﹃狭衣物語﹄異本系本文 の 達成
︱天稚御子降臨譚 の 位置 づけから 今 井 久 代
一︑問題の所在﹃狭衣物語﹄は︑鎌倉時代書写と推定される写本が五本︵深川本・鎌倉初期︑伝慈鎮本・鎌倉前期書写︑伝清範本・鎌倉初中期書
写︑伝為家本・鎌倉中期書写︑伝為秀本・鎌倉末書写︶もある
点で︑扱いが難しい︒﹃狭衣物語﹄は大きく三系統に分けて理解するのが通説 点では恵まれているが︑それらが大きく違えた本文であるという 1
であるが︑深川本系︵三谷栄一・第一系統︑ 2
中田剛直・第一類第一種
のうち︑巻一では︑深川本は深川本系を代表し︑伝慈鎮本は異本系︑伝清範本は流布本系︵現行流布本に集約途上と推定で
A
︶︑異本系︵三谷・第二系統︑中田・第二類︶︑流布本系︵三谷・第三四系統︑中田・第一類第二種など︶の三系統きるかなり近い形︶︑伝為家本は初めの方は流布本系︵伝清範本よりもさらに現行流布本に近い︶で天稚御子降臨場面以降は異本系である︒また室町時代の古写本には︑連空本のように︑上記三系統とは大きく異なる本文︵混態の進んだ末流本文とされ
る︶もある︒原典に近い本を見定めて考察の対象とする研究手法の限界を感じさせる﹃狭衣物語﹄を再評価する試みとして︑従来看過されてきた異本系本文を引き続き考究したい︒これはその独自異文に
から︑改変本文であることが確実である
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世紀前半の和歌が引用されていること︒このため原典に遡行する試みからは等閑視されるほかないのだが︑巻一の 3
途中まで精読した段階ではあるが︑筋の照応の巧みさ︑会話文の扱い方のうまさなど︑作品としての文学性が存外高いのに驚かされる︒また異本系本文の研究の場合︑成立時期が
い︒つまり︑ 表現が増えるが︑その引歌表現には多くの写本に確認できるものもあり︑必ずしもすべてが異本系の独自異文ではな
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世紀前半まで下がることで︑引歌として認定できる 色々に重ねては着じ人知れず思ひそめてし夜半の狭衣︵伝慈鎮本 ﹁さらでもありぬべきこと﹂の第一に天稚御子降臨譚をあげる︒だがこの挿話に連なる形で︑﹃狭衣物語﹄の題名の基の 体として﹃狭衣物語﹄を再評価する試みとして︑天稚御子降臨譚を中心に考える︒﹃無名草子﹄は︑﹃狭衣物語﹄評の 本論文では︑﹃狭衣物語﹄異本系本文の特徴を見極め︑﹃狭衣物語﹄の改変本文を︑ひいては改作を含み込んだ運動12
世紀前半の改作本文は︑存外現存古写本の多くに影響を与えている可能性を推察させる︒27
オ︶ 4が詠まれることになる︒﹃うつほ﹄では︑秘琴を地上の論理を超越するものとして描くのに︑天人譚と結びつける必要があったし︑﹃源氏物語﹄もリアルでは困難な光源氏の復活を描くにあたり︑住吉の神ら冥々の力と結ぶ展開が必要だった︒それらと比べて︑一途にただ一人の人を思おうとの決意が︑天稚御子降臨の挿話に続かねばならない必然性は薄かろう︒﹃狭衣物語﹄はなぜ天人降臨譚を描いたのか︒それは物語内のどのような位置にあるのか︒天人降臨譚という︑リアリティに欠けた挿話をどのように位置づけ︑語っているかの確認を中心に︑﹃狭衣物語﹄異本系本文の紡ぐ物語の特徴を考え︑評価を試みてゆく︒
二︑仲澄の真似︱︱異本系本文が語る悲恋の構造﹃狭衣物語﹄の特徴は︑何と言っても冒頭部︑いきなり主人公が秘めた思いを胸に﹁源氏の宮﹂を訪なう︑という一場面から物語が始まるところにあるだろう︒一つの時の終わりを暗示する晩春の景のなか︑手にする山吹の示唆す
る﹁口無しの恋﹂に苦しむ青年のいかにせむいはぬ色なる花なれば心のうちを知る人はなし︵伝慈鎮本
3
オ︶という独詠歌で幕を開ける本物語では︑続く一段で︑なぜ青年の恋が口無しの恋になったかの必然を説明する︒すなわち︑親たちも︑よそ人も︑帝・東宮も︑﹁ひとつ妹背﹂と思うなか︑﹁我は我﹂の心を抱いたのが悲恋の始まりとい
う︒周囲には決して認められないという青年の絶望が語られたのち︑語り手は﹁まことの御せうと﹂でない男を美しい女性と親しく育ててはいけないとまとめる︒この箇所は多少の表現の違いはあってもほぼ同義の内容を諸本がも
ち︑その意味では原典にもあった叙述と思われる︒さて︑血のつながらない男女を親しく育ててはならない︑と禁ずるのは男が女性に恋することを危惧してだろうが︑現代人から見れば︑それこそ﹁まことの御せうと﹂ではない︑た
だの従妹なのだから︑その恋に何ら障害はないと思えてしまう︒現代ならば︑法律上も慣習でも︑養子縁組で兄妹となった者がのちに婚姻関係を結ぶのに支障はなく︑そこに悲恋が生まれる余地はない︒﹁まことの御せうと﹂でない男女を親しく育てたことよりも︑﹁まことの御せうと﹂でないのに﹁一つ妹背﹂と疑わない周囲のまなざし︑あるいは狭衣の自己抑制の方が現代人には奇異に思える︒後の源氏の宮紹介の部分では︑東宮︵狭衣の従兄︶は源氏の宮の入内を望み︑世間も最後はそうなるのだと考えている︑帝︵狭衣の叔父︶は故先帝︵院︶の﹁御遺言﹂を思い︑離れて暮らすおぼつかなさを思うにつけ︑﹁げにさやうにて内裏住みも﹂のご意向である︑と語られている︵伝慈鎮本
の朱雀院が光源氏に女三の宮を誰かに縁づけてほしいと頼み︑光源氏が自分の妻としたいと申し出たことから勘案し
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オ・ウ︶︒先帝の﹁御遺言﹂の内容は不明だが︑﹃源氏物語﹄ても︑未婚の少女の行く末を成人男性に頼むとき︑当然そこには結婚が念頭にあったと思われる︒ゆえに六条御息所は斎宮を妻にするなと源氏に釘を刺し︑八の宮に頼まれた薫は﹁夫という立場ではないが﹂と断りをいれながら︑そ
の実宇治の大君たちは自分のものと考えるのである︒またそう理解すると︑先帝崩御時に帝であった一条院ではなく︑東宮だった帝が﹁御遺言﹂を背負う背景も推察される︒遺言があったのは物語開始時の十一年ほど前︑一条院に
はすでに太政大臣の長女が入内していて皇子︵現在の東宮︶も誕生していたが︑帝には後ろ盾の弱い妻︵現在の皇太后︶が居ただけで︑その間には皇女しか居なかった計算になる︒結婚という言葉があったかはさておき︑いずれにせよ帝は源氏の宮の人生に対し︑強い責任感を抱いている︒この︑帝が先帝の﹁御遺言﹂を思う叙述も諸本にあり︑遺言ゆえに帝が源氏の宮を﹁内裏住み﹂させようと考えている
のも︑諸本同じである︒﹁さやうにて内裏住み﹂の異本系や流布本系が東宮への入内を︑傍線部のない深川本系は帝自身への入内を意味する︑という違いはあれ︑帝が先帝と交わした﹁御遺言﹂の責務を負い︑その結果源氏の宮の﹁内裏住み﹂が当初からいわば運命づけられていたのは︑諸本同じなのである︒先帝崩御時には妹の堀河の上が︑親身な大人︵女親︶もないままの﹁内裏住み﹂を案じて幼い姪を手元に置いたのだが
︑帝が先帝の﹁御遺言﹂を負う限 5
り︑源氏の宮の入内は既定のことであり︑堀河邸住まいは一時的なことだったのではないか︒源氏の宮が堀河邸で養育されている間に︑帝のもとには堀河大臣の一人娘が入内し︑皇子を産んで中宮となったが︑それでも帝は先帝の遺言を確かに果たすべく︑源氏の宮を手元に置く﹁内裏住み﹂を強く望んでいる︒﹁帝・東宮﹂をはじめ周囲が狭衣と源氏の宮を﹁一つ妹背﹂と見なし︑二人の結婚の可能性をまったく考えていないこと︑また堀河大臣は源氏の宮の入内を早くから決めながら︑まだ幼いと先延ばしにしている︱︱その意味では源氏の宮を通じての権勢志向は薄いのに︑入内を覚悟している背景として︑先帝から帝への﹁御遺言﹂を重くみておきたい︒
さて︑深川本系では︑この狭衣の悲恋の語りの最後を﹃うつほ﹄の仲澄の例 ためしもある︑と結ぶ︒確かに仲澄は周囲に認められない思いに恋死ぬ悲恋で印象深いが︑仲澄の方はまさに﹁まことの御せうと﹂︑同母兄妹という禁忌の恋で
あって︑﹃狭衣物語﹄のように血のつながらない男女を親しく育ててはいけないという戒めに続く評言としては︑的を外している︒また語り手がここで仲澄に言及することは物語展開上も無意味であり︑語り手の姿を借りた作者の蘊蓄披露の感は否めない︒この箇所のない異本系や流布本系の優位は疑いないが
後︑作中人物の東宮の口からも飛び出している︒こちらは諸本すべてに存在し︑物語の展開上も重要な意味を持ち込 ︑実は仲澄への言及は︑このずっと 6
む物語引用である︒異本系の本文で見てみよう︒﹁切にむつれさせ 00たまひて︑仲澄の侍従の真似すと人の言ひしはまことなりけり︒むべこそ大 おとど臣はつれなかり
けれ﹂︵伝慈鎮本
天稚御子降臨の後︑狭衣には女二の宮との縁談が持ち上がり︑源氏の宮の入内の時期も具体的に来春と父大臣が口に
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ウ︒﹁むつれさせたまはば﹂を伝為家本により﹁むつれさせたまひて﹂に校訂︶して︑絶望する狭衣は忍び歩きを続けるが︑源氏の宮の片鱗でも似た女すら居らず︑少し心惹かれる宣耀殿女御は東宮の寵愛が深くて忍び会うのもかなわない︒鬱屈し沈んだまま東宮の御前に侍る狭衣の美しさに︑東宮は源氏の宮も
こんな風に美しかろうと想像し︑声をかける︑という場面である︒天稚御子降臨の後︑やっと思いを打ち明けたものの︑ひたすら源氏の宮から恐れ嫌悪されたのみという体験の後とはいえ︑忍び歩きを続けるばかりとは不毛に過ぎ︑東宮の寵姫に忍ぶ冒険心があるのなら︑なぜ源氏の宮に再度恋情を訴えないのか︑従兄妹同士ではないかと思う展開だが︑それはそうとして︑ここで突然飛び出す東宮のことばが︑異本系はいささか他本と色合いを違えている︒異本系では︑東宮は﹁たをたを﹂と美しい狭衣を見て﹁向かひの岡のむつましう︵注 むさしののむかひの岡の草なればね を尋ねてもあはれとぞ思ふ 小町集︶﹂と思い︑引用部の言葉をかける︒狭衣は﹁胸騒﹂ぎながら︑まじめな私に恋の山とは
とんだ濡れ衣︑と素知らぬ顔で応ずるが︑隠しきれず滲む憂愁に︑東宮は女二の宮への片恋であろうか︑と考える︒他本と比べ︑まずは東宮の発話に傍線部があり︑﹁仲澄の真似﹂を堀河大臣の企みとからかうのが︑異本系の大きな
違いである︵他本では狭衣のしわざ︶︒また狭衣の何食わぬ返事を聞いて︑東宮はあっさり﹁女二の宮への叶わぬ思い﹂ゆえの憂愁かと考えを翻す︒自分で発言しながら仲澄との類似︑つまり狭衣の源氏の宮への恋情の可能性を実際は疑っ ていないのだ︒一方他本では︑すげなく答える狭衣に︑東宮は︑私には﹁まことならぬ妹﹂は居ないからお前の気持ちはわからない︑とさらに食い下がる︒狭衣の源氏の宮への恋情を強く疑っているのであり︑﹃うつほ﹄の仲澄は︑東宮に狭衣の胸奥を察知させる例 ためしであった︒同母妹であっても︑美しい女性には恋心を抱いてしまうもの︑ましてや︑という推察である︒
そもそも﹃うつほ﹄の仲澄の顛末は︑将来を期待した嫡子の愛息の早世という︑親にとって耐えがたい悲劇であるから︑親が自分から真似ようと﹁むつれさす﹂はずがない︒その意味でも異本系の東宮の発言はただの戯言であり︑堀河大臣が狭衣を悲恋に陥らせるべく育てたとか︑ひいては狭衣が源氏の宮に恋しているとか︑東宮は本気で考えてなどいないのだ︒ただしまったくの戯言であっても︑この発言が人々の前でなされたことに意味がある︒一つには他本同様︑源氏の宮への恋情を人前で当てこすられた結果︑狭衣はきっぱりと否定する他なく︑抑圧せねばならない口無しの恋の運命を改めて自覚させられる︒自らも女二の宮との縁談を迫られ︑源氏の宮は半年後入内の運びである︒
にもかかわらず狭衣は︑忍び歩きしかできなかったし︑東宮の言に反発して︑真の望みは源氏の宮だと明かすこともできない︒そうした現実を改めて思い知らされ︑﹁一つ妹背﹂の振る舞いをまたも積み重ねて︑ますます事態は既成事実となる︒こうして恋情を絶対に明るみにできないふがいない自己︑やるせない閉塞感が︑狭衣の心を覆い︑次の飛鳥井姫君との行きずりの恋に溺れる素地を形作ってゆく︒
そしてもう一つ︑異本系が独自に紡ぐ論理として︑狭衣の悲恋の根源としての堀河大臣に︑改めて言及したことに留意したい︒むろん大臣自身の意識に︑わざと愛息を悲恋に陥れるつもりがあるはずもない︒先帝の﹁御遺言﹂通り
本来は帝︵東宮︶が世話すべき皇女だが︑幼い姪を不憫に思う妻が引き取り︑自分も娘同様に愛しく思い︑家族の一員に迎え入れた︒だから同じく愛しい息子との仲むつまじさを喜び︑そこに﹁一つ妹背﹂以外の思いが潜み得るとは毛頭疑わないのである︒だがその堀河大臣の愛と信頼が︑ただの従兄妹関係を﹁一つ妹背﹂に押し込め︑﹁まことの御せうと﹂でない狭衣に芽生えた自然な恋情を︑近親相姦のごとく抑圧してゆく︒その皮肉を︑東宮自身も事実とは欠片も思わないからこそ口にした全くの戯言によって︑鋭く抉るのである︒美しい源氏の宮に恋心を抱いた狭衣がおかしいわけではない︒誰かが悪いと強いて言うならば︑いずれは宮中に返すべき御方だから︑それまでお預かりして
いる家族同様の娘だからと︑愛息の恋の相手たり得るとは少しも思わず﹁切にむつれさせて﹂恋情を抱かせ︑知らないうちに﹁仲澄の真似﹂の事態を引き起こしてしまった堀河大臣なのだというのである︒先に見たように︑周囲が﹁一つ妹背﹂と思うなか狭衣だけが﹁我は我﹂の思いを抱いたこと︑先帝の﹁御遺言﹂を負う帝が源氏の宮の﹁内裏住み﹂を当然視したことなど︑諸本に一致するエピソードの内に︑狭衣の悲恋の結構は既
に明らかである︒そして異本系の独自異文は︑この悲恋の構造における﹁父堀河大臣﹂の意味に︑とりわけて光を当てる︒狭衣が出口のない﹁口無しの恋﹂に苦しんで踏み迷っていかざるを得ない背景を︑両親の愛︑わけても堀河大臣と絡めて語る点に︑異本系の一貫した姿勢がある︒東宮の何気ない戯言を通じて︑抑圧するしかない恋の現実を改めて狭衣に思い知らせつつ︑そのいびつな恋のゆえんは父大臣の姿勢と深く絡まっていることを改めて読者に喚起す
る異本系本文では︑天稚御子降臨譚も︑堀河大臣と関わらせながら語ってゆくのである︒
三︑狭衣と道心﹃狭衣物語﹄の冒頭表現の達成は︑物語の一 ワンシーン場面を語り︑﹁口無しの恋﹂に苦しむ主人公像を一気に印象づけたこと
以上に︑続くその解説部分で︑両親を含む周囲のまなざしと主人公の﹁我は我﹂の乖離に︑悲恋の結構を示した点にある︒そして型破りな冒頭表現のあとは︑主人公の両親の紹介︑主人公の紹介︑と常套的語り始めに戻るのである
が︑両親にまつわる紹介が︑いかに両親を初めとする周囲が狭衣を溺愛しているかの説明にもなって︑主人公の紹介に担わさてゆく点に︑ただの伝統のなぞりに留まらぬ達成があろう︒狭衣は十八歳で二位中将だが︑父大臣自身は我
が子の美質にゆゆしさを思うため︑中納言に昇進させて当然の年齢︵
と警戒し押さえ込もうとする堀河大臣と︑兄の思いを重んじつつも兄に抗って二位を与える帝の意思︑このささやか 流布本系では﹁内裏なんどの﹂とやや曖昧な言及︑深川本では誰の意思とも語らない︒だが狭衣の素晴らしさを不吉 の殿上人扱いではと帝が二位に︑非参議としたのだという︒なお︑ここで二位昇進は帝の意思と語るのが異本系で︑
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世紀の常識︶であるのに中将に留め置き︑ただ な齟齬は︑後に天稚御子を降臨させる管弦の独奏会の遠因をなすものである︒全体として深川本には︑天稚御子降臨譚という挿話をプロットにどう関わらせるのかの見識がなく︑どうもこの挿話は深川本では浮いている感がある︒異本系本文では︑両親の紹介から︑主人公の色好みを紹介する語りへと移行する境界にこの世の人のため阿 あみだ弥陀仏 ぼとけの御かたちをわけて︑希 けう有のことなしたまひて︑変 へむじたまへるにやとのみ思ひきこえさせたまへるも理 ことわりなりや︒ただうち見たてまつるよそ人だに︑我が身の愁 うれへを忘れ︑思ふことなき心地すれば︑まして大 おほとの殿などは︑雨風の荒きにも︑月日の光のさやかなるにもあたりたまふも︑ゆゆしく思ひきこえさ せたまひつつ︑覆 おほふばかりの袖のいとまなげにこちたき御心ども︑憂きを頼まれぬ 0人の苦しげにぞ見えたまふ︒されどいかでかはさのみも従ひきこえさせたまはむ︑夜となれば紛れたまふ夜 よな夜 よなは︑二 ふたところ所ながらうち
も臥させたまはず︵伝慈鎮本
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ウ〜の文が挟まる︒狭衣を阿弥陀仏の化身と﹁思ひきこえさせたまへる﹂とあり︑両親の紹介に引き続き︑これが世人一
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オ︶般のみならず︑父堀河大臣のまなざしだと示唆されている︵異本系本文ではしばしば堀河大臣に最高敬語を用いる︒准三宮待遇とい
う設定か︶︒ちなみに当該箇所は︑深川本では﹁母宮などは﹂天人の天降りかと思うと語り︑また結末部の﹁されどい
かでかは⁝⁝うちも臥させたまはず﹂と両親の溺愛ぶりの挿話がなく︑代わりに世間の人々が狭衣を﹁第十六釈迦牟尼仏﹂と崇めているという語りで締めくくる︵新全集二三︶︒一方流布本系︵伝清範本
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ウ︶では﹁第十六我釈迦牟尼仏﹂と﹁思ひきこえさせたまふ﹂とし︑異本系と同じく両親の溺愛で結ぶ︒この世に生まれた人間ゴータマ・シッタルダが覚 ブツダ者となった釈迦仏は︑現世︵娑婆︶に顕れた応身仏︵化身仏︶とされ︑﹃法華経﹄化城喩品の偈﹁第十六我釈迦牟尼仏﹂もそうした思想による︒一方阿弥陀仏は報身仏とされ︑現世の人を阿弥陀仏の顕現と語るのは珍しいが
教へも頼まれぬかな﹂︵源俊頼散木奇歌集 00 が狭衣を阿弥陀仏の変化と語るのは︑すぐあとの﹁憂きを頼まれぬ人﹂︱﹁身のほどの憂きを思ふにまとはれて弥陀の 0 ︑異本系 7
と思うのも道理の狭衣の素晴らしさ︑見れば寿命が延びるほどなのだから︑まして両親が雨風や光に当てるのも不吉
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︶の引歌表現と関わらせたのだろう︒堀河大臣を初め人々が阿弥陀仏の顕現 だと﹁大空に覆ふばかりの袖もがな春咲く花を風にまかせじ﹂︵後撰・春中︶の隙も無げな﹁こちたき御心ども︑憂きを頼まれぬ 00人の苦しげにぞ見えたまふ﹂︒この表現が語るのは﹁こちたき﹂両親の愛情であり︑親までもが阿弥陀仏の顕現と思うほどの美質を持ちながら︑その﹁こちたき﹂愛に挟まれて︑身の憂愁ゆえに自身は阿弥陀仏の教えを頼みにもできない人︵狭衣︶の︑皮肉な苦しみである︒異本系では︑両親の﹁こちたき﹂愛情と︑周囲の愛と賛嘆とは裏腹の救われぬ憂愁を抱く主人公との皮肉を際立たせるべく︑狭衣が人々に阿弥陀仏に擬されていると語る︒また︑他本の該当箇所は﹁憂きは頼まれぬべき 0000心地﹂︵深川本︶﹁憂きは頼まれぬべき 0000苦しう﹂︵伝清範本︒伝為家本は﹁頼まれぬべく苦しう﹂︶など﹁してしまいそう﹂の意をなす︵﹁れ﹂は自発︑﹁ぬ﹂は確述︶のに対し︑異本系は源俊頼の歌と同様に﹁できない﹂︵﹁れ﹂は可能︑﹁ぬ﹂は打消︶と語る︒異本系では︑俊頼の歌を引くことで︑阿弥陀仏の救いを頼みにできない︑恩愛
の絆にしばられた深い憂愁ゆえの︑道心の無意味を運命づけられた主人公像を示唆している︒異本系は︑狭衣を安易に道心と結びつけない︒続いて主人公を恋愛行動から紹介するくだりでは︑﹁夜となれば紛 れたまふ夜 よな夜 よな﹂の忍び歩きの激しさと︑それとは裏腹に恋に溺れることのない生真面目さ︵相手から見れば薄情さ︶を語るが︵伝慈鎮本
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オ〜8
オ︶︑他本ではここに該当する箇所に﹁この世はかりそめに﹃世界不牢固﹄とのみ思さるるぞ﹂︵新全集二四頁︶﹁この世はかりそめにあぢきなきものとおぼして﹂︵集成一五頁︶︑﹁一見於女人﹂︵新全集二五頁︑集成一六
〜七頁︶など︑狭衣の生真面目さを道心の深さゆえと語る表現を差し挟む︒特に顕著なのは深川本系で︑﹁覆 おほふばかり の袖﹂﹁夜 よな夜 よなは︑二 ふたところ所ながらうちも臥させたまはず﹂等の両親の溺愛を印象づける挿話を削り︑﹁憂きは頼まれぬ 0
べく﹂の頼みとする対象を︑阿弥陀や釈迦ではなく﹁天人﹂とする︒仏の救いは﹁憂愁ゆえに頼みにしてしまいそ 000000
う 0﹂の半端な気分の対象ではないのである︒これに対し異本系では︑阿弥陀の顕現と賛嘆されつつ﹁憂きを頼まれぬ 0
人﹂︑救いの無意味を運命づけられた人と示唆し︑それ以外ではむしろ仏教的表現を避けて︑道心に言及することな
く︑真面目と忍び歩きの矛盾的混在のままに狭衣像を語る︒﹁されどいかでかはさのみも︵親に︶従ひきこえさせたまはむ﹂と親の不安をよそに夜歩きを続ける狭衣は︑﹁いひ知
らぬ賤 しづの女 めなりとも﹂狭衣の愛する人ならばという両親の願いをよそに女に溺れることはない真面目さで︑かえって女たちの心を騒がせる︑だが通りすがりの女に心惹かれもする︑そもそもいくら真面目でも﹁いかでさだにおはせざ らむ︑男といふものはあやしきだに﹂浮気心を持つもの︑﹁まして輝やかせたまふ御顔 かほ容 かたち貌をばさるものにて﹂︑以下は浮気心を抱くのも当然な︑狭衣の貴公子ぶりへと移ってゆく︵伝慈鎮本
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才〜絶賛︑ひいては音楽の才の特筆へとつないでゆくのである︒親の愛と恋愛と音楽については次節に譲り︑ここで留意 揺れる狭衣について︑貴公子ならば色好みは当然としつつ︑親の庇護と狭衣の恋愛との葛藤を絡ませ︑貴公子狭衣の
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才︶︒異本系では︑真面目と色好みにしたいのは︑異本系では親の愛から忍び歩き︑狭衣の超越的資質へという展開が︑波線の独自異文及び点線の共通本文によって一続きの論理としてまとめられている点である︒この話題は諸本に共通しているが︑波線部分がない分︑他本には緊密なまとまりは窺えない︒また諸本共通して点線部本文をもち︑狭衣を光源氏や匂宮型色好みと語るのだが︑他本は一方で狭衣の道心も強調し︑薫型人物像にも重ねてゆく︒しかしながら異本系では道心には言及せず︑﹁いかなるにか 000000︑身のほどよりはいたくしづまりて﹂と︑色好みながら生真面目なのには︑窺い知れぬ理由があろうと示唆するだけである︒この語り手の空とぼけは︑勘が良く︑物覚えの良い読者に︑冒頭の源氏の宮への﹁口無しの恋﹂を想起させる効果があろう︒実際︑この次に女主人公源氏の宮の話題に移った際に︑﹁人知れぬ心の中 うちひとつに泣き焦がれたまふさま︑いといとほしう︑滝とやつひになりたまひなむずらむと見ゆる御涙を︑さすがに忍びまぎら はしたまふほど︑晴れ晴れしからずむすぼほれたまへる御気色を︑おとなびたまふままの御人 ひとくせ癖にこそはと︑誰も思し見たてまつるに︑しのぶもぢずりなめり﹂︵伝慈鎮本
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ウ〜11
オ︒新全集二九頁︑集成一九頁に類似表現︶と語られるのである許されてしまう一夜の︑明け方の場面である︵伝慈鎮本 ある︒両親の悲嘆を思い︑狭衣自身が天稚御子の誘いを断り︑地上に残って﹁身のしろ衣﹂女二の宮との結婚を帝に 全体として異本系︵巻一︶の狭衣は︑道心を窺わせないのだが︑狭衣自身が﹃法華経﹄を口ずさむ場面が一カ所のみ ︒ 8
暮れていた堀河の上は歓喜し︑手づから食事を給仕し︑自室︵対︶に戻らずここ︵寝殿か︶で休めと引き留める︒両親
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ウ︶︒この直前︑宮中から堀河邸に戻った狭衣を前に︑悲嘆にの側で休むことになった狭衣は︑堀河大臣が木幡の僧都に事の顛末を訴えながら明日からの祈祷を依頼するさま︑また家司を呼び寄せて﹁飯室の僧都に五大尊の御修法︑西塔の律師に七仏薬師法﹂を手配させるさまを耳にする︵伝慈鎮
本
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ウ〜密の大規模な修法で息災増益を祈るものである︒特に前者は朱雀帝の玉体安寧︵源氏・賢木巻︶や彰子中宮の出産︵栄
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ウ︶︒ここで具体的に依頼先と修法を描写するのが異本系独自異文であるが︑列挙された修法はいずれも台花・はつ花巻︶で行われており︑依頼主の勢威と︑身体安寧の修法たるを窺わせる︒食事・休息と勧める堀河の上が女親の気の配り方なら︑これは権力者たる男親ならではの愛の示し方である︒天稚御子降臨を受けて修法の依頼とは︑
いささかずれてもいようが︑逆にこの際少しでも益がありそうならと︑藁にもすがる切なさがある︒重要なのは︑ここで持ち込まれる仏教︵台密︶の文脈が︑狭衣への親の深い愛着の表れであること︑それを狭衣自身強く感じていよ
うことである︒そして狭衣は﹁などかうも思し召すらむ﹂と親の愛を勿体なく重く感じ︑源氏の宮への﹁よしなくさるべき物思ひ﹂のため両親を悩ませようことを申し訳なく思いつつも︑やはり源氏の宮への思いを捨てられない︑女二の宮との縁談を受けたくないと考えて一夜を過ごす︒夜が明けて︑堀河大臣夫妻の居所の妻戸を開けた狭衣は︑﹁雨少し降りて︑あやめの雫も所狭く︑空は雨雲の晴れ間なきに︑山際のほのぼのと明けゆくほどに︑花橘に宿借るにや︑ほととぎすほのかに鳴きわたる︑音にあらはれにけりと聞きたまふ﹂︵伝慈鎮本
と口ずさむ︵伝慈鎮本では続けて﹁語らはむなほ立ち返れほととぎす同じ心にものや思ふと/夜もすがら嘆き明かしてほととぎす鳴くねをだにも 夜もすがらものをや思ふほととぎす天の岩戸を明け方に鳴く
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オ・ウ︒山際のほのぼのと明けゆくほどに﹂は伝為家本により補︶と外を見︑ほととぎすに誘われて聞く人もがな﹂の二首あり︶︒深夜鳴くほととぎすに自分の孤独を重ねる典型的恋歌であるが︑この直前狭衣の心にあったのは︑諦めきれぬ源氏の宮への恋情だったのだから︑ごく自然な展開である︒唐突なのは︑続いて外の高欄を歩きな
がら︑﹁身色如金山 端厳甚微妙﹂︵法華経序品︶と狭衣が口ずさむくだりである︒異本系も流布本︵伝清範本含む︶も︑なぜ狭衣が口ずさんだのかを示す心中思惟を伴わず︑胸奥を推し量ることができない︒あるいは曇天を破り﹁山際のほ
のぼのと明けゆく﹂外の景色に︑法華経序品の﹁金山﹂を何気なく連想したものか︵深川本系︑流布本系では﹁春ならねどを
かし﹂とあり︑﹃枕草子﹄冒頭の﹁紫だちたる雲の細くたなびきたる﹂を連想させようとする︶︒翌日から台密の修法を行うべく︑僧侶や
家司と語る堀河大臣の声を狭衣は聞いており︑天台宗の根本経典の法華経に連想が及びやすい場でもあった︒だがいずれにせよ︑法華経の一節を口ずさんだ狭衣の心中ははっきりしない︒代わりに経典を詠ずる狭衣の美に︑不吉ささ
え覚えて怯える母宮と︑明日からの息災の修法に一層熱心になる堀河大臣が描かれる︒経典の口ずさみは︑狭衣の美質にさらなる不安をかき立てられる︑過保護な両親の愛を物語るエピソードへと展開し︑狭衣の道心とは関連づけら
れないのである
一方狭衣を道心深い青年として造形しようとする深川本系では︑﹁身色如金山端厳甚微妙﹂を口ずさむ狭衣を描 ︒ 9
かない︒すなわち︑源氏の宮を思い︑﹁色々に重ねては着じ﹂詠を返す返す思う一夜を過ごした後︑﹁ほのぼの明けゆく山際﹂を見つめるのは他本に同じだが︑深川本系ではここで天稚御子降臨の楽の音や御子の顔を回想し︑﹁兜率天
の内院かと思はましかば﹂と悔やみつつ︑﹁即往兜率天上﹂﹁弥勒菩薩﹂と﹃法華経﹄普賢菩薩勧初品を朗詠する狭衣が語られる︒そこへほととぎすが鳴き渡り︑以下は他本と同様︑ほととぎすにおのが片恋を重ねる歌を詠むのであ
る
なく︑弥勒菩薩の救いが約束される兜率天ならば昇天したのに︑と狭衣の道心と関連づけて︑天稚御子の誘いに乗ら ︒源氏の宮への恋情に割り込む形で天稚御子降臨を回想するのはやや唐突だが︑仏典と縁遠い天稚御子の天界では 10
なかった理由を明かすのである︒第四節で見るように︑深川本系の狭衣は他本とは異なり︑そもそも自らの決断で地上に残ったわけではない︒加えて兜率往生の誘いならばためらわず昇天したのにと︑天稚御子降臨を往生譚に曲解さ
えする狭衣が語られる︒狭衣を道心深い存在として描く姿勢で一貫する深川本系では︑外界の景色に誘われただけとも読み得るような唐突
な経典のくちずさみを排除し︑兜率往生を願う心情の表れとしての言に書き換わっている︒その道心深い狭衣には︑﹁経も高くな読みたまひそ﹂と涙ぐみ動揺する堀河の上に対し︑﹁﹃令百由旬内﹄とこそあんなれ︒なでうおどろおど
ろしきものか参で来ん﹂と︑法華経受持者が恐ろしいものに誘われるはずがないと切り返す余裕もある︒その一方で続く堀河大臣の言に対しては︑流布本と同様につまらぬ身をこうまでご心配下さること︑と﹁心苦しう﹂思いもする
のであるが︵新全集五四〜五六︶︒他本と同様に恩愛の絆を思う狭衣も描出しつつも︑異本系は無論のこと︑流布本系に比しても︑深川本系では父母の溺愛︵恩愛の絆し︶のエピソードをいくつか削り︑逆に道心を語る叙述が増える︒換言
すれば︑それでも恩愛の絆しや源氏の宮への悲恋に関わる叙述は残り︑道心の挿話の方が﹁割り込み﹂と見える箇所も残るのである︒それはさておき︑一貫して父母の恩愛の絆を叙述する異本系では︑珍しく狭衣が仏典を口ずさむよ
うな場面でも︑一見唐突な口ずさみとして狭衣の心情︵道心︶とは関連づけられず︑代わりに口ずさむ狭衣の素晴らしさに動揺し︑なんとか狭衣をこの世にとどめようと躍起になる両親の叙述へと展開するのであった︒
四︑狭衣と音楽︱天稚御子降臨譚の位置づけ深川本系の狭衣から︑仏典との関連の薄さを残念がられた天稚御子であるが︑なるほど六道の一としての天人という印象は薄く︑音楽に関わる存在として描かれている︒そして音楽に関わる天稚御子降臨譚を最も効果的に筋立に組
み込んでいるのが異本系である︒深川本系では︑両親の紹介のくだりで﹁母宮などは︑天人などのしばし天降りたまひたるにやと︑恐ろしう﹂︵新全
集二三頁︶と早くも天人の叙述が登場し︑続く﹁憂きに頼まれぬべき﹂という叙述の﹁頼む﹂対象を﹁天人の迎え﹂に換えている︵第二節︶︒これに比して異本系︑流布本系ともに狭衣の楽才を褒める箇所で初めて天稚御子が語られるの
だが︑狭衣の楽才の取り上げ方には差異がある︒すなわち流布本系︵伝為家本︑伝清範本︶では︑﹁手なんど書きたまへるさまも﹂と筆跡を讃えた︵伝清範本
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オ︶のちに﹁琴笛の音につけても雲居を響かし﹂と﹃源氏物語﹄桐壺巻を引きつつ狭衣の楽才に言及する︒その分狭衣の楽才の印象は薄れている︒深川本系は狭衣の楽才を焦点化しない傾向がさらに顕著で︑習字の才︑楽才に続いて﹁ものうち誦んじ︑催馬楽歌ひ︑経など誦みたまへるは﹂と列挙し︑﹁よろづ珍し
くめでたき御ありさま﹂とまとめ︑﹁ゆゆし﹂との両親の危惧で結び︑天稚御子降臨への恐れには言及しない︵新全集
二六〜七頁︶︒そもそも深川本系では︑天稚御子降臨の危惧は狭衣の楽才とは無関係に︑先に母宮の心を過ぎっていた
のである︒一方異本系は︑﹁︵いくら生真面目でも︶忍び歩きは男の性︑まして狭衣のような比類ない貴公子ならば﹂との語りを挟
みつつ︑楽才のみに焦点を絞って狭衣の優れた資質を語る︒弾き鳴らしたまふ琴笛の音 ねにつけても雲 くもゐ居を響かし︑この世の外 ほかまで澄みのぼるを︑ゆゆしく思 おぼされて︑大 おとど殿いみじく制しきこえたまへば︑ことに耳ならしたまはず︒まれまれの御琴も耳たつる人多かれば︑我もいとむつかしくて手も触れたまはねば︑無心なる人におはしける︒ものうち誦んじ︑催馬楽歌ひたまふ︑経など読みたまへるは︑聞かまほしうめでたきものに世の人聞こえたり︒されば何ごともただ習ひたまふことなし︑この御師と名乗るべき人もなけれど︑いかにしたまへるにか︑いとめづらかに︑天 あめわか稚御 みこ子などのしばし天 あまくだ降り たまへるなめりと殿は思して︑今日や天の羽 はごろも衣迎へに得たまはむと危ぶみて︑いみじう静 しづ心 こころなき思ひ心どものうちなり︵伝慈鎮本
も優れている︑という文脈をなしている︒続いて何ごとも習うことはない︑師も居ないともあるので︑声技への言及 衣の楽才を不吉に思う堀河大臣が狭衣の楽器演奏を﹁いみじく制し﹂︑狭衣も手も触れないのだが︑朗詠等の声技に により校訂した︒さて深川本では習字︑音楽︑朗詠の順でただ狭衣の才が列挙される体であったのが︑異本系では狭 ﹁ものうち誦んじ⁝読みたまへる﹂朗詠等の言及部分は︑伝慈鎮本では本文が乱れており︑類似表現をもつ深川本
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オ・ウ︶は︑師について学ぶことなく︑楽器に触れることもないのに自ずとあふれる狭衣の天賦の楽才を証し立てるものとなっている︒狭衣の楽才を案じて父大臣が演奏を禁ずる叙述は他本にもある︵﹁をさをさせさせたてまつりたまはず﹂新全集二
六頁︒﹁あながちにこのことせさせ給はねば﹂伝清範本
は︑楽才のみを取り上げて︑﹁御遊び﹂は平安貴族必須の教養であり︑習熟には師からの伝授が欠かせないにも関わ
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ウ︶が︑才芸の列挙のなかに埋もれてしまっている︒ところが異本系でらず︑神業を思わせる卓越を恐れる余り︑演奏を厳しく禁ずる父大臣の行き過ぎた庇護愛と︑その抑圧を凌駕するかのように発揮される狭衣の天賦の才との︑琴笛のせめぎ合いを端的に印象づけている︒子に備わる本源に対し︑子へ
の深すぎる愛ゆえに︑親が抑圧的に接するこの構図は︑時代を超えて親子の葛藤や︑愛情の深い闇を抉る洞察となっていよう︒そしてこの異本系に顕著な親子関係のひずみは︑源氏の宮への悲恋の構図とどこか重なり合ってもいる︒狭衣の源氏の宮への恋情もまた︑狭衣のうちから自然にほとばしり出たものであるが︑両親のまなざしを思うなかで︑狭衣は自ら抑圧せざるを得なくなる︒楽才は狭衣の鬼才に両親が不安を感じるからであり︑一方源氏の宮への恋情については両親の念頭に毛頭存在しないからで︑両親の愛が狭衣の本源に抑圧的に働く理由は︑一見するとずれている︒しかしながら︑狭衣自身の望みに羽ばたかせるのでなく︑狭衣をずっと手元に置こうとする溺愛が狭衣を追い詰めるという点で︑両者は存外似通ってもいる︒源氏の宮への恋情についての両親の反応として本文に語られるのは︑いくら自分を溺愛していても両親は﹁さらばとてよにまかせきこえたまはじ﹂と思う︑狭衣の冷めた判断だけで
ある︵伝慈鎮本
育まむことを思しおきつれど﹂︵伝慈鎮本 おぼ 単なる思い過ごしではなく︑冷静な認識である︒愛息狭衣の愛した人なら﹁いひ知らぬ賤の女なりとも︑玉の夜殿に しづめよどの
4
オ︒諸本もほぼ同内容あり︶︒だが第二節で見たように︑帝が先帝の遺言を真摯に負う以上︑狭衣の判断は判の貴公子が理想の女を求めての忍び歩きであればこそであり︑それを踏み越えて帝を初め皆が﹁内裏住み﹂と考え
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ウ︒諸本に類似表現あり︶の広い心も︑堀河大臣自身の若き日と同様に︑世に評ている源氏の宮を求めるとき︑両親は許せず︑嘆き悲しむであろう︒昇天のような﹁別れ﹂ではないが︑周囲の理解を突き破る恋を貫き︑完全な異端者に化した愛息に対峙する悲嘆もある意味同じことである︒後に天稚御子降臨の顛末に絶望し悲嘆し︑良かったと歓喜する両親の愛を見て︑狭衣は﹁よしなくさるべきもの思ひに思ひわびつる心つかひ︑身をいかに思しなして騒がせむ﹂︵伝慈鎮本
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ウ︶と︑両親を思って源氏の宮への思いを抑えつけようとする︒なおこの心中思惟については︑自らの源氏の宮への恋情を﹁さるべき﹂とも考えているのがおもしろい︵異本系の独自表現︶︒狭衣にとって源氏宮への思いは︑自分でもどうしようもない運命でもあるのだった︒
さて五月四日の宮中からの退出の折︑狭衣は菖蒲を葺くのに忙しい庶民の家を牛車からながめ﹁笛を吹きたまひつつ﹂過ぎてゆく︒この箇所は深川本を除き︑いずれも﹁笛を吹き﹂または﹁扇を笛に吹き﹂の本文を持つ︒父大臣に楽器に触れるなと禁じられているのに︵天稚御子降臨が危惧される︶笛を吹く︑あるいは紙ピアノのように扇を笛に見立てて鳴りもしないのに弄ぶ︑いずれの本文でもどこか奇妙だが︑それだけに心中深く音楽を渇望し続けている狭衣を描
く挿話となっている︒そしてこの無理に抑えこんできた渇望があったからこそ︑五月五日の独奏会にて︑狭衣は内裏でつい妙技を発揮してしまうのだと︑異本系は語ってゆく︒
天稚御子降臨の前︑狭衣が清涼殿孫廂で笛を吹いてしまう経緯は︑対話によって描かれるが︑異同が大きい︒そしてなかでも妙技披露に至ってしまう作中人物の胸奥を︑最も良く推察させる会話が進行するのが︑異本系である︒すなわ
ち合奏が基本の﹁御遊び﹂だが︑この夜帝は一人ずつ順に演奏させようと提言し︑東宮も賛成する︒これを承けて︑①深川本系本文・流布本系本文⁝⁝狭衣以外の周囲の者が﹁独奏は困る﹂と反論する②異本系本文⁝⁝狭衣が﹁私は楽器には不案内なので﹂と反論すると反論が始まる︒①は︑本来合奏が基本の﹁御遊び﹂で︑順に独奏をとの無茶な命令への当然の反論というもの︒こ
れに対して②は︑若上達部の参集する︵宮の少将のみが殿上人︶場で︑ほぼ末席の非参議の狭衣が最初に発言する僭越︑また独奏への困惑どころか演奏自体を拒否というのだから穏やかでない︒だが逆に②の発言は︑背後の人間関係を推察させもする︒すなわち︑主従を超えた叔父甥の気安さがあり︑加えて父大臣によって演奏を禁ぜられたのは広く知られているのだから︑当然演奏は免じてもらえるという肉親の甘えである︒ゆえに帝は甥の申し出に対して︑﹁ただ
その知らざらむことを︑今宵始むべきなり︒聴かすは苦しと思さすとも恨みむ﹂︵伝慈鎮本
る︒傍線部は言外に﹁堀河大臣が﹂を響かせた当てこすりである︒狭衣が演奏御免申し出た理由はわかっていると匂
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オ︶と重ねて演奏を強要すわせつつ︑その理由は却下と独奏を強要する帝に対し︑今になって狭衣は﹁合奏ならまだしも独奏は﹂と困惑するのだが︑今さら良識的な反駁が通用するはずもないのだった︒さて︑先の狭衣紹介のくだりでは︑狭衣の天才を恐れ
て無理に中将︑つまり殿上人に留め置く堀河大臣に対し︑それは心配のしすぎ︑むしろ格下に混じる甥が哀れと︑帝の配慮で二位が授けられたとあった︒この︑﹁二位﹂と﹁中将﹂の狭間に潜む帝と堀河大臣の考え方の違いが︑狭衣
に笛を独奏させる悪戯を招き寄せたわけである︒一方︑狭衣の困惑を耳に権中納言︵集まった若上達部のうち最上位である︶は︑いっそのこと狭衣に全て独奏頂こうと帝におもねるが︑今度の帝は笛の独奏だけで良いのだと狭衣を庇い︑若上達部たちにも独奏を﹁責め﹂る︒皆独奏してついに狭衣に順番が回り︑狭衣は﹁いとしぶしぶに︑初々しく笛を取りなして﹂ほんの少し吹き︑父が戯れに吹いた音色をちょっと聞きかじったものですからこれ以上は︑と早々に終えよ
うとする︒だが狭衣の妙技に感動した帝はさらに聴こうとする︒﹁かうそらごと言ふ︑うたてあり︒大 おとど殿の笛の音にも似ず︑世の常ならぬは︑誰伝へけん﹂とあさませたまひ て︑﹁すべてかくは思はず﹂などまめ立たせたまへば︑皇 くわうたいこうくう太后宮の姫宮の︑上の御局におはします頃にて︑心 0
にくき御ありさまに 000000000︑何ごとも残りなくは聴かせたてまつらじ︑と思ふ方のいとどしき心づかひもいたくせら 0
れ 0たまひて︵伝慈鎮本
とは思わない﹂の意であろう︒狭衣の叔父帝への甘え︑堀河大臣と帝の兄弟ならではの対抗心と悪戯心︑結局は甥が 音色にいささか興奮しての物言いである︒傍線部は興奮のあまりに助動詞が落ち現在形のままとなった︑﹁こんなに ﹁そらごと﹂﹁うたて﹂と帝の語調は厳しいが︑﹁あさませたまひ﹂とあるように︑思いも寄らなかった狭衣の妙なる
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オ︒傍線部︑伝慈鎮本﹁すべてかくは思はじ﹂︑伝為家本により校訂︶かわいい帝の親愛などの人間関係の狭間から︑軽い気持ちで帝は狭衣に笛を強要したが︑実際に聴けば︑師に習ったはずもない︑人前で演奏しなかった甥の技量がこれほどとは︑と真剣な面持ちになる︒この純粋な感動が︑ただ一節
で済まさずに︑さらなる演奏を強いてゆく︒強いられた狭衣の方も︑帝の興奮が伝染ったように︑御簾の向こうには奥ゆかしいと名高い姫宮がおわす︑その耳に底浅い演奏と思われたくないと︑いつしか心遣いしてしまう︒父大臣に厳しく禁ぜられたが︑もともとはこっそり吹く︵吹き真似︶ほど好きな笛である︒堀河大臣の厳しい制止をかいくぐって︑いつの間にか狭衣は妙技の一端を覗かせてしまう︒異本系本文で読むと︑長々とした会話の狭間から︑天稚御子降臨をもたらす狭衣の妙技披露に到るまでの作中人物たちの心が読み取れる︒これは逆に言えば︑狭衣の生に深く関わる﹁堀河大臣﹂︑あるいは堀河大臣・帝・狭衣の間
に通う感情の意味を︑異本系は見つめているということである︒例えば①の︑人々による独奏反対から会話を始める流布本系では︑続いて尻馬に乗る形で狭衣が演奏御免を申し出るのだが︑狭衣の言動の僭越と無礼が薄まった分︑そ
う発言できてしまう甥の甘えや兄弟甥の親密さも窺えなくなり︑﹁﹃いとかばかりの心ばへは思はずこそありつれ︒ことの外にこそありけれ︒年ごろ大殿にも劣らずこそは思へ︒かばかりのことを︑ただ言ふままならざりければ︑まい
てよろづ推し量られぬ︒よしよし言はじ﹄とまめだたせたまふに︑いとわびしくて 0000000﹂︵伝清範本
強いことばで責め立てる帝と︑追い詰められて﹁わびし﹂と笛を吹かされる狭衣へと展開することになる︒これは深
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オ︶と︑身も蓋もなく川本系も同様で︑深川本系では①に続いて﹁いっそ狭衣がすべて独奏を﹂﹁それはさすがに﹂の会話部分も組み込むが︑その分さらに帝と狭衣の親愛の印象は薄くなり︑狭衣は畏まって長々演奏御免を申し出るものの︑流布本系と同様に帝から厳しく命ぜられ︑﹁わびし﹂と演奏することになる︒異本系では一カ所もない﹁わびし﹂が︑深川本は三カ所︑伝清範本は二カ所︵春夏秋冬四冊本三カ所︶繰り返される︒このように︑親密さに甘えて出過ぎた狭衣︑そこを当
てこすって演奏させてしまう帝︑異本系が描く笛披露の顛末は︑まず第一に︑﹁わびし﹂の困窮ではなく︑吹きたかった笛を吹く狭衣の﹁解放﹂として描かれている︒そして第二に︑帝も堀河大臣もそして狭衣にも︑根底には深い愛情の絆がある︒帝と狭衣の間の親愛は無論のこと︑当てこすりに窺える兄への帝の親愛︑さらに父の命に素直に従う狭衣にも︑父大臣への深い愛がある︒
こうした抑圧と一続きの愛がより明確になるのが︑次の天稚御子降臨の場面である︒狭衣が心を込めて吹いた笛の音は︑天界から天稚御子を呼び寄せる︒父堀河大臣が後に帝に語るように︑﹁天人の耳をさへおどろかしつらむも︑
いかなることにかは︒ただ彼がためのさとしにやとなむ思ひたまへらるる﹂︵伝慈鎮本
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ウ〜生得の楽の才は狭衣の身に宿る本源を告げるさとしであった︒それが解放されたとき︑当然天稚御子が降臨し︑狭衣
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オ︒深川本系にも類似表現︶︑は還るべき場所へと誘われる︒帝は兄の懸念が溺愛の迷妄ではなかったと悟り︑兄のためにも狭衣に追いすがって引き留めようとする︒その姿に狭衣は
え引きも離れまゐらせず︒ aまたこの御子のいたづらに帰りたまはむ悲しさも︑方々に思しわづらひて︑笛を吹
きやみて︑﹇国王の袖を控へて惜しみ悲しみ︑親たちはかつ見るをだにも飽かずうしろめたげに思したるに︑むなしき空を仰ぎて泣き悲しみたまはむも︑かく有りがたき天稚御子の御迎へに思ひ憚る﹈よしを︑いみじくめでたく︑面白くかなしく文につくりたまひて︑言ひ知らずめでたき御声にて誦んじたまへる︵伝慈鎮本
19
ウ〜20
オ︶と決別の詩を作り︑朗詠するのだった︒父母の哀しみを思って狭衣の意思で昇天を辞退するのは流布本系も同様であり︑流布本系では決別の詩作の前︑波線
a
にあたる箇所で両親を思い昇天を諦める心中思惟も描かれる︒だが繰り返しになる分くどくなり︑異本系では二カ所の波線部で繰り返される昇天を望む心情と︑両親への思いとの葛藤があらわであるのに︑流布本系では葛藤は薄れ︑むしろ父母の悲嘆への思いが冗漫に印象づけられる︒この狭衣の詩を聞い
て天稚御子は︑流布本系では﹁理 ことわりにめでたく悲しき文のありさまにより留めたまへる口惜しさ﹂︵伝清範本
34
ウ︶を︑異本系では﹁十善の︑君を惜しみ悲しみたまふにより︑留めつる口惜しさ﹂︵伝慈鎮本
眼前の﹁国王︵十善︶﹂の悲嘆を歌い︑その姿に狭衣が朗誦した両親の悲嘆を重ねる︒狭衣の負う恩愛の絆を具体的 して昇天することになる︒狭衣の詩作に感動して去る流布本系とは異なり︑異本系の天稚御子の詩は︑狭衣と同じく
20
ウ︶を誦んじ︑狭衣を地上に残に理解して狭衣の決別を受け入れ︑﹁我がもちたまへる笛に︑中将の君のを取り替へたまひて︑﹃これをだに形見に見たまへ﹄とのたまひて﹂︵伝慈鎮本
20
ウ︒異本系独自異文︶と︑笛を交換するのである︒﹁ただ彼がためのさとし﹂を実現さ せた笛を天稚御子が持ち去るのは決別の象徴であり︑地上に残る天界の笛は︑自ら羽衣を返上しながら棄てきれない天界の欠 シンボル片になるだろう︒決別を述べながら別れがたく思う狭衣︑その胸奥を理解し哀れむ天稚御子︑双方の心情がモノによって陰影濃く語られる︒一方狭衣の決別しがたさを特に強調するのが深川本系で︑異本系の天稚御子の詩とほぼ同内容の詩を天稚御子降臨がまず披露し︑御子の方から︑帝の悲嘆を思うから狭衣を連れて行けぬと拒み︑狭衣
は﹁かかる絆 ほだしどもにひかへられたてまつりて︑今宵御共に参らずなりぬる﹂と応える︵新全集四五頁︶︒狭衣が両親の恩愛を思って自ら決別するのでなく︑いわば受身のこの態度は︑第三節に見た︑昇天後の﹁兜率の内院ならましかば﹂
の未練とも相まって︑両親を思うゆえに自ら昇天を辞するという文脈を失うかわりに︑天界に焦がれ続けながら昇天を拒まれてしまう︑悲劇的な道心深い人物像を形作っている︒
異本系本文の特徴に戻ろう︒異本系では︑最初の狭衣紹介において狭衣の楽才に焦点を絞り︑天からの迎えを恐れる堀河大臣によって楽才は厳しく制止され︑師も居ないこと︑しかし楽器演奏ならぬ声技にも抑えきれぬ神才が窺わ
れることを手際よく語る︒堀河大臣は天賦の楽才から狭衣が天界に属すべき存在と感じながら︑愛するゆえに狭衣が本源通りに天に去ることを恐れ︑抑圧的に接している︒周囲の深い愛とそれゆえの抑圧︑愛されながら﹁我は我﹂の違和を根底に抱える狭衣自身のありようが︑楽才とそれに縁深い天稚御子の挿話によって構造化されているのである︒天稚御子の挿話は︑物語内では展開させられない︵展開させてもただの禁忌の恋物語が展開するのみ
︶源氏の宮への恋物語11
の代わりに︑﹁我は我﹂の本源を抱えながら︑しかし周囲との絆を断ち切って﹁我は我﹂の道を突き進むこともできない︑狭衣の生の悲しみを描くものなのである︒天を諦め地上に残ってくれた甥のやさしさと悲しみに報いるため
に︑帝は女二の宮降嫁を思いつくが︑この行為が色々に重ねては着じ人知れず思ひそめてし夜半の狭衣
の︑本物語のタイトルとなる独詠歌を導く︒だがこれも偶然ではなく︑周囲の愛ゆえに﹁我は我﹂を選べず︑けれども﹁我は我﹂の思いを完全に棄てることもできない狭衣という青年のありようを︑天稚御子降臨挿話を通じて描い
た必然的結果なのである︒
繰り返しになるが︑この狭衣の葛藤に深く絡みつくものとしての両親︑とりわけ堀河大臣の思いを︑異本系はこの後も丁寧に描いてゆく︒天稚御子降臨の第一報だけを聞いて︑取るものも取りあえず参内した堀河大臣は︑周囲がのんびりと天稚御子の美しさを噂する声を小耳に挟み︑では狭衣は行ってしまったのだと絶望する︵伝慈鎮本
冷静な認識が悲しい︒﹁ただ彼がためのさとし﹂発言にも窺えるように︑堀河大臣こそが狭衣の異人性を一番良く理 誤解という劇的展開のなかに描かれる︑天稚御子が天に還ったなら狭衣が地上に残るはずがないという︑堀河大臣の