「 企業の不法行為」論 をめ ぐる近時の動向 と問題点
、神 田 孝 夫
一二三四五六
序 論
「企業の不法行為」論生成の契機 と展開
「企業の不法行為」論に対する諸批判 批判論の検討
他の法律構成の是非 むす び
一 序 論
企業活動 にたず さわる者が第三者 に損害 を生ぜ しめた場合,被害者 としては, 故意過失 を立証の うえ当の加害者 の不法行為責任 を問えるほか,彼が企業 に雇 用 されていた り,企業が法人格 をもち彼がその代表機関であるといった場合 に
は,右企業 に対 しても損害の賠償 を求めうる。 これが民法上の原則であ り,氏 法709条,同715条,同44条がそれぞれの根拠条項 となる。以上が従来の一般的 理解である し,判例 も基本的にはそうである。
これに対 し,企業活動 にある程度付随 して生 じた加害 については企業そのも のを不法行為者 ととらえようとの考 え方 ‑ 本稿で はこれを 「企業の不法行 為」論 とよぶ ‑ が, とくに昭和40年代後半,漸次,ひろい支持 をうけるよ うになった。それ には10数年前 の筆者 自身の小論(1)も若干 の寄与 を している はずであるが,近時は, これに対 し,正面か ら異論 を示す学説判例が一部 にみ られる。また,伝統的な処理 に内在する難点の解決 を志向する点で 「企業の不 法行為」論 と同一 の基盤 に立 ちつつ も,他の法律構成 を提唱する論者 も少な く
ない。
(1) 「企業の不法行為責任について」北大法学論集21巻3号61頁 (昭和45年)0
〔347〕
本稿 は,か ような事情 にかんがみ,「企業の不法行為」論の妥当性 を検証す る作業の一環 と して,近時の学説判例の動向を批判的に検討 しようとす るもの である。(2)
以下では,問題の要点 を明 らかな らしめる意味で,まず
,
「企業の不法行為」
論 の生成 の契機 とその後 の展開状況 を簡単 に省み (第二節 ),次 に,異論 を示 す近時の学説判例の概況 をみたうえ (第三節 ),その当否 を検討する (第 四節)0 ひきつづ き,他 の法律構成 を提唱する諸学説の是非 をながめ (第五節 ),最後 に, ひろく損害賠償制度のなかにおける 「企業の不法行為」論の意義 といったもの を一言 して,むすびと したい。
ニ 「企業の不法行為」論の生成の契機 と展開
(1) 「企業の不法行為」論 が登場するに至 ったのは,前述 した民法上の原則 による処理では理論上 ・実際上の疑義が少な くないか らである。
理論上 ・実際上の疑義 とは, こうである。
第‑ は,企業活動の一端 を担 うにすぎない従業員個人 を全損害の加害者 とと らえることへの疑問である。加害の直接的な契機 が個 々の従業員の過失 にある としても,それが業務 に付随 してある程度不可避的に生 じたものであるとか, 損害d)質的 ・量的拡大 につ き企業の もつ人的 ・物的組織が媒介 となっているご とき場合 に,損害の全 てを当該従業員の責任 に帰せ しめるのは酷 といえる。企 業 (法人 )の代表機関の過失 に起因するというのであれば,彼 は,企業活動の 総括者 と して,本来,人的 ・物的組織の管理 ・運営全般 につき高度の注意義務 を負 う以上,全面的な賠償責任 も直ちには不当といえないだろうが,一介の従 業員 につ いてはいかにも不合理であろう。
第二 は,具体的な従業員個人 を不法行為者 と考 えることは被害者救済の面で 問題がある,ということである。複雑かつ大規模 な企業組織の中か ら直接の加
(2)本稿は,筆者の近稿 「企業責任」ジュリス ト増刊民法の争点Ⅱ166頁以下 (昭和60年 ) を補完するものであるが,独立の論文としての体裁を整える必要上,前稿と一部重 複する論述を含むことをおことわりする。
「企業の不法行為」論 をめ ぐる近時の動 向と問題点 349
害従業員 を特定すること自体困難だ し,生産工程 その他企業内部の事情 にうと い被害者 が当の従業員 にいかなる点 で過失 あるか を立証す るの は至難であろ う。 このために当の従業員 に対 し賠償請求 をな しえないというだけなら, こと は,まだ, さほど重大ではない。問題 なのは,民法715条 にもとづ く企業 の賠 償責任 を問 うに しても,被用者 (同条特有の概念 だが,いわゆる従業員 はすべ て これに当るといって よい。以下,従業員 をさして被用者 とよぶ。)の有責性 の存在 が前提要件 と して必要 だと解 する今 日の通説 ・判例(3)の もとでは, こ れが桂桔 となって,企業への訴求が事実上 きわめて困難 になる, ということで ある。
被害者 としては,別 に民法44条 による企業の賠償責任 を訴求する途がある。
代表機関の注意義務 は一般被用者 に比すればはるかに高度であるか ら,その過 失 に加害の淵源 あ りとして企業の賠償責任 を導出することは,ある程度 は可能 であろう(4)。しか し,注意義務が高度 といっても,そこには自ずと限界があ り, 常 にそうしようとするな ら,過失の擬制 を余儀な くされるであろう。
第三 は,従来の こうした処理のもとでは,企業 には通常の過失責任 を超 えた 厳格 な責任 を課すべきだとの既 にかな り一般化 している要請に応 えることがで きない,ということである。厳格 な責任 を課すべき根拠 と しては,理論的には 危険責任や報償責任の原理があげられ,実際的には企業 はコス トに組み入れる ことにより責任 を社会的に分散 した り責任保険を通 じて同業者に責任 を配分 し うる可能性 を有 す ること等 があげられる(5)。 ところで,通説 ・判例 によるか
(3)通説 ・判例法 の形成過程 につ いては,前掲 「企業の不法行為責任 につ いて」 で詳論 した。
(4)か ような観点か ら判例 の実態 をながめたもの としては,拙稿 「法人の責任」別冊 ジュ リス ト続判例展望122頁以下 (昭和48年 )。民法44条 については,およそ法人の機関 による不法行為のすべてに適用 あるとの学説 もある。たとえば,新田敏 「法人の行 為 ‑ 事実行為 を中心 と して ‑ 」慶大法学研究44巻3号231頁 (昭和46年 )。筆 者 もこれに傾 くが,本稿 ではと りあえず,通説 ・判例 に追従 して,代表機関 による 加害 を想定す る。なお,通説 ・判例 は,代表権限なき機関による加害 につ いては民 法44条 もしくは民法715条のいずれか を準用すべ Lという。
(5)無過失責任論 の根拠 ・機能 を要約するものと して,例 えば,加藤一郎 『不法行為』
有斐閣 (昭和32年,増補版昭和49年 )19頁以下。
ぎ り,民 法715条 で は被 用 者 の ,民 法44条 で は代 表 機 関 の有 責 性 が前 提 と して 要 求 され るが ,彼 らに は, 過 失 責任 原 則 を修 正 す べ き前述 の諸事 由 が少 な くと も直 ち に をま妥 当 しな い で あ ろ う。 この結 果 ,民 法715条 , 同44条 と もに,全 体 的 にみ る と過 失 責任 原 則 の枠 内 に と どま る もの と い う ことにな り, さきの要 請
に は到底 応 え え な い といわ ざる をえ ないの で あ る。(6)
以 上 の疑 義 に対 して,一 部 の学 説 ・判例 は, か ね てか ら,事 莱 上 , あ る程 度 の対応 策 を講 じて は きた。被 用者 の責任 を軽 減 す るため に,使 用 者 の被 用者 に 対 す る求 償 を制 限 した り(7),被 害 者 の便 を図 って民 法715条 責任 に は加 害 被 用 者 が厳 格 に特 定 され る要 は な い と し(8), ま た比 頃 的安 易 に代 表 機 関 の作 為 ・ 不 作 為 に淵 源 を求 め て民 法44条 責 任 を容 認 す る(9)。使 用 者 の責 任 を導 出 す る
た め に, あえ て被 用者 の有 責性 を擬 制 に近 い程 厳 しく認 定 す る とい った こと も 行 われ る。(10)
しか し, こ うい った事 実 上 の処 理 に は,詳 論 の余 裕 はな いが,実 際上 の限界 が あ った り,理 論 上 の難 点 が存 す る こと は否 め な い(ll)。 せ いぜ い過 渡 的 な処
(6)民法715条 におけるかような限界 は,かな り古 くか ら指摘 されていた。例えば,漢 井清信 「いわゆる使用者の賠償責任 に関する一考察⊂)」法 と経済3巻4号89頁 (昭 和10年),我妻栄 「現代債権法の基礎理論」 日本国家科学大系第7巻122頁 (昭和17 年 )0
(7)学説上 は,戦前 に,すでに我妻栄 『事務管理 ・不当利得 ・不法行為』178頁 (一昭和 14年 )等がこれを主張 した。理由づ けはともか く,今 日,結論に異論 はない。判例 としては,昭和40年前後か ら下級審判決が陸続 として登場 し,この流れのうえに, 最判昭和51年7月8日民集30巻7号689頁が出,判例法と して確定 したといってよ い.学説 ・判例の概況 については拙著 『使用者責任』一粒社 (再版昭和57年)108 頁以下を参照 されたい。なお,‑近時の学説 は,右 との均衡上,賠償義務 を履行 した 被用者か ら使用者への求償 (いわば逆求償 )を容認すべきとする。たとえば,椿寿 夫 ・判例評論116号23頁 (昭和43年),川井健 『現代不法行為法研究』日本評論社 (昭 和57年104頁,なお,同所掲載論文の初出は,金融商事判例515号,昭和52年),田 上富信 「使用者責任 と使用者の求償」,『民法学6』117頁 (昭和50年 )など。
(8) この点については,拙著 ・前掲 『使用者責任』85‑86頁および148頁補遺 を参照 さ れたい。厳格 な特定 を不要 と明示的に説いた唯一の最上級判審判決が最判昭和57年
4月1日民集36巻4号519頁である。
(9)判例の実態については前注(4)掲記の拙稿 「法人の責任」127‑128頁 を参照 されたい。
(10) 梅毒輸血事件 として著名な最判昭和36年2月12日民集15巻2号24頁 は,その典型的 な例 といえる。
「企業の不法行為」論 をめ ぐる近時の動向と問題点 351
理 と して,その正当性 が容認 されるにとどまろう。
(2)上述の疑義 を‑ ときには部分的にではあったが ‑ 正面か らうけと め,抜本的な解決策 を探 し求めようとの努力 は,一部 にはかな り古 くか ら存 し た。企業の被用者 による加害 については,企業施設のいわば人的塀庇 に起因す る損害 とみて,土地工作物責任 に関する民法717条 1項 を類推適用するのが適 当であるとの説(12)(以下では717条類推適用論 とよぷ)や,企業が企業的統一 体 として外部 に向って活動する場合 は企業の主人 も被用者 も一体であって,両 者 を分離 して考える見方 は無用 であ り,企業が法人格 を有する場合 も 「法人の 理事 に限 らず一つの企業 という如 き組織体の構成員 たる被用者が組織体そのも のの機関と して働 いている中は,その者の行為は当然 に雇主の行為 と解 されて よく・‑‑」 といった見解(13)(以下では便宜上行為一体説 とよぶ),あるいは, 民法715条 ・民法44条のいずれにつ いても,直接の加害行為者 たる被用者 もし
くは法人の代表機 関の故意過失 は不要 と解すべ Lといった主張(14)(以下 では 便宜上代表機関 ・被用者の有責性不要説 とよぷ)が これである。 しか し,わが
(ll) 簡単 に二,三指摘すれば, こうである.内部的な責任軽減が図 られて も,対外責任 が全面的な容認 されるとすれば依然被用者 に酷 といえよう。加害被用者の特定 は不 要 との解釈態度 は715条 を代位責任 とみる従来の通説 ・判例の態度 と調和するのか。
伝統的な理解 によれば過失 は具体的な職務範囲 との相関関係で判断さるべきものの はずであり,加害被用者を特定せぬままで肯定 される不特定被用者の過失 とは何 な のか。 もし過失概念の変質 を容認するものであるなら,被用者団としての過失,ひ いては企業 自体 の過失 と構成する方が素直といえるのでないか。使用者責任 を導出 するための被用者の有責性の擬制 は,当の被用者が共同被告である場合 にきわめて 不当な結果 をもた らすであろう。
(12) 清水金二郎 「使用者賠償責任の基礎」法学論叢38巻5号170頁 (昭和13年 ),我妻栄 ・ 前掲 『事務管理 ・不当利益 ・不法行為』 181‑182頁,田島順 『債権法』弘文堂書房
(昭和15年)523頁。
(13) 戒能通孝 『債権各論』厳松堂書房 (昭和18年 )496頁。なお,同説の先駆的なもの としては,末弘厳太郎 「団体責任の原理」 (同 『続民法雑記帳』252頁以下所収,な お同論文の初出 は法律時報12巻9号,10号,昭和15年 ),舟橋芳一 「判例 に現れた る鉄道及 び電鉄交通事故」法政研究 5巻 2号 9頁以下 (昭和10年 )。なお,勝本正 晃 『債権法概論各論』有斐閣 (昭和24年 )282頁 も法解釈 の方 向づ けとして同旨を 述べる。
(14) 服部栄三 『株式 の本質 と会社 の能力』有斐閣 (昭和39年 )144頁 (なお,同所掲載 論文の初出は我妻還暦記念 『損害賠償責任の研究 (中)』有斐閣昭和33年)0
民 法学界 は,戦後 しば らくの間,これ らをあま り積極 的 には評価 しなか った。(15う
法律構成 と して技巧 にす ぎ不 自然 との感 を与 えた こと, あるい は一面的 な解決 にとどまって いた こと等 もその原 因 と思 われ るが,基本 的 には,当時 はまだ従 前 の法律構成 の限界 な い し難点 を強 く意識 させ る具体 的 な紛争 が必 ず しも一般 化 していなか った とい う事実 こそ,大 きな理 由 と考 え られ る。
しか し,昭和40年前後 か ら,製造 物責任 や公害 の適切妥 当 な法的処理 の必要 性 に直面 して,従前 の法律構成 の限界 と難点 が強 く意識 され る ようにな り,断 片的 にで はあれ,新 たな法律構成 の必要性 を説 く学説 が散見 され るようにな っ
た(16)。 こう した動 きの中で,筆者 と して も, この課題 にと りくみ,先学 に教 え られ なが ら,解決 の ための方策 を示 した(17)。それが前述 の 「企業 の不 法行為」
論 だが, それ に至 る道程 を要約的 にふ りか えってみるとこうで ある。
民 法717条類推 適用論 は,人的塀 庇 に よる加害 とと らえ る ことに よって被用 者 の過失 の有無 を問 わず企業 の無過失責任 が導 出 され ると し,仮 りに 「普通 の 過失」 が あって もそれ は人的畷庇 に吸収 され ると して被用者 の対外責任 を否定 す る。従前 の伝統 的処理 に内在 す る前述 の三つの問題点 の全 て を一挙 に解決 す るもので あ り, さ らに既存 の規定 を活用 す るとい う点 で も,注 目すべ き解釈 態 度 であ ったと考 え られ た。 しか し, これ にはい くつかの疑 問 も避 け られ ない。
(15)加藤一郎 『不法行為』有斐閣 (初版昭和32年)166頁,加藤一郎編 『注釈民法(19)』 有斐閣 (昭和40年)265頁 (森島昭夫執筆)などはその例である。
(16)製造物責任についてや有泉亨 「生産物責任論序説」内田力蔵はか編 『市民社会と私 法』東大出版会 (昭和38年)74頁,椿寿夫 「欠陥車と民事責任 (下)」 ジュ リス ト 436号 (昭和44年)152頁。公害についての加藤一郎編 『公害法の生成と展開』岩波 書店 (昭和43年)386頁 (加藤一郎執筆),戒能通孝編 『公害法の研究』 日本評論社
(昭和44年)61頁 (西原道雄執筆)などが代表的である。
(17) 前掲 「企業の不法行為責任 について」にひきつづき,「使用者責任における求償権 について」民事研修168号 (昭和46年),「被用者の故意過失」有泉亨監修 『現代損 害賠償法講座6』 日本評論社 (昭和49年)63頁以下においても,各テーマとの関連 で同旨を重ねて展開 した。もっとも観点には差がある。第‑論文では,企業に厳格 な責任を課する前提としての法律構成,第二論文では企業被用者の責任軽減という 要請に応えるためのそれを,また,第三論文では715条の要件論を左右する重要課 題として論及 した。なお,第‑論文とほぼ同時期に,行為論の側面から,同旨を説
いたものに,遠藤浩ほか編 『民法(7)』101頁,有斐閣 (昭和46年)があった。
「企業の不法行為」論 をめ ぐる近時の動 向と問題点 353
いったいいかなる場合 に 「人的塀舵」 あ りとされるか (過失 は不要 としても違 法性 はどうか,職務遂行 にある程度不可避 な加害 にとどま らないか),対外責 任の是非 を決するのに単 に 「普通の過失」 をあげるのみで十分か (加害 自体 は 過失 によるとしてもそれが職務 を逸脱する行為 に伴 うものであった場合 をも含 む ことになるか)といった諸点がまず問題であろう。また, これ らを別 として も,民法717条1項 を過失責任 の一環 で しかないと捉 える近時の学説の支配的 傾向か らすれば, この717条類推適用論 は独 自の存在意識 を失 う可能性がある。
工作物の設置保存上の塀庇 (過失 )に対応するのは,人的組織 については被用 者の選任監督上の塀庇 (過失 )に他 な らないゆえ,上記の説 は,企業被用者の 選任監督上の不適切 さに責任の根拠 を求めることになるか らである。 しか し, それな らば,あえて717条 を援用する実益 はないということができる。また, その法律構成のみでは,二節で示 した問題点の多 くは未解決のまま放置 される 理 となろう。
次の行為一体説 も,われわれの問題関心か らみてきわめて注 目されるもので あった。しか し,この主張の眼目は加害被用者の対外責任か らの解放 にのみあっ たと解 され,それがゆえに一定 の限界があった。すなわち, この主張 は,代表 機関の過失が法人企業の過失 と同視 されると同様 に企業被用者の過失が企業の 過失 と同視 さるべ きことを説 くにとどまり,具体的な被用者の過失 をはなれて 企業 自体 の過失 を観念するところまでは至 っていない。そのため,従来の伝統 的処理 における被害者救済 にとっての難点 (被害者 は加害被用者の過失 を立証 する要があるとの)は依然解決 されていない,ということができる。
代表機関 ・被用者の有責性不要説 は,その根拠 を 「他人の行為 に対す る責任 においては,その責任 自体がすでに客観化 されているのであるか ら,行為者の 故意過失 を問題 とすることは,他人の行為に対 して責任 を認 めた根本の趣 旨に 反するのではないか‑‑またか く解することは無過失責任思想の現状 にも適合 するであろう」 と説 くのだが,十分 な説得力 をもたない。 しかも,民法44条 は 企業外の法人 にも適用 があ り, また,民法715条 は企業のみな らずあらゆる使 用関係 に適用があることを考えると,かような態度の実際上の妥当性 はすこぶ
る疑問 とい うはか ない。加 えて, この主張 は,企業被用者 の対外責任 の是非 に つ いて特段 の考慮 をは らわない点 で,一面的 な解決 にとどまるとの限界 をもつ 。
こう して,筆者 は,一定 の場合 には企業 その もの を不法行為主体 と把 握 した うえ,企業被用者 の過失 の存否 を (もちろん代表機 関等 の過失 の存否 も)問 わ ず,直哉 に企業 自体 の過失 を問題視 して, その賠 償責任 を導 出すべ きで あると の結論 に至 った。一定 の場合 とは,結局,利益調節 のための政策 的判断 にな ら ざるをえないが,損害 の適正 な配分 とい う今 日の不法行為制度 の指導原 理 をふ まえて,次の ごとき事 情 を総合 的 に考慮 して判断 すべ き もの と考 えた (以下 は 主 と して問題 とな る被 用者 の場合 を念頭 においた)。第‑ は,被 用者 が 自己 に 与 え られ た職務 を企業 のため に遂行 す る過程 で生 ぜ しめた加害 か否 か,第二 は, 当該被用者 の担 当す る職務 が, その性質上 ,第三者 に損害 を及 ぼす危 険 を内蔵
してい るか否 か,第三 は,被用者 の過失 が加害 の 直接 的 な契機 阜なって いると して も,損害発生 が広 範囲 にわた り,全損害額 が巨額 となったにつ いて企業 の もつ人的 ・物 的諸要素 ない し組織 が媒介 となって いないか どうか,である。 こ れ によ り被用者 の対外責任 は制 限 され,他方 ,過 失 を段 階的 にと らえる ことに
ょ り,企業 に対 し厳格 な責任 を課 しうる途 が ひ らかれ る。(18)
筆者 がえた結論 には,他 に も検討 さるべ き多 くの問題 点 が あるが, それ は批 判論 の当否 を検討 す る際 に触 れ ることに しよう。
(3) 私見の公表後, ほどな くして,公害 の事案 につ き結論的 に私見 と同旨を 展 開す る下級審判決が登場 す るに至 った。下記 の ものがそれである。もっとも, 筆者 の拙 い小論 が どの程度参考 とされたか は,知 るよ しもない。
※熊本地判 昭和48年 3月20日 ・判例 時報696号15頁 (いわゆる熊本水俣病事 件 に関す る)。
(18) 民法44条構成に比 した場合の 「企業の不法行為」構成のメリットは
,
「企業に対する厳格な責任」のほか,次の諸点にあることになろう。被害者にとっては,損害発 生と代表機関の作為 ・不作為との間に具体的な因果関係の存すること,並びに彼に 過失が存することの立証が不要となる。代表機関にとっては,とくに,因果関係の 無理な認定にもとづ く対外責任の危険から逃れうる点が重要であろう。ただし,代 表機関の過失および因果関係が立証されるかぎり,その重要な職責からして,一般 被用者の場合と異なり,全面的な対外責任が容認されてよいであろう。
「企業 の不法行為」論 をめ ぐる近 時の動 向 と問題 点 355
「廃水 の放流 は被告 の企業活動 その ものであって,法人の代表機 関が その職務 を行 な う上 で他人 に損害 を加 えた り, あるいは又被用者が使用者の事業 の執行 に付 き第三 者 に損害 を与 えた りしたときの ように,特定 の人 の不法行為 につ いて法人 (使用者 ) が責任 を負 うべ き場合 とは自 らその本質 を異 にす るもの というべ きであるか ら,被告
(チ ッソ株式会社 )は,民法709条 によって損害 を賠償 すべ き責任 がある。」
この直後 に,理 由をなん ら示 さぬまま,「企業の不法行為」論 をとらなシl旨 を明言 した札幌地室蘭支判 ・昭和48年 8月18日(19)の ごときもあったが,昭和
50年 には私見 とほぼ同旨を説 く加藤 (一郎)論文,徳本 (鎮 )論文(20)が加 わ り, ひきつづ き,いわゆるカネ ミ油症事件 に関する数例の下級審判決が,相次いで
「企業の不法行為」論 を展開 した。下記 はその典型である。
※福岡地判昭和52年10月5日 ・判例時報866号21頁。
「‑形式的 に分析 すれ ば,被告 カネ ミの被用者 の行為 に過失責任 があ り,被告 カネ ミは使用者 と して民法715条第 1項 の責任 を負 うと構成 す るの も一方法 であろう。 し か しなが ら,有機 的統一組織体 と しての企業 において,複数 かつ不特定 の被用者 の企 業活動の一環 と しての行為 に過失 がある場合 には,む しろ個 々の被用者 の具体的行為 を問題 とす る ことな く,使用者 たる企業 自身 に過失が あると して直接民法709条 によ る責任 が あると解 す るのが直哉,簡 明であ り,相 当である‑‑」(21)
その後,学界では,実践的意図は必ず しも軌 を一 に しないが,「企業の不法 行為」論 に与する論稿が相次いだ。また近時の不法行為法 に関する概説書のす
(19)判時727号81貢 。判文 中 「組織 的企業体 の被用者 の行為 は,す なわちその使用者 で ある企業体 その ものの行為 で あると解 し,かか る場合 に,使用者 につ き民法709条 の不法行為の成立 を認 めようとす る見解 のあることは周知の とお りで あるが,当裁 判所 はかか る見解 を採用 しない。」 と述べ る。
なお,新聞の誤報 の事案 で,被害者 たる原告 が新聞社 を相手 に 「企業 の不法行為」
論 を展 開 したの に対 し,東京地判昭和50年 5月22日判 時794号79頁 は, これ になん の応答 もせず に,二次的主張 であった民法715条責任 を肯定 した。 これ も 「企業 の 不法行為」論 を否定す る判決 と位置づ けて よいであろう。
eo) 加藤一郎 「企業責任 の法理」 ジュ リス ト578号42貢 (昭和50年 ),徳本鎮 「企業責任」
法学教室第 ‡期 8号45頁 (昭和50年 )。 もっと も,徳本教授 は,断片 的 には,右以 前 に も数度 同旨を述べてお られ る ‑ ジュ リス ト499号13頁 , ジュ リス ト500号100 頁 (いずれ も昭和47年 )0
el) 同 じカネ ミ油症事件 に関す る福 岡地小倉 支判 昭和53年 3月10日判時881号17頁 も, 工場長 の代理監督者責任 の成否の前提論 中で 「本件事件 は・‑‑有機的組織体 である 被告 カネ ミその ものの直接 の不法行為 に起 因す るとい うべ きであ り‑‑」 と,同旨
を述べ る。
ベてが,同旨を説 いている(22)。民法715条の適用領域 との関係 いかん,いわゆ る法人論 との関係 いかんなど,細部 については末だ未完成な部分 を残すが,上 にみたように,基本的 には, この 「企業の不法行為」論 は,もはや判例 ・学説 上定着 したかに思 われた。 ところが, ここ数年,「企業の不法行為」論 に積極 的に異論 を唱える学説や判例が散見 されるようになっているのである0
三 「企業の不法行為」論に対する諸批判
(1) まず学説上 にみ られる諸批判 を概観 したい。時期的な先後 をとわず批判 点に着 目してとりまとめると,次の ようである。
第一 に,「企業 の不法行為」論 は過失 ある被用者や機関に無答責の特権 を与 えることになる点で不当であるとか,被用者の過失行為が介在する以上被用者 の民法709条責任 を完全 に否定 して しまうことは解釈論的に無理 との批判があ る。福地教授 ・相木教授 ・田上教授 らの述べるところである(23)。軽過失 にと どまる被用者でも対外的な損害賠償義務 を負 うとしつつ使用者への求償 (いわ ば逆求償 )を認 めれば足 りるとみる川井教授の見解(24)も同旨のもの とみて よ いであろう。
過失が一定 の精神的作用ない し心理状態である以上,企業そのものに直接過 失 を問題 とするのは不当である,換言すれば
,
「企業の不法行為十論がいう 「過 失 の客観化」という前提 自体不当であるとの批判 もある(25)。 もっとも, これ については,逆 に 「企業の不法行為」論 は過失 を問題 とする点で限界がある (無 過失責任 を帰結 しえない)と批難する論者 もある。(26)¢2) 幾代通 『不法行為』筑摩書房 (昭和52年 )206頁。前田達明 『民法Ⅵ2(不法行為)』
青林書院新社 (昭和55年 )23頁,四宮和夫 『事務管理 ・不当利得 ・不法行為中巻』
青林書院新社 (昭和58年 )295頁など。
¢ 3
) 福地俊雄 「法人の不法行為 に関する三 ・三の問題」南山法学1‑2合併号 (昭和56 年 )10頁,相本宏 「法人論」民法講座1有斐閣 (昭和59年 )170頁,田上富信 「使 用者責任」民法講座6有斐閣 (昭和60年 )506頁。e4) 川井健,前掲 『現代不法行為法研究』 104頁。
㈹ 相本宏,前掲論文169頁。
㈹ 伊藤進 『不法行為法の現代的課題』総合労働研究所 (昭和55年 )127頁 (なお :同 所掲載論文 の初出は平井宣雄 ほか編 『企業責任』有斐閣 (昭和48年 )。
「企業の不法行為」論 をめぐる近時の動向と問題点 357
次 に,民法715条がいわゆる中間責任 と して使用者 に厳 しい責任 を課 してい るわけだか ら, これをできるだけ広 く活用すればよい,代位責任 という考え方 をとりなが らも使用者の責任 を厳 しく認めていくことは可能である,被用者の 行為の特定 なども厳格 に解する必要 はない, もし直接的に企業の責任 を問題 と す るな ら民法715条 はな くともよい規定 になって しまうとの川井教授の指摘が ある(27)。企業の規模等具体的な事情 に適 した注意義務 を想定 し,そ こに被用 者の故意過失 を認定 してい くことがより適切 であるとの高梨教授の所論(28)も, 民法715条 を活用すべ Lとの点で川井説 と軌 を一 にするとみてよい。
(2) 反対論 を展 開する判決例 を次 にながめよう。「企業 の不法行為」論の趣 旨が必ず しも正確 に受 けとめ られず,また,「法人の不法行為」問題 との峻別 が明瞭でない面 もあるが,「企業の不法行為」論 に内在す ると考 え られる問題 点 につき看過 しえない説示がみ られる。やや冗長 に矢するが正確 を期す意味で, 重要部分 を原形 どお り紹介する。
※東京地判昭和57年 2月1日 ・判例 タイムス458号187頁。
いわゆるクロロキン薬害訴訟 に関する。原告 らが製薬会社への訴求にあた り 「企業 の不法行為」論 を主請求の論拠 としたのに対 し,次のごとく判示する。
「これを肯定するのは様々な理論上の問題点 を克服 しなけ町 ゴならない。第‑ に法 人の代表機関の故意過失 とは別個 に法人 自体の故意過失 というものが存荏 し得 るかが 問題 となる。また法人 に民法709条 によ り直接不法行為責任 を認 める場合,同条 にも とう く損害賠償責任 と民法44条 1項 に基づ く責任及 び民法715条 に基づ く責任 との相 互関係が訴訟物の異同もか らんで問題 となる。更 に法人の規模の大小により法人 自体 が民法709条 による責任 を負 う場合 と負 わない場合 とが考え られるが,その限界 を画 する基準が明確 でない。その外,実践的な見地か らも,企業活動 に伴 う加害行為が代 表取締役の故意過失 によるものか,あるいは,被用者の故意過失 によるものかを識別 することの困難 な事例がそれ程 しば しばあるとは考え られない し,被用者の故意過失 を問題 とする場合 には,氏名まで逐一特定する必要 はな く,会社の事業のいかなる部 門を担当する者であるかを特定すれば足 りると解 されるのであるか ら,代表者又 は被 用者のいずれに故意過失があるかを特定 しないで不法行為に基づ く法人の損害賠償責 任 を肯定することを許容せ ざるを得ないような切実な実務上の必要性があるとはにわ
かに認め難い。」
627) 法学セ ミナー増刊 『不法行為法』 日本評論社 (昭和60年)35頁以下における川井教 授の発言参照。
¢8) 高梨公之 「不法行為における使用者責任」綜合法学1961年9月号40頁。
※東 京 地 判 昭和58年 5月 9日 ・判 例 タ イム ス503号87頁 。
会社代表取締役が営業資金獲得のため従業員等 と共謀のうえ保険金殺人 を行 なった 事案で,原告 らが主位請求と して 「企業の不法行為」論 をもち出 したのに対 し,次の
ようにいう。
「民法709条 における故意,過失 は元来 自然人の精神的容態 を意味するものである上, 民法44条1項,715条1項のいずれの規定 にしろ,自然人 にとって右709条の所定の不 法行為の要件 が具備 されていることを前提 と して,更に右44条1項又は715条1項所 定の要件が充足 される場合 に法人の損害賠償責任 を認めているのであ り, しか も,右 44条 1項 と715条1項 とは別個 の要件 を規定 しているのである。また,原告 ら主張の ように,法人 自体 につ いて民法709条の直接通用 を考えることは,法人その ものにつ いて故意,過失 を論 じ得 るかという点で問題があるのみな らず,何 をもって法人の故 意,過失 とするか,どのような場合 「法人そのものの行為」 を認めるかにつ いて明確 を欠き,更 に民法44条1項又 は715条1項の規定 もまたずに,民法709条その ものによ り法人の不法行為責任 を認め得 るとするな ら,法が直接の行為者について民法709粂 所定の要件の充足 を求めた上 に同法44条1項又は715条1項 において別個の要件 を規 定 していることとの関係 をどのように理解すべきかが問題 となる。
以上のような点か らすれば,現行法上,法人について不法行為に基づ く損害賠償責ヽ 任 を肯定するには,民法44条又 は715条1項 のいずれかの規定 を介する必要があると 解すべ きであ り,法人 自体 について直接民法709条の適用があるとす る主張 は採 り得 ないものというべきである。」
「企 業 の不 法 行 為」論 に対 す る上 記判 決例 の批 判 点 を要 約 す れ ば, 次 の よ う に な ろ う。‑ は,過 失 は 自然 人 の精 神 作 用 だか ら企 業 や法 人 に対 し直接 的 に過 失 を問題 視 す る こ と は不 当 で あ る こ と。二 は, 直裁 に民 法709条 責 任 を認 め る 場 合 ,715条 や44条 と の 関係 が不 明 瞭 で あ る こ と。三 は,実 践 的 見 地 か らい っ て も715条 や44条 に よ らな い法律 構 成 を しな けれ ば な らな い必 要 は見 出 せ な い, とい う ことで あ る。
は た して, 「企 業 の不 法 行 為 」 論 に対 す る的 を射 た批 判 と い え るか 。 序 論 で 示 した従 来 の伝 統 的 な法律 構 成 にお け る理 論 上 ・実 際上 の難 点 や限界 を どれ ほ
ど正 確 に認 識 して い るのか 。大 い に問題 が あ りそ うで あ る。
も っ と も, これ は判 決 の示 す一 般 理 論 に の み着 目す る結 果 で あ り, これ ら判 決 の実 際上 の 当否 はま た別 問題 で あ る。事 案 の具 体 的 な事 実 関係 に即 応 した法 律 構 成 の妥 当性 こそが重 要 だ か らで あ る。(29)
次 節 で は, 以 上 にみ た 「企 業 の不 法行 為」論 批 判 の当否 を, 先 人 の指 摘 を も 参 酌 しつ つ ,検 討 す る。
「企業の不法行為」論 をめぐる近時の動向と問題点 359
四 批判論の検討
(1) 「企業の不法行為」論 は被用者や代表機関に無答責の特権 を与えること になる点で疑問だとする批判の当否か らは じめよう。
筆者 によれば,対外責任 の限定 は内部的な求償制限論 の延長線上 の問題 で あって, ごく自然 な帰結 と考 える(30)。対外責任の限定が無答責 の特権 と して 不当だとするな ら,求償制限も不当という結果になるではないか。それに,そ もそも具体的な当の被用者 による加害 という前提 に立つ こと自体問題視 されて しかるべ きである。
対外責任の限定 といっても,無条件 にではない。故意 による加害行為 とか, 加害 自体 が過失 にとどまるとしても,それが職務の逸脱ない し濫用行為 にとも なうといった場合 は対外責任 は全面的 に肯定 されて しかるべきである。また, 代表機関については,その重要 な職責か らして,む しろ,原則的には無答責 と いう帰結 にな らないであろうことに注意 したい。企業 自体 の全面的な賠償責任 と被用者 あるいは代表機関の部分的賠償責任 との競合 といった処理 も考 え られ
¢9) 東京地判昭和58年5月9日の事案 は,営業資金獲得のためとはいえ殺害行為 に関す るものであるゆえ, もともと 「企業の不法行為」構成 は無理 といってよく,判決の 結論 は容認 されてよい。 これに対 し東京地判昭和57年2月1日は,医薬品の安全性 の欠如 をめぐる問題であ り,われわれのいう 「企業の不法行為」 にな じむ場合であ る。判 旨は,それを否定 し,「企業の全能力 を挙 げて調査検討 を実施 したとすれば 当然副作用の有無及 びその程度等 を予見 し得 たのに,代表取締役がこれを予見 しな かったときは,代表取締役 において前記のような (全能力を挙 げて調査検討 を行 い, 関係 ある情報等 は漏れなく会社主脳部 まで到達するような)社内組織の整備及び執 務態勢の維持管理 を怠 らなかった事実 を証明 しない限 り,右予見 しなかったことに つ き同人に過失があるものと推定するのが相当である」 とした。いささか無理な構 成 との感がある。なお,関連上付言するが,前出の札幌地室蘭支判昭和48年8月18
日 (前注(18)参照)は,突風 による作業員の転落事故につき,突風 は予見できたとし て現場作業長 の過失 に原因を帰せ しめ,被告企業の責任 を民法715条責任 と構成す る。 しか し,一介の被用者たる現場作業長の賠償責任 を考えると素直には納得 しが
\ たい。
(30) 求償制限論 は,被用者の労働 を基礎 に して収益 をあげる使用者 (企業 )が究極的に も責任 を負 うべきであ り,企業活動か ら生ずる損害 を全て被用者 に転嫁するのを許 容するのは妥当でな く,被用者 に酷でもあるとの発想 に立 ったものだか らである。
るところである。
なお,企業被用者の対外責任 を制限すべ Lとの主張 は,実 はかな り古 くか ら み られるところであるが,そこでも,決 して野放 しの責任制限が展開 されたわ けではない。大正初期の岡松参太郎 「無過失損害賠償責任論
」
は,軽過失 によ る加害の場合のみを考 えている し(31),昭和初期 に精力的 に責任制限論 を主張 した我妻栄 は 「企業 に従事する者の普通 に過失 と考え られるとき」 とか 「被用 者 の企業 に関連する行為 より生ずる損害」の場合 を問題 としている(32)。また, 戒能通孝 は 「企業使用人が自己の正当なる職務権限としてな した行為に対 して 企業主 は当然 自己の行為 として責任 を負 うべきもの」(33)とするが,そこでも, 職務遂行 にともなう通常の過失の場合が考え られていると理解 してよい。昭和40年前後か ら,新 しい不法行為類型の処理 をめぐって強調 されることに なった対外責任制限論 にあっても,同様の場合が想定 されているといってよか ろう。製造物責任 に関 し 「機械の部分品や商品の原料製造工程 において特定の 労働者 に過失があったとしても,彼の過失 はいわば商品に組み入れ られること によって使用者の過失 に吸収 されるとみるべ き」 との有泉亨教授の所論 や,公 害 につき 「企業がそれ 自体の合法的に事業 として行なったところか ら付随的に 被害が生 じたという場合」 あるいは 「企業の本来の事業活動か ら日常的かつ定 型的に生 じうるような公害」 の場合,企業 自体が責任の主体 となるべきとする 加藤 (一郎 )教授,西原 (道雄 )教授 らの所論が, これである。(34)
以上 を要するに,批判論者 は
,
「企業の不法行為」論 は被用者 に無答責の特 権 を付与することにな り,不当 というが,求償制限論 との均衡や野放 しの無答 責 を容認するわけではない点 を考えると,それは殆 ど説得力のない批判 という べ きである。(2) 直裁 に企業 その ものの過失 を問題視することに向けられた批判 について
帥 『無過失損害賠償責任論』京都法学会 (大正5年)115貢。
(32) 我妻栄 ・前掲 『事務管理 ・不当利待 ・不法行為』181頁,176頁。
( 3 3
) 戒能通孝 『債権各論』厳松堂書店 (昭和18年 )496頁.(34) 前注(16)所掲の各論稿にみられるところである.
「企業の不法行為」論 をめぐる近時の動向と問題点 361
は,次の ように考える。
故意 はもちろんであろうが,過失 も具体的な一定の意思 ない し精神的作用だ とするな ら,確かに,企業 自体の過失 を問題 とすることは不当 と考 え られる。
企業 自体 は意思 ・精神 を具有 しないか らである。 しか し,過失 を一般標準人の 能力を基準 として判断すべ Lとの態度 (抽象的過失説 と.よばれるもので通説判 例 である)を前提 とするとき・,意思 ・精神の具有 を必ず しも必要 としないとの 解釈態度 も可能 と考え られる。その理由はこうである。抽象的過失説では,行 為者たる具体的人間の能力いかんは度外視 される。 このことは, とりもなおさ ず,過失 は具体的な精神 ・意思の作用でないことを意味 しよう。 とすれば,棉 神 ・意思の存在 を過失の不可欠の前提 とする必要 はないことになる。換言する
と,注意能力の劣 っている者 を一般標準人 に擬 して評価することが容認 される というのな ら,自然人以外のものを一般標準人に擬 して,それにつ き過失の存 否 を判断することも許 されてよいであろう。少な くとも,それが直ちは背理 だ
とはいえまい。 ことは,過失 というものが,本来的には精神的 ・意思的作用で あるとの原初的かつ素朴 な建て前 にどこまで覇束 されるかの問題 にすぎない, と思われる。
前述の下級審判決 は
,
「過失 は元来 自然人の精神的容態 を意味す る」 と した わけだが, これが従前の判例の態度 といえるかも,実 は,大いに疑問のあると ころである。む しろ,近時の学説の多 くは,判例 は古 くか ら過失 を一種の客観 的な行為義務違反 ととらえていると解 している事実 に注意 したいo(35)学説上 も,近時 は,上記のような古典的理解に固執するものは少ない。すな わち,過失の有無 は 「当該不法行為 について損害賠償 という法的保護 を与える か どうかという観点か ら種 々の対立する利益 を調節するための高度の政策的価 値判断その もの」 に他な らず,過失 は 「意思」 を離れて理解 さるべ きものであ るとか(36), 「主観的心理状態 を離れて客観的な問題,すなわち受忍限度 をこえ (35) たとえば,幾代通 。前掲 『不法行為』31頁,前田達明 ・前掲 『民法Ⅵ 2(不法行為法 )』
34貢以下。
(36) 平井宜雄 『損害賠償法の理論』東大出版会 (昭和46年 )398頁以下 (なお,同所掲 載論文 に初出は法協86巻12号,昭和44年 )0
た侵害 を防止 す るための相当 な手段 を講 じたか否 か とい うことの問題 と して考 え られ るべ きだ との主張(37), あるいは,抽象 的過失 の非難性 は意思 で はな く 信頼違反 である,過失 は客観 的行為義務違反 であ り具体的 な意思 の緊張 といっ た こととは無縁 の もの と理解 すべ きだといった見解(38)が一般化 してい る。 こ れ らは,同時 に,種 々の社会 関係 に照応 したさま ざまな段階の過失 を観念す る
もの ともいえる。
以上 を要す るに,企業 自体 の 「過失」を観念 す るの は,近時の過失 の とらえ 方か らす ると, なん ら不 自然 でないばか りか,む しろ必要 なこととい うべ きで
ある。
「企業 の不 法行為」論 を評 して
,
「過失」
の存在 を問題視 す る点 で限界が あ るとの批判 もあるわけだが, これは 「過失」 を段 階的 に考 える態度の もとでは 回避 しうる批判 である。(3) 「企業 の不法行為」論 と民法715条,同44条 との関係 をめ ぐる批判 につ いて はどうか。 まず, 「企業 の不法行為
」
論 に立つ と民法715条 は無用の規定 に なるで はないか との指摘 があるわ けだが, これ は誤解 とい うべ きである。「企 業 の不法行為」
論 は企業活動 にある程度必然的 に伴 な う加害 を対象 と して想定 す るものであって, 「事業 ノ執行 二付 キ」生 ず る加害 の全 てをと りこもうとす るもので はない。「事業 ノ執行 二付 キ」 が周知 の ように判例学説上 きわめて緩 やか に解 されている事実(39)を想起 すれば,民法715条 が無用の規定 になるとの 危供 はまった く当 らない ことが理解 できよう。 両者の適用区分 が困難 ということは確 か にいえるが,それは別問題 である。
「企業 の不法行為」論 と民法44条 の法人の責任 との関係 が不 明瞭であるとの 指摘 につ いて はどうか。た しか に,かつての学説 には,企業 の被用者 による加
(37) 淡路剛久 「公害における故意 ・過失と違法性」 ジュ リス ト458号372頁以下 (昭和45 年)0
(38) 前田達明 ・前掲 『民法Ⅵ2(不法行為法)』46頁,同 『不法行為帰責論』創交社 (昭 和53年)188頁 (なお,同所掲載論文の初出は法学論叢82巻 6号,昭和43年)。沢井 裕 「不法行為法学の混迷と展望」法学セミナー昭和54年10月号87頁,91頁。
(39) 判例学説の状況については,拙著 ・前掲 『使用者責任』26頁以下で詳論 した。