アンリー・ドゥニ﹁利潤率と国民所得﹂
石 津 英 雄
マルクスはかれの有名な﹁利潤率の傾向的低落の法則﹂を次
のように定式化した︒すなわち﹁一定の社会に属する総資本の
有機的平均構成の諸変動を含むと仮定すれは︑可変資本に比し
ての不変資本のこの漸次的増大は︑剰余価値率が同等不変すな
わち蟄本による労働の搾取皮が同等不変ならば︑必然的に︑劇 ︵ 1︶ 般的利潤率の段階的低汚という結果を生ずるに違hない︒﹂こ
の命題をめぐってこれまでしばしば議論が展開されてきたし︑
また現に展開されつつある︒なかでもスウィージ︵Pau−M.
Sweezy︶とロビンソン夫人︵Mrs.J.RObin筈n︶ の批判は余
りにも有名である︒特に最近ではギィルマン ︵lOSeph M
Giman︶ の実証的研究が大きい注目を集めており︑またそれ
をめぐって雑誌云科学と社会﹄紙上で賛否両論が展開されてい
︵2︶ る︒以下に紹介するフランスの経済学者ドゥl二Henri Denis︶
の論文もそのうちの山つである︒二言でいえは︑ドゥニの立場
はスウィー汐やロビンソン夫人らの批判を承認しながらも︑な
お基本的には利潤率の低下傾向が存在したことを論証せんとす 紹 介 第三十三巻 第二号 ︵二二〇︶ 八二
るものである︒その意味では従来みられなかった意欲的な試み
として評価できるであろう︒しかし︑その論証の仕方は必ず
しもマルクスに忠実だとはいえないかも知れない︒というの
は︑ここではケンプリッヂ学派の成長理論がその基礎におかれ
ているためである︒
スウィージやロビンソ夫人が直接マルクスの命題をとりあげ
てこれを批判したのに対して︑ドクニの場合にはそれは間接的
な形でしか問題にされない︒それはギィルマンの実証的研究を
直接の対象とし︑その結果を理論的によりよく説明しようとす
る意図のためにそうなったのかも知れない︒いづれにしろ︑ア
プローチの仕方は大いに異っていることを初めに指摘しなくて
はならない︒念のためスウィージの論説をとりあげてみよう︒
かれによると︑﹁利潤率の低薄の法則は︑資本の有機的構成が
高度化するのに対して剰余価値率は不変であるという前提の上
に︑マルクスが演繹したものであった︒資本の有機的構成が高
度化するという前提をおくことについては疑問の余地はないと
しても︑同時に剰余価値率が不変であると仮定することは︑は
︵3︶ たして妥当なものであろうか︒﹂ 周知のように︑スウィー汐や
ロビンソン夫人の共通の疑問はかかってこの点にあった︒さら
にスウィージはこういうのである︒﹁資本の有機的構成の高度
化は︑労働生産性の増大と歩調をあわせて進む︒剰余価値率が
不変のままであるならば︑このことは︑労働塵産性の増大に正
確に比例した実質賃叙の上昇がもたらされることを意味する︒
いま労働生産性が二倍に増大したと仮定する︒そうすると︑剰
余価値率が不変であるということは︑労働者が以前と同盟の労
働時間をかれ自身のために働き︑また以前と同じ労働時間を資
本家のために働くことを意味するから︑賃銀によってあらわさ
れる物的生産数と︑剰余価値によって示される物的生産鼠は︑
︵4︶ ともに二倍となるわけである︒﹂ スウィージはこの推論自体に
は異議はないとしても︑それが現実にあてはまるかどうかにつ
いて疑問を抱いている︒なぜなら︑資本主義のもとでは労働生
産性が増大すると︑通常それに随伴して産業予備軍が創出さ
れ︑その結果賃銀は押しさげられ︑それによって剰余価値率を
高める傾向をもつからそある︒そこでスウィージは生産牲増大
の過程の不可欠部分を引離して︑それを相殺的要因として処理
するのは賢明ではないとし︑生産性の増大は剰余価値率の上昇
をもたらす傾向をもつこ之を認めるのである︒そのためスウィ
ージにあっては︑利潤率の変動の方向は不確定のものとなる︒
ロビンソン夫人の推論もはばそれと同じであるとみてよい︒
ところで︑剰余価偲率は剰余価値S可変盟本Ⅴに対する比率
であり︑また資本の有機的構成は不変資本Cの可変資本Ⅴに対
する比率であるから︑いま国民所得 へⅤ+S︶ が∵足であっ
て︑剰余価條率SVが増大すれば︑この場合明らかにⅤは減
少し︑有機的構成CVは高度化する︒このように構成の高度
化は暗黙のうちにマルクスによって排除された︒利潤率の変動
を分析するにあたって資本の有機的構成を基本的な概念として
アンリー・ドゥニ﹁利潤率と国民所得﹂ 利用するかぎり︑あいまいさが残るとし︑ドゥニはここで近代 経済学でしばしば用いられている﹁資本係数﹂をそれに代るも のとして利用する︒そしてかれはさきの命題を次のようにおき かえる︒すなわち﹁資本係数の漸次的増大は︑剰余価値率が同 等不変ならば︑必然的に︑平均利潤率の段階的低落を生ずるに 違いない︒﹂この命題はマルクスのそれに近いものであって︑ その理論的証明はさして困難ではないという︒
利潤率は定義によって次のように定式化される︒ S S s+く 因 S+く 只
本の所得創出効果を示している︒そこでもし剰余価値率S寸
が同等不変であれば︑確かに国民所得における蟄本家の介前も
同じように不変である︒だから︑剰余価値率が変らないのに資
本係数が増大するとすれば︑平均利潤率は必然的に低下せざる
をえない︒これは方程式に示される関係から当然そうならなけ
ればならない︒
周知のように︑ギィルマンはマルクスの命題を出発点としな
がら︑それをアメリカについて統計的に検証したのであるが︑
そのさいかれは血八八〇年以降のアメリカの製造工業における
有機的構成と剰余価値率の変動を詳細に比較検討した︒このよ
うな実証的研究はそれ自体畏重な作業として評価すべきである
︵二二こ 八三
Ⅴ
ける資本家の分前を︑また+S
この式において旦Ⅹは平均利潤率を︑SKは資本係数の逆数︑つまり贅
Ⅴ
十は国民所得におS
第三十三巻 第二号
が︑同時にその調査瀧囲が比較的制限されたものであることも
認めておかなくてはならない︒アメリカについてみるかぎり︑
一九世紀の末期から利潤率の低下があったことは︑すでにフエ
ルナー︵W.句ener︶も証明しているところである︒フエルナ
ーによると︑資本係数はその期間著しく増大したが︑他方資本
︵5︶ 家の分前ははとんど一定であったとされているしドゥニはギィ
ルマンの結果がフエルナーのそれとよく合致することを認め︑
次のように指摘している︒﹁一九世紀の末葉から第一次大戦に
至るまでの期間アメリカでほ︑マルクスの法則が完全に証明さ
れたっ利潤率が低下したのは︑資本係数が相当増大したのに︑
︵6︶ 他方資本家の分前がはば不変であったことによっている︒﹂ド
ゥニはギィルマンが利潤率の低下を証明する本質的な要因とし
て資本係数の増大を考慮した点で全く正しかったとするが︑そ
れだけでは前の結論を導くのに十分でないとして︑なぜ資本家
の分前がこの期間中はぼ劇定であったかを論証しょうとする︒
もともと栗本主義の本性からいえば︑資本家の分前は時間とと
もに増大しなければならないはずである︒それなのにどうして
資本家はそうするこ上ができないのであろうか︒ドゥニ哲﹂れ
こそ解かるべき問題であるという︒かくしてドゥニの新しい試
みが始められる︒
資本設備の大部分が利用されないような状態では投資は止
み︑生産の拡張は許されない?それゆえに︑長期の観点から資
本主義経済の発展をみょうとすれば︑生産は通常全期間を通じ ︵二二二︶ 八四
て生産能力通り稼動されるとみなければならない︒このような
正常な状態のもとでは︑年々の国民所得の増加は固定資本設備
︵7︶ の増加に資本係数の逆数を乗じたものに等しくなる︒これを試
であらわせば︑
望=装・
したがって︑蠣・鳩となる︒これは成長理論の面から
いえば︑生産諸要素が完全に利用され︑しかも投資と貯蓄が一
致して長期的な調和状態が成立することを意味している︒ロビ
ンソン夫人の言葉でいえば︑まさしく﹁黄金時代﹂が実現され
るような場合なのである︒そ
ら紅資本の輸出や保蔵がないとすれば︑年々の投資は剰余価値
Sに蓄積率αを乗じたものになる︒この関係を前式に入れる
と︑
となる︒この式の両辺をYで割れば︑次式のようになる︒
惇世 ‖.
Y Y Y
いうまでもなく︑これはハロッドの成長方程式と全く同じもの
である︒この式において資本係数が大きくなれば︑成長率の低
下と資本家の分前の増大︑あるいは蓄積率の増大が同時に起る
であろう︒ RS DY K.Y
註=・只ところが︑資本係数の増大は技術知識の進歩.の結果であっ
て︑それは労働生産性の増大と歩調をあわせて進む︒もし実質
賃銀が劇定であれば︑それは当然に資本家の男前を増大させ
る︒この場合には︑方程式における他の項目を変化させること
なしに︑長期均衡は維持され︑そしてまた利潤率は不変であろ
う︒これは次のようにして証明される︒
︑ 利潤率の走禁は︑さきに元し誓うに如‖ヤ輌であ
るから︑この式の旦Yに前式の関係を代入すれば︑
ゆ
‖..1 KYY象舛
したがって︑・・・如‖・頼となる︒
これはロビンソン夫人やカルドアのモデルと全く同じものであ
る︒ドクエがケンプリッヂ学派と軌を一にするのはこの点であ
いとすれば︑資本係数が変化しても利潤率は何ら変らないこと
になる︒ドゥニはこれを次のように解釈する︒つまり資本係数
の増大は二重効果を生ずるのであって︑それは一方では労働生
産性の向上によって資本家の分前を増加させるが︑他方では投
下資本ス寸づクを増大させる︒したがって︑この二重効果は相
互に相殺されて︑利潤率に変化をもたらさない︒この点でドゥ
ニとギィルマンは対立する︒というのは︑ギィルマンによる
と︑生産方法の変化は生産能力の増大と消費の増大との間に起
アン=ノー・ドクエ﹁利潤率と国民所得﹂ る︒この式において成長率︵
Y △
Y︶と意率︵α︶とが変らな る不比例のために剰余価値率の増大をもたらしえないからであ ︵8︶ る︒ギィルマンにあっては︑あくまでも剰余価値の生産とその 実現が問題なのである︒これに調してドゥニは︑ギィルマンが 資本係数そのもの︑の増大は固定資本設備の増大にブレーキをか けることを忘れていると批判している︒叫定額の姓蓮を増加さ せるためにはこれまで以上の貯蓄が必要とされるから︑貯蓄は 幾分その効果を減じ︑仙定の所得分配のもとでは生産能力の増 大は阻止される︒だから︑資本家の分前が一定であるかぎり︑生 産能力の増大は消費の増大に比較して不†分となる︒資本家の 分前の増大は︑固定資本設備の増大を加速化し︑同時に消費の 成長率を低下させることによって均衡を回復する︒資本家の分 前をもとの水準に必然的に維持する手段がなければ︑利潤率の 低下傾向に関するマルクスの考えは修正されねはならない︑と ドッニは指摘している︒長期的な利潤率の低下傾向と周期的な 利潤率の変動せの関連をぬきにして︑はたしてドゥニはギィル マンを説得できるであろうか︒少くともドクニの場合︑トレン ドとサイクルのからみあいが十分意識されないように考えられ る︒これはドゥー㌦が﹁法則そのもの﹂の解釈だけに注意を払っ て︑﹁内的矛眉の展開﹂にまで進まなかったことに原因してい るようである︒論証の射程が狭いことは以下にみられる通りで ある︒周知のように︑マルクスは剰余価値率の増大を﹁反対転作用
する要因﹂として考慮しながらも︑資本の有機的構成の高度化
︵二二三︶ 八五
第三十三巻 第二号
は通常利潤率の低下を導くという原則を提起したのである︒ド
ゥニもまたスクイージと同じようにこの点で疑問を寄せてい
る︒コ﹂のような概念を採用することは不可能のように思われ
る︒なぜなら︑現実には資本の有機的構成せ高度化させる技術
知識の進歩が︑他の事情にして等しければ︑同時に労働生産性
へ9︶ の増大によって剰余価値率を増大させるからである︒﹂ドゥニ
はこのように指摘し︑この生産性の増大が強大なため利潤率を
変えないことさえありうると主張している︒ここではスクイー
ジのマルクス批判をそのまま継承しているとみてよいだろう﹂
ともあれ︑ドクエは資本主義生産の拡大過程において実質質
銀が増大する傾向にあることを認め︑その理由をいくつかあげ
ている︒すなわらドゥニは賃銀水準の決定における﹁自然的な
要因﹂として︑労働者の必要︑階級間の力関係︑労働市場の状
態をあげ︑これらの要因が労働者紅とって有利に作用すること
を認めるのである︒資本主義の発展は生産物と消費の多様化を
もたらす︒その結果︑資本家の衣ならず労働者もまた欲望充足
の新しい多くの手段に直面せざるを云ない︒そのため労物者の
必要は高まる︒一定時点における購買力は労勘者の必要を充足
するには少なすぎるから︑これは疑いもなく賃銀の上昇傾向を
もたらすであろう︒第二には︑技術進歩と労働組織が労働者の
教育水準を高め︑そうすること紅よってより強力な組織をつく
る力をかれらに与えるという基本的な理由に基いて階級間の力
関係は労働者階級に有利に変化する︒第三には︑技術進歩紅伴 ︵二二四︶ 八六
い労勒者階級の性行動は合理的となって︑出生率は低下し︑人
口の成長率は鈍化する︒このような事実から労働市場の需給関
係は労働者階級にとって有利となり︑実質賃銀を高める傾向が
ある︒
以上の三つの要因は資本主義発展の∵定段階において作用す
るが︑それは資本家の分前が資本係数と同じ速度で増大するこ
とを阻止する︒このように︑技術知識の発展は︑それが長期に
わたって実質賃銀の増大を伴う結果︑利潤率の低下を生ぜしめ
る︒要するに︑実質質銀の増大傾向は二つの方法︑すなわち第
一には資本家の分前のいかなる増大をも阻止することによっ
て︑第二には資本係数を増大させることによって利潤率に影響
を及ばす︑とドウこは考える︒いいかえると︑利潤率はあくま
でも資本係数と実質賃銀の変化によって規定される︒これは成
長率の問題に触れないかぎり︑そうなるであろう︒
ドゥニの分析はさらに次の段階へと進み︑経済成長率そのも
のが問題紅されなくてはならない︒ここでもドワニの分析の特
殊な性格がはっきりと浮びあがってくる︒さきの成長方程式で
は国民所得の成長率は独立変数とみなされていた︒だから︑こ
のファクターが独立変数として作用するかどうかを決定するこ
とは次の課題である︒特定の外生的要因によって成長率が変化
すれぼ︑それほ資本家の分前を変えずにはおかない︒もっとも
成長率の決定要因については根本的な議論がある︒古典派や新
孟典派の見解では︑成長率はもっばら利用可能な貯蓄最に依存
するとされたが︑これは周知の通りシュンぺ一夕ーとケインズ
によ′って攻撃された︒かれらは経済成長が投資機会いかんにょ
新 って決定されるとみたが︑この見解は今日では広く流布してい る︒だが投資機会の性質を具体的に決定するとなると︑経済学 者の間でも異論が多い︒いなむしろその相異こそが現在多様な モデルの構成を許しているのである︒技術進歩は拡張の二翠凶 である︒このことは誰しも否定しえないが︑山九世紀の初め以 来︑資本主義の発展は市場の獲得にあった︑とする見解もま
これとても別段新しいものではない︒殊に外国市場の必要性と
いう命題はマルサスやローザ・ルクセンブルクによって古くか
ら主張されてきた︒ドクエもまたこの線にそって問題を検討す
︵‖︶ る︒
もしドゥニのように︑新しい外国市場の澱簡が資本主義発展
の推進力であるとすれば︑成長率の低下はアメリカにおけるフ
ロ.ソティアーの消滅と植民地獲得の終鳶のような外生的要因に
ょって説明されなければならない︒このような理由で成長率が
低下するとすれば︑成長方程式において蓄積率や資本株数がそ
れによって直接どのような姥響を受けるかな問題にしなくては
ならない︒これは雉しい問題である︒そのためドクエは長期均衡
が維持されるため紅はどうあるべきかを考慮する︒この条件は
もちろん資本家の分前が誠少することによって維持されよう︒
そして︑資本家の分別が減少するとなると︑利潤率もまた低下
アンリー・ドクニ﹁利潤率と国民所得﹂ する︒ドゥニはこのように論理を進めてゆく︒新市場の制限は 確かに利潤率の低下にとっての一つの原因︑いな主要な膜因に は違いないが︑さらに進んで外国市場の制限がどうして資本家 の分前の減少をもたらすかを検討すべきであろう︒そのために は劇つの媒介項が必要となってくる︒そこでドゥニはこの問い ︵12︶ に答えるため︑カルドア︵芦Ka−dOr︶のアイディアを借りる︒ カルドアによると︑投資率の低下は資本家の分前を低下させる 傾向があるといわれる︒
経済成長率︵苧︶が減少するのに慧係数︵苦︶が姦
不変であれば︑投資率が低下するのは当然である︒投資率が低
下してゆく場合には︑デフし的圧力が長期にわた.って経済を支
配する︒いうまでもなく︑このような状況では貯蓄ほつねに投
資を越える傾向をもつ︒そのために価格は低下せねはならず︑
それはひるがえって資本家の分前を減少させる︒もしそうだと
すれは︑もはや市場の制限と利潤率の低下との間にみられる関
係については神秘はない︒新市場の減少によって生ずる投資機
会の低下は︑利潤を減少させるところのデフレ的圧力を生み出
す︒このようにして︑資本家の分前は国民所得の成長率ととも
に低下する︒ここでも当然循環の不況局面と長期的趨勢との関
連が問題︑にざるべきであるが︑ドゥニはこれについて触れてい
ない︒むしろ批判はカルドアに向けられる︒なるほど︑カルド
アの理論.はいかなる意味においても国民所得の分配を説明する
ものではない︒ドゥニはカルドア理論を叫面では評価しながら
︵二二五︶ 八七
第三十三巻 第二号
も︑︑その根本叱おいてはこれを批判するという立場にある︒な
ぜなら︑カルドアにあ?ては投資率は単に資本家の分前紅蓄積
率を乗じたものにすぎないからである︒この点ほドゥニの指摘
する通りである︒その意味では所得分配の説明は方程式の二つ
の項目に作用を及ぼす諸原因を分析することによって初めて与
えられる︒
ドゥニの見解では︑投資率は主として資本主義的生産紀聞か
れた新市場の大いさ紅よって支配されるし︑国民所得における
資本家の分前は︑労働者の必要︑階級間の力関係︑労拗市場の
状態によって決定される︒これはすでに指摘したところであ
る︒いづれ忙しても︑これらの諸原因が同時的に投資率と資本
家の分前の双方を決定するのである︒かりに労働者の必要や階
級間の力関係︑あるいは労働市場の状態に変化が起り︑それが
資本家の分前を減少させるのであれば︑他の条件にして等しい
かぎり︑これはまた当然に投資率と国民所得の成長率とを低下
させるであろう︒同じように︑市場の制限は同時に国民所得の
成長を制約するが︑それは他の条件にして等しいかぎり︑資本
家の分前を減少させ︑実質賃銀を増大させる︒ドゥ一㌦の論理的
帰結はこれである︒
以上のような推論が許されるとすれば︑賃銀と分配を決定す
る特定の要因の有効性を滅ずることなしに︑国民所得の成長率
濫直接影響を及ぼす諸要因が同じように所得分配に作用する七
とを述べることができるし︑またそうしなければならない︒ド ︵二二六︶ 八八
クー㌦はこのように主張している︒重ねていえば︑議論の核心
は︑要するに︑資本主義経済における投資率を低下させる市場
の制限にあるのであって︑このような投資機会の梱渇ほ資本家
の分前を減少ぶせ︑したがってまた利潤率を低下させるという
のである︒緒論はおⅥずから導かれる︒ドゥニに従えば︑利潤
率の低下は資本主義経済に内在せる三っの基本的な傾向によっ
て説明されねはならない︒三つの傾向とは︑すなわちH労働者
の生活水準の向上にとって有利に作用する賃銀決定の自然的な
諸要因の傾向︑出資本係数の上昇傾向︑日没資率の低下傾向な
どである︒これら三つの傾向の発現の仕方は明らかに栗本主義
経済の発展段階によって異っている︒だから︑たとえ十分な統
計資料があっても︑資本主義経済発展のある局面を解釈するの
はきわめて困雉といわなけれはなるまい︒
ギィルマンの実証的研究は︑アメリカ資本主義の発展を餞二
次世界大戦に先立つ約四〇年について詳細に検討したが︑それ
にもかかわらず︑この期間中に観察された利潤率の低下に関す
る解釈は必ずしも十分たとはいえない︒かれの場合︑アメリカ
における生産の成長率が低下し︑ていることに注意が払われてい
ない︒ドゥ一−のような論証の仕方に立てほ︑この批判は全く当
然といえよう︒一九世紀末期から一九小四年までの期間︑アメ
リカにおいて成長率が低下したことはすでにクヅJヘツツ︵S.
︵は︶ Ku竃etS︶ やフエルナーによって確認されている︒そこで問題
が提起される︒このような成長率の低下は資本係数と実質賃銀
の上昇の結果なのであろうか︒それともこの成長率の低下は迫
按ある種の外生的要因によってつくり出されたものなのであろ
うか︒前者の場合であれば︑それは利潤率の低下に関する単な
る随伴現象として解釈されるし︑また後者の場合であれば︑そ
れは部分的にせよ︑利潤率低下の原因とみなければならない︒
この理論的対立は容易にとくことができない︒歴史に沿ってこ
の問題を解かんとすれば︑成長率が鈍化したときの状況を具体
的に検討することが必要となる︒ドク一−の立場は︑指摘するま
でもなく︑後者である︒ここでさら紅ドゥニの見解を展開しよ
う︒
アメリカの生産の拡大は基本的にはふつう西漸連動と呼ばれ
ている﹁国内の植民地化﹂によって刺戟されたことは凝いえな
いところであろう︒そして一九世紀の末期にこの発展のリズム
が鈍化したとすれば︑確かにそれは実質賀銀が生産性の向上と
はぼ同じ歩訝で増大したことの理由の一つとなろう︒そしてこ
の期間中投資の減退が他の諸要凶の作用と一緒になって︑労働
者階級紅著しい賃銀の引上を可能ならしめたところのデフレ的
へ‖︶ 圧力を生み出したということができる︒生産方法の変化にもと
づく生産性の向上があった尤もかかわらず︑なぜ資本家の分前
が著しく増大しなかったか︑なぜ利潤率は低下したか︑という
問いは︑少くとも部分的には以上のような解釈紅よって説明さ
れる︑とドゥー㌦はいう︒特定の状態における理由はどうであっ
ても︑利潤率の低下傾向は脚般にはただ一つの要因の作用によ
アンリー・ドゥニ﹁利潤率と国民所得﹂ ってではなく︑さきに指摘された三つの傾向の共同作用にょっ ・て説明されなくてはならない︒ドクエの強調するところはその かぎりでは正当であろう︒
殊にイギリスの場合にはこのことは明らかである︒アメリカ
の経済発展の推進刀が﹁国内の植民地化﹂にあったとすれぼ︑
イギリスについてほ海外市場が同じような役割を果したという
ことができる︒周知のように︑一九世紀の前半には大英帝国は
世界市場における近代的な工業製品の独占的な供給者であっ
た︒この時期にはイギリス経済は急速なテンポで成長をなしえ
たが︑フランスやドイツが恐るべき競争相手として登場した後
半には事鹿蒜二変した︒このようなライバルの出現の結果︑イ
ギリス産業に開かれた植民地市場はもはや急速には拡張できな
くなった︒十九世紀末期におけるイギリス経済の成長鈍化の基
本的要因がここにあったことは多くの人びとの接摘するところ
である︒このような成長率の低下はデフレ的圧力を生ぜずには
︵ほ︶ おかなかった︒この現象はふつう﹁大不況﹂︵劇八七三−一入九
六年︶ と呼ばれている期間中に特に明瞭にあらわれている︒こ
の大不況は実質賃銀の増大に有利であったように考えられる︒
しかも当時においては労拗者の必要が高まりつつあったし︑そ
れにかれらの賃銀交渉力も増大しっつあった︒このように考え
てくると︑生産性の向上があったにもかかわらず︑なぜ資本家
の分前が著しく増大しなかったかを知ることができる︒アメリ
カにせよ︑イギリスにせよ︑もとより集塵陣向上のためには資
︵二二七︶ 八九
第三十三巻 第二骨
本係数の著しい増大を伴っている︒ドゥニの歴史解釈はおよそ
以上のように要約される︒それゆえに︑利潤率の低下は︑ドッ
︹16︶ プも指摘しているように︑投資率を鈍化せしめた新海外市場の
制限と︑ドゥニがこれまで強調してきた貸銀決定の自然的な要
因の作用と技術進歩による資本係数の増大にもとづくものであ
ったといわなければなるまい︒利潤率の低下傾向は︑ひとりア
メリカやイギリスだけで作用したのではなく︑全世界を通じて
作用していた︒マルクスが説明しているように︑利潤率低下の
一般的傾向は資本主義に必然的に存在するが︑この傾向は種々
の基本的な諸要因によって説明されるのであって︑ただ仙つの
要因をもってしてはこれを説くことができない︒抽象的には︑
ドゥニに矧して特別反対する理由はない︒しかし︑問題は依然
としてその本質をどうみるかにある︒ドゥニは現代成長理論の
成果を吸収しながら︑少くとも以上のような形で利潤率の低下
傾向について新しい論証を与えた︒その論証はきわめて巧妙で
ある︒すなわち岬面ではスウィー汐やロビンソン夫人らの批判
を容認しながらも︑他面ではかれらのように利潤率の変動の方
向を不確定のものとはせずに︑ギィルマンの実証的な研究に依
拠してかれはそれを統一的に説明した︒ドゥニの試みはその点
できわめて積極的な忠義をもっているのではないだろうか︒し
かし︑さき紅指摘したように︑かれらの論証の仕方は三っの基
本的な傾向にその命避が託されている︒これはマルクスの﹁反
対に作用する諸要因﹂とどのような関連をもつのであろうか︒新 ︵二二八︶ 九〇
奇な試みではあるが︑恐らくそれらのいづれについてもマルク
ス主義者の問には異論があろう︒ドゥニのいうように︑概念の
相異がさはど本質的な問題近関係しないのであればよいが︑必
ずしもそうだとはいいきれない︒また成長理論の立場からいっ
ても異論なしとしない︒というのは︑ドゥニは成長率を植民地
市場の獲得という外生的要因にもっぱら関連せしめているから
である︒それはもちろんきわめて真要な要因であるが︑それ以
外の要因もまた無禎しえないであろう︒もしそうだとすれば︑
それらの関連はどう処理されるのであろうか︒特に資本蓄砧転
含まれる内的矛眉との関係はとうなるのであろうか︒これはモ
デルの前提条件自身の再検討にまで進まなければなるまい︒ド
ゥニの論証はあくまでも試論であって︑それは完全なものでは
ない︒これは現代成長理論の基本的課題といってよいかも知れ
ない︒最新の試みとしては︑デューゼソベリーの﹁景気循環と
経済成長﹂があげられる︒また利潤率の低下傾向に関する面で
いえば︑資本の有機的構成というマルクスの概念とドゥニの用
いた資本係数はどのように異なるか︑さらにはその概念を利用
することによってえられる論理的帰結はマルクスが意図せる法
則とはたして同じものなのであろうか︒これについてはドルウニ
の説明は必ずしも説得的とはいえない︒またロビンソン夫人の
ように︑マルクスの混乱は価値によって計算するかれの方法か
ら生じたという批判に対してドゥニはどのように答えるのであ
ろうか︒論理的帰結が一致したからといって︑それは直ちに正
しい論証の仕方といえるだろうか︒ここにはなお根本的な方法
論上の問題がなお残されているはぅに考えられる︒特に利潤率
の低下法則を﹁長期的・趨勢的法則﹂として理解し︑産業循環と
の関連を解明しようとしないドゥニの立場にほ督成できない︒
︵1︶ 長谷部訳︑﹃資本論﹄︑第三巻︑三一二ぺー汐︒
︵2︶ Mattick.P\くa−ueT㌻ryandCapi邑AccumuT
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︵3︶ 中村訳︑﹃資本主義発展の理論﹄︑一三七−劇三八ぺー
ジ︒
︵4︶ 中村訳︑前掲沓︑二三八ぺージ︒
︵5︶ FenerⅦW.﹀TrendsandCyc−2ニnEc昌OmicA?
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︵6︶ DenisuH.Lbid●p.∽声
︵7︶ 冒mar.E●PEssaysintFe TheOry Of EcOn音i︒
GrOW声−欝↓一p.声 ドマールの仮定は完全雇用でし
アンリー●ドゥ一㌦ ﹁利潤率と国民所得﹂ ︵11︶ ドゥニは山九世紀において資本主義の国内市場もまた
かなり成長したことを認めるが︑それはあくまでも外
国市場の獲得によって生じた拡張の結果としてあらわ
れたと考えている︒初めの拡張はこのようにして加速
化されるが︑国内相場の拡大を初発的な成長の要因と
はみなさない︒
︵12︶ 只a−dOr−N㌔A君rnati諾TFeOri2SOfDistributiOn︒︸
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︵13︶ 舞巨岩etSふこ2ati︒naニnc︒meintFeUnit︒dStates︸
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︵二二九︶ 九鵬
かも生産能力が完全に利用されることを想定してい る︒このため景気変動への接近が試みられない︒この 点でドゥ一−もまた同様である︒トレンドとサイクルの 関係を考慮せずにはたして利潤率の低下傾向と恐慌と の結びつきをとらえることができるだろうか︒ G≡man﹂.A;TheFa−芽gRateOfPrOfit﹂誤↓qppJO00⊥−〇. Denisこ汁﹂bid=pp.∽○㌣∽○のけ
ハンセン︑﹁経済的進歩と人口増加の減退﹂触習訳 還界気変動の理論﹄下巻︑所収︒第三十三巻 第二号
︵14︶ 成長の鈍化に伴うデフレ的圧力は︑もし相当額の資本
輸出があるならば︑明らかに排除されうるであろう︒
ところが︑この期問のアメリカではそれとは反対に外 ︑
国資本が国内に流入したのであった︒
︵15︶ この点を考慮するためには資本輸出と海外投資収入の
相対的重要性の変化をみなければならない︒