「理趣経憂茶羅図」
拾
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遺本図については、かつて「大和文化研究」7巻5号で図版を紹介し、さらに思想的背景については一密教文化一日号でその一端を論じた事がある。しかし、一見して容易に理解されるようにその全面的な剥落、とくにその中央部は一部の尊容すらも全く判じ難い状態であって、本図に関する具体的な事は理解できなかったので、本年、赤外線-X線.紫外線を利用して本国の解明に努力してみた。
理油危ー品ヌ茶濯ぱ一拾遺 ところが、 美術工芸研究室
近年の修理の際に顔料が大半失われたため、期待していた程の成果は得られず、全てほ新資料の出現に委ねられたのであるが、前記の一二つの方法の中で江最も効果的であった赤外線写真の報告と理極経日閣支茶羅図についての私の考えをここに述べてみる事にしたいc勿論、まだ満足すべき結論を得たわ汁でま芯いが、心をひ十リゴ幸いだと思っているこ
中央部の一会之さておいて、その間間二配された種iJ日空茶羅よ十一ハ会もあり、それぞれが独自の形式をもっているο別ち、七辺中央の一会1、干月輸を背後にして3一子より出ださず、下一イス仁斗L4…一大月陥中に5個の小月輸をいロき、その各守に5土JM」配置せしぬる-前者十一、浬出川一釈経でいう三兄弟集会品の円安茶羅に相通ずるものであり、後抗自1金剛界成身会畠Z茶山維の系統をひく、所清、丘町日九九五の品三茶揺でちる。この2例の7べから考えても外縁の刊の号茶濯が辺腿在と密持!下山必に一一つlコ什て一ふる事1符易-」作察さー一一ょうニ前述の二一兄弟集会口山の品交茶羅
高好1117ミ徳院誠 一浬極経受茶羅図
14
I 5 I 6 13 II
I 7 10
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少しでも研究者の関
本図諸i支配置II頃序
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は、理趣経の本論に打の文段のある中の第H段、五部具会の図は第 国段の経音却を文字によって表現し
たものであり、更に、他のH種の受茶羅も同様に理越経本論の文段に関係づけてみると、一様に符合
するから本図の中央部を閤緯する
十六会は理趣経正分(本論〉をその思想的根拠としていると結んで差支えない。それらがどのように配慮されているかは第2図によって理解していただきたい。
理趣経が金剛頂経系であることに異論をさしはさむ余地はないが、
本国各会の展開の順序が九会金剛界長茶羅と同じように、中央部の下・右・上左と転回している事は注意しなければならないであろうc(第3図参照)二 奈良国立文化財研究所年報
金剛界九会配置順序 第一3図
本国
周縁の種子長茶羅と同類の資料を列挙すれば、①覚禅抄所載(大正図第4巻)②観智院本(大正図第5巻)③回受茶羅集所載(大正図第5
進い)が知られている。その中、資料①には尊名によっての人尊位を示す文段
みら
観智院本正分第11図
れるが、構造は各会とも資料②・③と同じであり、3者は同系統とみなければならぬcさて、それらと本図を比較するならば、次の如き相異のある事を知るであろう。ィ、本図正分9・正分叩・正分ロの蔓茶羅についてみれば、中尊を囲む8尊が円形状
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第5図
に処理されている事。ロ、而して正分9の構造は2重口尊である事。(イ
・ロ第4函参照)
ハ、正分日の諸尊は資料②・③においては中尊に対面しているが、本図では行者に向かってい、る事。(第5図参照)ニ、正分刊の所謂薦福寺金記憂茶維における諸専が極めて少ない事。の四点である。次いで、本図の中心ともいうべき中央部の蔓茶羅に視点を合せてみよう(第6図参照)。
尊形輪廓の墨線が殆んど欠失しているため赤外線写真によっても明
確な事は判明しないが、第2重の4隅および4門の尊は尊像で表現さ
れている。又、それらの聞に配位された卵型状の内部は第6図にょっ
ても像容を表現しているようには思われず論外にしてよかろう。
勿論
ある。 第1重内の諸酋寸が尊形で拙かれている事は第2図によっても明らかで
つまり、中央部の一会は2重の構造と尊形の口尊を配した憂茶
本凶中央
部
(赤外線写真〉
第6図 羅といえるであろうcではそれらはとのような図様であろうか。まず、考慮すべき条件は、本国間縁の十六会が理趣経正分十七蔓茶羅中の第一会を省いた十六会に相応していることである。従って、全国が理趣経正分のみの十七曇茶羅の製作を意図しているものとすれば、中央部の曇茶羅は残る正分第一の憂茶羅と解釈すべきが最も妥当であ
ヲQ。又、観点をかえれば、尊数の一致しないのか弱点であるが、理越経系昌文茶羅に於いて独自のあり方を示す理趣経序分の回目ヌ茶羅、もしくはそれから展開した3重お尊の布置結構をつ理越経憂茶羅とも考えられる。第3の可能性は一玄秘抄」が愛染王法にっして「奉レ懸曇茶羅。十七
「理越経目安茶羅図」拾遺 尊曇茶羅 飼
掴但中尊愛染王」と記述するものが本図に描写されている
場合である。愛染明王は理趣経と極めて関連深い尊格であり、それを
中尊に配した理趣会曇茶羅が製作される蓋然性も大きい。.
本図中央の蔓茶羅について考えられる事は以上の3点に尽きるであ
Jコ c
次に第7凶の赤外線写真の中尊を検討してλると、腹部の外 側には墨線らしきものを殆んど認め得ないし、両肩の輪廓はゆるやか に、わずかながらも垂下するから、それは少くとも愛染明王ではない 尊形と推定し’たいcこの意味に於いて、ん払は第3の可能性をまず否定
したいのであるこ
第1・2のレずれかにならうが、周囲の十六会を重要視し、
第2の可能性の弱点を想起すれば、第1の場合が最も有利とされるで あろう。ただし、注意しておきたいことは、現段階においては理紅経
正分第一と金剛界理趣会との関連が明確ではないけれども、あるいは
劃 中 尊 部 分 fl、、 赤 外 僻界理趣会の加味され これが思想的に金剛
担問央中 しJd
JL
残るは、
た憂茶羅図であるかも知れない。たとえそうであっ
第7図分離しては存在しな 理趣経の正分第一と ても本図にあっては
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いと推測している。
奈良国立文化財研究所年報三
理趣経曼荼羅については︑諸段 それぞれについて図式化しようとす
る態度と︑それらを一つに纏めて表現しようとする態度の 2つがある︒
後者の場合には愛染明王 ・五秘密曼荼羅・理趣経説会曼荼羅・理趣会曼荼羅など多様であってそれらの背景や展開を究明することはまことに困難な課題である︒一方︑前者についてもいろいろな考え方があるが︑前述のように本
図は理趣経正分の諸段が意識されて作 られた事は明白であるから︑一応︑前者の範疇に属すべきものと思う︒それでは︑それら諸段の図式化の思想的根拠は奈辺に存するのであろうか︒まず円仁の﹁承和五年入唐求法目録 ﹂に記載される﹁十七壇様 一巻一
や︑又安然の﹁八家秘録 ﹂で︑円仁と宗叡の請来になる事を伝えている﹁理趣経十八会曼荼羅十八柆﹂は諸段の図式化にいたる過程を考えるに非常に興味深い記載である︒
また︑延長 3年︵莎︶の書写年記を有し︑円珍の蔵書目録と伝えられる﹁山 王院蔵﹂には一般若理趣経図一巻弋か録されているが︑これには註記は何もな く︑円珍か﹁般若理趣経図﹂を﹁一巻﹂蒐藏していた事しか確知できないが︑次の如き推測は許されるであろう︒即ち︑それは同時に記録されている﹁金剛頂経初品中六曼荼羅喋職
契印等図略釈一
帖 ﹂えくなはで裁体るれら数のてしと帖一一﹁︑く如︑
﹁巻 一を単位とするもの︑つまIり巻子本であった事が推測される︒
あるい
气思曼荼罹図一の現存る事実もい趣あわせるならば︑巻子本で経す理一す述論﹇しと節一刀て 茶れ要な注目すべき事であるが︑こにつ羅剛の研究作昌吸て海い︒一一目後はて重ば y一のとす究を開展観心部五後今はこしの一︒るれらえ考とのもっる明定なになると想のして確か石請山寺蔵叡唐本の宗にれ来 ﹂にはめ極荼院曼腫六一蔵釈蓮青たれさ写転略羅第もの一 格性的本原を︶2図正大︵巻 初羅荼曼六中品金経頂剛﹁の述前嫖幟契長︶に印コ年︵元承S︑図は等略釈﹂ ︺付︹記 ︶海智野清︵ ればしけならな︒聊ものである のに何人か一創を容認意てと種子とがびつ卜結い事に関しては︑そる 的如の述前にる想思ばで点い類きる例どを尊だた︑も形れきで摘指け 天理﹁蔵院徳︑山野高とれま経趣さ曼段てれ茶表が現諸︑は一図羅 巻子本であり︑注意されべきである︒る るの前︑はいそあ︑れの︸本首掲︵種ど︷もれずい子ばな羅荼曼経趣理 形理趣経曼年荼羅や沍和5の尊記本寺醐醍っもを年写書の乞に︵年︑ は写か2いぱどのように描されてたいは︑貞安もとく明少がいなで確 理はにてっよさられこ︑上以経趣あのにる︑れ識諸意うよのどが段 唆示を尾の末本子巻てしらいものと考えるれる︒ 趣與乃荼曼経て理﹁のこいしそと﹂うり事ろしむ︑もよ像画り幅1は るかにと︑が当れらえ考もと伝く承時肯存るれさ首︒ぱたいてし在事 る﹁ばら趣な記ず信を註の者編理之経勝は図羅荼曼曼尊一有奥乃荼の ろうかなとう覚あで︑心︒るれとろ非像常た得め集を図の々種く広に に﹁るれらみ趣記註の﹂図羅荼曼理経一曼見もに文らの之有奥乃荼一 あ︑は方りよなうのそ︑下に更っ8ま勝て尊﹁のた巻記雑﹁別尊﹂ て︒るえいとた卜存し在 くないは一羅荼曼疑経しな理﹇たれさ識意りかかが段諸の経趣理も極