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女性の高等教育改革と教育基本法・ 学校教育法の制定

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(1)

はじめに

本論文は,戦後の新学制策定過程における女性の高等教育の改革に着目し,その基盤となった教 育基本法と学校教育法の制定プロセスとその意義を明らかにするものである。特に,機会均等や男 女共学制をめぐる議論とその政策意図に着目する。

1947年3月制定の教育基本法は,第3条で男女の教育の機会均等を定め,かつ第5条で男女共 学を規定した。また,同時に制定された学校教育法も機会均等を保障するとともに,男女別の学校 体系を排し,さらに大学入学資格も同等化した。これらの法の成立により,一部では別学校も存在 したが,実態としてほぼすべての学校段階で共学が原則となり,大学も共学が主体となった。以上 のような改革は,女性への差別的教育を一挙に解決するものであり,女性の大学教育にも画期をも たらすこととなった。

この改革の基盤となったのはアメリカ教育使節団報告書や教育刷新委員会による建議であり,筆 者は別稿でこの二つの組織における女性の教育についての議論を既に考察している1。これを受け 本論文では,使節団報告書から上記二つの法律の制定までの過程を一体的にとらえ,政府・文部省 による教育基本法・学校教育法の立案過程,さらには帝国議会での審議を分析し,そこに見られる 女性の教育改革と共学問題を考察する。

本論文に関する先行研究は多く,教育基本法については『教育基本法文献選集』(学陽書房

1977・78年)全8巻があり,この選集には成立過程,条文ごとの研究論文,豊富な資料などがま

とめられている。また鈴木英一『教育行政』(東京大学出版会,1970年)も同法の立法過程などを たどり,戦後教育改革の根本趣旨を究明している。この他にも,教育基本法に関する研究は枚挙に いとまがないほど蓄積されており,また共学に特化した研究として橋本紀子の『男女共学制の史的 研究』(大月書店,1992年)がある。一方,学校教育法の成立についても研究蓄積が豊富であり,仲  新の『現代日本教育史』(第一法規出版,1969年),鈴木英一の「学校教育法の成立」(『講座 日

女性の高等教育改革と教育基本法・

学校教育法の制定

―機会均等と共学の視点から―

湯川 次義

(2)

本教育史4』,第一法規出版,1984年)などがある。

以上の先行研究は,それぞれ考察対象についての詳細な研究であり,二つの法の成立過程やその 意義について一定の到達点を示した著作と言える。しかし,あえてこのテーマを考察する理由は,

筆者の「戦後教育改革期における女性の大学教育の成立」に関する全体的な研究構想の中で,これ は欠くことのできない重要な検討課題として位置づいているからである。すなわち,戦前の女性差 別の教育を克服し,その大学教育を実現させたのはこれらの法の制定であった。こうした意味で,

女性の大学教育の実現のされ方,さらには共学大学と女子大学が並立して進展したことの事実とそ の特質を検討する前提としても,本テーマの考察は欠くことができない。このような理由から,本 論文では先行研究の成果を踏まえながら,筆者なりの視点から考察する。

本論文では,次の4点を主な検討課題とする。第一に,政府・文部省における法案作成過程を,

教育基本法と学校教育法に分けて検討する。その際,CI&E教育課の共学化への働きかけにも着目 する。第二に帝国議会での二つの法の審議過程を議事録により分析し,そこで問題とされた点を明 らかにする。なおこれらの法律は,戦前の教育法規の勅令主義を改め,国会の議を経て定められた 点も大きな特徴であったことも確認しておきたい。第三に,教育基本法の共学規定を中心にして,

文部省の立法趣旨や法的解釈,さらにはこれに対する批判を検討する。これにより,共学の意義や 課題を明確にしたい。第四に,学校教育法における女性差別撤廃の内実と学校段階別の文部省の共 学方針について検討する。

以上の課題の検討により,教育の機会均等や共学化の基となった法的基盤をより明確に把握で き,さらには筆者の課題の新制大学における共学・別学の背景などを探り,女性の大学教育の確立 に関する歴史的特徴を明確にできるものと考える。

1.教育基本法の制定過程と男女共学

(1)刷新委員会建議と文部省案の作成

政府・文部省は,1946年12月27日の教育刷新委員会による教育理念及び教育基本法に関する 建議を受け,教育基本法案を作成した。その後,CI&E教育課との交渉などを経て修正を重ね,翌 年3月4日の閣議決定,12日の枢密院の議決,13日以降の第92回帝国議会での審議を経て,3月 31日に同法は公布されることになる。ここでは主に,この過程での第5条の条文の修正過程や国 会論議,さらには文部省の同条の立法趣旨を検討する。

1)文部省案の作成

上述のように,政府・文部省が帝国議会に上程した教育基本法案の基盤になったのは教育刷新委 員会による同法に関する論議及び建議であった。また周知のように,その前提には1946年3月の アメリカ教育使節団による報告書があった。これらの二つの組織による女性の教育や男女共学をめ ぐる改革議論などについては既に拙稿にまとめていることから,ここでは刷新委員会における建議 内容を簡単に確認しておきたい。

(3)

教育刷新委員会で,教育基本法をめぐって審議したのは第一特別委員会であり,そこでの審議と 総会の承認を経て,1946年12月27日に第1回目の事項として「教育の理念及び教育基本法に関 すること」が建議された2。この建議では,①教育基本法制定の必要を認めたこと,②教育の目的・

方針を定めること,③制定の由来・趣旨を明確に示す前文を付すこととし,さらに④各条項に加え るべき9項目を掲げた。そして④については「新憲法の趣旨」を敷衍するとし,その原則を明示す べき9項目中の第3項目に「女子教育」を掲げた。各項目の内容は記されていないが,審議結果の 重視を求めていた。

なお,第一特別委員会は建議以外に教育基本法「参考案」を作成したが,その中の「女子教育」は,

前段の「男女は,お互に敬重し,協力し合わなければならないもの」でと,後段の「教育上原則と して平等に取扱わるべきものであること」からなっていた。

この案は第一特別委員会での「女子教育」をめぐる論議の到達点であり,前段部分は民主社会に おける男女の相互尊重や協調の必要性を説き,後段部分では男女の機会均等を明確に打出してい る。だが後段部分は文部省の原案を引き継いだままであり,ここでは共学の制度的なあり方に言及 していない点に注目しておきたい。第一特別委員会では,明確な共学反対論は見られず,共学の意 義への理解が一定程深まっていたものの,共学制の原則を規定すべきと強く主張する委員は一部に とどまっていた3。しかし,後述するように,後段部分はCI&E教育課との折衝で共学に言及した 内容に改められることになる。

政府・文部省は,以上の建議を受け教育基本法案の制定手続きを進めた。この過程でCI&E教育 課との折衝,さらには内閣や枢密院での審査を受け,法案としてまとめられた。この間の第5条の 主な修正過程とその内容を示すと,上の表のようになる。なお,修正は後段に集中したことから,

その部分をゴチックで示した。

(2)「女子教育」の規定をめぐる CI&E との折衝

教育基本法案をめぐって文部省はCI&E教育課と折衝を重ねたが,鈴木英一の研究によれば,両 表 教育基本法第

5

条の主な修正過程と内容

主    体 年月日 見出し・内容

A: 教育刷新委員会:参考

案(第

11

回総会)

1946

11

29

(四)女子教育 男女は,お互に敬重し,協力し合わなけれ ばならないもので,教育上原則として平等に取扱わるべきも のであること。

B:閣議請議案 1947

3

4

第五条(男女共学)男女は,互に敬重し,協力し合わなけれ ばならないものである。従つて男女の共学は,認めなければ ならない。

C:帝国議会への上程案 3

17

日 第五条(男女共学)男女は,互に敬重し,協力し合わなけれ

ばならないものであつて,教育上男女の共学は,認められな ければならない。

鈴木英一編『資料教育基本法

30

年』,『公文類聚第七十一編』,『枢密院決議』などにより作成。

(4)

者間で意見が対立したのは,「男女共学条項」と「教育行政条項」など4点であった4。後に第5条

「男女共学」と修正される規定に限定して結論を先に示すと,表中Aの教育刷新委員会「参考案」

中の後段の「教育上原則として平等に取扱わるべきものであること」が,Bの閣議請議案では「従 つて男女の共学は,認めなければならない」と改められていた。すなわち,「参考案」では男女の 教育の機会均等の意味にとどまり,共学には触れない表現であったが,後述するような11月から 12月にかけてのCI&Eとの折衝過程で共学が明確化されたのであった。さらに,政府内部の調整 でCの帝国議会への上程案として,「教育上男女の共学は,認められなければならない」とまとめ られた。

上述のCI&E教育課と文部省との交渉過程については,久保義三や鈴木英一によって考察されて

いる5。ここでは,鈴木の研究6を基盤にしつつCI&E文書も合わせて,交渉過程を検討する。まず,

1946年7月16日,CI&E教育課のドノヴァン(Eileen R.Donovan)が学校教育局長日高第四郎と 男女共学について話し合った。日高は,小学校での共学は奨励するが,旧制中学校段階での共学は 大学での共学の結果が分かるまで待つべきこと,さらに私立中学校では共学は採用できないことな どを説明し,消極的な姿勢を示した。これに対してドノヴァンは共学について「日高は最も保守的」

と評価している。なお,日高もCI&Eとの共学論議について回顧し,「H女史」すなわち,ホーム ズ(Lulu Holmes)と会談した際に旧制中学校段階での共学には基本的に「賛成出来ない」と説明 したところ,「あなたは保守的で女性を軽視している」と非難されたと記している7

次いで,8月29日にドノヴァンはCI&E教育課内での共学についての討論の結果をまとめ,ど のような方法をとっても「男女分離をもたらしている法令を廃止する措置をとること」に合意した と,教育課長オア(Mark T Orr)に報告した8。その中で,①この方向を進め,「直ちに関係法令を 廃止すべきである」,②どの学校段階でも共学に原則賛成し「 手加減する ことは必要ではない」,

この問題は「重要度の低い位置にあるのではなく,日本の学校再組織に不可欠な一部である」と決 めた。CI&E側は,民主的学校制度において共学は欠くことのできないものと確信していたと言え よう。教育基本法要綱案が刷新委員会で最初に扱われたのは,9月20日の第3回総会であること から,それ以前に文部省とCI&Eの間で共学をめぐり対立していたことになる。

11月14日にCI&E教育課に提出された「教育基本法要綱案」は,刷新委員会での審議前の文部

省案と推察され,その「女子教育」の案文は,おおよそ「男女はお互に理解し尊重し合はなければ ならないもので,教育上,原則として,平等に取扱はなければならないこと」であったとされてい る9。これを受けて,11月18日には文部省の審議室長関口隆克とトレーナー(Joseph R. Trainor),

ドノヴァン,ホームズなどとの会談が開かれ,CI&E教育課側は「前半部分はよいが,後半部分は だめ」であるとし,共学について「積極的な言及」を行うように提案した。関口は1時間半にわた り「弁解に努めた」が,CI&E側が納得できるものではなかった。この間のやりとりについて,関 口は鈴木英一による1968年の聞き取り調査の中で,当時の自分の立場を回顧している10

続いて11月21日にもトレーナーなどと関口らの会談が行われ,文部省は「女子教育」の条項の

(5)

改訂版を示した。その改訂版は,前段の字句が刷新委員会での修正を受けて「敬重」「協力」と若 干変更され,後段は「両性の特性を考慮しつつ同じ教育が施されなければならないこと」というも のであった。これに対しCI&E側は「改悪されたと断定し」,従来の「女子教育」の「非民主的で 独裁的なすべてに固執している」と批判した11。CI&E教育課側は,この修正案で男女の「特性を 考慮」しつつ同等の教育を行うとした点,さらには共学への積極的な言及がなされていない点を批 判したのであり,容認し難い案であったと言えよう。

さらに,11月25日に関口は修正案を提示したが,なお共学への言及が「あいまい」で「肝心の 点を避けている」と受け止められた。その後1時間の話し合いを経て,関口は英訳の条文には同意 したものの,「同じ考えを日本語で表現」するのは困難と述べ,その結果双方が別々に日本語に翻 訳して比べることとなった。これを受けて29日には室長関口と教育課通訳の訳文を比較し,その

結果CI&E教育課通訳の案が「いささかの曖昧さもなく理解される」ということで一致した。鈴木

の推測によれば,この訳文は「男女の共学は認められなければならないこと」と,共学を明快に述 べたものとしている。その後,12月には両者の間で教育基本法案全般について,3日間にわたって 検討した。

鈴木の研究によれば,CI&E教育課との交渉は以上のような経過であり,文部省は押し切られる 形で,共学の字句を教育基本法案に入れたのであった。

しかし,共学について明記させたものの,CI&E教育課も共学を原則とするとの表現までは求め なかった点にも注目したい。この点は,使節団報告書が小学校から「上級中等学校」(高等学校)

までの共学を勧告しながらも,特に高等学校段階については「機会均等が保証」される限り「過渡 期中」には「男女別々の学校を用いても差しつかえない」と提言12したことによるものと見ること ができる。学校教育局長日高も,CI&E教育課長オアから,共学の希望に対しては認めるようすべ きだが「強いてはいけないと懇切にさとされた」13と回顧している。CI&Eは共学を原則としつつも,

高等学校段階では日本の現状を踏まえて強制的な実施は避ける考えであったと言えよう。

(3)政府案の確定

以上のようなCI&E教育課との交渉を経て文部省案がまとめられ,1947年1月21日付で,文相 田中耕太郎は,「教育刷新委員会の建議にもとづき,教育基本法制定の必要を認め」るとして,草 案を具して閣議に諮った14

この時の案文は,「第五条 女子教育 男女は,互いに敬重し,協力し合わなければならないも ので,男女の共学は,認められなければならない」というものであった。当該条項は第5条に移っ ているが,これは「五,義務教育」と順序を入れ替えたものであった。

しかし1月22日付資料によれば,内閣法制局が教育基本法案を検討し,「女子教育」の部分にも 検討が及び,その結果次のような見解を記している15

(6)

六 女子教育

 16,女子教育の見出しは「男女共学」とした方がよい。

 17,二つの文章の結びつきがわるい。

 18,「認められなければならない」の意。国民に男女共学に対する要求権を与えたのか。

法制局の指摘により,1月30日の閣議案では第5条の見出しが「男女共学」となり,二つの文 が「ならないものであつて,男女共学は」と連続した表記に改められている。見出しを「男女共学」

に変更した理由は,共学を明記した内容に改められたためと推察される。

その後,文部省は3月1日に再度教育基本法案を閣議に上程している。1月21日付で閣議に一 旦請議したにも関わらず再度諮った理由は不明であるが,文部省内での法案修正がやや大幅であ り,また刷新委員会での承認が必要であったためと推察される。その時の第5条「男女共学」の案 文は「男女は,互いに敬重し,協力し合わなければならないものである。従つて,男女の共学は,

認められなければならない」であった。そして,3月4日の閣議では文部省案通りに決定し,5日 付で枢密院に諮詢している。しかし,内閣での審査過程で「男女の共学」の前に「教育上」が加え られ,「教育上男女の共学」と改められた。その結果,3月8日に文相は内閣総理大臣に対し,法 案の一部訂正を申し出た。これを受けた形で,内閣法制局長官は枢密院に諮詢中の教育基本法案 について一部訂正を願い出た。そこでは,第5条については,「協力し合わなければならないもの である。従つて,」の部分を「協力し合わなければならないものであつて,」に改める,とされて いる16

この時点で第5条は,「男女は,互いに敬重し,協力し合わなければならないものであつて,教 育上男女の共学は,認められなければならない」となり,その後この条項は枢密院で承認され,帝 国議会でも修正されず,教育基本法第5条となる。

次に,枢密院の審議について検討する。枢密院審議において,政府は「提案理由」の中で第5条 について「新憲法第十四条第一項の精神を敷衍して男女共学を謳いました」と説明している17。周 知のように,憲法14条第1項は法の下の平等の原則を明示し,「性別」などにより差別されないこ とを定めていた。この条項について美濃部達吉は,性別による差別を許さないことは「本条中最も 重視すべきもの」と位置づけ,旧来の男女間の不平等を排斥するものと評価している18。政府は,

第14条第1項の男女平等規定と第24条第2項の個人の尊厳と両性の本質的平等を教育上に明確に するものとして,第5条を設けたのであった。

そして審査の結果枢密院では,憲法の精神に即して教育の目的を明示し,教育上の諸原則を明示 しようとする同法の趣旨は「是認」されるもので,また各条項も支障がないとして12日に可決し た19。同日,枢密院議長は天皇の「採択」を仰ぎ,これをもとに政府は教育基本法案を帝国議会に 提出した。次に,帝国議会での審議状況を検討する。

(7)

2.第 92 回帝国議会における教育基本法審議

教育基本法案は,1947年3月13日から25日にかけて第92回帝国議会の衆議院と貴族院で審議 され,3月31日に公布された。以下,帝国議会での教育基本法の審議状況を検討するが,あらか じめ議会審議に向けた政府の「予想質問答弁書」を分析し,第5条に関する政府・文部省の認識を 確認しておきたい。この「質問答弁書」は3月12日に文部省調査局によって作成され,そして「教 育基本法案」第5条関係の部は次のような内容であった20

問 男女の共学は,認められなければならないの意味如何。

答 「認める」という言葉は「見テヨシトス。ユルス」等の意味がある。

即ち一方では,男女共学をよしとする即ちその真価を認めることを意味し,他方 では男女共学が許されるべきことを意味する。

本条によって男女の共学を禁止することは許されない。然し,本条は男女の共学 を強制するものでもない。本条によって如何なる学校における男女共学も禁止す ることができないと共に,男女の共学は如何なる学校においても男女共学を希望 する場合,許さるべきことになる。勿論,これは国民に男女共学を請求する権利 を与えたのでもない。

ここでは,「共学をよしとする」「その真価を認める」との表現から,共学の教育的意義を評価し,

共学を基本とするとの認識が確認できる。この点について,同法作成時の文相であった田中耕太郎 は,『教育基本法の理論』において「原則的にこれを奨励する意味」をもつと解説している21

あわせて「答弁書」は,第5条は共学を強制するものではなく,個別学校の意向で別学も認める との方針を示している。すなわち,第5条は共学の実施を妨げることを禁止するものという解釈で あり,原則と明記しない点で消極的姿勢も窺える。これは当時の共学に対する社会の意識を踏まえ,

さらには学校現場での混乱などを避ける意味もあり,文部省がすべての学校段階,特に新制高等学 校段階での全面的実施は困難と考えていたことを示すものと理解できよう。このような文部省の方 針は,使節団報告書や教育刷新委員会の建議に示された内容とほぼ同一であった。以上のような全 体的姿勢は,議会審議の中でも政府見解として説明されることになる。

さらに,教育基本法の議会審議の前提として確認しておきたい点は,新学制の実施時期や共学実 施への社会的不安があったことである。特に,新制度である中学校が4月から発足することへの不 安が強かった。この点は3月17日の衆議院決算委員会でとり上げられ,一議員は4月から新学制 が実施されるにもかかわらず文部省の方針が不明確で,「地方の末端」に趣旨が徹底していないと し,「全部男女共学にする」とか「随意」であるとかの例をあげて,その方針が不明確であると質 した22。これに対し日高は,男女共学を強制する旨を公式に発表した事実はないとし,さらに共学

(8)

などへの見解は2月5日に新聞発表したと答えた。

この新聞発表は,6・3制は「四月から逐次実施」との学校教育局長談話であった23。記事によれ ば,新学制は4月から実施するのか,そうであれば私立学校はどうするのか,共学の強制力は,と いった問題は「話題や関心どころか,混乱の状態に近い」状況にあることから,文部省では5日に 局長日高談の形式で新学制についての最初の声明を行った,と伝えている。その要点は,①相当の 困難があっても予定通り1947年4月から実施する決意である,②共学を原則とするが「地方の事情」

や「宗教的立場」によっては必ずしも共学でなくてもよい,③「私立学校の転換」については自主 性を尊重する,の3点であった。この発表について同紙は,「共学問題はカトリック系諸学校をは じめ,宗教学校側から強い反対の火の手」があがったことから,「その『絶対強制』」を著しく緩や かにしたと伝えている。

以上の状況を踏まえ,次に教育基本法第5条の審議を衆議院と貴族院に分けて分析する。

(1)衆議院における審議

教育基本法案は,1947年3月13日に第92回帝国議会に上程され,同日の衆議院本会議で文相 高橋誠一郎は同法制定の理由と内容を説明し,第5条については「新憲法第十四条第一項の精神を 敷衍いたしまして,男女共学を説きました」と述べた24。文相は憲法第14条の法の下の平等規定 の精神に基づいて共学を規定したとの趣旨を説明している。この提案を受け,衆議院の教育基本法 特別委員会は3月14日,15日,17日に開かれ,17日に無修正で政府案通り可決している。

3月14日の特別委員会では,永井勝次郎(日本社会党)から第5条に「男女共学を特に取上げて」

規定することは「少し変ではないか」との質問があった25。永井はその理由を,憲法でも「性別」

により差別されないとされ,さらに教育基本法に「機会均等」がうたわれていることから,男女共 学は「教育の機会均等の中にはいるべきもの」であるとし,「特に取上げて男女共学という一条を 設ける必要はない」と主張した。続けて,このような独立した規定を定める背景には「男女の差別 感に立つた」共学という「思想が根本にあるのではないか」,さらにこの規定は共学にしなければ という「道徳的な理由」を盛り込もうとするものであり,「基本的人権の確立」という「本質的な ものに立つての男女共学ではない」と批判した。続けて,このような道徳的理由から「男女共学を 強調」しようとするこの規定には「思想の分裂」があるとし,第5条を加えた理由とその背景にあ る考えを質した。これに対して政府委員辻田力は,憲法第14条の法の下の平等の精神を盛り込む とすると,その内容は第3条の教育の機会均等に「包含される」としつつ,あえて共学を規定する 趣旨を次のように説明した26

男女共学はあまり考えられておらなかったし,また非常に男女の間に差別的な取扱いが行われ ておりましたので,この際特にこの男女の平等という,差別をしないという立場からいつても,

また一方には,今後一層民主的な平和的な国家を建設していきます場合に,特に男女が互いに

(9)

協調し協力し合わなければならぬ。これを教育に生かす場合に,共学というような方法で行わ れるのが最も適当である<以下略=引用者>。

ここでは,共学の意義の一端は機会均等に包含されるとしつつ,女性差別をしない趣旨を明確に 示すとともに,民主国家建設にとって男女の協調が必要との認識からこの規定を設けたとの立法趣 旨が説明されている。民主社会の実現には共学が最も適当な方法であるとの認識に留意したい。

なお,教育基本法第3条の教育の機会均等と女性への教育的差別の禁止について,若干の法的解 釈を加えると,この点は日本国憲法第14条第1項の法の下の男女平等と第26条第1項の教育を受 ける権利を受けたものと解釈されている27

続く,3月15日と17日の特別委員会では第5条関係の質疑はなく,基本法全体が修正なく政府 案通り可決された。そして,3月17日の本会議に報告され,政府原案通り可決された。衆議院審 議で共学について議論が乏しかった理由は,多くの議員がその趣旨を理解したためと考えられる が,共学の形態や強制の程度などについての質疑があっても然るべきと言えよう。貴族院の特別委 員会では,これらについても議論が及んでいる。

2)貴族院における審議

衆議院での可決を受け,教育基本法案は3月17日に貴族院に送付され,19日に本会議に上程さ れた。そして,4回の特別委員会での審議を経て25日に可決された。

なお,これに先立つ2月19日の貴族院本会議で,荒川文六は共学規定の趣旨は重要としつつ,

必ずしも同一学校・同一教室で男女を教育すべき趣旨ではないはずとし,私立学校での共学問題へ の政府の考えを質している28。これに対して文相高橋誠一郎は,共学を奨励はするが強制するもの ではなく,私立学校の自由に委ねると答弁していた。

3月19日の本会議では,文相高橋が法案の提案理由と内容の概要を述べ,第5条については衆 議院と同様に「新憲法第十四条第一項の精神を敷衍」して共学を説いたと説明した29

同日に教育基本法特別委員会が開かれ,文相高橋が提案理由を説明し,第5条については本会議 と同様の趣旨を説明した30。続く20日の特別委員会審議では,田中薫(研究会)が「内外の男女 共学問題の可否」についての「学術的な論拠,論争」を踏まえた上で決めるべきではないかと述べ,

「論争」「学説」に関する資料やアメリカでの統計資料の提出を求めた31。これに対して,説明員増 田幸一はアメリカ・イギリス・フランス・ソビエトの共学の歴史と現状を説明した。例えばアメリ カでは共学が「世界中で最も理想的な形」で「徹底的」に行われており,女子大学も若干あるが「勉 学は殆ど同等」であることなどを説明した。これに対して田中は原理的な説明も後日欲しい旨を述 べ,さらに荒川文六は共学についての研究結果などの資料の提出を求めた。

資料の提出を受けた22日の特別委員会では,共学を原則とするのか否か,さらには共学の形態 などを巡って議論が展開した32。原則の問題については,荒川が機会均等の趣旨は必ずしも共学で

(10)

なくとも実現でき,共学に反対の議論もあると述べ,続いて国公立の学校では小学校から大学ま で「共学を原則とする」意味かと尋ねた。これに対して,文相高橋は申請があった場合に認めると いう趣旨であり,「更に進んで強制を行ふという積りはない」と答弁した。さらに,学校教育局長 日高は「義務教育は原則として男女共学にする」「それ以外」は申し出を認めるとの方針と補足し,

第5条は共学を「禁止をしない」ことを表現していると説明した。さらに「新制の中等学校」の場 合は旧制度下の「長い間の習慣」や「社会的事情」もあるために強制はせず,地方の実情により決 めてよいとの方針を示した。

荒川はこの説明を了承し,続いて同一学校で「男子の組と女子の組」に分ける場合,あるいは「男 子部,女子部」に分ける場合も共学と考えられるが,このような形態も地方の状況や校長の裁量で 可能かを質した。これに対して日高は,共学は同一教室で学ぶ形態が「普通」と考えるが,荒川の 指摘する例や教科などによって同一時間に「別の授業」を受けさせることは「学校長竝に父兄其の 他」の「裁量の自由」を残したいと説明している。

22日の委員会ではこの他,共学校か別学校かについて,保護者の「選択権」の有無の質問があっ たが,局長日高は公立義務教育の学校では選択権がない,私立学校においては父母も学生・生徒も 選択の「自由」があると答えている33。この点に関連して,荒川は別学を希望する保護者が私立学 校を選択し,授業料を納める場合は憲法に定めた無償の権利を受けられないことになり,疑問を感 じると発言した。荒川は答弁を求めなかったが,政府委員辻田力は私立学校の「特色を慕つて行く」

ことは「無償の権利を放棄したもの」と考えらえるため,憲法違反ではないと答えている。ここで は,共学を基本的に容認しながらも,私立学校などでの別学を認めるか否かに関心があったことが 分かる。

続く3月23日の特別委員会では,三島通陽から教育基本法に賛成する旨の発言があり,三島は

「義務教育,男女共学」が明確に規定されたことは「誠に結構」と述べた34。さらに,宗武志も「共 学は基本的な事実」であるが,別学も認められることは好ましいとの考えを述べている。この程度 の議論で特別委員会では教育基本法案を承認・可決し,さらに25日の本会議では政府原案通り可 決された。本会議では荒川文六が,国民の半数を占める女性が男性と同等の教育を受け得る機会を 定めた件などをあげ,賛成意見を述べている35。そして26日に同法裁可の奉請を閣議決定し,29 日に裁可を受け,31日に公布した。

なお文部省は,後述するように,1947年2月17日付で「新学校制度実施準備に関する件」を通 牒し36,この中で初等・中等学校での共学の方針を示した。

3)教育基本法第 3 条・第 5 条の政策的意図

教育基本法第3条と第5条についての制定当時の文部省関係者の解説を分析し,同法での女性の 教育差別の撤廃にかかわる政策意図を確認したい。鈴木英一は同法の「立法者意思」を検討するの に有効な著作4点37をあげているが,ここではその中でも最も詳細な辻田力・田中二郎監修,教育

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法令研究会著の『教育基本法の解説』(以下,適宜『解説』と略記する)の第5条と第3条関係の 記述を分析する。さらに,文部省調査局審議課長であった西村巌の「教育基本法概説」(以下「概説」

と略記する)と,同法作成時に文相であった田中耕太郎の『教育基本法の理論』における関連事項 の見解も適宜補うことにする。

『解説』は,文部省調査局審議課内教育法令研究会での研究と討議を事務官安達健二がまとめた もので,当時の調査局の「研究,討議」や「文部省の立案活動の到達点をある程度反映した」「教 育基本法解釈の『原典』ともいえる名著」とされている38。同書は,序,「本法制定の由来」「本法 の性格及び概観」「本法の内容」の三つの章からなっているが,ここでは第3章中の第3条と第5 条の解説を検討する39。なお,「概説」の実際の執筆者も安達とされている。

まず,第3条「機会均等」では教育上差別されてはならない事項として「性別」があげられてい るが,この点については「男女の別による教育の機会均等の不平等」は従来甚だしかったとし,「性 別による機会の不平等」はすべて「排除されなければならない」と解説する。また田中耕太郎は,

女性が政治的・社会的に,また家庭生活でも「男子と全く同等の権利」をもつためには,「教育上 の機会均等によって男子と同じ程度の教育をうけなければならない」のであり,教育の機会均等は

「法の下の平等の実質的な前提条件である」と位置づけている40

しかし,第3条では機会均等と男女間の教育内容上の相違が問題となっていた。この点について

『解説』は,その相違を認めないものではないとし,以下の解釈を示している。

男女にはそれぞれ特性があり,又それぞれ社会的使命があることを考えるとき,それらに応じ てそれぞれ特殊的なものを加えて行くことは,教育の機会均等の趣旨に反するものではない。

ここでは,男女には異なる特性や社会的役割があるとし,それに応じた教育内容を授けることは,

機会均等の趣旨に反するものではないとの見解を示している。田中耕太郎も同様な趣旨を述べ,憲 法や教育基本法の枠内で「両性の自然的な特質や使命の特異性を考慮」して,「教育政策が樹立さ れなければならない」とし,男子校や女子校の設立も可能で,「女子のみ」の「特別の学科」を設 定できるとする41

次に,第5条の男女共学についての『解説』の記述を検討すると,この条項の第一の根拠として 憲法第14条第1項の規定を示し,これにより「男女の別によるあらゆる法律上の不平等は除去さ れた」としている。第二の根拠として,同第24条第2項の個人の尊厳と両性の本質的平等をあげ ている。続いて,これらの規定の精神に基づいて基本法第3条で性別による差別など,あらゆる差 別的扱いを除去したとし,その上でさらに第5条を設けた意図を次のように説いている42

民主主義社会においては,単に男女の平等というだけでなく,男女が相互に敬重,協力し合わ なければならないのであり,そのために教育上男女共学の真価を認め,いかなる学校において

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も男女共学が認められるべく,国はこれを妨げてはならないことを規定したのが本条である。

ここでは,民主主義社会では男女が平等であるだけでなく,敬重・協力することが必要で,その ために共学を認めることにしたとしている。さらに『解説』では,「男女は,互いに敬重し」と「協 力し合う」の意味を解説し,「そうした男女の相互敬重協力のため」には「男女共学が望まれると して後段に続くのである」と記している。この説明では,民主社会と共学との関係が必ずしも論理 的に明確ではないが,一方の「概説」ではその論理を明確に解説し,民主国家・平和国家建設とそ の基盤としての男女の敬重・協力を可能にする,「教育上いちばん手近な方法」が「男女共学」で あると説明している43。これらを総合すると,憲法第14条第1項の法の下の平等と第24条第2項 の両性の本質的平等を根拠とし,民主社会建設の基盤としての相互理解や尊重は共学によって達成 するものであることから,共学を尊重し奨励するという趣旨であったと言える。なお,『解説』も

「概説」も共学を「奨励する」とは明記していないが,この点は既述した1947年3月19日の貴族 院本会議での文相高橋誠一郎の答弁から明らかになる。

次に,第5条が共学を学校教育の「原則」とするか否かについて検討すると,『解説』・「概説」

や議会答弁でも「原則」とするとは説明されていない。田中耕太郎も,「原則的にこれを奨励する 意味をもつ」としつつ,「小学校から大学までの全過程に適用するか」否かは「教育政策上の問題」

と説明し,「原則」との表現を避けている44。しかし,その後の実態から見ると,共学は日本の学 校教育全体で「原則」の位置を獲得することになった。

さらに『解説』では,共学について定義し,共学とは同一学校に男女の別なく在籍させるだけで なく,男女共通な「普通学科」は「同一教室」で学ばせることとしている。この点は,西村の「概説」

でも同じ説明であるが,このことは性に基づく特性や社会的役割に応じた教科を授け得るとの認識 を示すものと理解できる。上述したように,『解説』は第3条に関連しても「特殊的なものを加え」

ることは「機会均等の趣旨」に反しないと説明していた。

続いて,『解説』は第5条後段の教育上「共学は認められなければならない」の意味を4点に分 けて解説している。なお,この部分は上述した帝国議会での審議準備用に作成された「予想質問答 弁書」などの部内資料を参照したと考えられる。また,「概説」でも4点がほぼ同じ内容で記され ている。すなわち『解説』では,①として法律上「男女共学をよしと認め,その真価を認めている こと」とし,さらに国として共学を「推奨するのである」と説明している。国が共学の価値を認 め,それを推奨すると述べている点が注目される。続いて,②としてその選択は学校の自由である が,共学を国やその機関が禁止しないことを意味し,共学制を申し出た場合に監督庁は拒否できな いことを定めたものと解説する。さらに③として共学を強制するものではなく,宗教上や他の理由 から別学の選択を妨げるものではないとする。加えて,法令上ある学校段階での共学制採用が「規 定」された場合には,それに従わなければならないとする。共学の価値を認め推奨するとしつつ,

別学を認める点を慎重に解説しており,当時の共学に対する文部省消極的な認識が反映された解釈

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と言えよう。続いて『解説』は④として,国民に共学を請求する権利を認めたものではなく,別学 校を法令違反として共学校に改めさせる請求権を与えてはいないと説明している。さらに,⑤とし て「教育上」とあることは,共学は学校教育にとどまるものではなく社会教育も含み,例えば図書 館などでも「共学の趣旨」を実現することが望まれると解説している。

以上が文部省の第5条や第3条についての政策意図や解釈であった。文部省は当初共学の規定化 に反対であったが,CI&E教育課との交渉で変更を余儀なくされ,議会審議の段階では共学の真価 を認め,推奨するとの姿勢に変化した。しかし,「原則」と明記するまでの変化ではなかった。

その後の展開も含め,文部省の第5条解釈に対する批判も存在した。ここでは,第5条について の基本的文献とされる城丸章夫の「男女共学」45中に見られる批判的見解を,上記『教育基本法の 解説』や議会答弁と対比する形で指摘しておきたい。

その論点の第一は,男子部・女子部に分けることや教科により男女の学習を分ける点についてで ある。この点については,学校教育局長日高が3月22日の貴族院で,同一教室で学ぶ形態が「普通」

と考えるが,教科などによって同一時間に「別の授業」を受けさせることは「裁量の自由」と答弁 している。これに対し城丸は,男女で校舎や教室を分けることは「共学ではない」と主張し,さら に男女別の教育内容を授ける点については,「男子のみ,女子のみに適した『教科』は実際問題と して存在しない」との考えから,唯一別学が「必要」なものは「体育・スポーツをする機会」と強 調している。この点については,憲法第14条や教育基本法第3条は「あくまでも本質的平等」を 定めたものであり,すべての教育内容にわたって「同等である必要はない」との法的見解も存在す る46。すなわち,本質的平等の観点からみて「合理的」である限り,同一学年・学級において男女 別に必要な「教育または学科」を教授することはさしつかえないとの見解である。

第二点は,『解説』が示す④の国民に共学を請求する権利を認めたものではないとする点につい てである。城丸はこの点を疑問とし,共学は学校内の「教育方法上の問題」や教育内容上の問題だ けではなく,「女性の社会的地位の問題」と関連するものであり,別学は歴史的に見て「差別教育 への危険を強くはらんで」いたとし,この見解を批判している。

第三点は,⑤の「教育上」の意味は社会教育も含むとの解説についてであり,田中耕太郎の社会 教育には適用されないとする見解47は機会均等の線からだけ5条を理解しようとするものと批判 し,これについて城丸は『解説』の説を支持している。

全体として,城丸の第5条に対する見解は文部省のそれとは大きく異なり,機会均等や教育内容 の問題だけではなく,男女が存在する集団での教育的影響を重視し,「女性の社会的地位の問題」

や「女性解放の問題」として共学を捉えたのであった。

3.学校教育法の制定経過

(1)学校教育法案の作成過程

学校教育法案の第92回帝国議会への上程は3月17日であり,法案作成は文部省を中心に進めら

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れた。その法案の基盤となったのは教育刷新委員会の建議であった。

後にも述べるように,学校教育法の各規定中には,共学に関する規定や字句はない。しかし,刷 新委員会の審議では学校段階ごとの共学について議論がなされ,それが建議に反映されていた。こ のため,まず刷新委員会の共学についての建議内容を確認しておきたい。

刷新委員会で中等教育段階の学校体系を審議したのは,第二特別委員会であった。同特別委員 会はアメリカ教育使節団報告書を基礎に審議し,それを受けて刷新委員総会は1946年12月10日

と27日に6・3・3・4制の学校体系を承認した。これを受け,刷新委員会は12月27日に教育基本

法に関する建議などとともに,第1回建議事項中の「学制に関すること」を内閣総理大臣に建議 した48

学制に関する建議は三つに分けられ,「一 国民学校初等科に続く教育機関について」は12月 10日の第16回総会で採択され,①国民の基礎教育を拡充するため,修業年限3年の中学校(仮 称)を置くこと,②この中学校は義務制・全日制とし,男女共学にすること,などを提言した。

「二 中学校に続くべき教育機関について」は12月27日の第17回総会で採択され,①3年制の高 等学校(仮称)を設けること,②高等学校は必ずしも男女共学でなくてもよいこと,などを提案し た。「三 高等学校に続く教育機関について」は同じ第17回総会で採択され,高等学校に続く学校 は4年の大学を原則とする,という内容であった。なお,この建議では大学の共学・別学には触れ ていない。

これを受け,文部省はCI&E教育課と折衝を重ねて学校教育法案をまとめ,1947年1月17日に 閣議に請議した。この請議文書では,同法制定理由が次のように述べられている49

憲法改正に伴い,民主的文化国家建設の根基 に<ママ>培うため及び学制の根本改革を断行し義務 教育の年限を延長し,教育の機会均等を保障すると共に,男女の差別待遇を撤廃し複雑多岐な 従来の学制の単純化を図り,以て我が国学術文化の進展に寄与するため,ここに学校教育法を 制定する必要あるためである。

この理由には,民主的文化国家を建設し,日本の学術文化の進展に寄与するという同法の趣旨が 記されているが,本論文の課題から見ると機会均等の保障と男女の差別待遇撤廃を明記している点 が注目される。

政府は6・3制の1947年度からの即時実施に反対であったが,CI&Eの強い要請で変更し,2月 26日の閣議で47年度からの実施を決定した50。これを受け,3月7日の閣議では法案に若干の変 更を加えて学校教育法案を決定し,翌日に枢密院に諮詢した。枢密院議事録によると,政府は同法 を実施する理由4点を示した。すなわち,①教育の機会均等を図ること,②普通教育の向上と男女 の差別撤廃を図ること,③学制を単純化すること,④学術文化の進展に資すること,である。そし て男女差別の撤廃については,次のような政府の説明があったとされている51

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義務教育の年限は,現在女子は満十二歳迄,男子は青年学校を含めて満十九歳迄となつている のであるがこれは男女平等を規定する憲法の趣旨に抵触する<中略=引用者>九ケ年の普通教 育を無償の義務教育として男女一般に課するのが適当である。

学校教育法案は,3月15日の枢密院本会議での承認を得て17日に帝国議会に上程されるが,そ れ以前の2月17日付で文部省は「新学校制度実施準備に関する件」を通牒していた52。後述する ようにそこでの共学に関する部分は,おおよそ刷新委員会の建議を受けた内容であった。

(2)第 92 回帝国議会での審議過程

学校教育法案は,帝国議会で修正されることなく可決され,1947年3月31日に公布されるが,

全体は9章及び付則からなり,第1章総則,第2章小学校,第3章中学校,第4章高等学校,第5 章大学,第6章特殊教育,第7章幼稚園などから構成されていた。各章では各学校段階や「特殊教 育」機関の教育目的・方針,基本制度を規定している。

1)衆議院における審議

学校教育法案は,1947年3月17日に衆議院本会議上程された。ここで文相高橋誠一郎は,教育 刷新委員会の建議を骨子として法案を作成し,また使節団報告書にも沿うものであり,6・3・3・4 制を基本とすると述べた53。さらに,高橋は同法の制定理由を説明し,第一に教育の機会均等,第 二に普通教育の普及向上と男女差別撤廃,第三に学制の単純化,第四に学術文化の進展の見地にあ ると説明した。第二点については,修業年限の男女差を解消し,9年の普通教育を義務教育として 男女に課すると補足している。このように同法は,憲法や教育基本法に基づいて民主的な学校制度 の確立を図ろうとするものであった。

学校教育法案は教育基本法案と同一の特別委員会に付託され,3月18日の第4回委員会で審議 が開始された。そこでは,文相高橋が同法案制定の趣旨を,本会議と同様に説明した。そして,こ の委員会の最後に左藤義詮(日本自由党)が女性の教育問題を質問した54。左藤は,「終戦後の婦 女子」が「遺憾」な状況にあると指摘しつつ,共学規定は欧米の「表面だけの真似」ではないか,「日 本の婦人を育てる」ことを検討してはどうかと質した。これに対し,文相高橋はその趣旨は男女共 学を強制するものではないと答弁している。

衆議院の特別委員会では,女性の教育や共学についての議論はこれ以上なされず,3月20日の 委員会で政府原案通り可決され,22日の本会議で可決成立した。議論がほぼなされなかった理由 は,教育基本法に関する委員会審議で,機会均等の理念や共学の方針や範囲などに対する理解が一 定に広まっていたためと考えられる。

2)貴族院における審議

その後学校教育法案は3月22日に貴族院に送付され,同日の本会議に上程された。衆議院と同様,

教育基本法特別委員会に併せて付託され,そこで集中的に審議された。

(16)

22日の本会議会では,文相高橋から法案の提案理由が説明されたが,衆議院の場合と同じ内容 であった。24日の特別委員会では,橋本実斐(研究会)などから共学に関連した質問があった55。 すなわち橋本は,中学校などでの教科面の配慮と性教育について質問し,共学が行われても教科課 程中に「自から男子と女子は別のもの」があるとし,「裁縫」の例をあげて配慮の有無を尋ねた。

さらに,性教育をどの学校段階から始めるかも尋ねている。これに対して日高は,担当者欠席のた め私見であるとの限定をつけ,「地方の実情」や男女の間の「差異」を踏まえ「専門的な研究を待 つて適当に指導」したいと答えた。続けて小山完吾(公友倶楽部)は,共学の実施に慎重な姿勢で 臨むよう求めた。すなわち,小山は日本の家庭における躾の傾向は「男尊女卑」にあり,男性は女 性に対し「非常にルーズ」で「粗暴」であることから,単に「理論的に男女共学が正しい」として 実施すると「飛んだ弊害」が生じないかと危惧し,当局の見解を尋ねた。小山の質問は,当時の日 本社会の男女間の道徳に対する懸念を示すものでもあったが,文相高橋は基本法中の社会教育には 家庭教育も含まれるので,家庭教育を「新しい線」で行わせたいと答えるにとどまった。

遅れて出席した政府委員稲田清助は,橋本の質問に答える形で初等・中等教育段階の教科課程で の男女の扱いを説明し,家庭経済や家庭運営などについては男子にも「相当修得」させる必要があ り,社会科などで扱うとした56。さらに理科などで「家事理科,家事工作」を男女共通に指導する 方針であると述べた。また稲田は,社会科などでは「男女相互」の尊重,「其の長所」を認め合う ようにしたい,さらに中学校では「女子が裁縫」を学ぶ間男子は「家事工作」を学び,高校では「実 業科や家庭科」が選択教科になるなどと説明した。また性教育については,理科の「生理衛生」面 や社会科の「倫理的」面と合わせて行いたいと答弁した。この説明を受け宗武志(研究会)は,男 女別教科に関連して「円満な家庭生活」のためには「夫婦間の理解」が重要との考えから,裁縫や 割烹についても「極基礎的な教育」は「男子にも必要」ではないかと,政府の考えを質した。これ に対し政府委員稲田は,女子には家庭科を,男子には理科,工作を設け,社会科の時間などで家庭 生活についての「知識技能」を与えたいと答えるにとどまった。

その後,3月25日と26日の委員会では共学問題の質疑がなく政府原案通り可決され,28日の本 会議でもそのまま可決された。そして29日に裁可され,31日に公布された。

貴族院でも女性の教育や共学について議論は深まらなかったが,衆議院の場合と同様,機会均等 の理念や共学の範囲などへの理解が議員の間で広まっていたためと考えられる。

(3)学校教育法における差別撤廃と共学方針 1)学校制度上の差別撤廃

閣議請議文や帝国議会での説明でも確認したように,学校教育法制定の趣旨は,民主的文化国家 建設のために学制の根本改革を断行し,①義務教育の年限の延長,②教育の機会均等の保障,③男 女の差別待遇の撤廃,④学制の単純化を図り,学術文化の進展に寄与することにあった。女性の教 育改革の観点から見ると,特に②の機会均等,③の男女差別待遇の撤廃が重要であった。

(17)

しかし,学校教育法には「男女」といった字句は見られず,男女差別の撤廃は法規上の語句とし ては明確にされていない。この点は,同法が憲法や教育基本法の精神を基盤とし,男女平等が自明 であることから,規定上に示す必要がなかったためと言えよう。

男女平等の趣旨は同法全体で徹底されており,このことは学校教育局の内藤誉三郎が1949年に 同法における「新教育の理念」を解説する中で,「女子教育」を掲げていることからも明らかである。

すなわち,内藤は新学制では「男女間の差別を一切撤廃して男女の本質的平等を確保するための素 地を培うこと」にしたとし,さらに「教育上の平等なくして男女の平等はあり得ない」と述べてい た57。次に,学校教育法上の機会均等と差別撤廃について,学校体系,教育目的,入学資格の3側 面に分けて検討する。

まず学校体系については,例えば中等教育機関が旧制中学校と高等女学校に区別され,さらに旧 制高等学校が男性だけの機関であった点などを改め,学校体系の民主化の方針に基づき,すべての 学校種に男女の区別を設けないこととした。さらに,青年学校などで見られた義務教育年限の男女 差別も撤廃された。田中耕太郎は『教育基本法の理念』において,戦前の男女差別の学校制度や教 育内容上の差別を示し,6・3制のねらいの一つにこのような状況を改め,上級学校進学の面で女 性の「袋路をなくす」ことがあったと記している58

教育目的規定についても,上記の男女別学校の目的が「男子ノ高等普通教育」「女子ノ高等普通 教育」といった規定であった点を改め,性別を設定しなかった。

入学資格については,上級学校への入学資格や順位に男女の区別が設けられず,男女差別が撤廃 されている。高校の主な入学資格は第47条で中学校卒業者とされ,また大学の主な入学資格は第 56条で新制高等学校卒業者と定められた。男女平等の資格で大学教育が制度化されたことは,戦 前の女性を排除していた大学制度と比べて画期的であったと言える。

2)文部省の共学方針

共学についても学校教育法には規定されていないが,文部省の方針は同省が作成した『新学校制 度実施準備の案内』,『新制高等学校実施の手引き』,あるいは議会答弁などから明らかになる。こ れらの資料をもとに,文部省の方針を学校段階別に検討する。

文部省は,1947年2月17日付で「新学校制度実施準備に関する件」を通牒し59,2月末から3 月初旬にかけて市町村や学校などに全29頁の冊子『新学校制度実施準備の案内』を配布した。こ の冊子は,新学制実施を目前にしてその準備を促す意味で,文部省中等教育課がCI&E教育課と協 議しつつ,2月4日に後者の最終承認を得て作成したものであった60。共学に関する部分は,おお よそ刷新委員会の建議を受けた内容であり,その説明を確認すると,「中学校に関する事項」中の

「男女共学について」では「官公立の中学校においてはなるべく男女共学とする」とし,続いて共 学の意義について「男女間の社会的関係を正常にし,両性の平等を促す上からも,また,経済的見 地からも奨励されるからである」と記している61。さらに,この原則を採用するか否かは「市町村

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民の意見を尊重すべき」で,また私立学校では「学校自身で自由に決定する」とし,地域住民の意 思の尊重と私立学校の選択を容認している。新学制下の実態面はおおよそこの通りになり,公立中 学校では完全に共学が実施されることになる。

次いで,高等学校における「男女共学について」は次のような内容であった62

 高等学校においては,必ずしも男女共学でなくてもよい。男子も女子も教育上は機会均等で あるという新制度の根本原則と,地方の実情,なかんずく地方の教育的意見を尊重して,高等 学校における男女共学の問題を決するべきである<中略=引用者>男女共学とは,単に男子と 女子とを同一の学校や同一の教室へ入れるだけでなく,更に進んで日常生活並びに交際におい ても男子と女子とが互に人格として尊重し合うようにしなければならない。

高等学校については冒頭に「共学でなくてもよい」と記されているが,これは教育刷新委員会の 建議と同じ表現であり,高校生の年齢段階に配慮した姿勢があらわれていると言えよう。そして共 学か否かは,機会均等の原則を堅持しつつ,地方の実情や意見などを尊重して決定すべきとしてい る。しかし,人格を尊重し合うようにすべきと記し,男女共学の意義に配慮すべきと説いている点 は注目される。

この冊子では,小学校段階の共学については記されていないが,小学校での共学は問題がないと 理解されていたためと考えられ,実態としても公立小学校はすべてが共学となった。さらに,同冊 子は中等学校の実施準備を示したものであることから,大学段階の共学についても触れていない。

1948年4月からの高等学校の発足に際しても,文部省は前年の12月27日に「新制高等学校実 施準備に関する件」を通牒し63,その後『実施の手引き』として全国の中等学校などに配布した。

この中の「一般的注意事項」中に「新制高等学校における男女の教育的機会均等」との項目を設け,

男女の機会均等と「理想的な学校配置の図示」の2点を記している64。前者では,必ずしも共学で なくてもよいとしつつ,教育を受ける得る機会は平等で,教育内容・水準も全く同じでなければな らないとする。この冊子が共学を推奨していたことは明らかであり,それは冊子中の「理想的な学 校配置」の図示から窺うことができる。すなわち,同書ではA〜Eの5町に種類の異なる5校の旧 制中等学校が設けられている場合,町ごとに1校の総合制高校を設け,進学希望者は「男子も女子 もこの新制高等学校」に通学すると解説している。仲新は,この点は新制高校のもつべき重要な性 格,すなわち「学区制」「総合制」「男女共学」の三つを示したものとしている65

次に,大学における共学の方針について検討する。教育基本法と学校教育法が制定される1947 年3月の時点では,新制大学のあり方や設立基準などは未確定であり,また文部省は新制大学の設 置は49年からとの方針を決めていた。このため,そのあり方などが明確化するのは48年1月の「日 本における高等教育の再編成」や「国立新制大学設置要領」においてであり,また48年4月の先 行認可大学の設置が具体化するのも47年8月以降であった。

(19)

学校教育法では,第56条で大学入学資格を定めているが,前にも触れたように,男女平等と なったことは日本の大学教育史上画期的な意義をもつものであった。文部省も大学入学資格につ いて,「学校種別や男女性別による差別は撤廃されて制度上にはもはや存在しない」と説明してい た66。さらに1949年4月に文部省は,2校の女子大学を除き,国立大学は「男女共学ということを 原則」67とすると説明し,実際にも国立大学ではほぼ全面的な共学化を実施した。また,公私立大 学でもほとんどが共学化し,後述するように1954年の時点で,大学の約81%が共学であった。

以上のように,新学制ではすべての学校段階において,教育基本法と学校教育法の規定を受け,

また文部省の共学化政策の下で,実態として共学が制度原則となったと言える。

おわりに

以上,教育基本法と学校教育法の制定過程を,政府・文部省の法案作成過程と帝国議会での議論 に分けて考察した。また,教育基本法第3条や第5条に対する政策意図と解釈,さらに学校段階別 の共学・別学についての文部省の方針も確認した。

教育基本法第3条は女性への教育差別を撤廃して機会均等とし,また第5条は共学の意義を説く とともにそれを推奨するもので,女性の教育を根本から改革する法的基盤を築いた。さらに学校教 育法は,機会均等と学制の単純化を図るなど,学校体系・教育目的・入学資格の面で女性差別を克 服した。これらは,女性にとって画期的な措置であっただけでなく,男子学生や社会全体にとって も有益な意義をもつものであった。しかし,高校段階を中心にして,共学の実施に種々の困難が 伴ったことはよく知られている通りである。

このような措置を女性の大学教育の観点からまとめ,本論文を終えることとする。教育基本法と 学校教育法の精神は,当然のことながら大学教育にも及び,その入学資格が男女平等となり,性に よる大学教育機会の差別が撤廃された。このような法制度の下で,一部は1948年から,本格的に は49年度から女性の大学教育がスタートしたのであった。

文部省も大学段階の共学を奨励し,国立大学のほとんどを共学化し,全体として新制大学の多数 が共学化した。統計上明確になる『学校基本調査報告書 昭和29年度』によれば,共学大学が184校,

女子大学が34校,男子大学が9校で,約81%が共学大学となった。共学大学でも男女別在籍者数 のアンバランスは著しかったが,共学化の進展により従来のジェンダー特性的な領域以外の社会科 学や自然科学などの専門分野を学ぶ機会が女性に開かれ,幅広い専門的職業への進出をもたらすこ とになった点は,共学の成果の一つと言えよう68

逆に別学の観点から見ると,1954年度において約15%が女子大学であり,旧女子高等教育機関

の70%以上が女子大学を選択していた。その結果,その教育理念は民主的社会を支える女性を育

てるとしつつも,女性の特性の育成が重視され,かつ学科組織も文学系や生活科学系が多数を占め,

社会科学を欠き,また自然科学系を備える大学は限られていた69

大学における共学・別学の選択は,国立大学の場合を除き,個別学校の判断にゆだねられていた。

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学校研究のなかには,「 子 ども自らが 『 対話』をひ らくには,なによ りも 健康 な心 をもっていることが大切である 」 「 学校や家庭 に気 になることがあ

学科名 学科家庭科 工業科 商業科 農業科 水産科 理数科 外国語科 看護科