――目次――
1,
我が国における鑑真渡来以前の戒律について, 石田瑞麿, Buddhist vinaya in Japan before the coming
of Ganjin (Chienchen), Mizumaro ISHIDA, pp.1-20.
2,
神秘主義と終末思想,新約聖書神学の一焦点, 小林信雄, Mysticism and Eschatology: One spot of the
New Testamemt Theology,Nobuo KOBAYASHI, PP.21-47.
書評
3,
ワッハの宗教社会学, Joachim WACH, Sociology of Religion, 1914, 棚瀬襄爾, Jōji TANASE, pp.48-53.
文献目録, pp.54-59.
あるい ほ 大唐に律を学んだ 受 其の借が来朝し つたなやみが、この時をもつて解消し、 こム ている。 なる状態におかれていたのであろうか 0 こ る 手だてとしてほ、鑑 真 渡来後生じたところ しく我が国の戒律に対する思想の趨勢を知 っ 通した仏教であって 、 従って 律 としてほ 主 れる 0 しかるに孝徳 期 より漸次シナ本土より 我が由に於ける鑑真渡来以前の戒律について ていたにもか ム わら す 、結界し に 鑑 真ら 一行の過海人部がわが の小論は こ れを明かにしたいと の 受戒成立不成立の論争を通じ て 若く必要がある。 として受戒 謁 鹿の作法を四分に 直接仏教が伝えられ、特に三論 奈良仏教を戒律という点から考えると・ 月 をもつて一線を劃し,との年をとって 、 ある 0 即ち時代的にほ 勝宝 六年一 が 一般の承認を得ている 0 いわ
我が國に於ける
鑑真渡来
以
前の戒律について
田
瑞
石
麿
75
の
因由をなしたものほ 聖 授戒 伝律の
師 偕を請わしめた 吉備具備を潰して,﹁大徳 一 一 題 がついてまわる 0 十師がを な わらなけ って解決されて い なければならない。即ち であろう 山道宜の六巻 抄檸 特に書写され、研究され の暦尼令蚕 二十七条たおいて特に注目され くして四分に依 縛 して立てられたものであ た 跡は史 る ・第十 るという れば要具 鍵屋渡来 料 が明日に語っている。 Ⅰ第十二の二条は、と ことが出来る。 の 骨 たりえない 0 しかも 以前のわが国の骨 尼は戒 御宇、算学を学ぶ俺に人膚 し 、七年 a さ ︶ にわたり、帰朝後 勅 によって行法を撰定し きな位置を占めたことであろう 0 かくして に 於ける相部・東塔、南山の三仝 示 つ ね。このことほ恐らく極めて 大 、 律疏等 はもたらされて研究の分 ほ 疑いない。更に天武天皇の即ち三論初伝の音
漉
後、をの
ほ
三論の人
|,臨
はすべて
三
は
︶と称せられることを思い
76一 一 一 我が田に於ける 億其 渡来以前の戒律について
便ち 論の決択 分 第五 ゆ ら くの如き律儀は都べて 軌 ること無し。 備く 衣鉢を以つて受戒す。︵ 原 漢文︶ キ肚 一二 れる 自哲 受戒の一点に注目 俺達を維摩 堂 に集めて, が ・しかもその中にあっ ると、
ね
よ
達
は
旧戒を捨
て
また止むを得ぬ
とはしなかっ 無我にして 伝 和上の遠く 槍波を渉廿 、乗って此の 庄を立てて戒律を伝受せんと欲し、 心に冥契 せり、今 自り 以後 は、 戒を 入唐は天子五年のことであるとすれ 律 前にほじめて 戒雙が 築かれ・ 華武 て ム % ねて和上が授けるところの 戒 しかしこれら﹁ 借 ﹂が 旧 戎を捨て 回 に投ぜし ほ 此の心有りて 授け律を伝え ば、 実に二十 天皇 は じめ、 ・忘恩、善 頂 離二 を 受け﹂たの ム鑑 眞を和上 、 道縁 、 李徳 , 忍基 、善 である。 として新たに具足戒を受 、 誠に朕が意に副えり、 光明皇后以下登捜して﹁ 自り 日夜忘れざりしが、 ま か ること。一に和上に任す 余載 をへて実現しねもの ⋮⋮ 朕 、此の 今諸大徳遠く 詑 - 、﹂との詔た三 である 0 かく 謝 、 行潜 、行 けるに当つて 東大寺を泊りてより十全年を経、 戒 来りて戒を伝え︵んとす︶ るほ 朕の ゑ せしめて為られるの 栄叡 、 普照の してこの年四月・東大寺盧舎那仏の け 、ついで﹁ 沙禰 ﹂ 澄修等 四百四十 忍苦八十余人の・﹁ 借 ﹂ ほ ﹁何 % を拾 は 戒律に関する論争をへていたもの
三巻をもつて、
自菩
受戒
る
場合にはゆるされないと説いた。
た功徳具足の人に遇
えな
して﹂、自からの名をの
べ
・
註五
薩
という名は七衆の
一
総称
ちのある身分として受ける・
註
ムハ
ち
還俗
罪
︶を犯してその
浄
古本
わ
腕戒を采捨
する︵場合と同一
は
失われな
礒
とされる牛面
にあいて、比丘という身分の特殊性を強調し、
て
受ける浄戒が止むを得
さ
かえていえば、菩薩戒
は通
つて定まるとする。
﹁声聞﹂とい
ム
かえてい
註
Ⅰ
して、 自 、 葺 受戒し に 波羅提木叉なる ても 得戒 すべ 出家の戒を獲﹂を自
誓
受戒することによって、一則ち
其さ
ぅ
ることが説かれている。
四 7戒 ﹂の﹁三稜 戒粟 ﹂を 総挙
となった そして ﹁声聞﹂ 律儀であ 従って 許容する の 立場の 忙 ついて と 思われる。 ﹁声聞律儀しといいあらためたのであって とるが・その受けられる律儀 は ﹁ 芯葡 ﹂と い う るから自然受の義はゆるされないとし 比較するとき、 一は 比丘の自誓受を否定す 、立場の相違といわるべきものである 0 し 論 ﹂の所論に服さなければならなかつたの 旺吹 のような理由が考えられるだろう。 我が回に於ける鑑真渡来以前の戒律について 、その律儀を受ける人が してほ二百五十の別席 腕 たのである。 るに対して、 他は それを かるに 賢 填らの 諸曾 がそ は 何故であろうか 0 それ 五
が
故である。若し
菩一乗の戒を明かしているので
尽した奈良の学匠らの 依娠
点を求め、 そ
ある外ないと るととが注目される 0 とム として改めて考えられねば 衆中の比丘戒は二百五十戒 の意をふくんでいない。 後世南都の戒律宗の学匠
にい
う
﹁ 芯萄
﹂即ち比丘は菩薩の
ならないが,﹁
楡伽論
﹂では菩薩
として声聞の兵戎と同じものなの
らの解釈で
蛙蟻
﹁ 芯魏
律儀﹂
ほたと
かないとし、
従
正当の方式が存
伽論砂
の
育
とし
であるかが問題
あって・その 七
れであり・声聞 79
、
賢 操らをして 旧戒を乗 なかろうか 0 その致命的な理 であろう。そしてこの ょぅ""" "@ ノ
・
皇の御心を満たす人達
と
接
仁寿いで
檸経
の
疑い
をもた
登
の
訳
とされねが、脂の開
ぺ
からすとされた
0
しかしそ
べきことが勅せられたもの
による一切経が、養老元年
開元銀性収める五が知られて
五千余
毬が
哩硅
。従って当時
、
既に早く惰の法
経
録及び
することが出来るのであ
っ
﹁ 楡伽論
﹂が大智鹿論や大男
いたことと思い合わせること
つまり﹁
稔伽諭
しに対する
㏄挺然は案のように記している
Q
二発浄戒の自誓作法を行
戒を成
︵ 上
させ︶
てい
、
即ち此の義に立つて
足
戒を受けた如き
0
︵ 原
漢文︶年三田仏法伝道
繰
起し
巷下
︶
我がⅠに於ける佳典
淀乗
以前の戒律について
七
81 よ なの 当 詞 宗
る な 銀 。 。 鍵 の
い の
と い 在 て そ と き ち 興 く 最 と つ の 法 も の 基
勝思
, で 文 相 つ 「 の 子 わ 立 料 宗 と 抄 「 の れ っ
違 が事実上認められている その立場をこれと比較すれ ついてみれば、 戒を 受ける
丘
﹂
ほ
﹁声聞律蔵
と
及び菩薩
所習
の
牽
ゆ転
﹂ことが要請せられ・﹁菩薩﹂﹁
戎に対する声聞律蔵との関係及びその
徳助 伽藏 1ョ 曲み 片口 沙弥﹂としては沙弥 位置を明確に指摘し て 相 論註し観察修行す
、 こムに二表 浄 註 ∼ 几 櫻 略本業経﹂に ぬ しながら、後後の暦 に 依って 、 或いは三案 に 菩薩 適 受の方 軌 であ って レ たのであって 、 先に拡げた 思 託の喬に ょ に 問題の中心が拡大され、 るか 杏 かが問題の中心をな 仝この自誓受及び 従他受 立場とした﹁占察経﹂によ 及び清浄なる 借 衆を得るこ る ﹂ ヒ とによって﹁出家の けることによって、比丘 と 八 え も 上ヒ 以 原 漢文︶ 宅 律宗概要﹂ 巻下 ︶ 更 う したよ う である。 が 師 け 受 82
に 説明して ついて・ 示 している 戒 ・ 必萄尼 分け し硅い七 止し ている。 を 得て菩薩 我が田に於ける 鋒其 渡来以前の戒律について いるであろうか。 これに在家 令 戎と出家 分戒 ・ が、このうちの律儀 戒 として 戎 、王学 戒 、 勤 栄男 戒 、 勒策 ているととは︵それぞれ︶ 応 また他の笛所では﹁十方三世 註 - 戒 む従他 正堂することが説か する︵ところに 服 してみれば明かで の諸仏 世賀 ﹂の前に 砕 いて、﹁有智 油 、またある箇所では﹁菩薩の戒律 九 この二を立て、この二分浄戒に律儀 は、﹁律儀 我 とほ諸の菩薩の受ける 女戒、近事 男戎 、近事女戒︵の七︶ つ ・て三 聚 通交をえて、そこに 軽戒 を受けることをもつ 修行﹂しなければならな つて三聚浄戒の内容につい 蕃 つて受くべく・ 此 れに とあるから、﹁声聞しの ていわれている 0 しかもそ ついても一入の説明を欠いている。 ついてほ全く触れるとと
相 は ついても触れない。 賢填 らの立場が明かな 矛 盾 し ろ の 軍 て て い て ㏄
を 説かなかつたことと対比 す 思われる。
根本的な障壁があった 筈 占察経﹂のをれと極めて 接 て 、所謂 る ︵一︶自讃 雙桂 、︵二︶樫村浅木 施 、 ることほ・実際上三乗浄戒の中・の律儀 放 とし てほ 四重と五戒を受け、菩薩比丘としては 四 、律儀 戎 の我相が通別によって二重になって をみとめ、比丘律儀ハ双 ぴ 比丘尼律儀︶のみ ことになるのである。 になり、まな三案 通 受の義も確立し 、加ぅ 論は 一つの る 統一を得ているのであ っ かし 推 そこで は あくまで比丘律儀の自哲史 師 による 外は ないのであるから、通交 にょつ いて自誓 泳 をゆるす占察経を助 件 に求めよう たのである。十師をえなければ具足 戒 もえ も すべては輯に管足,たりえないわけである。 るに 従 拙工堂と自誓受の有り方 て 、それが四分律の七衆戒 む侠 ほ 認められていないし・佐伯 受 てほセ衆 戒ほ成立し ぇ な い 甜で としたととがいわれ ぅ るとすれ れす比丘を称しえないものとす この意味において目替受を説く て 受けられる内容には四 % 膀処 としての七衆 戎 があるというこ 重 と二百五十戒1脚受の内容を いる ヒ とが認められる よう であ ほ必す 佐伯正堂であり、菩薩 戒 O 84
註 二三 ︵ ぽ娑 漢文︶
ほ
て レ ・
駒、 我が由に於ける鑑真渡来以前の戒律について 、大乗戒たる 四他勝 如法 い ていると解された よう 田の布薩のはじめをなし 一一 85
し開 有れば即ち補 い満
鵜磨を諦 すべく。: 尼寺にほ一十︵人の︶ が 示された中に、みることが出来る。 儀の受持には四分を戒 相 に求 めて、﹁占察経﹂を援用して自誓受を許容 し、 認めうるのである。 ほ 、聖武天皇の国分寺刹 であるの﹁ 輪 切論﹂の認め・ない をほ りつけたとしても、所詮 そ とい わねばならない。 かくして 賢瞑 らは 思託にょつ 出来る。 さてこのようにみてくると ぎ られ ぅ るものとなるであろう。 つて、そこに﹁占察経しの に 賢 現 らの拭いえない致命 を描 てざるをえなかつたも 足して結合され、史実とし ぅ べき姿を再現したとすれ 自哲受 認容の 的な欠陥があ のと考えるこ ての価値を賦 ば 、鑑 真 以前 の 与 と つ 行 戒 せ が Ⅰ た 文
さて たこと こ ム 憶う 仁王経 ても、 の下に 宝 元年 以上のざとく鑑真渡来以前我 を見た。 で憶いを新たにして、それで - に 鑑真渡来以前に 掩 いても、 や 金光明最勝王経や薬師経、 大平六年七月二十七日付の 梵網経やその琉が名を見せて - ︶とか、五十巻、六十巻︵ 同 が 田作 掩 いて行 は梵網 戒は某し ﹁梵網経﹂は概 観音経等とは 並 ﹁ 鴨麻 生悪
笘
、 いるし、 又 梵網 上四年︶とか、 て 体用されなかつたものかどう めて高い仕置を占めていた経典 びえなかつたけれども、それで 大平十四年十一月十五日付の 経が| 一部一一部等の書写の例を 或いは百部︵天下十九年︶とか か 、このことを考えてみ であった。とはいつても も、例えば当時の﹁優姿 註 二八 ﹁ 秦 大蔵連音 達 ﹂のそれ 除いて | 四十二部即ち 二 の 大部数が書写きれてい よ うと 思 う 。 、勿論法華経や 塞貢進 解 ﹂を見 には、﹁読経﹂ 十一部︵天下 勝 註 二九 るほか・その 注 律 を依 屈 したものであ っ 四 の仏 と結びつけて解釈する ょ 詑 二六 である。伽 によって構成せられた あるとみられる。
恕 したのほ東大寺の盧舎那 訳の ﹁菩薩戒 謁磨 ﹂を諸国国
了一
㏄
ちに聯想されるのは﹁菩薩
戒
ないかと息われること・当時
二十指や三十指の良 加えられたに過ぎな 解するに足るの 梵網成がつとに 重 象 として何らの顧慮 れなかつたであろう では なかろうか。 て 、﹁占察経﹂の のぞいて僅かに天下 、その五十八戒中の 後、好 心 をもつて菩薩戒を受けんと欲する時、 仏菩薩の形像の前に 計三九 ﹂と自誓受を説き、 もち 受 をも認めている 梵 常に四分と 楡仰 にあ
られた 例
いからで Ⅰ ん
滅度の
に繊 悔し
かという
ち楡伽 一一一一 経の注釈 たかを 了 ぬ ありさ ないとい 卜 カ 。
親善にしても、
義寂の
﹁梵網経
経琉一浜
法師︵乗法師︶
等の多くが書写せられ、
﹁ な
生締
経疏
一一釜﹂、﹁
疏四巷
﹂
て
、そのほかとれらの名を
陽智用
の﹁梵網経
疏
﹂と想定
、 勝荘の ﹁梵網 ﹁大乗梵網論 二 ・ 明記しないで、 される 1 ﹁ 記二 87すしもそ うほ 云 え な い ものである。
具足戒を丼 持 したという
が 含まれている よう に思え
せられたことほ、天平勝宝
受けられるというととほ
ではなかろうかと。
き 憶い起されるのほ 道埼 のことである。
年 であるが、その結果そ る 。
らし、大安寺に住して、 の 一人として 道 喀を掲げ、 ていたことをのべ、更に﹁ 註 をしるしている。計四︵ たと記している。計四二
であろうか @ に倦むこと
しこれは考えられそうで 必 8 一四
よりと 吾 ざかつているのである。
しね | 第四十 を禁じ︵第二 尾令は当時そ を作し、伝習 の 、 兄を取り く 其の印を進 我が
︵第十九条
度の上から
勅に、コ右
罪亦此く
に 准じて 罪
月に ﹁令聞
前例に依り 宙に 於ける鑑真渡来以前の戒律について ︶ 、 特に経が菩薩 行 当然相反すべきも し山林に停任 し , 韓 四六 の如し﹂とあり、 に科し・所司知り く、 管網煮 に任せ 、 暦 網の政も亦 官 匹 しず - - のであ 謡 って 天平ょ て 正さ て印を に 申べ の挺 身捨身 | 第十六 経戒| つ たのである 0 しかして 骨 いう 奉ね 仏法を道して、自から教化 八年十一月にほ﹁ 其 れ % 尼 されば与に同罪、 者は 用 Ⅵ制度 拝 依らすと。宜し 韓日 八 て 報を待て﹂と話され、 天 一五 ㏄ 王 に伺って乱辞をせせれ と
済|
第九
軽戒|に
制約を加え
て 渡来しね律蔵 道達 の 師 ほ ほ恐らく 道溶が 唱導 宜のでほなかろうか 0 即ち であり、 又 かなり注目せ 正しね 暦尼令 と相反する
尊しているような、 そ れ 思 ら 大 場 た な 頽 れ % し る 笘 四三 っ て
し 明かであるが、との菩薩 のことほ何を意味してい てかってない大 脩正 なる
ことを律令の禁する 面を物語っているの 権的国家統一に立つ 味に掩 いて、 道潜め る 。 圭 三年四月、律師 重要な行事に 掩 いて 料は それを物語っていると思われる。 0 写経 丼 用紙注文㍽貴報 十二月十五日 詮 梵網経一部 RW 三ヌ 冊ゼ 正月読梵網経一部金字 紫紙 一一月読 法 花籠一部
醤
八十 無量義経百六十一巻 用 世父 用 十八 観無量詩経一釜 用廿 三文 + 八 梵網経一部 浄飯王隆一巻 用 八月十 摩詞牽邪 ︵ 耶カ ︶ 隆一巻 用廿 一世人 三剤阿弥陀浄土一縮 が 特に重 らの 史 一山、 / 哲五 O 韓 四九を 禁じた
は 本質的
梵網成 の
限られた Ⅰ 0
の 書写が命ぜられたことや、︵天平 勿論この大乗布薩の恒例化を直ち との三つの史料の連関を思 う のは、 とと、 道塔 がつとに梵網を諦 し、そ 宝字四年︶二 に道塔の律師 聖武天皇の治 の 注釈 書 をも の 戒律について 万匹 任用 下、 ヵ 、 い 出来ると為もわれる。 しそれにもか ム わら す 年にして起用されたこ 即位後、特にとの経が 一七
法花
隆一部、梵網経二部︵恐ら
摩耶軽ヰ額口
巻 、無量義経一巻、浄飯王隆一巻・ 鹿詞 以前・正月十四日に天 足 されるのである 0 こ とある記録に基づいて 会章 みてくると、梵網経が 第五の正月の項に 布薩 0 毎月十四日。 月 十一日に納入されて 金字梵網経が読まれた 日 。小乗 布蕉行レ之 。 修 錯行 埋モ 宝 三年 かと 推 天平勝宝五年十二月三日附けの宜によって 紙の かく 口 、諸計五
@
十二、月四日
0装漢受
紙墨
軸等帳
㍽官報
寧歪観
童詩整式
粍
俺が
後の記録
に
持ぃ
て正
91註 一、二唐大和上東征伝。 三 延暦僧録の 普 隠伏。 四 、一七・一九 占察 善悪業報経巻上。
五輪
伽師 地誌 巻 第四十一。 六、セ 、 二 0、二一、二二輪
伽師 地誌 巻 第四十。八軸
伽師 拙論者第五十三。一 0 楡伽論 記者第十四上。 一一開元釈教鉄拳 第セ 。
一二頁。
フ一五七
六頁︶。 一四大日本古文書二四 ノ 七頁。
知ろ うと欲 一 ・十二を見るとよい。
八頁︶・論 抄 二十巻は同天平勝宝ま 年 ︵同上・コフ五一 0 頁 ・ 一一 フ 九頁︶。
六四
隣室田 年 ︵同上ご フ 五八四頁︶。
一 O 五 別 受戒に四分律をと 的な性格を認めうる るという程度に止ま とを忘れることほ出来ない。 つて 此 つたこ ってい のであ
る 。 八 99
我が田に於ける 娃其 渡来以前の戒律について
ノ 六七 四頁︶、天平勝宝三年︵同上 亡フ 五四五頁︶。 0% 抄 三十六巻は真空の二十五巻の抄記に同じ。
四一 頁 ︶、 司 二十年︵同上一 0 ノ 三七五頁以下り。 ノ四 四五頁︶。 以上の記 鉄 に見えるⅠ 一八 梵 納経巻 下 、 菩珪竣 略本案 蕪巻下 。
二三類聚三代格
巻 第三。 二四律宗概要港 下 、三角仏法低速 % 超 巻下 。天平勝宝 三
と 推定
乗律廿
き、 菩 文一巻、 菩苗善戎 桂一巻、菩薩 内 一巻・ 菩
、清浄 末 古文番 三 一 ノ一 0 八| 一一 0 頁 ︶
一葦 ぬ握菩荏 徳一 苦睡 正法域 悔 文一巻・菩薩 藏無 一巻・﹃
一巻、 ︵大日
︶Ⅰ 一九
頁を見 よ 。
仏の仏身を めぐる 諸 二七大日本古文 妻一ノ 五八四頁。
七六頁。 一 ∼ ノ 二五頁。 d 一 フ三三ム全貝。
︶。同十八
五四五
同上一 0 ノニ 、五一八・五三六頁︶。
天平勝宝 玉
ノ 五三 Ⅰハ 口メ︶Ⅰ %
、 五 0 頁り 。
年 ︵ 同 正二 フ 五三ム 全貝 ︶。
辛勝 圭 三年
三四天平勝宝三年、同五年ほ三三に同じ 0
九頁︶。
三九梵網経巻 下 。 四 0 三国仏法伝通縁起 巻下 。
その一部 は 光定 の伝 逓 一心戒文巻 干 に引用せられている。 四三続日本紀 巻 第十七。
01 二四一 頁 。同上二四二 ・ 二四三頁。
ヰ表 、元亨 釈 書巻第二十二等。
沙臆
る o 即 ち それには
ⅠⅠ 勝浦 満捨 ,百十方三世諸仏法僧 @ 願 。云云・ とあるが、これほ所謂 る 銅板詔書に
天平 十三年⋮⋮・十四日。煥発願 仏 。云云・
ぬく 去
り ・ 天
もる。
でもる 四土 ハ 続日本紀 巻 第十。 口七 続日本紀 巻 第十一。 四八続日本紀 巷 第十五。 四九・五 0 続日本紀 巻 第十六。 五一大日本古文書二五 ノ二 0 頁 。 五二大日本古文書二五 ノ 一五九頁。
戒壇授戒 力
睦 む十
五四大日本古文責 フ六 0 三頁。 五五大日本古文書二五 ノ 二六五頁。
受 菩薩二朱
による
胡 でも る 。︵大日本古文書 一フ 七一三頁︶ 八 追記 V ついては、境野博士の日本仏教典講話に詳しい
網 補任に﹁ 法
九日の荒田井
一六二頁︶ - に
何れが本当か
田井氏﹂なる
科学研究費 補 助 によりなった研究の成果の一部でもる。︶ 二 ・ O 9
日 一一
神秘主義と終末思想
9 であり、 今日に於ては論ぜ ヤの 宗教思想の帰結である メ た イェス と パウロとの関係 ﹁。ハウ ヰ ﹂︶ 臣 Ⅱの隼の ハ ㌧ 曲 岸田 目の ・ 諜者と目される パゥ p の宗教 口 ㏄ 山ビ 日を論じて、第一の 幅昔が ﹁真理﹂で 第二のものほ其に至る﹁ 道 ﹂教の
幅昔
﹁ ﹂がイェスを主格してバウ ロ が 宣 べ伝えた︶ 幅 いつてもキサストの人格を廻
一席
テ耳 Ⅰ ビ ンダン円目 す ぎ㏄の 目 学派に依 て 近代 歴 史学の批判的方法が新約聖神秘主義
こ
1,
新約
り Ⅱ
信
林
pp ヴのぺ ︵ 吏 Ⅱ ゴ 毛色 は mn 二
シュ
ダ バツァ|
た 。而も軍に歴史は乗
っ てくる 0 このような 歴
な 新約研究の精華と 思は 下丈坊 ︵鰍の㌧ 曲臣 ︶仁の , H の 8 を考察してみよう。 口 q,0 巨ま コ目四四 ゲ Ho 口の 壮ミ
ざる可からざる所以を跡 内 0 目結白ヒ 0 目 ヰ のしののゴリ 侍 0 ︶ 04 鰍の、主張よりして 新 らしいイエス 像 ・の建設 を づ で れ 史 り 一一一一 甘に 見られる 幅 昔の佳格の相異関係 は、 阜に 歴史的な両者の関係に止まら げた﹁終末観﹂と﹁神秘主 題を投じられた。 ているが、水論文 は斯る の 意図である。そして 斬 る 意 0% 絡に 惹を尽さぬ何処 が多 くねったことをお断りしなけれ ば ならない。 @6
秘密も之に 依 て解 程 されると 識の有無の問題に就 て治極的 ﹁終末観﹂を積極的に イヱス 自身に還元 し、 葎らてイ Ⅰ ス 自身の メ シ ャ 識を以て生きていた。 例え 傭 であるとして,之を当時 ィ 以外にも重要 硯し ,その後期待した 再畑 がな く 弟子が帰って以来 イヱス 転 して﹁変貌 し ︵マタイ伝 くして始めて
-
ベテ p は山上で 摂 する 0 とのような大輝 且 い う 功績と同時に 、他 がたしかに当てほまるであるぅ。韓人神秘主我と終末思想
一一一一一
97執
ろみている。
女ご
ねて
目綬ぃ目
un
ダ
︶
後期ユダヤの
窩示録の
た
之を受けっいだ
毛
・
いるように思う。シュプイツアー
は
この解釈
を
更に発展し﹁徹底し
イヱス
の全行動︵
以来拙 影 桶 を 宅 お l して、 奇 技 ︶ 基俺激我々の関心を惹くのである。 か、 或いは ブ セット 、グイ
歴史的にほ兎も角神学的に 題 になるの ほ 、シュ ブ イツア かもしれないが︶一つの 祓 との信仰的共鳴の上にのみ 描
研究であれ・論者の信仰的
然しこの シチ,ブ イ ソ ヴウス の 55 な 様式典 眼進依て 看破し、それ ツト の如く イヱス 伝を うとしているよ う に 思 成 ﹂に 依て 始めて可能 いう支点より構成した 0% 遮 でほなく、著者 ひらめいた買埋である ち ﹁終末観﹂ ほ シュプ あり・かくして始めて彼は網
ア
イ
ベ
はプセ
成しよ
活と
毛のい
のの
中に
る
o
即
体験で
o
こ
㏄ね 著書に﹁使徒パウロの 祀秘 ⅠⅠ るべきであり、結論を先・空言 我人を導くと思う。即ち先に
め て内容的に終末観と神秘 スマン等の共通の緒論であ
穏
永遠と時間の二元的世界 る 限り、宗教に神秘主義は不 の目のの 巾由コ牲岸辞 のしー㏄︶ 註 八 田 のとなっていること︵ 碑尽 を見る 0 ヒムに は 神秘主義 内容規定に入り、其をキ リス来を尋ねて始めて著者の特 の神秘主義を当時の ギワ シ ャ ・ p ーマ世界の密 儀 宗教の雰囲気に求めたのに
ち パウロの神秘主義の思想
を 意味する 0 ︵の・ P お 円のⅠ︵ 7 註九 於 るようなほのかな期待、漫
実 となっている 0 イェスの
神秘主義と終末思想
二五 @9に 対象的な メ い う涛係 にあ 神秘主義しと 的 発展に順序 かす可からする事実である。 韓さ を 示 す と同 時 に ウ
ほ 主 体 が 斯 。 る 客 観 的 事件 に 列 な イコ て い る と い う 耐 私的 事 態 を 刃て し て 二 い 木 る 即
。
ち ユ、 ダ ヤ に 於100
スに も パゥ Ⅱにも存在す
ハウロ書簡に於ても 共槻祠昔
神秘主義と終末思想
二七ブ
イ
ツァーの所謂神秘
主
ね
ば
ならぬ
計
- 二
0
の
終末観にほかならない。
仲酌実存のあり方の排
睡法
ぷタロ
の所謂神秘主義と称
ものではなく︵
ピ
9
ピ宙三
その準備としての倫理的
努
いる
ヒとほ、
彼の書簡を検討
︵
ウロ
の終末観を解治せしむ
加えられれ
ば
ならない。
両人に各人分ち帰し得られ つけた。
ェ O2
二八
おい
。
下
された終末観と
神秘主義 晋を受容する信仰的人問のの
関連に於ていかに見るかて
考察してみたい。著者がパウロという信仰 者に於て神秘主義と終末観の く恩う。
︶であり、この新人の性格 ることに 依て 律法の束縛からヴ宵・
ぢ日おぽ 世界 え︵より
非 降下と称されたのである。 ことが出来るが、この信仰 む 。即ち﹁キリストにある﹂ 教の中心であるとする 考は 際 ﹁キリストにある 0 ﹂といて
公式化され宗教改革者に
き日 9 お守という命題に のであると著者は計㍉。に
個人的 且 主観なものであることは勿論であるが、
り、 或いは実践の原動力とな 註一 ムハ つているのを見るととが出来る。 二九
神秘主義と終末思想
ⅠⅠ 3 そのすぐ後の個 処で 著者も パ 註 一五 とを指摘する。 る 聖化の倫理をも こ く い う 所にほ老子を 倫理の承継である。 であるのに対して、 るが ︵ か に 通する l の 由ア - ガ の め - ボ 教の かくて著者に よ れば、パウロの信仰 の神秘主義が措定された後、 斬 る信仰 トの 死と甦りに 与 かることほ取も直さ 故に生する 苦娃に 処する力が産れるの ﹂ いべ Ⅹも ぃ a Ⅱ e ののぎぎ
のⅠⅡ∼の神 ひ ている 0 ︵の・ 舘 P 揺 Ⅰ︶そしてキリス ムる 現実に於て世と信仰者との剥離 の した著者は、神学でい う 義認から生すがある
為に死し
このよ
が
、基督教 耐秘 主義て
甦ったイエス・キ
うな 事態には既に 祀 主義の特異性を説いている。指して行ほれるのでほないの︵ 紳お ㏄︶ ま O
嚢中の肝 0 ののに憤ること
の 0 け 。
旨
日を深めている。﹁キリストにある﹂という 紳 を 合せてきたことを感 曄荻ゆ 其体的にはイエスが 簗き 痒 ひとつながりを持つことを特に強調する。 ﹁ パウ Ⅰにり於ては キ ︶スト 釦 Ⅰ 許 - 八
信仰的実存が終末論と神秘 数世紀のへレニズム化の時代 らした人としてのイェス・キサスト﹂ い B 俺の のゴ Ⅱあこ 宙ひ曲 ⅠのしⅡ ト臣 ㏄。Ⅰ 隼 0 の
隼お Ⅰのみが考えられね。 神
dm の し乱が 之に 伐 るのであ ﹁ 只 信仰のみにより﹂ mo す 大であっただろう︵の㏄ ぺ肛 ︶。
来或 種の人人技 ヰお目 ・ 円 T 済の個人、的体験﹂即ち神秘主 ない。パウロの祓の国の信仰 1 ㏄
神秘主義と終末思想
一一一一 Ⅰ・ ユ かくて基督 幸 である 0 パ うなへ レ品ズ 2 ほ 我人の眩 府 かくて メヴ 実は イヱスと もこの意味で 即ち パウ Ⅱ の 秩序が 、キ に 開始されて とのような p は異る 筈は 我人ほやム 教幅昔 の一一重 う な結論を著 る 。 我人ほ自身 質的に弁証法 契機として 本 ともあれ著者かつた故に不
理化される、 ょ
︵の・㏄Ⅱ八︶ れる。
卜 l 窩の︶ ものが他方 既 イヱス の 幅昔 る 信仰内容は 就 さるべき︶ えられる。 註 ︶ 九 イヱスと パ フ ない。
められね 萎督
ながらとの ょ
するものであ
六︶
む目
0 牙 ml,
ヨ こ日
こ ・㌧
艦罵
0 ∼ 0
目的山片Ⅰ。け
む 0 ︵神のの・の
0 コル俺
︵Ⅰや・
等と見解を同じうする。
爾神
五章十七ロマ
書
六章
す
十 -
一 を挙げている。
のヰ
田のでもるのに山口ロ宇田山
甘毎ト
ば
﹁信仰によりての
義
﹂
しているととは︵
じこ
・Ⅱ㏄
り
を 感ずるものでもる。
根本的理解に於て基督教的で
的 ︶
、め臣曲すい
Ⅰ ざ 。
ゴの
︵ 上
格 つけている。然し同じ
宗
りがのも円のののはⅠ 0 の 0 オ Ⅱ ぢド の ゴ ・ 侍 口目 の,の ・ⅩⅡⅠ︵ ぺ 0 Ⅱも く 0 Ⅰ 田り ︶ ㏄ る 。しの・ & の ︶︵前掲 書 九九 |一 00 頁 より引用︶
の o 円
w 一一一 - - 一一
神秘主義と終末思想
しろ対立的りととを主張
ゴ のまの 0 年の力の目的 @o はと し
多持精一﹁宗教哲学﹂ 昭
いる。神学の部門に於て
0% ガ目口由佳めの 由 0 ユ, ㏄
之 らに従 う ものでもる 0
の ととは彼にとって特別の メ
たととを暗示する。﹁ 時
千重十八節四章二十一節 マタイ伝五章十七節︶
与 ﹂のめすのでもると同時に ﹁課題Ⅰ レ E 俺住 あでもる。︵の・ お ・か り ︶
は 前のものと解釈されている。
由 田ロ の ・の・ 吋いつ ㏄︶
コ 。 ザ円 0 の亡臣Ⅰ由ののⅠ らオ 目のの す の ゴ 0 ⅡⅡの 0 Ⅰ︵・ 十節参照
摂関係にもる。
のの ト 下 方 0 ︶ c プ巨 00 オ曲偉 のの・ do 卍ト *. ︵かり・ ひ のめ・㏄㍉ 0 ︶
︵Ⅰののの目め 偉すい ︵の・㏄の の ︶
だ 何の徴候もない時から・ 朝
︵の・ ひ Ⅱ㏄︶
い う 二つの概念に依 て 表現 り 、新約の記者達がそこ・に を 明らかにするという組織神学的︵教義学的︶ 課題を内に含んでいる 0 と キリスト教の歴史を明らか かにすることを課題として
ぃ 口目せのⅠのヰ村戸ロ口げ隼のの 主義と名付ける場合にほ 、 ウヰ にとって果して妥当で 原始キリスト教歴史殊に 容 である神秘主義との関連 してとの点を究明したもの 念 規定が要請せられるのである。
場 である﹁徹底的終末観﹂とパウロの信仰 肉 ︶今一息徹底を欠いた憾みなしとしない。 そ
げ
出
・
う
つ つ
のす
キ
三タヱメ|
イスマンの宗教典学者達に
倣
るのではないか
0
既に宗教
き
意図を以て之を紳
秘
主義と
熱を以て
向ぅ
場合に之を耐
秘
108 三四一 コム、 @ ノ Ⅰ モ 桂林づけて次のように区分している。
ⅠⅠ 三七
神秘主義と終末思想
法的関係に立つという事実
め毛ロ
葉色
d
す斡
︶
キ汗目の
・ヨハネ文書
酉
申せ
め
イェス
再造吋
組織的結論
秘
主義のモメントに
依
論
このような救済に関は
のような信仰の構造に対
秩序の弁証法的構造を
最後の一線を示してくれ
﹁終末観と神秘主義と
の
折衝魚綾衝地帯を提供する
よう
に思はれる。
て構 る信 する ﹁ 坊檸 るよ いう 丙曲 Ⅰ 卜 丙笘 せの ︵ 守 Ⅰ 日 o の H0 口 怯曲三 3 口の︵牧会書簡︶ 曽目ド ︵ の立ガロのの 刃ロ ロ ト 内申せ け 昧め ㌧㏄ 口前審 の ︵帝の・ め ︶ 曲ロす 0 目 の 其 えの反対、 圭グヤ教、 、ヘレ コズム
、
特に弁証法神学の根本 取上げる。 ョハ、 ネ楯音書に見られる一連の言葉 端的に覗はれる論文で 七つのⅡ降の ぽ の㌧ 、レ の葵の・ 由輻 ㊦捷
つて考えてみよう。 ある。 甲の肝 る 。 察した新約聖書の祀昔の一一 学の最もラダイカルな弁証法使さ 註 こ 」 他 L- 、
し のも 等
。
刃ぴ日 主張を 宵キ手 の間 題性に 於て考察する 八 ) Ⅰ 2いは フランス革命ダーテ
がら、むしろ時間の﹁ 終
上の終りとしての 再
据付
曲 Ⅰは 時間を経あせる終末、 膵史 $ 三九
神秘主義と終末思想
なくむしろ 斬 る時間を打ち 硅三 ほ 、 既忙 歴史に表れた 々ヱス である。 に 概念の末梢的問題でな る 0 弁証法神学が終末論的で 知 される よう に思 う 。いほねば
ならない
0
︵ 田
トム
P.H
肚の︶
眉
-
元論
も鯨汗び田ぺ 0 日日点目 0 ロ田に欠けている 0 即ち 紳 秘 主義更に イ、ヂ ア サ 中エ -
エ
スの歴史的出現は
信仰者にが
指摘するような﹁神秘宝 レニズムに見られるような﹁宇宙論的二元論﹂内
0の
日 0︶
omがのすのし
目呂
㌃
日一
耐の賓辞﹂の。安田,㌧Ⅱ監守 Y 臼 もまた心身の人間学的 二︵自色
か津
oh
め
Ⅰ
せ
活かす及び
酌
﹂
ガ
0
日
の
owo
旺の
0 ゴ
﹁ 珂的
主
終
堅 間 例 信 の存の
独 養 ま D と が 斯 え 仰 ク 空 在 久 自 の た Ⅰ 好 永 る ぽ 的 り ) で 間 の生を歩む。 輻昔 以前 ﹁ 死 ﹂と称せらるべき
存して眞の生︵永遠
本
へい 呂のである。・許六決断することに 依て
望の生に生き得る。 ︵の, 円 白む︶の
来と 希望は、かく 時 い 0 ︵の, H 性 Ⅱ︶ 牡 別る 希
せ由 ︶・︶
無媒介に求める神秘
あ り特定のイェスの
斯
乙 忙 に る と と 」 於である
0 ﹁
斬 る瞬間
は
四 O Ⅰ ょ 4
やヱルケゴ帝ル
0所謂﹁近道﹂
卜ヴ婁
胃はの
俺
笘の阿は存しない
0
︵ 兜ドヘ
㏄︶
き昔
づれ﹂である所の禧昔の
問から永遠への腕出、死
か
問の申に
住
む限り
罪
と死と
督教
歴史観としての終末観
終末論の意義を見出すとと
仰
昔の救済えの蝿はり方を
立たされている限りでの
終
も
成立しないことはい
う
まで
るの
味
での﹁黙示
録
﹂
巨遷ぃ坤ア
て
﹁永遠﹂の前に立たされた
ツア
一
や
ウ
ニバ
Ⅰに於て見た
証法
神学は頑昔
に
肉薄する
方
ぬな
委を見る点に、廃典と
神秘主義と終末思想
四一
0 Ⅰの寸時
拝
とほ同一でない。
4 Ⅰ Ⅰ 止四二
Ⅰ 止
ゆきたい。
臼
と名づけるならば・後者
陥れ、信仰への決断を要求
れるが、之は普通解釈さ
鹿ロ
ロ コゑ
苫ざ
口内を新たにし
書
すれば終末は人問生体
忙
論は阜に歴史観の問題に止
ぼる存在構造﹂に於て弁証法
的
著作であり・而もバウ
ロ
の
の缶のぺ
円
0 き下
。・ ト
のめ弗から落丁
ん六Ⅰみたく思
うり
︵の・
ぃ 仁田︶いの曲
e
・の
0.
お寒
・ oh,
ぎ
目 一
である。キリストの復活を契
部分は第一にコリント前書
こと、第二に三十五節に従
る 。 四三
神秘主義と終末思想
木 ・ 巾 曲芸 ヴ 五メダ
ト お Hh ︶、その意味すると 歴史的生涯でなく、むしろ肚膣 1 目
かの︶
る 時間は所謂自然的時間・
立 ずるのでもる。
四
㌧ め Ⅰ岸の
ト 曲トの神の。
ゴ 。 コ
㏄。毛のの
0 口
主 ﹂
はなガ沌
0 のでもる。
でもる。人間ほこの﹁審判﹂
くのが基督教倫理の特質でもるといえよ
う 。
八
デイ
ペ リウス日商調・前掲
書
︶の。
真 由
り 、終末の 代表的に﹂ る 。 舟山ロ 燵 丹田Ⅰ 特に強調 し
の
キリス、
ト
の国
を予定されてい
定説
両
教義の本質
記述及び終末論
と
、
其は我 力 にとって知識の 死人の復活﹂ 臼 0 田田山日出口 穂 ﹂︵一一十節︶ ざ斡飛セぉづ の 出来事でありながら、 キ ら、 既に確実な約束がなさ も 見られる よう に﹁雲を輔 るのである 0 然し バプ テス げ臼幅 。口口のものでほない。 旨 。ロロの 日屈 のではない 0 ︵ ピ 局 月目㏄ ぃ毛︶
お Ⅰの ロセ 。Ⅱ サ e めのの仁一 ﹂のの。鰍の毎日出 pH 曲俺 のの現実 ま づ 彼 は 四 節 に 於 て キ ス が 、 l 甦 「 る 」 あ せ Ⅱ め セ Ⅱ 礎 と 現 「 れ る 」 馬 ・、
もと
いう
つ の 語
兄 Ⅰ し 我 夫 に と つ て 玉 18
な 紳の 力 に支えられた復活の 四五
神秘主義と終末思想
﹂
田コ
& のほ前者の意味での
同時に約束Ⅰのの
ユ
。 プ
︵の
も qol
時
﹂の思想は阜なる歴史意識
依て
人間は現実との戦に
於
与えられる
0
︵マルコ伝千草
良目下神に於て現在の﹁
肉
信仰的人間の構造Ⅰの弁証 のがより妥当ではないかと う 姿に依 て 妥当な お 現に接するのでほないか。 ぅ 関係、 いはぽ ﹁予定しと め 会の伝統的な教義であるこ 学の立場を去って組織神学 に違いない。 註∼
論 であり、バルトによれ ︵の・ AW の ヰぃ ・︶其は人間に依 き 之を絶滅すると同時に、
定 ﹂の範囲、目的等に就 て 無益
ソ ヂストの﹁万人救済 説 ﹂と
説 に対する信仰者の正しい
ド 邦訳昔日吉﹁神学の根本
関連に於て理解されねぼ た
予定説をして自己えの過信 る 。
英に
於る
問題の展開、更によ
してイェスの 禧昔 とパ ウ百 証法 神学者の称える信仰的 1%0神秘主義と終末思想
四七することにもると考える。
コリソト 前書三章 十 ー十七
て 終末の決算がなされるという考え等でもる。
&mq せ 0 ロ ︶の ゴ の o ガ dm の ゴ mM. ぺ ・ の c ダ 曲用 d, :::の・ め A
永銭 的 歴史像の反映とも見ら
れるのでもる。 121
プツハ の古木敬れ 距 ム右 培ナ
柳瀬
襄爾
を ・若干の感 想を交へ乍ら綴り 度 いと思ふ。
mw ぢ隼 ∼ の
ぃ ・ め ㏄に よつ
ヵノス Ⅰウ ニ 11
八年一月二十
に曲 ・ , ・㌧ qo ヰ 評 書
て 米国に渡り
史の教授を務
る 0 ワツハ の
からである。
の下に書か
山ロ 吊 な ダ Ⅰ 宙牛 ㏄
極めて概略を
宗教社会学Ⅰ
研究の広さや
もる。 独乙本
でもる。
社会との 相
究 する学問で
け Ⅱ口目的 田の ㏄︶ ,
0 ロ O 円 e@ ゴ Ⅰの的
的に関する 者
口目 e Ⅱ ハ 0 目口 ま 0 コ
﹁特に宗教案
㏄Ⅱ か ︶
︶に於ては
全学を宗教学
種々の分科と
の 信仰の分
教典、宗教心 四八 122
23 四九 ヴツハ の宗教社会学
性質を理解 す
宗教に関与
教 に関与し・
﹁宗教史は宗
話 、教義、教
実践的な表現
数集団にもも
異質的であ
をも含めて 宗
ウ ニ ーバー
集中して多く
。彼の同僚 ウ
示教に対する
にすぎぬので
ェ 一バ一の 研
に 限られてゐ
則 しつ虫も出不
全学を組織 せ んとしてゐるかが窺はれる。
てゐて、めホ
では ム什 いいⅠ 曾
しぅ るとした
ない。宗教の木
務 でほないの
する学者 は宗
場 に立つ。フラ
はこの点で最
の間の多様な
く 理解するこ
る 機能ではな
を 通じて宗教
の 各種の形態
各種の面をよ
ヮッハ に於て
教 心理学・ 宗
ものでもる。
会 哲学とを
世にキリスト
によ れ ば 左様
スト数社会 哲
立場から宗教
る 。
調査して 行
を 取る。この
治 理論、社会
られて来た間
たが、宗教史
て
整理せれば
力か
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0 ダの片
Ⅰ
里主義と一つの
では分析科学
れてゐる
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宗教社会学を
厳密に歴史科
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分
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質的な問題
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心理的 臆験の ・ づザせゑ ca ロ
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こム で は
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はれ・其の発 生の事情を検討する立場を取ってみない。
的 機能一般
0 社会 結 ムロ カ
肚 ︶就中後者
会主 に 世界に
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的に展開 せ
草 能に第五章
て ・本書の根
軒 として取扱 五 O
は 4
ヮツハ の宗教社会学
田 ︶
嫡宗教に見 合致した合致
牡 ca ︶︶ 円
ノグ ラドフに
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目 ︶ コの ㌧ 俺ぃ Ⅰの ゴ
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拮 合の原理として成立する任意的化人のめろされる 集団でもるが、
起源を辿り 得
類する 0 ︵の・ 五 ユ 25
のめ 朕,レ由コ 抽のⅡ , の卸ダ曲ヰ ︵ 力 のの目印 0 ト鵠り
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や斬 らしぎ 教
ほ 其の精神
る 。弟子葉
関係に立つⅠ
・友情及び 忠
。然し集団と
の 使徒でも
、後者は既に
て 歴史の流れ
る 。
由 のの ロせド
0 の︶
敦睦・ 儀 礼 、制度に於て制度的教団に向 ふ 。 ら ∼Ⅱの 曲 。 ち ︶ づ ・ n ∼ d. 口口・ レ肚レ て 特殊の神学 言葉をこの種 て 選出され 招 倫理学四: 昭 論 問題が残る よって制度的 る 。 の こざ ぢ 円円 ソっ あ本 せられそ ぬ た ︵Ⅱのりの 曲 。 さ ︶ ゴ h,. の・㏄のりこ 機 ﹂︵日本案 見解を想起せ て之 等の宗教 的な抗議の社 社会学的結果 np のの∼ p, の甲 評者は之に部
母 教団のめ本数
は 注目せられ
相当の考慮が 払 はれてゐることは 言ふ までもない。
題セ ・社会
ぬに 於ける 戦
㍼ め,の、 ︶ 、農
つつ ・﹁ 壌 w, ㎏㏄の︶
と言 ふに 留
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・分化せる 結 柱体にふれるところが 少い 。
には見出し
てられた事は
家 と宗教との
に 整理しつ ム
リスマの問題
てゐる。結論
若干の意見よ
0 ㌧・ c ざ ・ づ Ⅰ ゅ 欧も㏄の︶を附加してゐる。
間 廣を包括
であるから・ 五二 I26
ワツハ の宗教社会学
よ う に不満の
の其の部分を
々 は より多く
・一家の宗教
表せね ば なら
ものでもる た とは 疑を入れないのである。
賀 鉄太郎教
を 与へる碩学
のり きっ て ゐ
られて・今年
になってゐる
要ミ二口を謝し 度い 0 五 127
栄孝
素 、 ま家来三郎
家六三郎
石井次郎
石井次郎
君島三郎
著者名
相葉
伸 アウレ リウス 神谷美恵子訳赤岩栄
浅野順一
姉崎正治
姉崎正治
一一一一一Ⅰ一一一 一一一 | 一一一 一一一一●一一 二三Ⅰ 八 一一一一一Ⅰ一二 二三・四 二三・九 q- 四 Ⅰ 五 二四・九 二三・八 二三Ⅰ 五 二三・九 二三・一 一一一一 1 一一テ 128文 宇井 伯甘
宇井
伯秦良木忠一
魚水 忠 ・ 一 内田智堆
内村鑑三
宇俺
円空苧桶円空
ヴォルテール石川西武
横超森口
大塚
節浩岡本良知
不直 偉一小口仁一
小口仁一
小口
実小笘力
, 穂立原一男
Ⅹ信仰仏教
要宙房
二三・九
Ⅹ仏教思潮論喜久
屋宙店
二四・一
福音基音数の聖言
軸網教
研究
一
三上一
Ⅹ基督教精神史全由香房二四,
五
%
内村韓三思想選集㌍
1
畦吉店
二四・・
八
二四・
Ⅹ宗教民族学創元社二四・一一
%
宗教学岩波
審
唐土ま・
六
今後の基音数神学
劫鯛沖教
研究
一
ミ山﹃
Ⅹ桃山時代のキリスト教文化
東洋室二三二
余接学の科学佳人
文二
|一
権威信仰の席進入
間三
Ⅹ新約聖育林学辞典新教出版桂二四・三
は甘鉄
埠 岸 碕 昔昔 河 川中力 店 益金金夫
仮 止 古 音吉 夫 郎訳 郎 郎 柴染 金金 金 片 梶
会食
金 山芳 円円 円 正光 照 照 照 直達宗教芸術の基本的
糠篆学
神の存在の証明神の
神学における
宗
バルトにおける死と生物
辞儀について哲学スピノザの
ェ
テイカにお
五五
-研究三一
|一 0間使二三・六
任務 接 ・研究二三ー 三 ける神と人問の研究
ヨ一| 一二 出会 暁 二四・一 弗 基音教規 菓新教出版社
三
四 四 六 垂 律 太 子 の 人 生 観 挨と 育蓬 学 研 究
七
内村韓三
( 古 宗 媛教 研と 空大 二曲 孝二 ) 四 OⅩ印度哲学史要弘文安二三・九
Ⅹ研究の目的と方法 | 印度哲学 |哲学雑誌六四
|七 0 三Ⅹ仏教の諸問題岩波
甘店
Ⅹ宗教的理性丁字塁審
店 二三・一近代的精神の超
剋牡甘
㍉妹姑弘化
仏教的思考東洋文化研究
八熊野義孝
熊野義孝
小林 珍 雄編小島渡
座 田 司氏佐伯好郎
佳木秋夫
佳木秋夫
編 佐々木頭頂城田
桶岸本英夫
岸本英夫
俺木 英夫お森嘉藏
%森嘉藏
根浜
順忍 の宗 "教
哲 学 思 想 革 新 社 九 教レ 論 l の 不 白 楊 社 四 入宋 間 数 観及 科 学 の ( 出 示 宗教 教と 研入 空 間 考二 ) 四 O を酉 頂教 み東 て漸 の 跡 史 学 研 究Ⅹ神道概論明治書院二四二
高楠順次郎
高橋
虔肚
計八駅研究
高橋重孝地霊と月神
武島
泰
Ⅹイエスの人生観
か
い牡宙鞄
館史
武田清子
大東出版社
基督教研究
人文科学論集創元社
基督教文化
四 = = 二 二 一 四 三セ
二四・﹁
二
ソフィア書院二四・四
スト ト ン 教ル 純チ 対の 論キ 哲 学 雑 誌 る救のに 問お 題げ 真 刀 。 学 )
Ⅹ神と人間創元社二三・二
七
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三
Ⅹ冊数現象の諸英書房二四。
四
l 枠 彩め の諸 林相 の 神 神 の 問 仁一︶三・ムハ 茂 養三郎 鈴木 宗忠鈴木崇志
鈴木大拙
鈴木大拙
鈴木大拙
鈴木大拙
鈴木 吠拙め木人
拙 Ⅹ 弓臣目 8%0 ゑ % 臣 Ⅰ q*︶ ロ
0 ヨ Ⅹ基督教概論 ル Ⅹ宗教につい サ 法 宇 法 大 法 清白 明 日 割 平 夫 五 市 大威公蔵
置・ 蔵水日活
景 教 元 輪 奮一
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一 四 一 四
四
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八 一 一 一・六九 七 九 一 O 30田辺貞之助