戦後におけるアメリカ農業教育の変化
永 島利 明*
(1998年10月6日受理)
Changes in Agricultural Education in USA after the Second World War
Toshiaki NAGAsHIMA*
(Received October 6,1998)
はじめに
日本では偏差値体制により農業教育を偏見で見る人を多くしたのではなかろうか。しかし,農業 教育は人間の生存に欠かせない農産物に関係しているから,重要性は不変である。だが,食物の生
産過剰という問題により,この教育も大きな変化をとげざるをえなかった。この研究はアメリカの農業を担当している教師が発行している「The Agricultural Education Educa一 tion Magazine」の1997年11・12月合併号を参考にしながら,同国の農業教育の変化を指摘しつつ,日 本の現状と可能な限り比較したものである。
女子生徒の学校農業クラブの参加
アメリカにおいては1917年のスミスーヒューズ法により初めて法的な補助が始まった。この法律に は「(補助する)農業教育は現在や将来の農民のために適用するべきである」と厳格に定められてい
た。したがって,自営者農民を目指す教育にのみ助成が行われた。この法律はその後,職業教育法
と改称され幾度か改正されたが,その基本は1960年代までは大きくは変わらなかった。1963年の職業教育法は農業教育の定義を,農場だけに限定せず,生産・加工・流通およびそれらに関連したサー
ビスと定義し,より広義の農業教育の補助をすることができるようになった1)。
1907年マサチュウセッツ州のスミス高校でスティムソンが自営農をめざす生徒のために「未来のア メリカの農民」(FFA=Future Farmer of America)を初めて組織した。この組織は全米に広がったが,そ
れに参加できたのは男子生徒だけであった。女子生徒は女性解放運動が盛んになる1969年まで加入
できなかった。この組織は農民を目指す職業のたあの農業教育(以下職業農業教育という)に必要な*茨城大学教育学部技術科教育研究室(〒310−8512水戸市文京2−1−1;Laboratory of Technology Educa一
tion, Faculty of Education, Ibaraki University, M量to, Ibaraki 310−8512 Japan)
役割を果たしていだ)。日本ではアメリカのFFA活動と同じ活動を学校農業クラブと言っているので,
この論文では日本のこの活動を学校農業クラブという。
テネシー州ではFFAの入会規則が変わり,女子が参加できるようになると,農業教育を受けるも のが増加し,教師が不足し,無免許の教師を採用し,夏休みの講習会や夜学に通学などをして教員 免許証をとらせる程であった。しかし,FFAの参加は自由であり,最近は農業教育を受ける生徒が
増加しているにもにもかかわらず,減少している。1960年代は2万人も組織していたのに,最近は約 12,000人であるという。それはのちにのべるようにアメリカの家族の変化の影響を受けているから であろう。また,ペンシルバニア州では選択の農業教育を行うと,履修する生徒は増えるが,FFAの 参加者は減少すると報告している3)。生徒の変化
生徒は大きく変わった。コネチカット州では,1960年代の前半頃まで生徒は農家の出身で,男子で 農業で働く経験をもっていた4)。しかし,現在は以前よりも農業の経験,動植物に関する興味も少な
く,農家の出身は少ない。男女ほぼ同数である。生徒の質も多様化し,学力があり,学ぶ喜びを知
っている。コンピュータの操作も上手である。一方では,伝統的な家族観が崩壊し離婚が増え,単身や再婚による家族構成の変化の余波をうけ て,一人でアルバイトをして生活している生徒もいて,FFAもその影響を受けている。自立するこ とが早くから求められ,FFA活動をする生徒が1970年代と比較すると,1990年代は4割も減少してい
る州もある。このように高校の生徒の抱える問題も以前とは違い,学校較差がある。教育課程
アメリカは各州で異なった教育をしているので,一様ではない。しかし,ある程度同じ傾向をも
っている。1970年以後農業のビジネスに関するものが増えている。それは1963年の職業教育法が予想したことであった。農業生産に関する授業は減少している。現在女子が増えたことや需要の増加に より,園芸が多くなり,温室が教育施設として果たす役割が多くなっている。環境や屋外の自然管
理もカリキュラムとして加わっている。かっては農場経営が多く教えられていたが,生徒の関心が変わり,現在の重点はマーケッテイグ
やセールス等の農業ビジネスに重点が変わっている。農業機械はあまり変化していない。しかし,機 械が時代後れのものがあるのが問題である。テネシー州の場合,教育課程は1950年代には4つしかなかったが,1997年には25もある。農業生産 から水耕栽培まで非常に多様化している。時代が変化して草花園芸,農業機械,林業,屋外生活,水
耕栽培を学ぶ生徒が多くなっている。テネシー州にある高校は大学にはいる科学の単位として認め
られる農業科学を履修するものもいる。
ペンシルバニア州の例では乳製品,豚牛,土壌,穀物等の伝統的な学習のほかに,電気溶接,ガ
ス溶接,電気配線,木工,トラクター,設備の修理など,電気や機械の技能が重視されるようにな ってきている。農業教育と工業教育の境界が接近している傾向がある。どの州でも情報機器が重視
されているのもその典型的なケースである。施設設備の変化
農業科の男の部屋は生徒がいなくて,鍵を掛けられているところもある。ネバダ州では多くの学 校では温室,水耕栽培装置・タンク,農業科学実験室,コンピュータ室,芝生風景実験室,小動物
飼育施設がある4)。学科はコンピュターを持ち,インターネット,農業データ,または,他のプロバイダーとつながっている。もちろん,日本にも同じ傾向が見られるが,長崎のある農業高校の先生 の話であるが,管理職からコンピュータを職員室で操作している教師が良く評価されており,栽培
をしている教師は評価されないという5)。良質の農産物を生産できるということがコンピュータの存 在価値を高める前提ではないだろうか。大抵の教師が授業用電子機器を使いこなせるようになった。スライド,OHPだけではなく,ビデ オやCDを使うようになった。複写機により拡大,縮小,頁付け,ホチキスによる製本ができるよう になった。複写機の使用は我が国でも行われているが,機械が高価なため,ホチキス製本はあまり
行われていないようである。周知のように日本では手作業によるホチキス製本は多い。学外実習体験
学外実習体験は生徒のニードにより,大きく変わり,複雑になっている。昔の生徒は農場で実習 するだけの単純なものであったが,例えば,ネバダ州では現在は獣医の診療所,ゴルフコース,食 料品店,ペットショップ,ウエスタンクローズ店,食品コンビニエンスストアー,スキー場,狩猟 ガイドまである。茨城県の農業高校では北海道の修学旅行で酪農経験をしているという報告がある
が,アメリカと比較すると,単純なようである。しかし,もっと驚くべきことは生徒自身が芝刈り,羊の飼育,溶接,エロチックな動物の飼育,養
魚を小さいビジネスとして経営し,生産会社に育てようとしていることである。日本の農業高校生
には生徒が経営者になるという発想は,まだ,少ないようである。しかし,1989年の学習指導要領で
「農業経済科」がもうけられたことは,農業高校生の進路先として販売の占める割合が大きくなった ことによるであろう。例えば,次の生徒が学校農業クラブで発表した希望はそれを物語っている。猿 島農業高校の女生徒は生活科学科に在籍して演劇をしているが,就職は販売業にすると発言6)してい る。ただ,日本には生徒が自分で小企業を経営することは,まだ,ないようである。
日本でも産物を売ってそれが学校の予算に還元されるため,生徒が実習を多くせざるを得ないと
いう実態があった。そして,一部では,生徒が実習製品を販売するということもあった。アメリカ
のような発想で小企業を経営するという形をしたらどうなるであろうか。その経営が成り立つであ
ろうか。興味のある問題である。偏差値体制の中で,学力の低い生徒が農業高校に入学すると一般
に言われている。しかし,実際に経営ができるとすれば,農業高校の評価を大きく変える可能性を もっているともいえよう。経営で問題解決や意思決定の能力が与えられなければならないのはいう
までもない。日本の農業教育にもこのように生徒が収益を上げるような実践が戦後にもあった7)。例えば,1952 年,大分県日田郡東有田村立中学ではクヌギ,柿,桧の育苗をして収益を上げ,その利益でピアノ,
テープレコーダー,職業科「工業」の手工具家庭科の調理用具・ミシンなどを整備した。神奈川 県津久井郡牧野村立中学では1950年頃「アンゴラ兎の飼育」をして初期には輸出をして,円安レー
トのため,順調であった。しかし,1948年1ドル・360円の単一レートが決められると,輸出不振にな り,教師と生徒の重労働により約1000羽の兎をかかえ,その処置に困り,終末を迎えた。我が国の場合,生徒の労働力は無償で奉仕労働であった。彼等は「学校のため」無償の仕事をさ せられただけであった。このような考え方では生徒が小企業を経営するという発想は生まれないで
あろう。
終わりに
日米で決定的に異なるのは,1960年代末期から女子生徒が農業教育を受けるようになり,生徒数が
増加し,従って,農業担当教師が増加したことである。これはフェミニズム運動の違いがあるよう である。アメリカの女性は男の伝統的な仕事に進出することに熱心であった。農業の教師になるた
めに,訴訟を起こした大学の新卒女性がいた9)。一方,日本の女性学の研究者は女の伝統的な仕事に固執しながら,女性の地位の向上をしようと する傾向がある。それを反映して,日本の男女平等行政で女性が男の伝統的な仕事に入るような施 策を取っている都道府県は皆無に近い点からも,推察できる。筆者も会員である文部省生涯教育局 婦人教育課の委嘱研究である「男女平等教育研究会」の全国47都道府県および全12政令指定都市の
教育委員会および女性行政部局の調査では前者は45都道府県・全政令指定都市,後者は47都道府県,11政令指定都市から情報が寄せられた。
その中間報告書8)を読んで,女性の職業観を変えるために行われているのは,「家庭科の共修」く
らいで,独自性のあるものがきわめて乏しいと感じている。女性学は盛んであるものの,日本では 女性の職業の拡大をはかる研究をしないのが,主流となっている。この点は批判されなければなら
ない。「学問栄えて,性的分業滅ぶ」という状態ではないのである。一方,アメリカのテキサス州では教師の退職制度で「85規則」(the rule of 85)が適用されるように なった。この制度は「55歳以上,教職経験30年以上」の教師に100%退職の給付金が与えられるとい
うものである。このために,早期退職が行われ,農業教師の年齢が若返り,平均の在職権が短縮さ れるようになった。いわゆるリストラの進むアメリカで一部ではあるが,給与の高い教師を早期に 退職させることが行われているようである。日本では女性の農業教師の採用が進まないうちにこの
ような状態が進行しているのは,残念なことである。
注
1.永島利明r性差別の撤廃と教育一アメリカと日本』(筑波書房,1986),p.20.
2.Paul Byerley and John Todd, ℃hanges in Agricultural Education in Tennessee:1952−1997 ,ηεe
・48γjc挺伽rαJ E画c磁oηMα9αz功e, Nov.−Des,3(1997),4−5,
3.Steve Kline, ℃hanges in Agricultural Education in Pennsylvania ,ρρ. c .,16−17.
4。Tom Klein and Vermon D. Luft, The Past 25 Years Dynamic Changes in Agricultural Education , qρ.
d∫.,10−11.
5.著者が中心になって行った教育課程審議会に対する 「技術・家庭科における栽培を重視する陳情書」に 入れられた私信による。
6.森洋子「私の生きる道」(農クコード番号31007,年号なし,1996−97年と推定される)。
7.清原道壽r昭和技術教育史』(農文協,1998),pp.710−713.
8.男女平等教育研究会r生涯にわたる男女平等教育の在り方に関する調査研究中間報告書』(同会,1989),
PP.11−94.
9.永島,前掲書,pp.106−107.
10.Craig Edwards and August Wunder, Transitions in Texas:Are We Pushing or Pulling the Rope , qρ.
c .,21.