76543
2 1奈 良
︒ 石 神 遺 跡
所在 地 奈 良 県高 市 郡 明 日香 村 飛鳥 調査 期 間 一 第 一三 次 調査 一一
〇〇
〇年
︵平 12︶
一〇 月
︱ 二〇
〇 一年 月二
︑ 二 第 一四 次 調査 一一
〇
〇 一年 月七 1 一二 月 掘発 機 関 奈 良文 化 財 研究 所 飛鳥 藤 原宮 跡発 掘調 査 部 調査 担 当者 代 表 黒 崎 直
︒田 辺征 夫 遺 跡 の種 類 宮 殿 関連 遺跡 遺 跡 の年 代 飛 鳥 代時 遺 跡 及び 簡木 出 土遺 構 の概 要
石神 遺 跡 は飛 鳥 寺 の西 北
︑ 水落 遺跡 の北 接に す る︒ 七 紀世 を中 心と し て︑ 計 画的 に配 置 され た建 物群 初が 密 に分 布 す る︒ 特 七に 世紀 中 頃 の遺 構 は大 規模 で最 も 整 てっ おり 斉︑ 明朝 の公 的饗 宴施 設 であ ると の見 方 強が い︒ 須弥 山 石と 石人 像 が発
見 さ れた 南東 の地 点 を皮 切り に 一九 人 一年 に調 査 が開 始 され 今回 で 一三 次
︒ 一四 次 目 とな る︒ 調査 地 は 神石 遺跡 の既 往 調の 査区 では 北最 部 位に 置 し て いる 従︒ 来 の調 査 では 水︑ 落 遺跡 と の間 を 区切 る遺 跡南 限 の東 塀西 確が 認 さ れ て るい も のの 対︑ 応す る北 限 の塀 が以 北 の調 査 区 では 見 つか てっ いな こい とか ら︑ 遺 跡北 限 の検 出 が期 待 さ れた 以︒ 下︑ 三 二次
︒一 四次 調査 成の 果を ま と め て検 出遺 構 の概 略 を す記
︒ 七 世 紀 期前
︱中 期
︵A 期︶︒
従 来 知 ら れ て いた 遺 跡南 限 の東 塀西 S A六
〇〇 か ら︑ 大宝 令大 尺 五で
〇〇 尺 小︑ 尺 で六
〇
〇尺 を測 る地 点 に︑ 存続 期時 の異 な る二 条 の東 掘西 柱立 塀 S︵
▲ 一仄 九三 S︑
▲ 二 人九 五︶ が検 出 され 遺︑ 跡 北 限 確が 定 たし
︒ 二条 の塀 うの ち よ り古 Sい A三 人九 三 には 外︑ 側
︵北 側︶ 遺に 跡最 大 の幅 を持 つ東 西 石組 溝 SD 三人 九 六︑ 内 側
︵南 側︶ にや や小 規 模 な東 西石 溝組 SD 三人 九 一が 並 行す る
︵A 2期
︶︒
S D三 人九 六 は次 段の 階 で い たつ 埋ん め 立 てら れ︑ や や幅 が狭 く底 石を 敷 く石 組 溝 S D三 九 五〇 が 位同 置 に 設 け ら れ る
︵A 31 期1
︶︒
そ の後 塀︑ 北が 側 に移 設 さ れ る
︵S
▲ 二 八九 五︶ のに 伴 い︑ 南 側 の溝 S D三 八九 一も 材石 抜を き 取 ら れ て北 移に 設 され
︑ ほ 同ぼ 規模 の東 西 石組 溝 S D三 九
〇 二と し て同 じ 石材 再で 構築 され る
︵A 31 2期
︶︒
これ ら の東 西溝 には 南 か ら流 れ くて る南 北溝 が取 り付 く が︑ 周 辺遺 構 の変 遷 伴に い︑ 南 溝北 も数 回 にわ た って 付 け替 え や改 修 が行 なわ れた
︒ なお 調︑ 査 内地 おに け るA 期
(吉野山)
2001年出上の木簡
の建 物 は いず もれ 小規 模 であ る︒ 七 世 紀 後 期
︵B期 調︶︒
査 地 の状 況 は 一変 す ら 全︒ 体 が整 地 上 で 覆 わ れ︑ 東 西塀 東︑ 西溝 が消 滅す る︒ そ まれ で南 北溝 流が れ て いた 位 置 には 掘立 柱南 北塀 S A 一四 九
〇が 設 けら れ︑ 塀 の西 側 はに 長大 な桁 行 をも つ大 規 模建 物 配が 置 さ るれ
︒ 七 世紀 末 期
︵C期
︶︒
B期 の大 模規 物建 消が 滅 し︑ 南 北 の素 掘 溝 S D 一三 四七 Aと SD 一四 七 六が 貫 通す る のみ と な る︒ 西側 のS D 一三 四七 Aは 後 に改 修 され 側︑ 石 が設 けら るれ
︵SD
二四 七B
︶︒
木簡 は ︑ 三二 次 調査 では A期 の溝 S D三 人九 六 の埋 立 土 から 二点 出土 たし ︒ 一四 次 調査 では C期 の溝 DS 三一 七四 A の堆 積土 か ら八 二点
︵うち 削婿 七六 点︶︑
同溝 の埋 立上 らか 一点 出 上 たし
︒ 8 木簡 の釈 文
・内 容 一 第 一三 次 調査 SD 三人 九六
︹マ カ 午
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﹁< 日
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︶×
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× 卜 o∞
﹈
ω は 2片 分に 離 し て出 土 たし 材︒ 質 と形 状 から 同 一の 木簡 であ る こと は確 実 だ が︑ 中間 部 に欠 損 があ り接 合 し な い︒ 墨 痕 の残 りが 悪 く 人︑ 名 かと 思 われ る表 記 が 一部 確認 さ れ る のみ
︒
一一 第 一四 次 調 査 SD
一三 四七 A
︵堆積 土︶
﹇田 皮
︺力
⑪
﹁諸 岡 五 十 戸
□
□
□
﹂ 戸里 力︺
□
□
□
︹ 日 毛 力︺
□ (8) (7) (6) (5) (4)
︒﹁<□□□佐ロマ﹂
S D 一三 四 七 A
︵埋 立 上
︶
︻亦 力 評 と 名
< 俵
﹂ ω は
﹃和名 抄
﹄ には
︑ 同名 のサ トと し て︑ あ る︒ 六文 字 日以 下は 人 名 か︒
② 習は 書 か
︒
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⇔× 中岸
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∞ oP P*
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∞ o∞
∞ 武 蔵 国 久 良 郡 諸 岡 郷 が 文一 字 目 と 二 文 字 目 は
有 徳 □ □
米
九
同字 と みら るれ 0︒ は表 面 の腐 朽 進が 判み 読 が難 し い︒ 制評 史 料 で あ うろ が︑ サト 表 記 確は 認 でき な い︒ 9 関係 文献 奈 良 文 化 財 研 究 所
﹃奈 良 文 化 財 研究 所 紀 要 二〇
〇 一﹄ 全一
〇〇 一 年
︶
﹃奈 良 文化 財研 究 所紀 要 二〇
〇二
﹄ 0一〇
@ 一年︶
﹃飛鳥
︒藤 原宮 発 掘調 査 出 土木 簡 概報
﹄ 一五
︵一一〇
〇二 年︶ 鳥﹃飛
︒藤 原宮 発掘 調査 出 土木 簡 概報
﹄ 一六
︵一一〇
〇二 年︶
︵竹内 亮
︶ A2期
A3‑1期 同
同
同
A3‑2期
遺構変遷図