吉飯 田島
岡
圭一郎(横浜国立大学教育人間科学部)
慈 裕(独立行政法人海洋研究開発機構・
地球環境観測研究センター)
秀一(首都大学東京都市環境学部)
要 約
植生や生態系に関する研究に比べ、小笠原諸島における気象観測研究は少ない。本稿で は小笠原諸島を対象とした気象観測やデータ解析の研究成果をレビューし、今後の課題に ついて述べた。小笠原諸島は水文気候学的に乾燥域と湿潤域の境界に位置していた。近年 は気候の乾燥化が顕著であり、その植生に対する影響が危惧されている。島懊スケールを 対象とした気象観測研究では、水平分布と比べて、気候の鉛直分布に関するものはほとん ど行われていない。今後は雲霧帯のような植生分布に影響する気候の鉛直分布を詳細に観 測していく必要がある。
1.はじめに
小笠原諸島に限らず島懊生態系の成立過程を考える上で気候条件は重要な外的要因の一 つである。また近年では気候変動による島瞑生態系への影響も新たな問題として指摘され つつある(吉田、2005)。
小笠原諸島でこれまでに行われた気象観測研究では、島内における気温や降水量をはじ めとした気候条件の差違が指摘されている(例えば、田上ほか、1987)。そして、小笠原 諸島でみられる植生分布には、このような気候条件の差違が関係していると考えられてき た。しかしながら、植生や生態系に関する研究に比べ、小笠原諸島における気象の観測事 例は少なく、既存の研究では父島気象観測所の観測データが代表値として用いられること が多い。小笠原諸島における植生の成立過程を考えるためには、詳細な気象観測に基づい た島襖スケールでの気候条件を明らかにする必要があろう。
本稿では、これまでに小笠原諸島で行われてきた気象観測やデータ解析による成果を紹
介し、小笠原諸島の植生の成立過程を考える上で、今後特に積極的に取り組むべき課題に
ついて述べる。ここでは、1970年以降の研究成果について紹介する。第二次世界大戦以前
の研究成果については田上(1989)を参照されたい。
皿.小笠原諸島の気候の特徴
小笠原諸島の気候には「亜熱帯性」および「海洋性」という特徴がある(岡、1989)。
父島気象観測所のデータでは、1971 一 2000年の平年値で年平均気温が23.0℃、気温年較差 は9.9℃で、こうした暖かさが小笠原諸島における気候の特色の一つである(田上、1992)。
また、同じ緯度に位置する琉球列島と比較すると、特に冬季の季節風に対する位置や海洋 における位置が異なるため、寒候期に父島の方で気温が高い。そして、気温の年較差は小 さく(岡、1989)、より海洋性の性格が強くなる(貝塚、1981)。
小笠原諸島では亜熱帯高気圧である北太平洋高気圧(小笠原高気圧)の発達にともない 夏季に乾燥した時期が長期間継続する。前島・岡(1979)は戦前のデータ(1907−1940 年)を用いて自然季節区分を行い、6月下旬から10月上旬までを盛夏とした。これは上層 風のふるまいにも明瞭に現れる(岡・田上、1983)。この時期には小笠原諸島では蒸発散量 が降水量を上回り、水不足を生じやすい(前島・岡、1979;岡、1989)。同じ緯度帯に位 置する琉球列島とはこの点でも異なっており、夏季(6−9月)の降水量の平年値で、父 島(414.9mm)は那覇(835.2mm)の約2分の1程度しかない(飯島、2004)。これは小笠 原高気圧の勢力圏からの位置が関係しており、琉球列島は小笠原諸島と比較して台風の通 過しやすさなどといった降水特性の違いが影響している(山川、1982)。また、降水量だ けでなく、可能蒸発量や気候湿潤度(降水量の可能蒸発量に対する割合)でみても、琉球 列島に比べて小笠原諸島は乾燥しやすい環境にある(飯島、2004)。
小笠原諸島における気候の特徴はグローバルスケールでの地理的位置が関わっている。
戸塚(1988)は、気温や降水量からケッペンの気候区分を年々で算出して(年候)、小笠 原諸島が熱帯と温帯の境界に位置し、水収支からは湿潤域から乾燥域の境界に存在するこ
とを示した。飯島ら(2005)も小笠原諸島が水文気候学的に熱帯と温帯との移行部に位置 することを示した。小笠原諸島はこのような気候の境界域に位置し、季節により熱帯と温 帯や乾燥と湿潤が交代することで、上述した気候的特徴を呈すると考えられている(飯島
eまカ、、 2005)。
皿.小笠原諸島における気候の長期変動
小笠原諸島で調査解析に使用できる信頼性の高い気象観測は20世紀に入ってから始まっ
た(田上、1988)。1906年に父島に測候所が建設され、第二次世界大戦やその後の米軍占
領期間のための中断を挟んだ1907年以降の気象観測データが集積している(Maejima&
Oka,1980)。1980年代以降にはこの観測データを用いた気候変動に関する研究が行われ
てきた。
小笠原諸島の気候には数年ごとの周期的な変動がみられ、熱帯太平洋の気候の主変動で あるエルニーニョ南方振動との関連が指摘されている。田上(1992)は1969 一 1990年の 観測データの解析から、気温や降水量の年々変動を明らかにした。そして、小笠原諸島で は寒候期に温暖多雨になる傾向が、エルニーニョ南方振動の影響であることを示した。
Oka 2 砿(2001)は水文気候学的な解析から、強いエルニーニョ年(1972、1982、および 1997年)には水不足量および水過剰量がともに大きくなる傾向を示した。
小笠原諸島において20世紀中の気候の長期変動でもっとも顕著なものは気候の乾燥化で ある。これは、気温や降水量の変化だけでなく(例えば、山川、1982;清水、1989)、水 文気候条件の変動からも指摘されている。例えば、Oka et al.(2001)はソーンスウェイ トの蒸発散量に基づく水過剰量と水不足量の計算結果から水文気候環境の経年的変動を明 らかにし、20世紀前半に比べて20世紀後半では乾燥していることを示した。
このような気候の乾燥化は季節変化により顕著に表れている。岡(1989)では、戦前の データに基づいた前島・岡(1979)の区分との比較から、1911−1940年に比べて1969−
1980年には盛夏が長くなったことを示唆した。また、飯島ら(2004)では、最近32年間 の熱収支的に求めた父島の可能蒸発量の季節変化から、梅雨明け直後に出現する乾燥期の 出現頻度が増加する傾向があることを示した。
N.島喚スケールでの気候の空間分布
小笠原諸島では地形や土壌条件などによる影響から、島嗅スケールでの気候や地表面の 水収支状態に空間分布があると考えられる(飯島ほか、2002)。
父島における気温分布は一様でなく、島内での位置や山地斜面の高度により変動する
(田上、1992)。田上ら(1987)では14地点での気温の観測と日中の気温の移動観測により、
父島における気温の日変化の局地的な差違を明らかにした。特に風向が西あるいは東寄り となった場合にその風下側に局地的な降温が出現し、気温の空間分布が風向、海水面温度、
地形により影響を受けること示唆した。田上ら(1990)ではデータロガーによる気温の観 測から、気温の空間分布が降水や風、および地形によって影響されることを示した。
父島では降水量にも島喚スケールでの空間的な差異が生じている。田上・菅野(1988)
は既存の観測データの解析や予察的な観測結果から、雨は山地の風上側で降りやすく、雨
の降り方に局地性があることを明らかにした。また、筆者らは1999年より父島の東部に位
置する初寝山で総合気象観測を行っており(飯島ほか、2002)、父島気象観測所と比べて
初寝山では年降水量が10〜30%程度多いことが分かった(飯島ら、未発表資料)。このこ とは父島の主稜線を挟んだ東西で降水量が異なることを示しており(吉田ほか、2002)、
降水をもたらす雲の発生状況が地形の影響を受けている可能性を示唆する。
小笠原諸島の標高の高い場所には雲や霧がかかりやすい雲霧帯が形成されることが指摘 されている。山ロ(1998)は父島気象観測所で行われている雲底高度の観測データ
(1985−1995年)から、3−8月に標高300m以上では高頻度で雲がかかることを示した。
また、田上ら(1991)や岡・菅野(1993)は母島における気温と湿度の鉛直分布について の観測を行い、標高が高いほど高湿な条件になっていることを示した。しかし、これまで の小笠原諸島において、雲霧帯のような気候の鉛直分布に関する観測は非常に短期間で、
規模の小さいものに限られている。
V.まとめ
小笠原諸島は熱帯と温帯の境界域にあり、気候的な湿潤度(降水と可能蒸発量)がちょ うどつりあう地域に位置する(戸塚、1988;飯島ほか、2005)。したがって、周辺域の島 襖とは異なり、小笠原諸島ではわずかな乾燥化でも潜在的な水不足のリスクが高くなる
(飯島ほか、2005)。近年、小笠原諸島の気候は乾燥傾向にあり(Oka et al.,2000)、それ
にともなう水文気候条件の変化は植生に大きな影響を与えると考えられる。このような状 況下にある小笠原諸島において、将来の気候変動に伴う植生への影響を予測し、適切な対 策を講じるためには、代表的な植生における熱・水循環過程の季節変化を把握し、またそ れに対する植生の応答様式を明らかにするような詳細な観測研究を今後も長期間継続して 行う必要がある。
島喚スケールでの気候条件の差違は、小笠原諸島の植生分布に直接影響するにもかかわ らず、まだ十分には明らかにされていない。特に、相対的に観測事例の多い水平分布に比 べ、気候の鉛直分布についての観測研究はほとんど行われていない。雲霧帯を形成するよ
うな気候の鉛直分布は、比較的乾燥した地域に位置する小笠原諸島の植生にとって水文気 候条件として重要な意味を持つ立地環境である。例えば、母島の標高350m以上の地域に は気候の雲霧帯に対応した湿性な植生帯(雲霧林)が分布する(清水、1989)。したがっ て、小笠原諸島における植生の成立過程を考えるためには、気候の鉛直分布に関する観測 研究が必要である。特に、雲霧の捕捉による降水(樹雨)や日射量の減少などといった、
雲霧の出現が植生に与える影響を直接評価できるような集約的な観測が求められる。
文 献
飯島慈裕(2004):小笠原の気候環境・小笠原の水文気候環境.小笠原の人文と自然〜人 と自然の共生をめざして〜、東京都立大学小笠原プロジェクト2003、pp.53−61.
飯島慈裕・吉田圭一郎・岩下広和・岡 秀一.(2002):小笠原諸島父島初寝山における 1999年9月〜2000年12月の気象観測資料.小笠原研究年報、VoL25、 pp.77−87.
飯島慈裕・吉田圭一郎・岩下広和・岡 秀一(2004):ポテンシャル蒸発量からみた小笠 原諸島父島における水文気候環境の変化.小笠原研究年報、Vol.27、 pp.97−104.
飯島慈裕・吉田圭一郎・岩下広和・岡 秀一(2005):北太平洋島懊の長期気候データ解 析からみた父島の水文気候的位置.小笠原研究年報、Vol.28, pp.63−71.
貝塚爽平(1981):小笠原の大地形上の位置と気候.小笠原諸島自然環境現況調査報告書
(2)、東京都、pp.65−69.
前島郁雄・岡 秀一(1979):小笠原父島の気候特1生.小笠原研究年報、VoL3, pp.12−19.
Maejima,1. and Oka, S.(1980):Climatic records of the Ogasawara(Bonin)Islands.
Ogasawara Research, No.3, ppユー42.
岡 秀一(1989):気候 自然環境.宮脇 昭(編)『日本植生誌 沖縄・小笠原』至文
堂、pp.76−80.
岡 秀一・菅野洋光(1993):母島における気温と相対湿度の鉛直分布からみた湿性環境.
小笠原研究年報、Vo1.16、 pp.29−36.
岡 秀一一・田上善夫(1983):小笠原父島の地上気象要素と上層風の季節的特性について.
Ogasawara Research, Nos.8&9, pp.1−11.
Oka, S., Yoshida, K, Iwashita, H., Iijima, Y. and Satoh, T.(2000):Interannual variability of