浮かんでくるということであって︑それはちょうど目が色を知覚し︑

それ以外にその色であるという証明が必要ないのと同じことであっ

6 2

た︒議論が並べられると公理が出来上がるが︑この公理も同様に正

当性を実証された︒﹁自然の光が.⁝:観察者の内部に現われ︑この種

6 3

の配列が知覚される時に自然の承認が行なわれる︒﹂同じように︑

完全な陳述は明白な関係と秩序を内包する公理を並べることによっ アーギュメント て構築された︒論拠と公理は論理的な思考の名辞と命題であり︑

抽象作用の道具であると同時に所産であるが︑この論理にさらに別

アーギユメント の力が作用を及ぼしていた︒論拠は根本的に原子論的な存在であ

り︑それが組込まれることで生ずるあらゆる結合に先行するもので

あり︑結合によって変化を蒙ることはないが︑同時に本質的に相関

的なものでもあることは︑ラムスの定義にも明らかなところである

アーギユメント ー﹁論拠とは何か別のものの議論に割当てられるものすべてで

6 5

ある︒﹂公理とは単に命題に過ぎないが︑ラムス主義者は推論の過

(13)

したがって︑ただ単に平易にしたくてラムスは自分の方法を詩人

や雄弁家を引用しながら説明した訳ではない︒弁証法としては︑彼

の論理学は美的経験の有機的形式と密接な関係があり︑部分的には

それによって修正を受けることもあった︒︲またラムスが十七世紀の

6 9

詩人の間で人気があったことが最近明らかになったが︑この人気は

詩を論理的にしたいという共通の願望から生まれたものではない︒

むしろ彼の方法が詩的精神に受け入れられやすかったのは︑論理を

詩に近づけ︑そうすることで︑不十分ながらも抽象的思考と具象的 程をごく低く評価し︵三段論法は検証の手段であって方法の本質で

6 6 はない︶︑思想と事物のパターンを明かすために並置を用いた︒いか

なる論理学も機械論的傾向があり︑ピューリタンの方法もかなりそ

の傾向が強かったが︑この傾向を修正しようとする努力が有機的統

一︑精神と対象の統一であるだけではなく︑ここから出発してさら

に︑所与の世界のすべての事物の間の統一を認識することで生じて

アーギユメント くるのだ︒論拠は自然の成行きで﹁結合﹂するとアレクサンダー.

6 7

リチャードソンは述べ︑またナサニエル・ウォードによれば︑公理

はおのおのが神の真理全体の色合のようなものを有している︒

神の王国の最小の真理も︑それなりの立場で神の真理の王国全

ヴエリキュラム 体を支えている︒ごく小さな真理でも︑その王国から取り去って

しまえば︑途方もない力をもった武器で守られてでもいない限り︑

その世界は崩壊し尽してしまミフとい︑うことも考えられるし︑織物

6 8

全体が解きほぐされてしま︑フのは確実であろう︒

象徴主義とアメリカ文学日︵村上清敏・山岸康司・青山義孝︶ 思考の間隙を埋めよ︑7とする傾向があったからである︒アメリカの ピューリタンはこの体系のさらに明白な側面︑現実の構造から美的 形式をあからさまに排除しよ︑フとする側面に固執した︒しかし︑ほ とんど気づかれてはいなかったが︑準審美的で弁証法的性質がその 方法には備っていた︒それは再びエマソンにおいて論理として︑また 実践として姿を現わし︑それをエマソンは意識的に象徴主義の理論 と実践に結びつけるのである︒

一方︑ピューリタンは安定した非時間的秩序を思いこがれていた

が︑弁証法には独自の勢いがあり︑勝手に停止させることはできな

いことに気付いた︒エマソンはいかなる論理的記述にも不完全がつ

きまとうという事実を受け入れる心構えができていた︒彼はどんな

叙述も絶対を目指すが︑それはその叙述の本質上かなわない絶対で

あることを了解していた︒﹁一つの事実を強調しようとすれば︑どう

7 O

しても他の事実を隠しているようにみえる﹂からである︒ところが

十七世紀の先人たちは自分たちが合理的言語の生地の中に現実全体

を捕えたと考え︑その間違いの報いを受けなければならない運命に

あった︒彼らはことばの意味をめぐる論争に悩まされた︒うまい言

い回しで論理的対立を隠蔽したところで︑反が合わずに分離してし

まうほかなかった︒ことばと思考と事物が一体となっていたので︑

論客は理性の﹁自然の光﹂による直観的認識に訴え︑必然的な意味

を論証することによって相手を納得させる以外に手がなかった︒支

持を得ることは次第に困難になっていった・アン・ハッチンソン裁判

(14)

パーソン の時に聖霊と信者の関係をめぐる論争が生じた︒結局︑﹁位格という

ことばは人間の手になるものであり︑この場合︑論争を疑わしくし

てしま︑フので︑是非ともさし控えるべきである︑フということになっ

7 た︒﹂同様の難問が繰り返された︒当の夫人と判事とが﹁支配﹂の

7 2

意味をめぐって意見が分かれたのである︒ジョン・コットンはこの

論争全体を﹁神の恩恵の拡大をめぐり︑一方がわれわれの内部の神

の恩恵を唱えようとし︑他方がわれわれに向かう神の恩恵を唱えょ

ジヤステイフイケーシヨン サンクテイフイケーシヨン うとした︵前者は義認を︑後者は聖化を意味する︶﹂論

7 3 争であったと総括した︒ピューリタニズムに潜在していた緊張は︑

象徴的統一へ達する手段が欠けていたために︑﹁位格﹂﹁支配﹂﹁われ

われの内部の﹂﹁われわれに向かう﹂などといった用語についてのあ

いまいな表現として姿を現わした︒さらにこうした用語は絶えず︑

こっそりと新しい文脈の中に現われて全く意味の違ったものになっ

カヴエナント たりした︒﹁契約﹂によって自らを束縛していた専横な神は︑中世

コンロトラク︑卜 の君主であると同時に契約書を携えた近代の実業家であった︒この

概念のバランスを論理だけで維持するのは困難だった︒もし専横な

神が法に縛られているのであれば︑法が神より重要であると考える 4↑§ のが論理的であるように思われる︒十八世紀という時代は契約によ

る社会が中世の身分社会に概ね取って代った時代であり︑カルヴィ

ン主義的均衡は消滅し︑法が善であるのは神が創ったからだという

教義が︑神が法を創ったのは法が善なるものだからだという正反対

の信念に︑いとも簡単にすり替わってしまった︒この推移はすでに

十七世紀中葉の聖職者たちの論理の運用に姿を見せている︒ 象徴主義とアメリカ文学日︵村上清敏・山岸康司・青山義孝︶

崩壊していく体系を安定させようと努力する中でみせたニュー・

イングランドの神学者の前進︑後退は︑経験世界からははるか遠く

へとかけ離れていった︒言語が曲解され︑ついには﹁再生がただ単

に﹃X﹄となってそれが神学構造の間隙を埋めた︒つまり観念形態 このささいな推論と︑ベンジャミン・フランクリンの完全に世俗化 した意見の間には︑それほどの開きはない︒ 道徳に関する法すべてを︑まずそれ自体すべての人間に対して

みこころ 善なるものにし︑それから人間すべてに課すことが彼︹神︺の意志

であり慈悲深きご意向である︒したがって︑道徳律とは善である

から命ぜられる法ではない︑とい︑フのは︵よく言われるように︶

物に備わる善なるものではなく神の絶対の意志が万物を善たらし

めているからである︑と言ったのでは証拠不十分である︒なぜな

らば︑神の絶対の意志とは︵すでに立証したように︶あらゆる道

徳律を善なるものとし︑それ故に課すということであって︑単に

7 5

課すことによって善たらしめることではないからである︒

啓示は実のところそれだけではわたしには何の価値もなかっ

た︒ところでわたしは次のような考えを抱いていた︒これこれの

行為は禁じられているから悪いというのではなく︑また︑命じら

れているからよいというのでもない︒ただあらゆる事情から考え

て︑そ︑うい︑フ行為が人間の本性にとって悪いことだから禁じられ 6 7 るのであり︑よいことだから命じられるのである︑フ︒ 一一一ハ

(15)

ノートンは象徴的思考能力を完全に失っている︒初期のピューリタ

ンが日常経験においても︑また無意識ながらも︑彼らの制度の構造

の中に活き活きとした象徴的表現を留めていたのに対し︑その子孫

にとっては︑意味とは合理的なものであるか︑あるいは存在しない

かのどちらかであった︒ノートンは﹁言語の内在的な暖昧さ﹂を認

め︑たしかにこの問題に多くの頁を費してはいるが︑彼の主張は︑ 7 7 の単なる基本原理に成り下ってしまった︒﹂ナサニエル・エモンズ ●●●●●●●●●●●●●●●ワI 8 が見ゆる聖徒を﹁真の聖性を公言するように見える人々﹂と定義し たとき︑彼は際限のない論議を引き起こしてしまった︒そこでは﹁見 える﹂︑﹁公言する﹂︑﹁神の﹂のあらゆる配列が誰も生活のより所と はなしえない理論幾何学のように並べたてられた︒あたかも︑父祖 の論理的方法に裏切られた後世のカルヴィニストには︑用語を尚更 に機械的にこねまわしていく外に術がないかの如くであった︒つい には︑ユニテリアンが妥協のない論理で三位一体そのものを分解し てしまった︒アンドリューズ・ノートンによれば︑

﹁父は神であり︑子も神であり︑聖霊も神であり︑しかも三つ

の神でなく一つの神が存在する﹂ことが主張されるときには︑い

かなることばといえども次の陳述が述べる以上に明白に意味を伝

えることはできない︒三通りの存在があり︑それぞれに神の属性

が備わっていると断言できる︑しかも神の属が備わっていると断

言し︑フる存在はただ一つしかないというのである︒しかしこれは

7 9

不可解な神秘ではない︒全くのナンセンスである︒

象徴主義とアメリカ文学日︵村上清敏・山岸康司・青山義孝︶ 解釈とは一つの文章が﹁持ちうる意味の中から当面の意味を見分け

8 0

る﹂ことでなければならない︑ということである︒カルヴィニズム

の教義が十八世紀の慈悲心へと沈下したのと正に同様に︑古い合理

的方法が理神論者と不信心者の合理主義へと移行していった︒思考

習慣に関する限り︑ノートンとフィロゾフ︑トマス︑ジェファソン︑

あるいは不信心者トマス・ペインの間にはさして選ぶところはない・

ジェファソンにとって﹁三が一であり︑一が三であるといった三位

8 一体的算術﹂は﹁理解しがたいたわごと﹂であり︑ペインがしかけ

8 2

た﹁三が一であり︑一が三であるといったキリスト教的算術体系﹂

に対する巧撃は︑キリスト教的象徴主義全体に対する広範囲にわた

る攻撃のほんの一面にすぎなかった︒

この荒涼とした知的風土を生み出したのは自分でも完全には理解

していない弁証法に傾倒したピューリタンであったが︑この風土の

中でエマソンなどの人物が生を享けたのである︒彼らは︑論争は論

理的言語の本質から生じたものであることを示すことによって知性

の救出を計った︒ある教義を別の教義に取り替えることが弁証法の

フォーミュラ 通常の道程であると彼らは断言した・教義の争いを通してさらに広

フリード い一般化が可能となり︑神学の全内容を教義として表現することは

8 3

不可能で︑ただ複雑な象徴群による外はないとしたのだ︒ニュー・

イングランドのカルヴィン主義的正統思想とは正反対の方向に向

リベラリズム かつたのが自由主義の流れであったが︑これは詮じ詰めればルター

の万人祭司説に端を発している︒ロジャー・ウイリアムズは自分の

植民地をあらゆる信仰の安息の地として建設した︒彼は自身の教義

8 4 を条件付きのものとみなし︑自らを﹁求道者﹂と称した︒因習にと

(16)

らわれたピューリタンがウイリアムズを非難したのは︑異教である

としてのみならず︑明らかに非論理的であるとしてのことだった︒

実際︑ウイリアムズは論理的対立が避けえないという事実を受け入

れて別の原理へと移っていった︒命題がそれぞれその逆の命題を生

み出すという弁証法の増殖性がこの﹁求道者﹂の思考の源となった︒

一世紀半後︑限りなく論理的な慧眼をもってしてもカルヴィニズム

の崩壊を抑えきれなくなってから︑チャニングは︑真理を包容する

ためには心は矛盾する観念を抱かねばならないと宣言した︒ あらゆる宗教が自由を満喫し︑正義がその正当な規律を保ち︑ 市民の共同生活に道徳的な誠実さが行き渡る︑こんなことがどの ようにすれば同一の統治圏内で可能となるかはわたしの理解をこ えるところである︒もし地獄の秘密会議が︑異常な人間とあらゆ る好ましい人間とからなるこんな途方もない化物じみた形状を︑ おとなしく一まとめにでもするように︑天と地ほどもかけ離れた 矛盾を折り合わせることができるのならば︑わたしはへりくだり 畏敬の念をもって︑彼らは天の元老院がなしうる以上のことをな

8 5

し︑フる︑と言お︑フ︒

神の主権は無限である︒なおかつ人間は権利を有する︒神の力

は抗いよ言うがない︒なおかつ人間は自由である︒われわれは神に

完全に依存している︒しかし︑われわれは自ら行動を起こしたり︑

己れ自身の性格を決することが可能であるばかりか事実そうして 象徴主義とアメリカ文学日︵村上清敏・山岸康司・青山義孝︶

相互に排他的な観念は等しく真であり︑必要があるという見解から︑

8 7

エマソンは体系を公然と無視することになり︑ホラース︑ブッシュ

ネルは︑自分には出くわす限りの教義を受け入れる覚悟ができてい

8 8 ると断言することになったのである︒二人にとって︑論理で切って

リベラリズム いくピューリタンの方法に対する答えは自由主義の方法であった︒

叩クペラル そして︑二人にとって︑自由な心の究極な現われが象徴的な﹁パラ

8 9 ドックスの言語﹂であった︒

ニュー・イングランド神学の歴史はニュー・イングランドの住民

自身のすぐれた本能がいつも述べてきたことI住処とすべき言語

を数学をひな型にして作り出すことはできない︑それは人間の活動

と経験を明瞭に表現しなければならない︑ということを実証してみ

せた︒ホラース・ブッシュネルは自分の主要問題を﹁いかにして︑

またどこで言語を手に入れるか﹂だと定義した︒これは︑ピューリ

タンが﹁方法﹂にとりつかれたことからアメリカ文学が背負わされ︑

カルヴィニズムの衰退と失墜によって強調された問題であった︒言

語を創り出すとはそれをことばに委ねることであってことばをあて

こむことではない︑という彼の答えはこの伝統の中に遍く潜在して

9 O

いたのである︒ラムスは純粋な論理学というよりは弁証法を生み出

したのだが︑それは彼が﹁芸術がそれ自体としてではなく︑芸術の これら双 いる︒これらの相拮抗する観念︑と呼くればの話だが︑ ●●●●●●●●●●●●●●●● 方は等しく真であり︑共に相譲らない︒片方を見て見ぬ振りをし

たのでは︑熱烈な信心にも絶望的な信心にもためにならない︒健 6 ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●

Ru

全な心にあっては両者手をとりあって生きているのである:.⁝

(17)

9 鍛練と実践が芸術家を生み出す﹂と考えたからである︒理論の抽象

的で説明的な用語が︑認識の過程における機能として具象的なもの

になった︒具体的な経験の本質から離れてしまえばそれらは道具と

しての記号にすぎない・リチャード・シブスとい︑フイギリスのピュー

リタンがこの点をさらに明瞭に提示したが︑その時彼は﹁宗教はこ

とばの問題ではない︑木が集まって森になるように︑ことばに依存

しているのではない.⁝:宗教は力の問題であり︑宗教は人を有能に

する﹂と警告している︒宗教の本質は教義にあるのではない︑教義

はただ宗教に関係があるにすぎない︒﹁技﹂︵あるいは理論︶が﹁仕

事﹂︵あるいは活動︶の中に入り込まねばならず︑ことばは己れが明

示するものの中に入り込まねばならない︒﹁仕事はことばによってで

はなく経験によって身につく︒そして人が仕事を身につけたことに

なるのは︑仕事の話ができるようになる時ではなく︑自分の仕事に

9 2

応じて働けるよ︑フになる時である︒﹂ピューリタンは二つの全く

異った認識が可能であることに気づいており︑一致団結して世界を

教義の中で系統だてて表わそうとする最中に︑あらゆる論理的陳述

に先行する積極的知覚に執着した︒

自分の目で多くの大陸を見⁝⁝経験を通して目撃した旅人の知

識と⁝⁝わが家の炉辺に座って本に書かれたこうした大陸の話を

楽しそうに読んだり︑その大きさを地図で眺めたりする人の知識

には大きな違いがある︒この違いには少なからぬものがある︒:::

同じよ︑フな違いが罪の正しい認識にもいえる︒:⁝・甲は罪の歴史

マップアウト を見︑乙は罪の本質を見る︒甲は綿密に構成されて記述されたま

象徴主義とアメリカ文学日︵村上清敏・山岸康司・青山義孝︶ ジョナサン・エドワーズが経験から知識を学んだ最も顕著な典型

である︒彼の﹁神の卓越性についての真の認識﹂は︑彼には﹁神々

9 4

しい超自然の光﹂であり︑教義や命題とは異なるように︑想像力や

霊感とも異なったものと思われたとはいえ︑彼がそれをこのように

強調したのは自分の神学を主観的なわがままにすぎないという非難

から身を守るためであり︑彼の全般的な目的は直接認識の言語を正

当化することであった︒神学はさておき︑エドワーズはエマソンの

象徴主義的な意識を先取りしていた︒エマソン同様に︑﹁自然に湧き

出る直観的な原理﹂は﹁算術的・論理的原理﹂にまさると確信して

9 5

いたのである︒

センス ﹁感覚﹂の中で︑﹁判断﹂が区別してしまった対立するものが融合し

ている︒神の力と神の愛という論理的両極は︑きわめて多様な宗派 神は神聖であり慈悲深いという意見をもつことと︑神の聖性と

恩恵のすばらしさと美しさを感じ取ることには相違がある︒蜂蜜

は甘いと理性で判断することと︑その甘さを感じとることには相

違がある︒⁝⁝何かがすぐれていることを単に思弁的に理性で判

断することと︑その甘さ︑美しさを感じとることには大きな相違

がある︒前者は頭だけを頼り︑思弁だけが関与しているが︑後者

6 9 には心が関与しているのである︒ まの罪の話を知っているが︑乙は毒を知っており︑ 3 9 よって自らが発見し立証したものである︒ それは経験に

(18)

そしてついに︑大胆不敵にも︑エドワーズは聖書のみならず自然を

も根本的に比嚥的なものであると︑王張した︒﹁哲学に無縁の人にはひ

どく奇妙に映る隠喰と直喰﹂の中に真の親和性がある・なぜなら﹁空︑ 聖書の言語は陳述的なものでは全くなくて︑機能的な修辞であるこ とをエドワーズは発見した︒ 創設の礎であり︑またピューリタン論争の分岐点でもあったが︑エ ドワーズはこの両極を︑﹁神の栄光に満ちた威厳と恩恵﹂を直観的に 認識することで結びつけた︒

神の霊の意匠は神の究極の目的を多様なものとしてではなく一

つのものとして表わすことらしい︒とい︑7のは︑その目的はさま

ざまな名称で示されようとも︑そのさまざまな名称はそれぞれ

違ったものの名称ではなくて︑それらの意味においてお互い同士

がむすびつくさまざまな名称のようだからである︒同じものの

違った名称であるか︑一つの全体の各部分の名称であるか︑同じ

一つの全体をさまざまな光の中で見た時の名称であるか︑あるい

9 8

は︑違った観点や関係から見た時の名称であるかである︒ わたしには両者が楽しそうに手を結んでいるのが見えるよう だった︒威厳と柔和が結びついている︒甘美で優しく神聖な威厳 であり︑堂々とした柔和︑おごそかな甘美︑気高くして大いなる︑

7 9 また聖なる優しさである︒ 象徴主義とアメリカ文学日︵村上清敏・山岸康司・青山義孝︶

木︑野原︑花などの美と精神的な美質の間には⁝⁝実は類比ないし

9 9 一致がある﹂からである︒

エドワーズが生涯に渡ってノートブックに書き貯めた﹁聖なるも

のの表象と影﹂は︑ペリー・ミラーの説明にもあるように︑ニュー

トン的宇宙を否定することなく宗教的知覚の基盤を見出そうとする

試みであった︒エドワーズは古い予型論を新しい文脈で復興した︒

極めて慎重だった先人にも劣らず真剣に︑個人的な空想と神によっ

フィギュア て定められた比嚥をとり違えることを避けようとした︒︵彼がこう

したのは先人たち以上に抗いがたい理由からであった︒主観的に案

出したもので宗教の客観性を築くわけにはいかなかったからであ

る︒︶しかし彼には同時に︑予型をもはや聖書に閉じ込めておくわけ

にはいかず︑十八世紀の科学の経験世界である自然の中へも拡張さ

せるべきである︑宗教を孤立した精神的習慣にしてはならないのな

らそうすべきである︑ということが判っていた︒彼が必要としたも

のは確かな観念と感覚与件とを分離させないでおく媒体であった︒

このために︑彼はあらゆる知識は経験から抽き出されるという新し

い主義を受け入れたが︑さらに進んで知識はあらゆる知覚から得ら

れるというロックの理論に修正を加えた︒﹁エドワーズがこの新しい

感覚論を読むにしたがって︑それは主体と客体の二元論を打ちたて

るどころか︑両者を知覚の瞬間に融合してしまった︒その時︑物は

概念の︑概念は物の姿をとることができる︒﹂エドワーズにとって

真の予型は﹁経験﹂の領域にあった︒

ある物の完全な概念を見ることは︑どの点からみても︑物その

参照

関連したドキュメント

「文字詞」の定義というわけにはゆかないとこ ろがあるわけである。いま,仮りに上記の如く

日露戦争は明治国家にとっても,日本資本主義にとってもきわめて貴重な

身体主義にもとづく,主格の認知意味論 69

インドの宗教に関して、合理主義的・人間中心主義的宗教理解がどちらかと言えば中

作品研究についてであるが、小林の死後の一時期、特に彼が文筆活動の主な拠点としていた雑誌『新

これは基礎論的研究に端を発しつつ、計算機科学寄りの論理学の中で発展してきたもので ある。広義の構成主義者は、哲学思想や基礎論的な立場に縛られず、それどころかいわゆ

これらの定義でも分かるように, Impairment に関しては解剖学的または生理学的な異常 としてほぼ続一されているが, disability と

 しかし、近代に入り、個人主義や自由主義の興隆、産業の発展、国民国家の形成といった様々な要因が重なる中で、再び、民主主義という