高齢者介護費用研究の検討
介護・介護費用負担の構造分析の試み
石 田 好 江
ASurvey on the Study of the Elderly Care Cost
Yoshie Ishida
はじめに
超高齢社会の接近を前に,1980年代後半から高齢者の介護だけでなく,介護費用の問題につ いても研究や議論が活発に行われるようになった。そこで本稿では,まず現在までに登場した 高齢者の介護費用についての主要な研究や議論を整理し,何が問題になってきたのか,またど ういう課題が残されているのかを明らかにしたい。さらに,そこで明らかにされた課題をふま え,介護費用問題についての家庭経済学的アプローチを試みてみたい。先取り的に言うならば,
近年の介護費用研究や議論に欠けていたのは,介護費用の背後にある介護の構造分析,つまり 家族「個人」間の「関係」や意思決定の「調整」や「コミニュケーション」等の分析であった。
そこで,そのことを確認した上で,事例の検討を通じてその点をさぐってみようというもので
ある。
1.既存の調査等にみる介護費用の実態
高齢者介護に関する調査は,関心の高まりとともに多くのところで実施されているが,介護 費用を家計がどの程度支出しているかを調べた調査は少ない。ここでは,介護費用について調 べている以下の調査から,介護費用の負担の実態を探ってみたい。
①平野隆之他「寝たきり老人を含む世帯家計調査」(1982年調査)
②老人福祉開発センター「在宅重介護老人世帯の介護と家計に関する調査」(1985年調査)
③生命保険文化センター「高齢者の介護に関する調査」(1987年調査)
④東京都生活文化局「高齢期における医療費用等と生活設計」(1988年調査)
1)介護費用の内容
必ずしも各調査とも明確ではないが,①病院や施設に支払う費用,付き添い看護料金,要介 護者及び家族の通院費,医薬品費など医療関係費用。②介護ヘルパーの雇い入れ費用,入浴サー ビス料,衛生用品など日常の介護にかかる様々な費用。③介護のための設備・改造,器具の購 入など。広義には①,②,③の費用すべてを介護費用として捉えているのに対し,狭義には② のみを介護費用としている。
2)介護費用の負担とその負担感
まず,生命保険文化センターの調査では,在宅介護経験世帯の在宅介護費用(医療関係費も 含まれるものと思われる)を調べている。それによると,その費用は月額平均で4.2万円,状態・
症状が重くなるほど費用が大きくなっている。またそれ以上に格差が大きくでるのは,在宅介 護サービスの利用経験の違いで,利用したことのある層(38%)は平均5.3万円であるのに対し,
利用したことがない層は平均3.6万円と少なくなっている。またそうした費用の負担感につい ては,半数の者が何らかの家計への負担を感じている。とくに介護費用が5万円を越えると8 割が負担を感じており,5万円が家計への影響の分岐点と考えられる。
東京都の調査は医療費用と介護費用を区別して調べている。医療費と介護費用の合計金額を みると,要介護層は平均月額3万1880円,入院層は22万6520円と,入院層の負担がきわめて大
きくなっている。とはいえ,どちらの層も支出金額に大きなばらつきがある点に留意する必要 がある。例えば入院層では9万円以下が43.4%を占める一方で,50万円以上の高額負担者もい る。また,要介護層においても,支出の大半は医療費,医薬品費,通院費で,衛生用品やヘル パー費用など在宅介護費用を支払ったとする者は少なく,平均支出額も7670円である。次にこ れらの費用を誰が負担しているかをみると,要介護層では50.0%が,入院層では63.3%が自分 自身で負担しており,子供が負担しているケースは少ない。また費用のまかない方は,要介護 層では定期収入で,入院層では定期収入と預貯金でまかなっており,生命保険等の利用は少な い。家計への負担感は入院層で高く,7割の者が圧迫を感じている。また年齢が高くなるにつ れて負担感は高まり,75歳以上では85%が感じている。
上記2つのマス調査を補い,要介護高齢者をかかえる世帯の特徴を知るには,以下の2つの 事例調査は貴重な資料である。まず,「ねたきり老人を含む世帯家計調査」をみてみると,デー
タがやや古いのでその点を考慮する必要があるが,そこでの介護関係費は平均月額5182円,医 療関係費は4626円となっている。ねたきり老人自身にかかった「個別的生活費」に占める割合
は,それぞれ13%,12%である。介護関係費の主たるものは介護用備品の購入費用で,医療関 係費の方は,通院費,医薬品費が主で医療費は少ない。また要介護状態になってから購入した 老人専用備品の購入額を調べているが,その費用は世帯平均30万円になっている。この調査と は別に平野は,武蔵野市福祉公社のサービス利用世帯のサービス利用料金の負担額を調べてい る。それによると,介護に必要な個別サービス利用世帯の平均利用額は1カ月5万3000円にも
なっている(ただし半数は1−一 3万円)。
次に「在宅重介護老人家計調査」をみてみよう。要介護高齢者の個人的生活費は平均4万 3000円,そのうち医療費及び家事サービス等の支出は約1万円である。この調査では,生活費 全体を丹念に調べている。それによると,要介護状態になっても特別な治療を必要とするよう な介護でない場合は,生活費そのものの大きさは変わらず,高齢者自身の収入の範囲に納まっ ていることがわかる。ただし,医療費,家事サービス等の拡大に対応するために,節約できる 交通費,教養娯楽費,被服費,交際費などを縮小させるといった,支出の組み替えを行ってい る。一方,医療費に大きな費用が必要になった場合,例えば退院直後や特殊な機器や薬品を使 用する場合には,支出は高齢者の収入を超えて膨張する。このような膨張した支出に対しては,
もはや定期的な収入だけではまかないきれず,高齢者自身が預貯金を取り崩したり,子供世帯 が負担することによって対応している。この調査では,入院や介護のための備品の購入等「臨 時の費用」についても調べている。それによると,入院費,付き添い費,家族の通院費など医 療費関係の臨時支出は約7割の世帯であり,支出のあった世帯の平均金額は約150万円にもなっ ている。また,備品の購入費は,世帯平均にすると20万円程度であるが,内容,金額とも世帯 によってかなりばらつきがある。こうした臨時の支出(とりわけ医療費関係)は金額が大きい こともあって,当然高齢者の定期収入ではまかないきれず,預貯金を取り崩したり,子供世帯 が一部負担して対応している。
4つの調査を概観して共通に確認できたことは,要介護高齢者が,家族によって在宅介護さ れている限りにおいては,狭い意味の介護費用負担は大きくない,つまり表面に現われてこな い。むしろ家計を圧迫しているのは,入院や施設への入所にかかる医療費をはじめとする様々 な支出の方であった。また,そうした費用について,高齢者はかなりの程度自分自身の収入(預 貯金も含め)でまかなっており,高齢者の経済的な自立がすすんでいることが確認できる。
2.介護費用に関する先行研究の概要と課題
介護費用については,経済学,社会福祉学の分野を中心に,介護及び介護費用を理論的にど う捉えるかについての議論や研究が行われている。ここではそうした議論や研究を概観した上 で,残された問題は何であるのか,とりわけ家政学(家庭経営学,家庭経済学)が,介護及び 介護費用問題において取り組まねばならない課題はどこにあるのかについて考えてみたい。
1)経済学における介護費用についての研究
近年,経済学では,従来の経済学のフレームワークではブラックボックスでしかなかった家 庭,家族の内部が注目されるようになり,家族内部の資源やその資源配分についての議論が行 われはじめている。介護や介護費用についての議論や研究も,そうした流れのひとつである。
介護費用についての議論に絞って整理すると以下の三点になる。
第一は,市場価格で評価されない家庭内部で行われる介護サービスについても,社会的費用 として考慮に入れようというものである。親の介護を家族の誰かが家庭内で行うとすれば,そ の人物が外で働けば得られるはずの賃金を失うことになる。つまり家族による介護は無料では なく,機会費用(放棄賃金)という形での費用を個人負担しているのである。このように考え ると,介護の形態の違いによって費用の自己負担額に大きな不公平が生じていることに気づく。
社会福祉施設の場合,公費としての措置費が主で,自己負担はわずかである。老人保健施設や 病院の場合は,社会保険からの拠出で支払われる。ところが在宅での家族による介護ではすべ て自己負担ということになる。宮島(1992)は,こうした格差を是正するために,在宅介護者 の機会費用を正当に評価しなければならないことを主張し,その方法として,介護休暇のよう に企業を通じて行う方法,介護保険給付のように社会保険を通じて行う方法,公費での補償や 所得税の減税という方法をあげている。
第二は,高齢者の費用負担と公平性についての議論である。つまり,高齢者を一律に「経済 的弱者」と捉え,介護サービス等の費用負担を免除したり,軽減することは,公平性の点で妥 当であろうかという議論である。この点について,高山他(1992)は,評価の難しい実物資産 の推計も含め,高齢者世帯の資産保有状況を詳しく検討している。それによると,金融資産と 実物資産を合わせた正味資産は60・一・ 74歳のところで最大になり,高齢者世帯の経済状況が全体
としてはかなり豊かなものであることがわかる。とはいえ,高齢者世帯のすべてが豊かなわけ ではなく,高齢者世帯の所得及び資産格差は,「持てる層」と「持たざる層」とに階層分化し ているのである。このことは,年齢階層別にみたジニ係数が,所得,資産とも年齢が上昇する にしたがって大きくなることでも知られている。こうした高齢者世帯の資産を含めた経済状況 の検証をふまえた上で,適正な費用負担のあり方,またその費用負担額の基準になる課税の算 定方法などが問われ始めている。
第三は,親の介護を子供が家庭内で行う場合,提供されるサービスと遺産相続との間に,何 らかの交換関係(暗黙の場合も含め)があるのではないかという議論である。ライフサイクル 仮説に基づけば,老後生活にあてるため高齢者世帯では貯蓄を取り崩すことになるが,先の高 山らの研究においても明らかになった通り,平均でみれば,高齢者世帯にはいまのところそう した様子は見られない。むしろ,日本の高齢者は,遺産相続を通じて子世代への所得移転を行っ ているといお一ft.て一いる(Hayashi他 1988,野口他 1989)。このような日本の傾向をふまえて,
遺産動機をさぐる研究が活発・に行われている。そのうち大竹(1993)は,介護及び介護費用と 遺産動機が深く関わっていることに注目し検証を行っている。大竹によると,介護に関わる利 己的な遺産動機には二つあり,一方は,Horioka(1984)が主張している「暗黙的年金契約仮説」
で,「日本の高齢者は老後資金を子供からの仕送り金として『借入れ』,死亡時に遺産として子 供に返却する」というものである。他方は,Bernheim他(1985)が主張している「戦略的遺 産動機仮説」で,「親は子供の介護サービスの対価として遺産を残す」というものである。大 竹はこの二つの仮説の検証を通じて,子供からの仕送り金額は,親の資産が多いほど多額にあ
り,子供は親の資産が大きいほど同居する確率が高いことを明らかにし,遺産動機において,
利己的な動機(とりわけ戦略的遺産動機)が発生していることを主張している。
2)社会保障,社会福祉研究における介護費用についての研究
この分野における議論は,主に介護費用の社会的負担制度のあり方をめぐって行われている。
その主要な論点を斉藤,山口(1989)は,次の5点に整理している。「(1)介護需要の増大とそ れに対応する介護サービスの未整備状態の問題,(2)医療・保健・福祉の入所施設問,あるいは 在宅と施設問の費用・サービス内容の制度的アンバランスの問題,(3)介護あるいは介護費用と は何かといった,介護そのものを医療,看護といかに区別するのか等の問題,そして,.(4)そう
した介護費用の調達をめぐってどのような制度,水準を考えるのかといった具体的財源確保,
給付方法,水準に関する問題,さらに,(5)介護費用によって形成される新たな介護サービス供 給体制の整備の問題まで及んでいる。」
その中で例えば,厚生省政策ビジョン研究会(1988)は「年金を使って介護サービスや医療 サービスを受けられるようにしたり,医療サービスと介護サービスの一体化をはかるなど,こ れまで別々に考えられていた年金,医療,福祉政策の統合化が必要である」と提言している。
また古瀬(1986),栃本(1989)は旧西ドイッにおける介護費用負担制度を紹介しながら,我 が国への社会保険による介護費用支給制度の導入を検討している。こうした一連の議論の中で,
具体的な金額にまで及んだ議論をしているのが,西川(1987)と沢村(1988)である。西川は,
社会保険のうち年金制度を活用した介護費用の給付システムを構想しており,その場合の支給 金額は月額8万円が妥当としている。その根拠は,特別擁護老人ホームの医療費以外の処遇経 費20万円と,介護体制のない軽費老人ホームの処遇経費12万円の差額8万円こそが,純粋に介 護に必要な費用であるというところにある。同時に,施設と在宅との公費負担の整合性をはか
るために,措置制度を改め,基本的に施設利用は有料化する(例えば「特・養」利用者の場合,
経費のうち8万円で支払われない残りの12万円は自己負担となる)ものと考えている。また,
自己負担を増大させることによって,私的介護保険やシルバーサービスの普及を期待している。
西川の理論を継承,発展させた沢村は,「家庭における扶養機能の補完,代替」という観点か ら介護費用を理論的に整理しようとしている。施設利用者にとっての生活費的な費用や,在宅 の住宅にあたる管理費的費用は,在宅者とのバランスを考えて自己負担にすべきであり,年金 から介護費用として支給されるのは,介護,生活援助部分(医療技術的な費用は健康保険から 支給)に限定すべきであると述べ,その額は5万円程度と述べている。
このような年金制度からの介護費用支給を提案する西川,沢村に対して,大塩(1990)は,
「在宅で老人介護に苦しんでいる介護家族の実態は,まったく視野にはいっておらず,財源を 主軸にした介護費用の操作が中心になっている」と批判し,介護手当は「家族扶養に対する公 的支援という性格上」社会手当として支給すべきであると主張している。都村(1990)も同様 に,要介護家庭への経済的援助は,介護手当・老人扶養手当というかたちで,社会保障を通じ
ての現金給付が望ましいと述べている。特に現行の所得控除を通じて行う要介護家庭への援助 については,低所得層よりも高所得層に対して大きい援助を与える制度であること,また控除 額が毎年引き上げられても,課税最低限以下のものは何ら便益を受けないことから,廃止すべ きであると主張している。介護費用,介護手当の調達や給付をどういう制度で行うかは別にし ても,在宅での介護者の経済的評価をすべきであるという意見は,社会福祉分野でも強くある。
社会保険福祉協会(1988)や城戸(1989)が算出したものをみると,その額は月15〜20万円に なる。また城戸は,現在施設に入居している要介護高齢者のうち19万人を在宅ケアに移し,そ の人々の三分の二の介護親族に17万円の介護手当を支給したとしても,現行より新制度の方が 25%も費用が節減できると推計している。
3)残された課題
家族による在宅介護に対し何らかの費用を支給すべきであるという点は,どの議論にも共通 した認識であった。しかし,それをどういうシステムにすることが国民にとって望ましいかに ついては,高齢者の介護とは何であるのかという基本的なところが明らかにされなければでて こないのではないだろうか。例えば,介護需要は家族にあるのか,介護を受ける高齢者個人に あるのかによって,どういう介護システムをつくるのかも大きく違ってくる。もし,前者であ るならば,家族が家庭内で介護する場合は,機会コストにあたる介護手当がその家族に支給さ れるべきであるし,介護ができない場合には,そのお金で家族機能の代替としての介護サービ スを購入すればよい。一方,後者の場合ならば,介護費用は介護を受ける高齢者に支給される。
家族介護にするか,家族以外の介護サービスにするかは,高齢者自身の責任において選択すれ ばよい。家族介護を選択したならば,介護費用を介護してくれる家族に支払えばよいことにな る。また支給金額について考える場合にも,前者ならば,家庭内生産(機会コスト・時間),
子供世代の負担能力,相続といったことが問題になるのに対して,後者ならば高齢者の負担能 力や市場のサービス価格などが問題になる。
いずれの立場をとるにせよ,介護費用のあり方を考えるためにはいま一度,介護とは何であ るのかについての議論が必要である。現実の生活においては,介護の意思決定者,サービスの 受益者,費用負担者がきわめてあいまいになっている。また実態調査で,依然として家族によ る在宅介護が主流であることはわかったが,その選択が介護する側,される側とも本当に望ん でしたものであるかどうかはあいまいであり疑わしい。介護というものをあいまいにしてきた その背後には,根強い慣習(家意識や性別役割分業)があるわけだが,まずはそうした慣習に 切り込み,介護の構造を明らかにする必要がある。そして,まさに家庭経営学や家庭経済学の 課題はここのところにある。
3.介護・介護費用負担の構造分析の試み
1)介護・介護費用負担の構造分析の視点
前章の先行研究のサーベイから導かれたことを整理すると,従来の調査研究では,①依然と して家族による在宅介護が主流であること,②社会的施設の利用者と在宅介護者の間の不平等,
③社会的施設利用者間,例えば特別養護老人ホーム,老人保健施設,病院利用者の間の負担の 不平等などが明らかにされている。しかし先にも述べたように,ここでは,介護費用負担の背 景にある介護の構造そのものは問題にしていない。要介護者の生活保障は個人責任にするのか,
家族でみるのか,社会がみるのか,どのミックスにするのか,その場合の家族の範囲はどこま でか,といった問題は現実の介護の構造が明らかにされなければ議論できない。また,介護手 当にするのか,介護の税控除にするのか,その先には相続に対する考え方,具体的な相続税の あり方,社会福祉施設などの施設入所措置問題も関係する問題となる。
したがって,ここでは,まず現行の制度のもとで営まれている生活から出発し,介護の構造 がどうなっているのかを明らかにして上で今後の介護及び介護費用負担のあり方をさぐってみ たい。その際の方法としては,家族を「個人」にバラし,その関係に注目し,その間での「調 整」や「コミニュケーション」にあらわれる介護及び介護費用の構造を分析するという方法を とる。また,まさにこの方法こそが家庭経済学的方法でもある。なお,生活の構造を探るよう な研究には,アンケートによるマス調査ではなく事例調査が適切であるが,今回は時間の都合 で多くの事例を採集するには至らなかった。その意味で,今回の介護・介護費用の構造分析は 試論に留まっていることを付け加えておきたい。
2)高齢者介護・介護費用負担の構造一事例研究
以下では,三世代同居における介護の二つの典型例から,
してみたい。
介護・介護費用負担の構造を分析
事例1:直系三世代家族における「嫁」による「姑」の介護
72歳の要介護者は脳血栓をきっかけに87年に要介護状態となり,長男の妻が介護をしている。
要介護者は以前は夫と農業をしており,夫は農地と家屋をもっている(東京三多摩の住宅地域)。
まず,それぞれの意思の伝達であるが,要介護者の意思表明は明確な形ではなされていない。
意思表明が明確でないことを「昔の女性だから当然」と介護者は考えている。一方で明確な意 思表明がないことを当り前としながら,質問者の「要介護者に対する希望」の問いに対し,もっ と「こうして欲しい」と言ってくれた方がよいと答えている。また,自分が要介護状態になっ たら,意思表示を明確にしたいとも答えている。ここでは,介護において要介護者の意思表明 が重要なポイントになっていることが確認できる。
介護者決定については,そのための話し合いはまったくもたれず,嫁である介護者が「自分 が介護できる条件をもっていたから」「世間的常識として当然である」という理由で引き受け ている。つまり,介護者を「欲求する・自覚する・圧力を受けた」人が担うという形で,「当 たり前」なものとして「自然」に決まっていく。この事例の介護者は結婚前福祉関係の仕事に 従事していたため,情報量も多く,自負もありそれが現在の介護を支えている。また,介護者 の決定や介護方法についての話し合いはないものの,キーパーソンが介護者本人であり,その 人が介護のあり方を引っぱっている。
介護費用の負担は,介護のための家屋の改築や要介護者にかかるすべての費用(医療費,衛 生費など)は要介護者の夫が負担している。また,要介護者の年金もこの夫が管理している。
これについては要介護者は自分で握っていたいようであり(介護者談),使えないにしても自 分の年金にアクセスできないことは問題とも考えられる。相続についての考え方は,「介護し た者に介護の貢献分を相続し,残りを家で継ぐ(墓を守るなど)者に相続するべきである」と の考えである。相続の際にその貢献を認めてもらいたいというきわめて明確な意思があり,「介 護した嫁の貢献を考え,その夫である息子にすべて財産がいくようにする」との選択肢を選ば なかったところに「合理性」が示されている。
事例2:介護事象をきっかけに同居士を変化させた三世代家族における「嫁」を中心とした 「姑」の介護
本事例も嫁が介護の中心であるが,同居士が変わったこと,子供が複数平等に費用を負担し ていること等に事例1との違いがある。
要介護状態になる前は次男夫婦が同一敷地内に住んでいたが,脳梗塞のため入院その後病 状の変化により転院した。転院先は家政婦付きの病院であるため介護は必要なかったが床つれ のひどさや「食道を切開して管を入れる」といわれ退院させ三男の家にひきとった。
まず,本事例が事例1と異なるひとつの点は,要介護者の意思表示が明確であり,転院先の 病院で「家にかえりたい」と三男の妻に言っていることである。この場合,依頼の内容がはっ
きりしているため,介護する側の満足度も高くなっている。また,介護者の決定について話し 合いがもたれているという点でも事例1と異なっている。第1回目は最初の入院時,兄弟姉妹
(次男の妻は正規の仕事をもっていて,実子の娘ふたりは遠隔地に住んでおり,老人も抱えて いる。)とその配偶者でなされた。その際話を切りだしたのは三男の妻であった。2回目の話 し合いは病院側が食道を切開すると言ったことに対してもたれた。この時も,三男の妻が切り だして要介護者の生活場所,介護者,介護費用の負担についてどうするかが,前回同様,兄弟 姉妹とその配偶者間で話し合われた。この時,意見は必ずしも一致しなかったが,キーパーソ ンである三男の妻が調整をはかっている。その内容は,自分が介護したいことを表明し,条件 としてパートの仕事をやめる代わりに何らかの経済的保障をしてほしいこと,日曜日には他の 子供が介護を交替することであった。
本事例は介護費用の負担の点でも事例1とは異なっている。要介護者の収入は夫の遺族年金 が12万円あり,入院時はそれで入院費を支払っている。現在の本人の生活費(食費,被服費,
本人の名前で出す必要のある交際費,衛生用品,医療費,寝室の花など)は月々10万円かかり,
その費用は本人の口座から介護者が引き出しており要介護者本人の負担になっている。また,
本事例では,介護者の意思表示もあったことから,他の子供が月々2万円つつ拠出し,市の介 護手当1万3000円とあわせて9万3000円を介護者である三男の妻に出している。減ったパート 収入を保障する額には満たないが,それによって週1回5時間のホームヘルパー(月1万5000 円)を頼むこともでき「余裕をもって介護ができる」と話している。相続については事例1と まったく同じで,介護した者に貢献分を相続し,残りを家を継ぐものに相続するというもので
あった。
3)若干のまとめ
本稿で取り上げた2事例は,日本の高齢者介護の典型である直系三世代家族における「嫁」
による「姑」の介護の例であったが, サの構造をみると二つの事例は大きく異なっている。事 例1はこれまで日本でもっとも典型的にみられた介護のあり方の典型として,事例2は都市部
において現在増加しつつある介護のあり方の典型として取り上げている。
事例1の特徴を整理すると,①要介護者の意思表明が明確でない。②介護者決定や介護の方 法についての話し合いはなく,いわば「自然」に決まっていく。そこには従来の慣習が強く作 用している。③キーパーソンの存在があり,この者が介護のあり方を引っぱっている。この場 合のキーパーソンは実質的な家庭経営の担当者であり,自分がすべてを引き受けることで,ルー マンのいうところの「複雑性の縮減」を図っている。④介護に関わる(家庭経営)範囲は同居 家族の範囲である。⑤介護費用(介護者の貢献に対しては除いた)については,要介護者の世 代(要介護者自身と夫)の資金で賄われる。この背景には年金制度の成熟や高齢者の資産の増 加がある。しかし,要介護者自身は自分の資金(例えば年金)の管理にはアクセスできていな い。⑥介護者の貢献については遺産相続で保障するという「戦略的遺産相続」の傾向がみられ る。しかし,この場合現時点では,「介護者の希望」であって必ずしもそうなるとはかぎらない。
それに対して,事例2の特徴をみると,①要介護者が明確な意思表明をしており,「依頼」
の内容が明確なだけ介護する側の満足度が高くなっている。また今後要介護者の側での介護 サービスに対する態度の変化を考えると(現に事例2では,自分が要介護状態になっても娘や 嫁に仕事をやめてまで介護してほしくない,介護サービスをできるだけ利用したいと答えてい る),意思表明の明確化はサービスの利用を高めることにもなる。③介護者決定や介護方法に ついて話し合いがもたれている。その結果同居子が変化するなど介護の構造が大きく変化する。
④キーパーソンについては事例1と同様の傾向がみられる。⑤介護費用についても明確に管理 されている。⑥介護者の貢献についても話し合いのもとに,明確に位置付けられている。
以上のことから,今後の介護制度や介護のあり方を考えると,家族内における意思決定にお
いて「個人」が重視されているかどうか,意思の「調整」が合理的で明快なものであるかどう かが,介護制度を考える上で重要なポイントになっていることが確認できる。どんなに介護サー ビスが充実されたとしても,介護保険(公的,私的にかかわらず)のような要介護者に所属し,
要介護者の管理に任される制度が導入されたとしても,それらを受け入れる家族の側に「個人」
を尊重し,「個人」が生活に責任をもち意思決定をする風土がなければ,有効な制度にはなり えない。しかし,事例2にみられたように流れは「個人」重視の方向に変ってきていることは 確かである。
*本稿は,平成4年度生命保険文化センター学術振興助成金の支給を受けて行った「介護保険 準備と家計についての研究」の研究報告書(平成ら年3月,生命保険文化センターに提出。
未刊行物)のうち石田担当部分に加筆,修正したものである。なお,事例調査は,御船美智 子氏(お茶の水女子大学)と共同で行っている。
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