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竹﨑 一真

戦後日本における男性身体観の形成と揺らぎ:

男性美(ボディビル)文化の形成過程に着目して

筑波大学大学院人間総合科学研究科 〒 305-8574 茨城県つくば市天王台 1-1-1 連絡先 竹﨑一真

Graduate School of Comprehensive Human Sciences, University of Tsukuba

1-1-1 Tennodai, Tsukuba, Ibaraki 305-8574 Corresponding author so064089@yahoo.co.jp

Abstract: In postwar Japan, the United States (US) could be viewed as Japan’s “significant other.” The US had a considerable cultural impact on Japan and was responsible for alterations in postwar Japanese identity. Of particu-lar importance was the influence of the US on the popuparticu-lar view of body form. The postwar restructuring of Japan’s national identity included the adoption of new views of the body as a result of US influence. This study investi-gated the culture of male beauty/body (bodybuilding) that emerged in Japan during the postwar period of occupa-tion, and revealed how “male beauty” consciousness was generated in relation to nationalism by focusing on (1) the social context in which “male beauty/body culture” emerged and (2) the changes in conceptions of masculinity and body consciousness. This analysis yielded the following results:

(1) Bodybuilding emerged in the social context of the occupation/reconstruction period and from a masculine crisis of male feminization in Japan. It was developed by the Japan Bodybuilding Association (JBA) as part of a movement to create “new Japanese men”.

(2) However, bodybuilding was criticized as being feminine, linked to homosexuality, and leading to a useless “Hercules-type” body.

(3) In response to this criticism, the JBA shifted its aim from the acquisition of a burly, Herculean build to one of a healthy and functional (“Hermes-type”) body that represented harmony between the body and the spirit. The aim of this shift was to gain legitimacy for bodybuilding as a masculine act.

In addition to these aims in trying to help create “new Japanese men”, the JBA also intended to legitimize male bodybuilding culture within a national context, seeking to popularize and expand its activity by criticizing the American “Hercules-type” body while promoting the “Hermes-type” body preferred in Japan. In this way, discourse concerning the legitimacy of male beauty/body (bodybuilding) culture developed in conjunction with nationalism, and created an important forum for consideration of the ideal Japanese male body form.

Key words: masculinity, gender, nationalism

キーワード:男性性,ジェンダー,ナショナリズム

Kazuma Takezaki : Construction and fluctuating views of the male body: Focusing on formation processes of the “male beauty/body (bodybuilding) culture”. Japan J. Phys. Educ. Hlth. Sport Sci.

Ⅰ 問題の所在 本稿の目的は,1950 年半ばという時期にアメ リカの影響で出現した男性美(ボディビル)文化 に着目し,それがどのような社会的文脈の中で出 現したのか,そして戦後日本人男性たちの男性性 と身体観にどのような揺らぎを生じさせたのかを 分析することである. 敗戦後の日本において,アメリカは重要な他者 であった.占領政策を展開するアメリカは,ライ フスタイルやファッション,映画,音楽,スポー ツといった文化的な次元においても大きなインパ クトを与え,戦後日本人のアイデンティティに

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大きな揺らぎをもたらしてきた(吉見,2007). その中でもとりわけ重要な意味を持っていたの が,アメリカの影響を受けて出現した新しい「身 体」である.例えば,敗戦直後に出現したパン パンやオンリーの身体は戦時イデオロギーから の解放と新たな支配者の出現を象徴し(五十嵐, 2007),映画に映し出された女優の身体,あるい は力道山を中心とするプロレスラーの身体はアメ リカニズムでありつつも日本的なものとして意味 づけ直されてきた(北村,2017;寺沢,2016;朴, 2016).このように戦後の日本人はアメリカとの 関わりの中から新しい身体を発見することで,自 身の日本人としてのアイデンティティ(ナショナ ル・アイデンティティ)を再構築してきたのであ る.本稿が対象とする男性美(ボディビル)はま さに戦後に登場した新しい身体であった.そして それは,当時の男性たちにとって自身の身体を個 人的な欲望の対象としてまなざす初めての経験で もあった.では,その経験は彼らにどのような意 味をもたらしたのだろうか. 本稿ではこれまで先行研究でなされてきた身体 とナショナル・アイデンティティの文脈にさらに ジェンダー(とりわけ男性性)の視点を交え,男 性美(ボディビル)文化が戦後復興期に出現した 意味とその影響について論じていく.なぜ戦後の 復興と男性性の再構築を同時に議論するのか.そ れはナショナリズムを発露する主体(国民主体) が,おおよその場合「男性」であるとみなされて きたことに起因する.すなわち,男性性とナショ ナリズムは一体的な関係にあるのであり(モッセ, 2005),戦後の復興は男性たちによるナショナル・ アイデンティティの再構築の問題として捉えられ てきたのである(天野,2006;吉見,2007). こうした関係を鑑みれば,戦後復興期における 男性性に関する体育・スポーツ研究分野による貢 献は重要であると考えられる.というのも,近代 社会の到来以降,体育・スポーツが理想的な男性 性を構築する手段として重要視されてきたから だ.それゆえに,先行研究でも戦後日本の男性性 の復権をスポーツを対象として論じる研究がなさ れている(内田,2012;山口=内田,2015).し かしながら,こうした研究はほとんど蓄積されて いないことに加えて,男性性概念にとって重要な 「身体」にアプローチした研究,すなわち戦後復 興期という時代的・社会的文脈における身体と男 性性の関係に迫った研究はいまだ蓄積されていな い. 身体の社会学を打ち立てたターナーは,「身 体」は社会的構成概念であり,社会的な権力関係 を象徴するものであると捉えている(ターナー, 1999).そしてジェンダー研究者のコンネルは, そうした「身体の政治性にはジェンダーの次元が ある」(コンネル,1993,p.144)と述べ,男性の 覇権性や従属性,周縁性といった男性性の権力関 係は,肌の色や筋肉の形状および張力,容姿,行 動様式,あるいはセックスが可能であるかなどの 身体のあり方に大きく関わっていることを指摘し ている(Connell, 2005, p.53).つまり,男性がい かなる身体を欲望する(あるいは蔑視する)のか 自体が,男性性の権力関係と相関しているのであ る.そして,とりわけ覇権的とされる男性身体は ナショナリズムと手を結ぶ.ナショナリズム研究 者のアンダーソンに従って国家という共同体をメ ディアを通して人々の心の中に想像されたイメー ジであると捉えるならば(アンダーソン,2007), ある男性身体が理想的な男性イメージとしてナシ ョナルな言説とともに人々に共有されることで, それを軸としたナショナリズムが展開することに なる注 1) 本稿はこうした認識を基に議論を行うが,その ために本稿で援用するのがモッセの「男のイメー ジ」論(モッセ,2005)である.モッセは著書『男 のイメージ』において,近代社会の到来以降,理 想の男性性,とりわけ逞しさを理想とする男性身 体イメージの共有が「国家的独立性,市民的価値 観,戦争といった観念を形成するのに,決定的な 役割を果たして」(p.8)いると主張する.なぜなら, 近代社会とは「社会的・政治的運動は視覚的なイ メージを通じて,広く理解を得なければならな」 (p.13)い,「視覚中心化の時代」(p.11)であるか らだ.そのような時代において力強いナショナリ ズムを志向するには,力強い男性身体が理想化さ

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れ,共有される必要がある.こうした視点からモ ッセは,ドイツの青年たちによる身体運動(スポ ーツや体操など)を通じた逞しい身体と精神の獲 得が,ドイツのナショナリズム構築に大きな影響 をもたらしていくことを明らかにしたのである. このように身体を軸とした男性性とナショナリ ズムの関係を問うという問題意識は本稿とも共通 する.だがモッセの研究のより重要な点は,身体 を軸とした男性性がいかに社会の中で覇権的な位 置を獲得するのかを分析する視点にある.つまり, 近代の産物である「逞しい身体」がいかなる文脈 の中で理想化されていくのか,にモッセは重きを 置いているのである.モッセは,そのような視点 を用いることによって,男性性が個人的なアイデ ンティティに留まるものではなく,ナショナリズ ムを中心としつつ,政治イデオロギー,階級,人 種,セクシュアリティなどの他の社会変数の文脈 をも伴って構築されることを示したのである. 本稿ではこのモッセの視座を下敷きとしなが ら,男性美(ボディビル)文化がいったいどのよ うな社会的文脈の中から出現し(II),男性たち の男性性や身体観にどのような揺らぎをもたら し,そしてそれがボディビルそれ自体にもどのよ うな揺らぎをもたらしながら新たな男性身体の理 想を形作っていったのか(III)を,1950 年代後 半を中心とする雑誌記事や新聞記事,当時のこと を知る元日本ボディビル・フィットネス連盟名誉 会長・玉利斎氏へのインタビューを資料としなが ら論じていく注 2).本稿の意義は,これらの問い を論ずることで,これまでなされてこなかった日 本のボディビルの社会文化史研究の蓄積を行うと 同時に,戦後の男性身体に対する意識がいかにナ ショナリズムと絡み合いながら生成されているの かを捉えることにある. Ⅱ 男性美時代ひらく 1. アメリカ兵との出会いと肉体コンプレックス 1945 年 8 月 15 日の玉音放送,翌月 9 月 2 日の 降伏文書調印によって,日本は敗戦国・被占領国 となった.敗戦直後に国民が直面したのは,モノ の極度の欠乏と高まるインフレであった.国民は 食うや食わずの生活を強いられ,身体は痩せ衰え ていった.そうした状況下においてアメリカ進駐 軍兵たちは占領政策を展開し始める.このときの 多くの国民が彼らに抱いた印象は,戦時中の「鬼 畜米英」のイメージとは異なり,「紳士的」で,「立 派な体格」「高品質な物資の豊かさ」であった(天 野,2006,p.7).屈辱と背中合わせの羨望,そう した情動が占領下の日本を包み込み,戦後復興に 向けた歩みの指針となったのである. 戦後日本におけるボディビルはまさにこうした 情動の中で展開した.その当時の様子が,日本ボ ディビル連盟(旧日本ボディビル協会)が設立 50 年を記念して出版した記念誌の中で次のよう に書かれている. 昭和 20 年 8 月,日本はかつて迎えたことの ない敗戦にさらされた.明治維新以来一貫して 推進してきた “忠君愛国” のモラルも富国強兵 の国策も,一挙に崩壊し,日本人は一時期,完 全に虚脱状態に置かれた.精神的には腑抜けた 状態になったのである.当時の日本人の面前に 続々と乗り込んできたのは,占領軍のアメリカ 兵たちだった.彼らはとにかく明るく陽気でエ ネルギーに満ち,肉体はたくましかった.…彼 らと接触した多くの日本人たちは,わが身の貧 弱さに比べて筋肉隆々とした洗練された肉体美 に羨望のまなざしを向けるだけでなく,勝者と 敗者の関係も相まって劣等感を抱いたものであ った.しかし,一部の日本人は彼らに追いつき たい一心でアメリカ兵たちから身体作りとして ボディビルの手ほどきを受けた.その者たち を中心に知らぬ間にボディビルの愛好者が増 えていくのであった(日本ボディビル連盟編, 2015,p.10) 日本のボディビルは,アメリカ兵の肉体に魅 せられた男性たちによって草の根的に誕生した注 3).しかもそれは単なるアメリカナイゼーション ではなく,「勝者と敗者の関係も相まっ」た肉体 コンプレックスという極めてナショナルな問題を

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背景に持っていたのである. 2. ボディビル文化の萌芽―戦後復興期の男性の 病とその克服― ボディビルが全国的に知られるようになったの は 1955 年夏のことである.『男性美を創る―ボデ ィ・ビルディング―』という特別番組が,同年 7 月 22 日から全 4 回毎週金曜日の午後 1 時 5 分か ら約 30 分間,日本テレビにより放送されたこと がそのきっかけとなった注 4).この番組の企画に は,1954 年に日本初のボディビルクラブとして 創設された早稲田大学バーベルクラブ(以下「バ ーベルクラブ」と略す)主将の玉利斎,バーベル クラブコーチの平松俊男(早稲田大学レスリング 部 OB),日本初のボディビル大会優勝者注 5)の窪 田登(早稲田大学ウェイトリフティング部 OB), そしてプロレス雑誌『月刊ファイト』の出版会社 社長を務める田鶴浜弘(早稲田大学競走部 OB) が携わっていた. この番組企画において特に中心的な役割を担っ ていたのは田鶴浜である.田鶴浜はプロレス雑誌 編集者としての人脈を生かし,当時プロレス中継 で成功していた日本テレビの報道局長であった藤 岡端にボディビルの話を持ち込み,番組を立ち上 げ,そして番組のゲストとしてプロレスラーで元 ミスターワイキキのハロルド坂田の妻坂田千鶴子 (第 2 回放送)やプロボクサーの金子繁治(第 3 回放送),競走部時代の後輩で当時第 2 次鳩山一 郎内閣で厚生大臣を務めていた川崎秀二(最終回 放送)らをキャスティングした.田鶴浜らが企画 した番組内容は,半分ほどがボディビルの実演と 解説,残りの半分がゲストとの対談を通してボデ ィビルの社会的,文化的,そしてスポーツ科学的 重要性を語るというものであった.この番組は平 日の昼間という時間帯での放送であったが,視聴 者から 5000 通を超える質問書が届くなど大きな 反響を引き起こした. これ以降,多数のメディアがボディビルに注目 するようになる.例えば『週刊読売』では「男性 美時代ひらく」というタイトルを付し,全 10 ペ ージに渡ってボディビルを紹介している.そして 記事の中では「M + M の魅力?あなたもレスラ ーになれる」との見出しで,ボディビルブームの 到来が次のように評されていた. 最近の子供たちは,力道山の超人的な肉体と 怪力にあこがれている.この気持ちは子供だけ の夢ではない.だれもがひそかに思うに違いな い.ボディー・ビルディングの発生もそんな気 持ちからだ.プロ・レスが代表する “男性美” は,まさに現代のアコガレであろう(週刊読売, 1955,p.10) 1950 年代の日本ではプロレスが国民的娯楽と して人気を博していた.その中心人物であった力 道山は「空手チョップ」でアメリカ人を撃退する 国民的英雄であった.しかし,力道山の身体はそ うしたナショナリズムとしてだけでなく,「男性 美」という男らしさへの欲望を喚起する性的アイ コンとしても象徴化されていたのである.それを 示しているのが記事の見出しに書かれた「M + M」というフレーズであるが,これは過剰に男ら しさを発露する男性,「男性+男性」という意味で, この時代に頻繁に用いられた言葉である(「M 過 剰」とも呼ばれる).記事が「プロ・レスが代表 する “男性美” は,まさに現代のアコガレであろう」 と伝えているように,力道山の身体は M + M の 身体として欲望され,ボディビルはそうした身体 を獲得する手段として注目を浴びることとなった のである注 6) M + M の身体が欲望されるようになったこと にはプロレスの流行以外にも理由がある.それ は M + M と表裏一体となってこの時代に現れた 「M + W」という男性の病の存在である.「M + W」(「W 過剰」とも呼ばれる)とは「男性+女性」 のことで,男に女が混じったような男性,すなわ ち「女性化した男性」ということを意味している. この M + W が男性の病としていかに問題とされ ていたかは次のような雑誌記事からも明らかにな る. 「どこか男らしさが足りない性格だった」「ほ

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んのちょっとだけ普通人よりは女性的だっ た」.そのために物の見方,考え方,生き方, 人との交わり方,世渡りのし方,身体のきめ 方,家族の営み方などにどうも W が入りこん でくる.一人がどんなに長所利点を備えていて も,世の中というものは大勢の男子によって運 営されている.その中で W 的であると,長く 伸び伸びと長所利点を活かして行くことができ ない.…これが社会的,個人的,家族的に不幸 な結末へ持ち込んだ最大のものだと思うのです (益田,1956,p.50) この記事を寄稿したのは,経済評論家であり, 雑誌『主婦と生活』の編集長も務めていた益田金 六である.益田が「不幸な結末へと持ち込む」と まで言い切り,当時の男性たちに警鐘を鳴らそう としたのは,益田がトレーニングパンツをはいた 「逞しい女性」とチェック柄のシャツを着た「い かにもひ弱そうな男性」が一緒に歩いていること を目撃したとに起因していた(p.50).つまり益 田は,アメリカに対する劣等意識だけでなく,女 性と比べても弱体化しつつある日本人男性に危機 感を抱き,この記事を執筆したのである. 当時の日本人男性へのこうした危機感は,女性 の側からも投げかけられていた.雑誌『丸』の中 で女優の清川虹子が次のように述べている. 日本人の肉体は外国人などに比べると,やは り貧弱なのは,人種的に異なっていることだか ら仕方のないことですが,近頃ボディ・ビルと やら,体の筋肉を発達させて,男らしさの魅力 を増し,女の子を唸らせようなどというねらい は,やはり戦前では見られぬもので,たのもし いことです.何といっても男は,心身共に男ら しいのに限ります.従来肉体の魅力がどうも教 養のない人種や,その方面の職業に偏り,亦, 精神的に立派な男性が,蒼白きインテリなどと いうのでは,誠に天二物を与えずといって嘆い たものでありますが,この矛盾がなくなること は,若い女性たちのためにも悦びに耐えぬこと です.ばんざい.戦後の拾い物に,交叉点や踏 切りで,自動車が必ず停止安全を計るアメリカ の置土産がありますが,このボディ・ビルも, 頼もしき戦後ならではの,産物の一つといえま しょう.女の子の八頭身とこのボディ・ビルで 鍛えた男の子の組み合わせなんぞ,チョイとし たものでしょう.日本の男は引込み思案の習慣 を,この折に是正されるとよいと思います.こ れに比べたなら,W 型の男性なんぞは全く渋 面ものです.男性の児童的な魅力と,W 型男 子の内面的な性格とは同じようでも丸っきりの 違いです.女の風上にもおけぬ男と申しましょ う(清川,1955,pp.28-29) 日本人男性とアメリカ兵との対比がたびたび行 われ,覇権的な男性性がアメリカ人男性であり, 日本人男性はそれに従属するというジェンダー構 造の言説が現れたことは,これまでも指摘されて きた(例えば,成田 , 2002).しかし先行研究で は見落とされてきたが,当時の日本人男性たちの 中には M + W という周縁化された男性性も同時 に存在していたのである.もちろん,こうした男 性性はどの時代にも多かれ少なかれ常に存在して いるはずである.それにもかかわらず,この時期 に顕在化し問題化されたのは,引用からも読み取 れるように M + M の身体が発露し欲望されるよ うになったからにほかならない. しかし,なぜ M + W の克服に身体を通じた男 性性の獲得が必要とされたのだろうか.実は M + W とは,単に戦前・戦時中などの過去の日本 人男性やアメリカ兵との比較から「男らしくない」 ということを意味しているのではない.益田は「ひ 弱な男性」を危険視していたが,当時,現代の男 性病として問題視されていたのが「ノイローゼ」 である注 7).これに罹患した男性は精神面だけで なく,身体的にも弱体化するとされ,M + W に 陥る代表的な病とされたのである.それゆえに, ボディビルブームに火が付いたばかりの時には, 「ファイト 6 月号で『ボディビルディング』とい う運動のあることを知りました,私は体が貧弱な ため何か健全な運動(特に保健の意味から)を望 んで参りました」(月刊ファイト,1955b,p.53),

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「健全なる肉体には健全なる精神が宿るとか,ボ ディー・ビルディングで肉体をきたえれば,ノイ ローゼも治るでしょうか」といった声が寄せられ ることもしばしばであった. そして,こうした病を持つ男性たちの声に対し ては次のような応答がなされていた. 現在第一線で活躍しているボディー・ビルダ ーたちに聞いてみると,いろんな効果があるな かでも,とくに胃腸が丈夫になることと,性格 が明朗になることは請合いです,と口をそろえ ていう.「胃腸」と「ノイローゼ」が現代病の 最たるものとすれば,これがピタリと治るとあ っては,青白き現代人たちがボディー・ビルデ ィングを礼賛するのも当然すぎる話といえよう (同上) 男性たちがボディビルに注目したのは,力道山 のような M + M の身体への憧れであったと同時 に,それが男性の地位を貶めていたノイローゼと それに伴う胃弱体質という現代病を克服すること にも役立つのではないかと考えていたからであっ た注 8) このように男性美時代は,アメリカに対するコ ンプレックスというナショナルな問題と,戦後復 興期という特殊な時代に生きる男性たちの男性性 の問題が絡み合った中で到来し,男性たちの間に ボディビルブームを巻き起こしたのである. 3. 日本ボディビル協会の設立 そしてボディビルの市場は,東京を中心に拡大 していく.日本のボディビルジム第 1 号は,1955 年 10 月 4 日に渋谷宮益坂下に開設した日本ボデ ィビルセンターである.このジムには開設して 1 か月足らずの間に 1000 名近い入会希望者がおし かけ,ボディビルの反響を証明することとなっ た.そしてその熱狂ぶりはさらなる反響を呼ぶこ ととなる.下記の表と図は,日本ボディビルセン ターの開設から半年の間に都内に開設され,『月 刊ファイト』誌にその広告を掲載したボディビル ジムの一覧表とその分布図である注 9).確認でき るだけでも 19 施設あるが,広告未掲載のものも 含めると都内に 30 近い施設がこの時期に開設さ れている(日本ボディビル連盟編,2015,p.17). 図 1 ボディビルジム分布図(実線は当時の鉄道路線)

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表 1 ボディビルジム一覧 このように大きなブームを沸き起こしたボディ ビルであったが,しかしながら,それと同時に問 題も引き起こしていた.というのも,これらの施 設の多くが営利目的のためにパチンコ店などから 転業した施設であったため施設管理が行き届いて おらず,トレーニング指導者もいないという問題 を抱えていたのである(同上). そこで田鶴浜,玉利,平松らは,こうした「野 放しに発展しているボディビルに指導理念と指導 技術を与え,誤りのない発展を期」(p.18)すた め,統括組織の設立に向けて奔走し始める.そし て 1955 年 12 月 9 日,川崎秀二を初代会長に迎え, 厚生省の所管団体として日本ボディビル協会(以 下「協会」と略す)を設立した. 協会が厚生省所管となったのは,田鶴浜と川崎 に関係があったからだけではない.大きな理由と しては,ボディビルが国際的にもいわゆる「スポ ーツ」に属しておらず,日本体育協会を所管する 文部省での受け入れが難しかったこと.そして, 川崎が「日本のスポーツ行政は文部省の所管だか ら学校体育が軸になる.だが理想の姿はむしろ, スポーツは日本民族の体格改良及び主な生活運動 の一端であり,むしろ厚生省の領分におくのが望 ましい」(ボディビルディング,1969,p.36)と の考え方をもっていたことが影響している. こうして厚生省所管となった協会は,「ボディ・ ビル運動の展開.これは,日本民族の肉体改造 の立場から真剣に考ごうべきことであろう.決し て時流に投じた気まぐれのものでなく,民族意識 の盛り上がりが貧弱極まりない日本人の肉体を改 造しようと一致した運動の展開と見たい」(ボデ イ⋆ビル,1955,p.1)という理念を掲げて船出す ることとなった.この引用は,協会の設立と同時 に協会監修のもと創刊された雑誌『ボデイ⋆ビル』 創刊号の 1 ページ目に記された一説である.ここ に書かれている「民族意識の盛り上がりが貧弱極 まりない日本人」とは,アメリカ(兵)に対する コンプレックスとノイローゼに侵され弱体化した 男性,すなわち M + W 化した男性を指している であろう.協会はそのような男性たちの身体をボ

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ディビルによって改造することで,新しい日本人 男性を創造することができると考えていたのであ る. そして協会は,設立後間もなく,正しい知識を 持った指導員を増やすために「ボディビル通信学 校」という企画を『月刊ファイト』と共同で開始 した注 10).この企画に応募した受講者は,協会理 事長で主任指導員の平松俊男からトレーニングス ケジュールの作成や,トレーニングに関する悩み へのアドバイス等を文書で受けることができたほ か,テキストを用いて医学的な視点から人体の構 造や栄養学,そして協会の理念などを学ぶことが 要求された.そして,この通信講座の 1 年コース を修了した受講者は,協会からトレーニング指導 員として認定され,協会公認のジムを開設するこ とも認められた.つまりこの活動が,東京を中心 に展開していたボディビルジムを全国に拡大させ ることに繋がったのである. Ⅲ 身体観と男性性の揺らぎと再形成 このようにボディビルの出現は,日本人男性に 大きな影響を与え,ブームとなった.しかしなが ら,ボディビルはその出現当初からさまざまな批 判にもさらされることとなる. 1. 身体観に関する批判―ボディビルの悪影響と 非有用性― 第 1 の批判は,ボディビルに対する医学的,人 種的,体育・スポーツ的批判である. 1956 年 4 月に出版された『日本医事新報』には, ボディビルの流行によって病人が増加することを 危惧した論考が掲載された.「ボディビル禍」と 題されたその論考では,ボディビル器具の 1 つエ キスパンダーを使ったことによって自然気胸を起 こした患者の事例が取り上げられ,なぜボディビ ルが自然気胸を起こしてしまうのかが詳細に書か れ,論の最後は,「ボディビルで筋肉が美しくなり, 筋力が大きくなるのはかくれもない事実で,大変 結構なことなんだが,心臓の鍛錬や呼吸器の強化 という面には,あまり寄与しないのではないか. 見かけは立派だが,持久力がないようなウドの大 木になってしまわないように注意が必要である」 (新田,1956,p.74)との指摘で締めくくられて いる. 医師によるボディビルへのこのような批判は, 体育・スポーツ界の中にも現れていた.その先陣 を切ってボディビル批判を展開したのが,医学博 士でもあり,学校保健体育の発展に力を注いでい た川畑愛義である.川畑は自身の著書に「ボディ =ビルの反省」と題して次のような批判をなげか けている注 11) 一般スポーツでは,呼吸・循環器系の器官も 活動し,息ははずみ,脈拍は早くなり,血液の 循環量も著しく増大し,働く筋肉群におしみな く栄養源たる新鮮な血液を送るわけである.し たがって一般スポーツでは筋肉の強化訓練と同 時に,いやそれ以上に,心臓・肺臓の強化訓練 が行われているのである.これに対し,ボディ =ビルでは,重いバーベルを持ち上げる重大作 業を訓練に課しながら,大きな怒責のために心 臓・肺臓の働きを極度に抑圧している.すなわ ち,「きばり」(怒責)によって,胸腔内は強い 陽圧となり,肺臓・心臓などがそのために外周 から抑圧される.したがって呼吸・循環ともに 著しく障害されるのだ.…(ボディビルは:筆 者注)何となく刹那的で官能的・末梢的のそし りをまぬかれないような気がしてならない.こ れはただ筋骨隆々たる形の偉大を誇るに過ぎ ず,その内容,すなわち生理的機能がほとんど これに伴わないのである(川畑,1959,p.18-19) 医学やスポーツ科学的な視点から批判をなげか ける人々は,重いバーベルを使用することによる 怒責が,呼吸器・循環器系に対して悪影響を及ぼ すと考えていた.さらには,こうした視点に並行 して,「外国の映画や雑誌に出てくる外国人の男 性美ばかりを目標にして憧れるということは大変 間違っている.元来毛唐の骨格は,日本人のそれ とは大変な相違がある」(月刊ファイト,1955a,

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p.48)というように,人種的に異なっているため にボディビルは日本人の身体には適さず,さまざ まな弊害を生み出しているという,医学的視点と 人種的視点とが合わさった指摘までなされた. また,体格が発達しきっていない未成年期のボ ディビル運動に対してはより厳しい批判がなされ た.例えば日本学校体育研究連合会では,「プロ・ レス遊びとボディ・ビル」という題目で体育教員 たちによる座談会が行われ,そこで「(ボディビ ルは:筆者注)小さい子供には決して適した運動 ではないですね.ある程度骨格ができていなけれ ば,いい運動にはなりませんよ.子供には筋肉を 固くする運動ではなく手徒体操的な筋肉を伸ばす 柔軟運動が必要です.…(ボディビルは:筆者注) 男性美をつくるものであっても,イコール健康美 をつくるものではないと思うのです」(学校体育, 1956,p.26-27)という批判がなされた.彼らが このように批判するのは,ボディビルが子供の健 全な発育を妨げると考えていたからであった.つ まり,「発育段階中の子供がボディビルを行うと 骨が圧迫をされて成長しにくくなり,同時に,ト レーニングよって発達した固い筋肉がさらに骨の 成長を阻害するのではないか」,こうした疑念が 当時の識者の間に広がっていたのである注 12).も ちろん,当時のこうした批判には科学的根拠はな い.だが,ボディビルの新奇性からか,ボディビ ルの効果を懐疑的にみる人々によってこれらは支 持され,今もなおウェイトトレーニング批判の代 表例として再生産され続けている. さらにこの言説の中で注目すべきは,ボディビ ルを「筋肉を固くする運動」であると批判する一 方で,筋肉を伸ばす「柔軟体操」を推奨している 点である.当時の体育教員たちは,ボディビル= 男性美という見方に一定の理解をしめしていた. しかしながら,それが健康的であるかどうか,も っと言えば生物学的に機能的な身体を作り出すか どうかについて疑念の目を向けていた.つまり, 彼らにとっての理想的な身体は「逞しさ」ではな く,「柔軟性」のある健康で機能的な身体だった のである. こうした見方は競技スポーツ界にも広がってい た.例えば,日本陸上連盟理事長であった浅野均 一は,「(ボディビルは:筆者注)たしかに一面で の男性美を象徴している.…しかし,筋肉の発達 が太く短くなるので,行動の範囲はせばめられて しまう.ノビノビした筋肉の発達ではない.…そ れに比べ,近代的なスポーツで鍛えた体は筋肉が ノビノビと発育している.ボディー・ビルディン グそのものが悪いとはいわないが,近代的スポー ツと力技による筋肉発育との二つを,どう調和さ せるかが問題だと思う」(週刊読売,1955,p.11) と指摘している.また同様に川畑も,「ヘラクレ ス型は一時に大きな力をふりしぼるのに適してい るが,巧緻性・機敏性・平衡性,あるいは持久性・ リズム性等には欠点がある.…体育運動はやはり 体格の形成ばかりでなく,身体機能の強化をはか りたいものである」(川畑,1959,p.20)と指摘 し,さらにラジオ体操の考案者である大谷武一も 「われわれ体育人の主張する体育は,多様な自由 で,自然的な身体活動で弾性に富んだヘルメス型 の人間像を目指しており,重量技に伴い易いヘラ クレス型とは対立の位置を堅持している」(大谷, 1956,p.176)と指摘している.つまり,ノビノビ とした筋肉をもった身体こそがスポーツにおいて 役立つのであり,その身体はスポーツによって培 われる.このようなスポーツ的身体観が当時のス ポーツ界に広く受け入れられており,そのために ボディビルは否定的に捉えられていたのである. さらにこうしたボディビルの問題は,男性美の 捉え方の問題へも波及している.浅野は先の指摘 に続けて次のように述べている. 私自身の考えでは,美というのは,よく洗練 された体が瞬間的な動作で見せる姿で,野球の ファイン・プレーとか,棒高跳びの飛び上がっ た動作などに美の極致を感ずる.つまり,訓練 された体が持つ能力と雰囲気が,男性の美しさ ではないだろうか(同上) 彼らは,ボディビルが生み出すヘラクレス型身 体は「男性美の一面を象徴する」との評価は置き つつも,スポーツの中で繰り広げられる身体の躍

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動,スポーツする身体こそが最上の男性美である と捉えていた.つまり,当時は医学・スポーツ科 学を中心に「ノビノビとした」「躍動する」身体, いわゆるヘルメス型身体が理想的な男性身体であ ると認識されており,ボディビルは有用ではない 身体を作り上げるものとして否定的に捉えられて いたのである. 2. 日本人のためのボディビル―新たなボディビ ル観の形成― 田鶴浜や玉利ら協会設立の発起人たちは,ボデ ィビルブーム直後から噴出し続ける批判に対し て,「ボディビルは日本民族の肉体改造であ」り, 「日本は日本なりに日本人の体質体格に適したも のを打ち立てるべきだ」(月刊ファイト,1956a, p.49)と,ボディビルをナショナリズムを喚起す る方向へと向かわせる視点を打ち出した.そして 以下の 3 つの企図を通じて,ボディビルのイメー ジ刷新を批判と同時並行的に展開し始める. 第 1 の対応は,ボディビルが健康にとって重要 なトレーニングであることを標榜することであっ た.そのために協会が行ったのが,医学などの知 識を取り入れたジム運営である. 例えば,日本ボディビルセンターや,後楽園ボ ディビル・センターでは,医師をジムに常駐させ, 入会希望者と会員に身体の精密検査を義務づけて おり,さら日本ボディビルセンターに至っては, 東京大学医学部解剖学教室や整形外科人類学教室 と協力して,「医学とボディビル」という新しい 研究テーマを開拓するなどの活動も行っていた. また当時 2500 名の会員を擁し,日本最大規模を 誇っていた産経ボディビル・クラブも,先のジム と同様に医師を駐在させるなどの対応を行ってい たが,このジムではさらに協会とは別の東京ボデ ィビル協会を立ち上げ,民間ジムを中心にボディ ビルの普及と啓蒙を行っていた.その活動では, 次のようなボディビル理念が語られている. ボディビルは「健康で幸福な人生を送るため」 の運動です.人生は長くもなれば短くもなるの です.それは健康如何によって定まると思いま す.この運動は競技でもなければ,ましてや「シ ョーマン」(力技等の)養成法ではありません. …大切な人間の体を改善しようとする(その人 の人生に迄影響する)重大な責任を負っている クラブの指導者に,一個人の浅薄な経験にのみ 頼る人とか,単に立派な筋肉の所有者であるだ けでは,大変危険なことだと思います.その危 険を防止するにはどうしても,解剖学,生理学, 体育医学,等々必要な学識を備えた,専門家が 必要になります.当クラブでは我が国体育の最 高学府たる日本体育大学にご指導を仰ぎました ところ,事の重要性に鑑み石津教授を始め,最 も信頼できる教授陣容を整備して理論と実際を 指導しております.この運動のためにただ一人 でも健康を害することの無いようにやるボディ ビル,これを新生ボディビルと呼んでおるので す(ボデイ⋆ビル,1957,p.48) このように医学を中心とする学術分野からお墨 付きを得ながら,ボディビルの正当性を獲得して いく.こうして作られた健康を第 1 の目的とする 「新生ボディビル」という理念こそ,これまでの ボディビル批判に対する協会の応答であり,また 協会が掲げていた「日本民族の肉体改造」という 目的を達成するものであると考えられていたので ある. 2 つ目の対応は,「ボディビルはアメリカの文 化であり日本人には適さない」という人種的な悲 観論を払拭しようとするものである.このために しばしば引き合いに出されたのが,日系アメリカ 人のボディビルダーたちである.例えば,『月刊 ファイト』では「ミスター・ワールドへ道は開い ている」とのタイトルで特集を組み,1952 年に アメリカのボディビル大会「ミスター・ワールド」 で2位となったヤス・クズハラを取り上げている. 日本人が国際的なボディビルディングの競技 会に出て堂々と太刀打ちできるだろうか? 心 配は無用.彼の名は「ヤス・クズハラ」,ペン シルベニア,ヨーク市出身の二世だが血はわれ われと一緒である.…彼の見事な肉体は,彼が

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フットボールの選手になろうとして,軽すぎる とはねつけられて奮起してから,作りあげたも のだ.…(彼の存在は:筆者注)日本人の世界 の王座への道に非常に幸福なことといわなけれ ばなるまい(月刊ファイト,1955a,p.37) 日系人の活躍はクズハラだけではない.当時, 日本プロレスに参戦していたハロルド坂田は,故 郷のハワイでミスター・ワイキキの栄冠に輝いた 経歴を持っていたし,1956 年のミスター・ワー ルドでは日系二世のトミー・コーノが優勝を飾っ た.『月刊ファイト』では,そのことを次のよう に伝えている. 日本民族が欧米の異民族に対して抱く,肉体 コンプレックスは昔から根強いものがある.だ が,果たしてこの肉体の劣等感は,いつまでも 拭いきれないものなのだろうか.…1956 年度 の「ミスター・世界」は,我々と同じ血,民族 を同じとする日系米人のトミー・コーノの頭上 に輝いている.この事実は,日本民族の肉体が 欧米人に劣る――などという劣等感をかなぐり 捨ててくれた.日本民族は地球上のどの人種に 比較してみても,肉体的なひけめなどはみじん もかんじない(月刊ファイト,1956d,p.8) 日系人たちの活躍は,近代日本の建国以来から 持ち続けてきた欧米人に対する肉体の劣等意識を 変え得る存在として雑誌に頻繁に取り上げられ た.そして協会もこれを利用し,ハロルド坂田や トミー・コーノをボディビル大会などのイベント やテレビ番組のゲストとして出演させ,これまで の人種的な悲観論に対する対抗言説を打ち出して いったのである. 3 つ目の企図は,ボディビルはヘラクレス型身 体を生み出すものであり,ヘルメス型のような機 能的で有用な身体ではないとするスポーツ界から の批判に対するものである.協会は当初,ヘラク レス型身体を新しい男性身体の理想として強調し ていたが,こうした批判が高まるにつれて次第に 考え方を変化させていくようになる.例えば,協 会理事長であった医学博士の水町四郎は,ボディ ビルについての討論会が行われた際,次のように 答えている. ボディ・ビルには柔軟体操も併用すべきだと 思います.…健康を求めるボディビルは外観的 にはヘラクレスかヘルメスかどちらかという点 になると思いますが,…ボディビルは両方の中 間をねらうべきだと思います(月刊ファイト, 1955e,p.50) つまり,外見の大きさだけを誇示するような即 物的なヘラクレス型身体ではなく,柔軟性のある ヘルメス型身体をも兼ね備えた身体が理想である と協会の側からも主張されたのである.以降,『月 刊ファイト』や『ボデイ⋆ビル』などの雑誌には, 柔軟体操や瞬発力を高めるトレーニング方法や, 各スポーツ競技に合わせたトレーニング方法,そ して医師による身体機能とコンディショニングに ついての連載講座などが掲載され,ボディビル雑 誌の中でヘルメス型身体がより一層理想化される ようになった. もちろんこうした身体の理想は,一般人や競技 スポーツに従事する人々に向けられたものであっ たが,協会はそうした人々だけでなく,ミスター 日本を目指す競技ボディビルダーたちにも例外な くこの理想を追い求めさせていた.今日のボディ ビル大会は,筋肉の発達度や全体の均整度,ポー ジングの美しさなどが審査対象となるが,初期の 大会では三次審査まで行われていた.第一次審査 では① 200 m 走,②走り幅跳び,③ソフトボール 投げによる審査が行われ,第二次審査では①身長, 体重,胸,大腿,上腕のサイズ測定(筋肉の発達度) (40 点),②全体の均整度(20 点),③バーベル運 動の実技試験(40 点)注 13)が審査された.そし て第 3 次審査では 2 次審査までの上位 9 名による 規定ポーズと自由ポーズによる身体の美しさの審 査が行われ,ミスター日本を決定していた.こう した審査方法は第 2 回大会から第 5 回大会(1956 年―1959 年)まで続けられている. ここで注目すべきは,第 1 次審査と第 2 次審査

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のバーベル運動の実技試験が行われている点であ る.これらはいわば走跳投という基本的な運動能 力と筋持久力を測るテストであるが,協会はこう した審査を課すことによって,ボディビルダーの 身体が外見だけのヘラクレス型ではなく,機能的 で有用なヘルメス型であることを証明しようとし たのである. アメリカ兵の身体に憧れ,ヘラクレス型身体を 欲していたはずの協会設立人たちは,ボディビル の良さを健康的で有用なヘルメス型身体の構築へ と転換させた.それは西欧的な身体観を良しとし ない意見との折衷案として生まれたものであった が,ボディビルを日本的な文脈の俎上に載せるこ とで愛好者を拡大しようという協会の戦略だった のである. 3. ボディビルは男性的な行為か?―ナルシシズ ムフォビアによるボディビル批判― ボディビルへの批判は,ボディビルを行う男性 の男性性の問題にも波及していた.その発端とな ったのは,『月刊ファイト』に寄稿された次のよ うな批判である. 自己の肉体に溺れてはならない.それは恰 も,自己の精神の美しさに,自ら陶酔してはな らんということと同じであります.自己の精神 美に酔う人間は,幾分ピントの狂った人間でし ょう.隆々たる自己の筋肉美に耽溺し,それに 比例した強烈なる自己の精力に自己礼讃してい るならばそれは一種のマスターベーション以 外のなにものでもありません(月刊ファイト, 1955d,p.35) この批判ではボディビルは自己礼賛,すなわち 「ナルシシズム(自己愛)」であり,「マスターベ ーション」と同義の行為として捉えられているが, この 2 つの言説の結びつきはボディビルが同性愛 的行為であることを暗に示している.というのも, 当時は『フロイト選集』(1953―1955 年)が発刊 されるなどフロイト心理学が注目を浴びていたこ ともあり,自己陶酔や自己礼賛といったナルシシ ズム的行為は精神分裂病の 1 つとして認識され, そうした行為の 1 つとして考えられていたマスタ ーベーションに耽る男性は異性愛に向かうことが できず,同性愛などの異常性欲者に陥るとみなさ れる傾向があったからだ(赤川,1999).したが って,ナルシシズム行為であるボディビルに耽る 男性は「ピントの狂った人間」,つまりマスター ベーションに耽る異常性欲者と同様の存在として みなされたのである.それゆえに,そのようなボ ディビルへの認識は次のような言説も生んだ. 事実フロイトはいっている.同性愛のあらわ れてくるのは,…自分(のからだ)を賛美し, もっと男らしいもの,もっと女らしいものを求 めてゆくときだ.…であるから,同性愛者の中 には,しばしば自己性欲を強くもっているもの があって,自分のからだに興味をもち,自分 のヌードを愛したりするものもある.これは, 治療しにくいものであるそうだ(望月,1955, p.137) このようにナルシシズム的行為とみなされてい たボディビルは,1950 年代のセクシュアリティ 言説を背景として,同性愛的行為だという認識が 形成されていた.つまり,ホモファビア(同性愛 嫌悪)がボディビルへの批判ロジックの中に組み 込まれたのである. ボディビルにおける男性性の問題についての指 摘はこれだけではない.ボディビルブームについ ての討論会では,『週刊朝日』の記者の工藤宣が 「ボディ・ビルは M + M だとばかり思っていたが, 取材のためあちこち走り回って調べてみたら,M + W という面もあるということに気づきました」 (月刊ファイト,1956a,p.45)と発言している. そしてその理由を,「ボディ・ビル運動は逞しく なろうという点は男性的だが,その心理を掘りさ げれば女性的なもの」,なぜなら「ボディ・ビル は一種の自己愛」(p.47)だからだと指摘する. 工藤はさらに続けて述べる. 男は元来外マ攻的なもので内マ マ攻的ではない.だマ

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から自分で自分の身体を良くしようなどとは平 素考えないものだが,たまたま大変な人気を博 したプロレスなんかを観ていると,そこに自分 の理想体を発見し,何とかしてああいうふうに なりたいと夢見る.逞しい男性美にひかれて, 貧弱な自分の身代わりみたいに憧れるという 内マ攻的な傾向があるというのです.そう言われマ てみれば,近頃の若い男性は服装なんかも W 的な面が増えてきていて,女のように赤い靴下 がはやっている.これも,女性的性格潜在の証 拠だ(同上) 当時,内向的な性格や自己愛=ナルシシズム は,同性愛的であると同時に,女性的な性格であ るとも捉えられていた.そうした中で,ボディビ ルという行為自体がまさに内向性・自己愛=ナル シシズムの顕在化であり,ゆえに男性によるボデ ィビルは M + W であると捉えられていたのであ る.このように男性性を問題化したボディビル批 判は,ミソジニー(女性嫌悪)やホモフォビアと 強く結びついたナルシシズムフォビア(自己愛嫌 悪)によって形成され,逞しい肉体=男性が欲望 するものという正当性を揺るがしたのである. 4. 「健全なる魂は健全なる肉体に宿れかし」― ボディビルの正当化と男性の理想― こうしたボディビル批判に対して協会は,「知 らず知らずの間に男性美に対する感覚がゆがめら れている」(月刊ファイト,1956c,p.46)と,一 般化されつつある男性美のイメージに危機感を示 していた.そこで協会は,ボディビルの負のイメ ージを払拭するためには,「形態的な肉体の大き さだけに酔いしれたボディビルじゃなしに,ボデ ィビルの本質的な価値を追求し,その上で新しい 時代に生きるものとして,真に日本民族のために なる福利的な高さを持ったボディビルを育てて いかなければならない」(月刊ファイト,1956e, p.48)とし,正しい男性美とは何か,あるべきボ ディビルの方向性とは何かを検討し始めた.その 中に識者の 1 人として加わったのが,当時東京芸 術大学助教であった野口三千三である.野口は『月 刊ファイト』で「ボディビルと男性美について」 という連載記事を担当しており,その中で次のよ うに述べている. 男性美を私は「男らしい美しさ」と素直に考 えている.男らしさということが女らしさに対 する言葉であることはいうまでもないが,それ を素朴に,素直に考えるためには,むしろ動物 の「雄」のあり方をみると,はっきりとその本 質がつかめると思う.…男性が単に腕力だけで なしに,いろいろの意味で力強く,寛容で,信 頼するに足りるようであれば,そこに男性の存 在の意義と大きな魅力が生まれて来るものと思 う.…美しいということを単に「優美」と考え, これを直ちに「柔弱」と結びつけて,男にある まじき,ものと考えたり,男性美という力強さ を強調するあまり「ゴリラ型」を男性美の典型 と思いこむ無意識の中の誤りを犯している.… (ボディビルが生み出す:筆者注)男性の美し さとはからだの「形」の美しさだけでなく,内 面の精神や性格の美しさ,機能(はたらき,職 業を含めて)の美しさ,行為の美しさ,動きの 美しさ等々,極めて複雑な面を持っている(月 刊ファイト,1956b,p.53) 野口は,「男性美」を外見の美しさや力強さだ けで捉えようとはしなかった.なぜなら,美しさ を強調することはナルシシズムであり,力だけを 誇示することは野蛮な男性であるとみられていた からだ.そこで野口は,精神性や性格などの内面 の美しさや,行動や職業に表れる男性のあり方や 生き方の美しさを「男性美」に含めた.野口がこ のように主張するのは,M + W 化問題に表れて いたような,立ち居振る舞いが女性的であること や,不健康であるということが男性の生活や人生 を不幸にするという考え方に起因している.つま り野口は,ボディビルは肉体だけでなく男性の内 面や生活にも影響を与え,理想的な男性像に近づ くための手段となると考えたのである. 三島由紀夫もまた野口と同様の考えを持ってい た.ブーム当初からボディビルを始めていた三島

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は,始めてからちょうど 1 年が経つ頃に「ボディ・ ビル哲学」という論考を発表しており,その中で 次のように述べている. 知性には,どうしてもそれとバランスをとる だけの量の肉が必要であるらしい.知性を精神 といいかえてもいい.…鋭い知性は,鋭ければ 鋭いほど,肉でその実を包まなければならない のだ.…だまされたと思ってボディ・ビルをや ってごらんなさい.もっとも私がすすめるのは インテリ諸君のためであって,脳ミソの空っぽ な男がそのうえボディ・ビルをやって,アンバ ランスを強化するのは,何とも無駄事である(三 島,1984,pp.85-87) 三島は,ボディビルは知性のあるエリート男性 にこそ意味があると語ることによって,ボディビ ルを行う男性の階級的優越性を説き,ボディビル をすることの正当性を確保しようとした.むろん, この正当化は青白きインテリから逞しきインテリ へと変貌を遂げた三島自身の男性性の正当化でも あったが,三島がこれほどまでに肉体と精神の調 和を主張したのは,肉体を侮蔑してきたこれまで の日本の身体観に対する批判注 14)が込められてい たからであった(月刊ファイト,1955c,p.32). というのも,清川が「従来肉体の魅力がどうも教 養のない人種や,その方面の職業に偏り,亦,精 神的に立派な男性が,蒼白きインテリ」(清川, 1955,p.29)だと語っていたように,肉体が当時 の男性の階級的な魅力を見極める 1 つの指標とな っており,それが肉体を侮蔑する傾向を生み出し ていたのである. 三島の肉体への傾倒は,1951 年 12 月 25 日か ら 4 か月間に渡る世界旅行中に訪れたヴァチカン でのアンティノウス像との出会いから強まってい く(梶谷,1995).三島はこの像の身体美に感化 され,旅行記『アポロの杯』の中で「さやうなら, アンティノウスよ,我らの姿は精神にむしばまれ, 既に年老いて,君の絶美の姿に似るべくもないが, ねがわくはアンティノウスよ,わが作品の形態を して,些かでも君の形態の無上の詩に近づかしめ んことを」(三島,1982,p.146)と綴った.日本 のエリート男性は精神,すなわち知性至上主義に 陥り,肉体が蝕まれたと批判する三島は,これ以 降,肉体と精神が調和するという古代ギリシアの 身体観に傾倒し,ギリシア的身体を男性の理想像 に置くようになる.そしてこの旅行後に刊行した 『潮騒』(1954 年)に肉体美を持った青年を登場 させ,新しい男性像を提示した. 協会自体も,野口や三島と同様の視点からボデ ィビルの正しい方向を形作ろうと動いていく.協 会設立当時,どのような身体の理想を協会として 掲げていたのかを玉利にインタビューした際,次 のような回答が返ってきた. 当時,理想の肉体美の基準に何を求めたかと いえば,これは今も変わらないですが,知性の 美しさまで肉体から読み取り得れるような,健 康と力を備えた調和の美を求めました.「健全 なる精神は健全なる肉体に宿る」という有名な 言葉がありますが,これは本当は「健全なる精 神は健全なる肉体に宿れかし」だそうです.つ まり本当の意味は,「健全な肉体とともに健全 な精神があればなぁ」という願望なんですよ. いいかえると肉体と同時に精神も鍛えなさいと いうことです.われわれも人間の高い理想のた めにたくましい肉体と精神を同時に養わなけれ ばならない.これを常に説いてきました(玉利 氏へのインタビュー,2016 年 11 月 29 日) 協会は,「精神」を心や思想ではなく,三島と 同様に「知性」として捉え,さらには「宿る」を 本来は「宿れかし」であると訂正をしている.つ まり協会は,男性たちが欲望する健康と力を備え た逞しい肉体は,エリート男性の象徴である知性 とともにあるべきであり,その 2 つの調和こそ「人 間(男性:筆者注)の高い理想」であって,それ を追求することがボディビルの正しい方向である と主張しているのである.協会が肉体だけでなく 知性にも重きを置く様子は,協会が医学を中心と する学術分野と連携し,雑誌作りだけでなくジム 運営に関しても教養的な側面を打ち出していたこ

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とにも表れている. ナルシシズムフォビアに基づくボディビル批判 は,逞しい肉体=男性が欲望するものという正当 性を揺るがした.それに対して協会は,「健全な る精神は健全なる肉体に宿れかし」という標語を 掲げ,ボディビルがナルシシズムではないこと, そして力ばかりを誇示する野蛮な男性ではないこ とを主張するために知性と肉体の調和を謳った. つまり,ボディビルのイメージを肉体の誇示から, 肉体と知性の調和に変化させようとすることで, ボディビルは男性的な行為であることを正当化さ せ,男性の理想として位置づかせようとしたので ある. Ⅳ おわりに 本稿では,アメリカの影響で出現した男性美(ボ ディビル)文化に着目し,それがどのような社会 的文脈の中で出現したのか,そして戦後日本人男 性たちの男性性と身体観にどのような揺らぎを生 じさせたのかを分析してきた.まとめれば以下に なる. 男性美(ボディビル)文化の出現には,占領/ 復興期という時代状況や男性の M + W 化という 男性性の危機といった問題が,アメリカ(兵)的 男性身体やプロレスラーの身体に代表されるよう な M + M の身体への欲望を生み出し,ボディビ ルがそれを獲得する手段として注目を集めたとい う背景があったことが明らかとなった.そして, こうした過程を経て設立された日本ボディビル協 会は,ボディビルの目的を「民族意識の盛り上が りが貧弱極まりない日本人の肉体を改造」するこ と,すなわち,ボディビルを通じて新たな日本人 男性を創造することとした.このように男性美(ボ ディビル)文化は,男性的な情動とナショナリズ ムへの希求が絡み合う中で出現したのである. しかしながら,ボディビルは,身体観と男性性 の視点から多くの批判を浴びることとなった.ま ず身体観に関しては,①ボディビルは人体に悪影 響を及ぼすとする医学的批判,②日本人は欧米人 とは異なるためにボディビルに向かないとする人 種化された批判,③ヘルメス型身体こそが有用か つ男性美を象徴する身体であるとする体育・スポ ーツ的批判があげられた.そして男性性に関して は,ナルシシズム的行為であるボディビルに興ず る男性は同性愛的であると同時に女性的な性格を 持った男性である,というホモフォビアやミソジ ニーと強く結びついたナルシシズムフォビアによ る批判が展開された. こうした批判に対して協会は,「日本は日本な りに日本人の体質体格に適したものを打ち立てる べきだ」と打ち出し,①健康を目的とする新生ボ ディビル運動の展開,②世界的に活躍する日系ア メリカ人ボディビルダーの紹介,③ヘルメス型身 体の理想化といった対応を行った.そして男性性 に関しては,男性美というものを肉体の誇示だけ に還元せず,エリート男性の象徴である知性の獲 得をボディビルの目的に据えることで,ボディビ ルが男性的な行為であるという正当性を得ようと した. こうした対応は,ボディビルを根付かせるため に,ボディビルによって獲得する身体の理想をア メリカ的(M+M)身体から日本的身体に位置付 け直そうとする協会側の戦略であった.しかしな がら,ボディビル自体が,これによって健康増進 を目的としたフィットネスと競技スポーツの補助 トレーニングに収斂することとなってしまい,い わゆる男性美を競うという意味でのボディビルを 協会自体が下火に追い込んでしまったきらいがあ る.こうした協会の矛盾を,三島が玉利と対談す る中で指摘している. ボディビルはなぜうさんくさいか,力を主張 しながらそこに美がついているのがうさんくさ い,それなら美は美であるとはっきりいえばい い.美は美,力は力である.そこにすばらしい 男性像ができる.男性美は力であるというのは うそですよ.そこがコンテストの永遠の矛盾だ と思う(ボディ・ビル,1967,p.31)注 15) 協会は,男性美をアメリカ兵やプロレスラーの 身体に見られるような「力」だと捉えていた.し

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かし,その力はけっして非有用的で野蛮なもので はなく,有用で知性によって洗練された美しい力 であった.だが,協会はその美をそのまま「美」 として受け取ること,すなわちボディビルが美し い男性であることを誇示する行為だということに も否定的だった.美は力であり,力とは美である. こうした矛盾がボディビルを「うさんくさい」も のに仕立て上げたのである. もちろん,ボディビルがこのように矛盾したも のになったのは,協会の意図した結果ではない. しかしこの展開は,新しい日本人男性を創造しよ うとする協会にとって必然的なものであったかも しれない.なぜなら,批判に真っ向から対立せず, むしろ同調的あるいはオルタナティブな対応を取 ることが,ボディビルを行う男性,そしてその男 性性を,ナショナルな文脈の中で正当化すること に繋がっていたからだ.つまり協会は,批判を受 け止め,ボディビルによって獲得する身体の理想 を,アメリカ的なヘラクレス型身体から,日本で 好まれるヘルメス型身体に位置付け直すことで, 男性美(ボディビル)文化を正当化し,ボディビ ルを普及・拡大させようと考えていたのである. こうした展開は,モッセが指摘していたように男 性性とナショナリズムが緊密に結びついているか らこそ,生じた展開であったと言える. ボディビルの登場は,男性が自身の身体を個人 的な欲望の対象としてまなざす初めての契機とな った.しかし,彼らが男性美を語ろうとするとき, そこには「日本人」男性としてのあり方の問題が 常に立ちはだかり続け,結果的に,ボディビルに おける男性身体の意味が変容した.つまり,ボデ ィビルは理想の日本人男性像をめぐる文化的闘争 のアリーナ(言説空間)を生じさせたのである. 注 注 1)本稿において「ナショナリズム」や「ナショナル」 という語を頻出しているが,以下のような意味として それを使用している.「ナショナリズム」は,丸山眞 男の「ナショナリズムとは,ネーションの統一,独立, 発展を志向し,推し進めるイデオロギーおよび運動」 (丸山,2006,p.279)だという視点を敷衍させ,「日 本が戦後からの復興,発展を志向する中で,身体を軸 に日本人としてのアイデンティティを同一の方向性で 確立しようとする運動」という意味で使用する.一方, 「ナショナル」なものとは,そのナショナリズムの発 生過程において現れるもので,本稿の文脈では「日本 (人/的身体)なるもの」に関する言説として示す. 注 2)玉利氏へのインタビューは 2016 年 2 月 25 日,3 月 10 日,11 月 29 日の計 3 回実施した. 注 3)ボディビルが草の根的に広まっていく様子は,田 鶴浜の「ボディビル風雲録」(ボディビルディング, 1969b,5-9 月号)および窪田の著書(窪田,1998) にも記載されている. 注 4)以下,「ボディビル風雲録」(同上)を参考に構成. 注 5)ボディビルがブームとなる以前に一度だけ日本ウ ェイトリフティング協会主催でボディコンテストが行 われている(1952 年).その背景には,1951 年にイン ド・ニューデリーで開催されたアジア大会の重量挙げ 競技の選手たちが大会終了後にボディコンテストを主 催したことがある.そこに参加していたのが,窪田と 重量挙げの最軽量級銅メダリスト井口幸雄であり,彼 らが日本にそれを持ち帰ったのである(窪田,1998). 注 6)この時代,男性がボディビルで逞しい身体を作り 出そうとしていた一方で,女性もまた新しい身体意識 を作り出していた.それは「八頭身」という言葉とし て現れ,ボディビルブームが現れ始めたのとほぼ同時 期にメディアで大きく取り上げられた.この新しい女 性身体とジェンダーの関係については別稿にて論じ る. 注 7)国立国会図書館サーチの簡易検索にて「ノイロー ゼ」と入力し検索したところ,1951 年が 1 件,1953 年が 3 件,1954 年が 5 件だったのが,1955 年には 70 件, 1956 年は 228 件と急増していた.つまりノイローゼは, ボディビルやプロレスがブームとなったのと同時期に 注目を浴びたのである. 注 8)ボディビルが男性の病に有効であるという認識を さらに確実なものにしたのが三島由紀夫である.戦時 中,従軍できないほど虚弱で病気がちな体質であった 三島は,「青白きインテリ」「M + W」の代表格とし てみられており,常に体へのコンプレックスを抱えて いた.その三島が男性美に魅了され,ボディビルを始 めたことは,すぐにメディアによって取り上げられた (内外タイムス,1955 年 9 月 18 日朝刊). 注 9)分布図を見ると,多くのジムが鉄道沿線付近に作 られている.このことからボディビルが都市文化とし て生成していることが推論できる.またその利用者は, 学生やブルーカラー労働者,ホワイトカラー労働者, 経済交友会などの上層階層者など広範囲に及んでいる ことが資料から伺えた.つまり,ボディビルは都市圏 を中心に様々な社会的立場の男性によって愛好されて いたのである.そのことを象徴する 1 枚の写真が図 2 である.

表 1 ボディビルジム一覧 このように大きなブームを沸き起こしたボディ ビルであったが,しかしながら,それと同時に問 題も引き起こしていた.というのも,これらの施 設の多くが営利目的のためにパチンコ店などから 転業した施設であったため施設管理が行き届いて おらず,トレーニング指導者もいないという問題 を抱えていたのである(同上). そこで田鶴浜,玉利,平松らは,こうした「野 放しに発展しているボディビルに指導理念と指導 技術を与え,誤りのない発展を期」(p.18)すた め,統括組織の設立に向けて奔走し始める

参照

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