村 落(シ マ)的 世 界 を再 考 す る
71村 落(シ マ)的 世 界 を再 考 す る
一 八 重 山群 島石垣 島 ・伊 原間集落 にお ける移 住者と先 住者 の関係 をめぐって 一
吉 田 佳 世
1は じ め に 一 問 題 の 背 景1)
本 稿 は、 地縁 的 あ る い は血 縁 的 紐 帯 の 総 体 と して の村 落(シ マ)で は な く、移 住 者 を も含 み こむ動 態 的 領 域 と して の 村 落 の姿 を描 き出 そ う とす る もの で あ る。
沖 縄 地 域2>を対 象 とす る文 化 人 類 学 お よ び民 俗 学 に お い て 、 沖縄 語 で村 落 を意 味 す る シマ は 、 長 きに わ た っ て 中心 的 な研 究 主 題 で あ っ た。 そ こ で は村 落 は、 自己 完 結 的 な小 宇 宙 で あ る か の よ う に扱 われ 、 そ こに住 む 人 び との狭 義 の 日常 生 活 圏 一 地 理 学 的概 念 と して の集 落 一 で あ る こ とは も と よ り、死 後 の世 界 をは じめ とす る超 自然 的世 界 を具 現 化 す る宗 教 的 な 意 味 合 い を併 せ 持 つ 領 域 で あ る こ とが 明 らか に さ れ て きた[大 胡1973:33、 藤 田1977:60]。 た とえ ば 、 民 俗 地 理 学 的 視 点 か ら シマ を考 察 した仲 松 は、 沖 縄 地 域 の村 落 が 、 オ ソ イ ・クサ テ の信 仰 に基 づ く宗 教 的世 界観 を反 映 す る もの で あ る と説 明 して い る。 オ ソ イ と は、祖 先 で あ る神 が 子 孫 で あ る村 落 民 を守 護 す る とい う信 仰 で あ り、 一 方 、 クサ テ と は、
日本 語 の腰 当 て に相 当す る沖 縄 語 で あ り、村 落 民 が 自己 の親 で あ る神 に寄 りか か りなが ら暮 ら し、 繁 栄 して い く とい う信仰 で あ る[仲 松1972:7‑9]。 この オ ソ イ ・ クサ テ の 信 仰 が 、聖 地 で あ る御 嶽(ウ タキ)を 背 に し、 そ の御 嶽 に接 して す ぐそ ば に村 の 創 建 者 とい わ れ る 旧家 が あ り、 そ の 前 面 に 分 家が 家 を新 た に建 て て い く と い う、 沖 縄 の 村 落 の 在 り方 に 反 映 さ れ て い る と指 摘 した の で あ る[仲 松 1972:47‑56]o
先 行 研 究 上 に お け る、 祖 先 と子 孫 との 関係 とい うい わ ば系 譜 観 念 を軸 と した領
域 とい う村 落 に対 す る認 識 は、 そ こ に暮 らす 人 び とに対 す る捉 え方 に も影響 を与
えて きた 。 つ ま り、 文 化 人 類 学 が 研 究 対 象 と して きた世 界 各 地 の 村 落 と同様 、沖
縄 の 村 落 は 、系 譜 関係 をそ の 世 界 観 の 一 部 に持 つ 地縁 的 あ る い は血 縁 的紐 帯 で結
ば れ た 人 び と い わ ゆ る シ マ ンチ ュ と呼 ば れ る人 び と を 中心 に構 成 され る 領 域 と して描 か れ て きた ので あ る。戦 後 か ら1970年 代 にか けて膨 大 に蓄 積 され た、
父系 出 自集 団 で あ る 門 中 を は じめ とす る社 会 組織 の研 究 は 、 いず れ もこ う した村 落 観 を前提 と しなが ら進 め られ て きた とい える だ ろ う。
八 重 山 群 島 の場 合 、 一 村 落 一 御 嶽 を基礎 とす る 沖縄 本 島 の よ う な村 落 の在 り方 と は異 な る こ と、 ま た、 沖 縄 本 島 の よ うに 門 中が 形 成 され て い ない こ とな どそ の 独 自性 が 指摘 され て きた が[村 武1984:150‑170]、 や は りそ こで も村 落 の担 い
の
手 と して描 か れ て きたの は、 元 来 そ こに暮 らす 地 縁 的 あ るい は血縁 的紐 帯 に よっ て結 ば れ た 人 び とで あ った 。 そ の た め 、家 や 親 族 関 係 、 ヤ マ ニ ンジ ュ と呼 ばれ る 祭祀 集 団、 秘 密 結 社 な ど、 固有 の社 会 組 織 が 村 落 の構 成 要 素 と して注 目 され 、 沖 縄 本 島 とは異 な る選 系 的 な系 譜 関係 の在 り方 や 、 そ の 現 代 的 変化 が 明 らか に され て きた の で あ る[馬 淵1965、 宮 良1972、 笠 原1975、 高 桑1982ほ か]。
こ う した 地 縁 的 ・血 縁 的紐 帯 の累 積 と して の村 落 とい う認 識 は、 学 術 研 究 の も の のみ な らず 、 そ こ に暮 らす 人 び との もの で もあ る。村 落 に あ っ て は、 日本 本 土 出 身者 は も と よ り沖縄 県 出身 者 で あ っ て も、移 住 者 は 、 ヤ マ トンチ ュ(日 本 人) あ るい は タ シ マ ンチ ュ(他 村 落 人)と 呼 ば れ、 村 落 出 身者 とは 明確 に区 別 され 、 よそ 者 と して周 辺 化 され る こ とが 多 い 。 もち ろ ん、 周 辺 化 され る よそ 者 も一枚 岩 で は な い。宮 古 島保 良 集 落 で 調 査 を行 った 藤 田 は、よそ者 と呼 ば れ る 人 び と を、(1) 近 隣 の 集 落 出 身者 、(2)島 内 出 身者 、(3)島 外 出 身者 、(4)日 本 本 土 出 身者 の4つ に 分 け た う えで 、 村 落 か ら距 離 的 に遠 くか ら流 入 す れ ば す るほ ど、 よそ者 と して 周 辺 化 され る傾 向 が あ る と して い る。 しか し、 た と え沖 縄 県 出 身者 で近 距 離 か ら
流入 した人 び とで あ って も、村 落 に な じむ に は長 い 年 月 を要 す る とい う[藤 田 1977:65]。 こ う した 強 固 な 一 体 性 とそ の裏 返 し と して の 排 他 性 とい う村 落 の 在 り方 は、 シマ ンチ ュ と呼 ば れ る人 び との ア イデ ンテ ィテ ィ と内 的結 束 を生 み 出 す 基 盤 と もな って きた3)。
しか し、血 縁 的 ・地 縁 的 な領 域 と して の 村 落 とい う学 術 的認 識 の なか で 、 か よ
う な村 落 観 を前 提 と しない 村 落 、 あ るい は 、現 実 の村 落 に 内在 す る多 様 な 諸 側 面
は、 十 分検 討 され て こ なか った とい う問 題 点 が あ る。 こ う した先 行 研 究 上 の 問 題
点 は、1990年 代 末 に沖縄 研 究 に大 き な影響 を与 え たポ ス トモ ダニ ズ ム に よ る人類
学批 判 に お い て と りわ け指 摘 され た 。 た とえ ば、 太 田 は、 先 行 研 究 の 多 くが都 市
村 落(シ マ)的 世 界 を再 考 す る
73化 や い わ ゆ る本 土 化 を沖 縄 文 化 の 荒廃 とみ な し、 よ り原 初 的 で 自己完 結 的 な村 落 を好 ん で研 究 して き た こ とを 指 摘 して い る[太 田1998:30]。 も ち ろ ん 、1960 年 代 か ら1970年 代 にか け て膨 大 に蓄積 され た、 沖 縄 地 域 に お け る 門 中 の 中 心 か ら周 辺 へ の 波 及伝 播 の実 態 、 い わ ゆ る 門 中化 にか んす るモ ノ グ ラ フか ら もわか る よ う に、 当 時 の研 究 者 た ちが 、研 究対 象 で あ る村 落 を完 全 な る 自己完 結 的 な領 域 と して 描 い て い た とは考 え られ ない 。 しか し、 現 実 的 に は、 日本本 土 復 帰 以 降 急 速 にす す ん だ移 動 の 恒 常 化 に よ り、 県 内 外 か ら村 落 に流 入 す る移 住 者 の 存 在 が 顕 在 化 して い た に もかか わ らず 、 か れ らの存 在 は ほ とん ど問 題 と され る こ とは な か った 。 そ れ どこ ろか 、 移 動 の 恒 常 化 、 あ る い は、 そ こか ら生 じる 祭祀 集 団 を は じめ とす る村 落 の変 化 は、 伝 統 的村 落 の 自律 性 が 失 われ る過 程 と して 看倣 され る こ とが 一 般 的 で あ り、 そ れ 自体 を村 落 の現 代 的側 面 と して 積 極 的 に議論 す る こ と はほ とん どなか った とい え るだ ろ う。
本 稿 が 事 例 と して注 目す る伊 原 間 集 落 は 、先 行 研 究 が 明 らか に して きた よ うな 地 縁 的 ・血縁 的紐 帯 に基 づ く人 び と を構 成員 とす る村 落 の 在 り方 とは 異 な る様 相 を示 して い る 。2008年 現 在 、 伊 原 間 集 落 に は65世 帯 、184名 が住 ん で お り4)、集 落 の 人 び との 話 に よれ ば、時 代 や 出 身地 な どで 明確 に区 分 す る こ と はで きない が 、 そ の う ち近 年流 入 した 日本 本 土 か らの 移住 世 帯 や 、 同 じ く石 垣 市 市 街 地 か らの移 住 世 帯 は 集 落 全世 帯 数 の お よ そ3分 の1に もの ぼ り、 後 述 す る第 二 次 世 界大 戦 直 後 の 八 重 山 開拓 移 民 に よ る移 住 世 帯 を含 め る と移 住 世 帯 とい い う る もの は3分 の 2に も及 ぶ とい う。 さ らに 、 集落 に住 む男 性(あ る い は女 性)と の結 婚 を契 機 に 流 入 した 人 び とが い る こ とを踏 ま えれ ば 、他 地域 か らの流 入 者 はか な りの 数 に お よぶ の で あ る。 そ こで は、"伊 原 間 出身 者"あ るい は"移 住 者"と い うカ テ ゴ リ が 存 在 す る もの の 、移 住 者 た ち は、 村 落 運 営 か ら疎 外 され る こ と な く、 む しろ、
深 い か か わ りを持 ち なが ら生 活 を営 んで い るの で あ る。
さ らに、特 筆 すべ き点 は、 こ う した 他 地域 か らの流 入 者 や そ の 子 孫 にあ た る 人
び とが 、 村 落 の 一 員 、つ ま りシマ ンチ ュ と して の位 置 を 占 め う る とい う こ とで あ
る。 こ う した特 徴 を顕 著 にみ る こ とが で き るの は 、終 戦 直 後 の 八 重 山 開 拓 移 民 に
よ って 入 植 した 開拓 移 住 者 とそ の第 二 世 代 、 第 三世 代 に あ た る 人 び とで あ る 。 か
れ らは、 開拓 移 住 者 で あ りな が らそ の 後 の移 住 者 と も区 別 され 、 多 くの 場 面 で 、
村 落 を こ れ まで維 持 して きた村 落 出 身 者 と して 同 一 視 され てい る の で あ る5)。ま
た 、 か れ らに とって も伊 原 間 集 落 は ア イ デ ン テ ィテ ィの 拠 り所 とな っ て お り、 今 や 、 か れ らの 存 在 は村 落 運 営 に お い て必 要 不 可 欠 な もの と な っ て い る。 つ ま り、
伊 原 間集 落 にお い て 、"伊 原 間 出 身者"と"移 住 者"は 、 対 立 的 な カ テ ゴ リ と し て 分 割 で き る もの で は な く、 両 者 は連 続 性 を もつ もの なの で あ る。 こ こか らは、
村 落 に お け る移 住 者 め 存 在 は例 外 と して等 閑視 しえ る もの で は な く、 か れ ら は、
伊 原 間 出 身者 同 様 に村 落 の 中心 的 な構 成 要 員 とな っ て い る とい う こ とが わ か っ て くる。
こ う した 村 落 に お け る移 住 者 の 存 在 は 、 もは や 、伊 原 間集 落 に限 定 し うる特 殊 な問 題 で は ない 。い まや、八重 山群 島 、と りわ け石 垣 島 中北 部地 域 の多 くの村 落 で 、 移 住 者 が村 落 の 大 半 を 占め る とい う事 態 が 生 じてお り、今 日の沖 縄 地域 の村 落 は 、 どこで も 日本本 土 出 身者 や 他 地 域 か らの移 住 者 を い か に村 落 に取 り込 む か とい う 課 題 を大 な り小 な り抱 えて い る ので あ る[佐 藤1999:14]6>。
そ こで本 稿 は、 先 行 研 究 にお い て 主流 で あ っ た血 縁 的 ・地縁 的紐 帯 の重 な る領
域 と して の村 落 観 を修 正 す るた め の 試論 と して、 村 落 にお け る移 住 者 の問 題 に注
目す る こ と に した い 。 そ の方 策 と して 、 本稿 で は 、沖 縄 地 域 にお け る伊 原 間 集 落
の社 会 的位 置づ け とい う村 落 を取 り巻 く外 的関 係 に注 目す る視 点 と、 村 落 の 内 部
で行 わ れ て い る移 住 者 と先 住 者 との相 互 行 為 とい う内 的 関係 に注 目す る視 点 の 二
側 面 か ら、 村 落 を描 い て い くこ とに した い 。具 体 的 に は、II章 で 伊 原 間 集 落 にお
け る村 落 形 成 の 歴 史 を概 観 し、村 落 が 自 己完 結 的 な領 域 で は な く、 移 住 者 の 受 け
入 れ地 とい う独 自な位 置性 に よっ て、 古 くか ら外 部 社 会 と深 い 関 わ りを持 つ 開 か
れ た領域 で あ っ た こ とを明 らか にす る。 そ して 皿章 で は、1990年 代 以 降顕著 となっ
た世 帯 単 位 の 移 住 者 と、先 住 者 との関 係 に注 目す る こ とに よ って 、移 住 者 を積 極
的 に受 け 入 れ る村 落 の姿 を記 述 す る。 また 、IV章 で は、 先 住 者 と移住 者 の村 落 に
対 す る意 識 の齪 齢 に も言 及 してい く。 以上 の分 析 を通 じて、 移 住 者 の 存 在 が 、 い
か に村 落 の あ り方 と意 味 づ け に影 響 を与 え て い る の か 考 察 を加 え てい くこ とに し
た い。 さらに 、 移 住 とい う観 点 か ら明 らか にな った村 落 の諸 特徴 を踏 まえた うえで 、
現 代 沖縄 社 会 に お け る移 住 が そ れ 以前 の移 住 と比 べ てい か な る特 徴 を持 っ て い る
の か に つ い て も付 言 した い。 結 論 を先 取 りす れ ば、 本 稿 の ね らい は、 移 住 者 の 村
落 へ の 流 入 を伝 統 的村 落 の解 体 と して で は な く、 む しろ、村 落 が そ の在 り方 を柔
軟 に変 化 させ な が ら動態 的 に維 持 され て い く姿 を描 くこ とに あ る。
村 落(シ マ)的 世 界 を再 考 す る
75本 稿 は、 村 落 に お け る移 住 者 の 問 題 を扱 う うえ で 、特 に、 集 落 に 流 入 す る移 住 者 と、 受 け 入 れ側 で あ る先 住 者 との 関 係 に注 目す る。 そ こで 議論 に入 る前 に 、本 稿 でい う と ころ の 移住 者 と先 住 者 につ い て 説 明 を加 え て お きた い。 前 述 した よ う
に、 本 稿 が 事 例 と して と りあ げ る伊 原 間 集 落 の 成員 は 、大 き くい って 、 元 来集 落 に住 む伊 原 間 出 身者 、戦 後 八重 山 開拓 移 民 に よ る 開拓 移住 者 、婚 姻 に よ る流 入 者 、 比 較 的 近 年 の 親 子 や 夫婦 で集 落 に流 入 す る世 帯 単 位 で の移 住 者 の4つ にわ け る こ
とが で きる。 こ う した 移 住 の 重 層 性 ・多 様 性 か ら、伊 原 間 集 落 に お い て 移 住 者 、 そ して 、先住 者 を意 味 す る 「 地 元 民 」 あ る い は 「も とか らい る 人」 とい う言 葉 は、
そ の文 脈 に応 じて指 す対 象 を変 える 固定 しえ ない もの であ る。 しか し、本稿 で は、
1990年 代 以 降 の移 住 者 と旧村 落 民 との 関係 に と りわ け注 目す るた め 、本 文 で 断 り な く移 住 者 と した場 合 は、1990年 代 以 降 の 移 住 者 を指 す こ と に した い。1[章3節 で論 じるが 、 か れ らは 、先 に4つ に 区分 した伊 原 間 集 落 の成 員 の う ち、 比 較 的 近 年 の夫 婦 や 親 子 で 集 落 に 流入 す る世 帯 単 位 の 移 住 者 に相 当 す る 人 び とで あ る。 そ れ に対 して 、 先 住 者 とは 、主 と して伊 原 間 出 身 者 と戦後 八 重 山 開拓 移 民 に よる移 住 者 の双 方 を総 括 した もの とす る。 そ して 、 伊 原 間 出 身者 と八 重 山 開拓 移 民 に よ る移 住 者 を 区別 して 論 じる 際 に は 、前 者 を伊 原 間 出 身 者 、後 者 を八 重 山開 拓移 民 に よる移 住 者 、 あ るい は 、 開拓 移 住 者 と して表 記 す る。
1重 層 的 な移住 の歴 史
1地 理 的概 要
伊 原 間(い ば る ま ・イ バ ロ ー マ)集 落 が あ る石 垣 島 は 、沖 縄 本 島か ら南 西へ 約 410キ ロ、 飛 行 機 で 約1時 間 の 距 離 にあ る。 地 理 的 にい え ば、 日本 本 土 や 沖 縄 本 島 との 距 離 に比 して 、 台 湾 との 距離 が圧 倒 的 に近 く、277キ ロ ほ ど しか ない 。 島 の面 積 は約223平 方 キ ロ メー トル、 人 口 お よそ4万5,000人 で あ る。 石 垣 島 は、 経 済 や交 通 な どさ ま ざ ま な面 で八 重 山群 島 の 中心 的 役 割 を担 って お り、 他 の 島 々へ 向 か う定 期 船 が 発 着 す る離 島 桟橋 近 辺 の市 街 地 に は、 市 役 所 、 図書 館 、 銀 行 、 郵 便 局 、公 設 市場 な ど多 くの 施設 や 店 舗 が 集 ま り都 市 的 な様 相 を呈 して い る。 また、
観 光 地 と して も有 名 で 、 近 年 で は亜 熱 帯 性 の 自然 環 境 を生 か した マ リ ンスポ ー ッ
が 人気 を博 して い る。2008年度 には約78万 人 の観 光 客 が石 垣 島 を訪 れ た とい う[石
垣 市2009]。
石 垣 島 の 形 は 、 よ く柄 杓 や 杓 文 字 の 形 に た と え ら れ る が 、 そ の 持 ち 手 に あ た
き ん ぶ だ き
る石垣 島 の北 部 、 平 久 保 半 島 の付 け根 に伊 原 間集 落 はあ る。 南 は 金 武岳(標 高 約
は ん な だ き
201メ ー トル)、 北 は破 名 岳(標 高約239メ ー トル)を 目前 に し、 東 は太 平 洋 、 西 は 東 シナ海 を臨 む、 眺 め の 美 しい地 域 であ る。 伊 原 間 集 落 は 、 ち ょ う ど平 久 保 半 島 と石 垣 島南 部 をつ な ぐ地 峡 に あ た るの で、 東 西 の 距 離 が 非 常 に短 く、 居 住 区 は南 北 に長 くの び るか た ち で形 成 され てい る。 と くに 集 落 内 に あ る舟 越(フ ナ ク ヤ ー)と 呼 ば れ る と こ ろは 、 東 西 の距 離 が 狭 く、 わ ず か270メ ー トル ほ ど しか な い。
興 味 深 い こ と に、 この舟 越 とい う地 名 は、 昔 、 航 海 の と き平 久 保 半 島 を迂 回 して 島 の反 対 側 に至 る よ り、 こ の舟 越 の 陸 地 を経 由 す る 方 が容 易 で あ る と、 舟 をかつ いで 越 す習 慣 が あ っ た こ と に由 来 す る とい う[伊 原 間公 民館(編)1993:3]。
伊 原 間 集 落へ は公 共 交 通 機 関 で あ れ ば バ ス が で て お り、 石 垣 島 南 部 に あ る市 街 地 か らは1時 間 ほ どか か る。集 落の 中は 、市街 地 の 都 会 的様 相 とは うっ て変 わ り、
個 人 や 家 族 で営 む小 さ な雑 貨 屋 や 飲 食 店 、民 宿 が 数 件 あ る程 度 で 、 そ れ以 外 は民 家 が軒 を連 ね て い る 。前 述 した よ うに 、2008年 現 在 集 落 に は 、65世 帯 、184人 が 暮 ら してお り、市 の 人 口比 率 か らみ れ ば わず か α4%程 度 にす ぎな いが 、石 垣 島 北 部 地域 に お い て は比 較 的 大 きな規 模 の集 落 で あ る。 しか し、集 落 で暮 らす とい う こ とは、 市 街 地 に比 べ て 、行 政 、経 済 、 就 業 、 教 育 、 医療 な ど生 活 の さ ま ざ まな 側 面 で不 便 を被 る こ とに な る。 そ の ため 、 人 び との 多 くは 自家 用 車 を持 ち、 集 落 と市 街 地 を頻 繁 に往 来 しなが ら生 活 を営 んで い る。
2村 落 の 形 成 と移 住
八 重 山 群 島 と宮 古 群 島 は、 あ わ せ て先 島 と呼 ば れ る。 植松 に よれ ば 、 こ の先 島
とい う言葉 に は 、 中央 よ り離 れ た先 の 島、 つ ま り辺 境 とい う意 味 が含 ま れ てい る
とい う。 そ して、 辺 境 で あ る先 島 に対 して、 中央 を指 す 言 葉 は 沖縄 で あ る[植 松
1971:190]。 現在 で も、八 重 山 に暮 らす 人 び と に とっ て 、 沖縄 とい う言 葉 は 自 ら
の 地域 を指 す 言 葉 で は な く、首 里 ・那 覇 を 中心 とす る 沖縄 本 島 だ け を指 す もの で
あ る こ とか ら もわ か る よ うに 、沖 縄 地 域 の 内 部 には 、 さ ま ざ まな差 異 と微 細 な権
力 関係 が 存 在 して い る。 そ の なか で も、 沖縄 本 島 と八 重 山群 島 との 関 係 は 、 中央
で あ る沖縄 を進 歩 的 な近 代 と して、 八 重 山 を後進 的 な未 開 と して位 置 づ け る もの
村 落(シ マ)的 世 界 を再 考 す る
77で あ った 。
さ らに伊 原 間 集 落 の位 置す る石 垣 島北 部 地 域 は 、八 重 山 内部 にお い て も 「 未 開 の地 」 と して位 置づ け られ て きた。 そ れ は 、八 重 山 の 中心 で あ る石 垣 島南 部 か ら 地 理 的 に離 れ て い た とい う理 由ば か りで な く、 そ の環 境 条 件 が 大 き く関係 してい る。 伊 原 間 をは じめ とす る石 垣 島 北 部 地域 は 、 マ ラ リア の有 病 地 で あ り、古 くは フー キ イジマ(マ ラ リ アの 島)、ヤ キ 村(熱 病 の村)と 呼 ば れ恐 れ られ て い た。 『 伊 原 間村 誌 』 に よれ ば、 昔 は他 地域 か ら伊 原 間 に嫁 に行 くと聞 け ば 、生 きて再 び会 う こ とのか なわ な い、死 出 の旅 路 と まで い った とい う の だか ら[伊 原 間公 民館(編) 1993:71]、 村 落 は 今 と は く らべ もの に な ら ない ほ ど隔 絶 さ れ て い た こ とが うか が え る7)。
しか し、 沖 縄 地 域 に お け る 「 未 開の 地 」 と して の役 割 を背 負 わ され て きた八 重 山群 島 にあ り、 さ らに そ の八 重 山 の なか の 「 未 開 の 地」 と して位 置 づ け られ て き た石 垣 島北 部 地 域 にあ る伊 原 間集 落 は、 そ の 位 置 づ け が故 に移 住 先 と して 選 定 さ れ、 移 住 を軸 と して 沖縄 本 島 を は じめ とす る外 部社 会 と深 い 関 わ りを持 っ て きた 地 域 で あ る。 本節 で は、 伊 原 間 集 落 が い か に形 成 され て きた の か に つ い て 、 その 歴 史 を先行 研 究 か ら紐 解 い て み る こ とに した い。
史 料 に 「伊 原 間 」 とい う言 葉 が登 場 す る の は 、18世 紀 初 頭 の こ とで あ る8)。そ の 頃 、伊 原 間 とよ ばれ て い た 一帯 は 、行 政 区域 と して は 平 久保 村 に属 し、 そ の 内 部 に複 数 の集 落 を形 成 してい た よ うで あ る。 現 在 の 伊 原 間 集 落 の な りた ち は諸 説 あ る が 、 そ の もと と な った の は 、伊 原 間地 域 にあ っ た内 野 村(ウ チ ヌ ム ラ、 ウ ツ ム ラ)と 舟越 村(フ ナ クヤ ー)で あ った と考 え られ て い る9)。
『 伊 原 間村 誌 』 が 依 拠 す る 史 料 『 八 重 山 島 年 来 記 』 に従 え ば、 伊 原 間地 域 が 独 立 した行 政 区 と して整 備 され た の は1734年 の こ とで 、当 時伊 原 間 地域 に は3つ の 集 落 が あ り、 計316名 の 人 び とが 暮 ら して い た と され て い る。 興 味 深 い こ と に、
そ の う ち148名 は、 石 垣 島 南 部 にあ る 登 野城 地 区 と石 垣 地 区か ら流 入 した寄 百 姓
と呼 ば れ る人 び とだ っ た よ うで あ る[伊 原 間公 民館(編)1993:14‑18コ 。 寄 百姓
と は、1730年 代 か ら1780年 代 に 琉 球 王 国 政 府 に よ っ て行 わ れ た移 民 政 策、 あ る
い は、 そ の 政策 に よ って 移 住 させ られ た 人 び とを指 す 言 葉 で あ る。薩 摩 侵 攻 以 後
の 琉球 王 府 の財 政 難 を背 景 に、1679年 に八 重 山群 島 お よび宮 古 群 島 に対 して課 さ
れ た 人頭 税 の増 収 を意 図 して計 画 され た もの で あ る[牧 野1972:189]。 この 寄
百 姓 には 二 つ の形 態 が あ り、 ひ とつ は 人 口 の多 い 村 か ら少 な い村 へ の 人員 補 充 で あ り、い まひ とつ は未 開地 を開拓 し新 村 を建 設す る とい う もの で あ っ た10)[牧野 1972:192]。 伊 原 間地 域 も、 この 寄 百 姓 に よ って 多 くの移 民 が流 入 して い る。 上 述 の 石垣 島南 部 か らの寄 百 姓 に加 え 、1771年 に八 重 山 と宮 古 島 を襲 っ た 明和 の大 津 波 の 後 に も、琉 球 王 府 の 政 策 に よっ て大 規 模 な移 住 が 行 わ れ た 。 こ の 時 は、 黒 島 の 東 筋村 か ら167名 が 強 制 的 に移 住 させ られ 、 津 波 に よっ て 崩壊 した村 落 の 再 建 が 図 られ た とい う[伊 原 間公 民館(編)1993:23、 松 村1994:21]。 しか し、
寄 百姓 に よる村 落 の 開 拓 や維 持 は、極 め て 過酷 な もの で あ っ た こ とが うか が え る。
マ ラ リア の危 険 に加 えて 、 台風 な どの 自然 災 害 も多 く、 これ らは 人 び と の暮 ら し を常 に 脅 か して きた。 そ の結 果 、 こ の寄 百 姓 に よ って 新 た に八 重 山群 島 内で 建 設 され た11の 村 落 は 、す べ て廃 村 へ と追 い 込 まれ て い る[牧 野1972:192‑195]。 ま た、伊 原 間集 落 も、18世 紀 か ら第二 次 世 界大 戦 に至 るまで に書 か れた 史料 には、 村 落 は疲弊 し、 もはや廃 村 寸 前 で あることが 記 録 されてい る11)。
こ う した沖 縄 地 域 に お け る内 な る開 拓 地 と して の石 垣 島 北 部 地域 の位 置 づ け は、
第 二 次世 界大 戦 後 も踏 襲 され る こ と とな る。 終 戦 直 後 、沖 縄 本 島 お よ びそ の 周 辺 離 島 、宮 古 群 島で は、米 軍基 地建 設 に よる耕 作 適 地 の 縮 小 、 南 洋 群 島 を は じめ と す る海外 か らの 引揚 に と もな う人 口増 な どを背 景 と して12)、土 地 と食 糧 の確 保 が 急 務 と されて い た。 これ らの 問題 を解 決 す る ため に、当 時未 開 拓 地 と して考 え られ て い た石 垣 島 中北 部 や 西 表 島へ 、沖 縄 県 民 を 開拓 移 住 させ よ う とす る計 画 が 持 ち上 が っ た。 こ れ が 戦 後1948年 か ら1957年 の 間 に行 わ れ た 八 重 山 開拓 移 民 で あ る。
こ の戦 後 の 開拓 移 民 は、 大 き く3つ に分 け る こ とが で きる。 一 つ 目 は、終 戦 直後 か ら相 次 い だ 、地 元 八 重 山 群 島 と宮 古 群 島 出 身 者 に よっ て 行 わ れ た 私 的 な移 住 、 つ ま り自由移 民 、 二 つ 目は 、琉 球 政府 創 立 以 前 、群 島政 府 や 町村 の斡 旋 に よ って 行 わ れ た群 島政 府 期 の 計 画 移 民(1948年 〜1951年)13)、 そ して 、三 つ 目が 、琉 球 政府 が募 集 した計 画 移 民(1952年 〜1957年)で あ る。 また、 この開 拓移 民 は、移 民 を送 り出 した地 域 のみ な らず 、八 重 山 群 島 の戦 後 復 興 に とって も非常 に重 要 な 意 味 を持 つ もの で あ っ た。 戦 争 に よ って 農 耕 地 が 荒 廃 した ば か りで な く、生 産 の 担 い 手 とな る労 働 力 を失 っ た八重 山 に とっ て、交 通 を整 備 しマ ラ リア を撲 滅す るた め に も、 活動 の 担 い手 とな る新 た な村 落 員 の流 入 は必 要 不可 欠 だ っ たの で あ る。
伊 原 間集 落 の 戦 後 復 興 も、 こ の 戦 後 の 八 重 山 開 拓 移 民 と と も に進 め られ た 。
村 落(シ マ)的 世 界 を再 考 す る
791948年 ご ろ か ら 、 宮 古 島 出 身 者 を 中 心 とす る 自 由 移 民 の 伊 原 間 集 落 へ の 流 入 が は じ ま っ て い る 。 『伊 原 間 村 誌 』 に よ れ ば 、 当 時 、 宮 古 島 や 島 内 か らの 開 拓 移 住 者 は41世 帯 に も の ぼ っ た と い う[伊 原 間 公 民 館(編)1993:67]。 こ の 自 由 移 民 の 流 入 に 対 し 、 元 来 集 落 に 住 む 人 び と も 歓 迎 し、 永 住 を 希 望 し一 定 期 間 住 ん で い る 開 拓 移 住 者 に 対 し て 、 村 落 の 共 有 地 を 貸 し付 け 、 払 い 下 げ る 支 援 も あ っ た よ う で あ る[伊 原 間 公 民 館(編)1993:66、 金 城1988:232]。 ま た 、1950年 に は 沖 縄 本 島 勝 連 村 か ら10世 帯63名 が 、 群 島 政 府 の 移 民 計 画 の も と伊 原 間 集 落 の す ぐ そ ば で あ る 舟 越 に 入 植 し た 。 ま も な く し て か れ ら の 多 くが 舟 越 を 離 れ 、 残 っ た 2世 帯9名 は 伊 原 間 集 落 内 に 移 転 し、 現 在 、 伊 原 間 集 落 の 成 員 と な っ て い る 。
しか し、1976年1月 時 点 で 開 拓 移 民 に よ っ て 建 設 さ れ た 集 落 の 多 くが 崩 壊 の 危 機 に 直 面 して い る と報 告 され て い る よ う に[石 原 ・安 仁 屋1978二157]、 戦 後 の 八 重 山 開 拓 移 民 も そ れ 以 前 の 移 住 と 同 様 、 開 拓 移 住 者 の 定 着 率 は 低 く、 多 く の 困 難 を と も な う も の で あ っ た14)。 そ の 原 因 は 、 前 述 し た マ ラ リ ア の 狙 獺iや台 風 な ど の 自 然 条 件 の 悪 さ に く わ え 、 医 療 ・交 通 な ど に 関 す る イ ン フ ラ 設 備 の 欠 如 、 開 拓 移 住 者 へ の ア フ タ ケ ア の 不 足 に よ る 食 糧 ・生 活 資 金 不 足 な ど 、 移 住 を斡 旋 し た 政 府 に 責 任 が 求 め ら れ る もの も多 く あ っ た 。 ま た 、 行 政 の 斡 旋 に 依 ら な い 自 由 移 民 は 、 政 府 の 援 助 を 得 られ ず 、 移 住 後 の 暮 ら し は と り わ け 困 窮 を極 め た よ う で あ る[金 城1988:247‑248]。 こ う し た 厳 し い 条 件 の 中 、 定 着 し た 戦 後 八 重 山 開 拓 の 移 住 者 た ち は 、 ま さ に 金 城 が 言 う よ う に 、 「血 と 汗 、 そ して 開 拓 の 捨 て 石 と な っ て 」 戦 後 八 重 山 の 発 展 に 寄 与 した の で あ り 、 ま た 、 か れ ら も そ れ を 自 ら の 誇 り と して い る[金 城1988:8]。 こ う し た 意 識 は伊 原 間 集 落 に お い て も み ら れ 、 先 住 者 と 戦 後 八 重 山 開 拓 の 移 住 者 と が 共 同 し て 戦 後 復 興 に 尽 力 し 、 村 落 を 維 持 して き た こ と が 村 落 の 歴 史 と し て 語 ら れ て い る[金 城1988:73‑74、231‑232]。 こ の よ う な 努 力 の 甲 斐 あ っ て 、 市 街 地 に 至 る 交 通 も 整 備 さ れ 、 マ ラ リ ア の 防 圧 も 進 み 、 1960年 代 に は 、 伊 原 間 集 落 の 人 口 は300名 を 超 す ほ ど に な っ た の で あ る 。
以 上 、18世 紀 か ら戦 後 を 経 て 現 在 に い た る ま で の 伊 原 間 の 歴 史 を移 住 に 焦 点 を
当 て て 概 観 して き た 。 こ れ を ふ ま え る と 、 た び か さ な る 移 住 者 の 流 入 が 、 伊 原 間
に お け る 村 落 の 形 成 と維 持 に と っ て 非 常 に 重 要 で あ っ た こ と が 明 らか に な る 。 む
し ろ 、 移 住 な しで は 村 落 活 動 の 運 営 す ら お ぼ つ か な か っ た 可 能 性 が あ る と い っ て
も過 言 で は な い 。 同 時 に 、 こ の 村 落 を 取 り巻 く状 況 が 、 日本 の 中 の 沖 縄 の 位 置 、
さ ら に沖縄 地域 にお け る八重 山 群 島 の 位 置 、 と りわ け 石垣 島北 部 地域 の社 会 的 ・ 政 治 的位 置 か ら生 じた もの で あ る こ とに注 意 す る必 要 が あ る。換 言 す れ ば、 古 く
は18世 紀 か ら戦 後 に至 る まで 、伊 原 間 を は じめ とす る石 垣 島北 部 地 域 は、 沖縄 にお け る 内 な る フ ロ ンテ ィア と して の未 開拓 の地 で あ り、 そ の た め移 民 を絶 え間 な く引 き受 け る役 割 を背 負 わ され て きた の であ る。つ ま り、 伊 原 間 集 落 は 、 決 して、
自己完 結 的 な村 落 だ った の で は な く、 沖 縄 とい う文 脈 の 中 で 地理 的 に も政 治 的 に も遠 く隔 絶 した 周 辺 で あ る が故 に、 移 住 者 の 受 け 入 れ とい うか た ち で、 外 部社 会 と深 い 関 わ りを持 ちな が ら形 成 され て きた村 落 だ っ た とい える の であ る。
3伊 原 間集 落 に お け る移 住 の現 在
村 落 に お け る移住 の重 要 性 は、様 相 を変 え なが ら現 代 にお い て もつ づ い て い る。
本 土 復 帰 以 降加 速 した沖 縄 の経 済 発 展 は、 村 落 の 暮 ら しを近 代 的 な もの へ と変 え る一 方 で 過 疎 化 の 問題 を もた ら した。 高 学 歴 化 、 就 業 形 態 の ホ ワ イ トカ ラー 化 、 医 療 の 発 達 、 少 子 高 齢 化 を は じめ とす る社 会 変 化 の な か で 、 人 び との 暮 ら しは、
村 落 の外 と よ り密 接 な結 び つ き を もつ よ う に な っ た か らで あ る。 そ の 結 果1960 年代 に は300名 超 だ っ た集 落 人 口 は 、1970年 を境 に徐 々 に減 少 し[伊 原 間公 民 館 (編)1993:73‑82]、 現 在 で は 、 そ の3分 の2の 規模 とな っ て い る。 日本 社 会 全 体 が 直面 して い る向 都 離 村 の 傾 向 の な か で 、伊 原 間集 落 にお い て も村 落 を いか に 維 持 ・発 展 させ て い くか が 重 要 な 課題 とな っ て い る。 こ う した状 況 の 中 で、 他 地 域 か らの 流 入者 は、 村 落 に お いて 重 要 な位 置 を 占め て い るの で あ る。
まず 、 村 落 外 出 身 者 の 流 入 形態 と して第 一 に挙 げ られ るの は 、伊 原 間集 落 出身 あ る い は 開拓 移 住 の 子 孫 にあ た る男 性(あ る い は女 性)と の 結 婚 を契 機 と して、
村 落 に流 入 す る配 偶 者 た ち で あ る。 伊 原 間 集 落 で は い まや先 住 者 の多 くが 、 島 外
や県 外 へ の 進 学 や 就 職 を経 験 して お り、 こ う した 機 会 を通 じて配 偶 者 を選 定 す る
こ とが 増 えて い る 。女 性 先 住 者 の 場 合 、 夫 に合 わせ そ の ま ま村 落 外 で 生 活 す る こ
とが 一 般 的 で あ る が 、男 性 先 住 者 の場 合 、 と りわ け家 の後 継 者 と して 期 待 され て
い る場 合 は 、 配偶 者 や 子 ど も と と も に村 落 に戻 っ て くる こ とが 多 い とい う。 こ う
した個 人 の ライ フサ イ ク ル の変 化 に伴 い 、村 落 で は 、 島外 や 日本 本 土 か らの女 性
が 嫁 と して流 入 し、家 の存 続 ひい て は村 落 の維 持 に寄 与 して い るの で あ る 。 しか
し、 彼 女 た ち に は 、村 落 にお い て は移住 者 とい う よ り も、 む しろ、 嫁 と して の社
村 落(シ マ)的 世 界 を再 考 す る
81会 的 役 割 が期 待 され てお り、 そ の 社 会 的役 割 を基 点 と して 村 落 に受 容 され て い る ともい え る。
一 方 、伊 原間集落 をは じめ とする石垣 島北部地域 において移住者 として強 く意 識 され て い る のが 、 夫 婦 や 親 子 で流 入 す る世 帯 単 位 の 他 地 域 出 身者 の村 落 へ の 流 入 で あ る。 こ う した 世 帯 単位 で の移 住 は、 伊 原 間 集 落 にお け る過 疎 化 対 策 の 主柱 に も据 え られ て い る。
筆 者 が 調 査 してい た と き、 人 び との話 か ら よ く聞 くこ とが で きた の は、 「 廃 校 か ら、 廃 村 が は じま る」 とい う言 葉 で あ る。 そ の た め 、現 在 、伊 原 間集 落 で と くに 重 要 視 され てい るの が 、小 ・中学 校 の就 学 年 齢 にあ る子 ど も、 な い しは、 そ れ 以 前 の年 齢 にあ る子 ど も を もつ若 年 層 世 帯 の呼 び込 み で あ る。 こ れ は、 伊 原 間 集 落 の主 要 な公 共 機 関 で あ る小 ・中学 校 の 維 持 ・活性 化 と、 学 校 教 育 の 充 実 に よる若 年 層 の村 落 流 出 食 い 止 め を 目的 と して い る。 伊 原 間 集 落 で は、 そ の 対 策 と して 、 1990年 代 後 半 か ら市 営 住 宅 の建 設 が 行 われ て きた 。上 述 の 年 齢 に あ る子 ど も を も つ 若 年 層(20代 〜40代)の 世 帯 を対 象 に入 居 者 を募 り、 月2万 円 とい う低 家 賃 で 住 宅 を提 供 してい る。2008年7月 現 在 、市 営 住 宅 に は該 当す る子 ど も を もつ若 年 層 世 帯6世 帯 が入 居 してお り、 そ の多 くは、 石 垣 島 市 街 地 の 出 身 で あ る。 入 居 世 帯 の 就 業 形態 と して は、 市 街 地 で サ ー ビス業 を は じめ とす る第 三 次 産業 に従 事 す るケ ー スが 多 いが 、 なか には 集 落 内 で農 業 や 観 光 業 な ど を 自営 す る 人 び と もい る とい う。 この 市 営 住 宅 は 、価 格 と伊 原 間集 落 の 自然 環 境 ・子 育 て環 境 の良 さか ら入 居 希 望 者 が相 次 ぎ、 現 在 、 新 た に市営 住 宅 を建 設す る計 画 も進 ん で い る とい う。
子 ど もと夫婦 か らな る若年 層 世 帯 の 呼 び込 み が 行 わ れ る一 方 、近 年顕 著 なの が 、 日本 本 土 か らの 移 住 者 の流 入 で あ る。伊 原 間 集 落 に は1970年 代 頃 か ら 日本 本 土 か らの 移 住 者 が 少 数 なが ら もい た が 、 と くに1990年 代 頃 か ら、 沖 縄 全 体 で 見 ら れ た本 土 出 身者 の 沖縄 へ の移 住 、 い わ ゆ る移 住 ブ ー ム を背 景 と して流 入 者 が 急 増 した。 この 移 住 ブ ー ム な か で、 と りわ け 移 住 地 と して 人気 が あ っ たの が 石 垣 島 で あ っ た[八 重 山毎 日新 聞2008年10月22日]。 伊 原 間集 落 の場 合 、市 街 地 の よ うな20代 、30代 の 若 年 世 代 を対 象 とす る短 期 移 住 者 向 け の 施 設 が ない た め 、比 較 的経 済 的 余裕 のあ る40代 、50代 の壮 年 世 代 を中 心 とす る 人 び とか 、 あ る い は、
ホ テル や 店舗 経 営 を 目的 とす る人 び とが 、移 住 先 と して選 定 す る こ とが 多 い よ う
で あ る。 と りわ け壮 年 世 代 の 移住 者 は 、子 育 て を一 段 落 した 後 に夫婦 二 人 で流 入
す る場 合 が多 く、 市 街 地 で 職 を見 つ け て集 落 で 生 活 す るか 、 あ る い は、 集 落 か ら ほ ど近 い場 所 で観 光 業 や 飲 食 業 を 自営 しなが ら生 計 をた て て い る よ うで あ る。 ま た 、定年 退 職 後 の年 金 収 入 を基 盤 と して 夫婦 二 人 で移 住 す る ケー ス もあ る とい う。
筆 者 の 聞 き取 り調 査 で は 、 伊 原 間集 落 を移 住 先 と して選 定 す る理 由 と して 、 沖 縄 特 有 の気 候 や 風 土 に ひか れ 移住 を計 画 す る なか で 、 都 市 化 した 沖縄 本 島や 石 垣 島 市 街 地 に は ない 自然 豊 か な環 境 と田舎 暮 ら しを魅 力 に 感 じた か ら と話 す 人 が 多 か った 。 な か に は、 集 落 の伝 統 行 事 で あ る豊 年 祭 に憧 れ て移 住 を 決 め た とい う移 住 者 もい た。
皿 移 住 者 の 受 け入 れ 装 置
前節 で は、 石 垣 島 北 部 地域 お よび伊 原 間集 落 にお い て 、移 住 者 が 、 歴 史的 に も 現 在 的 に も村 落 の 維 持 に重 要 な位 置 を 占 め てい る こ と を明 らか に して きた。 次 に 皿 章 で は、1990年 代 以 降の 世 帯 単位 で の移 住 に注 目 し、移 住 者 に対 す る先 住 者 の 対応 を見 て い くこ と に した い。
1移 住 者 と先住 者 との 密 接 な 関 わ り
まず 見 てい きた い の は 、移 住 者 を公 民 館 活 動 に積極 的 に 呼 び か け て い る点 で あ る 。沖 縄 地 域 にお い て 、公 民 館 は、 各 市 町 村 行 政 の最 小 単 位 と しての 役 割 を もつ もの で あ る が、 多 くの 場 合 、琉 球 近 世 以 来 よ り村 落 に 独 自 に形 成 され て きた 自
治組 織(村 屋)を 引 き継 ぐ もの で あ る。 そ の た め 、 現在 で も、相 互 扶 助 、 年 中行 事 、地 域 お こ しをは じめ とす る村 落 単 位 で 行 わ れ る独 自の営 み の多 くが 公 民館 活 動 と して展 開 され て お り、村 落 の 自律 性 の 基 盤 とな る組 織 で あ る とい え る[小 国 2008:208]。 伊 原 間公 民 館 で は、 新 し く移住 して きた 人 び とに対 し、 必 ず伊 原 間 公民 館 会 員 に な る こ と、 年 会 費12,000円 を納 め る こ と を要 請 して い る。 そ して、
総 会 や 共 同作 業 をは じめ とす る さ ま ざ ま な集 ま りの 際 に は 、公 民 館 側 か ら積極 的 に呼 びか け を行 い 、移 住 者 の参 加 を促 して い る。 また 、移 住 者 と先 住 者 との距 離 を縮 め る仕 掛 け と して 集会 の 後 に懇 親 会 を開 き、親 睦 の 場 を提 供 してい る とい う。
こ の話 を 裏付 け る よ う に、 日本 本 土 か ら移 住 した50代 女 性 の 語 りか らは 、伊 原 間集 落 に移 住 して す ぐに、集 落 の 集 ま りに参加 す る よ う積極 的 に呼 びか け を受 け、
親 睦 会 の た び にマ イ ク を渡 され幾 度 と な く自己 紹 介 を した こ と、 そ して 、 こ う し
村 落(シ マ)的 世 界 を一 再考 す る
83た 機 会 を とお して、 伊 原 間 集 落 で の暮 ら し方 を学 び、 先 住 者 との 関係 を構 築 して い った こ とを聞 くこ とが で きた。
さ ら にい え ば、 こ う した 移 住 者 の積 極 的取 り込 み は、 伊 原 間 公 民館 の役 員 組 織 に も及 んで い る。伊 原 間集 落 は 、公 民 館 長 を長 と して 、 総務 ・ 会計 ・ 書 記 ・ 評議 員 ・ 婦 人 会役 員 ・子 供 会 役 員 ・老 人 会役 員 な どの 役 員 に よ って 運営 され て い る。 現 在 、 そ の多 くの 役 職 に 、移 住 者 た ちが つ い て い るの で あ る。 ま た、 過 去 には 、 日本 本 土 か らの 移住 者 が公 民 館 長 に就 任 した こ と もあ る とい う。 村 落 の 人 口規模 が圧 倒 的 に少 ない た め 、移 住 者 を除 い て は運 営 自体 が 立 ち行 か な くな る とい う側 面 は あ る にせ よ、 責 任 あ る地 位 にか れ らを任 用 す る こ とは 、移 住 者 の村 落 へ の 参加 意 識 を高 め る こ とは想 像 に難 くない15)。
移 住 者 を受 け入 れ よ う とす る姿 勢 は、 決 して 、村 落行 政 レベ ルの こ とだ け で は な い。 移 住 者 世 帯 を見 て気 が つ くこ とで あ るが 、 ホ テ ル や店 舗 経 営 を 目的 と して い な い移 住 世 帯 の 多 くが 、村 落 の 中心 にあ た る非 常 に 立 地 の 良 い場 所 に屋 敷 をか まえ 、先 住 者 世 帯 と軒 を並べ て い る。 これ は、 他 の 沖縄 の 多 くの地 域 で 、 移住 者 た ち が 、村 落 の境 界 の 近 く、村 落 出 身者(シ マ ンチ ュ)の 居 住 区 か ら離 れ た と こ ろ に屋 敷 を構 え てい る こ と を踏 まえ れ ば、 非 常 に珍 しい 現 象 で あ る とい え るだ ろ う。 聞 け ば、 この よ う に条件 の 良 い場 所 に家 を建 て る こ とが で きた の は、 不 動 産 業 者 を経 由せ ず 、土 地 の 所 有者 であ る地域 住 民 か ら直接 借 りたか らで あ る とい う。
つ ま り、移 住 者 の多 くが 、 先住 者 との個 人 的 なや り取 りを通 じて伊 原 間へ と流 入 して い る の で あ る。 さ ら に、居 住 地 の近 さはそ の 後 の 近 所 づ きあ い を生 む。 先住 者 の 口利 きに よっ て 土 地 を借 り夫 婦 二 人 で移 住 した50代 女 性 の 話 に よれ ば、 近 隣 の 人 び とは、 自分 の畑 で 採 れ た野 菜 をた ず さえ頻 繁 に女性 の家 を訪 れ るそ うだ。
数 日間 、 彼 女 が顔 を見 せ ない こ とが あ った と きな どは、 心 配 して 様 子 を見 に来 た こ と もあ った とい う。 ま た、 彼 女 の 夫 に対 して も、 夕 刻 に な る とた び た び近 隣iの 男 性 数 名 が 彼 の も とを訪 れ 、酒 を飲 み なが らお し ゃべ り(ゆ ん た く)を して い る
とい う。 この よ うに個 人 レベ ルで も、 移住 者 を積 極 的 に受 容 しよ う とす る態 度 が うか が え る。
聞 き取 り調 査 で え られ た 、伊 原 間公 民館 長(40代 ・男 性 ・戦後 八 重 山 開拓 移 民
の 第二 世 代 に あ た る人 物)の 「出 身が ど うだ とい う よ り、(シ マ が)続 い て い く
こ とが 大 切 。 だ か ら、 オ ー プ ン ・ザ ・ウ ィ ン ドウの精 神 で よそか らの 人 を受 け 入
れ る のが 伊 原 間 の や り方 で あ る」 とい う語 りか ら もわ か る よ うに、 先 住 者 た ち の 柔 軟 な対 応 の 背 景 に は、 現 在 の 伊 原 間集 落 が 置 か れ て い る 過 疎 化 の 現 状 が あ る。
しか し、 そ れ 以 上 に 、杉 住 者 の受 け入 れ を可 能 に して きた と考 え られ るの は 、11 章 で概 観 した 、 移住 者 の流 入 を促 した歴 史 的 ・政 治 的背 景 で あ ろ う。 前 述 した戦 後 の八 重 山開 拓 移 住 者 が よい例 を示 して い るが 、 本節 で先 住 者 と総 括 した 中 に も 移 住 者 とい い う る人 び とが い る。 伊 原 間集 落 は、 か れ ら と共 同 しなが ら現 在 まで 維 持 され て きた ので あ る。 こ う した石 垣 島北 部 地域 独 自の 重 層 的 な移 住 の歴 史が 、 現 在 の移 住 者 に対 す る柔 軟 な姿 勢 を生 み 出す 素 地 に な った と考 え られ る。
2村 落 祭 祀 へ の 受容 豊 年 祭 で の エ ピ ソー ドか ら
移 住 者 に対 す る積極 的 な 受容 の姿 勢 は、 日常 生 活 に 限定 され ない 。 村 落 を単位 とす る祭 祀 にお い て も、移 住 者 と先 住 者 との積 極 的 な 交渉 を見 て取 る こ とが で き る の で あ る。 本 節 で は 、筆 者 の参 与 観 察 にお い て得 られ た移 住 者 の 村 落 祭 祀へ の 関与 を示 す エ ピソー ドを記 述 す る こ とに した い 。
筆 者 が 、伊 原 間 集落 で 調 査 を行 っ た2008年7月 は 、旧 暦 の6月 にあ た り、 ち ょ う ど八 重 山群 島 にお け る大 祭 の ひ とつ で あ る豊 年 祭(プ ー ル)を 事 前 に控 え た 頃 で あ っ た。 豊 年 祭 とは 、伊 原 間集 落 にあ る聖 地 、御 嶽(オ ン)や 拝 所 を対 象 と し て行 われ る 、村 落 の農 耕 儀礼 の こ とで あ る。 『 伊 原 間村 誌』 に よれ ば、そ の 目的 は、
く な ち ゆ