英語音声指導の問題点
英文学研究室 長澤 邦 紘
るようになるというような「熟練」の度合いは深まるか
はじめに もしれないが,その音声の質はいつまでも日本語音のぞ
現在の日本の英語教育に論いては音声面の指導が看過 れなのである。しかし,他方,この生徒の音声面の不活 されている,などというのはあまり一般的な見方ではな 発さ,発音の悪さの原因を,日本人一般にみられる言語 いかもしれない。LLなど音声器材の普及といういわば 音声への無関心,あるいは現在の受験体制に帰する考え 外的な条件と, oral}aura1 主義の導入といういわば もある。ある程度それらの原因も認めなければならない 内的条件によって,英語の音声教育は近年ますます だろう。しかし,言語音声への無関心ということで言え 充実の度を加えているというのが澄澄かたの意見であろ ば,中学一年生が入学当初,英語音声に対して多大の興
う。英語のクラスはさまざまな種類の口頭作業によって 味をもつという事実でその根拠は幾分薄くなる。生徒は,
埋め尽されている観がある。曰く, oral introduc一 少なくとも初めのうちは,英語音声に対して明らかに興 tion, oral composition, pattern 味をもっている。その興味を持続させえないのは,やは Practice ノ oral repetition㌢ P−P dialogueマ リ指導方法に問題があるからであろう。また,受験に発 T−Pdialogue ; choral reading, 音は関係ないから生徒の発音がよくならないという考え individual reading 等々。しかし,現実の生 があるが,これも,結局は,最後まで発音が改良されな 徒の姿を見た場合,これらの方法が音声指導の面で有効 いことから来る言いのがれ,あるいは議論のすりかえだ に機能しているかどうかは疑問の余地がある。たとえば, という感じが強い。やはり,音声指導が段階的・系統的 中学校の英語の授業に訟いて最も目立つことは,音声の に行なわれていないことが最大の問題であろうと思われ 面だけに限っていえぱ,口頭練習の際の生徒の不活発さ る。
と発音の悪さである。「不活発さ」は学年が上級になる 外国語教育において音声指導がなぜ重要かということ につれて度合いが大きくなるようである。また「発音の は,自明の理とされているところがある。しかし,こと 悪さ」も,もちろん,英語の習い初めの時期に関してい はさほど簡単ではない。英語音声指導をどこに向かって っていることではなく,上級学年の状態をさしていって 進めているのか必ずしも判然としない現状をみればそれ いるのである。 は更によくわかる。ことばに音声はつきものであるから 英語教育において音声を重視するという一般的風潮に とか,言語はまずなによりも第一に音声であるから,と もかかわらず,なぜこのようなことが澄こるのか。結論 いうような一般的な言い方からだけでは充分よい音声指 を先に言えぱ・日本の英語教育に澄いては,音声を段階 導法は生まれない。音声教育の意義,あるべき方向が常 的・系統的に教えるという考えがないということであろ に確認されながら実際の指導法が工夫される必要がある。
う。中学生が上級学年に進むに従って英語音を口に出す ところが現状はこの問題に対してあまりにも無自覚であ のをおっくうがる大きな理由の一つは,澄そらく,生徒 るように思われる。外国語教育(あるいは一般に言語教 にとって,自分の発音が少しずつでもより満足できるも 育)の中で音声面の指導が重要で微妙な部分を占める理 のに変っているという自覚がもてない,あるいはそう評 由は,音声というものが言語の有機的な一部をなしてい 価されないということであろう。英語の文字が早く読め るからにほかならない。音声を無視した統語,意味部門
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の学習は成立しにくいし,統語,意味部門を無視した音 次の言語材料を用いて行なわせる」とある。そしてその 声の指導も意味がない。確かな音声指導を抜きにした言 言語材料として,文,文型,語澄よび連語,文法事項,
語教育は学習者に潜在的な不信感を与え,他部門の学習 符号があげられている。このことを『中学校指導書(外 効果に大きな悪影響を一与えるであろう。誤った方向づけ 国語編)』によってより詳しく説明すると次のようにな と方法による音声指導の及ぼす結果は,生徒の発音を進 る。
歩させないということだけにとどまらない。それは生徒 第2学年に澄ける音声については,「第1学年に示 の当該言語の学習そのものへの意欲をそぐことにもなり, す言語材料に加え」る事項は示されていないので,第 ひいては,その学習者の母国語も含めて,ことばという 1学年に指導した言語材料についてはいっそう慣れさ
ものに対するゆがんだ認識を与え,順調にいけば得られ せるとともに,第1学年に示す同じ事項に属する新し るはずであったことばの世界,つ効は思考の世界の拡 い言語材料を指導すること降る§!
大を阻止してしまうことになる。 以下それぞれの「事項」についての説明が続くが,その 言語教育における音声指導の重要さがこのようなもの 内容が第一学年からあまり変化していないのが注意をひ であれば,英語教育に関しても,その音声指導の意義つ く。
けがしかるべくなされ,それに見合った方法が開発され まず,標準的な発音については,第1学年に訟いて るべきである。このような観点から,我々は,以下,現 指導した語の発音にいっそう慣れさせるとともに,新 在の音声指導の問題点を指摘し,そののち,英語音声指 しい語の発音も指導することになる。
導の一つのモデルを提案し,そのあるべき方向を示唆し 次に,文の抑揚についても,第1学年に指導した種 たい。 類の文における抑揚にいっそう慣れさせるとともに,
新しく感嘆文における下降調を指導することになる。
L 問題点のありか 第3に,文に澄ける基本的なくぎりについても・第 わが国の英語教育に診いて音声面の指導が段階的・系 1学年に指導した文型における基本的なくぎりにいっ 統的に行なわれていないということの意味を,学習指導 そう慣れさせるとともに,新しい文型における基本的 要領と教師用マニュァル1}を例にとりあげて明らかにし なくぎりを指導することになる。
たい。もちろん,言うまでもないことだが,これらのも 第4に,文に論ける基本的な強勢についても,第1 のが原因となって英語の音声指導が段階性・系統性のな 学年に指導した種類の文における基本的な強勢にいっ いものになっているということではない。学習指導要領 そう慣れさせるとともに,新しい種類の文における基 もその時代の言語観が生み出したものであれば,それは 本的な強勢を指導することになる。
原因というよりはむしろ一つの結果にすぎないと考えら 終わりに,語の第1次アクセントについても,第1 れる。 学年に指導した語の第1次アクセントにいっそう慣れ
させるとともに,新しい語の第1次アクセントを指導 1.学習指導要領 することになる。
「中学校学習指導要領」によれば,第一学年で取り扱 第三学年に関する記述もほぼ同様で,新しく加わるもの うべき音声の「言語材料」は次のようになっている書) は,付加疑問文の抑揚,新し蚊型降ける基本的なく
⑦ 現代のイギリスまたはアメリカの標準的な発 ぎり,新しい種類の文における強勢である。
音。 さて,第二学年及び第三学年で新しく加わると記述さ 臼)文の抑揚のうち,下降調および上昇調。 れているものはなにかと改めて考えてみる。第二学年で
(ウ)文における基本的なくぎり。 は「新しく感嘆文における下降調〔抑揚〕を指導する」
ω文に澄ける基本的な強勢。 とあるが,下降調抑揚はすでに第一学年で出て澄り,感 ω語のアクセントのうち,第一次アクセント。 嘆文独自の下降調抑揚があるわけでもないので・これは 第二学年になると「音声」への直接的言及がなくなり, 「新しい」事項とはいえなくなる。「新しい文型に澄け ただ「言語活動は,第1学年に示す言語材料に加えて, る基本的なくぎり」についても同じで・新しい文型が出
てきたことによって新しいくぎりの原則が出てくるわけ が,その内容は相変わらず中学校第一学年の時のそれヤ,
でもない。文のぐぎりについてはある程度の法則化が可能 「慣れさせる」ことだけが続くわけである。中学校段階 〆 なはずで,学年に応じて,単純化したもの,あるいはよ に比べてより複雑で多様な英語音声への展望は開かれて の複雑なものを教えることができる。しかし,現在の教 いない。このような教育課程の編成はどのような考えか 科書やマニュアルにはこれを法則化しようという姿勢は ら生まれるのであろうか。
なく,いわば場当たり的に,与えられた文にくぎりをつ 学習指導要領というものが,ことがらの細部に関して けることだけを問題にしている。それゆえここでも, まで規定する性質のものでないことは認めた上でも,英
「新しい文型」が出てきても,個別的な「新しい」くぎ 語の音声の取り扱いに関してはいくつかの問題点が指摘 りが一つ加わるだけで,くぎりについての新しい原則が できる。問題点を明らかにするために,学習指導要領に つけ加わるということではない。次の「新しい種類の文 みられる特徴をもう一度整理してみる。(D音声に関する に澄ける基本的な強勢」についても同様である。文の種 原則的なことはすべて中学校第一学年で出尽してしまい,
類が変わることによって文強勢の原則が変わるものでは それ以降高等学校第三学年まで新しい事項は加えられな ないからである。第三学年における付加疑問文の抑揚も い。②中学校第一学年で教えるよう規定されている音声 新しい型の抑揚とはいえない。 tag の前の部分の の五つの言語材料に関しても,それらの間にどのような 抑揚がどのようなものであるにしろ,文全体は基本的に 段階づけをすべきなのか明らかにされていない。これら は下降調(あるいは上昇調)であり,第一学年で学んだ の事実から,英語音声をどのように位置づけているかの 抑揚となんら変わりはない。 態度がお澄よそ推測できる。それは,言ってしまえば,
以上の検討から明らかなことは,中学校の三年間で学 外国語の音声習得という問題に対する無謀な楽観主義,
ぱなければならない音声上の原則的なことがらは第一学 あるいは,言語音声を文字の単なる付属物とみなす文法・
年ですべて出尽してしまい,第二学年及び第三学年では 意味優先主義であろう。
質的に新しいことがらは何も加わらないということであ 学習指導要領を読んでまず第一にもつ疑問は,他の文 る。第二学年及び第三学年は,第一学年ですでに学んだ 法的項目(文,文型,語彙など)が,おそらくある一定 ことに「いっそう慣れさせる」段階だと考えられている の考えに基づいて各学年に配分,配列されているのに対 にすぎない。 して,なぜ音声だけがそのようになっていないのか,と それでは次に,「中学校学習指導要領」と「高等学校 いうことである。確かに,学習指導要領に定められてい 学習指導要領」の間の違いをみてみよう。「高校英語B」 る音声の五っの言語材料はいずれも基礎的なことがらな
を例にとれば,「音声」に関する言及はなく,『高等学 ので,それらを中学校の第一学年ですべて習得させると 校学習指導要領解説(外国語編)』に次のような説明が いう考えはそれ自体無理のないことかもしれない。しか あるだけである。 し,問題はほかのところにある。つまり,第一に,中学 な澄,〔高等学校〕学習指導要領における内容の示 校第一学年に習得するこの五つの事項の間での段階づけ し方が,中学校英語および「英語A」の内容に加える が考えられていないということ,第二に,この五つの事 ものを示す形式をとっているので,音声についてはな 項を習得したあとの音声指導が全く考慮に入れられてい にも記載されていないが,中学校英語の内容のうち, ないことである。
音声に診ける(1)発音,②文の抑揚のうち下降調および 音声に関する五つの言語材料のうちω・¢7)・(⇒が文に 上昇調,(3)文に誇ける基本的なくぎり,(4)文における ついての規定・㈹が単語についての規定だとしたら・⑦ 基本的な強勢ならびに⑤語の第1次アクセントにいっ の「標準的な発音」というのは,しいて言えば,個々の
そう慣れさせること瞳るρ 単部ついての規定だと読める.我々は,外国語音声の ここにはっきりとみられるように,高等学校の三年間 効果的な習得は・音構造の単純なもの(単音)からより においても,音声に関する限り,質的に新しいことがら 複雑なもの(単語,文)へ段階的に移行してゆくのがよ は何も加わらないのである。高等学校段階ではそれなり いと考えるが,学習指導要領にはそのような考えはみら の独自の内容の音声指導があってもよいと思われるのだ れない。なんらかの考えがあるとしたら,それは,言語
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音がまねることによって習得できるという考えであろう。 一つの例をあげて答えとしよう。「高等学校学習指導要測 確かに,我々は母国語音は模倣によって習得するが,外 「英語B」 「2 内容,(3)題材」の項には,教科書の題
国語音の習得の場合この原理が必ずしも万能でないこと 材の形式についての規定がある。それによると,教科書 を知っている。母国語音の干渉が必ず伴なう外国語音学 の「題材の形式は,説明文,対話文,物語,伝記,小説,
習の場合は,母国語音との比較などによる分析的な指導 劇,詩,論文,日記,手紙,時事文などとする」とあり,
が必要である。〔d〕,〔e〕,〔s〕,〔k〕など一 実に変化に富んだ題材を要求している。しかし,もちろ つ一つの単音のつくり方を教え,それをつなげて初めて ん,これらは「形式」だけの違いを表わしてはいない。
〔desk〕という単語の発音ができる。そして,それら これらの形式による文を音読する時は,当然,これらの の単語が一定のリズムを伴なって連続して読まれる時, 形式の違いに伴なう音声のスタイルの違いも生ずる。も 初めて文の朗読が可能になる。このように,学習者が音 し母国語なら対話文(いわゆる「会話」の語調になるわ をつくり,積み重ねてゆくという立場に立てば,音構造 けだが)と説明文を同じスタイルの音声で表現する者は の単純なものからより複雑なものへという発想が生まれ いない。しかし,英語になると,あらゆる「形式」のこ やすいが,音声を模倣によってつくるという立場に立て とばが同一のスタイルの音で表現されるのを英語教師は ぱ,そのような段階性はあまり問題にならないかも知れ 日々体験している。学習指導要領では題材の形式の多様 ない。中学校第一学年の教科書の多くが,イントネーシ 性を要求しているわけだが・それらがすべて同質の音声 ヨン.カーブを伴なった文の読み方から始まるのはさし で表現されてよいと考えているとはとうてい思えない。
て驚くにあたらないこととなる。そのような編集は,模 対話・詩の朗読・劇の台詞のやりとりがすべて説明文の 倣の原理に基盤をおいた楽観主義に支えられているもの 音声で行なわれることになれば・それらはもはやことば と思われる。また,学習指導要領の「……についていっ というものではなくなってしまう。学習指導要領は・こ そう慣れさせる」という表現も,そこに流れているのが のような多様な音声を学習者が習得できるように,段階 模倣による習慣形成の原理であることを裏書きしている。 的・系統的な音声指導の目安を与えなければならない。
第二の,音声の五つの言語材料習得以後のことについ しかし,それが与えられていないのはある意味では当然 て学習指導要領で全く触れられていないという問題も, のことでもある。教科書の内容の段階づけはいわゆる文 つきつめてゆくとほぼ同じような結論に到達する。中学 法的側面に限られていて,音声はいわばその影にすぎな 校第一学年で音声の五つの言語材料を出し,それ以後は いと考えられているからである。文法的な事項の順序を
高等学校第三学年まで,既出のものに「いっそう慣れさ 優先し,音声はその都度教えていけばよいとする考えで ● ・ ・ .
せる」ことだけを指導するという考えの裏には,中学校, ある。音声指導という側面からの内容の段階化が考えら 高等学校段階で習得すべき英語音声はそのような種類の れていないというのはこのことなのである。そこで結論 ものだけでよい,あるいは,英語にはそのような音声し は同様になる。このような教育課程は塩音声言語に対す かないという考えがあるのではないかと思わざるをえな る文法・意味の優先主義,あるいは,音声はその場その い。英語の44の単音の「標準的な発音」ができ,それ 場で「慣れる」ことによって獲得できるという習慣形成
らが単語という形で連続して出てきても,第一次アクセ 原理からしか発想されない。
ン下をつけて正確に発音でき,文も,しかるべきくぎり
と文強勢と抑揚をつけて読めればそれで音声指導は終り 2.教師用マニュアル
であろうか。そのようなことができるのは,確かに,現 さて,学習指導要領にみられる英語音声指導の段階性・
状では立派なことである。しかし,これらの条件がそろ 系統性の欠如の問題は,当然,それに準拠してつくら っても,その音声が必ずしも,ことばにはならないとい れる教科書,またそれに付属する教師用マニュアルにも
■ ● ●
うことがある。生きたことばとしてのひびきというもの みられる。ここでは,上で一般的に学習指導要領の中で が必要になってくる段階である。このような要求は「高 指摘した問題点を,より具体的に教師用マニュアルの中 級」なことであろうか。また,それは学習指導要領が規 にみてみたいと思う。
定しなければならない問題であろうか。 まず第一に,マニュアルの中の発音上の注意の部分を
みて気づくことは,中学校第一学年の初めの頃の注意と linking の問題がある。これもマニュアルなどの説明 中学校第三学年の終り頃のそれの間に質の相違がほとん には幾分強要的なところがある・たとえば, on it や どみられないということである。これは,考えようによ there is の場合は, on の〔n〕で舌尖がしか っては,中学校第一学年の初めからむずかしいことを要 るべく歯茎についていれば, there の〔r〕では〔r〕
求しているともいえるし,また,中学校第三学年の終り の舌の構えができていれば,(そしてある程度のスピー になってもまだ「初歩的」な注意がくりかえされている ドが伴なえぱ), linking はいわば自然にできるもの
ともいえる。たとえば,中学校第三学年の終りで である。マニュアルでは,初めのうちから出来上がりの caught・・の〔o:〕の発音, police のアクセント 形だけを模倣によって教えすぎるきらレ・がある。
の位置, bad の〔お〕の発音に注意がうながされて 「練れた音」のもう一つの要素に「自然な早さ」があ いる一方,第一学年の初めで no の〔ou〕1 window る。ひところは natural speed 神話とでもいうべ の〔ou〕の発音が注意されている。もちろん,このよ きものがあって,英語学習の初期から native speaker うな問題はどの段階でにしろすべて重要なことがらであ の早さで,という考えが強かったが,最近は,外国人と る。ここではそれを否定しているのではなく,それら以 しての英語学習という立場が認識され始め,むやみに初 外に書かれるべきことが脱け落ちている点,あるいは注: めから早く英語を話すことは要求されなくなった。しか 意書きの段階性・系統性のなさを指摘しているのである。 し,マニュアルには一部まだこのような考えが認められ 上述のような無段階性の別のあらわれとして,入門期 るので natural speed 神話が日本中から完全に払拭 からいわゆる「練れた音」を要求する態度があげられる。 されたとはまだいえないようである。あるマニュアルで picture の〔k〕, notebook の〔t〕, Good は,中学校第一学年の第3課ですでに早くも「自然の早 morning の〔d〕などの破裂音を不完全破裂にしたり, さ」を要求している。このほかにも,文強勢のない音節 弱形としての his や her の〔h〕音をおとしたり, は「低い調子で早口に」(第4課)とか,弱い音節は「速 of course の〔v〕を〔f〕と発音させるなどである。 くあいまいに」発音するように,としているマニュアル 入門期の生徒に音声学的精密さをそこまで要求するのな もある。正確で明瞭な音が習得されるべき入門の段階で,
ら, table, cat, butter, little, certain 早いスピードや発音の「あいまいさ」が要求されるとい の〔t〕などもすべて違った音(/t/の異音)として教 うのは一体どのようなことなのであろうか。
一 ヲなければならないことになるだろう。まだ充分英語の 教師用マニュアルに散見されるこのような具体的な注 音になじめず,日本語「タ」行子音の弱い〔t〕しか発 意事項を総合してみると,そこからある一つの統一原理 音できない生徒に notebook の〔t〕の弱まりをは とでもいうべきものが浮かび上ってくる。それは・学習 じめから教えることは碩末であると同時に有害でさえあ すべき対象である英語のいわば完成された音声( native ると思われる。むしろ,英語の〔t〕音が日本語の〔t〕 speaker の話す「自然な」音声)というものが存在して 音と違っていかに強烈な音であるかを初めは強調した方 おり,それをそのままの形で習得すべきである,という がよい。その結果 notebook 〔t〕が強い破裂音 考えである。そして,そこには,初歩的・基礎的なもの
になってもかまわない。初めからいわば省略した音を教 から積み上げてゆくという考えはないので,模倣という えないで,基本になる音をしっかり教え,熟達の結果, 手段に頼らざるをえない。このような音声習得法に初歩 音声が「自然な」ものに変わってゆくのにまかせてはど 的・基礎的部分というものがあるとしたら・語彙がそう うなのであろうか。入門期では異音の中で最もていねい であるというぐらいの問題であろう。しかし,同じ「簡 に,きわだって発音される音(〔t〕なら table・1の〔t〕) 単な単語」でもCVCという音節構造をもつものより・
を教え,「練れた音」は少しずつ教えてゆけばよいと思 CCVCCという音節構造をもつものの方が音声的には習 う。 得がむずかしいという問題もあるのである。そこで,再
「練れた音」のもう一つの問題として,いわゆる 度・音声指導上の我々の態度を述べると・目標となるべ
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き「自然な」英語音は熟練の結果得られるものであって, 〔e,∂,f,v,1,r〕 などには力を入れているが,
習得の過程では必ずしもその完成された形をまねる必要 〔P,k,d,n〕 など日本語に類似音があるものは「日 はなく,終極的にはその形に至るための,一つの過程と 本語にもある音」として軽く扱われてきたように思われ
しての独自の訓練方法があってよい,ということである。 る。アルファベットの段階は日英語比較の第一歩である 以下・われわれが考える段階的英語音声指導の一つのモ ので,「日本語にある」といわれている英語の〔P,k,
デルを提示することにする。 d,n〕などと日本語音との違いをはっきり教えておく ことが必要である。マニュァルの中には,英語音を日英 語の音韻体系の比較の中で教えるとか,日本語に類似音 皿.段階的音声指導 があるものこそより慎重に教えるべきだというような方 それでは,段階的かつ系統的な英語音声指導としてど 針を打ち出しているものもあるが,それはその場かぎり のようなものを考えたらよいのか。その基本的な考えは,の方針として述べられているだけであって,実際の指導 音構造の単純なものから複雑なものへ順次進むというこ には具体化されていない。「発音上の注意」の項に書か とである。そして,指導上の便利さということを考慮に れていることのほとんどすべては,普通,音声学的に問 入れれば,音構造の最も単純なものは,アルファベット 題となるようなものばかりで,日本人の呼吸法,舌,唇 ということになるだろう。以下,アルファベット,単語,などの性質を考慮に入れた具体的な音声指導はみられな 文の各段階について,その指導内容を略述することにす い。
る。 アルファベット指導の第二の眼目は,英語の基本的な 抑揚の型である下降調抑揚を教え込むことである。 A 1.アル7アベット の発音も, B の発音もしっかりと下げ調子でいわせ アルファベット指導の中で教えられることは少なくと る。これができれば,あとで単語の発音になった時でも も三つある。一つは,日本語と英語の個々の音の違い, book というのを下げ調子で発音できるし, This is 第二に,下降調イントネーション,第三に,日本語と英 abookJ という文もほぼ同様にできることになる。
語の発声の際の呼吸法の違いである。これらの三つの要素 ここでたとえば B の発音を
なりになされているようすである。多くは ABC の ll*bi:li
読み方と書き方を一通りざっと教える程度であるらしい。 のごとく下げ調子でやらせることにはもう一つの意味が あるアニュマルは「呼称を澄ぼえる」ことを主眼として ある。5) B の発音を上記のような下降調抑揚で 澄り,また,アルファベットの指導については全く言及 やらせると,ピッチの高い〔b〕の子音部の強さが確保 していないものさえある。 できるということである。閉鎖を解かれた息は一気に吐
さて,アルファベットを教える眼目の一つは,もちろ き出されながら,その呼気のはじめの部分で強い〔b〕
ん,英語固有の個別的な音(単音)を教えることにある をつくり,次に音調を下げながら母音部〔i:〕をつく が,それも意識的な日本語音との比較の中で教えた方が ることになる。これが逆に,多くの日本人の発音がそう 一層効果があるだろうと思われる。たとえば,アルファ であるように・子音〔b〕の部分が弱く,母音部〔i:〕
ベットの B 〔bi:〕の子音部〔b〕は日本語「バ」行 に「アクセント」をつける読み方をすると,〔i:〕の部分 子音と比べて破裂の度合いが大きいことを知らせる必要 の音調が不自然なまでに上がり
謙驚∴醜1璽ど蜻;重漿 !\
で違うということも知らせなければならない。従来の発
音指導では,「日本語にまったくない音」といわれる llbi:Il
のごとくなる。この下降調抑揚によるアルファベット発 を深くしてゆくのに役立つ。次に,英語音を連結するた 音の練習の意味は,次の単語の段階に進むとよりはっき めに素早ぐ唇や舌を動かすことの練習にもなる。一息で りする。 tree とか desk という語は,単独では 発音する字数がふえていけば自然に発音のスピードが早 くなる。すると,呼吸の浅い日本人に不得手な破裂音,
摩擦音が省略されがちになる。あまり音が削られるよう なら,息と音の関係がまだ充分でないということなので,
U*tri:11 11*deskll もう}つ前の段階に戻らせる。そして前よりもゆっくり したスピードで省略音なしに発音できるまでやらせる。
のように下げ調子で発音されなければならないが,ここ マニュアルの「発音上の注意」にも呼気の問題はとり でも,特に語頭の子音〔tr〕,〔d〕は,単語全体を下げ 上げられているが,そこには,音声学上の知識がそのま 調子に発音した場合,最も確かなひびきが得られるよう ま述べられていて,特に,日本人の呼吸法,調音上の特 である。 徴を考慮に入れた注意書きとは必ずしもなっていない。
アルファベット指導の第三の意義は,日本語と英語の また,たとえば,〔t∫〕は日本語に類似音があるので発 発音の際の呼吸法の違いを教えることである。一般に, 音はあまり困難でないとしたり,〔切の注意を,ただ
日本語の発音は胸式呼吸ないし浅い横隔膜呼吸によって 「口を閉じる」だけとしたりするものがあって,日英語 吾り,英語の発音は横隔膜呼吸によっているといわれて の類似音間の呼気の違い(特に子音の強さ)を無視した いる。中学佼の英語の教室で呼吸法の訓練をどこまでや 説明がみうけられる。
るべきかは即断できないが,日本語を発音する場合とは
はっきり違う程度に大きく息を吸う,というぐらいの指 2単 語
導は最低なされるべきだと思う。人にきこえる英語音声 アルファペットの次は単語の指導の段階であるが,そ を習得させようとするのなら,これは基本的な条件であ れは,あくまでアルファベットの指導の上に積み重ねら る。日本語子音の場合と比べものにならない程子音に息 れる種類のものでなければならない。教科書ではアルフ をとられ,強さアクセントをリズムの核にしている英語 アベットがごくゑ座なりにしか扱われないので,普通,
には,どうしても呼吸法の支えがなければならない。こ 発音の練習は単語から始められるといってよい。一般的 のようなことは「専門的」なことと考えられるだろうか。 な教え方は,教師が単語の発音をしてみせて(あるいは
「中学校学習指導要領」の外国語習得の「目標」には, 外入のテープをきかせてみせて),生徒にその音をまね
「言語に対する意識を深める」とも,「外国の人々の生 させるというものであろう。このやり方には二つの問題 活やものの見方」を理解させるともある。英語という外 がある。一つは模倣のみによる音づくりの限界である。7)
理解させるのに,日本語と英語では,ことばを発するの いわば丸ごと〔do9〕と教える点である。綴りと音との に,まず第一に,息のしかた,息の使い方から違うのだ 相関関係を教えないで do9 とし(う単語全体を〔do9〕
ということを教えるのは有益なことではないかと思われ と割り切ってしまう学習からは,生徒の綴りを読む能力 る。それは異文化の認識の第一歩になりうるはずである。 は育ちにくい。中学校の上級学年や高等学校段階で,生 それで,初めは,大きく吸った息で A を発音する。 徒が単語や文が読めないという教師の嘆きが聞かれるこ 随分大きな声になるはずである。次も,大きく吸った息 とになる。それゆえ,この段階では,アルファベットの
を全部使いきる気持で B を発音する。以下同じよう 練習ですでに覚えた〔d〕という音と,〔o〕,〔g〕という音 に C , D , E を「息一音の要領で発音する。6) をつなげて, dog の発音がつくれるということを教え 次は,たとえば A から E まで, F から るべきである。(アルファベットに含まれない〔o〕や
K までを一回の呼気で発音する。次は, A から 〔9〕の音をどの段階で教えるかはそれ程大きな問題で 0 まで,次は A から Z までを一息で,とい はない。アルファベットのあと,単語の練習の中でとい う具合に字数をふやしてゆく。この練習は,まず,呼吸 うことになるだろうか。)
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単語の発音指導ではアクセントの指導が一つの問題に 抑揚は,与えられた文の音声を規定する重要で複雑な要 なる。単語のアクセントは音節にあるものであり,母音 素であるだけに指導も困難をきわめる。それだけに「易」
● ● ● ● ● o ●
につけるものではないが,実際には「母音につけよ」と から「難」への段階的・系統的指導が望まれる。しかし,
● ・ ● ●
いう指導が多いのではないかと推測される。(あるいは, 学習指導要領にも『指導書』にも,それらの指導を系統 そうは言わないまでも,音節につけず,母音につけてい 的にすすめるための示唆はない。マニュアルはどうかと る状態が放置されていると思われる。)たとえば, いえば,文のくぎりについては,比較的ていねいにつけ morning という単語では,第一音節全体に強勢 ているものもあるが,お診むねごく軽く扱っている。ま があるので,〔m〕とか〔n〕の音の強さは想像以上であ た,たとえくぎりについての言及があったとしても,そ る。しかし,アルファベットで英語の〔m〕と日本語 れは与えられた個々の文についてくぎりがほどこされて
「マ」行子音の区別を充分教えないと,ここでも日本語 いるだけで,くぎりについての系統的な考えというもの の〔m〕で代用してしまうことが多い。このようにして,は示されていない。イントネーションと文強勢について 語頭の〔m〕は弱くなり,しかも〔o:〕の部分に必要以 は,どの教科書もマニュアルもすべて行き届いた扱いを 上に高いピッチ・アクゼントをかけるという発音が多く みせていて,マニュアルではほとんどすべての文に文強 なる。この段階で英語のアクセントの概念を,つまりそ 勢の印とイントネーション・カーブが付されている。し れが母音部を高く読むことによってつくる日本語式アク かし,これも与えられた文について個々バラバラに符号 セントと違い,子音部の強さもかねそなえた音節全体の がつけられているだけで,体系的な扱いはみせていない。
強さアクセントであることを教えておく必要がある。そ ここで注目すべきは奥田夏子氏の指導法であろう。奥 して,このことも,アルファベット指導からの積み重ね 田氏はその著『英語のイントネーションー研究と指導』
の上に立って澄こなわれうるはずである。ここでも母音 (英和出版,1975)の中で,文強勢,イントネーシ・ン,
部のピッチをできるだけ澄さえて,特に語頭子音を充分 文のくぎりの三つの要素を,互いに関連した切り離しが ひびかせて,単語全体を下降調イントネーシ・ンで たい一つの問題として扱っている。つまり,文強勢,イ
゜\. 茎∴鵜甥撫二欝糠:誓
ll*m。:niηll の高まりを同一箇所に一箇所(最後の内容語に)だげ与 のごとく発音させるとよい。 えるという考えである。気息群を縦線でくぎって表わす
また,この段階では,なによりも音の正確さ,明瞭さ と,たとえば次のような例が得られる。
が大切なので,語尾の子音などでもはっきり発音するよ
@ Every afterno!匹2 1 as they were うに指導したい。一般に,日本語の子音は英語の子音に
比べ鰯いので,嬬で「弱く発音してもよい」綱の ・・m ・gf・・msc晦』l thech ldren…
子音部に日本語の弱い子音をますます弱い形で働と, used t・9・and pl6y…i・th・Gi・nゼ・
英語音とは嫉静もの眩ってはう.たとえば, 9ard・ル8)
〔desk〕の〔sk〕は,これらの音が語頭にあらわれる
時ほど強い気息を伴なわないが,この段階では充分気息 (実線の縦線は大気息群を示す。実線縦線と破線縦線の を伴なった音として指導した方がよい。一般に子音の気 間,あるいは破線縦線と破線縦線の間は小気息群を示す。)
息が乏しい日本人に,英語子音の気息の強さを強調する しかし, children と play のあとにくぎりをも ためである。 うけず, the children から garden までを
一気に読むとするなら,この部分のイントネーシ。ン,
5 文 強勢は次のように変わる。
単語の段階が終って文の音読の段階に進むと・文強勢・ the children used to go and play in イントネーション,文のくぎり等の問題が出てくるが,
the Giant, s garden、これらはどのように扱えぱよいか。文の強勢,くぎり,
ノ
恣c氏のこの考えを応用して,以下,段階化された文 Every afterno魑as th6y were c6m ing の音読指導の一つのモデルを示したい・まず・文のくぎ f・・mseh・包Lthe children 、ed t。9。
りについては・比軸醐のうちはくぎらないと教える・andp1イy i。th。Giant,gイ。d,n.10語ぐらいからなる文なら,ゆっくり読んでも5秒ぐ
らいのものである。これは中学生の息が続かないという (くぎりは・普通・あまり自覚されないのでここでは記
さなレ㌔)この験階では,一つの文について一箇所の文強長さのものではない。言うまでもないが,ここでくぎら
勢,ピッチの高まりしか認めないので,文末の内容語があないということは早く読むということではない。次に,
らわれるまでの比較的長い部分を,同一ピッチで読まな一っの気息群における文強勢,ピヅチの高まりは最後の
ければならない練習をすることになる。この同一ピッチ内容語に与えるという奥田氏の方式を適用する。従って,
の持続という問題が解決されれば,あとの段階は指導がこの段階では,一つのセンテンスには文強勢,ピッチの
ずっと楽になる。高まりは一箇所しかあらわれない。たとえば
同一ピッチを持続させるためには,日本人独得のあの 血。y accept。d th。 invit6ti。n.9) 母音部で舗をはねあげる麟まずやめさせなければな
らない。そのためには,すでに単語の指導のところで述 べたように,子音部(特にアクセントのある音節の母音 のごとくになる。しかし,文強勢のない音節も,この段
の直前の子音)を充分出し切る発音を徹底させる。この Kでは決して弱くは扱わず,たとえば第二次アクセント
ようにして単語レベルでの音調の抑制ができたら,次に,ぐらいの強さにする。それは,この段階がまだ一つ一つ
文全体の音調を徹底して平板にするか,あるいは下降調の音を正確に習得していかなければならない段階だから
にする練習をする。普通「下降調音調」という場合は文である。あまり「省略した音」は教えない方がよい。こ
末の音調についていうが,ここでいう文全体の下降調音の段階で,一つの文にはくぎりを設けず,文強勢もピッ
調とは,文頭から文末にかけて漸次的に下降させていくチの高まりも一箇所とするということの意味は,第一に
音調をいう。普通「イギリス式音調」といわれるものが は,音声的な構造を単純にするということであるが,ほ
これにあたる。J. D.0 Connorの音調の記述はおお ゥにもある。まず,初期の段階で一つの文の中にくぎり
むねこのようになっている。
をいくつもつけると,そのたびに生徒はピッチを下げが ちになるので,それを避けさせるためである。また,一
● ● ●
つの文の中でむやみにピッチを上下させる日本語のイン .°°●・ ● ● ● \トネーションをすてさせ,同一ピッチを持続させなけれ
ばならな膜語のイントネーシ。ンの型噸れさせるた ll*h。。 k。nai㌔。,。bliち,i im㌔,*hAnd,。d*P。und、?II1①
めである。文強勢のない音節も比較的強く発音させる理 由は,英語の「弱い」音節も日本人が考える程弱くはな
この下降調音調は,すでに,アルファベット,単語の段いことを知らせるためである。さらに,幾分強く発音さ
階でより小規模な形で指導して澄いた。文の段階では下 せることによって,それが高くなるのではないというこ
降のしかたがよりゆるやかになるだけである。ここまで ともこの段階で知らせることができるかもしれない。
の段階で,平板な音調,あるいは漸次的な下降音調が身 文の音読に澄ける日本人の最大の困難点は,同一ピッ
につけば,以後のより複雑な段階では,音調を上げる場チ(Trager−Smithの四段階方式の「2」のレベル)
@ 所についての規則を教えさえすればよいことになる。
を比較的長い時間持続できないということであろう。ほ
残された問題は,より小さなくぎりの単位についてのとんど無差別に,どのような語にも高いピッチが与えら 規則を教えることである。どのようなところでくぎって
れてしまうし,また,アクセントがある部分には必ず高
よいか,くぎってはいけないかということについての約いピッチが与えられる。それゆえ,上記例文は次のよう 束ごとをよりこまかく教えてゆく段階である。たとえば,
に読まれることが多い。 長い主語のあととか,文末の副詞や副詞句の前とか,命
122 茨城大学教育学部紀要 第27号
令文の動詞のあとではくぎる,というような具合にであ それは,英語の話しことばのリズム,イントネーシ・ン る。奥田氏の方法に従えぱ,くぎりの数がふえればそれ の習得不足ということである程度やむをえないだろう。
だけ,ピッチの高まり,文強勢の数もふえてゆくことに しかし,実際は,第一学年のクラスも第三学年のクラス なるので,ここからの文の音読は,これまでの一本調子 も大差がないか,むしろ第一学年の方が生き生きした話 な文朗読と違って,段々ニュアンスのこまかいものにな しぶりをすることがあるので,英語の学習年数とは関係 ってゆく。また,くぎったところではむやみに音調を下 のない問題のようである。そして,これらの棒読み「会 けたりしないので,いわゆる hanging tone とい 話」は第三学年が終るまで教師によって訂正されること
うようなものも覚えていかなければならない。このよう がない。
にして音声の世界が段々複雑になってゆくのである。 しかし,もちろん,すべての生徒の「会話」が棒読み なわけではない。中には「発音のきれいな子」,「イン 皿1.ことばとしての音声の指導 トネーシ・ンのいい子」もいる。しかし,このような優
等生の多くは,たとえば, There is a bookon 1.音声のスタイル
@ the table. というような何の変哲もない描写文を,
以上がアルファペット,単語,文の各段階における音 人に話しかけでもするかのような「会話」の時の調子で,
声指導の内容のあらましであるが,前述したように,も そして時にはこびるような「美しい」抑揚をつけて読む ちうん,これで英語の音声指導が終るわけではない。こ のである。これは,上の棒読み口調とは逆の意味で,や れまでの段階は,主として,個別的な音をどのように発 はり,ことばの意味と音声を切り離して扱っている態度 音するかという問題に関係していた。それは,たとえば,のあらわれである。
d という綴り字に対して〔d〕という音を正確に与 対話あるいは「会話」のリズム,イントネーションと える段階であった。しかし,個別的な音が正しく発音さ いうものは確かに微妙でむずかしい問題である。(それ れることと,それらの連続体が意味をもったことばとし ゆえ,そのような口頭作業をあまり多く入門期にもって て成立するということは必ずしも同じではない。喜ばし くるな・という議論もなり立つ・)しかし,意味と音声 い内容をもったことばが意気消沈した音声で話されるの の関係の処理の失敗は P−Pdialogue だけではな
も,また逆に,ひそかに話されるべき内容が大音声で叫 くほかにもある。意味との関係で音声の表現を行なうと ばれるのも,どちらも,入と人の間のことばとはいいが いうことは・簡単に言ってしまえぱ・描写文なら描写文
● ■ ●
たい。英語教育がことばの教育であるなら,そこまで考 として読むということ・訴えなら訴えらしく・愚痴なら 慮に入れた音声指導がなされるべきである。それはもは 愚痴らしく,皮肉なら皮肉らしく表現するということで や音声指導の領域を越えているという意見がありうる。 ある。これは「見「高度」な問題のようにみえるが,考 別のところでそのような教育がなされるならそこに譲っ えるほどむずかしいことではない。表情表現にはどの言 てもよいが,その保障がない場合は英語教育がそれを行 語にも共通する要素があるからである。これがどうして なうべきである。 もうまくいかないという場合があるとしたら,それは,
音声指導のこのような領域は,言い換えれば,ことば その人の日本語そのものに問題がある場合であろう。
の意味と音声の間に密接な関係が望まれる段階といって 意味と音声の関係の処理ということでいえぱ,言語表
もよい。しかし,現状をみると,この両者の関係はあま 現の様式に合わせた読み方ということもまた考えられな 、
りうまく処理されていないように思われる。 P−P ければならない。前述したように,学習指導要領できめ dialogue がその最もよい例である。この「対話」は, られている題材の形式だけでも,説明文,対話文,物語,
澄おむね,あらかじめ決められた相手と,暗記した 伝記,小説,劇,詩,随筆,論文,日記,手紙,時事文,
ことばを交し合うという形をとって行なわれるが,その と多様である。これらの表現様式には,ある程度,それ 話されることばというのは,いわゆる棒読み口調で,相 それに合った音声というものがあるはずである。説明文 手に話しかける普通のことばになっていないのである。 を読む時の音声で対話を論こなう者はいないし,詩の朗唱 この口頭作業の失敗が入門期のクラスでおこるのなら, の音声で新聞を読む者もいないはずである。それで,そ
れそれの様式に合わせた多様な音声を指導する段階が考 の問題である。音声指導というものを行なう場合,そこ えられなければならない。上記の題材の形式の種類の中 に早晩聞き手の問題が出てくるのは当然のことである。
には,あまり感情をこめずに読むものもあれば,物語の しかし,この当然のことが普通見落とされているような ように「語る」という演技的要素が少しはいってくるも 気がする。これは,言い換えれば,音声指導の中心に,
のもある。小説は物語ほど演技的ではなく,もっと抑制 英語もことばであるという考えを貫ぬくということであ された音調で読まれるが,内容の深さを更に微妙な音声 る。このことを,前節では,説明文は説明文として,対 で表わすという点ではより表現が高度のようである。詩 話文は対話文らしく音声表現するという言い方で述べた。
はかなり独得の音声の世界を構成している。劇は対話文 ここでは,もう一つの観点,つまり,英語もことばであ の音のつくり方よりもう少し大げさな,いわゆる「芝居 るのなら,その音声は相手に聞こえなければならない,
がかった」ものになる。これらのほかに,人前でのスピ ということを強調したい。あるいは,より比喩的な言い 一チというものを指導してもよいかもしれない。その音 方で,相手に届かなければいけないと言った方がよいか 声の基調は対話文のそれであろうが,イントネーション も知れない。「届く」というのは,相手にその音声の意 はもう少し抑えられたものになり,音のつくり方はより 味が確かに伝わるという含意をもちうるのに対して,一 劇の場合に近くなるだろう・ 方,音声は「聞こえ」ても意味がわからないということ
これらの多様な言語音声の世界をどのような段階を踏 はいくらでもありうるからである。
んで教えるかというのが一つの問題になりうる。一つの 教室での口頭作業をみていて最も強く感じる点は,た 考え方としては・ことばのあらわす意味とか表清という とえば P−Pdialogue で,音声を発する生徒の ものと比較的関係の薄い音声からより密接なものへと段 側が,自分の声が相手に届いているかどうかの意識をも 階を追って教えるという方法がある。その意味では,説 ってないらしいということである。そして更に悪いこと
明文(論文・時事文なども含めてよい)→物語(または に,教師も,生徒から発せられた音声は相手に届かなけ 伝記)→小説・詩→スピーチ→尉→対話文のような順序 ればならないという意識をもっていないらしいことであ がよいかもしれない。もちろん・英語学習の必要上・対 る。生徒の側には,澄おむね,自分は英語をことばとし 話文などは比較的初期の段階に組み入れられることがあ てしゃべっているという心の構えがないようである。そ りうる。その時は・教師はいちおうの読み方だけを示し れがあれば,多少の発音上の未熟さがあっても,その音 ておき,徹底練習は上に示した段階で吾こなえぱよい・ 声はことばとして相手に届くものである。相手に聞こえ
このような音声の多様なスタイルの指導は,もちろん, さえしない音声なら弘それはもはやことばとはいえない。
高等学校の三年間もあ℃にしての内容である。現在は高 音響的には聞こえても,それが棒読み口調なら,それは 等学校の教育課程に関しても学習指導要領というものは 相手に働きかける力をもたないので,これもことばとは 存在しているのに,内容の一貫化ははかられていない。 いいがたい。どちらの場合も「ひとりごと」の領域にと 義務教育として中学校,高等学校の六年間を一貫化せよ どまり,人と人の間のことばにはなりえていないのであ ということではなしに,学習指導要領として(もし学習 る。このような状態の教室での教師の役割は,多くの場 指導要領というものが必要であればの話であるが),教 合,自分にはどうにか聞こえた音を(あるいは聞こえな 育の内容の段階化・一貫化をはかるべきだということで かった音を推量で)聞き手である生徒に中継してやるか,
ある。上に述べたさまざまな音声のスタイルも六年間の クラス全体に復唱してやることになる。教師のここでの 一貫教育の中でなら充分消化できる内容のものである。 関心事は,その生徒の表現の中に前日教えた表現がうま くとりいれられているかどうか,あまり文法的なミスが 2.聞き手に「届く」音声 ないかどうかということである。音声が聞き手の生徒に これまで我々は,主として,どのようにして英語音声 届いたかどうか,自分に聞こえたかどうかさえあまり問 をつくるかということのみを問題にしてきたが,それら 題にしない。ここで我々は,英語音声による伝達がすべ の音声を誰に向かって発するかという観点は抜かしてい てうまくゆくように指導すべきであると主張しているわ た。最後に問題にしなければならないのはこの「聞き手」 けではない。音声指導のさまざまな段階の具体的場面で,