室屋安孝「漢訳『方便心論』の金剛寺本と興聖寺本をめぐって」(『日本古写経研究所研究紀要』創刊号、二〇一六年)追記
追 記 ( 二 〇 一 六 年 四 月 二 七 日 付 )
本 稿 出 版 の 後 二 〇 一 六 年 四 月 七 日 及 び 十 三 日 付 私 信 に て 京 都 大 学 人 文 科 学 研 究 所 教 授 船 山 徹 先 生 よ り 金 剛 寺 本 の 巻 首 情 報 、 特 に 『 方 便 心 論 』 の 翻 訳 地 に 関 し て 重 要 な 御 教 示 を 賜 り 、 ま た 関 連 資 料 を 御 送 付 い た だ い た 。 船 山 先 生 に は こ こ に 深 く 御 礼 を 申 し 上 げ る 。 同 先 生 か ら の 二 点 の 補 足 と 注 記 の 詳 細 な 紹 介 は 別 稿 を 期 さ な け れ ば な ら な い が 、 そ の 重 要 性 を 鑑 み 、 以 下 に簡略 な がら 紹 介し た い 。
【 補 足 一 】
船山 氏は 、金 剛寺 本が『 方便心 論』 の翻 訳地 を「洛 陽」と する 伝承 ( 拙稿
二 二 頁 お よ び 二 四 頁 ) に は 、 唐 代 長 安 の 経 録 資 料 と の 接 点 も 見 出 さ れ る こ と を 指 摘 す る 。 こ れ は 、 趙 城 金 蔵 に の み 残 存 す る 唐 代 の 経 録 で 、 趙 城 金 蔵 に 広 勝 寺 本 と し て 収 載 さ れ る 玄 逸 『 大 唐 開 元 釋 教 廣 品 歴 章 』 ( 以 下 『 広 品 歴
章 』 ) 巻 一 七 、 第 二 六 張 ( 中 華 大 蔵 経 第 六 五 巻 、
146c9-15) で あ る 。 以 下 の 引 用は船山 氏の翻 刻と句 読点 に基づい ている (ただし傍 線は筆者) 。
方便心論一卷〈十 九紙。第 二譯。 凡四品 。 或 二卷 。 兩 譯一闕 。 龍樹菩薩 造〉
方便心論明造論品 第一〈後 魏延興年吉伽夜與 曇曜譯〉
方便心論明負處品 第二 方便心論明辯正論 品 第三
方便心論明相應品 第四
右後魏西域沙 門 吉迦夜與 曇曜 於洛陽 譯 。 見 費長房録 。
手 島 一 真 氏 の 「 『 大 唐 開 元 釈 教 広 品 歴 章 』 に つ い て
―唐 代 の 経 録 と 蔵 経 に関する 一考察
―」 (『 法 華文化研究 』 二九 、 二〇〇 三年、二一 ~ 三五 頁 、特
に 二 一 頁 及 び 二 九 頁 ) に よ れ ば 、 『 広 品 歴 章 』 の 成 立 は 玄 宗 治 世 下 ( 七 一 二
~ 七 五 六 年 ) で あ っ て 、 開 元 一 八 年 ( 七 三 〇 ) 以 降 の こ と で あ る 。 本 邦 で は 、 円珍 の 『智 証 大師 請来目 録』 (大正二 一七三番、
T55/1102a16) や 永超の『東 域 伝 灯 目 録 』 ( 大 正 蔵 二 一 七 三 番 、
T55/1163b15) に も 言 及 さ れ て い る 。 こ の こ と か ら 、 珍 海 が 何 ら か の 形 で 『 広 品 歴 章 』 の 情 報 を 参 照 で き た 可 能 性 が 浮 上 す る こ と に な る 。 船 山 氏 は 、 「 珍 海 の 見 た も の が 何 か は 特 定 で き な い 」 に し て も 、 龍 樹 菩 薩 所 造 に 言 及 す る 珍 海 の 情 報 は こ の 『 広 品 歴 章 』 に 基 づ く も の だ っ た か も し れ な い し 、 あ る い は 、 「 金 剛 寺 本 も 日 本 の 写 本 で あ る か ら 、 日 本 に は 洛 陽 訳 と す る 伝 承 が 金 剛 寺 本 や そ れ 以 外 ( 現 存 し な い 写本)に あった のかも しれ ない 」と 注記 し てい る 。