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(1)

アル トーの 「 頭痛 」

あるいは情動性の経験について

高 橋 純

アル トーは、雑誌‑の掲載を希望 して 「新フランス評論」(NRF)誌に送っ た自分の詩に対 して、その作品がいまだ文学的に不完全であることを理由に 掲載拒否の回答を寄こしてきた編集長ジャック ・リヴィェ‑ルに向かってこ

う主張す る。 1924年のことである。

私は、精神 についてひ どい苦 しみを味わってきた人間です。だか ら、

私には話す塵型がある)O 〔強調はアル トー〕

文学的著作がひ とたび作者の手を離れた らその作品が意味す るものは非個 人的なもの、 自己充足的なものであることを理想 とする前近代的作品概念 と は実に対照的な主張である。アル トーの主張の背後にあるのは、特異な個性 が 自己をさらけ出す ところに価値を置 くロマン主義的な作品概念であるとい えるかもしれない。 しか しそ うしたモダンな作品概念に しても、そこで受け 入れ られる個性は、唯一無二の主観性 とはいえやは り読者のすべてが共感で きる 「一般的な」個性でなければな らなかった。 アル トー もまたそ うした一 般的に流通可能な個性の‑つた らん としたのだろ うかoそ うではなかっただ ろ う。アル トーは続けてこう述べている。

私は、ああい うところでは、この権利が どんなふ うに売 りわたされ る か知っています。私はこれ を限 りに一度だけ自ら承知で 自分の劣等性 に身を委ねたわけです。 さりとて私だって馬鹿 じゃない。私 よ りもも っと先まで、それ もおそ らくは違 ったふ うに考 えを進めなければな ら ないだろ うとい うことはわかっているのです2

II,E.1,p.30.引用についてOローマ数字はCEuvrescompletesI‑W I (Gallimard, 1984‑1994)の巻数を示す。邦訳のあるものは基本的に使わせていただいた。訳者名を示

していないものは筆者の拙訳である。

2Ibid

(2)

アル トーは、 自分の唯一無二の経験を誰にでも判ってもらえるようなもの として提示することが、 自分の経験を裏切 り、安価に身売 りす ることに帰す るのを承知 している。だか ら彼は、 リグィェ‑ルの助言に従って 自分の詩作 品を書き直 し完成 させ るのではなく、なぜ 自分がこの欠陥だ らけの作品に固 執せ ざるを得ないのかを説明 しよ うとす る。す るとその説明に深 く感 じ入っ た リグィェ‑ルの提案によって、二人の間に交わ された往復書簡はNRF誌 (1924132号)に発表 され ることになる。不十分で発表に値 しないと判断 された詩が、「その不十分性の経験についての物語でおぎなわれ ると、そ うで あることをやめるのである。それ らに欠けているもの、つま りそれ らの詩の 欠点が、その欠如をおおっぴ らに表現 しその欠如の必然性 を深 くきわめるこ

とによって、豊か さと化 し、完成 と化すかのよ うだ3。」

こうしてアル トー とリヴィェ‑ルの往復書簡は、作品がよって生まれ来た る根源的な経験が、実はまさに当の作品の不可能性の経験にはかならない と い う逆説的な事態を報告するもの となっている。 ところで、この往復書簡は

作品」なのだろ うかoNRF誌に発表 され る際には、それ 自体 としては雑誌 掲載 を拒否 された詩篇の一部が例証あるいは証拠 として書簡の間に挿入 され ているのだが、それは、 リヴィェ‑ルの助言に従って書き直 されたものでも なく、またアル トー 自身が納得す る完成品 として提示 されたわけでもないの である。作品創造の経験が実際の ところその不可能性の経験であると断定 し よ うが しまいが、唯一無二 とされ るその経験が作者にとっても読者にとって も価値あるものとなるのは、当の作品が形あるもの として存在 しは じめてこ そ言えることなのだ。作品の出現が、その内奥に潜む根源的な経験を隠蔽す る結果 となるに しても、作品の完成 された透明度の深 さがあってこそ作家の 経験の真実性が明かされ るはずだか らである、少なくとも近代的な作品概念 を前提 とす るならば。だがアル トーにおいては、作品の完成 と経験の真実性 は決 して相容れ ることがない。そ してまた彼 は両者の間で妥協点を探ること ができない。彼 にとってポェジー とは一切の妥協を許 さない経験の真実性の 中にしかないか らである。 こ うしてこの往復書簡 を前にわれわれ読者は、作 品の根源的な不可能性を告げる 「作品」の前に立た されていることになる。

アル トーにおける 「作品」 とは、作品の (不可能性の)経験それ 自体である とい うことなのである。

すべて書かれたものは豚のように不潔だ。[‑]

3M.プランショ、 『来るべき書物』、現代思潮社、1968年、粟津則雄訳、pp.5152.

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(3)

そ して私はもう君に言った。作品もな く、言語 もな く、言葉 もな く、

精神 もない、何 もないのだ、 と。/何 もない、あるのはただひ とつ、

美 しい<神経の秤 >だけなのだ4。

これがいわばアル トーの出発点 となった状況である。そ して、この出来事 はその後、ものを書 く人、読む人によって際限なく語 られ解釈 されることに なる。それは事実 として様々な解釈が次つぎに提出されているか らとい うの ではなく、本質的にその意義を汲み尽 くしえない出来事だか らなのだ。そこ では、ある挫折の物語が語 られているのだが、その物語の真正 さは何によっ て保証 され るのか と言えば、逆説的なことだが、まさにその作品が存在 しな いことによってで しかないのである。 もしもその作品が存在す るならば、そ の作品を生み出す運動か らは切 り離 されて、作品を生み出す経験を裏切る作 者の妥協の産物 として しか現前できない。作者が作品を求めつつもこの妥協 を拒否 しようとす るな らば、その拒否の姿勢に貫かれた作品経験の報告が語 られることになる。 こ うしてアル トー とい う個性か ら生まれ る 「作品」の基 本的な構えが決定 されるのだ と言えよ う。『ジャック ・リグイエール との往復 書簡』 とはいわば一つの劇場であ り、そこでアル トー とい う役者 とリヴィェ

‑ル とい う観客が出会った。観客 リヴィェ‑ルは舞台上の役者アル トーの特 異性 と才能を好意的にかつ申し分な く理解 していたが、あるべき作品の構想 については意見が折 り合 うことはなかった。だがこの出会いは、作品一般の 起源 と根源 に触れる謎を告げるものとして繰 り返 し参照 されることになる。

奇妙な符号 とい うべきか、本質的にこれ と酷似 した光景にわれわれは彼の 晩年にも遭遇す ることになる。 1947113日、ヴィユー ・コロンビェ座 で行われた彼のものとしては最後 となる講演会がそれである。

19355月にフォ リー ・ワグラム座で残酷演劇作品 『チェンチ一族』を上 演 し、酷評 を受ける。 19361月にメキシコ‑向けて出発。8月にメキシコ 政府の補助金を得て奥地を訪問 し、10月にインディオのタラフマラ族の部落 に滞在。11月にフランスに帰国。 19377月にアイル ラン ド旅行に出発 し、

10月に到着 したダブ リンで警察官 と小競 り合いを演 じた挙句、同月末本国に 強制送還 され る。その時点か ら19465月にイ ヴリーの療養所に移 されるま での9年間にわた りアル トーの身柄は、 ヴィル ・エ ヴラールお よびロデーズ の精神病院を含むいくつかの施設‑の監禁状態が続 き、その間に治療の名 目 での電気シ ョック療法も受けさせ られ るのである。

4I,ill,p101

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1946526日にイ ヴリーの療養所に到着 して間もなく、67日にはサ ラ ・ベルナール座で≪アン トナン ・アル トー作品の会 ≫が催 されていた。た だ しこの会はどちらか といえばアカデ ミックな性格のものであ り、アル トー が出会 う旧知の友の共感は本物 とはいえ同情的に過ぎたことか ら、彼の期待 に応 えるもの とは言いがたいものだった。そこでアル トーは、新たな機会が あれば講演の形 を通 じて自分の体験 と思想のすべてを公の場で明か し、「 実」を語 りつ くそ うと決心す る。 ヴィユー ・コロンビエ座での講演はその意 図を実現すべ く設けられた場だったのである。

アル トーはこの講演を非常に重要なもの と考えて、繰 り返 し推敵を加 えた 草稿 を用意 してこの講演会に臨んだ。彼は草稿を記 した三冊のノー トを持っ て講演の場に現われたのだが、それ以外にもこの講演のための少なか らぬ分 量の準備草稿が残 されている。ただいずれにしても、会場 に持っていった草 稿が完全に読み上げられ ることはなかった。理由や原因がどうであれ、事実 としてアル トーは途中でやめて しまったのだOだがこの講演会 もまた、アル トーの最晩年を知るための重要な出来事 として繰 り返 し語 られ ることになる のである。その うちのい くつかの報告や証言を以下に見てみよ う。

(モー リス ・サイエ)

それはヴィユー ・コロンビエ座でのこと、1947 十一時。検札は押 し合い‑ し合いの混雑だった。

‑の有名無名の友人たち、その数 はあま りに多 く その多数が予約 もしていなかったか らだ。 [‑]

彼が登場す ると、その痩せて荒廃 した容貌はボー ガ一 ・ポーの顔 を思い起 こさせた‑ 、そのいき の小鳥 のよ うに顔 の周 りを飛押 して倦む ことな

、時 として鳴咽 し時 として悲壮に吃 りなが ら の美 しい詩篇 を朗読 し始 めると、だがそれ はほ

113日月曜 日の二 アン トナン ・アル ト お互い面識 もな く、

ドレールの顔 とェ ド り立った両手が二羽 く顔 面をま さぐると あの しゃがれ声であ とん ど聞 き取れない

、私たちは魔の地帯に引きず られてゆく思いが して、 さなが らあ の黒い太陽に照 らされたかのように、精神の炎に燃 え上がるあの 「 身の燃焼に襲われる思いが した。

実際の ところ、私たちはあの三篇 の偉大な詩 「アル トー ・ル ・モモの 帰還母サン トル ーメール と神パ トロンーミネインデ ィオの文化

の一部分のみを聞き取ったにす ぎない。 しか し、詩人が 「行動す る濃 密 な言葉で」 これ以上見事に自分を表現 したことは今まで一度た りと

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もなかった と、詩人 自身がアン トナン ・アル トーの身体をこれ以上感 得 したことは今までになかった と思われる5

(サラーヌ ・ア レクサン ドラン)

私が初めてアル トーに会ったのは、1947113日の晩、例の講演 「 し向かい」でヴィユー ・コロンビエ座の舞台に登場す る直前にであっ た。相 当数の観衆が ロデーズの精神病院か ら退院 したばか りの詩人を 一 目見たい と門に列 を成 していたが、すでにホールは満席だった.私 がアル トーの弟子のアン リ ・ピシェッ トにぶつかったのは幸運 としか 言いようがない。彼 はこっそ りと舞台裏か ら入れて くれた。照明の悪 い隅で私たちはあの奇蹟の人間に出 くわ した。御 Lがたい獣のよ うに 独 り座 って、熱に浮か されたように落ち着 きな く原稿 のページをめく っていた。私たちに向けた顔 は毅が寄って荒涼 とし、歯の抜けた 口、

光はあるが窪んだ 目、彼 は私たちが差 し向ける熱烈な言葉 に何一つ応 えなかった。恐 るべき不幸を経験 した人間、それ を証言す るために人 の良心を揺 さぶるように生きてきた人間を 目の当た りに しているとい う印象が した。一瞬た りとも、精神異常者 を相手に しているとは思え なかった。その後 も度々彼 を見かけたが、精神異常者だ とい う思いが よぎったことはない。彼は精神異常者 よりも恐 ろ しかった、それは名 づけようのない 「苦 しみ」、消せない 「絶望」の像。劇場はパ リ中の作 家、芸術家、俳優、著名な医者で満員だった。私は多 くの聴衆 と並ん で地べたに座 らざるをえなかった。アル トーは講演者のテーブルに着 くと。精神病院での生活 を物語 り始めた。 とりわけ電気シ ョックの場 面を描写 したが、彼の主張す るところでは、その とき魂は身体か ら遊 離 して、天井にとどま り精神の 目をもって 自分 を扱 っている看護師を 見つめていた とい う。そのアクセン トは悲壮 にす ぎ、ホールは息の音 一つ しなかった6

(アン ドレ ・ジッ ド)

も うずいぶん前か ら私はアル トーを知っていた、彼の苦 しみ も彼の天 才も。私にはいまだかつて彼がこれほどすぼ らしく見えたことはなか った。彼の物質的存在の うちには、もはや心に焼 きつ くよ うなもの意 外には何一つ残ってはいなかった。 ぎごちのないその大柄のシルエ ッ ト、内なる炎によって焼き尽 くされたその顔、溺れ る者のその両手は、

5 「コンパ」紙1947124アル トー後期集成』、河出書房新社、2007年、

岡本健訳。

6 『シュルレアリスムと夢』、ガリマール、1974、p.324、岡本健訳。

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掴み得 ない救助の方へ差 し延べ られ るにせ と、苦悶の うちにね じ曲が り、たいていはその面をぴった りと覆 って、かわるがわるそれ らを隠 した り覗かせた りす るにせ よ、彼の うちのすべてが忌まわ しい人間的 苦悩を、猛 り狂った リリシズム以外 にはあ り得べき捌 け口のない、救 いよ うのない一種の地獄 堕ちを物語 っていた、その うちで観衆に届い ていたのは、卑猿で、呪訊 に満 ちた、冒涜的な破片だけであった。そ して人はた しかにそ こにこの芸術家がそ うなっていたかもしれないひ とりの驚嘆すべき役者を見出 していたのだ。 [‑]

≪私たちはまだ生まれてはいない。

私たちはまだ世界にはいない。

まだ世界はない。

事物はまだっ くられてはいない。

存在理由は見出されていない‑≫

この忘れ難い講演会 を後に しなが ら、聴衆は黙 り込んでいた。何 を言 うことができただろ う? いま し方人は、ひ とりの神 によってむごた らしく揺 さぶ られた、ひ とりの悲惨な男 を見た ところなのである、ち ょうどシビルの秘密 の洞穴である深い洞窟の入 り口にいるみたいに、

そ こでは世俗的なものは何ひ とつ大 目に見てはもらえない、そこでは 詩のカルメル 山の頂にいるみたいに、司祭であると同時に生費である ひ とりの見者 (ヴァテス)は、 さらしものにされ、雷 と食欲 なハゲワ シに差 し出 され るのだ [‑]安楽が妥協によってつ くられ る世界の う ちに再び場所を占めることを人は恥ずか しく感 じていたのである7 こうした証言を前にしてわれわれは何 を理解 しようとしているのか、何 を 理解できるのかを自問 してみる必要がある。われわれはある同一のスペクタ クルについての三様の評価 と印象 と解釈 を前に している。ただ しアル トーは、

自分を狂人 として長年にわたって迫害 し監禁 し続 けてきた社会 と精神医学に 対する呪誼 と弾劾を交えた絶叫や鳴咽のために自制がきかなくなって しまっ たためか、用意 した草稿 を読み終えるにはいた らなかった。 このことはすな わち、草稿が用意 されていた事実 とは別個に、厳密 に言えば、実際に起こっ た出来事 としての講演会のテクス トは存在 しない とい うことを意味す る。パ フォーマンスは完遂 されなかったのだ。上記の引用はすべて、完遂 されなか

7 コンパ」紙1948319El、 〔アル トー死去の翌日に発表された追悼文〕、 『 ル トー後期集成』、河出書房新社、2007年、鈴木創士訳。

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った、あるいは中途で頓挫 した講演会の報告なのである。 ここに引いた証言 がいかに賛辞にあふれ、賞賛に満 ち、執筆者が深い感動に震えていよ うとも、

それはすべて 目撃者の主観の うちにとどまるのだ。だか ら観衆の中か らは当 然 こうした共感に満ちた報告 とはまった く対照的な反応 もあ りえたはずであ る。 この点については、ジャン‑ルイ ・ブローは以下のよ うに述べているQ しか しなが ら、ジッ ドや、 ミショー、オーディベルテ ィの理解 (これ は 自分 自身によって超 えられた人間の叫びであった」)、ある人び との 震描、少数の人々の無言の同意は、いあわせた大多数の人々、つま り、

そこに気晴 らしで来ていた人々、また、狂人を見に来たのに、 自分た ちの狂気が裸 にされてい るのを見せつ け られて も、ジ ッ ドのよ うに、

妥協か らできている心地 よい世界にふたたび戻 る」 ことを恥ずか し く感 じなかった人々のもの とは別のものだった。

ヴィユー ・コロンビェ座での講演会の ときに、アル トーの振舞いに憤 慨 した人々は、アル トーが錯乱 していた とい う証拠に、彼の叫び声 と、

尋常に」 自己表現す ることができなかった ことをあげ、それ を言葉 の錯乱 と呼んだ8.

講演では、三冊のノー トにしたためられた草稿が準備 されていなが ら、そ れを台本のように して演出された舞台が出現す ることはなかったようである。

そ してそのこと自体が意図されたものだったわけではなく、事実はその逆で あったろ う。

彼はまた呪誼 について語ったが、明 らかにされた事実は意味を欠いて いるので、彼は悲壮な調子で助けを求めた、「少なくとも」信 じてほ し い と。一時中断 して話の流れを放棄す ることもあった。 「わた しはあな たがたの代わ りに座 っているが、ちゃん とわかっているよ、わた しの 話 していることは どれ も全然お もしろくないってことぐらい。 これ じ ゃあまだ演劇だ。本当に誠実であるにはどうすればいい ?9

他方、モー リス ・サイェやサラーヌ ・ア レクサン ドランやアン ドレ・ジッ ド が述べたような賛辞を引き出 したことをもって講演会の成功を語 ることがで きるだろ うかoそもそもそれ らの記事は、筆者たちがあらか じめ理解をもっ ていた人物に対する共感か ら発 して書かれているのであって、「尋常な」観衆

8J.L.ブロー 『アントナン・アル トー』、白水社、1976年、安堂信也訳、p.230

9モーリス ・サイエ、同紙。

(8)

の 目か ら見れば明 らかに不首尾に終わった講演会のための弁明の感 さえある。

アル トー 自身、成功だったにせ よ失敗だったにせ よ自らこの会を終了にまで 至 らせた とい う認識はまった くなかった。(以下の引用は、講演会の後 日アル

トー とブル トンの間で交わされた書簡 中に見 られ る。)

あなた 〔アン ドレ・プル トン〕がくれた前々回の手紙のなかには、私の 顔 をしかめさせ る文章がある。

あなたが舞台に現れ るとい う事実によって、あなたがそ うな らざる を得ない演劇人」

ああ、そ うだ とも、私はヴイユーーコロンビェ座の舞台に登場 した、

さらにもう一度、「これを最後に」、だがその限界を吹っ飛ばす とい う、

しかもそれ を内側か ら吹っ飛ばす とい う目に見える意図をもって、そ れに私は、腸 を吐き出すほ どわめき、憤怒 を絶叫す る男の見世物が、

まさに演劇的なスペクタクルであるとは思わない、

そればか りか、同 じくあの夜 に起 こった、その真の価値 を誰ひ とり判 断 しなかったひ とつの事柄がある、それは私が舞台に到着 し、私の話 を聞 くために席料を払って、私 とともに劇場に閉 じ込 められたあの観 衆を前 に した とき、私は突然、そ して仕事にかかろ うとす る寸前 に、

この経験を追い求めるのが無駄に思えた とい うことである、そ して私 が準備 していた演説草稿 を読み上げるかわ りに、私は荷物 をまとめる と、聴衆に一編の詩の最期の詩節 を投げっけて立ち去った とい うこと だ。ト ・]

私は立ち去った、なぜ な ら私は実際に気づいたか らだ、聴衆に対 して 私がもっ ことのできた唯一の言語 とは、ポケ ッ トか ら爆弾を取 り出 し て、紛れ もない攻撃の身振 りでそれ を連 中の顔面に投げつけることで ある、 と100

アル トーは理解ある聴衆 と悪意に満ちて無理解な聴衆を区別 しているわけ ではない。そ うではなくて、いかなる者であれ 「聴衆」 とい う他者を前に し て、自らの言葉の 「真実」が失われてい く、奪われてい く瞬間を (また して も)体験 したのではなかったか。彼が言いたかったことのすべて、出生のこ と、演劇のこと、メキシコで出会ったインディオの文化のこと、アイル ラン

10ァンドレ・プル トン‑の手紙」、 『アル トー後期集成』、河出書房新社、2007 、pp.8384、鈴木創士訳。

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ドのこと、監禁 と電気ショックのこと、それ らすべては事前に用意 された三 冊のノー トに記 されていた。そ してそれ らが公表 されている現在、われわれ はその内容を知 ることができる。 しか し、講演の現場でのアル トーには ( 像上の)爆弾」以外には 「真実」を伝えることのできる言語がなかった。つ ま り、準備草稿のノー トのあるな しに拘わ らず、講演 自体のテクス トは存在 しなかった。 あるいは、舞台上に現実化す ることがなかったのだ。それ こそ は、『ジャック ・リグィェ‑ル との往復書簡』が生まれた経緯を反復す るよう な経験であった と言えよう。

実は、図 らずも出会って しまったこうした 「不可能性の経験」はアル トー の人生におけるい くつかの特権的瞬間に限 られた出来事なのではない。いわ ばこの不可能性の経験を自覚的に乗 り越 えようとす るところに、アル トーの 残酷演劇の探求、言い換 えればアル トーのポェジーの探求が企て られ るので あ り、 リヴィェ‑ル との往復書簡 (最初朔)か らヴィユー ・コロンビェ座 の 講演会 (最晩年)にいたるアル トーの、探求あるいはそれに伴 う戦いの生は 実に一貫 していることが見えてくる。そ して、最期まで終わることのない探 求あるいは戦いそのものが生の実態であるな らば、その生のさなかには、い まだポェジーは存在 していない。いわばアル トーにとってのポェジー とはそ れを追求す ることそのものなのだ。

要す るに、‑ 残酷演劇の何たるかを言い当てるためにアル トーが使 うとりわけ強固な定式にな らうな らば‑ ポェジーはいまだ存在 し始 めていないのだ。それが存在 し始めるためには、それが発現す るまで に至るためには、ポェジーは、かつて企て られたことのない前代未聞 の道を切 り開かなければな らない、すなわち、 自らを創出 しつつ、〔 るか過去の時期尚早の〕自らの死の外に歩み出て、眠 りか ら抜け出し、

ポェジー 自らに何が可能であるか言 うな り見せ るな りを、一挙にやっ てのけなければな らない。アル トーにおけるポェジーは、いわば、絶 えずその奇異なプログラム (来るべき存在様態)を打ち出 しなが ら、

その同 じ動 きの中で、そのポェジーの出現の必要性 を告げることとそ の必要性に答 えることとを同時に行 うのだ。アル トーにおけるポェジ ー とは、ポェジー 自らが確たる存在 となるべ く自らに課す綻 (法)を 告げなが ら生まれて くる。彼が語 ることの大方の部分は、何 よりもま ず、存在す ること‑の権利要求に、そ してまた こ うした存在の条件そ のものを明示す ることに向けられているのであるll

ポェジーの逆説」J.M.レイ、QuiwaineLitte'raire,No.434,septembre2004,p.49・

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ジャン‑ミシェル ・レイが説明するこ うしたアル トーのポェジーの概念 こ そが彼の演劇構想 を決定づけている。 「残酷演劇」がいまだ存在 しないのは、

それが実現不可能なものだか らではなく、すでに失われて しまったか らなの であ り、かつて存在すべ くして存在 したのであるか らには、未来において存 在 しなければな らず、存在 させなければな らない。 こうして、アル トーにお いて未来のポェジーを目指す ことは生の起源 に回帰す ることと同一の行為 と 化す。そ してポェジーを現実化する演劇は、既存の完結 した ドラマを再現す る舞台にあるのではなく、その都度一度かぎ りの世界の (再)創造の実践の なかに見出され ることになる。

この演劇では、すべての創造が舞台か らや って くる。創造はその表現 も起源 さえも、語嚢以前の<言葉 > (laParoled'avantlesmots)である 深奥な心的衝動の うちに発見す るのである12

残酷演劇」においてポェジーは根元的に変容する。ポェジーは言葉によ って表 される何かであることをやめて、「語嚢以前の<言葉>」を再発見する、

あるいは作 り出す ことにこそあるとされ る。

アル トーの求めるものは常に同 じものであ り、その姿勢は、狂気 と呼ばれ る激昂状態の中にあっても、実に一貫 している。彼はその透徹 した言葉でも って、スペクタクル とは根源 において引き裂かれる経験を生み出す ものであ り、諸形態 と文化 を覆 う表皮 を肉に達す るまで引き剥が し、か くて真実の生 を取 り戻 させて くれるよ うな治療法であることを求めた最初の人だった。

もしも真実演劇が、われわれの うちに抑圧 されたものに生命 を得 させ るべ く作 られているな らば、〔その演劇 においては〕数々の奇怪な行為 を通 じて一種残虐なまでのポェジーが表出され、そ こでは生きること がいかに変化変質 しよ うとも生の強度は無傷のままなのであ り、ただ それ をよ りよく導きさえすればよいのだ とい うことが証明され るはず なのである130

アル トーにとっての演劇は、人間の生がまずあってその後にこれを再現す るための装置なのではない。演劇は、常にすでに失われて しまっている不可 能な生の力 をよみがえらせ、これをおのずか らなる自己実現‑向かわせ る技 術の実践を意味する。それは、生の力の発現に同化す ることによって生まれ

12 バリ島の演劇について」、『演劇とその分身』、安堂信也訳、白水社、1996、p.960 )3 序一演劇と文化」、 『演劇とその分身』JV,p.ll.

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る表現の世界であ り、ポェジーに満た された空間の出現 となるだろ う。 この 演劇が 目指す ものが、繰 り返 し可能な再現 とい う形の表現ではなく、その都 度ただ一度かぎりの創造行為であるな らば、その行為によって生み出され る ポェジー も言語 も厳密な意味で常に未知のものであるだろ う。

この新 しい言語の文法はこれか ら見つけなければな りません。動作が その素材でも頭脳でもあ ります。いわば始めであ り終わ りです。 この 新 しい言語は、既成の言葉か らよ り遥かに多 く言葉の 《必要性》か ら 発 します。 しか し、言葉のなかに行 き詰ま りを発見 して 自発的に動作 に戻ってきます。その通 りすが りに、人間の物質的な表現の法則の幾 つかに触れます。必要性のなかに沈み込みます。 こ うしてこの新 しい 言語は、言語創造に至った行程 を、詩的に辿 り直すのです。 しかも、

言葉の言語に動か された諸世界についての さまざまな意識 をも加 えて、

それ らの世界のあらゆる側面を蘇 らせ るのです14

こうした見聞のポェジーの探求の動因 となっているのは、生 と思考か ら帝 離 して意味の石化 した言語の現状に対す る否定であ り、アル トー 自身の坐の 現在に対す る否定の意思である。そ してこの否定の意思のよって来たるとこ ろこそ、彼が自分に語 る 「権利」を付与す る根拠 として主張す る 「苦痛」 と い う情動なのである。

アル トーは5歳の ときに (1901年)骨髄膜炎に罷 り、回復はす るのだが、

その後神経の障害に悩まされることになる。その障害の具体的な発現形態の 一つが、骨髄膜炎発病後に強ま り終生彼 にとりつ く 「頭痛」であったとされ ている。‑その結果、鎮痛剤 として用いた阿片チンキ等の薬物中毒症状か ら解 放 されることもなかった。 この頭痛はアル トーの生を独 自に条件付けている はずである。しか しここではその頭痛を病理学的に問題 にす るわけではない。

頭痛 として 自覚 され る知覚の形態が引き起 こす情動 を問わなければならない。

いかなる知覚 も必ず身体的プロセスを経なければ 自覚 されないが、 自覚 され た途端にそれは意識の領域の問題 とな り、知覚主体 と世界 との関係のあ り方 を開示す るものとなる、つま りここではアル トー とい う個性による世界 との 独 自のかかわ り方を見ることができるだろ うか らである。

アル トーは、精神、思考、肉体について、常に自らの苦悩、苦痛、苦悶、

不安等々 (sou於e,douleur,agonie,angoisse,etc.) と併せて語っている150 こう

14 言語についての手紙」、『演劇とその分身』安堂信也訳、白水社、1996、p.182.

15以下の引用に見られる自己規定がアル トーの基本的かつ終生一貫した人間認識であ る。

(12)

した情動的な要素は、アル トー とい う精神 と肉体に とって偶発的な付帯現象 に過 ぎないのだろ うか。アル トーに関 してのみな らず、一般 には、情動性は、

知覚的 ・概念的認識主体 に とってはお よそ非本質的な付帯現象 として しか考 えられていない。 な らば、彼 が 「生理学的な苦 しみ」について語 るのは、 レ

トリカル な装飾 に過 ぎないのだろ うか。従来情動 について語 るのは、肉体的 な物であれ心理的なものであれ、それ を引き起 こす原因 との関係づ けにおい て、目的論的に、あるいはサイバネティックス的に説明 され るのみであって、

情動それ 自体が認識の対象に され ることは少ない。実存哲学における存在論 的不安はその稀な うちのひ とつであろ う。

ハイデガーによれば、不安は世界内存在 としての人間の根本的な状態であ る。世界内の一定の存在者 を原因 として引き起 こされ る恐怖 (あるいは、対 照的な場合には歓喜) といった情動 と違 って、不安の対象は世界内の何 もの でもない。不安においては一切 の存在者がわれわれに とっての 日常的意義 を 喪失 して、その瞬間に世界が本来的な姿で現れ出る。不安は現存在 としての われわれ の根源的な無 を示す一種の気分である。不安には一定の対象がな く、

本質的に限定が不可能だか らだ。不安 において、人間存在は無の前にあるも の としての 自己を見出す。人間的 自己のこのよ うな本来的に不気味なあ り方 において、人間は 自らを単独化 し、その単独化の うちで 自己の終わ りに直面 す る。 こ うして、人間の根本的なあ り方は死‑の存在であると言われ るよ う になる。前期のハイデガーの不安 の哲学は、 こ うした人間の根源的な存在様 態か ら出発 して、実存 を時間性‑ と還元 し、存在可能性の根源的理解 を図る ことになるのだが、ここで重要なのは、不安 とい う情動の特異な扱われ方で ある16。

≪私はずっと言ってきた/私という存在は/豊昼であると、/病気、/八つ裂き状態、

/膿、/庇、/演、/排壮物、/尿、/精液、/糞だまり箱、/歯を剥く狂犬 トーテ ム、/癒蓋だらけ、青癌だらけ、淡だらけ、膿だらけのくそったれの去勢コンプレッ クスなのだと、/ただし私は、そんなものたちを知的観念化して生きているのでは断 じてなく/そんなものたちであることの苦悶そのもの、生そのものなのだ。≫ (XUI, pp.36970)

̀Mノ 、イデガ‑ 『形而上学とは何か』大江精志郎訳、理想社、1975参照。

対象性のない情動 〔不安〕が無 〔本来的存在事物の対立概念〕を顕示する‑ 無は 存在事物に対する無規定の対立者に止まらず、さらに存在事物の存在に属するものと して自らを顧わすのである.『従って純粋存在と純粋無とは同じである』oこの‑‑ゲ ルの命題は正当である。存在と無は合一する。 しかしそれはその両者が‑ 思考につ いての‑‑ゲルの概念からみて‑ それらの無規定性及び直接性によって一致するか らではなくして、むしろ存在そのものが本質上有限的であり、且つ無の中に保たれて

36

(13)

情動には様々な種類 (肉体的な苦痛、快感か ら、愛、憎悪、恐怖、メラン コリー といった心理的なものまで)があるが、情動の意味について語 られ る のは常に、それ らを引き起 こす原因 との関係 においてである。(しか し実際に は、情動が原因となってある行動を結果 として引き起 こす とい う考え方は、

意識 とい うものを物理的動因 と混同 した心理学的解釈である。)肉体的損傷や 刺戟による苦痛や快感は生垣学的 (物理化学的)過程の変移によって因果関 係が語 られる。愛憎 ・恐怖などは特定の対象に対する心理的な固着や反発が 原因 とされる。 メランコリーは、正常な対象関係の一時的あるいは慢性的な 変質であることになる。そ してそれ らの情動が主体にとって好ま しいもので ない場合には、その原因を除去 して当の情動を消去すべ く医学的 もしくは心 理学的な処置が施 され る。 これに対 して不安には現実的な対象がない。それ 故にこれは、主体にとって無を開示するものであ り、意識にとっての存在論 的な覚醒の契機であるとされ る。だが果た してその とお りなのだろ うか。 こ

エートル エタン

の不安において、存在 と存在者の根源的差異が告げられているのだろ うか。

む しろそこには、われわれに一貫 した思考パターンと、それが行き着いた袋工‑ 小路で現れた論理的要請を認 めることもできるのではないか存在」 とは、

エタン

存在者」の無根拠な世界に根拠を与え、これを吊り支えるメタレベル とし て、結果か ら遡及的に求められた原因ではないのか。だがアル トーはこうし た 「哲学的虚構」を拒絶す るだろ う。

存在論は第一級の犯罪だ、/存在の学な ど科学 〔学問〕ではない/な ぜな ら、存在な ど実在 しないのだか ら、/同一者 な どとい うやつは/

私の肉の刑車に埋め込んで永遠 に責め苛んでや ろ う、かつてあらゆる 第一存在の排出口であ り、そ うあろ うとし、事実そ うあった張本人で あるか らには170

ところで、対象を持たない情動は本当に 「不安」だけなのだろ うか。苦痛 や快感 には対象があるのだろ うか。愛憎や恐怖 には対象はあるのだろ うか。

否 と言 うべきである。肉体的な情動はその原因 と目され る身体部位の刺戟 と 関連づけられる付帯現象 と考えられているが、その関連の生理学的 ・物理化 学的ないかなる説明も、情動そのものの意味は語 りえない。生理学的 ・物理

いる現存在の超越においてのみ、自らを顕示するからである。」(p.62)つまり、「存在者

存在事物〕Jというオブジェクトレベルに対して、「存在」はメタレベルにあるもの として捉えられることになるのだ。

(7Hull,p・2191

(14)

化学的過程 を分析 してみても、そこに見出され るのはどこまでも物質的な変 化で しかなく、そ うした過程に人為的な干渉が可能だ としても、それは、物 質的な過程を通 じて当の情動を消滅 させた り、別の情動を発生 させた りす る ことであって、主体が現に被っている情動それ 自体のあ り方 とは直接関係す るものではない。苦痛や快感 とい う情動は人為的・物質的に引き起こす ことは 可能だが、情動そのものの意味を規定 しうる対象関係 はどこにもない。例え ば歯が痛い とい うとき、この情動の対象は歯ではない。解剖学的には痛みを 感 じるのは視床下部であるが、視床下部に痛みの実体存在するわけではない。

つま り、まった く肉体的なもの と考 えられている情動であっても、そのもの としては意識の中にしか存在 しないのだ。愛や憎悪についても事情は同 じで ある。その原因 とされ る対象が外的に現前すると否 とにかかわ らずその情動 が存続するのは、まさにそれが意識内の出来事であるか らに他ならない。激 烈な恐怖感に してもそ うであるo外的な危険や脅威の現前は、情動 (恐怖) を引き起 こす契機であるのは事実だが、恐怖感そのものはそれを自己の存亡 に関連づける意識の内部の出来事なのであって、物理的因果性の過程 と情動 の出現 ・消滅の過程 との間には、いずれか一方を他方に還元 しきることので きない次元の相違があ り、この並行関係 (パ ラレリスム)は、「肉体」と 「 神」の関係 と同様に、どこまでも解消不可能なのだ。結局、情動そのものは、

いかなる種類のものであろ うとも、特定の対象関係 を指示す るものでもなけ れば、それ 自体で一定の意味を持つ ものでもない。それなのに、あるいはそ れだか らこそ、われわれは、 自らが被 る情動を、身体的部位 〔原因〕に関係 づけた り、心理的対象関係に原因を求めた り、 さらには存在論的起源までを も要請 して、何 らかの根拠づけを しよ うとするのではないかlS

情動は、この上なく激烈なものか らまった く漠たる気分 といった状態にお よぶ無限に変化する度合いで、あらゆる経験の中に浸透 しているものであ り なが ら、それ 自体 として表現す ることができない。た とえ身振 りや言葉、 さ

18 情動は精神分析において極めて重要な概念であるDというよりも、情動という人の 生をそれぞれの色合いに染め上げるこの 「雰囲気」(アル トーはこれを 「生の力」と呼 ぶ)なくして精神分析は成立しょうもない。そしてここでも事態は同じである。情動 は、苦痛であれ快感であれ、唆味なものであれ明確なものであれ、あらゆる感情状態 を意味する。そして情動は、表象とならんで、欲動 (pulsion)が表現される二つの領 域の一方とされるのだが、ということはここでもまた情動は欲動という原因が生み出 した結果という因果関係の下に捉えられている。しかし他方で、欲動は身体と言語活 動 (意識)の結合を示す極限概念なのであり、純粋に生理学的 ・物理化学的過程に還 元されえないものとして認識されてもいる。つまり、情動が自己意識とまったく無関 係な状態で意味を持つことはありえないのだ。

38

(15)

らには叫びで表そ うとしても、身振 りや言葉は、身体的行為が生み出 した ( 質的な)現実存在に還元 され るものであって、それ らが表わそ うとす る内容 (情動)そのもの とは無関係 なのだ。表現や規定は必ず関係や基準系を前提 しなければ不可能なのだが、情動性 はそ うした関係や基準系を一切逃れて し ま う。一般的な印象 としては、苦痛 と快感 は対立関係 に置かれ るよ うに思わ れがちだが、それは言葉の概念 の レベルでのことにす ぎず、た とえば苦痛は 様々な手段 (それ 自体情動性 とは関係 ない ものだ)で消滅 させ、快感 は ( わ くは)増大 させ るように対処す る以外 には何 もできないのだ。そ してまた、

苦痛や快感 は、瞬時に消えるものであれ、長時間持続す るものであれ、それ が真実の経験かまたは錯覚に過 ぎないか といった判断を逃れて、ただひたす ら存在す るだけのものである。それ 自体 としての情動的状態は実質的に二元 性 を持たず、対立も矛盾 も一切持たぬまま出現す るのだ。

概念的に把握 され うるものがすべて論理的経験のプ ロセスにおける関数的 現象である (つま り概念的に把握 され るものは何一つ 「存在」概念が妥当 し ない)のに対 して、 自己充足的存在論的性格 を認 め られ るものがあるとした ら、それが唯一 この情動性 なのである。情動的状態はただひたす ら存荏 (

‑ トル)す るだけで、何 も意味せず、意味す ることができない。純粋な強度 の経験 として しか存在 しないか らだ。 とはいえ、そ うした情動性の存在論的 性格の中にこそ、初めて、知的直観 の対象 としての物 自体 といった ものが発 想可能 となるのであ り、また宗教的文脈 において霊魂の世界 といったものも 想像可能 となるのである19。ただ し、 この地点で、情動性 が根本的実在か ら 生 じるものなのか (「実存的不安」のよ うに)、それ とも情動性が偶々存在論

19 先の引用に見たように、アル トーは哲学を虚構の、そして偽 りの概念装置として、

これを信じなかった。彼はまたオカル ト的な呪誼の力の存在について、そのカが彼の 存在を破壊 し迫害すること、その力と戦い続けてきたことを機会あるごとに語ってい るが、では、彼はこうしたオカル ト的な力の実在は信 じていたのだろうか、という問 いも可能ではあるだろう。 しかしここでは肯定であれ否定であれこうした問い‑の答 を探る意味は乏しい。さしあたり、「オカル ト」の問題は、アル トーという主体の存立 を脅かす、襲いかかるのが内部からか外部からか判然としない不気味な力 (苦痛‑情 動性)の経験の比喉的表現と理解すべきものだろう。アル トーのユーモアを示す次の ような一節 (あえて訳さずにおくが)を読むならば、こうした物語装置に対して彼が 冷静な距離をとっていたことが窺えるはずである。

((AinchidonechettehumaniteaitetentieparSatandevivrelepluslongtempspossibleetdams lacraintequejeladetmi SeetqueJeneCOnCherveplusquedetresraresjetresellem'aencore chupprlmemomoplum,elles'estrangiechoumescoupsetdechideaprsj'etreallieatoutle maldechecontenterdechontravailquotidienafindechefaireassepter.汁(XY:p.433‑434)

(16)

的性格を示 しているだけなのか とい うことを性急に断定 しようとす ると、こ れまた再度メタ論理的な形而上学の中に踏み込む ことになるだろ う。アル ト

」がその道 を選ぶ ことはなかった。

ト ル

存在

禿質的には唯 情動的なものに限 られるのであるとした ら、ま た、存在の概念 も辞項 も情動的所与に しな準伊 しえず適用 してはな ら ないのだ とした ら、その概念や辞項が、「存在 〔神〕」に帰 される通常 の形而上学的意味雲だ何 らかの全知全能の精神的実在 を意味す ること はもはやない。/存窪だ概念 と辞項が起因す るのが情動性なのであっ て、情動性の根源が存在の中にあるのではない。 しか しこれ 〔この差 異〕はわれわれの知 りうるところではないのである20

この 「知 りえない」地点か らアル トーの 「思考」は始められ ようとす るの だ。 しか しこれは、理性の概念的思考が、あらゆる概念の相対性 ・関係性 を 失 うことな しには先に進むことのできない、内省の空間の限界地点なのであ る。思考にとっで情動は、 どこまでも不透明に閉ざされていて、思考が思考 として中に入 り込むことができない。 しか しまた、情動の外にあっては、情 動性は思考にとって端的に無なのだ。それはどのような表現や概念化をも逃 れて しま う。だか らこそそれが、時に 「存在」 と呼ばれ、時に 「神」・と呼ば れ もす るのだろ う。そ してそれが情動性の起源なのである。だが同時に、そ の情動性が、意識に対 して対象 として出現す るのか、それ とも、意識す る 〔 体の〕側 にあるのかが明確 にされたため しはない。つま り情動を経験す る当 の意識主体にとって、その情動の内在性 も外在性 も判断できないのである。

それはまさに、情動の経験において、主体 と客体の関係が破綻 して しま うか らなのだ。言い換えれば、あらゆる認識の前提 とされ る主客関係が保持 され ている限 り、そこには情動がそのもの として認識の対象には入ってこないこ とを意味す る。アル トーにとって、本質的な意味で思考す ることとは、この 限界地点を踏み越 えることに他な らないのだが、その とき主体は、すでに失 われてお り、そ して未だ到来 していないoそこにおいてアル トーはいつ も 「 り直 さなければならない自分」を見出す ことになる。アル トーにとって思考 とは自分の 「誕生」 と 死」を同時に生きることとなる。 フィリップ ・ラク ーニラバル トが次の一節 を書いたのは件のヴィユー ・コロンビエ座の講演会 でアル トーが何 を提示 したい と望んでいたかを思い浮かべなが らであった。

20stephaneLupasco,Qu'estcequJunestructure?(Christian Bourgois)1967,pp.106‑107.

40

(17)

書 くこと、それはいかに死んでいるかを語 ることである。そ して、「 は存在す る」 とい うことに驚 くのではなく、「私はもはや存在 しなかっ た」 とい うことに動揺 させ られ ることに存す るもの、それが思考その ものなのだ。死は思考の、文学の、定言的命令である。‑‑ゲルはこ の必然性か ら一つのシステムを作ったが、アル トーは、この必然性 を 最 も極端な苦痛のなかで 口に したのであ り、それはポェジー と呼ばれ るのである21

が、この評言はきっと 『ジャック ・リグイエール との往復書簡』を読む こ とか らも得 られたに違いない。 とい うのも、ま さにこの書簡集が発表 された 翌年(1925年)にアル トーは次のように記 しているか らだ。それはあたかも、

アル トーの個人的な経験が実はあらゆる文学の出現の根拠に無媒介的に触れ るものであった と言い当てたラクーニラバル トの指摘 と呼応 して、最終的に 実現 された、詩人 自身による詩人 自身についての予言のよ うにも読めるので ある。

私は生のことを考える。私が将来打ち立てるかも知れぬ体系をことご とくもって して も、 自分の生の作 り直 しに没頭 しているこの男、ま さ にこの私の発す る叫びに匹敵す るもの とはなるまい。 [‑]私を包囲す るあれ らの言葉にな りえていない力を、私の理性 はいつの 日か迎え入 れなければな らないはずだ。そ して、外か ら見れば叫び声の形 を して いるそれ らの力が高尚高遠なる思想に取って代わるべきなのだ220

情動性は、どんな種類のものであれ、本質的に主体の存立を脅かす経験で あると同時に、その経験は主体にとって 「存在」が開示 され る契機 となる。

存在」は、常にあらか じめ奪われて しまっていたもの として気づかれ、未 だ取 り返 しえないもの として求め られる23。「頭痛」はアル トーが被 る情動経 験の象徴にはかならず、彼はその経験を 「苦痛」とい う概念で総称 していた。

21フィリップ ・ラクーニラバル ト 「誕生は死である」、『シュルレアリスムの射程』所 収、せりか書房、1998年、浅利誠訳、pp.175176.

22I,t2,p151

23≪私たちはまだ生まれてはいない。

私たちはまだ世界にはいない。

まだ世界はない。

事物はまだっくられてはいない。

存在理由はまだ見出されていない‑ ≫

(バリーワルシャワ」、『アル トー後期集成Ⅲ』、河出書房新社、2007年、鈴木創士訳、

pp.491492.)

参照

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