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体育研究室大西国男 (1969年11月5日受理)

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203

体育の社会学的研究課題

現代教師像一体育教師を中心として

  体育研究室大西国男

(1969年11月5日受理)

一一 ?@  論 二調査の内容と対象 三 調査の処理と考察

 1.教師集団における体育教師の位置  2,体育教師像

 3. 教師の理想像  4.職業意識  5. ま とめ

四 むすび

 一 序   論

 現代の教師像を求めようとすれば,まず現代における教師のあるべき姿やその理想像に ついて論ずることである。その時代の教師像は,研究と指導の努力によって過去の教師の 姿から脱して新しい活動の領域を発見し,次第に現代の教師像を形成して行くと述べた。

 然し,このとき現代の教師像を求めるに当っては,それぞれ各自の理想とする現存の教 師についていくつかのタイプに分類することで満足するか,現存の教師に飽きたらないで 自分が希望する教師像を描く。そして子どもは自分の望む教師像を,父兄はそれぞれ期待 する教師像を描くのである。

 このような状態において現代教師像を論ずる場合は,その論点(立場)や角度(観方)

によって,それぞれいつれも教師像の一面を論ずるに過ぎない。真の教師の姿は,その理 想像,期待像,現存像の総合においてとらえねばならない。

 すなわち「①現実にわれわれの周囲にみられる現存の教師像か②周囲に見られない理 想的な教師像か③一部の人々,特定の人が希望する教師像かを区別する観方が前提とな        1)

る」考え方である。

(2)

複数社会に属する現代の教師は,自己の関係する社会の要求を正しく認識したうえで,

それらを自己の人格において統一し調和させる必要がある。教師以外の人々もそうである ように,教師も社会的存在であり社会性を必要とする地位に立っている。

 すなわち,一人の教師も実に多くの社会に属するから,多くの社会から社会性を要求さ れる。そうした複数社会の相互の間に,しばしば衝突があったり,意見の不一致が生ず る。教師が社会性の強い場合は,その社会から押されたり引かれたりして,主体1生の崩壊 をまねく危機にさらされることがある。

 家庭の一員と学校の教師としての関係,社会人としての個人と教職に勤務するものとし ての立場がある。PTAとの関係,教職員組合の一員としての行動などはそれである。教 師の置かれている社会的地位から,さらにあらためて教師自身の主体性を考えてみるべき    2)

である。

 現実にわれわれの周囲にみられる教師像は,複数の複雑な社会の中の教師として描かれ る。多面的な社会性を必要とする現存の個人が,教職に身をおく個人として論じられる時 に,現在の教師のあるべき姿についてそのプロフィー一ルを描くことは可能である。この点 では伝統的な古い教師像は捨象されなければならないであろう。教師の主体性の問題は,

ここにおいてこそ回復され堅持されるべきである。真の教育者としての自己を発見すべき

である。

 また,教職の近代化が叫ばれている点では,職業一般がそうであるように,教職もまた 近代化される事は当然である。すなわち,教育という仕事の内容がもっと科学的・合理的       3)

なものであって,能率のよいものでなければならないと云うことである。

 この点では,勿論,学習課程や学習内容,学習指導要領の編成,指導,方法に起因する ものがあり,教育意欲がすべての教育活動管理運営に先行する原動力となるべき事も当然 であると考えられる。

 然し,問題は残されている。 「教職は聖職か」 「教師の給与」 「勤務条件や勤務時間」

「組合活動」 「学校,学級の管理,運営」 「学習指導要領の基準性」 「カリキュラム」

「行事と授業時間の確保」の問題など多くの事柄が予想される。

 殊に,体育科教師の場合では,ILO条約批准と課外活動(クラブ活動),諸行事や社 会体育への参瓜や推進,生徒の対外運動競技の参加など枚挙にいとまがないのである。こ

こに学校内外における役割や立場を認識すると共に,新しい価値ある生活像を作り出す勇 気と努力が要請される。

 そしてまた,専門家としての一貫した積極的な実践的とり組みと,教育の仕事をなす時 に役立つ理想の現実をたえず把握し検討する事が要求される。

(3)

大西:体育の社会学的研究課題 205  ここでは,体育教師像を中心として教師像を描こうとするものであり,紀要18号で述べ たとおり,新しい体育教師を描こうとするときは,体育教師である以前に一般教師と同様 に教師集団の一員であり,現代社会における社会人としての教師の一人である。

 そして一般父兄の側から教師の生活意識,教職意識を診断し,教師に対する要求や期待 と同時に,体育教師が教師集団のなかでどのような役割や位置を占めるかについて評価を 得ようとするものである。

 すなわち,次に述べる如く一般父兄は体育教師に対して,現実に周囲に見られる現存の 教師像,希望する教師像,理想像として描いている教師の姿を求めようとするものであ

る。

 周囲に見られない理想的な教師像を描くことは容易なことでない。教師の理想像を「周 囲に見られない」というかたちで論ずることはあり得ないのであって,現実社会と遊離し た教育も教師もあり得ないのである。したがって,教育史・教育学や教育原理から導かれ た教師の理想像を求める立場をとるものであろう。それは教育に専念できる教師,専門家 としての教師,実践できる教師という立場からとらえた教師の像として論ずることであろ

う。

 教育に専念する教師とは,人間の可能性を信じ,擁まない日々の実践によってのみ人間 はかわって行くこと。そうゆう授業の中,仕事の中で今までと全然ちがったものが創造さ れること,子どもの上にも,授業のうえにも自分の上にも無限の拡大と質の変革を心がけ る教師である。

 斎藤喜博氏は,現代の世の中では,現実の政治とか社会とかと教育との問には大きなギ ャップがありすぎる。教育とはそうゆう無力なはかないものであるが,しかしそうゆう無 力なはかないものであっても,創造に創造を重ねて行けば次の新しい創造が生まれてくる       4)

ことに,教師としての希望と喜びがあると述べている。

 専門家としての教師は,どこまでも自分の仕事に無限の可能性を追求してゆくべきであ る。そうすることによって自分を専門家にし,専門家による専門的な仕事を可能にする。

単に一般的な知識技能を教え,形式的な生活訓練を指導するばかりでは,専門家とはいえ ないであろう。

 専門家の仕事というものは,だれにでも出来るものではない。思考し実践し努力するこ        5)

とが教師の義務であり,責任ある人間の態度である。

 実践できる教師とは,それぞれの分野での専門的な力を押し進めて行くことである。知 識としてそれを持っことだけでなく,教師の人間の問題として大きく行きついてゆくもの である。教師の人格が教育効果にとって決定的な意味をもつとすれば,優れた人格を持っ

(4)

た教師を養成すべきであり,優れた人格を持つ教師を精選すればよい。そしてまた,この        6)

要請に応えるためにあらゆる手段を構じて努力すべきである。

 教師の人間観,教育観に立脚する実践が,教職に対する自覚,使命観に支えられるとき 真の教育が拡大される。

 教師もまた自分の生き方に従って生き,好きなように振舞ってよい筈である。基本的人 権は尊重されるべきであり,人生ならびに人間的価値は正しく認識されなければならな い。ここに教師の使命の尊厳が自覚され,盲従でない確信をもった道義的教育が実施され

 7)

る。

 教師の類型学的研究から分けられる教師のタイプも,教師の権威も,教職の使命の尊厳 を自覚することから生まれる。また,教師の愛情も誠実も信頼も,人間的なものを中心と して拡張して行くであろう。

 この調査と研究では,体育科の教師に対して父兄はどんなイメージをもちながら体育教 師を眺めているか,教師集団の一員でもある体育教師に,どんな事を望んでいるかについ て考察することである。

 また,体育科や体育教師に対する価値,評価に対して正当な認知がなされたうえで,現 代教師の理想像を描く資料とするこころみである。

 .二 調査の内容と対象

 〔内 容〕

 意図した調査の内容は,体育教師の社会的評価と地位について,体育教師に対する社会 的要求,期待する教師像,教職に対する評価を調査しようとするものである。

 (この調査では教師の性別に関しては特に要求しなかった)

 D 体育科教師の社会的地位(教師集団や他教科教師のなかにおける体育教師の位置)

 2)父兄がもつ体育科教師に対する要求(期待される体育教師像)

 3)教育者としての人柄,考え方(理想とする教師像)

 4) 教職に対する認識(生活意識と教職評価)

 〔対 象〕

 昭和44年度夏期講習会(茨城県教育委員会現職教員認定講習会7月26日〜29日)受講者 に対し,各人3枚〜4枚あてに調査用紙の配布,および回収を依頼し,県下各地の父兄一・

般312名から無記名による回答を求めた。対象者には中学生,高校生の子弟をもつ父兄一 般のものを選んで回答が得られるように心がけ,職業はくわしく記入するよう申し入れる

ことにした。

(5)

大西 体育の社会学的研究課題 207  受講者は県下各地から参集したものであるから,回答者の層は茨城県下各地域からと考 えることができる。回収した用紙は,受講者各人が点検整理して提出した。

 職業の分類に当っては,話し合いによってその職種,内容を吟味して類別するようにし 職業別分類は表1によった。       、

  表 1      職  種  類  別      昭和44年7月28日

1 次 産 業

2 次 産 業

農林,水産業など基幹産業 建設,製造など加工産業        1

3次産 サ醗金融運輸樋信サービス業

公  務  員  官公庁,公務員,教師,団体職員,警官,自衛官

家事(1次,2次,3次産業に従事しない主婦)

無職男子

198 29 30 57 75

7 114 13

4 19

30 48

三 調査の処理と考察

 1. 教師集団における体育教師の位置

 体育教師について日頃思っている事柄をA,体育教師の教師仲間における位置について B,一般社会が見ている体育教師の位置についてそれぞれ3項目をあげ,あてはまると思 う事項について○印をつける方法によって調査した結果に考察を加えた。

 A 体育教師の教師仲間における位置

 [.他教科の教師と同じである」と思うに答えを付したものは73%であった。これは 他教科の教師が教師集団における体育教師の位置づけ74%と同様の結果であった。それに 対して,軽視する傾向があると答えたものが18%であり,一般教師から見た8%に比べて

2倍強の結果である。

 前者は予想された結果であったが,後者については幾つかの間題と反省が含まれるであ ろう。それは体育教師の主体的問題であると同時に,体育科に対する社会の評価と歴史的 過程から生まれた体育認識の欠除などがあげられよう。

 それは体育教師の役割がいかに重大であるかの認識のもとに,自らの意欲的積極的な実 践と研修により,常に自己の向上をはかる事につとめるべきである。この点では,体育科 の位置づけと他教科の特質を対比した問題意識のとり上げ方に反省すべき事柄が残された

(6)

と思うけれども,身体活動が教育に貢献するところを自覚し,人間の可能性を信じ,人間 の偉大さや生命の尊厳を学ぶために体育科の価値を明らかに把握し,教師の主体性を堅持 すべきである。

 1.教師集団における体育教師の位置

  表 2      昭和44年7月28日 A体育教師の教師仲 1次産業12次産業

間における立場 男 女

29 13 劉有

1.他教科の教師        頻数と同じであると         %思う

12ilgl2・3

71.4    67.6

2働科の獅lil・

に比べて高い

       2.4        1 i

2  0 5.9

       1 3.軽視する傾向1

がある

161417 1

  1  L

23.8 23.5

   13次産業i公務員 男 女 男 女

57  19  75  30

35D3162i23

63.1    81.0

・12 51・

11.8 9.5

  

41 計31

81 女11 女48 勇19 男ア

3 39

76.4 2

一」5   5

141 u8・1228

71・・P76・・173・。

151・

25.0

16 奄№「5

8・1P…i8・・

8D137139 117 156

8・618・・ P 19・・115・・Da・}

       il・i

       。ll。1・

       2ill3       ・1・

      1  0   (回答のない数)

       2・4 2・ 9  0 1・0  ° O・・1°・91・OI

      −一一一一 一一一一一一一一一一 一一一一一      一一__一__1

 体育科の重要性を説え,これを奨励した者も多かったが,他の教科と比較した時に特殊 な教授の場と知識偏重の教育思想は,体育科の価値規準を低調にしたのではないか。特に

「学問は財産である。家に不学の徒をなからしむ」読書算の学制発布の時代思想は,出世 主義と相まって体育に対する認識を少なくしたものと考えられる。

 この調査では,一般父兄が体育教師に対して抱いている考えを聴取したものである。

(他教科と比較する形で項目を設定し体育科と体育教師の立場を問うことには,疑問を残 す)過去に各自の接した体育教師の個人の性格や人柄に左右されたり,自己の体育経験や 進学問題など多義多様な解釈が含まれた回答となったであろう。

 父兄の回答は,表面的な事がらとして「勉強がよく出来る」という受け止め方から指摘 したものも多いのではないかと考えられるが,たとえ教師集団の回答の場合とは問題意識 に差異はあるとしても,体育教師として考究すべき課題を多く含むものである。

 a,職業種別にみると

 「他教科の教師と同じである」と思う傾向については,公務員,無職,1次産業の順に 高い傾向をもっている。「軽視する傾向がある」については,これと相反する傾向をみる ことができる。

 これは教師に対する勤務評定的な面と,教師としての適正のようなものに対する得点と 知識,進学,学歴の偏重から生まれた社会病理的な側面の影響が多いと考えられる。即ち

(7)

大西 体育の社会学的研究課題 209 入学試験制度,社会通念,教育的既成観念には牢固として抜き難いものがある。

 すでに各所で述べてきたように,前者は教師個人の責任に属するものであり,後者は教 科群における体育科の位置づけの問題である。ことに身体活動を中心とした体育科は,他 に類を見ない特殊な教科として教科内の位置づけと価値判断がなされて,回答者に影響を 与えていると考えられる。

 公務員の81%は「他教科の教師と同じである」と答えているが,これは官公庁勤めの各 人の勤務,職域,生活の実態から生まれた評価であり,無職の76.4%の回答も同様の傾向 によるものと推察した。

 「軽視する傾向がある」18%は,体育教師に対する警鐘と考えて然るべきであり,体育 教師の勤務評定(勤勉,研修,適正,管理運営,協力)と個人の人格や生活態度に起因す るものが多いと考えている。特に3次産業に類する職種で25%の高率で軽視する傾向を示 したことに着目すべきである。

 b,男女性別にみると

 「他教科の教師と同じである」という傾向は76.3%で女子に多く,他教科の教師が教師       8)

集団の中でとらえた体育教師の位置の傾向と同様であった。

 「軽視する傾向」はこれと相反して19.7%で男子の方が高い。「他教科の教師に比べて 高いと答えたものは男7.9%,女8%でほぼ同率であった。

 B 一般社会が見る体育教師の位置

 前項「A,体育教師の教師仲間における位置」に対する回答は,回答者個人の主観的立 場によるものであった。ここでは社会一般に見られる傾向としてどんなことが考えられ,

言われているかについて,社会人として客観的解釈の立場からの観察によって,どのよう な解釈がなされているだろうか,これが設問の趣旨であった。

 1.教師集団における体育教師の位置

  表 3      昭和44年7月28日

B一般社会が見る体 育教師の位置

1次産業

;劉畜

20 9 69

頻数%

育しとの,同 は認教い体識師る 会性科見人をのて 社要教に

゜重他じ

2.他教科の教師よ り高くみている

il・

2.4

3.知識尊重的傾向i がまだ根強く体育 教師を他教科教師

より低く見る

sl4

28.6

2次産業 3次産業1公務員 無職1 総

劉奮劉畜

17 2813

58、8    53.9

・i・「2

8.8 7.9

1・1 u・・}・

 32、3    38,1

男誌1男t姦

42 19

58.1

2 32

61.8

4Ll 1。

4.8 1.8

27!9 4 12

 1 __匿 34.2    29.1

男  女  計

196   114  312

1。97・ P185

     1

51,1  66。6 i59.3

,31316

・・62・・ P5・1 74 i3・11。4

3・・4126・3 i 33・ 3

(8)

(回答のない数)

0 O 0 2・9t 7・3

215i・

1・・4・・t2・2

 傾向としては「A,体育教師の教師仲間における位置」と同様の結果が予想されたが,

さきの「他教科の教師が見た体育教師の位置」では,教師集団という階級的職業的な同族 意識が先入主となって存在し,社会人として客観的解釈の立場に制肘を受けたものと考え

られるのではないかという考察がなされた。

 ここでの父兄の場合は,一般社会の支配的な考え方に左右されたものとして解釈できる であろう。

 「1,体育の重要性を認識し,他教科の教師と同じに見ている」については,教師に対 する社会的評価や期待する教師像のうえに体育教師を描くものと考えることができる。

 従ってこの回答では,教師に対する社会的地位の一般的な要請を基調としていると思 う。しかも教師に対する社会的,経済的な面からの観察と,教師はどんな抱負をもち社会 は教師に対して何を望むかという点で回答するものと考える。

 次は体育の重要性を社会が認識し,それに関与する教師としての体育教師の立場を考え ることができる。従ってこの回答では,学校における体育科の面と社会体育の面と,なお 生活レジャーに関連した存在で理解するなど多面的な解釈が予想される。

 「A,1.他教科の教師と同じ」に対する回答が73%であるに対して,ここでは59. 3%

と低い傾向を示している点から考察すると,設問の前段である「体育の重要性を認識し」

という点では,体育教師に対する社会通念による牢固とした抜き難い教育的既成観念とし て社会一般の評価を形成しているためではなかろうか。

 「3,知識尊重主義的傾向がまだ根強く,体育教師を低くみている」に関しては33%の 回答があった。これは「教師仲間における体育教師の位置を軽視する傾向」の18%に比べ ると相当高度な傾向を現わしている。

 この点でも前項と同様に進学制度,体育に対する社会通念,知識尊重主義的な教育観に よるものと考えられる。

 職種別では「1.体育の重要性を認識し他教科の教師と同じにみている」では,1次産 業69%の最高から最低は3次産業53,9%であり,性別では女子66.6%で男子の55%より高 く「3,知識尊重主義的な傾向がまだ根強く体育教師を低くみている」では,最高は3次 産業38.2%から最低1次産業28.6%であり,性別では男子37.4%で女子26.3%と相当する 傾向を示す結果となっている。ここでも職種や性別による教師に対する社会的考え方の特 徴があると云うことができようg

(9)

大西:体育の社会学的研究課題 21T  以上では,体育教師に対する社会的認識と体育や身体活動に対する一般社会の歴史的,

伝統的教育観の傾向を示すものとみられる。

 教育内容の現代化,入試制度,保健体育の漸新奇抜な実践教育その他,体育に対する教 育的認識を新にする努力と,スポーツやレクリエーションなど社会体育の面で果す機能や 組織を整備し,合理的合目的化する努力をすべきである。

 同時に体育教師自身の研修と努力によって自己啓発し,教育の本質に迫ってはこれを現 代化し体系化する責任を負うべきである。

 2.体育教師像

 一般社会人あるいは父兄は,体育教師に対してどのような見方で現在の教師像を描いて いるのか,また,現在における新しいタイプの教師像はどのようなものであるかに関して 答えを求めた。

 さきに一般教師が体育教師に関して「現代の体育教師のあるべき姿がどのような受け止 め方をされているか」について若干の考察を試みたが,ここでは父兄が①描いている(考 えている)体育教師の型はどれが多いように思うか②体育教師に対する要求としてどれが 望ましいと思うか③教育者としての人柄,教育者としての考え方について賛成できる事 柄(理想とする教師像のあり方)について三つの角度からその実態を知ろうとした。

 これは解答する父兄が一般的な見方として,いま描いている(考えている)体育教師に 対する位置づけを試みようとしたといえる。

 従ってここでは,父兄一般が現在の教職に対してどのような「教職観で臨んでいるか」

(現状における教師)「伝統的な教職観に対す批判」(望ましい教師) 「伝統的な教師像は 捨象されなければならない」(現代教師の理想像)についてその実態を知ろうとするもの

である。

 教育者(教師)も社会人であり,社会の一員として生活する。教育労働者であり,公務 員であるという現代的思考にたった見解が回答の基礎になっていると認められる現状にお いて,社会構造の変化と教師像の変ぼうについてどのようなとらえ方をしているか興味の あるところである。

1.体育教師の型

 一般に体育教師に対する見方として,いま描いている教師像を位置づけようとしてい る。ここには感情的なものも,批判的なものも含まれているであろう。そして体育教師の 日常の行動や態度に対する評価もなされているとみることもできる。

 現代の世の中では,現実の政治とか社会構造の変化などによって教育者の職業(教職)

に対する考え方に影響を与えることも多いと考えられる。

(10)

2.体育教師像

 表 4 昭和44年7月28日

1.体育教師の型

「1次産業

「男女

!29  13

1. どうせ一生懸命やっても,給 料は同じだし,自分の地位もあ  がるわけではない

2.勤務だけは休まず,自分と直   接関係のないことには余り深   入りしない

3.自己の権利を主張するために   普段の勤務も適当にやってお   く

4.自分のためになる(得をする)

  と思うことは,精出して参加

  吏る   一.一.F.

5.自己の欲求を生徒やクラブに   打ちこんで献身的に活動する

1//2

4/

/1 o/

/o

1//1

/1/22/2/

2/

/2 ll/

/12 o/

/O

/6 1/

12次産業3次産業

器陛

2/

/o 0/

/0

男i畜

6.何よりも生徒のため教育のた   めに献身的に奉仕する /119/

2/

/4 1/

/2

5/

/4 1/

/O o/

/O

O//O

3//2 5//2

/2 0/

/6 1/

2/O/1/

/2/O/8

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/13 8/

/2 13/

/9

/2 1/

1/

/1 27/

/17

/0 1/

7//8

8//6

16/17

^

公務員

男1誌

/2/23/O/

10/5/

/8/3

/31/22/O/

1//1

/10

5/

28/

/28 10/

/9 24/19/

/2創/9

無 職 男 女 7 43

1//0 0//0

2/

/0 10/

/6

3//2 o//o

/2/40/1/

鬼▽刀 13/

/21 19/

/10 12 )

l

ハ」(

12/

/10 43/

/27 11/

/20 13/

/29 110/

/119

川//86

L璽答のない数)夕♂ノ跳/ノぎ夕傭鮒傭%

      2つ選んで順位をつけた(第1位/第2位)頻数  あなたが描いている(考えている)体育教師の型には,次のどれが多いと思いますか,

2つえらんで()の中に順位を記入して下さい。という質問に対して,献身型「6,何 よりも生徒のため,教育のために献身的に奉仕する」積極型「5,自己の欲求を生徒やク ラブに打ち込んで献身的に活動する」と答えたものが圧倒的多数を占めている。

 次で,消極型「2,勤務だけは休まず,自分と直接関係のないことはあまり深入りしな い」利己型「4,自分のためになると思うことは精出して参加する」逃避型「3,自分の 権利を主張するために普段の勤務も適当にやっておく」諦め型「1,どうせ一生懸命やっ ても給料は同じだし,自分の地位もあがるわけではない」と続いて頻度を示している。

 その結果は,教師集団か体育教師に対する位置づけとほぼ同傾向のものであったが,そ の時に回答のなかった数の部分が,今回の消極的な傾向の頻度として回答されたところに 問題点が指摘されるであろう。

 利害得失や義務権利から離れた教育愛の発露としてみる見方と,いわゆる現代的センス で理解しようとする仕方(精神労働者,サラリーマン,勤め人としての社会人)で描かれ る教師の像を型づくる点で一致する事は不可能であろう。

 教師の社会的地位,経済的条件から観察する面と,教育の面で社会が教師に要求し期待 することと一致することが困難な実情を検討すべきであろう。

(11)

大西:体育の社会学的研究課題 213

2. 体育教師に対する要求

 体育教師の教師仲間における位置については,他教科の教師と同様であることがわかっ たが,それでもなお知識偏重の傾向がまだ根強く,体育教師を他教科教師より低く見る傾 向は一般社会ではまだ多い。体育教師を他教科の教師に比べて特殊に考える考え方が残っ

ている。

 また,社会団体への協力や参加,推進など一般社会と密接した交渉を持っことも多く,

人間関係や生活態度,社会的活動など地域社会文化の啓発者としての期待など体育教師に 要求する事は多いであろう。

2. 体育教師像

  表 5      昭和44年7月28日

2.体育教師に対する要求

1.教師であるという誇りをもっ   て品位と威厳を保つこと 2.地域社会の運動文化発展のた   め卒先協力すること 3.相手の立場も考えた人間関係   をもつようにすること 4.責任ある行動と愛情ある指導   をもって,体育教育に献身的   に奉仕すること

5.創造的,科学的研究活動を積   極的に行なうこと

6.情緒の安定した常識人として   の教養を身につけていること

1次産業

劉畜

9/

/4 4/

/7 6/

/1 1/

/1

2次産業

器匿

15/

/5 0/

/1

3次産業

劉畜

3/

/7

22/

/8 o/18/

/1/8 /0

/7

/O 1/

/1 1/

11//8 2/

/5

/5

9/ 2/

/1 3/

/10

5//1

3/

/5

/0

/2 2/

/o

/3 1/

3/

/4 1/

/4

0//3

0/

/1

1/

/1

/7

/16 6/

14

^

4/

/6

5//7

公獺1無職 男1畜剛塞

20/

/11 8/

/15 9/

/0

2//5

3/

/O 1/

/1 14/3

^

5/

/7 /6

/0

/3

/9 3/

29/

/18 13/8

^

/8

/0 1/

1/

/5 5/

/14 1/

/6 3/

/8 3/

/1 22/

/9 /3

/O O/

0//9

3/

/13

人31)2

103/

/34 35/

/57 15/

/37

1H//78 19/

/28 21/

/62

       1/

       2/

       4/

       0/

       1/

       o/        0/

       8/

      0/

      0/

      0/

   (回答のないi数)       /2

      /0

      /O       /0

      /2

      /7

       /16

      /1

      /O       /2

      /2

       2つ選んで順位をつけた(第1位/第2位)頻数  あなたが体育教師に要求するとすれば,次のうちどれが望ましいと思いますか,2つえ

らんで()の中に順位を記入して下さい。という質問に対する回答のまとめが表.5で

ある。

 これによると第1位の項目順では「4,体育教育に献身的に奉仕すること」次で「1,教 育者として品位と威厳を保つこと「2,地域社会の文化発展に協力すること」が上位を占め 第2位の項目順では「4,体育教育に献身的に奉仕すること」「6.常識人としての教養を 身につけること」「2,地域社会の文化の発展に協力する」という順で上位を占めている。

 この結果は,教師集団が体育教師に対する希望や,教師自身が要求し,観念的に描いて いる教師像と同様の傾向をみせている。

(12)

 これを要約して表現すれば,一般社会人が体育教師に要求する教師像は「責任ある行動 と愛情ある指導をもって,体育教育に献身的に奉仕することである。そして,教師である という誇りをもって品位と威厳を保ち,地域社会の運動文化発展のために卒先協力するこ とのできる教師であり,かつまた,情緒の安定した常識人としての教養を身につけること が要望される」ということができる。

 最近では教職の近代化が叫ばれている。然しここで考えることは,教職の近代化が勤務 条件や経済条件の方向に重点がおかれすぎて,教師という責任と教職という使命の考え方 が従になる危険はないかということである。勤務条件や教師の給料は適正でなければなら ないが,そのことによって教師の責任や使命が少しでも捨象されることがあってはならな

 10)

い。

イ).責任ある行動は,教職の使命の尊厳と教師の責任の重大さを真に自覚した時に生ま れる。このことは,自己の主体性を回復し確立することを必要とするのが現状であると言 えるだろう。

 教育愛は「暖かい献身によってなすけれども,気ままな甘やかしやなげやりな気持でな すものではない」といわれる。それは子どもの発展の無限の可能性を見つめ,基本的人権 の尊厳を認めたり,子どもの成長のほかは求めようとしないことではなかろうか。愛情あ る指導は,第1に子どもの事を考えることであり,子ども全体のことを考えることであろ

う。

 要約すれば,教師の責任の重大と教職の使命の尊厳を自覚し,時流に媚びることのない 主体性をもった教育を確信をもって実施すること。そして社会的身分や職業としての性質 から生まれたものでない魂の実践から生まれた教育愛によって,毅然とした指導が行なわ       11)

れることを要求している。

ロ).教師であるという誇りは職務の自覚から生まれる。教師の人格が,教育効果につい て決定的な意味をもつことは事明のことである。教師にも個性がありそれぞれ個人の生活 がある。個人の生活は守られなければならない。しかし,個人の生活の充実は,その仕事 に対する熱意によってなすことが出来るのであり,教職に対する自覚と教育に対する熱情 は,教師の仕事と生活に誇りを与え品位を衿持する結果となろう。

 教師としての立派な人格は誰もが求めるところである。同時に知性,教養,専門性もと もに具備することが必要である。教育は自己を変革することによって,相手を変革させ向 上させる。したがって,教師の日々の研鐙と向上努力が要求されるのである。

ハ).教師の権威は,教師の具備する実力から生まれるものである。外的な職務上の権力 は教師への崇敬という東洋的な伝統的精神が,内的に承認された権威の形となって個人に

(13)

大西 体育の社会学的研究課題 215

も社会にも希望されて来た。

今日では教職も近代的感覚によって俗化しようとするのではなく,ほんとうの人間開放        12)

への近代意欲と結合するなかで,内的本質的な権威を保持造成して行く必要があろう。

 権威の形は多種多様であるが,学問知識の専門性,倫理道徳の価値基準,技術や指導性 の獲得,啓発性や身体的優越などさまざまな角度から生まれながらも,絶対的自由の中に おかれたものでなければならない。

 教育者と青少年との間における権威を,絶えず新に獲得して行くことは教育者の義務で

ある。

 5. 教師の理想像

 現代教師像を描こうとするとき,教師の「教育者としての人柄,考え方」において同調 できる事柄を選び出して,父兄が期待する教師,父兄が望む教師の姿を求めようとした。

 あなたが教師全般に対して「教育者としての人柄,考え方」の次の項目に賛成するもの があれば,2つ選んで()の中に順位を記入して下さい。という設問に対する回答のま

とめが表,6.7である。

 3.教師の理想像

 A,教育者としての人柄について

  表6      昭和44年7月28日

A.教育者としての人柄   について

1.人間味のある人

2.謹厳で実直な人 3.実力があり信念  をもった人 4.人情味の豊かな

 人

5.教育愛ひとすじ  の人

6.潔白純真な人 7.威厳と権威のあ  る人

8.親しみやすい人

(回答のない数)

(愛情)

(実直)

(実力)

(親切)

(愛情)

(実直)

(実力)

(親切)

1次産業

劉畜

/3 4/

/6 9/

3/

/1 12/

/6

/0 1/

/2 5/

2次産業3次産業

器有劉畜

12/

/4 1/

/2 11/

/8

0//4

ロレ/3

/4 2/

/2 2//4

o//O

/1

/1 1/

/ー

/5 0/

/Q O/

/2 0/

0/

/5 1/

/2 2/

/3 2/

/2 1/

/0

1//1

0/

/1 3/

/1 0/

/0 o/

/0 27/

/12 7/

/1 17/

/19 1/

/1

/7 3/

0//5

/0 0/

0/

ノ0 0/

/1 o/

/0

1//5

1/

/6 o/

/1 6/

/4 2/

/0 8/

/6 o/

/4 2/

/3 0/

/0 1/

/0 1/

/1 O/

/1

公務員

劉畜

25/

/19 1/

/3 29/

/31

/7 5/

7/

/7

/2 1/

1/

/1 16/6

^

0/

/0 10/

/13 2/

/5 1/

/2 0/

/2 0/

/o /o

/3 2/

4/

/2

/2 0/

無 職

男i畜

2/

/1 1/

/o 2/

/1 0/

/1 1/

/1 0/

/1 0/

/1 o/

/1 1/

/0 24/

/3 3/

/3 12/

/16 3/

/6 3/

/6 0/

/1 0/

/0 2/

/10 0/

/3

鴇81剤9t,

75/

/42 13/

/7 71/

/65 8/

/17 13/

/24 2/

/10 5/

/11 5/

/17 6/

/5 51/

/17 6/

/4 38/

/38 6/

/18 7/

/13

/4 0/

/1 1/

5/

/13

/6 0/

126/

/59 19/

/11 109/

/103 14/

/45 20/

/37 2/

/14 6/

/12 10/

/30

/116/

(14)

      2つ選んで順位をつけた(ng 1位/第2位)頻数  これによると第1位の項目順では「1,人間味のある人」(愛情)「3・実力があり信倉を

もった人」(実力と信念)となり,第2位の項目順では「3,実力があり信念をもった人」

(実力と信念)「1.人間味のある人」(愛情)「4.人情味のある人」(親切」となってい

る。

 あまり同調されない人柄として第1位の項副1頂では「6,潔白,純真な人」(潔白)7,

威厳と権威のある人」(威厳)となり,第2位の項目順では「7,威厳と権威のある人」

(威厳)「2,謹厳実直な人」(実直)「6,潔白,純真な人」(潔白)があがっている。

 これを要約すれば,教育者としての人柄においては,実力と信念をもち人間味をもって 教育に専念するものが教育者として最も望ましい人物である。

 権威や威厳を振りまわし,肩を張って威ばったり,潔白純真,謹厳実直で融通性のない 堅い一方の人物は現代教師としてあまり望まれないと言うことである。

 3. 教師の理想像

 B,教育者としての考え方について

  表 7       昭和44年7月28日

B.教育者としての考え方 1.教育者である以上献

身的に奉仕すべきであ

2 教育者としての自覚 をもって日常生活や仕 事を律すべきである 3 教師も人間であり社

会人である安定したゆ とりのある生活は保障 されるべきである 4.教師も労働者である

勤務時間や労働条件は 保障されるはずである

(回答のない数)

(奉仕)

(聖職)

(賃金)

囎)

1次産業2次産業3次麟公獺

.塁割器1竃膠圏男1畜

7/

/1 14/

/9 6/

/13 o/

/6 2/

/0

1//2

9/

/2 2/

/5

8/0/17/

/5/0/3

6/

/2

%レ♂御ポ

5/

/10   1

0/i13/

/2/23

0//2 2//3

/4 1/

O/

/0 0/

/2 0/

/o 1/

/13

1//4

/9 2/

/4 1/

o/

/1

9//6

35/

/17 22/

/27 5/

/19 4/

/6 4/

/4 無 職

男1姦

8//5

/2 3/

/4 2/

14/3

^

7/

/14 2/

/1 23/

/8 14/

/15

轟8略4鳳2

44/

/17 91/

/54 48/

/74

8//41

61 1/

0/

/9 2/

3/

/0

o//o

2/

/8 7/

/12 19/

/13 60/

/16 25/

/45 5/

/31 5/

/9

151/

/70 73/

/119 13/

/72 12/

/21       2つ選んで順位をつけた(第1位/第2位)頻数  これによると第1位の項目順では「2,教育者としての自覚をもって日常生活や仕事を 律す(聖職)「3,安定したゆとりのある生活は保障されるべきである」(賃金)「1,献 身的に奉仕すべきである」(奉仕)となり,第2位の項目順では「3,安定したゆとり のある生活は保障されるべきである」(賃金)「4,勤務時間や労働条件は保障されるはず である」(労働条件)「2,教育者としての自覚をもって日常生活や仕事を律す」(聖職)と なっているg

(15)

大西:体育の社会学的研究課題 217

 あまり同調されない考え方としては,第1位の項目順では「4,勤務時間や労働条件は 保障されるべきである」(労働条件)第2位の項目順では「1,教育者である以上献身的

に奉仕すべきである」(奉仕)の考え方があがっている。

 これを要約すると,教育者としての考え方においては教育という聖職に従事するものと して,職務や日常生活にはっきりした自覚をもち,その態度や行動を律すべきである。然 し教師も人間であり,社会人であるから,ゆとりのある安定した生活を保障されるだけの 賃金は支払われるべきである。

 また,教育者であるがために献身的に奉仕するという考え方や,教師も労働者である,

労働条件は保障されなければならないという考え方が職務と生活の面で考えられている。

 Aでは教育活動を中心とした面から,教師の人柄をみたものと考えられる。そこでは

「実力,信念,人間味」がとりあげられ「威厳と権威,謹厳,実直」があまり望まれてい ない。人柄というものは,ただ真面目に謹厳な態度であればよいというものではない。

 教師は何よりも豊かな知性をもつことであり,教師は絶対的な知識の権威者でなければ ならないであろう。そのためには人格の陶冶と研修努力が望まれる。そこで教師としての 実力と専門家としての価値が生まれる。

 人間を本当に大切にすることを知り,人間の創造発展の可能性を信じて,教師自らが自 己を見つめ,おのれを変革向上させることによって,現代の人間疎外の空間を埋めること         18)

ができるであろう。

 教育は愛の媒介を前提とするといわれるが,それはずっと次元の高い互に生きた愛情が 人間全体に向けられたものであろう。1人の人間味のある個人が他の個性を包む愛情であ

ろう。

 信念をもって教育に専念するためには,権威もまた必要である。それは権力ではない。

内に承認された権威と外形上や職務上の権力は混同されやすく,真正な権威の崩壊よりは 権力の崩壊の方がずっと問題にされる事が多い。権勢欲の強い教師は教職にむかないであ

ろう。

 今日のような生活形式のもとにあっても,真の権威が青少年に是認される事はあり得る のであって,彼等が真の権威を自ら認めるとき,教育はより効果を発揮できるであろう。

今では役職それ自体が権威であるようなことはなくなったが,職務上の権威でなくて人間       14)

的な信頼による場合にこの事が言えるであろう。

 Bでは生活々動を中心とした面から,教師の考え方をみたものである。そこでは「教職 を聖職的な要素でとりあげ,倫理的道徳的な生活行動を期待している」傾向がみられる。

これは伝統的な教師に対する要求というばかりでなく,現代の社会においても教師の与え

(16)

る影響が大きい事を十分知っていて教師に期待するのである。

 浜田正秀氏はその訳書で「真の人間教育者は,教育的でない生活共同体を教育的な精神 で満たし,あまりにも教育過剰な生活共同体はこれを和らげる傾向をつねに抱いていると いえるだろう。……教育者が自分を信頼している人々のなかで充実した成熟した人間とし て自由に動けるほど,その窮極の目標とされている人間的なものが,彼の周囲に自由に拡       15)

がるだろう。」といっている。

 全国小学校長会(全国連合小学校長会,会長高橋早苗,東京築地小校長)の調査による

「父兄の望む教師像」については,違ったタイプの教師の一組のうち,どちらがよいか,

父兄の考え方をただした。まず教師の人がらについては,「親しみやすく,人間味のある 先生」と,人間教師を望む声が,ずば抜けて高かった。

 「まじめ,謹厳」といったいわば戦前型の教師が,どちらかといえばきらわれている。

 教師の考え方,生き方となると「聖職意識の高い先生」が「労働者意識の強い先生」よ りも,87%対13%の割合で圧倒的に高かった。「きびしい先生」68%に対して「やさしい 先生」32%と,きびしさが高く求められている。

 「教師自身はどう考えるか」全体を通していちばん多くの教師が答えた点を拾いあげる と,教育の目的については「児童それぞれの能力を最大限にのばす」また児童に対する姿 勢は「児童の才能や個性を見つけ,育てる」「すべての児童にわけへだてなく愛情をそそ

ぎ,よき相談相手に」というものが多い。

 子どもの父兄や社会に,どんな態度で臨むか。これには「教師も人間であるとの立場で 豊かな人間性をもって接する」がもっとも高い。父母の側には聖職教師を望む声が高かっ たが,教師の方からは「教師も人間である」との答えがはね返ってきたわけである。

 「期待する教師像」については,父母と教師の意見をつきまぜて,同小学校長会は望ま しい教師像をねり上げた。その骨組は「教育の使命感を強く自覚する教師」「人間性豊か な,教育愛ひとすじの教師」「実力と信念を持ち権威ある教師」の三つである。どちらか といえば,労働者としての顔は影がうすく,聖職あるいは専門職としての顔が前面に押し       16)

出されている。

 聖職意識の強いことが労働者意識の強いことよりも強く望まれる声の高いことがわかっ たが,しかしなお,教師が身銭を切り,生活を犠牲にしてでも教育に献身奉仕する考えは 納得されるものではない。そこには当然のこととして,勤務時間や労働条件が考えられな ければならない。

 本稿においてもしばしば述べて来たように,教師もまた一般社会人としての生き方や考 え方が認められるから,そこには勤務時間や労働条件や,安定した経済生活が当然考えら

参照

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