ことばとモノ
著者 笹原 亮二
雑誌名 国立民族学博物館調査報告
巻 68
ページ 87‑104
発行年 2007‑03‑26
URL http://doi.org/10.15021/00001443
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1. ことば とモノ
笹原 亮二
1 はじめに
我々はこの世に生を受けて後,成長するに従い,ことばを聞き,話し,書くことを 習得する。そして,日々様々な局面で,様々なことばを用いて生活を送るようになる。
その一方,我々は,自らの身体とは別個に存在している様々なモノに接し,道具とし て使用したり,所有したりして日々の生活を営むようになる。その結果,我々の生活 においては,ことばとモノが欠かせない存在となるに至っている。
ことばとモノというと思い出す光景がある。それは,以前見た『奇跡の人』の舞台 の一場面である。ヘレン・ケラーの幼少期を描いたこの作品では,視覚と聴覚に障害 を持つ彼女がモノに名前があることを初めて理解する場面がクライマックスに配され ている。それは,日々の生活におけることばとモノとの密接かつ重要なひとつの関係 性を示していて印象的である(ギブソン 2003)。
しかし,その舞台は,ことばとモノの関係を,「モノに名前がある」ということだ けですべて片が付くような単純なものとして描いているわけではないことには十分注 意する必要があろう。また,そうした関係の複雑さは,両者を巡る実際の状況を少々 思い起こしてみても容易に納得される。例えば,同じことばなのにそれが示すモノが 異なっているといった事態は,異なる場所で生まれ育った人と話をしている際にしば しば経験することである。また,我々は,自らの行為や保持している知識や技術を総 て言語化して自覚しているわけではない。モノの道具としての使用は,多くの場合そ れを用いる身体的な技術を伴うが,その習得や行使は細部に渡ってことばによって規 範化されているわけではなく,我々は多くのことを,ことばでは説明できなくても,
実際に行うことが可能である。こうした例は数え上げればきりがないが,そうした事 実は,我々の生活において,ことばとモノが,常に「指し示すもの/指し示されるも の」あるいは「説明するもの/説明されるもの」というかたちで対応して存在してい るわけではない,つまり,ことばとモノは必ずしも直線的に結び付いているわけでは ないことを示している。
そこで本稿では,そうしたことばとモノの関係を踏まえて,民俗学において従来行 われてきたモノ研究,民具1)研究の流れを整理し,国立民族学博物館所蔵の大村しげ コレクションの 4 万 5 千点に及ぶ膨大な数のモノの群を実際の事例として視野に納め つつ,モノを通じた生活文化の研究を果たしてどのようなかたちで進めることが可能 か,その方法や資料論の構築に向けて,若干の私見を述べてみたい。
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2 モノとことばの一致
民具研究においてことばとモノの関係を考えた時,民具の名前,即ちその民具がど のように呼ばれているかという呼称への関心は,最も根元的で重要な問いのひとつと いうことができる。アチック・ミューゼアムを創設し,「民具」という用語を生み出 して,民俗学における本格的な物質文化研究の先鞭を切った澁澤敬三は,民具とその 呼称を巡って次のような指摘を行っている。澁澤は,「民俗学に,今迄生物学的とで も云い度い様な,実証的研究法があまり用ひられて居らぬことを,聊か不満に思って 居た」という。それは,「方言の研究にしても,仮名だけで集めた時の危険は想像以 上で,ビクと居ひ,カゴと居ひ,フゴと居ひ,モッコと居ひ,その何れにしても実物 なしでは本体の解らぬものが多い」。つまり,「仮名や文字の上だけで幾ら集めて議論 しても,実は初まらない」(澁澤 1933: 5―6)というわけである。
澁澤やアチック・ミューゼアムの同人の間で「民具」という用語が用いられるよう になり,民俗学における物質文化研究,即ち民具研究が本格化したのは 1933(昭和 8)
年前後とされる。澁澤の指摘は,民具研究が始まって間もない早い段階から民具の呼 称に注意が払われていたことを示している。
当時アチック・ミューゼアムは,全国各地のアチック同人を通じて精力的に民具の 収集を行っていた。そして,民具がアチックに多数集まってくるに連れて,民具の整 理や研究を巡って様々な問題点が浮上してきた。その 1 つが民具の呼称であった。同 じような名前で呼ばれている民具も,地域が違うと必ずしも同じような形態をしてい るとは限らなかった。また,同じ形態の民具が,地域が違うと異なる名前で呼ばれて いる場合もしばしば見られた。各地で人々に実際に用いられてきた民具は,呼称と形 態が全国一律に 1 対 1 で対応しているわけではなかったのである。従って,当人は,
同じ呼称の民具のデータを収集し,比較して,同じ形態や機能を有する民具を研究し たつもりでいても,実際は別の形態や機能を有する民具を比較している場合が生じて しまう。民具の呼称のみを頼りに比較検討を行っても,民具自体を研究することに直 接的に繋がるわけでは必ずしもないのである。そこで,澁澤とアチックが民具を基礎 的な研究資料として定位するために先ず必要と考えたのは,それぞれの地域において 個々の民具がどのように呼ばれているかを正確に把握すること,つまり,モノとこと ばの一致であった。澁澤らの民具の呼称への注目は,人々の生活の現場では,地域や 歴史,個人の保有する知識や情報の質や量の違いなど,モノが存在する文脈に応じて モノとことばの結びつきは様々で,両者が常に直線的に結び付いているわけではない といった,モノとことばの錯綜した関係の発見という逆説的な経験を契機とするもの であった。
こうした澁澤とアチックの民具の呼称に対する関心は,その後のアチックの民具の
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研究においても様々なかたちで実行に移され,成果をあげていった。アチックの同人 であった内田武志は静岡県内の方言について精緻な調査研究を行い,その成果を『静 岡懸方言誌』として著した。方言の研究書でありながら「第三輯」は「民具編」とさ れ(内田 1941),事実上その地域の民具を網羅した民具誌となっていたことは,その 1 つの現れといえる。
3 民具調査の現場
澁澤らの民具の呼称への関心は,民具の調査法にも見ることができる。アチック・
ミューゼアムにおいて民具研究が本格化して間もない頃に,民具の収集や調査の手引 き書として作成された『民具蒐集調査要目』(アチック・ミューゼアム 1936)では,
民具の使用者や所有者から得るべき情報として,名称・採集・製作・使用・分布・由 来の最低 6 点が基本的な調査項目となるとして挙げられている。名称に関しては,現 地での呼称を方言によって採録し,仮名書きで記述し,その際には別の呼称の有無を 確認すると記されている。また,呼称以外では,由来や使用その他について俗信・伝 説はないか,いつ頃から用いられはじめたか,何処から伝えられたかといった点も調 査項目として挙げられている。
こうした呼称を初め,由来や俗信など,民具の使用者や所有者からことばを介して 伝えられる知識や情報の重視は,その後の民具の調査や研究にも受け継がれて現在に 至っている。民具を日々の生活において人々が用いる「日常卑近の道具」と定義する と,その調査は,先ずは道具としての形態や使用の状況に関する詳細な観察が想起さ れる。しかし,実際の民具調査では,そうした観察と同等,あるいはそれ以上に大き な比重を占めるのが,民具に関して聞き取りを行うことなのである。
使用者や所有者から民具に関する話を聞くことに関しては,民具の調査研究の方法 としての重要性が従来から多くの研究者に指摘され,実際に行われてきている。宮本 馨太郎は,「民具調査には大別すると聞き取りと観察の二通りの方法」があり,聞き 取り調査とは「話者との会話の中から耳を通して記録していくやり方」で,先ずはそ の地域の生活全般の様相に関する聞き取りを行い,「ノートにその折出てきた民具の 呼称を素早くメモ」し,一通り聞き終わったら,改めてそれらについて調査するとい う「二段構え」で行うと述べている。更に宮本は,聞き取り調査は,実際に現存し,
使用されている「現行民具」に止まらず,「物そのものはすでに残っていなくても古 老などの記憶の中に伝承されていたり」,「一生に一度とか,ある一定期間だけ」に使 用される「潜在民具」についても調査が可能と,その一層の有効性を指摘している(宮 本馨太郎 1979: 123)。
中村たかをも,民具に関して第一次資料となるのは,その民具を使っていた人達か
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ら聞いた「生の話,生の声」である「確実な聞ききとり取資料」で,調査にあたっては,「そ の民具の使い手の呼慣わしや言い方には,その土地の人達の考え方や意味付け,いわ ゆるフォークイメージが反映されているから」,「使った人達の気持ちが汲み取れるよ うに(使った人達の言い廻しは角カッコにでも入れて,聞き手の意見や解説とは明ら かに区別出来るような形にでもして)記録」して,「フォークイメージを第一次資料 として」記録することが重要と述べている(中村 1981: 259―260)。こうした宮本や中 村の主張からは,モノの形態や機能に勝るとも劣らず,モノに関することばの世界,
そして,ことばを通じて表現される人々の心意や価値観といった側面に関心を寄せて きた従来の民具研究者の姿勢が看て取れる。
天野武は,特定の民具について,年中行事や儀礼の祭具として用いたり,収納の仕 方に呪的な禁忌が伴ったり,使用不能になったら徹底的に破壊して棄却したりといっ た,民具の道具としての実用的な合理性を越えたあり方を,民具を巡る俗信として取 り上げて論じている(天野 1983: 245―248)。天野の研究は,民具に関する人々の意識 や意味付けに焦点を定めた民具研究という意味では宮本や中村と同様の姿勢と見るこ とができるが,注目されるのは,議論が文字の問題にまで及んでいる点である。天野 は,「民具に墨書や焼印が付されている例は少なくないものの,それは一体いかなる 目的をもつのであろうか」と,民具と文字との結び付きに注目する。民具に記される のは,記年銘,家名や氏名の墨書,奉納者や寄付者の名前の陰刻などであるが,それ らの記し方や内容は,民具の使用や管理のあり方,即ち人々が民具といかに関係を取 り結ぶかに密接に関わっていて,「それらの民具がどのような年代に製作され,だれ によって所有されてきたかを知る上で貴重なばかりでなく,いかに使われ,いかなる 生活にどう機能してきたかを理解するために看過されてはならぬ」,つまり,「庶民自 身がいかなる感情を抱いてそれに対処しようとしたか」,「民具に対するこころ」の現 れと見ることができる。そして,民具に文字を記すことは,それを大切に扱ったり,
所有の状況を明確にしたり,日々の活動の記念物にしたりといったかたちで,民具と 人との個人的あるいは社会的な関係をより強固にしていると指摘している(天野 1983: 237―242)。
4 モノの呼称
従来の民具研究において,モノとことばを巡っては,前述のようにモノの呼称とモ ノに関する話の 2 点が重要な問題とされてきた。そこで,それぞれについてやや詳し く見ておきたい。
モノの呼称,即ち民具の名称を巡っては,同じ民具も地域が違うと異なる名称で呼 ばれるという澁澤敬三以来の地方名の問題が注目され,重要な調査項目とされてきて
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いる。例えば神野善治は,「民具の名称を問題とする場合,先ず大切なのは,その民 具をその使用地で何と呼んでいるか」,つまり「民具名の方言」であり,それは「一 種の民俗語彙」とみなすことができるので,それらの分布状況を整理分析することに よって,その民具の名称やモノ自体の変遷・地域差・伝播や流通などを導き出せる可 能性があるとしている(神野善治 1985: 16―17)。
こうした認識は,神野自身も述べているように,民俗学における「民俗語彙」の発 想が背景にある。民俗語彙とは,端的に言えば「土地で行われている生活用語」,特 にその中でも「民俗を採集し,記述する場合に標目索引として採用」したものを指す 民俗学の術語である(民俗学研究所 1955: 7)。民俗語彙においては,「文献の上から は中世以後消え果てたと思う古語が,邊土において口言葉に残って」いたり,各時代 の文化的中心から遠く離れた「全然縁もない,何ら持ち運んだ痕跡のない離れた場処 の人々の間に,幾つかの目につく一致が現れ」たりというかたちで,「言葉だけは,
全然氏名も知らないような我々の同種族の者の,五百年八百年以上の生活振りが,兎 に角に残つておる」。従って,全国各地の様々な民俗語彙を大量に収集し,分類し,
比較することで,「田舎に住む人々の,生活変遷を部門別に跡づけ」,「日本人の生活 がどんな風に時代とともに発達改良し,また同時にどのくらいの程度に昔のものを保 存しておつたかを見る」ことが可能になる。つまり,民俗語彙は,民俗事象の調査・
整理・分類のための単なる指標に止まらず,それが指し示す民俗事象の内容とともに
「生活史の資料」となるというわけである(柳田 1955)。
民具の地方名を生活史の資料と見る視角は,実際の民具研究において一定の成果を 挙げていて,研究方法としての有効性を確認することができる。河野通明は,牛馬に まつわる飼育施設や馬鍬・犂といった民具が各地でどのように呼ばれているか,それ らの呼称の違いに注目して,大陸から日本列島への畜力を用いた農耕具と耕作技術の 伝来と受容の歴史的過程を論じている(河野 2000)。民具を歴史資料として見た場合,
「民具の地域呼称はその民具が地域にデビューした時点の情報を持っており,伝来や 伝播の時代を何世紀と絞り込む手掛かりとなる」(河野 2003: 29―30)というわけであ る。
5 命名と造語
民具の名称を巡っては,地方名を生活史の資料と見る関心の一方で,その地方の 人々がその民具に対する何らかの意図に基づいて名付けた結果と見て,その経緯に注 目する命名の問題も研究者の関心を集めてきた。前出の神野善治は,「常民が日常生 活で用いるモノをどのように認識しているかを,モノの命名法から考え」るという
「民具の命名論」は,「地方名を通して常民の民具に対する命名方法を知り,ひいては
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民具の把握の仕方,民具のはたした社会的役割を知ることもできる」と,研究方法と しての可能性を指摘している(神野 1985: 17・20―21)。
民具の命名への注目は新しいものではなく,澁澤敬三に既に見ることができる。澁 澤は,「民具名称の発生変化分布に注意を要することは勿論であるが更に名称附与の 根本法則を把へることが出来れば幸」(澁澤 1935)と述べていて,ことばとモノの一 致や呼称の分布や歴史と共に, 命名法についても早い時期から注目していた。澁澤自 身,国内に生息する魚について,全国規模の魚名の集成や魚名と魚種の同定に加えて,
魚名の命名や魚方言の成立,同名異魚といった命名を巡る問題について検討を行い,
「社会的所産である魚名」が「時と所と人により多くの場合複雑なる変化を示す」(澁 澤 1959: 11)としてその具体的な様相を詳細に論じている(澁澤 1958・1959)。
民具の命名論は,柳田國男以来の民俗学における命名や造語を巡る一連の議論の流 れにおいて理解することもできる2)。柳田の事物の名称に関する認識の基本は,「物の 名即ち物の実体を表すといはれる名称が,すでにひとつの言語芸術」(柳田 1980: 159)
ということである。柳田によれば,「現在日本で用ゐられている単語は,十万乃至 十二万位といはれて居るが,此大部分が新語である」(柳田 1980: 160)。つまり,事物 の名称は元々存在していたものでもなければ自然発生したものでもなく,ある時期に ある人がその事物に命名して生まれた新たな言葉,造語というわけである。こうした かたちで「無名ながらも何人か必ず,衆に先立って此選択を試みた者があつた以上は,
之を芸術と名付けて聊かも其不可を見ない」,即ち,事物の名称は,人々による意識 的・意図的な創造の結果として,短いながらも「言語芸術」といえるとしている。
それでは,言語芸術としての命名や造語にはどのような特徴があるのか。藤原与一 によれば,事物の命名や造語は基本的に,人々の日々の生活に密着した内容・表現と なるが,それに加えて次のような特徴が認められる。柔軟で当意即妙で,時には気楽 で気ままな命名が行われる「想の自在性」,非行を論難したり風刺や皮肉を込めたり する「批評意識」,事物への関心や興味に基づいて名付けを面白がる「あそび」,大げ ささや誇張を伴うたとえで言い表す「比喩」,見たまま感じたままを擬声的・擬態的 表現なども用いて描写する「直写直述」,戯け・駄洒落・冗談・軽口などの卑俗な笑 いに通じる「滑稽感」,年中行事・儀礼・祈願などに伴う「信仰・敬虔・丁寧」,日本 語による表現としての「文法・音韻上の制約」,音感・音数・漢語の使用といった「音 のこのみ」などである(藤原 1959)。
こうした特徴は,命名や造語が作り手の意識や意図に応じてかなりの程度自由奔放 に行われてきたことを示している。しかし,生み出された総てのことばがその事物を 指し示す名称として定着し,用いられるようになるわけではない。定着し,用いられ るためには,そのことばが,人々のその事物に対する認識や感覚に合致した,しかも 快い表現として,人々に支持・承認される必要があった。事物に対して人々が漠然と
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抱く「感じを覚るに敏な者が,代表して総員の言はうとするところを言つた」ことば に人々が同意し,承認すると,それがその事物を指し示す新たなことば,即ち名称と して受容され,定着し,使用されるようになる。その意味で,命名や造語は,あくま でも「聴衆に支配されるものであつて,代表者と群衆の合作」であり,「聴衆の文芸」
(柳田 1980: 165)なのである。
柳田以来の民俗学のこうした命名や造語への注目を,佐藤健二は「言語文化の発生 を,命名や新語の局面でとらえようとする立場」から,「話すという実践の総体を,
その新表現の生産力にそって統一的に把握しようとした」ものであり,「耳の強調,
すなわち作者の創作から読者の実践へという文学史的な焦点の移動」であったと指摘 している(佐藤 1997: 167・171)。命名や造語は決して偶然・無作為に行われたわけで はない。何らかの意図をもって行われ,しかも,個人的な行為ではなかったのである。
民具の呼称をこうした命名や造語の結果として考えるならば,それが,その民具を地 域社会や特定の集団がどのような経緯と認識の下に受容し,保持し,用いてきたかを 探るための重要な手掛かりになってくる。
6 モノと話
従来の民具研究において,モノに関する話,即ち,民具の使用者や所有者から聞き 取った内容が重視されてきたことは前述した。しかし,民具とそれに関する話の関係 もまた,それ程単純なものではない。
榎美香は,房総半島南部の鍬について,形態・構造・用途・自然条件などを指標と して分類・分析を試みているが,その際に,鍬の地域毎の差異に関する情報について,
鍬を製作する職人よりも「使用者である農家のほうが語られる項目が少なく,自分の 使っている鍬が他と比べてどういう特徴があるのかを説明しない」と述べている(榎 2002: 5)。同様のことは筆者にも経験がある。神奈川県北部では,麦類や陸稲の脱粒・
脱穀に唐棹がかつて用いられていたが,打ち棒と柄の形状や材質や大きさに地域的な 違いが認められる。かなり明確な違いでありながら,使用者や所有者は自らの唐棹が 隣接地域の唐棹と違っていることに言及することはほとんどなかった(笹原 1993:
29)。また,宮本馨太郎によれば,民具の使用者や所有者に対する聞き取り調査の際 の調査項目としては「名称・採集・製作・使用・分布・由来の最低六項目が基本とな る」ものの,「民具は一般にその起源・由来の明らかでないものが多い」と述べてい る(宮本馨太郎 1979: 125―127)。これらのことは,民具について,使用者や所有者は いつでも総てのことを明快に話してくれるわけではないことを示している。
民具が人々によって常に話される対象ではない,つまり,常に説明され,情報がも たらされるわけではないという事実は,民具とそれに関する話を,説明される対象と
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説明の内容といった単純な対応関係として理解するだけでは十分ではないことを示し ている。それでは両者の関係をどのように理解すればいいのか。そこで,差し当たり 問題としたいのは,人々が民具について話すのはどういう場合か,そして,その話に はどういう特徴があるかということである。
使用者や所有者が民具について話す機会として先ず想起されるのは,質問に回答す る場合であり,そうした質問者としては,民具について「名称・採集・製作・使用・
分布・由来」(宮本馨太郎 1979: 125)といった情報の収集のために調査にやってくる 研究者を第一に挙げることができる。
民具の調査研究に関して中村たかをは,「第一次資料」は「確実な聞ききとり取資料」であ るが,「集める側の聞き方,教わり方によって第一次資料の精粗に大きな相違が出来 る」と述べている(中村 1981: 259・261)。そこには,民具に関する話とは,誰がどう 質問しても相手が同じように話してくれる民具に関する固定的・絶対的な情報ではな くて,質問によって引き出された結果としての可変的・相対的な情報とする認識を見 ることができる。
大門哲の民具に関する「「談話」調査」の議論も中村と同様の認識に基づいている が,大門は更に,モノに関する語りは質問者と回答者の協働作業の結果としているの が注目される。大門は,モノと言葉の関係について,「モノはつねに群となったほか のモノとの配列のなかで価値をおびる「コトバ」でしかない」とする基本的な認識を 表明する。そして,「モノ像は記録(聴取)可能な客観的情報として存在するのではな」
く,「談話という場において,話者と調査者がモノの記憶を互いに協働させ辻褄をあ わせるなかで構築される」と指摘する。モノに関する「コトバ」は,「話者(=回答者)
→ 研究者(=質問者)」という一方向的な関係において研究者側にもたらされるので はなく,「談話」という双方向的な関係において「創出され共有される」。しかも,そ うした「コトバ」は,話者の「「身にしむ言語」を包含する「エピソード記憶」」とし て「零れ話」・「思い出話」的な性格を有し,「その発話は聞き手に話し手と同じ状況
(記憶)にたちあってもらい「思い」を共感してもらおうとする技法性をもつ」。つま り,民具に関する「談話」調査によって得られた情報は,「思い出」として「話者が かつての自分を再現し,かつ聞き手はその場に臨むことができる点,話者の「身(思 い)になれる物語」」となる3)。民具に関する情報は,使用者や所有者と調査にやって くる研究者との接触が契機となり,両者の協働作業によって,使用者や所有者の反省 的な思い出話として紡ぎ出されるというわけである。
研究者が民具の所有者や使用者から聞き取る情報は,その民具に備わった普遍的・
客観的な内容ではなく,程度の差はあっても,所有者や使用者が保持する知識や体験 が談話を契機にその都度反省的に再構成され,言語化された可変的・相対的な内容の 話でしかあり得ないとする大門の指摘は,話と民具が「説明する/説明される」と
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いった単純な関係にあるわけではないことを改めて気付かせてくれる。人々が民具に ついて話す行為を,民具に関する単なる情報提供と見るだけでは十分とはいえないの である。
香月洋一郎は,従来の民具研究は,「何らかのかたちでのモノとの関わりの切実さ を前提に」していたと指摘する。この場合の「切実さ」は「道具感覚」を意味する。
民具は基本的に「日々使い込まれる」生活道具であり,「消耗品であったが,同時に また,欠ければ常に容易に入手しうるといったものではなく」,「貴重品的な性格をも あわせ持っていた」。民具は人々にとって,日々の生活を営むために,それを入手し,
適切な維持管理によって保持し,使用し続けることが重要かつ不可欠とされる存在で あり,そうした民具が有する切実さを前提にこれまで研究が行われてきた4)。しかし,
こうした民具の切実さは,日々の生活と生計を維持するための経済活動とが乖離して いない,かつての「生産社会」において見られたものである。昨今の「消費社会」的 な状況においてはそうした切実さが必ずしも成り立っているわけではない。人々とモ ノとの関わりは今や「消費活動」となり,モノの使用や所有による「自己確認や自己 主張」といった実用性以外の「付加価値」が,実用性と「同等かそれ以上の比重を占 めるような状況が大きく作用する」に至っているとしている5)。
ここでは,香月が民具の生活必需品的な道具としての実用性とは異なる役割を挙げ ている点に注目したい。そうした役割が消費社会特有の今日的な現象か,実用性に対 する付加価値の位置に止まるのか,その判断は微妙であるが,ここでは香月の見解を,
民具を生活維持のための使用に直接的に結び付く道具感覚の切実さにおいてのみ考え ることが,生活現場に存在するモノの理解として十分ではないという指摘と考えてお きたい。そしてそれは,話と民具は常に「説明する/説明される」といった単純な対 応関係にあるわけではないとする先の大門の指摘とも符号する。人々が民具を巡って 他者との談話的状況において発する零れ話や思い出話は,ある種の自己確認や自己主 張と見ることもできるからである。
そうなると,話と民具の関係を考える場合,民具の側から理解を試みるだけではな く,民具の実用性と一旦距離を置き,話の側から理解を試みるという視角も必要とな るのではないだろうか。人々が口にする話の中に,民具あるいはモノがどのようなか たちで現れるのか。そしてそこには,人々と民具あるいはモノとのどのような関係が 認められるのか。
7 話とモノ
大門哲は,民具に関する話を,所有者や使用者の過去に獲得した知識や体験の再構 成の言語化と指摘していたのは前述の通りであるが,モノに関する話,口頭伝承のあ
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りようが,人々の過去に対する意識,歴史認識と深く関わっているとする見解は,彼 以外のほかの研究者においても見ることができる。
小池淳一は,源義経主従の奥州に落ちのびた旅を巡る平泉以北の伝説群の近世にお ける様相を,伝説にまつわる事物に着目して検討している。小池が注目するのは固有 名詞を有する実在の事物である。各地には,義経主従にまつわる岩石や樹木や池泉な どの自然物,彼らの持ち物とされる品々,彼らが物資を借用した際の証文,義経の従 者の末裔を称する家といった様々な事物が,それらに因んだ伝説と共に存在してい る。そうした事物と伝説の関係は,事物を根拠に「伝えられてきた伝説に新たな光が あてられ」たり,「伝来の不明確な事物に伝説が与えられ」たり,伝説が「逆に事物 を生み出」したりしていて,「伝説とは事物に集約されるものであるとともに,事物 それ自体を作り出す」という双方向的なものであった。伝説は具体的な事物,モノと 結び付くことで,単なる伝説に止まらない,実在の歴史としてのリアリティを獲得し,
事物もまた過去から伝わった伝説と結び付くことで,実在の歴史の証拠としてのリア リティを確固たるものにしていった。義経伝説ということばの世界は,様々な実在す るモノと一緒になって「人々が歴史的世界への関心を紡いでいく力となっていた」と いうわけである6)。
伝説が実在の事物を参照点として獲得することで,人々の間で歴史認識の生成や共 有が促進されるのは,近世の義経伝説に特有の現象ではない。鈴木正崇は,岩手県宮 古市津軽石地区で行われている又兵衛祭りを巡って類似の状況を指摘している。鈴木 によれば,「祭祀にはその起源や由来,意味についての伝承を伴う場合が多い」が,「過 去に実際に起きたとされる出来事を記念する祭祀」の場合は「具体的な地名や人名,
モノなどを挙げる伝説が多く語られ」,それらが実際の祭祀においても祭場や祭具な どのかたちをとって登場することが少なくない。又兵衛祭りも例外ではなく,藩の禁 制を破って村人に鮭をとらせて磔に処せられたとされる又兵衛の霊を祀り,合わせて 豊漁を祈願するという,祭りの由来を物語る伝説が伝来し,祭りにおいて又兵衛を象っ たとされる藁人形が祭具として実際に登場する。祭りの形態や祭りに関わる伝説は時 代や社会状況の推移に伴い刻々と変化していて,人々による様々な解釈や意味付けが その都度行われてきたことを示しているが,「その中核には解釈や意味を紡ぎ出すカ タチがあり,又兵衛人形が焦点で,正統性の媒体」となってきた。つまり,祭りと伝 説を巡っては,祭りに登場する又兵衛人形という実在のモノを介することで,人々の 祭りや伝説に関する意味付けや解釈の形成,正統性の主張が行われてきたのである。
又兵衛人形は,祭りや伝説の意味や解釈の生成の契機となると共に,その正統性を支 えるモノとして,その実在性において有効性を発揮してきた。その場合,モノと意味 や解釈は,「カタチは何かを造形し,想像を生み出し,観念を固定化させ,それにつ き動かされて,再び造形を変えていく」といった相互に影響を与え合う双方向的な関
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係にあり,そうした「相乗効果」の中で,祭りに関する人々の歴史認識が更新され,
その正統性,リアリティーが強化されてきたのは,前述の義経伝説と同様である7)。 ことばの世界が人々の歴史認識と深く関わっているのは,伝説や祭祀といった特別 の場合に限ったことではない。日常的な世間話8)においても同様である。山田巌子は 従来の世間話研究について,世間話の「語られる〈場〉」,「語る〈ことば〉」,「支える
〈共同体〉」に注目して検討を行っている。そして,世間話が語られるのは「「説明」
としての先例が求められる場」で,「経験の先例としての話は,かつての社会におい て,ものごとを判断していく重要な根拠となった」こと,先例としての「経験」は「話」
によって形を与えられ,共同体で共有された「記憶」として機能していくこと,その 際には,諺や慣用句や類型的な話のパターンといった定型的な表現が,「個人的な体 験を普遍性のある話へと変化させる技術」として用いられ,その結果,一見個人的な 経験譚のように見える話であっても,経験が他者と共有される共同性が無意識のうち に成立していることを指摘している9)。山田が挙げた世間話の特徴は,人々が日常的 に交わしている話が,過去の先例や経験をリソースとするが,そのままではなく一定 の型式に整序されているという意味で,話し手の一種の歴史認識となっていて,伝説 や祭祀の場合と共通する。更にそれが,話し手個人を越えた普遍性,共同性を有し,
共同体の記憶としての性格を帯びていることは,伝説や祭祀との一層の共通性を感じ させる。
こうした世間話のありようと,先に見た伝説や祭祀とモノとの相互作用を併せて考 えると,世間話においてもモノへの言及は伝説や祭祀の場合と同様に,人々の歴史認 識の形成とそのリアリティの強化を促進させるという予想も十分可能であろう。ま た,人々の過去への意識や歴史認識的な性格が,伝説,祭祀,世間話のいずれにおい ても認められたことは,それが,研究者の質問に対する回答や談話調査に特有の現象 とは限らず,「話す」という行為一般に広く認められる性格と考えてもいいのかも知 れない。そうなると,話とモノの関係もまた別のかたちで理解が可能になる。それは,
話の側から見ると,話し手の身の回りにある総てのモノが話の中で言及されるのでは なく,話し手の過去への意識,歴史認識と響き合うモノが言及されるのではないかと いうことである。民具調査の際に,民具について使用者や所有者に尋ねても,きちん とした話を聞けない場合は意外に多い。呼称ですらわからないといわれる場合もあ る。大門哲に倣っていえば,談話が弾む民具と弾まない民具があるのである。こうし た事態は,こちらの質問が良くなかったり,相手がその民具に関する知識や情報をほ とんど有していなかったりということが原因の場合も当然あろうが,話そのものに備 わっているそうした性格に拠ると考えることもできるかも知れない。
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8 大村しげコレクションを巡ることば
以上,ことばとモノの関係について,従来の民俗学における民具や口頭伝承の研究 の成果を通じて考えてきた。その結果,民具の調査や研究においては,呼称やそれに 関する人々の話といった民具に関することばに多大な関心が寄せられ,論じられてき たこと,民具自体と民具に関することばは直線的に結び付くのではなく,その使用者 や所有者が属する社会や集団の地域的・歴史的な位相や,その人々の意識や意図に応 じて多様な結び付き方が見られること,民具に関する話を巡っては,民具自体に備 わった道具としての実用的な知識や情報に止まらず,使用者や所有者が過去に獲得し た知識や体験が,質問や談話を契機として再構成された話し手の反省的な自己主張や 自己確認的な内容となる場合が少なくないこと,伝説から世間話に至るまで日常生活 において人々が話す行為は,先例や経験を再構成して言語化したものとして,人々の 過去に対する意識や歴史認識と深く関わっていて,具体的な事物やモノの存在を介し てその内容の歴史的な正統性やリアリティーの強化が促進されてきたこと,その場 合,話において言及されるのは人々の過去に対する意識や歴史認識と親和性を有する モノで,一旦関係が成立すると,話がモノを生み出すと共にモノが話を生み出すとい う双方向的な作用が発効することといった諸点を明らかにすることができた。
こうしたことばとモノの関係に見られた特徴は,調査や研究を行う者がモノ自体の 形態や機能などについて自ら資料化した情報以外に,モノの使用者や所有者,あるい はその他の関係者から,ごく簡単な事実確認を越えて,詳細な質問や談話を通じて聞 き取った知識や情報を資料として用いて調査や研究を進める際には,大なり小なり関 わってくると考えられる。従って,こうした特徴を踏まえて人々から聞き取ったこと ばを吟味し,これから行う自らの調査や研究の目的や方法と照らし合わせて資料とし ての有効性の有無を確認することは,資料批判として欠かすことのできない重要な作 業となってくるはずである。そしてそれは,国立民族学博物館が収集し,整理を完了 した大村しげコレクションの約 4 万 5 千点に及ぶ膨大なモノの群に関しても基本的に 変わらない。それぞれのモノは,大村しげを初め,コレクションに関わる様々な人々 が発することばと,本稿で検討してきたような一筋縄ではいかない錯綜した関係を取 り結びつつ存在している。原理的にはそう考えるべきであろう。
大村しげコレクションを巡るモノとことばの関係を考えた時,先ず注目されるの は,彼女は身の回りのごくありふれたモノを意図的に棄てずに残したこと,そして,
彼女自身は既に故人となっていて,残したモノに関する話を直接聞くことは不可能で あるが,文筆家として自らの著作の中でモノについて多くの言説を残していることで ある(横川 2003a: 4―5)。ところが,残されたモノとそうした著述の間には「ずれ」
が認められる(横川 2003b: 7)。例えばその量である。前述のように大村しげコレク
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ションのモノの総数は 4 万 5 千点に及ぶが,そのうち著作の中で言及されているのは ごく僅かに過ぎない。それでは,どのようなモノが著作に登場するかというと,いか き・ささら・金網・みそこしなどの台所用品を初め,多くは今ではあまり見られなく なった一昔前の道具類や手作り品が多くを占めている。現代の電化製品や工業製品が 登場しても,それは否定的文脈で言及されている場合が多い。その結果,彼女の暮ら しぶりが,「「もっさりした」という明治・大正のままのモノの世界」(横川 2003b: 7)
でもあるかのような印象を受けてしまう。しかし,コレクションには多くの電化製品 や工業製品が含まれていた。実際の彼女の暮らしでは,プッシュホン式の電話器・冷 蔵庫・オーブントースター・合成樹脂製の食器類が使われていた。彼女は文明の利器 と無縁な昔のままの暮らしをしてきたわけではなかったのである(笹原 2002: 31)。こ うした大村しげコレクションを巡るモノと著述のずれが,人々の過去への意識や歴史 認識と話とは密接な関係があり,話の中で言及されるのは過去への意識や歴史認識と 親和性を有するモノであるという,先に見た話,即ちことばの世界とモノの関係のあ りようと合致することは注目される。彼女が新たに使い出した電熱器用に,五徳代わ りの足つき金網を注文して使い出したのも(横川 2003b: 7),彼女が著述した昔なが らの暮らしぶりということばの世界が実在のモノを産み出したと考えれば,ことばと モノの双方向的な影響関係がここでも認められることになり,両者の合致の度合いは 一層高まってくる。
9 話されたモノと記されたモノ
しかし,両者を全く同一視しても問題がないかといえば,そうとも言い切れない。
というのは,本稿で検討してきた民具を巡ることばとモノの議論は主として口頭表現 によることば,話しことばの世界に関するものであったのに対して,大村しげコレク ションの場合は彼女の著述,書きことばの世界に関するものという違いがあるからで ある。彼女は,自らが大事にすべきと価値を認めた昔ながらの暮らしぶりを,後世に 伝えるために意識的に記述し,その中でモノに言及していた(横川 2003b: 7―8)。そ うした彼女のモノに関する記述は,個人的な思考に基づくことばによる表現という意 味で,口頭表現と同列に考えることも可能かも知れないが,やはり,話しことばと書 きことばの差異は看過できない。
W・J・オングは,声の文化,話しことばの世界から文字の文化,書きことばの世 界へという歴史的な流れにおいて両者を比較検討し,文芸や学問など,古今東西の 様々な文化の生成や展開とことばの関係を論じているが,その中で,声の文化と異な る文字の文化の「力学」を次のように指摘している。文字の文化は,声の文化が依存 していた生活世界の様々なコンテクストから切り放され,それのみで孤立した存在と
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なったが,それによって状況依存的な体質を払拭し,その結果,ことばの使用が相手 を必要としない個人的な営為となると共に,その一方で,対面的な人間関係を越えた 広範な普遍性を持つようになった。また,そうしたコンテクストからの隔たりは,言 語表現の次元でも様々な変化をもたらした。文字の文化では,声の文化では困難で あった大量の語彙の獲得や表現の慎重な吟味や訂正が可能となり,ことばの表現技術 としてのレトリックも高度に発達した。その結果,正確で厳密な言語表現が可能とな り,明晰な思考・分析・論理化・抽象化が行われるようになった。そしてそれが,書 くことだけに止まらず話すことにもフィードバックして,個人的な内省的活動が一層 文節化され,思考が深化するというかたちで,人間の意識のあり方自体を変えてし まった。言語芸術や言語表現においては時間的経験をことばで表す「物語」が基本と なるが,声の文化では,物語が最初に核心の事柄で始まり挿話を積み重ねていく単純 な構成をとっていたのに対して,文字の文化では,作家が物語を,自己完結的で閉じ られた 1 つの世界で,作品として自ら意識的に統御し得る対象と見るようになり,そ の結果,挿話を適宜取捨選択してクライマックスに向かうプロットを強化するような 複雑な構成や構造をとるようになったという10)。
こうしたオングが指摘する話しことばの世界と書きことばの世界の差異は,大村し げのモノに関する著述とも恐らく無関係ではない。例えば,文字の文化が個人的な内 容の表現行為でありながら,脱コンテクスト的に広範に流通して普遍性を帯びるとい う指摘は,自らが食べたり調理法を習いおぼえたりしてきた食べ物を記した『大村し げの京のおばんざい』(大村 1980)や,彼女が自らの暮らしぶりを記した『京暮し』(大 村 1987)が,京都という具体的な場所における彼女の生活から離床して,マス・メ ディアを介して全国的に流通し,多くの人々の共感を得たことと符合する。また,文 字の文化においては,作家としての書き手が挿話の意図的な取捨選択などによる内容 や構成の統御によって,閉じられた 1 つの世界としての物語を作り上げるという点 は,実際に残されたモノの内容と必ずしも合致しない,彼女の著述における昔ながら の暮らしぶりの出現という,コレクションと記述のずれを考える際に有効な補助線と なるであろう。更に,書くことが人間の個人的な内省活動や思考を深化させるという 指摘は,彼女のモノに関する叙述が,新聞に政治や社会のあり方に目を向けた作文を 投稿する「大村重子」という「一主婦」から,日々の衣食住を初め,身の回りの当た り前のことを当たり前に書こうとした随筆家「大村しげ」へと変貌を遂げた後に現れ たという(横川 2003b: 6),彼女の物書きとしての思考や行動の遍歴を考える上で示 唆的である。
こうした様々な点を考慮すると,大村しげのモノに関する著述を理解するには,話 しことばの世界と書きことばの世界の差異を十分踏まえる必要があることがわかって くる。彼女は,京都の人々が日々の生活において口頭表現として用いる「京ことば」
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を用いて多くの著述を行った。モノに関する著述も例外ではないが,だからといって,
話しことばと書きことばの差異が解消されるわけではない。確かにそれらは,標準語 を用いた著述と比べれば,語彙や表現の面において彼女の日常生活と共通性が高く,
その意味では口頭表現に近いといえる。しかし,彼女が京ことばを用いるようになっ たのは,一主婦から随筆家という書きことばの専門家化を遂げた後であった(横川 2003b: 6)ことを考えると,やはりそれは,ことばの表現技術としてのレトリックの 高度な発達という,文字の文化の力学の発現として理解すべきかも知れない。
10 おわりに
本稿では,まず初めに,民具研究を初めとした民俗学におけることばとモノの関係 に関する研究の成果を検討し,そこで得られた視角が大村しげコレクションとそれに 関する彼女の著述に対しても一定の有効性が認められることを確認した。更に,彼女 のコレクションと著述を巡っては,それに加えて口頭表現と文字表現の差異を踏まえ て検討を行うことが必要であることを明らかにした。しかし,それを踏まえた上で,
実際にどのようなかたちでことばとモノの関係を理解すべきか,そして,そうした関 係に基づき,コレクションを構成する膨大なモノの群をどのように把握し,理解する ことができるかといった点に関しては,本稿では簡単な見通しを示すに止まったこと は前述の通りである。彼女が残したモノに関する著述を精査し,それに対応する,あ るいは対応しない実際のモノのあり方と比較検討し,分析するという具体的な作業は ほとんど手付かずで残っている。今後の課題としたい。
また,本稿では,モノの使い方・作り方・入手の経緯・維持管理の仕方といった機 能や履歴に関する基本的な情報を伝える人々の話のように,モノとことばが割合直線 的に結び付く場合については必ずしも十分に議論を尽くしたわけではない。しかしそ れは,両者の直線的な結びつきを無批判に前提とすることによって生じる問題点を顕 在化させるために,敢えてそうした姿勢をとったに過ぎず,両者の直線的な結び付き を決して否定する意図はない。個々のモノについて使用者や所有者から基本的な情報 を聞き取り,それらがそもそもどういうモノかを確定していく作業は,モノ研究の基 本として重要かつ不可欠であることは言うまでもない。モノに対してその実用性や道 具感覚に焦点を定めて研究を行う場合のように,研究の目的や方法の設定如何では,
そうしたモノと直線的に結び付くことばこそが第一義的な情報となる場合も当然出て くる。
しかし,モノとことばを巡っては,どんな場合であっても,本稿で検討してきた両 者の直線的には結び付かない複雑な関係を巡る様々な問題と,程度の差はあれ無関係 ではあり得ない。モノとそれに関する人々の言説を包括的に把握して,モノ研究,あ
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るいはモノを通じた生活文化の研究を進める場合,より有効性の高い資料論や方法を 鍛え上げていくには,こうした認識から始めるしかないと思われる。
注
1) 澁澤敬三は,民具を「我々の同胞が日常生活の必要から技術的に作り出した日常卑近な道具」
と定義した(アチック・ミューゼアム 1936: 1)。その後,現在に至るまで,宮本常一を初め 多くの研究者が民具を様々なかたちで定義してきたが,大なり小なり渋澤の定義が基となっ ている。加えて,筆者の見るところ,澁澤の定義が日々の生活現場において存在するモノを 文化の問題として対象化するにあたっては,最も実態に合致していて有効性が高い。従って,
本稿では,民具を澁澤に従って緩やかに定義しておく。
2) 柳田國男は,「口承文芸史考」(柳田 1968)・「国語史新語編」(柳田 1969)などにおいて,命
名と造語に関する議論を展開している。
3) 以上,大門哲の所論と引用に関しては,大門哲「「潟」研究の可能性―あるいは「民具」
学の不可能性―」(大門 1999)に拠った。
4) 例えば,民具を「すべて人間の手足によって動かし得るものであると考え,その民具は人間
のあらゆる行動,行為の延長上にあるものとして,人間の行動の目的に添って分類してみる ことを考える」(宮本常一 1979: 164)という宮本常一の立場は,まさにそれにあたるであろ う。但し,筆者はそうした実用面から民具を見る立場を否定しているわけではなく,むしろ 必要であるし,研究の方法として一定の有効性を認めている。ただ,そうした立場からの取 り組みのみでは十分ではないということである。
5) 以上,香月洋一郎の所論と引用に関しては,香月洋一郎「道具とその社会」(香月 2002)に
拠った。
6) 以上,小池淳一の所論と引用に関しては,小池淳一「〈伝説〉と〈歴史〉」(小池 1997)に拠っ
た。
7) 以上,鈴木正崇の所論と引用に関しては,鈴木正崇「祭祀伝承の正当性―岩手県宮古市の
事例から―」(鈴木 2004)に拠った。
8) ここでは世間話を,「現代に生きている人々が生活の中で他者との関係性のなかにおいて発
する言説全て」(小池 1995: 65)というかたちで広く定義しておきたい。
9) 以上,山田巌子の所論と引用に関しては,山田巌子「世間話と聞き書きと」(山田 1997)に
拠った。
10) 以上,W・J・オングの所論に関しては,W・J・オング『声の文化と文字の文化』(W・J・
オング 1991)に拠った。
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