台湾の生涯学習機関にみる日本の表象
――台北「歴史博物館」の日本関係展示――
松 本 武 彦 はじめに――生涯学習機関としての博物館の機能と限界
博物館は、生涯学習機関として、「最も可能性を持った、重要なものの一つ」(1)とさ れてきた。そこでは、科学的データに裏打ちされた標本(2)や歴史記念物などのモノが 収集され(3)、これを通じて、国民を教育し、学校教育を補完し、さらに近年では、国 民とか学校とかといった仕組みを離れた、利用者個々の主体性と密接に結びついた学 び(4)を提供する場と理解されて来ている。
また、博物館利用者の立場から、その展示は、利用者の視点に立ったものであるべ きこと(5)や利用者の多様化という現況への対応の重要性(6)などが指摘されている一方 で、歴史展示にままみられる現に存在する体制の正統性を強調することになりやすい という限界と、そのことに対する利用者の洞察力の重要性といった問題(7)なども提起 されており、博物館の持つ政治性やイデオロギー性、メッセージ性(8)への注目がなさ れてもいる。
現代の台湾においては、19世紀末に清王朝から切り離されて日本の植民地となった ことや、1945年以降における、国共内戦をへて台湾に移ってきた国民党による戒厳令 下の統治、あるいは先住の諸部族からなる「原住民」の存在などが要因となって、そ こでの博物館の成立や展開は、特色ある性質を帯びることとなった。
そうした特質のひとつは、現代台湾の博物館の基礎が、国民党と共に大陸から運ば れた文物によって築かれた(9)ことである。典型的な例が、本稿がテーマとする台北
「歴史博物館」であり、また、台北市 街北部に位置する世界的に著名な博物 館、中華文明の精華を集めた台北「故 宮博物院」である。
もうひとつの特質は、国民党による 台湾の政治的一体性形成を重視する教 育政策のもと(10)で、博物館を含む社 会教育機関も、そうした政策実現のた めに積極的に機能したことである。そ こには、台湾にとっての国民党の外来 台北「歴史博物館」正面玄関
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連江県2(1)
金門県7(8)
新竹県8(49)
台中県23(154)
台中市11(104)
新竹市
11(40) 宣蘭県 34(46)
苗栗県 26(56)
彰化県 13(132)
雲林県 3(73)
嘉義県 10(55)
台南県 20(111)
高雄県 19(125)
高雄市 19(152)
屏東県 18(89)
台東県 9(24)
台南市 13(76)
嘉義市 7(27)
澎湖県 12(9)
南投県 30(54)
花蓮県 13(35)
台北県44(377)
基隆市3(39)
台北市 82(263)
桃園県 11(191)
性や、台湾自体の民族や文化の多様性という現実が横たわっていたことは言うまでも 無い。
現代台湾においては、博物館の一般的な機能として、たとえば3つの E が指摘さ れる。この3つの E とは、Education(教育)、Entertain(娯楽)、Enrich(人生の充実)
を指している。これらの機能を通じて、博物館は社会教育をおこなう「利器」(11)とさ れる。また、台湾においても、自主的自己学習の場としての博物館という観点の提 起(12)がなされている。個人の自主的学習活動の活発化は、最初の民選総統となった 李登輝の政権下での、台湾社会の民主化が背景となったとされる(13)。
設立母体の面から見て台湾の博物館に大きな変化が起こったのは、1990年代であ る。80年 代 以 前 は、公立の博物館 が中心で、約90の 博物館のほとんど は公立であって、
個人が設立したも の は19に 過 ぎ な かった。さらに公 立と言っても、90 年代に増加した公 立 博 物 館29の う ち、28は県・市な どの地方が設立し たもので、90年代 末の時点でさらに 10館が地方自治体 によって準備され ていた。1988年か ら98年 の10年 間 に、60館増加した が、私立の博物館 は31館に達した、
と言う(14)。 2004年に博物館 学会が出版した、
台湾における博物 図1 行政区画別博物館数及び人口
カッコ内が人口、単位万人
人口は『中華民国統計年鑑 民国95年』行政院主計処、2007年、10頁。
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館リスト(15)によれば、全部で448館が学会に登録されている。地域的に見ると、台北 市や基隆市・台北県・桃園県などが所在する北部地区に185館。台中市や台中県・彰 化県・南投県など中部地区に80館。高雄市や嘉義市・台南市・屏東県など南部地区に 106館。宜蘭県や花蓮県などの東部地区に56館。澎湖県や金門県など離島地区に21館、
その他、図1に示したようになっている。また、専門とする分野による分類では、最 も多いのが自然史博物館の75館、次いで産業博物館の59館、工芸博物館の52館、芸術 博物館の49館、人類学博物館の27館などとなっている。最も少ないのは考古博物館の 3館。次いで音楽博物館の4館で、歴史博物館なども17館で決して多くはない。台湾 の全人口が約2300万であるから、1館あたりの人口は約5万1000人となる(16)。
本稿は、以上のような概要を持つ台湾における博物館のうち、台北市南海路に所在 する台北「歴史博物館」における展示に、「日本」が、どれ程の量、どのような文脈 の中で登場しているのかを、現地調査によって得られる知見を基礎に明らかにし、そ うした「日本」の扱いに関する背景を検討することで、台湾の人々が、博物館という 生涯教育機関を通じて、どのような「日本」を享受しているのか、換言すれば、台湾 においては、博物館を通じた生涯学習における「日本」は、いかなるものとして発現 しているのかを、検討しようとするものである。なお、検討の基礎になる展示内容な どについての情報は、2008年11月における現地調査によって得られたものである。
1. 台北「歴史博物館」の歴史と現況
具体的な日本展示の内容を検討する前に、台北「歴史博物館」の歴史と現況を整理 し、その台湾博物館界における代表性を明らかにしておきたい。これによって、なぜ 同館を検討の対象とするのかについても、おのずから明らかになるものと思われる。
そもそも台北「歴史博物館」は、中華民国時代の1928年に開館した「国立河南博物 館」の収蔵品を引き継いだものである。国共内戦にともない教育部が河南省から台湾 に移し、「歴史文物美術館」の名前で台湾での設立準備がなされた。1955年11月、設 置のための準備処が開設され、56年3月、開館した。57年、視察した
介石の指示を うけて10月台北「歴史博物館」となった。62年6月、「歴史博物館組織条例」が成立。教育部のもとで、正式に、国民党が台湾に移ってから最初に設置した博物館となっ た(17)。
同館は、その設置目的を、国家的文物の保護、中華文化の宣揚、歴代芸術家の作品 の紹介、芸術を通じた外国との交流や外国の芸術の普及、そして台湾自体の生活水準 の向上としており、また、近年は、展示の三大方針として、「夏華文物、
台文物、国際文化交流」を謳って、台湾の地域文化、芸術の積極的な評価と紹介にもつとめる 姿勢を示している(18)。所蔵品は、設立の経緯から、当初、河南省の文物が多数を占
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めていたが、政府機関や日本人を含む外国人や台湾市民からの寄贈などもあって次第 に充実し、さらに、前記条例によって、「歴史性、審美性、教育性、希少性」を基準 とした文物の収蔵が進められている(19)。1999年6月時点で、収蔵品は5万2547点を 数える。最も多数を占めるのは通貨類の3万3263点、次いで国画類の2731点、書法類 の2368点などとなっており、玉石類1638点、陶器類1269点、瓷器類1269点、銅器類677 点も所蔵されている(20)。
その組織は、館長、副館長のもとに、所蔵品の収集・研究などをおこなう研究組、
所蔵品の展示などを管轄する展覧組、所蔵品の保管・修理などをおこなう典蔵組、所 蔵品の教育への活用や内外における展覧会を担当する推広教育組など、全部で11のセ クションからなる(21)。
近年の活動について、2004年版の『中華民国年鑑』が、研究活動、展覧会の実施、
所蔵文物の展示と保存、社会教育の4点に分けて紹介するところ(22)を中心にみてお こう。研究活動の面では、2004年には9月にフランスの関係者との間で「博物館専門 職員の教育と人材管理」と題する学術討論会が開かれた。また、所蔵文物のデジタル 化がすすめられた。その他、『歴史文物』、『学報』など研究誌の刊行、教育部の委託 による文物の鑑定などがおこなわれた。展覧会については、特定のテーマによるいわ ゆる特別展が61回開催されたほか、海外ではスペイン で1回開かれた。61回のうち、7回は国際文化交流展 として外国からの文物展が開かれ、8回は所蔵品の展 示だった。さらに3回は大陸とのいわゆる「両岸交流 展」であった。参観者の総数は32万4991人であった。
海外での開催は、90年代後半においては、表1(23)の ように推移した。また、他施設での開催を除く本館で の内容別の開催実績は、表2(24)のごとくである。所 蔵文物の展示と保存に関 しては、この年の所蔵文 物の点数が、5万5496点 にのぼったことが報告さ れている。最後に生涯学 習の面である。そもそも 同館では1990年代に、館 外への普及活動として、
宣伝の強化、学校との連 携、複製品や出版物など の販売サービスの提供、
表1 海外での展覧会開催実績 年 テーマ数 開催回数 1996 2 3 1997 4 7 1998 2 3 1999 4 5 2000 3 6 合計 15 24
表2 本館開催の展覧会(年次別、テーマ別)
テーマ 年 1995 1996 1997 1998 1999 2000 合計 古代中国書画 4 3 2 2 1 2 14
古代西洋絵画 1 1 2 1 5
古 代 器 類 8 15 7 8 7 4 49 近代民俗芸術 2 3 4 4 13
文 献 3 1 1 1 6
現代創作芸術 15 12 13 11 19 17 87 そ の 他 4 2 2 2 3 3 16 合 計 36 37 25 23 37 32 190
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1階
2階
3階
4階
収蔵庫
収蔵庫
エレベーター 展示室
展示室
展示室
展示室
展示室
展示準備室 ロビー
正面玄関 チケット売場収蔵庫 ミュージアムショップ
忘言軒
国家画廊
オフィス オフィス
荷風閣
収蔵庫 翠楼
図2 各階平面図
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ボランティア制度の創設といったことに取り組み、博物館と一般大衆との結びつきを 重視している(25)。2004年においては、他の美術館などの施設でのキャンプや染色の 体験といった、展覧会に関連した館外活動が66回開かれ、約4490人が参加している。
また、展覧会関連の講座は40回おこなわれ、参加者人数は2939人を数えた。地方自治 体の文化局との連携による歴史文物の巡回展やコミュニティカレッジとの提携講座も 開かれた。週3回、18時30分から20時30分の2時間、夜間の施設開放が実施されて、
全部で51回の機会に1324人が参加した。青少年向けの図書などの出版もおこなわれ た。また、2008年11月の同館発行の『ニューズレター』によれば、「休日親子活動」、 テーマ別講座も開催され、夜間開放は「華燈博物館」と称して実施が予定されてい る。参観者の数は、2001年の実績で、巡回展を含む総数が145万3020人。1日平均4000 人近い参観者を集めていることになる(26)。
館内の展示室などのレイアウトは図2(27)の通りである。建物は、ほぼ東西方向に 細長く、南側が南海路に面しており玄関が置かれている。北側には池などもある植物 園があり、同館の庭園の役割を果たしてもいる。正面玄関を入るとロビーがあり、チ ケット売場やスタッフの待機するサービスデスクがある。ロビー正面に展示室があ る。ただし筆者の調査時には使用されていなかった。ロビー右手奥に、ミュージアム ショップがあって、関連図書や DVD、収蔵品のレプリカなどが販売されている。2 階は、中央に同館のいわばメイン展示室である「国家画廊」があり、その両側にも展 示室が配置されている。建物の背後にある植物園に面したところに、コーヒーショッ プ「忘言軒」が設けられている。3階、4階はいずれもほとんどのスペースが展示室 となっており、3階には「荷風閣」、4階に「
翠楼」があって、2階の「忘言軒」同様休息をとることができる。参観者は、1階ミュージアムショップ側の階段を順次 上階へ上がり、4階からエレベーターで1階へ戻って入館したのと同じ玄関から退館 する。ただし、館内の移動は基本的には参観者の関心に従って自由におこなうことが できるから、4階まで行ってまた2階にもどったり、4階から3階、2階と参観する ことも施設的には可能なようだ。
さて、筆者が調査した2008年11月には、2階展示室で「台湾早期
文化」、「鼻煙 壷珍品展」、「滄海一粟 近現代書画展」、3階で「館蔵華夏文物」、4階では「骨文金 貌 日本福岡一墨会書法展」などが開催されていた。このうち2階の「鼻煙壷珍品 展」、「滄海一粟 近現代書画展」および4階の一部の展示には日本関係の展示や解説 文は見られなかった。2.日本関係展示の概要
2階の展示室でおこなわれていた「台湾早期
文化」の展示は、「館与美−46−
術」、「
館与文学」、「種植」、「館与音楽」、「女給」の各コーナーに よって、台湾におけるコーヒーおよびコーヒー館の歴史が生み出した独特なコーヒー 文化を回顧するものである。前出の『ニューズレター』によれば、2008年5月27日か ら2009年1月4日まで開催されることになっている。日本植民地時代のコーヒー館のセットや、コーヒー館で使用された各種のコーヒー カップ、時計、ラジオ、蓄音機、レコ−ド、冷蔵庫、マッチ箱などの現物、コーヒー の栽培許可証など文献類、当時のコーヒー館の写真などが展示されている。それらの 展示のなかに示された解説文によれば、台湾におけるコーヒー文化の形成に大きな影 響を与えた存在として、日本が登場する。コーヒー館そのものはヨーロッパ文化の産 物であるが、台湾におけるコ−ヒー館は、日本の植民地時代に、主として日本人の経 営によって持ち込まれたからであるという。そして、台湾におけるコーヒー文化は、
日本風のそれに台湾独自のそれが加わって発展した、とされる。こうした解説文や展 示物の写真に、あらたにいくつかの関連する論文を加え、中国文と英文で1冊にまと められた有料(500台湾ドル)の図録(28)も発行されている。
現代の台湾においては、日本やアメリカなどと同じように、コーヒー専門店や家 庭、職場、ファーストフード店などで、缶入り、インスタント、コーヒー豆から抽出 したものなどが、多くの人々によって飲用されている。アメリカから入って来たいわ ゆるシアトル系のコーヒーチェーン店も、台北は言うにおよばず地方都市にまで進出 している。この展示は、こうした現代台湾におけるコーヒー飲用習慣の基層を形成す るものとして、植民地時代の日本人によるコーヒー館の文化の存在を紹介しているの である。
3階の「館蔵華夏文物」は、同館が所蔵する文物のうち、古代から現代に至る中華 文明の精華とも言える陶磁器や貨幣、その他の工芸品などが時代別に展示されてい る。『ニューズレター』によれば2006年6月22日から終期を明示せずに続いている展 示であるから、これが当面の常設展と言える。この展示スペースに入ると、まず、年 表「華夏与世界文明年表」が掲げられている。「華夏文明」、「欧州」、「美州(アメリ カ)」、「日本」の4つの地域に分けて、古い時期から順に政治や文化に関係する諸事 項が示されている。最も古い記述は、華夏文明の仰詔文化で紀元前5000年。日本は縄 文時代から平成時代までが対象となっており、時代区分は示されているが、具体的歴 史事項としては、1868年「日本明治天皇即位、隋後進行維新改革、使日本歩向現代化」
との記述があるだけである。同じ「館蔵華夏文物」中の「唐代文物」のコーナーの解 説文では、唐三彩の世界的広がりや用途の多様性を示す例として、韓国、アフリカな どとともに日本での出土例に触れている。さらに、日本の「奈良三彩」に影響を与え たことにも言及している。「中国青花瓷的外銷」のコーナーでは、青花瓷の輸出先と して韓国、インドネシア、ヴェトナム、タイなどとともに日本が登場する。また、関
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連して、17世紀オランダの貿易拠点として平戸が記されている。地図「明清中国陶瓷 外銷路線図」には、日本列島が描かれており、鎌倉、京都、長崎の各都市も記述され ている。
最後に、4階で開かれていた「骨文金貌 日本福岡一墨会書法展」である。福岡県 や福岡文化連盟などの協賛を得て開催されたもので、福岡を中心に活動する一墨会と いう団体の会員の書を展示、紹介している。展示された作品のほとんどは、漢字をモ チーフにこれを絵画的に解釈した現代的なもので、伝統的な書法とは全くかけ離れた ものであったが、筆者の感じたところでは、各階の展示のうち、この展示スペースに 滞留する参観者が最も多かったように思われた。上掲の『ニューズレター』によれ ば、この展示は、2008年10月17日から始まって、同年11月9日終了の予定であり、筆 者が調査した時期が終了日間近であったことも影響していたかもしれない。
3.展示における「日本」
以上に見てきた日本展示は、博物館のどのような意図の下に展示されたものと理解 できるだろうか。また、それが参観者に与える日本イメージは如何なるものだろう か。
まず、2階の展示室でおこなわれていた「台湾早期
文化」の展示における「日 本」に関して言えば、そもそも「早期文化」について展示をおこなうとすれば、日本による植民地時代抜きでは展示が成り立たないことは、明確であって、従って、
テーマ設定自体が植民地時代の日本、日本の植民地支配に対する関心に支えられてい ることは明白である。展示をおこなう博物館側に、コーヒーというモノを通じて、参 観者に日本による植民地支配の時代がどのような時代であったかを知ってほしいとい う意図が存在する、と言うことができよう。さらに、台湾にとって、植民地支配、異 民族による支配そのものは容認しがたいものであることもまた多言を要しない。であ るにもかかわらず、そうした否定的な過去の一時代の産物であるコーヒー文化を展示 のテーマに取り上げるということは、より上位にある背景として、博物館、展示者 が、良きにつけ悪しきにつけ歴史的事実について客観的に評価しうるような情報やモ ノを、参観者に提示しようという姿勢を持っていることを示している。一方、参観者 は、そうした展示に触れて、最終的に、否定すべき植民地時代に形成されたコーヒー 文化が、実は、現代の台湾人の日常生活に繋がっていることに気がつくのであって、
ここに見られる「日本」は、単に過去のある時期の侵略者、支配者として否定すべき 対象であるだけでなく、現代台湾の生活文化の多様性を象徴する歴史的一要因とし て、極めて複雑な姿を参観者の前に展開しているのである。
3階の「館蔵華夏文物」は、同館の所蔵品による中華文明の概説的展示と言って良
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いものである。ここでの「日本」は、まず、中華文明の歴史性やそれが生み出した工 芸品などの芸術性をより際立たせる存在として、いわば援用されているにすぎないの である。展示者の目的はあくまで中華文明の如何に優れた存在であるかを説明するこ とにあって、決して日本の工芸品の芸術性を語ることにあるのではない。従って、「華 夏与世界文明年表」の「欧州」、「美州」、「日本」は、これらの地域がどうしても取り 上げられていなければならないものではなく、実は、アフリカでも南米でもヴェトナ ムでも良いのである。ただし、華夏文明の仰詔文化よりも古い歴史事象は省略ないし 無視されなければならないことは、エジプトやメソポタミアの他の古代文明がとりあ げられていないことに表われている。もし、この年表の展示で、他の地域ではなく ヨーロッパ、アメリカ、日本が取り上げられていることに積極的意味があるとすれ ば、それは、同館の外国人参観者におそらくヨーロッパ人、アメリカ人、日本人が多 いからではないか。ここでの展示における日本は、中華文明の展示、解説の理解に必 要とされる限りのものであって、圧倒的な中華文明の影響を受け、これを取り入れた 存在として登場しているのであり、展示者は日本について体系的に展示する意図を 持っていない。参観者の多くは、切れぎれの日本に関する展示を見て、より一層中華 文明の優越性にひたることができるのである。
4階で開かれていた「骨文金貌 日本福岡一墨会書法展」である。漢字という共通 の生活ツールを持つ台湾と日本。まず、そのことを展示者は参観者に対して気付かせ たかったのではないか。両者が共通の文化的基盤に立っていること。このことは、現 在の東アジア情勢のなかで、日台の政治や経済の関係の基盤となっている要素とし て、文化的なそれが存在することを参観者に再認識させる。ただし、この展示は、基 盤を構成する漢字という要素は、必ずしも台湾と日本との間に、創造者としての中華 文明およびその継承者たる台湾と受容者、受益者としての日本、という関係を規定す るだけではないことを示している。ほとんどの展示作品は、漢字の始原的表意性に遡 上して、これを絵画的に解釈したいわばポップアートをおもわせる書法によるもので あって、伝統的なそれではない。ここでの「日本」は、参観者と似て非なるものとし て、彼らの前に提起されているのであり、その提起の意外性とこれに対する瞬間的な 納得とが、多くの参観者を集める要因になっていたのではなかろうか。
おわりに
近年、博物館は、参観者個人の主体的学習が可能な生涯学習機関として重要性を増 す一方、展示そのものが博物館、展示者による特定のメッセージ性を帯びているこ と、そのこととの関連で、特に歴史展示が持つ限界性といった点が指摘されている。
現代の台湾においては、その歴史や現代台湾社会の特質によって規定されつつ、数
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多くの多様なテーマのもとで公私立の博物館が活動している。本稿が考察の対象とし た台北「歴史博物館」は、台湾における博物館のなかで、その収蔵品の基礎が国民党 と共に大陸から運ばれた文物によって構成されていること、国民党治下で最初に設置 された「公的」博物館であることなどから、台湾を代表する博物館の1つとされてい る。そして、台湾においても、戒厳令の廃止や李登輝政権以降の民主化の進展を背景 として、博物館が、自主的自己学習の場として機能しつつあることは、日本や欧米諸 国など他の先進工業国、自由主義社会と軌を一にしている。
筆者が調査をおこなった2008年11月時点で、台北「歴史博物館」でおこなわれてい た日本に関係する展示は、同館の所蔵品によって構成され、閉幕時期が決まっていな いことから常設展と位置づけられる「館蔵華夏文物」。開催期限が決まっている、い わば特別展である「台湾早期
文化」展と「骨文金貌 日本福岡一墨会書法展」で あった。常設展示、従って同館の中心的な展示においては、日本は、中華文明の展示、解説 をより深く理解するための存在であって、日本そのものの解説や評価は意図されてお らず、参観者の多くは、日本に関する展示を見て、中華文明の優越性をあらためて確 認するのである。しかし、そうした第二義的存在としてだけ日本が展示されているか と言えば、決してそうではない。現代の台湾にとっては、たとえばコーヒーにかかわ る歴史、音楽、美術、工芸を通じて見た時、日本は欠くことのできない存在であり、
その存在は、植民地として台湾を支配したという負のイメージを超えて、現代台湾の 生活文化の多様性を象徴する歴史的一要因として評価されているのである。さらに、
漢字を通じて、台湾と日本は、同一の伝統的基盤を共有している存在として、さら に、そうした伝統のより良き理解者であり再解釈に果敢に挑戦する存在としての日本 が、提示されているのであり、これを通じて、参観者は、展示者からのメッセージと 同時に、日本及び日本人からの一定のメッセージをも感得するのである。
注
1 倉田公裕『博物館学』東京堂出版、1979年、84頁。
2 高橋雄造『博物館の歴史』法政大学出版局、2008年、212頁。
3 同前、11頁。
4 同前、16頁。伊藤寿朗・森田恒之『博物館概論』学苑社、1978年、347〜348頁。
5 全国大学博物館学講座協議会西日本支部編『概説 博物館学』芙蓉書房出版、2002年、
43〜44頁。
6 中村たかを編『博物館学概論』源流社、1992年、137〜140頁。
7 高橋、前掲書、221〜223頁。
8 金子淳『博物館の政治学』青弓社、2001年。千野香織「戦争と植民地の展示――ミュー ジアムの中の『日本』」栗原彬・小森陽一・佐藤学・吉見俊哉編『越境する知1 身体:
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よみがえる』東京大学出版会、2000年。
9 朱啓華「台湾社会教育之演進」徐南号主編『台湾教育史』師大書苑、2002年(増訂版)、 201〜202頁。
10 黄嘉雄「台湾教育行政之演進」徐南号主編、前掲書、28〜29頁。
11 郭麗玲「近三十年来我国的博物館」『教育資料集刊』6、1981年6月、374〜375頁。
12 謝文和「博物館的成人学習」中華民国社区教育学会主編『社区終身学習』師大書苑、1999 年。その他、李明珠主編『博物館・社区与文化多様性』国立歴史博物館、2005年、参照。
13 徐南号「台湾民主社会与個人自主性教育之探討」徐、前掲書、237〜270頁。
14 張誉謄『当代博物館探索』南天書局、2000年、2〜3頁。
15 王秋土編『台湾博物館名録』中華民国博物館学会、2004年。
16 日本は、2002年の統計では、歴史博物館383、美術博物館383、総合博物館141、科学博物 館102など合計1120館となっており、総人口を約1億2000万とすると、1館当たりの人口 は約10万7000人となる。総務省統計研修所編『第五十六回日本統計年鑑』総務省統計局、
2006年、732頁。
17 包遵彭『中国博物館史』中華叢書編審委員会、1964年、30〜32、64〜66頁。郭、前掲論 文、376頁。林泊佑主編『国立歴史博物館沿革与発展』国立歴史博物館、2002年、5〜7 頁。
18 徐天福編『国立歴史博物館簡介』国立歴史博物館、1998年、3頁。高玉珍「迎接新世紀 的文物典蔵与管理」黄永川編『博物館之運営与実務――以国立歴史博物館為例』国立歴 史博物館、2000年、91頁。
19 徐、前掲書、5頁。高、前掲論文、90頁。
20 林、前掲書、98頁。うち2272点は総統府、外交部などの文物を保管しているものである。
21 同前、97頁。
22 『中華民国年鑑 民国93年』行政院新聞局、2005年、726〜730頁。毎年の年鑑で台北「歴 史博物館」についての記述があるわけではない。
23 林、前掲書、94頁、注15の表より作成。
24 同前、注14の表より作成。ただし同表にはいくつかの誤記があり、適宜補正した。
25 同前、58、86頁。
26 同前、103頁。『活動表 中華民国97年11月』国立歴史博物館、2008年11月。その他の同 館に関する情報を、あらためて略記しておく。所在地は台北市南海路49号。台北駅から 車で約10分のところにある。入館料30台湾ドル。老人割引などがある。特別展は別料金 となる。午前10時から午後6時まで開館。毎週月曜日は休館。毎週金曜日には午後6時 30分から8時30分まで部分的に無料開放している。館内の写真、ビデオの撮影はできな
い。
27 徐、前掲書、40〜41頁、および、同館ホームページ(URL http : //www.nmh.gov.tw/ 2009年1月10日)の「参観資訊 楼層導引」より作成。
28 国立台湾歴史博物館編輯委員会編『台湾早期文化』国立台湾歴史博物館、2008年。
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