漁村における商業の一傾向
その他のタイトル A Survey of Retail Stores in Fishing Village
著者 柏尾 昌哉
雑誌名 關西大學商學論集
巻 2
号 4
ページ 335‑353
発行年 1957‑10‑31
URL http://hdl.handle.net/10112/00021827
主な漁法としては︑小型機船底びき網漁業︑機船船びき網漁業︑小型地ぴき網漁業︑磯建網漁業︑任勢網漁業︑延 現在のT町はかなり細長い町(東西ニニ・ーキロ、南北八•六キロ、面積――――-•二平方キロ)で、昭和三0年
三月二六日旧T町を始め近郷四ヵ町村の合併によって生れた町である︒徳島市からその玄関小松島市を経て那賀川
を渡り蒲生田崎を対岸に浅い湾を抱いてこのT町が展開されている︒だから︑T町は紀伊水道海域最南端の漁村と
なるわけである︒
交通は牟岐線がT町の一部︵旧T町︶を貫通し︑他は自動車線を利用しなければならない︒何れにしても︑現在
のT町は旧T町
(T
町T地区︶を中心に道路交通網が集中し︑この旧T町から鉄道又は道路で小松島市或は徳島市
縄漁
業︑
漁村
にお
ける
商業
の一
傾向
︵柏
尾︶
一本釣漁業などと︑他に養殖をあげることができる︒
く︑
イワ
シ︑
シラ
ス︑
ハモ
︑イ
カナ
ゴ︑
サバ
︑
徳島県の鳴門海峡から南下して紀伊水道の接点蒲生田崎に至る海域は︑
と外海との混合的性格をもっているといわれるが︑海域そのものの性格は純内海に近い︒漁獲物の種類はかなり多
ェ ビ
︑
ァヮ
ビ︑
ハマ
グリ
︑
アサ
リ︑
アサクサノリなどが数えられ︑ き
令 ヽ
ま え カ
漁村における商業の
一傾 向
いわゆる紀伊水道海域といわれ︑純内海 柏
尾
昌
哉
336
が三七九世帯の漁家の年間総漁獲高であり︑一世帯平均にすると約七百貫にすぎない︒如何に良質高価な魚である 区が漁村であるという規定が正当性を得てくるであろう︒
漁村
にお
ける
商業
の一
傾向
︵柏
尾︶
へと連なっているのである︒合併した四ヵ町村のうち二つは漁村であり︑他の二つは農村である︒
ここに発表するのは︑その漁村のうちの交通中心部に位するT町T地区についてである︒ただ︑調査はまだ継続
中であり︑合併後のT町全体のそれが完了していないので︑いわゆる全般的把握が不完全であることを考え︑又き
き取り調査の真実性の度合いをも考慮に入れて︑実名を一応ふせさせていただいた︒調査の完了をもって改正の上
漁 業 生 産 の 構 造
T町T地区︵旧T町︶は漁村である︒といっても︑その商店街を通る人は或はここを商業町であるというかも知
れな
い︒
事実
︑
T地区は小じんまりした商店街であり︑かなりの商店を始め製造業者及びサービス業者などが店列
を並べ︑官庁︑大会社支店がその間に一きわ立派な容姿を示している︒だが︑商店街を直角に切って海岸線へ向う
と︑小さな漁家群がおよそ商店群とは対照的な貧弱さを示しながら集積している︒勿論︑その数は商店数を遥かに
︵ 表 1
)
によれば︑漁業従事世帯数が全部の三三形を占め他を大きく引離している︒更
に︑商業及び製造業の大半の部分は︑大なり小なり漁業生産との関連の上で運営されているのである︒これでT地
先ず中心的産業である漁業の現況を見よう︒約二七万貫というのが昨年一杯のここでの総漁獲高であった︒これ
と仮定しても︑その生産力は極めて低いといわなければならない︒しかも︑良質高価な魚は極めて僅かしかない︒ 引離している︒ちなみに︑ 完全なものとしたいと思う︒
ニ四
しない程である︒
︵ 表
2)
に示されているように︑魚の中でも最も大衆的な安い魚といわれるイワシが全漁獲高中の実に五八形に及
んでいるからである︒だから︑生産力の低さは金額に換算すると更に低度となり︑
ところで︑このような低い漁業生産力は何も現在ばかりではなく︑
通じて一貫した現象であった︒それでも或る程度魚価高の時代にはなんとか支えて行けたが︑ここ数年前からは全
漁村における商業の一傾向︵柏尾︶
(表 1) 産業別世帯数・従業者数・人口数(昭30)
戸
分 業 業 業 業 建 業 業 業 業 業 務 他 業
/ : 農 林 憔 鉱 い い [ [ い
計
世 帯
数1
‑ ‑ l
95 3 379
5 33 146 182 4 47 69 76 107 27 I
1,1731 数
%
従 事 者 人 数\人)
・ , 381
7 566
8 58 334 46
,
696 152 89 194 2 4 3
8033031316046792 ロ
(人)
100 I
5 9 5 1
8 7 2 5
2 8 1 9
7 6 9 4
6 7 0 1
9 2 0 8
2 0 7 3
0 4 4 2
5 1 1 5
2 0 0
1 5
‑
︱
2 3 6
゜
(表2) 魚 種 別 漁 獲 高 (昭30)
二五
︵ 表 3
)
から判明するように戦後一0年間を 一漁家平均で年収六万円にも達
こ〜、」竺I
イ ワ シ シ ン ラ ス
I / 、 モ サ
I ユニ カ キ 養 殖 そ の 他
計 大 刀 魚 マ グ ロ
ビ
貫 148,642
63,031 8,297 8,033 7,076
l
6,221 2,657 I
812 19,003 263,772
形
2 . 5824332210800 ー
円(千円)
10,344 16,077 5,187 1,385 1,248 2,081 3,030 400 11,362 41,114
335
漁村
にお
ける
商業
の一
傾向
︵柏
尾︶
く行きづまり︑毎年二百人近くが町から離れて行っている︒勿論︑この漁業生産の行づまりに対して打開策が講ぜ
られていないわけではないが︑大した放果を挙げることができなかったことだけは確かである︒この点に関しては
後に
述べ
る︒
︵ 表 3
)
による漁法別漁獲高を基準にして漁業経営の分析への足がかりとして見よう︒
漁法では︑船びき網漁法による漁獲高が七割に達する程の圧俄的比重を占めている︒次いで︑ほとんど人力のみ
に頼る小地ぴき網漁法のそれが約一割から二割を占め︑他の漁法による漁獲高は全く問題にならない︒そして︑こ
のような比率はここ数年来ほとんど変っていない︒
四国には︑かつて西国第一のイワシ船びき網漁湯として豊後水道面の伊予沿岸が遠く元緑の昔から盛名をはせて
いた︒それは一時寛保年間に衰退したが︑文化文政時代には再び前の全盛期以上の繁栄ぶりを示したという︒古老
の伝えによると︑このT地区へ船びき網漁業が伝来したのは文政年間だという︒当時︑この船びき網漁業は中規模
の漁業に属していたが︑明治以降明瞭になってから知りうる限りでは網元によって経営されている︒旧藩以来の船
びき網漁業が後に次第に改良せられ︑大正末年に動力化され︑更に戦後大型化されて来たのが現在の姿である︒か
つての網元も幾多の系統に分れ︑或る者は都市へ或る者は工業へと移動を見せているが︑今なお︑船びき網漁業は
ほとんど昔の網元系統によって操業されていることを忘れてはならない︒
小型地ぴき網漁業も旧藩時代からあったといわれるが︑明治初年既に村中共有の形態をとっている︒任勢網及び
小型底びき網漁業は比較的発生が新しく︑従って︑これをめぐって網元が活動するということはなかった︒勿論︑
これは生産力の低かったことが原因していたのだが︒ 二六
(表3) 漁法別漁獲高推移 (単位千貫)
とす
ると
漁 ︑
村に
おけ
る商
業の
一傾
向︵
柏.
尾︶
こ戸〗
14 13 24 9 14 10 │ 14│ 17
8 1156 1194 11931268 1183 1314 1264 :275
I !
船 び き 小 型 地 び き 任 勢 網 小 型 底 び き
延 縄
そ の 他 計
だ︑採貝採藻はその性質上漁船は少くても多大の労働力が必要であ
だか
ら︑
いわゆる経営らしい経営をしているのほ船ぴき網四と底
びき網一との計五つの経営体にすぎないから︑被雇傭は厳密にはこ
れら五経営体と採貝採藻に対してである︒ る ︒ よる経営体はただの︱つである︒
二七
延縄漁船に大きいのはない︒
た
この漁法を基準にして経営体と組合して見よう︒T地区の漁業経営体は僅かに七一を数えるにすぎない︒︵表
4)
三七九世帯を数える漁家の大部分はこれら経営体に対して被雇傭の立場にあることになる︒事実︑︵表
6)
に示されるように︑多数の被雇傭世帯が存在しているし︑従って漁民層の分解も相当進行しているものと考え
られる︒なお︑残りの漁家は何れも協同組合経営の小型地びき網漁業へ労働者を出している︒
最大の漁獲高を示している船びき網漁業でもその経営体は僅かに
一三
であ
り︑
しかもその中にほとんど自給段階にすぎない無動力船
経営が九もあるから︑事実上は残りの四つの経営体が中心である︒
又︑五つの底ぴき網漁業にしても︑二0ー三0トン級の動力漁船に
3鼻〇
さて︑漁業経営体と漁船規模との関連はどうであろう︒
船四三隻となっており︑問題の動力漁船は︑三0隻が五トン未満の小漁船であり︑残余は二0トンから百トンまで
(表4) 漁 業 種 別 経 営 体 数 (昭30)
ご 無動力1 3月3 5│ 有 動 力520│20噸 1301001 計 計
底 び き 1 2 2 4 5
延 縄 6 24 1 25 31
船 び き 網
,
2 2 4 13採 貝 採 藻 14 1 1 15
そ の 他 7 7
計 37 27 1 4 2 34 71
(表5)
︵ 表 5
)
の漁船分析を見ると︑無動力漁船八一隻︑動力漁 漁
船 分 析 (昭30)
¥ 区分 有 動 力
\ . \ 、̀し 無動力
隻 数 1トン数 1馬 力 数 計・ 船種 ¥ ¥ 、
無 動 力 62 62
1 3トン 11 28 50.1 180 33
,
3 5 1 2 3 12 3
有動力 5 20
20 30 4 7 103.5 298 11 30100 3 6 72 233
,
計 81 43 228.61 723 124 漁村における商業の一傾向︵柏尾︶ニ八
漁村における商業の一領向︵柏尾︶
ので
ある
︒
漁船をもつ六つの経営体は︑ 段ちがいの漁獲収入をもたらしているかは︑
算 い
︒ て て る じ し あ 通 複 で を 重 帯 問 り 4 7 世 年 な
ー
は ︐ ヵ
ら は 数 か 数 帯 る 実 世 あ ' 傭 で に 雇 の み 被 も な の た ち こ し 出 る
, ノ
注︵
とんどを占めるという当然の結果は︑以上の分析によって明瞭になったことと思う︒
(表6) 漁 業 種 別 被 匝 傭 世 帯 数 (昭30)
五 ミ1経 営 体 1 被 雇 傭 世 帯 数
底 び き ' │
5 42
延 縄 31 20
船びき網 13 115 採貝採藻 15
I 130
そ の 他 7 57
計 I 71 I 264
一隻は遠洋カツオ・マグロ憔船︶となっている︒ ら動力漁船の能力は︑
二九
の一三隻となっていて五トンから二
0
トンまでの船が見当らない︒これ いうまでもなく馬力数からいっても近代性からい
っても二0
トン以上のものが勝れている︒すると︑これらニニ隻の二〇 トン以上の漁船はどのような漁業に従事しているのであろうか︒︵表
4)
によれば︑これらの層の中に漁業経営体が六つ即ち底びき網漁業二と船 びき網漁業四とがあることを示している︒このうち︑船びき網憔業が九 隻を占め︑底びき網漁業が二隻︑残りの二隻が
T漁業協同組合有︵その
総漁獲高の七割にも及ぶ船びき網漁業が
T地区漁船の大きいもののほ
六つの経営体によって独占されている二
0トン以上の動力漁船が︑
五トン未洞の動力漁船所有層に較べて如何に
︵ 表
7)
が適確に物語っている︒五トン未満の小型動力漁船しかもっ ていない層が︑どんなに努力しても年間百万円までの漁獲高しかあげることができないのに︑二
0トン以上の動力
︱つの例外をのぞいてすべてが百万円以上一千万円にも及ぶ年間漁獲高をあげている
T地区にはいわゆる漁業の株式会社はない︒少くとも表面上はすべて自営形態をとっている︒だが︑二
0トン以
上の動力漁船をもって操業する六つの経営体は︑形式上はともかくも実質上は中小資本漁業と軌を一にするもので
3・2
(表7) 経営体船種別漁獲裔 (昭30)
\ 年 問 ; し 船 \種
無動力 動 力 船
船 5トソ未満120100トン 10万円未満 12 3
10 20万円 12 4 20 30万円 2 2
30 50万円 3 5 1 50 100万円 3 14
100 200万円 5 1 200 500万円 2
5001,000万円 2
計 37 28 6
漁村
にお
ける
商業
の一
傾向
︵柏
尾︶
三つは町政に加わるだけで︑ れたように︑漁業の実力者が直接に漁業協同組合を支配し運営する 六つの経営体の分析に入ろう︒
︵ 表
8)
はその概況を示すもので 力を握っていることは以上で明らかであろう︒ ある︒この点は典型的な漁家自営︵小商品生産形態︶を行っている五トン未満層と質的にちがっている︒
つま
り︑
五トン未洞の層とニ
0トソ以上の動力漁船を所有する六つの経営体との間には大きな断
層があるということである︒T地区の漁獲高の七割近くを占めるニ
0トソ以上の動力漁船を所有する六つの経営体が︑T地区漁業の実
あるが︑共通した特徴は︑大きい船びき網漁業者はすべて町政に参
与しているということであろう︒典型的な沿岸漁業の村でよく見ら
という事実は出て来ていない︒この六つの経営体の中でも︑有力な
より劣勢な三つが漁業協同組合の役員になっている︒このことは︑町全体の支配関係
の頂点に漁業協同組合が立脚していないことを物語っている︒事実︑ここのドル箱船びき網漁業は︑沿岸漁業とい
っても漁業権漁業ではなくて許可漁業の一種であり︑極めて資本主義的漁業なのである︒だから︑逆からいえば︑
漁業協同組合を中心にして行われている漁業権漁業のウェイトは少ない︒
船びき網漁業は昔からイワッ漁業の大宗であったが︑今もなお徳島ではイワツ総漁獲の六割五分沿岸総漁獲高の
五割を占める重要な漁業である︒漁期は最盛期の七月から一0月に至る三ヵ月を頂点に一年中に及び︑ほとんどが
゜
あるからそこには義理がからまる︒ T漁業協同組合は︑
漁 業 協 同 組 合
T地区漁民三七九を組合員とし︑現在出資総額一0四万一千円を擁し︑弱小組合の多い全国2 平均では一応の水準より若干上位に位置している︒
新しい漁業協同組合は昭和二五年初頭から発足した︒大部分の漁業協同組合が漁業会からの名称改革にすぎなか
った漁業改革の中で︑T漁協は完全に役員構成の面目を一新して出発した︒それはかなり漁民的な漁協ということ
が出来るものであった︒しかし︑その運営は順調に進みはしなかった︒
例えば︑信用事業においても︑
どが充分な系統組織と膨大な資金力をもって君臨しているから︑弱い系統組織と少ない資金力ではとても対抗して
行けなかった︒最近でこそ上級系統機関からの融資により若干の事業活動が行われるようになったが︑貯金業務の
不振はその陰路となっている︒町の金融の流れは漁協の外で主として遂行されているといわねばならない︒
又︑購買事業についても全く同様のことがいえる︒即ち︑商業組織の相当以上発達しているこの町で新に行う漁
協の購買及び販売事業は最初から困難が伴った︒先ず︑購買事業であるが︑系統組織のない漁協が少額の資本金で
行うのであるから︑昔からの商店との競争は不利であった︒しかも︑そういう昔からの商店層は一応町の有力者で
漁村における商業の一似向︵柏尾︶ の経営体があるのである︒
加え
て︑
煮干イワシとして地元が加工されている︒この船びき網漁業に︑町政参与の三つの経営体と漁協役員層を出す一っ
T地区には阿波商業銀行T支店を始め相互銀行及び郵便局更には農業協同組合な
燃料などのばあいは独占的な石油資本が直接に給油所を設置してい
3
以上のように︑漁業協同組合はその出発の頭初から激しい苦難と斗わねばならなかった︒しかも︑最初に分析し
たように︑漁獲物の大半は船びき網漁業を行う経営体のそれであり︑後述するが︑それらの経営体は同時にT水産
物販売共同組合の有力構成員でもあるから︑あえて漁業協同組合の存在を必要としない︒しかし︑漁協はこの船ぴ が繁栄して行く筈はない︒
(表8) 経営体(六)分析 (昭30)
<
漁 船 所 有 隻 数 1漁協役員 問役I漁業種 有 動 町会
無動
1 5トッ120100トソ
理 事 監 事 議員
y 船びき 4 4 1
Ya 船びき 2 2 1
B 船びき 2 2 1
T 船びき 1 1 1
I 1 0 底びき 1 1 1
Ts 底びき 1 1
計 I‑ I ° 1 I
゜
I 11 I 2 I 1 I漁村における商業の一傾向︵柏尾︶
れているのが実状である︒このような経営状態で漁協を中心に漁業 販売価格はかなり割安で︑相当の中間利潤を産地仲買人層に吸収さ 質
的に
は︑
T漁協の販売事業というのも産地仲買人のための単なる る︒だから︑購買作業もほとんど実績を示さないで終っている︒在は︑遠洋及び沖合漁業の一部をのぞけばほとんどの漁獲物は一応T漁協へ集められている︒ここで漁協は三分の手数料をとってこれを販売するわけである︒ところで︑これをせり売りするために︑漁獲物はもう一度T水産物販売共同組合に移され︑そこで更に三分の
手数料をとられて仲買人の手に渡るのである︒そして︑この仲買人
というのはほとんどが地元商人である︒更に︑このT水産物販売共
同組合というのは地元商人層を中心とした組織である︒すると︑実
集荷機関的な役割しか果していないといえよう︒事実︑協同組合の 他方︑販売事業になると若干様相が違っているように見える︒現
︑0し という︒そこで︑
ゞ ︶ :
tヵ︑ ︑
二九年には更にシンジュ養殖業に手を出したが︑ T漁協の新しい努力は更に続けられた︒二七年の区画漁業としてのカキ養殖業の開始がこれである︒
だ
き網漁業の水揚げを受入れなくては購買事業の態をなさない︒必然的に︑漁協は船びき網経営者層の強い圧力の下
加えて︑頼みの総漁獲高は二九年度以外は一︱
1 0
万貫をこえることが出来ず︑特に︑二五年︑二六年︑二八年は二
き網漁業の漁獲物であり︑同じ許可漁業である小型底びき網漁業の漁獲を加えるとそれは実に八割にまで及んでい
る︒漁協を中心として操業される漁業権漁業が如何にウェイトの低いものであるか判然としよう︒
T地区の漁業権漁業としては共同漁業としての小型地びき網漁業が中心的なものであった︒ところが︑この地び
き網の漁獲が思わしくないのである︒二九年の若干の回復を最後の名残りに以後は低落の一路を辿っている︒
大体︑日本沿岸漁業の漁獲低下は昭和八年頃から漸く顕著になって来たのであるが︑太平洋戦争時に若干の資源
回復が行われた︒だが︑このような資源回復も戦後の二五年頃には早くも失われてしまう︒このような傾向に対し
て︑新しく発足した漁協は︑二五年以来︑小型旋網の一種である任勢網漁業及びハモ延縄漁業を奨励し︑或る程度
の成功を見せ︑現在ではこの二漁法で小型地びきの半分以上の漁獲高をあげる程の成長ぶりを示している︒しかし︑
勿論︑これとても帰死回生という程のものではなく︑
漁村
にお
ける
商業
の一
傾向
︵柏
尾︶
T地区漁民の貧窮は依然として深まって行った︒
が︑これも︵表
9)
のように大した成果をあげるに至っていない︒政府機関の補助金がなければ内容は赤字続きだ
今のところ海のものとも山のものとも判らな 0万貫にすら及ばない極度の不振に見舞われている︒︵表
)3
しかも︑前述したように︑その中で七割までは船び に立たなければならなくなる︒
31J6
ることも認めてよいだろう︒
同一 2
83
44
邸
蒻08
船 同 ー
養
' │ . l
' :
│
│ 1
キ
2 協 4 4 2ヵ7
゜
62‑
漁 昭
2 2
三
やく遠洋漁業へ出発をしたというにすぎない︒これを成功に導くかどうかは全く今後の課題である︒が︑ともかく︑
29 I同 362 i
158,960 !
I
812I 399,752 I
30
400 [ 202,721 ;
同 31 漁
村に
おけ
る商
業の
一似
向︵
柏尾
︶
要するに︑漁業権を中核とする沿岸漁業の範囲内ではT地区漁業衰退傾向を阻止すること
が出来なくなったのである︒じりじりと貧窮化して行く傾向を阻止出来ないのである︒ここ
に至って︑三0年に遂にT漁協自営における遠洋カツオ・マグロ漁業が脚光をあびて登揚し
て来るのである︒
T地区におけるカツオ・マグロ漁業の歴史は決してこれが初めてではない︒勿論︑遠洋の
カツオ・マグロ漁業への進出は今度が初めてのことであるが︑
年頃
︑
カツオやマグロがまだ沖合で充分漁獲出来た時代には一0トン内外の漁船十数隻がこ
の漁業に従事していた︒だが︑それはカツオ及びマグロの遠洋化と共に併行して成長して行 くことが出来なかった︒もっとも︑これは徳島県全体についてもいえることで︑
かつて全国
三を争ったというカツオ・マグロ漁業は遠洋漁業への出遅れということで沈退してしま3
い︑これが徳島の漁業を現在のような不振におい込んでいるのだともいえよう︒だから︑最 近どうにもならなくなった徳島の各憮村が漁協自営で遠洋カツォ・マグロ漁業へと相次いで
進出して行くのである︒T漁協の遠洋カツォ・マグロ漁業もその例にもれない︒だが︑T漁
協のそれもまだ第一T
丸︵七七・六ニトン︶の半木造船一隻が操業しているにすぎず︑
よう
T
地区漁民が新しい方向への進路を見出したことだけは確かであり︑漁協が新しく自らの存在意義を見出しつ
Aあ 一昔前の戦前最盛期の昭和八
四
先ず
︑ (表10) T水産物阪売共同組合概況
(単位世帯数) (昭30)
商業は一応順調に成長しているといえよう︒
一 五
即 ち
、 戦 前 戦 後 を 通 じ て 一 応 の 数 字 は 一 貫 し て 増 大 し て
い 業 ] 「 ‑ ‑ 竺l総 数7加ー入数]衷:員数
商 業 182 106 6
製 造 業 146 79 2
サービス業 69 14 1
漁 業 379 5 2
そ の 他 497 86 1
計 , I 1., 173 290 12
︵ 表 1 1
)
に従って分析を進めて見よう︒ と︑この商人層が問題である︒
とこ
ろで
︑
T水産物販売共同組合というものの性格を更に立入って観察して見よう︒これは︑水産業協同組合法
によって設立されてはいるが︑水産物販売業者即ち商人層を中心とした組合であり︑直接漁業関係者としては前記
船ぴき網経営者とT漁協を数えるのみである︒この船びき網経営者も単に漁業
だけでなくすべてが加工業者を兼ねている︒だから︑漁家経済の協同化という
協同組合本来の機能をももたないのみでなく︑水産物の販売であるのに漁業労
働者が全く加入してないという事実はその非民主的な性格を強く示している︒
つまり︑この組合はT地区商人を中心にしてそれに加工業者を加えた層の利益
のためにつくられたものであるということが規定出来るわけである︒とする
商 業 及 び 製 造 業 の 分 析
る︒だが︑詳細に見ると︑それは水産物関係以外の商業にのみ当てはまる現象で︑むしろ水産物関係の商業は相対
的には勿論絶対的にも縮小しているのである︒
漁村における商業の一傾向︵柏尾︶ つまり︑日用消費物資の販売を行う小売商業は順調に成長している
のに
︑
T地区特産の水産物をあっかういわゆる中間商人的な商業は次第に減りつつあるということである︒
次に︑製造業においても全く同じ傾向が現われている︒即ち︑全体としての数は増加しているが︑これは水産関
348
とこ
ろで
︑
T
地区における商業及び製造業には︵表
1 2 )
のような一連の傾向が看取される︒即ち︑漁家から水産 関係の商業及び製造業への第一次の動きと加産関係の商業及び製造業から他の商業及び製造業への第二次の動きと である︒これは︵表
1 3 )
によると更に明瞭となろう︒即ち︑戦後一
0
年間に︑商業では︑直接漁家から水産関係商 業ヘ二八が移行し︑従来の水産関係商業から三六がそれ以外の商業へ移行している︒又︑製造業でも︑同期間に︑
直接漁家から二三が水産関係製造業へ︑水産関係製造業者三七がそれ以外の製造業へと移行している︒ るというのである︒
(表11) T地区商業・製造業世帯数推移
│
;
; □
三〜竺l一昭8(戸) l 昭23(戸) 1商 水産関係 103 │ 111
そ の 他 27 i 61 計 130 i 177
,
水産関係 63 I 71 そ の 他 11 I 41 計 1 74 112 . . ̲
昭 30
業 製造業
99
83
82
ー
68 78 146
漁村
にお
ける
商業
の一
傾向
︵柏
尾︶
係以外の製造業の傾向で水産関係製造業は縮小過程を示しているのである︒
さて︑以上のような水産関係の商業及び製造業不振化の傾向は何に由来する のであろうか︒T
地区漁業の不振が大きく影響していることはいうまでもある まい︒独占資本主義の成熟にともなう諸矛盾が
T地区にも仮借なくしわ寄せさ れた結果であるともいえよう︒そのためにこそ︑
T
水産物販売共同組合の設立 が要請実現され︑水産関係の商業者及び製造業者の存在を護るために︑漁業協 同組合を中心とする零細漁家闇の上に漁業不振にまつわる諸犠牲を転嫁してい
るのである︒そして︑T
水産物販売共同組合の
T
漁協に対する犠牲転嫁の重要
かなめ
な要となったのが船びき網経営者なのである︒
だから︑現在の
T
地区の支配層はこれら船びき網経営者をめぐる商人層及び 製造業者層によって形成され︑その根城が他ならぬ
T
水産物販売共同組合であ
一 六
漁村における商業の一傾向︵柏尾︶
あり︑後者は同じく漁業段階からの完全離脱である︒
更に︑この水産関係商業及び製造業から水産関係以外のそれへの移行には二つのケースが見られる︒最初に商業 から見て行こう︒大体水産関係商業は下は行商段階から上は卸売︑問屋にまで及んでいるが︑第一次移行の主流は 行商段階から一般小売段階へと︑卸売︑問屋段階から専門小売段階へという二つのケースである︒卸売︑問屋段階 からの専門小売段階への移行は︑むしろ縮小の過程であるが︑
とであろう︒次に製造業へ移ろう︒このばあいは︑内職段階への転落と一般製造業への拡大移行の二つのケースで
(表12) T地区産業移動傾向
1 > < l
家
船、
び
漁
き 網 経 営 者
より重要なことは水産業からの完全な離脱というこ (表13) 産業移行 (戦後21年から30年まで)
へ 、‑‑‑‑‑‑‑‑‑‑‑1現在戸数1直接漁家出身水産関係から同業種移行 商 1水産関係 99 28 !
I
業 1そ の 他 1 831 12 │ 36
製 水産関係 68 I 23 ...
造
業 そ の 他 78 3 1 37
一 七
「水産関係から同業種移行」というのは,商業では水産関係商業 から水産関係以外の他の商業への移行を指し,工業では水産関係 の工業から水産関係以外の他の工業への移行を指したものである。
なお,これは戦後10年間の動きを促えたものであるが,この間に 消滅したり立消えになったものは含まれておらず, 30年現在現存 するものだけを対象とした。
350
しないだろうか︒
四 結
語 漁村における商業の一傾向︵柏尾︶
そして︑以上のように水産関係から離脱した専門小売及び製造業者層が︑従来の狭いT地区の範囲から出で交通
上の利点を利して広く活動範囲を拡大し︑漸<︱つの新興勢力として登場して来つ4あることは注目すべきであろ
ここで︑先に述べた船びき網経営者をとりまく一連の商人及び製造業者層がT地区の有力者層を形成していると
いう事実は︑更に︑内容的には︑船びき網経営者をとりまく水産関係の商人及び製造業者層による旧い勢力と︑水
産関係から離脱した専門小売及び製造業者層による新興勢力とに区分されうることが判ろう︒勿論︑現在の段階で
はまだまだ新興勢力は強くはないが︑より新しい進み方をしていることは確かである︒
極度の不振を続けるT地区漁業権漁業は今や漁民層を窮乏の極へ追込んでいる︒そして︑窮乏打開の道はもう漁
業権漁業ではなくて︑遠洋への出漁のみであることが判明した︒漁業協同組合を中核に自営による遠洋カツオ・マ
グロ漁業が現在の漁家層の唯︱つの光明であることも既に述べた︒勿論︑これが平坦な道でなく幾多の苦難に満ち
ていることはいうまでもない︒この方向への全力結集は勿論必要であるが︑内部的に残された大きな問題がありは
T水産物販売共同組合による漁業協同組合への圧迫は︑水産物価格の面で漁家に大きな圧迫を与えているが︑こ
れを排除しないかぎり︑
う゜
いくら漁獲高を上昇させても漁家の取得の何︒^ーセントかは吸上げられることになる︒こ
の悪因縁の要が船ぴき網経営者であった︒船びき網経営に雇用される漁民は多く︑漁協もその恩恵を受けることが
一 八
ところで︑最後に︑既に述べたが︑ 来ないことはいうまでもない︒ 新興勢力といわれる水産業から離脱した商業及び製造業者層は交通上の優位から今でこそかなり有利な立場を保っているが︑交通のより以上の発展近傍農漁村への商人進出により︑更に基本的には独占資本の収奪により楽観出
象について︑それは漁村一般の傾向として握んでよいかどうかという問題が残されている︒具体的には︑日用消費
物資の財売を行う小売商業が順調に発展して行くのに︑T地区特産の水産物をあっかう中間商人的な商業が次第に
漁村における商業の一傾向︵柏尾︶ 一応順調に成長しつつある商業の中で水産物関係商業の相対的絶対的縮小現 ことがらを適確に証明しているといえよう︒
九
少くない︒だからといって︑この船びき網経営者の果している漁民収奪の役割は決して放置さるべきではない︒
だが︑他方︑船びき網経営者自身の経営も決して順調ではない︒即ち︑年々低下の一路にあるイワシ資源は船び
き網操業による収入を次第に減少させて来ている︒水産物販売共同組合を運営してその収入の減少を漁家へのくい
込みによっておぎなっているのが現状である︒しかし︑これも今が限界である︒漁業協同組合自営の遠洋カツォ・
マグロ漁業への希望の大いさは彼らも漁民と同じ位大きい︒加工業にも手を出している︒
係の商業及び製造業者層の間でも見られる︒ つまり︑彼らは従来の漁
民収奪の機構をそのままにして漁民の漁業を或る程度上昇させることを希望しているのである︒同じ傾向は水産関
等しく︑彼らは水産物販売共同組合自体の存在が漁民を圧迫し︑自らの地盤を弱体化していることを知らないの
である︒昭和三二年に発表された﹁T農︵山・漁︶村振興基本計画書﹂の中に漁家経済の増収ということを等しく
叫んでいながら︑実際政策の面では形式的なことばかりならべて先の基本的な矛盾を放置している事実は︑以上の
352
漁村
にお
ける
商業
の一
傾向
︵柏
尾︶
第一の理由としてT地区漁業の不振ということをあげておいた︒たしかに︑T地区漁業の不振が水産物仲介等の
中間商業を圧迫し不振化しているのは事実であろう︒だが︑もともと普通漁村でとりあっかわれる水産物商品は︑
加工の如何を問わず︑極めて腐敗しやすい季節的性質である上に消費地は遠く︑且つ自然的条件に左右される特性
をもっている︒その上資本力は概して弱小であるからその存在の基盤は甚だ弱い︒水産物関係以外の小売商業も︑
もとより強力な基盤に立つとはいえないまでも︑大製造企業!問屋ー←卸売業者ー←小売業者と通ずる径路は︑
相手が資本制大企業であるだけに︑自然的条件に左右されず︑平均的であり且つ消費地も近く︑加えて利潤も或る
程度は安定している︒競争相手が比較的少なく特に最大の強敵の百貨店経営がまだ進出していない漁村地帯では︑
独占的な利益も加わって小売商業︵専門小売︶は少くとも安定しているといえる︒これが︑不安定な水産物関係商
業からやや安定的な他産業の系統的小売商業への移転を促す背景であるといえよう︒だから︑
う現象はこの傾向に単に拍車を加えただけのことである︒ T地区漁業不振とい
第二に︑独占資本による圧迫をあげておいた︒勿諭︑これは極めて多角的なものでその径路はあらゆる角度を通
じてなされている︒今ここでは水産物加工商品のみを例にとりあげて見る︒消費において水産物加工商品の比率が
鮮魚に較べて次第に高くなっているのは戦後の著るしい現象である︒中でも︑水産罐詰の比率の増大は著るしい︒
ところが︑水産罐詰業はかなりの中企業を含んではいるがその中核は大漁業資本である︒少くとも大漁業資本の水
産罐詰が日本全国の食品市場を支配していることは確かである︒これらはいわゆる系統を径て小売から消費者の手
に渡る︒つまり︑漁村地元における水産物加工は相対的に縮小し︑それに対応して地元水産物仲介商人の役割は低 減少して行くという傾向である︒ 四〇
(3) (2)
註山
1 1 1 0
年末現在の一組合当り平均出資額は︑全国平均六五万九千円であり︑年々僅少ながら培大して来ている︒
水産庁編集﹁協同組合の現状﹂九頁
徳島県商工水産部水産課﹁徳島の水産﹂
憔村における商業の一傾向︵柏尾︶ ︵一九五五︶六九ー七0頁 桜田勝徳﹁伊予日振島に於ける旧漁業聞書﹂ この点に関してはかなり資料がある︒主要なものは次のようである︒愛媛県宇和島郡役所﹁宇和島藩吉田藩漁村経済史料﹂Hは 傾向として掴んでもよいのではなかろうか︒ は、今や、鮮魚ー↓都市大資本加工—↓問屋ー↓卸売—↓漁村という近代資本主義のコースに替ろうとしている。
以上︑二つの面から観察したように︑水産物関係商業の相対的絶対的縮小は︑
のあることを明らかにすることが出来た︒T地区ではそれが漁業不振によって急激に表面化したにすぎない︒即
ち︑大なれ小なれ︑各漁村においてこのような傾向はおし進められて行くものと考えられる︒ 下
し︑
近代的食料品店に地位を奪われて行くのである︒
(一九五七・九•10)
四
いわゆる一般漁村において必然性
つまり︑漁村一般の 鮮魚ー←漁村地元加エー←仲介業ー←都市というコース