澤井義次著
﹃ シ ャ ン カ ラ 派 の 思 想 と 信 仰 ﹄
慶應義塾大学出版会 二〇一六年八月刊A5判 ⅵ+三三八+一三頁 八〇〇〇円+税
前 田 專 學
インド思想史は三〇〇〇年以上にわたる歴史を持ち︑その中でも最も重要な役割を果たして来ている代表的な哲学は︑主としてウパニシャッドの解釈学として発達してきたヴェーダーンタ哲学である︒しかしヴェーダーンタ哲学といっても一五〇〇年以上に及ぶ複雑な発展・展開の歴史をもち︑今日のインドでは︑幾つかの学派に分かれて伝持されている︒すなわち主な伝統説として︑主として宇宙の根本原理ブラフマン︵梵︶と個人存在の本体アートマン︵我︑自己︶との関係をめぐって︑シャンカラ︵Śan .kara七〇〇︱七五〇ころ︶の不二一元論︵Advaita︶︑ラーマーヌジャ︵Rāmānuja一〇一七︱一一三七︶の被限定者不二一元論︵Viśis.t.ādvaita︶︑マドヴァ︵Madhva一一九七︱一二七六︶の二元論︵Dvaita︶などを挙げることができる︒ 書評と紹介 本研究は右の伝統説の中の不二一元論を唱道し︑インド最大の哲学者と言われるシャンカラの哲学を︑現代インドのシュリンゲーリ僧院を中心とするシャンカラ派︵スマールタ派とも呼ばれる︶という宗教伝統の脈絡へとひきもどし︑具体的な信仰現象を宗教学の地平から読み解こうという意欲的な試みである︒シャンカラ派における思想と信仰の有機的な連関性を明らかにすることによって︑シャンカラ派信仰の意味構造を宗教学的に考察し︑従来の思想史的・文献学的・解釈学的な方法によって︑ややもすれば等閑に付されがちなシャンカラ派の宗教現象に照明をあて︑新生面を開いた注目すべき研究である︒
本書の﹁序章﹂において︑著者は従来のシャンカラ研究の成果を踏まえて︑宗教学的立場から︑文献学的研究の成果と共にインドにおける伝統的な研究成果を射程に取り込みながら︑シャンカラ研究に新たな宗教学的パースペクティヴを提示しようとする試みの一つであるとして︑本書の構成を以下のように説明している︒
本書は大きく四部に分かれており︑全体で九章から成り立っている︒まず﹁序章シャンカラ派研究の視座﹂の第二節では︑第一節で論じた問題の所在を補足的に説明するために︑従来のシャンカラ研究の主要な状況を辿り︑そのことによって︑本書の研究がシャンカラ研究において持つと考えられる意義︑すなわち位置づけを明らかにできるとしている︒
第一部﹁シャンカラ派の宗教学的研究とその立場﹂は第一章と第二章から成る︒これら二章は︑本書における著者の根本的
さらに第七章では︑シャンカラ派の伝統において︑シャーラダー女神信仰とともに︑在家者信仰を形成するシャンカラーチャーリヤ信仰︵あるいは世師信仰︶について︑伝承などのデータを手がかりとしながら考察し︑いわゆるシャンカラーチャーリヤ信仰の思想構造を明らかにしようとしている︒
さらに︑第四部﹁シャンカラ派の出家遊行とその思想﹂は二章から成っており︑シャンカラ派における出家遊行とその思想を探究するために︑まず︑第八章においては︑文献学的にシャンカラの真作と考えられる哲学文献やシャンカラの伝説的伝記の記述にもとづいて︑出家遊行の生きかたとその思想を考察し︑シャンカラ派の伝統において︑出家遊行のもつ意味あいを探究している︒こうした論述を踏まえて︑第九章は近代あるいは現代のシュリンゲーリ僧院における出家遊行者︑特にシャンカラーチャーリヤ︵シャンカラ派では﹁世 せ師 し﹂︵Jagadguru︶と呼ばれる︶の出家遊行の仕方︑および︑その中に込められている宗教思想を考察している︒
最後に︑著者はさまざまな宗教現象として具体化しているシャンカラ派の宗教思想の特徴を解明し︑その宗教思想および信仰の意味構造を明らかにし︑本研究全体の﹁結論﹂としてつぎの諸点を指摘し︑本研究を結んでいる︒一 ﹁師と弟子の関係﹂の二重性
シュリンゲーリ僧院を中心とするシャンカラ派の伝統は︑宗教学の立場からみれば︑出家レヴェルの信仰と在家レヴェルの信仰が有機的に連関した複合的な信仰形態を形成している︒シャンカラの哲学文献はカルマン︵祭祀的行為︶とバクティ︵信 立場を論述したものである︒第一章においては著者が立脚する宗教学的パースペクティヴについて論述し︑第二章では︑第一章において論じられた宗教学的パースペクティヴをより明確にするために︑宗教学的な地平において照らし出されるシャンカラ派の宗教伝統の宗教的コスモロジーの特質を論じている︒
第二部﹁シャンカラ派の宗教思想とその脈絡﹂は︑第三章と第四章の二章から成っている︒そのタイトルも示唆しているように︑おもにシャンカラ派の宗教伝統における信仰現象に具体化される宗教思想の特質をその脈絡︵コンテクスト︶において明らかにしようとしている︒まずはじめに第三章は︑現代におけるシャンカラ派の信仰現象の諸相をより鮮明にするために︑シャンカラ派の総本山であるシュリンゲーリ僧院の伝承と歴史的変遷を︑刻文資料や伝承などをもとに︑可能なかぎり辿ろうとしている︒第四章においては︑第三章における論述を踏まえて︑シュリンゲーリ僧院を中心としたシャンカラ派の伝統の脈絡における﹁信仰﹂の概念とその意味内容を明らかにしている︒
第三部﹁シャンカラ派における在家信仰とその思想﹂は三章から構成されており︑第二部における考察を踏まえながら︑シャンカラ派における在家者の信仰とその思想を究明する︒まず第五章においては︑シャンカラ派における在家信者の信仰と伝統的慣習について叙述し︑その考察を踏まえて︑第六章では︑特に南インドにおいて︑母なる神あるいは知恵の神として広く一般大衆の信仰を集めているシャーラダー女神信仰︑および︑その信仰の中に内在している宗教思想について検討している︒
ティという三つの側面が見られるが︑三種のバクティは︑実際には︑ほとんど識別できない︒今日のシュリンゲーリの伝統における出家遊行者にとっては︑ヨーガの実習は知識の獲得に導く瞑想を促すために行われている︒ヨーガはシュラッダー︵信︶︑シンボリックなカルマン︑情緒的かつ知的なバクティとともに︑出家遊行者の信仰における構成要素の一つであり︑とりわけ瞑想︵nididhyāsana︶は︑知識を獲得するのに必要である﹁心の浄化﹂︵cittaśuddhi︶に役立つと信じられている︒三 在家者の信仰とその思想 シャンカラ派の在家信者にとって︑バクティは大変重要なものである︒このバクティは神々と世師に向けられるものであるが︑出家遊行者のバクティと違って︑シンボリックな側面も知的な側面もほとんど存在しておらず︑おもに情緒的である︒そのバクティは︑実際のところ︑カルマンと区別することはできない︒それは第三十四代の世師チャンドラシェーカラ・バーラティの言葉にあるように︑﹁︹神︺を礼拝する方法は自分に命じられた行為︵karma︶をおこなうことである﹂からである︒シャンカラにむけられるバクティについては︑シャンカラの伝説的伝記にも記されているが︑シャンカラは帰依者に対して﹁究極的な善﹂すなわち解脱をもたらす者として画かれている︒
シャンカラ派の人々は︑シャンカラが﹁シヴァ神の化身﹂であり︑輪廻に苦しんでいる人々を救うために下生したと考えている︒出家遊行者が世師をシャンカラ自身と見なしているのと同様に︑現代のシャンカラ派の人々は︑代々の世師が﹁シャンカラの化身である﹂と信じている︒現代のシャンカラ派の人々 愛︶がブラフマー神の世界へ導くものであり︑解脱すなわち﹁ブラフマンとアートマンの一体性﹂へ導くことはないと説くが︑シャンカラ派の在家信者たちは︑カルマンやバクティによる救いが出家遊行者が探究する解脱と異なったものとは考えていない︒著者は︑そのことを認めながらも︑今日少なくともシュリンゲーリ僧院が巡礼地として︑人々の信仰を集めている背景には︑シャーラダー女神信仰がある︒僧院は︑長年の間︑出家遊行者にとっては︑出家遊行生活の場であるとともに︑不二一元論ヴェーダーンタ思想の探究の場︑ブラフマチャーリン︵学生︶にとっては︑ヴェーダ聖典の学習の場であった︒
これらの信仰現象の背後には︑シャンカラ派の信仰者が︑出家遊行者であれ︑在家信者であれ︑世師すなわちシャンカラーチャーリヤの﹁シシュヤ︵弟子︶﹂であるというシャンカラ派の信仰が伏在している︒この﹁師と弟子との関係﹂の二重性が︑シャンカラ派信仰の基本構造をなしている︒この点は︑シャンカラ派における宗教思想と信仰の意味構造を明らかにする上で︑最も重要かつ根本的なモチーフであるとしている︒二 出家遊行者の信仰とその思想 出家遊行者が解脱を探究する上で前提になるのはシュラッダー︵信︶である︒シュラッダーには︑聖典の言葉と師の言葉という二つの対象があるが︑その二つは理論的には異なっていても︑実際のところはほとんど重なりあっている︒こうした信仰はグルバクティ︵師への信愛︶と密接不可分である︒
出家遊行者のバクティは︑在家者のバクティより複雑で︑①シンボリックなバクティ︑②情緒的なバクティ︑③知的なバク
開してきたのかを如実に物語っている︑として結論は終わっている︒
評者は曽て中村元の報告﹁シャンカラ派の総本山││シュリンゲーリ﹂︵﹃印度学仏教学研究﹄九巻一号︑一九六一︑一一八︱一一九頁︶を読み︑南インドのシュリンゲーリ僧院には︑是非行ってみたいと思いながらもなかなか実現できなかった︒幸いマハーデーヴァン︵T. M. T. Mahadevan︶の紹介で︑一九八三年三月に訪れる機会を得て︑第三十五代世師アビナヴァ・ヴィドヤー・ティールタ︵Abhinava Vidyātīrtha︶にもダルシャンすることが出来た︒その折当地で調査研究中の著者にもお会いすることが出来た︒
その時当地で一番驚いたことは︑僧院の名称は﹁シャンカラーチャーリヤの玉座﹂または﹁シヴァ神の玉座﹂ではなく︑﹁シャーラダー女神の玉座﹂︵Pīt.ha︶であり︑広大な僧院の中心的な建物はシャーラダー女神寺であり︑シャンカラ寺はその左に小さく︑あまり目立たない建物であったことである︒その時︑評者が初代シャンカラについてもっていたイメージとの余りの落差に︑一二〇〇年余の時間の経過の厳しさを痛感し︑著者の研究の成果を待っていたのである︒それがこの度このように立派な本となって慶應義塾大学出版会から公刊されたことは︑大きな喜びである︒そして期待通りに︑シュリンゲーリ僧院に見られる信仰現象の実際をはじめて解明された功績は大きなものがあり︑著者に称賛の言葉を贈りたい︒
しかし読みながら疑問に思ったことがないわけではない︒本書では﹁シャンカラを開祖とするシャンカラ派﹂︵七頁など︶ は︑世師へのグル・バクティを通して︑苦悩を取り除くために︑世師の加護を得ようとしている︒
在家者たちが世師にダルシャン︵拝謁︶を求める動機は主に①世師の助言を得るためと︑②世師のヨーガ的超能力︑マントラなどを通して︑病気や苦悩を癒やしたいとの思いである︒解脱を直接の目標としている人はごくわずかである︒シャンカラの伝説的な伝記﹃シャンカラの世界征服﹄によれば︑バクティはジュニャーナと同じく解脱に導くというが︑大抵の在家者はバクティが解脱に至る道であると言うよりは︑むしろ現世的な利益や加護をもたらす一つの信仰の在り方と考えている︒
世師と同じようにシャーラダー女神も︑シュリンゲーリの在家者にとっては重要なバクティの対象である︒シャーラダー女神は﹁母なる神﹂であり︑サラスヴァティー女神︵知恵の女神︶でもあり︑﹁最高の母体︑すなわち宇宙の母の側面と異ならない﹂﹁ブラフマンの明知﹂を表現している︒四つの道︑すなわちジュニャーナ︑バクティ︑カルマン︑それにヨーガはすべて︑シャーラダー女神すなわちシュリーヴィドヤーの礼拝において収斂する︒つまりシャーラダー神への礼拝は﹁不二一元論﹇の伝統﹈の慣習的なサーダナー︵手段︶なのである︒
こうした在家者の信仰の在り方は︑シャンカラの本来的な不二一元論思想の視座からみれば︑逸脱していると判断されるであろうが︑シャンカラ派の宗教伝統では︑これら二つの信仰の在り方は一つの複合的な信仰現象として存続してきた︒こうした具体的な信仰現象および宗教思想は︑シャンカラの思想が具体的なシャンカラ派伝統において︑これまでいかに受容され展
店︑一九八〇︑一八︱二三頁︶︒
ヴェーダーンタ哲学の伝統に最初にバクティを被限定者不二一元論の立場から基礎づけたのはラーマーヌジャで︑それ以後ヴェーダーンタ学派に登場する新しい学派はすべてヴィシュヌ派の系統であった︒そして民衆の間の宗教運動はやがてシャンカラ派にも及ぶことになり︑シャンカラはシヴァ神の化身となり︑シャンカラ派はシヴァ神を奉ずる傾向が強く︑﹁十四世紀以降には︑バラモン知識層のなかでヒンドゥー教内部での宗派対立をなくそうという動きが見られ︑シヴァ教のバラモンが自らを﹁伝承に基づくもの﹂︵スマールタ︶と規定して︑シヴァもヴィシュヌも女神も同時に崇拝する立場をとることが始まる︒こうした運動のなかで不二一元論哲学者シャンカラの非人格的絶対者の哲学が再評価されるようになり︑彼がインドの東西南北の方位に現代までつながるシャンカラ派僧院を開いたなどという伝説も作られた︒スマールタ派は︑思想的にはシヴァ教から遠く離れてしまったが︑シュリンゲーリのシャンカラの僧院での水晶のリンガの儀礼などを見れば︑儀礼的にはシヴァ教の流れに基づいていることは明らかである﹂︵高島淳︑上掲﹃南アジア史3 南インド﹄一一八︱一一九頁︶︒そして評者もその歴史的展開を簡単に紹介したこともある︵上掲﹃ヴェーダーンタの哲学﹄三七︱五四頁︶︒十六世紀にはマドゥスーダナ・サラスヴァティー︵Madhusūdana Sarasvatī一五〇〇年ころ︶がはじめて不二一元論とバクティを融合させたと言われている︵Dasgupta, ibid., p. 226; E. Deutsch and J. A. B. van Buitenen, A Source Book of Advaita Vedānta, Honolulu: University を︑第十二代の世師ヴィドヤーラニヤ以前の歴史を再構成する史料がないとは言え︵七五頁︶︑初代シャンカラを開祖としているシュリンゲーリ僧院の第三十六代世師に至る流れと理解されているようである︒そして﹁シャンカラを開祖とするシャンカラ派﹂については︑インドのダスグプタ︵S. Dasgupta︶がA History of Indian Philosophy, vol. II︵Cambridge Uni-versity Press, 1952︶の中のThe Śan .kara School of Vedānta︵一︱二二七頁︶で詳細に解明しているが︑どうしてかそれについて言及されていないことである︒
周知のように︑七世紀に南インドで起こった新しいバクティ信仰の波は一〇〇〇年かけて全インドに波及・浸透していくことになる︒南インドではナーヤナール︵Nāyanar︶と呼ばれるシヴァ派聖人と︑アールヴァール︵Āl.vār︶と呼ばれるヴィシュヌ派聖人といわれる︑熱狂的なバクティ宗教詩人たちによって宗教運動が起こり︑それが一般大衆の中に広く深く浸透していった︵辛島昇編﹃南アジア史﹄山川出版社︑二〇〇四︑一五六︱一五八頁辛島昇編﹃南アジア史3 南インド﹄山川出版社︑二〇〇七︑一〇八︱一一三頁︶︒
十世紀になるとヴェーダーンタ哲学にもとづいて︑ヴィシュヌ教神学を確立しようとする動きがアーチャーリヤと言われる一連のシュリー・ヴァイシュナヴァ派の学者たち││すなわちヤームナ︵Yāmuna九一八︱一〇三八︶︵最初のヴィシュヌ系ヴェーダーンタ学徒︶︑ラーマーヌジャ︵Rāmānuja一〇一七︱一一三七︶︑マドヴァ︵Madhva一一九七︱一二七六︶によって開始された︵前田專學﹃ヴェーダーンタの哲学﹄平楽寺書
Press of Hawaii, 1971, p. 288︶︒
以上のようなシャンカラ派の動向と南インドのバクティの動向などを考慮に入れれば︑インド思想史上にシャンカラを位置づけようとする従来のインドのダスグプタや欧米や日本の諸研究者が︑文献学的・解釈学的方法などで︑シャンカラに帰せられている﹃サウンダルヤ・ラハリー﹄などのバクティ讃詩を︑シャンカラ哲学研究の資料としては︑使用しないようにしてきているのであり︑批判されるべき事ではないのである︒シャンカラ派の思想と﹁信仰﹂を研究対象とする本研究の場合には讃詩が重要な史料となるのは当然であり︑方法論の議論もそれほど必要ではなかったかと思う︒
今一点指摘したいことは︑本の題名が﹃シャンカラ派の思想と信仰﹄とあるが︑本書は著者自身が書いているように︑﹁シュリンゲーリ僧院を中心とした﹂研究であるから︑限定語を付した方がよかったように思われる︒このままであれば︑初代シャンカラによって南のシュリンゲーリのみならず︑東のプリー︵Purī︶︑西のドヴァーラカー︵Dvārakā︶︑北のバダリナータ︵Badarinātha︶に創立されたといわれる僧院の他︑やはり初代シャンカラに由来すると言われる南インドのカーンチー︵Kāñcī︶の僧院をも合わせた五つのシャンカラ派僧院全体の思想と信仰の研究のような印象を受ける可能性があるからである︒ 徳野崇行著
﹃ 日 本 禅 宗 に お け る 追 善 供 養 の 展 開 ﹄
国書刊行会 二〇一八年二月刊A5判 ⅰ+五一六+一九頁 一二〇〇〇円+税
伊 藤 良 久 一 葬儀や追善供養︵ここでは両者をまとめて﹁葬祭﹂と省略︶については︑日本禅宗にとって非常に重要な問題である︒葬祭儀礼は︑禅宗のみならず仏教諸宗派が教団として主宰している︒各宗派それぞれの特徴を持ちながら︑整備されて発展し︑社会に定着して︑何より教団の経済的な基盤となっている︒
しかしながら︑この葬祭儀礼を仏教教理や︑禅学︵例えば曹洞宗学︶によって位置づけ︑意味づけることは非常に難しい︒葬祭が︑各宗派の教義で説明できるのかどうかという問題である︒実際︑禅思想を研究しても葬祭との関係性はあまり見えてこない︒葬祭は宗旨から逸脱したものではないかという指摘さえある︒このような事情もあり︑日本禅宗と葬祭の展開について積極的に︑また総合的に取り組んだ研究というのは︑それほど多くはなかったように思う︒葬祭儀礼は身近にあって当然のものでありつつ︑研究対象にはならなかったのである︒
ただ︑関係する周辺の研究は非常に多い︒これらの多数の研