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新作能の百年(2)
西野春雄
2.新作能の100年,その諸傾向
今回は,前号で表示した「新作能年表」(1904-2004)をもとに,そこに見いだ される近代100年の新作能の識傾向と問題点を指摘したい.ついで,300曲を越える 近代新作能の中から,先駆的な作品,あるいは新作能史上注目すべき作品,かつ画
期的な作品を取り上げて,分析することにしたい.
(1)新作能の定義とiliiiuH
その前に,確認のために「新作能」の定義とその範朋について触れておこう.-.
股に,古J1として継承ざれ今日も減じ継がれている,南北期から室町末期までに創 作されたスタンダードな演目に対し,江戸時代から明治以降に作られた近現代の作 品を新作能と呼んでいるが.狭義には,明治以降の近代の作品を特に「新作能」と 呼ぶことが多い.本稿でもこれに従うことにする.なお,古典の能に対して.新儀
能,あるいは新作物,という言葉は江戸時代から存在する.たとえば,江戸初期,慶長9年(1604)8月12日から181三1まで,豊臣秀吉の七|、l 忌を記念して行われた職国神社臨時祭の8月14pに,大禾Ⅱ猿楽四座がうち揃って新 作能を競演したことは能楽史上に名高い盛事であるが,そのことを伝える記録の一 つで魁1重|神社の社僧梵舜の1]紐「舜|日記」の慶長9年8)]14Hの条(大日本史料所
引)に次の記事が見える.
四番,申楽四座,新儀能一番ヅ、,金券橘,観世武王,宝生太子,金剛孫思,
次能,二番二大坂ヨリ八百批被下也.-座二二百貨ヅ、被下也.
すなわち,通行lHlの古典に対する言葉として「新儀能」という譜が使われている
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ことが確認できる.竃|{11以来減じ継いで来た古典の所波llIlに対する新儀能なのであ る.なお「金剛孫思,次」は「金剛孫思遡」の誤りj:である.
さらに江戸後191の例であるが倉'11喜弘縞著「IリIifiの能楽(四)」(日本芸術文化 振興会,平成9)第三部補巡に導かれ,「日本美術協会報告』146号(明治33年10)1 311]発行)同じく118号(Iリ]袷3`1年1月31日発行)に掲叔された蝋庵主人「蝋庵随 雑」から「新作物」という表現を知ることができた.倉111氏からいただいたliil紙の コピーによると,146腓の雑録に『蝋庵随筆」の把りIを褐iliXし,伊予国大三島の大 '11紙神社に写本で伝わる脇能がか}〕の《三島》(奥iI1:「旨享保三竜集戊戊初夏下解 二m予州今治常高寺主法'三'1権大僧都珠峰謹作11A○○」)を紹介したあと(舗者 は《三島》は実見していない),148号には146号の続きとして,
○浅草寺といふ謡''11あり.これも新作物と見えたl).こは脇能にはあらず.ワキ.
水衣,のしめ,蒜流し,ブリ帽子の僧,はじめに次第あ}〕て,名乗に「是は坂東 三十三所に御札を納る聖にて候」といふよ}〕近行ありて(中略)後シテ,而泥 MIA,箔,色大1二1,jIド衣,腰帯,黒垂,瀧主(iuj1I11注・「龍立」が正しい),経 と扇持,後シテの謡ありて,泣懸り早舞,切の謡にて篤る.すべての主愈は,
彼浅草の老婆が石枕もて旅人をうしなひし繊悔の罪を,観世音の功力によ}〕て 春属と生を変じ浮むといふ事にて終る.海人,当麻の趣きあり.これは板行本 にて一冊ものな').奥諜に
右は観世織部以改厳令板行者也
享保-|・三戊'''三月十八日筏JIf[諏訪町作者岸本休Ijl とあり,前の三島よりは梢'二作なるが如し.
とある.この《浅草寺》については,以前,本誌第七号(1982年3月)に発表した
「享保前後の新作謡llll-近111能作史考一」のIl1で考察したことがあるが(享保の版 本を安政六年に影写した写本で,奥書は「右者観世織部以改章句板行者山j「蝋 庵随筆」では江戸時代に作られた謡曲を「新作物」と呼んでいたことが知られるの である.
また,新作能の範囲・範醗については,筆者は次のように考える.
新作能のi[i「イド(2)(3)246
理想的には,能の様式や技法の面で,古典の能の特質や長所・美点を摂取し,伝 統に根差しつつ,何らかの新しさを感じさせる作品,古典の能の範囲を大きく逸脱 せず,しかも従来の能には見られない新鮮な命を吹き込んだ作品,自由に時空を超 越できる「能」なればこそ表現可能な作品,能本来の持っている可能性を引き出し,
未来に繋げることができる意欲的な作品,現代人の感覚に訴えかけのできる芸術的 な作品,段構成・小段櫛造・文体・修辞など能の様式から離れつつも能の本質から
逸脱しない作品,である.
しかし,これらをすべて具備することは無理であり.そうした作品は稀であるが,
事実,前号で示した「新作能年表」の諸作品は,従来の能の様式に基づいた作品が 断然多い.だが,なかには,これらに限りなく近い作品もあり,今後は,そうした 新作能を目指すべきであろう.したがって,ここの定義では,テキストは二の次で 音響・照明・舞台装世に凝り過ぎ,レザー光線を駆使したり,セリを用いたりする,
説明過剰な演出だけが突出する,現今流行の歌舞伎まがいの創作能?はもちろん含 まないし,能の技法を前提とした現代演劇も,今は含めない.また,三島由紀夫の
「近代能楽集」のように題名が能楽を調っても,能の作品を素材とした現代劇であ
る限り,その作品も入らない.
以上の定義とその範囲・範醗については,当然反論も予想され,異論もあると思 われるが,これらに関しては,新作能をめぐる先人たちの論考を紹介しつつ.能の 表現の特質を考察する段階で,章を改めて再考することにしたい.なかには,素人 ながら作家の石川淳のように,その箸「文學大概」(中央公論社,1947)で,新作 能は不可能とする極端な意見を展開している例もあれば,大著「能楽源流考」を著 した国文学者の能勢朝次のように,jliIi極的に評価iし新作能推進論を提唱している例 もあるからである(「能の新作に就て」「宝生」1941年8月号).
(2)新作能100年の概観
次に新作能の100年を概観しよう.前lilil示したように「新作能年表」のMl001の 大和田建樹作《碇引》から,-番峨後のNq316の多田富雄作《長崎の聖母》まで,
実にさまざまな新作能が誕生している.もとより遺漏もあるので,実際の総数は もっと増えると思われるが,大きな流れは,これで十分に把握できるであろう.
最初に挙げた《碇引》は,成田111を鎌台に成田不動尊の威徳を縦仰する作品であ
る.成田不動に衿迦羅(コンガラ)・刺多迦(セイタカ)の二童子と不動明王が現
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れ,漁業の妨げをなす碇を海から引き」こげたさまを見せる鑑験能で,成立の背景 に,1901年の成田鉄道線の全線IlH通を記念する慶祝の意があったようである.
この作品については拙稿「近代前期の新作謡曲一近代謡1111史稿一」(「能楽研究」
第九号,1984)で触れたことがあるが,作者の大和田建樹(1857-1910)は伊予宇 和島出身の国文学者で歌人,謡'''1の注釈・研究に先駆的な業紬を残した優れた研究 者である.その著作は,和歌,国文学に関する辞典,文法,文学史,注解,史伝,
紀行,少年文学,唱歌,新体詩など広範囲にわたる.
観世流の能や謡,金春流の太鼓も嗜み,猿丸大夫の筆名で能評も発表する,かつ 和歌をよくし,西洋の詩歌も翻訳し,自身,新体詩も書いている歌人大和田に,新 作能があっても何ら不思議はない.事爽。大和lHは日露戦争に取材したNbIOO2
《鷲》ほかにも,いくつか作っている.たとえば,Iリ}治17年3月,iiWHlに梅見に出 掛けた折り,奥の一間に奏任以上という札を打って,身分によって席を差別してい ることを「俗なる事」と思い,神田大夫の筆名で《花見諜生》を作って「読売新 聞」に投稿したり(明治17年3月28日の投:普欄に掲栽された.この作品については
「宝生』平成5年10月号・に紹介した),江戸の風物詩に取材した《両国》を「能の真 似」として自著「文学遊戯」(博文館,1894)に蛾せるなど(「宝生」平成2年10月 号に紹介),新作能にも腕をふるっているのである.大和田の作品は,古典の能の 様式に従い,当時の事件や戦争など時事を題材とした,いわば時局物がほとんどで あるが,これも近代能の顕著な傾向として指摘できるところである.
このことは,「新作能年表」の一番最後にあげたNO316の多田富雄作《長崎の聖 母》にも言える.国際的に著名な免疫学者の多田富雄(1934-)も時単に取材した 能を杵いている.前回触れたように,心臓移植と脳死問題を扱ったNO251《無明の 丼》・第二次大Iiif中の[|本による,韓国人強制連行事件に取材したNb,261〈望恨歌》,
核武装の否定と平和を願うアインシュタインがシテのNu304《一石イ111人》,そして 被爆60年を迎えた2005年秋に広';&・東京・京都で上演したNn315《原爆忌》と,長 崎のiili上天主堂で上演されたNn316《長崎の聖母〉である.多田は現代社会に対す る強烈なメッセージを表現するには能が舷も適切との認識に立って,能の形で発信 し警告しているのである.
(3)新作能の100年の諸傾向
次に,これらも含め新作能の100年の諸傾向を,世阿弥が能の作劇について論じ
新作能の17年(2)(5)244 た「三週」の「種」(題材・主人公・主題L「作」(構想・構成・脚色)。「書」(作 詞・作1111)の三万面から概観する.特に「種」に見いだせる識傾向を中心に,その 問題点を指摘してみよう.
室町時代からの伝統のごとく「源氏物語」や「平家物語」「雨月物語」など,ロ 本の古典文学作品に取材した能も多く作られているが,近代の新作能の特色として,
近代・現代の詩歌や小説・戯''11などの文学作品と,西洋の戯Ⅱ11に取材した作品が生 まれていることが指摘できる.しかし圧倒的に多いのが,形式は11「典の能に拠り ながら,時噺・事件に取材した作品,いわば古い岐袋に新しい酒を盛るもので,能 はいつでも時馴や時代の姿を映していることが分かる.題材inにおける新作能100 年の諸傾向はほぼ次の12項目に分けられる.次にそれらの傾向と主な作品を記す.
a時事・事件
激戦の日露戦争とその勝利・…鷲・いぐさ神・海戦・神風・資時・征露の談・
二見・旭桜 大正天皇即位の慶祝・…平安・大典
1924年(大正13)の関東大震災とその後の復興・…復興
第二次大戦中の戦意筒揚とiiii美・…水iiji屍・忠霊・英断時宗・山田長政・輿illi の光・軍神・皇軍艦・撃ちてし''二まむ・内船桜・玉 砕・飛髄
原爆の悲`惨.鎮魂・祈り・平和の希求…・原爆・サダコー原燦の子一・原子 雲・原爆忌・長崎の聖母
脳死・心臓移植の問題・…無明のノド 日本への強制連行事件…・望恨歌
環境破壊・水俣病などの公諜問題・…森・朱鷺・不知火・一石仙人
b宗祖・宗教者の遺徳の顕彰付.新興宗教の教義の宣布 法然・…挺生椋・片目川・室津・法然・桜が池・智恩院 空海…・空海
親鮒…・親鷲(竹中新作)・親鴬(土岐新作)・親駕(百瀬新作)・本願寺 日通…・法難・佐渡の日蓮・龍の1J首途
蓮如・…蓮如(三品新作)・蓮如(青木新作)・母恋い蓮如
顕如…・顕如
鑑真fll上・…鑑真和上
イエス・キリスト…・使徒パウロ・復活・復活のキリスト 安土の聖1J
天理教・・・・天理教祖・御隣の命・御蔭のilj 回教・…滅亡
イエズスの洗礼.
c偉人・武士・耶人の事紙 素菱鳴尊・…祇園 橘諸兄…・橘
聖徳太子…・法隆寺・夢殿 菅原道真…・北野・道具 藤原秀衡・…秀衡 崇徳上皇・…白峰 平消盛…・情盛
平並衛付・南都炎上・…皿衡・南都炎上 平維盛……維盛
源義経…・平泉・義経 俊寛僧都…・有王
補正成・正行ほか南朝物・…桜井駅・桜井・楠露・正行・菊水・轡塚・正商 足利義政・…銀閣寺
高山右近…・闘山右近 天草四郎・…原の城 太、道瀧…・逝潅
宮本武蔵・…五輪杏武蔵伝
大石良雄…・大石・義士供養・松坂 坂本龍馬…・龍馬
西郷隆盛…・鹿児島 乃木希典…・希典・爾霊IlI 始皇帝・…始皇帝
新作能の1,iイド(2)(7)242 d歌人・迷軟師・茶人・能役者・学粁の半紙
大作旅人・家持・…Miljのむろの木・家持
源笑朝…・実ilUj(虚子新作)・突朝(士岐新作)・実朝(堂本改作)
飯尾宗祇・…宗祇
松尾芭蕉・…十八楼・象潟・奥の細道・義仲寺
利休ほか茶人…・利休(l:岐新作)・利休(深瀬新作)・潅圃房 世阿弥…・世阿弥・'1k阿望`臆・佐渡・l1flljil弥再兇・爾乞1m阿弥 加賀千代…・加賀の千代女
本居宣長.…宣長 正間子規…・子規 新島製・…庭止梅
e美人
真ilIjの手古奈・・・・真'111.千14J奈 額[11王・…熟111津・額田]i
かぐや姫.…竹収の翁・かぐや姫・姉峨・なよたけ物語 小町…・文がら
源氏物語の女.…若紫・Iリ1石・桐壷・明石上・婆丼雁・幻・紫I二・桃|刺・夢浮 橋・小野浮舟
横笛…・恋塚
クレオパトラ・…クレオパトラ(竹ilI新作)・クレオパトラ(津村新作)
f寺社縁起 成mlll…・碇;|
和泉の宮・蛸地蔵…・和泉の宮・蛸地蔵 竃山・竃'''1山・…竃111.冠''1山
御香宮・…御香宮 柳津…・柳津
g郷土の伝説
犀流小太郎・…犀流小太郎
舌切雀・…舌切維
h名所Ⅱ=1跡・斌勝の宣布 松島….松島
象潟…●象潟 楊谷寺….香水 美濃郡上.…果栖桜 鞆の浦….鞆のiili fii啼橋.…浮橋
動植物・魚烏・物の粉 緋桜・…緋桜
間合・…差雑草 大根・…蔦力Ⅱ茂 紅葉・…深l」Iかづら 河童・…河iii 人魚…・人魚
鶴…・鶴(津村新作)・鶴(土岐新作)
鷺…・雪鷺
llL偽…・おろの鏡(のち山胤と改題)
琴…・琴 雪女…・雪女 111姥…・乙女111姥
l事物の宣伝
脚気に効くI
という新薬アンチベリベリンの宣伝…・武蔵野・珠鑑・三係
k近世・近現代の文芸作品(小説・詩歌・戯1111)
上1,秋成(爾月物語)…・鬼居士
幸田露伴(土偶木偶・五重塔)…・土偶木偶・五頭塔
岡本綺堂(平家雛)…・謀新作能の|'i年(2)(9)240 夏日漱石(草枕・鬼災寺の一夜・水底の感)…・草枕
与謝野晶子(乱れ髪)・…品y乱れ髪
宮澤瞬治(永訣の朝・針の松・無jli働契)・・・・永訣のi9I ilQ5村光太郎(智恵子抄)・…科'恵子抄
加賀乙彦(宣告)・…安二1二の聖母
西洋の詩歌・戯曲
メーテル・リンク…・鉄門(のち灘光寺詣と改題)
シェークスピア…・能ハムレット・オセロ・マクベス
ウイリアム・バチュラー・イェーツ・…職の泉・111$姫・鷹の丼・鷹の井戸 マラルメ…・半獣神の午後
ポール・クローデル…・女と彫・内濠十二鍬・織機の潴一隆谷寺の#l:丹一
以」この12項ト]は,a~iまでは,基本的にはT17jILの能が描いてきた軌跡と大きく 変わらない.a時事・事件の報道.b宗祖・宗教者の遺徳の顕彰付・新興宗教の教 義の宣布,c仲人・武士・軍人.。歌人・連歌師・茶人・能役者・学者,e美人,
f寺社縁起,g郷土の伝説,h名勝古跡,1動植物・猟鳥・物の精,などを,いわ ゆる「種」(素材・主人公)として創作してきた.ただその中でも,時代の風が吹 いていることも事実だ.
aにおける日露戦争や太平洋戦争,原爆,脳死・環境破壊・公害などは近代現代 でないと描けないテーマである.b宗祖・宗教者の遺徳の顕彰付新興宗教の教義の 寅布では,寺社の縁起や教祖の事紙に取材して布教に役立てようとしている.浄土 宗・}]蓮宗に取材したljllが比較的多く,宗教肴では,法然・親憾・[|蓮が目立ち,
戦後はキリストまでNil化された.天理教,[、l教なども近・現代でなければ('1まれま
い、
c偉人・武士・軍人の11i績では,明摘以降,おびただしい楠公物・南朝物が生ま れたのも,皇国史観などの時代思潮や世相の反映である.その多くは冗漫で独善的 で難解で拙劣ではあるが,能楽を「国識」と|呼んだ時代の風を映している.
。歌人・連歌師など芸術家の項|÷|では,近代以降のIIL阿弥研究の進展を反映して 11t阿弥に取材した作品が続々と生まれている.なお,b~dには,主人公の何回
忌・何年祭とかノk誕六1[「イ'2などといった記念すべきイifにiill作されていることも特徴 的なことである.
e美人も,古典と|i11じょうに「源氏物語」の女たちが111り」1げられているが,ク レオパトラのようにilli祥の美女を11人公とした作品が生まれているのは,やはり近 代ならではであろう.f寺社縁起,g郷」この伝説,h名勝古跡,i動(植物・魚Ⅱ:I・
物の梢も,ilr典から多く兄られるものであ}),なかでも,f寺社縁起とh名勝古跡 はいわゆる「所謡」として近'Ⅱ:以降盛んに作られているが,近現代においても,近 世ほど膿んではないものの,新作されている.
また,imU植物・魚烏・物の精などのように,時空を越えて精雛を益場きせ11}る のも能の大きな将色であり,峯町時代から多数の作,}{,が』|くまれている.なかでも,
中勘助の「つるの話」にヒントをiMLた際多ヅミが,現行曲〈鷺》とは別趣の淡技を意 図して土岐善麿に委嘱,ニヒ岐はただちに「万葉集」巻六の山辺亦人の歌(とくに
「和歌の浦に潮満ち来らし潟をなみ芦辺をさして11]鶴鳴き渡る」)仁想を得て作った という喜多流の現行IlIlNbll83《鶴》は,小,M1ながら鮮やかでリ|き締まった'21J象は新 たな能の主張といわれている.フーガ形式を採11Iしたシテの川の謡,盤渉を基調と
しつつ一部に太鼓が三拍7.で打ち続けるく鶴ノ灘〉など'灘子の面にも創意が見られ,
乱れ散る雪の中,白い快を翻して聯う姿も美しく,滴高至純な能として評価がiWjい、
《鶴》は今後の新作能の新たな展開を予測させる作品であるが能は,降る雪,
降り積もる雪を形象化し柵写するのに雌適な楽劇かもしれない.そのような視点に 立つ時,にli女」に取材したNO1222の案1[[ミ柳作《雪女》も注目される.野女(雪 の精)伝説に取材した能は,掌''11時代にも《雪鬼》《雪女》《雪》(金剛流現行IMI)
などの1111があるが,近現代では室山三柳作《雪女》が,雪女の恩愛の心を詩情豊か に.美しく,かつ清らかに描き,成功した佳品であると思う(後で取り上げる).
j』‘物の宣伝,k近'肥近現代の文学作,鼎,(小説・詩歌・戯|Ⅱ小I1jli洋の詩 歌・戯llllなどは,近代になって初めて現れた傾|イリである.ilIj物の宣伝は近lltにも 絶無とは言えないだろうが,近代以降,あらゆる分野で広告が作られ,ついに謡曲 が脚気によく効くという新薬「アンチベリベリン」の宣伝に11jいられた.1919年6 )jに観'L流改訂本と同じ体裁の謡本で111版された「大j[謡三番集」所収のN0,042
《武蔵野》,NDO43《珠鑑》,NqO44《三係》である.とくに,三保の浦を再訪した天 人が脚気にかかりタト天できずにいるところを,特効薬アンチベリベリン(米糠より
Wi作能の百年(2)(11)238 ビタミンB'をhM1した薬)によって列.天し(,}るという《三保》など,奇抜な構想 だが,近111:以来の戯謡の系識に入る作品で,近代コマーシャル史上の資料にはなる だろう.
k近世・近現代の文芸作1M(小説・詩歌・戯1111)は,たとえば近世にも「徒然
J1;b:』へのllU心が高かった当時のIu相を反映して,「徒然草」ないし兼好法師に取材 したく兼好塚》《徒然草》(liil名異曲が三櫛ある),《兼好法師》《御室》《'41うろ})》
などが作られた.また.浄瑠璃や歌舞伎に題材を求めた《歌舞伎》《国姓爺》《清}・
郎》《曾根崎》《忠Ili蔵》《無間之鏡》《和藤内》などが新作・出版ざ池近世謡111]の 一傾向を示しているが,近代もまた近代1M代の作家の手になる小説や詩歌や戯曲に
取材した新作能が続々と誕生しているのである.なかでも近現代の作家・作1H1のな かでは,宮澤1iYf治の詩歌「水i淡の朝」ほかを脚色した青木逝喜氏のNq262《永訣の 朝》が,榊想や脚色の面でil;ロされる(後述).そしてI西洋の詩歌・戯1111もまた,近代現代ならではの傾向である.峯111J以降の 古典でも''1国の説話などに取材した作品があI),ひとつのジャンルを形成していた が,近代以降は,西洋の戯HI1や詩歌を素材とし,翻案した作品が積樋的に創作され ているのである.
なかでも,メーテル・リンクの戯lll1「タンタジールの死』を翻案したNnO36の満 浜虚子作《鉄iI1I》は.新作能100年のなかで.初めて芸術的勅機から生まれた記念 すべき作品であり(後述するハウィリアム・バチュラー・イェーツの舞踊詩劇の 翻案であるNu214の横道葛Jll雄作《鵬姫》(li(曲《嶋の泉》の改作)が構想・文 例K・減技iijilll・音楽などのmiで新作能の可能性を示した佳INIである.初iiii以来,国 内外で上iijiを重ねていることは111知のとおりである(後述).
また時局に便乗した作,砧も.明治・大正・I11l和前期に多くみられるが.概して明 治期の新作能は芸術的に稔I〕多いとはいえない.ほとんどが非芸術的で,なかには 能とは言えない講談本のような作品まであり,ほとんどが一時的なもので終わって いる.こうした明治期の傾lfIIについて.1:I身で新作能も数Illlii野いている池内偏嘉の 意見が実情をよく伝えているので,次に不すことする.池内信熟の大著『能楽盛衰 記」下巻(能楽会,1926)の「能楽研究」のうち新作能の項に見える意見である.
大阪の高木半氏は千秋鎌・村雲・卯花愈・征露のかたり・鞠のいきを・勝iiI の祝・三韓・玉救の雪・風駕迎・人刀沈の拾番を新作し,観世清廉に節を附て もらって謡本まで刊行したが,|副学癖からl}{た非芸術的な作柄であるから,第 一能にならず,;俳談本でも読むやうで,折角の熱心も顧みられずに終った.観 世流の楠露,喜多流の桜艸は.いづれも楠公桜Jl:の駅の訣別を仕組んだもので,
誰人の作か知らぬが,其のクセの歌詞の「建武の昔正成は云々」が既に早くか ら人口に贈炎したものだけに,11t人の推奨する所となり,かく二流にまで採用 されることとなって今に時々iiiiぜられるが,併しこれとても古作に比すれば遜 色のあるのを否まれない.ロ鯖役の時大和'11建樹氏の手に成った鷲や,護国幼 年会の委嘱に依って私が作ってみた資時や,今」L御川1位当時観世元滋氏作の大 典やらは実iijiもし汀槍普),Iiから謡本として刊行もされたが,これとて唯一時の もので,其の後は埋もれてゐる.(同啓694~695頁).
このllii木半(1827-1917?)は摂州三島郡福jl村の名''11のlIlIで,維新後は大阪府 会議員も勤めた政治家であるが,能楽が亡鍍をIIL因果応報を説くことを不祥であ るとして能楽改良論を唱え,’二lら「新能楽」と称し改良迎動を起こした人物である.
楠公物や南IliI]物を盛んに新作したi断水馨述の「新能楽」は,すべて本居豊頴の校閲,
観I11:猜孝または観世清廉の声譜あるいは虚雪大ili寸松の声譜で謡本まで発行され,
椛威づけられてはいるが,高木の作品については,iii褐「近代前期の新作謡曲一近 代謡Iill史稿一」(「能楽研究」第九号,1984)でやや詳しく触れたように,前提とし た室町時代の能作史に誤解があり,著しく'五1学的色彩が強く,皇道精神の発揚,忠 臣孝子節婦の景仰など,あまりにも難解で冗長で独善的で,非芸術的なものであっ たから,発展しなかったのは当然の帰結であった.
特に次に示す岡本の募集丁11:を読むと.その感を深くする.将来同じ過ちを起こぎ いためにも.参考までに,枇井春野箸「能楽全史」(龍吟社,1916)の第四編維新 後の能楽にU|〈文章(同普694~695頁)を1W褐しておこう.
今般征露始戦に我海航大捷せるを以て,皇国の人民喜`悦に堪えず,唱歌舞踏 して戦捷を祝賀せざる、「らず,然るに従前の謡11hは,足利氏執政の世文運衰微 の時仏門の徒の作にして,因果応報を主とし虚艇附会の説多くは亡霊の11[lにし て,ネIl1iii1の祭jiiu貴人の祝賀に奏すること正[しからざれば之を改正し,忠臣孝子
新作能の百年(2)(13)236
節婦の41i蹟を発揚し勧善懲悠を旨とし優美なる新能楽を作I),祭祀祝賀に奏 せば人氏をして,善心を感発せしめ移風易俗の小袖たらんと,余拙劣を顕ず曾 て試に数曲を作りたれ共時至らず,世に行はれざりしが,方今太平文lリIの世と なれば,同志者と協力して|U:に躯行せんと欲す,翼<は諸君,賛成し'1%はぎ何
の幸か之有ん.
このような,能の本質を解せず,ル6つた能楽観に立つ高木半の新能楽が,世に受 け入れられるはずもなく,しかも動機が動機であるから,芸術的作品とは正反対の,
まさに池内が指摘するような,能楽とは名ばかりの,講談本でも読むような奇妙な 作品ばかりとなったのである.高木以外にも,能の本質を知らない文士の手になっ た,能の形式には従ってはいるものの。形式にこだわり過ぎた,、白くも何ともな い作品が圧倒的に多い.こうした傾|イリは,現代においてもなお見られるが,恐らく これらは高木の作品がそうであったように自然淘汰されていくであろう.
「作」(構想・構成・脚色・小段構造)のmから見ると,従来の能の様式,特に夢 幻能の様式に倣った作品が圧倒的に多い.霊を主人公にできる点が能の特色の一つ であるが,新作年表にある316111の能を概観するとき,いかにも近代.現代の能ら しい斬新で鋭い作品もあるものの,一方で,能の本質を解しない文二kや好’'1家が,
従来の様式に準拠し,短歌や俳句でも作るような気分で書いた,陳腐でつまらない
作品が断然多いのである.
ほとんどが,夢幻能の形式に従い,何々の鑑がどこどこに現れて,昔を語り,
舞を舞う,といったもので,「新作能年表」を通覧すれば,たちまち理解されよう.
前稿でも指摘したように,実はここに危険性が潜んでいるのである.いかにして旧 套から脱却するか,これも能の本質を考察することにつながるはずである.
さらに「書」(文辞・作詞・作曲)の面から見ると.これも従来の古典と同じく,
文語体による作品がほとんどである.文語体でも,格調高<IMI格あふれる作品なら よいが.いたずらに美辞麗句を羅列しただけのもの,逆に耳で聞いてすぐに理解で きない,難解で冗漫なものが圧倒的に多いliIとしての文体になっていないのであ る.根本的にいえば,能が,長い長い「詩」である邪を忘れているのである.
新しい時代の新作能は,文体の上でも,素材やテーマによっては,口語体の能が
235(14)
あってもよい.そのような作品の先駆的な例として,Mll76のMli村光太郎詩・観世 寿夫節付・武智鉄二旗出《科i恵子抄》(1957年)があげることができる.近年の口 語体による新作能としては,Nq288の《サダコー原爆の子一》(堂本正樹作・梅若 六郎監修・梅若晋矢節付・野村小三郎'''1狂訂作詞・小H1幸子ドラマトゥルグ.2001 f11)があげられ,新しい視点を示した意欲的な作品である.
3.芸術的な動機から誕生した新作能
芸術的な動機から誕生した新作能は,池内信鵜の弟で俳人の高浜虚子(1874- 1959)が,1915年(大JIH4)の搾れにi11:き,翌1916年jlミ月に,鎌倉能楽堂で試演し たNqo36〈鉄門》に始まる.本橘では,この1mも含めて.20世紀の新作能の中から,
芸術的で達成度も尚<,評価したい次の四つの作品をとりあげてみたい.
すなわち前述のように.illj祥の戯Illlを翻案した.N(1036のiVJi浜虚子作《鉄門》
(1916年初演),Nu214の横道葛』'1雄作《縢姫》(1967年初減),民話に取材し童謡を 取り込んだNq222の霊'''三柳作《雪女》(198511:初iii().近代の詩人の詩歌に取材し たNn262のilf水道喜作Nu《永訣の朝》(1996年初演)である.
これらは素人ながら能謡・雌子に通暁あるいは11片の深い俳人や能楽研究肴と,能 楽シテ方の玄人の作品であることも注[|したい.理想的な新作能の未来像を示唆し ていると思うのである.
(1)《鉄門》
まず,芸術的動機から誕生した最初の作品である《鉄門》については,羽田昶
「虚子の能」(『岩波講座能・狂言能の作者と作,W,』横道萬里雄・西野春雄・羽111 昶著,1987年W岩波書店)で取上げておI),示唆に富む.本論でもそれを参照しつ つ考察してゆく.
聡子は,かねがね能楽の改良よりも,まず新作すべきという意見をもっていた.
そして素人である|÷1分が鎌倉に建てた鎌倉能楽堂こそ,新作能の試減の場と考えて いた.玄人は「何かにつけてAllひ切ってやり兼ねる不便宜がある.それが鎌愈の舞 台には何もない.所謂能楽のネ''1聖をけがさない範lJll内に於て総てlL1Hlである.麦畑 の'11に新しく建てあげられた鎌倉能楽堂は、一に能楽新作の使命を帯びて来たも の、やうに私の眼には映ったのであった」(「新作能試演所感」,「能楽」1916年2月
新作能の17年(2)(15)234
号).事実,近代における初の芸術的な新作能《鉄門》は,この鎌倉能楽堂で生ま
れたのである.
満浜虚子の《鉄llil》は,死への恐怖と迎命のiqll秘を象徴的に描いたMaeterlinck (メーテルリンク.1862-1949)の戯IllIrタンタジールの死」の翻案能である.「タ ンタジールの死」の内容は.-いつ女'三から命を奪われるか分からない迎命にある 王子タンタジール.イグレーヌとベランジェールの王子の二人の姉,そして老僕ア グロワールは,この幼い王子を守ろうと必死の努力をするが,王子は見えぬ手に よって連れ去られてしまい,人lNIの力では開くことのできぬ鉄の扉の向こうで息を
引き取る,-というものである.
「新作能試iiii所感」によれば,この戯曲が1912年(明治45)4月,左団次一座の 目[!]劇場第六Inl公減で上減され(演出・小111内薫.於・帝劇),これを見た虚子が
「ああいふ風の劇は芝居に翻訳するよりも,能に翻案した方が比較的成功はしやし ないだらうかと者へたことがあった.それを取敢へず綴って見た」という.そして 一年半余,新作の想を練り.機が熟し,1915年の操れ,突然創作意欲が湧き,わず か二時間半程で書き」こげ,翌日実兄の池内信斑に机談し、数[1のうちに節付けや嘩 子の手配りや型付も決め,翌1916年l1l61二|,素人・玄人混じって虚子の鎌倉能楽 堂で試演されたのであった.その時の模様を報道した「国民新liIl」大H25年1月8
日の記珈があるので,まずそれを示すことにしよう.
謡初式の多き!']に,六日鎌倉能楽堂に行はれし謡初会は大いに振ったもので あった.先づ予定正式の番組としては,鍵老,}11村,百万,鞍馬天狗,善知鳥,
熊坂,葛城,[l然居三t,放下僧,雌屯等1.番の雌子が定巡の男女会員に於て行 はれし後,余興として/i:の乱能が二番あった(略.i)W野'1;・シテ吉見辮樹《楕
経》とシテ三須ii1i志《」二蜘》).更に振ったのは高浜臓子新作の能の装束附で減 ぜられたことで,是れはまだ[''1名も走って居らぬ未定稿であるが,一人の柵が善光寺へ参り所の者の案内を頼んで暗穴道へ入ると,夢幻の如く老人と姫の亡 霊が顕れる.此の老人は一千年の件,銀inlの城の門衛にて,城の主たI)し姫を
守護せし者なるが,綾の鼓の甘の忠ひ山などの文句もありて恋も交りしもの、如く,熱心に此の姫を愛護せしに,死の杣に誘はれて姫は此の111:を去り,やら じ返せと焦れる老人の征も其効なく,死といふ鉄門に鎖されて遂に如{Iリとも詮
233(16)
万なしといふ普語をllPi大道の亡縦に語らす趣'111なるが,死の神に無言の狂言方 を使って姫を誘ひ去らすと,姫を迫って鉄'''1に遮られ入ること能はざる模様を
「カケリ」で見するが此の能の111で,未成1V,ながら-.Ni風変I〕のiii白味があっ
て,新作能としては''1色のものであった.テキストおよび関連記11$は.「能楽』大正5イド2月号に「商浜虚子氏の新作能 タンタジールのダピの翻案j[」]鎌倉舞台で試iij〔さる」,「新''11の本文(未定稿)」,「新 作能の実演形式」(無署名)が救っており,なお同号には先に引いた虚子「新作能 試iii(所感」も褐ilkしている.ほかに『ホトトギス』大正5年3月号(「机上観能」,
のち自著「朝の庭」大正13イ|畠,111央公論社,収録),池内信斑著「能楽盛衰記」下 巻に収められているが,現在のところ,田中允編『未刊謡111集」統九(1992.古典 文Ijl()が能楽本(活字本・初演)と楽堂本(金森流節付本・再演.|Hl11はこれを」二 減定本とする)と改作1111〈藩光寺論》(観世流節付)の三種を収め,詳しい解題も
あって参考になる.
場面は善光寺(の暗火遁),登j;脇人物は,銀iI1の城に住む姫・白露と,姫を守護 する忠僕の老人・衛門の翁,所の肴,死の神将(悪尼).糠光寺に詣でた旅の{Wが,
暗穴道で,漆黒の闇に美しき女性とl当|髪の翁の姿を目にし(いづれも幽霊),翁か ら不思議な物語を聞く.翁は姫を護っていたが,ある夜,’11fって居るうちに死の神 (悠尼)が城に忍びこんで,姫を迎オし去り,l1XI)から覚めた翁は狼狽し,灯をかか げて追いかけるが,行く手には死の鉄i1IIが|洲ざされていて,押せどⅡ'1けど開かず,
幽Iリ1境を異にした翁が1Wに救い求めて消える,という内容である.
当[|の舞台の演技・iijiIⅡおよび配役は,「新作能の実演形式」によると次のよう
であった(振り仮名は省略する)。
先づ装〕kの事からいふと,IMIは普通の洲流し僧で,シテは尉姿,姫は大[二1に 唐織坪折,狂言はiiiの「iリTの1iiJは長上下.後に出る死神(悪尼)は鳶の、に
花帽子,熨斗目水衣トいふ扮装であった.ワキの拓乗道行粉セリフすみて狂言をl1vll」し,11問大道の案内を頼む,宮巡と いふ風に立ってると地の間にツレを先にシテが出て,ツレは正光に,シテは常 座に立つ,紐言は吃筋して恐ろしや恐ろしやト幕へ走り込む.
シテとツレとの謡があり,クリ地にシテもツレもlざに居,クセは届グセ.夜
新作能の11iイド(2)(17)232
史け人静まりからズツト位が替って,弦で狂言の死神が来る,匙は全く無言で
ある.獣足でIMiiを歩き,姫を追立て、共に幕に入る,翁は灯火おつ取りかざし トシテは後見から松明を取り,趣に将種なカケリがある.諜知烏のカケリに似 たやうなものである.望絶えて平臥するなどあって,切はワキヘ合掌して留め るといふ筋道であった.其役々を挙げると,シテ三須ii1i志氏,ツレ吉見溌樹氏,ワキは作者高浜虚子 氏,狂言は前後共に小'11111桁太郎氏,大小鼓は山崎楽11t氏と本Ill夫人,地謡は
池内如翠氏一人であった.聯子方と地謡とは勿卒の間に節も手もつけたばかり だから各本を1%Iいて前に置いて勝たのがiiii白かった.右の配役に少し注釈を加えれば,シテの三須清志は幸流小鼓方,ツレの吉見嘉樹 は葛野流大鼓方,ワキの高浜虚子はシテカ金券流ならびにワキガ下宝生流を11片み,
1111狂言の小早111精太郎は和泉流狂言方,大鼓の山崎楽堂は能楽評論・研究家で葛野 流の大鼓をI嗜み,小鼓の本111夫人とは男IiiL本H1親濟夫人伊万子.伯飼坊城家の出身
で,シテカ宝生流の松本長の門下,幸流小鼓ほかlLl拍子の心得あり,俳イiJは鵬子の liV,俳号・あふひ(葵).地謡の池内如翠はいうまでもなく虚子の実兄,喜多流を11片むんだ能楽人.まさに素人・玄人の混減であった(なお「実iiii形式」には笛につ
いて触れていないが,imiが111ないはずはなく,|ロ中允の頂話に拠ると大島元三郎が 勤めたという).『国民新ljtl」の記!;が指摘するように,〈鉄門》は「死といふ鉄門に鎖されて遂に jlll何とも詮方なしといふ甘藷を暗穴道の亡霊に語らす趣向」で,象徴的な能の手法
を駆使しており,「死の神に無言の狂言方を使って姫を誘ひ去らす」など間狂言の 活1Nもうまく,「姫を追って鉄l1ilに遮られ入ること能はざる模様を「カケリ」で兇 するが此の能の111」場というように離子や減技にも工夫が凝らされ,全体に主題は 斬新に,形式は従来の形に準拠しつつ,榊成の引き締まった夢幻能の形式にまとめ 上げて脚色・翻案した手腕はなかなかのものである.よく芸術家の作品は,その処女作にすでに将来の作風や特色が感得できるという
が,この《鉄門》にもそれが言えるように思われる.このあと虚子は,NqO41《実 朝》(1920年1)恥NoO91《時宗》(1940年111肌Null2(義経》(1942年4)]),
Nnl23《奥の細道》(1943年10月)などを新作するがそこに共述する作風が児ら
231(18)
れるのである.それは能楽評論家の大河内俊】H|【が指摘するところだが,虚子の新作 能の作風と特徴は,①淡々としたIIJに余韻掬すべきものがある,②lill狂言の積極的 な活用,③消極的ワキの扱い,の三点に要約できるという(消崎敏郎・川崎展宏
「虚子物語」有斐閣,1979).翻って処女作〈鉄'''1》を見る時,これらはすでに示さ れていることに気付くのである.
そしてこれらは,虚子の能楽観・新作能観と通底するものであろう.虚子は先述 の「新作能所感」で次のように述べている.
し従来多少新作といふやうなものもあったけれども,それ等は大方能を知らぬ文 士の手になったものであって,能楽としては全然MII題にするに足らぬ程度のも のであった.頗る不遜な言ではあるが,坪内博」二の所訓舞謡劇なるものが,単 に文学者としての博士によってなされたことを,いつも残念に忠ふのである.
これは是非とも博士|÷1身が踊も踊I),浄瑠璃も語り.三味線も弾き.万事自分 でやられねば出来るものではないと考へるのである.(略)能の知識の欠けた ものが,いくら文字を轍列したところで.それは能楽になる気避はない.
(略)
し(略)能楽の如きものは決して墨一色の版画ではなくって宵楽や型やが伴って ゐる彩色miiのやうなものであるからして。文章は比較的多くの意味を迎ぶ蝋色 のやうなものであるにしたところで,赤や背の色に当る節付けとか型とかいふ ものに,部分々々の意味を譲って,寧ろ文意だけ見たらば不完全に見える位の もの,即ち彩色画の一色である墨位の程度のものでないと,余り総ての意味を 文章だけで運び過ぎて,見るものをして冗漫の感を起さしめるのである.此心 懸が何よりも大事なことである.能楽に無知識である文学者の作ったものが.
論ずるに足らないのも主な原1Mはこ、にある.失礼ながら坪内it#三1二の舞謡劇も 其の弊はこ、にあると思ふ.ullち文章が十分の意味を運び過ぎて舞や型を殺し て仕舞ふ所にある.反言すれば作者の頭に文章のみがあって舞や,節付けが無 いのに原|AIする.更に言葉をかへて言へば,作者の感情を文章のみによりて運 ぶことを知って,鋒や型によって迎ぶことを忘れてゐるのである.赤や青の色 が別の版木にあることを忘れて,蝋一色でそれを雄り消して仕舞ふ所にある.
まさに正論であろう.新作能10()年の流れを概観する時,真っ先に感ずるのは,
新作能のIUiイド(2)(19)230 いかに11Z|嚢に泥んだ,冗漫冗長な作iY1が多いことか,ということであるがこの主 要な理由は.虚子が言うように文章のみで運ぼうとするからである.
なお」二記の「新作能試演所感」は虚子が大正5flZlI130H~2)14日付「来〕j(Ⅱ 日新聞」に「新作能試iii〔所感」として発表したものを再褐したもので,このl]の出 来栄えを「第一.試演としては相当の効果を収め得た」と感得し,「幾多の改良すべ き点を見}})したので,私は遠からずそれに着手して三月十九|]の鎌倉能楽蛾に於け る春季'''1能の節に,第二の試演を試むる積りである」と記している.
この言蕊jmI〕.少し改訂の手が力Ⅱえられ三月にiI1Riiiされた.111111允編『未刊謡1111 集』続九(1992.古典文111〔)に楽厳木として収められているのがそれで,lllIl1は上 演定本としている.さらに1941年,iiMllI:流の節付けに改めた改作・改題《善)16寺 詣》が生まれたが,様式的に整った(善光寺詣〉よI)も,粗削りながら,初演本と それを改訂した再演本の《鉄門》のほうが着想が斬新で,新作能として魅力的な作 品であると思う.資料として、初減水と再演本のテキストを比收対照して示したの で,それを参照していただきたい.新作能100年の流れのなかでも,象徴劇の新し い方向を示した意欲作であったと評111iしたい.しかし,時代が'71すぎたか,_'二iijiを 重ねることもなく忘れられてしまったのは惜しまれる.
その後.新作能はいくつもllHまれたが大正時代に作られた新作能の中で上iij(へ の興味を1世える芸術的な作,砧はほとんどない.わずかに『謡Ⅱ'1新報」11926年(大J1ミ
ア'」fiy
l5)4月号に掲載された平尾賛之輔作051《有王》があげられる.作者については 未調査であるが,これは俊寛僧都の従者・有王が鬼界烏に俊寛をliijjね.姫の手紙を
-F洋ノレッズ
見せ,昔iWiI)を聞くという作品である.1蒐絶曲《文{iV都》に通う所もあI〕,iiIiリに 鹿ガ谷での服頼の猿楽わざを織り込み,夕陽をうけてiIlIの鴎が翼を休める姿に,迎 えの船の影を幻視し,i[乱する結びの場面など,」:iii〔への意欲を沸かせるが,恐ら く未上演のまま終わったものであろう.かくして《鉄門》に続く芸術的な作,Tlのi誕 生は,戦後,1945年以降を待たなければならなかったのである.
(2)《鷹の泉》とその改作《鷹姫》
それは,iiilt後の能楽研究を開拓し,11本の楽劇研究を推進した能楽研究家の横道 萬里雄(1916-)が創作したNql30《臘の泉》(1949年初演)と,その改作llllNn214
《鷹姫》(1967年初演)である.横道は能の演出技法に通暁した研究打として著招で
あるが,この二つの新作能は,ご承知のように,アイルランドの詩人で劇作家Wil‐
liamButlerYeats(1865-1939)が能の彩騨を受けて創作した舞踏詩劇の一つ《鷹
の)|:にて》(1916年ロンドンで初iii)に触発され,逆輸入して,翻案した新作能で
ある.
時代をアイルランドの英雄時代としたイエーツのこの灘lIii詩劇は,比較的171<に 日本に紹介されていた.先駆的な仕事を準げると,たとえば,1923年(大正14年)
12)]に,第一11『房から刊行された野口米次郎ブックレット第1L1編『能楽の鑑批」に
「イエーツと能」の記11があり,雄文閣ライブラリー3として1932年(昭和7)2
月に刊行されたW・B・イエーツ着,奨瀞才助訳「日本の能楽」もその好例であろう.後者はHiHi只一「イエーツの文芸とⅡ本の能楽」と長瀞才助訳「日本の能楽」
を収め「鷹の泉」の題名で全文が翻訳されている.イエーツは言う.「アーネス ト・フエノロサによって紹介されエズラ・バウンドによって完訳された日本の能楽 の示唆によって,卓抜な,IMI接的な,象徴的な,その渡lIlに際して群衆を必要とし てないが故にBi族的な,一つの新しい劇形式を創り11)した」と.戦後では,南江次
郎署「能の腰I)M」(1954年,槍111:1,1i)は興味深い写真を多く褐戦し「臆の井戸」の 題名で翻訳も収めている.南江は「イェイツが能楽からlllf承されたものは,その単
なる形式のみばかりでなく,[1本の能楽の有するT1i朴幽艶な,そのInj貴な暗示的芸術への真髄に対する激しい憧恢と礼讃に雄づくものに外ならない.然かもこの幟`際
と礼諭は,彼等の性情,思想,此の他のあらゆる点に於ける一致に深く根ざしてい るものである」と述べる.参考までに11両による「鰯の泉」の梗概(15~16ペー ジ)を記しておこう.背,かはき果てたiiiも不老不死の泉と言はれてゐる鴫の泉の傍に一人の老翁が,
此れに水の満ちて来るのを八'一年も待ってゐた,其処へ一人の11『年が又共の老 人と同じやうに其不老不死の泉を憧がれて,遥に海を渡ってやって来た,老人 と青年とは其の泉に就いて色々と謡I)合ふ,老人は自分が其の11j年のやうに若 かった時に,船に乗って例の不老不死の泉に価れて来たが,其泉は乾いてゐた,
それで其泉に水の満ちて来るのを空しく待つ'111に年を老つた.踊り手に欺れて,
I反り渡の妙に落ちた,さめると,石の濡れてゐたのに聴いた,など、語って聞
かせると青年は其のやうなことは'二1分はさせないと強がりをいふ.と其処へ鷹
の声,鰯の'1Kをした乙女が11'て来る,其れは其処の山llXを俳緬して,そ、のか駈作能の12i年(2)(21)228 したり,迷はした}〕,亡ぼした})す魔女であった,其魔女は楽の音に伴れて踊 りI]』す,二人は夢心地になる,醒めると矢張I)以iiiのやうに石も落葉もぬれて,
水のわいた跡がある許りで,飲む水とては一滴もないのであった.
さて《鷹の泉》の内容は,絶海の孤島に不死の泉の水を求めて朽ち果てた老人の 怨霊と,同じく水を求めてやって来た波斯国の王子空賦麟と,泉を守る鷹の物語で ある.騨多流の家元喜多実(1900-1986)の作IMIによる翻案能として,1949年(11【(
ギ1124)10月,「能楽兄弟座」公iijiで試滅されたが(於・染)|:能楽堂),段構成・小段 櫛進・文体・修辞などに古典の能の様式を踏まえていた.
メLlMIlリ1編「能楽鑑賞事典』(1961.河111書房)の《腿の泉》の項月が,その初減の 舞台の記録と思われるので,左にリIilIする.
名ノリ笛でワキ皇子空賦麟登場し,名ノリを云い.道行があって,西の采の 孤島に蒜〈.呼掛でシテ為守ノ老人橋懸にⅡ),ワキはそれに詞をかけ,不死の 縦泉のありかを尋ねて''1]稗となる.シテはワキをその鴫の泉に案内し,泉につ いての昔の若い旅人の物iWiをし,われこそその溌泉に執心して職のlい、を受け た若者の化身であると身をlリIかして,ワキを残し,夜空に星の輝く山中に姿を 消す態に下り端の離子で''1入I)する.
下り端の離子が引続き奏せられるうちに,ツレ脳ノ乙女が出,地とカケ合の うちに,この曲独特の鵬ノ鎌を舞って地のうちに幕に入る.
次いで後シテ泉ノ幽鬼がiiE内で謡い出し。幕を11]て,地の間に舞台に入り,
立廻を見せ,呪いの糸に縛られた甘の若い旅人の百年後の姿であることを云い,
鰯の泉に執心する苦悩を111ドい示す.やがて後シテは,風が1次き去るように|Mの 夜空に消え,ワキの皇子は月影の照る長夜に眼を党し,頼むはただ衆生のみと いう悟を得た態に終る.
この作品を銭仙会の観世寿夫の要請により.能の類型にこだわらず,能の諸要素 を生かす方向で,まったく新しくiiI$き換えられて誕生したのが《鷹姫》である.作 1111と主iUiが観世寿夫,減l]」が野村万之丞(現・葛)で,初波は,1967年(昭和41)
12月銑イlIl会特別公演であった.兼打は大学4年生であったが,|)|j減時に全観客が息 を殺して舞台を注視したこのHのことは忘れがたい.
益場人物は,老人(実はその幽溌),空賦麟(波斯国の若い王子)。乙女(山のす だま騰姫),岩(一~五・岩そのもの,V|の梢ではない),ハヤシ方(笛,小鼓,大
鼓,太鼓),地謡(岩の役が退場後に地謡を兼ねてもよい).場面は,絶海の孤島.
榛の木立ちに包まれた鵬の泉のほとり.晩秋の夕枠れから深夜.榛の木立ちは作リ
モノで示す.
古典的な小段構造を離れた,緋11iリふうな文体も特色で,岩たちが地謡(コロス)
の役も演じるなど,音楽iiiiでも,i,〔lllmiでも,新風を吹き込んだ意欲作であった.
初演の台本は「新劇と(1968年111,[1水社)に「能臘姫(イエーツの詩劇「鷹の 丼」による)」として卜諜やハヤシの指刀《もI1rせて褐ilijiされている.さらに耐榊想,
詞章,作曲・作輝,扮装,作りモノ,!!((|リムの各項にわけて説明があり,これらを 総合する時,《鰯jilIi》の意|叉|がIi1われるとともに,これからの新作能の方ii1を考え
る上ではなはだ示唆に富むと思うので,以|、.にグ|用したい.構想
-,狂言「武悪」などのように,IiM<と後半を別個の様式でまとめた.
二,前半は既成の能の様式を総て,原作の手順ほぼそのままを追った。
三,後半は原作を離れ,能の|;1k式に従って構成し旧作「鴎の泉」の後半を借
用した.
111,臘姫の舞を前後の接点として,il11j肴を有機的に結びつけることとした.
7【,前半には地謡を11jいず,Ⅳ}」の役に地謡のはたらきを兼ねさせた.後半 には地謡を用いることとした.
詞章
一,前12は,韻文体を'''心としたが掛け高菜等の修辞は用いず,語イリの繰り返
しと対句を多くして.能の苑)Ii技法と内容との調和をはかった.二.後半は.能一般の様式に従ったiiil1ifとした.
作1111.作舞
一,能舞台・能楽器・能および派i「jrの発声・迎歩によることを条件とする.
二,前半は,右の条件の範llIIで,181111に作1111.作舞するものとし,既成の能の 様式を前提としないものとする.
三,後半は,能一般の様式に従うものとする.
四,台本に(歌)(I!})(''1)とlidしたのは作IHIの[l宏で。節の付いた(白)も,
新作能のiriイ|:(2)(23)226 旋律のない(歌)もあってさしつかえないものとする.
扮装
-,能の様式に従い,必奨な範囲で創意を』''えるものとするが,「岩」の役だ けは全く新しい様式によるものとする.
二,「老人」の役は面を)Ⅱい,前後で耐を変えるものとする.
三,「空賦麟」の役は,前半に半iiiを用いて後半でそれを取り去るか,始めか らiimiで減ずるものとする.
lILl・「乙女」の役は面を'1Iいるものとする.Mii姫に変身する所の処理は,旗,|,
者に任せる.
五,「岩」の役に地謡を兼ねさせる時は,そのため扮装に特別の考慮を力Ⅱえる ものとする.
作リモノ
ー,能の様式に従い,必要な範囲で創意を加えるものとする.
二,「'11」の作りモノで木立ちを示し,「老人」の役がその11,で扮装を変えるも のとする.
三,「泉」を作リモノで示すかどうかは旗111者に任せる.
照明
-,能楽堂の普皿の照明識IIlliを用いるときは’溶暗群Iリjの操作だけはiJ能なよ うにi没備を袖なうものとする.
二。色光は用いないものとする.
目頭を引いてみよう.
〔ハヤシ〕fmi・大鼓,1if秦.
岩一同〔謡〕いづみは古く洞れ来てて いづみは古くIMIれ来てて 榛の小林風寒
(地収)泉は古く掴れ来てて榛の小林風寒 岩一〔、〕見よ.あなたの磯べを
小さき帆舟の汀に着くぞや 岩二〔121〕まことに帆舟の汀に蒜くぞや
〔141〕見よ.章なき岩角を 若きりjの歩み来るぞや
〔141〕まことに若打の歩み来るぞや
〔'1|〕あはれまたもまたも 若き命のともし火消えなん
三〔白〕砦きいのちのともし火illjえなん
〔11即若きいのちの泉はilMれ 老いての後のかがまれる腰 ねぢけ果てけん腕眺めつつ 希望もやがてまぼろしと去らん 夢もかげるふと立ちilliえん
〔lll1〕あはれ若者
〔11N〕あはれ若者
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峨後は,岩一何〔謡〕が「いづみは古くiIlilれ果てていづみは古く洞れ来てて 静かなり榛の木杯」で終わる.この終わりの詞章は,この翻案作品の契機と なったイエーツの《鵬の泉にて》を横道に示唆し,太平洋Ii岬で南の海に没した能 楽研究家小林静雄(1909-1945)の綴への感謝の気持ちがこめられている.小林静 雄に捧げたオマージュである.
《縢姫》は「水」と「命」がテーマかも知れない.すべてに清新な感じを与えた.
ギリシャ劇のコロスに似た淵の役は創作仮miを用い,時に輪唱ふうに歌い,騨子が 斬新な手法を葵するなど,こオしまでの新作能に比べ。かなり前衛的であった.初公 演だけ地謡をIILたが,次|、lから岩が地謡を兼ねる形で演じられている.伝統的な 技法や様式を追求し,能のi件イI;力をリ|き出した作品としてi1.1iい評liiliを得ておI),周 知のように悲夫没後も若い'1t代の能役荷たちによって演じ継がれる.海外公演も含 め,岡内外で30回以」さの上iii(を繭ねてお|),新作能のなかでは最も多い.
なお,テキストはiii述した「新劇」(1968年1)L白水社)のほか,増'11正造・
小林jlr・羽lIl昶編「能本説と展開」(1977,桜楓社)には高橋康也訳《畷の井戸》
(「現代世界iii〔劇』による)と《鷹の泉》と《臓姫》が収戦されており,1}|中允綱
「未刊謡1111染」続八(1991,11「典文jli)には《鷹の泉》と《臓姫》を収める.なお 2004イド10)]に横道が作成した「臘姫」の謡本は,詞章は第二i橘に,1111節は1970年公
新作能のI'i年(2)(25)224 旗(二|、l公演)によっており,これを定本とすべきであろう.同本には上演資料と
して1967年12月19.22日の第一Iiil公演から2004年7月25日までの上iiji記録も収め,
(臓姫》の上演史を知ることができる.
(3)《雪女》
次に.Nn222の室'''三柳作《野女》(1985年初演)を取り上げる.取り上げた理 山は,《鷹姫》と比較すると,Tl「典的な作劇法でi1fかれているが,芸術的,かつ詩 情蝋かな作品で,;|き締まった構成と平明な文体は,新作能の佳作と評Iilliしてよい と思うからである.謡本も作成され,活字本では田中允編『未刊謡曲集』続十六 (古典文ルビ,1995)に収められている.
作者の室山三柳(本名・源三郎.1926-)は,古川柳の研究家であるが,能や謡 の愛好家でもある.1968年冬,観世流の能楽師梅'11邦久(1931-.名古屋在住)か ら作詞の依頼を受けて創作した.その時,櫛、が示した作詞上の希望は,次の8点 に要約される.
題名は「雪女」
雪にIILIする茄謡を収I〕入れる
謡曲を知らない人が聴いてもわかる詞章(できれば口語で11;いてほしい)
宗教色のないこと
節付けで工夫するので字のイリ数は不揃いでもかまわない 能の限界からはみ出さないこと
舞は現在行われているものを参考にして新しいものにしたい 旗出者をおき,新作能としての味を出したい.
11111111 12345678
というものであった.
私は,テーマによっては宗教色があっても構わないと思うが,あまりに宗教色が 前面に出てくる作品も抵抗がある.しかしそのほかの希望は,いずれも首尚される もので,3)などは新作能がとかく文章に力を入れ過ぎるため,難解・冗没になる 傾向のあることへの戒めとして心したい点である.虚子の言うように,淡技や音楽 やiijI出に委ねる部分があってこそ能なのであ}〕,何でも文章一色で説明し描写しよ うとすると,冗漫になってしまう.峯111は,この希望を満たすべく努力し,梅mも
作曲と演出を工夫してi漣化したのが《雪女》であった.能の限界から逸脱しないよ うにという希望は,新作能がともすれば奇を街い,照lリ]や衣装に凝り過ぎたりして,
しばしば能の限界を逸脱しかねないからであろう.番外謡曲研究家で幸流小鼓方で もあり,新作能にも一家言を持ち,目身いくつか新作能も書いている1Ⅱ11]允が「新 能楽」と読んでいる現今の能楽逸脱llllは,ことに岐近の新作能?に顕著なのである が,どこまでが能か,を考えることこそ,能とは何か.能の本質とは何かを考える ことにつながるはずである.
さて《雪女》の内容は,近江,比良111の麓で大吹雪に見舞われた都の肴(ワキ)
が,里の女(前シテ)に庵に案内され,女から昔話を聞く.それは,ある吹雪の日 に倒れ伏し,我が身にかえて我が子の命を守った雪女の物語であった(前場).里 の男(アイ)から雪女の物語をiIiぴ聞き,その夜,雪女の精(後シテ)が現れて,
白銀の世界に回雪の灘を舞う,というものである.
素材は,特になく,作者の創作であるが,背景に,ラフカデオ・ハーン(小泉八 雲)の小説「雪女」で名高い「雪女」伝説に拠っているようでもある.しかし,峯 111は,よりl:11ilに脚色し菰謡の「ふれふれ小雪,たんばの小雪」を巧みに生かし,
雪女の恩愛の心を,詩Wi豊かに,美しく,かつ清らかに描き,成功している.
構成は,iii場と後場から成る複式夢幻能で,きわめて尋常な作Ahになっているが.
jfii謡を生かした音楽面と舞の創懲工夫などに,作詞を依頼した梅'11邦久の本1111に対 する制作意図が見えてくる.詞章も平Iリ]で宗教色もなく,童謡を入れた点も親しみ やすい.たとえば,吹雪に行き藤れた都人を我が)ilfに案内する場iliiは,
ワキヵヵルヒさらば参らん御宿}〕と.夕べの山の木の間より,シテイピと見 るまで降る鋤の,ワキ風を逐うて返らざるは,シテ鶴の羽の群れ,ワキ飛 べるがjIllし,
上歌地空寒み、花にまがへて散る雪を.花にまがへて散る雪を.雲冷やか に.風これを舞はすとや.たどる111路や細道の.はつかに,見えし月影の.袖 にかかるも艶にして.谷間に「る道の空.人あと絶えてよるべなし.人あと絶
えてよるべなし.
と,《葛城》を想起させるが.より軽やかで美しい.また[クセ]の後半,シテの
新作能の百イド(2)(27)222 アゲハからあとは童謡が効采的にリ|かれている.
ケガ プランバ
シテ」二またここに.機れぬ色をともにする、地Ziiどものよろこびは.外の
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ilIiに,11{でて'二111Nき,降り来る野を受けんとて.走り,めぐるに犬もつき.こ こやかしこに楽しめる.雪もよに.雪、賎ばしや雪だるま,雪打ち.雪兎の雪遊
クワノ.  ̄す!『rフク &
ぴ・遊び戯るその謡(よ.ふれふれこゆき.たまれこゆき.垣や木のまたに.ふ
のSIIな
れふれこゆき.たんばのこゆき.雪花散るイピ空(二・虫が湧く.扇腰にさいて,
郷はん・
後場では,H白く雪[|く,ii'i浄たる||上界に灘遊ぶ雪女の姿を美しく描写し,メルヘ ンのような幻想的なIlt界がひろがる.まことに佳作と評価したい新作能で,1985イド (昭和60)に梅1m邦久が能として初iii『し,以後.数度上演されている.
しかし,初菰当時は,今l]と違って,家元クラスでない人間が新作能を(1):くこと 自体#1【られ,このHllも知られたら破ljijされるかもしれないと,覚悟を決めて.ごく ごく秘密襖に進めたようである.今'1は,イ11でもありの,111でも許される,やや安 易な時代であるが,むしろ決死の覚慨というか,いい意味での緊張感のあるほうが,
よい作品を生むのではないかと思う.
(4)《永訣の朝》
最後に,NO262青木道喜作詞・作'''1《永訣の朝》に注目したい.謡本も作成され たが,活字では田「11允綱「未刊謡1111集』綴二十一(i1i典文Al(,1997)に収められて
いる.
大I[・IIBギ'1初期の詩人で茄祇作家の宮沢Iilf拾(1896-1933)は,|と1分に先立って 25才で病死した妹のとし子を悼み,「永訣の朝」「松の針」「無声働突」の三篇の詩 を書いた.妹を失った賢治の悲しみや,働笑が読む者をして心を打つが,宮沢賢治 生誕百年を記念する新作能の創作を依頼されたシテヵ観世流の青木近喜(1950-.
京都在住)は,創作にあたり,この三禰の詩に着目した.この着眼がいい.
そして,それらを『11心素材とし,賢治のほかの文学作品の'1上界を行環に,賢治の
アケガヶスハヤ