シンガポールの水環境に関する水文地理学的研究
著者 小寺 浩二
出版者 法政大学文学部
雑誌名 法政大学文学部紀要
巻 81
ページ 45‑56
発行年 2020‑09‑30
URL http://doi.org/10.15002/00023465
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Ⅰ はじめに
環太平洋造山帯に位置する日本には,数多くの 島嶼・火山が存在する。島嶼は,その多くが比較 的小規模で限られた空間であるため,農業・工業 などの人間活動にとどまらず,海塩の影響や,越 境汚染の影響などが及んでいる。一方,火山には 有力な貯水能が存在するとともに,噴火史と周辺 水環境の水質に相関があることが確認されている
(小寺ほか 2014,猪狩ほか 2018)。以上を踏まえ て,伊豆諸島,八重山諸島,長崎県島嶼などの島 嶼と,御嶽山,箱根山,浅間山などの火山周辺の 水環境研究を行ってきた。
また,島嶼研究としては,国内で八重山諸島
(小寺ほか 2007), 石垣島 (米山 2009, 澤田 2010),
五島列島(池上ほか 2015),壱峻島(阿部ほか
2016),対馬(矢巻ほか 2018)等を対象としてき たが,海外では,ボルネオ島(小寺ほか 2017),
バ リ 島( 猪 狩 ほ か 2017), 韓 国 済 州 島( 小 寺 2019)などで調査を行ってきた。本稿では,2018 年 7 月~8 月の現地調査結果をもとに報告する。
Ⅱ 対象地域の概要
シンガポール共和国(通称シンガポール)は,
東南アジアのほぼ中心,赤道直下の北緯 1 度 17 分,東経 103 度 51 分に位置する。63 の島からな り,最大の島はシンガポール島(東西 42 km,南 北 23 km)で,国土最高地点はシンガポール島の ブキッ・ティマ(163 m)。他の島はいずれも小 さく,44 の島は面積が 1 平方 km を下回る。国 土面積は約 719 km2(世界 175 位)で,東京 23 区とほぼ同じ広さ。人口は,約 561 万人(世界
シンガポールの水環境に関する水文地理学的研究
小 寺 浩 二
要 旨
長年,国内外の様々な地域で水環境の調査・研究を続けてきたが,最近は,年に 1~2 回,海外で調査する機 会を作るように努め,その結果を継続して報告してきた。特に,アジア地域に力を入れ,マレーシア,インド ネシア,中国,韓国と調査してきたが,2019 年 7 月に AOGS がシンガポールで開催された際,シンガポール 島全域の調査を行う機会を得たので,その概要を報告する。
調査を行ったシンガポール島は,63 の島からなるシンガポール共和国最大(東京 23 区程度)の島で,高度 に都市化され,人口密度も高い(世界第 2 位)。高低差のない国土であるため水資源に乏しく,多数の貯水池と 隣国マレーシアから購入した水に頼っている。河川は,勾配がなく緩やかなため,停滞しているところが多く 濁っていて水質が悪いと思われたが,実際にサンプリングして分析したところ,水質が悪いのは汽水域など特 別な場所に限られ,予想以上に良好な地点が多かった。汚水処理施設の充実と考えられる。
人口密度が高く都市化はしているものの,居住空間としては,高層住宅を活かすことで公園や緑地が広くと られており,水辺空間も整備されていて,貴重な自然環境を保全する努力が見られ,学ぶ点が多かった。
キーワード:シンガポール,水環境,都市化,貯水池,水質汚濁,河川管理,自然保護
113 位),人口密度は,7,697 人/km2でモナコ公 国に次いで世界第 2 位である。高度に都市化さ れ,原初の現存植生はほとんどない。
教育・エンターテインメント・金融・ヘルスケ ア・人的資本・イノベーション・ロジスティク ス・製造・技術・観光・貿易・輸送の世界的な中 心である。多くの国際順位で格付けされ,最も
「テクノロジー対応」国(WEF),国際会議のトッ プ都市(UIA),「世界で最もスマートな」 都市,
「投資の可能性が最も高い」都市(BERI),世界 で最も安全な国,世界で最も競争力のある経済,
3 番目に腐敗の少ない国,3 番目に大きい外国為 替市場,3 番目に大きい金融センター,3 番目に 大きい石油精製貿易センター,5 番目に革新的な 国,2 番目に混雑するコンテナ港湾として知られ,
2013 年以来,『エコノミスト』はシンガポールを
「最も住みやすい都市」として格付けしている。
1 人当たり GDP が 2 番目に高く,国連人間開 発指数は 9 位でアジアで最高。教育・医療・平均 余命・生活の質・個人の安全・住宅などの主要な 社会的指標が高く人口の 90%が持ち家を所有し ている。
山と呼べる程の高さの山はないため,川の流れ は非常に緩やかで,水質は濁流であまり良くない とされている。
赤道直下に位置するため,一年を通じて高温か つ多湿である。モンスーン地帯ながら,雨季と乾 季の区別は明確ではないものの,北東モンスーン の影響により,11 月から 3 月にかけて降水量が 多い。5 月から 9 月は南西モンスーンのために,
1 降水の雨量が増え,強風に見舞われる。この南 西モンスーンに乗って,隣国インドネシアスマト ラ島の焼畑農業や山火事の煙が流れ込み,ヘイズ と呼ばれる煙霧になることがある。インドネシア の乾期にあたる 8 月~11 月ごろになると大気汚 染が特に酷くなり,健康への被害が懸念されるレ ベルとなっている。
ケッペンの気候区分によると,乾季のない熱帯 雨林気候 (Af) に分類される。年平均気温は 27.4 度,1 月の気温は 26.4 度,7 月は 27.9 度である。
11 月から 1 月にかけては雨季の影響もあり比較 的涼しい。年平均降水量は 2,350 mm。
高低差の少ない狭い国土では水源に乏しいた め,国内の多数の貯水池と隣国マレーシアからの 輸入した原水で水の需要に応じてきた。水道水は 国内の貯水池だけでは賄い切れないため,隣国マ レーシアよりジョホール海峡を渡るパイプライン で原水を購入している(パイプライン 3 本中 2 本 がマレーシアからの原水で,1 本が浄水後マレー シアへ供給される水道水)。
隣国のマレーシアが,1998 年には「シンガポー ルへの水の供給を停止する」として圧力をかけて きたことや,21 世紀に入ってからは「水の価格 を 100 倍へ上げる」との要求に対応を迫られるな ど,マレーシアからの水輸入の契約期限である 2061 年に向け,水問題はシンガポールの大きな アキレス腱となっている。
こうした資源問題への根本的な解決策として,
2003 年からは日本の逆浸透膜を使った海水淡水 化による高度濾過技術を導入して,国内の下水を 再生処理し,飲用水にも利用可能とする「ニュー ウォーター」(NEWater)計画を開始しており,
国内の水需要の 30%をこの再生水で賄うとして いる。
NEWater の工場は,MRT・チャンギ車両基地 に隣接しており,見学ツアーも設けられている。
またシンガポール水処理大手のハイフラックス社 の技術を使い,マリーナ湾の湾口をせき止めて淡 水化し,将来飲用に供するための可動堰式ダム・
「マリーナ・バレッジ」も完成した。この貯水池 では,シンガポールの水需要の 1 割を賄うことを 目標にしている。
元々,熱帯雨林を開拓したシンガポールにはブ キ・ティマ自然保護区,ラブラドール自然保護 区,中央集水区自然保護区(マクリッチー貯水池 公園),スンゲイ・ブロウ湿地保護区の 4 つの自 然保護区を設けており,ジュロンレイクガーデン 国立公園の整備計画もある(参考資料①など)。
47 シンガポールの水環境に関する水文地理学的研究
Ⅲ 現地調査結果
現地調査は,AOGS の大会が開催された期間 の前後の 2019 年 7 月 29 日~8 月 3 日にかけて,
47 地点 (河川 22, 池 10, 地下水 2, 海水 3, 水道 8, 飲料水 2) で行った (一部マレーシアも含む)。
1.水文観測結果
(1) 水 温
数日にわたって様々な時間帯に調査したため,
水温には気温の影響が及んでいるが,気温は最低
27.0℃~最高 34.0℃の範囲で,ほとんどが 30.0℃
前後であったため,それほど大きな影響はなかっ たと考えて良い。
水温は,最低 28.0℃~最高 33.7℃の範囲だった が,半数以上は,28.4~30.8℃の間にあって,そ れ以上の高温の地点は,池沼や停滞した河川で あった。
また,29.5℃以下の地点は,公園など埴生に囲 まれた場所で気温も低く,若干ながら水辺による クールアイランド現象が見られた。
小さな温度差の中にも,それぞれの地点の特徴 が現れていた。
図2 調査地点概略
図3 水温
図1 シンガポールの地質
(2) 電気伝導度
半数以上が 200~350µS/cm の範囲で, 200µS/cm 以下は池沼が中心で,河川では,マレーシアの1地 点 (9 R) と西部の 1 地点 (40 R) のみ。400 µS/cm 以上は,汽水域や島の井戸を除くと 3 地点のみ。
(3) pH(水素イオン濃度)
8.2~8.3 に約半数(23 地点)が集中したが,7.5 以下も 12 地点あり,島の井戸では 6.4 を示した。
(4) COD
予想していたよりも全般的に値は低く,4 以上 が 7 地点に過ぎなかったが,北部の 1 地点では,
18 と高く,EC 同様高いため,河川下流域の汽水 域で,汚染水が停滞していたものと考えられる。
(5) TOC(全有機炭素量)
COD と相関が良くほぼ同様の傾向を示したが,
5 mg/ℓ 以上が 10 地点,8 mg/ℓ 以上が 5 地点で,
貯水池や停滞した河川で値が高く,COD よりも 水質の違いが明瞭に示されている。
(6) まとめ
予想していたよりも河川の水質は良く,水質汚 濁が見られたのは,貯水池の一部や汽水域の河川 末端部だけであった。自然保護区の環境は良好に 保たれ,都市部でも排水の処理が十分になされて いると思われる。
標高差の小さい地形であっても,多くの河川で 一定の流れがあって,水循環を考慮した河川や水 環境の管理が行われていることが想定された。
図4 電気伝導度
図5 pH分布
図6 COD分布
図7 TOC分布
49 シンガポールの水環境に関する水文地理学的研究
2.水質分析結果
(1) 主要溶存成分バランスの分布
海塩の影響の強い Na-Cl 型がほとんどである が,北西部では Ca-HCO3型も見られた。また,
ほとんどの地点で,Ca が一定以上の濃度を示し たのもこの地域の地質の特徴と考えられる。硝酸
(NO-3)の値が高いのは,汽水域や停滞地下水に 限られたが,水道水の多くで一定以上の濃度が検 出されたのは,不思議であった。日本の技術を用 いた処理水を上水として利用しているといわれて おり,今後の検証が必要である。
(2) 主要溶存成分の組成
トリリニアダイアグラム(図 9)から主要溶存 成分の組成をみると,EC の高い地点は,ほとん ど海水の影響が見られた。また,北西部の自然保 護区の水質は,典型的な源流域の淡水の性質を示 し,その地域の水道水もほぼ同じ性質を示した。
また,貯水池の水質は地域によって異なり,特に 空港近くのタイピネス貯水池(29P)は,水道水 によって涵養されていることが明確で,2018 年 に広州市街の公園で観測された結果と同様であっ た。
図8 主要溶存成分とEC・COD
表1 現地調査と水質分析結果
51 シンガポールの水環境に関する水文地理学的研究
3.各地域の概況
(1) 河 川
繰 り 返 し 示 し て い る よ う に, 面 積 が 狭 く
(719 km2:東京 23 区程度)山地と呼べる程の標 高の地点もないことから,大河川はないが,水系 は発達しており,島全域に河川が存在する。
今回は,地図上に示されている主要河川のほと
んどを調査したが,川幅数十 m~1 m までの様々 な規模の河川があり,護岸の様子も様々だった。
大きな河川のほとんどは,コンクリートによる 垂直な護岸となっていた(写真 1,5,6 など)
が,自然河川に近いもの(写真 2,3,8 など)
や,3 面張りの排水路に近いもの(写真 4 など)
もあった。
図9 主要溶存成分組成
写真1 No. 26R
写真2 No. 09R
写真3 No. 22R
写真4 No. 46R
写真5 No. 23R
写真6 No. 24R
写真7 No. 38R
写真8 No. 45R
53 シンガポールの水環境に関する水文地理学的研究
(2) 池 沼
沿岸域の汽水性のもの,自然保護区で自然のま ま保全されているもの,都市域で公園の一部とし て管理されているものなど数多くの池沼があり,
広い水面積を示す(写真 9, 10, 11)。
水質も様々で,河川源流域に近いものから,停 滞して悪化したもの,工業用水と思われる処理水 で満たされたものなどがあった。
(3) 水辺環境
マーライオンなど観光スポットが集中する沿岸 域は,初めて訪問した 1985 年当時からすでに整 備されていたが,今では,隣接して高層ビルが建 ち並ぶ独特の景観を形作っており,多くの観光客 が訪れる場所となっている(写真 12, 13, 14)。
南部レジャー施設内のロープウエーからは,海峡 に停泊中の多くのタンカーが見えた(写真 15)。
写真9 No. 1P
写真10 No. 2P
写真11 No. 44P
写真13 写真12
写真14
写真 15
(4) Bin島
シンガポール島以外の小島へは船の便があり,
そのいくつかには,環境保全の様子を見学するエ コツアーのようなものがあって,AOGS の巡検 として Bin 島へのものに参加した。
シンガポール大学の学生の案内で,沿岸に張り
巡らされた遊歩道を歩きながらマングローブなど の海岸の環境を観察し(写真 18, 19, 20),熱帯 雨林の原生林の中に作られた展望台をのぼりなが ら森林の鉛直構造を理解した(写真 21)。
島の古井戸の水は塩水化していたが,現在でも 利用されている井戸の水は良好であった。
写真16 Bin島への船上から
写真17 Bin島の船着き場
写真18 沿岸に作られた遊歩道
写真19 マングローブ脇の遊歩道
写真20 遊歩道脇のマングローブ
写真23 現在も利用されている井戸(No. 16G)
写真21 Bin島の展望台からシンガポール島を
写真22 古井戸(No. 14G)
55 シンガポールの水環境に関する水文地理学的研究
Ⅳ おわりに
国内の島嶼研究を長年続ける中で,2017 年か らは海外についても調査を始め,ボルネオ島,バ リ島,済州島など,自然環境の豊かな島を対象と してきたが,高度に都市化されたシンガポール島 の調査結果は,興味深いものであった。
都市化が進む中でも,住宅を高層化するなどし て貴重な自然環境の保全に努めており,人工的に 管理されたものであっても,都市内にも緑地が多 く,水循環に配慮した河川管理が行われており,
水辺空間も整備された良好な水環境が維持されて いた。日本も含めたアジアの諸地域で人口の集中 が進む都市の水環境のあり方について,多くの教 訓が得られた調査であった。
しかし,水道水や一部の貯水池の水質など,疑 問点もいくつかあり,継続調査を行って,謎を解 いていきたい。
註 1 シンガポールでの調査結果は,法政大学大学 院人文科学研究科地理学専攻設置の 「水文学研究・演 習」 の実習として 2019 年 7 月 29~8 月 3 日に行った 調査を元にしている。
註 2 現地調査・水質分析・分布図の作成などで は,猪狩彬寛,矢巻 剛,堀内雅生,浅見和希君の支 援を受けた。ここに記して感謝の意を表したい。
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参考資料
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%83%B3%E3%82%AC%E3%83%9D%E3%83%BC
%E3%83%AB(2020 年 4 月 1 日閲覧)
Singapore Island, which was surveyed, is the largest island in the Republic of Singapore (about 23 wards in Tokyo) consisting of 63 islands, highly urbanized, and has a high population density (the second largest in the world). Since it is a land with no difference in elevation, it lacks water resources and relies on many reservoirs and water purchased from neighboring Malaysia. Since the river has no slope and is gradual, it seems that there are many stagnant places and it is cloudy and the water quality is poor, but when actually sampled and analyzed, the poor water quality is found in special places such as brackish water areas. It was limited, and there were many better points than expected.
Although the city is densely populated and urbanized, by utilizing high-rise housing as a resi- dential area, there are many green spaces and a waterside space, and efforts to preserve the precious natural environment were seen, and there were many points to learn.
Keywords : Singapore, water environment, urbanization, reservoir, water pollution, river management, nature conservation