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「不本意な覇権国」? ―ドイツ外交政策をめぐる 論争

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「不本意な覇権国」? ―ドイツ外交政策をめぐる 論争

著者 葛谷 彩

雑誌名 明治学院大学法学研究 = Meiji Gakuin law journal

巻 100

ページ 409‑425

発行年 2016‑01‑29

その他のタイトル Reluctant Hegemon ?:  Discussions on German Foreign Policy s New Role

URL http://hdl.handle.net/10723/2648

(2)

「不本意な覇権国」?

―ドイツ外交政策をめぐる論争

Hans Kundnani, The Paradox of German Power, Hurst & Company: London, 2014.

Herfried Münkler, Macht in der Mitte, edition Körber-Stiftung: Hamburg, 2015.

葛 谷   彩

 2010 年のギリシャの債務危機に端を発するユーロ危機以来,統一ドイツの 外交政策に対する関心が高まっている。EUにおけるその経済力に裏打ちされ たパワーと存在感の大きさを背景とし,ギリシャや南欧諸国の救済に消極的で,

自らの緊縮財政策の正当性を強調し,その採用を加盟国に迫る姿勢に,戦後一 貫して多国間主義を重視し,欧州統合にもっともコミットしてきたドイツの外 交政策の変化を見る向きが強くなった。その際参照とされるのが,その規模と パワーの大きさゆえにヨーロッパの不安定化を招いたとされる,1871 年から 1945 年までのドイツの外交政策とヨーロッパにおけるその役割をめぐる問題,

すなわち「ドイツ問題」である。かかる「歴史の回帰」の視点から,「(新しい)

ドイツ問題」,「不本意な覇権国」および「中央に位置する大国」などをキーワー ドに,統一ドイツの外交政策を読み解き,その行方を展望する論考や著作が近 年目立つようになった(1)。他方,グローバル化の進展を背景に,輸出大国とし

【書評論文】

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てますます経済志向を強める中,ガスや石油などエネルギーを依存しているロ シア,ヨーロッパ域外で第二の輸出相手国である中国との関係など,ヨーロッ パ域外の世界におけるドイツの外交政策も注目されるようになった(2)。  わが国では近代史とりわけ第二次世界大戦後の歩みが類似していることか ら,ドイツへの関心が高く,比較の対象とされることが多かった。しかし,そ うした比較は専ら過去の克服や歴史問題への取り組み,とりわけ「3.11」以降 は脱原発・エネルギー政策など,特定の問題に集中する傾向があり,概して外 交安全保障政策についてのそれは少ないように思われる。その理由として,一 つには戦後の(西)ドイツが我が国同様の敗戦国であったこと,もう一つは冷 戦の最前線に位置する分断国家であったという国際環境上の要因から,戦後

(西)ドイツの外交安全保障政策が一貫して,軍事力行使における制約や国益 の明確な自己主張を控える「自制の文化」を特徴としていたことから,同じ西 欧のイギリスやフランスと比して,外交安全保障政策への関心が相対的に低 かったためであろう。辛うじて挙げるならば,非軍事分野での国際貢献を行う 大国という「シビリアンパワー(民生大国)」(H・マウル)(3)という概念が冷戦の 終焉直後の 90 年代初めに注目を集めた程度である。しかし,これもドイツが 90 年代の旧ユーゴ連邦紛争を機に連邦軍の海外派遣を積極化させていくにつ れ,取り沙汰されることが少なくなった(4)

 だが先述したように,ユーロ危機以降にEUの大国としてのドイツがクロー ズアップされるに至って,わが国でも大国ドイツの行方に関心が集まるように なった(5)

 本稿では,Kundnani (2014)とMünkler (2015)を手がかりに,このような「ド イツ=覇権国」な論争がドイツの世界や欧州における位置づけ,ドイツ自身の 外交安全保障政策および欧州政策に持つ意味を,権力政治構造のみならずアイ デンティティ・レベルからも若干考察してみたい。

(4)

覇権国 ? Kきndnani 大国ド 評価。

 まずハンス・クンナニ(Hans Kundnani)『ドイツのパワーの逆説(The Paradox

of German Power)』を概観する。著者のクンナニはジャーナリスト出身のイギ

リスのドイツ専門家であり,現在独立系のシンクタンクである「欧州外交評議 会(European Council of Foreign Relations)」の研究部長を務めている。同書は欧 米 各 国 の み な ら ず, ド イ ツ 国 内 で も 反 響 を 呼 び,「ド イ ツ 外 交 政 策 協 会

(Deutsche Gesellschaft für Auswärtige Politik)」(アメリカの「外交問題評議会(Council

of Foreign Relations)」に相当)が刊行する国際・外交政策問題に関する代表的雑

誌『国際政治(Internationale Politik)』において,後述するMünklerの著作と併 せて書評論文が掲載された(6)

 同書が注目を集めたのは,ユーロ危機以降クローズアップされた,ドイツの 独り勝ち状態やEU内の南北問題,さらに債務国であるギリシャを始めとする 南欧諸国に対して,支援については消極的でありながら,他方で構造改革や緊 縮財政策の実施については厳しく求めたドイツの対応に対する批判が強まる中 で,こうしたドイツの外交政策のあり方を「ドイツ問題」の復活という視点か ら分析した点にある。

 「ドイツ問題」とはビスマルク主導の下でドイツが統一した 1871 年からナチ・

ドイツが敗北した 1945 年までのドイツ外交政策と欧州の平和が直面していた ジレンマをさす。すなわち,それはドイツがヨーロッパの勢力均衡を機能不全 にするくらい強力だが,単独でヨーロッパを支配して覇権を確立するほど強力 ではない,いわばドイツが「準覇権国(semi-hegemony)」であることに由来す るヨーロッパ国際システムの不安定化の危険を意味する。それはこうした権力 政治構造面だけでなく,イデオロギー面においても,英仏に代表される西欧

(West)に対抗するドイツ・ナショナリズムの台頭という形で表出し,結果と

(5)

して「ドイツの使命」の実現という形で,二度の世界大戦に至るドイツの攻撃 的な外交政策を正当化する役割を果たしたとクンナニは論じる。もっとも 1945 年以降はナチの過去への反省と冷戦という国際環境の下,分断国家西ド イツは,アデナウアーが主導する「西側統合」路線(西ドイツ外交を西側の多国 間枠組みに組み込む外交路線。具体的には安全保障においてはNATO,経済においては ECにおける協調を重視する政策)を自らの外交政策の基軸とした。1989 年のベ ルリンの壁の崩壊に端を発する冷戦の終わり,1990 年のドイツ統一および 1992 年の共通通貨の導入を始めとしてさらなる統合を謳ったマーストリヒト 条約の締結は,こうした西側統合路線の正しさを弁証するかに思われた。戦後 ドイツを代表するリベラル左派の歴史学者ハインリヒ・A・ヴィンクラー

(Heinrich August Winkler)は,その近現代ドイツ史の大著『西方への長い道(Der lange Weg nach Westen)』(2000)(7)の中で,統一ドイツを「ポスト古典的国民国家 としての西側の普通の国」として位置づけ,「西方への道」の完成および(西 方に対する)「ドイツ特有の道」(8)の終わりを意味するとして,EUにしっかり結 びつけられた統一ドイツを言祝いだ。これはクンナニも言うように,同時期に 発表されたアメリカの政治学者フランシス・フクヤマの「歴史の終わり」論を 彷彿させる。すなわち,「ドイツ問題」からの解放であり,その止揚である。

権力政治構造面においては,欧州統合のプロセスへの組込みによって大国ドイ ツの存在によるヨーロッパの不安定化が,イデオロギー面においては,英仏さ らに米国流のリベラルな諸価値の定着ならびにナチの過去への反省に基づく

「ホロコースト・アイデンティティ」の確立によって,英仏の西欧に対抗する ナショナリズムの出現という問題が解決されたからである。なるほど冷戦の終 わりと旧ユーゴ紛争の勃発は,連邦軍のNATO域外への派遣や人道的介入へ の参加に象徴される外交政策の変化をドイツにもたらした。ただしそうした変 化も,たとえば英仏同様の「普通の同盟国」としてドイツが行動するようになっ たという意味で,「西側統合」路線の継続として理解することが可能であった。

(6)

 しかし,今世紀初めの第二次シュレーダー政権以降,とりわけアメリカ主導 のイラク攻撃への不参加を表明した 2002 年のシュレーダー首相の「ドイツの 道」発言以降は徐々に変化が目立つようになり,それが明らかになったのが 2010 年のユーロ危機であったとクンナニは強調する。ユーロ危機はヴィンク ラーら歴史家たちが弁証した「ドイツ問題」の西欧的解決としての戦後ドイツ 史という「成功物語」に,新たなエピローグを付け加える必要を生じさせたの である。すなわち,それはある意味での「ドイツ問題」の再来である。権力構 造面では,EU内の格差の拡大とユーロ危機への対応をめぐる独仏を中心とす る内部対立が表面化し,イデオロギー面では,ギリシャにおいてドイツに対し てナチ時代の賠償問題が持ち出されるなど,解決済みであるはずの歴史問題の 再燃が見られた。さらに 2011 年3月のリビア内戦に伴う国連安保理でのリビ ア空爆の是非を問う議決に対して,ドイツは賛成票を投じたアメリカ,イギリ スやフランスなどのNATO同盟国に同調せず,棄権した。ドイツは再び西側か ら離れて単独主義に向かいつつあるのか。またかかる国際安全保障に対する消 極姿勢は,グローバルな諸問題の解決に対する責任を担おうとしない,かつて の西ドイツの外交政策への回帰なのか。経済のグローバル化の中で中国やロシ アとの相互依存関係が深化していることが,西側へのコミットメントに対する ドイツの消極姿勢を強めているのか。このような一連のドイツの外交政策は 1945 年以前の歴史への回帰,より具体的に言えば「ドイツ問題」の回帰と見な せるのか。かくしてその答えを求めて,クンナニは 19 世紀後半から現在に至 るドイツの外交政策を歴史的に検証していく(9)

 結論として,クンナニは「ドイツ問題」の回帰は生じていると述べる。現在 のドイツは戦前のそれと同様に,ヨーロッパの勢力均衡を維持するには強力で ありすぎると同時に,ドイツ自体が覇権を行使してヨーロッパを安定化させる には弱すぎるという逆説をはらんだ大国であり,ドイツの歴史家デヒーオの言 葉を借りれば「準覇権国」である。他方で,それはかつてのような地政学的な

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意味でのそれではなく,国家が経済的利益のグローバルな増大に大きな役割を 果たす「地‑経済的(geo-economics)」的な意味での「準覇権国」である。すな わち,ユーロ危機以降のドイツは,国内の社会政策改革や財政構造改革の実現 による経済グローバル化への適応の成功から,EU諸国の中でフランスを始め とする近隣諸国を大きく上回る経済力を手にし,それを背景にユーロ危機にお いて自らが望む緊縮財政策や構造改革案を他の国に対しても採用するよう要請 することが可能になった。しかし,他方で,ドイツが南欧諸国の救済に消極的 で,さらにかつてのアメリカが行なったような内需拡大策を取りたがらないの は,アメリカを始めとする諸国が批判するように,ドイツが消極的でもエゴイ スティックでも,近視眼的だからでもない。過去と同様に,覇権国としての負 担を担えるだけの力を有していないからであるとクンナニは論じる。かくして

「ドイツ問題」は,新しいかたちで再浮上したのである(10)

 それでは,「ドイツ問題」のイデオロギー面はどうであろうか。クンナニに よれば,先述したような権力政治構造面における地‑経済的な「準覇権国」的 立場ほど重要ではないものの,一方でのグローバル化への適応の成功と中国な どの新興国の経済成長による好調な「輸出」と,他方でのイラク戦争に見られ るようなアメリカの軍事力による紛争解決とは一線を画す「平和」国家ドイツ を軸としたナショナリズムの台頭が認められるという(11)。それに続けて,かか るナショナリズムと安全保障環境の変化,すなわち冷戦の終わりとアメリカへ の依存の必要性の低下は,戦後(西)ドイツ外交政策の基軸であり続けてきた「西 側統合」路線を必然から選択へと変容させたとする。なるほどドイツはヴィン クラーが述べたように,第二次世界大戦後はリベラルな政治文化を定着させる ことで,「西側」からの逸脱を克服してきた。しかし,戦略的観点から西側の 一員であり続けるかどうかという問題は存在し続けるとし,2014 年のウクラ イナ政変とクリミア併合に関するドイツの世論調査の結果を引用しつつ(12),ド イツがヨーロッパを放棄することは想像できにくいとしながらも,ポスト西側

(8)

的なドイツ外交政策の可能性を示唆するのである。

 「ドイツ問題」を軸に戦後ドイツ外交政策を分析するクンナニの手法と視点 は明晰かつ簡潔である。とりわけドイツ近現代史についての知識がない読者が

(クンナニの著作自体英語圏のそうした読者を対象にしているからであるが),ドイツ の外交政策とそれをめぐるドイツ国内の論争についての概観を得るのに最適な テキストと言ってもよい。それに止まらず,彼の議論のユニークさは「ドイツ 問題」を権力政治構造の面のみならず,イデオロギー面からも考察している点 である。後者においてクンナニが重視するのが,ナチの過去をめぐる集団的記 憶に基づくナショナル・アイデンティティが,戦後ドイツ外交政策に与えた影 響である。すなわち,一方の「加害者」としてのドイツ人という「ホロコース ト・アイデンティティ」(ハバーマス)と他方の「被害者」としてのドイツ人と いう「ドレスデン(1945 年 2 月の米英によるドレスデン空爆を指す)・アイデンティ ティ」の相克である。とりわけシュレーダーの反米的な「ドイツの道」発言と それが世論の支持を得た背景に,後者のアイデンティティの台頭を見出す論述 には説得力がある(13)。もっともイランの核問題交渉において,イスラエルへの 配慮との関連で,前者の「加害者」としてのドイツ人というアイデンティティ がほとんど問題にされなかったというクンナニの議論は行き過ぎであると思わ れるものの,これまでもっぱら対米・対欧州という西側との関係でのみ論じら れてきたドイツ外交政策を,例えば中国やロシアとの関係(ある意味ドイツにとっ て今日での東方(East)に相当すると言えよう)をも射程に入れて論じる必要性を 示唆した点は評価できる。それによって,これまで不動の基軸として扱われて きた「西側統合」路線や「西側的」規範の内実の変容に着目することが可能と なろう。

 もう一つ指摘したいのが,こうしたクンナニの議論が持つ含意である。彼の 議論はあくまでドイツ外交政策の批判的分析に止まっているが,そこから何を 読み取ることが可能であろうか。私見では,外交的存在感を失いつつあるアン

(9)

グロサクソン世界の人間(イギリス人)の,ヨーロッパ大陸の「準覇権国」ド イツに対するアンビバレンツがあるように思われる。すなわち一方では,彼の 議論に,その経済力を活用して英仏同様,国際安全保障や地域秩序の維持にも 積極的にコミットする大国としてEUを指導してほしいという期待,言い換え ればEUの「準覇権国」としてその安定に貢献することで,米欧関係の強化に 寄与してほしいという期待を見出すことも可能である。他方では,地­経済的

「準覇権国」としての立場ゆえに,米英にとって間接的な脅威になりうること,

すなわちユーロ危機に見られたように,新しい「ドイツ問題」によりEUが不 安定化する危険性,あるいはリビア空爆をめぐる同盟国との別行動やウクライ ナ危機に見られたように,ドイツの西側離れや中国やロシアとの経済的相互依 存の深化がEU内の対立を生み出す危険性への懸念,さらにそうしたドイツの 行動を抑制する手段やパワーリソースが米英において失われつつあることの自 覚も見いだせるのではないだろうか。

中央 位置 大国 責任

い―Mミnkleお 756A 覇権国

 ヘルフリート・ミュンクラー(Herfried Münkler)は,マキャヴェリの研究か ら出発し,戦争論に関する一連の研究で知られるドイツを代表する政治学者で あり,現在ベルリン・フルボルト大学で教鞭をとっている。また現代の政治問 題や外交問題についても意欲的に論考を発表している。彼の著書『中央に位置 する大国(Macht in der Mitte)』(2015)は,ドイツを事実上覇権国として明言し た上で,その外交政策と欧州政策を論じたものとして注目を集めた(14)。ここで はその内容を見ていく。

 まず同書においてミュンクラーの問題意識は,ユーロ危機以来顕在化してい るEU内の緊張関係およびその分裂の危機に向けられている。このような遠心

(10)

力が働いている欧州がまとまるためには,求心力となる存在が必要であり,そ の役割を果たせるのが中央に位置する大国としてのドイツであると説く。「中 央に位置する大国」とは,ミュンクラーによれば「より大きな影響力がより大 きな責任と結びつくような政治的立場であり,権力が増すごとに義務も増す立 場である。」さらに続けて,これを維持するためには絶え間ない努力が必要と されると強調する。これはとりわけドイツ国内の世論に向けられたものであっ た。ドイツ国民に対する外交・安全保障政策への関心の喚起は,これ以降本文 中で繰り返されている。

 それでは,なぜ統一ドイツがこのような立場を担うことになったのか。その 背景としてミュンクラーが挙げるのが,1)EUの東方拡大に伴い,ドイツが EUの中央に位置する大国になったこと,2)さらに欧州の安全保障からのア メリカの段階的撤退により,ドイツが地理的中央から地政学的中央に位置する 大国になったことである。さらにこのような「中央に位置する大国」論が近年 登場した背景として,1)欧州統合の目的と見なされていた「欧州合衆国」が 2005 年のEU憲法条約の挫折により成立しなかったことにより,国民国家の 強靭性の存続が確実になったこと,2)2008 年のリーマン・ショック以降の 欧州統合の停滞や遠心力の増大(ギリシャの債務危機やイギリスにおけるEU残留 をめぐる国民投票への動き)を指摘する。もはや超国家的連邦としての欧州合衆 国の成立の見通しがない現在,かかる欧州統合における遠心力的動きを抑制す るために,それを均衡させ,かつ求心力となる「中央に位置する大国」が必要 であるとする。こうして,ミュンクラーは「中央に位置する大国」としての立 場の保持者としてのドイツをめぐる論争への参加を表明する。換言すれば,欧 州統合の求心力の役割を果たせる大国としての資格や能力がドイツにあるのか という問いかけであり,覇権を目指したがゆえに過去において失敗した「中央 に位置する大国」としての役割を,今度はより賢明かつ責任感を持って果たせ るかが問われているとミュンクラーは述べる(15)。この問いに対する答えを見出

(11)

すべく,ミュンクラーもまたクンナニ同様,ヨーロッパにおけるドイツの役割 の歴史的変遷(第1章),ヨーロッパの対外的境界線とヨーロッパの中央の位置 の問題の地政学的分析(第2章),近代ヨーロッパ国際政治史を中央に位置する ドイツと翼強国(東のロシア,西のイギリス(第二次世界大戦後はアメリカ))との 相互作用から読み解く(第3章)など一連の歴史的考察を行なっている。

 結論として,ミュンクラーは好むと好まざるとにかかわらず,ドイツは中央 の位置にある大国としての役割を果たす義務のみならず,その能力があると論 じる。そのための条件として,外交政策においてはユーロ危機やウクライナ危 機での対応に見られるように,徒に強硬な姿勢に訴えるのではなく,慎重かつ 粘り強い政策を行なうべきであるとする。それは外交関係を維持しつつ,紛争 のエスカレーションの抑制に徹する外交政策を意味する。他方で,このような 慎重な政策が,躊躇や決断力の無さゆえであると諸外国から見なされるのも避 けるべきであると述べる。例えばリビア内戦への介入について,問題であった のは国連安保理で棄権したことではなく,ドイツの外交政策において一貫性や 代替案が示されなかったことにあったとする(16)。さらに欧州の中央に位置する 大国としての国内政治的条件として挙げられるのが,政府だけでなく世論も親 ヨーロッパ的であること,かつ世論におけるポピュリズムに対する強い抵抗力 の存在である。前者については,ドイツが国益とEUの利益がもっとも一体化 している国であること,後者についてはナチの過去の問題からポピュリズムに 対する制度的・文化的なハードルが高いことにより,ある程度条件を満たして いるとミュンクラーは論じる(17)

 他方でドイツが中央に位置する大国としての役割を果たすに際しての弱点と して挙げられているのが,歴史問題というアキレス腱である。なぜならそれは ドイツが指導力を発揮してヨーロッパ政策を実施する際に,例えばユーロ危機 における当事国であるギリシャや対応策をめぐって対立したフランスやイタリ アなどに見られるように,それを不服とする他の加盟国が自らの抵抗やフリー

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ハンドの確保のために,ドイツに対する攻撃の手段として利用する可能性があ るからである(18)。しかし,このような「傷つきやすい覇権国」としてのドイツ は,歴史問題という弱点を抱えているがゆえに自制が容易であり,かえって他 の大国と比べてそのリーダーシップが加盟国によって受け入れられる可能性が 高いかもしれないとミュンクラーは述べる(19)

 このようなドイツの弱点と考えられる歴史問題を弁証するミュンクラーの論 法は興味深く,ある種のナショナリズムすら感じさせるが,おそらくそれは楽 観とは程遠いものと言えるかもしれない。なぜなら,それと同時に彼はドイツ がかつてのような「背後からの指導 (leading from behind)」に自足できる心地よ い立場にはないとしているからである。その理由はとりわけ状況の変化や他の 候補国の不在に求められる。例えば,ヨーロッパの分裂・解体の危機に対する 唯一の代替的選択肢として考えられる独仏枢軸の再活性化について,ミュンク ラーは独仏枢軸自体は維持していくべきであるが,それ以上の効果への期待は フランスの国力の低下により困難であると述べる(20)。これは実態はともあれ,

欧州統合において常に独仏枢軸がその動力源として擁護・強調され,またそれ がドイツのヨーロッパ政策の基軸を成してきたことを思えば,かなり大胆かつ 率直な意見である。またアメリカの欧州における影響力の後退ゆえに,それ自 体は今後も引き続き維持されるにしても,頼るべき拠り所としての「西側」は 安全保障政策上も理念政策上ももはや存在しない。したがってヨーロッパは自 分で問題を解決しなければならないと論じる点は(21),西側の理念とその持続性 を重視するヴィンクラーとは明らかに異なる。そこにはむしろ悲壮感すら漂う までの「中央に位置する傷つきやすい大国」としての覚悟を覗うことができる。

 以上において同書の概要を見てきたが,ミュンクラーの議論から何が読み取 れるであろうか。まず顕著なのは,欧州の分裂・解体に対する危機感の強さで ある。ミュンクラーによれば,それは皮肉にも欧州プロジェクトの政治的逆説

(統合を促進しようとして行なった試みがかえって各国内の反発(ユーロ懐疑主義・排

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外主義)や齟齬(格差や利害)を再活性化させたこと)によって促進された。現在 の危機は,過去のそれとはレベルが異なる。それはかつてのような統合の進展 を促進する触媒としての機能を果たすのではなく,不可逆的に解体に至るかも 知れない危機であるという見方を彼は示す(22)。現在と将来の欧州に対するミュ ンクラーの厳しい評価を裏付けるものとして,先述した独仏枢軸やアメリカへ の依存を前提としていた西側同盟の今後に対する厳しい見方があると言えよう。

 もう一つは,ドイツ人自身が「覇権国」を宣言したことである。これまでド イツを覇権国として論じるのは専ら国外の専門家や政治エリートに限られてい た。ドイツ人たちはそうした議論に否定的で,まずは自らの外交政策の継続性

(多国間枠組みとしてのNATOやEU,とりわけ後者の動力源としての独仏枢軸の重要 性)を訴え,過去の歴史的制約からドイツがヨーロッパの指導的「大国」とし てリーダーシップを果たすことの不可能性と不適切性を強調することが多かっ た。事実上それを認めざるを得ない場合も,諸外国に警戒心を与えかねない「覇 権国」という表現は慎重に避け,「責任大国」などのより穏当な表現を用いる 傾向があった。またミュンクラー自身も「中央に位置する大国」としてのドイ ツの役割を,仲介者的・調停者的なものに限定している(23)。それでは,なぜ彼 は敢えて「覇権国」という表現を用いたのであろうか。これを解く鍵は,ミュ ンクラーが再三再四,ドイツ国内の世論がドイツの繁栄と安定という国益に とっての欧州統合の重要性と正当性を理解する必要性を繰り返している点に求 められるであろう。すなわち,ミュンクラーによる「覇権国」としてのドイツ 宣言は,国外ではなく世論に対して向けられているのである。それはドイツが 望んだわけではないが,欧州統合に向けたいくつもの決断と状況の発展の相互 作用によりドイツに与えられた役割であり,ドイツの経済力の結果であるのみ ならず,EUにおいてもはやドイツの同意や支持なしには何も決まらないとい う政治的状況から生じているとミュンクラーは説く(24)。かくして「覇権国」と いう表現を用いることによって,ミュンクラーはドイツの欧州における立場に

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ついての認識と覚悟を世論に求めようとしたと言える。それは同時に世論に対 する欧州統合の正当性についての説得の努力を,ドイツの政治エリートに対し て要請するものでもあった。そう理解すれば,一見するとドイツの能力に対す る過大な要求にしか見えない「中央に位置する大国」という役割を,ミュンク ラーが強調する意図が見えてくる。それは一種のマニフェストであり,世論に 対する啓蒙の書なのである。

両者 議論 共通点 相違点 与え 示唆

 最後にクンナニとミュンクラーの議論を比較したい。まず共通点として,両 者の議論がともに「歴史の回帰」という観点において一貫していることが挙げ られる。ナチの過去によりドイツでは長らく「歴史の回帰」的議論(例えば「ド イツ問題」の復活など)はタブーであり,事あるごとに戦前との断絶もしくは戦 前の悪しき過去の教訓を学んだことによるその克服が強調された。それは国際 環境やドイツの外交政策における転換の際に繰り返され,ドイツ統一時には当 時のコール首相が「ヨーロッパのドイツ」となることを強調し,1999 年のコ ソヴォ紛争における人道的介入への参加を表明した当時のフィッシャー外相 は,アウシュヴィッツの過去ゆえにドイツが参加する義務があるとしてこれを 正当化した。それはいわばドイツにとっての一種の国家理性であり,ワード・

ポリティクスであったが,現在のドイツが置かれた状況はこうした国家理性や 言説政治に終始することの限界を露呈していると言えないだろうか。すなわち,

それは現実的政策ではなく,むしろ現実との乖離の大きさにより,ドイツ人自 身の現実の直視を妨げるヴェールとして機能し始めているのではないか。両者 の議論はイギリス人とドイツ人という立場を超えて,かかる現実の冷徹な認識 の必要を訴えたものと言える。それはドイツ統一と欧州統合の進展にドイツの 終着点を見出す,些かユーフォリックな「成功史(Erfolgsgeschichte)」の物語

(15)

に対して,歴史が簡単に終わるものではないことを警告しているのではないだ ろうか。

 もう一つは,逆説をはらむ「大国(覇権国)」としてのドイツという認識であ る。クンナニはドイツは経済的には欧州における第一位の大国だが,覇権国た る力も意思も不足していることが欧州の不安定化を招いているとし(「地-経済 学的準覇権国」),ミュンクラーはドイツの過去に由来する歴史問題が,ドイツ の現在置かれた状況(「中央に位置する大国」)に対する世論の認識を阻んでいる とし,さらにドイツを取り巻く権力政治的環境の変化(EUの東方拡大,パートナー であるフランスの国力の低下,アメリカの欧州におけるコミットメントの後退,軍事的 パワーの重要性の低下)がドイツをしてリーダーシップを果たすことを要請して いるとも説く。それと関連して両者とも,ドイツが外交政策においてそうした 課題に取り組めていない理由として,世論を始めとする国内政治の制約が大き いことを認識している。マウルが書評において,現在のドイツ外交政策の逆説 として述べたように,「大きなことを成し遂げなければならないが,少しずつ しか行動に移せない」のである(25)

 相違点としては,両者ともドイツ外交政策の現状とその問題点の認識におい ては一致しているものの,その関心の力点が異なることが挙げられる。クンナ ニが経済的観点からドイツ外交政策の批判的分析を行い,どちらかと言えばそ れがこれまでの西側統合路線から逸脱する可能性に関心があるのに対し,ミュ ンクラーはEUの将来に対する危機感に基づき,権力政治的・地政学的観点か らドイツの外交政策の再定義(「中央に位置する大国」としての役割)を行ない,

その関心は専らEUの存続に向けられている。アメリカを含む「西側」の枠組 について,ミュンクラーはひき続き維持されるべきではあるが,その重要性と 有効性は以前ほど高くないという認識を示し,彼の議論の対象はドイツ国内の 世論に向けられている。その意味で,後者は「ドイツがどの程度覇権国である のか,またはそうなる可能性があるのか」という現状分析とその展望というよ

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りは,敢えて「覇権国」や地政学的な「中央に位置する大国」というこれまで タブーとされてきた語彙を用いることにより,ドイツの外交政策とヨーロッパ 政策に対する世論の理解と関心を喚起するための啓蒙の書であると言えよう。

 以上,覇権国ドイツをめぐる二つの著作を紹介し,両者の比較を行なった。

二人の著者の立場や関心の違いがあるにもかかわらず,両者にはやはり大きな 共通項が見出せる。それは先述したように,ドイツが欧州や世界におかれた現 在の状況(「地-経済的準覇権国」「中央に位置する他国」もしくは「傷つきやすい覇権国」) という鏡を通じて,彼らの国であるイギリスとドイツのナショナル・アイデン ティティの揺らぎが映し出されている点である。クンナニの著作には,世界お よびEU内での対外的存在感を喪失しつつあるかつての「覇権国」であり,遅 れてきた国家のドイツにとって嫉妬と羨望の対象であった先進的「西側」の大 国であるイギリスの現在の自己意識を見出すことができる。他方でミュンク ラーの議論には,戦前の過去の教訓と戦後の国際環境の変容から「中央に位置 する」大国としての覇権の追求を断念し(させられ),NATOとEC(EU)を中 核とする「西側統合」に自らを組み込むことで発展を遂げてきたドイツが,再 び国際環境の変化(アメリカの後退と拡大EUにおける対立と格差の増大,EU大国 としての英仏の相対的衰退とドイツの独り勝ち状態)に伴って,意図せざる形で,

一方では周辺諸国やアメリカからリーダーシップを発揮するよう求められ,他 方ではユーロ危機に見られるように,リーダーシップを発揮しようとすれば反 発や批判を受ける立場(「不本意な覇権国」)になったことへの戸惑いを覚えつつ も,敢えて「覇権国」と言挙げすることでそうした立場に向き合おうとしつつ ある姿が映し出されている。かくして両者はそれ自体が両国の対外認識と世界 における自己認識の現われであると言える。その意味でドイツ同様敗戦国であ り,かつ現在も戦勝国(かつての占領国であり現在の同盟国であるアメリカ,かつて の被侵略国であり,現在軍事的・経済的にも日本を上回る東アジアのみならず世界の大 国となった中国)との複雑な関係を抱える日本にとっても,両者の著作は自ら

(17)

の外交政策とその世界や東アジアでの位置づけを考える上で示唆に富むといえ よう。

 「付記」本稿はドイツ現代史学会第 38 回大会,シンポジウムⅠ「統一後 25 年のドイツ政治」(2015 年 9 月 19 日,於神戸大学)での報告「外交政策から見る 25 年」を基に加筆修正したものである。

( 1 ) Timothy Garton Ash , “The New German Question, “ The New York Review of Books 60 (13), 2013, pp. 52-54. “Germany and Europe: The Reluctant Hegemon, Spe- cial Report, ”The Economist, 15 June 2013.

  Simon Bulmer/William E. Paterson, “Germany as the EUʼs reluctant hegemon? Of economic strength and political constraints,” Journal of European Public Policy 20

(10), 2013, pp. 1387-1405.

  Hans Kundnani, The Paradox of German Power, Hurst & Company: London, 2014.

  Herfried Münkler, Macht in der Mitte, edition Körber-Stiftung: Hamburg, 2015.

( 2 ) Stephan Bierling, Vormacht wider Willen. Deutsche Außenpolitik von der Wiederver- einigung bis zur Gegenwart, C.H.Beck: München, 2014. Stephen F. Szabo, Germany, Russia, and the Rise of Geo-Economics, Bloomsbury: London, 2014.

( 3 ) Hanns W. Maull, “Germany and Japan: The New Civilian Powers, “Foreign Affairs 69(5), 1990, pp. 91-106.

( 4 ) 戦後日本とドイツの外交・安全保障政策の比較の少なさについて分析を試みた ものとして,拙稿「『二人の臆病な巨人?』再読―戦後日独外交安全保障政策比 較試論」『明治学院大学法学研究』92 号(2012),pp.127-170。とりわけpp.127- 130 を参照のこと。

( 5 ) その一般的な現われとして,エマニュエル・トッド『「ドイツ帝国」が世界を 破滅させる 日本人への警告』堀茂樹訳,文春新書,2015 年など。

( 6 ) Hanns W. Maull, „Übermächtig und verwundbar. Deutschlands Rolle in Europa:

Drei Neuvermessungen“ Internationale Politik 70(5), September/Oktober 2015, S.

132-136.

  なおクンナニ自身も同誌に度々寄稿している。

( 7 ) Heinrich August Winkler, Der lange Weg nach Westen. Bd 2. Deutsche Geschichte von

(18)

Dritten Reich bis zur Wiedervereinigung, C.H.Beck: München, 2000.(邦訳『自由と統一 への長い道:ドイツ近現代史 1933 年〜1990 年』後藤俊明他訳,昭和堂,2008 年)

( 8 ) 「ドイツ特有の道」論とは,市民革命を経た「下からの近代化」を経験した英 仏に対し,ビスマルクに代表される権威主義的政府による「上からの近代化」と いうドイツの歩みが,成熟した市民社会の成立を阻み,最終的に脆弱なヴァイマー ル・デモクラシーの崩壊とナチ・ドイツの成立を招いたとする議論である。

( 9 ) Kundnani, pp. 1-6. 第1章から第5章までが歴史的検証,第6章では 2010 年ユー ロ危機以降の状況を扱っている。

(10) Ibid, pp. 107-110.

(11) Ibid, Ch. 6.

(12) Ibid, pp. 113-114. 2014 年4月世論調査によれば,49%がドイツはロシアと西側 の間を仲介すべきという考えを支持。ドイツがEUのパートナー国及びNATO同 盟国の側に立つことを望むとしたのは 45%。旧東独では,60%が前者,31%が後 者を支持と述べられている。ヴィンクラー本人も 2014 年6月シュピーゲル誌で のインタビューにおいて,かかる傾向を指して,ドイツにおける「密かに進行す る脱西欧化」とコメントしていることが言及されている。

(13) Ibid, Ch. 4.

(14) 同書はInternationale Politik誌(2015 年9月・10 月号)でハンス・マウルによっ て書評された他,同誌(2015 年 11 月・12 月号)の識者による「2015 年読むべき本」

の特集でも取り上げられている。またフランクフルター・アルゲマイネ紙へのミュ ンクラーの寄稿論文のタイトルは「われわれは覇権国である」となっている。

Her fried Münkler, “Wir sind der Hegemon,“Frankfurter Allgemeine Zeitung, 21.08.2015 (http://www.faz.net/aktuell/feuilleton/debatten/europas-zukunft/einzusehen- deutschland-ist-europas-zentralmacht-13760335.html (アクセス日:2015 年 9 月 15 日)

(15) Münkler, Macht in der Mitte, S. 7-14.

(16) Ebenda, S. 146-149.

(17) Ebenda, S. 163-164.

(18) Ebenda, S. 168-173.

(19) Ebenda, S. 176.

(20) Ebenda, S. 174-175.

(21) Ebenda, S. 48-50.

(22) Ebenda, S. 15-20.

(23) Ebenda, S. 146.

(24) Ebenda, S. 43-44.

(25) Maull, S. 136.

参照

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