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― ― — — 社会学における社会貢献に関する試論

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(1)

1  本稿の目的と背景

⑴ 目 的

 本稿は社会科学の一分野としての社会学を取り上げ,社会貢献という側面から社会学と社 会の関係について考察するものである。社会貢献という側面から,という限定を付けても,

社会学と社会との関係という主題は広大である。そこで,本稿では日本社会学会会員対象の 質問紙調査(2009年実施)の結果と筆者自身がおこなってきたひきこもりを主題とする調査 研究の事例をもとに,社会貢献という場合の「社会」とは何か,そして「貢献」とはどのよ うな社会との関係なのかを考察する。

 後述するように社会学と社会の関係性について社会学の研究者コミュニティにおける反省 性は高まっている状況があるにもかかわらず,これまで学問の社会貢献については自然科学 を中心に論じられてきており,社会科学ましてや社会学に焦点化した研究は少ない(2)。そうし た状況をふまえ,本稿は「社会貢献」という社会学と社会の関係性をどのように捉えること ができるのかを考察し,これらの問いに対する答え方のひとつを提示するものである。

⑵ 背 景

 A. シュッツの多元的現実論にしたがえば,日常生活の主体と学問の主体とは,その依って 立つレリヴァンス(関連性・関心)構造が異なる。日常生活世界とは「自らの生の基本的な 要件に応じるという必要性につき動かされて」いる世界であり,その世界の現実は,ワーキ ング(身体を介した外的世界への働きかけ)を通じて外的世界を支配し,生き延びるという プラグマティックなレリヴァンスによって組織化されている(Schutz[1945]1962:226-

227=1985:34-35)。

 それに対して,科学の世界は,プラグマティックなレリヴァンスとは異なる,科学的理論

*︎立正大学社会福祉学部社会福祉学科 キーワード:社会学,社会貢献,レリヴァンス

社会学における社会貢献に関する試論

(1)

—日本社会学会会員調査とひきこもり研究の事例をもとに—

Social Contributions in Sociology

―From a survey of the Japan Sociological Society members and a case study of a sociological research on hikikomori―

関水 徹平

*︎

Teppei Sekimizu

〈原著論文〉

(2)

化を目指すレリヴァンスによって特徴づけられる。「科学的理論化の目標は,世界を支配する ことではなく,世界を観察し,世界をできるだけ理解することにある」(Schutz[1945]1962:

245=1985:58)。社会科学者は,「私心のない観察者」(Schutz[1953]1962:36-38=1983:

89-91)として,彼/彼女が身体を介して関わる世界を支配することではなく,社会的世界 を理解することに関心を向けている。

 このように,社会的世界に向き合う態度あるいは関心の向け方という側面についてみれば,

日常生活世界のレリヴァンスと科学的理論化のレリヴァンスとは「両立できない」(incompat- ible)(Schutz[1945]1962:232=1985:41)。

 だが,社会のなかの社会科学という営みのあり方に目を向ければ,近年,プラグマティッ クなレリヴァンスに支えられる社会という領域に対して,社会科学は何らかの仕方で応答し なければならないという認識が強まっているようにみえる(3)

 本稿が主題とする社会学という領域において,そのことを明瞭に示すと考えられる事例が,

社会学の研究倫理綱領である。2005年に施行された日本社会学会倫理綱領では,冒頭の「策 定の趣旨と目的」で次のように述べられている。

会員は,社会学研究の進展および社会の信頼に応えるために,本綱領を十分に認識し,

遵守しなければならない。社会学の研究は,人間や社会集団を対象にしており,対象者 の人権を最大限尊重し,社会的影響について配慮すべきものである。また社会学の教育・

指導をする際には,本綱領にもとづいて,社会学教育および社会学の研究における倫理 的な問題について十分配慮し,学習者に注意を促さなければならない。

 プライバシーや権利の意識の変化などにともなって,近年,社会学的な研究・教育に 対する社会の側の受け止め方には,大きな変化がある。研究者の社会的責任と倫理,対 象者の人権の尊重やプライバシーの保護,被りうる不利益への十二分な配慮などの基本 的原則を忘れては,対象者の信頼および社会的理解を得ることはできない。会員は,研 究の目的や手法,その必要性,起こりうる社会的影響について何よりも自覚的でなけれ ばならない。〔下線は引用者〕

ここには「社会の側から社会学研究がどのように受けとめられるかを,社会学の研究者は真 剣に考えなければならない」という文脈が明確に設定されている。

 また,2016年に改訂された「日本社会学会倫理綱領にもとづく研究指針」冒頭の「指針の 目的」では次のように述べられている。

現在,科学研究全般において,社会との関係が厳しく問われるようになっています。と りわけ,対象がまさに社会や人間そのものである社会学という学問領域では,倫理的妥 当性の高い研究を行うことが一層求められます。〔下線は引用者〕

(3)

社会との関係が問われているという認識の高まりは,ここで書かれているように「科学研究 全般」について言えることであるが,とりわけ社会学研究は,「科学研究と社会との関係」を どうとらえるかという問いに何らかの仕方で答えることを迫られているという(4)

 では,どのような仕方で答えることが求められているのだろうか。これらの文言から明ら かなことは,社会学研究の側が社会からの要請に応答して,研究のあり方に反省的になり,

より「倫理的妥当性」が高く,「社会の信頼」に応える研究をおこなうことが求められている ということである。いいかえれば,科学的理論化の主題や方法を日常生活の世界との関係に 照らして反省し,「社会的理解」を得られるように配慮した研究をおこなうことが求められて いる。

 社会学と社会の関係についての反省性の高まりにたいする社会学者の応答はさまざまであ るが,そのひとつとして,日常生活の世界を支えるプラグマティックなレリヴァンス構造か らみても有用なものへと社会学の主題や方法を変えていこうとする立場がある。2015年に刊 行された『社会学評論』(第66巻 2 号)では,「社会学は政策形成にいかに貢献しうるか」と 題する特集が組まれた。特集冒頭に,太郎丸博・大谷信介による次の言葉がある。

社会学は社会とどのように関係し,どのように貢献すべきなのであろうか。R. K. マート ンが言うように専門家の自由と自律性が尊重されるべきことに意義をさし挟む社会学者 は少ないと思うが(Merton 1957=1961),だからと言って,象牙の塔にこもり,同業者 だけにウケる自己満足のための研究だけをしていればよい,と開き直っている社会学者 も少数派ではないだろうか。(太郎丸・大谷 2015:166)

ここでは,社会学が何らかの仕方で社会に貢献すべきであることは前提とされているといっ てよいだろう。この特集は,「社会保障改革」「移民政策」「若者の移行期政策」「地方自治体 の政策形成」「環境政策」「少子化対策」「政府・地方自治体の政策立案」を主題とする 7 つの 論文で構成され,それぞれが社会学の社会貢献のあり方を検討している。

⑶ 先行研究

 「社会のなかの社会学」への反省性が高まるなか,積極的な社会貢献を打ち出す社会学研究 の方向性にたいして,批判的な見解も表明されている(長谷 2010,那須 2016)。これらは社 会学の社会貢献のあり方を反省的に問い直すものであり,本稿の先行研究として位置づける ことができる。

 文化社会学者の長谷正人は,社会学(社会をめぐる議論)が「社会の利益」をめぐって展 開されていることへの強い違和感を表明する(長谷 2010)。長谷は,ハンナ・アーレントの 議論を参照している。アーレントにしたがえば,社会とは生命維持のための私的領域が国民 国家というかたちで拡大した,いわば巨大な家計もしくは家政である。つまり社会とは,生

(4)

存のためのテクニカルな議論がなされる領域であり,そこに奉仕する社会学に自由はない,

と長谷はいう。

 理論社会学者の那須壽もまた文部(科学)省の大学政策を検討した研究において,社会貢 献という文脈への違和感を表明している(5)。那須によれば,1980年代中頃に大学の社会貢献

―社会のなかの大学―という位相がはっきりと主題化され,2001年にはその貢献は「日

本経済活性化のための構造改革プラン」として明確に方向づけられることになった。ここで,

社会貢献は「経済貢献」へと縮減されている(cf. 那須 2016:16)。

 アーレントの「社会」の用語法にしたがって「社会」への貢献それ自体を批判的にとらえ る長谷の立場の方が那須の批判よりラディカルにみえるかもしれないが,いずれの批判も「社 会貢献」というときの「社会」とは何かを問うている点で共通する。社会の中でも限定され た側面(主に経済領域)への貢献だけを「社会貢献」と呼んでいるのではないか,という問 いかけである。

 本稿では,上記の社会学者らの問題意識を踏まえて,社会学研究における社会貢献につい て考察する(6)。議論の進め方として,まず,2009年に実施された日本社会学会会員を対象とす る全数調査の結果を参照して,社会学者の社会貢献に対する一般的な態度を確認する。次に,

私個人が進めてきたひきこもりを主題とする社会学的研究を事例として検討をおこなう。こ れらの検討をふまえて社会学における社会貢献についてのひとつの見解を提示する。

2  日本社会学会会員調査の結果から

 実際のところ,現代日本の社会学者たちは社会学の社会貢献をどのように考えているのだ ろうか。社会学者とは誰かを定義することは難しいが,本稿では,自分自身を社会学分野の 研究者として自己定義している人のことであると暫定的にとらえておきたい。

 社会学者の一般的な態度を確認するために,2009年に実施された日本社会学会一般会員を 対象とする全数調査の結果を確認しておきたい。この調査は,社会学者の教育・研究に関す る考え方,教育・研究環境などを明らかにすることを主な目的とする質問紙調査である(7)。日 本社会学会の一般会員が社会学者のすべてではないし,日本社会学会一般会員の全員が社会 学分野の研究者であると自己定義しているとも限らないが,ひとまずこの調査の結果から全 体的な傾向を確認する。

 社会学と社会の関係についての反省性の高まり,とりわけ社会貢献への意識の高まりが,

大学政策等の変化を通じて1980年代半ば以降強まっているのではないか,という前節で述べ た問題意識を踏まえ,世代別(出生コーホート別)の回答傾向も合わせて確認しておきたい。

⑴ 「社会学の研究者は社会に対して積極的に貢献すべきか」

 まず,設問「社会学の研究者は社会に対して積極的に貢献をするべきだという意見があり ますが,それに関してあなたはどのようにお考えですか」に対する回答をみると,全体では

(5)

約 9 割が「そう思う」と回答している。社会貢献への意識は全体に高いといえる。

 世代別の回答傾向を見ておくと,1960年代生まれ以降の世代で「そう思う」のポイントが やや下がり,逆に「そうは思わない」という回答が 5 ポイントほど増えている。ここからはっ きりした傾向を読み取ることは困難だが,少なくとも「若い世代の社会学者ほど社会貢献に 対して積極的な傾向がある」とはいえないようだ。

表 1  出生コーホート×「社会学の研究者は社会に対して積極的に貢献すべきか」

そう思う そうは思わない 無回答 合計

1930年代以前生 46

88.5% 5

9.6% 1

1.9% 52

100.0%

1940年代生 119

90.2% 13

9.8% 0

0.0% 132

100.0%

1950年代生 154

89.0% 17

9.8% 2

1.2% 173

100.0%

1960年代生 187

84.2% 33

14.9% 2

0.9% 222

100.0%

1970年代以降生 139

84.8% 23

14.0% 2

1.2% 164

100.0%

全体 645

86.8% 91

12.2% 7

0.9% 743

100.0%

⑵ 「どのようなかたちで貢献すべきか」

 では,社会貢献すべきと答えた社会学者たちは,「どのようなかたちで貢献すべき」と考え ているのだろうか。複数回答の結果をみると,肯定的回答の多い順に「教育活動を通した次 世代の養成」( 8 割),「研究活動を通じた社会学的知識の蓄積」( 7 割強),「政策立案への参 画」(約 7 割)となる。

 世代別にみると,比較的わかりやすい世代間の動向がみてとれるのが「市民活動への参画」

である。世代が下るにつれて,肯定の割合が増えていることが分かる。最も年配の世代と最 も年少の世代との間で,18ポイント近くの開きがある。

 「教育活動を通した次世代の養成」は1950年代生まれと1980年代生まれで最も高く,「研究 活動を通した社会学的知識の蓄積」は1950年代生まれで最も低くなっている。また「政策立 案への参画」「マスメディアを通じた意見発信」は,1950年代生まれが最も高くなっている。

 さらに,1970年代以降生まれは,他の世代と比べて「教育活動を通した次世代の養成」「研 究活動を通じた社会学的知識の蓄積」「政策立案への参画」「市民活動への参画」をいずれも 高い割合で肯定する傾向もみてとれる。この背景として「年齢的に若い研究者は,あらゆる 貢献活動に対して意欲的である」といった年齢効果の可能性も考えられる。

(6)

表 2  出生コーホート×「どのようなかたちで貢献すべきか」(複数回答)

1 .教育 活動を通した次世 代の養成

2 .研究 活動を通した社会 学的知識の蓄積

3 .マス メディアを通した 意見の発信

4 .政策 立案への参画

5 .市民 活動への参画

6 .そ の

他 無回答 ケース数

(N)

1930年代以前生 34

72.3% 36

76.6% 16

34.0% 25

53.2% 23

48.9% 0

0.0% 0

0.0% 47 1940年代生 90

75.6% 81

68.1% 36

30.3% 57

47.9% 71

59.7% 6

5.0% 0

0.0% 119 1950年代生 130

83.3% 95

60.9% 64

41.0% 100

64.1% 95

60.9% 10

6.4% 2

1.3% 156 1960年代生 135

71.4% 147

77.8% 61

32.3% 110

58.2% 118 62.4% 8

4.2% 2

1.1% 189 1970年代以降生 113

80.1% 103

73.0% 48

34.0% 97

68.8% 94

66.7% 6

4.3% 1

0.7% 141

合計 N 502 462 225 389 401 30 5 652

(%の分母は各コーホートのケース数)

 全体として,世代間の違いに関して明確な動向を読み取ることは困難である。本稿では世 代ごとの特徴や世代を貫く趨勢に注目してデータを確認してきたが,回答傾向を読み解く際 には,コーホート効果(世代としての特徴)だけでなく,年齢効果(ライフステージの影響)

も考慮に入れる必要があるだろう。前述の「若いからこそ活動に意欲的」といった解釈の可 能性のほかにも,たとえば「政策立案への参画」には一定の研究キャリアが求められると考 えられるし,また,研究・教育への意欲も,研究キャリア上のタイミングによって左右され る面があると考えられるからである。

⑶ 小 括

 日本社会学会会員調査に基づいて,社会学者の社会貢献についての意識・態度を検討した。

前節で社会貢献にたいして批判的な社会学者の見解を紹介したが,結果は拍子抜けというべ きだろうか。太郎丸・大谷(2015)が述べていた「自己満足のための研究だけをしていれば よい,と開き直っている社会学者も少数派ではないだろうか」という印象を裏打ちするかの ように,「積極的に社会貢献すべき」と答えた者が,いずれの世代でも 8 割強から 9 割近くに 上った。世代別にみた場合の比較的わかりやすい傾向としては「市民活動への参画」という 形で社会貢献すべきという態度が若い世代ほど増大していることが確認された。たしかに,

日本社会学会会員に関していえば,社会貢献を意識し,また教育・研究等を通じて貢献すべ きと考える社会学者が多いことは確かなようである。

 だが,教育・研究等を通じた社会貢献とはどのようなことであるか,何をもって社会学が 社会に対して貢献することになるのか,そこで言われる「社会」とは,「貢献」とは何である

(7)

のか,というさらなる問いに,この調査結果から答えることはできない。社会貢献という概 念を構成する「社会」の内実も「貢献」という関係性の意味も,この調査の設問では問われ ていないからである。

 社会貢献が何を指すのかが明確にならない限り,「社会貢献に賛成か反対か」をめぐって議 論をしても,あまり生産的ではないだろう。社会貢献をめぐる考察は,社会学の社会貢献を 考える際の「社会」とは何であり,「貢献」がどのような社会との関わりを指すのかを問う必 要がある。次節では,私自身のひきこもりについての社会学的研究を事例として検討し,社 会貢献とは,研究がどのような「社会」とどのような関係をもつことであるのかをより具体 的に考察したい。

3  事例の検討―ひきこもりを主題とする社会学的研究

⑴ 研究者コミュニティとの関係

 社会学の社会貢献という場合の「社会」と「貢献」を具体的に考察するために,ここでは,

私自身のひきこもりに関する社会学的研究を事例として検討する。この事例を社会学研究の 典型的な事例と言うことはできないが,ここで私個人が行なってきた研究を取り上げる理由 は,その都度の研究の経緯や意図について研究活動の当事者として多くの知識があるためで ある。この事例を研究の経緯にさかのぼって検討し,なるべく一般化可能な見解を導き出し たい。

 私自身のひきこもり研究の経緯を簡単に振り返ると,そもそも私が学問研究に関心をもっ た背景には次のような疑問があった。「なぜこの世界は存在しているのか」,「人は(この世界 が存在する理由を知らないにもかかわらず)なぜこの世界を当たり前のものとして受け取る ことができているのか」。こうした形而上学的といわれるような疑問から大学入学当初は哲学 を専攻しようと考えていたが,哲学の入門講義に興味を持つことができず,社会学を専攻す ることにした。その当時,神戸連続児童殺傷事件(酒鬼薔薇事件(8))について,少年 A を「脱 社会的存在」(社会規範をそもそも内面化していない主体)ととらえる社会学者による解釈

(宮台 1997)を目にしたこともあり,自分の疑問は社会学の分野で扱いうるかもしれないと 考えた。

 その後,大学院に進学し,自分自身の研究テーマを社会学領域の先行研究のなかにどのよ うに位置づけるか,いいかえれば社会学者の研究コミュニティのなかに自己の研究を位置づ けるか,という課題に直面した(9)。この事態にたいして,私自身は,ひきこもり経験者の自伝 的著作(上山 2001)のなかに上述の問題関心につながるテーマを見いだしたことを自分なり の根拠として,ひきこもり経験についてのインタビュー調査や参与観察を進めてきた。調査 の経験を通じて問題関心も変化していったが,その都度自分の研究の社会学的意義を説明し ながら,学会発表や研究論文の執筆を続けてきた。

 研究関心が社会学の研究者コミュニティのなかに位置づけられなければ,研究関心は「私

(8)

的な」関心にとどまり,研究者コミュニティにとって意義ある研究とは認められない。社会 学関連の査読誌に掲載されるためには,社会学領域の先行研究に対してその研究の位置づけ と学術的意義を明示し,査読(ピアレビュー)を通過する必要がある。

 つまり,研究が社会学的研究として成立するためには,研究者コミュニティのなかでその 研究の学術的意義の説明―これまで問われてきた研究テーマや問いに対して,自分の問い がどのように位置づけられ,どのような意義をもつのかを説明すること―が求められる。

このことは,一定のキャリアを積んだ研究者にとっては自明の前提であろう。

 藤垣裕子は,研究者コミュニティを,学会誌を単位とする「ジャーナル共同体」(藤垣 2003:14-21)ととらえ,ジャーナル共同体への参加プロセスについて次のように述べてい る。

まず研究者が一つのジャーナル共同体参入のための訓練をする。それは,レフェリーに 掲載許諾(accept)される論文を書く訓練である。その訓練に成功すると,その分野の 問題設定を「暗黙の前提」とするようになる。そして,後続の論文の書き方を同様に教 育するようになる。その結果,訓練のない論文はますます「奇妙に」見えるようになり,

問題設定が分野の常識からずれているようにみえるようになる。その分野の常識にあっ た書き方がされていなければ,論文は掲載拒否(reject)される。この繰り返しによっ て,専門分化はますます進行する。このことによって専門分野はタコツボ化される。専 門内での問題意識は「洗練」され,その流儀にあっていないものははじかれるようにな る。(藤垣 2003:23)

このように,研究者は研究者コミュニティのなかで自分の研究を研究として成立させ,研究 者としての自己を成り立たせる。これは社会学者としての二次的社会化の過程でもある(10)。  研究者コミュニティの中に自分の研究を位置づけることは,多くの場合,社会貢献以前の 事柄だとみなされている(11)。「社会貢献」という語の通常の用法においても,研究者コミュニ ティの外部との関係が主題であり,研究者コミュニティの内部における研究の成立事情につ いては関心が払われることが少ないといってよいだろう。

 だが,研究の社会貢献を考えるうえで,「研究者コミュニティのなかに自身の研究を位置づ け,他の研究者に受け入れられる必要がある」という事情に注目することは重要である。

 研究という営みは,完全に「個人的な」道楽であることはできない。研究論文においては,

「世界を理解したい」という研究者個人の研究関心を研究者コミュニティの他の成員にとって も有意義なものとして提示する必要があるし,さらに研究成果が査読誌に掲載されるために はピアレビューにおいてピアとしての研究者からの評価と向き合い,その研究成果が何らか の「貢献」(学問的貢献)をなしていることが認められなければならない。さらに研究活動が 研究者コミュニティの内部に閉ざされたものではなく,研究コミュニティの外部との関わり

(9)

において成立していることを考慮すれば,学問的貢献をめぐる議論ははるかに複雑なものと なる。研究者の研究関心は研究者コミュニティ内部に閉ざされたものではなく,外部のステー クホルダーとの影響関係のもとにあることが分かるからである(12)

⑵ 研究者コミュニティ外部との関係

 研究活動は研究者コミュニティの外部に広がる多様なコミュニティやステークホルダーと の関わりにおいて行われ,また研究者コミュニティの外部からさまざまな期待が寄せられる。

次に,そうした研究者コミュニティ外部との関係を視野に入れて社会貢献を考察する。

 ふたたび私個人の研究事例に立ち返る。研究者コミュニティの外部には多様な関係性―

たとえば大学組織,調査フィールドの人々など―があるが,ここでは社会学研究の多くが 何らかの形でもつ調査フィールドとの関係を取り上げる。調査フィールドに入って間もなく

「あなたは研究者として,私たちに何をしてくれるのか?」と,あるひきこもり経験者から問 いかけられた。ひきこもり経験と社会との関係を研究テーマに決め,調査フィールドに入ろ うと考えた際,一歩を踏み出すことをためらった理由のひとつも,自分の研究が調査フィー ルドの人たち―とりわけ,私が調査対象とするひきこもった経験をもつ人たち―にとっ てどのような意義をもちうるのかという点への確信の持てなさにあった。

 今から考えればそれはある意味で当然である。調査フィールドにはさまざまな考えをもつ 人たちがいる。ひきこもった経験のある人たちだけをみても,いわゆる「社会復帰」に肯定 的な人もいれば,批判的な人もいる。また,家族には家族の立場・事情があり,その中身も 一枚岩ではない。家族の立場にとっての利害は,ひきこもる当人の利害と対立することもあ る。たとえば,すぐにでも社会復帰してほしいと望む親と,ひきこもることを必要とし,自 分なりの社会とのかかわりを模索する時間を求めている本人との葛藤がある。こうした実情 は,実際に調査フィールドに入ってみなければ見えてこない部分もある。研究活動には,研 究者コミュニティの内部での他の研究者との対話だけでなく,調査フィールドの多様な人々 と対話も含まれている。

 さらに,ひきこもるという経験についての問題理解の枠組み自体が,調査を通じて変化し ていった。たとえば,私は当初,ひきこもることは本人にとって苦しい経験であり,ひきこ もり経験者はひきこもりたくてひきこもっているわけではない,と考えていた。それゆえ,

なんとかひきこもり状態から脱する方策を見いだすことが解決であり,調査協力者への貢献 ではないかと考えていた。だが,調査を続けるうちにそうした理解が安直なものであること に気づいていった。たしかに彼・彼女たちの多くはひきこもることを望んでひきこもったわ けではない。では,「ひきこもりたくない」「ひきこもった状態から脱したい」ということだ けが彼・彼女たちの本音なのかといえば,そう言い切ることもできない。彼・彼女たちの生 活史には,ひきこもるに至った何らかの必然性があり,ひきこもらざるを得なかった,ある いはひきこもることが必要であったという側面もある(13)。こうした事情を考慮すれば,「ひきこ

(10)

もりから脱することが解決である」という前提は,安易な問題理解にもとづくものだと言わ ざるを得ない。

 調査研究を続け,研究者コミュニティの内外の人々と対話する中で,問題自体が当初とは 違った見え方をしてくる。利害が絡み合うところに問題が成り立っているために問題解決が 容易ではないことも見えてくるし,当事者にとっての問題が当初の想定とは別のところにあ ることに気づくこともある(14)

 ここからは,調査フィールドの人びとからの期待や要請にすぐに応えようとしないこと,

自分の研究が何の役に立つのか明確に説明できない居心地の悪さに耐えつつ,しどろもどろ の説明であってもしばらくは何とか調査フィールドに居させてもらうこと,まずはフィール ドの様子をしっかり観察し,記述することの重要性を確認することができるだろう。

4  考 察―社会と貢献の多様性

 私個人の研究を社会学研究の一事例として参照しつつ,社会学研究の社会貢献について若 干の検討をおこなった。検討から見えてきたことは,第 1 に,研究者コミュニティという部 分社会における学術的貢献という側面に注目する必要性である。研究活動は,かならず研究 者コミュニティに受け入れられるとはかぎらない(15)。研究活動の動機には,研究者コミュニティ とどのように折り合いをつけうるか分からないという意味で「私的な」関心が含まれている だろう。研究活動には,その「私的」な関心を研究者コミュニティとの対話の中で学術的意 義をもつ研究関心へと編み直してゆくプロセスがある。

 そのプロセスは,研究者個人の研究関心を,一方的に研究者コミュニティの既存の研究関 心にすり合わせるというものではなく,先行研究を研究者の関心から再解釈しながら自己の 研究を位置づけてゆくという,双方向的に影響を与え合うプロセスである。ピアレビューの 過程においても,ピアとしての他の研究者からの要請にすべて応じるのではなく,ある要請 については積極的に反論するという応答の仕方もあるだろう。

 このように研究者は,研究者コミュニティのなかで,他の研究者との対話を続けながら,

研究を展開させている。査読というシステムがある以上,対話を続けなければ研究者コミュ ニティのなかで研究し続けることはできないともいえる。

 そして第 2 に,個々の研究者はそれぞれの仕方で研究者コミュニティ外部のさまざまなコ ミュニティやステークホルダー―フィールドの人々,研究助成を得ている財団,大学組織,

マスメディアなど―と関わっているということに注目する必要がある。そうした研究者コ ミュニティ外部のステークホルダーとの関係においても,研究者は自らの研究関心や研究成 果を彼・彼女らにとっても意義あるものとして提示することを要請される。

 つまり,研究活動は,研究者コミュニティ内部の対話だけでなく,調査フィールドなど,

研究者コミュニティ外部の多様なステークホルダーとの対話の中でおこなわれており,対話 のプロセスを通じて研究関心や研究活動それ自体が変化してゆく。

(11)

 そして,調査フィールドの人々との対話を積み重ねた研究関心が,今度は研究者コミュニ ティに持ち込まれ,研究者コミュニティの内部での対話を通じて研究者コミュニティのあり 方―その主題や研究方法など―に変化を生じさせることもある。

 このように考えれば,研究者コミュニティはその外部と断絶した,均質な「象牙の塔」で はない,ということになるだろう。研究者コミュニティには多様な研究関心をもつ研究者が 集っている。個々人の研究活動が研究者コミュニティ内部だけでなく,外部の関係者との対 話の中でおこなわれているのだとすれば,研究者コミュニティ内の他の研究者との対話は,

間接的に研究者コミュニティ内外の無数の利害関係者と関係をもつことである。

 このような研究者コミュニティの内部と外部との,研究活動を通じた相互影響関係を,図 1 のように描くことができるだろう。

図 1  無数の利害関係者と貢献の多様性

研究者コミュニティ 学生

「一般市民」

調査フィールドの人々 文部科学省

学術会議

マスメディア

大学組織

産業界

 研究者コミュニティ内外の無数の人々の要請に向き合い対話を続けながら,研究者は研究 活動を継続し,「貢献」のあり方を考える。研究者は,周囲からの要請や期待を受けとめ,そ れに応えたりときには応えなかったりしながら,研究を進めてゆく。そうした相互作用の過 程で,研究関心も研究活動のあり方も変化してゆく。対話とは,一方が他方をコントロール することではなく,お互いが相手の立場を理解しようと努めながら,自分の主張と相手の主 張の折り合う点を検討し合い,合意を形成してゆくプロセスである。そこには,自己の見解 や立場の変化が必然的に含まれている(16)

 このように考えると,社会学の社会貢献において,「社会」の内実としての利害関係者も,

そうした人々への「貢献」のあり方も,多元的なものであるし,そうあるべきだと言うこと

(12)

ができるだろう。

 社会貢献が多元的であることの重要性は,社会学の研究者コミュニティという水準と,個々 の研究者という水準, 2 つの水準それぞれについて指摘することができる。

 まず研究者コミュニティという水準についていえば,研究者コミュニティ内部で,特定の

「社会」(研究者コミュニティの外部)に対する特定の「貢献」―たとえば経済的領域への 貢献―への意識が高まることは,逆説的だが,研究の社会貢献の可能性を実質的に狭める ことになる。なぜなら,一元的な社会貢献への意識の高まりは,研究活動に期待を向ける多 様なステークホルダーとの対話の展開可能性を阻害するからである。

 研究活動は社会貢献という動機にとどまらない,研究者個人の「世界を理解したい」とい う「私的な」関心に根ざしており,その知的関心が研究者コミュニティ内外の多様なステー クホルダーとの対話を通じて変化してゆくことで,研究者の側も利害関係者の側も合意しう る研究活動が展開できる。研究者コミュニティにおいて研究者同士の真摯な対話が保障され ていることが,そうした研究活動の土台となる。

 一方,個々の研究者という水準についていえば,研究者コミュニティ内外の多様な関係者 との対話のなかで自分自身の研究関心を育てながら,研究者としての社会貢献のあり方をそ れぞれの研究者が考えることを通じて,研究活動は豊かなものになり,研究成果の還元とい う実践も豊かなものになるといえるだろう。

 多元的な社会貢献を実質的に保障するものは,個々の研究者が多様なステークホルダーと の対話の回路を閉ざさないことである。研究者には,研究者コミュニティの内部においても 外部において,利害関係者の期待や要請に性急に応えようとするのではなく,かといって期 待や要請に応えないことに開き直るのでもないような関係形成が求められる。なぜなら研究 者コミュニティの内外で,ときには期待に応えられない(応えない)居心地の悪さに耐えな がら対話を継続するなかで,はじめて関係者が合意可能な研究活動と貢献の展開可能性が見 出されるからである(17)

5  結語にかえて

 本稿では,まず社会学の研究者コミュニティにおいて,「社会への説明責任を果たし,積極 的に社会に貢献するという仕方で,社会からの要請に応える」という自覚が高まっているこ とを日本社会学会の研究倫理綱領や『社会学評論』の特集号などから確認した。同時に,そ うした社会貢献への意識の高まりに対する違和感も表明されていることを紹介した。

 ついで,日本社会学会会員対象調査から,日本社会学会会員の 9 割近くが「社会学の研究 者は積極的に社会貢献すべき」と考えていることを示し,そのうえで社会貢献それ自体を肯 定するか否定するかを議論するのではなく,社会貢献という場合の社会とは何か,貢献とは 社会にたいしてどのような関係をもつことなのかを検討する必要があると指摘した。

 さらに,私個人の研究事例の検討を踏まえて,何が社会貢献であるかについて一元的な答

(13)

えを出すのではなく,研究活動が,研究者コミュニティ内部での対話,研究者コミュニティ 外部の多様な関心をもつ人々との対話であり続けることが重要だと論じた。

 研究者コミュニティの外部からは様々な貢献への期待が寄せられる。人文・社会科学の領 域でも,産業界からの要請や高等教育政策において「社会の役に立つ研究・教育」への要請 は根強くある(18)

 だが,本稿での検討を踏まえれば,社会貢献のあるべき形,一元的な基準を打ち立てると いう方向の議論には慎重であるべきだ。政策立案への貢献,調査フィールドの人々への貢献,

学生への貢献といったように多様な社会への多様な貢献があり,研究活動の社会貢献は,ス テークホルダーとの具体的な対話を続ける中で考えられる必要がある。本論で述べたように,

関係者との具体的な対話においてこそ,研究者とステークホルダーとの双方が合意しうる貢 献のあり方が見えてくるからである。

 望ましい社会貢献があるとすれば,それは研究者コミュニティおよびひとりひとりの研究 者が,研究者コミュニティ内外のステークホルダーとの対話を閉ざすことなく研究活動を継 続してゆくことによってのみ漸近しうるものなのではないだろうか。

参 考 文 献

藤垣裕子,2003,『専門知と公共性―科学技術社会論の構築に向けて』東京大学出版会.

長谷正人,2010,「『社会学』という不自由」『思想地図 vol.5―社会の批評』,NHK 出版.

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那須壽,2016,「我が国における大学の『危機』と学知の変様」『学知と社会の関係に関する 理論的・実証的研究(2013~2015年度文部科学省科学研究費補助金〔基盤研究(C)〕研究 成果報告書)』.

那須壽編著,2010,『2007年度~2009年度 科学研究費補助金 基盤研究(B)「知の構造変動に 関する理論的・実証的研究」 研究成果報告書』.

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―, [1953]1962, “

Common-sense and Scientific Interpretation of Human action,

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(14)

1983, 渡部光・那須壽・西原和久訳「人間行為の常識的解釈と科学的解釈」『アルフレッド・

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Symbol Reality and Society,

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The Problem of Social Reality, Martinus Nijhoff.(=1985,渡部光・那須壽・西原和久訳

「シンボル・現実・社会」『アルフレッド・シュッツ著作集 第 2 巻 社会的現実の問題[Ⅱ]』 マルジュ社.)

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塚原修一,2013,「文系と理系の違い―文理の克服とその課題」広田照幸ほか編『研究する 大学―何のための知識か』岩波書店.

上山和樹,2001,『「ひきこもり」だった僕から』講談社.

上山隆大,2010,『アカデミック・キャピタリズムを超えて―アメリカの大学と科学研究の 現在』NTT 出版.

( 1 )本稿は,2017年11月13日に開催された第19回立正大学社会福祉学会大会シンポジウム

「社会福祉研究の社会的還元について考える―成果を学生教育・地域貢献にどう活かす か」における報告「社会学における研究成果の社会的還元について」の原稿を大幅に改 稿したものである。

( 2 )先行研究については後述する。こうした事情の背景には,何よりも科学技術が社会に 与えるインパクトの大きさがあると考えられるが,それだけではなく約90万人の日本の 研究者のうち,87.5%が自然科学分野の研究者であるという事情もある(総務省統計局 2016)。

 なお,総務省統計局「平成28年科学技術研究調査」(総務省統計局 2016)によると,

所属組織別にみた研究者の人数は,企業等に所属する研究者が約53万人で全体の59.6%

(そのほとんどが自然科学者),非営利団体が約 1 万人で1.1%,公的機関が約 3 万人で 3.8%,大学等が約22万人で35.5%である。大学等に所属する研究者にかぎって分野別の 構成比をみると,大学所属の研究者のうち67.9%が自然科学分野,32.1%が人文・社会科

(15)

学分野の研究者である(下表参照)。

表 所属・分野別にみた研究者(実人数・%)

自然科学 人文・社会科学 合計

企業 534,040 (98.7%) 6,855 (1.3%) 540,895 (100.0%)

非営利団体 9,147 (88.7%) 1,162 (11.3%) 10,309 (100.0%)

公的機関 31,719 (92.9%) 2,432 (7.1%) 34,151 (100.0%)

大学等 218,798 (67.9%) 103,302 (32.1%) 322,100 (100.0%)

合計 793,704 (87.5%) 113,751 (12.5%) 907,455 (100.0%)

(総務省統計局(2016)第 1 - 1 表・第 2 - 5 表より筆者作成)

( 3 )シュッツによれば,「科学的理論化」という精神の活動ないしレリヴァンスのあり方に ついて論じることと,(身体を介して働きかける世界としての)「ワーキングの世界の内 部に在る科学」について論じることは別の事柄である。科学的理論化が,世界をよりよ くしたい,生活を向上させたいといったプラグマティックな動機からなされることは大 いにあるが,そうした現世的な動機と科学的理論化という態度,もしくは科学的理論化 という過程のあり方それ自体は切り離して論じることができるからである(Schutz[1945]

1962:245-246=1985:58-59)。たしかに,レリヴァンスのあり方の違いを理念型とし て整理する場合にはそのように言うことは可能であろう。だが,社会のプラグマティッ クな要請に応答するために科学的研究の「主題」や「方法」が変化することはあるし,

さらには科学的理論化に要請される手続きさえも変容することがあるのではないか。本 稿が社会貢献という側面から社会学のあり方を考察する背景には,そのような問題意識 がある。

( 4 )科学研究全般が社会との関係を問われているという認識は,1999年,ブダペストで開 催された世界科学会議で採択された「科学と科学的知識の利用に関する世界宣言」に明 確に示されている。この宣言は,20世紀までの科学が「知識のための科学」を基本とし てきたことに対して,21世紀の科学は「平和のための科学」「開発のための科学」「社会 における科学,社会のための科学」であるべきだと明確に謳った(塚原 2013:147)。科 学研究は,知識の増進を自己目的とするのではなく,社会にとって有用な科学的知識の 発展を目指すべきだという宣言である。

( 5 )前掲の調査(総務省統計局 2016)によれば,人文・社会科学の研究者の90.8%は大学 等に所属している。詳細な検討は本稿の範囲外だが,このことから文部科学省の大学政 策が人文・社会科学研究のあり方を左右しうるといってよいだろう。

( 6 )「社会にとっての貢献」が特定の文脈に限定されているという事態は,科学一般につい て言えるように思われる。注 4 で述べたように,世界科学会議が採択した宣言は「社会 のための科学」を掲げたが,小林(2013:14-15),玉井(2013),上山(2010)らが指

(16)

摘するように,社会にとって有用な科学的知識は,「人類のための公共財」として位置づ けられているというよりは,実際には軍事利用を中心とする「国民国家のための公共 財」,あるいは企業や企業体としての大学のための私的財としての性格を強めているから である。

( 7 )調査は「知の構造変動に関する理論的・実証的研究」(科学研究費助成研究:2007~

2009年度/基盤研究B/代表:那須壽/課題番号19330119)の一環としておこなわれた

(調査実施期間2009年 2 月~ 3 月)。調査対象は,日本社会学会の一般会員全員(学生会 員をのぞいた全数調査),有効回収票数は,プリテストと合わせて,766票(配布2,592 票,回収率29.9%)である。調査・調査結果についての詳細は,那須編著(2010)を参 照。なお,関水・飯田(2016)においても,同調査データを対象に世代に注目した関連 する分析がおこなわれている。

( 8 )1997年,神戸市須磨区で起きた連続殺傷事件(小学生 2 名が死亡,3 名が重軽傷)。当 時14歳の少年が逮捕されたことで大きな注目を集めた。

( 9 )前節で述べたように,本稿では社会学分野の研究者としての自己アイデンティティを もつ人を社会学者とみなし,そのような人々の集合を社会学の研究者コミュニティとと らえている。

(10)この過程を通じて研究者がジャーナル共同体に「忠実」になることで専門主義が進行 し,市民の側からかえって「不信」を招くことを藤垣は指摘する(藤垣 2003:26-27)。

(11)「象牙の塔にこもり,同業者だけにウケる自己満足のための研究」(太郎丸・大谷 2015)

という表現も,研究者コミュニティへの貢献を社会貢献とはみなさないという立場を表 明したものだといってよいだろう。

(12)このことのより詳細な含意は考察において論じる。

(13)この必然性は,ときには本人にさえ理解しがたいものである。

(14)調査フィールドの人々にたいする貢献(研究成果の還元)を意識して問題解決策の提 示を急ぐことは,上述のような調査フィールドの人々の立場の多様性への理解を阻害し,

特定の前提を結果的に社会学知(研究成果)の狭隘化という落とし穴にはまることにつ ながりかねない。大学院では指導教員をはじめ複数の教員から「すぐに解決策を提示し ようとするな」という指導を受けたが,こうした指導にはそのような警告が込められて いたと言えるだろう。

(15)この点に関して,藤垣は,ジャーナル共同体では,その分野で正統と認められる研究 の範囲を確定する妥当性境界の線引き作用が絶えずおこなわれていると指摘する(藤垣 2003:33)。

(16)本稿で「対話」と呼ぶプロセスについて,藤垣は,科学者共同体の専門知と現場固有 の知識(ローカルノレッジ)との間で成立する「社会的合理性」に基づく意思決定とい う観点から考察している(藤垣 2003:第 8 章,第 9 章)。社会的合理性の形成過程にお

(17)

いて,科学者は裁判官ではなく証人の一人であると藤垣は指摘する(藤垣 2003:173-

175)。藤垣の議論は主に自然科学を主題とするものであるが,専門家と市民の双方向的 学習を強調する「公共空間モデル」(藤垣 2003:189-197)は,本稿の議論と共通する 点が多い。

(17)研究活動への理解を得るためにも,知的関心を抱く研究者コミュニティの外部にいる 人々がアクセスしやすい形で研究成果を公表してゆくことは,研究者個人にとって最低 限求められる活動であり,社会貢献でもあるだろう。

(18)その要請は自然科学分野の研究者に対してより露骨な形でおこなわれている。たとえ ば,防衛省防衛装備庁が2015年度以来公募している安全保障技術研究推進制度(デュア ル・ユースと呼ばれる,防衛技術にも応用可能な民生技術の研究開発への資金提供)は 軍事研究の推進を期待するものとして議論を呼んだ例である。この制度については,日 本学術会議が2017年に「軍事的安全保障研究について」と題する報告書を公表し,「政府 による研究への介入の度合が大きい」制度であると批判的なとらえ方を示している(日 本学術会議 2017)。

表 2  出生コーホート×「どのようなかたちで貢献すべきか」(複数回答) 1 .教育 活動を通 した次世 代の養成 2 .研究 活動を通した社会学的知識 の蓄積 3 .マスメディアを通した意見の発信 4 .政策立案への参画 5 .市民活動への参画 6 .そ の他 無回答 ケース数(N) 1930年代以前生 34 72.3% 36 76.6% 16 34.0% 25 53.2% 23 48.9% 0 0.0% 0 0.0% 47 1940年代生 90 75.6% 81 68.1% 36 30.3% 57 47

参照

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