はじめに
授業担当者、担任、部活動顧問、教科主任、各種委員会委員、校長・教頭──。
教員とは、かくも、さまざまな貌を持つ。学校全体の動きに目を配りつつ、同僚教員と協力して 教育環境の充実にも努めなければならない。日々、児童・生徒との対話を怠ることはできず、保護 者対応に追われることもしばしばである。授業を取り仕切る教授者であり、同時に、教材研究に勤 しむ学習者でもある。無論、教員の職務は、多様かつ膨大となり、そのような激務にも耐え得る「教 師としての実践的力量」(姫野 2003: 89)の涵養は、教員養成における最重要課題である。そして、
実践的力量を獲得する、ほぼ唯一の機会が教育実習であるとされているのだ(姫野 2003: 89)。
「最小限必要な資質能力を養成段階で習得するうえで教育実習の役割が重要である」(米澤 2008:
52)、「今日の教員養成にあって、教育実習は重要な教育的機能を担っている」(米澤 2007: 67)、「教 育実習が教員養成カリキュラムにおいて重要な役割を果たしていることは周知の事実である」(三 島 2008: 341)といった言説からも、その重要性は共通認識とさえなっていることが分かる⑴。 しかしながら、米澤崇によれば、現職教員が教育実習体験をどのように捉え、どのような実習内 容に意義があると考えているのかを扱った研究は見当たらないという(米澤 2008: 55)。つまり、
現職教員による教育実習の「省察(リフレクション)」(松本 2014: 44)という視点は疎かにされて きたようなのだ。よって、現職教員による振り返りを通して、教員養成における重要課程とされる 教育実習を評価することが、一定の意義を帯びるのは間違いないであろう⑵。
そこで筆者は、現職教員2名に対して、教育実習についての聞き取り調査を実施することとした。
実際に教壇に立っている教員に、現職としての立場から教育実習を振り返ってもらうことで、教職 課程そのものの省察にも繋げようと目論んだのである。なお、聞き取り対象者はともに、今年度着 任の新任教員である。教員としての経験は浅いものの、教育実習の記憶は未だ鮮明であり、現職教 員としての立場からの省察によって、有益な知見を引き出せるものと期待された。
1.教育実習をめぐる先行研究
さて、現職教員による教育実習の省察を検証するにあたって、先行研究をいくつか拾い上げてお きたいと思う。
現職教員による教育実習の省察
齋 藤 正 憲
教育実習研究の課題と展望を概観した米澤崇は、教育実習の効果が一時的なものであるか、継続 的なものであるかの検証は済んでいないとの認識を示した(三島 2007: 113)。また、児童・生徒と 直接対峙する教育現場では、教員には多様な力量の形成が求められているとし(米澤 2008: 51)、「最 小限必要な資質能力」の習得には、教育実習の役割が重要であると考えた(米澤 2008: 52)。また「課 題解決能力」や「向上意欲」を、教師にとって必要不可欠な資質能力と捉え、それは「体験学習」
によって養成されるとも指摘している(米澤 2008: 55)。教育実習生による振り返りでも、「学校現 場での実践経験」が自身の教師としての力量を高めるのに役立ったという声があるそうだ(米澤 2008: 53)。数少ない実践の場として、教育実習の孕む意義は深甚だと結論づけられよう⑶。 米澤はまた、日本教育大学協会が構想する「多様な教育現場における体験とその科学的な省察の 往還」(米澤 2008: 51)を旨とするカリキュラムを念頭に置きつつ、教員養成系大学・学部におけ るカリキュラム改革として、「体験と省察の往還」(米澤 2008: 52)を確保することを訴えている。
教育実習を振り返る重要性が、繰り返し、叫ばれているのである。その上で米澤は、教育実習の改 善・充実に向けた提言として、大学と実習校の連携による指導、実習生の精選、母校実習の見直し などを挙げた(米澤 2008: 51)。教育実習における「理論と実践の往還」の達成度・達成感や、母 校実習の是非、教員養成課程との連動などが重要な観点になると窺われよう。
三島知剛は、「教師を目指す学生にとって教育実習は大きな出来事であり、その後の進路を決定 付ける要因にもなっている。また、教育実習は、今まで大学で学んできた理論を実際の場で実践し うる唯一の機会である」(三島 2007: 107)とし、さらに、「教育実習が実習生に及ぼす影響力は大 きく、教師としての様々な力量形成と共に、その進路を方向付ける要因にもなっている」(三島 2008: 341)と考えた。つまり、教育実習が実習生に及ぼす「心的影響」にも注意喚起しているのだ。
教育実習はつまり、「教職志望度」や「教職適性感」(米澤 2007: 67)といった側面にも深く関連す ると見做せるのである。
その上で三島は、授業力ではなく、実習生の考えや信念に関わる「授業イメージ・教師イメージ」
に注目した。なぜなら、そのようなイメージは「授業目標の設定」や「教授方略の選択」にさまざ まな影響を及ぼすからである(三島 2007: 107)。考察の結果、教育実習を経て、それまで固定的に 捉えていた子どもを、「ありのままの姿」で「多面的に」見られるようになったという(三島 2007:
113)。また、授業についてはその複雑さ、難しさを体感することで、それまで受け身でしかなかっ た授業を主体的に捉えられるようになったとも評価される(三島 2007: 112)。
また三島は「授業観察力」にも注目し、実習後はこれが向上するとした。実習前に比べ、授業を 批判的に捉え、代案を提起するようになるのである(三島 2008: 350)。教育実習によって、「授業 観察力」が養われたのだ。「授業観察力」向上が包含する意義は大きいだろう。なぜならそれは、
より深く、より主体的に授業に向き合うことと、同義であるからだ。
教育実習生の教授行動について論じた藤沢伸介は、生徒の知的好奇心を刺激し、問題意識を持た せるためには、教員自身が問題意識を持たなければならず、そのためには日々の教育実践に研究的 に取り組むべきだと説きつつ、教員の「自己教育力」にも言及している(藤沢 1995: 96-97)。「自
己教育力」を欠いた教員に、生徒の「自己教育力」を啓蒙することなどできまい。そして自己教育 力を高いレベルで維持しようとすれば、教員は研究的でなければならぬというのが、藤沢の持論な のである。
加えて藤沢は、教育実習生の「職業意識」の低さを嘆き、優れた先輩や指導者から刺激を受ける ことが大切だとも訴えている(藤沢 1995: 107)。教壇実習のみならず、指導教諭をはじめとするさ まざまな先輩教員とのインタラクションが重要であるのならば、実習生受け入れ校の教員組織その ものも問われているということになろう⑷。
渡邊和志と麻生良太は、教育実習を通じて、実習生の意識は「教える」ことから「学ぶ」ことに
「成長」すると考えた(渡邊・麻生 2017: 161)。そのような転換は、まさに、「反転授業」において 志向されるパラダイム・シフトと同義だ⑸。教育実習が実習生をしてパラダイム・シフトにまで踏 み込ませるとすれば、これほど、効果的で意義深い教育課程もないであろう。
渡邊と麻生は実習生が実際に直面する「理論と実践のずれ」(渡邊・麻生 2017: 162)にも注目し ていて、興味深い。両者を体験し、その乖離を肌で感じてはじめて、「理論と実践の往還」という 境地を垣間見ることができるのだ。理論を学んだ教職志望者が実践に踏み出す第一歩こそが、まさ に教育実習といえるのである。大量かつ多岐に及ぶ職務に忙殺される現職教員の現実を思えば、教 育実習生こそはむしろ、理論と実践の自由な往還を許された稀有な存在として位置づけられるかも 知れない。
教育実習の実態について考察した姫野完治は、その先行研究が制度論やキャリキュラム論に集中 し、「学習者の側面」(姫野 2003: 90)を疎かにしてきたことに警鐘を鳴らす。その上で姫野によれ ば、教育実習生は事後のディスカッションを重視しており、お互いの実習を振り返る必要性を痛切 に感じているという(姫野 2003: 96)。教育実習の「事前指導」や「教職の授業」はそれほど効果 的ではなく(姫野 2003: 92)、振り返りこそ重要だという主張だ。かくて、教育実習を評価するに あたって、「省察」がキーワードになることは疑いを容れないのである。ちなみに、姫野によれば、
実習生同士のコミュニケーションでは「授業のすすめ方」や生徒への「接し方」、「各クラスの雰囲 気」に対する関心が際立っているという(姫野 2003: 95)。教科指導・生徒指導に、実習生の関心 が集まっている点は無視できないだろう。
ここで、教師を「反省的実践家」と評した坂本篤史の研究に触れておくべきであろう。彼は、「反 省的実践家」たる教員になるためには、授業と研究的に向き合い、自らの学習を深化させなければ ならぬと主張する(坂本 2007: 582)。反省的であるためにも、実践の省察が不可欠であり、今後、
「授業観」、「教師共同体の理論」、「教師の学習」といった視点に立った研究が積み重ねられるべき とした(坂本 2007: 591-592)。
岡山大学の試みを紹介した後藤大輔らによれば、同大学では、教育実践力は「学習指導力」、「生 徒指導力」、「コーディネート力」、「マネジメント力」の4つで構成されるという(後藤ほか 2012:
126)。その上で「教職志向の確認」と「自己成長」を促しつつ(後藤ほか 2012: 127)、教職課程に おいて「研究的実践力」(後藤ほか 2012: 127)の涵養を目標に掲げていることは、「自己教育力」(藤
沢 1995: 96-97)や「授業観察力向上」(三島 2008: 350)、「教師自らの学習の深化」(坂本 2007:
582)といった観点にも通じるのではないだろうか。実践しつつも、研究の視点も見失わない。「実 践的研究者としての教師」(清水 2019: 23)、あるいは「一人の学び手」(石井 2017: 19)としての 教師こそがまさに、目指すべき到達点と考えて大過あるまい。
松本奈緒も、省察に注目している。「教師としての確かな力量形成を培うためのひとつの方法論」
として、「省察(リフレクション)」の必要性を説く。実習生が自らの実習を深く省察することで、
「実践知」を増やせるというのだ(松本 2014: 44)。「自発的・継続的」な省察こそがまさに、専門 職業人としての教師の力量形成に繋がるという見地だ。実習生をして、自発的・継続的な省察に向 かわせることこそが、教育実習の要諦であると評せよう。
「実践知」に関連しては、中田正弘の指摘する「学問知」を参照するに如くはない。すなわち、
教員養成の際に伝えられた「学問知」が教育実践に敷衍されないところに問題があると中田は考え るのである(中田 2010: 15)⑹。いわば、「学問知」と「実践知」の乖離が問題視されているのであり、
これは「理論と実践の往還」を達成するためにも避けて通れない命題とも目されよう。両者の ギャップを埋め得るとすればそれは、「学問知」と「実践知」の融合に努める教育実習生であり、
教育実習を省察し得た現職教員にほかならない。そのような結論に、われわれは至るのである。
2.現職教員による教育実習の省察
教育実習をめぐる先行研究を俯瞰したとき、以下のような項目に注視するべきことが分かった。
すなわち、「教壇実習回数」、「教職志望度」、「教職適性感」(米澤 2007: 68)、あるいは、「子どもに 対する考え方」、「かかわり方」、「生徒指導に関する基礎的力量」、「教師としての自覚・使命感の深 化」、「社会人としての自覚」(米澤 2007: 73)、ひいては、「授業に対する考え方」、「指導方法・技 術の修得」、「授業展開の考え方」(米澤 2007: 73)、「学級経営の基礎的力量」、「理論の重要性」(米 澤 2007: 74)、「教師になるために必要な向上心や探究心」(米澤 2007: 75)といった諸点である。
加えて、教育実習を通して、授業を「伝達の場」ではなく「共同作成の場」として捉えられるよ うになったか(三島 2007: 108)、「教える」意識から「学ぶ」意識へと変化したか(渡邊・麻生 2017: 162)といった観点も欠かせないだろう。「授業イメージ・教師イメージ・子どもイメージ」(三 島 2007: 113)とった心的側面の変化に注目する研究は少なくなく、1)教師としてのあり方、2) 教科教材の見方、3)子どもの見方、4)教師の自己研究(藤沢 1995: 107)、あ)授業観、い)教 師共同体の理論、う)教師の学習(研究の方向性、坂本 2007: 591-592)、または、a)教材内容に ついての知識、b)教授方法についての知識、c)生徒についての知識(中井ほか 2020: 46)といっ た視点も意識されているのは見逃せない。
以上を踏まえつつ本稿では、Ⅰ.教科指導(授業)、Ⅱ.生徒指導(部活動を含む)、Ⅲ.保護者 対応、Ⅳ.校務分掌全般(教員間コミュニケーション)というおおまかな疑問を投げ掛けつつ、2 名のインフォーマントには、自由に語っていただいた。つぎに、その内容を報告したい。
(1)A 教諭
現在、東京都立 X 高等学校に国語科教員として勤務する A 教諭は、1990年生まれ、30歳、男性 である。茨城県の私立高校(中高一貫校)で学んだのち、東京都の私立大学文学部文学科に進学し た。学部卒業後はさらに同大学大学院文学研究科に進み、これを修了している。卒業を控えて、東 京都立高校の教員採用試験を受験するも、不合格となった。結果的に、茨城県の私立高校にて専任 教員(国語科)の職を得た。そこで2年間勤務したものの、退職して、私立の教職大学院へと進学 したのである。同教職大学院で2年間学んだのち、昨年、東京都の教員採用試験に合格し、2020年 度より、X 高校に赴任し、現在に至っている。一度専任教員としてのキャリアを積みながらも、教 職大学院を経て、念願の都立高校教員となった、異色の経歴の持ち主である。
A 教諭の最初の教育実習は学部時代、母校(茨城県中高一貫私立学校)でのものであった。実 習期間は3週間、高校1年の国語を担当したという。しかし、この学部時代の教育実習では、教壇 実習は2時間のみ(研究授業1時間を含む)で、強い不満を感じるだけであったという。もっと多 くの実習授業をこなしたかったという思いは強い。他校で実習した大学の仲間は、30時間以上に及 ぶたくさんの教壇実習を行なったと聞き、とても羨ましかったという。実習校の教科の方針で、授 業をほとんどやらせてもらえなかったのだ。
教職大学院では、都立 Y 高校にて教育実習に臨んだ。実習は2年間にわたるもので、1年目は、
高校1年生を受け持ち、5週間の実習期間のうち、正味4週間、週に16時間ほどの授業を担当させ てもらえたという。トータル60時間にも及ぶ教壇実習を経験できたのである。
2年目は高校2年生を受け持つこととなった。前年の1年生から持ち上がった格好であり、これ は Y 高校ならびに指導教諭・管理職の配慮であったと推測される。1年目と同様、60時間ほどの 教壇実習に臨んだ。A 教諭の感覚ではあるものの、見知った生徒もおり、2年目の教壇実習はと てもやり易く、満足感をもって、終えることができたという。
つぎに、教科指導(授業)を具体的に振り返ってもらった。
学部時代の母校実習では、国語科の授業見学がメインであり、教壇に立ちたいという思いの強い A 教諭は、大きなフラストレーションを抱え込んでしまった。こうなってしまっては、指導教諭 の授業までもが、疑問を感じるものに映ってしまったのも止むを得まい。学年合同ホームルームで の学年主任の話も響いてはこなかった。今にして思えば、当該実習校は進学に力を入れており、教 員による訓話は受験の事柄に終始していた。ともすれば、進学実績のみを重視しているように感じ られてしまい、当時の A 教諭が高校あるいは高校教育に思い描いていたイメージとはかけ離れた ものであったのだろう。残念ながら彼は、学部時代の教育実習において、「教職志望度」の向上に 資するところは全くなかったと振り返っている。ほかの実習生(11名)もほとんどが一般就職志望 で、モチベーションはむしろ減退してしまったという。どうしても同窓会的雰囲気が勝ってしまい、
緊張感がなかったのだとか。ここに、母校実習の弊害が浮き彫りになったといえよう。
既述したように、このときの実習では、2時間しか教壇実習をさせてもらえなかった。同じ内容 の授業を2時間行ない、しかも、古典のみで、現代文を経験できなかった。現代文の授業を経験せ
ずに国語科教員になることに、強い不安感を覚えたという。「教職志望度」を高めるべき教育実習 が、あろうことか、教員になることの不安を煽ってしまったとすれば、皮肉というほかはあるまい。
A 教諭は専任職を投げ打ってまで、教職大学院進学を決断したわけであるが、そこには、教育実 習を十分にやれていないという「コンプレックス」があったとも語ってくれた。だからこそ、実習 課程の充実している教職大学院進学を選んだのである。
学部時代の教育実習では、教科指導に資する経験を満足に積めなかった A 教諭であるが、大学 院での実習はとても前向きに取り組むことができたという。これまでに経験したことのない高校
(A 教諭の言葉をそのまま借りれば、「偏差値的にも未知の学校」)での実習によって、経験の幅が 大きく広がったという実感があったと振り返る。また、指導教諭が受け持っていた授業をすべて任 せてもらえたので、複数のクラスを担当することができた。指導教諭やほかの先生もしばしば フィードバックをしてくれたので、教壇実習に研究的に取り組むことができたというのである。
本気で教員になりたいという気持ちを受け止めてくれて、実験的なことにもチャレンジさせてく れる Y 高校の雰囲気はとても良かったという。A 教諭によれば、多くの先生方が彼の本気度を斟 酌してくれ、「胸襟を開いて」、色々な話をしてくれた。そういった話からは、教授テクニックの部 分でも、学ぶべき点が多々あったという。かたや、学部時代の実習は指導教諭の指示に従うだけで、
主体的に取り組めなかった。大学院のときの実習では、教員免許を取得した一人の教員として尊重 してくれたことで、A 教諭の教育実習は一変したのである。実習において実習生を尊重し、その 裁量を容認することが、教員養成にプラスに働くのは間違いないようだ。
Y 高校の教員の平均年齢は比較的高く、経験豊かな先生方がそれぞれ独自の授業スタイルを確立 していると感じられ、とても「安定感」があったと述懐してくれた。振り返ってみれば、現在、自 らの教科指導を模索する上で、参考になった点が少なくないという。かつて2年間勤務した私立学 校では、教員の平均年齢が低く(教員の異動が激しい)、向上心のない教員も多かった(勤めてみ て実感した)。そのときの状況を思えば、Y 高校の教員組織・教育環境は理想的であり、「気持ち」
と「姿勢」の両面で共感を覚えることができ、実習をより充実したものとしてくれたようだ。
大学院の2年間を振り返ると、適正な教壇実習ができ、複数の単元もできたので、良かった。教 えるべき分量と実際の時間数のバランスについての感覚を養うことができたという。授業デザイン に対する意識は嫌が応にも高まった。共通の試験問題を睨みつつ、どのように工夫し、どういった 内容を盛り込むべきかという観点を主体的に探究することができ、とても勉強になった。丁寧過ぎ たり、端折るべきではないところを端折ったりという反省点も自覚できた。このような省察が、教 員としての現在に大いに役に立っているというのだ。
教育実習を振り返って、「理論と実践の往還」はなかなかできなかったというのが偽らざる実感 である。できたところもあったが、全体としてはできなかった。「観図作文」(伊藤ほか 2010:
75-76)、「読解方略」(cf. 犬塚 2013)の理論を駆使し、A 教諭は教壇実習に臨んだ。完璧にはでき なかったが、5週間では結果は出ないとの達観もあった。自分のクラスで、通年でないと、「理論 と実践の往還」は難しい。教育実習においてどこまでを到達点とするのか。大いに議論されるべき
であろう。
現職となった今、A 教諭は「こうしたら、どうなるのか?」、「どうするべきか?」という観点 は持ち続けているつもりだという。教育実習、とりわけ大学院のときの教育実習を経て、教員とし ての経験値が上がったとの実感は強い。「理論と実践の往還」はなかなかできていないが、目指す べき方向、こっちの方に向かうと、生徒のためになるという「指針」は得られたと振り返っている。
授業イメージについては、しっかり授業を構成できれば、生徒もちゃんと付いてきてくれること が分かった。観察した授業において、先生方の創意工夫を感じられたことが、自身の授業イメージ にも影響を与えた。貧困な固定観念から解放され、柔軟に構想する感覚が芽生えたという。
教師イメージも、「こうあるべき」という限定的だったものが、より柔軟に考えられるようになっ たそうだ。気が楽になり、自由になれたと感じたという。ただし、「方向性」を逸脱しては駄目で、
その「方向性」も見えてきたように感じられた。Y 高校にて授業観察を重ねるうちに、教員として の在り方に対する考えも豊かになり、教員としての自覚や覚悟が強固に醸成されたということなの だろう。
生徒イメージについても、自分が教師だから導かなきゃいけない、正解を用意しなきゃいけない という強迫観念から、自由になり、生徒の言動を面白がる(慈しむ)余裕を持てるようになったと 回顧している。駄目な行動を頭ごなしに否定するのではなく、その考えを尊重しつつ、良い方向に 向けてやる余裕が出てきたのであろう。とりわけ、ある先生の授業は印象に深く残っており、一つ のモデルになっているという。当該授業を参観して、「ぽろっ」と見えてきたのだそうだ。全体と しての印象として、人格的にしっかりしている教員の授業はしっかりしていたという。こうした気 づきを通して、A 教諭の裡に教員としての矜持が萌芽したと評せるのではあるまいか。
教員間コミュケーションを含む校務分掌全般について、A 教諭は、学部時代の教育実習では全 く経験できなかったと振り返っている。これに対し、大学院の実習において「宿泊防災訓練」に立 ち会う機会を得た。宿泊を伴う同訓練において、担任としての役割を体験できたのである。生徒を 長時間、備に観察できたことは、大変勉強になったという。また Y 高校での実習では職員会議に 参加でき、生徒指導に関する話も聞けた。大学院における長期・長時間の教育実習によって、校務 分掌に対する具体的なイメージの形成がなされたとするならば、生徒と接する機会を少しでも増や してやることが、教員養成においては有意だと見做せるのである。
ただ、生徒指導にもっと関わりたかったという思いは強い。服装指導も経験できたものの、生徒 指導をもっと俯瞰したかった。とはいえ、現職である A 教諭は生徒指導に教育実習生が関わるこ との難しさも理解しており、納得はできているようである。
教職大学院では、「共通に設定する領域」、すなわち「5領域」を経験することが求められている
(花上 2012: 32)⑺。大学院での教育実習において、「5領域」における関わりを意識して、ある程度 全体を俯瞰できたのは大きいと A 教諭は考えている。でも、時間的に足りないのである。足りな いけど、実習生としては踏み込めないから、仕方ないとの諦観も感じている。2年に及ぶとはいえ、
各5週間の実習をもってしても、「5領域」を網羅することは難しいのだ。それこそ、年間を通じて、
継続的に関わらないと達成できない課題なのである。しかし、そのような目標を掲げ、挑戦した教 育実習の意義は、現職となった今、痛感されるという。大学院における教育実習課程の有効性が評 価されつつも、たとえば、一般就職における「インターン」のような取り組みがあってもいいので はないかというのが A 教諭の率直な思いである。
かつて奉職した私立学校の雰囲気に馴染むことはできなかったが(だからこそ、教職大学院への 進学に踏み切ったわけであるが)、Y 高校の雰囲気はとても好ましかったと、繰り返し、A 教諭は 語っている。もちろん、実習生であるので、彼自身がほかの教員と対等の交流ができたわけではな いが、それでも、当該高校における教員の横の繋がりは素晴らしいものに見えたという。それぞれ の教員は自己のスタイルを確立しつつ、ほかの教員を尊重する気風があり、節度も感じられた。同 時に、実習生である自分にもフランクに接してくれたのである。都立高校を志望する A 教諭には、
Y 高校の「風土」が理想的なものに映ったのは確かだ。是非とも、都立高校の教員になりたいとい う強い思いを再確認できたのであった。
部活動を含む生徒指導についても、学部時代の実習では、得るものはなかった。大学院の実習で も、生徒指導の話を聞けたくらいであった。担任の指導を事後、話で聞く程度であり、主体的な関 わりとは程遠い。ただ、これは仕方のないことだったと A 教諭は考えている。現在、A 教諭は「生 徒部」に所属し、生徒指導を担当しているものの、勤務校では、生徒指導案件はとても少ない。今 後、生徒指導に直面することになるものの、実習生として直接的に関与する難しさは認識しており、
多少なりとも関連する情報に接することができただけで良かったのではないかと納得している。
大学院での実習を通じて、生徒との関係では前向きになれたといい、行事(文化祭)に関われた ことは大きな経験であったとも振り返っている。A 教諭はもともと、女子生徒とのコミュニケー ションに不安を感じていた。学部時代の教育実習では、むしろ、女子生徒に対する苦手意識は強まっ てしまったという。しかし、大学院での実習では女子生徒とコミュニケーションを取る場面が格段 に増え、結果、苦手意識はかなり克服できたと振り返る。彼の省察では、前向きに捉えられるよう になったわけだが、それも、行事に関わった経験が画期になったと述懐しているのである。教育現 場において、予定通りに進むことなど期待できない。ならば、少しでも生徒との関わりを増やし、
多くの経験のなかから、有益な知見を自ら掬い上げていくことが肝要であると知れる。
保護者対応について、A 教諭は実習前、大きな不安を感じていた。学部時代の実習では、保護 者との接点は皆無であったからだ。大学院の教育実習では、保護者との関わりを多少なりとも経験 できた。「防災宿泊実習」の際、病気対応で保護者とやり取りしたのである。進路相談などでも、
保護者対応を経験できたものの、しかし、あくまで個人的な事柄だから、実習生としては踏み込む のは難しかった。経験を積むに如くはないけれど、実習生が「実習的」・「演習的」に保護者と関わ るのは、端的に不遜である。クレームなどが多い「生の保護者」への対応は、実習生の手には余る とも、A 教諭は考えている。現職となった今、保護者と向き合いはじめているが、個別に真摯に 対応するしかなく、それを教育実習に求めることは難しいと実感している。生徒指導・保護者対応 に関して、現行の教育実習課程に瑕疵はないとするべきであろう。
教育実習は、教員になることを前提としている者にとって、有益なものであってほしい。そのた めには、実習期間を長くするべきだと A 教諭は強く主張する。教科教育だけでなく、学校全体を 知るべきであり、その点、行事に関わるのはとても有益だと考えている。特定の分掌に張り付くよ うなプログラムがあっても良いのではないか。何より、母校ではなく、知らない学校に行くべきだ という。甘えの許されない環境で経験を積むことが肝要なのだ。母校はまさに自己認識の範疇に収 まるところであり、勢い、「井の中の蛙」になってしまうのだ。無作為に未経験の学校に配属され るべきとの思いが強い。困難校などを経験できる仕組みがあっても良いだろう。そのためには、実 習生を受け入れる環境がもっともっと充実してほしいというのが、A 教諭の省察となっている。
(2)B 教諭
B 教諭は1995年生まれ、25歳、男性である。彼は、埼玉県立高等学校を卒業後、東京の私立大学 法学部に進学した。教員免許(中学・社会、高校・地歴公民)を取得しつつ、大学4年次に教員採 用試験(中学社会)に臨んだ。結果、見事、合格を果たしている。以前から、「大学院猶予制度」
あるいは「就業猶予」(森田 2011: 49)を知っていた B 教諭は、同制度を活用することを決めた。
そもそも、埼玉県中学社会の教員採用試験は倍率が高いと B 教諭は認識しており、合格するか否か、
とても不安であった。不合格の場合に備え、教員採用試験と同時並行して、大学院を受験していた のである。将来、教職に就くと想像したとき、自分は長く教員を続けていくことになる。ならばこ そ、修士課程に進み、教員としての力量を充実させておきたいと考えたのである。自身でもさまざ まな情報を集めたが、母親からのアドバイスが大きかったという。B 教諭の母親は教員(中学校・
小学校教諭)であり、長く教員を勤めてきた経験から、修士課程への進学を強く勧めてくれたとい う。そして、私立の教職大学院合格に前後して、教員採用試験にも合格できた。これで、就職の心 配をせずに、より深い勉強を続けることができる。そのように感じた B 教諭は、教科指導力を高め、
さらには、当時関心を寄せていた「学び合い」(cf. 米澤奈甫子 2014: 1-2)の方略に精通することで、
自らのスキルアップに繋げたいと考えたのである。
教職大学院で2年間学んだ B 教諭は現在、埼玉県公立 Z 中学校教諭(社会科)として勤務して いる。1年生のクラス担任でもある。さらに、陸上部の顧問を務める傍ら、「学校安全」ならびに「人 権教育」の校務分掌を担当する。
そんな B 教諭は、学部時代の教育実習を、母校の公立中学校にて行なった。3週間、3年生の 社会を受け持った。当該実習校の3年生は全5クラスであるが、そのうち2クラス、それぞれ週8 時間・2週間ほどの教壇実習をこなした(最初の1週間は主として授業見学)。トータル20時間弱 の教壇実習に臨んだ計算となる。その際、かねてから興味のあった「学び合い」を実践したかった が、指導教諭の意向で、残念ながら、「学び合い」を試みることは叶わなかった。やらなければな らないけど、できないというジレンマを感じたことを、今でも鮮明に覚えているという。思えば、
ここで「学び合い」を十分にできなかったという「飢餓感」こそが、B 教諭をして大学院進学に向 かわせたのかも知れない。
同じ実習期間中にほかに4名の実習生がいて、そのうち3名は明確に教員を志望していた。彼ら と一緒に教員採用試験に合格したいと心から思えたという。強い連帯感があったとも述懐してい る。指導教諭とは方向性が異なった(「学び合い」をさせてもらえなかった)が、教頭先生からは アドバイスをもらったという。また、校長先生は自分が中学時代に習った社会の担当教員であり、
実際に授業を受けていた先生であった。優しくしてもらったし、B 教諭も親近感を覚えたという。
実習期間中は、さまざまな授業を観察した。もちろん、面白いと感じた授業はあったものの、自 らの実習をこなすことに追われ、分析的に振り返る余裕などなかった。そのように、B 教諭は語る。
大学院における教育実習は、埼玉県公立中学にて2年間にわたって行なわれた。1年目は6週間、
3年生4クラス、週16時間をのべ4〜5週間受け持った。教壇実習は計70時間にも及んだ。2年目 はトータル7週間、1年生4クラス、週12時間・5週間強を担当し、60時間前後の教壇実習をこな したという。
とりわけ大学院2年目は、授業スキルがだいぶ向上したという実感があった。B 教諭が在籍して いた教職大学院では、「構想検討会」や「実習成果報告会」が課程に組み込まれていた。自らの実 践を研究成果として開示することが求められていたのであり、そのためには、主体的に関係論文を 渉猟し、読み込まざるを得ない。こうした取り組みを通じて、自らの実践に研究的にアプローチす るコツのようなものが分かってきたのである。そのときの経験は、教員になった今でも、とても役 に立っていると思える。「理論と実践の往還」が自分なりにできたという達成感を、明確に感じる ことができたという⑻。
学部時代から「学び合い」を志向してきたつもりであるが、思い返せば、当時はあくまで漠然と したものでしかなかった。大学院時代の教育実習では、「ジグソー法」(cf. 飯窪 2016)などの具体 的な方略を実践でき、そのこと自体、有益な経験となった。成果公表に備えて、客観的なデータを 取得しようという主体的・意欲的な姿勢で取り組んだことで、実践の方向性と課題がより鮮明に なったのであろう。教育実習における経験は、現在の授業実践にも確実に活かされていると、B 教 諭は考えている。とはいえ、現実的に、日々、「ジグソー法」にもとづく授業展開を続けるのは困 難である。けれど、「ジグソー法」を試した経験があるからこそ、余裕のあるときに、そのような 試みにもチャレンジできるのである。ごく限定的ではあっても、研究的な取り組み(あるいはそれ をしようという意欲)こそが、授業展開の工夫に繋がっている、活かされていると、B 教諭は痛感 するのである。
授業観察力については、教育実習を経て、大きな変容があったという。学部時代の教育実習でも、
参考になる授業はあった。しかし、自らの裡に明確な理想像を思い描いていたので、授業スタイル に影響を与えるほどのインパクトのある授業は思い出せないという。大学院時代の教育実習になる と、授業観察力がだいぶ向上し、とりわけ、2年目には飛躍的に伸びたと感じている。B 教諭の認 識では、1年目のゴールは実践の報告であった。学部時代に比べれば、目的的な取り組みにはなっ たものの、報告することで満足してしまった感は否めない。しかし2年目は、より一層、理論に向 き合うことが求められた。理論を強く意識せざるを得ず、それを実践のなかで自分なりに検証する
ことで、結果的に授業観察力も格段に向上したというのである。少なくとも B 教諭にとっては、
大学院2年間という教育課程は適切であった。1年目に1年間をかけて実践に取り組み、成果報告 に向けて省察する。省察にもとづいて2年目を構想し、より研究的な実践に取り組む。まさに2年 間をかけて、B 教諭が「主体的で深い学び」を自ら実践し、体感できたとすれば、深甚な意義があっ たと評されよう。この2年間は、最低限、必要な時間であったと見做さなければならない。
思い返せば、1年目は、大学院の先輩の話を聞いて、勉強し、さまざまなことを吸収する必要不 可欠な準備期間であった。そのようなしっかりとした下地があったからこそ、2年目は、実習の見 通しを具体的に立てられるようになり、大きな飛躍へと繋がったのである。何より、2年目という 点が重要であった。2年目ということもあり、実習校でも周りの教員たちの信頼を得て、信頼関係 を築くことができるようにもなった。当該実習校の生徒の雰囲気も経験済みであるから、彼ら/彼 女らとの距離も縮まったように感じられたことも、より充実した実習に結実したのではないかと回 想してくれた。2年間でのべ10週間以上、同じ学校で経験を積み重ねたことの意義は計り知れない といえるだろう。
具体的な教科指導について、学部時代はともかく経験も浅く、自分を冷静に省察する余裕などな かったという。これに対し大学院時代の実習では、指導教諭・教頭先生がかなりの部分を任せてく れた。2年目は、校外学習(上野への遠足)にも帯同させてもらえた。これは B 教諭がすでに教 員免許を取得しており、一人の教員として信頼されていたことの証であろう。はじめての経験だっ たので、楽しめたし、勉強になった。そして、そのような生徒・教員との繋がりを深めることで、
教科指導にも余裕が生まれ、自らの実践を客観視できるようになったのである。
特に大学院2年目の実習では、信頼してもらえたという実感が強い。教員の親睦会にも呼んでも らえるようになり、膝を突き合わせて、色々な話を聞き、大いに知見を広げることができた。教科 の先生や年齢の近い先生に声をかけてもらえる機会もさらに増え、「仲間」に加えてもらったよう な実感があった。このような経験が、B 教諭の裡の「教員適性感」をより一層強固なものとしたこ とは疑いない。なお、勤務する Z 中学は、教育実習を行なった中学と同じ市内にある。実習によっ て、当該地域の実情に触れられたのも、現在の勤務に追い風となっているという。
思い返せば、学部時代は「がむしゃら」に実習と向き合うだけであった。大学院1年目でだいぶ 落ち着いてきて、2年目で自信・確信へと変わった。「学び合い」の方法についても、「引き出し」
が増えたことを実感できた。「学び合い」における「ルール」、「ツール」、「モデル」の重要性を再 確認でき、特に ICT、ホワイトボード、ワークシートの活用について経験を重ねることで、研究 的に「学び合い」を実践する能力が高まったと B 教諭は振り返っている。このように、「理論と実 践の往還」を可能な限り繰り返し、段階的に深めていく課程が、「教員に共通して最小限必要な資 質能力の形成」(米澤 2008: 54)に資することに、異論を挟むのは難しい⑼。
一方、校務分掌について、B 教諭の振り返りは冷ややかなものとなっている。つまり、学部でも 大学院でも、実際にはほとんど経験できなかったというのである。大学院の時に、いくつかの分掌 の主任教諭に話を聞き、あるいは資料を見せてもらえた程度であり、その経験が現職教員としての
現在に活かされているという実感は乏しい。B 教諭の場合、職員会議などに参加させてもらう機会 もなかった。いわゆる「5領域」を教育実習において網羅することは至難の業であるというのが、
彼の偽らざる省察となっている。今振り返れば、もちろん、もっとやっておきたかったという。安 全業務(自転車通学指導、自転車の乗り方)や人権担当などは、できたのではないかとも思う。一 方、生徒指導などは、現職である現在でさえ、各種会議で情報を共有するに留まっており、今後、
同課題に直面したときに、真摯に個別対応するほかはないと覚悟している。また、現在、担任とし て保護者対応をしているが、学部・院とも、実習での保護者対応は難しいのではないかと考えてい る。なぜならば、実習期間が終われば学校を去る定めにある教育実習生には、とてもではないが、
責任が負えないからだ。これもまた、実際に教員になってから、個別に真摯に向き合うしかないと いうのが、B 教諭の本音である。「保護者対応演習」(渡邊・麻生 2017: 171)といったプログラム は効果的ではないのかもしれない。
学部時代の母校実習は、それで良かったのではないかとも考えている。はじめての教育実習とい うことで、ともかく不安感が先に立ってしまうから、母校で経験を積むことは一定の意味があると B 教諭は考えているのだ。最初は周囲を冷静に観察する余裕などなく、当該校の学校組織にまで注 意が向かないという。そもそも学部時代は別部屋待機であり、職員室の雰囲気を知る手立てはな かった。そのことに不満を感じるよりも、同期の仲間とのやり取りが、緊張に満ちた教育実習の息 抜きとなったのであろう。
これに対し大学院では、未知の学校に割り振られる。もちろん最初は不安が勝るが、母校でない ところを経験し、教員としての心構えを見定める意味でも、知らない学校で実習を積むことは有益 であると理解できる。最初は不安だったが、指導教諭をはじめ、周りの先生方が良くしてくれた。
何より、大学院での実習では一人の教師として扱われたことが大きかったという。職員室の一角に 専用の机も与えられ、教員の動静を備に観察する機会に恵まれた。実習校の雰囲気も良かったと考 えている。現在の勤務校に比べると、教員数が少なく、かつ年齢層も若かった。とても明るい雰囲 気で実習に取り組めた⑽。大学院における教育実習によって、B 教諭の「教師としての実践的力量」
(姫野 2003: 89)は飛躍的に伸張されたとみて、間違いないであろう。
以上が、B 教諭による教育実習の省察である。
3.若干の考察
現職教員2名による省察をもとに、若干の検討を加えたいと思う。
まず指摘しておきたいのは、実習内容が実習校によって全く異なることである。とりわけ、学部 実習(「母校実習」)では、実習校の考え方に大きく左右されている。大学院実習は比較的、均質性 を認め得るものの、それでも、教科、学校の雰囲気、指導教諭、出会った先輩教員などによって、
実習はまったく異なった様相を呈している。今後、教育実習研究を深化させていくためには、全体 的な傾向の定量解析よりもむしろ、個別事例の丁寧な聞き取りを積み重ねていく地道な作業こそ が、近道といえるのではないだろうか。
教壇実習の回数について、特に A 教諭は、学部時代の回数の少なさを嘆いていた。実習生は授 業を担当する経験を渇望しており、あまりに少ない教壇実習では、教員を志望する気持ちが削がれ てしまう。たくさんの授業を経験したいという意欲を抑え込むと、モチベーションの低下に直結し てしまうのだが、これは、教員養成上、もっとも忌避すべき事態だろう。B 教諭のトータル20時間 の教壇実習は恵まれた事例といわねばならないかも知れないが、少しでも多くの教壇実習を確保す るべきことだけは確かであろう。教壇実習確保のために、学部生の教育実習については、期間の延 長を視野に入れるべきなのだ。
かたや、2年にも及ぶ大学院生の教育実習では、1年で60〜70時間もの教壇実習が設定され、さ らに、複数のクラスを受け持つことで、教員としての経験値は劇的に上昇する。教員免許を取得済 みであるため一人の教員として扱われ、とりわけ2年目などは、すでに生徒・教員との関係性が構 築されている。これによって、余裕をもって実習に取り組め、より研究的な姿勢で、教育実習に臨 むことができたのである。その経験は、「授業観察力」や「自己教育力」の向上にも資した可能性 が高いであろう。
このように、大学院実習においてより踏み込んだ実践を経験できる点を確認したことは、本稿の 成果の一つと考える。学部卒院生に比べ、現職教員や院生はより深い省察をしているという指摘も あり(中井ほか 2020: 49)、それは本稿で紹介した2名の現職教員の言葉からも汲み取ることがで きるだろう。「教員免許状の修士レベル化」(三浦 2015: 1)という議論は今後一層、加速していく ものと推測されるのである。
一方で、たとえばアメリカの教員養成機関(SCITT)では、年間を通じてほとんどの時間を学 校現場で過ごせるという(姫野 2003: 89)。まさに、究極の教育実習である。しかし、「理論と実践 の往還」を成し遂げるためには、理論を研究する時間も欠かせないのである。また、無制限に実習 生に授業を任せるという決断を、実習受け入れ校に強いることもできまい⑾。こうした事情も勘案 するならば、学部、大学院1年目、2年目と段階的に研究的実践を深めていく現行の課程は、まさ に、理論と実践の兼ね合いを堅持する、絶妙なものであると評価できるのである。「現場の教育学」
は諸理論に如何に精通しているかによって左右されるという見解もある(石井 2017: 22)。理論に 向き合う時間の確保が蔑ろにされてはならないのである。
同時に、母校実習の問題点が浮き彫りになったのは間違いない。B 教諭が指摘するように、母校 実習は最初の教授経験の場としては好ましいものである。しかし、必ず教員になるという実習生ば かりでもないので、「向上意欲」が削がれたという A 教諭の回想も看過できない。これまでも、大 学側の対応の難しさや評価の客観性について、母校実習の問題点が指摘されてきたが(三浦 2015:
2)、そればかりではないのだ。母校実習の雰囲気が、教員志望者の意欲減退に繋がっているのなら ば、それこそが母校実習最大の問題点といえよう。早急かつ抜本的な見直しが求められていること に、異論はあるまい。
専任教員になることを見据え、学校を俯瞰するべく、「5領域」を網羅しようとするのは正鵠を 射ている。しかしながら、現職2名の声からは、実行上の困難さばかりが浮き彫りとなった。とは
いえ、そのような視点が教員となってから役立っていることに、両名とも異論はないのだ。現状を 維持しつつも、たとえば、具体例を織り交ぜたレクチャーを、管理職や分掌担当教諭が組織的に講 じるなどの対応が求められよう。
学校の教員組織の在り方も、実習の成否に深く関わってくるようだ。このとき、教員組織が前向 きであれば、実習生に与えるプラスの影響は測り知れないであろう。A・B 教諭ともに、実習校に 好意的に迎え入れられて、打ち解けて、いろいろな話をすることができている。そこで得られた知 見・体験は、両名の学校や教員のイメージをより豊かで具体的なものとしたであろうし、結果とし て、「5領域」の網羅にも近づいたのではあるまいか。ただし、聞き取りからは、一人の教員とし て尊重される雰囲気がとても大切だと感じられた。教育実習に関与する学校・教員の姿勢もまた、
厳しく問われているのである。
両名の省察は、大学院の課程が一定以上の教育効果を上げていることを示してくれた。すなわち、
大学院生は、教員免許を取得済みであるとはいえ、理論の知識がまだまだ不足しているのである。
さまざまな諸理論の研究に勤しみながら、実践の場としての教育実習に臨み、「理論と実践の往還」
を真摯に探究する。結果として、「実践的研究者としての教師」への成長が促されることは疑いを 容れない。実践的指導力の形成をめぐっての、「アカデミズムとプロフェッショナリズムの比重」
(姫野 2003: 89)の議論を踏まえても、両者の積極的融合を図ろうとする現教員養成課程に一定の 意義を見出すことは決して的外れではないのである。
なお、末尾となりましたが、本研究において、快くインタビューに応じてくれたお二人の教諭に 心よりお礼申し上げます。若々しい先生方の、フレッシュで熱い思いに触れることができたことは、
筆者にとって望外の喜びでした。教員として、お二人が大いに飛翔されることを願ってやみません。
【註】
⑴ もちろん、理論の重要性(米澤 2007: 74)については、実習生自身が実感しているところであり、学 部や大学院に設置されている各種講義科目を履修する意義は小さくない。教育実習後、「教職志望度の 高い者ほど、教職を目指す自覚を身につけ、教師になるために必要な向上心や探究心を獲得しているこ とが指摘できた」(米澤 2007: 75)という見解からも、理論に精通しておくのは必須だと知れる。何よ りも、理論への理解を欠いては、「理論と実践の往還」(渡邊・麻生 2017: 166)など覚束ないだろう。
⑵ たとえば学部生は、実習を終えると程なくして卒業してしまい、追跡することがなかなかできない(姫 野 2003: 96)。このような事情が、現職教員による教育実習の省察に関するデータの取得を困難なもの としているのであろう。
⑶ 米澤はさらに、「教養審第一次答申(1997)以降、すべての教員に共通して最小限必要な資質能力の 形成に加えて、積極的に教員個々の得意分野づくりや個性の伸長を図ることが重要な課題である」と指 摘している。「得意分野づくり」や「個性の伸長」といったプラス・アルファが重要視されているので ある(米澤 2008: 54)。教員としての資質能力の内容が多岐に及ぶことが分かる。
⑷ 教員組織の在り方、すなわち「教師共同体」については、その理論を追求するべきとした坂本の指摘
(後述、坂本 2007: 591-592)に配慮する必要があるだろう。ともあれ、実習生を受け入れる実習校の教 員組織の対応の如何によって、教育実習が大きく左右されることを、肝に銘じる必要があるのだ。
⑸ 岩崎公弥子と大橋陽は、アクティブ・ラーニング、反転授業と関連して、学習パラダイムの「知識教 授型(Teaching)」から「学習型(Learning)」への転換を説く(岩崎・大橋 2018: 2)。渡邊と麻生の指 摘を「教える(Teaching)」から「学ぶ(Learning)」への成長と読み換えれば、両者の符合は一目瞭 然である。
⑹ 「学問知」と「実践知」の関係は、教師のみが知る「教えるコツ」のような「暗黙知」と、誰でもが 共有できる「形式知」の関係と良く似ているだろう(三田 2017: 44)。三田満男は、動画化することで、
「暗黙知」を「形式知」に変えることができ、そうすることがより良質な教育の提供に繋がると考えて いる。また石井英真は、「実践の中の理論」は「暗黙知」と「形式知」で成り立つと考えており(石井 2017: 17)、類似の知見として注目されるであろう。
⑺ ここでいう「5領域」とは、①実践的な指導方法の編成、②実践的な指導方法、③生徒指導・教育相 談、④学級経営・学校経営、⑤学校教育と教員の在り方の5つである(花上 2012: 32)。大学院生が自 ら設定する研究課題は、このうちの②実践的な指導方法に偏在しているという(花上 2012: 40)。教育 実習において生徒指導・保護者対応などを経験し難いことは後述する通りであり、そのために、教科教 育方略が中心的課題となるのは自然である。「5領域」の追究を堅持するのならば、学級・学校経営や 教員の在り方などを含め、実習内容の多角化こそが、教育実習の課題といえるかも知れない。
⑻ 教育実習全体を振り返ったとき、B 教諭は、教壇実習にはとても満足しているという。学部時代に「歴 史」、大学院1年目に「公民」、2年目に「地理」の授業をそれぞれ担当できたので、社会3分野を網羅 でき、このことが大きな自信に繋がっているというのである。
⑼ なお B 教諭は「学び合い」について、関心や意欲の点で達成感を感じるものの、思考、判断、表現 の面ではなかなか評価が難しいと省察している。アクティブ・ラーニングの観点からも、「主体的」・「協 働的」に学ぶ「学び合い」の必要性は夙に認識されているところであり(河村 2018: 63)、また、「学び 合い」を目指した「協同学習」は、「講義中心型一斉授業」に比べて、学力・意欲の面で効果的である とされる(熊谷・河村 2016: 112-113)。しかし、「学習のすべてを学習者に任せた自由な学習活動」を 前提とする「学び合い」では、学習者の「逸脱」も懸念されるなど(大平・西川 2008: 355)、必ずしも 完璧な教授方略ではない。稿を改めて、検討してみたい。
⑽ コロナ禍前でもあったため、教員間の交流が活発で、授業時間外のさまざまな会合などにも参加する 機会があり、啓発させられることが多かったと B 教諭は回想してくれた。現在の勤務校では新年度、
4月半ばからは在宅勤務を混ぜ、週3日程度の出勤にとどまり、同僚教員とのコミュニケーションもな かなか取れない状況が続いたという。新型コロナウイルス感染症の影響は学校組織にも深刻な影響を及 ぼしており、教育実習もまた、実施内容を問われているのである。
⑾ 教壇実習の回数確保という観点からは、大学院生が中学や高校で非常勤講師を担当する仕組みがあっ ても良いかも知れない。ちなみに、A・B 教諭とも、埼玉の私立高校で1年間、非常勤講師(週2時間、
1クラス)を経験しており、とても有益であったと口を揃えている。
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